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弓道総合スレ三十二立目 (320)
弓道総合スレ三十二立目 (320)
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弓道総合スレ三十二立目 (320)

弓道総合スレ三十二立目


1 :2013/10/09 〜 最終レス :2013/10/24
的前にリモコン向けてスイッチを

2 :
弓道総合スレ part.1
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1091118347/
弓道総合スレ 二立目
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1118413525/
弓道総合スレ 三立目
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1131529212/
弓道総合スレ 四立目
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1159070056/
弓道総合スレ 五立目
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1181735107/
弓道総合スレ 六立目
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1194645550/
弓道総合スレ 七立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1213374376/
弓道総合スレ 八立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1224421185/
弓道総合スレ 九立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1232727767/
弓道総合スレ 十立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1237609223/
弓道総合スレ 十一立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1243476770/
弓道総合スレ 十二立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1247629389/
弓道総合スレ 十三立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1252771333/
弓道総合スレ 十四立目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1261488612/
弓道総合スレ十五立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1268464084/
弓道総合スレ 七立目(実質十六立目)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1213510995/
弓道総合スレ 八立目(実質十七立目)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1286893830/
弓道総合スレ 十八立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1291042344/
弓道総合スレ 十九立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1300157659/
弓道総合スレ 二十立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1306074271/
弓道総合スレ 二十一立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1309100858/
弓道総合スレ 二十二立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1312199420/
弓道総合スレ 二十二立目★2(前スレ:実質二十三立目)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1315091290/
弓道総合スレ 二十四立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1317730379
弓道総合スレ弐拾伍立目
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1319457883/
弓道総合スレ二十六立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1322652849/
弓道総合スレ二十七立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1325160778/
弓道総合スレ二十八立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1329178344/
弓道総合スレ二十九立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1338896225/
弓道総合スレ三十立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1357562296/

3 :
弓道総合スレ三十一立目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1375845727/

4 :
練習の合間に覗きに来たらこれだよ
スルーなさい!なんの実りもないぞ!

5 :
スルーすると調子に乗る
相手をするとうざい
どうすればいいんや!!

6 :
まあこれでも見て落ち着け
xvideoで申し訳ないが
ttp://jp.xvideos.com/video6156/magic_R

7 :
弓道スレに余計なもの貼るな

8 :
相手を選んで話をすればいいだけだよ

>>うんこマン
急に話が変わるんだけど握りの摩擦や手汗で困ったりしてない?

9 :
馴れ合いやめろ

10 :
未だにかっちゃんの相手する奴って何なんだろう?

11 :
センスのよい弓のカラーリングを教えてくり
自分は寺内の特作凛の拡大写真の青黒

12 :
現代弓道として、射術の可能性を実技と理論の両方に於いて統合させたんだから、
実力の有る者ほど、かっチャンを無視は出来ないだろうよ。
それを検証して否定しなければ、自身の内部において自己否定せざるを得なくなるからな。
つまり、上級者、練達者の誇りが守れなくなってしまう。
数十年の自分の修行が、地に落ちるのだから。
かっチャン自身が弓が上手いかどうかではなく、不言流の射術が現在の弓道を凌駕しているかどうかが問題なんだよ。
その為に射術を或る程度極めた人たちが、不言流の射術を検証してみることになる。
そして、かっチャンと同様な体験をして、新たな射術の可能性を知ることになる。
もう、そうしたことは、弓界の至る所で試されているだろう。
そして、その1部は私のところまで聞こえてくる。
既に、疑問を持つことも無く信じられていた多くの誤謬は、
覆されているよ。
改めて言うが、君らの実力では不言流の射術の検証さえ出来ない。
私がここで書いている相手は君らではないよ。

13 :
>>8
手汗は、結局タオル等で拭くのが一番いいと思うよ。
粉類は何付けてもぬるぬるするらしい。
自分は乾燥する方なので、手汗の悩みはない。
タオル持って射場に入ればいいじゃん。もしくは、胴着につけるとか。

14 :
今の竹弓って内竹が茶色っぽいのしかないんでしょうか?

15 :
いちいち名前出したり、自分しか使わない言葉で自己アピールしてるやつらなんなの?
リアルじゃ評価されない口だけ野郎だからってここでアピールすんなや雑魚

16 :
>>12
日本語めいた文字を出力するくず

17 :
>>12
重要度は、口先理論もどき>>>>自身の腕前
指導者になれない指導者ぶるバカ(二段)

18 :
>>13
タオルもぬるぬるも同意
摩擦の低下が気になるレベルの汗っかきなら試してもらいたいことがあったんだけど他を当たることにするよ

19 :
『お題@ 会から離れまでに的と何らかの通信が可能かどうか』

20 :
本来、ゆうは的に気を通わせ、射手と的を結びつける作法じゃないのか。

21 :
的に「動くなよ!」と、お願いする

22 :
>>19
通信なら有り得ない

23 :
ただし、イレギュラーな環境を整えれるなら話は別

24 :
じねんを俯瞰的に眺めて見ると、より精密で中る射を実現するには、
射に影響する要素の刺激をより鮮明に多く感じられることだと思う。
その為には、生命活動に直結する新陳代謝などの働きも必要最低限に抑えるなど、
無駄な刺激の排除が最優先されるべきだ。
出来ることなら、夢も見ずに熟睡している状態に近いくらいの安静の内に、
射がなされることが好ましい。
また、通常の生活では視覚からの情報量が全体の80パーセント以上を占め、
他の小さな刺激量が意識に上るのを阻害している。
狙いや身体の空間的姿勢の確保には必要だが、
それ以外は半眼で遮断し意識の許容量に空きを作ることが大切だ。
また、的への必要以上の志向性は意識の空き容量を減じるばかりか、
他の身体感覚など志向性の向わない刺激の排除を行ってしまう。
狙いに固執するか、射を全うするか、それらのどちらかではなく、
両者のバランスが大切だと考えられる。
ただし、一般に狙いに重きを置く傾向が強い為、
射を全うする方に重点を置く心構えが大事である。
仏教では、夢を見ない熟睡の状態を小涅槃と言う。
また、悟りの極致は涅槃寂静とも云う。
弓道でも、じべんの働きを最大限に活かし、真体の射を行うのは、
この小涅槃に近い状態と言える。
つまり、眠りの射であり、本来澄ましはその方便と言える。
残心は小涅槃の睡眠からの覚醒。
ひとは深い眠りから覚めるとき、直ぐに弓倒しなど出来ないものだ。

25 :
眠りの射は最後の仕上げなので、そこに至る前にまだ散在する射技の向上を探究している。
今日の成果は、取り掛けの高さだ。
かけの帽子と人差し指との股に矢筈が在るのだが、矢軸と帽子の間隔をどれ位にするか。
両者がくっ付いたり、その間隔が狭すぎると、矢飛びが狂う。
しかし、広過ぎると、馬手の捻りが掛けられず、矢の保持に難が出るし、
添え指で矢筋を感じられなくなる。
その微妙な間隔を見つける。
また、帽子の向きも、平付け傾向の方が下を向き、捻るとその反対だ。
帽子の先が下を向いた場合も、前述と同様に左右の矢色が付き、矢は的の後ろに行く傾向が有る。
先程は、この2点について実験し、一応の成果が得られたが、更に微調整する。
矢筋の延長線の巻き藁に垂直に、筈を全く振らずに刺さる矢がより安定して出そうだ。

26 :
今夜はカミさんと映画鑑賞。
TVのようつべで、名探偵コナンの1と2だ。
今日発見した手の内、その理屈を考えていたが、
上押し完璧、拇指球コチコチ、上下左右の不動の押手完璧、
弓の姿勢制御理想的で、矢飛びは好いし、弓返りもバッチしだと思うのだが、
もしそうなら、馬手の秘儀・離れの出し方と同レベルの大発見だ。
テニプリの秘打みたいなもの、或いはひかるの碁の神の一手みないなものだ。
俺の進化は止まらない。
俺の弓道は宇宙だ。・・・なんてな。。。

27 :
手の内は難しい分、面白い。
親指一本でも、幾つもの秘密が隠れている。
稲垣さんは、昔の武士が色々と試して、
結果として1番良いのがこの手の内だ、と言っていた。
俺には、その先にはまだまだ沢山の改良点が有ると思われるのだが・・・。
そこから先へ進まないのなら、伝統文化としての流派射術で終わりそうに思う。
個人的に発展させようとしている射手も居るかも知れないが、
どこからもその声が聞こえてはこない。

28 :
you tubeで現会長の射を2つほど観たが、
馬手の離れの出し方が好くない。
重い、引き千切る、詰め合ってないからビクも出る。
弓手は、離れると開いて、閉じてをしている。
引き分け終わった途端に離している。
横引きの射は、基本的に引く矢束の射で、無理クリ離れを出す傾向にある、
その典型だった。・・・九段・・・真体なのは分かっている。
ところで、俺の射はどうか。
雨の合間に1射だけ、5寸的の真ん中に決めた。
引かぬ矢束の射、弓の中で詰め合いが出来、
10秒ほどの会。
超小離れ、弓返り300度くらい、
残身の弓手の位置は、2つに見える弓の右の方に的が重なっている。
ノジナイの無い矢は3m先の的まで、半分くらいは矢飛びが見える。

29 :
会での最終的な手の内の状況には、射毎に多少の変動幅がある。
詰め合いの不備などの時には、失中の原因となる。
しかし、経験的だが固定されら馬手からの弦離れ、
または馬手を矢筋に離れれば、手の内の変動幅をカバーして、
芯への的中に持っていける。
左右の手の内が連動していることは確かだ。
失中を避けるために、超小離れの馬手拳を残身で矢筋上に決めることは必要だ。
今まで、馬手を残身で決めるのは、必要に応じてやっていたが、
必ずやることで、精度が高まったと思われる。
これで矢の左右の散りは最小限に抑えることが出来たので、
今後は、矢の上下の散りを更に小さくする取り組みだ。
まだ、口割りと引き尺には多少の変動が有るし、
手の内の張り合いも一定の感覚を充実させて行く必要がある。
今夜は、今日の事をおさらいしながら肩慣らしだ。

30 :
俺みたいなのは、ひとり居れば充分。
今夜は、娘からのオードブルを頂きます。
4人の子供を育てるのは少々苦労したが、
大きくなれば、助けてもらえる。
ダイエット開始に付き、注意が必要。。。

31 :
今日は目覚めのアイスクリーム、それにスコッチ・ウィスキーをかける。
ウィスキーの渋みが甘さを際出させ、脂質の重さをアルコール分が清涼感に変えてくれる。
ウィスキーを加えない時は、アイスクリームは甘さが脂質の重さでぼんやりし、全体に重い味覚になっている。
ウィスキーを加えると、味覚が全然変わってくる。

32 :
>>21
蹴りこむことを的が動いたという人もいるので間違ってないと思う。
的が動いたから全部中った。という人もいれば、的が動いたから外れたという人もいる。
冗談の中に、その人の的中心理が出てくるような気もしている。
>>22.23
会で的を見ていると、自分の目と的が繋がっている、的がいいよと言った時に、上と横の交点が合ってる錯覚に陥る時がある。
的と目の方から考えた事はなく、集中力が高まった時に現れている現象のような気もする。
結局、人はそれぞれ離れのタイミングがあると思う。自分が上と横の線の交点で離れるように。
でも、それは、本当は、的からいいよという信号を受けた交点に絞られているんでないかとも思ったりした。

33 :
線と線で幅広く交点を作る努力をしているのだけれども、結局、どの交点を選んでいるかは、自分ではなく的なんではないかと思ったりもする。

34 :
的芯に矢ではなく自分自身が吸い込まれる気がする

35 :
>>32
>>33
「上と横の交点」とか「幅広く交点」とか、傍で聞いてる人間に伝わんない表現はやめろよ。
不勉強とか以前に用語が一般的じゃないんだから(特に「交点が幅広い」とか端的に矛盾してる)、せめて説明しろ。
で、「わかんない奴は馬鹿、レベル低過ぎ」とかなれば不毛そのもの。
不明瞭な表現で分かったふりをするのがえらい(君らが何も分かっていないとは思わないけど)みたいな雰囲気が醸しだされれば、かっチャンのような屑がのさばる素地にもなる。
好意的な態度で解釈を試みれば一定の実力がある人間は思い当たるところがあるだろうが、そうにしても全く同じものを示しているかわからんだろ。
実射が優れていることは分かるが、その感覚だけで語られては議論にならない。
的からの呼びかけってことで言えば思い当たることは多い。
狙いを精密化していく過程(尺二から八寸、三寸、鵠)で身体の構えも精密化されるが、それは射手の意思というより的の意思によるものだと感じる。
あと的だけじゃなく、弓矢弦カケも一方的に操作されるだけじゃなく、射手に働き掛ける面が大いにあると思うんだが、接触しているかどうかに関わらず、物の側の声をどれだけ聴けるが弓では大事だと感じる。

36 :
和弓を用いて矢を的に射るというのは、ひとつのシステムと観る事が出来る。
射術を叶える射法がシステムなのだが、身体や道具類が可変性に富み、その運用を担う精神も可変性に富んでいる。
だから、射術・射法というものが完全であれば、射を実現させる構造性と精神性の可変性によって、
かえって射の目的を達し得なくなるということの理解が大切なのである。
現実的に考えてみると、射は出来るだけ好い状態の再現性を高めたいものである。
しかし、その再現性にも一定の幅の誤差が有ることも認めざるを得ない。
だから、たとえ狙いは定まったとしても、しっかりと中る射になるまで感覚を味わって、
会を熟成させる必要が有る。
それほどまでに、和弓で矢筋通りに矢を放つのは難しい。
1射は、一定の再現性の内には在るのだが、同時にその1射にしかないものを持っている。
だから、完全なシステムとしての射法・射技を目指すのではなく、
この1射にしかない感覚を味わい、それを微調整できるじねんを養うことが10割への道である。
中級者以上の射手にとっては、或る一定の再現性を得たら、
その1射だけの新奇性・違和感を感じ取り、円満な中る射の感覚を得られるようにすることが大事である。
不思議なことに、的と縁を結んだ時から、そうした微調整の機能が働いている。
それが、じねんであり、澄まし・静慮三昧の内に在る。

37 :
今日は、長男の持成して、温泉・グルメ・お買い物ツアーだったので、
弓は引いていない。
柿が美味しくて沢山食べた。
今夜は、鮭の切り込みを作る。
鮭だけに、酒の肴にグッド。・・・ジュリナー・ske48.。。

38 :
弓矢を心で持つ。
心に浮かぶのは、知覚と思考だが、
ここでの心は知覚による感覚のことで、
頭に浮かぶ思考と区別する。
手と弓とが接し、手と矢も間接的ではあっても接する。
その接し方を丸ごと総て感じることが、心で持つということだ。
修練を積むその内に、段々と好い射の持つ感覚が身に付いてくる。

39 :
或る武道をサーフィンしていたら、胎式呼吸というのが出てきた。
その分野では最高位の呼吸法とある。
中身については、私のやっている呼吸法と同様のようだ。
呼吸法の大事なところは、4点ある。
1、酸素の供給、二酸化炭素の排出。
2、思考や感情を排除して、無心を作る。
3、無駄な力を排除し、必要な力を効率的に発揮させる。
4、心と体を静めることで、じねんの働きを活性化させる。

その武道では、私が言うじねんを渾元力と言っていた。
それは、意識下での身体に備わっている能力のことだが、
武道の深部には、こうしたヒトに秘められている能力の開花が課題になっているようだ。
手の内10年を口にする弓道家は居ても、じねんを語れる者が皆無なのは弓道の質的衰退の状況に他ならない。
その辺りが当代に生を得た不言流の役割なのかも知れない。
ただ、今風の入退場の足の出し方や礼の仕方など、好く判らん。。。

40 :
今日の初立ち、一手皆中。
1射目は、じねんの離れで、好い射だった。
2射目は、矢飛びこそ好いが、自分で離した。
この2射の相違は、私にしか判るまい。
自然・しぜんで離れるのは、微細な身体のゆらぎで出るから、
適時を知らぬ離れだ。
引く矢束の射こそが身体のゆらぎの大元で、次の動作へ向う予備動作・タメが存在する。
これが、大離れを生じさせる。
自然・じねんで離れるのは、意識下で会の充実した時機を図っての最善の離れだ。
ただし、射手の意識に拠らず、からだが明確に離している。
引かぬ矢束の射にタメは在ってはならない。
だから、弓の中にからだを入れ最大限の詰め合いを講じる。
特に、矢筋以外の力を受ける手の内や手首は、張り合いと不動の押手などの方策を講じて詰め合い、
身動きの出来ない会を創り上げる。
そこから、次の動作・離れへの予備動作・予備意識無しに離れるのが、
不言流の奥義の離れということになる。
今日の1射目は、こうした呼吸とからだと意識が整い、
奥義の離れ、じねんの離れが出来た。
2射目はしぜんの離れにもなっていない凡射での的中だった。
この違いを見極める射手は当代に恐らく居ないだろう。
ネットに映像を流しても、誰にも判らない。


自然の離れを、しぜんとするか、じねんとするかで、
射の出来は大きく異なる。

41 :
ヒトの脳っていうのは、2キロも無いのに、
からだ全体の凡そ20%のエネルギーを消費している。
また、脳にはエコの機能が色々有るのだが、
的の大きさが射手の技量で充分に的中すると脳が判断すると、
かなり大雑把な情報処理と行動で目的を達成しようとする。
だから、尺二の的にどんだらこんだらの矢飛びで、
ただ中てるだけを考えている射手は、人間的だということが出来る。
それに対して、得点制や採点制でもないのに、
中白に最高の矢飛びで中て様と考える射手は本来の人間性から逸脱しているとも言える。
ただ、先天性に重きを置いて生きるか、
発達した大脳新皮質で先天性を凌駕した生き方を求めるか、
それは、個性というものでしょ。

42 :
頭おかしいわ

43 :
もうこれは弓道じゃねえ
オカルトか新興宗教だ

44 :
寒いからジャージを着ていて、たまに胸ポケットに弦が引っ掛かる。
それ以外は、普通に好い矢飛びで中る。
今日は、弓構えに工夫をしてみた。
また、大三の手の内の決め方にも工夫した。
会では弓手首がこれぞと言うほど中に入るが、顔や手首などを打たずに、
角見が利き、弓返りも速く300度くらい回転している。
弓を握ってはいないし、会に近付く程締まるというものではないが、
体幹から左腕、手首、そして手の内と連携が執れて弓力を支え、角見が利いているからだ。
また、残身の弓の在り方にも、拇指球の硬さやその角度や形状にも、親指の工夫が活きている。
矢筋通りで、美しい矢飛び、しかも矢勢が乗り、弓返りが好いから残身も決まる。
実に好いコンディションだよ。

45 :
自然(じねん)と自然(しぜん)とは異なります。山川草木に人工をくわえないのが自然(しぜん)と言います。
自然(じねん)は「おのずから・そのように・真理のまま・あらしめられている現実」です。
したがって、ありのままとは、本能のままにふるまったり、ふだんのままが「道」だというのではありません。
ありのまま・そのままとは、真理のままにある状態ということです。
真理のままに自然(じねん)があるのを「法爾自然(ほうにじねん)」 とも「自然法爾(じねんほうに)」ともいいます。
法然上人の名もここに由るといわれます。
禅僧白雲の「道とはこれだ、ただこれだ、これだ、どうして通れぬか」の一言は深く味あうべきです。
ちなみに、道とは禅のこころに限らず、華道、剣道、弓道などの道に通じるものです。
 稽古のときも、大事の場合も、ともに変わった心持のなくなるまで習慣化されてこそ「平常心是道」であります。

46 :
皇后杯の最高得点賞の射を見ると、上鉾の戻りは床に対して垂直までだ。
その弦音は締りがあって高いキュン。
弦の乱れと緩みがほぼ無く弦返りしていることを表している。
・・・上鉾の戻りは除外。
技術的な受賞理由・・・綺麗な弦抜けを実現している。
天皇杯の最高得点者の方は、上鉾の戻りは前者の半分ほどだ。
その弦音はポンと低めだが、弦が関板や姫反りを打っていない様に聞こえる。
上押しは不完全だが、不言流の奥義の射に近い。
恐らく私の16キロの弓よりは強そうだが、風切りの弦音は聞こえない。
かけからの弦抜けが不完全で、弦返りを減速したのだろうろ思う。
弦音の中に僅かに濁りがあるから、かけ帽子との接触で弦に乱れが有る。
技術的な受賞理由・・・奥義の射に迫る上押し

47 :
腹で切るのは経験が有りますが、体幹の縦の伸びが両手先に響いて、テンションが上がり離れるんです。
これをやる為には、弓から出た矢先が伸びたり縮んだりしても離れないような離れの重い射手には無理です。
寧ろ、丹田は姿勢と精神の要になる部分ですから、特に力んだり動かしたりしない方が会の本筋です。
それに、気合の充実で離れるより、離れの準備条件の充実を持って離れなければ、好い射とはいえません。・・・離れの時機
離れの準備条件とは、矢筋通りで矢色が付かず矢勢の載った矢飛びの準備です。
また、会、離れ、(弓返り)、残身を通じて、弓の胴から大腰までの傾きがほぼ変わらない射の準備です。
こうした準備条件をからだが察知したら意識に上る前に離れるのが自然(じねん)の離れです。
その察知がきっかけで、会の矢筋のままに、矢筋の張りを保ったままにただ離れるのが離れの妙味ですね。
ただ離れるには、格段の工夫が必要です。
かけや技術に於いて、古人の教えに縛られない格段の工夫が必要です。

48 :
>>35
曲解の可能性はどうにもならないよ
共通言語すら役に立たないことがあるんだから
感覚を言葉にするというのは自分の知っている一番近い何かに例えるしか表現する方法がないからであって、技術自体とはあまり関係がない
「投石機のようなフォーム」と聞いてそれをどう解釈するかは各自に委ねられる
投石機の原理を知らなければ、見たことがなければ伝わらない
既存の表現とはなにか違う、そういう微妙なニュアンスの感覚を言葉にしなければならないなら各自でアレンジを加えてもいいと思います

まーこういうのは表現の上手さという新商品のテスターに求められる要素とは異なるからね
「シュッとキレるシャフト」って表現は現実には有り得ないことだけどテスターとしてはこれで正解
見て良し引いて良し教えて良しの三拍子が揃う人なんて本当に極々一握りなんだから

49 :
離れを考える、意思で離れるというのを、自然の離れは否定しているだけです。
そして、最も大事なことは、自然は常に変化するものだということです。
諸行無常です。
よって、自然の離れとは、人の意思・意識には拠らないが、気付かないところで変化している事態が、物理的により安定な状態に向け、離れという現象を起こしているということです。
ただ、自然の離れだけでは駄目ですね。
離れの時機、つまり離れの条件を満足した時に離れなければ好い射とは言えません。
しかも、その時機を知って、意思を働かせたのでは、充実した自然の離れと言えません。
無心に浮かぶ離れの時機に、からだが反応して離れてこそ、自然(じねん)の離れとなります。
じねんの離れを客観的に観れば、射手が離しているのです。
しかし、そこに離す意識が無いので、しぜんの離れに含まれます。
射道とは、じねんの我に向う道ですね。

50 :
大きく引き分けてきて、詰め合って、引き締まる感覚が有るから、その後は体も心も楽になって、つまり調和のとれた状態になって、静寂が訪れます。この静寂が会の条件で、そこから離れれば好い訳です。
大きく引き過ぎると矢筋で無い方向にまで力が働き、詰め合い無しに引き分けの延長で離します。・・・これは駄目ですね。
よく会は、引き分けの延長だと言われますが、私は全く異なるものだと思っています。引き分けは動、会は静です。引き分けは動く為に力を用い、会は静止する為に力を用います。会での静止の為に詰め合いが有り、それを維持するのが伸び合いです。
私には、時間だけを数えていては、会の内実が何も感じ取れていないように思います。早気というのは時間では無く、会の内実が無い状態で離してしまうことだと思います。

51 :
一般に、離れてから、初めの20から25センチの弦返りで、矢はトップスピードに達します。
熟達者は、上弦の張力を矢飛びに活かす為、もう少し長い距離、弦が筈を押し続けると思います。
骨力で詰め合うというのは、離れの初めの弦返りにゆるみが無い為、最も弓力のエネルギーが大きい部分を矢飛びに活かしているということでしょう。
しかし、この場合で、ゆるみが無いのは、弓手と馬手の距離のことで、弦離れと同時に弓の上矛が手前に倒れてくるような上押し状態では、結局弓力は活かしきれていませんね。
高速度撮影の写真などを見ると、こうした場合、先に上弦が張力を失って、緩んでいるのが確認できます。
骨力で詰め合う、将棋でもそうですが、詰めるとは身動きできない状態です。
伸び合うことも出来ない代わりに、緩むことも出来ません。
それと、離れて上押しが利き、上弦と下弦が共に矢を押し出す状態がbestだと、思われます。

52 :
奥義の射は、矢離れした時、通常の射より弓の形状が張り顔に近い為、
弓の縦伸びが少なく、弓返りの勢いは小さくなる。
それだけ引き成りのエネルギーを矢に伝えたと言えるのだが、
やんわりと弓を包んで弓返りを充分にさせ、かつしっかりとした上押しを利かせるのは難しいものだ。
今夜の最後の4射は、中庸を得た清廉な射であった。
張り合いは有っても、気負いの無い、円相の様な射であった。

53 :
誰かこの新興宗教を止めてくれ
俺は弓道のスレに書き込みたいんだ

54 :
>>32
>>33
的中心理というか表現力だね
実際は的を見ている自分の脳みそがその瞬間をどう処理しているかってだけなんだろうけど

55 :
>>48
曲解の可能性があるから、むしろ感覚の表現は自由でいいってのは違うんじゃないの。
自分の思考の整理のためにはいいと思うけど、議論としては体を成さない。
たとえば「投石機」が、撓められた弾力体の運動の遠心力で石を飛ばす機械だと知っていたとする。
これが弓の「フォーム」に類似するなら、
(1)角見が強く働き、矢が速く、大きく弦に押されるように見える様子
(2)馬手の離れが鋭く、かつ重い様子
(3)発せられた矢の軌道が、投石機から放られた石のように見える様子
みたいないくつかの解釈が可能で、さらに(1)を採るなら「角見が強い」という表現との差異も確定できない。
なんとなくのニュアンスは伝わるかもしれないが、なぜ敢えてその表現をしたのかということの意義は届かない。
最低限話が伝わるためにはコンテキストが必要だと思うし、前後の話にまた曖昧な言葉が織り込まれると、ほとんど詩の世界になる。
一般的に用いられない表現は、少なくとも議論の公共性に開かれた場所では使用に慎重になるべきだし、まして議論の前提として自明なものとするなら、混乱は免れない。
なんで2chでそこまで聞き手のことを配慮しなきゃいけないのかと言われればそれまでではある。
だがそれならば「お題」などと話を仕切るべきでもないだろうな。

56 :
君の話は面白くない。

57 :
あなたの気持ちって、スペードなの?

58 :
自然な離れは、射によって悟りを得る事を見つけた時に、生まれたのかも知れない。
私は弓道を再開する前に、不言真如と知の統合という両対極の修得を手掛けていたので、会で一心に伸び合うことは容易に出来た。
それで、弓道を34年ぶりに再開し、3回目くらいの練習でそれを経験している。
それは、洗練された射ではないけれど、矢飛びも矢勢もすこぶる良いものであった。
こういった悟りの射は、技術云々ではなく、精神性の問題である。
つまり、三昧境に身を委ねることのみで実現することである。
その後は、不言真如で射を余す所なく感じ取り、知の統合をもって射を分析し積み上げて来たのである。
研究の結果、自然の離れにも3種が有る。
かつて禅の坊主が取り組んだ悟りの射は、純朴で技もない、精神性の自然な離れである。
これでは、佛道としての道はあるが、芸がない。
二つ目は、暴発を昇華してはいるが、離れの時機に満を持したものがない自然な離れである。
これでは、道も芸も半ばである。
三つ目は、満を持して出る自然な離れである。
この満の要素を具体的に書けば、3つになる。
一つは、離れの弓力に負けない詰め合い。
足踏み・胴造り・弓手・馬手など、微塵もためが在ってはいけない。
しかし、無駄に力んでもいけない。
二つ目は、身に即した最大弓力の伸び合い。
私の場合は、関板と弦の間隔は5ミリで、4寸伸びの弓で96センチの引き尺である。
三つ目は、一つ目の射の土台と二つ目のパワーを損なわない様にする馬手の指の解かれ方・弦の抜けの精密さである。
有為の離れであれば、前述の一つ目と二つ目が実現されて、自分で離せば良い。
しかし、自然な離れでは、一つ目を保ちながら二つ目に至って離れが出なければいけない。
このことは、ひとえに、三つ目の馬手指の結び微妙で、難しいことを表わしている。
しかし、離れの間際に馬手に意識がある内は、無駄な力が入って、自然に離れないものである。
これが武芸としての弓道の最上の離れで、雨露利の離れとも言われるものである。
射の真体、ここに在り、ということである。

59 :
弓道の矢は、発射されると基本的に高低差のある放物運動をする。
実際には、空気抵抗もあり、矢羽や矢の回転によるジャイロ効果など、複雑な要素を含むが、ここでは単純化したものを考え、一つの傾向として捉えることにする。
私の身長は180センチだが、口割と的の中心との高低差は125センチである。
矢尺は103センチ、引き尺は95センチで、矢先から的までの距離は27,15メートルである。
会では矢筋が水平で、その通りに射出されると仮定することにする。
この場合で計算すると、矢が的心をとらえるときの矢の初速度は、193.6km/時である。
また、12時方向で的中する限界の初速度は、209km/時で、6時方向で的中する限界の初速度は、181km/時である。
つまり、水平に発射される矢の初速度が、181km/時以上209km/時以下の時には、的中出来るという事である。
的中する初速度の下限を元にすると、その上限までには15パーセントの幅が在る。
同じ引き尺でも、自分の意思で離した凡射と自然の離れでの射では、果して初速度にどれ程の違いが有るのだろうか。
巻き藁前での体感では、両者の違いは明白である。
自然の離れになると、弦が耳の辺りを通過する時点でうなりを上げ、巻き藁への刺さりも正直で勢いがあるので、はっきり底を打つ音がする。
凡射か、或いは自然の離れか、その射の中で引き尺の長短を的中する初速度の範囲で行うことは、15パーセントも有れば可能だろう。
しかし、そういった通常の射の誤差に、凡射か自然の離れかという異質な誤差が加われば、恐らく的の鉛直方向の誤差(36cm)を超えてしまうのではないだろうか。
現在は、有為と無為の離れが入り混じった状態だが、これで的前に立てば、恐らく的の上下に矢は散るはずである。
自然の離れがコンスタントに出るようになれば、その矢勢で高さの狙いを微調整し、中る射が実現出来るようになると思う。

60 :
解剖学見地で、スポーツに於ける筋肉の使い方などの研究が進められているように思う。
しかし、弓道に関して言えば、体幹を安定させる為の筋肉の使い方とか、弓を大きく引き絞った状態を維持する筋肉の使い方とか、弓手を離れた後まで安定した状態に維持するといった筋肉の使い方など、具体的な研究例は見当たらない。
弓道は射的競技の一種で、一般的なスポーツに比較すると静止状態の筋肉の使い方が重要であるという特徴を持っているからでもあろうと、推測される。
体幹を維持するには、腹筋と脊柱起立筋の働きが大きいと思われる。
また、弓を大きく引き絞った会では、からだの背面の筋肉群のみならず、一部前面の筋肉群も重要な働きをしているように思われる。
さらに、手の内や弓手首の維持・不動の押手になると、上下や前後の2方向への曲がりを防止するために、どの部位の筋肉群をどの地点まで張れば好いのかなどを知れば実現する。
こうした射手の経験則に、科学が全くと言っていいほど追いついてはいない。
私は連盟の運営等に対する要望の中に、弓道を科学的に研究する事業の新設を訴えたが、是非叶えてほしいものだ。

61 :
幻の射を普段にも出来るようにした射手は、中るわ。
きっと、阿波さんもそうだろうし、岡崎さんなんかも、そんな感じだ。
こうなると技術なんてものより、幻の射の状態そのものが、
中る条件をほぼ満たしてくれる。
だから、修練が浅いままにこれを体得すると、
その後の修練が滞ってしまう危惧がある。
私の場合は、幻の射を状態ではなく技術で追及し、
また、単に中るだけではなく奥義の射を得て、幻の射に近似させてきた。
だから、幻の射を経験をすると、その成り立ちがよく分かる。
まあ、よく分かるのといつでも出来るというのとは別な話なのが、
多少やっかいなところだ。
かつて、奥義の射が約200本に1本の割合でしか出現しなかったのを思い出す。
しかし、今では特別に失敗しなければ、奥義の射が普通に出るのだから、面白い。
こうしたことを可能にした最大の理由は、自己の射を自覚していたからだ。
まだ、雪が凄いから今日は10本くらいしか引かないのだろうけど、幻の射は2・3本は出そうだ。
かつての奥義の射よりは、成り立ちが単純だから、時間の問題だと思う。
ネ申(ねもうす)の射を普段のものにしたら、結構最強かも知れんわ。

62 :
荒らしとしてアク禁に出来ないのかな

63 :
2chにアク禁とか意味ないって。IDBANすりゃ良いだけだろ

64 :
自分の射を神格化しちゃってて気持ち悪いよな
どんだけ傲慢なんだか…
真に弓道を究めた人がいるならその人は軽々しくそういうことを言わないでしょうね
NGIDに登録したからもういいけどさ、

65 :
好い射を出すということは、弓の中で詰め会いをし、弦返りも出来るだけ真っ直ぐにしたいから、
捻り要素の加減を間違えると、腕だの頬骨だの痛い目にあう。
ほんの数ミリでかわしているいる感じだ。
的の芯を貫く射とは、両刃の剣だよ。
的を射抜くし、一つ間違えれば、我が身を切る。
緩みの無い矢勢の載る弦返りで身を打てば、
流石に、苦痛で息が止まる。
サポータなどで保護を行うと、皮を切らせて骨を貫く、
その境界が身に付かない。
頬骨や手首に近い辺りは大したことが無いが、
肘から10センチほど的側の部分は、打った瞬間息が詰まる。
弓の修行は、辛い事、それが出来るようになって楽しい時期、
また、新たな課題に出会い辛い時期、それを乗り越えて楽しい事、
そうした事の繰り返しで上手くなって行く。
人生で、アイデンティティの危機を乗り越え、
新たな環境の年代を生き抜いて行くのと、
弓道の修行も同様だよ。

66 :
足踏みの時、弧を描くように開きますね。
この方法ですと、的の中心から引いた直線と両足の親指先を揃えること、その開き幅と足の内側のなす角の3つの要素を一時に決めなければなりません。
この事は、私にとっては非常な困難です。修行という言葉で片付けるには荷が重いのです。そこで、3段階に分けて足踏みを行っております。
つまり、射位に立った時に、両足の親指先が的からの直線に揃うように心がけます。次に、足の内側の線どうしが平行になるように足を真横・的方向に開きます。
開きの幅が良ければ足先を床に付けて、浮かんでいる踵を内側に戻して角度を決め、そして床に足の裏全体を固定します。このようにしています。
ご承知の通り、射手の思惑とは異なり、一射毎に状況は変化をするものと思われます。後に悔いを残さない為にも、ひとつひとつの感覚を大切に味わいながら、足踏みを行いたい、と考えておりました。
弓を始めて1年9ヶ月です。この間、的前には立ったことが無く、巻き藁前の日々です。特別な師には就いていない代わりに、至る所で教えを授かる事が出来ます。

67 :
弓は音楽で云うと、声楽に似ている。
ピアノなら、特別に好い音を出すには長い訓練を要するが、
普通に聴ける程度の音なら素人でも出る。
後は、指の動かし方を習えばよい。
ところが、声楽の場合は楽器である声を作ることから始まる。
ただ音程やリズムに言葉を乗せていっても、
聴き辛い声では音楽性が損なわれる。
弓道も声楽と同様に、矢筋通りに直ぐな矢が射出するように、
まず、射出装置を作り上げなければいけない。
しかし、弓界の実情はどうかといえば・・・
チャカで喩えれば、
引き金を引くのに銃身がブレ、
発射された銃弾がグニャグニャで、
しかも銃身通りには飛んで行かない。
多くの射手が持っている射出装置は、そんなのだ。
弓道衣を着て、マジガオでやっているけど、
その実情はまるでアニメみたいで、滑稽だ。
恐らく、弓界全体の的中率は、3割程度だと思う。
恐ろしく調律の狂ったピアノをドヤ顔で弾くのと、
中れば好いだけの奴が引く弓とは、同様な不快感がある。
まあ、感性の問題かなぁ。

68 :
真に弓道を極めていない人たちや団体が、多くの著作を発表したり、講習や指導さえしているのに、
真の弓道を極めた人が、何も発表しない訳がないよ。
初めに悟りを開いた釈迦が、悟りを開いたと誰が判断して認識したと思う。
釈迦自身が、俺は悟りを開いちゃったぜ、って皆に言いまくったから、
釈迦が悟りを開いたことが世界中に広がる事になったのよ。
君も少しは考えろよ。

69 :
いや、言うのは構わないさ
ただもっと言い方を考えると思うってこと
弓道の精神性を考えて一言で言っちゃうと、傲慢な態度は良くないんだから、本当にわかった人ならそういう態度は出さないってこと
本にする際には自分の技術論を絶対的に支持したほうが読み手を納得させられるってことはもちろんわかってるけどもね

70 :
かっちゃんが並進運動を抑えた離れを提唱したくらいの時に超小離れにして前離れも押さえようとしていた教七が私の支部にもいた
天皇杯も少しずつ変わってきている
真の弓の可能性に誠実に取り組んでいる一定以上のレベルの人には響くものがあるのかもしれないとは思われないですか?

71 :
釈迦は便所に籠ってぶつぶつ独り言言ってたわけじゃねえよ。
発表するなら2ちゃんで「アーアー聞こえない」やってないで、然るべきところで喧嘩してこいよ。
ありとあらゆる聞き齧りを巻藁の前でぐちゃぐちゃ捏ね合わせた御自慢の不言流で、さっさと弓界をびびらせてこいよ。

72 :
まず俺は教本図解の残心を目指してるから小離れの良さがわからないんだよね、
周りでも小離れを指導してる人もいなかったし
むしろ小離れはいけないものとして教わってきたから
会でしっかり伸びあってたら離れが起きたときに自然と馬手は飛んでいくという理論でね

73 :
私も以前は軽い離れのために、取り掛けから離れそうな馬手の手の内を作りました。
勿論、軽い離れには、強く鋭いが含まれています。
しかし、こうした離れそうな馬手の手の内では、本当の強く鋭い離れは出来ません。
何故なら、一般的に言う伸び合い、私の場合は張り合いと言いますが、充分な張り合いが出来上がる前に、そのテンションの増加で先に離れてしまうからです。
今の私は、弦枕は深いですし、馬手拳は適度に捻っていますので、弦を保とうと思えば、自分の意思に反して離れることも暴発の危険性も全く有りません。
そして、離れる時は、何の抵抗もなく軽く離れます。
ヒント・・・なぜ、何の抵抗も無いのでしょうか。
早気を直すには、軽く離す為に離れそうな馬手の手の内にしてしまったことを止めるべきでは無いでしょうか。
その上で、本当の軽く離れられる馬手の手の内を研究された方が良い様に思います。
私のやり方は公開しませんが、一見矛盾しそうな事を解決する方法は有ります。

74 :
最小限の力や努力などで、最大限の成果を得るような射はある。
これは、射術としての弓の在り様だ。
敵を危める射、的に中てる射、勝利の射、つまり実利の射だね。
一方、性能の低い弓具を用いながらも理想の射を実現すべく、
心身を千尋の谷に投げ打っような射もある。
これが、弓道としての弓の在り様だ。
至誠の射、奥義の射、悟りの射、つまり修道の射だよ。
前者の典型は、スポーツとしてのアーチェリーだ。
和弓の場合も、射手の殆どは実利の射であり、弓術に留まっている。
後者だが、至誠の射は弓道と同値だ。
奥義の射は、心弓体が一になり、からだから矢が放たれるというもので、至誠の射を形有るものにした典型である。
悟りの射は、ただ一心の射であり、射技の巧拙は問わない。
意識が飛ぶという見性体験の射だ。
会で、息が続かない、伸び合いが続かない。
そうした段階の困難さもある。
しかし、理想の射を得ようとすれば、心弓体が一になって、
もう逃げ場のない恐ろしい状況になる。
ちょうど、高い尖塔に登り、頂上には立ったが、もう身動きが出来ない。
それが、私の会だ。
目を閉じたら、からだが傾いて、落ち始めた。
一射絶命。
これが離れ。
ところが、背中にパラシュートを背負っていたことに気付いた。
これが残身だよ。

75 :
うちの子供たちが小さかった頃の通知表には、各教科の評定の他に性格の特徴のような欄が有りました。
その中には、「情緒の安定」という項目が有りました。4人の子供を育てた父親の実感です。特に子供は親に愛されたいものですね。
子供は親に愛されていると実感していれば、心が安らぎ落ち着くものです。それは、家庭でも学校でも変わらないようです。
情緒の安定の欄が良好にチェックされていれば、子供は気持ちが落ち着いて、授業での先生の説明をしっかり受け止めますね。
私は教育パパでしたが、子供が社会性を身に付け、またその人らしさを実現させるための触媒作用の様なものでした。勉強と集団生活の基本は学校にお任せです。
共に遊び、チャレンジし、会話を交わし、時には子供にアドバイスを貰います。子供から相談を持ちかけられる親であるためには、親が子供を信頼して時に相談をしなければなりません。
そして、子供にとって相談を受けるという経験が、大人への練習にもなります。まあ、私の教育スタンスを表すとすれば、「子供は親が言うようにはしない。親がするようにするものだ。」ですね。

76 :
正射を認識する為の修練。
正射を認識し、正射に向う修練。
正射を得て、正射に導く指導。
現在の指導者、称号をお持ちの先生方、
その大半は、明確な正射の認識が無く、
後進を指導していそうだ。
正射の認識無く、どこへ導こうというのだ。

77 :
お前はせったん和尚のところで言われたことがなんも分かってないんだな
できもしない御託並べても無意味って言われてるくせに
お前は人様によけいな迷惑ばかりかけ人の気持ちを踏み躙る悪人だよ

78 :
例えば、今まで、戦で尊重されてきた弓隊が、
テッポウの出現で、農民の鉄砲隊に追いやられた状況になる。
家に代々伝わる弓術、射術に費やした数十年が、
たった数ヶ月訓練されたの農民の鉄砲隊に押しのけられてしまう。
傲慢だ、俺たちの気持ちを踏み躙る悪人だと、
愚痴を言いたい気持ちは充分判るよ。
しかし、それが時代の移り変わりだよ。
弓引きだけじゃなく、技術改革によるレコードからCDへ、
街の商店から大規模量販店へ、黒電話から携帯へなど、
今までそれで生きてきた人たちが、廃業に追いやられたりする。
しかし、その一方では新しい生活が始まって、
今までには無い恩恵も受ける事になる。
一長一短だと思うよ。
しかし、どうだい。
君らも、もう黒電話を使う事無く、携帯をいじっているだろう。
ノスタルジアも有るだろう、しかし、時代は確かに変わっていくものだよ。

79 :
それを許さない人々のおかげで弓道は変化することができない
当然、進化もない。退化はするかもしれないけど

80 :
打ち起こし以後の弓力に十分耐えられ、重心の移動等に対応できる構えが必要である。
一言でいえば、下肢は緩まず、硬直せず、両下肢に均等に体重を託すことである。
これを実現するために、多くの注意事項が伝えられ、述べられている。
足の裏が均等に床につくようにする。
そして行射中の重心移動に備えて、拇指球付近の力を意識する。
この力は、大腿内側の力を意識すれば生じる。
「両の内腿にて物をはさみ、外へふみはるようにすべきなり」
「膝詰めは、すなおに筋を引き伸ばし、股根を内へひねりあわせよ」

81 :
指の第二、第三関節は曲げ、第一関節を伸ばして親指にかける方法。
鈎の手の内。
熊手の先のように物を引っ掛ける形で、大三のとき指先が折れただけで、肘先までは自然にのばした形を正しく整え、
中指または薬指の先端にカケ帽子の頭を引っ掛け、帽子の中の親指を軽く張り起こして、爪を帽子の上部につける。
これの重要な点は、指の第三関節が曲がるか伸びるかである。
いずれにしても、親指を押さえる力は、中指:人差し指で7:3あるいは、6:4ぐらいに分担すべきで、
10:0では右ひじの内旋を誘発し、人差し指の負担が増せば、深くかかっていることになるので、離れが鈍くなり、障害の原因となる。

82 :
弓構えは、右手が弦にかかり、左手の手の内を整えた後の両上肢の状態であるが、「弓に対して働きかけを始めた」との意識が強く作用して、
両手先で弓を支える気が強くなり、これは、以後の射技中、上腕筋の働きが二次的になり、前腕あるいは手首で弓を引く原因となるので、
突っ張りすぎず、曲がりすぎず、左右異形とならず、いわゆる円相に構えて、両上腕・両肘で弓を支え、直接弓に接する手先は形を整えて
いるだけであるような配慮が必要である。

83 :
会に於ける横線、つまり力線には、端的に3種ある様に思う。
1、肩甲骨の上部を着けて詰め合う方法。
2、肩甲骨の下部を着けて詰め合う方法。
3、肩甲骨どうしを離して広げ、体幹の前面で詰め合う方法。
会での引き尺で言えば、1より2、2より3の方が引き尺が大きい。・・・矢勢が乗る。
また、会に於ける矢筋と力線との距離であるが、1より2、2より3の方が距離が小さい。・・・矢所の狂いが小さい。
つまり、弓手、馬手の押し引きする力の向きが矢筋の方向に近いため、
会の矢筋を保持するのに小さな力で済むと同時に、離れに於ける緩みや捻りすぎなどの射癖が出難い。
1と2の方法は、実引き尺を伸ばしながら離れる引く矢束の射で採用されていると思うし、3は引かぬ矢束の射でこそ採用されるものである。

84 :
前者は、先に詰め合いをし、後から伸び合う。
肩甲骨を詰め合うことで、横線の伸張が不十分であるから、
会では逆に伸び代が有る分、実引き尺を増やしながら離れを出し、残身では会よりも1・2寸弓手拳が的方向に出ることになる。
また、体幹の横線の伸張が不十分な分、馬手の手先で引き尺を補填し、結果大離れになる。・・・馬手側の詰め合いは不十分。
後者は、先に伸び合い、後から、それを詰め合う。
弓と弦との間に、僅かに横の力線が入り、つまり弓の中で詰め合うことになると、それ以上、身動きの出来ない引き尺の会となる。
だから、緩み為しに離れれば、それが引かぬ矢束の射と言える。
栄さんなんかもそうだし、多くの射手もそうだ。
会よりも1・2寸残身で弓手が的に伸びている。
横線の縮んだ会を作っていたから、残身で伸びたのだよ。
全日本の上位者にも、範士の先生方にも、普通に見られる現象だね。
弓は横引きじゃ駄目だ。
縦引き、まだ足りない。
矢筋引きだよね。
だから、私は、伸び合いの後、詰め合い、張り合いを加えて会とし、静止する。
やがて、自然(じねん)で離れれば好し、自然が発現しなければ、自分で離す。
緩みの無い引かぬ矢束の射であれば、自分で離しても実質的に自然(じねん)の離れと同じだ。
そして、自然(しぜん)の離れよりは、離れの時機に於いて優っている。

85 :
弓道というのは、自分で答えを出す事だよ。
尋ねて上手くなっても、中身の追い付かない勝利至上主義だな。
以前、ここにもそういう全日本の優勝者が顔を出した事がある。
さて、手の内の人差し指の伸びや曲げ具合、力の入れ具合や脱力も、千差万別でしょう。
その上、射の巧拙の差が甚だしいので、一概にどうのこうのと言うことは出来難いですね。
ただ、初習者が離れの大きな弓力を支え、手の内を崩さない為には、親指と人差し指を伸ばして開く形が分かり易いですね。
この形を上手くやれば、母指球はより硬くなり、親指と中指をしっかりと着ける事が出来ます。
手の内が高度になって、人差し指が担うものですが、弓の姿勢制御に関わるところが大きいでしょう。
これは、弓と接している母指球面とか親指との共同作業になりますが、人差し指の第2関節から第3関節までの部分の向きが特に重要です。
矢離れを起す瞬間の弓の回転角度に影響します。
また、弦離れした後の弓の形状復元する方向、つまり末弭の移動する方向に影響します。
こうした弓の姿勢制御に関わる部分を一定に保つには、親指と人差し指を開くより、人差し指を曲げて、その指先を親指の定位置に固定した方が射が安定します。
また、会の手の内のままで、残身で改めて弓を握る事もありません。
つまり、弓返りの前後に於ける弓の姿勢制御に於いても、人差し指を曲げて親指に付けた方が、より安定しています。
どこか1部の精度を高めても、他所に大きな誤差が有れば、その精度は活きては来ません。
射の全体に亘って自分の射を好く検証し、より大きな誤差を生む射癖から順に矯正して行く事が肝要です。
この人差し指の向きが最大の誤差を生む要因であることに気が付く頃には、既に範士かそれと同等以上の実力を有しているでしょう。

86 :
>>78
それはまったく新しいものじゃん
別物といっても過言じゃない
ここでは同じ弓道の中での話だよ、しかも道具や物じゃなくて技術や理論のね

87 :
そういう認識も君の個性だよ。
君には君の感じ方、そして生き方が有る。
いいんじゃないか。

88 :
個性という言葉に逃げてる感が否めないが、まぁ俺は俺だからな

それに全否定してる訳じゃなくて文脈も何もなしにただただ奥義だのなんだの言ってるのが気に食わないだけよ
はい、終わり

89 :
弓の道を歩む者にとっては、常に今という辿り着いた地点が奥義なのだよ。
そうした良いも悪いも自分の現在の実力を明かす言葉が奥義だよ。
君も弓の道を歩んでいるのなら、君の奥義がある。

90 :
哲学には、限界を表わす2つの言葉が有る。
一つは地平で、決して越える事の出来ない限界を表わす。
もう一つは境界で、今は越える事が出来なくても、越える可能性の有る限界のことだ。
不言流の様に、自分の弓が上手くなって大会で優勝する事より、
弓道の可能性を常に広げようとその限界に挑んでいると、
日々、僅かでも弓道の境界が先へ行って、道が拓けて来る。
こうした生活をしているから、限界・境界・奥義などという言葉が、
いつも脳裏のどこかに在るという訳だ。
その人が使う言葉というものは、その人のひととなりを好く表わすものだよ。

91 :
雨の中で1射。
注意すべき8項目を念頭に射を試みた。
矢所は、ほぼ的芯だが矢の尻尾が僅かに右に傾いて巻き藁に刺さった。
本来、矢筈を番えた弦の部分が会での矢筋通りに弦返りしなけれなならないのに、
弓の初期回転角が僅かに大きくなり、この鉄則を崩して弦が矢筋より右に逸れてしまったと、考えられる。
会での手の内感の内、上押し感に問題は無かったが、左右の均等感は崩れ内竹の右側の圧力が小さかった。
弓を支える右側が単に弱ければ矢の刺さった傾きは反対なのだが、射手がその欠陥を充分に感じ取っていると、離れでそれを補おうとからだが無意識に補完の動作を行う。
ところが、この補完が過ぎてしまったのだろうと、思われる。
この失射の原因は、会で内竹の左右の圧力が均等でなかったこと、言い換えれば弓を手の内で真っ直ぐに受けていなかったという事です。
それは、大三を創る時に、弓手拳の入りが不足して、弓と手の内とが正対する為の準備が出来ていなかったということです。
そして、それが起きた原因は、雨の湿度のせいで手の皮膚と握りとの摩擦が増大して、弓手拳を押し込めなかったということです。
現在の私の握りには、握り下も握り皮も有りません。
手の内に合うように削った弓のままで引いています。
それで、雨の湿度で、摩擦が増大しました。
勿論、人様の前に立つ時には、規定や人倫を満足する在り様に正すつもりです。
まあ、刺さった矢は、尻尾を振りませんでしたし、矢勢もそこそこ有りましたが、最も大事な正直な矢飛びではありませんでした。

もし、会でこの様な状態になった時、そこから正直な矢飛びにもって行こうと思えば、上押し感を多少強くすることです。
しかし、これが過ぎると、今度は矢が下に行きますから、狙いを上に変えなければなりません。
大会の団体戦など、どうしても中てたい1射の場合は、こうした方便もあります。
上押しは、離れた後の上鉾の移動方向を正す働きが有り、多少の矢の左右の狂いなら修正してくれます。
好く上押しが利くには、上押しではなく、中押しで弓と手の内との関係を作ることを留意しなければなりません。
最近、かけの製作を生業にされている某範士が、上押しから中押しに変えられたのが、当該サイトで確認されました。
上押しの利く、上鉾が戻らない、上下の矢の並進運動を抑える第3段階の射は、慣れるまでは上下の矢所の調整が難しいのですが、左右の射の精度には強力な効果を発揮します。
勿論、矢勢も更に乗りますね。
全日本の選手たちも範士の先生たちも、動画などを見ていると、その多くは弓手拳より一尺も前に本弭が出て離れています。
まだまだ、第2段階に至るか至っていないかの射術レベルだと拝見しておりました。

92 :
『雲の上の少女』
私は少年の頃、よく空を見上げていました。
その日も、いつもの様に青い空に浮かぶ雲を無心に眺めていました。
でも、その日は特別な日でした。
雲の合間から、こちらを覗き込む少女を見つけたのです。
とても綺麗で、優しい目をして、微笑んでいました。
突然、風がぼくの髪を掻き揚げたと思ったら、その少女を乗せた雲は遠くへ流れて行きました。
それからも、ぼくは何度となく、その少女と出会いました。
でも、遠すぎて話も出来ません。
そして、ぼくが18歳になった頃、ぼくを悲しい目で見つめる彼女に出会いました。
それからは、空のどんな雲を探しても、少女は見つかりませんでした。
ぼくは、いつからか空を見上げる事を忘れてしまいました。
私は大学の3年生になった時、同じサークルに入って来た新入生に恋をしました。
そして、私たちは出会って間も無く両思いになりました。
彼女は顔は違いますが、あの雲に乗った少女と同じ目をしていたのです。
或る時、その話を彼女に聞かせました。
すると、彼女もはにかむように話し始めたのです。
私は少女の頃、雲の上から地上に居るひとりの少年を見つめていました。
いつしか、私はその少年に恋をしてしまいました。
そして、16歳になった時に、母にそのことを話すと、天使は地上の人間とは暮らせないから、諦めるように言われたのです。
でも、どうしても諦められず、この春に、天使のつばさを失うことを覚悟で天上を離れることにしました。
そして、空の上から、次々と低い雲に飛び移り地上に降りたのです。
じゃあ、君はあの時の雲の上の少女だったんだね。
でも、どうして顔が違うの。
最後の雲から地上に降りる時、顔で着地しちゃったの。
もと天使の彼女は、いま私の妻になっています。
四人の子供にも恵まれ、初恋同士で幸せに暮らしています。

93 :
『サクラ前線』
 そうです。もう、22年も経ちました。上の3人が小学生で、一番下が幼稚園でしたね。
私たち家族は、少し気の早い花見に出かけたのでした。
 さくらの名所・五稜郭公園には、やはり気の早い人たちが方々に陣取り、屋台にも賑(にぎ)わいを見せておりました。
主役のさくらは、つぼみの内に寒さを避けているのでしょうか。僅(わず)かに微笑みかけている花弁さえ見当たりません。
 不意に、堀に沿って歩む私たちの行く手が明るくなったのです。
花曇(はなぐもり)の空にポカンと窓が開いて、陽だまりが出来たのでした。
 「何だろう。」・・・何かがハニカムようにまどろんでいます。
私は、なぜか懐かしい気持ちになりました。
それは、子供のときに一度出会ったことのある”サクラ前線”だったのです。
 私は少し口早になって、それを家族に伝えました。そして、「1・2の3」の号令で、私たちはサクラ前線を飛び越えたのです。
その瞬間、耳の中に「シャラ―ン」という不思議な音が鳴り響き、虹色の光が体をすり抜けました。
 「お父さん、僕たちも楽しいけれど、あの人たちもみんな楽しそうだね。」
 「ん。」
 「お母さん、私は何か食べたい。」 
 「ふふふ、そうしましょうか。」
 「こんにゃくの味噌おでんがイイ。」
  一番下の娘は、確かに食いしん坊でしたが、意図せずに他の家族の想いも叶(かな)えていたのでした。
 家内と私はこの春のさくらの花びらに心を重ね、ひと時想い出話に浸(ひた)っておりました。
 ところが、家内は、にわかに何かを思い出したのでしょうか。立ち上がると奥の部屋へ行き、何かを手にして戻ってきました。
それはブラウスでした。しかも、胸元が汚れています。
 「貴方、これはあの時の味噌のシミよ。」
 「ん―。それにしても小さなブラウスだね・・・。」
 「あら、もう明かりを点けなくちゃ。」
 「時間が経つのは早いね。」
 「ええ、本当に・・・。」

94 :
>>55
みんなの教科書になれるのは理想的だけどそうじゃないならそうじゃなくてもいい
巨人の長嶋元監督と中日の落合元監督はプレイスタイルの全く異なる2人だけど議論はできる
投石機は(2)が一番言いたいことで(3)はそれに付随する
重さという概念は一般的ではないから伝わらない人の方が多いよ、普通こうはいかない
わかる人だけわかってくれと言ってるのと変わらない
わかるからこそ何故ややこしくしているのか理解できないんじゃないか?
緊張感と責任感を持った上でそういう要素がほんの少し入るくらいなら許されてもいいだろ、真剣に議論するなら尚更な

95 :
奥義の正射を極めるには、次の3条を修めることである。
第1条に、矢の左右の並進運動を抑えることである。
第2条に、矢の上下の並進運動を抑えることである。
第3条に、弓の自捻を引き出すことである。
矢が並進運動を起す原因は、第1に前離れ、第2に緩み離れ、第3に懸け帽子の腹と弦との接触であり、弓手首の反りや弓手の振りが並進運動を増長させている。
これらの矢の並進運動の原因を無くせば、第1条と第2条は達成できる。
更に詳説すれば、第1条には左右不動の押手が必要で、特に弓手首の反りを押さえることが大事である。
同様に、第2条には上下不動の押手が必要で、特に弓手首の上への反りを押さえる事が大事である。
よって、真の不動の押手とは、左右上下の不動の押手ということになる。
この不動の押手は、弓手肘と手の内との筋肉使いで決まる。
こうして、第1条を達成すれば、左右の矢の並進運動が抑えられる為、矢勢は乗り矢飛びの精度も格段と高まる。
更に第2条を達成すれば、上下の矢の並進運動も抑えられる為、矢勢も矢飛びの精度も更に高まる。
特に、第2条の達成によって上押しが利くようになると、離れた後の弓の返りが直ぐとなり、矢所の左右の散りは格別に小さくなる。
さて、第3条の弓の自捻とは、釣り師が餌に食付いた魚の針掛を確かなものにする為、竿を横に倒して糸の張力を上げる様なものである。
ただし、弓の場合は弓の形状復元という人為の及ばぬ時機と強さと速さでこれを成し遂げ、矢勢を最大とする。
この弓の自捻を引き出すには、自ら弓を捻るのではなく、弓に適度な自由度を与えるべく、手の内にそれを仕込むことが大事である。
この手の内の仕込とは、柔らかな手の内が弓に巻き付き、会では好く締まるのを最上とする。
手の内の筋肉使いは、受けに徹することで成し遂げられる。
射手の技量がここまで至れば、矢離れする時の弓は張り顔の状態に近く、弓が縦伸びをして手の内を打っても弱く、手の内から弓が飛び出すことも無い。
寧ろ、手の内の狭い隙間の中で、抵抗も無く静かに弓返りをするのである。
次に、奥義の正射を締めくくる会離について述べる。
弓構えで出来た弓懐の円相を次第に潰していき、薄い突レンズの断面形にしていくのが引き分けである。
弓手拳と右肘を両端として、矢筋線と横の力線とが接近する様に円相を押し潰すのであって、手先で押し引きするのではない。
こうして引分けてきて、体幹の縦線も横線も伸び、馬手肘の内側も詰まった所が引き分けの完了である。
そこからが会と言える。
会では横の力線、つまりは弓手拳から両肩を通り右肘に軽い縒りを利かせて矢筋との間隔を更に縮めるように会を深める。
此れによって、矢筋と力線が更に近付くから、射の精度は高まるし、緩みが抑えられて矢勢も乗る。
更に詳説すれば、この縒りは、弓手拳では弓と矢との接触を防ぎ前矢を起さない。
また、懸けの弦枕の構造上、弦は脇正面方向に弦離れするのだが、この縒りによって捻り皮が弦返りを正してくれる。
後は、会を深める静止状態、静中の静で、奥義の離れ・自然(じねん)で離れれば好い。
これをもって、奥義の正射という。

96 :
幸せって云う文字は、土の下に¥・円が隠れているように見えませんか。
でも、これじゃ宝探しみたいで、少し欲張りですよ。
それじゃ、¥がこれから芽生えてくる双葉のように見えたら、どうでしょうか。
¥の上が双葉で、その下が可愛い根なんです。
土に人差し指で窪みを作って種を植えます。
それに、ふんわり土のお布団を掛けてやって、水もあげます。
朝、目を覚ますと、まだかなぁって、1番最初に様子を見に行きます。
そんな朝を数日迎えて、帰宅した時にふと目をやると、双葉の芽が出ていましたよ。
しゃがみ込んで、顔を近づけて、好かったね、元気だね、大きくなろうねって、応援したくなっちゃいます。
はい、幸せの作り方でしたね。
身近なところから、幸せの種をまきましょう。
自分が望むことじゃなく、周りの人や物が望むことを優しい心で感じとって、それをしましょう。
そうすると、やがて幸せの花や実がなりますよ。
幸せの花とは、喜んでもらえるかなぁって云う期待感です。
幸せの実は、実際に喜んでもらって、笑顔を見た時の感動です。
そして、その感動が相手にも伝わり、二人とも幸せになります。
やがて、お互いが大切な人になり、幸せの種がたくさん増えて、周りに散らばって、幸せの花園になりますよ。
幸せの種って、ブランド品のプレゼントなんてものじゃなくて、ちょっとした気遣い、声かけ、笑顔など、どんな境遇にあっても、人を癒したり、励ましたり、楽にしてあげられることが有ると思います。
こうした方法論を知ったら、後はほんの少しの勇気が必要です。
そうそう、自分が見つけた美味しい物を教えてあげるのも、りっぱな幸せの種になりますね。

97 :
You tubeで、決勝出場者20名の離れを見た。
馬手の手繰りで、引き尺の取り過ぎ。
馬手は右肩の詰めも無ければ、右肘の詰めも無い。
だから、伸び合って離れている様に見えても、緩み離れだ。
離れの出し方の解らない学生弓道の様相。
会を壊して離れを出している。
弓手は手首の反り、パッと開いて弓の握り直し。
手の内を開くのは、緩みになる。
開くんでなくて開かされるのなら本多先生か阿波さんだが、みんな阿波さんにもなっていない。
横引きの射で、上鉾が戻っている。
総じて、レベルの低い射だ。
第1段階か、稀に第2段階の射が有る程度だろうが、不動の押手は見られない。
矢筋引きは難しいとしても、まず弓は縦に引くものだよ。

98 :
『サクラ前線』
 そうです。もう、22年も経ちました。上の3人が小学生で、一番下が幼稚園でしたね。
私たち家族は、少し気の早い花見に出かけたのでした。
 さくらの名所・五稜郭公園には、やはり気の早い人たちが方々に陣取り、屋台にも賑(にぎ)わいを見せておりました。
主役のさくらは、つぼみの内に寒さを避けているのでしょうか。僅(わず)かに微笑みかけている花弁さえ見当たりません。
 不意に、堀に沿って歩む私たちの行く手が明るくなったのです。
花曇(はなぐもり)の空にポカンと窓が開いて、陽だまりが出来たのでした。
 「何だろう。」・・・何かがハニカムようにまどろんでいます。
私は、なぜか懐かしい気持ちになりました。
それは、子供のときに一度出会ったことのある”サクラ前線”だったのです。
 私は少し口早になって、それを家族に伝えました。そして、「1・2の3」の号令で、私たちはサクラ前線を飛び越えたのです。
その瞬間、耳の中に「シャラ―ン」という不思議な音が鳴り響き、虹色の光が体をすり抜けました。
 「お父さん、僕たちも楽しいけれど、あの人たちもみんな楽しそうだね。」
 「ん。」
 「お母さん、私は何か食べたい。」 
 「ふふふ、そうしましょうか。」
 「こんにゃくの味噌おでんがイイ。」
  一番下の娘は、確かに食いしん坊でしたが、意図せずに他の家族の想いも叶(かな)えていたのでした。
 家内と私はこの春のさくらの花びらに心を重ね、ひと時想い出話に浸(ひた)っておりました。
 ところが、家内は、にわかに何かを思い出したのでしょうか。立ち上がると奥の部屋へ行き、何かを手にして戻ってきました。
それはブラウスでした。しかも、胸元が汚れています。
 「貴方、これはあの時の味噌のシミよ。」
 「ん―。それにしても小さなブラウスだね・・・。」
 「あら、もう明かりを点けなくちゃ。」
 「時間が経つのは早いね。」
 「ええ、本当に・・・。」

99 :
(´・ω・`)ねぇねぇ、誰か読むべきレス抽出してくれないかしら
(´・ω・`)らんらん豚だから難しい話は分からないの
(´・ω・`)>>35みたいのがいるってことは、新しい人も入ってきてるのね
(´・ω・`)>>35が悪いを地でいく感じでちょっと笑ったわ

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