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2013年05月日本史8: 上級公家は何故武家の棟梁になれなかったのか? (277) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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上級公家は何故武家の棟梁になれなかったのか?


1 :2012/10/11 〜 最終レス :2013/05/03
鎌倉開幕以降、歴史の表から姿を消した公家。
しかし平安時代は源平を王家の犬として飼っていたのに何故か武家に自立されてしまった。
上級公家が武家を支配下に置き歴史を作ることも可能だったと思うが何故武家に領土を侵食されてしまったか
考察するスレです^^

2 :
>1
文官と武官に分かれたからだろう
上流貴族は文官になった
今の日本でも上位に所属する総理大臣や大臣は文官だろう
武士は本来防衛大臣の下に所属する国家公務員(中流貴族)である自衛隊が
反乱起こして武力で国を乗っ取ったに近いからな

3 :
護良親王は武家の棟梁を目指したんじゃないの?

4 :
網野善彦『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)
 もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
 ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
 東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
 それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、
 西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
 ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、
 その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。

5 :
後醍醐天皇の皇子たちなんて人殺しまくりじゃねえか
忌避なんて全然してないよな

6 :
>>2
上級貴族は近衛大将や衛門督など武官の役職就きまくりだがw
逆に軍事貴族は検非違使や鎮守府とか除けば受領でむしろ文官。

7 :
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山

8 :
理由は藤原摂関家を外戚に持たない後三条天皇の誕生による「院政」の開始。これに尽きる。
「武家」ってものが確立したのもこの院政期。
この時代(11世紀)には官司請負制といって、特定の技能を諸大夫(四位〜五位貴族)クラスの中下級貴族が世襲する家職制度というものが成立する。
軍事もその中の1つ。

9 :
武官職・軍事官僚職についた上級公卿ならいたかと思うが、武士になった家はそうはいないと思う。
家系図レベルだと、宇都宮氏とか首藤氏とかがそう主張してるけど。

10 :
>上級公家
って言ったって事実上力があったのは藤原摂関家だけだったからな。
それが院政によって暫時骨抜きにされていって彼らは政治の脇に追いやられ、その間に諸大夫層の貴族を多く登用して各要所に就けていったということだろう。

11 :
なぜ院が公武の頂点に立つ最高権力者にならなかったのか?
後鳥羽上皇が目指したのはそれだったろうが。

12 :
 ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´J`) ∧_∧
/文室 \ 鎌倉 \ 上総 \ 三浦 (    ) パンツ脱いで待ってる 
| 忠光 .| |悪源太| | 曹司 | | 胤義 /     ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   ̄  ̄ ̄  ̄  ̄ / .|   | | 藤原信頼
||\..∧_∧             (⌒\|__./ ./
||.  (    )             ~\_____ノ|  ∧_∧
  /    ヽ骨は拾ってやるよ  .     \|  (    ) 
  |     ヽ                   \/     ヽ. 負けたら絶交な
  |    |ヽ、二⌒)               / .|後鳥羽| |
  .|    ヽ \∧_∧           (⌒\|__. / /
  藤原隆家

13 :
>>11
一応最高権力者だったろ
徳川将軍すら天皇の上座には座らなかったんだから
あくまでも天皇から武士が政権をお預かりしていたから
「大政奉還」(政治をお返しいたします)なわけで

14 :
そういうのは「権力」ではなくて「権威」。
「形」だけってやつ。
明治以降もそれは続いたし、戦後の今だってそう。

15 :
海外だったら天皇家も公家もとっくに滅ぼされ武家が新たに天皇となって新王朝が作られていた
しかし日本の特殊さは権力を握った武士のトップも天皇の子孫なんだよな
源氏も足利も(徳川も)自身が天皇の子孫であることを権威として武士たちを従わせていたから
本家本元の天皇家を滅ぼせなかった

16 :
そもそも公家の時代の藤原氏だって天皇を廃することをしなかった。
海外の日本研究学者たちが不思議がるところでもある。

17 :
>>16
海外だって、ある程度秩序が出来上がった時期には、王家を滅ぼして
自分が王になるなんてのは多くないと思うが。「王」と自称しても周囲に
認められなければ意味がないし。

18 :
>>16>>17
藤原氏のような天皇の外戚があえて自分は王にならず
自身の血を引く帝王を自由に操った例は海外にもある
藤原氏自身貴族化し、自力では天皇一族を攻め滅ぼす武力を有してなかったし
しかし、圧倒的な武力を持つ幕府将軍が非力な帝王を
あえて生きながらえさせていた例は少ない
日本みたいな例ね

19 :
>>18
ん?たとえば欧州で
> 圧倒的な武力を持つ幕府将軍が非力な帝王を
滅ぼした例ってのはどんなのがあるんだろう?

20 :
>>18
>藤原氏自身貴族化し、自力では天皇一族を攻め滅ぼす武力を有してなかった
この辺は微妙。
「諸氏兵家」といって権門の家はみな家司に軍事貴族を抱えていた。
またこの「諸氏兵家」は、後のいわゆる「武士の棟梁」に成長していった家でもあるので、武士の成立論者にとっては極めて重要な概念でもある。
ちなみに藤原摂関家に仕えていた「諸氏兵家」が清和源氏で、清和源氏が数ある軍事貴族の第一人者に成長したのも摂関家に仕えていたから。
だから藤原氏が武力を有していなかったというのは誤り。

21 :
日本は独特の権力文化だね
必ずお上をたててその権力を利用して権力を得る
世界的にもまれ
それを無視して己が頂点に立とうとする者は必ず亡ぼされる、平家や信長のように

22 :
久々の良スレ

23 :
と思ったら微妙なレスが

24 :
武家と公家の最高峰近衛家なんかは、やはり婚姻関係にあるね


25 :
>>19
欧州の帝王はずっと軍人だよ(現在もイギリス王室男子は軍隊に入る)
日本の律令制度以降の天皇のように武装解除していない
また、武力による王朝交代が起こっている

26 :
>>20
藤原氏が武力を有していたというのは誤り。
藤原氏自身は武装しておらず、官位を餌に雇い入れた
他氏(清和源氏)の武力に甘えてた時期があったってだけでしょ。
藤原氏は清和源氏を番犬とし、院は桓武平氏や秀郷系藤原氏を番犬としてたけど、
結局番犬たちはそれに満足せず、自分たちで政権取っちゃんたんだから。

27 :
それが一般的かどうかなのはしらないけど、
メロヴィング→カロリング→カペー、みたいなケースが、
欧米の例って言うのだろうな。
体制内乗っ取りパターン。

28 :
日本ほど長くない(数世代程度)けど、高麗とか、ベトナムにあったよ。
君主の下で権力を世襲する一族。
ネパール史の本でもそう言うの見たことあるな。
トンガも、王家の分家が実験を握り、更にそのまた分家がってきて、
しばらくそのまま続いて、最終的に分家の分家が権威権力の統合を果たすとか。
非西欧ではわりとあるんじゃないの。
西の方は、すぐ乗っ取りに乗り出す感じが。

29 :
番犬で収まっているうちは、それは飼い主が武力を握ってるってことじゃないのか?
餌をもらえなくなったらのたれ死に、少なくとも犬の方がそう思いこんでいる間は。
家康はともかく、頼朝だって自前の武力なんかほとんどないだろう。

30 :
頼朝は武装して馬と弓矢を持たせれば一人前に戦えるが、摂関家のヘタレは落馬して終わりだろう。

31 :
マロは一応弓矢を持て、異狄の攻撃に応戦したでおじゃる。

32 :
南朝は形式的には公家が武家を従えてたんじゃないの?
現職の関白・大臣が大将として戦闘に臨んでいたらしいし

33 :
>>31
お前様は何もしとらんばい。

34 :
>>25
武力による王朝交代というけど、ごく古い時代を除けば、基本的には
王位継承権のある者が自分の権利を主張してというパターンでしょ?

35 :
>>33
さすがに、突き目に悩む中納言の権帥に自ら弓矢で応戦させる
ようでは、名折れだろうね。

36 :
ちがうよ
ヨーロッパは王朝が変わるだろ
まったく王位継承権がない奴が力で新しい王朝を作って王位につくんだよ

37 :
>>36
有名どころの王朝交代だと、フランスのカペー、ヴァロア、ブルボンは
全部ユーグ・カペーの男系子孫で王位継承権も保持していた家だし、
イギリスにせよスペインにせよ、全く王位継承権が無い奴が云々という
事例はあまり見当たらないが。
ナポレオンなんていう例もあることはあるにせよ、少なくとも、日本でいう
武家政権時代あたりまで下った時期に、完全な簒奪なんてのがそんな
にあるかな?

38 :
>>37
そのカペー家祖のユグ・カペーはいち辺境伯(パリ伯)が権力を簒奪したもので、カロリング家の血を引いてはいないだろう。

39 :
中国は易姓革命のとおり、王朝の変革=別姓
世の乱れ→神様が別人を皇帝に指名
ヨーロッパは、血統というよりも王権というよりも領土=土地は相続の対象。
皇帝権を相続するのは誰かということ。権利や土地を相続する。
だから、相続で戦争が起きる。

40 :
>>37
日本も、源頼朝も足利尊氏も徳川家康も天皇の男系子孫だし
(家康は自称だろうが、ときの朝廷が徳川家は清和源氏だと認めちゃってるので)
カペー、ヴァロア、ブルボン同様に天皇家を乗っ取ることが可能だったわけだ
日本はそれがなかったのが特異だと言ってるの

41 :
西欧の場合は王族と臣下貴族の境目が曖昧だからじゃないの。
それと、本家が絶えたから分家が継いだと言うのは、
乗っ取りのは別物でしょ。
天皇だって、嫡流が絶えて分家が継いだなんて何度もあるし。
絶えて無くても継いだこともあるけど。
そんなに特異性を強調するところかな?
日本場合は皇統が遷っても特段なんとか朝とかって呼ばなかっただけで、
単に用語の問題のような気も。

42 :
天皇:祭司王
将軍:世俗王
武家政権誕生以後はこんな感じ。
ヨーロッパでいえば、ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝とかのような関係だな。
実際よくこのように例えられるし。


43 :
>>42
ローマ教皇とローマ帝国皇帝に血縁関係はないが
日本の場合、将軍は皆天皇の子孫を称していたよ


44 :
>>37
西欧は王室の歴史が浅いだろ
皇帝の歴史が長い中国では王朝交代は何度も起こっている
西欧は日本や中国と違い女系継承も勿論認められるため
「王朝変わっても前王朝と血は繋がってる」といっても
女系で繋がってるだけの所も多いよ

45 :
易姓革命という中国の王権観で考えると、日本には王朝の交代はない。
血統のつながりのない別姓の人間が、神に指名されて新たな王朝を作るからである。
西欧的な王統と意う観点から言うと、日本には王朝の交代はある。
血のつながりのある親族に移行しているからである。

46 :
武官が武士、武人を意味しなくなったのっていつ頃から?

47 :
戦国時代までは伝統的権威による官軍認定(大義名分)が軍事的に大きな意味を持っており
敵となりうる他国が多数の時代においては天皇家は迂闊に手を出せない存在だった
というのはよっくわかるが
利用価値が無くなり反乱の温床にしかなりえなくなった江戸幕府成立以後に
天皇家が滅ぼされなかった理由が理解できない
それほど無害なフリをするのがうまかったのか?

48 :
>>46
逆。
「武士」(という用語)が武官を意味していた。

49 :
>>43
血縁関係の有無を言ってるんじゃない。
武家政権誕生以後の天皇は、その権威で世俗君主たる武士の棟梁(鎌倉殿、室町将軍、右近衛大将、江戸将軍、and so on)を任命するという形を取っていたということを言っている。
そしてこれは構図としてはヨーロッパと全く同じということをも言っている。
その意味では天皇は
Emperorよりも、King of priest
と訳した方が当てはまる

50 :
>>48
どっちでもいい。近衛や衛門の官を武士と言わなくなったのはどこらへん。

51 :
近衛や衛門の官を武士と言ったことはないんじゃないのか。
最初武士と呼ばれたのは武官より下のレベルだったらしい。
一応文士と対になってた表現らしいが、文士が五位クラスまで含まれたのに、
武士の方はかなり下級クラスだけがそう呼ばれたらしいとか。
その後武士が発生してから武士が武官に就任することはあっても、
武官=武士になったことは一度もないのでは?

52 :
>>44
西洋の場合は男系女系を区分する意味があまりないような。
サリカ法とか言ってるフランス王家を別にして。
だいたい成立期の西欧貴族は入り婿的にのし上がった家が多いらしい。
平和的相続で、体制そのものや、支配層の構成が大きく変わらなければ、
女系相続だろうが、傍系相続だろうがさして関係ないのでは?
血縁が近くてもカスティーリャ王国のトラスタマラ家なんかは簒奪か。
イングランドでの所謂バラ戦争の王朝交代とかも。

53 :
>>51
対になってたのは「文人」と「武士」じゃなかったか?

54 :
>>52
日本の天皇家も皇統が絶えそうになると直系女子に傍系男子が「入り婿」してるけどね
ただし日本は天皇家でも将軍家でも血縁が遠くても「養子縁組」で実子にできると信じられてた
徳川家宣は甲州松平家から入った別家ではなく綱吉との養子縁組で綱吉の実子として将軍になった
光格天皇は閑院宮家から入った別王朝ではなく後桃園天皇との養子縁組で後桃園天皇の実子として即位した

55 :
正月甲戌「又詔曰 文人武士国家所重 医卜方術古今斯崇 宣擢於百僚之内 遊優学業 堪為師範者」
『続日本紀』養老五(721)年正月

56 :
公家が武家の棟梁になれば、もはや公家とはいえなくならない?

57 :
>>49
諸候の上に立つ諸王の王としての皇帝、統帥権の保持者としてのエンペラトル
どちらにせよ封建制国家における武家政権の首領である征夷大将軍の実状の方が
皇帝やEmperorの意味に近いんだよな
出家して法王を名乗った上皇もいたが、天皇という存在はそもそも法王や教皇に
近い物だよね

58 :
>>57
法王や教皇は大勢の信徒たちの頂点に君臨してたけど(皇帝も信徒)
日本は多くが仏教徒で天皇や上皇までもが仏教徒
そして天皇は仏教界の頂点ではない(天皇が高僧に弟子入りしていた)
天皇が神道の頂点に位置付けられたのは明治時代になってからで
それまでは神社の大多数は日本神話関係なしに地主神やら豊作の神やら祀ってた

59 :
なんて乱暴な意見w
それでは律令諸官庁で太政官と並ぶ最上位官庁に神祇官があったことをどう見るんだ?

60 :
天皇(大王)を中心に諸豪族が連合合従して成立したのが初期大和王権で、なんと言ってもその時代は祭政一致の時代でもあるのだから、神祇の面でもその天皇の祖神を中心に据えた神祇制度が確立していないわけがないじゃないか。
尚、神祇官は律令制発布以降の官庁だが、その原型はすでに大化改新以前から存在していたことが確実視されている。

61 :
治天の君が存在してても、玉体はキズをつけてはいけないと神聖視されていたしね。
実際、鍼治療を受けたいがために譲位したいと言い出す天皇もいたし。

62 :
武芸が得意じゃなかったとか。
軍事方面には関心がなかったとか。
山本こうじが大河でやってたお公家さん役の人なんてあきらかに軍事やるきないしなw

63 :
ま 明治維新では武家潰して
雪辱果たしたです

64 :
>>62
公家でも鎌倉時代の上杉氏(藤原北家勧修寺流)や
南北朝時代の北畠氏(村上源氏)みたいに武家になった家もあったけどね
でもまあ普通に考えて、もともと公家の家に生まれたのならば、血を流して戦うより、
朝廷へ出仕して家芸(琵琶とか和歌とか)で生計立てたほうが仕事内容が楽でしょ
武家=ブルーカラー(きつい仕事・成功すれば高収入)・
公家=ホワイトカラー(楽な仕事・最初から身分保障)みたいな感じ

65 :
軍事貴族も「公家」なんですよ。

66 :
>>65
平清盛を軍事貴族とみるか武家とみるかは厳しいな
武家=幕府と主従関係を結んでいるってことだろ?
ついでにいえば幕府を開かなかった豊織政権も

67 :
藤原道長が弓比べして勝った逸話があったり、
藤原隆家が軍事面で活躍したり。
貴族の中枢も、それなりに軍事鍛錬はやっていたのでは?

68 :
軍事貴族といっても祖先は地下を経てる。堂上からそのままで武士になった例はない。

69 :
>>68
堂上はともかく、国司クラスの中流貴族の中には
公家になるものも武家になる者もいただろ?

70 :
>>67
いたよ。藤原保昌とか。
だいたい軍事貴族ってのは公家から生まれたんだからそんなの当たり前の話なんだよね。

71 :
>>66
> 武家=幕府と主従関係を結んでいるってことだろ?
>ことだろ?
ってどの学者がそんなこと言ってんの?
清盛は承平・天慶の乱を鎮圧した功績で軍事面で諸大夫に取り立てられた平貞盛の子孫なんだから歴とした軍事貴族ですよ。
それとこの手のテーマに近世の
>織豊
なんてどうでもいいんですよ。

72 :
>>71
おたくは軍事貴族は武家だと思ってんの?それとも公家?
軍事面で活躍したなら藤原隆家も武家?

73 :
>>72
先にこちらの>>71での質問に答えて下さい。
そうしてから貴方の質問に答えます。

74 :
鎌倉の摂家将軍、宮将軍は成人すれば追放された。関東の武士が皇族、摂関家子息の武士化を
嫌ったからではないか。

75 :
幕府があって武士がいたわけじゃなく、
既に存在していた武士を組織化したのが幕府じゃないの?

76 :
藤原隆家が活躍したとか本気で思ってるのか
あいつ何もしてないし

77 :
弓の上下を知らなかったというのは作り話だろうけどな。

78 :
武士は武芸の専門家で、上級公家は非専門家だ。専門家は非専門家の職に就けるが、
非専門家は専門職には就けない。

79 :
平安貴族は普通に馬にも乗っているし、弓もたしなみのうち。
>>76
指示や許可を出したり恩賞の申請をしたりといった、権帥が
やるべきことをやっていただろ?

80 :
>>76
源頼朝も自分はずっと鎌倉にいて何もしてないよな
平家追討やったのは弟たち
大宰府にいた隆家より何もしてないだろ
それを言ったら

81 :
>>71
>軍事面で諸大夫に取り立てられた
えっ?
軍事面で諸大夫に取り立てられたら武家だってどの学者が言ってるの?

82 :
>>81>>72>>66
矛先反らしは良いから、
早く>>73で言ったように
>>71での質問に答えてね。


83 :
>>82
矛先そらしはそっちw
何で他人の質問に答えてやらんといかんw
で、>>81には答えられないの?

84 :
>>69
国司を歴任して五位ぐらいになるのは下級貴族でしょ。
それより下の官人は貴族とはいえない。
「中級官人」の意味かな?

85 :
どのランクまでが貴族かは研究者によって考え方が違う。
10世紀以降の六位主典クラスまで貴族に含める人まで居る。
貴族のランクの定義の議論に踏み込むと混乱するだけだから、
やめておいた方が良いと思う。
貴族が日本において法的に定義されことがない以上しょうがないが。
一般論なら、庶民大衆より何らかの意味で卓越した階級ってだけだから、
極論だと、有位層、後世だと二本差しはみな貴族だと言っても、
一概に誤りだとは言えない。
仮に貴族自体を定義できたとしても、ランクわけがまた議論になる。
そもそも、上流貴族とか、中級貴族とか言わない方が良いけど。

86 :
平安貴族w
『御堂関白記』(長和元年十二月四日)
斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。

87 :
>>85
>どのランクまでが貴族かは研究者によって考え方が違う。
>10世紀以降の六位主典クラスまで貴族に含める人まで居る。
>貴族のランクの定義の議論に踏み込むと混乱するだけだから、
>やめておいた方が良いと思う。
まあそうなんですよね。
一般には五位以上の官人を貴族と定義する学者が多いですが。
数年前のNHK日本語講座では、律令制度下に於いて官位を有する官人(従って一位〜少初位下までの全ての階級)は全て貴族と解説している学者もいました。
五位以上を貴族とすることが多いのは、この階級から位田や職田が支給される特権を帯びること及び、
一〜三位までの官人を「貴(またの名を公卿)」と呼び、
四〜五位の官人を「通貴(またの名を諸大夫)」と呼ぶことなどが根拠になっているんでしょうね。


88 :
>数年前のNHK日本語講座では→×
>数年前のNHK日本史講座では→○

89 :
>>83>>81>>72>>66
経験上、貴方みたいに質問に質問で返して来る人間にマトモな人間がいた試しが無いんですよ。
問い詰めるとだいたい、話を反らしてくるか罵倒に走って来るかのどちらかです。
そしてやっぱり今回もそうでした。
>>82
> 矛先そらしはそっちw
> 何で他人の質問に答えてやらんといかんw
> で、>>81には答えられないの?
↑については、>>73で述べました通りです。
もう一度述べましょうか?
>>72
> 先にこちらの>>71での質問に答えて下さい。
> そうしてから貴方の質問に答えます。
です。
以上のことを踏まえた上で、私がどう
>矛先そらし
をしているのかの御説明を願います。
ちなみに>>72の貴方の質問なんて本来は無茶苦茶簡単なんですよ。
というか、武士発生論の本の1〜2冊も読んでいれば、本来なら出てこないような質問ですらあります。
従って、貴方が一切武士発生論の類いの本を読んでいないこともこちらには丸わかりになるんです。


90 :
軍事貴族は受領階級の下級貴族

91 :
>>89>>65>>73>>82
「軍事貴族」=「公家」はお前の脳内学界の定説。
どこの「武士は正論の本の1,2冊」に書いてあることやら。
こういうと、本のタイトルも出さずに
また頭カッカで連投するんだろうな、なんかの病気だろ。お気の毒様。

92 :
>>91
仰る通り私は、>>89>>65>>73>>82です。
しかし、同時に私は「=>>71」でもありますよ?
貴方との一連のやり取りの中で一番の鍵になっている「=>>71」だけ入れて来られないのはどうしてですか?
その>>71で私が述べました質問にまず貴方様が答えて下さりさえすれば、次は貴方様の思い通りに万事ことは進むのですよ?
それがどうして出来ないのですか?
>>66で貴方が述べられた
> 武家=幕府と主従関係を結んでいるってことだろ?
↑がそれこそ貴方様の「脳内学界定説」なのではなく、しかるべき学者・研究者によって唱えられている学説であるのならば、どうかその名前を一人でも挙げて下さい。
そうすれば今度は続く>>72での貴方の質問(既に述べましたようにそれは本来質問とも言えないような稚拙な質問なのですが)に対して私が瞬時にお答えできるんです。
貴方も自分の質問に早く答えてもらいたいのでしょ?
そして貴方も「武士発生論」についての議論を進めたいのでしょ?
だったら最初に質問したものに対してまずは自分が答えてから、というのが筋になってくるとは貴方も思われませんか?
それとも>>89で言いましたように、
「話を反らしたり」「罵倒・人格攻撃に走ったり」することが貴方様の目的になってしまっているのですか?
そうでないと言うのなら、どうぞすみやかに最初の質問にお答え下さい。


93 :
中国でも朝鮮でも武官は偉くないと聞いた
日本の公家達も卑しい武官にはなりたくなかったのだろう
>>15
そこなんだよな
実力主義の武士も結局、権威に弱かった

94 :
>>93
近衛大将は大納言以上、ひょっとしたら内大臣よりも上の要職だけど?

95 :
>>94
それはむしろ地位が高くない印象だが
結局、上に文官がいるではないか
それにその近衛大将を勤めた公家の皆さんは
武士のように武芸に秀でた人はいたのかな?
武官職を貰っただけの文官になっているんじゃないかな?

96 :
穢らわしい殺生をする武家=武官ではなかったのでは?
平家が近衛大将に任官するまで、戦とは縁のない高級公家が近衛大将に任官していたと思った
また少将からして高級公家の昇進コースの一つであって、強訴とか地方の反乱に出兵した例もなかったかと・・・
どちらかと言うと、上朝鮮のプリンスが大将に任官するのと同じようなものかと




97 :
TDN出世コース
文官、武官だからといって別段意味はない

98 :
>>93
> 実力主義の武士も結局、権威に弱かった
その通りなんですよ。
承平天慶の乱も結局、思うような官位が得られないことに不満を募らせた地方留住軍事貴族やその子弟たちが、国衙や中央政府に対して反乱を起こしたものですからね。

99 :
武官と言っても、近衛府の官に任じられたとしても近衛府には指揮する軍勢はなかったし
単なる箔付けだしな・・・



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