2013年17戦国時代160: ◆◆ 但馬の戦国時代について ◆◆ (223) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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◆◆ 但馬の戦国時代について ◆◆


1 :2007/09/03 〜 最終レス :2013/09/01
山名四天王って知ってる?

2 :
鳥取でいいのに

3 :
正直、鳥取と島根の区別がつかない。

4 :
武勇に優れたのは吉岡定勝か?
でも秀吉にやられて娘夫婦のとこに隠居して農民になったしショボイのしかいない

5 :
山名スレで語れ
糞スレ立てんなカス

6 :
>>4
しかし秀吉の千成瓢箪を奪ったほどだ。

7 :
吉岡定勝は神

8 :
>3
但馬国 - 令制国のうちの1つ。現在の兵庫県北部にあたる。

9 :
吉岡氏は南北朝以来、湖山池西岸を本拠とした国人領主で、代々因幡山名氏に仕えたが、定勝の代である1573年(天正元年)に因幡国に進出した吉川元春により本領を安堵された。
羽柴秀吉軍との間で激しい戦いが行われた防己尾城1581年(天正9年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際は毛利氏に与し、居城・防己尾城に拠って羽柴軍を迎え撃っている。秀吉軍の防己尾城攻撃は合計3回行われたが、
定勝は湖水が入り組んだ地形を巧みに生かしたゲリラ戦法で、
いずれの時も秀吉軍を撃退している。特に2度目の攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印を奪取するほどの大勝だった。
しかしその後は秀吉軍の長囲による兵糧攻めにあって落城する。城を出た吉岡氏一族は帰農した。
また、この一族から池田氏の藩政時に登用された者もいたが、明治維新以後は大阪などへ移住したため、鳥取県には吉岡温泉郷などの地名は現存するが、吉岡姓は少ない。

10 :
田結庄是義は神

11 :

糸冬

12 :
竹田城は日本一

13 :
但馬マンセー

14 :
マターリって言うか・・・相手にされなかった・・・

15 :
田公マンセー

16 :
加陽国親。

17 :
加陽国親(かやくにちか) 
但馬山名氏家臣。
官途は美濃守。但馬朝来郡物部城に拠る。
1575年、織田氏に対抗するため山名氏と毛利氏との間の和約締結に
尽力した。

18 :
マニアには有名だね

19 :
めっちゃ地元なわけだが

20 :
但馬にはねえ・・・

白兵武者がいたんだよ!

21 :
>>20何それ?

22 :
>>21
蝶野原作のマンガだよ。
サンデーかなんかで連載してる。

23 :
白兵武者
http://www.youngsunday.com/rensai/comics/hakuhei.html

24 :
武田高信ぐらい知ってるだろ・・・・

25 :
吉岡定勝最強

26 :
竹田城の石垣は凄いらしい。

27 :
>>26
凄いんだが、山名時代とはほぼ関係が無い。
現在に残る竹田城址は戦国時代も終息した豊臣政権時に斎村政広が築いたもの。
山名時代は土塁だった。
天空の城とも呼ばれるその景観は、実際ものすげえよ。
かなり圧倒される。
この時期は寒すぎるだろうがw

28 :
>>27
竹田駅を降りて見上げると高々と上の方に見えるんだよな竹田城。
ありゃあすげぇよ

29 :
天空の城タケダ

30 :
宮崎もスケッチに来たんだよね。

31 :
但馬国出身の沢庵和尚は山名祐豊の家臣だった秋庭綱典の子。

32 :
>>31
家臣っつっても祐豊の家臣の家臣のそのまた家臣っぽいけどな。
しかし定期的に話題振るねアンタw

33 :
竹田は地元だお

34 :
竹田信玄

35 :
パチンコ竹田城

36 :
ベルディの竹田

37 :
>>33
横浜から鳥取城→出石城と見たあとに竹田城を見学して和田山駅で泊まりました。
夜は餃子の王将で和田山ラーメンとビール飲んだな。
日が落ちてきたので竹田城を降りる時に小学校の裏側に出る道を選んだら以外と道のりが長くエラい勢いで山林が暗くなり急いで降りましたw


38 :
但馬の戦史は播磨との血みどろの歴史。

39 :
>>37
飛行機で行ったの?

40 :
>>39
会社が銀座なので浜松町から高速バスで明朝に鳥取駅について駅マックで朝飯でしたw
ちなみに翌日は天の橋立→福知山城を見て帰りました。
ほんとうは篠山城も見たかった(涙)
因幡・但馬・丹後・丹波の見学旅行でしたw
スレ違いすいません。

41 :
>>38
播磨と但馬って争ったことあるの?赤松と山名とか?

42 :
赤松って姫路だけ?

43 :
本拠の置塩城は旧飾磨郡夢前町だね、平成十八年三月に姫路市に編入

44 :
豊国は

45 :
姫路は小寺と傘下の黒田だろ

46 :
出石城

47 :
但馬の海賊について教えろ!

48 :
但馬に海賊なんかおったん?

49 :
NASA日本助か?

50 :
但馬水軍かどうかはわからんが、美保かどっかの沖合いで尼子と山名は船戦してるぞ。

51 :
山中鹿助と但馬水軍がつるんでた話

52 :
吉岡定勝

53 :
奈佐日本助
戦国期山陰の海賊。前歴不明であるが、但馬城崎郡の出身。
永禄12年(1596)6月、尼子再興をはかった尼子勝久・山中幸盛に
応じて隠岐に渡島し、さらに出雲忠山に上陸した。
元亀元年(1570)10月、尼子の船手大将として満願寺城を攻める。
天正元年(1573)、西方から山陰に進出した吉川元春に降伏。
同9年、山陰進出の豊臣秀吉が吉川経家の鳥取城を陥落させた際、
海賊行為のゆえに近隣の丸山城で自刃を命ぜられ、
10月24日、佐々木三郎右衛門らと自刃.

54 :
塩冶周防守も海賊の筈ですよ。

55 :
指杭城の埋蔵金伝説はどうなった?!

56 :
戦国の但馬の中心地って出石?

57 :
>>55
埋蔵金伝説って田井城だったと思います。

58 :
此隅城

59 :
>>58
そこには埋蔵金無いよ・・・

60 :
物部城

61 :
おどろが城

62 :
おどろが城って、新温泉町の栃谷にある城だよね。
そこにも埋蔵金ないよ・・・・

63 :
生野城

64 :
>>63
生野城の財宝は官軍に接収されたよ・・・

65 :
芦屋城

66 :
竹田城

67 :
進美寺山掻上城

68 :
>>65
埋蔵金は、麓にある芦屋陣屋跡近くの
こうもり洞にあるかも知れないね。

69 :
竹田城で映画撮影あったらしい

70 :
竹田城って昔、角川映画の天と地との撮影してたんじゃナカタ?

71 :
え、魔界転生じゃなかったっけ

72 :
>>69
乱だよね

73 :
清富城

74 :
清富城って観音山の頂上に有ったという説と
清富陣屋跡の近くの山に有ったという説があるけど
どっちが正しいんだろうね?

75 :
>>66

世界遺産ものだよね・・・
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/071025/trd0710251035005-p1.jpg

76 :
CGみたいだな。

77 :
まさに天空の城

78 :
但馬人いるかぃ?

79 :
仙石と信州そば→出石そば

80 :
いずし蕎麦は一回しか食べたことないわ。但馬人なのに(笑)

81 :
楽々前城

82 :
>>81
何て読むの?

83 :
ララサキ

84 :
釣鐘尾城

85 :
アマミヤサキ

86 :
但馬出身の方いるの?

87 :
豊岡駅前が予想外にさびしかったな。
城崎温泉駅は降車客が多かったな。

88 :
湯村温泉も人が多かったね。

89 :
    

90 :
但馬在住35年
山名四天王=垣屋、田結庄、太田垣、八木
近所に田結庄さん、太田垣さん、八木さんは住んでるが
いまだ垣屋さんには会ったことがない。

91 :
但馬って秀吉が来るまでどうなってたのか全然知らないよ。
平和だったの?

92 :
垣尾、太田垣はある

93 :
生野銀山

94 :
マリンワールド

95 :
一心のうどん

96 :
さのう高原

97 :
但馬牧場公園

98 :
スカイバレイ

99 :
出石町や隣接する播磨の竹田城イイネ!

100 :
竹田城が播磨?

101 :
スマン。竹田は但馬だったわ

102 :
山名ってどうなん?

103 :
>>91
山名の家臣同士の小競合いとかあったらしいよ。
例えば、香住の長氏と浜坂の塩谷氏の争いとか・・・
鳥取の武田氏と浜坂の塩谷氏の争いも有ったし(大庭の戦い)
毛利家臣の吉川元春が但馬に攻めてきた事もあるよ。
但馬勢は殆ど無血開城したらしいが・・・
平和ではなかったようだね。

104 :
竹田城って10日くらいで落とされたってきいたんやけど

105 :
>>104
大量の火縄銃に驚いて、開城したらしい。
城内に攻め込まれたとか兵糧攻めで落ちた訳ではない。

106 :
>>105そうなのか。平和的だねw

107 :
>>91
天正時代に秀長の軍勢が、そこら中の寺社を焼いたという
伝説が但馬全域で語り継がれているようだよ。
地元の豪族を皆殺しにしたとか・・・
旧日本軍が東南アジアの国々にしていたような事があったみたい。


108 :
秀長が統治してなきゃ、ズタボロの国になっていたんだろ?

109 :
因幡に比べ但馬の山名は目立たないよね。

110 :
いや豊国自体がもともとは但馬山名の流れだよ。

111 :
>>110
それ、但馬史って本に書いてあった。

112 :
吉岡定勝ってどうよ

113 :
秀吉との戦いにしか活動が見られんからなぁ。
毛利から離れて仕官先を探したが見つからず、結局故郷に戻って帰農したし。
お人よしの豊国から再仕官の誘いもあったろうに、断ったのかねえ……

114 :
但馬と播磨って対立してたっけ?

115 :
>>114
その時々の支配者によるだろ?

116 :
山名と赤松なら宿敵だが

117 :
ずっと支配者が同じだったわけではあるまい

118 :
吉岡美穂

119 :

     糸冬

120 :
国と国との争いではないね

121 :
山名は山陰のイメージがあるな。
室町期の山陰は山陽と比べてどうだったんだろ?

122 :
交易が盛んなんじゃないかな

123 :
若狭は交易が盛んだけど、但馬や因幡はどうなのかな

124 :
但馬は柴山か 西廻り航路の寄港地は。

125 :
諸寄も寄港地だよ。

126 :
八鹿とかやっぱ、円山川ぞいに物資をさかのぼって運んだのかな?
豊岡からとかさ?

127 :
香住はどうだったの?

128 :
>>127
結構、栄えていたみたいだよ

129 :
>>128 そのようですね 海の文化館があるんですか。

130 :
生野銀山

131 :
生野銀山って相当古い歴史があるんだね。

132 :
大同2年だものね

133 :
しかし開坑したといわれるだけで、産出量も誰が管理していたのかもさっぱり不明だがw
山中に落ちてたキラキラ光る石を拾ったら鉱石だったから、朝廷に献上しただけなんじゃね?

134 :
そうか特に誰も管理していなかったんだ。

135 :
本格的に掘り出したのは山名祐豊か。

136 :
>>81
ささのくま城

137 :
日高町→豊岡市日高町か

138 :
山名はあまり銀のイメージがないね。

139 :
それはしょうがない。
生野銀山の本格採掘は天正期、正確に言うと文禄以降のことだからな。
大森銀山の灰吹法が伝わるのは、山名と毛利が手を組む天正期になってから。
それまでは山名と毛利は対立関係だし。
毛利と組むと織田との対決により銀山の採掘どころじゃない。
文禄期になってようやく安定した採掘が行われるようになった。
山名氏は生野銀山の銀で潤ったことはほとんどといっていいほど無い。
そもそも銀山の所有を巡って山名祐豊と太田垣朝延は10年以上揉めてたw

140 :
もう少し前から掘ってれば山名も強かったかな。
それ以前から十分豊かだったのか。

141 :
山名は戦国大名になりきってないから

142 :
大内や細川と違って山名は交易はしてなさそうだし。

143 :
何でだろうね。

144 :
領国の関係じゃない

145 :
日本海は交易は盛んだけどね

146 :
但馬や伯耆には境港・舞鶴・三国のような良港が無いからな。

147 :
しいて言えば?

148 :
強いて挙げるなら、但馬の香住

149 :
>>146
境港は伯耆だぞw

150 :
そうだっけか?w
ま、西伯耆は早くに尼子の勢力下に入ってたから……で許してくれw

151 :
美方の山賊まがいの連中は、羽柴秀長の但馬侵攻の際、
険しい地形を利用して、さんざん苦しめたらしいね。
んで、鎮撫後、藤堂高虎のだまし討ちにあい、呼び寄せられて
鉄砲で撃ち殺されたってね。

152 :
境港は鳥取県 県境ではあるが。

153 :
伯耆と出雲は文化圏は近そう。

154 :
>>151
小代衆だっけ?
今の村岡あたりの豪族だよね。

155 :
http://mwkp.fresheye.com/mb/m.php/%E8%BF%91%E7%95%BF%E6%96%B9%E8%A8%80?2但馬は山陰方言

156 :
小代衆ですか。善戦したんですね。

157 :
知られてないね。

158 :
山陰方面の作戦は意外と激烈。

159 :
小代道武録だってさ。

160 :
知らないな。

161 :
但馬守って大名は多いね。

162 :
但馬守って大名は多いよ。


163 :
統一した秀長に感謝しなさい

164 :
小さい国なんですがね

165 :
但馬守って大名は多くね。

166 :
但馬の神

167 :
城崎温泉
但馬牛
大切に育ててる鳥
出石そば
これくらいしかわからん

168 :
桂小五郎が潜伏してたくらいしか知らない
戦国時代なんてなおさら分からない

169 :
但馬の山名は目立たないし。

170 :
豊国さんはなぜか目立つんだよね。

171 :
但馬山名は祐豊の死後没落して、祐豊の子って誰だっけ? 状態になり忘れ去られたが、
因幡山名は祐豊没落後に豊国が表舞台に登場し、関ヶ原以後も生き残ったからなぁ。
人の良さを表す逸話(凡庸っていうか度が過ぎてるぐらい)で知られているのも特徴。

172 :
>>171
たしか氏政だったような
んでその子孫も山名禅高により復興と

173 :
銀山はだれがしきっていたの?

174 :
本格的な開鉱当時は太田垣の領内だったので太田垣が仕切っていたらしい。
そこに祐豊が銀山に目をつけ、しゃしゃり出て太田垣と紛争状態に。
間もなく祐豊が管理するようになったみたいだが、
結局室町幕府をバックにした信長に代官を派遣された。
生野銀山が莫大な銀を産出し始めるのは丹波の国政が安定する文禄・慶長以降。
ざっとこんな流れ。

175 :
太田垣も銀山上手に使えば強勢になったかもね。

176 :
四天王は仲良くなさそう。

177 :
誠豊時代の四天王(太田垣・田結庄・八木・田公)は仲良し。
祐豊時代の四天王(太田垣・田結庄・八木・垣屋)は田結庄だけハミゴ。
まぁ内心はどうか知らんが。

178 :
案外纏ってるんだ

179 :
内紛で滅んだわけじゃないからね。

180 :
赤松と争って 実力ある大名になれなかったね。

181 :
播磨を実力で領国にしようとして結局失敗したのが痛い
資金や軍勢集めて徒労に終わったんだからな

182 :
日高町の進美寺山城の合戦では、城に籠もった北但馬の国人衆に
今川頼貞率いる掃討軍に小佐郷の地頭職伊達道西(貞綱)・義綱の
但馬伊達氏の名が見えるね。

183 :
福知山から出石に向かう途中の、たまごかけご飯の専門の店ってまだあるの?

184 :
>>182
あの頃は守護が頻繁に変わった時期だね。
今川駿河守(頼貞)から桃井盛義(建武5年頃)に代わり、
同じ年(建武5年はつまり暦応元年)に吉良貞家に代わっている。
貞家は京都から下国しなかった(結局在国しなかった)から
進美寺山城攻撃は守護不在のまま行われたようだよ。
但馬伊達氏は津付方の道西(貞綱)と山田方の宗助の嫡子義綱の
二大勢力に分けられるね。進美寺山城攻撃は義綱が主力だったようだ。

185 :
>>174
こないだ生野銀山行ってきて、「山名が採掘してた」と聞いたんだけど、やっぱり実態はそんな感じだったか。
まあ山名の領国の雰囲気が感じられて、収穫はあったよw

186 :
>>183
但熊ならあるよ

187 :
>>184
小佐郷の伊達氏(義綱)は山田方の地頭職をめぐって
立石氏(五郎法阿)と相続争いをしてたな。
津付方の道西が義綱と義父子関係を結んで本格的に
立石法阿と争うことになる。

188 :
>>187
八鹿中の裏山が伊達道西の居城だよ。中学の近くに居館があったのでは?
九鹿城の立石氏と対峙してたようだよ。

189 :
三開山城攻略で名を挙げたのは山名時氏だね。
他の攻略軍が手こずってた城を僅かな期間で落として
彼は但馬の実質的な守護(役職としての守護任命は
なかったが)になったんだよね。

190 :
>>187
伊達・立石両氏ともに城まで築いた争いでしたが、結局、法阿は地頭職を手にできなかったのですよね。
山田方地頭職となった伊達義綱もその後、山名時氏の許へ走り、その職は伊達道西の手中に。
道西の長年の謀事が成ったと見るべきなのですよね。
ただ、それ以降、小佐郷に伊達氏の名が見えなくなってるのは何故でしょうか?
>>188
道西の居館は中学校から100mほど南の辺りではなかったかと思われます。

191 :
>>190
但馬伊達氏(津付、山田)って、ある意味関東の上総武田氏
(庁南、真里谷)の興亡と(もちろん時期は違うが)ダブるんですよね。

192 :
伊達義綱は後に朝綱と名を変え、引き続き
北朝軍の尖兵として南朝方攻略に当たりますな。

193 :
>>192
ややこしいよね。伊達朝綱時代は、南朝方なんだよな。まあ、親分の山名時氏が
南朝に鞍替えしたからなんだけどさ。俺は他国(遠江)人だから、そこのところが
うまくわからないんだよ。

194 :
但馬人でもなかなか分かりまへんでw

195 :
>>193
山田方の朝綱(義綱)は山名時氏に振り回された格好で
北朝から南朝に換わらざるを得なかったけど、
津付方の道西(貞綱)は冷静に事態を見てたね。
小佐郷伊達氏もこれが双方の明暗を分けることになる。

196 :
その後の小佐郷に伊達氏の名が見えなくなるのは
どういう事情があったとお考えでしょうか?

197 :
>>196
朝綱(義綱)・真信親子、つまり山田方は山名時氏について但馬を去ったけど、
津付方、つまり道西の家に何かあったんだろうね。あくまで個人的見解というか推論だが、
跡目争いがあって衰退したか、子の直綱が世継ぎに恵まれなかったか、このあたりではないかな?
素人考えだね。ゴメン。

198 :
>>197
ご回答ありがとうございます。
実は私もそのように考えています。
何かと同族争いのあった伊達氏ですからね。
他に推察できる史料もないようですし。

199 :
そもそも小佐郷伊達氏の存在も立石法阿が南禅寺に故地を寄進して
文書が引き継がれて遺ったから明らかになったんじゃないすかね?
南禅寺の政所が小佐郷に置かれたでしょうから。てか、但馬の地元住人は
伊達や朝倉の存在は有名なんすか?
私みたいな余所(遠州)者は資料のみの俄か知識でしかないんだけど。

200 :
確かにそれが大きいですよね。
最終的に足利義満が小佐郷地頭職を南禅寺に寄進した際に
伊達氏の文書も南禅寺に渡ったからですね。
小佐郷地頭職としての伊達氏の初見は承久年間の下知状でしたね。
ちなみに私も但馬人ではないのですが
同地には時おり訪れます。
伊達氏にしても朝倉氏にしても同地を離れて久しく
それほど「有名」ではないようですよ。

201 :
室町期山名以外が守護の時あった?

202 :
>>201
今川駿河守頼貞、桃井盛義、吉良貞家、仁木讃岐守頼勝、長駿河守道全あたりは
どうでしょう?

203 :
垣屋って土屋が本姓らしいけど、一部には坂東平氏の流れという
説もあるんですが、その辺どうなんすかね?

204 :
関係あるのかないのか知らんが
電話帳には伊達も朝倉もあるけどね〜^。

205 :
>>203
垣屋は山名四天王の筆頭ですね。
>>204
朝倉は但馬が本願地(本貫地)ですからね。
伊達は小佐郷の一族の後裔なんでしょうか?

206 :
下雅意、乙野はだれの末裔?

207 :
わからないな

208 :



209 :
垣屋は土屋宗遠の子孫か

210 :
>>209
ちがうよ!

211 :
日本史史料研究会研究選書3
渡邊大門著『中世後期山名氏の研究』

第一章 戦国期山名氏権力と守護代(19〜57頁)
第二章 戦国期山名氏の発給文書について(59〜89頁)
第三章 戦国期山名氏の内書と副状(91〜121頁)
第四章 戦国期山名氏の官途授与と将軍(123〜138頁)
第五章 南北朝期における但馬守護  
        ― 長氏の動向を中心に ―(139〜157頁)
第六章 『山名家譜』所収の但馬国「円通寺文書」について(159〜171頁)
第七章 文明十五年における山名氏の播磨国侵攻について
     ― 十五世紀における守護権力の一考察 ―(173〜197頁)
論一 山名是豊関係文書について  
        ― 花押形状の分析を中心に ―(199〜207頁)
付論二 早稲田大学中央図書館特別資料室所蔵
        山名氏関係史料について(209〜215頁)
付論三 宿南保『城跡と史料で語る 但馬の中世史』(217〜221頁)
結(223〜238頁)

212 :


213 :
232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 20:31:54 ID:b0hU3o5k
坂田真=マコリーノ=マルタ共和国の観光通w
検索してみろ、コイツが「( ゚Д゚)<でいし皿蕎麦はウマい!」って
何年にも渡って毎日どういう動機で書き込みしてたのか想像してみろw
人間とはなんなのか、分からなくなるwwwww
坂田真は大阪府と京都府の府県境に住み、通勤はおそらくJR島本駅?
会社は大阪市内、年齢は40代の独身w
収入は人並みにあるみたいだが、その年で結婚もせず食べ歩きが趣味とか
ホモ?若しくは著しく魅力に乏しい変人だろうねえw
まあ、はっきり言えばマルタはすばらしいとか、高尚なこと言ってても
ただの50ガラミの独身のド変態だw
40超えて人並み以上の収入があるのに結婚できん奴ってやっぱり
なんか裏にはげしいド変態なサイコな面があるんだなあって妙に納得w
坂田マコリーノよ、こんなことしとらんでハヨ結婚せえよwwwww無理だろけどw

214 :
こんやがやまな

215 :


216 :
豊岡に京極っていう名前の同級生がいたなぁ。
でも杉原っていうのはいなかった。

217 :
前の野球オリンピック代表の監督が太田垣っていう名前だった。

218 :
そういうのっていいよね

219 :
垣屋は山名四天王の筆頭ですね。

220 :
だから何だよw

221 :
吉岡氏は南北朝以来、湖山池西岸を本拠とした国人領主で、代々因幡山名氏に仕えたが、定勝の代である1573年(天正元年)に因幡国に進出した吉川元春により本領を安堵された。
羽柴秀吉軍との間で激しい戦いが行われた防己尾城1581年(天正9年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際は毛利氏に与し、居城・防己尾城に拠って羽柴軍を迎え撃っている。秀吉軍の防己尾城攻撃は合計3回行われたが、
定勝は湖水が入り組んだ地形を巧みに生かしたゲリラ戦法で、
いずれの時も秀吉軍を撃退している。特に2度目の攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印を奪取するほどの大勝だった。
しかしその後は秀吉軍の長囲による兵糧攻めにあって落城する。城を出た吉岡氏一族は帰農した。
また、この一族から池田氏の藩政時に登用された者もいたが、明治維新以後は大阪などへ移住したため、鳥取県には吉岡温泉郷などの地名は現存するが、吉岡姓は少ない。

222 :
加陽国親(かやくにちか) 
但馬山名氏家臣。
官途は美濃守。但馬朝来郡物部城に拠る。
1575年、織田氏に対抗するため山名氏と毛利氏との間の和約締結に
尽力した。

223 :2013/09/01
日本史史料研究会研究選書3
渡邊大門著『中世後期山名氏の研究』
第一章 戦国期山名氏権力と守護代(19〜57頁)
第二章 戦国期山名氏の発給文書について(59〜89頁)
第三章 戦国期山名氏の内書と副状(91〜121頁)
第四章 戦国期山名氏の官途授与と将軍(123〜138頁)
第五章 南北朝期における但馬守護  
        ― 長氏の動向を中心に ―(139〜157頁)
第六章 『山名家譜』所収の但馬国「円通寺文書」について(159〜171頁)
第七章 文明十五年における山名氏の播磨国侵攻について
     ― 十五世紀における守護権力の一考察 ―(173〜197頁)
論一 山名是豊関係文書について  
        ― 花押形状の分析を中心に ―(199〜207頁)
付論二 早稲田大学中央図書館特別資料室所蔵
        山名氏関係史料について(209〜215頁)
付論三 宿南保『城跡と史料で語る 但馬の中世史』(217〜221頁)
結(223〜238頁)
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