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鉄道郵便を語るスレ (797)

明星なは彗星あかつきの時代


1 :2008/09/01 〜 最終レス :2013/09/15
2008年ついに消滅してしまったこれらブルートレインを中心とする
関西発の九州方面夜行列車の話題をしてみませんか?
呉線経由下関行安芸とか雲仙西海、霧島などの急行夜行の話題も可で
現役のML九州に話題ついては板違いですのでほどほどに
(でも頑張れ、板違いにならない日が遠い将来でありますように)
関連スレ
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/l50

2 :
ふと名古屋発の金星はどっちで語るべきだろうと思ったので
とりあえずwikipedia見たら[[なは]]で語られていたので、金星スレが立つまではこっちということでよろしいでしょうか

3 :
主な列車と主な走行区間 運行開始年は九州ブルトレとしての開始年を記す
あかつき 新大阪−長崎、佐世保 1972年運行開始、2008年廃止
明星 新大阪−西鹿児島  1968年運行開始 1986年廃止
なは 新大阪−西鹿児島(末期は熊本) 1975年運行開始 2008年廃止
彗星 新大阪−都城(末期は南宮崎) 1968年運行開始 2005年廃止
安芸 新大阪−下関 1975年運行開始 1978年廃止 
金星 名古屋−博多 1968年運行開始 1982年廃止 
月光 新大阪−博多 1967年運行開始 1975年廃止 最初から最後まで581系寝台電車だった
運行開始年が比較的新しいのは山陽新幹線開業による名称変更が激しく一定しないため
それ以前は急行や別名で走っていたということもある
また廃止後も臨時列車として運行されている(末期は急行に格下、別名で運行、いずれも1996年までに全廃)。

4 :
サロンカー明星とユーロライナー連結の臨時金星に乗った漏れが来ましたよ。

5 :
80年代初頭、広島駅で徹夜で駅撮りしていたおれもきました
昭和30年後半から40前半生まれの中国、九州地方在住だった人々の記憶に残るもの・・・・

6 :
>>5
>>昭和30年後半から40前半生まれの中国、九州地方在住だった人々
え?呼んだ?それなんてオレ?w
懐かしいよ。関西ブルトレ。殊に1972(昭和47)年10月〜1975(昭和50)年03月の間は
EF58がヘッドマークをかざして颯爽と走っていた。リアル消防時代の夏休みには
徹夜してでも眺めていたよ。殊に明け方やって来る下り彗星5号はサイドを朝日に
輝かせてそれはそれはカッコよかった。
あれから30数年、憧れた関西ブルトレは全廃、東京発着ブルトレも1往復でしかも
風前の灯。こんな時代が来るとはあの頃は想像もつかなかった。
(長生きし過ぎたのか?>オレ)

7 :
>>3
あかつきは1965年10月からだろ。
明星もブルートレインとしては1975年3月からだと思うぞ。

8 :
きりしま(京都ー西鹿児島、S45,10〜S50.3)も存在したよね。
あと臨時だがS50.8に岡山ー宮崎間の「夕月」(583系座席車)に小倉から延岡
まで乗った。まるで回送列車同然だったが絵入りマークには驚いたよ。

9 :
>>8
50.3できりしまがなはに名前変わったんだよね。
昼行特急だったなはの名前を消す事が出来なかったからとか。
しかし50.3前の大阪口の夜行本数はホント感動モノだな。

10 :
広島人としては、呉線経由大阪・京都行きの「音戸」が今もあったら便利なんだけどな。
あと単独客車時代の「なは」って、上り広島通過が4時過ぎくらいだったのかな?
もし営業停車してたら、レガートシートになら乗ってたのに。

11 :
ゴハチ+25型客車の関西ブルトレはセノハチで補機付けて登坂していましたな〜
当時はヘッドマークが付いていない上、あまりにもEF65Pがスター扱いされていたから
どこか日陰の存在に見えてしまったが、今思うとハァハァしてしまう絵だと思う。

12 :
>>8
あの時代、上手くいえないけど「きりしま」は他の583系関西寝台に比べて随分と格が違うように思ったものだった。
南九州直行型のダイヤがそうさせたのだろうか?

13 :
昭和61年の夏 末期の20系明星に新大阪から出水まで乗ったことある
当時はもう臨時列車扱いだったはず
昔は明星と言えば583系のイメージがあった 1日2〜3便くらい存在した主力夜行特急だったな

14 :
関西ブルトレは なは を除いて名称復活の可能性はほとんど無いだろうなぁ
いずれも夜から朝にかけての星というイメージ強いだけに

15 :
筑豊線経由のあかつきって、あったよね?

16 :
某作家の推理小説。え,えッ同じ列車が2回通るんですクワッ? (w

17 :
小雨の中、原田でレッドトレインの横をかすめていく昔の情景。

18 :
>>12
8です。
同感です。
理由はいくつかあって、「明星」「月光」に対して走行距離や食堂営業していた事。
南九州を目指すに歴史も古い、ふさわしい愛称である事、S50.2時点で西鹿児島まで
3往復あった「あかつき」に対しても孤塁の1往復なのが逆に目立ったせいもあると
思う。
同様に「ゆうづる」の大世帯に対して孤塁の「はくつる」も格が違うように見えた
ものだったね。

19 :
>>13
全盛期は、客車電車合わせて1日7往復もあったんだよ・・・>明星

20 :
そう言えば、14系座席車のみ編成の季節列車「明星51号」とかもあったな。

※「ムーンライト九州」のバッタンコシートに文句ブーたれる
 ゆとり18キッパーは、深く反省しるw

21 :
>>19
そうなんだ?! 当時はガキで鉄分が充実してなかったからそこまではおぼえてないな
>>20
昭和50年の夏休みに鹿児島へ帰郷するとき親が寝台指定とれなかったらしく
12系座席車で寝不足と窮屈な思いして夜通し乗っていったのをおぼえてる
それが明星なのか しかも特急だったのかまでは忘れてしまったが
帰り大阪に戻るときは583のなは 寝台に乗ることがこれほど有難いと感じた小2の夏・・

22 :
>>20
その頃は、まだ急行の「阿蘇・くにさき」「雲仙・西海」があったのに、
同じ車両で全車指定、ラッシュ後にのんびり到着の昼行灯ダイヤ、
…今思えば、ぼったくり列車だったかも。>座席「明星」
そういえば、一時期583系にも座席指定車の設定があったねえ。

23 :
昔はあかつきって数往復走ってたんだよね
急行とかも入れたら関西-九州の夜行列車って10往復以上あったんじゃない?
車両も583系・20系・14系・24系とバリエーションがあったね

24 :
583の有明、しらさぎ、雷鳥、にちりん

25 :
1973年10月 大阪
屋久島1号 15:05 大阪-西鹿児島
雲仙1号   17:39 京都-長崎(臨時)
屋久島2号 18:04 京都-西鹿児島(臨時)
高千穂・桜島18:12 東京-西鹿児島(日豊線経由)・西鹿児島
雲仙2号   18:30 京都-長崎
あかつき1号18:36 新大阪-長崎・西鹿児島
あかつき2号18:51 新大阪-西鹿児島
日南1号   18:57 大阪-南延岡(運休中)
ことぶき   18:57 京都-宮崎(臨時)
明星1号   19:06 新大阪-熊本
あかつき3号19:10 新大阪-長崎
西海1号   19:15 大阪-佐世保
彗星1号   19:36 新大阪-都城
日南2号   19:43 大阪-宮崎
きりしま   19:52 京都-西鹿児島
明星2号   20:06 新大阪-熊本
あかつき4号20:36 新大阪-西鹿児島
天草     20:44 熊本(筑豊本線経由)
あかつき5号
&彗星2号 20:54 新大阪-佐世保・大分
日南3号   21:21 京都-都城(宮崎-都城間:C57?)
彗星3号   21:51 新大阪-大分
あかつき6号22:06 新大阪-長崎・佐世保
阿蘇     22:13 名古屋-熊本
明星3号   22:36 京都-博多
明星4号   22:50 新大阪-熊本
彗星4号   23:06 新大阪-大分
鷲羽1号   23:10 新大阪-宇野(臨時)
音戸1号   23:13 新大阪-下関(呉線経由)
鷲羽2号   23:29 新大阪-宇野
つくし2号  23:32 大阪-博多
音戸2号   23:40 京都-広島(呉線経由)
音戸51号  23:50 大阪-下関(呉線経由)(臨時)
以下、さくら(23:58)を筆頭に東京からのブルトレと金星が続く


26 :
豊橋の市内電車の運動公園支線開通式を見て、
熊本市電に新型車登場の報を受け、
思いつきでその夜、明星のBネをとろうとしたが満席(!)
仕方なく長距離で値ごろ感(←当時この言葉はなかった)の
ないサロに乗ったが、
べネシャンブラインドのハンドルが肘掛にあたって幻滅した。
熊本に行ってみれば8200は発車式の前日(泣)
しかも帰りのはやぶさが富士川橋梁が流されたとかで打ち切り。
新幹線に振り替えてはくれた(!)が帰京したのは月曜日の昼過ぎだった...

27 :
>>25
このあと昭和49年4月の宮崎電化のときに最盛期を迎えましたよね。
24系25形も登場したりして…。
当時は東京から東海道新幹線で新大阪に出て、接続する山陽夜行で九州に向かうのが、
効率的な移動手段として旅客に支持されていた時代ですた。
時刻表の連絡早見表にも、新幹線と山陽〜九州寝台特急との接続が明記されていました。
で、昭和50年3月の新幹線博多開業で本数が減るのですが、
激減するのは昭和53年10月以降段階的に…。
新幹線開業と航空の台頭と、度重なる国鉄運賃料金うp…。
一方で移動スタイルの変化…寝ている間に移動できるありがたみを感じる旅客の激減…。
で、国鉄改革時には各方面1往復程度ずつしか残らなかった…orz
東京〜九州のブルトレが昭和50年以降殆ど増減なく推移していたのとは対照的でした。

28 :
ブルトレが博多を出た後の新幹線の方がその日のうちにつけるようになっては勝負ありだろうね
特に山陽は東海道に比べて運賃安いし。新幹線+ビジネスホテル<ブルトレ だし
慣れてないと到底列車で寝るなんて厳しいからなぁ 
最低でもA寝台個室が新幹線+ビジネスより安くなきゃ、同格とは言えない

29 :
モハネは電車なのに、わりと防音が効いていた。スハネフとは大違いだw
(しかも昨今は東京口九州ブルトレ…って1本だけか…
 まで床下電源エンジンになってるし)。
俺は乗ったことはないが、583のパンタ下の上段は
架線を摺る音でけっこううるさかったとか。

30 :
>>28
東京〜(新幹線)〜新大阪〜(寝台特急)〜九州各都市
という乗継パターンで持っていたこれらの列車ですが、
昭和50年以降も東京を19時ないし20時頃の新幹線に乗れば、新大阪乗換で翌日の朝には博多、
昼前までに西鹿児島や宮崎に到達できていました。
もちろん東京発着のブルトレに比べたら遅く出て早く着くことができましたし、
博多行き最終新幹線(当時は17:00発が最終)よりも遅くでて、
翌日朝6:00発の新幹線が博多に到着(当時は13:01着)するよりはるかに早く到着できていました。
その意味では大きなアドバンテージを依然としてもっていました。
それでも、新大阪で深夜(上りは早朝)に乗換をするなど、せわしない移動を強いられていたわけで、
航空機の大衆化が次第に進んだ昭和50年代に。、一気に流れてしまったというわけ。
新幹線と夜行の乗り継ぎで行くくらいなら、最初から飛行機で行こうという時代になって行きました。
東京〜九州のブルトレは、新幹線博多開業に併せて「あさかぜ」が1往復減りましたが、
その後は国鉄改革を経て1993年12月のダイヤ改正まで18年以上もの間、
概ねこの当時のダイヤを踏襲して来ました。
その一方で、関西〜九州間の寝台特急はその間激減していったわけで、
全く対照的な経緯をたどっているのも、ひとつ注目すべきところでしょう。

31 :
そうなんだよね
東京からのブルトレって、90年ぐらいまであんま変わってないんだよね
それと比較して考えると、関西での乗り継ぎ需要って劇的に変化したんだろうなあ
>>25の過密ダイヤとか、今じゃ想像もつかない

32 :
>>27
岡山発着の「月光」もありましたね。これが最速達パターンでした。
「きりしま」も京都発着だったけど、時間帯から岡山乗継も可能でした。

33 :
寝てる間に移動できるメリット、という需要は夜行バスや繁盛期のながらを見れば充分にあると思うけどなぁ
それらに比べてブルトレが値段がぼったくり感になるのは仕方ないだろう。夜行バスより金を出すのだったら
なるべく早く着くほうを選ぶだろう。まぁそんだけの話

34 :
1975年3月
明星:7往復、なは:1往復、あかつき:3往復、彗星:3往復、金星:1往復、阿蘇:1往復、雲仙西海:1往復、くにさき:1往復
※明星1往復は筑豊経由
1978年10月
明星:4往復、なは:1往復、あかつき:2往復、彗星:3往復、金星:1往復、阿蘇くにさき:1往復、雲仙西海:1往復
※あかつき1往復は筑豊経由
1980年10月
明星:3往復、なは:1往復、あかつき:2往復、彗星:2往復、金星:1往復
1982年10月
明星:1往復、なは:1往復、あかつき:2往復、彗星:2往復
1984年2月
なは:1往復 明星あかつき(1・4号):1往復、あかつき(2・3号):1往復、彗星1往復
※あかつき2・3号筑豊経由は1985年まで、その後は博多経由に変更
1986年
なは:1往復、あかつき:1往復、彗星:1往復
※快速「ムーンライト九州」は前身列車が1989年から運行開始 一時期は京都〜熊本運転(1991年〜93年)
※明星は臨時20系化→1990年急行格下げで霧島に改称→1995年特急「きりしま」運転開始に伴い「桜島」に改称
→1996年24系25形化により「なは81・82号」に改称→1997年頃設定なしに。
2000年
なは:1往復、彗星あかつき:1往復
※彗星は1995年に南宮崎〜都城廃止、あかつき佐世保編成は2000年廃止
2005年
なはあかつき:1往復
※なはの熊本〜西鹿児島は2004年廃止

35 :
>>34 補足&訂正
1986年→1986年11月
2000年→2000年3月
2005年→2005年10月
山陽〜九州夜行特急の全滅は2008年3月
>>30
東京〜九州夜行で1975年以来はじめてメスが入ったのは1994年12月(みずほ、博多あかつき廃止)。
ただし、食堂車営業が1993年3月までに全廃されるなどその前から退潮傾向にあったのは否めない。

36 :
博多あかつき→博多あさかぜでした。凡ミスもいいところw

37 :
明星あかつき(1・4号)のヘッドマークは衝撃でしたね。

38 :
1990年代に「あかつき」と「なは」にテコ入れをしましたね。
「あかつき」・「なは」共通でレガートシートとソロ。
「あかつき」には出雲がサンライズ化で余剰となったシングルDXとツイン。
「なは」はデュエット。
当時、高校生だった自分は九州に乗り鉄に行くのに「なは」のソロが2回と「あかつき」の
レガートシートが1回乗車しました。
あの当時は「彗星」も含めて全区間JR西日本の車掌が乗務してましたね。

39 :
今のブルトレって1975年で言うとオハ35と同じ車歴なんだな。
よく寝台料金に6300円も取れるよ。

40 :
有効時間帯や会社またぎ問題からしても先に東京〜九州系統のブルトレが先に消えると思ったが。
新幹線と丸被りする「なは」はともかく、「あかつき」「彗星」なんて生き残る余地はなかったのかな?
日豊系統は船という大敵もいるから難しいのかな。
(関西〜大分・宮崎は高速バスですらボロボロに打ち負けたし)

41 :
JRにやる気がなかった、結局それにつきる

42 :
関西〜日豊線系は線形が悪すぎて船に敵わないからな。
いちいち関門回らなきゃならんのはなんとも

43 :
昭和50年台中頃広島に住んでいたのだが、色々記憶が蘇ってきた。
宮島初詣臨・・、深夜の宮島口駅で列車を待つ沢山の人。
構内アナウンスが特急列車の通過を告げる。
間もなくしてものすごい勢いでアイボリーとブルーの電車が通過していく。
宮崎から来た581系彗星。モハネの2基のパンタの擦れる音、グリーン車の乗務員室から顔を出して安全確認する車掌、遠ざかっていく青と黄色のトレインマーク。
普段は布団の中で夢の世界に入っている時間、夢のような光景を見た。

44 :
>35
東京〜九州はJR各社が看板として維持で残していた点(ヘッドマークや食堂車など)も大きいと思う。
後、東海の実権が葛西氏に移行したあたりから急に衰退しているが、なんかあったのだろうな。

45 :
東京〜九州のブルトレは1980年代になってもそれなりに利用する旅客がいたんですよ。
「みずほ」のような補完列車がしぶとく残っていたのがその象徴です。
東海道新幹線の開業以降、最速手段では決してなりえなくなったこれらの列車は、
所要時間の短さを求めるのではなく、乗換なしでマターリと一夜を過ごす客層、
それも相当数の客層で支えられていたのです。
だから、新幹線や航空機が便利になっても、かなりあとまでしぶとく存続していたのだと思います。
それに対し関西〜九州のブルトレは、新幹線との乗り継ぎ客で支えられていた時代があったのですが、
最盛期は1970年代でした。
まあこの当時の客層はビジネス客が多かったのだと思います。
(そうでなければ>>25>>34のような列車設定本数にはならない。)
料金も新幹線の特急料金と在来線特急料金(乗継割引適用)と在来線寝台料金がかかったわけで、
東京〜九州のブルトレに比べて高くつく上に、
新大阪などでの乗換が必要だったわけで、
それでも多数の人に利用されていたというのは、当時としは便利な移動手段だったからに他なりません。
新幹線博多開業後も関西〜九州の夜行列車の需要はそれほど減らなかったのですが、
その後5年くらい経ってから激減(>>34を参照)する様を見ると、
新幹線の影響より航空機の影響のほうが大きいのかなと。
この頃になると各地の空港が整備され、日本航空も全日空もB747をはじめとする大型機を就航させるなど、
着々と輸送力を上げてゆきます。
成田空港の開港で羽田からの国内線の増便ができるようになったのもこの頃ですし。
フェリーについてはこれはもう明治の時代から競争で、
むしろ1970年台の頃は棲み分けがあるていどできていたのではないでしょうか。
まあ、いずれにしても新幹線は方開業の頃がピークで、
その後一気に凋落していった関西〜九州のブルトレ群には、
一抹の寂しさを感じてしまいますね。
ちなみに>>34の1975年3月の本数ですが、「明星」「あかつき」のうち2往復は併結運転をしていました。
で、併結していた「明星」のうち1往復が筑豊経由でした。
筑豊経由の列車が設定されていたのも「時代」ですね。

46 :
>>44
国鉄分割反対論を抑えるために当時のエラい人(臨調?)が
ブルトレは残します、と言明した記憶があります。
それがなければもっと早くに無くなってたかも?

47 :
S61年前後そんなこと言ってた記憶がある、確か
ソースがあればwikipediaにも書けそうなネタだが

48 :
筑豊本線経由の夜行なんて今となっては想像も付かないけど
急行天草(京都〜熊本:1975年廃止)時代からの名残で明星やあかつきに引き継がれたんだよな。
ちなみに1990年代、大阪〜久留米〜大牟田・荒尾間に夜行高速バスちくご号が運転されていたが
途中飯塚や直方を経由していて昔の天草や明星、あかつき時代を髣髴とさせていたけど
結局これも廃止になっちゃったのは悲しいところw

49 :
1980年頃にも夜行列車廃止論ってあったよね。流石にまだ反対が多くて立ち消えになったが。

50 :
あの宮脇俊三さんも国鉄ローカル線乗りつぶしの頃には新幹線+関西ブルトレの乗り継ぎをけっこうやってたな。
同じ列車でも始発の新大阪で乗り継ぐか三原で乗り継ぐかで2時間ぐらい差が出てたのには驚いたなw。
>>49
当時の運輸大臣が“夜行全廃”なんてぶちまけてたな。“貨物はどうすんだ?”て突っ込まれたら速攻でゴメリンコ
してたがwww。

51 :
夜間の人員確保が難しいと言うが車掌だけでなく
貨物が別会社になったとは言え、
廃止すれば沿線の駅の夜勤が無くなる事になるのか?

52 :
>>51
そういう目的も、あるんだろうねぇ。
北海道の、新得を訪れたら、ホームに帯広だか釧路だかの
指令へのホットライン電話が設けてあって、
おおぞら13・14号(「まりも」になる直前の頃)が
定刻より大幅に遅れているときには
この電話でお確かめください、的なことが書いてあった。
当時すでに、深夜は無人化されてしまってたんだな...
イタチごめそ。

53 :
諫早に仕事があったとき、諫早到着8:12(8:11だったっけ?)、9時から客先入るのにうってつけ!
これだけの理由で東京から新幹線(岡山乗換だったと思う)乗り継ぎであかつきを使ってた。
B個室を必ずとってた。仕事仕事で気ぜわしかったとき、個室はかいこ棚より快適で過ごしやすかった。
6分しか出ないシャワー室300円のシャワーの使い方も結構工夫したっけ。
後年、宮城にいる工場の人間が急遽諫早へ朝一に行かねばならなくなり、飛行機大嫌いな人だったので古川15時台の
東北新幹線やまびこ〜ひかり〜京都乗り継ぎで京都始発あかつきの、やはりB個室を勧めてそれで行ってもらったけど、
初めてのそんな鉄道の使い方をして、個室は次の日のお客への対処をじっくり考えるにはよかったな、との話に
なったこともある。
寝台特急はあればあったで使うのだが、だからといって恒常的に使ってやれないし、結局衰退してしまったね。
社内旅費規定に「車船中泊手当」(=日当の夜行版)の規定がまだあるんだけど、もはや死文化している。

54 :
「車船中泊手当」(=宿泊手当の夜行版)でした。訂正します。

55 :
せめて最後の関西〜九州夜行であるムーンライト九州だけでも残して欲しいよな。
しかし、夜間高速バスがあれだけ隆盛しているのに
夜行列車だけが衰退しきっているのはちょっと悲しい。

56 :
九州往復割引切符があったときには、夜行バス並みに安く行けたのにね<あかつき
生活リズム的にも時間帯がちょうどよかった上に、上下とも便利だったし、
関西・九州両側でラッシュにかからない時間に列車を入れられたのもよかった。
北部九州−関西の需要をまとめられれば残った可能性はあったのだけれど。
後は長崎本線のホーム長の関係で583系化できなかったのが痛かった。583系の
貫通構造を最大限利用できる唯一の列車だったのに。
もし583系化してたら最後の583系はきたぐにではなくあかつきだったかもしれない。

57 :
>>53
俺の会社にもある。全国に行くからなあ。しかし、実際には九州・四国への
フェリー乗船時の5000円と食事補助2000円だなあ。

58 :
>>45
その昔は東京発夕刻のひかりに乗っていると、「ああ、この人は関西ブルトレに乗り継ぐんだよな」って人が結構乗っていましたね。
荷物の量とか長旅オーラ(笑)とかで何となく分かりました。

59 :
ttp://www.geocities.jp/maahirai/JNR/akatuki.htm
「あかつき」の歴史を扱ったサイト
単独あかつき・明星あかつき・彗星あかつき・なはあかつき全部写真あり。

60 :
>>56
583系は3段ベッドだから、最後は「あかつき」も客車のみになってたんじゃないかなあ
前者サハネにするわけにもいかんだろうし。
明星、なは、彗星が全部客車になったのにも、それなりの理由はあろうかと・・・
結局、2段ベッドが当たり前の時代になると、583系は「きたぐに」のような夜行急行でしか使えない車両になってたんじゃないかな
あと、ある程度の距離を走る列車になると、寝台の取り片付けが必須だろうけど、
上の三列車って、寝台の片付けとかしてたの?

61 :
板の趣旨からは、外れるけど、583のB寝台が2段に改造されてたとしたら
もっと多くが生き延びただろうか?
そう思うならサロネに乗れって…? 失礼しました〜

62 :
583系が生き残らなかったのは昼夜兼用なのに昼の座席が快速並というせいもあっただろうなぁ
東京ブルトレに入れなかった583系の命運は新幹線博多開業で尽きてたと思うよ

63 :
>>62
客車寝台より583系のほうが長生きするかも…
まりも…廃止済み
富士・はやぶさ…2009年春廃止
はまなす…2010年(2009年?)春廃止
北陸・あけぼの・北斗星・カシオペア …2011年春廃止

64 :
カシオペアとトワイライトは残すだろう、新幹線開業でも貨物走らすんだし
コンセプトや客層が全然違うと思うが・・・

65 :
ちょっとお尋ねなのですが、下り最終の「あかつき」に充当された車番を
ご存知の方がおられましたら、教えて頂けませんか?


66 :
福岡県の柳川の者ですが
国鉄で佐賀まで出て「あかつき」や「さくら」は何度か利用しましたね
懐かしい列車です、とくに「あかつき」は翌朝関西に着けるということで重宝したものでした
時代の流れとともに飛行機を使う方が多くなり誰も乗らなくなってしまったのですね

67 :
>>61
オロネ14とオロネ24の全車両を個室化改造することを前提であれば、
583系の2段寝台かもありえたかも知れないと…。
そうしないと583系のB寝台と14系24系のA寝台とで何が違うんだという話になってしまう…。
国鉄末期という時代背景の中でそういう意思決定が成し遂げたかどうか…。
(実際には583系は715系とか419系という変な車両に改造されてしまったが…。)
>>62
御存知の方も大勢おられるかと思いますが、この車両はもともと国鉄の車両運用の都合上生まれた車両。
当時、朝6時頃〜10時頃、車両基地内で到着した夜行列車と出発前の昼行列車でごったがえってしまって、
車両基地内での処理に困っていました。
そして夜の18時頃〜22時頃は逆に到着した昼行列車と出発前の夜行列車で同じことがおきていました。
これらを解決するために昼は座席、夜は寝台の車両が必要とされていました。
もともと急行列車を昼夜兼用にしようとして開発が始まったそうです。
一方、この手の車両は所要時間が8〜9時間程度の路線が丁度いいのですが、
新大阪〜博多間に導入するとなると急行では所要時間がかかりすぎて上手くいかないことがわかり、
急遽特急用として設計をやり直した経緯があります。
そのため昼間の2等車(普通車)をボックスシートにして、
夜間の1等車(A寝台)は設定せずに座席車(グリーン車)のままにせざるを得なかったのです。
で、所要時間8〜9時間だと、寝台⇔座席の切換を3時間とすれば、丁度上手くいのですが、
当時のダイヤでは新大阪〜博多、上野〜青森はまさしくドンピシャでした。
しかるに、新幹線開業前の山陽本線や東北本線で、その能力を遺憾なく発揮していました。
まあ昭和50年に山陽新幹線が博多開業し、昭和57年に東北新幹線が開業し、
また、同時に航空が台頭してゆく中で、
581系、583系という車両がその機能を最大限活かして運用する場はなくなってしまいました。
それでも現在「きたぐに」と、仙台の団体臨時用に残っているのは奇跡です。
列車の特性上座席車と寝台車を混用する必要のある「きたぐに」と、
時と場合と状況により座席車としても寝台車としても使いたい団体臨時列車用として、
583系の特徴を活かされているのも、この車両の面白いところであります。
団体用であればボックスシートにしたほうがグループ向きで都合がいい側面もあったり…。

68 :

2

69 :
>>67の続きです。
まあ583系という車両は、とりあえず「寝るだけ」の寝台車と、座席車の兼用車なので、
東京発着の寝台特急のように、全所要時間のうち「起きている時間」の長い列車にはそもそも向かず、
しかも当時既に東海道新幹線が存在して、
短距離を除き昼間の特急が設定されていなかったため、
583系のでる幕は当然にしてなかったわけであります。
まあ、山陽新幹線、東北新幹線開業後の583系の生きる道として、
「原則夜行専用」として扱うのであれば、「銀河」等に充当する道もあったかもしれませんが、
そもそもこの当時既に夜行列車激減の時代を迎えていたわけで、
「寝るだけの寝台車」である583系を使い続けること自体が難しかったかもしれません。
(583系を活かせば14系や24系が余ってしまう時代になっていた。)
それにしても、短期間で無理矢理寝台と座席の両用車を造ったのですが、
全体のデザインの美しさや、その多機能性が、ファンの心をくすぐるという、
まあ昭和40年代の国鉄の傑作車両といっていいでしょう。

70 :
国産旅客機のYS11に通じるものがあるな
銀河で座席と寝台を両方使ってたら、あるいは583系は銀河で生き残ってたかもしれない
どっちにしろこの数年来の状況の変化で廃止は免れなかっただろうけど

71 :
>>34
「安芸」新大阪〜下関(呉線経由)もいれてやれよ。

72 :
>>66
九州北部から関西だったら新幹線メインになりますた・・・。
今後夜行で関西へ行くならばフェリーを使う予定です。

73 :
>>66
福岡地区〜関西地方のシェアは新幹線7割:航空3割。熊本〜関西地方でも現状でも4人に1人は鉄道利用だから、
夜行から新幹線利用に変わったとはいえ、基本的に鉄道自体は使われているほうだよ>北部九州〜関西

74 :
>>70
まあ「名車」とは言いましたが、両用というのはやはり無理があったと思われ…。
悪い言い方をすれば、「アブハチ(ry」とか「二兎を追うものは(ry」…orz
<二等車・普通車・B寝台車★★>
寝台車として使う以上座席車をボックス構造にせざるを得なかった
→昼間の特急用としては、はっきり申し上げて「落第点」
寝台車⇔座席車の切換に手間がかかる
→「寝るだけの寝台車」以外の運用は困難
<一等車・グリーン車・A寝台車>
日中に一等車(グリーン車)としてのサービスを提供するためには、
A寝台車を設定することができなかった。
当時の国鉄は、「グリーン車⇔A寝台車」ができる車両も検討したそうだが、
流石に両者の構造が違いすぎて両用車にはできなかったという経緯があるそうな。
どっちにしても、昼間は485系に比べたらやっぱり×ですし、
A寝台の連結されない寝台車ではやはり半端ですし…。
583系は、新幹線開業前の山陽本線、東北本線の
どうしようもない車両のやりくりを助けるために登場した車両で、
その後新幹線の開業や全国的な夜行需要の減少に伴い、
このような車両は必要なくなったといってよいでしょう。
見た目が美しいのでwktkしてしまうのですが、
まあ新大阪〜博多間8時間を
ボックスシートの583で乗りとおすのはやはりしんどいものが…。
>>66
「あかつき」が、九州の人にとって関西だけでなく東京に出かける手段として、
かつては常用されていたという時代があったのですよね。
翌朝新大阪や岡山などで新幹線に乗り継げばれば、
「さくら」より遅く出て「さくら」より早く東京につけました。
飛行機という手段がそれほどメジャーになっていなかったころは、
こういう使い方が割と当たり前になされていたそうな。

75 :
>>74
忙しいビジネスマンとか、宮脇先生の完乗旅行とかに愛用されていましたよね。

76 :
国鉄末期からJR時代にかけて、
東京あたりからだと「グリーンきっぷ」というのがあった。
新幹線のグリーン車、または在来線B寝台が使えるというもの。
九州方面へは、たしか途中から、1回に限り新幹線から寝台特急への
乗り継ぎができるように制度が改められた。
だからなるべく遅い新幹線で東京を出て、岡山あたりで関西発の
ブルトレをつかまえることができた。
にもかかわらず、起死回生とはならなかった。

77 :
少々スレ違いだけど、夜行衰退について、口を挟ませてもらいます
ここ最近毎年何かと北陸〜新潟方面で地震、台風等の天災で日本海とか運休になるけど
これらに関係ない大阪および東北を移動する人にとっては、運休になる理由は仕方ないにしろ
予定をたてていたのに、急遽移動手段を変更せざる得なくなり、飛行機の手配が出来なければ
最悪取りやめということにもなりかねない、そういうリスクがあるし、ここ最近は毎年のように1ヶ月単位での
運休が多い。そんな経験のある人間なら、次に移動するさいは鉄道を利用しようなんて思わないだろう

78 :
>>77
寝台列車しかなかった昔なら、足止め食らっても諦めが付いたが、
今は翌日以後まで悪天候をやり過ごして別の手段で行った方が
確実に目的地に付けるからな。
無茶するとこうなる。
ttp://www.hokutosei.net/html/log/log1_003/log1_003483.htm
ttp://www.hokutosei.net/html/log/log1_003/log1_003501.htm

79 :
日本海経由がダメなら東海道〜東北を走ればいいじゃない、とは簡単にいかないわけで。貨物と違って
神戸の地震の際、関西ブルトレは播但線経由という手段をとったけど、東京ブルトレは軒並み運休だったし
東京ブルトレが3ヶ月にわたって運休した例はこれが最初で、おそらく最後の例になるだろう
そう言えば東京ブルトレが廃止になってきたのもこの時期からだし(これはこじつけだけど)

昔、1985年北陸が大雪の影響で東海道経由で(牽引機はEF5861)という例はあったけど
今じゃムリだろうなぁ、東海が走らせるわけがないし

80 :
>>79
姫路から先の筋は東京ブルトレのやつ使ってたな>福知山・播但経由の代行ブルトレ

81 :
>>80
確かに「なは81・82号」の場合、
新大阪発着の時点ではなはのスジ使って、山陽九州内ははやぶさのスジ使ってた。
で、この当時はなは・はやぶさ共に西鹿児島まで運転されていたが、この列車は熊本発着だった。
今なら播但線を経由してまで夜行列車を運行するなんて考えられないな。

82 :
>>77
近頃の長期運休する鉄道会社としての思惑は
それによって夜行利用者減も考慮に入れているといっていいでしょう。
利用者減になれば廃止しやすいからです。
実際夜行列車は全部廃止したいというのが会社の本音でしょう。

83 :
次の日に飛行機や新幹線で行った方が速いからだろ。
狭い日本、急げばその分早く着く。
ちんたらとしか走れない鈍足列車に客を缶詰めにしないのもサービスのうちじゃね?

84 :
>>81
興味はあったけど、良心の呵責にさいなまれて乗りに行けませんでした。

85 :
>>82 思惑で災害復旧を意図的に遅らすくらいだったら
大糸線、高山本線、越美北線は今も分断されたままだったのでは(謎)
ブルトレねたに戻せば、子供の頃新車ヲタだった俺は、
関西発九州方面に14系15形が投入されたのが無意味にうらやましかった。
まさかこの期に及んで東京口でそれを見れるとは。
でも寝台車の客となったならスハネフのエンジン音はいただけない。

86 :
山陰の824レに乗るために14系15型の「あかつき」のスハネフに乗ったけど、エンジン音は気にならなかったな
それよりも寝台に登るはしごが細かくカチャカチャ五月蠅かった記憶がある。
広島に進入する前の広繰に先行の10000系高速貨物が停まっているのを追い抜いて、
こちらが広島に停まっている間に抜き返されるのをぼーっと車窓から見てた。
名古屋では見られる時間帯に走っていないグリーン屋根のワキ10000が連結されているのが見れてうれしかった。

87 :
筑豊のとある町から関西に出るのに何度かその車両を利用しましたよ
一度飯塚駅の駅員から、お客さんが乗るのは最新型なんですよ、と言われたことがあります
私にとって「あかつき」はいろんな意味で懐かしい列車ですが
私の母や伯父にとっては「天草」がもっとも懐かしい列車となるようです

88 :
はしごは畳むとカチャカチャ言う。
開いておくと、あんまり音がしない。
邪魔だけど。

89 :
「天草」万歳!

90 :
親戚の家が筑豊線沿線にあって、夏休みとかにある駅のそばに
泊まっていると、朝早くにあかつきのスハネフのディーゼル音が
響いててあああかつきが通ってるなあと思ったものだった。
別の親戚の家ではやや遠くに列車が少し見えて、青い客車に
昼光色の照明が青白く寝台を照らして見えて夜行特急の威厳を
感じさせたものだった。普段はキハとか50系客車しか走ってない
ローカルな路線だから14系15型の特急車両が一際光っていたよ。
かつて誰かがたまに使っていたんだろうと思うが、80年ごろおばさん
はまだ天草が走ってるものだと思っていた。天草に乗れば直接
大阪まで出れる、というようなことを言っていた。事情を知っている
俺は、天草は特急になって今はあかつきになっているよと話したら、
ちょっときょとんとしていた。まあ俺も10系寝台含んだ天草がその
当時走ってたら面白いのにと思ってたんだけどね。そういう考えからすると
「今風でつまらない」14系15型に一回だけ乗ったことがある。
登場してまだ数年だったから塗料の匂いかわからないけれど
新車の匂いがまだ少し残ってたよ。

91 :
>>85
漏れの場合も、モノクラス・銀帯・小窓・切妻・電源車無しってとこが、
子供心に妙にスマートに見えたものですよ。 >15型

92 :
結局、581・583系は長崎佐世保には乗入れた事はなかったのでしょうか?
715系に変身してから初めて?

93 :
筑豊の年配の方で「天草」を知らない人はあまりいないのではないかという感じもしますね
筑豊から本州に出るにはこの列車だったようです
就職、進学、駅での見送り、「天草」は筑豊人の喜びや悲しみを見てきた列車なのではないでしょうか
筑豊線沿線に住んでいた私の母は「天草」が通る時間は知っていたといいます
母の兄が筑豊へ帰省するときは「天草」から荷物を実家の前の線路脇に投げるので
それを取りに行っていたといいます
あの青い新しい汽車(「あかつき」)は高級すぎてよそよそしくなった、とはその母の兄、私の伯父の弁です

94 :
懐かし板まで来て>>83みたいなレスは見たくない。ちょっとは考えてくれや。

95 :
>>93 線路脇に荷物を投げるんですか!!それはすごい!
さすが筑豊人、無茶するなあ!何とも筑豊らしいエピソードですね。
アウトローなんだけれど何とも人間臭い!豚骨スープのような
芳しい人間臭いアウトローさ!
僕も関東育ちながら5歳の頃から筑豊の洗礼を浴びてきただけに
そういう人間臭さは僕の一部でもあります。
SL末期のころ、桂川ー原田間のどこかの駅で、秋には出発待ちの
時に機関士と助士が二人して山に入って栗拾いしてた、とか
今の締め付け厳しいJRでは考えられないアウトローさも筑豊
ならでは?
脱線ついでですか、10歳近く年上の従兄弟が撮った冷水峠を超える
天草の写真を見せてもらった事があるのですが、たしかD60の前補機で
客車が10系寝台何両も挟んだ急行らしい編成なのでそれを見て
僕:すごいこれは10系寝台じゃない!
従兄弟:いやーこれは朝の光線が悪くてねえ
僕:客車の写真は撮らなかったの?
従兄弟:? 2回撮ったんだけれど煙の形が良くなくてねえ・・・
などとトンと客車には興味がないようで話を聞いてもらえませんでしたorz
なんせ日豊線のDF50が牽く富士の20系客車も「あの後ろがこうなって丸いやつ」
ですからorz

96 :
>>95
今でこそ地域の世話役のようにいろんな方の相談に乗ったり(とくに独居高齢者の方々の問題ですね)
子供たちを鍛える、などと言って柔道教室、たけのこ掘り遠足などに地域の子供たちを引率する穏やかな感じの伯父は70近いですが
若い頃は手の付けられない暴れん坊だったようです、私も中高生の頃よく問題を起こすのでそっくりだと言われていました
小学生の頃一時期、博多駅のすぐ近くに住んでいましたが父が急遽大阪に出張となり今から寝台車に乗るというので
母が止めるのも聞かず見送りに行ったことがあります、博多始発の電車寝台「明星」でした
「明星」が入っているホームの下の階段のところにいるとほどなく父が現れ驚かれました
列車が見たいから、とホームに上がって見送りましたが父はニコニコ笑っていましたね
最近、そのときのことを話す機会があって聞いてみるとそのとき大阪の顧客から大きなクレームが入り
その対応に急遽派遣されることになったのだということでした、とても気が重かった、と
技術屋であった父は1週間ほどろくに家に帰っておらずその日は久々に帰ってくるということで
母もご馳走を作ろうとしていた日だったのでなんとなく淋しい思いがあったのでしょう
あの時は私が来たのにびっくりしたが、とても嬉しく気持ちがシャンとなったと父は語っていました


97 :
>>92
そうだったと思うよ。

98 :
サシ581の食堂車のメニューってどんなのがあったんだろうか・・・?
後継?のサンライズ交直流版が登場するほど需要があったら・・・
寝台のコスト削減には限界かな・・・?
三段式じゃないとペイできないのが・・・

99 :
電車寝台の食堂車といえば出張サラリーマンの溜まり場で
タバコの煙でモウモウとしていたような感じがあります
そういえば随分前、電車寝台「彗星」の上りに乗っていた若者が
延岡駅でホームに出ていたあいだに列車が出発してしまい、どこをどうしたのか屋根によじ登ったまま佐伯まで行き
そこで屋根から降りようとして架線に触れ感電して亡くなった事故がありましたね

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