2013年17戦国時代14: お前ら先祖の武将を言え (833)
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お前ら先祖の武将を言え
- 1 :2008/10/11 〜 最終レス :2013/09/15
- 俺は伊達政宗
- 2 :
- >>1
分家の分家の家来ン家の下男の子孫乙
- 3 :
- 男系だと
蔭山広氏―広親―広忠―家広―忠広―氏広
で、広氏の父親が足利持氏は仮冒だろうな。
女系もありなら氏広の正室が北條氏尭の娘で、早雲、氏綱にも繋がる。
氏尭の娘が田中泰行からの養女説をとると執権北條に繋がり、
氏尭は訛伝で氏隆の娘とする説なら幻庵、氏信に繋がる。
家譜類は本家が厳重に保管してて手元にないから江戸期は不明だがちゃんと男系で繋がってるのと、家康の血も入ってるんだと。
- 4 :
- うちは天照の直系らしい
詳しい事は禁則事項みたいだ
- 5 :
- 俺も伊達政宗
- 6 :
- うちは山鯨
- 7 :
- 原長頼。
- 8 :
- 石原良純
- 9 :
- __
,/”” ”ヽ
,/ __ _ ゛
/ /““ “” ヽ |
| / -━ ━.| |
| |. “” l “ .|.|
(ヽ | r ・・i. ||
りリリ /=三t. |
|リノ. |
| 、 ー- " ノ
| ”ー-- "|
- 10 :
- 水戸藩後藤某
- 11 :
- 俺んちは書紀にもでる祖神のいる家系の末流。
- 12 :
- 藤原文脩
- 13 :
- 阿蘇惟時
- 14 :
- 鈴木孫一
- 15 :
- ゑゐ作
- 16 :
- 小笠原貞慶
- 17 :
- 農民!
- 18 :
- 父 サンデーサイレンス
- 19 :
- 先祖は水軍ですが内陸部に住んでます
- 20 :
- >>19
旧豊後森藩藩士乙。
- 21 :
- 一番由緒正しいところを言うと、室町時代(応仁の乱のころ)京都の宮司、名前はわからん。
で、駿河の今川を頼って都落ち、駿河で平氏の落ち武者部落の民の血が入って、
江戸時代は百姓だが苗字帯刀を許されていた。
で、今に至る。家紋は京都時代からずっと下がり藤。
- 22 :
- 珍歩弧太郎
- 23 :
- 木村重成
曾祖母は貧乏で惨めな思いをする度に「世が世であれば十二単だよ」
と口癖のように言っていたとか。
- 24 :
- 遡りすぎだろ>十二単
- 25 :
- ここまで穢多非人の子孫達がお送りしました
引き続きお楽しみください
- 26 :
- 穢多非人の子孫達と簡単に言うが、彼らは居住区が限られているから
あまり血が外部に出て行かないんじゃないだろうかと真面目に考える。
混血児的に。
- 27 :
- >>21
名字帯刀(笑)
>>23
「世が世なら」って歴史に素養のない女衆が好きな言葉だよな。
- 28 :
- 6代先までしか分からなかったぜ。
- 29 :
- 平家物語によるとうちの先祖は蛇らしいです
- 30 :
- (´・ω・`)ゞ駿河朝比奈氏の子孫が通りますよ!
- 31 :
- >>26
一般人より被差別民のほうが由緒正しいなw
- 32 :
- 俺は絶対異国の血が混じってる
- 33 :
- 真田昌幸
信之も信繁も入っていない
- 34 :
- 六角家臣平井家
はいはい誰もしらないおね〜(´・ω・`)ショボーン
- 35 :
- >>30
kwsk
>>31
賦役か借金取りか忘れたがとにかく平民から不利益な干渉を受けた時に、
平安以来の由緒を持ち出して追い返したりしてるしなwww
- 36 :
- うちの先祖は自称松浦党らしいが実際は大陸系の倭寇らしい(´・ω・`)
- 37 :
- 備大将
- 38 :
- 先祖代々家は口伝で伝わってるんですが
徳島あたりの富岡城と言う城の家老をしていたみたいです
倉庫には殿様からもらった将棋台があったんですが
昔ばあちゃんが正月に餅を置いていたら
ネズミにかじられて今はただの木片になってますw
- 39 :
- 文章がおかしいですね
>>先祖代々家は口伝で伝わってるんですが・・・
先祖代々から家には口伝があるんですが
私の先祖は徳島あたりの富岡城という城の家老をしていたと
教えられてました。
資料も無く本当か疑わしいのですが、長宗我部氏について大坂にも
行った事があるそうです。
- 40 :
- うちの母方の祖母の母方の実家が、楠木氏らしく、
祖母の姉は系図を見たことがあるらしい
一応姓氏辞典にも載ってたが、正直いまや赤の他人のような
ものなので確かめようが無いw
父方は百姓でもやってたんだろうねえ
(というか日本人の9割が百姓だとも言うし)
- 41 :
- 武士辞めて帰農したら百姓だし、百姓から成り上がって武将となった
んもいるだろうし、戦負けたらまた逃げて・・・。
そう考えるとけっこうみんなどっかで掠ってるんじゃないかw
- 42 :
- 三菱や三井は源氏
- 43 :
- 浮上
- 44 :
- 一応名字と出身地的には800年くらい前に分家した島津
- 45 :
- >>34
これかの?↓
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hirai.html
- 46 :
- 肥前の鶴田前、俵藤太の系譜だったか
- 47 :
- ダーレーアラビアン
- 48 :
- まぁ、自称武将の子孫は大概明治以降数世代のウソや見栄だわな。
うちの先祖は武将ですっていうのは、うちの先祖はウソつきですって言ってるのと同じ。
みっともないことこの上ない。
- 49 :
- よく分からんけど田舎の先祖のお墓へ行ったら
江戸時代くらいから続く墓石が山のようにいっぱい立ってて敷地からはみ出してたw
面白いのは明治くらいから徐々に墓石が巨大化してるんだよなー。
- 50 :
- 分家ではなく、本家の人間だっているんだよ
たった千石だけどな
- 51 :
- 徳川家康が先祖です。
個人的には信長とかのほうがかっこよくて羨ましいけど贅沢はいえない。
- 52 :
- >>51
江戸時代にいた
家系図屋さんにでも
家系図書いてもらったのか?
- 53 :
- いや、普通にいるお( ^ω^)
家康の子孫みたいなのを馬糞茸と言うんだお
あの欲ボケ爺は飯食うのと子作りが特技のようなものだし
家康の血引いてる人間なんて腐るほどいるお┐ (´ω`) ┌
大名の子孫としては圧倒的に多いお
- 54 :
- >>51
うちも先祖が家康です。松平だから庶流もいいとこですが。
伊達とか武田とかがよかったなあ。こればっかりは変えられないのが辛い。
- 55 :
- >>53
↑ 本物?
- 56 :
- 静岡だからか、旗本御家人の松平は何人か知り合いにいるよ。
小中高の頃だからうろ覚えだが、元カノはたしか水戸系だったと思う。
元カノとその母親と弟達が歴史に興味無くって、系図や家伝の品々を見て喜ぶのが俺だけだったらしく、
その娘のお父さんには可愛がってもらってたんだが、途中で離婚しちゃって元カノは母親の名字になっちゃった。
母親が厳しい人で離婚以降会わせてもらえなくなって別れたが。
- 57 :
- 水戸系…先祖の敵だな
- 58 :
- >>57
悪代官乙!
- 59 :
- >>45 おおありがとう
系図に定○ってのあるよ 字が汚くて読めないがw
六角家が潰された後佐々成政について行った理由が理解できました 感謝
- 60 :
- なんだ、駿河朝比奈は自称かw
- 61 :
- 輝宗の兄貴だったかな
- 62 :
- 遠祖は紀貫之ということになっております
百姓の子孫でどうかんがえてもうそっぱちなんですが
何故彼をチョイスしたのかが不明
どうせ嘘つくなら
もっと一般的な源平藤橘とかにすりゃいいのに
なぜ紀氏を・・・
- 63 :
- >>62
源平藤橘は単に皇后を輩出した氏であってメジャーな氏とかの区分じゃないから。
公卿補任なら源平藤紀の方が適切。
戦国の武家でも称紀氏は橘と同じくらいいたよ。
地方国司が多いから系図が繋げやすいしね。
名門だけどマイナーだから信憑性を損なわず、
戦国期には家格の高い公家がいなかったのと皇別じゃないから名乗るのに後ろめたさがなかったんだろう。
神別だと系図に宗教集団的な色彩があるから紀氏所縁の神社にちゃんとお参りすればアリだと思うよ。
- 64 :
- >>60
(´・ω・`)y ̄~家紋が丸に左三つ巴で名字が朝比奈で古い墓が有るけど、物的証拠は無いから自称と言われればその通りかもね。
- 65 :
- 声優の生天目さんも
語った家系伝説によると生天目(生田目)氏で
大元は>>62とおなじ紀氏だよね
- 66 :
- 武将どころか、名もない農民の血脈です
- 67 :
- 俺は長尾家
- 68 :
- 具体的な名前も時代も証拠も何一つ伝わってないのに
「戦国時代初期まで肥前で藤氏系菊池の流れの豪族やっていた
竜造寺にぼこられて滅亡の際に家臣に連れられて脱出し
山陰まで逃亡した庶子が我が先祖」だってさ
この条件に当てはまるの誰なんだろうと気になってるんだが
いっこうににわからん。俺の苗字と同じ苗字はそこには一人もおらんはず・・・
そもそも中国地方の一介の豊かでもないむしろ貧しい農民がなぜ九州の竜造寺家などという
敵の名前だけ具体的にわかっている家系伝承が伝わっているのかもわからぬ
爺さんの親父がいっていたので少なくとも大正初期にはこの戯言は成立していた模様だが
だれが創ったんだろ?なんで創るときにどうせなら地元の山名とか中国地方の豪族とつなげなかったんだ?
なぜ肥前・・・なぜ竜造寺・・・
なんかもう竜造寺さんにもその藤氏菊池さんにもその子孫の方にも失礼な話でほんと申し訳ない
そもそも菊池は肥前んじゃなくて肥後じゃねーの?
突っ込みどころありまくりの僭称丸だしで恥ずかしくて他言もできん・・・
- 69 :
- 光☆GENJI
- 70 :
- 落ち武者狩りで名を馳せた土民の子孫ですが。
- 71 :
- 君が落ち武者ヘアーなのはそれの呪いですな
- 72 :
- >>68
なんかあんじゃねーの?
名前が出てるわけだし
- 73 :
- >>70
かこいい
落武者狩りしたのが伝わってる家ってとっても珍しいね
なんだかんだと危険な任務だったろうに
- 74 :
- おーい、土民の子孫さーん、糸引いてますよー
- 75 :
- 自称武家ばっかwwww朝鮮みたいだなwwwwwwww
- 76 :
- 2ちゃんで言えば嘘もホントもいっしょくたに自称になる
- 77 :
- 祖母が藤原系らしいけど…何か結構確かな話らしい。
ただ摂関家とかではなさそうだし奈良なんで、もしかしたら大中臣かと勝手に解釈
祖父は北畠系なんだそうな、ウチには確かな証拠は無いけど近い同族に証拠があるとか…
武士だとカッコ良いのだけど、どちらも貴族の端くれ
せめて堂上だと良いのだけど。
- 78 :
- >>77
>らしいけど…
>らしい。
>なさそうだし
>もしかしたら
>勝手に解釈
>なんだそうな
>あるとか…
素直にわからないと言え。
こういうのが一番滑稽で情けない。
- 79 :
- いや、素直に言うと親以上の世代はハッキリ言い切ってるんだが
俺自身、あんまり信じて無い訳だ。
仮冒アリ自称アリ言ったモノ勝ちな時代もあった訳で。
だから堂上家か何かだと否応なく明治期に華族でハッキリする。
と言ってる訳だ
もちろん先祖代々の水呑百姓という証拠が有っても良い。
まぁ百姓だとそんな証拠が残る階級じゃ無いけどな。
- 80 :
- うちの先祖は明治初期は漁師やってたらしいから、多分その前も漁師をやってたんだろう。
- 81 :
- 元高遠藩主だったらしい。誰だろ
- 82 :
- 楠木正成。
- 83 :
- どうせなら熊沢某並みのホラ吹けよ
- 84 :
- 大きな嘘ほどバレないって言うからね
エリザベス女王の従兄弟とかw
- 85 :
- >>83-84
明朝滅亡時に朱元璋が台湾経由で日本に逃れてきて、うちがその末裔でさ、、、
これ、当家の家督継承者以外には絶対に話しちゃいけない完全極秘の話だから他言はするなよ。
- 86 :
- そういえば赤穂浪士の中に自称孟子の子孫という奴がいたな。
- 87 :
- 武林唯七か
- 88 :
- うちの先祖は橘遠保の名もなき付き人でした
- 89 :
- 名前もないのに何故先祖だと分かるのかと
- 90 :
- その落人が10人おりまして
変な称号が村の各家にあって
変なしきたりでたいまつを何とかする係を子孫たちがやっている
- 91 :
- 鉄砲職人の末裔です。
先祖が作った鉄砲高くてワロタ
- 92 :
- 関東の守護大名崩れ。
御先祖使って信長の野望クリアしたいが能力値が…。
- 93 :
- うちは合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者の嫡流らしい
- 94 :
- 俺はローマ皇帝かつ、インカの正当後継者
- 95 :
- 明治天皇ですぅ
- 96 :
- ナポレオン=ボナパルト
- 97 :
- たいした名門揃いで結構な事だお( ^ω^)
- 98 :
- 児玉就忠
- 99 :
- 武将じゃなくてすまんが
天照大神
- 100 :
- >>99
分家乙
- 101 :
- 名跡だけなら、多分百武賢兼。
- 102 :
- 名跡を継いでいるのなら、「多分」などという言葉は出てこないかと。
- 103 :
- フェーゲライン中将
- 104 :
- タモリ
- 105 :
- 家紋が揚羽蝶の池田姓
- 106 :
- >>86
武林唯七孟隆重は、帰化した初代(祖父)が実際に孟家の族譜に載っていて、ニュースになったことがある。
- 107 :
- 言えるかいなそんなもん
特定されてまうわ
- 108 :
- オレなんてミトコンドリア・イブの子孫だぜ!
- 109 :
- 先祖の数代は豊後の大友氏に仕えていたな
それから以降は没落して帰農した
- 110 :
- 戦国じゃないけど藤原秀郷。
- 111 :
- >>1
サンドイッチマン伊達乙
- 112 :
- キン肉マンの超人?
- 113 :
- 四国の公家出身の大名
滅ぼされた後子息がしばらく隠れてたが宇和島藩伊達家に匿われて家臣として生き残った
- 114 :
- オイラ 財団法人職員
一代前 遊び人(賢者に転職する前に酒の飲みすぎで若くして死去)
二代前 鹿島建設→酒飲み(酒の飲みすぎで死去)
三代前 帝國海軍士官→国鉄→酒飲み(酒の飲みすぎで死去)
四代前 帝國海軍士官→酒飲み(酒の飲みすぎで死去)
五代前 越後長岡藩藩士→軍人(酒の飲みすぎで死去)
その前 武将はいないっぽいorz
- 115 :
- 阿蘇惟人
- 116 :
- >>113
西園寺乙。
- 117 :
- じいちゃんが養子に入っただけだけど加藤清正
凡百の加藤家とは違うのだぁ
- 118 :
- なあ、うちの本家は江戸時代に火事で系譜が消失したらしいが、鎌倉時代から
の由緒正しきお百姓さんらしい。
でも、ただのどん百姓で、系譜あるものなのかな?
今はその火事以降の系譜しかない。
面白いよ〜、何代も同じ名前でやんの。世襲かねぇ。
- 119 :
- >>117
そこまで言うなら詳しい系図を教えてもらおうか
- 120 :
-
俺は○○の子孫だ!って言う人達て、家系図とか見て言ってんのかな?
本当なら正直ウラヤマシス…
俺んとこなんてさっぱりわからんorz
親父に聞いても「さぁ?」婆ちゃんに聞いても「本家が百姓だで、百姓じゃろ?」
とか適当だし。
- 121 :
- >>120
俺の家もそうだよ、全くわからない
母親に聞いてみたところ
「苗字に田がつくからきっと農民じゃないかね…?」
というから大名には織田や武田などがいることを教えると
「じゃぁその人たちが農民になっちまったんだろうよ」
などと言う始末。正直わかる人は羨ましいよね
因みに家宝とか家系図とかもないし、俺と同じ名字の戦国武将は存在しませんorz
- 122 :
- >>120
俺もそう。
一応、母方本家は武士。家系図も有り。
ただし江戸後期からのみの家系図で中途半端。戦国武将までは遡れない。
- 123 :
- 途中カキコ
当の本人らは歴史には無関心。
武将よりも明治期に天皇の近衛兵やってた先祖がいるのが自慢。
- 124 :
- 俺は江間家の子孫や
じいちゃんと墓参り行った時に、家紋が三つ鱗やった
俺は間違いなく北条家の血を引いてる
- 125 :
- そうか
- 126 :
- >>124
そこまで言うなら詳しい系図を教えてもらおうか
- 127 :
- 父方が武家
家系図の写しと、同じ筋の他の分家4家くらい合わせた代々の墓がある
でも爺ちゃんが産まれてすぐ親を失って、母親の姉妹の実子として育てられた経緯から
本家を名乗ってる家に「どこの馬の骨ともわからん奴を代々の墓には入れられない」
とか言われて、親がぶちきれてほぼ絶縁みたいで詳しい事が聞けなくなった
そんなわけで自分は家紋も苗字もありきたりだしサラリーマンだし
あんまり信憑性が湧かない
- 128 :
- 家系図を見たら大江広元の四男季光の末裔でした
俺に至るまでに戦国武将がバンバン出てきた…
ずっと百姓の子孫だと思ってたから驚いた
- 129 :
- 毛利の末裔って多いんだね、やっぱ。テレビで何度も見たことある。
金持ちの坊ちゃんで性格悪そうな奴が出てきたときは絶望したのを憶えてる。
- 130 :
- 孔子の子孫が144万人増加、計200万人を超える
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081120-00000034-scn-cn
・・・なんて言うかさ・・・うん・・・うん・・・そういうこと・・・
- 131 :
- >>129
毛利は乃木家乗っ取りもしてるから悪いイメージしかない。
西園寺家も毛利からの養子が継いでるし、これはまぁ仕方ないけどいつまで戦国やってるんだと小一時間(ry
- 132 :
- 海の百万石に出てた人。武将じゃねーな。
- 133 :
- >>128
毛利庄が近いだけに、大江の末裔っては結構聞いたなぁ。
あと波多野系。
意外と、三浦がいないんだよね。
- 134 :
- 勇猛で名を馳せた一領具足の末裔です。
- 135 :
- 先祖は九郎判官義経です。
祖父は昭和20年まで満州にいましたが戦後引上げで750年ぶりに帰国しました。
今は清和源氏直系会を運営し子孫の親睦交流に勤しむ毎日です。
子孫である証明として弁慶愛用薙刀の柄の一部を秘蔵しています。
- 136 :
- >>135
仮冒例かー
興味あるなぁ
- 137 :
- >>135
>>750年ぶり
モンゴルの王族?
- 138 :
- 河野水軍の落ちうど
- 139 :
- 陶に滅ぼされて逃げ出した大内家の三男 らしい
家は愛媛だが、中国地方から愛媛に逃げ延びた らしい
苗字が違うが、それはもう大内を名乗れなくなったから らしい
蔵に甲冑があるが、それは加藤清正のもの らしい
我が祖父母の言うことながら全く信用出来ん
大内から変わったという苗字ググっても大内との繋がり分からないし、
なんで清正の甲冑があるんだよ…
- 140 :
- 父方も母方も武家だけど高名な戦国武将には繋がらないだろうな
わかることつったら母方が織田信長の末裔に仕えてたことくらいなもので
- 141 :
- 同級生に佐々が居たから成政の姉か妹だかの流れか聞いたら
本人曰く親父はそう言ってたけど自分で調べたら違ったって言ってて
潔さに惚れた
- 142 :
- >>123
同じです!うちにも写真があります。もしかしたら同じ時期に近衛兵だったかも。ちなみに薩摩上士です。
- 143 :
- 武田家の旗本
- 144 :
- 北畠家家臣、織田に通じた志摩 木造勢と寡兵で闘い悉く討ち死に。
生き延びた人達は北畠滅亡後、岡山で帰農。
母方は太陽の道関係のお寺の住職をしていたり
わらべ歌になるほどの富豪。
没落した今でも、学者やらが尋ねてくるとか。
相方は神奈川の沙々木源氏の末裔。
ドンビキする位の土地持ちだと知り最近知った。
- 145 :
- それは釣られたほうがいいのか。
- 146 :
- 肥後細川氏の玉崎某。
500石くらいらしい。
- 147 :
- 四国出身の曾祖母曰く、平景清の末裔という人が同じ村の親戚だったそうだ。
すっごいファンタジーな予感がするが、これはこれでわりと嬉しい。
- 148 :
- 「ウリャーーーーーーーーーー」とか言って頼朝と戦ったのか?(ww
- 149 :
- 立花宗茂が先祖ですが
有名武将に比べて地味っぽぃですorz
宗茂に子供できなかったから養子なんですけどね
- 150 :
- めちゃくちゃさかのぼると源頼政
- 151 :
- 北条時宗に藤原秀郷に源義光に源満季が先祖だな。
まあ今の俺にはなんら関係のない事ですけど。
- 152 :
- 佐久間勝之(佐久間盛政の弟)。
信濃長沼1万8000石の藩祖だが、4代目勝親(養子)の代で廃絶。
その後は200俵高の旗本。
- 153 :
- ちなみに勝之の母は柴田勝家の姉(妹という説もある)で、妻は
佐々成政の娘。
- 154 :
- ちょっと考えてみてみよう。
俺には親父が1人居る。
爺さんは母方も入れて2人か、ひい爺さんはえっと4人になる訳か。
ひいひい爺さんは8…16…32…64。
始まったな俺、たった7代で爺さん64人ゲットだぜ!
でっその後も順調に128、256、512、1024、2048、4096。
13代前、流石にこの辺から戦国時代に掛ってそうだな…4096G(爺)。
足らねえ、これじゃ流石に爺が足らねえ。
戦国時代と言えば人口2〜3千万人程度だろうが、戦国武将クラスだと流石に上位1割切ってる筈。
戦国時代は諦めた、更に踏み込んでみよう。
8192、16384、32768、65536、131072。
おっし、18代前にしてようやく大台突破。
13万人の俺の先祖様(爺限定)が一堂に会してるかどうかは定かではないが、流石にこれだけ居れば名のある奴も居たと思うわ。
時代にして応仁の乱くらいじゃね?戦国時代始ったな!
だがまだまだ、そしてその後も順調に爺をたどっていく…。
あれ?俺の24代前の先祖爺様達だけで8千万人突破したんですけど…。
24代前となるとまだ室町時代か鎌倉時代だと思うんだが、当時の人口は確か1千万人居なかったような??
これどういうこと?
- 155 :
- 中村主水
- 156 :
- 藤原南家 工藤流 伊東政世だょ 庶流だから 家紋は丸に木瓜です
- 157 :
- 狩野永徳の子孫です
- 158 :
- >>157
ラーメン!
漬け麺!!
君イケメン!!!
- 159 :
- >>154
系図厨の入り口にようこそ。
- 160 :
- 清和源氏 土岐流 上総土岐氏の庶流
- 161 :
- >>154
その大半が重複してるからだよ。
サラブレッドの牡系の祖先はたった3頭しかいないし、世界中の
サラブレッドの80%くらいはそのうちの1頭(ダーレーアラビアン)
の子孫。
- 162 :
- 自分は藤原北家秀郷流小野崎武士団の流れ、佐竹旧臣庄屋です(´・ω・`)直系じやないけど…それと母方の母方が薩摩藩士族。
- 163 :
- 倍賞姉妹
- 164 :
- 藤原北家
- 165 :
- みんなすごいなあ自分の家は家紋も持ってない。
唯一いえることは自分の家近くに同じ苗字の人がたくさんいてその人たちになんか
関係することかなあ。百姓の子孫なのにこんなスレきてすいませんでした
- 166 :
- >>165
土地に同じ苗字の人が多いのなら、その土地に古くから続く一族である
可能性が高いし、苗字が近くの土地の名前と一致している場合などは、
地元の豪族などの子孫である可能性が高いよ。
戦国時代の武士の中には江戸時代に入って帰農した者も少なく
なかったので、江戸時代に百姓だったとしても戦国時代については
調べてみないとわからないよ。
- 167 :
- 団 子 屋
魚 屋
- 168 :
- うちの初代は土屋与一。
誰やねん。
俺で29代目。
- 169 :
- >>168
そこまではっきりしてたら初代より先は不明でも適当な由緒作って系図繋げちゃえばいいよな。
- 170 :
- >>166
勝手に名乗るケースが大半を占め可能性ならむしろ低い。
- 171 :
- >>165うちの近くに、同じ苗字がかたまってるなら、おそらく戦国以前は武士ですよ。東日本なら更に確率は高いでしょ!おそらく、帰農組では?
調べる価値ありでしょう。家紋だって、ベースはわかると思う。たとえば、カタバミだとか、TSUTAだとか…
大体兵農分離が完成した江戸期以前は、半農半士の人達がものすごく多かった訳で…
郷土史実を漁ってみるてもありかもです。
- 172 :
- ウチの先祖は備中の土豪
関が原以降毛利に従って萩に移住。
維新ではボケッとしてて新政府の役人になれず結局北海道へ移住
俺自身もトコトン要領悪い。必ずチャンスは見逃すか悪い方を選択してしまう
- 173 :
- 徳川家康!
と勝手に思ってる。
- 174 :
- >>168
土屋氏なら桓武平氏か、一色氏の流れがあるけど、違うのかな?
- 175 :
- >>170
大名とか家老格なら可能性低いだろうが、
土豪で、かつ江戸期の藩では身分低い奴の武士の子孫なら可能性高いんじゃないかと。
- 176 :
- 平氏と源氏が戦ってた時に活躍した人が父方の先祖、と言うのを本家の人が言ってた
- 177 :
- >>174
実家は千葉ででかい家があるけど、今は誰も住んでないよ
祖父の代から東京にいるよ
- 178 :
- >>177
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E6%B0%8F
- 179 :
- >>178
土屋氏は、確かに土浦周辺の名家として今も残っている家柄だが千葉の土屋与一とやらの関係が不明すぎ
意味のないwikipedeiaはるな
- 180 :
- >>179
なんであなたが怒るの?
- 181 :
- >>180
1、wikipedeiaを説明もなくリンクだけはる
2、名字が同じなら、子孫みたいな短絡的な思考
見てて馬鹿だろうと思ってしまう
- 182 :
- お前ら先祖が誰々とか詰まんねえこと自慢してんなよ
俺? 俺が先祖になるのさ!
- 183 :
- >>166 >>171
苗字を出すと金子。よく2chとかで金子とか金田とか金本は在日って言われるけど自分もそうなのかなあ。
自分の地域は金子って苗字たくさんあるんだけどみんな在日なんでしょうか?
家紋もないし不安。住んでるとこ岐阜県。
- 184 :
- 飛騨で金子なら珍しくないやん。
4区の衆議院議員を挙げればすぐに在日じゃないのは証明できそうなもんだ。
- 185 :
- 金田という姓も、地名由来で非在日の純日本人の可能性はあるし、
金子氏なら戦国時代、四国にもいたよ。
金がつくからって在日とは限らない
- 186 :
- 母校が開校50周年記念に刊行した本に卒業生全員の年度別名簿が載ってて、
在日は通名の後ろに括弧で本名が書いてあるからすぐにわかるんだが、
金とか一般に在日に使われると言われる字を含んだのは極少数。
だいたい普通は妻とか母方の名字使うしな。
野球の金村義明みたいに未だに日本人の血が入ってなくて嫁まで在日なんて稀。
- 187 :
- >>181
あなたが怒る理由になってないし、2.は一方的な思い込みでしょ。
- 188 :
- >>183
在日も含め日本(だけではないが)の歴史には隠したい事だらけ。さらに隠蔽と捏造の繰り返し。
戦国時代に至っては…
- 189 :
- >>183
てか、その「金子」さん達の職業及び人となりをみれば一発じゃん!
自分の周りを見て、金貸し、パチ屋、焼肉屋、それに芸能方面やヤクザなんかに縁が無い、若しくは薄いのであれば
まったく問題なし。
堂々と振る舞うよろし。
- 190 :
- >>182その心意気は買うが、そんならここに来るな
- 191 :
- >>183かりに在日だとすれば、かたまってすんでいるのであれば、必ず、周りと違ってくるはずだし、上の人がいうような、連中がたくさんいて、まわりからも違うめでみられるから、あなたに自覚がない以上あなたは日本人だ。
金丸や金子は、金本や金村とはちがうんじゃない?
- 192 :
- あと古紙回収、家屋解体、スクラップ屋にも多いよ
- 193 :
- 在日が金(きむ)の字残して金田 金本 とか日本名にしただけっしよ、
自分の事知りたければ区(市)役所行けばいいじゃん、
話スレに戻して
藤原南家 為憲流 伊東氏だょ
戦国時代だと伊東祐兵、伊東政世、伊東長実 一族だけど
内は北条早雲に伊豆で破れて船で東京に逃げた家系
東京品川当たりに今もその系統の伊東氏多いよ
その伊豆から逃げた伊東氏の名前知ってる人いたら教えてよ?
- 194 :
- >>193
お前が知らないってことはただの自称子孫ってことじゃん
- 195 :
- >>194
江戸時代 旗本伊東家までは系図でさかのぼる
- 196 :
- >>193
頼朝が伊豆の流人だった時代に監視役をしていた伊東祐親の伊東氏かな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E6%B0%8F
↑いちおう系譜は載ってるけど、伊豆の一族に関しては記述がないね。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/itou_k.html
↑ここにも系譜があるよ。
- 197 :
- >>196
ありがとう その伊東氏 その系図は皆知ってるんだけど 俺の場合 内にある系図だと伊東氏27代目になってるんだけど
どうしても戦国時代の三代位 系図が繋がらないだよね
それ繋がれば藤原鎌足までさかのぼれと思ってさぁ
- 198 :
- 多分、系図師が手抜いたなWWW
- 199 :
- Wiki眺めていたらオノ・ヨーコが小野和泉こと小野鎮幸の子孫で吹いたww
立花宗家とジョンレノンは付き合いがあったのかね?
ちなみにオレは名も無き下級武士の末裔だよ
- 200 :
- 調べてみたが6代前までしか判らなかった。しかも山形県って行ったことも無いしな。そういう事なので最上か伊達でいいや。
- 201 :
- >>200
鮭様だろ。
- 202 :
- >>200
五十目でいいよ。
クソコテ安東愛季と同じだよ。
- 203 :
- 我が家はその時々の状勢で北条と武田と今川を日和見よりしながら
うまくかわしてずぶとく生き抜いた家の傍流。
- 204 :
- 静岡県東部のおうちじゃマイカ?
- 205 :
- 俺が思うにVIPと戦国板は静岡県民が多い。
うちは武田→北条→徳川陪臣なお陰で江戸期は30石。
織田、徳川じゃなくて北条についた気持ちはわかるけどまいっちゃうね。
北条がもちっと気合い入ってれば大名→旗本→大名なんて経歴の小藩と違ってもっと高禄貰えたろうに…
或いはすぐに徳川へ従ってれば…
俺だったら滅亡させてる自信有るからなんにしても立派か…
- 206 :
- うちは旧幕臣です。いずれ上様の世にしたいと思います
- 207 :
- 日向の伊東氏の板にも書いたけど先祖は島津との戦いで破れて四国に逃げた伊東氏らしい。
家紋は下がり藤と花桃高?
墓は伊東になったり井藤・伊藤になったりイトウは同じだけど漢字は何故か変わるんだょね!?
話しは違うけど昔の彼女は成瀬と言って犬山城の成瀬家がルーッで成瀬会と言う集まりが定期的にあるって言ってたね。
世が世なら姫様と若様だねと冗談言ってた事を思い出すょ。
背がスラリと高く切れ長のびっくりするような美人だった。
俺の伊東は枝葉の枝葉だけど彼女は濃いんだろうね!
本当に姫様がぴったり似合う人だった。
- 208 :
- > 家紋は下がり藤と花桃高?
下がり藤なら、元は「伊藤」だった可能性のほうが高いかも。
あと「桃高」じゃなくて「沢寫(おもだか)」では?
- 209 :
- >>208
ご指摘ありがとうございます。
そうかも知れないね!後で家族の者に聞いて来ます。
- 210 :
- >>204
ビンゴ。
寒い夜には富士山の湧水でいれた
うまい静岡茶をドゾ( ^-^)_旦""。
温まるよ。
- 211 :
- >>207
敗走して土着したんだろ?
世が世なら百姓じゃん。
- 212 :
- >>とHOITOが申しております
- 213 :
- 男系だと大和の豪族までいくけど…。
まぁ途中で分家したのが柳生宗厳の長女を娶ってるとか
家系図にそういうのが載ってる。
ご先祖は足利義晴、代が代わって松永久秀、筒井順慶、
さらに代が代わって山内一豊に仕えてる。
山内の元では家老だったみたい。
奈良県にはうちのご先祖が住んでいたという城跡に石碑がある。
先祖が春日大社に奉納した石灯籠が現存する。
けど信長の野望シリーズにはいっさい出てこない武将です。
あと父方の曾ばあさんのほうは鎌倉時代までいけます。
相良の系譜なので。
- 214 :
- >>207
確かに土着して農民になった!
世の中浮き沈みだね。
- 215 :
- > けど信長の野望シリーズにはいっさい出てこない武将です。
あ、それ、うちも。
長兄盛政、次兄安政、三兄(柴田)勝政は登場するのに、勝之は
登場しないんだよね・・・。
- 216 :
- この前潰れた某小売店の社長は勝之の直系を自慢してた。
- 217 :
- そうなの?
全国佐久間会には自分以外に勝之系の人がいなくてね。
仲間が増えれば大歓迎なんだがなぁ。
- 218 :
- うっかりトリプ入れ忘れた。
- 219 :
- 佐久間さんは源平藤橘どれになりまするか?
- 220 :
- 三浦氏族(平氏)
- 221 :
- 立花宗茂の直系じゃい
- 222 :
- 自称か?
- 223 :
- つーと旧華族なのだな
- 224 :
- 寺沢って名字だけど九州なら寺沢広高がいるけどうちは東海だしなあ…
近くに寺があるけど関係あるのかな。
- 225 :
- 伊東義佑は大友が衰退したら四国に逃げて乞食同然まで身を落としたが、
それは義佑とごく近い側近だけで他の身内は旧領回復したじゃん。
だから日向伊東氏の末裔が四国にいるとは思えませぬな。
- 226 :
- 皆さんに比べれば、たいした身分ではありませんが
某四国在住大名の下でコルセールの指揮官やってました。
つまり海賊の親分ですが、親戚は「水軍」と主張しております。
- 227 :
- >>219
>>220さんの言うとおり。
でもね、アヤシイところではあるんだよね。
家祖とされる「佐久間家村」って、当時の公文書に名前が
出てこないから。
- 228 :
- >>224
基本的には地名が苗字になっている場合が多いので、先祖の根拠地の
近くに「寺沢」という地名がないか、探してみるといいと思うよ。
- 229 :
- 藤原南家為憲流 伊東氏→伊豆伊東氏→徳川旗本 伊東氏の庶流だよ。
- 230 :
- >>228以前長野にいたことがあるんだが、やたらと沢のつく地名と苗字が多くてね…郷土本にも、沢のつく苗字の多さに触れてたし…
たしか信州発祥だじょ、なんかバス停だか信号だかでみたことあるし、同じ名前のひとにもあったことがある気がする
- 231 :
- >>225
そうかも知れないが、古い墓があるから歴史学者が調べてくれたらいいんだがね!
長年の風雪で名前が消えかけてるのもあるのでそれも難しいかも。
- 232 :
- 母方は長曽我部元親 家臣 濱田氏→幕末土佐勤王党 濱田良作→戊辰戦争 板垣退助参謀代理(甲府の戦)
幕臣旗本と官軍の子孫が祖父母だょ。
- 233 :
- >>232
自分、226ですが、過去の過去の過去にお知り合いだったかも。
江戸時代には、たいへんな思いをしたそうです。
武士の最下層なんで。今はゲームのせいでなかなかに
複雑な気分です。
- 234 :
- 三成つかまえた田中吉政
- 235 :
- >>234
お前…なんか嫌なやつだな。
- 236 :
- >>225
旧領回復と言っても実際の飫肥藩の石高からすれば、伊東家に仕えられた旧臣はそれほど多いとは思えない。
- 237 :
- 羨ましいのう。
母方の実家は地元の城のお堀ん中にあるけど
家系図は戦争時に紛失、家宝は曾爺ちゃんが骨董趣味の若造に無料配布。
トラックで来て、倉の中の物ほとんどくれちまったらしい。
北条から徳川に移った下級武士とはいえ今なら値打ちもんもあったろうに。
父方も武家で倉に骨董品がいっぱいあったらしいけど
爺ちゃんの兄が道楽息子で、両親が死んですぐ住居含め土地売っ払って金持って蒸発。
辿ろうにも浪漫がねーよ、浪漫が。
- 238 :
- うちは信長の子孫。家系図見ると、信長の七男(?)の
子孫ってことになってます。
苗字は江戸時代に織田じゃなくなってるけど、家紋は未だに織田の
あげは蝶と織田木瓜使ってます。
ちなみに、今年34才になる従兄弟が、織田信成君と瓜二つです。
今年の正月に親族一同でご飯食べに行ったら、
「織田信成さんですよね?サインください」って
店長がテーブルに来ました・・・
本人曰く、時々こういう勘違いをされたり、電車の中で
写メこっそり取られたりするんで慣れたとのこと。
ちなみにご本家の旧華族だった織田様んちとは一切交流ないです。
- 239 :
- 江戸時代に苗字が変わった、っていう家系図は、たいてい偽物だったり
するんだよね。
墓の家紋とかを元ネタに、同じ家紋の有名な家に無理やり系図をつなげて
(そういう場合、その後の動向が不明な庶子などにつなげることが多い)、
苗字は途中で変わったことにする。
昔の系図偽造屋がよく使ったテなんだよね。
自分が偽系図を作るならどうするか、と考えるとその手法も理解できる。
- 240 :
- >>238
系図師が信長七男?に無理やり繋いだだけだろ
- 241 :
- 俺は偽系図作りが趣味だが旗本の庶子に繋げるのが一番作りやすい。
本当の先祖は某藩士だが、その主君と近い役職を同時期に勤めた旗本の庶子に繋げて、
主君〇〇侯〜職在任中に〜職在任の旗本△△と縁有り其の庶子を召し抱え、後に嗣子無き当家の養子とする。
みたいな由緒をでっち上げるのが王道。
実の先祖が百姓の場合はどうやって繋げるのが知らないが、
旗本〜旗本庶子〜町奉行与力〜与力庶子が百姓へ養子が無難か。
- 242 :
- 苗字辞典の類いなんかを読んでいると、伊東と伊藤は後世(江戸期あたりか?)に混同したとよく書いてあるな。
- 243 :
- 静岡県伊東市が伊東の発祥だけど、平安末期頃は伊豆に流れた藤原氏から伊藤氏をなのってた者もあり伊東氏が伊藤氏でもあった時代、それ以外考えるとしたら和えて藤原氏を強調する為に伊東が伊藤を名乗ってたかもな。
- 244 :
- 佐々木高綱の子孫いる?
- 245 :
- 木曾源氏の誰か→略→三浦半島の海賊→略→三崎水軍(三浦→後北条)→略→三崎の代官→略→稲毛の庄屋→略→稲田の金貸→梨農家→梨農家→梨農家→会社社長→俺→多分無嗣断絶
って口伝で伝わってる。
実際に遡れるのは稲毛の庄屋(寛政年間)まで。
- 246 :
- 佐々木高綱はいないことになってます
- 247 :
- >>241
> 実の先祖が百姓の場合はどうやって繋げるのが知らないが、
いくらでも方法あるぞ。
罪を得て家を取り潰され、子孫が帰農した、とか、出家して坊主に
なり、その後子孫は百姓に、とか、さもありそうな話を作ることは
可能だな。
あとはいわゆる「ご落胤」系か。どこかで行きずりで出会った女に
生ませた子供が、とかいう話ね。これもありがち。
- 248 :
- >>247
それだといかにもな偽系図になっちゃうね。
古記録に当たって当時の事件と辻褄を合わせると面白い。
- 249 :
- 自称、石田三成、津軽為信の子孫。傍系もいいとこだが。
ま、自称だしなあ…
- 250 :
- >>246
どういうこと?俺は本家じゃないけど本家があるってばあちゃんに聞いたんだけど・・
- 251 :
- >>250
あなたが野木氏だったらまだ佐々木高綱の子孫の可能性あるけど 高綱の子孫で佐々木はいないだろ、
ちなみに乃木希典は佐々木高綱の子孫名乗ってるよ。
- 252 :
- >>242-243
伊東氏:藤原南家為憲流工藤支族、
工藤祐経の子祐時に始まる。
伊藤氏:藤原北家秀郷流佐藤支族、
佐藤(尾藤)知基の子基景に始まる。
- 253 :
- 母方の先祖が中国地方の小藩の家老職を
やっていたことがあった。
別のスレだったと思うが、森忠政(蘭丸の弟)の子孫とかいう書き込みを見て、
おそれおおくも(むこうの先祖、藩主様)、懐かしく思わずレスしちゃったんだが、
シカトされた。
警戒されたのかね。
- 254 :
- >>252
伊東氏ググっただけだろw祐経の子供が伊東氏名乗るのは頼朝から賜ったのであって伊東を初めて名乗ったのは祐経の曾祖父が初代
- 255 :
- >>253
そいつは自称子孫だったんだろう。
- 256 :
- >>254
>伊東を初めて名乗ったのは祐経の曾祖父が初代
曾祖父って誰?為憲の孫・維景のこと?
維景なら系図によっては祐経の曾祖父どころか高祖父のそのまた父(=5代前)になってるものも有るみたいね。
まあ、いずれにせよ(3〜5代遡るが)工藤支族ってことで。
- 257 :
- 「3〜5代」ってちょwwww
2代も『抜け』乃至は『余分』があるんかい!
- 258 :
- うちな・・・数代前で韓国に飛ぶんだよ・・・
一応、鄭なんとかっていう将軍らしいんだけど・・複雑な心境・・・
- 259 :
- >>251
佐々木哲とか。
- 260 :
- 佐々木高綱は歌舞伎の演目で
真田幸村役になるくらい息長く人気あったからなぁ
あやかりたい人は沢山いただろうね
- 261 :
- >>256
維景の子、伊豆国押領使、維職だよ(相良系図伊豆工藤の祖)、初めて伊東や伊藤を名乗ったの狩野も名乗ってたし、その子家次(伊東氏祖)だけでも名前が狩野四郎、工藤大夫、祐隆とも、
伊東氏→藤原南家為憲流
伊藤氏→藤原北家秀郷流
だけど平安末期伊豆でも伊東氏が伊藤氏を名乗ってる事が有ったって事。
- 262 :
- 伊東・伊藤の伊はどんな意味があるのかな?
- 263 :
- 伊勢とか伊豆とか
- 264 :
- >>263-264
伊知地や伊集院もあるな、その他に伊集院
自分でクグレや
- 265 :
- >>254
>伊東氏ググっただけだろw
>>264
>自分でクグレや
統合失調症乙!
おまけに自分にレスしてるしw
- 266 :
- 統合失調症って何?
- 267 :
- 群書類従伊東系図では
為憲-時理-維景-維職-維次-祐隆(家次)-祐次-祐経-祐時
となっている。
だからこれに拠れば維職は祐経の高祖父ってことになる。
まあ、いずれにせよ(3〜4代遡るが)工藤支族ってことで。
- 268 :
- 興味深いな
- 269 :
- >>266
つ
>自分でクグレや
- 270 :
- >>269
お前の事ね!
こっちの系図(伊東市役所から取り寄せ)じゃ
為憲−(為時−時頼?)−時理−時信−(維永)−維職−(維次)−家次−祐継−祐経−祐時になっていて、カッコははずしたよ、それぞれに説明ついてるよ、曽我物語から興味もち調べだよ、どっちにしろ、3.4代前と言う事で
- 271 :
- (維永)−維景−維職
維景が書き忘れた、
- 272 :
- >>270
誰にレスってんだお前w
俺は伊東だか工藤だかには興味なんてねーよw。お前の方はよほど思い入れがあるらしいがなw
それと統合失調症分かったのか?分かったんなら今すぐ病院逝った方がいいぞw
第一お前日本語もおかしいしw
- 273 :
- >>272
眠たいんだよ、
お前は眠れないだろ、いい医者紹介してもらいなぁw危なそうだしな、てかもう薬飲んでる感じ!寝よう
- 274 :
- >>273
>もう薬飲んでる感じ!
お前は別の意味で『クスリ』飲んでる感じだよなw。
いやマジで煽りなしでさ。
句読点もちゃんと打てない、突然キレる、言っている内容が前後で矛盾、etc・・・
典型的な現れ方だぞ、お前。
さっきからそれを感じているから、お前に「統合失調症」という用語を用いてレスってみたんだよ。
本当に医者紹介してもらいたいならしてやるぞw
どうか本気で考えてみてくれw。
- 275 :
- >>274
自爆かよ、お前の通院してる病院だけは紹介いらねぇw
変な病気移りそうw
- 276 :
- >>273
>いい医者紹介してもらいなぁw危なそうだしな、てかもう薬飲んでる感じ!
お前、それ自分を投影してるだけw
それとお前ホントは気弱いだろww
レスの節々からヘタレっぷりが窺えるぞw!
- 277 :
- >>273>>275
あと、他人に己れの自慢の知識を開陳したいのなら(w)、
改行と句読点の打ち方くらいちゃんと覚えろよw。
- 278 :
- 伊東談義からいっの間にか病気にすりかわったぞ!
本論に戻ろうぜ。
伊豆、伊勢の伊はわかるけど。
伊はどんな意味なのかな?
- 279 :
- これ同一人物の自演だろ…まじ基地
- 280 :
- >>178
「伊」:
1.これ
2.かれ
3.ただ
4.イタリアのあて字(伊太利)の略
‐集英社広辞典第19版‐
- 281 :
- >>178→×
>>278→○
- 282 :
- すげーなみんな。
苗字が同じだけで先祖になっちゃうのか〜
- 283 :
- 誰がそんなこと言ってるんだよ
ゆとりのカスはR
- 284 :
- >>282
見ていて情けないよね。
- 285 :
- >>283
おまえ鈴木だな〜
ということは雑賀の(ry
- 286 :
- なんかキチガイが降臨?
- 287 :
- 藤原秀郷
伊勢から上総に移り住んで、今の俺に至る。
- 288 :
- 私は松平家旗本の子孫です。
嘘だと言うやつにはペンシルミサイルと
後頭部キックをかましてやります。
今日もごらんいただきありがとう御座いました。 <(_ _)>
- 289 :
- >>287
なら姓はやはり伊藤なの?
>>288
短気は損気ですよ
定知さん
- 290 :
- 会津藩士で河埜氏らしいです。
存在未確認です
- 291 :
- >>289
京都発祥の公家がみんな山藤、城藤だと思う?
- 292 :
-
バブル時代に偽物を含めた骨董品
売れまくったから
それを代々伝わる家宝とかいって
ちゃっかり子孫を名乗るようなDQNもいるんだろうな・・・
- 293 :
- >>291
伊勢がルーツでしかも秀郷流と限定されるとなると、伊藤姓の確率はぐっと高くなるだろう。
そうでなければ伊藤氏派生姓とかね。
その辺が「京都発祥の公家」と大雑把に言うのとは違う。
もっとも山藤氏だか城藤氏だかは俺は知らないが。
と一応マジレス(笑)
- 294 :
- ここで、誰々の子孫て言っている人たちって、
*帰省すると、必ず宗家に挨拶に行く。
*宗家は今でも伝来の家に住んでいる。
*系図なんて今更、引っ張り出すこともない。興味ないし。
*未だに命名に通字、系字を強要されるため、古臭い名前。
*結婚は実は、全然、自由ではない。
*上記のことは当たり前の日常なので、今更家柄にこだわらないが、
うっとおしいこともある。
といった人々ではないということなのか。
- 295 :
- *正月には一族が挨拶しに来ていた。
*宗家だから伝来の家に住んでいたが、忌まわしき血のため親族とは本気で仲が悪い。
*系図は小学生のころから好きだったから措いといて。
*未だに命名に通字を強要されるが故に息子に違う名前を付けても、系図では書き換えられる。
*結婚は自由ではなかったのを強行して弟に家を乗っ取られる。
*上記のことは当たり前の日常なのだが、系図厨なのでちょっと悔しい。
オレはこんなところかな。]
- 296 :
- 相続税、たいへんでしょうね。
土地とか売らずに済みそうですか?
というか、ぶっちゃけ、どうします?
まあ、農地解放でだいぶ、田畑は持っていかれたと思いますけど。
残った山林は、県に寄付が賢明なんでしょうか?
あとは、定石どおり県議に立候補、かな。
- 297 :
- ×帰省すると、必ず宗家に挨拶に行く。
うちが宗家。来る人はいないけど墓は江戸時代の分家がよく手入れしてくれてる。
×宗家は今でも伝来の家に住んでいる。
藩士だったから戦国末期〜幕末にだいたい七回くらい移動してる。
明治以降は明治初期に幕末の移封先から旧領への帰還と、数年前に自分の大学の下宿→就職先の近くへ引っ越しで三回移住。
△系図なんて今更、引っ張り出すこともない。興味ないし。
自分で作ったのを壁にかけて本物は市の郷土史館に預けてある。
×未だに命名に通字、系字を強要されるため、古臭い名前。
男子不在になってから約六十年後に養子になって継承したから義母からは何も言われなかったけど自発的に改名した。
×結婚は実は、全然、自由ではない。
明治以降も当家は義母、実家は祖父母まで旧藩士同士の縁組みだが実母は町方なので最早関係無し。
×上記のことは当たり前の日常なので、今更家柄にこだわらないが、うっとおしいこともある。
全く思わない。というか我が家は義母が亡くなって以降俺一人しかいないから寂しい。
俺がもしも不慮の死を遂げたら=家断絶なのでその点はかなり悩む。
本当はもう親類から養子取りたいんだけど俺自身がまだ20代の未婚で将来の縁組みに支障が出たら困るし躊躇してる。
- 298 :
- >>294
> *未だに命名に通字、系字を強要されるため、古臭い名前。
これはある。知ってる範囲で曽祖父、祖父、父、自分と通字が
ついてる。
自分の子供にもつける予定。
- 299 :
- >>297
すでに没落して宗家としての体裁も保てなくなってるやん
自発的に改名とかする価値もなかったろうに・・・
>>298
俺も通字はあるが、子供につけるつもりはないな
- 300 :
- 母ちゃんの家系は律令時代から続く名家。
郷土史に載ってる。
父ちゃんの家系は佐賀の士族だが、
龍造寺系みたい。
ただ戦前に軍の要職や帝鉄に名前が・・・
あ、でも今は分家の貧乏人。
- 301 :
- ん?、ヘタレ統合失調症は強制入院になったか?
- 302 :
- お前自分の病気だから病名、症状について詳しすぎw病名人に押し付けてるんじゃねえよ。
病気でスレタイ語れないの!農民でもいいから自分の先祖語ってみ?
- 303 :
- >>299
価値ってなに?家を継いだり名前を変えるのにそんなこと考えるの?
譜代小藩だし幕末に移動してるし他の藩士も財産はほとんど無く大抵は民間の勤め人で、
戦後に編集された藩士の子孫の動向を記した本によると空襲による一家全滅が多数あり、
子孫がいなくなり自然に絶えたのもある。
うちは存続出来た上に現当主が国家公務員なだけ同じ藩で比較したらまだマシな方だ。
- 304 :
- >>258ハヨカエレ
- 305 :
- >>303
君は家を継ぐということと自分の虚栄心を満足させることを同じだと考えている
- 306 :
- >>302
>お前自分の病気だから病名、症状について詳しすぎw病名人に押し付けてるんじゃねえよ。
病気でスレタイ語れないの!農民でもいいから自分の先祖語ってみ?
アンカー打ったわけでもなく、
『ヘタレ統合失調症』
と書いただけで湧いて出てきたかw。
にしても相変わらず改行も句読点もなってねえ文だなw。
それに、
>病気でスレタイ語れないの!
強調してどうすんだよWWW。
俺を煽りたいんだろうが、これだとお前自身の状態をより強めて自白していることになってしまうぞw。
それともまだ「眠たい」のかw?
何れにせよ、系図と一日中にらめっこしている前に、
疑問符と感嘆符の違いくらい理解できるようになってからここに来ようなw 『!』、うんw 『?』
- 307 :
- >>302
それと言い忘れてたが
>お前自分の病気だから病名、症状について詳しすぎw
「詳し」くなんか述べていねえよw。
俺は「統合失調症」とただ病名を述べただけ。
「統合失調症」なんて誰でも知ってる名前を知らなかったお前が馬鹿すぎるだけw。
>農民でもいいから自分の先祖語ってみ?
悪いが先祖は「農民」ではない。
藩政時代は千石台の士族だったが、別に自慢にも何も思っていない。
お前の方はよほど自身の先祖が自慢であるようだがなw
- 308 :
- ぼくは、上杉です
- 309 :
- >>307
興奮するとヤバいっしょw
- 310 :
- >>307
最後に言っとくわ、自分で自分の病名、分かってるみたいだし、お大事に。
- 311 :
- *うちが宗家。
*元々は別の土地だったが、明治に東京に出てきて東京大空襲で屋敷が燃えた。
*歴史ヲタなので系図を眺めてるのが楽しい。
*通字はむしろ誇りに思っている。
*まだその障害にぶちあったってないからわからない。
*確かにうっとおしいときはある。
*あと土地はGHQに相当没収された。
*一応、戦国時代から伝わる家宝はある。
*昔、ご先祖が住んでた土地に石碑や、ご先祖が奉納したという石灯籠が現存する。
- 312 :
- >>294
あ、あと、宗家が数百年来住み続けている家の所在地が本籍地。
本籍地を動かすと怒られる、って言うのも有りだな。
通字にこだわらなくて済むから、女の子だと安心する。
- 313 :
- 本籍はどうとでも動かせるからねえ。自己申告にウソがあればアウトやん。
- 314 :
- 足利氏の執事をつとめた高師直が先祖です。
現在は高と土着した土地の一字ずつを取って苗字を名乗っています。
系図はところどころ○で欠けているところがありますが、
師直が携えたといわれる矢の矢羽の一部が家宝として残っています。
- 315 :
- >>314
高師直以降どういう流れなの?
- 316 :
- 割と変わった苗字だったので、どうせ百姓か河原乞食の出自だろうと思っていたのだが…
先祖は信州小県の海野氏だった…ちょっとビビった。
- 317 :
- じゃあ真田と親戚だね
- 318 :
- 小菅っていう名字ですが、先祖は武田四天王(武田四名臣)の一人で赤備えで有名な侍大将の山県昌景と、武田二十四将の一人で侍大将の三枝守友です。
それと先祖の親戚には、武田氏家臣で山県衆陣代足軽大将の小菅五郎兵衛がいます。
いずれにしろ、武田家に縁の深い一族です。
- 319 :
- >>228ですが寺沢って地名はないです。
信州については聞いてみます。ありがとうございます。
あのあと寺沢広高についてググッてみたら、静岡は掛川の榊原さんに娘が嫁いでました。
大名としての寺沢家は島原の乱で終ってしまうのですが、もしかしたら一族の一部が榊原室を頼って静岡にきてないかなとか妄想してました。
- 320 :
- なにあんたらそのギリギリ談義。
- 321 :
- 別にギリギリでもなんでもない
- 322 :
- 相撲の反則技とか桜の名前とか意外に有名だった
- 323 :
- >>16に同じ先祖を持つ人発見。
俺も小笠原貞慶の血は引いてるなぁ…。
マイナーすぎて情報なさすぎるけど。
- 324 :
- >>323
君は知らないだろうが、コーエーの信長の野望革新ゲーマー達の間では小笠原貞慶は神として崇められてる。
- 325 :
- 小笠原爆弾w
- 326 :
- >>324
え、俺自分の先祖が小笠原って知って、
天翔記を久々にプレイしたけど、あまりの弱さに涙目だったんだけど、
どういうこと?
- 327 :
- http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%B2%9E%E6%85%B6%E3%81%AE%E6%86%82%E9%AC%B1
これかwww
うちの先祖www
ひどいあつかいwww
おもしろいなぁー。
- 328 :
- >>327
ちなみに系図の信憑性がどのくらいのものか個人情報に触れすぎないレベルでkwsk
- 329 :
- >>328
>>個人情報に触れすぎないレベルでkwsk
どう答えたらいいのか、さっぱりわからん
- 330 :
- と先祖を証明できない捏造厨が申しております
- 331 :
- 証明できないからといって、それが捏造であるとは言い切れんと思うけど。
別に詐欺みたいに先祖の名前を悪用して何かしようというわけでもないんだから
「捏造」とか悪事みたいに言わなくてもいいんじゃないの?
- 332 :
- ううーん。自分でもそれほど信じてないっていうか、
こういうの信じて、どうこうするとか思わないかなぁ。
調べてわかったとき、ちょっとガッカリしちゃったからなぁ。特に天翔記が。
小笠原の末裔っていうのは…。祖先に申し訳ないけど、
捏造というか、悪用できるような、有名武将ではないと思う…。
でも、小笠原爆弾は面白かったし、特産物の野望が面白かったから、
革新は買ってみたよ!面白いこと教えてくれてありがとう。
>>328
真面目に言うと、府中、阿波、甲斐、信濃のうちのどこかで、
(地名と苗字の話で、どこの家とかわかっても嫌なので、ごめん)
苗字が、その土地の地名になってたりします。家に伝わる話で、
何となく、武田とモメた後の、うちの一族の変遷が納得できたり。
家紋は三階菱、300年以上続く家、でも、昭和中期に、実家と、
持ってた土地(山をいくつか)を売ったから、地名に残る程度。
あんまり意味ないけど、一応、しっかりした家系図があるみたいよ。
家紋付きのなんちゃらが伝わってたりしてるし。でも身に着けたことない。
どこまで何を言えばいいのか、よくわからないのよ。
ちなみに、昭和初期に土地を売る以前から、財産の切り売りはしてたらしく、
江戸時代以降は、遊び暮らしてたっぽいのが多いと聞いた。
実際、うちの祖先は、3代前くらいまで何の苦労もしてない気がする。
まあ、信憑性はともかく、爆弾が面白いから信じておくことにするよ。
- 333 :
- ちなみに、いくつかの家は分かれてるので、
どこかに、直系の一部は、同じ土地に残ってるそうです。
- 334 :
- ありがちなツッコミに釘を一本。
苗字のない小作人がアカの他人のはずの地主の苗字を名乗った明治維新。
そろそろほぼ同族だったから、という表記に変えたらどうだ。
- 335 :
- うーん。まあ、名乗るなら、もっとマシな性を名乗ってたと思うんだ。
あと、小作人にしては、土地持ちすぎてたなぁと。百姓を抱えてたらしいし。
その土地には、確かに同じ苗字は増えてたんだけど、土地までもらえる?
それと、家紋ってそんなに簡単に名乗れるのか、教えてもらえるとうれしい。
歴史系板住民ほど、知識ないから、いろいろ教えてもらうと嬉しいかなー。
- 336 :
- それ小作ちゃうやん。
- 337 :
- だから、歴史は、よく知らんのだよ。
とりあえず、昭和初期の時点で、2県にまたがって、広大な土地を持っておった。
昭和中期の段階でも、売れば何千万円の単位で、山を持ってたっていうから、それなりに持ってたんだろう。
山なんて安いから、相当持ってたんじゃないかな。
あと、田畑はかなり持ってて、百姓何人くらい抱えてたんかなぁ。よく知らんが、共同体単位で抱えてたはず。
ほんとよく知らんのよ。とりあえず、家紋は伝わってるが、
1〜2代前が、元の土地を離れてしまったので、家系図と家紋と伝わってる話しかわからない。
自分でもよくわからんけど、小笠原氏を調べてると、
あぁなるほどなぁ、ほんとかもなぁ、みたいなことが何度かあったから。
ていうか、小笠原氏自体、調べるまで何も知りませんでした。
家紋と出自は知ってたけど、そこまで遡れると思ってなかった。
愛着とか、悪用とか、そういうのはなくって、
ニュース速報で、武田信玄と、その息子、どっちが有能だったか?
っていうスレを見て、そういや、小笠原は武田にプライドだけで立ち向かい続けてたなーと。
あんなに、なぜ、武田に組するのを嫌がってたんだろう。プライドだけ?
- 338 :
- そんだけの土地もってたなら、例えどっかで仮冒がはいってたとしても十分な血筋だ
- 339 :
- >>336
あ、一応言っておくと、小作人と土地持ちの違いくらいはわかってるよ。
そこまで阿呆ではありません。念のため。>>335が書き方悪かったんだ。
なんか、長文レスしてるのも変だし、そろそろ名無しになろうかな。
戦国板なんて初めて来たから戸惑ってるんだよ。とりあえず、小笠原の子孫だと思うよ。
証拠を出せ!出さなかったら捏造だ!って言われると辛いけど、
去年くらいに気づいて、暇なとき調べたくらいだから、何とも言えんしなぁ。
客観的事実に基づいて、っていうなら、嘘かもしれんし、ってくらいー。
小笠原爆弾と信長の野望革命を知っただけでも収穫あったよ。ありがとうー。
- 340 :
- いやいや、立派なご先祖様じゃないか。
疑いの眼差しで見る人なぞ放っておいて、ご先祖様にもっと感謝しないとな。
- 341 :
- >>338
土地の量については、ちょっとここに出せないような話があって、
裏づけは一応あるんですよ。だから、広大な土地を昭和初期〜中期まで持ってたのは本当。
>>340
本当だと信じるとして(この辺はもう信じるかどうかかなぁと)
日本の歴史に親近感がわいたし、有難いなぁと思います。
でも、疑う気持ちも、少しはわかるし、自分でも全て信じてるか、って言うと、
正直、今の自分には、直接関係ないから、信じれない気持ちもあります。
仏教徒っていうより、神道のほうが好きなんですけど、
受け継がれてるのは、お話と、家紋と、家紋つきのなんちゃらだけなんすけど、
先祖には感謝したいですね。ルーツに悩むときの信仰にはなるし。
ちなみに、同族結婚が多かったせいで、女児しか生まれない時期が続いて、
3代前に養子を入れてて、その養子は、藤原家由来だそうです。
こっちは、マジで信憑性のカケラもないので、なんともいえません。
藤原4家とは程遠いし、神社関係の人だっただけですし。で、何を言おうとしてたかというと、
男系という意味では、あまり遺伝子的に、小笠原の直系でもないかもなぁと思います。
信じるとか信じないとか言うレベルでは、信じたい、って感じですかね。
でも、信じても、特に実益はないかなぁって。内面的な話になりますよね。
長文レスすまぬ!そろそろアレなんで隠れるよ!(`・ω・´)
- 342 :
- >>331
堂々とウソを吹聴してるんだから悪用に決まってるだろ
- 343 :
- 真贋はこの際どうでもよい。要は本人が日本人としての自覚を持って正しくいきていけばよいのじや
- 344 :
- >>342
「悪用」という言葉の理解が間違ってるんじゃないかと。
「悪用」というのは、何かを自分の利益や悪い目的のために「用いる」
ことを意味する。
つまり、たとえば実際にいたけど、旧宮家を騙って結婚披露宴を開いて
金を騙し取った詐欺師とか、そういうのは確かに「悪用」だろう。
でもただ単に「自分の祖先はだれだれ」と、確実な証明ができるわけ
ではないけどそう信じている、というだけでは「悪用」とは言わないよ。
証明できないなら先祖をだれと言ってはいけない、ということもないし。
そんなこと言ったら誰一人先祖を厳密に「証明」できる人なんていない
わけだし。
仮冒はいつの時代でも、それなりの権力者(徳川家康とかね)でも
やってることで、それをいちいち「証明できないから悪用だ」と弾劾
しても無意味でしょ。
あなた自身がその「証明できない先祖」で何か被害を受けたというのなら、
裁判所にでも訴え出ればいいんじゃないの?
そうでなければ「ふーん」と聞いてればいい話でしょ。
なんでムキになって否定したがるのか理解できん。
- 345 :
- 他人の先祖話をムキになって否定する人は
大方先祖が平凡だったんだろう。
妬みが出るのも無理はない。
- 346 :
- >>344
長文うざい言ってる事も支離滅裂
仮冒肯定とかRよおまえスレ違いだからもうここにくんな
- 347 :
- 仮冒を叩きたい気分はわかる。
ただ仮冒を主張するならそれをウソだと証明する必要がある。
悪魔の何とやらに近い。
- 348 :
- >>346
仮冒じゃない人は百パーセントこのスレにこないと思い込んでる根拠を知りたい
- 349 :
- >>343
了解です。日本に興味出てきたり、愛着わいたり、良い面は有難く思うつもりです。
>>344
マイナー武将すぎて悪用しようがないです。調べるまで知らなかったし。
戦国板に来たのは、小笠原氏スレでもないかなぁと思って。
案の定なかった。だから、このスレに行き着いたんです。(´・ω・`)スレないの?
なんか文献とかないのかな?教えて詳しい人。時間が出来たら、
いずれは、元の土地の文献を漁りに行こうと思ってるんだけどね。
小笠原爆弾だけってのは、面白いけど、なんだか寂しいなあ。
仮冒って言葉は、このスレで初めて知ったので、勉強になった。
言い出したら、織田信長も徳川家康も仮冒だよね。それは知ってた。
源氏とか平家とか藤原氏の存在感や、日本神話の存在感は遥かに強い時代だし。
うちの血筋にしても、どっかで仮冒が入ってる可能性は高いよね。
ただ、土地の所有権と、家紋とかは、どこかの時点で得たわけで、
それ以外だと、古い家系図くらいしか証拠はないけど、家系図って信憑性薄いんでしょ?
あと、知り合いに、東北のほうの武将の末裔がいる。
それは苗字も、当時の武将のままで、完全な形で土地に残ってる末裔。
そこまでだったら、名乗りやすいし、仮冒の可能性はなくなるんだろうけどね。
- 350 :
- >>346
スレ違いとは「お前ら先祖の武将を言え」というスレで
「嘘つき」だとか「悪用」だとか他人を誹謗、罵倒しに来てる
人のことを言うのではないかな?
- 351 :
- とぉーい先祖が石田三成の俺が通るぜ
- 352 :
- とある塾の日本史教師は松永久秀の子孫らしい
で家系じゃないんだがの古典教師は自分は在原業平の生まれ代わりと主張しているw
なんだこの塾w
- 353 :
- >また一部の歴史学者が仮冒だ偽系だと騒ぐのも可笑しい話で、出自(家系)とはそういうものなのである。
ttp://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm
- 354 :
- >>349
>マイナー武将すぎて
先祖の全てがメジャーな人物の系図なんて皇室とかの極一部しか有り得ない。
まさか新羅三郎義光や歴代天皇もマイナーと言う気かい?
仮冒は系図の始まりと後代に至るまでの過程に不自然が無いかが重要で、
君の理屈だと徳川もマイナーな人物に繋げてるからわざわざ仮冒する必要が無い→本当という事になるよ。
都合良く解釈しようとしてるね。
でも真贋論争はどうでもいい。嘘も本当も証明しようがないしね。
- 355 :
- 仮冒は実力者が貴種性にあやかるための行為でしょ
浅井氏とか津軽氏とか江戸大名のような豪快なホラみたいにさ
ここで先祖を挙げている人のほうが僕には信憑性が高いように見えるなあ
- 356 :
- >>68
肥前にも菊池氏族(自称を含む)は何件か居るよ
姉川・岩松・原田あたり
あと家紋が鷹羽の場合は菊池にちなんでいる場合がある
- 357 :
- >>355
事実として伝わってる本当のことを並べてるだけで、
先祖のどの時点で嘘をついてる先祖がいるかとかわからんしなぁ。
少なくとも、自分の時点では、嘘をついてる人が見当たらないだけ。
匿名でいちいち仮冒とかして、何の意味があるのかなあ。
- 358 :
- 瀧川一益の同族と言われるが、
直接の血縁は不明。家紋は丸に縦木瓜。
瀧川部隊に従軍、とある合戦にて
敵侍大将と組み合い、惜しむらく相討ち死した。
信長から感状をいただく。
私は分家ですが何か。
ちなみに祖母は、徳川四天王の重臣。
- 359 :
- それはひょっとして北畠一門なのではないか。
- 360 :
- 358ですが、北畠ではありません。
祖父母は、徳川四天王のうちの一家の
戦国時代の功績が縁で、結婚しました。
時空を越えた縁が、大正のころはあったのですね。
- 361 :
- >>355
前半はその通りだと思うが
> ここで先祖を挙げている人のほうが僕には信憑性が高いように見えるなあ
さすがにそれは無い。
- 362 :
- >>361
何のためにこのスレにいるの?
それと、このスレで仮冒して何の得があるの?
kwsk
- 363 :
- >>362
>>361で述べたこと以上でも無ければ以下でも無いよ。
>何のため・・?
と言われてもね。
上位にきていれば覗くこともあるしw。
>このスレで仮冒して何の得があるの?
わかんないよ。
んなこと。
でも仮冒してると仮定した場合、色々想像できるんじゃない?
満たされない心からくる虚栄心とかw。
- 364 :
- >>363
目的なく生きてるって幸せなの?
- 365 :
- >>364
2chに特に確固たる
>目的
を抱いて来るってことは無いなあw。
にしてもやけに絡んでくるね、君w。
- 366 :
- やけに、このスレに絡んでくるね、君w
>>363を見る限りでは、
君はROMしてなければいけないはずだけど、
どうして書き込むの?残念な人なの?
- 367 :
- >>366
>やけに、このスレに絡んでくるね、君w
上手いね!
と一応言っておくわw
>>>363を見る限りでは、
君はROMしてなければいけないはずだけど、
どうして書き込むの?残念な人なの?
これは意味不明。
>>363の内容のどこからそのように読み取れるのか不可思議w。
良かったら教えてくんないw?
>kwsk!
さ。
- 368 :
- 上杉の白河の陣で伊勢志摩からやってきて、雇われた武士
その後、商人になって旅籠やを経営、板谷峠の御殿の管理に携わって
幕末を向かえましただ
- 369 :
- 武将じゃないですが桓武平氏北条氏嫡流得宗家横井氏の子孫です
この板の北条氏スレでは横井家は仮冒だとボッコボコに言われましたが
実際の所みなさんは横井家についてどのような認識なのでしょうか
ちなみに横井氏の有名人には横井小楠という武士がいます
- 370 :
- 横井といえば仮冒の代名詞のようなものです。
恥になるのであまり人に言わないほうがいいでしょう。
- 371 :
- http://www.kakeiken.com/report008.html#横井一族の系図(1−1)
こんな面白いのを見てたが、平野氏の貴種性探求に並々ならぬものを感じた。
- 372 :
- >>369
横井ねぇ…
横井はたしか北条早雲の母が横井氏だと主張してるけど、横井だけに信用ならんな
だいたいお前の
>北条氏嫡流得宗家横井氏
ってのがなぁ…嫡流なわけねーだろ
- 373 :
- 漏れは蜂須賀の末裔って聞いた。
でも、家紋は逆さ卍。
ナチスの末裔かもしれん。
しかも、親父の家は明治に切支丹に改宗
母親の家は浄土真宗に改宗。
なんだか、異端っぽい家系かも。
- 374 :
- オヤジの母(自分からみると祖母)が蒲生氏郷の直系。
ただ徳川の世になってすぐ、改易されている。
金沢だかに菩提寺があるらしいけど、荒れまくっていると聞いた。
子孫がだらしなく、御先祖様には申し訳ない。
- 375 :
- >>374
へー、続いてるんだ。
氏俊の系統?
- 376 :
- 島津義弘
家は江戸に分家して、格式は下がったけど、藩内での家格は最上位クラスだったので歴代の墓もあり、親類もそこに入ってる
- 377 :
- して・・武士と西洋の騎士のミックスの子孫の場合はどのように?
- 378 :
- 世宗大王
- 379 :
- >375
はい。氏俊公の直系みたいです。
嗣子がなく改易されて、前田家にお預けとなり、呉服商をなさっていたと聞きました。
婆さまの着物についてた家紋は対い鶴でした。
けど、三つ巴の家紋がついた着物もあったのですけど、家紋って一つではないのですかね?
- 380 :
- >>374
>蒲生氏郷の直系
>>379
>氏俊公の直系
>嗣子がなく改易
変だと感じるのは俺だけ?
- 381 :
- この手の仮冒はよくあることだろ
問題は江戸時代にどの程度の家格でどこまで証明できるか
- 382 :
- >>311
GHQふざけてるよなw
>>373
隠れキリシタンだったかもな。お前は層化になれ!!
>>379
替紋かもね?由緒あるなら通紋ではないだろうし、いくつか持ってても不思議じゃない。
俺ん家は地元の城の家臣団の名簿に名前が載ってるけど落城したし。
唯一の資料が明治初期の借用書だけど額がなwそれくらい貸してくれる家なら辿ればなにかしら足取くらいは出てくるかも。
友達の家に小判とか短刀が残ってるのが羨ましいぜ。
- 383 :
- 俺の先祖
平清盛と知り合いだったらしい
- 384 :
- 戦う→負ける→仲間と逃げる→出家
- 385 :
- ここは由緒ある家柄が集まるインターネットですね
- 386 :
- 陶氏
- 387 :
- 直江兼続の子孫です。
家紋は三つ盛り亀甲に花菱、先祖代々の家訓として義と愛が伝えられています。
- 388 :
- アッー
- 389 :
- オレの先祖は南蛮人。爺サマの遺品に洋物のAVが多数あったからな。
間違いない。
- 390 :
- 水野家っぽいけど よくわからん
- 391 :
- 富田信高 祖母まで直系って所だなぁ。
- 392 :
- これはガチなんだが平家の九州に逃れた武士の末裔です。性は緒方です。
- 393 :
- 柿崎景家・晴家。
よって一昨年、今年と大河ドラマで盛り上がった我が家。
- 394 :
- 有栖川宮殿下
一応、皇室です
- 395 :
- 本当に家系わかる人羨ましい
俺の家系図はあるんだが富山県某所にあって
俺の家は北海道だから見れない
本家の周りは同じ名字ばっかりで
結構珍しい名字で全国に150世帯くらいしかないって聞いた
ちなみに同じ名字の武将はいない
本家の墓がでかくて道路が墓を避けて作ってるってのが自慢らしいんだけど
富山の武将とか全く知らん
- 396 :
- 戦国末期に没落した方の池田
- 397 :
- さる武将がに湯殿の婢女に産ませた子、
が長じて馬廻りになり遊女に産ませた子、
が長じて徒士になり飯盛女に産ませた子、
が長じて足軽になり百姓女を手篭めにして産ませた子
・・・くらい居てもおかしくない。
15代もさかのぼりゃ先祖は3万人もいる。
- 398 :
- 三善らしい
- 399 :
- >>395
> 本家の周りは同じ名字ばっかりで
> 結構珍しい名字で全国に150世帯くらいしかないって聞いた
そういうのは、調べればけっこう簡単にルーツがわかるケースが多いよ。
郷土史家の研究対象になってる場合もあり得るし。
同族に全国区の有名人がいないというだけで「難しい」と思わない
ほうがいいよ。
- 400 :
- >>399
ありがとう
さがしてたら家に家計図あったんだが延元とかいつだよって感じで
年号が全くわからん、
晒していいのかわからんが
延元元年奉皇太子垣親王隊金崎城十六箇国なんとかかんとか越前国なんとか
左中将 義貞
って出たんだが全くわからん
あと 政倫 越前守 大坂城七将二一 元和元年五月六日歿 天王寺
とか書いてるんだけどわかる?
- 401 :
- 小早川の秀ちゃん!!!!w
- 402 :
- >>377
母方の爺さんがラエフスキーとロモノーソフの
後裔だと言い張っていたが多分眉唾だろうな
詳しく聞いてみたいがすでに墓の下
- 403 :
- >>400
> 左中将 義貞
これ、新田義貞だね。
> 政倫 越前守 大坂城七将二一 元和元年五月六日歿 天王寺
政倫というと榊原政倫、池田政倫、牧村政倫というのがいるけど、
どれも元和元年没ではないね。
元和元年没の越前守というと岡越前守(宇喜田家家臣)というのがいるけど。
- 404 :
- >>403
ちなみに家系図だと
義貞-義宗-義則-貞家(形部玄輔 従五位武蔵守)-家久-女子(信玄六男義久後室)
-久方-権十郎(属毛利氏禄十四石)-それで 政倫 -正澄(仕前田氏為馬廻禄二百石)
-正房(仕綱(紦?解読不可)侯為改作奉行禄三百石 正徳三年歿八十一
こんな感じです
俺の先祖長生き多いな・・・
九十 八十ざらにいるし
ものっすごくマイナーな家柄なのかな?
- 405 :
- ほう。
- 406 :
- 御宿越前守
- 407 :
- 俺はあの名将毛利元就の子孫なのだ!
↑輝元の子孫でもある。
- 408 :
- >>404
> 正澄(仕前田氏為馬廻禄二百石)
このへんがキーかな。
「大名家臣団事典」みたいなので前田氏(加賀藩か、またはその支藩?)
を調べてみたらいいかと。
200石なら割りと重臣だと思うよ。
- 409 :
- >>408
ありがとう、調べてみるよ
個人的には正房ってのが気になったんだけど
字が読めない・・・
うpしたら分かるかな?
- 410 :
- >>409
わかる可能性もあるね。
いちお、大学で古文書は読んでた。
- 411 :
- 410
じゃあうpするね
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4966.jpg.html
- 412 :
- 「綱紀候」に読めるね。
加賀藩の五代藩主、前田綱紀のことじゃないかと。
- 413 :
- >正房(仕綱(紦?解読不可)侯為改作奉行禄三百石 正徳三年歿八十一
加賀藩5代藩主前田綱紀に仕えてた禄高三百石の改作奉行ってことで正徳三年に八十一歳で死亡。
改作法 正徳 前田綱紀
で話の筋はとおります。
- 414 :
- >>412-413
thx
あんまり位高くないのかなぁ
そもそも武将かどうかも微妙だし
- 415 :
- 藩の奉行職を務めて300石もらってるのだから、どちらかといえば
高位の武士だよ。
少なくとも下級武士ではない。
- 416 :
- 加賀藩の職制によると平士(へいし)ですね。
「藩によっては「給人」とも称される中士身分に相当し、80石から2千4百石の、約1400家ありました。御馬廻・定番御馬廻・組外(くみはずれ)・小将の組があり、各組には組頭と番頭がいます。」
石川県立図書館のHPのデジタル図書館で加賀藩の藩士の名簿が見られるから探してみたら。
加賀藩の職制
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/rekishi07.htm
加賀藩の侍帳
http://www.library.pref.ishikawa.jp/toshokan/dglib/samurai/index.html
- 417 :
- 先祖が武将かしらべるには江戸以前の主家わかる資料あれば早いのだがな
うちも加賀藩士だからわかるが前田家は歴史が浅く加賀資料ではそれ以上さかのぼれないきがする
でもがんばれ
- 418 :
- 改作奉行が置かれたのが寛文元年(1661)らしいので、
この年から正徳三年(1713)の間に改作奉行に就任した
○○正房っていう人を探せばいいわけね。
- 419 :
- 関白近衛殖家の庶子→美濃齋藤氏へ養子に出される
- 420 :
- まったくわからん
チョンこでなけばなんでもよし
- 421 :
- http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01014.htm
ここを見ると
新田義貞-義宗-義則の流れは「山士氏」になってるね。
新田義貞-義宗-貞方-貞家だと「光田氏」「羽田氏」かな。
- 422 :
- 親戚の兄ちゃんの嫁が楠木正成の子孫だという話だ。
平木だかいう名字で、故なき話じゃないみたいだが、正直どうでも良い。
こういう話は、名字が違うとちょっと萎えるよね。
- 423 :
- マイナーなんだが、立花三河こと薦野増時。
うちは次男の家系らしいが、江戸時代に立花実山という変わり者が出た。
- 424 :
- 戦国なら武田信玄。
あと浅野内匠頭。
- 425 :
- >>424
武田と浅野はまったく家系のつながりはないよ?
- 426 :
- 父方が武田で母方が浅野とかそういうことじゃね。
- 427 :
- >>426
ハイそうだす。
まぁ、どちらも分家筋なんですが。
- 428 :
- >>424
浅野内匠頭長矩のこと?
直接の子孫はいないはずだよ。
弟の大学の子孫は広島で続いたようだけど。
- 429 :
- 前田家の家臣で横山ってのらしいけどはっきりいってわかんね。鷹の羽二枚とかいう家門で
- 430 :
- 浅野ならわざわざ内匠頭じゃなくても、と思ったけど浅野家で
世間的に一番知名度あるのはやっぱりそっちなのかね。
- 431 :
- >>423
立花実山は一時的に黒田家の実権を握って、
南方流茶道を開いた人物じゃないか。
弟は二天一流を継承した丹治峯均だし凄いぞ。
- 432 :
- 家紋は五三の桐、元皇室からわかれました。某戦国大名の末裔です。親戚に明◇〇皇がいます。
- 433 :
- 菊池武光の末裔と聞いている
- 434 :
- >>431
423です。ご丁寧に有難うございます。
そうだったんですね。興味がわいたので、自分でも調べてみます。
- 435 :
- >>432
嘘つくなよ。
お前の先祖は御所の庭のアジサイに付いてたカタツムリで間違いないよ。
- 436 :
- それはまた高貴だな。
- 437 :
- 皆様、本当に詳しいな。
口伝ごときじゃ語れないね。
- 438 :
- 死んだ父方の婆ちゃんが九鬼の出だということは知ってる。
- 439 :
- 知らない人がけっこういるみたいだから言うけど、
普通、母系は「先祖」って言わないからね。
- 440 :
- 騙り
- 441 :
- 先祖は百姓、母方の家柄は良いでいいのか。
…めんどくせぇ
- 442 :
- いやいや父方の先祖は源氏で親父は源氏の流れを強調したけど
息子は母方の藤原を名乗ってみたりする武将もいたわけで
- 443 :
- 佐竹義重
- 444 :
- >>439
夫婦別姓社会ではそうかもしれんが、現代ではそういう考え方は無い。
- 445 :
- 婿取りの場合は母系が先祖じゃんお( ^ω^)
- 446 :
- 第二尚氏尚円王金丸
- 447 :
- 家名を継いでかつ血統もつながってる場合を先祖という。
- 448 :
- >>444
もしそれが本当なら、きみの10代前の先祖は1024流存在するよ。
もうほんの少しだけ立ち止まって考えてから書き込んだほうがよかったね。
- 449 :
- >>448
20代前なら百万だ(さすがにここまでくれば重複の方が多いだろうが)。
しかしそれが事実だ。
男系だろうと男女混合だろうと
膨大な先祖のひとりを上げているに過ぎない。
- 450 :
- ばーさんの実家が源頼朝の御家人八田朝家の子孫
- 451 :
- 同級生に蜂須賀っているけど…先祖は間違えねぇよな
- 452 :
- >>449
なんか勘違いしてるかと。
君の言ってるのは尊属。
先祖というのは継承された家系上の尊属をいう。
家系は一人一つしか継承しない。
大半は父方を継承する。
それと、「夫婦別姓でもない限り」というのはまったく見当外れじゃないかと。
別姓でも子供一人の継ぐ姓は一つだけだよ。
- 453 :
- >>452
だから、それは夫婦別姓社会の慣習。
現代日本にはそんなもんはない。
そういう思想にこだわるなら韓国にでも行け。
- 454 :
- 夫婦別姓社会は、姓が正しく男系で伝わるようになっている。
だから家に入った嫁にも、その家の姓は名乗らせない。
姓と違い日本の名字は、家業・家職を継ぐものの商標のようなもの。
家の子郎党共同体の当主の名跡である。分家すれば変わるのが当然だった。
日本式の家業共同体としての家は、武家を廃業した時点で消滅しているのだ。
大陸式に考えるのなら男系(養子や婿が入れば断絶)をたどることも意味があるだろうけど、ってこと。
- 455 :
- えっ?日本には家系の継承という文化がない、って言ってる?
こりゃまたすごい人が現れたな…
- 456 :
- スレ違いでしつこく続けるのも迷惑になるから、最後にするが、端的に言えば
「天皇の先祖は藤原氏」とか「足利将軍家の先祖は日野氏」などとは言わないよ、ってだけの話。
- 457 :
- 「天皇家」「足利家」という「組織」が
代々の天皇や足利家当主に引き継がれていたことを知らないとか?
- 458 :
- せめて祭祀を連綿と受け継いでいるとかいうなら別だけど
血が繋がっているだけという先祖に系譜も男系も女系もへったくれもない。
- 459 :
- かまけぇこたぁいいんだよ
- 460 :
- たぶん秩父平氏
- 461 :
- 多分アダム
- 462 :
- 自分もたぶんアダムからアブラハム、戦国では村上
今は落武者
- 463 :
- 中田加賀守。
小田原征伐で討死・・・。
- 464 :
- ばぁちゃんからの系譜で行くと、甲賀21家で六角氏重臣の三雲賢持
- 465 :
- 祖母系譜なら、六角氏重臣の三雲賢持
- 466 :
- >>464>>465
ごめん、間違えて二回投下してもた…
- 467 :
- 以前三戦に三雲氏研究を挙げた末裔の人がいたような。
- 468 :
- 祖父の実家が豪士
- 469 :
- 武将じゃないけど、700年農民
- 470 :
- たしか
藤原氏
武将じゃないが
- 471 :
- 里見
- 472 :
- ひいひい婆さんが東郷平八?の従兄弟だったらしい
それ以外に親戚に歴史上の人物はいない
あとは藤原のりかの実家が兄嫁の実家のお隣さんなくらいw
- 473 :
- 粟屋勝久 孫が臼杵の稲葉家に召し抱えられ500石とりの家老でした。
当時の藩主稲葉典通の正室と勝久の室が姉妹だったために召し抱えられたようです。
(本人は幼少の為大阪の陣への参加はなく、その後豊臣方参加武将や家族への粛清を恐れ京の町で隠れ住んでいたところを
発見された。)
- 474 :
- 俺、牛屎氏の末裔やで
いやマジで
- 475 :
- 尼子十勇士
- 476 :
- 首切り茂吉
- 477 :
- 始皇帝
- 478 :
- 藤原忠左衛門
毛利氏の指揮下で、織田に攻められた本願寺に兵糧運んだ黄旗組を率いて「進者往生極楽、退者無限地獄」の旗使ってた人がご先祖らしいと知ったときは驚いた。もっと遡れば、地方に沢山散った藤原氏傍流ということになるのかな
- 479 :
- 藤原氏の傍流子孫は多いからね
- 480 :
- >>477
スレ的に長宗我部って言えよ
- 481 :
- 武田信玄
義信の家系だけどwwww
- 482 :
- 俺じゃないが
親戚が尾張柳生、柳生兵庫助の直系3家の一つ
9代尾張柳生当主、柳生厳政の直系
大叔母が無くなった時に
日比谷の寺に行ったが墓が大きすぎ
墓の中に生きた人が入れる規模ってと思ったwwww
- 483 :
- まあ、一族の集合墓地というならまあ、大きく作っていても不思議はないかなとは思う
- 484 :
- 土葬とか考えるとスペースは必要
- 485 :
- 俺は某キリシタン大名の末裔
名字が同じ
専門家に聞きに行ったら可能性が高いらしいわ
- 486 :
- 戦国の世に馬小屋貸で天下を取った月極氏の末裔
- 487 :
- >>486
素晴らしい。全国にある駐車場の九割くらいに「月極」って書いてあるもんな
- 488 :
- 俺は村上義清の流れかな。娘の子孫だったと思う。シンゲンに騙し打ちくらって越後に行った的な事を書いた巻物がある
- 489 :
- 後北条氏の領地の農民
- 490 :
- 豊後大友家の同門衆
- 491 :
- 梅北国兼
一揆起こしたおかげでこんな辺鄙なところにいます
もちろん村人のほとんどの苗字が梅北
- 492 :
- 俺は前田慶次郎の子孫やで
羨ましやろ庶民の皆さんW
- 493 :
- 徳川将軍家
庶子だったらしく、うちには全く家宝の類はない
- 494 :
- 暴走すんなよ。
- 495 :
- 青森の代官だったらしい
- 496 :
- 親戚が地元の下級武士
会津まで遠征に行った事もあるとか
- 497 :
- 加賀藩に1500石で仕えてたらしい
- 498 :
- 多いですね録高
- 499 :
- 他の藩なら筆頭家老級
- 500 :
- 武蔵岩槻城の剣術指南役の子孫らしいんだが誰なのかさっぱり分からない
- 501 :
- 佐竹って田舎大名
- 502 :
- 播州姫路の小寺家
- 503 :
- 上杉家お抱えの豪農でした、ただし米沢移って鷹山公とかの時代
- 504 :
- 家は、回船問屋だわ。
- 505 :
- >>501
知事乙。
- 506 :
- 平家の武士団
- 507 :
- >>424
亀だけど、浅野さんとこは苗字変えてないかい?
武田と浅野って自分かと思ったよw
- 508 :
- 毛利元就の叔父、元鎮
- 509 :
- 先祖が有名人って羨ましいな。
- 510 :
- 平家の落ち武者
その時歴史が動いたに、出たことがある。
- 511 :
- 土蜘蛛とか呼ばれてた東北の蝦夷。大和政権に負けて治安の良い瀬戸内海のとある島に強制移住させられて帰化した。
中世では村上水軍の一味かなんかだったんだろーけど、江戸時代は漁師村の庄屋の一族で鯛を幕府に献上したりしてた。
- 512 :
- >>511
て、武将じゃねーし(^_^;)。蝦夷時代の先祖がアテルイとかだったらいいな、いいのにな。モレでも可。
- 513 :
- 平頼盛流
- 514 :
- 俺んちは加藤嘉明の枝の流れ
女房の祖父は最上から来た婿(Y遺伝子は父親まで続いている)
- 515 :
- 旗本の本多家 なんとかの守って位があったらしい。
- 516 :
- 郷士だった
戦国時代に城を攻め滅ぼされて、その後、帰農した
今は普通の家
- 517 :
- 新徒家の家老だったらしい
ちなみに子孫のオレはニート
- 518 :
- 元は和気氏と名乗っていた
出自不明、永正二年の次郎衛門宛て書状が初見
身分は鑓衆百石
江戸時代は庄屋で二十石役引、金二両、人足二人
明治に入って曾祖父は陸軍騎兵軍曹
祖父は海軍整備兵曹長で空母乗りだった
親父は陸自一佐
先祖代々下士官ばかり…
親父だけが結構出世したけど
- 519 :
- 一体、武士の子孫って
日本の総人工の何%になるんだろう
- 520 :
- >>519
武士の定義にもよるが、江戸時代に武士(士分)だった、という条件なら、
当時全人口の10%程度だったというから、子孫もだいたい同じ程度と
考えて差し支えないのではないかと。
それ以前の戦国時代も含むのであれば、もっと多いよ。
- 521 :
- >520
ありがとう
日本人の一割って多いなぁ
じゃあ戦国時代に武士だった先祖を持ってても
珍しくはないんだね
- 522 :
- >>521
まあ、一口に武士つーてもピンキリあるしな
なまじの武士よりでかい庄屋とかの方が先祖が凄かったりする事も多い
- 523 :
- >522
度々レスありがとう。
ついでに聞いてしまうけど、
地元の普通程度の城(大名)の
中級武士と家老クラスの武士だと、身分的にはどう?
そして、そのクラスの人口比率、知っていたら教えて貰えたら嬉しいな。
なんかくれくれ君でスマソ
面倒ならスルーで可です(^^;ゞ
- 524 :
- 安倍氏、蝦夷の方の
あと土屋昌次
- 525 :
- 桓武平氏【板東武士】 渋谷一族の家臣、主君に従い、薩摩北部に移住
主君が島津氏に降った後は薩摩藩士で江戸屋敷にも行ってたみたい。
重役クラスから課長クラスに格下げだなw
- 526 :
- 千葉介の陪臣
- 527 :
- 鎌倉景政
- 528 :
- 山内一豊
の弟の山内康豊
兄でも微妙なのに…
- 529 :
- 阿蘇惟時
- 530 :
- >>528
土佐藩主と同族じゃねーか
十分十分
- 531 :
- 南北朝時代に少数で抜け駆けして死んだ、典型的な武蔵武士
- 532 :
- うちの古い方の墓石に静岡県士族何某とあって名前の主は俺から見ると曽々祖父に当たるんだが、
親父の話じゃ(もっとも親父も又聞きらしいが)明治維新後は勝海舟の下で、
牧の原台地の開墾に加わって幾らかの土地をもらったそうだ。
今でも遠縁の親戚が牧の原でお茶を作ってるらしい。
話からすると曽々祖父は旧幕臣だと思うんだが、家系図は残ってないし
親父も曽々祖父以前の事は知らないそうなので戦国期に何をしていたかは残念ながら不明。
まぁご先祖が身分のある武将だったのならその話を伝えるだろうし、
多分足軽やってましたとかそんな所だろうと思う。
- 533 :
- 432 さん 家紋は五三の桐、元皇室からわかれました。某戦国大名の末裔です。親戚に明◇〇皇がいます。
とありますが、内も家紋は五三の桐で家系の事はよくわかりません。
この家紋は元皇室系なのですか? 某戦国大名の末裔とありますがどなたですか?
よければ教えて下さいお願いいたします。
- 534 :
- 苗字が明石なので、明石全登の一族に御先祖様が入っていると勝手に思っております
- 535 :
- 大内義隆に太寧寺で殉死した近習の家臣の一人。
ぐぐっても一件しか引っ掛からないZE☆
- 536 :
- 武家人数は数百万いたのに何で有名武将の子孫ばっかり集中してるんだよw
歴史好きなら嘘吐つにしても少しぐらい信憑性持たせる努力をしろと
- 537 :
- 家系図がちゃんと残ってないと信憑性がない
- 538 :
- びっくりしてる顔のあの人。
お前ら人の先祖にエビフライとかぶつけてんじゃねーよwwwwwwwwwww
- 539 :
- >>538
二階堂?
- 540 :
- 愛知一宮の山内だから多分一豊の遠い親戚・・・、だと思う
- 541 :
- 一豊は岩倉だよな。
- 542 :
- >>540
いいなぁ有名な武将で・・・
俺なんか相馬盛胤っていう東北の武将だぜ
- 543 :
- おれ母方が左衛門尉酒井家の分家の子孫。
親戚は柳沢家本家だった。
- 544 :
- 父方が甲斐土屋氏?
母方が安東氏
- 545 :
- 阿蘇大宮司家
- 546 :
- 李舜臣
- 547 :
- >>543
酒井さんというと下馬将軍様の?
- 548 :
- 寛永4年頃に名前に右衛門とかついてるのって武士なんかな?
- 549 :
- 関係ないと思う
年貢の帳簿や過去帳なんかを見ると百姓でも左衛門、右衛門、兵衛なんかの名前は結構ある
うちも江戸時代中期まで百姓だったけど藤兵衛、仁右衛門、仁左衛門、友右衛門などという先祖がいる
- 550 :
- 家系図とかがあってはっきり分かってる人ならともかく
「多分」とか予想とかイラネ
- 551 :
- 知人の話だが、本多正信の子孫で分家。
実家の場所聞いて本多家のこと調べてみたが場所は合ってる。
そんな戦国好きな人じゃないし
ただ、先祖が武断派と色々あったせいか、徳川家はあまり好きじゃないらしい
- 552 :
- うちの婆ちゃんが宇喜多家出身だと最近知った
おれが八丈島ではなく葛西で生まれたのは
ある意味前田さんのおかげなのか
- 553 :
- ・平家の落ち武者
・僭称した野武士
・リアル名門
・兵農分離や合戦等で帰農or転向
武士が先祖の人の先祖ってたぶんこんなもんじゃね?
俺んちは代々百姓で明治時代に分家した家らしい(ひい爺ちゃんの親父が独立)
あと一族合計すると豪農クラスの土地持ってる(近隣に遠縁がいっぱい)
ちなみに俺の実家のあるところは戦国時代からずっと地名が同じ
だけど正直先祖は分からん。日本人だということぐらいしか分からん。
- 554 :
- 母方の縁戚が脇坂本家
- 555 :
- 俺の先祖は越後の農民だが、先輩に江良房栄の子孫がいる
- 556 :
- >>541いや、一宮の木曽川町が最有力。
>>542って言っても「遠い親戚」だから。
一豊の直系は全員土佐に渡っただろうし、
一豊の兄ちゃんと親父は一豊が尾張に居るときに
戦死してるはずだから、めっちゃつながりは薄いと思う
- 557 :
- 母方は矢沢氏です
- 558 :
- >>556
細かいことをいえば一豊には直系子孫がいないしね
- 559 :
- ちょっと前のいいともの「ロックすぎるお婆ちゃん」に
宇喜多姓のおばちゃん出てたな
- 560 :
- >>547
それは雅楽頭家です。
- 561 :
- 摂津池田の末流
戦国末期に備前に流れる→尾張池田家が岡山に→殿様と同姓なのは色々と問題があるので改姓
- 562 :
- 播州三木家。
- 563 :
- >>557
矢沢氏ってことは、それってつまり真田氏の親戚ってことか?
羨ましいぜ…
- 564 :
- 徳川家臣永井直勝
- 565 :
- >>533
五三の桐は江戸時代に先祖が定かでない庶民が、婚姻などの
典礼のときに仮に使うことが多かった紋。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B#.E6.A1.90.E7.B4.8B
- 566 :
- 安倍貞任
(´-`).。oO(城の接収のために系図捏造したんだろうなぁ。。。)
- 567 :
- 千葉胤富公の直系数家のうちの次期当主
- 568 :
- その千葉氏に仕えた地侍
姓と同じ城、というか館だろうけど築いていたそうだ
- 569 :
- >>511
すげーなー、なんかもう神話の世界じゃん
- 570 :
- 今川家の家臣(名前忘れた)の家来だったらしい
お家が滅んだ後が曖昧でよく判らん帰農したのかもしれん
- 571 :
- >>568
おお!
千葉家家臣の多くは、当たり前だけど、一門も多いから、
>>568とは非常に遠い親類に当たるかもな
- 572 :
-
[疑惑の家系図]
織田信長
- 2代織田信高(七男)
- 3代織田高重
- 4代織田一之
- 5代織田信門
- 6代織田信倉(養子)
- 7代織田信直(養子)←←← 大和宇陀松山藩主織田高長の孫(信雄の系統)
- 8代織田長孺
- 9代織田長裕
- 10代織田信真 ←←←疑問点@ 明治維新後、写真師になって、その後消息不明
- (11代から14代は不明)←←←疑問点A 親戚に迷惑をかけるから、16代信義氏が製作配布した家系図では4代不明とした(週刊新潮の記事より)
- 15代織田重治
- 16代織田信義
- 17代信成(次男)
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
- 573 :
- 赤松家の一族で、城を2、3つ宛がわれていたそうです。
秀吉軍に敗れ没落しましたが、どういう経緯か、江戸幕府の旗本に取立てられたそうです。
- 574 :
- 子供ん時、ひいじいちゃんとこの離れに鎧兜があったなぁ。 まぁ、つちやって苗字に大した武将いないよなw
- 575 :
- 斎藤実盛
- 576 :
- >>574
土屋ならいるぞ
武田24将の一人
江戸期では吉良邸となりには旗本3000石取の大身、確か老中になったのもいたな
- 577 :
- >>576
まじっすか?
でも栃木の田舎なので、それらの家とは違うと思います(笑)
- 578 :
- 親父の方は多分京極さんちの家来
多分、てのは明治より前?くらいに分家したらしくてよくわからんせい
本家らしき家(城の近く)から法事の連絡がきて発覚
母方はどうも室町以前から治めてた豪族っぽい
地元の名族で槍を持ってたらしいから武家であるのは間違いない、帰農したのかな?
家紋が珍しいらしく、奈良の端っこにちょっと残ってるだけらしいので
もしかするとそっちから流れて来たのかも
- 579 :
- 父ちゃんの叔父が霧隠才三
- 580 :
- 霧隠って講談で作られた人間じゃなかったろか
- 581 :
- 雲隠を再三したってことだろ
- 582 :
- 意味不明
- 583 :
- 先祖はどうも鬼武蔵の部下だったみたいだ……
あんまり信用できないけど
北条家に仕えた人もいたらしい
それなりの家だったのは昔、連れて行ってもらった本家の墓で確認してきたけど
詳しくはわからん
- 584 :
- 高遠城でヒャッハーしちゃったのか…
- 585 :
- 菊池義武配下の侍大将の従者
- 586 :
- 菊池武重ですが何か?
- 587 :
- _,,,,,,,,
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
|. ,' // 近代に先祖が4代も不明なら、信成よ、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| | 織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
. | | .l i / ./ | | http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
| | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
- 588 :
- 織田信長
- 2代織田信高(七男)
- 3代織田高重
- 4代織田一之
- 5代織田信門
- 6代織田信倉(養子)
- 7代織田信直(養子)←←← 大和宇陀松山藩主織田高長の孫(信雄の系統)
- 8代織田長孺
- 9代織田長裕
- 10代織田信真(1842〜?) ←@明治維新後、写真師になって、その後消息不明
- (11代から14代は不明)← A親戚に迷惑をかけるから、16代信義氏が製作配布した家系図では4代不明としたそうだが・・・(週刊新潮の記事より)
- 15代織田重治(1917〜1995?)←B1842〜19127の70年間に5人もいるのは何故なんだ、しかも、ご自慢の「信」の字がついてない。
- 16代織田信義 ← Cのぶよし″ではなくしんぎ″と読む
- 17代信成(次男) ← D17代目を公言するけど、次男じゃん
【織田信直 (旗本)】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%9B%B4_(%E6%97%97%E6%9C%AC)
【織田信真】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%9C%9F
【織田信成 (フィギュアスケート選手)】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%88%90_(%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E9%81%B8%E6%89%8B)
【織田氏】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%B0%8F
【大阪通管工業所】
ttp://www.osakatsukan.co.jp/kaisyagaiyou.htm
- 589 :
-
〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜
●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。
●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
- 590 :
- 家系図自体殆どが江戸期に捏造されたパチモンじゃんお( ^ω^)
そういえば一時期、大学の研究者を名乗る人が現れて
家系図や書状の類いを研究の為に借りたいと言ってそのまま返して貰えなかった
という話しが全国的に多発したけど
あれは単に返さなかったのか、初めから売却目的で集めていた詐欺師なのか謎だお( ^ω^)
- 591 :
- 宇喜田 三宅氏
- 592 :
- 先祖が高遠城で鬼武蔵とヒャッハーしちゃったかも知れない583ですが、今父方の祖母が清正の子孫だと聞きました……
- 593 :
- 母方が斎藤道三の分家らしい詳しいことはしらんが
- 594 :
- 天皇家だって古事記・日本書紀で堂々と系図捏造してんじゃん!w
信成なんて可愛いもんだろw
- 595 :
- 徳川将軍家も捏造してるお( ^ω^)
というか江戸大名の9割は捏造してるお( ^ω^)
- 596 :
- >>595
IDすげえ…w
- 597 :
- うちは佐竹に初期から仕えてたらしいけど
あまり出世はしなかったみたいだ
- 598 :
- 龍造寺氏の重臣小川信俊(鍋島直茂の弟)の家来だったが島津との沖田畷合戦で龍造寺隆信と
共に小川信俊が戦死した為に鍋島直茂の家来となった。
のち鍋島直茂のニ男忠茂が鹿島鍋島藩を創設する時に直茂の命令で鹿島鍋島藩へ移り
それ以来明治維新まで7代に亘って鹿島鍋島藩の藩士だった。
- 599 :
- >>571
地理的にたぶん鏑木の配下だろうから、残念ながらその辺はどうだろうね
- 600 :
- 父方の実家が山口で大内家の武将で梅月頼致ってのがいたんだけど…
- 601 :
- オラの先祖は百姓だべ〜 田畑を荒さねぇでおくんなせぇ お侍さま〜
- 602 :
- 秀島家周:竜造寺家家臣。沖田畷の戦いで戦死。
- 603 :
- 伊予宇和島伊達家の家老だったらしいけどそれ以上は分からん
- 604 :
- >>602
先祖がお友達
- 605 :
- >>604
ナカーマ
四天王さんですか?
- 606 :
- >>574
・・・譜代大名、老中やってますが・・・
- 607 :
- 歴史に詳しい人教えて欲しいんだけど、うちの親父の実家が富部(とんべ)って言うんだけど、この間親父がふとした折に言うことには
その昔後醍醐天皇が隠岐に流された時に都からついてきたんだけど、山陰で別れてその地に住み着いたのが始まりらしい
実際にそんな名前の家臣とかいたのかね?
- 608 :
- >>604
ナカーマ発見w
五人いる四天王さんの御子孫ですか?
- 609 :
- >>552
そういえば西葛西の近くに「浮田」って地名あるね。
- 610 :
- >>589
その織田孝一さんにインタビュー受けたことあります。
もっと早くに知ってれば、直接確認できたのに・・・
- 611 :
- 我が家に伝わる言い伝えをひとつ、また史実を二つ申し上げます。
*伝承:「秀島」姓の由来:元来は「日出島」と名乗っており、文禄慶長の役のとき鍋島直茂旗下で戦い、戦功をあげた。
さらに慶長の役の時には、日明講和の人質となって講和条約をまとめた。この功により、秀吉から「秀」の字を与えられた。
ちなみに佐賀には、今も「日出島」姓が多い。
*史実1:長崎警備にまわされた佐賀藩は、秀島家を異国船改役に?任じた。石高は300石。これが直系祖先。
で、秩禄処分で小金を得た曽祖父は、なぜか製麺機を購入し、うどん屋を開業。しかし、武士の商法が長続きするわけもなく、一家破産して満州に逃亡。(ここまでは借金取りも追いかけてこないw)
*史実2:司馬遼太郎『アームストロング砲』の主人公、秀島藤之助は一門。
- 612 :
- 相良の誰か
- 613 :
- 美濃佐竹氏
- 614 :
- 三河稲垣氏の分家、旗本
- 615 :
- 武田鉄也
- 616 :
- 箱根の関所の役人の子孫です。
江戸以前は武田家に仕えていた。
先祖は村上源氏。
- 617 :
- >>616
関所に蝋人形があるけどまさかご先祖がモデルでは
- 618 :
- >>611
誰も聞いてませんが
- 619 :
- 信州佐久の内山(大井)氏
武田晴信に佐久を攻められた際に、
越後に逃げて帰農したと思われ。
- 620 :
- まぁ、自称武将の子孫は大概明治以降数世代のウソや見栄だわな。
うちの先祖は武将ですっていうのは、うちの先祖はウソつきですって言ってるのと同じ。
みっともないことこの上ない。受け売りですが
そう言う私は秀吉の子孫。
- 621 :
- 百姓だって由緒正しい家柄は多いのにわざわざ武家に固執するのは
小作の水呑みだったような家なんだおうね( ^ω^)
- 622 :
- 室町末は蜂須賀とか前野とか、木曽川・川筋衆の一員だったらしい。
関ヶ原で西軍について、残党狩りから逃れるために美濃・加納藩に引っ越して
左官屋になったと、傘張りをしていたひいじいさんが良くいってた。
証拠は何一つない。
- 623 :
- 信成君より酷いお( ^ω^)
- 624 :
- 源義隆
戦国とかは陸奥とか筑後にいたらしい
- 625 :
- マジレスすると畠山重忠
- 626 :
- 一応藤原北家の流れ
- 627 :
- >>623
>信成君より酷いお( ^ω^)
お〜い、自称末裔様よ、貴公のコスチュームさぁ、永楽通「寶」が、永楽通「貨」になってるぞw
http://twitpic.com/2c0qzf
http://twitpic.com/2c0nbd
http://www.flickr.com/photos/janetliz/4867652992/in/set-72157624544630937/
【織田信長・永楽通寶】
http://www.1059do.com/opf-101.html
- 628 :
- 信玄の長男
- 629 :
- >>627
彼はどうみてもネタキャラだし本気になって叩かなくても…( ^ω^)
- 630 :
- 悪路王
悪路王=阿弖流爲説あるが、別だと思うぞ
- 631 :
- 源頼政
- 632 :
- なんと映画化決定したとかw
知らんかった
どうなることやら
- 633 :
- test
- 634 :
- いよぅ
- 635 :
- 分からん 神社で働いてたようだが
- 636 :
- 信長
- 637 :
- 佐藤重好
伊達政宗に仕えてた。
- 638 :
- 山内('A`)
- 639 :
- 尾上氏
今川氏の給人。
今川氏無き後、兄弟別れて織田氏、徳川氏、武田氏にそれぞれ仕えた。
- 640 :
- 社家の俺は出番無し
- 641 :
- 秋山信友の子孫だが羨ましいだろ?
なにしろ甲斐源氏の一族だからな
ちなみに母方の先祖だから俺の苗字は秋山じゃない
名門の血筋に生まれって良かった
お前らは百姓、エタ、ヒニンのどれか?
- 642 :
- 黒田家に仕えていて、リストラされて帰農してるところまでは分かってる。
墓石に元和元年って書いてあった。
- 643 :
- うちの宗家は代々その地に住むお百姓さんだったらしい。
もとは信濃の滋野一族だったとか何とか。
まあ、それはどうでもいいが、火事で焼けちゃったらしいが、室町時代から
のお百姓さんだったらしく、系図があったらしい。
うちの本家までくると、系図は江戸時代くらからしかないけどね。
ちなみに、10代くらいまで、当主の名前が同じ。世襲だったのだろうか。
まあ、>>641がうらやましく思うかどうかはしらないが、先祖代々お百姓さん
だった家系もあるという事で。
- 644 :
- 鍋島家の姫の家老として鍋島分家について行ったとか曾祖母ちゃんに聞いた
確かにど田舎に巨大な屋敷が残ってるが、所有権は明治新政府とGHQにバラバラにされたっぽい
- 645 :
- 田舎に鍋島忠茂公のお墓があったなあ
子供の頃は九州の大名がなんでこんなところにって思ったけど
その子正茂は勝茂に追いやられて幕臣になるんだよなあ
- 646 :
- >>644
お前、龍造寺分家の佐賀じゃないところじゃね?
- 647 :
- 一時期蜂須賀藩の鉄砲師範を務めた人がいたらしい
姓を本多→本田に改姓することを許されたという話は聞いたことがある
- 648 :
- おれは悲運の武将猪俣邦憲の子孫
- 649 :
- 三浦水軍→北条水軍の
三崎十人衆の中の一人。
- 650 :
- 俺の親父は宇津狩十五兵衛、俺は十六兵衛
- 651 :
- >>637
由来はどちらで?
信夫荘司一族?
- 652 :
- 自分は信長公記に出てきた武将なんだが江戸時代はどうなったかわからん
- 653 :
- 長生きですね
- 654 :
- >>653
読解力ないなぁ。
このばあいは、先祖を語るという前提で、自分は と話してるんだ。
つまり、日本語では、「君は天丼か、じゃ俺はウナギだ。」というときは
注文する料理を言っているの。
それでいて、江戸時代になると、消息がつかめていないということだ。
そもそも、こんな程度の先祖自慢がねたましいとは悲しすぎる。
- 655 :
- 長生きしますね
- 656 :
- >>654
> 読解力
の問題ではないと思うんだ
- 657 :
- 長生きだったね
- 658 :
- 長生きですお( ^ω^)
- 659 :
- >>67 同じく
- 660 :
- >>652
で、どうした
- 661 :
- 別所にやられた冷泉家細川為純、遺児が加東郡に逃れたらしい。
現在は細川姓だが、源氏の細川とは関係なし。
- 662 :
- 父方:真田幸村と関係があるとのこと 現在の苗字は真辺 長崎の○○城で家老だったとのこと。
母方:高光 源氏と関係があるとのこと
親戚:毛利元就の末裔 お寺で取材等一切禁止との事 土蔵の中にお宝多数←子供の頃よく遊んでいた。今となっては一つぐらい持ち帰れば良かった(笑)
- 663 :
- 関ヶ原の戦いでの功績が認められ、
家康から城をもらったと本家に伝わる
書物には記されていました。
- 664 :
- 父方の祖父の系統は近江源氏佐々木氏の六角一門
祖母の系統は楠木正成の重臣恩地左近
母方の系統は公家の中山家
- 665 :
- 源 義光
- 666 :
- 父方は平家方の落人らしいが、苗字から考えると源氏方なんだよな。
一応、肥後藩藩主から頂いた巻物とか残ってる。北辰一刀流の絵巻とかもあった。
母方は菊池武豊。家計図も有るから間違いない。
- 667 :
- 宇和島伊達家 重臣田中氏
- 668 :
- 先祖は、相良だけど途中で池田家の養子がはいってる
- 669 :
- 7親等(親族じゃない)の男系じいちゃんの名前までならワカル
- 670 :
- 地方の城下町に行くと明らかに末裔と思われる人がたくさんいるね
でも何故かそういう人に限って先祖とか全然興味ない
- 671 :
- 山県昌景隊の総物頭の一人である広瀬郷左衛門景房の子孫ですよ。
といっても誰もわからんよね。
- 672 :
- 美作菅家の内の一家。
- 673 :
- 徳川の譜代(の分家の分家)
まあ要は成り上がりの田舎侍だなw
分家の分家とはいえ、昔はかなりリッチだったらしいのだが、事業に失敗したらしい
- 674 :
- 尾形って熊本の方だっけ?
よくわからんが
- 675 :
- もともとは鹿児島の武士だったが、西南戦争で負けて山形まで落ち延びた…
というウソかホントか分からん話が父方の家に伝わってる
家紋がなぜか上杉の竹に雀なんだが、元から山形人でしたよというアピールなのか?
宗派が禅宗だったりするので武士の家系なのはたぶん間違いないと思うが。
- 676 :
- みんなすごいなぁ。
うちは母が静岡、父が山形出身だけど、両方とも昔から百姓だからきっと先祖も
ただの百姓だと思う。
戦国時代の百姓は苦労しただろうなぁ。
- 677 :
- 藤原氏の家系で宇都宮一族の秋元長朝。戦国武将だけど、江戸時代に有名になる。
- 678 :
- >>676
百姓は一方的に虐げられていた存在ではないからね
- 679 :
- ウチは由緒ただしい農民の家系だ。
8代前まで農民だということが分かっているというのは滅多にないぞ。
- 680 :
- それ庄屋なんじゃないのか。
- 681 :
- 小田原以後に帰農したらしい
嘘かホントか本家の裏山には一揆で使おうとした武器が埋まっているという
どうせ鍬とかの農具だろ?
埋める必要もないんだから嘘なんだろうな
- 682 :
- 武田義信衆のひとり
雨宮十兵衛家次です
- 683 :
- 最近分かったのだが下間頼竜。
本願寺坊官の血を引いていたとは。。
- 684 :
- >>679
いよう、同族。
なんか知らないけど、1400年代の神社の改修時に寄付した石碑があるから、まず
間違いなくその時代からのお百姓さんだ。
しかし、姓はなくても、名字ってのはあったみたいだから、ホントに江戸時代に
禁止になったのかねぇ。
- 685 :
- 墓に元和元年って書いてあった
苗字は変わってないし、50年に一度のイベントやってるし旧家には違いないっぽい
- 686 :
- 俺の祖先は阿打無と意部って言うらしいんだ
なんでも2万年前のアフリカに誕生した最初の人類で皆のルーツを作り上げたすごい大名だったみたいなんだ
- 687 :
- 播州赤穂浅野領内の庄屋だったことは間違いない。先祖は宇喜多家の隠密として赤穂に住み着いたらしい。
- 688 :
- 知り合いが竜野城主だった赤松なんとかの子孫だって聞いた
- 689 :
- 島原松平藩で結構偉い人だった。
ひい婆ちゃんが隣の鍋島、龍造寺を妙に馬鹿にしてたのを覚えてる。
親藩だったというのが今なら分かるが、当時はうざかった。
- 690 :
- 北信愛って南部家の家臣
- 691 :
- 俺の住んでる地域はやたら藤原姓が多い。理由は藤原氏の末端である細川家の荘園が在ったためだ。豊臣政権を強烈に批判した儒学者藤原惺窩は細川家の地頭の出身で墓もある。
- 692 :
- >>671
広瀬というと彦根藩の家老の子孫か胸が熱いな。
家に赤備えの具足とか旗印の幌残ってないの?
- 693 :
- 建武の御新政の頃には都で役所勤めをしていたらしい
その後地方の地頭になり、やがて地主として爺さんの代まで百姓
戦国の頃は畑耕してたんだろうか
- 694 :
- >1
伊達政宗を尊敬していますか?
- 695 :
- 感慨はあれど尊敬は出来ず。
子孫が先祖を貶めるどうしようもない伊達。
本当に可哀想。
- 696 :
- 俺んちは名古屋市南区で山口を名乗るが
おそらく織田家を裏切って今川についてその後謀殺された山口教継の一族だろう
友達は海部郡蟹江で服部を名乗るが、あのあたりも服部氏昔から居る
- 697 :
- >>696
ほう。ご近所さんかね。
- 698 :
- 楠木正儀
俺は分家もいいとこだけど一応連なってるらしい
- 699 :
- >>696
姓が同じってだけで末裔になってしまうのか。すごいな。
- 700 :
- いや、愛知西部の服部はある程度認めてもいい。
- 701 :
- 大佐藤氏(4代目)の分家
化けることはできないけど。
- 702 :
- >>696
俺の家だけポツンとある訳でなくこの辺り山口姓多いからどっかで繋がっているだろう
家紋も同じみたいだし
- 703 :
- 明治新姓
位牌や由緒書、家系図などがあるなら分かるけど、住んでいるところが
かつてその土地に縁のある武将が治めてたという理由だけで子孫と名乗れるのか?
- 704 :
- いや、そもそも子孫と名乗れるのは直系子孫というか家督相続者のみ
- 705 :
- >>698
関西住まい?w
俺の友達にも正成の子孫を名乗る奴いるわ
- 706 :
- >>704
それを言ってしまったら、直系ってのは何処から言うのか?
って言う事になるわけだが・・・。
>>686以外名乗れないんじゃね?w
- 707 :
- >>706
家督相続者の事だよ
土地(本領)や位牌(墓)を守る者
だから分家は分家した人物を初代とし先祖として祀るのが一般的
- 708 :
- じゃあ、信長の子孫を名乗っている件のスケーターは?
血縁かどうかの真偽は抜きにしてオカシイってこと?
- 709 :
- >>708
彼の場合なら信高もしくは信重の子孫を名乗るのが普通
宗家を差し置いて子孫だと吹聴してまわるなんて非常識だし
別家の人間としての誇りも感じられない
彼は単に有名人の子孫を名乗りたいだけなのだろう
水呑み程度の発想だ
- 710 :
- 徳川宗家ならベトナム人と結婚した人しか書き込めないってことかw
- 711 :
- >>707
そんな事は言われるまでもなくわかってる。
>直系子孫
こっちを言っている。
あまり厳選するとそうなるという話。
- 712 :
- 逆だよ
厳選する為に家系は存在してるのだよ
厳選しなかったらそれこそ世界中の人間は全員親戚と言う事になってしまう
だから嫡流のような、より厳選された家系ほど価値がある
- 713 :
- >>712
そうなると、>>706になってしまうわけだw
- 714 :
- >>713
ならねえよ
何読んでるんだこの馬鹿
- 715 :
- >>714
あーあ、反論できないから、とうとう人格批判にいっちまったよw
- 716 :
- >>715
はっきり言って知能障害のある人間に学問教えるの無理だろ
結局のところ馬鹿は馬鹿なんだよ
- 717 :
- 何か脱線してるが・・・
オレは松平親氏。
徳川家康は違う。残念だ・・・
- 718 :
- まあ証拠を見せる必要もないので騙り放題だけどなあ
- 719 :
- 島原の松平氏の系統で、神社に同じ名字を見つけたのは感動した
- 720 :
- 保守
- 721 :
- 一応飛騨国郡上を治めてたある豪族。自分の苗字が入った城跡があったことには感動したw
ちなみにノブヤボには一度も出てない。
- 722 :
- ほう。主筋かね遠藤さん。
- 723 :
- >>728
出た!苗字が同じだけで子孫と名乗ってしまうところが素敵
- 724 :
- 徳川家家臣 小林孫四郎孝久
- 725 :
- 木村吉清?だっけ
悲惨な人生だな
- 726 :
- きっと長尾家
- 727 :
- 楠木 正儀
- 728 :
- 698は親戚かもな群馬?
- 729 :
- 伊賀光宗
- 730 :
- 俺は石田三成の末裔
- 731 :
- >>708正確には信雄の子孫です、でもある意味信長の子孫と言っても間違いはないかと
- 732 :
- 太田道灌
- 733 :
- 直系厨はいなくなったのかw
- 734 :
- 誰もいないけど、父方は平清盛がご先祖様ってのを聞いたけど実際信じ難い
- 735 :
- 山崎闇斎と同じ出自らしいんだけど
これって別所氏なの??
別所氏に山崎なんていたっけ?
- 736 :
- 母方は藤原氏らしいが、藤原の誰なん・・・?
父方は「しらねーw」って言われた
多分先祖代々農民だと思うw
家紋についても調べてみたけど、滅茶苦茶オーソドックスすぎて
苗字もありふれているからルーツがわかんないや
- 737 :
- 墓見てたら、信長の野望でたまに見る家紋で、家帰って調べたら明智家だったorz
農民なのは10代前まで確定してるんで、関係ないのは分かってるが、もうちょっと選べや先祖って思った
- 738 :
- 桔梗紋だったら明智っつか普通に土岐氏とかじゃね?
一応名門じゃん
- 739 :
- 十代前まで確定できる段階でそこそこの家だろ。
帰農組とかじゃね?
- 740 :
- >>739
確かに。
うちは祖父が農民ってことしかわからないw
- 741 :
- 先祖が気になったから除籍謄本を取り寄せてみた
引っ越しのおかげで4代前までしかわからねぇ・・・
余所の市に請求すればまだ辿れるかもしれないけど、ダルイな
先祖は○○!ってはっきり言える人は
家に家系図とかあんの?
- 742 :
- 長崎商人やってて、お前らの先祖に南蛮アイテム売ってたわw
- 743 :
- >>741
家も先祖代々伝わる家系図はないけど、武家で先祖の住んでた地域を特定できれば、
地元の図書館の郷土史コーナーで「藩普請家系図」「分限帳」を調べれば見つかるか
もしれないよ。士族名簿もあるはずだから自分の先祖の「通称名」を辿れば同じ地域
で同じ苗字がいても間違えないと思う。
俺ん家は400年以上、同じ場所に住んでるのは前から祖母から聞いてたけど、
あ、下級武士ね。最近先祖に興味を持って調べたら、家系図の始まりが、今川義元家臣
云々・・・略・・・先祖討たれるで、討たれた次男が武者修行の後、現在も住んでるとこの藩
に士官したようです。
珍しい苗字で、地元にその地名もなく、由来がわからなかったけど、駿河出身で苗字の
由来がわかりました。駿河にはその地名があったので。
今川年鑑にも家系図の始まりと同じ名前が出てきたから、時間できたら静岡に残った長男一族や
祖先を調べたいね。鎌倉あたりまで遡れたら、有名武将に辿れるだろうか・・・。
本姓が源氏だから、新田義貞あたりに辿れるとうれしい。
- 744 :
- 奥村永福
- 745 :
- はなさき…花咲って苗字で
ルーツや由来を調べようと思ったけど何故かプリキュアしか出てこない。
花咲という苗字の武将なんて聞いた事ないけど何かわかる方いませんか
- 746 :
- >>745
松前っていうか、北海道系?
- 747 :
- >>746
松前じゃないけど道南です。
金沢か長野?にも親戚じゃないけど全く同じ苗字の人がいるって聞いた事があってそちらがルーツなのかと思って。
- 748 :
- 山梨に花咲城跡があるけど、これはどうなんだろうか。
あと、北海道の花咲って思いっきり北東に位置して北方領土あたりも含んだような。
- 749 :
- >>748
ありがとうございます、山梨ですね 早速調べてみます。
道東の根室には花咲港という港があるのですが、住所は親に聞いても知る限りずっと道南みたいなので道東の花咲港と関係はないだろうと思っています。
- 750 :
- 愛知県民で岩瀬なんだけど
これは三河岩瀬氏が出自なのだろうか?
家紋は笹で、全く三河岩瀬と違うんだけど
- 751 :
- あげ
- 752 :
- 曾祖父の家が城跡。400年以上前から住んでる。
中世城郭なんたらって本にも載ってる。
今川家の家臣。
- 753 :
- 士族と伝わっているが確かめるのがめんどい
- 754 :
- みんな由緒があっていいなぁ…。
うちは特に何も伝わってないや。因みに名字は山口、家紋は五七の桐
- 755 :
- >>750
家紋は違うけど、てのが気になるが
可能性はあるっていうかガチじゃないの?
俺はあんまりわからんが
- 756 :
- 部落民だが何か?
- 757 :
- 筒井順慶参加の豪族、越智氏が先祖
- 758 :
- 板部岡江雪斎
- 759 :
- 一応は九条氏の出です
まあ庶家の庶家だけどな
- 760 :
- 平氏良文流が色部氏族だぜ。
- 761 :
- 山中鹿之助
- 762 :
- >>761
マジかよ、鴻池くん。ある意味お前が一番スゲーな。
- 763 :
- 信濃井上氏の配下
高麗帰化人で奈良時代に姓を賜った記録あり
- 764 :
- 調べたけど武将じゃなくて残念
陰陽師だった。現実味ない
- 765 :
- 陰陽師の末裔か…
- 766 :
- 下鹿折信濃守時兼。通称、鹿折信濃。
- 767 :
- 藤原北家宇都宮氏流の秋元長朝、あまり有名じゃないが深谷上杉家⇒後北条家⇒徳川家に仕えてた
みたい
- 768 :
- 母の父: 川村重吉
母の母: 鍋島直茂
父の父: ガラシャの侍女
父の母: 原虎胤
- 769 :
- 随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
- 770 :
- >>768
母の母とか父の母が男なのか
斬新だな
- 771 :
- おいらは相馬家四天王の青田家の流れ。
青田○○衛門○治ってのが続いてる。
- 772 :
- 甲斐宗運
- 773 :
- このGWに初めてお墓参りしたけど、自分のご先祖は無名だけど一応戦国大名です。
そこのお墓は自分の母親のおじいちゃん(自分のひいおじいちゃん)が整備したらしい。
その姓は母方の祖母の代で消滅したから自分は直系ではないけど。
- 774 :
- >>766 同じく
- 775 :
- >>766 同じく
- 776 :
- 福王寺玄蕃
知らないよねー
- 777 :
- 南部の家臣に討たれた方ですね
津軽藩士系かしら
- 778 :
- >>771
もしや青田孫左衛門殿か
天正4年8月18日の坂本城の戦で助けてやったワシの先祖を覚えたるか
- 779 :
- 渡辺綱
- 780 :
- >>777
おっしゃるとおりで、弘前藩士の家系です
まあ藩士と呼ぶより郷士に近かったみたいだけど・・・
- 781 :
- >>778
いやーご同輩まずは一献
して、貴殿の姓名を承りたい
- 782 :
- 日向の伊東家家臣団の一員が帰農したのが父方。
母方の方は日本号呑み取ったお方の子孫。でも私は飲めません。
- 783 :
- 母方は小田家
父方は・・・はっきりは分からないけどおそらく六角氏の血を引いてると思う
- 784 :
- 苗字がそれだからといって必ずしも血を引いてるとは言えないはず
- 785 :
- 苗字なんか誰もアテにしてないと思うよ。
書き込むんだから家系図とか、お墓のあるお寺の資料からじゃないかな?
自分はちゃんと確認したぞ
自身は直系ではないけど、ばあちゃんの名前まではちゃんと出てた。
ばあちゃんは男の兄弟いないからそこで途絶えてしまったが・・・
- 786 :
- 俺も伊達政宗だから>>1と親戚だな
四国のほうだけどね
- 787 :
- 新田義貞の弟 脇屋義助の家来が祖先
親族は皆両親共に群馬県伊勢崎市〜大田市の間に集中
- 788 :
- 脇屋義助や義治と全国転戦後に地元に帰ったの?
それとも一族の中でも地元守備組の方?
- 789 :
- 上杉景勝の重臣です
- 790 :
- 那須家の者なり
- 791 :
- みんなメジャーな武将でポンポン実名出せて良いな。
自分なんてマイナー過ぎて・・・
この板ぐらいなら結構な人が知ってるかもしれないが、今までリアルで話した中に知ってる人はいなかった。
墓も地元の観光地みたいなのに載ってはいるけど、田舎で他に観光地もない所だし。
一族ばかりの墓参りは行ってるけど、寺の人や近所の人の散歩以外じゃ自分たち以外は誰も来てないんじゃないか?って気にもなる。
寄付もおじいちゃんや曾じいちゃん、おじいちゃんの兄弟とかばっかだし。
名前なんか出してネットで検索すれば出てくるし、万一身内近辺の人がみてたら一発で特定されてしまいそうなぐらいに狭い
- 792 :
- 戦国時代の先祖は相馬家の侍大将で、武功を立てては領地を増やし続けていました。
しかしそれを妬んだ相馬家譜代のKという家臣に讒言されて私の先祖は領地を大幅に没収され、
それを深く恨んだ私の先祖(讒言を受けて領地を没収された本人の息子)は、讒言したK家一族を皆殺しにした上で伊達家に寝返りました。
後に、戊辰戦争の時に私の家と、相馬家に残った私の家の同族とは、何の因果か和議を巡って伊達藩と相馬藩相互の窓口の役割を果たすことになりました。
- 793 :
- 勝信系?それとも良信系?
やはり両家とも男子は今でも「信」が通字なの?
それにしても有名なあの人の有名家臣が先祖とはうらやましい
- 794 :
- >>792
佐藤さんw 数は多いだけに出自が分かると羨ましい。
- 795 :
- >>750
私も岩瀬だよ!
お祖父ちゃんの代まで◯◯衛門っていう古くさい名前を付けられてた。
因みに茨城出身です。
家紋は三本杉。
岩瀬氏って佐竹藩関係の武士なのかな?
佐竹って、秋田県のねこ大好き知事の苗字も佐竹だけど関係あるのかな。
- 796 :
- >>795
佐竹は常陸(茨城)出身の豪族
関ヶ原のあとに出羽(秋田)に飛ばされた
- 797 :
- >>796
そうなんですね!
じゃあウチが昔の仕えてた殿様の末裔が佐竹知事なんだね。
- 798 :
- 土岐氏の流れを汲んでいて先祖はのちに近江に移った
もしかしたら明智光秀とも何らかの縁があったのかもしれん
- 799 :
- 常陸の小野崎氏
- 800 :
- 南部の分家の直系
直接名前出すと確実に特定されるから勘弁
- 801 :
- 母方は徳山藩士だったがこの度相続絡みで親父の戸籍を遡ったら江戸時代は間違いなく本百姓だとw
- 802 :
- >>795 >>799
こっちゃ来て
【佐竹・江戸】 常陸の戦国大名2 【小田・大掾】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1322059640/l50
- 803 :
- >>800
母方が南部氏分家の家系だけど珍しい苗字ばっかだよな
- 804 :
- 意外と戦国武将の末裔さんっていらっしゃるんですね
- 805 :
- 風魔一族です。今の字は一字違いますが。
- 806 :
- しんのすけ「風間くん・・・」
- 807 :
- 封魔くんかもしれんぞw
- 808 :
- 麩馬かも!?
- 809 :
- 風馬かもよ
- 810 :
- 代々京都の裕福な商人だったので江戸時代の貧乏な天皇家から位買って位だけは武士階級だったらしいw
でもその御蔭でひーばーちゃんは維新後、おひいさましかはいれないような女学校に入れたらしい。
同級生に宮妃がいたんだって。
でも一言も言葉を交わしたことはないらしい、おひいさまにはご学友しか話しかけてはいけなかったそーだ
- 811 :
- クラスに2人はいる鈴木さんはどうなんだ?
- 812 :
- >>810
>天皇家から位買って位だけは武士階級
朝廷から位をもらってりゃ地下の貴族かなんかじゃないのか?
単なる「名字帯刀ご免」の商家とかまたは
「禁裏御用」の看板もってた程度のことを誤解してるんじゃ・・・
>おひいさましかはいれないような女学校
元諸侯の士族の華族、元公家の華族、そういうのが学ぶのは現学習院の華族女学校。
華族階級が進学する女学校なら跡見等の有名女学校もあるけど、
皇族妃が同級生というのなら華族女学校になる。
ってか、華族女学校って言葉も知らないのかよwww
で、華族でも無い資産家や実業家の娘でも華族女学校に入れる。
810、全体に話が幼稚すぎ
- 813 :
- 集まりで話される年寄りの話す自慢話はうんうんと聞いておいてあげるのが孝行なんだよ。
んなのいくらでもあるで
- 814 :
- 父祖父 肥後藩士200石ちょい
父祖母 肥後藩士100石ちょい
母祖父 津軽藩士100石以下
母祖母 津軽藩士100石以下
※母の両親とも肥後から移ったみたい
- 815 :
- 本家は肥前千葉氏の80騎のうちの一つだが、江戸時代も鍋島体制で大事にされてた。名字は殿様の本陣に因む名前だ
- 816 :
- 主君の死亡と共に野に埋もれた武将。
あの時死にさえしなかったら、旗本くらいにはなれただろうに。
- 817 :
- 浦上www宗景www
お前ゲームでもすぐに宇喜多に下剋上されますやん……
- 818 :
- こ、国分盛重(震え声)
- 819 :
- 10世代遡れば、そこには2の10乗、つまり1024人のご先祖様が存在する。
戦国時代なら約450年前だから、少なくとも20世代以上は遡る計算になるわけで
20世代として計算しても104万人ものご先祖様が存在するのだ。
つまり、日本人なら全員がなんかしら過去の有名人と遺伝子レベルでつながっている。
逆に、長い世代に渡って家系を絶やさず継がなきゃならない名門の宗家のほうが、
実は養子縁組ばかりで遺伝子レベルでは全然繋がっていなかったりする。
- 820 :
- スレ、819まで読んだ。
この忍耐強さは、豊臣秀吉だな。
また、突拍子もなくスレに登場した俺は、ノブちゃんだな、織田の。
ほんで、上記3行に誤字、脱字がなく、読みやすい文章を書いた俺は、ひょっとして家康かな。
最後の4行目に反感を持った君、君だよ!!
おぬし、まともな神経してるな。勤めている会社で謀反起こすなよ。
- 821 :
- 入来院定心
- 822 :
- 源義家
- 823 :
- 天照
- 824 :
- 父 クロフネ
母 ウォッカ
- 825 :
- 自称橘諸兄w
- 826 :
- 信長の従兄弟
- 827 :
- 手塚太郎光盛の子孫だけど没落しすぎて^^
手塚治虫氏とは系統が若干違うけどw
- 828 :
- 明智光秀の子孫。
家紋は桔梗紋。
400年以上農家ですた。
俺、18代目。
- 829 :
- 家は母型が九鬼嘉隆
知ってる人は知ってるかな?
もちろん分家だが本家は子供がいないらしい
さらに先の先祖は陰陽師だったらしい
- 830 :
- マイナーな久野氏の分家です。
侍帳みたら給料安い。俺と同じ。
- 831 :
- >>828
その前もずっと農家だったから大丈夫だ。明智光秀の子孫というのは
言い伝えだよ。
- 832 :
- 母方の爺の爺が土屋家から養子に来たらしい
- 833 :2013/09/15
- 父方は塩谷興久(尼子経久三男)
母方は立花家の鉄砲頭
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