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2013年19創作発表86: ロスト・スペラー 7 (117) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ロスト・スペラー 7


1 :2013/08/24 〜 最終レス :2013/10/02
ロスト・スペラー 7

例えば、無人の空き地で独り、大声で歌っていて、どこかで誰かに聞かれているかも知れない。
そんな感じ。
過去スレ
ロスト・スペラー 6
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
ロスト・スペラー 5
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1347875540/
ロスト・スペラー 4
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1334387344/
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

2 :
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。
『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……。
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。

ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。

3 :
500年前、魔法暦が始まる前の大戦――魔法大戦で、地上の全ては海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
沈んだ大陸に代わり、1つの大陸を浮上させた。
共通魔法使い達は、100年を掛けて唯一の大陸に6つの魔法都市を建設し、世界を復興させ、
魔導師会を結成して、共通魔法以外の魔法を、外道魔法と呼称して抑制。
以来400年間、魔法秩序は保たれ、人の間で大きな争いは無く、平穏な日が続いている。

4 :
唯一の大陸に、6つの魔法都市と、6つの地方。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、グラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、ブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、エグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、ティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、ボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、カターナ地方。
そこに暮らす人々と、共通魔法と、旧い魔法使い、その未来と過去の話。

……と、こんな感じで容量一杯まで、話を作ったり作らなかったりする、設定スレの延長。

5 :
規制に巻き込まれた時は、裏2ちゃんねるの創作発表板で遊んでいるかも知れません。

6 :
愛の在り処

異空デーモテール バーティ侯爵領アイフにて

バーティ侯爵領アイフは、エティーから少し離れた場所にある、小世界。
小世界アイフの成り立ちは古く、その始まりを知る物は、バーティ侯爵を措いて他に無い。
特別、バーティ侯爵が博識と言う訳ではない。
……そもそも異空には、「歴史」に興味を持って、記録する物が少ないのだ。
しかし、この世界の主、バーティ侯爵は眠りに就いている。
エティーが未だエトヤヒヤだった頃から、バーティ侯爵は領内の居城で眠った儘なので、
それは長い眠りだ。
城に閉じ篭っている、バーティ侯爵の真の姿を知る物は、アイフにも殆ど居ない。
アイフは飴色の淀んだ空と、クリーム色の綿の様な大地が広がる、甘味の世界。
この世界の住民は、初めは石像の様な「型」で、ある時、突然地面から生えて来る。
「それ等」は、心有る物が触れる事で、命を吹き込まれ、目覚めるのだ。
或いは、バーティ侯爵も、お伽噺の姫君の様に、茨の城で目覚めさせてくれる「誰か」を、
待っているのだろうか?
だが、アイフを訪れる物は、心しなければならない。
アイフは異空に於いては例外的に、非常に平穏な世界で、住民が無闇に人を攻撃する事は無い。
その代わり、アイフの物は心を奪う。
心有る物は、アイフの物の虜になって、帰る事が出来なくなるのだ。

7 :
 「ありがとう。
  さようなら」
ファイセアルスで1人の魔法使いの魂が、地上から消え去った時、それと入れ替わる様に、
異空デーモテールのバーティ侯爵領アイフ、宝玉の城の寝室で、1体の魔侯が目覚めた。
虹色の巨大な二枚貝が開き、中から白桃の様な肌をした、半透明の羽の衣を纏う、
『灰金髪<アッシュブロンド>』の女性体の悪魔が『誕生』する。
『彼女』こそバーティ侯爵領主バーティ。
『侯爵級<フューラー>』ながら、自らの管理世界を持っていたが、今まで長い時を夢の中で過ごしていた。
その経緯は後に語るとして、目覚めたバーティ侯爵は酷く興奮した状態で、抑え切れない様子で、
主の目覚めに駆け付けた、名も無き配下に命じた。
 「今は下がれ!」
 「は、はい、失礼しました」
バーティ侯爵領の住民は、妖精の様な外見をしている。
人型ながら男女の別は無く、容姿は中性的で、肌は白んだ薄い桃色から水色。
背面からは虫の羽根で出来た翼を生やし、その大きさと数によって階級が決まる。
住民の殆どは『無能<ウェント>』で、飛翔も出来ない小さな翼を持つか、又は全くの無翼で、
その性質は無知、無欲、故に従順。
全くの奴隷の様だが、階級が高くなるのに比して、知性は高く、自我も強くなる。
ある意味では、最も異空らしい『世界<ソサイエティ>』である。

8 :
バーティ侯爵は大理石の様な寝室の壁に、姿見を創り出すと、自分の体を観察した。
 (……これでは駄目だな。
  髪の色は、未だ濃かった筈だ。
  肌の色は、少し橙色掛かって……。
  体付きも、顔の造りも違う)
そして、ああでもない、こうでもないと、頭を振る。
 (彼は本質に触れたがる……。
  姿だけを似せるより、私の有りの儘を見て貰った方が良いのか?
  彼は私を受け容れてくれるだろうか……?)
バーティ侯爵は夢見勝ちな少女の様に、鏡の中の自分に問い掛ける。
 「どうしたら良い?」
 「私は怖い……」
 「だが、行こう」
 「想いの丈を伝えよう」
 「彼が、そうしてくれた様に」
 「きっと受け容れてくれる」
自己暗示を掛ける様に、バーティ侯爵は独りで呟き、何度も頷いた。

9 :
「お養父さんは、もう誰かと付き合う気は無いの? ……再婚とか考えない?」
「今の所は……。他の誰かと一緒になるなんて、とても」
「偶に、……急に悲しくなったりしない? 何でも無い瞬間に、はっと思い出して、胸が苦しくなるの。
 そう言う時に、心の隙間を埋めてくれる人が、欲しくなったりしない?」
「……時々、寂しくなる事はある」
「それなら……」
「でも、思い出を糧に、生涯一人を想い続けると言うのも、中々悪くない物だよ。
 今の自分は、それなりに幸せだと、私は思う。お前やラントも居てくれるし」
「本当に? お義母さんの『呪い』じゃなくて?」
「どうだろうね……。本当に呪いだとしても、解こうとは思わないよ」

10 :
異空デーモテールの小世界エティーにて

その日、エティーの果ての一、レトからエティーの空を虹色に染める、巨大な侵入者があった。
レトの守護者であるレトヴァルデは、全く抵抗する術を持たず、唯々呆然と天を仰いで、
「それ」の浸入を見守る事しか出来なかった。
エティーの物は直観的に、自らが住まう世界の危機と、自らの無力を同時に覚った。
譬えるなら、それは星が粉砕される程の、巨大な彗星の接近を宣告された様な……。
バニェス伯爵の襲来とは、比較にならない威圧感。
エティーの太陽が、ロフの端へと追い遣られる。
これがエティーにとっては初めての、外世界の『侯爵級<フューラー>』による訪問であった。

11 :
エティーの中心にある日見塔で、サティとデラゼナバラドーテスは、虹色に染められて行く、
レトの空を眺めていた。
 「一体、何事なの?」
 「わ、分かりません……。
  私には、あれが恐ろしい物だとしか……」
サティの問いに答える、デラゼナバラドーテスの声は、恐怖に震えている。
『伯爵級<グラファー>』の「上」、侯爵級の圧倒的な能力。
それはサティにも知覚出来たが、奇妙な事が一つ。
 「それにしては敵意を感じない」
 「サティさん、意思の有無は関係無いのです。
  階級が高く、強大な能力を持つ物は、何の害意も無く小世界を滅ぼせます」
それは丁度、巨獣が蟻塚を踏み潰す様な物なのだ。
侵略だろうが、単なる通過だろうが、そこに暮らす物の危機には変わり無い。
 「でも、天地が崩れる様な兆しが無い所を見ると、そこまで脅威と言う訳ではないみたい?」
 「……確かに、『今の所は』、そうでしょうが……、楽観は出来ません」
緩やかに、しかし、確実に虹色に蝕まれて行く空。
「それ」の心一つで、エティーの運命は決まってしまう。
名目上エティーを預かるサティとしても、黙って眺めている訳には行かない。

12 :
宙に浮いて、虹色の空へ向かおうとするサティに、デラゼナバラドーテスは忠告した。
 「お願いですから、事を荒立てないで下さい。
  呉々も挑発する様な言動は、控えて――」
 「分かっている。
  バニェス伯爵の様には行かないだろう。
  ――誤解しないで欲しいのだけれど、バニェス伯爵の時だって、初めから戦う積もりは無かった。
  私から仕掛けた訳ではないのよ?」
 「そうなんですか?」
 「……先ずは、あちらの意思を確かめる」
冷静なサティの返答に、デラゼナバラドーテスの不安は幾分和らぐ。
 「御無事で」
 「行って来る」
サティは天高く、広がる虹色の根元を目指した。
……しかし、彼女は中々「空を虹色に染める物」へ辿り着けなかった。
どこまで行っても、虹色と空色の境界から先に進めない。
「前に進んでいる」と言う感覚はあるのだが、風景が全く変化しない。
いや、現実には緩やかに風景が自分を追い越している。
前進しているのに、後退しているのだ。
 (これは……バニェス伯爵の『内部(なか)』と同じ?)
本体に辿り着かれない様に、空間を歪めているのだと、サティは理解した。
これを破らなければ、話し合いも何も無い。

13 :
 (先知先覚の歴々方、どうか御助力を願います)
サティはエティーの天地に呼び掛けながら、魔法の刃で空間を切り裂く。
サティ自身は伯爵級の能力しか持たないが、彼女はエティーを支える物の助力を得る事で、
一時的に侯爵級の能力を発揮出来るのだ。
空間の裂け目に現れた虹色の空に、サティは迷わず飛び込んだ。
だが、今度は虹色の空間から先に進めない。
 (どうなっている……?
  まさか、何重にも空間を歪めているのか!?)
暫くすると、サティは虹色と空色の混じった空に、押し戻される。
「空を虹色に染める物」は、幾層もの空間を歪め続けて、水で押し流す様に、
あらゆる物を遠ざけているのだ。
 (こうなったら、力押しだ!
  本体に突き当たるまで、空間を裂いて進む!)
サティは能力の全てを懸け、自身の精霊体を1本の魔力の針にして、ドリルの様に突き進んだ。

14 :
一体どれだけの時間が経ったのか……。
サティは遂に、「空を虹色に染める物」の本体を見た。
それは虹色の巨大で平たい円盤の様な物体。
余りに大きいので、手前側以外、どこが端なのか一見して判別出来ない。
サティは慎重に、円盤の上に降り立った。
 「我が名はサティ・クゥワーヴァ。
  エティーの空を預かる、伯爵相当である。
  高貴なる物よ、御尊名を伺いたい!」
そして、堂々と名乗るも、返事は無い。
反応を待っていると、空間が歪んで、サティを押し返す。
 「……聞こえなば、御返答頂きたい!
  貴方に対話の意思の有りや無しや!?」
サティは剣状に変化させた腕を振るって、空間を移動しながら問い掛けた。
 「貴方の目的を仰られよ!
  内容次第では、望む儘に応えよう!」
しかし、相変わらず返事は無い。

15 :
サティは湧き上がる怒りを堪えて、円盤の内部への侵入を試みた。
その方法は勿論、外殻の破壊である。
 「どうしても応えては頂けないか!?
  ――ならば、失礼!!!」
サティは全力で剣を突き立てるも、虹色の円盤を僅かに欠けさせる事しか出来なかった。
ぱらぱらと破片が飛んで、煌めく。
 (何っ!?)
剣を突き立てた際の、奇妙な感触に、サティは直ぐ剣を引いて、身を震わせた。
見た目、硬そうな物を突いたので、普通は弾かれると思うだろう。
所が、剣は吸い込まれる様に、深く突き刺さったのだ。
剣が突き立てられた跡は、浅く小さな疵になっている。
 (ま、まさか……!?
  この円盤自体までもが、幾重にも圧縮された空間だと言うの!?)
驚愕するサティの目の前で、円盤に付けた疵が修復されて行く。
異空では、複数の小世界を管理する能力を持つ物を、侯爵級と呼ぶ。
「空を虹色に染める物」は、亀甲の年輪の様に、幾つもの小世界を圧縮して身に纏う事で、
下級の物を寄せ付けないのだ。

16 :
小世界を結界で覆って圧縮し、一つ一つの小世界を隔絶した物として扱う。
「法」に干渉して、世界を越える能力が無い物は、意思を交わす事すら許されない。
それが異空に於ける、基本的な上下の関係である。
――サティが上空で悪戦苦闘している間に、エティーの空は完全に虹色に染まり切っていた。
地上の住民達は、何が起こるかと固唾を飲んで、或いは、何も起こらない様にと祈って、
虹色の空を仰ぐ。
今日がエティー最後の日と、覚悟する物もある中、唐突に天地が揺れる。
緩やかに虹色の空が渦を巻いて、エティーの空は隅から徐々に空色を取り戻す。
それはエティーの天上に、虹色が吸い上げられている様だった。

17 :
当然ながら、サティの所でも変化は起こっていた。
激しい振動と、それに伴う耳鳴りの様な怪音。
虹色の円盤の更に上空に、暗黒の空が広がる。
サティは天を仰ぎ見て、「それ」が別の世界へ続く『虫食い穴<ワームホール>』だと理解した。
 (ここから、更に異空間へ移動しようとしている!?
  一体どこへ……?)
少し考えれば、答えは直ぐに出た。
これだけの能力の持ち主が、態々エティーに移動した理由。
それは……。
 (『私達の世界<ファイセアルス>』に飛ぼうと言うのか!?)
サティは焦った。
ファイセアルスは彼女の生まれ育った世界。
ファイセアルスには、世界全体を統べる様な、絶対者の存在は無い。
最大の組織である魔導師会とて、これ程の化け物に対抗出来る手段を、持っているとは思えない。
空に開いた黒い穴は、見る見る拡大して行く。
エティーを支える物の支援を受けられる、今ここで止めなくては、惨事は免れ得ないと、
サティは敵対の意思を固くした。

18 :
 (突き破る!!)
悩んでいる暇は無い。
今、出来る事をしなければ後悔する。
 (外殻が幾ら堅固でも関係無い!
  真っ直ぐに突き進むだけ!!)
サティは再び自身を魔力の針として、虹色の円盤の中心部へ突貫した。
圧縮した小世界を纏っているとは言え、空間を裂く能力があれば、突き破れる事には変わり無い。
幾層もの外殻を、僅かずつしか穿てなくとも、「進める」ならば問題無い。
 (早く、より速く!!)
「空を虹色に染める物」が、空間を移動完了する前に、彼女は結界を突破しなければならない。
流石に突貫中は周囲の様子は判らないが、エティーからの魔力の供給が徐々に細っている事で、
サティは現状を推察出来た。
 (くっ、遅い……!)
結論は、「この儘では間に合わない」。
細り行く魔力供給に対して、未だ終わりの見えない、分厚い結界の層。
それでも諦める訳には行かない。
何かの間違いで、「空を虹色に染める物」の進行が、緩まないとも限らない。

19 :
ファイセアルスが滅んだ所で、エティーへの影響は然したる物ではない。
だが、人の身を捨てたサティにも、故郷を思う心はある。
異空は強者絶対の理が支配する、過酷な果て無き乱世。
ファイセアルスに残して来た家族や知り合いを、異空の脅威に晒す訳には行かない。
――そんな彼女の思いを踏み躙る様に、無情にも外部からの魔力供給は途絶えた。
サティは構わず、突貫を続ける。
前進速度が落ちても、押し返されなければ、未だ止められる可能性はあると信じて。
 (止めなさい)
悪足掻きをするサティの耳に、制止の声が届く。
諌めると言うよりは、まるで諭すかの様な、穏やかな声。
誰の声か心当たりの無かったサティは、無視を決め込んだ。
 (必死にならなくても良い。
  世界の狭間には、私が居る)
そこまで言われて、漸くサティは声の主の正体に気付く。
 「『導く者<デューサー>』!?」
突貫を中断した彼女は、結界に弾かれる様に、暗黒の空間に放り出された。
最早ここはエティーではない。
移動は完了してしまったのだ。

20 :
サティは周囲を見回して、状況を理解する。
暗黒に瞬く、無数の星々。
眩しく白熱する太陽。
そして、母なる星と月……。
全てが時を止めた様に、静かな世界。
 (ここは……ファイセアルスではない?
  デューサーの管理する『過去』の世界か……)
デューサーとは、ファイセアルスの禁断の地で、異空エティーへ向かう者を待ち構え、
実力を試す案内人。
時空間を操る共通魔法を使う、高度な人工精霊だ。
サティ自身も異空へ旅立つ際、デューサーの試練を受けて、この空間に来た事がある。
一方、虹色の円盤は初めて見る場所に戸惑っているのか、無機物の様に何の反応も示さない。
 「久し振りだな、サティ・クゥワーヴァ。
  君にはエティーの守護と言う任務があった筈だ。
  勝手に任を離れるのは感心しない」
どこからとも無く、ローブを纏った幽霊の様な、白い半透明の人影が現れる。
この得体の知れない物が、デューサーなのだ。

21 :
窘める様なデューサーの物言いに、サティは抗弁した。
 「しかし――!」
それを即座にデューサーは制す。
 「解る。
  この様な物が、ファイセアルスに降臨するのを防ごうとしたのだな?
  尤もな事だ」
「この様な物」とは、虹色の円盤の事だ。
全く言われた通りで、サティは唯肯く他に無い。
 「は、はい……」
侯爵級を前に、この落ち着き振りは何だろうと、彼女は訝った。
これではデューサーが、侯爵級より更に上の存在の様ではないか?
サティより上の能力だとして、一体どの階級に相当するのだろう?
『準爵<バロア>』、『子爵級<シェリファー>』と言う事はあるまい。
伯爵、侯爵――と階級を数えている最中、サティは勘付いた。
『公爵<デュース>』……『公爵級<デューサー>』?
 (そんな事が……?)
思い当たる節は、幾らかある。
この無限に広がる過去世界を管理し、時空間を操るには、相当の能力が必要だ。
少なくとも、伯爵相当のサティには、その様な芸当は出来ない。
ファイセアルスと異空を繋ぐ能力に就いても、同じ事が言える。
「導く」と「公爵」、同じ意味を持つ『Duce』……。

22 :
サティが思案に耽っていると、再び激しい振動と、耳鳴りの様な怪音が響いた。
二枚貝の如く、虹色の円盤の一端から、嫌らしい桃色をした、斧足の様な物が伸びて、
何も無い筈の虚空を繰り返し突いている。
その度に、斧足の先の空間が、水面の様に揺れて、向こう側に映る星々の輝きを歪める。
虹色の円盤は、新たなワームホールを開こうとしているのだ。
サティは慌てて止めようとしたが、それより先にデューサーが動いた。
デューサーが腕を一振りしただけで、『打突<ノッキング>』が止み、波紋が収まる。
 「何故、邪魔をする!!」
突然の甲高い女の様な声に、サティは驚いた。
それは恐らく、虹色の円盤の中から発せられた物であろう。
苛立ち露な抗議の声は、明らかにデューサーに向けられた物。
デューサーは静かに答える。
 「私は狭間の空間の番人だ。
  余計な物を通す訳には行かない」
普通、異空の物は、能力が上の物には大人しく従う。
気分一つで何でも出来る様な物を相手に、逆らって良い事は何一つ無い。
故に、礼を失する様な真似はしない。
所が、この虹色の円盤は違った。
 「誰にも私の邪魔はさせない!!」
封じられている斧足を微細に振動させ、未だ空間に穴を開けようとしている。
この一心不乱振りは何だろうと、サティは恐ろしくなった。

23 :
虹色の円盤は、彼我の能力差を理解していないのだろうか?
或いは本当に、然程能力差が無いのかも知れない。
余りに雲の上過ぎて、サティには及びも付かない世界の話だ。
それを彼女は歯痒く思った。
 「一つ尋ねたい。
  ファイセアルスを目指す理由は何だ?」
デューサーが問い掛けると、虹色の円盤は即答する。
 「決まっている!
  そこに私の愛があるから!!」
余りに力強く断言されたので、デューサーとサティは困惑した。
 「愛?」
 「アイとは何だ?」
「愛」と言う概念を知らないデューサーは、無垢な子供の様に尋ねる。
デューサーは人工精霊なので、人の心の働きを理解は出来ても、共感は出来ない。
寧ろ、異空で生まれた物が、「愛」等と言う物を知っている事の方が異常だ。
 「愛――、それは全ての存在理由だよ」
デューサーの疑問に答えたのは、その場の誰でもない声だった。

24 :
その声をサティは聞いた事がある。
姿こそ見えないが、一度聞けば忘れようにも忘れられない。
それは――――、
 「『神<エルダート>』!?」
ファイセアルスを含む、無限の大宇宙を創造した存在。
 「やあ、サティ・クゥワーヴァ。
  永遠の一瞬振り……と言った所かな?」
神の独特の感覚に付いて行けず、サティは返事を躊躇う。
それに構わず、神は虹色の円盤に向かって言った。
 「異空からの訪問者よ、君が向かおうとしている世界は、『私の世界』だ。
  私が生み、多くの物が育んで来た世界。
  慮外者の闖入は許さない」
強い意志の込められた言葉に、宇宙全体が凍り付いたかの如く、張り詰めた雰囲気になる。
虹色の円盤の動きが、完全に止まった。
神の名に相応しい、『公爵級<デューサー>』をも上回る、圧倒的な能力。
未だ出会った事は無いが、公爵の更に上、『貴族<アリストクラティア>』とは別格とされる、
『皇帝<オートクラティア>』が存在するならば、この神の様な物なのだろうと、サティは思った。

25 :
静寂の中、神は改めて、虹色の円盤に語り掛ける。
 「――しかし、君が慮外者でないと言う証を見せるならば、私も考えよう。
  それは君の『愛』が、果たして本物なのか、見る事でもある」
虹色の円盤が、どんな反応を見せるのかと、サティとデューサーは見守った。
暫しの沈黙後、虹色の円盤が見せた反応は……、
 「フフフフフ、ハハハハハハハ!!」
高笑い。
そして――、
 「この想いは誰にも止められない!!
  愛に熱(ほて)った、この心を止める事は、私自身にも不可能なのだ!!」
伸びた斧足が細かく震えて、先端から『何か』を吐き出す。
キィンと思わず耳を塞ぎたくなる様な、高い金属音が響いた。
 「あ゛っ!!」
サティとデューサーは同時に声を上げた。
『何か』は一瞬で見えなくなり、宇宙は静寂を取り戻す。
虹色の円盤は、自身の内から生成した『何か』を、ファイセアルスに飛ばしたのだ。

26 :
 「何をした!?」
サティとデューサーの発言が、完全にハモったのは、危機感の表れであろう。
虹色の円盤は斧足をサッと引っ込めて、水底に潜む貝の様に口を閉ざし、全く無反応になった。
誠意の欠片も無い、虹色の円盤の対応に、デューサーは熱(いき)る。
 「意思を交せるだけの知能を持ちながら、ここまで身の程を知らず、分別の無い物は、
  初めて見るぞ!」
 「何とでも言え。
  罰すると言うなら、罰するが良い。
  誰にも許しは請わぬ」
挑発する様に吐き捨てた後、虹色の円盤は今度こそ完全に沈黙した。
反省の無い物に、何を言っても無駄である。
サティはデューサーに要請した。
 「デューサー、ファイセアルスへの道を開いて下さい。
  私が追います」
 「その必要は無い。
  サティ君はエティーに帰りなさい」
しかし、それを神が止める。
自分では実力不足なのかと、サティは己の無力を恨んだ。
代わりに、デューサーに後始末を任せるのかと思いきや……。
 「デューサー、君も下がって良い」
 「はっ!?」
神の決定はデューサーにも意外だったらしく、その返事は肯定でも否定でも無かった。

27 :
数極後――、
 「……解りました」
デューサーは不承不承と言った風ではあるが、『神<アドナイ>』には逆らえないのか、
反論せずに姿を消した。
未だ留まるサティに、神は告げる。
 「サティ君、エティーの物を心配させては行けないよ」
 「はい……」
気の無い彼女の返事に、神は優しく諭す様に言う。
 「ファイセアルスの事は、心配しなくても大丈夫。
  この私が言うのだから、その意味は解るね?」
神はファイセアルスに直接干渉しないが、基本的に全能である。
神に不可能は無く、神が大丈夫と言えば、大丈夫なのだ。
今一つ神の存在に馴染めないサティは、不安を抱えながらも、ここは信じて引く決意をした。
 「はい。
  ……エティーへの道を開いて下さい」
 「はい、どうぞ」
神の意思一つで、宇宙空間にエティーの青い空へと繋がる穴が開く。
虹色の円盤とも、デューサーとも違う、『静かな』開け方。
最初から虫食い穴が、そこに在ったかの様。
サティが通り抜けると、穴は縮むのではなく、薄れるのでもなく、幻か見間違いだったかの様に、
消失する。
宇宙には虹色の円盤だけが残った。

28 :
君の名前は?
……答える積もりが無いのなら、それでも構わない。
私は何でも知っている。
私は君を知っている。
君の名前も、君がファイセアルスを目指す理由も。
あれは諸々の生命の誕生から、6千年後の事……。
好奇に駆られた者達が、邪法を試し始める頃。
君はファイセアルスに召喚された。
……あぁ、そこから先は、語るには長過ぎる。
今は共に愛の行く末を見届けよう。
勿論、私は結果を知っているがね。

29 :
第四魔法都市ティナー南部の貧民街 地下組織マグマの拠点にて

その日、旅商の男ワーロック・アイスロンは、予知魔法使いのノストラサッジオに予告された。
 「今から3月の後、お前は未曽有の強大な物と相対するだろう。
  時が来たら、ブリンガー地方、ソーダ山脈の頂に向かえ」
 「そこに何が?」
ワーロックが尋ねると、ノストラサッジオは冷淡に言った。
 「何も無い。
  だが、被害は少ない方が良いだろう」
 「どう言う意味ですか?」
意味深な台詞に、ワーロックの養娘(ようじょう)リベラが声を尖らせる。
ノストラサッジオは淡々と答えた。
 「ワーロックは狙われている。
  そこならば、誰も巻き込まずに済む」
 「未曽有かぁ……。
  そんな恨みを買った覚えは無いんだけどなあ……」
呑気なワーロックに、リベラは向きになって怒り出す。
 「お養父さん、真剣に考えてよ!」
養娘に責付かれ、ワーロックは苦笑してノストラサッジオに尋ねた。
 「何か、助言とか無いですか?」
 「何も無い。
  これは人が関わって、どうこう出来る物ではない」
だが、ノストラサッジオは冷淡な態度に終始する。
 「そ、そんな……!!」
リベラは声を詰まらせ、身を乗り出して抗議した。

30 :
そんな彼女とは対照的に、ワーロックは我が事にも拘らず、落ち着いている。
 「どうにも出来ないんですか?」
 「他人は頼れない。
  無駄な期待はするな」
 「仕方無いですね。
  3ヵ月後にソーダ山脈……と、憶えました。
  有り難う御座います」
ワーロックは予定帳に予言を書き込むと、話を切り上げて、去ろうとした。
それをリベラが止める。
 「お、お養父さん!?」
 「予言は予言だ。
  何を言った所で、変わる様な物じゃない」
ワーロックは養娘を窘め、その背を押した。
リベラには、そんな父の態度が、全てを諦めた様に見えて、我慢ならなかった。
ワーロックに「拾われた」と言う自覚のある彼女は、養父の為なら我が身を捨てる覚悟をしている。
何とか養父を救う為に、出来る事は無いかと、リベラは独り焦燥に駆られた。
そんな彼女の内心を見透かした様に、ワーロックは言う。
 「リベラ、落ち着いて予言の内容を思い出すんだ。
  私が死ぬと決まった訳じゃない。
  命の危機とも言われていない」
 「あっ、そう言えば……」
 「それに予言は3ヵ月後だ。
  今から気を揉んでも、疲れるだけだぞ」
 「でも……」
ワーロックの見解に、リベラは納得し掛かったが、余りに彼が楽天的だったので、
一抹の不安は残った。
果たして、ワーロックは本当に、そう思っているのだろうか?
養娘を安心させる為に、誤魔化しているのではないか?
……だからと言って、予言通りならば、リベラには何も出来ない。
騒ぎ立てても、何の解決にもならず、養父の神経を削ぐだけに終わるだろう。
その事を賢いリベラは察し、予言までの3ヶ月、彼女は内心で密かに悶え続け、無意味に消耗した。

31 :
第一魔法都市グラマー西端ジダルワク地区 監視塔にて

第一魔法都市グラマー西端のジダルワク地区には、禁断の地を監視する監視塔なる建造物がある。
監視塔の歴史は古く、第一魔法都市グラマーの完成以前から存在していたとされる。
未だ魔法技術の発達していなかった時代に、3巨と言う高さの建造物は、
地盤の弱いグラマー地方では、直ぐに沈下する虞があった。
沈下を防ぐ為に、大規模な魔法で地盤を固め、比重の軽いブロックを積み上げる等、
当時の技術の粋を集めている。
詰まり、そうまでして魔導師会は、禁断の地を監視しなければならない理由があった事になる。
一体何を……?
魔法大戦の遺物――危険な魔法生命体が迷い出る事を恐れたのだろうか?
その理由に就いて、魔導師会が答えた例は無い。
魔法暦500年を過ぎた今となっては、それを気にする者も殆ど居ない。

32 :
3月10日

監視塔の屋上では目視による監視が、その下の大部屋では、魔力による監視が行われている。
それは砂嵐が強い日の正午だった。
魔力による監視を行っていたD班は、一瞬の強大な魔力の波動と、それに続く、
観測機の故障によって異変を察した。
観測機は、一定範囲の魔力濃度を、縮小地図上に赤色の濃淡で識別する型の物。
それが禁断の地に最も近い西端を、血の様に赤黒く染めた後、派手な音を立てて、
作動しなくなったのだ。
 「うわ、吃驚した!!
  何これ、気持ち悪っ!?」
 「今のは何だ?」
 「わ、分からない……」
 「取り敢えず、V班に確認を取ろう。
  その間に観測機の修理を」
D班の全員が、各々役割を果たしに席を立った。
連絡係はテレパシーで屋上のV班と交信する。
 (こちらD班。
  V班、応答せよ)
 (こちらV班。
  どうした?)
 (機器が異常値を観測して、壊れてしまった。
  この数点……3点位の間で、禁断の地に異変は無かったか?)
V班の連絡係は、D班の報告を受けて、仲間に尋ねた。
 「おーい!!
  D班から、ここ3点で、変な物を見なかったかってさー!!」
今日はV班の者は全員、砂が目や口や鼻に入らない様に、ゴーグルと一体型の、
防塵マスクを被っている。

33 :
実際に目視による監視を行っている観測係は4人は、互いに見合って相談した。
 「何か見たか?」
 「いいや……この砂嵐では遠見の魔法でも……。
  何か見てたら、教えてるよ」
 「少なくとも、街の範囲では異変無しだ」
 「見てない、見てない」
その後、1人が代表して答える。
 「いいや、今日は砂嵐が強くてー!」
 「了解!」
篭った声で遣り取りした後、V班の連絡係はD班に返した。
 (見ていないとさ)
 (見てはいなくても、何か感じなかったか?)
そう尋ねられ、V班の連絡係は、再び仲間に問い掛ける。
 「何か変な感じはしなかったかー!?」
V班の観測係は、再び互いに見合った。
 「変な感じって言われてもなー」
 「一寸前に一瞬、悪寒がしたんだけど?」
 「あっ、俺も少し」
 「そう言えば、お前等、そんな話してたな。
  俺は何も感じなかったんだが……」
その後、同じ者が代表して答える。
 「悪寒がしたって言うのが、2人!」
 「了解!」
V班の連絡係は、改めて返信した。
 (2名程、悪寒を。
  他には、特に……)
 (……解った。
  2人、悪寒な)
半ば呆れた調子で、D班の連絡係はテレパシーを絶った。

34 :
通信が終わったのを見計らって、手透きのD班の1人が声を掛ける。
 「どうだった?」
 「砂嵐の所為で、何も見えなかったと。
  だが、2人は悪寒を感じたらしい」
連絡係の答えに、D班の者達は揃って苦笑する。
観測機の修理は既に終わっていた。
 「当てにならないなあ……」
 「この砂嵐では、仕様が無い」
 「そうだな、仕様が無い。
  しかし、あれは何だったんだろうなー?」
 「結局、あれから反応は無しだ。
  有りの儘を報告するしか無い」
直ちに危機が迫っている訳ではない様だが、「何か」が起こったのは事実。
大事にならなければ良いが……と、心配しながら、D班の連絡係は、監視塔の総務に情報を伝えた。

35 :
ブリンガー地方ソーダ山脈ヴェリッジリニアにて

ヴェリッジリニアはソーダ山脈では、中程位の高山。
積雪は少なく、晴天の多いブリンガー地方に於いては、常に麓から山頂が窺えると言っても良い。
地形は急峻だが、強風や突風と言った気候の荒れも少ない為、中堅以上の登山者に愛されており、
雲上界の最高位(天の座)には及ばないが、地上界の最高位として、『王位<コロワ>』と呼ばれている。
開山期間は6月1日〜9月30日までの4ヶ月間。
それだけ長いと、時には荒れる日もある為、年に十数人程度は遭難する破目になる。
その大半はヴェリッジリニアを舐めて掛かった、新参上がりの連中で、故に地方登山者の間では、
コロワを制覇して初めて「登山家」と名乗る事を許可されると言う。

36 :
旅商の男ワーロック・アイスロンは、2月20日を過ぎるとブリンガー地方へ向かい、
ヴェリッジリニアに挑む準備を始めた。
そして、周囲にはソーダ山脈を越えて、ルイン村へ向かうと言い訳し、3月3日に人里を離れた。
全ては予言に備える為である。
ワーロックは本当は独りで行きたかったのだが、彼の養娘リベラ・エルバ・アイスロンが、
頑なに同行すると言って聞かなかった為、仕方無く勝手にさせた。
それでも道中、高山地帯に差し掛かる前に、ワーロックは何とかリベラを引き返させようと説得した。
 「なあ、リベラ。
  私としては、独りで――」
 「嫌」
明確に自分の意志を告げ、殆ど口を利かないリベラに、ワーロックは閉口する。
 (誰に似て、頑固になった物だか……)
しかし、口を閉ざした儘では、説得は出来ない。
言い難い事を、この際だからと吐き出す。
 「私だって、何時までも一緒に居られる訳じゃない。
  これまで私は、お前が独りでも生きて行ける様に、色々教えて来た積もりだ」
リベラの返事は無い。
だが、こう言う雰囲気で、人の話を無視出来る様な娘でない事は、ワーロックには解っていた。

37 :
それは果たして、ワーロックの性格の影響なのか、それともリベラの本来の性質なのか……。
どちらなのかは、当人にも判らないだろう。
 「お前も成人が近い。
  そろそろ独立しても良い頃じゃないか?」
 「……嫌」
 「イヤイヤ子供みたいに駄々を捏ねて、どうする?」
話を摩り替えられ、リベラは流石に反応した。
 「馬鹿にしないで!!
  私だって、独り立ちしようと思えば出来るよ!
  本当に、お蔭様で、感謝しています!
  でも……、こんな別れ方って無いよ!!」
 「だから、そうと決まった訳じゃないだろう?
  麓の宿で待っていれば良いのに」
 「だったら、『帰って来なかった時の話』なんかしないでよ!!」
感情を剥き出しにして叫ぶリベラに、ワーロックは深い溜め息を吐いて尋ねる。
 「……『絶対に帰って来る』って、『約束』すれば良いのか?
  そうしたら、大人しく戻る?」
 「……駄目」
俯いたリベラに、消え入りそうな小声で拒否され、ワーロックは眉を顰めた。
 「えっ、何で?」
 「だって、お養父さんの事だから、『生きて』帰るとは限らないし……。
  夢に出て来られても困るし……」
 「お前は私を何だと思っているんだ?」
 「魔法使い」
 「確かに、そうだけど……」
信用が無いなと、ワーロックの溜め息は益々深くなる。
リベラの気持ちも、解らなくは無い。
人では対抗出来ない程の、未曽有の強大な物が、何の目的でワーロックの前に現れるのか?
その未来を予言した予知魔法使いのノストラサッジオは、詳細を語らなかった。
否、「語れなかった」と言う方が正しい。
元々予知魔法とは、未来の出来事を事細かに言い当てる類の物ではない。
未曽有の強大な物が、仮に敵対の意思を持って来るのなら、ワーロックの死は確実だろう。
リベラは今ワーロックと別れたら、それが今生の別れになるかも知れないと思っている。

38 :
ワーロックは難しい顔をして、小さく唸った。
 (合理的な考えをして貰えないかな……)
ノストラサッジオの予言では、未曽有の強大な物は、人の手に余る存在との事。
リベラが居た所で、何の役にも立たない。
血の繋がりは無いとは言え、娘を巻き込みたくない親心が、解らないリベラではない。
それを承知で、彼女はワーロックに付いて来ている。
リベラはワーロックに拾われた事を、過大に捉えている。
貧民街の乞食の中でも爪弾きにされ、更には母親を失って、野垂れ死ぬ他に無かった所を、
彼の善意によって救われた。
リベラは初めの内は、ワーロックに見捨てられない様に、良い子を演じていた。
彼に気に入られる様に、媚を売る癖が付き、やがて本人の意識しない所で、
それが深く根付いてしまった。
詰まり、親愛の念を超えた慕情を抱く様になったのである。
リベラは養娘と言う不安定な立場から、養父を父として見ると同時に、男としても見ている。
しかし、リベラの変化を傍で見て来たワーロックは、彼女の好意を受け容れられなかった。
亡き妻への誓いもあるが、仮に未婚だとしても、彼はリベラを拒んだであろう。
そうしたワーロックの態度を、リベラも察して、不用意な接近はしなかった。
ノストラサッジオの予言を受けて、リベラの心は複雑に揺れ動いている。
今、娘として振る舞うべきか、女として振る舞うべきか……。
それとは別に、養父の言う通りにすべきか、最後まで養父の傍に居るべきか……。
これが最後になるならと、思い切りたい気持ちはあるが、養父の性格を考えると、
膠無く断られるのが落ちだろう。
だが、リベラの精神は尋常ではない。
養父と心中出来るなら、それも悪くないとさえ思っている。

39 :
――そして、当のワーロックは、それを迷惑に感じているのだ。
彼は眉間の皺を深くして、リベラに言った。
 「大体、付いて来て、どうする積もりなんだ?
  気持ちは嬉しいが、お前が居ても、何の解決にもならないんだ。
  態々巻き込まれに行く事は無いだろう。
  足手纏いと言うか、それ以前の問題だ」
冷たく突き放しても、甘さが残る。
それをリベラは鋭く読み取って、愛しさを募らせるのだ。
 「お前に何が出来る?」
惚けた顔のリベラに、ワーロックは厳しく問い掛けた。
彼女は我に返り、賢しくも反発する。
 「分からない……けど、分からないから行きたいの。
  お養父さん、前に言ってたよね?
  困ったり、行き詰まったりしたら、周りを巻き込んでも良い。
  多くの人を巻き込んで、皆で一緒に考えようって!
  お養父さんは間違ってるよ!!」
 「いや、それは……」
ワーロックは答に窮て口篭ると、暫し沈黙した。
その間も、2人は歩みを止めない。
これまでの長旅で、寸暇を惜しむ癖が付いているのだ。
移動出来る時に移動して、常に余裕を持っていないと、予定通りの旅は続けられない。

40 :
数点して、漸く思考を整理したワーロックは、遅い反論に出る。
既に高原地帯は終わり、山岳地帯に差し掛かっていた。
 「ノストラサッジオさんは言っていた。
  これは人が関わって、どうこう出来る物じゃないと……。
  この意味が解るか?」
 「そんなの、解らないよ。
  予言は予言なんだから、外れる事だって――」
 「今の言葉、ノストラサッジオさんが聞いたら、怒るだろう。
  あの人は自分の予言に、絶対の自信を持っている。
  外れる様な事は、最初から言わない」
リベラは返す言葉を失う。
数極の沈黙後、ワーロックは先の続きを語った。
 「この問題は私以外には、どうにも出来ない。
  ノストラサッジオさんの予言は、そう言う意味なんだ。
  お前に出来る事は無い。
  何か出来る積もりなら、それは思い上がりだ」
含蓄のある重い言葉に、リベラは何も言い返せない。
ワーロックは更に続ける。
 「人が本当に価値を問われるのは、その人が独力で解決しなければならない問題に、
  突き当たった時だ。
  自分の判断で物事が決まり、全ての責任を自分が負わなければならない時。
  それは真に神聖な時間だ。
  そこに手を出しては行けない。
  他人が横槍を入れて、汚す事は許されない」
この価値観をリベラと共有は出来ないと、ワーロックは信じて疑わなかった。
それはリベラが女に生まれた為だ。
事実、確信を持って語るワーロックの心境を、リベラは察する事が出来なかった。
 「ここまで来て、今更帰れとは言わない。
  付いて来るだけなら構わない。
  遠くで見ているだけなら構わない。
  だが、絶対に邪魔はするな」
凄味に圧され、リベラは思わず頷かされる。
これがワーロックに出来る、最大限の譲歩だった。

41 :
ヴェリッジリニアの山頂付近の山小屋で、ワーロックとリベラは数日を過ごした。
開山前の山に登ろうとする者は他に無く、親子水入らずの時だったが、共に長旅をして来た間柄で、
それなりに不仲だった時期も経験しており、2人は特別な話題も無く、変わらない日常を過ごした。
ヴェリッジニリアの風は穏やかで、とても予言が実現する様な雰囲気ではない。
しかし、ワーロックの表情が日増しに厳しくなって行くのを見て、リベラは迂闊な事が言えなかった。
養父の口から、別れの言葉を聞きたくなかったのだ。
そして迎えた、3月10日の昼過ぎ。
ノストラサッジオの予言を受けた日から、丁度3月後。
それまで晴天だったヴェリッジリニアを、俄かに厚雲が覆った。
 「雲が出て来たな。
  嵐にならなければ良いが……」
昼食の片付けをしながら、暗んだ窓の外を見て、そうワーロックが呟いた後、
リベラが水筒を取り損なう。
倒れた水筒から、だくだくと中の水が溢れ出て、山小屋の床を濡らした。
 「おいおい、何やってるんだ?」
ワーロックは素早く水筒を立て直し、水が零れるのを防いだが、リベラは全く反応しない。
彼女は両腕で震える自分の体を強く抱き締め、ワーロックの見ている前で、崩れ落ちる様に蹲った。
 「どうした!?
  寒いか?
  どこか具合が悪い?」
慌ててワーロックが駆け寄り、問い掛けると、リベラは激しく首を横に振る。
 「く、来る……!
  怖い……、お養父さん、行かないで!」
彼女は脂汗を流して、乱れる呼吸を必死に整えて、訴えた。
ワーロックは理解した。
遂に、その時が来たのだ。

42 :
ワーロックは養娘を放って、外出の準備を始めた。
役に立つかは判らないが、鞭、短剣、ロッド、魔法書に魔力石、薬瓶、目に付く物を、
片っ端から持って行く。
最後にコートを着込んで、ワーロックは未だ動けない養娘に近付き、屈み込んで囁いた。
 「必ず戻る」
 「駄目……!」
制止には耳を貸さない。
山小屋の外に飛び出すと、意外にも風は凪いでいた。
その代わり、灰色の厚雲が空一面に畝り、幾層もの巨大な渦を巻いている。
まるで天が巨大な御坐(みくら)を用意して、何かを召喚しようとしている様。
今まで見た事の無い光景に、ワーロックは息を呑んだ。
リベラの異常な反応は、魔法資質が故の物。
魔法資質が低いワーロックは、リベラ程の激しい発作は無かったが、
それでも尋常ならざる空気を感じていた。
山頂付近にも拘らず、微風が温い。
ワーロックは天を睨み、早足でヴェリッジリニアの山頂を目指した。

43 :
山頂に近付くに連れて、徐々に霧が濃くなり、3身先も危うくなって来る。
山頂の台地に着いたワーロックは、只管に霞んだ天を見上げて、雲渦の中から現れる物を待った。
どれだけの時間、待ち続けたのか?
1点に満たなかった様にも、何針も経った様にも感じられる……。
「それ」は遂に現れた。
虹色の輝きを持って、雲霞を押し遣り、緩やかに、静かに、強烈な圧迫感を放ちながら、
天から降りて来る巨大な円盤。
その大きさは、天の蓋が外れて、落ちて来たが如く。
「それ」を目の当たりにして、ワーロックは漸く、リベラの感じた脅威を理解した。
彼の鈍い魔法資質でも、明確に判る強大さ。
ノストラサッジオが、「未曽有の強大な物」と表現した意味が、よく解る。
自分は何故、この様な物に狙われなければならないのかと言う、至極真っ当な疑問が浮かぶより、
先ず、この場から一刻も早く逃れたい衝動に駆られる。
 (成る程、人の手には負えない物だ……)
ワーロックは妙に納得し、同時に思った。
 (リベラを置いて来て正解だった。
  ラントロック……、あいつは男だから、自力で何とかするだろう)
逃げると言う選択肢は、最初から無い。
後悔は無いとは言えない。
ノストラサッジオの予言を、少し甘く見ていたかも知れない。
「必ず戻る」と言い切ったのは、軽率な約束だった。
だが、ここで倒れても、巻き込まれる物は無いと考えれば、自らの無念は些細な事だった。

44 :
虹色の円盤がヴェリッジリニアに着地する。
余りの巨大さに、台地に納まり切るかも怪しかったが、それはワーロックの目の前に無事降りた。
ワーロックは恐怖とは別の理由で、下手に動く事が出来ない。
何しろ、この怪物の目的が不明で、敵対の意思の有無すら判らないのだ。
その上で逃げる事もならないので、これから何が起こるのかを、大人しく待つばかり。
そして数点……。
余りに何も起こらないので、ワーロックは円盤を見上げながら、周囲を歩いて観察を始める。
 (これは一体、何なんだ?
  ……乗り物?)
揺らめく輪郭、金属の様な沢、流れる虹色の輝き。
明らかに未知の材質。
遠い星の彼方から『空飛ぶ円盤<フライング・ソーサ>』に乗って、宇宙人が地上を侵略しに訪れると言う、
古い雑誌の記事を彼は思い出した。
後に記事の円盤は、投稿者の自作自演だったり、偶々飛んでいた虫や鳥の影だったり、
特殊な気象現象だったり、流星の見間違いだったり、詰まらない落ちが付いた物だ。
勿論、この円盤と関連があるかは分からない。
空想の産物と、偶然形状が一致したのかも知れない。
そんな事をワーロックが考えていると、円盤の縁が割れて、隙間から嫌らしい薄紅色の肉が、
食み出した。
それは巨大な唇から舌が覗いた様で、ワーロックは身震いする。
次の瞬間、薄紅色の肉は、蛙の舌の様に伸びて、一瞬で彼を包む様に捕らえた。
小さなワーロックにとっては、洪水に呑まれたに等しい。
柔らかく温かい、そして嫌らしく粘って湿った、肉の洪水だ。
彼は抵抗する間も、叫ぶ間も無く、円盤に丸呑みされる。
湯で濡れた毛布を全身に巻かれ、圧し潰される様な感触に、ワーロックは死を覚悟した。

45 :
虹色の円盤に食べられたワーロックは、圧力から解放され、果てない闇の中を落ちて行く。
最早、何が何だか分からず、状況の把握は困難だ。
 (私は……死ぬのか……?)
無力感に取り憑かれ、彼は流れる儘に身を任せていた。
所が、落下の時間は想像より長く、意識が絶える様子も無い。
 (これ、どうなるんだ?)
何もしなければ、永遠に落下し続けるのではないかと、ワーロックは考えた。
 (受け身では駄目だよな……。
  ああ、未だ死ぬ訳には行かない!)
冷静さを取り戻した彼は、途中で意識を切り替える。
相手が何物だろうと関係無い。
生きて帰ると言い切ったからには、仮令無理でも、努力位しなくては示しが付かない。
 「回れ、『未来の環<フューチャー・リング>』。
  『暗黒期<ダーク・デイズ>』、『切っ掛け<キュー>』、『切っ掛け<キュー>』、『切っ掛け<キュー>』、
  『主要因<キー・ファクター>』、『薄明<フェイント・ライト>』、開け扉よ、闇を破れ!」
落ち着いた詠唱の後、両目を見張って、声の限り叫ぶ。
 「ラァーーーーヴィッ、ゾォーーーール!!」
師より「受け継いだ」、「彼独自の」魔法、『素敵魔法<フェイブル・マジック>』。
闇を裂いて、空が開く。
嫌らしい薄桃色の空間が、ワーロックの眼前に広がる。
彼は頭から、薄桃色の柔らかく湿った床に、突っ込んだ。

46 :
床は予想以上の柔軟さで、ワーロックは一度深く埋まった後、鞠の様に転げながら弾んで、
最後に尻餅を搗く。
 (一か八かだったけど、何とかなる物だな)
彼は目を回しながら、自分の魔法が通じた事に、一先ず安堵した。
 (しかし、ここは?)
起き上がって、辺りを見回すと、そこは桃色の世界。
天は桜色の雲、床は薄桃色で、曖昧な地平線の向こうはクリーム色に見える。
温かく湿った空気は何だか蒸す様で、気持ち悪い所と言うのが、ワーロックの率直な感想だった。
 (取り敢えず、歩くか……)
体重を掛ければ、脛の辺りまで沈み込む床の上を、ワーロックは倒れない様に、
確りと踏み締めて歩いた。
暫く進むと、彼は人形をした、怪しい突起物を発見する。
 (こんな物、あったか?)
それは忽然と現れた様に、ワーロックは感じた。
何も無い空間に、人の背丈程もある物体が立っていれば、もっと遠くから気付く筈ではないか?
 (怪しいな……)
罠の可能性を考慮したワーロックは、迂闊に触る事はせず、近くで眺めるだけに止めた。

47 :
薄桃色をした突起物は、型を取る為に蝋を被った人の様。
顔付きや体形までは判らず、男女の区別も付かない。
単に人の形をしているだけで、中に人が入っている訳ではないのではと、ワーロックは思う。
それに、粘液を纏って、堂々と聳り立つ姿は、どこと無く卑猥だ。
間接的にでも、触れるのは躊躇われる。
 (他に何か無いか、探してみよう)
何も見付からなかったら、その時は突起物を調べようと、彼は決めた。
人形の突起物から離れて、数十極後――、ワーロックは新たな突起物を発見する。
全く同じ物に見えるが、流石に細かい所までは憶えていないし、引き返した訳でも無いので、
これは別物と彼は解釈した。
 (……気味が悪い。
  嫌な感じだな。
  後回し、後回し。
  他に何か無いか、探そう)
やはり触るのは嫌だったので、調べるのは後にする。
そして、更に数十極後――、ワーロックは又しても突起物を発見した。
 (こんなのが何個も生えているのか?)
一体何なのだろうと、ワーロックは暫し考える。
ここは何物かの内部なので、消化吸収器官か、感覚器官だろうか?
触れば何らかの反応はあろうが、何が起こるか判らないので、結局彼は構わない事にした。
 (これだけ広いと、『輪形彷徨<リングワンデリング>』の心配もあるし、
  現在位置を確認するのに使えるかな?)
ワーロックは突起物の根元に、一の字を書いたメモ紙を置いて、歩き出す。

48 :
又、数十極後――、ワーロックは突起物を発見する。
その根元を確認し、彼は驚いた。
そこには一の字が書かれた、メモ紙が……。
 (どう言う事だ?
  先回りではあるまい。
  同じ所を歩かされている?
  輪形彷徨にしては、間隔が短過ぎる。
  感覚を狂わされているのか?
  それとも……?)
ワーロックは方位磁針を懐から取り出したが、どこへ向けても針が動かず、役に立たない。
ある程度、予想出来た事とは言え、不安になって来る。
目の前には、聳り立つ人形の突起物。
 (これを調べろと言うのか?)
覚悟を決めたワーロックは、ロッドを取り出すと、突起物から距離を取り、恐る恐る突いてみた。
突起物は人の皮膚の様に、僅かに凹んでロッドを沈め、軽い弾性で撥ね返す。
直後、突起物は激しく痙攣を始めた。
ワーロックは吃驚して、大きく2回跳び退る。

49 :
突起物は次第に大きく振れ、約40極後には円を描く様になる。
ワーロックは益々距離を取って、遠巻きに観察を続けた。
突起物は巨大な物体を、ワーロックに向かって吐き出すと、萎々と凋んで、床と同化する。
ワーロックは「吐き出された物」を警戒して、更に後退った。
幸い、それは彼には届かず、床を数身滑った所で止まる。
 (……人?)
突起物が吐き出した物は、粘液に塗れ、俯せに倒れた人の様だった。
それは頭に長い黒髪を生やし、全身が赤子の様に、赤味掛かっている。
衣服は身に着けていない。
男性とも女性とも付かない、微妙な体付き……。
 (どうして人が?
  私より先に食われた人が居て、捕らわれていた?)
怪しいが、放置する訳にも行かず、ワーロックは声を掛ける。
 「だ、大丈夫か?」
そう問い掛けて、彼は徐々に距離を詰めた。
しかし、反応は全く無い。
既に死んでいるのではないかと、ワーロックは眉を顰めた。

50 :
だが、気絶しているだけの可能性も否めない。
見た目、腐敗はしていない様だから、死んでいたとしても、酷い物を見ずには済むだろうと、
ワーロックは半身で乗り出し、人形の肩の辺りに手を掛けて、揺さ振る。
反対の手にはロッドを握って。
 「……生きてるか?」
そう問い掛けた直後、人形はワーロックの腕を掴んだ。
遊園地によくある様な、『お化け屋敷<ホーンテッド・ハウス>』並みの、『安っぽい<チープ>』な脅しだったが、
彼を驚かすには十分だった。
ワーロックが身を引こうとすると、人形は奇声を上げて、自ら飛び掛かって来る。
 「キャアアアアアアアアアア!!」
その瞬間、ワーロックが見た物は、白目の無い真っ黒な双眸、口や鼻の無い顔。
人形をしているが、人ではない……異形の物である。
 「わっ、このっ!」
恐怖を感じたワーロックは、反射的にロッドを胴体目掛けて突き付けた。
 「グヘッ!」
異形の物は腹に強烈な一撃を食らい、鈍い呻き声を上げて、仰向けに倒れる。

51 :
意外と弱い事にワーロックは安堵したが、自分が倒した物を再確認して、彼は一転焦った。
それは先程一瞬だけ見えた、異形の物ではなかった。
肩に届く程度の亜麻色の髪は、緩やかなウェーブ。
少女と大人の中間の様でありながら、確り女の魅力を備えた体……。
摩り替わったのか、見間違えたのか、どちらにせよ、人を傷付けたのだ。
この女が敵なのか、ワーロックは悩んだ。
飛び掛かって来た時は、確かに異形の物だった――様に思う。
 「フフフフフフフフ」
戸惑うワーロックの目の前で、女は不気味な笑い声を漏らし、徐に起き上がった。
髪が目元を隠しているが、口元は大きく歪んでいる。
 「ヒヒヒヒヒヒヒヒ」
気が狂れた様に、その笑い声は徐々に高くなって行く。
 (お、怒っている……?)
普通、腹に一撃入れられて、怒らない方が、どうかしている。
女が一糸纏わぬ姿だと言う事には、関心が向かない。
そんな事に気を取られている余裕は無かった。
ワーロックは怖くなって、じりじりと後退る。

52 :
 「ああああああああああああああああああああああああ!!」
女は我慢の限界の様に顔を上げて、髪の隙間から除く暗い瞳で、真っ直ぐワーロックを捉えると、
今までより更に大きな声を上げた。
 「会いたかった!!!
  世界の枠を超える程に!!
  身も心も焦がれ、焦がれて堪らなかった!!
  魂を焼き尽くす地獄の業火も、これ程ではなかろう!!
  あぁ、幾ら言葉を尽くしても足りない!!
  言葉なんかでは表現し切れない!!!」
 (はぁ?)
勢いに押されて、ワーロックは声を失う。
女は再びワーロックに飛び掛かた。
 「愛してくれ!!!」
益々不気味に思って、ワーロックは横っ跳び、女を避ける。
 「あの時の様に!!」
 (何時の事だ!?)
 「抱き締めて、囁いてくれ!!」
 (そんな覚えは無い!!)
女は何度も迫り、逃げ続けるのにも限界を感じたワーロックは、遂にロッドを構えた。
 「温もりを伝えて、鼓動を感じさせてくれ!!」
それでも女は怯む様子は無い。
全く構わずに、ワーロックの懐に飛び込もうとする。
已むを得ず、ワーロックはロッドを盾にして、女の接近を阻んだ。

53 :
女は檻に囚われた猛獣の様に、ワーロックに向かって必死に腕を伸ばす。
乱れた髪の隙間から覗く表情は、恍惚としており、やはり正気ではない。
 「フフフフフフ……逃ィ・がァ・さァ・なァ・いィ〜!」
女は見た目からは想像も付かない怪力で、ワーロックに迫る。
彼の腕なら、この状況からでも、刃物を出して戦闘態勢に入ったたり、往なして叩き伏せたり、
出来なくは無いのだが、裸の女が相手なので、どうしても対応は手緩くなる。
ワーロックは冷や汗を掻き、問い掛けた。
 「な、何なんだ、君は!?」
 「……私を忘れたの?」
妙に落ち着いた声で返され、ワーロックの心臓は跳ね上がった。
その声には聞き覚えがあった。
 「君は……!?
  いや、そんな馬鹿な!」
 「忘れる訳が無いよねェ……」
くつくつと含み笑い、女は垂れた前髪を振り払って、面を上げる。
ワーロックの瞳は、彼女の顔に釘付けになった。
 「う、嘘だ!」
忘れる訳が無い。
それは疾うに死別した筈の、亡き妻の顔と全く同じだった。

54 :
しかし、女が亡き妻と全く同じ容姿ながら、今までワーロックが気付かなかったのは、
その振る舞いが、全く違った為だ。
 「さあ、貴方の心で、私の心を震わせてくれ!!」
幾ら姿形を似せても、騙せない物がある。
 「違う……!!
  お前は違う!!」
 「もう一度、教えてくれ!!
  熱く蕩ける様な、本当の愛を!!!」
猜疑心を露に、敵対的な目で、ワーロックは叫んだ。
 「お前は一体、何なんだ!?
  正体を晒せ!!」
女の表情が険しくなる。
 「鈍い奴!
  知りたければ、教えてやる!」
警戒を解かないワーロックに痺れを切らし、女は人外の腕力で彼を押し倒した。
 「や、止めろ!!」
その儘、圧し掛かって、逃れようとするワーロックの両手足を封じ、強引に唇を奪う。
ワーロックは口を固く閉じて抵抗したが、女は執拗に舌を絡め、それでも無理だと分かると、
両腕を押さえていた手を放し、下顎の咬筋を挟んで圧迫。
力尽くでワーロックの顎を抉じ開けた。
 「ぐぐぐぐ……」
激痛にワーロックが呻くのも構わず、その隙を突いて、女は舌を差し込む。

55 :
甘く温い、粘性の高い液体が、女の口からワーロックの口内へ移された。
それは口から全身に染み渡り、頭から足先までを、痺れる様な快感で包む。
 (これは……)
ワーロックは強制的に緊張を弛緩させられ、同時に亡き妻の魔法を思い浮かべた。
脊髄から脳まで、全身を侵される感覚は、これが初体験ではない。
瞬間、彼の頭の中に、何者かの記憶が流れ込んだ。
遥か時を遡り、古代――――地下神殿で、邪法により召喚された、巨大な怪物の影。
それは胎児の中に封じられ、魅了の悪魔として誕生する。
徒に人を魅了する能力は、災いの元。
能力を抑える知性も無く、「彼女」が居るだけで、人は色欲を暴かれ、狂って行く。
誰も彼も狂った中で、最初の「彼女」は死んだ。
次の「彼女」は、その子供。
能力の片鱗が表れた時点で、母の様になると恐れられ、奴隷商人に売られる。
奴隷市場で、貴族に買われるも、そこで能力が開花。
主人を召し使い共々、魅了して狂わせ、破滅に追い込む。
最期は主人の手で絞め殺される。
その後も、能力は親から子へ引き継がれ、殆ど知性が育たない儘、奴隷として、娼婦として、
寵われ者として、暗い地下で、肉欲に溺れる日々。
恐れられ、嫉妬され、憎まれ、恨まれ、果てには殺され、その繰り返し。
暗澹たる光景に、ワーロックは目を覆いたくなる気分だった。
 (これは……歴代の『トロウィヤウィッチ』の記憶……なのか?)
やがて、「彼女」の能力を利用する者が現れる。
敵対者に送り込み、破滅を誘う、『トロウィヤウィッチ』としての歴史の始まり。
そこで貴族に気に入られる様に、「彼女」は知性と教養を身に付けた。

56 :
数代後には、「彼女」は知性を得て、能力を抑える術を学んだ。
そして権力者に取り入り、自らの欲望の為に、能力を揮う事を覚えた。
 (こんな事が、あって良いのか……?)
その闇の深さに、ワーロックは胸が焼ける思いだった。
小地主、地方領主、下級貴族、上級貴族、王族、そして王妃と、代を経る毎に高くなる地位。
権力を恣にし、享楽の限りを尽くせば、国が傾き、沈没する。
その後、他国の貴族に拾われれば良し。
奴隷同然の身分に堕ちても、再び数代を掛けて這い上がり、滅んだ国は数知れず。
そんな事を何度も何度も繰り返して、トロウィヤウィッチは存えて来たのだ。
生前、妻から話には聞いていたが、実際に見せられると、ここまで悍ましい物とは思わなかった。
そこには普通の人間が抱く様な、愛情は欠片も無かった。
「彼女」にとって、男は常に権力の高みに至る道具に過ぎなかった。
いや、男ばかりではない。
女も、彼女自身さえも、「彼女」の道具だったのだ。
「彼女」にとって、愛は幻想。
「彼女」の感じる「魅力」とは、即ち「権力」の事であり、「魅力的」な男に近付く目的のみに、
その能力は使われた。
「彼女」の歓心を買えるのは、金と物と権力のみで、それ以外には見向きもしなかった。
こんな女には絶対に近付きたくない、関わり合いになるのも嫌だと、ワーロックが感じる程には、
「彼女」は恐ろしい存在だった。

57 :
「彼女」は権力を恣に出来る地位に着くと、必ず不思議な夢を見る様になった。
全く知らない筈なのに、どこか覚えのある世界の夢。
その世界には初め、豪奢な城以外は何も無く、その中で「彼女」は虹色の貝に篭り、
深い眠りに就いていた。
「彼女」は夢の中の「彼女」を認識すると、同時に理解した。
そこが自分の生まれた世界であり、自分が生んだ世界であると。
そして、「彼女」は独立した自我を持つ様になった
知性を得て、自分が何物であるかを、思い出したのだ。
「彼女」は自分は人とは違う物と理解して、歴代のトロウィヤウィッチの内から、静かに、
そして冷淡に、人の世界を観る様になった。
「彼女」が夢を見る度に、夢の世界は少しずつ変わって行った。
大地が生まれ、空が生まれ、従者が生まれ、住民が生まれ……。
だが、主は眠りに就いた儘だった。

58 :
ある時、ある国の王妃となった「彼女」は、王の謁見に同席した際、宮廷魔道師に批難された。
 「陛下、非礼は重々承知で御忠告申し上げます。
  この女に王妃たる資格はありません。
  即刻、処刑なさる様、進言致します」
 「如何に先代から恩のある貴方(きほう)と言えど、聞き過ごせぬ事がある。
  我が妃は由緒ある公爵家の子女であるぞ。
  彼女を侮辱する事は、余のみならず、彼女の血までも侮辱する事になる」
王の対応は、怒りこそ感じられる物の、至って冷静であった。
魔道師の発言は、問答無用で首を刎ねられても、文句は言えない。
王の寛大さに、魔道師は深々と頭を垂れる。
 「承知しております。
  公爵家との関係悪化は必至……。
  それを鑑みても、尚、この女を陛下から切り離すべきと、考えております。
  然もなくば、この国は陛下の代で潰える事になりましょう」
 「それ程、危険か?
  我が妃は賢く、聡明である。
  亡国の因(もと)となる愚を犯す様には思えぬが……」
 「憚りながら、無知無能であっても、御輿の役は果たせましょう。
  しかし、この女は『遊び』が過ぎます」
「この女」、「この女」と魔道師が言う度に、王は顔を顰める。
 「然程、贅沢をさせた覚えは無い」
「彼女」は魔道師に忌々しさを感じていた。
当然だろう。
自分の邪魔をする者が、現れたのだから。
それでも取り乱したり、慌てたりせず、静かに事の成り行きを見守っていた。

59 :
魔道師は衝撃的な告白をする。
 「それが単なる浪費なら、目を瞑る事も出来ましたが……、不貞の事実を知ったからには、
  捨て置けませぬ」
その一言で、王の顔色が変わった。
 「何と!
  それは誰だ!?
  申せ!!」
 「陛下の叔父上――」
身内の仕業と知って、真っ赤に激昂する。
 「あの山羊爺め!」
 「6人の甥子様とも――」
 「全員か!?」
 「それだけに留まりませぬ」
激しい怒りで文字通り自爆するのを抑える様に、王は歯が割れんばかりに食い縛った。
額の青筋は蚯蚓の様に浮き上がり、両眼は今にも飛び出しそう。
 「くぐぬぅう……、何たる事……!
  構わん、全員だ!
  全員処刑しろ!!」
――幾度と無く、繰り返された事である。
どうして、この場面だけ取り出されたのか、ワーロックには疑問だった。
これまで人の会話は聞き取れず、その場の雰囲気や流れ、それと「彼女」の感情で、
ワーロックは大凡の事情を察していた。
所が、これは感情の篭った声音が、確りと記憶されている。

60 :
余程、印象的な事でもあったのだろうか?
ワーロックは内心で宮廷魔道師に肩入れしながら、事の次第を見守る。
「全員を処刑しろ」と言う王の命令を受けて、魔道師は安堵した様だった。
 「では先ず、この女を」
そう告げられた王は、「彼女」を一瞥する。
目と目が合う。
「彼女」が人を魅了するには、それだけで十分。
 「……いや、待て。
  義に悖る、邪な企みを持つ者共を、余の元から一掃出来るのだ。
  これは我が妃の功績と言えよう」
この期に及んで、弁が立つと言うか、知恵が回ると言うか……。
伊達に玉座に就いている訳ではない。
魔道師は落胆し、王に告げた。
 「出過ぎた真似を致しました。
  私は年を取り過ぎた様です。
  近々後進に席を譲り、隠居したいと思います」
「この女」と何度も王妃を罵ったのは、直訴が命を懸けの物だった事を表す。
未だ自分に価値を置くなら、王妃は諦めろと言う訳だ。
勿論、これは身分を弁えない、無礼な振る舞い。
処刑されても仕方が無い。
 「その覚悟と、先王に免じて、廿日後に貴方を放逐する」
しかし、それも通じなかった。
 「寛大な御心で御容赦頂き、感謝致します」
魔道師は両膝を突き、床に頭が着く程、深く頭を下げると、退出した。

61 :
その晩、「彼女」は宮廷魔道師の元に向かう。
魔道師は「未だ」必要な人物。
優秀な宮廷魔道師無しでは、国は瞬く間に崩壊してしまう。
滅亡は水に溶ける氷の如く、緩やかに染み渡る毒でなければならない。
この国を存えさせる為に、魔道師には今少し働いて貰わなければならない。
月の照らす廊下で、「彼女」は魔道師と鉢合わせる。
 「今、会いに行こうとしていた所だ」
魔道師は「彼女」に、明確な敵意を向けていた。
 「嬉しいわ」
「彼女」は魔道師を誘惑しようと試みる。
囁く声は艶めいて、動作に撓やかさが増す。
瞳が妖しく輝く。
だが、近付いて来る「彼女」を、魔道師は短剣で制した。
 「宮中よ。
  そんな危ない物は仕舞って」
暗殺や謀反を防ぐ為に、王宮内で王以外が武器を持つ事は、禁じられている。
詰まり、初めから魔道師は、「彼女」をR積もりだったのだ。
 「寄るな、奸婦め」
自分に魅了されない者が居る事に、「彼女」は驚いた。
魔道師は知っている筈なのだ。
不貞をRしたと言う事は、その瞬間を見たのであり、それでも魅了されないのだから……。

62 :
「彼女」は狼狽して、魔道師の機嫌を取りに掛かる。
 「貴方(あなた)には解っている筈。
  あの王では、この国は続かない」
 「それは違う。
  全ては貴様の所為だ」
 「愚王より、王になるべき人が居る」
 「それも違う。
  王は王であるが故に、王なのだ」
 「な、何が欲しいの?
  何が望み?」
 「唯一つ、貴様の死のみ」
魔道師の真っ直ぐな眼差しに、「彼女」は初めて恐怖を感じていた。
死が恐ろしいのではない。
「彼女」に溺れて、「彼女」を殺した者は、以前に何人も居た。
だが、そうした者達でさえも、「彼女」に心を囚われていた。
この魔道師は違う。
何かの加護を受けている訳でもないのに……。
正体の知れない、「人間の」魔道師の心を恐れ、「彼女」は震えた。
 「愛を知らぬ、哀れな女。
  野犬にも劣る、虫以下の精神。
  己の分を知ったであろう。
  去ね、R価値も無い。
  永遠に満たされぬ欲に縋って、泥の中で溺れ続けるが良い」
引き返す魔道師を、追う事も出来ない。
「愛」とは何なのか?
「彼女」は幼子の様に泣きながら、王の寝室へ駆け込み、朝まで行為に耽った。
一心不乱に、全てを忘れる様に……。

63 :
「彼女」は王を唆す。
あの魔道師を放逐だけで済ませてはならない。
魔道師を殺さなくては、王の処遇を逆恨みして、他国に寝返るかも知れない。
正式に命じて、処刑してはならない。
魔道師は鋭いから、事前に気配を察知して逃げ出す。
誰にも知られない様に、暗Rべきだ。
傀儡と化した王は、無感動に頷いた。
そして、「彼女」は魔道師と会わない様に、王の寝室に引き篭もった。
魔道師が死した報せを受けて、「彼女」は漸く再び、表に出られる様になる。
厚かましくも、「彼女」は魔道師の葬儀に参列し、その死体が埋葬されるのを見届けて、
悲しむ振りをしながら、裏で一時の勝利に酔い痴れた。
宮廷魔道師亡き後、国が沈むのに、数月と掛からなかった。
 (どうして、あの魔道師は「彼女」を見逃したんだろうか……)
少し考え、宮廷魔道師は全てを知っていたのではと、ワーロックは思った。
権力の濫用、貴族の処刑……恐らく、この国は既に再建不能だったのだ。
魔道師は国と共に沈む決意をしており、最後に「彼女」に一矢報いたのだろう。
それは見事に的中した。
見事過ぎる程に。
「愛」を恐れる「彼女」の心に、ワーロックは亡き妻の面影を見た気がした。

64 :
それから「彼女」の心には、大きな穴が開いた。
それは「彼女」の精神を不安定にした。
「彼女」は自分に魅了されない者の再来を恐れ、少しでも疑いのある者は、容赦無く殺した。
「愛」は幻想。
「愛」の存在を否定しようと、「彼女」は躍起になる。
仲睦まじい夫婦が居ると聞けば、不義を誘って破局させ、親孝行者が居ると聞けば、
色に溺れさせた。
「愛」とは口先ばかりの綺麗事で、所詮は利害の上に成り立つ物に過ぎない。
人に害を及ぼすか、更なる利を与えるかすれば、その者は容易に「愛」を捨てると決め付け、
「彼女」は非道の限りを尽くした。
その悪逆振りは、周囲の反発を招き、「彼女」が権力の座に着く期間は、必然的に短くなった。
後世に語り継がれる暗君、愚王の側には、何時も「彼女」の影があった。
 (哀れな……)
ワーロックは「彼女」の所業を嫌悪しながらも、彼女自身を憎む気にはなれなかった。
これが過ぎ去った遠い昔の出来事と言うのもあるが、「彼女」が本当に恐れていたのは、
自分の能力が通じず、孤独になる事――人の「愛」を得られなくなる事だった。
能力で人を魅了して、偽りの愛を得て、味方を作った積もりになって、結局独りでは何も出来ない。
あの時、宮廷魔道師に対して、何も出来なかった事が、後千年以上に亘って尾を引いている。
どうすれば人の関心を惹けるか、どうすれば人に気に入られるか、憖それが分かるばかりに、
人の語る「愛」を信じられないのだ。
「愛」を信じない者が、どうして「愛」を得られようか?
「彼女」は「愛」を求めながら、「愛」を蹂躙して行った。
自分が本当に求める物に気付かず、求める物を壊して行っては、無い無いと嘆いている。
それでは永遠に、求める物は得られない。
心の隙間を埋められない。
宮廷魔道師の言う通り、「彼女」は満たされない欲に縋って、泥の中で溺れていた。

65 :
――魔法使い達の暗躍で、世は乱れに乱れ、やがて終末を迎える。
そして始まる魔法大戦。
「彼女」は戦火の中で、雲上の存在を知る。
偉大で、傲慢で、勇壮な物達。
「人の身」では届かない、遥かな高み。
そこに並ぶ力を秘めながら、人の身であるが故に至れない事を、「彼女」は歯痒く思った。
顧みれば、己が執着の何と賎しく、浅ましく、愚かしい事。
魔法使いの殺し合いと、共通魔法使いの勝利を見届け、時代の変化を感じた「彼女」は、
禁断の地に残った。
禁断の地で「彼女」は、多くの魔法使い達と知り合った。
その中には、ワーロックの見知った顔もあった。
魔楽器演奏家のレノック・ダッバーディー、使役魔法使いのウィロー・ハティ、
夢の魔法使いソーム、ワーロックの師アラ・マハラータ・マハマハリト……。
旧い魔法使い達は、多くが「彼女」を知っており、「彼女」の能力に惑わされる事は無かった。
しかし、「彼女」に対する反応は区々で、過去の所業から「彼女」を忌み嫌う物もあれば、
同郷者として理解を示す物もあった。
旧い魔法使い達との出会いで、「彼女」は「愛」の何たるかに就いて、考え始めた。

66 :
「彼女」は旧い魔法使い達と、「愛」に就いて語り合う。
だが、誰も知った顔をするばかりで、「愛」とは何なのか、肝心な事は答えてくれない。
旧い魔法使い達の性質をよく知るワーロックは、然もありなんと「彼女」に同情した。
意地悪なのか何なのか知らないが、答えを知っていても、素直に教えてくれる様な、
気前の良い連中ではないのだ。
時が経つと、禁断の地に集落を作る話が、旧い魔法使いの間で持ち上がる。
旧い魔法使い達の裔が暮らす事になる村だ。
「彼女」は過去の所業から、旧い魔法使い達の多数決により、村に近付く事を禁じられ、
住民の中から弾かれた。
「彼女」は独りでは何も出来ない。
それでは余りに哀れだと言う事で、村の中から1人を「彼女」に捧げる運びになった。
捧げる者は村が決めるので、文句を言うなら寄越さないとされ、「彼女」に拒否権は無かった。
「彼女」は村の者を恨むより、素直に「愛」の正体を求めた。
魔法大戦で、「彼女」の価値観は大きく変わっていた。
「愛」を知れば、永い執着から解放され、嘗て夢で見た様な真の姿に近付けると、
「彼女」は考えていた。

67 :
旧い魔法使い達の、当てにならない助言を元に、「彼女」は「愛」を探した。
――「愛」の妨げは、君自身ではないかな?
――魅了の能力は抑えて、人の営みを見届け、人の「愛し方」を学ぶべきだ。
それは「彼女」には無理な注文だった。
「彼女」とは別の、人間としての人格は、常に「彼女」の能力を求めた。
魅了の能力無しでは、捧げられた者を、繋ぎ止められる自信が無かったのだ。
「彼女」は人の心の弱さを嘆いたが、「彼女」と「人間のトロウィヤウィッチ」は、表裏一体。
「彼女」は未だ、「愛」の恐怖を克服出来ていなかった。
その様を見兼ねた、ある旧い魔法使いが、「彼女」に告げる。
――「愛」とは与える事ばかりではない。
――何を与えられても、心の無い物を、人は「愛」とは呼ばない。
――親が子を抱いて宥めるのが「愛」ならば、叱って泣かせるのも亦「愛」だ。
――そして、それを「愛」の言い訳にする親は無い。
――お前が本当に愛されていたならば、今頃こんな事にはなっていなかっただろうに。
そう教えた魔法使いは、「彼女」が村に住む事を、強く反対していた1人だった。
「彼女」は自身の生を顧みて、自身が魅了した者に諫言された覚えが無いと気付いた。
魅了していない者にならば、叱咤された事がある。
遥か昔、知性と教養を身に付けさせられた時が、そうだった。
しかし、そこに「愛」は無かった。
破滅を誘うトロウィヤウィッチとして、都合の良い様に、躾けられたに過ぎない。
同じ「躾け」なのに、何が違うのか?
親が子を躾けるのは、自分の思い通りにしようと言う企みと、何が違う?
「彼女」は、そこから理解しなければならなかった。

68 :
魅了の能力は、奴隷を生み出すだけの能力だった。
能力に中てられた者は、初めの内こそ自分で物を考えていたが、時を経れば必ず、
「彼女」の意に沿うだけの傀儡と化した。
傀儡は「彼女」の意思を汲み取り、「彼女」の願いを叶えたが、唯一つ、愛してはくれなかった。
「彼女」は人と言う物を知る為、遠巻きに村人の生活を眺めながら、何でも無い普通の人間を、
観察し続けた。
元々観察眼に優れていた「彼女」は、他人の人間関係が上手く行かないのを見ると、
自分なら難無く熟せるのにと、溜め息を吐いて呆れる。
近付いては離れ、離れては近付き、人の心の何と忙しない事。
それでも人は衝突を繰り返し、複雑怪奇な過程(――それを人は運命と呼ぶ)を経て、
互いに信頼を重ねて行くのだと悟った時、「彼女」は初めて他人を羨ましいと思った。
そして自分も他人と、そう言う関係を築きたいと、思う様になった。
しかし、魅了の能力が、それを許さなかった。
「彼女」の側に居るだけで、人は徐々に狂って行く。
それは水に溶ける氷の様に、緩やかに染み渡る毒……。
「彼女」は「愛」を、自分の能力が通じない、旧い魔法使い達に求めたが、誰も応えてはくれなかった。
本当の「愛」を教えられる者は、「人」を措いて他に無いと言い切って。

69 :
禁断の地での生活が500年を過ぎ、「彼女」は半ば諦めの境地に立っていた。
人の心を幾らか理解出来る様になっても、結局は何も変わらない。
自分の能力に打ち克つ、「愛」の持ち主は現れず、夢を見続けるのに疲れたのだ。
「彼女」は嘗ての様に、能力で人を誘惑する事を、何とも思わなくなっていた。
但し、その目的は権力を得る為ではなく、血を繋いで存える為に変わっていた。
そこに現れたのが、ラヴィゾール――ワーロック・アイスロンだった。
「彼女」はバーティフューラー・トロウィヤウィッチ・カローディア。
初めての出会いは、豚の交尾を頼みに行ったのが切っ掛け。
ワーロックは未だ20歳の若い自分を見て、気恥ずかしくなった。
豚小屋で「彼女」に迫られ、ワーロックは「彼女」の能力を知る。
その時の初心な対応も、他人の目を通して見せられると、恥ずかしい等と言う物ではない。
実際、「彼女」はワーロックを侮っていた。
所が、ワーロックは「彼女」の誘惑を振り切った。
「彼女」の能力に惑わされない者。
「彼女」が長年待ちに待ち、待ち侘びた後の登場だった。

70 :
ワーロックの頭の中に、亡き妻が彼の事を、どう想っていたか、その記憶が流れ込む。
耳に自らの涙が落ちた事で、ワーロックは現実に返って、そっと「彼女」を押し返した。
記憶の旅は、長い様で短い時間。
「彼女」は緩やかに身を離し、遅れて唇を解放する。
透明な粘液が、細い糸を引いて垂れた。
ワーロックは唇を拭い、「彼女」に問い掛ける。
 「あ、貴方は『トロウィヤウィッチ』なのか?」
 「それは『人』が付けた名だ。
  我が名はバーティ」
 「……私に何の用だ?」
その問いに、「彼女」バーティは答え倦んだ。
暫し間を置くと、恍惚の表情で語る。
 「フフフ、何と言われると……困るな。
  唯……、こうして会いたかった。
  私は何時も貴方を見詰めていた」
打って変わって落ち着いた態度は、全く拒否されるのを想定していない様。
どう反応して良いか分からず、ワーロックは沈黙する。
バーティは再びワーロックに覆い被さった。
 「愛を教えて。
  あの時の様に」
ワーロックは無言の儘、両手で彼女の肩を支え、肌を重ねるのを拒んだ。

71 :
バーティは全く不思議そうな顔をして、ワーロックに尋ねる。
 「どうしたの?」
 「私には出来ない。
  貴方は彼女とは違う」
 「違う?」
 「違う」
バーティの目の色が七色に揺らぐ。
 「どうして、そんな意地悪を言うの?
  何が違うの?」
静かな低い声で、彼女は怒っていた。
ワーロックは状況を理解していながら、冷たく突き放す。
 「私は彼女に『呪い』を受けた。
  これを解けるのは、彼女しか居ない。
  貴方が彼女と同じ存在なら、この『呪い』を解けるだろう」
 「『魅了の能力』は、『私の能力』だ」
バーティの全身が白み、人外の本性を現す。
瞳が妖しく輝いて、ワーロックの瞳孔を捉えた。
ワーロックは真っ直ぐ、バーティの瞳を見詰め返して、小さく呟く。
 「……『心<ハート>』、『温もり<ウォームス>』、『慈しみ<アフェクション>』。
  それは内に秘めたる――」
彼の魔法は、彼の名前。
ワーロックは詠唱を続ける。
 「私を憶えているならば、私の名を言ってみろ。
  ――ラーヴィゾール?」

72 :
バーティは理解していなかった。
「彼女」は歴代のトロウィヤウィッチの内から、ファイセアルスを見て来た。
それは恋愛シミュレーションだ。
世界を隔てて向こう側の恋人は、貴方を愛しているのではない。
貴方に似せた、同じ世界の恋人を愛しているのだ。
恋人は貴方を見ているのではない。
その言葉も、その表情も、貴方に向けた物ではない。
余りに距離が近いから、錯覚してしまうのだ……。
バーティは彼の名を呼んでしまう。
 「ラヴィゾール……」
その名は呪い。
意図せずとも、口にすれば、意味を知る。
ワーロックの亡き妻に向けた想いが、バーティの中に送り込まれた。
それは妻の死後も、変わらず続いていた。
 「この『呪い』は2人の呪い。
  私と彼女の誓いの証。
  それを侵す事は、誰にも出来ない」
姿を似せても、記憶を共有していても、愛した妻は彼女だけで、他の物には代えられない。
ワーロックは言い切る。
 「彼女は死んだんだよ……。
  死んだ彼女は1人で、他には居ない。
  そして今は、どこにも居ないんだ」
バーティは堪え切れず、彼から目を逸らした。
彼は自分を愛してはくれないのだ。

73 :
バーティは泣いた。
恐怖からの涙ではなく、悲しみからの涙を流した。
そして知った。
これが「愛」なのだ。
一途に想い続け、報われなくとも、捨て切れない物。
彼女が流す、虹色に輝く半透明の涙は、桃色の空間を水浸しにして、徐々に嵩を増して行った。
涙に歪んだ瞳で、バーティはワーロックを見詰める。
 「どうすれば、貴方は私を愛してくれる?
  私は、どうすれば良い?
  分からない。
  何も分からない……」
バーティの容姿は、完全に人の物ではなくなっていた。
人型ではある物の、半透明の羽に覆われた肌は淡い桃色で、髪は灰金色、両眼は白目が無く、
黒い輝きを持っている。
 「貴方を私の物にしたい。
  私を愛してくれない、貴方が憎い。
  ……でも、貴方を殺してしまうと、私は愛を恐れた、以前の私に戻ってしまう。
  それは嫌だ……」
バーティは葛藤していた。
纏うオーラが虹色と黒色で、明滅する様に、交互に揺らいでいる。
 「どうすれば……、分からない……、憎い……、嫌だ……、どうすれば……」
彼女は虚ろな目をワーロックに向け、譫言の様に繰り返し呟く。

74 :
明後日の方向の結論が出る前に、ワーロックはバーティに話し掛けた。
 「私は何人もを同時に愛せる様な、器用な男にはなれない。
  心に決めた人は1人だ」
 「そんな事を言わないで……。
  私が目覚めたのは、貴方が『彼女』を魔法使いではなくしたからなのに」
 「それは本当か!?」
突然、ワーロックは波に揺蕩う体を起こして、バーティに尋ねる。
バーティは吃驚して、真っ黒な目を瞬かせた。
 「本当だ。
  私は遥か古代、呪法によって、人の身に押し込められていた。
  『魅了の能力』は、『私の能力』。
  それを貴方が解放した」
 「……良かった。
  連鎖は断ち切れたんだな」
安堵の息を吐くワーロックを見て、バーティは剥れる。
どうして彼は自分の事に、気を向けてくれないのか?
魅了の能力無しでは、自分は何も出来ないのかと、泣きたくなる。
 「今は他の事を考えないで!
  私だけを見ろ!!」
 「そうは言われても……。
  私達は今、会ったばかりなのに」
 「違う、私は貴方の側に居た!」
バーティは懸命にワーロックを口説こうとしたが、彼は眉を顰めて苦笑するばかり。

75 :
バーティは見込みが無いと解っていても、未だワーロックを諦め切れなかった。
 「私は貴方の願いを叶えて上げられる。
  貴方は何が望みなの?」
 「何も……。
  強いて言うなら、今までと同じ生活を送りたい」
 「『そこ』に私が居ては行けないの?」
せめて、側には居られないかと願っても、ワーロックの答えは連れ無い。
 「私と貴方では、住む世界が違い過ぎる。
  それに、私には子供が居る。
  人の親である間は、他の女(ひと)の気配をさせる訳には行かない。
  私は親として子供に、子は二親が愛し合って生まれて来るのだと、故に、そうして生まれた子を、
  親が愛するのは当然で、その愛は不変で揺らぐ事は無いのだと、身を以って示さねばならない。
  そうしなければ、子供は愛を見失ってしまう」
押し黙ったバーティに向けて、ワーロックは続ける。
 「愛と言っても様々だ。
  家族愛、友愛、敬愛、恋愛、慈愛、隣人愛……。
  多くの愛に触れ、人は育つ。
  人でない貴方には、愛を教える存在が必要なのだろう」
 「貴方は教えてくれないの?」
 「私も愛の全てを語れる程、偉い訳ではないが……、伝えようとしている。
  それが証拠に、こうして私は貴方と向き合っている」
 「向き合う?
  そんな物が愛?」
自分の知っている愛とは違うと、バーティは訝った。

76 :
ワーロックは静かに頷く。
 「愛が無ければ、私は貴方と、こうして話す事さえしないだろう」
 「それと愛に何の関係が?」
 「愛とは、その存在を、価値を認める事だ。
  愛の無い物に、取り合う人は無い。
  愛していない物には、何の関心も持たず、無下に扱うだろう」
バーティは気付かされた。
今の今まで、自分は他の物に、殆ど関心を持った事が無いと。
 「愛の始まりは、認める事。
  よく取り上げ、知ろうとする事、関わろうとする事、近付こうとする事、求める事」
 「私は貴方を愛している」
 「そうだろうか?
  貴方が愛し、絶えず求めたのは、『愛』その物だったのでは?」
ワーロックの言葉に、バーティは混乱し始める。
もしや自分が欲しかったのは、人からの愛で、ワーロックなら応えてくれると思い、彼に縋ったのか?
そんな考えが浮かんだ途端、バーティは自分を見失った。
 「分からない……。
  貴方の言う事は、分からない……」
分かる筈が無いのだ。
何千年もの間、多くの感情が複雑に絡み合って生まれた心理を、明確に言葉で表そうと言うのに、
そもそも無理がある。

77 :
ワーロックはバーティに告げた。
 「貴方は愛する心を持っている。
  そして貴方は、恐らく貴方が考えているより、ずっと愛されていたと思う」
 「愛されていた?
  私が?」
 「貴方は愛されていなかったのではなく、愛を知らなかったが故に、愛に気付いていなかった。
  そう言う事じゃないかな?
  貴方は多くの物に愛を向けるべきだ。
  これまで貴方が見向きもしなかった、小さな物にも」
バーティは懐疑的な姿勢を崩さない。
 「私の目に留まらなかった様な物にまで、愛を注ぐ価値はあるのか?
  それで私の心は満たされるだろうか?」
 「分からない。
  だが、何時かは、貴方の心に届く物が現れるだろう。
  遥か昔、貴方の前に、あの魔道師が現れた様に。
  そして『彼女』の前に、私が現れた様に」
 「……もう待つのは嫌だよ」
 「ならば、自分から探しに行こう。
  愛は一つではない。
  探せば、どこにでも転がっている。
  要は、『どれが自分に合うか』だ。
  『合わせる努力』も必要だが、貴方の時間は、『人』と違って無限。
  早まる事は無いだろう」
バーティは未だ納得しない様子で、長らく沈黙した。
空間内に溜まっていた涙は、知らぬ間に引いていた。
柔らかい床に吸収されたのか、どこか抜け穴があるのか、理由は定かでない。
 「あちらにも、愛はあるのだろうか……。
  よく解らない。
  ……帰る」
バーティが身を離し、小さく零したのを聞いて、ワーロックは安堵した。
彼女は俄かに萎らしくなって、細い声で哀願する。
 「時々、相談に乗って欲しい」
 「その位なら構わないが、少し登場の仕方を考え――あっ」
それにワーロックが応じた途端、彼は後方に弾き飛ばされた。
結構な勢いだったが、衝撃は全く無い。
固い地面に転がされ、訳が解らず、ワーロックは周囲を見回す。
細雨の降る中、彼はヴェリッジリニアの山頂に飛ばされていた。
虹色の円盤は、どこに行ったのかと、空を見上げると、分厚い雲に大穴を開けて、
日食の様に太陽を覆う影がある。
その影の縁には、巨大な虹の環が掛かっていた。

78 :
「――で、巧々(まんま)と言い包められて、帰って来た訳だ」
「私に構うな。腹癒せにエティーを潰しても良いんだぞ」
「それは困る。我が子でなくとも、御近所の不幸は望まない」
「……お前は愛を、全ての存在理由だと言ったな?」
「そう、ファイセアルスを含む、この宇宙は私の愛だ。愛があるからこそ、存在する」
「では何故、表に立って支配しない? どうして隠れている?」
「私は万能過ぎる。私は人を弱く造った。その所為で、私が観測しているだけで、
 この宇宙は私の意の儘に変わってしまう」
「それの何が悪い?」
「私は万能だが、絶対に正しい訳ではない。私の意に沿う事が、必ずしも良い結果には繋がらない。
 陰に隠れて、時々様子を窺う位が丁度良いのだ。何も彼も思い通りでは詰まらない」
「謙虚なのか、卑屈なのか……」
「一度、失敗しているからね。あれには参った」
「お前は本当に、この世界を愛しているのか?」
「愛しているとも! この世界の全ての事象を、この世界に生きる全ての命を」
「……飢餓や殺戮までも?」
「それが命の選択なら、私は尊重する。止めたいと願うなら、それを止められる能力が、人にはある」
「全てを平等に愛する事は、何も愛していないのと何が違う?」
「言った筈だ。愛は全ての存在理由だと。私が愛さない物は、『この世界から消えてしまう』」

79 :
「お養父さん!!」
「只今。いやはや、何とか無事だったよ」
「『無事だったよ』って、そんな呑気に!! 人を心配させて!!」
「はは、そう熱(いき)らないで。人生長いんだから、この位の事は時々起こるさ」
「起こらないよ!!」
「そうは言っても、実際に起こったんだから……。毎度そんな調子だと、体が持たないぞ」
「お養父さんは、もっと自分の命を大事にしてよ!!」
「大事にしてるよ。お前達の方が、もっと大事と言うだけで」
「ぐむむ……! お養父さんの馬鹿!!」
「ははは」
「へらへら笑わないで!! 私は本当に怒ってるんだよ!!」
「いや、私は愛されているんだなと思って。有り難いやら、嬉しいやら」

80 :
「親父!? 生きてたのか……」
「何だ、その言い方は?」
「別に……。良かったよ。俺の知らない所で、勝手に死なれても、あれだしな」
「お前は本っ当に、可愛気の無い奴になったな……。あ、そうだ」
「何?」
「ラント、お前……死ななくても良いらしいぞ。良かったな」
「どう言う意味?」
「トロウィヤウィッチの歴史は終わった」
「は?」
「そう言う訳だから、お前は何も心配しなくて良い」
「何? どうやって知ったの?」
「母さんに会ったんだ」
「母さんに!? どこで!?」
「トロウィヤウィッチの記憶の中」
「……記憶??」
「私も母さんも、お前を愛している」
「止めろよ、そう言うの。恥ずかしいって」

81 :
魔法資質の優位性

魔法資質は感知能力と行使能力を総合した、魔法を使う才能の事で、両者は高い比例性を示す。
感知出来る物でありながら、機械的な魔力の測定方法が、一向に定まらない理由は、
魔力の浮動性に因る所が大きい。
気温湿度風向と言った気候要因ばかりでなく、空間の形状、生物の反応によっても、大きく変化し、
条件を殆ど同じにして観測しても、結果が異なる事は珍しくない。
こうした魔力の性質は、詠唱や描文にも大きく影響を与える。
例えば、グラマー地方とティナー地方では、精霊言語の発音が微妙に異なる。
勿論、ティナー地方の発音では、グラマー地方では魔法の効果が落ち、その逆も然り。
精霊言語にアクセントや抑揚が設定されていないのは、この為である。
それはアクセントや抑揚が変わるだけで、共通魔法の効果が落ちると言う事でもある。
本格的な魔法書ならば、6地方で代表的な発音記号が記してあるだろう。
描文ならば、こうした変化を無視出来るかと言うと、そうでもない。
描文速度や、文様の大きさ、配置に影響が現れる。
更に、実際に共通魔法を使うとなると、刻々と変化する場の魔力に対応しなければならない。
魔法資質に劣る者は、魔力の変化を上手く読み取れない。
これは共通魔法の上達の大きな障害になる。

82 :
魔法資質に優れた者であっても、最初から魔力の変化に対応出来る訳ではない。
それには相応の訓練が必要になる。
自らの精霊言語に、どう魔力が反応するかを見て、初めて完璧に共通魔法が使えるのだ。
そして、様々な魔力場を体験する事で、あらゆる状況に対応出来る様になるのである。
だが、魔法資質が十分に高ければ、発声の変化に応じて、どの様に魔力が変化するかを、
直観的に読み取り、類推する事が出来る。
更に優れた魔法資質の持ち主であれば、詠唱と描文の関係を理解して、どちらか一方から、
他方を導く事が出来るだろう。
優れた魔法資質を持つ魔導師は、初見の魔力場であっても、容易に最大の効果で、
共通魔法を扱える。
高い魔法資質を持っていても、余り共通魔法を使い慣れない者は、適当な精霊言語を発して、
魔力の反応を窺う、『調整<テューニング>』が必要になる。
熟練者になれば、無意識に調整を行う癖が付く。
魔法資質が低い者は、短い呪文で発動する、簡易魔法を使用し、その効果を観察して調整を行う。
その際には、主に音響魔法が用いられ、より大きな音の響き方を探る。

83 :
魔法資質に優れる者の一部は、以上の様な煩わしい調整を避ける傾向にある。
魔力行使能力が十分に高ければ、多少の魔力の流れは無視して、強引に魔法を発動させる事が、
可能な為だ。
効率は落ちるが、下手な調整をするよりは、魔法の発動が早い上に、場の魔力を掻き乱して、
相手を惑わす効果も期待出来るので、特に対面での魔法勝負では用いられ易い。
しかし、安易に魔法資質に頼る者は、魔法の知識や技術を重視する魔導師には、
向かない性質と見做される。
魔法資質が高いのに、魔導師になれない者は、大体この辺りの性格に難がある。
実力を抑えて、辛抱強く学習する事が出来ないのだ。
その癖、魔導師(或いは魔法学校の教師)を理屈屋と揶揄する者が多い。

84 :
余談は扨置き、魔導機が一向に普及しないのは、定型の呪文しか使えない為である。
当然、魔導機は効率を少しでも高める為に、地方毎に最適化されていて、最悪の場合、
余所では魔法が全く発動しない事も有り得る。
魔法資質が低い者でも、調整によって効率を高める事は可能なので、魔導機が用いられるのは、
「余程呪文が複雑な魔法を使う場合」か、「呪文を知られては困る魔法を用いる場合」に限られる。
その場合は専用の魔導機が使用される。
それ以外に、魔導師会の内部機関である魔法技術士会は、汎用魔導機を開発している。
呪文を内蔵したカートリッジを交換する事で、その魔法が発動する。
だが、どう足掻いても人以上の効率再現は不可能なので、普及は抑えられている。
同じ魔導機でも、専用魔導機の方が需要が高く、更に同じ汎用魔導機でも、何でも使える物よりは、
特定の用途に限定された物の方が好まれる。
最近は小型化、高性能化が進み、余り嵩張らない様になったが、開発当初は大人の男でないと、
運搬に苦労する程だった。
改良が進んだ結果、現在では個人で複数持ち歩いたり、部品の交換で汎用性を持たせたりと、
多少は融通が利く様になった。
形状は様々で、古くは重量の問題で、篭手や鎧の様に装着するか、武器に組み込むかした物だが、
今は小さい物では石鹸程の大きさで、手持ちの物が多くなった。
それでも、魔導機が用いられる機会は少ない。
詠唱も描文も儘ならない火急の時か、詠唱も描文も面倒な時位の物だ。
唯一の利点は、発動が早い事だが、これも共通魔法の熟練者には劣る。
常識的な金銭感覚を備えていれば、高価な魔力石を無駄に消耗する事は無い。

85 :
実地試験

魔法技術士会と言えば、一般には魔法道具の開発元との認識が強い。
他にも、生活に欠かせない魔法技術は、殆どが魔法技術士会の手による物だ。
共通魔法研究会と、魔法技術士会、魔法道具協会の三者は、密接な協力関係にあり、
共通魔法研究会の開発した魔法を、魔法技術士会が実用化し、魔法道具協会が普及させる、
一連の流れがある。
魔法技術士会の中で、最も割を食っているのが、魔導機の開発に携わる者達だろう。
彼等は新しい魔法が開発される度に、それに合わせた魔導機を開発し、更に改良を重ねて、
実用化される時を待っている。
新形式のカートリッジが開発された場合には、これまでの呪文のカートリッジを全て更新するが、
そうした苦労に見合った名誉は無い。
全く売れなくても、魔導師会の一機関である以上、最低限の給料は出るのだから、
楽な仕事と言えば、そうなのだが……。
特に夢を持って魔導機の開発職に就いた者の中には、ノイローゼになって辞職する者も出る。

86 :
ボルガ地方ハクキ村にて

時候は初夏、ボルガ地方の小村ハクキの魔法道具店に、馬で乗り付ける2人の魔導師があった。
魔法道具店の店主は、自ら表に出て、応対する。
 「お久し振りです、クドーさん。
  そちらの方は?」
クドーと呼ばれた男は、自分の後ろに控えている若い男を顧みる。
 「ああ、後輩だ」
 「ヤカタダ・レンシです。
  初めまして」
 「あ、こちらこそ。
  私はロー・スウェンです」
店主スウェンとレンシは、互いに礼をし合う。
その様子を見届けたクドーは、自ら店主に話し掛けた。
 「色々と大変だったらしいな」
 「例の事ですか?」
 「他に無かろう」
 「はは、確かに。
  こんな田舎では」
クドーと店主はレンシと仕事を横に置いて、世間話を始める。
その間、レンシは所在無さ気に、周囲を見回していた。

87 :
アノト・クドーとヤカタダ・レンシは、共に魔法技術士会に所属している。
2人は魔導機の開発に携わっており、ボルガ地方内の各地を巡って、魔導機の性能試験と同時に、
魔法道具店に立ち寄り、適当な雑務を請け負っている。
 「さて、そろそろ……。
  裏庭を借りて良いか?」
クドーは適当な所で話に区切りを付けると、改めて店主に言った。
 「どうぞ」
 「レンシ、付いて来い」
クドーに呼ばれ、レンシは小走りで彼の後に付いて行く。
魔法道具店の裏庭は、小さな公園位の広さがある。
特別、何かの為に設えた訳ではなく、魔法道具店を建てた際に、偶々余った土地だ。
そこで2人は魔導機の性能試験をする。
後輩のレンシに、先輩のクドーは試験方法を教える。
 「先ず、試験する魔導機の仕様書を開け。
  F系だ」
 「はい」
レンシは斜め掛けしているショルダー・バッグを漁り、仕様書の束を取り出した。
クドーは型番を指定する。
 「F−3−501−1、火炎放射」
 「F3、501、1、ありました」
 「基本性能が載っているな?
  その通りの効果が出せるか確認する」
 「出なかったら?」
 「基本試験には合格している。
  ここで性能を発揮出来ないなら、『場所が悪い』と言う事だ。
  『以下の地域では、御使用に支障が生じる可能性が御座います:ハクキ村』ってな風に、
  その旨を仕様書に書き加える」
冷淡と言うか、嫌に割り切った風なクドーの物言いに、レンシは釈然としない物を抱えた。

88 :
やや眉を顰めて、レンシはクドーに問い掛ける。
 「そんなんで良いんですか?」
クドーは鬱陶しそうに答えた。
 「良いんだよ。
  人口が多い地域は、人が魔力を集めるから、ある程度は魔力場が安定するんだが、
  こう言う田舎だと、僅かな環境の変化でも、受ける影響が大きい。
  それでも合わせようと思えば、出来ない事は無いが……、こんな所に合わせたって、
  使う奴は知れている。
  たった数人の為に、手間も金も掛けられない」
若いレンシは不満に思った。
魔導師会の理念に従うならば、数人だろうと必要とする者の為に動くべきだ。
しかし、彼1人が反発した所で、何が変わる訳でもない。
第一、レンシは魔法技術士会に所属こそしているが、自身の手で魔導機の設計や改良が出来る程、
知識や技術を持ち合わせていない。
 「無駄話は止めて、試験に入るぞ。
  有効部の火炎温度と効果範囲、持続時間を計測する。
  上限値の半分が下限値になっているのが判るな?
  上限値の3分の2を超えればクリアだ」
 「はい」
仕事は仕事。
レンシは気持ちを切り替えて、表情を引き締める。

89 :
クドーは短筒に似た拳銃型の魔導機を取り出し、約1節四方の薄いカートリッジを、
砲身に対して水平に取り付けてある差込口に、手早く挿入する。
このカートリッジに、呪文が描いてあるのだ。
続いて、銃床部から細長い両錐水晶型の魔力石を填め込むと、クドーはレンシに再確認する。
 「始めるぞ。
  良いな?」
レンシはクドーから距離を取って、側面に回る。
 「はい、何時でも」
クドーはレンシの答えを聞いて、魔導機を誰も居ない広い空間に向けて構えた。
暴発に巻き込まれない様にする為、彼は肘を伸ばし、なるべく魔導機を体から離す。
態々魔法道具店の敷地を借りたのは、届けの無い魔導機を、堂々と使う訳には行かない為だ。
トリガーを引くと、一瞬銃口からフレアーが広がり、その後に真っ直ぐ明るい橙色に輝く、
炎の線が伸びた。
約1身程度の長さで安定した炎の線は、数十極後には徐々に弱り、やがて消えてしまう。
クドーは魔力石を入れ替え、同じ事を後4回繰り返して、試験は終了。
レンシは報告書に書き込んだデータを、クドーに伝えた。
 「――平均射程0.90身、火炎温度H4685度、安定持続時間23.3極。
  異常値無し。
  駄目ですね……。
  どれも基準に届きません」
 「フレアーは?
  特記事項に、1、3、4回目発射時に大フレアー有りと記してくれ。
  こいつは危ない」
 「はい、了解しました」
レンシの返事を受けて、クドーは次の試験に移ろうとする。

90 :
クドーは新たに取り出したカートリッジの型番を読み上げた。
 「今度は、F−3−501−4L。
  同じく火炎放射だが、今度は射程が長い奴だ」
 「一寸待って下さい。
  ええと、Fの3の?」
 「Fの3、501、4L」
レンシと受け答えしながら、彼はカートリッジと魔力石を交換する。
 「Fの3の501の4……L?」
 「Lだ」
 「あっ、ありました、ありました」
 「良し、始めるぞ」
こうして淡々と試験は進む。
結局、幾つかの効果が小さい魔法の魔導機を除いて、殆どが不可判定となった。
特に一部は暴発の危険があるとして、ハクキ村での使用自体を禁止。
特別に許可を受けた組織以外が、魔導機を改造する事は禁止されているので、このハクキ村では、
今回開発された魔導機の殆どが、十分な性能を発揮出来ない事になる。
都市部から離れ、地形的にも孤立している小町村では、こう言った事が珍しくない。
共通魔法の普及が遅かったボルガ地方では、殊に深刻である。
道路や建造物、田畑を、共通魔法に適した配置にし直す等、工夫の余地はあるのだが、
昔からの土地を手放したくない者もあり、結果、中々共通魔法社会に馴染めない。
その為、益々内向きになり、時代錯誤な悪しき習慣が残ったりするのだ。

91 :
グラマー地方の恋愛事情

男女共に貞淑を求められるグラマー地方では、大半が見合いから結婚する。
自由恋愛も一応は認められてはいるが、肉体関係にまで発展すると責任問題になるので、
誰も慎重にならざるを得ない。
浮気は以ての外だが、婚姻前ならば横恋慕は許される。
但し、誘拐や強姦は普通に事件として扱われる(場合によっては死刑になる)し、
正式に婚約していた場合は、破棄に何らかの形で罪科を負わされる。
重婚も認められていない。
それでも恋愛上手な者達は、公学校時代に浅く軽い付き合いを多く経験する。
その様子は、恋人同士と言うよりは、気の合う異性友達と言った風。
口付けは婚約の証と言われる程なので、気軽に接吻もしない。
大人になると、こうした軽い付き合いも慎む様になるので、学生時代に異性との触れ合いを、
楽しまなければ損だと言う風潮もある。
では、大人の恋愛に自由は無いかと言えば、それは違う。
段階を踏むのが、非常に面倒なだけだ。
対面で長々会話出来ないので、先ずは誘いの手紙から始まり、日に1角程度の短時間の交友から、
徐々に過ごす時間を長くして、数月〜1年程度の付き合いを経て、結婚する。
勿論、全てが実を結ぶ訳ではない。
長く付き合うと情が移るので、その気が無いなら、早く別れるべきだとさえ言われる。

92 :
プラネッタ・フィーアの場合

第一魔法都市グラマー 古代魔法研究所にて

古代魔法研究所に就職したばかりの新人研究員、サティ・クゥワーヴァの毎日は、
研究所の玄関と研究室前の、2つのメール・ボックスを漁る事から始まる。
始業時間は南東の時だが、彼女が師事しているプラネッタ・フィーアは、宿直の者を除いて、
誰より早く研究所に来て、仕事に没頭する。
その為、メール・ボックスの確認が遅れるのだ。
それをサティがフォローする。
郵便物の多くは、仕事関係の物だが、中には私的用件も含まれている。
家族や友人からの手紙、そして……個人的な付き合いを求める、『恋文<ラヴ・レター>』までも。
サティは時々プラネッタ宛に届く、恋文を煩わしく思っていた。
恋文は特に飾り付けた物でもない限り、一見普通の郵便物とは変わらない。
それなのに何故、第三者であるサティが知っているのかと言うと、何度か見た事がある為だ。
敢えて差出人の名前を書かず、中身を匂わせる、その不敵な態度。
勿論、プラネッタは自分宛の個人的な手紙を、他人に見せる様な事はしない。
偶々……、そう偶々、プラネッタが読んでいる手紙の文面が、サティの目に入ってしまったから。
以後、サティは差出人の名が無い手紙に、良い印象を持っていない。
 (常識が無いな!)
仕事場に個人的な付き合いを持ち込むとは、どう言う了見なのかと、サティは憤慨する。
身内や親しい友人なら未だ良いが、恋文ならば手渡し。
それが無理でも研究所のメール・ボックスに放り込むのは無い。
だが、本人宛の手紙を勝手に捨てる訳にも行かないので、取り敢えずはプラネッタに渡すか、
破棄の確認を取らなくてはならない。

93 :
研究室に入ったサティは、プラネッタに挨拶をして、ベールを外した。
同性の前でも余り素顔は見せないサティだが、恩師のプラネッタは別である。
それでも頭に巻いた、髪を纏める布は外さない。
やや古風な価値観ではあるが、グラマー地方では性的な意味を持つ為だ。
サティは黙々と郵便物を整理した。
そして、仕事と無関係と思われる、個人宛の物を、他に纏めて置く。
雑用をする事に、不満は無い。
寧ろ、自ら進んで行っている。
プラネッタの研究に係わる組織や、彼女が取り寄せる書類を把握する事は、無駄ではない。
但し、明らかに私用と判る物は別だ。
 「プラネッタ先生、仕分け終わりました。
  左が個人宛の、右が研究室宛の郵便物です」
 「はい。
  何時も有り難う。
  後で見ますね」
プラネッタは読み掛けの書類から目を離し、微笑を湛えてサティに礼を言う。
余所余所しいのではなく、どこまでも丁寧な印象。
万事こんな調子だから、男共に誤解されるのだと、サティは内心で溜め息を吐いた。
プラネッタは「淑女」を体現した様な存在。
彼女は魅力的過ぎる。
サティでさえ欽羨する程に。
彼女の姉のイードラも世間では優婉と評判されるが、真に清淑雅致かと問われたならば、
プラネッタには比すべくも無いと、正直に答えよう。

94 :
サティは個人宛の手紙の中に、魔導師オーラファン・ダンバイールの名があるのを見た。
度々プラネッタに手紙を寄越す、顔も態度も男前な紳士だ。
噂話を好まないサティの耳にも、その名が入る程の人物である。
何でもグラマー地方東部の出身で、19歳で魔法学校上級課程を修了した秀才だとか。
当然魔導師になり、運営部に就職した後は、実力か伝手か知らないが、最短コースで出世。
未だ30歳にもならない若さで、運営委員会に推薦される様な立場だと言う。
その件は本人が辞退したとの事で、真相は知れないが、そうした噂が立つ程の人物なのだ。
実際に対面した際、こう言う表現は好ましくないが、他の男とは『格<ランク>』が違うと、
サティは認めざるを得なかった。
言っては何だが、この男ならプラネッタと釣り合うのではないかと、サティは思う。
『逆』ではない。
旧暦の王制が現代まで続いていたなら、プラネッタの様な人こそ、王妃になるのではないか?
彼女は半ば本気で、そう信じている。
サティがプラネッタの様な生き方を真似ようとしても、数日と持たず、抑圧で体調を崩して倒れるか、
発狂してしまうだろう。
さぞ名のある家の子女に違い無いと、サティは過去にプラネッタの出自を尋ねたのだが、
生まれはティナー市の一代医の家で、育ちもティナー地方の北東端に近い田舎だと、答えられた。
他の身内にも権威のあった者は無く、魔導師だったと言う事すら無い。
そうした背景を知れば、プラネッタ・フィーアは一体何者だろうかと、空恐ろしくもなる。
クゥワーヴァは名家だが、母も姉も(当然自身も)プラネッタ程の優麗さは無い。
加えて、喜びを殆ど表に出さない翳りの様な物が、より彼女の美しさを引き立たせている。

95 :
サティがプラネッタに近付く男に、今一つ好い印象を持たないのは、その『翳り』にある。
サティはプラネッタの中に、末妹のレムナの影を見ていた。
レムナは名家に生まれながら、魔法資質が低く、知恵の回る子でもなかったので、
必然的に大人しく控え目な性格になった。
……そうならざるを得なかったと言うべきだろうか?
対してプラネッタは魔法資質ではサティに比肩し、魔法学校を主席で卒業した程の、
才能の持ち主である。
能力的には正反対でありながら、どこか雰囲気が似ている、プラネッタとレムナ。
それは何らかの負い目の様な物があるからだろうと、サティは感付いていた。
表向きは完璧なプラネッタも、陰では悩みを抱えているのだ。
その悩みが何かは知れないが、これが「重大な問題」。
微笑を絶やさぬプラネッタが、時折油断したかの様に見せる、憂いを帯びた表情は、
誰も知らない彼女の神聖な部分を、垣間見た気分にさせる。
だが、果たして並の男に、プラネッタの影を晴らす事が出来るだろうか?
どうしたのかと尋ねても、無理に取り繕う事はせず、諦めた様な顔で「何でも無い」と、
優しく微笑まれたら、それ以上は何も言えなくなる。
それは彼女が独身を貫いている事と、無関係ではあるまい。
そうした態度が、プラネッタが抱える闇の深さを感じさせ、彼女を見詰める男達の、
庇護欲を掻き立てるのだ。

96 :
熱心に恋文を送っているが、その中で一体どれだけの男が、本気でプラネッタを幸せにしようと、
考えているのか?
オーラファンの様な男子は、サティの通っていた魔法学校にも居た。
故に、彼女はオーラファンを信用し切れない。
サティは一応名家の子女である。
彼女の性格を承知で近付こうとする男は、決まって容姿と才能に恵まれ、自信に溢れる、
女子に人気の紳士的な――そう、「オーラファンの様な男子」だった。
女子の扱いを心得ているが故に、誰にも同じ手が通用すると思っている間抜け。
しかし、表向き紳士振っていても、人としての器は知れている。
誰も彼もサティが一睨すれば、爽やかな笑みは、忽ち苦笑に変わり、真面に会話もせず、
引き下がって、以後は距離を置く。
女はアクセサリーではない。
綺麗だから側に置きたい等と言う、好い加減な願望は聞けない。
未だサティも知らない、プラネッタの闇を聞かされても、本気で一途に愛を注げるのか?
それを受け止める事が出来るのか?
オーラファンは経歴だけなら、申し分無い男だろう。
だが、それだけでは駄目なのだ。
サティの心境は、宛ら小姑の様であった。

97 :
……何を言っても、結局はプラネッタが決める事である。
彼女の選択に、サティが口を挟む事は無い。
そんな恥知らずな、差し出がましい真似は出来ない。
プラネッタは南東の時2針になると、一旦作業を止めて、研究室宛の郵便物を確認する。
彼女は几帳面で、毎日、何時、何をするか、予め決めている。
個人宛の物を確認するのは、南の時、休憩時間に入ってから。
毎回、どう恋文を処理しているのだろうと、サティは疑問に思う。
プラネッタは真面目な性格で、中身が決まり切っている、セールスの散らしでさえも、
取り敢えず目を通している。
読むだけ読んで返事は出さないのか、或いは、態々お断りの手紙を送っているのか、
大抵の人は前者なのだが、プラネッタの事だから分からない。
もしかしたら、サティの知らない所で、既に意中の人を決めていて、文通しているのかも知れない。
 (それは無いか……。
  だったら、他の人の手紙は読まない筈。
  でも、ティナー地方の習慣は知らないし……)
彼女は気になり出すと、収まらない性格だ。
他人の色恋に就いて、あれこれ考えるのは野暮だと解っているが、サティとて一人の女子である。

98 :
さて、南の時を迎えて、昼食の為の休憩時間に入った。
グラマー地方では、殆どの施設が男女それぞれ専用に分かれており、古代魔法研究所の食堂も、
例に漏れない。
しかし、プラネッタは普段は食堂に行かず、自室で独り手製弁当を食べている。
「人前で食事をしない」グラマー市民は、実は珍しくない。
夫婦であっても、夫と一緒には席に着かない妻が居る位だ。
グラマー地方には、「食べる」と言う行為が、「恥ずかしい物」との認識がある。
口を開けて、物を咀嚼し、飲み込む、一連の動作が、他人には見られたくない物なのだ。
人前で転寝しないのと同じ。
ベールを外さなければ、物を食べられないのも、理由の一にあるだろう。
現在は、そこまで神経質になる者は少ないが、それでも知らない人の前では、物を食べない。
だが、プラネッタはティナー地方民だ。
一部の地域では、グラマー地方に似た風習が残っていると言うが、彼女が育った所では、
その様な物は無かったと言う。
グラマー地方民には馴染めないのだろうか?
今までは然して気に留めなかったサティだが、この日は好奇の心が疼いて仕方無い。
 (先生は何時も、どうしているのかな?)
恩師に対して、探る様な真似は良くないと解っていても、気になる物は気になる。
サティは食堂に行くのを後回しにして、研究室に留まった。

99 :
空気の変化を察して、プラネッタはサティに問い掛ける。
 「あら、今日は食堂に行かないの?」
 「後で行きます。
  切りの良い所で、終わらせておきたいので」
 「時間の使い方を考えた方が良いですよ」
 「……はい」
軽い溜め息と共に、窘める様に注意され、サティは罪悪感から俯いた。
下らない企みは、簡単に見抜かれるのだ。
本当は、どうでも良い作業をしている。
そこを深く追及されないのは、慈悲とも言えよう。
プラネッタは席から立ち上がって、大きく深呼吸をすると、個人宛の郵便物を自らの机の上に運び、
一つ一つ確認し始めた。
サティは思い切って尋ねる。
 「昼食は、お召し上がりにならないのですか?」
 「人が仕事をしている横で、お昼を先に頂くと言うのは中々……」
 「いえ、どうか私の事は、お気になさらず」
 「本気で言っているのですか?」
 「……済みません。
  でも、偶には良いんじゃないでしょうか?」
建前に拘るプラネッタを、何とか軟化させられないかと、サティは食い下がった。

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