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中国史上最強の武将を決めるスレ


1 :2006/10/24 〜 最終レス :2013/10/24
関羽だろ
常識的に考えて・・・

2 :
岳飛もまあ、有力候補だね。
関羽に負けず劣らず庶民に人気があって、英雄視されているから。
どちらも悲運の最期を遂げた点でも、同情を引く。

3 :
人気とか人徳は別にして最強は呂布だと思う

4 :
尉遅恭のほうがより強いと思うが。
厄除けの神さまだぜ? 呂布は何だろう…

5 :
最強は項羽

6 :
呂布と尉遅恭なら、尉遅恭の方が上だね。

7 :
項羽か楊大眼だってば

8 :
ちょっと類似スレが多い。
いずれ淘汰されるだろうけど。

9 :
ここは個人的な武勇を語るのか?

10 :
ここは ある意味最強 の武勇伝を語るんじゃないのか

11 :
パワーだけなら南宮長万!

12 :
馬超

13 :
趙高だな

14 :
趙高は急所蹴りが効かない程度でお話にならない。

15 :
韓信

16 :
他に似たようなスレあんだから、これ以降二度とageるなよ。

17 :
中国なら間違いなく 毛利元就ナリ〜

18 :
呂布だろ

19 :
俺も楊大眼だと思う

20 :
項羽の再来楊玄感もそこそこ行くんじゃね?

21 :
天下を統一した武将だろ
常識的に考えて

22 :
無茶な戦略でも戦にだけは勝ち続けて天下をとった覇王項羽に一票

23 :
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/4649/1168091791/
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/4649/1168090347/

24 :
墨者教団最強の革離しかいないだろうな

25 :
最強という表現なら項羽だろうな

26 :
光武帝だよ。
3000人で100万人を倒したり(ギネス記録)
皇帝なのに、何故か常に最前線で戦ってるし。

27 :
項羽、李広、呂布   VS   謙信、忠勝、慶次
中国史上武力最高の三人 (民間もう確定、公認)
覇王の項羽、飛将軍の李広、温侯の呂布
V.S.
軍神毘沙門天の上杉謙信、蜻蛉切の本多忠勝、傾奇者の前田慶次
ならどちのグループ勝つ??
ただし、一騎討ち限定

28 :
覇王の項羽、
飛将軍の李広
温侯の呂布
小李広の花栄

29 :
指揮・項羽
軍略・韓信
計略・張良
補給・蕭何
この軍隊が最強。ただしきちんと連携がとれればだが。

30 :
蘭陵王は強い武将の部類に入るのだろうか?

31 :
項羽
26vs数万人に勝ったから。
一人あたりの比率でこれより差がある戦いを知らない。

32 :
尉遅恭はどんな戦いでも無傷なんだぜ?

33 :
第一位:モウタクトウ 殺人数:約8000万
第二位:秦の始皇帝  殺人数:約 800万

34 :
白起でしょ!

35 :
孫子は、
戦わずして相手に勝つ事が、最強であると言っている。
戦いで、国が荒れ、人民が死んでしまえば再生はなり固し。
武将とは統率や秩序の為に使う事が望ましいとも言っている

36 :
誰も知らないが、神将カクカン。

37 :
ヒョードル\(^o^)/

38 :
チンギスハーン
ヌルハチ

39 :
ライブラの童虎だな!

40 :
愛妾をかっさばいた張巡もある意味最強

41 :
個人的剣術の強さだけなら
呂布が最強かもしれない。

42 :
韓信ちゃん☆

43 :
韓信に股くぐりをさせたならず者たち

44 :
>>31
一応突っ込むと別に数万人を敗走させたわけじゃないぞ
というか26人で逃げ切れたというのが正解(自害してるから逃げ切れてもいないが)
関が原の島津と同じぐらいだな

45 :
>>1
宇宙大将軍だろ
常識的に考えて・・・

46 :
26人VS数万人の戦闘で26人が勝つなんて100%有り得ないだろ

47 :
26人がB29とか乗って大空襲すれば数万人殺せるぜ

48 :
>>46
威嚇を効果的に用いれば、何とかなる気がする。

49 :
別に26人で数万を皆殺しにしたわけじゃないからな
敵中突破して退却に成功したってことだぞ
それでもすごいけど

50 :
まあ26人vs数万人をそのままガチと受け取るのはどうかと思うが。

51 :
中国でマジで一番強い奴は誰だったかっていうんじゃ雲を掴むような話になる。
中国史で誰が一番強いとされてるか、なら色んな話が出来るだろ。

52 :
孔明

53 :
>>26
そのわりに、いまいち目立たないというか、人気が高くないような。
出来すぎ君すぎて、盛り上がりにかけるからかな?

54 :
もう項羽でいいよ

55 :
もう関羽でいいよ

56 :
もう俺でいいよ

57 :
呂布が「とんでもないやつにであってしまった」と言わしめた関羽が最強

58 :
>>57
なんかの漫画でなW

59 :
中国史上最強の武将を決めるスレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161653955/
中国最強の武将
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161650825/
中国史上最強の豪傑は誰?
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182336550/
似たようなスレばっかり

60 :
関羽に決まっている。武芸は呂布並みで、知恵もある。おまけに髭もある。(笑)
身長も2mを超えているのでこんな大男が青龍円月刀なんか振り回してたら、そりゃ大抵の人間はびびって逃げ出すに違いない。
死んだ後も神様に出世しているし...。

61 :
そりゃ逆だろうな
死んだあと神様に出世したからこそ

62 :
宋の岳飛将軍も強そうだな。 あ、朕が知っている訳無いな。どわ〜っはっはっはっ...。 

63 :
中国木人
http://www.youtube.com/watch?v=tlKtEeqdSzA&mode=related&search=
詠春拳
http://www.youtube.com/watch?v=vTZUibPr6kU&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=qaP1X-lEtgc&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=ZM676yGD_5w&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=liIOQFI9DyI&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=S3xZoVq1J2s&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=EzwbsUSkmkI&mode=related&search=
詠春拳の実戦
http://www.youtube.com/watch?v=Glv1xm8Vk8g&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=NZ3-Hi-kMNo&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=ynyypQ-wa2Q&mode=related&search=
詠春拳の寸勁
http://www.youtube.com/watch?v=l7wDsaMsypk&mode=related&search=
詠春の形
http://www.youtube.com/watch?v=glsJLfDRlWI&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=LEF1J7_cs-I
詠春拳の出演
http://www.youtube.com/watch?v=--hP6vXuuLM&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=wG_XR37bwm4&mode=related&search=

64 :
>>45
中華史上最強の英雄は宇宙大将軍侯景
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1194569088/

65 :
【金国】完顔陳和尚【対モンゴル帝国】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1194614154/

66 :
ある意味後々の英雄達がお手本としている「孫子の兵法書」の著者こそが最強ともいえるかも
ちなみに作者の候補は今のところ、孫武 孫ビン 伍子ショ 曹操の4人

67 :
・・・ネタだよね?

68 :
黄忠の若い頃が最強では? 60近い歳で関羽と引き分けた。

69 :
50代前半と互角の50代後半てそんなに評価するほどじゃないだろ

70 :
http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports021.jpg
http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports022.jpg
美鬚公…

71 :
太平天国の官職”女将軍”が最強

72 :
http://imgbbs.mobi/upload/paradise4dadds/paradise4dadds-6-308-9e63c17627.3gp
ブッカケ武将…

73 :
項籍 羽
でガチ

74 :
http://freempegs.aebn.net/gaybear_0038_5.mpg
白鬚公…

75 :
この手のスレ建てるなら、
何を以て最強にするのか言ってもらわんと…。

76 :
智将部門
猛将部門(個人武勇含む)
守将部門
一発屋部門
総合
あたりで決めてったらいいんじゃないか?
常々一発屋の評価がおかしいのが気に入らんかった

77 :
智将部門   呉起         
猛将部門   項羽
守将部門   孟キョウ
一発屋部門  謝玄
総合      関羽

78 :
んじゃ、俺も
智将部門  韋孝寛(情報戦のプロ)
猛将部門  慕容恪(知勇兼備という評価が多いが、間違いなく戦争バカタイプ)
守将部門  謝玄(華北オールスターを撃破したんだから、もっと評価は高くていい)
一発屋部門 于謙(あそこで明が負けてたらマジでやばかったと思う)
総合     李靖

79 :
ここまで楽毅の名前なし

80 :
http://freempegs.aebn.net/gaybear_0085_2.mpg
http://freempegs.aebn.net/gaybear_0085_5.mpg
白鬚公…

81 :
東方教主

82 :
張飛が出てないが…

83 :
毛利元就が最強

84 :
呑邪鬼の肝を喰らった劉備というのがおってな

85 :
毛沢東


金大中
金正日
英雄ですから

86 :
三英戦呂布という章節があって、三人は完全に勝っていないでしたことから分かるでしょう?

87 :
毛沢東
金大中     対    呂布
金正日

だと?
コイツはとんでもねえビッグカードだ。     

88 :
韓信を滅多打ちにした項羽
正攻法では無敗だし

89 :
詐術の神韓信 斉入城は完璧欺瞞の策 田横もさすがに太刀打ちできず。

90 :
策も何も無いなら項羽最強だろうな

91 :
小軍対小軍とか一騎討ちなら項羽だろ
大軍なら韓信

92 :
趙翼の『陔余叢考』に、多勢だと意思統一ができないし士気も下がるから
往々にして寡兵に負ける、って話があって長平・鉅鹿・昆陽・官渡・赤壁・淝水
その他いろいろの歴代の大軍が負けた事例を挙げてるんだが
韓信については龍且に寡兵で勝った事の他に、大軍で勝った史上稀な例のひとつとして
垓下の戦いが挙げられてる

93 :
大軍で勝つのが稀なのかな?
なんか前後に条件づけとかないですか?

94 :
古来用兵,往往兵多者敗。蓋兵過多則号令不斉,気勢不貫,必不能有臂指相使之用。
且為将者有恃衆之意而謀多疏,為兵者亦有恃衆之心而戦不力。
自三代以後,能以多取勝者,惟王翦滅楚以六十萬人,韓信破趙以二十萬人,垓下之戦漢兵六十萬人,
裴行儉破突厥擒阿史那奉職以三十萬騎,郭子儀收複西京以三十萬衆,
明太祖收中原以二十萬衆,征雲南亦以二十萬衆耳。・・・
ということで後には特に条件づけもなく大軍が負けた例が延々と続きます
全文はhttp://www.guoxue123.com/biji/qing/gyck/039.htmの真ん中からちょっと下
他にも歴代タイマン勝負とか蜀攻めの将軍の死亡フラグとか面白い話が多い

95 :
ぐお、簡体字は苦手だw
とりあえず、唐末五代を…
李克用4万で黄巣60万をボロ雑巾
高模翰300、杜重威30万と対し先鋒を壊滅させ敗走させる
李嗣源100騎で契丹軍1万の中央突破
楊業数百騎で雁門から出て契丹10万の大将をR
劉整のあだ名、賽存孝の元ネタ、李存孝の18騎でどうこうという故事は虚構くさい
(劉整の列伝にはあるけど、肝心の李存孝のにはないしな…)
岳飛の朱仙鎮が入っているな… これは単純に宋史から抜き出したものかな。
それにしても、愛すべき趙匡胤がいないではないか。偽書だっ!w
>>蜀攻めの将軍の死亡フラグ
五代では後唐の李継岌、郭崇韜、康延孝ね… その話は聞いたことがある。
蜀には諸葛亮の呪がかけられているんですよ、きっと。

96 :
じゃあ必然的に多すぎず少なすぎずベストの兵力ってのが求められそうじゃない?
あんまり少なすぎても話にならんだろうし

97 :
一戦場では5万前後、ってのを聞いたことがあるな。
作戦全体には大軍を用意して、戦況に応じて加勢、補強させる
それがいろいろ難しいんだろう。
忍耐も必要なら、投入するタイミングもあるだろうし。

98 :


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/male/1207390699/
(↑424を見てください↑)
(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))うわああああ

中国のマジ本物の拷問R画像動画っ!!!

99 :
>>92
秦の王センも大軍率いて勝ってるほも

100 :
>>99
白起も相当なもんだが

101 :
白起はむしろ寡兵で大軍に勝つイメージが強い

102 :
長平以外なんかあったっけ

103 :
歯茎の戦い

104 :
あげ

105 :
>>1
中国語で書かれた道教神の系譜が載ってる本には関羽は
「失敗的武将,成功的神将」と書かれてたな。
生前は欠陥のある武将だったとは中国でも認められてる模様。
神になったら関羽は天下無敵ってことなんだろうな。

106 :
カンウにリョフの魂が入って、最後、大暴れしたんだとさ。

107 :
神になった関羽にそんなこ汚ねェ裏切り者の魂なんぞ入り込む隙もないよ

108 :
羽生「最強が最善とは限らない」

109 :
明の大軍20万を追っ払った島津義弘が最強。

110 :
>>107
二君に仕えた髭がなんだって?

111 :
>>110
は?

112 :
中国最强武将当属吕布,

113 :
項羽

114 :
関羽マンセー

115 :
>>7の本は井沢の対談集だったね
基本的にホストの井沢が話題を振ってリードするながれだから、陳先生は井沢に合わせてる感じだったかな
井沢は日本の怨霊信仰について多数の著書で触れてるから、そのルーツとして中国の怨霊信仰について尋ねてたと思う
関羽の話題はその時だね
ただ、オイラの記憶が正しければ、陳先生は関羽の怨霊で死んだのを呂蒙ではなく陸遜だと発言してたと思う
『秘本三国志』を書いた陳先生が誤解してるとは思いたくないので、多分単なる言い間違いだろう
まぁ、確認したいのはやまやまなんだが、井沢の本はもうとっくに全部売っちゃったからなぁ
ちなみに、陳先生は曹操好きだよ
曹操を題材に書こうとしたけど出版社からOK出なくて、仕方なく『諸葛孔明』を書いたからね
まぁ、その後リベンジしたけど

116 :
すまん、誤爆した

117 :
武勇なら呂布

118 :
いやいや尉遅敬徳だろ

119 :
王騎

120 :
勝率は9割以上で大敗なし
生涯で中国国土の半分以上の広さを暴れ回る
これが中国最強武将の最低条件だろ
いるかどうか知らんけど

121 :
領土が半分より少なめと狭いけど慕容恪とか
全く最強ではないけど

122 :
>>120
つまり白起最強?

123 :
前田慶次>>>>>>>>>>>呂布>>>織田信長=上杉謙信=項羽=関羽>>李広

普通こうだろ常識的に考えて

124 :
項羽>>>>>>>呂布>>関羽>>前田慶次>>>織田信長=上杉謙信

125 :
白起>>>>>>>>>>>>>項羽>>>>>呂布>>上杉謙信>>>>織田信長>>>>>>>>関羽(笑)

126 :
関羽

127 :
>>1
神将関羽

128 :
中国史上というか史上最強候補だけど、スブタイ
中国にも引っ掛かってる

129 :
陳和尚に負けたのがニントモ

130 :
光武帝劉秀
親征の勝率9割、天下統一寸前まで最前線で敵兵なぎ倒してた猛将

131 :
最強童貫

132 :
関羽
統率72 武勇80 知謀64
政治61 魅力75 体力86

真・遠呂智
統率255 武勇255 知謀196
政治46 魅力217 体力255

呂布
統率88 武勇100 知謀31
政治25 魅力62 体力100

133 :
本名に真なんていれちゃう人って、宇宙大将軍を名乗る人より遥かに痛々しい。

134 :
武なら虎ごろしの武松

135 :
武松は架空の人物でしょ。
虎退治なら、素手で殺した周本(周瑜の遠い子孫)

136 :
蘇定方

137 :
東方不敗だおう

138 :
项羽

139 :
田予

140 :
東方不敗は日本人だし

141 :
それ、東方不敗違いw

142 :
少なくても春秋戦国時代、三国時代の武将は項羽には勝てない
あと日本の武将は論外

143 :
関羽

144 :
>>120
定番だけど李靖

145 :
李靖って何勝何敗?

146 :
最強って言うんだったら項羽だな やっぱり

147 :
贋拿武

148 :
ファンが多いのは項羽、韓信、関羽。

149 :
為朝さんと朝比奈さんディスってんのかメーン

150 :
潘凤

151 :
楊大眼

152 :
中国の妄想英雄伝にこれほどまで純粋に陶酔できるのはまだ若い証拠だな

153 :
戦場で負けて死んだ奴が最強とかねーわ
項羽も関羽うんこ

154 :
>>153負けて死んでもその二人には、決定的な違いがある関羽は死ぬ前に弓が頭(兜)と腕に当たり負傷そして呉に捕縛されて処刑
項羽の場合300騎で10万?の部隊を突破、逃げれば逃げ切れる状況だが諦めて自害、最後まで敵の刃にかからなかった、

155 :
項羽厨の方が痛いのか。悲しいな。

156 :
>>155痛いと言うか資料によると>>154らしいです

157 :
曹操

158 :
趙雲将軍に決まってるだろ
レッドクリフみてからものをいえ

159 :
>>158項羽と劉邦もみてから判断してもいいと思うよ、

160 :
普通に韓信じゃね

161 :
項羽って韓信のしょうもない策に翻弄され続けてんじゃん
楚漢最強というならまだしも中国史上最強とかねーわ

162 :
傲岸不遜にも拘わらず寵愛された霍去病

163 :
白起かな

164 :
清の睿親王ドルゴン。
軍略・政治力共に優れ、清を中華帝国にする基礎を築いた点で最強に値する。

165 :
楽毅と韓信ではどちらが上ですか?

166 :
シュミレーター上では楽器が勝った

167 :
赤壁以降のイメージだと関羽さんって意外にバカじゃね・・・・・・・?
変に頑固ぽいし・・・・・

168 :
でも赤壁以前に兵を指揮したことはないぞ

169 :
関羽さんは自分で張飛のほうが強いみたいなことを曹操に言ってたよね

170 :
それは謙遜といってだな。

171 :
あの気位の高い関羽が、武勇という点で義弟を褒めたんだから
ただの謙遜とも言い切れないと思う

172 :
韓信

173 :
>>169
あれは曹操に対する一種の威しだろ

174 :
あんな大仕事をあっさりやってのけて
自分より義弟の方が〜と言ってのける様がカコイイ。

175 :
強いってだけなら呂布じゃないの?

176 :
項羽

177 :
ヒクソン

178 :
張飛

179 :
>>175
単純な武勇なら項羽が最強だと思う
兵を率いらせたら白起

180 :
白起は五カ国連合軍から勝ち目がないと判断して逃げたヘタレ

181 :
>>179
個人武勇=項羽には同意
でも用兵=白起はちょっと微妙、陳慶之、李靖などまだ候補はいる

182 :
でも唐代くらいに作られた歴代武将ランキングだと、趙匡胤に下ろされるまで白起がトップ韃靼だろ?
あと陳慶之は宇宙大将軍にフルボッコにされてる時点で最強はない。

183 :
陳慶之が侯景にフルボッコってなんの話だ?

184 :
呂布が自分一人では殺せなかったと言う  董卓

185 :
うんこ

186 :
関羽

187 :
趙雲

188 :
吕布

189 :
呂布って100000の軍兵の中を駆けぬけられるかな。しかも赤ん坊つき。

190 :
岳飛だろ

191 :
時代が異なったら比べるの無理

192 :
楊大眼

193 :
劉秀は、かなり強い。
後漢の初代皇帝。光武帝。

194 :
張飛

195 :
中国史上最強の武将って候補に挙がる範囲が分からん
例えばアヘン戦争のチャールズ・エリオット司令官は入ったらだめなのか?
関東軍総司令官 梅津美治郎は?
中国は日本と違っていろんな民族や人種が入り混じっている、だれがどこの
ものかなんて判別がつかないよ
だったら中国史に出てくる武将最強でいい?

196 :
関羽

197 :
http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211180001/

198 :
呂布…数十騎にて百万の軍勢を一戦で10万に減らす。たった一人で三万を退ける
呂布最強

199 :
だがちょっと待って欲しい
呂布は鉄アレイで殴れば死ぬから、鉄アレイ最強

200 :
たまに>>195みたいな人いるよね。
妙に理屈っぽいというかさ。
テキトーに挙げればいいのに(笑)

201 :
日本の敵国=支那
中国国家海洋局所属の航空機が同日午前11時6分に
沖縄県・尖閣諸島周辺の日本領空に侵入したことを明らかにした。
政府は外交ルートを通じて中国側に抗議した。
防衛省によると、中国国家海洋局所属の固定翼機1機が尖閣諸島の
魚釣島南方約15キロ付近の日本領空に侵入。
海上保安庁巡視船が領空内に侵入しないよう通告するとともに、
航空自衛隊が戦闘機と早期警戒機を緊急発進した。

202 :
>>198の補足を…
呂布が数十騎で百万の軍勢を離散させた話は、三国志張燕伝・呂布伝・後漢書呂布伝に有る
呂布が三万を一人で退けた話は、三国志呂布伝・後漢書呂布伝・資治通鑑
後は、曹操軍を騎兵で文字通り壊滅させたり(三国志曹操伝、後漢書袁紹伝、文選巻44)、
二千の兵で一州を制圧したり等(三国志呂布伝、劉備伝。ちなみに二千と言う数は資料から逆算)している
呂布最強

203 :
リョフは最期がなさけない
最期まで獅子奮迅の暴れっぷりで最期には自分の死体をエサに同士討ちで数百人殺した項羽のほうが最強

204 :
>>203
最上の戦争とは戦わずして敵に勝つ事
呂布は孫策を筆で降伏させたり(孫策伝江表伝)袁術軍三万を弓矢一本で退けた
更に二千の兵で徐州を簒奪し劉備を降伏させている
それに百万の軍勢を一戦で離散させた男なんて呂布以外に存在しないだろう
呂布最強

205 :
関羽最強

206 :
いやそんなん真面目に答えたら楊大眼とか李晴、耶律休哥とかになるか。尉遅敬徳も良い。
項羽も凄まじく強いのは間違いないな。
分からんな。関係ないけど水滸伝の奴らは軽く小覇王とか病尉遅とか名乗りすぎ。
宋代だと韓世忠を推す。趙匡胤も強かった。ただ上の奴らに比べるとな。
白起は言うほど強いかね?40万人のイメージしかないわw 章邯のが強そうなイメージある。
呂布とかちょっと話にもならない。

207 :
中国の歴史書は書いてある事は全て嘘らしいから、数なんてアテにならんだろうな
関羽が自分より強いと言った張飛が最強だろう

208 :
それは演義の話だろ。
史書には張飛は関羽に続いて武勇があったと記されている。

209 :
まぁ史書がアテにならないと言うのが持論じゃしょうがないかw

210 :
>>204
それを言ったら蛮族のローハンを眼光一睨みで震え上がらせて振り返らずに逃げ出させた項羽はまさに戦わず勝つを何度もしてる
倒したのは無謀に襲ってくるものだけだ

211 :
項羽みたいなおとぎ話が入るんなら、孫悟空最強で良いよ
てか信憑性は大して変わらんだろ

212 :
>>206
日本酒が下手くそなお前が最強武将w

213 :
>>206
一戦だけで百万の軍を離散させた呂布と比べ物になるのだろうか。又呂布は黄巾賊百万を一戦で降伏させた曹操を騎兵で壊滅させている。
三千で百万を追っ払った劉備になんて無傷で大勝していて、しかも三者とも一度の戦いで勢力を無に帰している。
戦術的ならともかく、戦略的になら呂布が一番すごいんじゃなかろうか
>>210
それを呂布は三万倍の敵にやってるんだよね。しかも呂布と袁術の勢力差なんてほんとに歴然としているから
呂布が1なら袁術は10な訳で

214 :
まあ、呂布は数少ない一騎打ちの記述が正史にもある武将ではあるよね。
騎兵の将としては相当なものであったことも確かだし。
最強ってのは夢見過ぎな気もするけど。

215 :
>>214
他の武将も百万の軍勢を十余万にしたとか、そう言う記述が有るんだろうか

216 :
全住民の数を遥かに上回る虐殺があったとする国ですから

217 :
>>216
それ言ったらほとんどの史書の記述なんてあてになりませんわ

218 :
虚構が信仰を得ると、それが真実になる国だからな。中国は。
史書の記述は昔の常識。
民間信仰によって盛られたエピソード、創作された人物は今の常識。
祀られるほどの情熱を永い間得られてる関羽や孫悟空は色んな意味で別格。

219 :
そんなんで中国史に触れても面白くないだろうし
もう中国史に関心持つのやめたほうがいいと思うよ

220 :
最強議論なんてもんが既に史実から逸れまくってる感でまくりなのだが・・・。
全く異なる時代の人物なんざ比べようも無い上に、自分のご贔屓人物をゴリ押しで
最強に押し上げる中身の無い拘りの押し付け合いになるだけ。
結局は「好きなキャラクター」が最強であって欲しいだけだろ。
そんなもん史実考察でもなんでもない。

221 :
>>212
本当に意味が分からない。統合失調症の方かな?
それとも日本酒の部分は書き込みミスで「日本語」と言いたいんですかね?
つまり意訳すると「日本語すら上手く使えてないお前が武将を語るなよw」といいたいんですかね?
それでもちょっと意味通じませんね。いや精神病の方なんで意味不明で当然ということですか。
>>213
まず人数は明らかに誇張されてるから。呂布に限らず。
時代が降ったら正確になるかっつったらそんなこともない。岳飛がいい例。
だから100万とかほぼありえない。白起の40万人生き埋めだって実際は40万もいないだろうしね。
項羽だって3万で50万を叩き潰したりしてる。これも大軍を倒したのは間違いないけどね。
演戯なんか蜀が70万を繰り出してる。もはや冗談でしかない。
だから例えばあの強い強い突厥を倒した李晴(変換できん、というより敬徳か)なんかは凄まじく強いだろう想像するわけよ。
それと誰が最強かとか結論出しようがないのはその通りだし、そんなん皆分かってるんだろ?
別に学術議論してるわけでもねーんだしそれぞれが勝手に決めて話してればそれでいいんじゃねーのか。

222 :
>>221
ぐぅの音も出ねぇや

223 :
てか、数がハッキリと書かれてる時点で胡散臭いな。
どうやって調べたのよ、そんなもん。

224 :
でも呂布は個人的武勇の発露で勢力を戦略的に打破してしまうぐらいだから、
それはそれはすごい武勇を持っていたと思うぞ。
特に張燕・曹操戦なんて戦術のせの字も無いのに敵を勢力として足腰が立たない位にしてしまうんだから。
しかも僅か一回の戦で

225 :
>>221
過疎板の過疎スレで何故にそんなに必死なのか…

226 :
関羽(義勇の化身。神となるべき体に恵まれた頑強過ぎる体を持ったサイボーグ)
岳飛(常勝無敗、戦の天才。戦功で競うと彼の前にはほとんどの戦術家、戦略家が霞む)
項羽(個人的武勇で中華に勝る者なし。)
この三人で。

227 :
>>1>>226
俺も似たような感じ。
頭関係無しなら、項羽と呂布だろ。三国志では呂布じゃない。
あくまでも頭関係無しで、個人としての武勇と軍隊統率力で良いなら。

228 :
>>205
関羽を撃った呂蒙の方が上になれば、全部上になるから。
やっぱし戦闘倍率。少数で大人数を負かした率で武勇は決定するのではないか。
数字が少しあいまいなのが問題である。

229 :
>>228
これ例として出しとくね。
織田信長、 500対20000 戦闘倍率40倍。
この類いの情報求む。

230 :
>>229
項羽は3000対30万人くらい戦闘倍率100倍以上。
戦闘倍率で言ったら三国志時代なら、関羽、張飛が呂布より強い事になるが
付随して劉備が強い事になる。
故に最強武将は劉備か項羽。

231 :
>>230
単独ではそれほど関羽と張飛は強くない。
あくまでも軍隊として動いての話。
故に最強武将は劉備か項羽。
誰かまとめて。

232 :
>>26
光武帝3000対100万で戦闘倍率330倍。

233 :
>>31項羽
26vs数万人(最低1万人の仮定した場合)戦闘倍率380倍×2n

234 :
>>95高模翰
高模翰300、杜重威30万と戦闘倍率1000倍

235 :
張飛は一人で曹操軍追い払ったから、戦闘倍率100万倍
張飛が最強です

236 :
呂布 数十騎 張燕 百万
呂布最強

237 :
>>235
正史では張飛一騎と曹操軍五千だったな。
つまり戦闘倍率三万倍の呂布には敵わないと

238 :
張飛のあれはべつに武勇でどうのこうのってより、
近くの林か何かに伏兵があると思わせて尻込みさせただけじゃないっけ。

239 :
>>238
正史だと、橋を斬った後曹操軍に吼えて彼らをたじろかせている
多分それは演義じゃないかな〜

240 :
拡声器もない時代にそんなバカでかい声だされたらビビるわな。

241 :
ハッタリや威嚇で的を引かせたのが最強候補なら
空城の計でシバイを怪しませ引かせた公明も候補にいれよう

242 :
酒が冷めなかった関羽が最強だろ

243 :
腕削り手術の件は確かに関羽最強といえる。
歴史知らない人にも伝わるぞ、あのトンデモ手術の凄さは。

244 :
呂布は三万倍。諸葛亮&張飛はそれより低く、しかも両方とも演義
呂布最強

245 :
誇張三万倍か。

246 :
中国らしいなw 水増し数字

247 :
>>245
袁術の勢力は有力で、後漢紀によれば数万の兵力を持っていた。これを考えれば
到底三万の兵力が水増しなどとは考えられまい
呂布最強

248 :
無様に命乞いして斬首されたロフがなんだってー?
最強を名乗るからには獅子奮迅に何十何百を道連れに討ち死にか誰も倒せず天寿を真っ当じゃないとな
まあせめてカンウぐらい潔くはいてほしいもんだ

249 :
兵力云々じゃないだろう。
数なんて適当もいいところ。
結局、武勇自慢なら書き手のセンスによって項羽以上の存在も見当たらない。
それこそ>>226みたいな基準が必要だな。

250 :
>>248
再起する機会が有ったのに戦いを諦めてしまった項羽がなんだってー?
呂布は死を恐れないが体面を捨てる事も出来る韓信の様な英雄。項羽なんてそう言った面では足元にも及ばない
それに項羽が一武勇で勢力を滅ぼした、或いは半身不随に追い込んだ事あったか?
戦術では項羽が優っているが、武勇は呂布がその上をいくだろう

251 :
あぁそう言えば、呂布は袁紹に暗殺されかけた際河内に逃げてるんだが、
それを追った袁紹の追っ手は誰もが呂布を恐れて捕らえられなかったそうだ
袁紹軍数十万の中で選り抜きの追っ手が呂布を恐れ捕らえられなかったのだ、
これも呂布最強説の中に入れるべきだな

252 :
呂布が死を恐れてないのなら命乞いなんてしないだろ・・・。
そもそも呂布の武勇なんぞ当代でも既に埋もれてる程度のもの。
史実において三国時代で武勇の誉れ著しい傑物は関羽と張飛だ。

253 :
呂布が死を恐れないなら命乞いしないってんなら韓信だって度胸があれば股くぐりしなかったって事になるぞ
後呂布は処刑される前年の功績から死を恐れないと書いている。でないと張燕軍の真っ只中を突っ切ったり、
曹操軍と騎兵だけで立ち向かったり、徐州を二千だけで攻めない。ついでに三千の兵で数万の袁術軍に突っ込まない
全て死を恐れぬからやれる事で無くてなんだと言うのか
それに関羽は一武勇で勢力を滅ぼしたか?張飛は腕膂で群雄の一つでも瓦解させたか?
そう言った功績も無しに呂布は当代に埋もれただの言われても納得が出来ん

254 :
自分の感情で歴史を勝手に作るなよ。
歴史と向き合いたいのなら感情なんて余計なもんを持ち込まないところから始めないとな。
認められてるものは認められてる。
それを機械的に受け入れればいいだけ。そういう器を持った方がいいかもな。
結局、自分のワガママ押し付けたところで歴史の評価が変わるもんでもない。
幾ら喚いて、行き過ぎな自論に過ぎないことを他人に押し付けても誰もそんなもん認めてくれないと思うぞ。

255 :
呂布は武人としては非道徳的で無節操だったから埋もれただけで、実力で言えば非常に有力な武将だっただろう
曹操を「逸を以て労を討」ったのも呂布、徐州を武威によって無血で支配したのも呂布、孫策を居るだけで降伏させたのも呂布だ
そして独立勢力として曹操を滅ぼしたのは呂布しか居ない。だからこそ「人中の呂布」と謳われたのであろう

256 :
>>254
え?資料にある事を作 る ?
三国志を初めから読んだ方がええんとちゃいます?

257 :
長文の派手な宣伝に過ぎないものと、認められた功績は違う。
その差に気がつかないのか?

258 :
>>257
張燕軍が呂布戦以降全く軍事活動ができてないのと、袁紹軍が呂布を張燕に回して以降
張燕に誰か将を回した形跡がないから言ってるんですが
後曹操が壊滅状態に陥ったのも檄文(方詩銘が真実と認めた)で認められてるし、
劉備が徐州を失ったのなんて孫策伝にある江表伝の文書で丸分かりやないですか

259 :
「中国史上最強」の話だから・・・このスレ。
そんな三国志だけでの話されてもね〜。ちっちゃいのよ、話そのものが。

260 :
>>259
百万を号する軍勢をお釈迦にしといて中国史上最強じゃないんだ〜。へ〜

261 :
しかも「三国志だけの話」って。項羽の話だって史記でしか出来んでしょ?後世の儒者等ののたまった評論を別にしてね
何がおっしゃりたいか訳が判りません。それにそんなに呂布が最強じゃない言いたいなら、
他の将軍の"功績"を持ってくれば良い。呂布の様に武勇だけで勢力を滅ぼしたとかなら大歓迎ですよ?

262 :
彼を呂布君(笑)と命名したい。

263 :
久々に痛い奴が沸いたな

264 :
>>263
して、呂布の様に百万の軍勢を離散させたと言う功績が他の武将にあるんでしょうか?
もしそうした功績の話をせず儒家の評論のみで話をするなら、もうこのスレの存在意義すら無いでしょうね
だって儒家の評論が全てを決めてしまうんですから

265 :
あぁ、百万を号するどころか百万に"達して"ました、張燕の軍勢。すいません、修正します

266 :
百万の軍勢とか言ってる時点で釣り臭がすごすぎて

267 :
儒家の評論って何?

268 :
>>266
これで釣り臭がするなら多くの資料も釣り臭のする事でしょう。それに百万と言う兵力は装飾の少ない
三国志に記載されてる数ですからね
後、風評についても一言
呂布亡き後に魯粛が孫権に語った言葉が有ります。「曹操は項羽以上の害悪だ」
この評は三国鼎立の計を編み出した天才・魯粛の評です。あてになるでしょう
ではその"項羽以上"の曹操を一度でも滅ぼしたのは誰か?これは呂布です
更にその曹操が恐れたのは劉備。これを滅ぼしたのも呂布です
更に呂布は王允と共に董卓を殺し天子を奉戴しています。つまり呂布も一度天下人になっているんですね
そして天下人から転落した要因は、王允による呂布の諫言を聞かなかったから。呂布が言った通り問題に早期に対応していれば天下は持続出来たんです
呂布を天下人の地位から蹴落としたのは涼州出身で董卓の配下の李カク。この名将は王允が呂布の諫言を聞かなかった時期に朝敵寸前となった涼州兵をまとめ上げ上京する訳ですが、
呂布は涼州人を憎んでいたのに王允に進言したのは李カク等を許す事。戦力差が比較にならない事承知していた呂布は李カク等を味方にする事を思いついたんです
確かに匹夫の勇・婦人の情、即ち項羽なんかとは段違いですね。仇すら許す辺り次元が違います

269 :
>>267
呂布で例えるならば、于慎行の呂布評が有ります
三国志に限らず後世の方々は皆当時の人物を昔の人物になぞらえたりしています
言わば歴史上の評価です

270 :
害悪ってことは単なる外道の度合が項羽以上ってことなんじゃないのかな。
項羽も強かったが、残忍な面も物凄かったからな。
ただ呂布のように節操の無い裏切りは行なっていない。
武勇が認められてるのなら、それこそ関羽や張飛のように死後より既に
その武勇を後代に語り継がれると思うが?

271 :
関張は放浪期に何をしてそこまで武勇を評価されたんだろうな

272 :
お互いにサイボーグみたいなもんだからな。
かなりとんでもないことをやってのけたことは間違いないんだろうな。

273 :
>>270
呂布が武人として非道徳的だったから語り継がれてないだけだと思いますよ
功績だけ見りゃ関羽・張飛なんて目じゃ無いですからね

274 :
と言うか、後漢末でも「人中に呂布有り」って言われてるの忘れてた
人中に呂布有りって事は、人の中では呂布が一番強いと言う事だから最高の評価を受けていた事になります
>>270
項羽以上では無く、ちくま訳では"丁度項羽"と書かれてました。訂正します

275 :
功績だけで見れば、武聖関羽以上の功績を上げた武将など山ほど居るのに
何故、中華武人ナンバーワンの称号が関羽なのか。ってのも考えてみればいいのでは。
功績だけでは頂上に君臨する武人は決められない、ってのが中国の歴史からのアンサー。
最強は誰だ?なんてのは一個人のご贔屓武将の拘りの分だけ存在する。
呂布だけが特別ってわけじゃあるまい。
「人中の〜」なんていう括りで一番とか言い始めてしまっては
宋代あたりから中国王朝〜現代の中国政府公認で
関羽は全時代の武人全ての中で一番になったことになる。
当然、関羽も最強候補に挙がるし、同じく泉州の関岳廟に二大武聖として関羽と共に屹立する
岳飛も最強だという人も大勢いるだろう。
それこそ、功績だけで見るのなら呂布なんぞ比較にもならないレベル。
三国演義では関羽は自分以上の武人として張飛を上げているし、その張飛は呂布と完全に互角の
50合もの勝負を見せる。
楊大眼は関羽、張飛が蘇っても勝てないだろう、とまで言われいる。
個人的武勇での評価ならば、本命馬は項羽、楊大眼、尉遅敬徳あたりを上げる人も多い。
呂布にはそういうものを吹き飛ばす特別なオンリーワンがないと思うのよね。
どちらかといえば、個人的武勇に評価が集中しそのジャンルには上記の
項羽、楊大眼、尉遅敬徳が上に居る印象が高い。

276 :
>>「人中の〜」なんていう括りで一番とか言い始めてしまっては
当時の人の評価で呂布がナンバーワンだった、って事だから良いと思うんですけどね
>>それこそ、功績だけで見るのなら呂布なんぞ比較にもならないレベル
岳飛は金を中原から追い払う寸前で死にましたが呂布は曹操を滅亡に追い込んでますよ
劉備や孫策すら降伏させている
>>呂布にはそういうものを吹き飛ばす特別なオンリーワンがないと思うのよね
いや、王朝の創設者三人を降伏させたって言うオンリーワンが有りますよ。しかも二人は個人的武勇で降伏に追い込んでおります

277 :
曹操を滅亡に追い込んだ?
なにその嘘。
それに時代が進めば取って代わられる程度のナンバーワンねえ・・・
相変わらず説得力ないな。

278 :
>>277
資料を読みなさい。文選と范曄の後漢書、孫盛の魏氏春秋にそう書いてある。方詩銘と言う著名な学者すら言っている。それは真実だと
ちゅうか俺が何度も資料を明示しているのにそれも見ずに嘘だ嘘だの連呼じゃ、あんたの方が説得力無いよ(君は平然と、嘘の資料を明示して真実と言い張るのだろうが)
しかも、程度を言うなら後漢末に呂布に取って代わられた項羽にもそれを言うべきじゃないかね?

279 :
項羽は史記で直接秦〜漢の間の天下人として認められてるけど
リョフを天下人として認めてる奴なんてごく一部の変わりもの以外いねーよ
しかしこれまた相当キチがわいてきたもんだ

280 :
>>279
天子を戴いて天下に号令する立場になったのには変わりないでしょ?
呂布も項羽も三日天下と言う立場では変わらないと思うけどねー

281 :
>>278
そんなに史書を勉強してるのなら分かるでしょ。
呂布の史的な立場がどの程度のものだったか、なんて。
自分にとって都合のいい記述だけを並べられてもね。
呂布の武勇なんて所詮は当代止まりってのも分かるよね。
三国時代でその武勇が特筆されて後世に褒め称えられてるのは
関羽と張飛なんだから。
呂布が非道徳的だったから〜なんて通用しないよ。
それって単なるお前さんの私見だし。
史書を読んで勉強しろ、というのなら自分も顧みるべき部分があるのでは?
認められてないものは認められてない、例外なんてないよ。
項羽は三国時代には既に「江東の小覇王」なんて渾名を持つ猛将の祖ともなっている。
呂布なんて水滸伝の小温侯くらいでしょw

282 :
曹操ですら、益州・荊州の大部分・揚州南方を統一していないのに"天下を統一"したと語った。
幽州・冀州・并州・青州・荊州・豫州・徐州・揚州・涼州・司隷をなびかせていた董卓政権を受け継いだ呂布・王允政権が天下人で無いと言うのは強引に過ぎる

283 :
>>281
都合の良い?他に記述が無いなら仕方が無いでしょう。並べ立てるのは
ついでに言えば呂布は百万の賊を壊滅させた男で、比類する功績を持った将は居ない
だから当代において「人中」つまり最強と称されたのであろう

284 :
そして呂布と比較するには軍団規模の軍勢を壊滅させなければ話にならない
こうした事から項羽や関羽・張飛が比較され呂布が比較されないのである

285 :
所詮は当代最強レベルだろ。
百万の賊を壊滅されていようが、そんな風評に過ぎないものなんざ
万人敵の関羽、張飛には遠く及ばない。
結局、武勇超世傑は関羽と張飛だったんだからな。
三国時代最強の豪傑は史実的にも関羽と張飛なんだよ。
そして、そんな化け物と比肩できるような豪傑勢も後世には
しばしば現われるし、楊大眼のようにそれ以上とも言われる人物も出てくる。
三国時代だけが特別な時代だったとでも思ってるのかな。
「人中の呂布」なんてキャッチコピーは五胡十六国の時代には既に廃れていたわけだ。

286 :
>>285
史書に書かれているのが風評なのか?しかも張燕がその後動いた形跡が無いんだが
ちょっとそこだけ詳しく
>>281
認められてないものは認められてないなら曹操なんて何故再評価されてるんだ?

287 :
>>285
史書に書いてあるものが風評なら、殆どの武勇伝が風評になってしまうがそれでも
よろしいのか?識者の評価すら風評に惑わされた頼りないものになるぞ?

288 :
>>285
渡辺義浩は三国時代最強は呂布と書く。つまり風評や論説はさておいて、
三国志の中で最も剛勇だったのは呂布であったと認めたのである
中国古代史専門の教授すらこう言うのだ。関羽・張飛の出る幕等まるで無い

289 :
中国政府公認 中華ナンバーワン武人 「武聖関羽」
ワタナベセンセの私見最強 「呂布」

どこのポンコツ田舎教授の出番だって?
てか、知恵の源泉がよりよってワタナベ先生かよw
三国志検定なんてお遊びの試験料にウン千円も取るような守銭奴の
言い分なんぞ当てにするな。
しかも、儒家の評論をディスっておきながら
識者の評価すら、とか
何を言いたいのよ。
上澄みの底浅い知識塗れな上に主張が変わりまくる悪癖は色んな点でマイナスになるぞ。
気をつけたほうがいい。
それと三国時代だけが別格、なんて錯覚からも冷める事だ。
武聖の関羽にしたって、中国で最高峰レベルの武勇保持者でもあるものの
こと武勇となれば、楊大眼の方が上だと認めざるを得ない記述もある。
つまり武人の頂に立つには、武勇だけ優れていても駄目ということだ。
品性下劣な時点で大きなマイナスであり尚且つ呂布は
武勇においても楊大眼以上と果たして言い切れるのか?

290 :
>>289
で、そのワタナベセンセの主張には問題が見受けられない訳ですね?守銭奴なんてどうでもいいとこ責めてるの見るとそう見受けられる訳ですが
それに"最強"でしょ?俺の目が節穴でない限りスレタイにはそう書かれていた筈だが
そうじゃないならスレタイ変えるべきだよね。最高とか最良とか。最強って誰とも戦って負けない状態の事を言うんだが。中国だと違うのか?

291 :
>最強って誰とも戦って負けない状態の事を言うんだが
だったら呂布も除外だなw

292 :
>>291
項羽も楊大眼も除外ですね。関羽・張飛なんて論外です

293 :
ってことは、岳飛あたりが最有力候補か。
なんだ、案外簡単に決まりそうだな。

294 :
>>293
前述した董卓政権の支配下に有った地域
エン州・徐州・江東一帯を無血で手に入れた呂布が最強かと思われます。はい
兵法では百戦百勝は下の下だそうですから

295 :
あ、後九十余万の軍隊を無血で崩壊させてますね。これも入れとかないとまずいか
そして一人で三万の軍隊を退けている。これも無血で

296 :
論が一致しないと仰る方も居ますので言っておきますが、俺は呂布は戦功的にも兵法的にも最強だと言う論者です
だから黒山賊百万の瓦解と袁術軍三万の件を一緒に入れました。三万を一人で無傷で退け、二州以上を無血で手に入れる輩等存在しませんから
(エン州の件は三國志魏志に有り。曹操が勢力として滅亡したのとは別枠である)
後風評云々ですが、これはあてにならない風評にすら呂布最強論が有ると言う事を言ったまでです

297 :
何がこいつをここまで駆り立てるんだ
呂布に命でも救われたのか?金もらったのか?

298 :
>>297
俺の説に一切反論せず誹謗中傷。何が貴方をそこまで駆り立てるんでしょうね
呂布にでもいじめられたんでしょうか?

299 :
誹謗中傷とは違うな。
一貫性のない主張の多さが目立ち誰からも信用を得られていないだけだ。
>>264 >>287
>>264で識者の評価を否定しておきながら、>>287では識者の意見を肯定
>>290 >>294
>>290で最強とは誰と戦っても負けない状態の事と豪語しておきながら
>>294で兵法では百戦百勝は下の下とまたもや酷い矛盾。
更には>>273のように自分の認めたくないものは「思う」という自己見解だけで
否定してしまう我儘までこいてしまう。
早い話、あらゆる要素を配合して
呂布以上の存在がいるという現実そのものに目を向けられていない。
それにコロコロと主張が変わってしまうため
論を交わせるほどに意見そのものが成熟しとらんのよ、君の場合は。
反論が欲しいのなら、まずは主張そのものに一貫性を持たせること。

300 :
>>>>264で識者の評価を否定しておきながら、>>287では識者の意見を肯定
貴方がたも識者の意見が絶対だと言いながら現代の識者の意見を無視しましたね?お互い様
それに識者の意見を肯定した訳では有りません。貴方がたが古代の識者の意見は鵜呑みにするくせに
現代の識者の意見を無視する矛盾を指摘し問題点を挙げたまでです
>>最強とは誰と戦っても負けない状態の事と豪語しておきながら
日本語が不自由な方に一例を説明しただけですが。それを豪語って面白い解釈しますね
>>早い話、あらゆる要素を配合して
あらゆる要素?貴方が言ったのは識者の意見の一本槍だけでは無いですか。他に例が有ると?
後コロコロと主張が変わるそうですが、その例は書かないんですね?それを時間の無駄って言うんですよ

301 :
呂布は強いが史上最強というほどじゃない
ひたすら長文でまわりに噛み付き続けるお前がキモすぎるよ
ってだけなんだが誹謗中傷か

302 :
>>呂布は強いが史上最強というほどじゃない
ではその証拠を持っていただきたいと言っているんですが

303 :
評論好きな方に朗報です。三国志・後漢書・資治通鑑において陳宮が呂布をこう評しているのが発見されました
「呂布壯士、善戰無前」つまるところ呂布は並ぶ者無き戦上手だと言う事です。項羽なんて物の数や無かったんや

304 :
そんなもんでいいのなら
関羽や張飛にはこれだけあるぞ。
晋の劉嘏は賊軍を攻撃するたびに堅城を落として鋭鋒をくじき冀州地方では彼を関羽・張飛になぞらえていた。(晋書劉嘏伝)
・苻秦は閻負・梁殊を使者として張玄靚のもとへやり、本国の将帥には王飛・ケ羌がいて関・張の仲間、万人之敵であると誇示した。
・禿髪傉檀が宋敞に人材を求めたとき、宋敞は「梁ッ・趙昌の武勇は、張飛・関羽と同等です」と言った。
・李庠は人並み外れた膂力を持っており趙廞は彼を立派に思って「李玄序は一代の関・張である」と言った。(いずれも晋書載記)
・宋の薛彤・高進之はそろって武勇強力の持ち主であったので当時の人々は関羽・張飛になぞらえていた。(宋書檀道済伝)
・魯爽が反乱を起こしたとき、沈慶之は薛安都にこれを攻撃させた。薛安都は魯爽を眺め見る
 すぐさま馬を躍らせて大喝し、まっすぐ突きかかり、手をくり出すとともに倒した。当時の人々は、関羽の顔良斬りでさえこれ以上ではなかろう、と言った。(南史薛安都伝)
・斉の垣歴生の武勇は傑出しており、当時の人々は関羽・張飛になぞらえた。(南史文恵太子伝)
・魏の楊大眼は驍勇果敢、世間では関・張でもこれ以上ではなかろうと評判された。(魏書楊大眼伝)・崔延伯が莫折念生を討伐して勝利を収めると、蕭宝寅は「崔公は古代の関・張である」と言った。(魏書崔延伯伝)
・陳の呉明徹が北進して高斉を討伐したとき、尉破胡らの十万人が着陣して楯突いた。西域の者がいて無駄なく矢を発した。呉明徹が蕭摩訶に告げた。
「あの胡人を倒すことができたならば敵軍は意気沮喪するであろう。貴君には関・張の武名がある。顔良を斬ってくれるかね!」蕭摩訶はただちに陣営を飛び出し鉄塊を投げ付けてその者を殺した。(陳書蕭摩訶伝)
それに陳宮って呂布の軍師だろ?
そりゃ、ただの身内賛美だ。
関羽や張飛は時代を跨いでもその武勇が
讃えられ続けている。
身内賛美程度なら彼らにもあるよ。
関羽、張飛で例えるのなら季漢輔臣賛の
関羽と張飛は武勇に優れ、一身を捧げて世を正し、主上を扶翼奉戴し
雄姿果敢であった。
主上の左右の守りとなり、飛びまわること稲妻の閃きが如く、主上の難儀を
救って、主上の大業を助け韓信、耿弇と同じ功績を上げ、並ぶ名声を打ち立てた。
という、ケツの痒くなるようなおだてと同じだ。
敵国や他時代の人物からも称賛を受けてる
関羽や張飛には及ばないんじゃないかな。呂布は。
更には、歴史より当代最強と認知されていた関羽、張飛であっても
それを超えるとさえ言われるとんでもない存在が中国には存在することも
上記の評価で分かるだろう。
「中国史上」の大きさというものが少しはわかってきましたかな。

305 :
好きで押すのはわかるがここまでの強弁は
気持ち悪い
他の武将の話もできない

306 :
その時陳宮は呂布の身内じゃないんだな。これが
それに陳宮は反乱しようとしてる時なんだよね。そんな時に相手を贔屓しちゃ
ダメでしょ。参謀としても反乱者としても失格だよ、それじゃ
項羽並の曹操に立ち向かうのに贔屓目で軍事の一手を担う人間を選ぶなんて…

307 :
第一「並ぶ者の無い」戦上手って書かれていたのが読めなかったのか?
だから後世に豪傑を呂布に例える奴が居ないんだよ。"並ぶ者"が居ないんだから当然だ

308 :
最強候補:
項羽、関羽、張飛、楊大眼、尉遅敬徳、岳飛
※あくまでも最近の話題で上がった面々。当然、まだまだ居るはずなので
 その都度、中華にこの人あり。と上げていただけると皆も盛り上がる。

別次元:(他者の理解を得られない個人の領域)
呂布

もう、区分けして考えてもいいかも。
同一カテゴリーに置かれては誰の手も負えないw

309 :
>>308
ご苦労さまです。識者の意見ですら呂布最強を推している者が居るんだから仕方無いですね?何せ陳宮曰く「並ぶ者の無い戦上手」ですから
それにしても俺の批判をしている方々が、薄っぺらな知識ですら歴史を知らない方々だとは思いませんでした。曹操に従う当時から陳宮が呂布の身内だったなんて
ムーでも書かないとんでも理論です。このスレの程度が知れますね。まぁ史料で反論する方も居ないんだから当然か

310 :
三国志最強は確かに呂布だったんだろう。
しかし、五胡十六国時代以降、その名は風化し
変わりに関羽と張飛の武勇の名声が広く轟くようになった。
「中国史上最強」というスレタイなんだから当代にしか残らない名なんてもんで
最強とかいわれてもね、って何度も言ってるよね。
中国史上という広い世界では呂布の名はかなり縮んでしまうことになる。
それこそ史的な考察でね。
項羽、関羽、張飛、楊大眼、尉遅敬徳、岳飛
このあたりは後世にまで武名を轟かせていたり
その武勇から民衆の守り神にまでなってたり、とスケールも大きい。
呂布の立ち位置を認めざるを得ない耳の痛くなるような意見にはシカトだから誰からもその強弁を認めないのよ。

311 :
何度も強調するが、""並ぶ者が無い""戦上手なのだから呂布と並んで評価される奴が居たらそれこそおかしいだろう
シカトしていると言いますが、少なくとも陳宮と渡辺義浩の評をシカトしているのは明らかに貴方です
しかも三国時代ですら最強でないのに関羽・張飛が中国史上最強って何事ですか?

312 :
しかもこのスレって名だけで最強の武将を決めちゃうの?
スレの中でも功績で最強の武将を推した奴がいるのにそいつは無視して、
呂布最強の功績を俺が並べるといやいやそうじゃないってどう言う事なんですか?
矛盾しているのはどう考えても貴方がたでしょ。贔屓する武将が最強じゃないと気に喰わないのは気持ちは判りますがね
俺だけを攻撃するのは筋が通りませんわ

313 :
ついでに言うとね、明代でも呂布は民衆の間では関羽・張飛が束になっても敵わない豪傑として描かれてるんですわ
これで、武名が埋もれたってどう言う事?三国志演義すら知らないんですか?貴方がた

314 :
さすがにしつこい
自分でブログでも立ち上げて喧伝してこいよ、もうここでやるな

315 :
>>314
もう反論する箇所すら無いと。そう言う事ですね?

316 :
それでいいから
りょふさいこー
じゃあもうりょふの話題はやめてNo2の話題にしようぜ
りょふは1位だからもう話題に出すの禁止な

317 :
>>316
誰が見ても最強と判る様に史料付きで紹介しましょうか?

318 :
最強だからもういいっていってるだろ
はいりょふ以外のNo2を決めましょうよ

319 :
それだと俺が単なる荒らしみたいになるので、ここに資料の原文を置きます
始めからこれやれば良かったんですけどねw
呂布の武勇
・呂布字奉先,五原九原人也。以弓馬驍武給并州。
・卓自知凶恣,每懷猜畏,行止常以布自衛。嘗小失卓意,卓拔手戟擲之。布拳捷得免,
・布得走投袁紹,紹與布擊張燕於常山。燕精兵萬餘,騎數千匹。布常御良馬,號曰赤菟,能馳城飛塹,
 與其健將成廉、魏越等數十騎馳突燕陣,一日或至三四,皆斬首而出。連戰十餘日,遂破燕軍。
・張燕、常山真定人也。黃巾起、燕合聚少年爲羣盜。其小帥、孫輕、王當等、各以部衆從燕。衆至百萬、號曰山。袁紹與公孫瓚爭冀州。燕遣將杜長等、助瓚與紹戰。爲紹所敗、人衆稍散。
・令其將武陽人陳宮屯東郡。宮因說邈曰:「呂布壯士,善戰無前。」
・會張邈與陳宮叛、迎呂布、郡縣皆應。荀搨G保鄄城、范東阿二縣固守。太祖乃引軍還。布到、攻鄄城
 不能下、西屯濮陽。太祖曰「布一旦得一州。不能據東平、斷亢父泰山之道、乘險要我。
 而乃屯濮陽、吾知其無能爲也」遂進軍攻之。布出兵戰。先以騎犯青州兵。青州兵奔、太祖陳亂。馳突火出、
 墜馬、燒左手掌。司馬樓異、扶太祖上馬、遂引去。
・謝承後漢書曰:操囲呂布於濮陽,為布所破,投紹。
・時劉備領徐州,居下邳,與袁術相拒於淮上。術欲引布擊備,乃與布書,布得書大。,即勒兵襲下邳,獲備妻子。
 備敗走海西,飢困,請降於布。布又恚術運糧不復至,乃具車馬迎備,以為豫州刺史,遣屯小沛。布自號徐州牧。
 術懼布為己害,為子求婚,布復許之。
・術遣將紀靈等步騎三萬以攻備,備求救於布。諸將謂布曰:「將軍常欲殺劉備,今可假手於術。」布曰:
 「不然。術若破備,則北連太山,吾為在術圍中,不得不救也。」便率步騎千餘,馳往赴之。靈等聞布至,
 皆斂兵而止。布屯沛城外,遣人招備,并請靈等與共饗飲。布謂靈曰:
 「玄栫C布弟也,為諸君所困,故來救之。布性不喜合鬥,但喜解鬥耳。」乃令軍候植戟於營門,布彎弓顧曰:
 「諸君觀布射小支,中者當各解兵,不中可留決鬥。」布即一發,正中戟支。靈等皆驚,言「將軍天威也」。
 明日復歡會,然後各罷。
※いくつか省略した記述有り

320 :
荒らしじゃねえか

321 :
>>320
史料も無しに最強だとまくし立てれば荒らしでしょう
でも俺は史料と評判等を引っさげて呂布は最強だと言った
つまり荒らしは俺では無く、誹謗中傷を重ねいざ評や証拠を出されると
もぐらの様に地中に引きこもっていた某達な訳です

322 :
俺も最強だと思ってるし黙ったってことはみんなも最強だと論破されたんだよ
それでいいだろ?
じゃあ次に行こうぜ

323 :
>>322
そもそも最強の武将を決めるですから、これ以上スレを費やして決めるものなんて
無いと思いますがね〜

324 :
ちなみに、上記で張燕が袁紹に敗れた為に勢力を衰退させたと有りますが、
赤壁の戦いにおける記述でも判る様に(赤壁で曹操は劉備に敗れたと書かれている)
史書は戦いにおいて、当事者を実際に破った敵の名前は残しません。破った敵の総大将の名を書きます
だから張燕は袁紹に敗れたと書かれる訳です

325 :
呂布の武勇が中国史上でもトップクラスにあるのはよく分かったが
終りがよくないよな。
行住坐臥の豪傑であったという側面に欠けている。
攻めてる時は強いが、窮地の時は徹底して弱い。
戦での敗北はしょうがないとしても
捕まった際に命乞いなんてもんは弱者の行なうもんだろう。
上のほうのレスであったけど
百戦百勝の岳飛であっても、勝率のみ最強とは決まらないみたいだし
精神面の強さも最強であることに加味されると思う。
戦に破れて世を去ることになった将は潔い最期を向かえるという
精神の強さもそうだし、日常生活における豪傑エピソードなんかも
戦場と変わりない気質で裏表のない一本気な強さがある。
この世からいなくなるという時まで剛毅剛情であってこそ強者であったという
気風も存分に感じられる。

326 :
その点で加味すると呂布陣営で同じ戦功を上げながら最後が潔かった高順と張遼のほうがよっぽど名将だもんな

327 :
>>325
後漢書や資治通鑑では呂布は敗北した際、部下に自分の首を持って曹操に詣でよ
と命令したと有ります。つまり自分の命はさておいて部下を助けようとした訳で、
命乞いが本心で有ったとは思えません。それは臥薪嘗胆と言うものなのでは?
後上記のコピペにおける張燕戦ですが、どうも袁紹伝の記述だと
黒山賊他四営屠各や雁門烏桓による数万だった様です。袁紹伝と呂布伝で
こんな違いが出る理由はわかりませんが、多分呂布伝の記述もれでしょう

328 :
あぁ、それと謝承の後漢書の記述ですが、元が簡体字なのでそのまま検索しても
見つからないかと思われます。ですので下記にURLを
ttp://www.guoxue.com/jibu/wenxuan/wx_045.htm

329 :
わかったわかったハイハイ

330 :
>>327
命乞いはその後の話だからな。
結局、曹操に懸命な自分の助命嘆願したことには変わりない。
しかも、三国演義では無様な往生際を部下であった
張遼から「見苦しい」と一喝されてしまう始末。
敗北にあって潔く自らの首を差し出そうとした張遼の男気と比べ実に情けない弱々しさを
垂れ流して歴史から退場していったね、呂布は。

331 :
>>327
正史において張遼は真っ先に投降してますよ
それに曹操に対しては命乞いと言うより自らの売り込みをしていた様です
獻帝春秋曰。布問太祖「明公何瘦?」太祖曰「君何以識孤?」布曰「昔在洛、會溫氏園。」
太祖曰「然。孤忘之矣。所以瘦、恨不早相得故也。」布曰「齊桓舍射鉤、使管仲相。今使布竭股肱之力、
爲公前驅、可乎?」布縛急、謂劉備曰「玄栫A卿爲坐客、我爲執虜、不能一言以相詞チ?」
太祖笑曰「何不相語、而訴明使君乎?」意欲活之、命使飼宦B
又は
布曰「縛太急、小緩之」太祖曰「縛虎、不得不急也」布請曰「明公所患、不過於布。今已服矣、
天下不足憂。明公將步令布將騎、則天下不足定也」太祖有疑色。
上記の様に命乞いと言うよりは処刑寸前の韓信の大言壮語に近い様に思えます

332 :
そして敗北にあって潔く首を差し出そうとしたのは呂布も同じ
何故呂布と張遼が違う事が有るのでしょうか?呂布は臥薪嘗胆を図り、
張遼は心服してしまっただけの違いでは無いでしょうか?

333 :
呂布のは単なる曹操へのご機嫌取りだろ。
しかも、それも虚しく結局は「使えない」と判断されて処刑場へ連行されていった。
劉備に呂布の不義不忠を指摘されて曹操も呂布を処刑するに至った。
確かに戦力となるほどのものにはなるが、その不義のデメリットを退けてまで使えるほどの素材でもなかったということだね。

334 :
>>333
ご機嫌取りならまず曹操を称えると思うんですが…

335 :
処刑されることを逃れるため必死こいて命乞いしてる武人が
曹操を称えてどうするんだよ。新しい働き口が欲しいんだろ?
そんで結局はそんな自己アピールも全く通用しなかった、と。

336 :
貴方がご機嫌取りって言ったんですよね?

337 :
大体韓信は股を潜り劉邦は子供を捨てる等、古代の君主や勝者でも(国士無双と呼ばれる方ですら)
体面を捨てる事をしているのに呂布にだけ風当たりが強すぎませんかね。呂布は"国士無双"と違って
一度は命を捨てようとしているのに「弱々しい」とか。韓信・劉邦の事はどう捉えるつもりですか?
やはり臆病者と捉えるんですか?

338 :
ご機嫌取り=相手を称える
ではないと思うがね。この場合は。
というよりも虜にされて身の自由が効かないものが
保身のために命乞いしているのに、臥薪嘗胆の念など抱くはずもない。
存命が叶って初めてそのような念を抱ける立場になる。
第一図々しいにもほどがあるだろ。命乞いしてまで助かろうとするということは
毛の一本まで貴方様には逆らいませぬ、という従順な犬の軟弱さを見せたことになる。
誇り高き死を望んだに対して、その才を惜しまれ、目上の立場(この場合は曹操)
からの仕官への道を誘われたのなら、その剛毅には傷もつくまいよ。
しかし、呂布の場合、お白州に引き出された際に…
武勇の話でも随分盛ってるな。
張燕軍の下りは万余の軍を数千の騎馬隊を率いて優秀な副将二名の
サポートもあり皆々で共に上げた戦功だ。
呂布の武勇というよりは呂布軍全体の精強さが伺える記述だな。
個人的な武勇とはいい難い。
後世、関羽の顔良斬りの方が武勇としての名声が高いことも頷ける。
3万を1人でなんてのは見るにも値しない暴論。
ならば、呂布に軍隊なんて要らなかっただろう。
袁紹に軍の補充を集る必要もないことになる、何せ1人で3万の軍を蹴散らせるんだからな。

339 :
王必や劉備が呂布の反覆を警戒しているのに臥薪嘗胆の念が無いってどう言う事ですか?
劉備や王必は杞憂していると言いたいんですか?
数千の騎馬隊?誰がそんな事言いましたか?史料では呂布は数十騎を率いていると書いていますが、
他にそれを覆しうる史料が有るんでしょうか。それとも項羽が二十騎で数千に突っ込んでいったのも
個人的な武勇の発露では無いと言いたいんですか?
三万を一人で蹴散らす?コピペも見れないんですか?貴方は?呂布は弓矢を射て三万を退けたのですが
蹴散らしたとは全く違うでしょう

340 :
数十騎の根拠
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/g_ryofu.html
有頃(それからして),呂布は袁紹のところに走って身を投げ出すことが出来た,
袁紹は呂布とともに常山に於いて張燕を撃った.張燕は精兵万余,騎数千匹であった.
呂布は常に良馬を御していた,号して曰く赤菟である,能く城を馳せ塹壕を飛びこえた,
[一](赤菟を御した呂布は)其の健将である成廉、魏越等数十騎とともに張燕の陣に馳せ突っこんだ,
それは一日に或いは三四度にもなり,皆斬首して而して(敵中から)出てきた.連戦すること十余日,
遂に張燕軍を破った.

341 :
後、貴方呂布が三万を蹴散らしたなら兵は要らないと言いましたが、
それならどうして関羽は何故荊州を攻めた際兵を伴って行ったのですか?
音に聞こえた万人敵なら敵を蹴散らすのに兵は必要無いでしょうにねぇ…

342 :
子供じゃないんだから賛同が全く得られてないんだからそろそろ引いとけよ
荒らしてこのスレ潰したいならしらんけど

343 :
>>342
それは、史料に無い事をでっち上げてまで説を否定する方に向けて言うべき
言葉では無いでしょうか?

344 :
史料は散々に提出されてるだろう。
>>304の和訳など非常に分かりやすい。
何回言われれば分かるんだよ。
「中国史上最強」なんだから当代で最強レベルであっても
他史からの評価がからっきしならその程度なんだよ。
なんでもかんでも自分の領域で取り仕切ろうとするな。

345 :
>344
貴方も判らない人ですねー。他史からの評価でも明らかな様に、
呂布は軍神関羽ですら敵わない男なんですよ?明の三国演義なんて呂布を強大に
扱っているではありませんか。それこそ張飛・関羽が呂布に束になっても敵わない
様に演出されている。これが中国史の評価というものでしょう
あぁフィクションだから通用しないというのはなしですよ?項羽が三国演義で後世に"小覇王"
と謳われる程の猛将の雛形であったと言ったのは貴方がたですからね

346 :
×程の
○彼の
いや失礼。眠かったもので

347 :
現代に伝わる清代の決定稿では呂布は張飛と50合の互角の打ち合いを演じることは知らんのか?
三国演義も時代によって変容したんだよ。
清代の決定稿から現代にかけては
張飛と関羽が束になっても敵わないどころか、張飛が打ちかかった後に
関羽と劉備に立て続けに加勢され
完全に劣勢に陥った呂布は隙を見て撤退
赤兎馬の健脚のおかげで助かったという始末。
張飛とは互角、関羽まできたら手に負えない。
それが三国演義の呂布だよ。
自分にとって都合のいいフィクションだけは認める。なんてなしだよな。
肥三国志の武力100にでも惑わされたか?
三国演義基準なら張飛と互角に打ち合った呂布、そしてまたそれと
互角に打ち合った馬超も互角、馬超と互角に打ち合った許チョも互角。
典イも許チョとは互角に打ち合った。
そんな許チョでも顔良が白馬で暴れていた際、止めることが出来なかった。
それを関羽が討ち取った。関羽曰く「張飛は自分より強い」
黄忠もまた関羽とは互角の勝負を演じた。
ようは三国演義には作中内でも最強候補が多い。
呂布もその中の一人ではあれ、単独の最強ではないな。
それに他史からの評価でも明らかな様にとは何を指しているんだ。
三国演義は正史じゃないぞ。
寧ろ、当代止まりな評価しかもらえていない呂布では史実からだと
関羽や張飛と同じ土俵にすら立てていない。
そもそも「軍神関羽」とは関羽が神になってからの役職が
民間でも広く流布したものだろう。
持ち前の武力と義気によって関羽は戦の神としても祀られているからな。
生前から渾名のように「軍神」などと呼ばれていたわけじゃない。
「軍神関羽」の同僚であり、ライバルと呼べるような存在は二郎神や中壇元帥、真武大帝や
斉天大聖のような同じく武神、戦神として祀られてる神々だろう。
呂布とはカテゴリーが違う。

348 :
>>347
呂布と関羽とは30合打ち掛かっても結果が出なかったんですが。嘘をつくのはお止めいただきたい
第一貴方がたが三国演義まで取り上げて理論武装をしたのですから、吐いた唾は飲み込むべきじゃないと思うんですがね
>>関羽や張飛と同じ土俵にすら立てていない。
まぁたこれですよ。正史ですら呂布が"並ぶ者の無い"戦上手と言われた事を知らないんですか?
別格なんですよ別格。当時の曹操軍幕僚陳宮ですらこう言ってるんですからね
並ぶ者のない者が並んで評価される方がおかしいでしょう、と。過去のレスぐらい読んでくださいな
そして渡辺義浩は呂布が三国時代最強と語っている訳で、決して当代で埋もれた訳ではないんですがね〜。寧ろ現代になって
かなり評価されているでは有りませんか

349 :
三国演義の呂布は関羽・張飛が束になっても敵わないと言うのは根拠が有ります
詳しくは原文をご覧下さい。三国志演義の原文をです
呂布見了、棄了公孫瓚、便戰張飛。飛抖擻精神、酣戰呂布。連鬭五十   
餘合、不分勝負。雲長見了、把馬一拍、舞八十二斤ヨ龍偃月刀、來夾攻   
呂布。三匹馬丁字兒廝殺。戰到三十合、戰不倒呂布。劉玄椌y雙股劍、   
驟黃鬃馬、刺斜裏也來助戰。
ttp://rtk.art.coocan.jp/episodes/005.html

350 :
三国志名将二十四選
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180016273/
このスレの303〜308を見て来い
お前の大好きな呂布は残念ながら中国の歴史家たちからは歯牙にもかけられてないようだぞ

351 :
演義なら張飛は徐州で怒った呂布と
百合以上激しく打ち合って勝負はついてない

352 :
>>350
話を間違えていませんか?俺は呂布が武勇を以て最強と言ったのですが
戦術は兎も角と過去に言ってますしね。ついでにその303~308って本当に歴史家が考えたんですか?

353 :
あぁ、その評価だと武聖と言われた関羽はランク外になっていますね
だとすると、"歴史家"も矢張り評等あてにしていないと言う事ですね。いや、
態々教えていただいて有難いです

354 :
次いでに項羽は原文では最強とは書いてない
原文では東方のハンニバルと書かれているのみですな

355 :
武勇以外も選考条件だから
そこに載ってる項羽は死に際も呂布より上だし項羽>>>>>>>越えられない壁>>>>>
>>>>>>呂布
だね(ニコッ

356 :
韓信が一度目の処刑寸前に何を言ったかお忘れですか?
劉邦が項羽に追われた際何をしたかお忘れですか?
その程度の事で最強を決めるとはお笑いですね

357 :
韓信や劉邦は別に最強の武将じゃないだろJK
優れた人物ではあるが最強の武将の名にはふさわしくない
項羽も岳飛には劣るが

358 :
>>357
先のお方の上げてくださったランキングでは韓信は項羽より上位だったので
後劉邦は項羽に勝利していますね

359 :
じゃあそのランク1位らしい孫武が最強でいいな
後曹操も呂布い勝利しているな

360 :
>>359
曹操は三度呂布を破らないと呂布を滅ぼせませんでしたが、
呂布は一度で曹操を滅ぼしています。どちらが強いかは言うに及ばないでしょう
そして孫武・呉起の遺志を受け継いだ呂布は劉備・孫策等名だたる将軍を降伏させています
三万の軍勢の謀略すら一人で防いでいる。孫武にこれが出来ましたか?

361 :
え?劉邦も何度も項羽に敗れているが?
それに劉備も孫策も降伏してないんだがお前の脳内以外

362 :
>>361
時劉備領徐州,居下邳,與袁術相拒於淮上。術欲引布擊備,乃與布書,布得書大。,即勒兵襲下邳,獲備妻子。
備敗走海西,飢困,請降於布。
江表傳曰。建安二年夏、漢朝遣議郎王兜戊辰詔書曰「董卓逆亂、凶國害民。先將軍堅念在平討、雅意未遂、
厥美著聞。策遵善道、求福不回。今以策爲騎都尉、襲爵烏程侯、領會稽太守。」又詔敕曰「故左將軍袁術不顧朝恩、
坐創凶逆、造合虛偽、欲因兵亂、詭詐百姓、[始]聞其言以爲不然。定得使持節平東將軍領徐州牧溫侯布上術所造惑衆妖妄、
知術鴟梟之性、遂其無道、修治王宮、署置公卿、郊天祀地、殘民害物、爲禍深酷。布前後上策乃心本朝、欲還討術、爲國效節、
乞加顯異。夫縣賞俟功、惟勤是與、故便寵授、承襲前邑、重以大郡、榮耀兼至、是策輸力竭命之秋也。其亟與布及行吳郡太守安東將軍陳瑀戮力一心、
同時赴討。」策自以統領兵馬、但以騎都尉領郡爲輕、欲得將軍號、(及)[乃]使人諷梶A兜ヨ承制假策明漢將軍。
本当に史料を読んでない方が多いんですねぇ…
しかも劉邦は項羽に滅ぼされてないですよね?負けても勢力は存続している訳で
曹操は呂布に負けて拠るべき場所すら無くしたんですが

363 :
ちょっと補足しますが、197年孫策はボスだった袁術に反乱して独立勢力の長になっていました
しかし呂布の発案によって独立勢力から漢王朝の支配下に入る事になったのです
これはどう考えても降伏で有る様に思えますがいかがですか?

364 :
お、おう・・
そうだな呂布は最強だな・・・(察し

365 :
>>352
武勇面でも三国時代なら関羽以下だな。
張燕軍との戦いでは成廉、魏越や数十騎の勇士達も
呂布と同等の活躍。
しかも効率悪く何度も突撃をかけ、数日掛けてようやく張燕軍を沈黙させている。
関羽の顔良斬りの特攻かけた場面では単騎しか捕らえようのない記述であり
建安五年(200年),曹操进攻刘备,关羽战败被生擒,不得已而投降
曹操待以厚礼,任命为偏将军。后袁绍派大将颜良与淳于琼、郭图等攻东郡太守刘延于白马,曹操亲自率军救援,并命张辽与关羽为前锋。
关羽望见颜良的麾盖,策马冲锋,斩杀颜良于万军之中,枭首而归,袁军将领无人能挡,白马之围被解,关羽被封为汉寿亭侯。
あっさりと難易度の高い技を成功させている。
この記述を持って>>304のような関羽の武勇超世傑も成立っているな。
武勇面にかけていえば、関羽が中国史上で大関なら呂布は小結くらいだろう。
確かに同時代での呂布の武勇評価は高かったがね。
これは中国史上の比べあいだ。当然、他史よりの評価を得ている方が評価も高くなって当然だろう。
それに対し、一介の研究家の私見に過ぎない次元の低いものを並べ立てドヤ顔とか止めてくれんかな。
その手のものは史実考察として全く通用しない。
史実の記述から、どう思うかは千差万別な見解が存在するからな。
そんなものにいちいち取り合っていては史実そのものを軽んじることになる。
だから、機械的に後世にまで広くその武勇を語り継がれた関羽や張飛は呂布以上の武勇を
誇っていたと、大体の人が此処でもそんな風に言っていただけ。
他史においても呂布が「並ぶ者のない戦上手」と褒め称え続けられれば
普通に呂布のその才を認めるよ、俺は。
それに三国演義の三英戦呂布にしても嘘つくなよ・・・。
関羽と張飛とは完全に互角じゃねえか。
しかも、ケツ見せて逃げ出したのは誰だ?
なんで呂布は逃げ出したのに、関羽と張飛は「敵わない」ことになってるんだ。
さらに曹操を滅ぼした、と言われてもな。
きっちり立て直してリマッチで最終的に勝利したのは曹操の方だろ。
軍としての戦いなら、最終的に勝った方が強いと言えるな。
劉邦もそうやって項羽に打ち勝ち、王朝を開くことが出来た。
曹操も本紀を持って語られ時代の中心となり「曹公」と敬意を持って
史書に栄光を讃えられた。
軍の戦いは勝てば官軍だ。
孫武の流儀を受け継いだのは、寧ろ曹操だと思うがね。

366 :
関羽がその後袁紹軍を完全に沈黙させたならそう言えるんですがね…沈黙してないでしょ?
呂布はその後張燕軍を離散させています。一戦で袁紹軍と張燕軍の戦争を決定づけてしまったんですね
それに現代の史家は呂布が最強だと言ってますよ。何度も言いますがね
呂布は関羽と張飛が束になって掛かってきても倒せなかったじゃないですか
劉備の援助があってやっと呂布は逃げたんですからね。敵わないはちょっと違うが、
関羽・張飛が束になっても倒せないは間違ってないでしょ
それなら項羽が劉邦より強いと言われている理由を説明してくださいよ
説明出来ますか?出来んでしょ。強いか弱いかは勝ったか負けたかとは違うんです

367 :
え?呂布以上の武勇?誰がそんな事言ったんですか?少なくとも関羽・張飛がすごいのはわかるけど、
呂布以上の武勇を持っているかは言明されとらんでしょ。それに渡辺義浩の他に井波律子も呂布が最強と言
っています。矢張り呂布が三国時代では最強なのでしょう
第一名将は功績で決めるのですから最強武将もそう決めるべきで有ると思うんですがね〜

368 :
しかも井波律子と渡辺義浩は三國志研究の第一人者で有り、一介の研究者風情と一緒にはできません
それに結果が大事なら、結局袁紹戦で不利となった曹操からケツ捲くって逃げた関羽と軍隊を解散させた呂布
がどうして比べ物になると言うのでしょうか?

369 :
あ、ケツ捲くってじゃなくて尻に帆をかけての間違いだったw

370 :
これが本物のキチガイって奴か
レス数からしても真性のにほひがプンプンするぜ

371 :
レス数でキチガイと判断する貴方の脳みそは随分と香ばしいですね

372 :
×と
○を

373 :
とりあえず「渡邉義浩」な。
崇敬する先生ならば、名前くらいちゃんと覚えておくのもマナーだ。
張燕軍を滅ぼしたのは呂布軍の力だろ?
呂布の個人的武勇の発現とか違うな。
しかし、確かに渡邉先生は
【関羽 神になった「三国志」の英雄】
という本で呂布の当代での個人的武勇最強を押しているが
P191にて
司馬光は『論語』陽貨編の言葉を引用しながら、単に勇気があるだけの武将は乱を
起すだけであるとし、勇だけでなく「義」を兼ね備えてなければ「武」と呼ぶに足らない。
と、主張する。「武」には「義」が必要なのである。
と変わり行く時代の武の変容を語っている。
つまり不義の塊な呂布はこの時代では既に武人ですらない、という見解を持っているわけだ。
名士という言葉に頼りすぎるので、煙たがられることもあるが
広い視野を持っている博識な先生であることは確かだな。
信心深い敬虔さもあり、まとめの
P236では
話は台湾旅行の思い出に戻る。廟の周りでは家庭で崇拝する神像が売られていた。
それほど高い値段ではなくミーハーな私は関帝の像を買って帰ろうと思い、師に相談すると
「関帝はやめろ」と言われた。
関帝は力が強いので、そのお世話が大変であるし、棄てる事などできないので台湾の廟まで
納めに来るしからだという。師が怖い顔でいうので関帝の像を買うことは諦めた。神像の中には
買ってよいものもあったようだが、関帝以外に興味はなかった。
とも言っている。
渡邉先生は三国志学会事務局長という肩書きも持ってるだけに
あらゆる「三国志」を受け入れているよ。
現代にも及ぶ、関帝の強大な霊威にも敬意を払っている。
視野狭窄に陥ってるような人が自分の意見を正当化させようと
持ち上げるにしては、かなり大きすぎる識者なんじゃないか?
失礼ともいえる。
井波氏も呂布にはキツイぞ。
【中国の五大小説(上) 三国志演義・西遊記】
でも読んでみればいい。

374 :
キチガイって頭のねじ外れてるから県下が強いが周りからは全く尊敬されないのと一緒だな
呂布は

375 :
張遼や項羽も数百から数十を率いて孫権軍、劉邦軍の追っ手を打破しその個人的武勇は高く
評価されています。呂布だけ軍の力のお陰と言うのは厳しいでしょう
"最強"には変わりないんでしょう?義まで兼ねるなら最高や最良にスレタイを変えれば良い
これは今までに一度言った事で有ります。項羽すら挙げられるこのスレで貴方の様な意見は、
まさにスレ違いなのです

376 :
>>373
中国歴代武将大排行
http://tieba.baidu.com/p/138619291
中国でも、貴方の様な考えの方は少数の様ですよ?

377 :
それは単なる「ぼくのさいきょうランキング」なんだけども。
てか、それでも項羽が最強じゃねえかw
でも、簡単な誘導によって易々と自分で渡邉の武人論を否定しちゃったわけだから
>>304の通り、三国時代最強の個人的武勇保持者は関羽と張飛。
個人的武勇においてはさらにその評価の上を行くのは、薛安都や楊大眼ってのは決まったな。
随分とグズグズ続いたがもう結論も出たな。
さ、次行こうか。

378 :
ぼくのさいきょうランキングと決めつけられる証拠は?

379 :
じゃあ項羽が最強で結論づいたな
呂布とかいう厨房向け武将の話題はこれにて終了!

380 :
このランキングで大切な事は、評論ではなく功績で最強を決定すると言う事なのです
つまつまり>>304の意見は虚しい観念論でしか無く、最強とは功績で決められるべきものなのです

381 :
功績で決めたら呂布なんかランク害になっちゃうじゃん
個人的武勇だからなんとかランク内にいるけど

382 :
>>381
張燕軍百万を離散させた功績でNo.1ですね

383 :
それでいいなら赤壁100万を焼き殺した孔明が上でいいな

384 :
>>383
それって演義じゃないですか?呂布は史実なんですが…

385 :
えっ?釣りはVIPでやってくれよ

386 :
・布得走投袁紹,紹與布擊張燕於常山。燕精兵萬餘,騎數千匹。布常御良馬,號曰赤菟,能馳城飛塹,
 與其健將成廉、魏越等數十騎馳突燕陣,一日或至三四,皆斬首而出。連戰十餘日,遂破燕軍。
・張燕、常山真定人也。黃巾起、燕合聚少年爲羣盜。其小帥、孫輕、王當等、各以部衆從燕。衆至百萬、號曰山。袁紹與公孫瓚爭冀州。燕遣將杜長等、助瓚與紹戰。爲紹所敗、人衆稍散。

387 :
ちなみに、上記で張燕が袁紹に敗れた為に勢力を衰退させたと有りますが、
赤壁の戦いにおける記述でも判る様に(赤壁で曹操は劉備に敗れたと書かれている)
史書は戦いにおいて、当事者を実際に破った敵の名前は残しません。破った敵の総大将の名を書きます
だから張燕は袁紹に敗れたと書かれる訳です

388 :
戦ったのは1万じゃん
モンゴルや騎馬民族vs農耕民族でも似たようなのたくさんあるね
張燕はその離散させられたあとも相変わらず勢力誇ってあとで結構な高位な将軍位もらってなかったけか
功績()

389 :
十余万になってますね。つまり呂布は戦わずして九十余万の軍勢を十余万の軍勢に
減らしてしまいました。これを軍事用語では壊滅と呼びます
次いでに書き忘れたので書いときますが、呂布が戦ったのは数万数千の、屠各・烏桓と言う異民族の入り混じった
軍勢です。項羽の28騎対五千より多勢な訳ですね?3万対60万ですらこの呂布対黒山賊の戦闘倍率には及ばない

390 :
一般人複数名が楽しくワイワイやってたらキチガイが闖入してきて一般人がチリヂリになった
呂布の戦いと今のこのスレはよく似てるな

391 :
数万数千の詳細は後漢書・袁紹伝に有ります
詳しくはほぼ訳とググってご覧下さい。ちなみに屠各は匈奴と連なっています

392 :
それでその戦いが凄いのはわかった
最強の武将というからには百戦百勝でそんな戦いを何度も何度も繰返してるんだよな?
他には?
まさかそれだけ?マグレかもしれないなあ

393 :
>>380
勝手に決めるなよ。
最強って響きに感じる最強の形は人それぞれだろ。
個人的な身体能力
個人的武勇
戦術レベル&戦略レベルの戦いで圧倒的な勝率を誇った名将
天下統一を成し遂げた創業の王
後世にまで広く轟く武名と威信
生前の武勇により、武神として祀られるほどの剛勇無双の者
など。
どの分野の頂にいても、最強とよぶに値するほどの人物だ。
呂布はどのジャンルでも残念ながら1位にはなれそうにもないな。

394 :
項羽、岳飛、尉遅敬徳なんかはガチで良い線行くんじゃね?
三国志では関羽や許チョなんかも凄いけど、この辺見ちゃうとちょっと霞んで見えるかもな。

395 :
>>392
兵は拙速を尊ぶと言い、一戦で勝敗を決める者は天下を制すると言います。どれも著名な兵書。孫子・呉子からの引用です
それに呂布は張燕の他にも小数で曹操・劉備・袁術を一戦で大破しており、どの勢力も滅亡か半身不随の状態に追い
やられています。この事から俺は項羽より呂布が強いと判断する訳です
>>393
勝手に決めているのは最早中国人ですら気に掛けない義やら評やらで最強を決めようとしている貴方でしょう。第一関羽が
天下統一を成し遂げましたか?成し遂げてませんよね?戦術では目も当てられない敗北ぶり。呂布の様に勢力を滅ぼした訳
でも有りません。俺は呂布を飛将と称された身体能力・百万を崩壊させる武勇・曹操を一戦で滅亡させる戦術&戦略・清代
にまで描かれ現代にも広く伝わる武名と威信・神すら倒せない剛勇無双を以て最強と言うのです

396 :
あぁ、劉備は戦わずして滅亡させただった。失礼
ついでに孫策も戦わずして屈服させてますね。どれも立派な兵法の教えに沿った
ものです。上記の英雄達は誰も彼もが実力者ですので、これを一戦or戦わずして滅亡・
屈服・半身不随にさせた呂布は最強の武勇の持ち主な訳で有ります

397 :
>>395
その言い分だと、呂布が持ち前の武勇で天下統一しました。みたいなことになってないか?
肥三国志シリーズのやりすぎか。

398 :
黒山賊は呂布に直接壊滅なんてさせられてないでしょ。
離散して数を減らすのは賊軍の常だし、それからも何度も袁紹の手を焼かせてる。
それから10年近く勢力を維持してたはずだけどな。
あと孫策が降伏したのは漢の朝廷に対してであって、
呂布の勢力が降伏勧告を提案したってだけで、
これを呂布が孫策を下したとか言ってるのは大きな間違いだよ。
敵軍の数だけで武勇の証明になるなら、
最終的に曹操に吸収されたために魏の功績として数が盛られてる黒山賊よりも、
規模が桁違いの陳勝・呉広の乱や対秦戦争なんかで活躍した将のがずっと上だと思う。
こっちも数が盛られてないわけではないけど、
賊軍相手や留守狙いなんかと違って、正規軍対正規軍の大戦も多いわけだし。

399 :
>>398
黒山賊が呂布戦後袁紹の手を焼く(?)のは199年に公孫讃が援軍を張燕に依頼
した時のみで(袁紹と戦っても居ない)、黒山賊の孤立を防ぐ貴重な盟友・公孫讃が苦戦に陥る
重要な194年から198年に掛けては全く軍事行動できていません。また袁紹も
194~198年に掛けて張燕に対し軍事的な活動をした形跡は有りません
呉書ではその後どうも孫策が呂布の指導下に入っていた様な記述が有ります。そうでなくとも、
当時呂布は漢室側であり、勧告を提案し独立していた孫策を降伏させたのは韓信が燕を
降伏させたのと同程度の手柄が有るでしょう。ちなみに呉書の記述は下記です
呉書曰、紘與張昭並與參謀、常令一人居守、一人從征討、後呂布襲取徐州、因爲之牧、
不欲令紘與策從事。追舉茂才、移書發遣紘。紘心惡布、恥爲之屈。策亦重惜紘、欲以自輔。
答記不遣、曰「海產明珠、所在爲寶、楚雖有才、晉實用之。英偉君子、所游見珍、何必本州哉?」
何処かの諸侯が別の敵を鉞(か?)を振るっただけで降伏させた事が三国志の故事として有ります
これを鑑みれば呂布がその武勇を振るっただけで九十余万の軍勢を崩壊させたのは
十分な功績になると思います。所で陳勝・呉広の乱はどれくらいの規模だったのでしょうか?
少なくとも呂布の個人的武勇の発露と、章邯の将才を比べるのは土俵が違うと思いますが
それに張燕の軍勢には烏桓や屠各が存在し、生半可な正規軍や賊より強力だと思われます

400 :
あ、失敬。袁紹は194年から200年代に掛けて張燕に対し
軍事活動をしていませんでした

401 :
殺伐としたスレに夏魯奇最強説を復活
1VS2で一騎打ちしちゃうとかどこの演義呂不やねん

402 :
>>401
夏魯奇が勝負した相手によるのでは無いでしょうか?
呂布は数百で数万を蹴散らした郭レ相手に勝利していますね
後、資治通鑑によれば呂布は十人もの袁術の将軍の首を切っている様です

403 :
>>呂布は十人もの袁術の将軍の首を切っている様です
これは呂布対袁術のある一戦での起きた事です。項羽は五人の将軍と一騎打ちをしていますが、呂布はその2倍にあたる十人の
首を刎ねていた模様。またこの時も呂布は総戦力三千で有り、袁術軍数万(劉備の時ですら三万で有った為、袁術がその武力を恐れ
和睦した呂布の場合それを上回る可能性が高い)の戦力差。騎兵だけで一戦を交える(張燕戦然り・曹操戦然り)傾向の有る呂布の騎兵は
当時四百で有り、大体百倍もの戦力差が存在しました。呂布が十人もの首を刎ねたのは追撃戦時に起きた事ですが(意外にも、
当時呂布は書簡を以て敵を寝返らせている)それでも異常な武勇が存在したのは明白でしょう

404 :
単純にあんたキモイよ
長文を連投しすぎて

405 :
つーか、個人的武勇に関しては既に決着もついてるんだけどな。
お気に入りの渡邉氏の意見ですら呂布の最強を証明できず終了。
よって後世、伝説となった武勇とその功績を史書より数多く認められた
関羽と張飛が三国最強の武勇保持者。
そして、その関羽と張飛よりも以下略。
この下りってどれくらいやった?
いい加減にしてほしいわ。
とにかく、三国時代には中国史上最強の武勇を持つ武将は存在しないということだ。
自問自答の身勝手見解では誰も説得できてないんだから諦めてほしい。

406 :
中国人は全く義や評を気に掛けないと言いましたよね?ついでに韓信が忠義を尽くした結果も思い出して頂きたい
岳飛もそうでしたが彼の様な英雄は人の下につけば粛清される運命が待っています。残念ながら呂布は孫策を降伏させる程度には
英雄なので関羽や張飛の様な忠義が通用しないのです。残念ながらね

407 :
>中国人は全く義や評を気に掛けないと言いましたよね?
その証拠はどこに?
本土でなくとも、横浜中華街あたりでも義将関羽の霊威は
めでたい日を迎えるたびに感じる事が出来るぞ。
そういうものを運営している人、その威光に触れようとしている人達は
間違いなく関羽の義勇を尊崇しているようにも見えるんだがな。

408 :
ttp://tieba.baidu.com/p/138619291
他にもランキングが有りますが、最強を決定するのに義や評は気にかけん様です
気にかけられるのは主に功績ですね

409 :
ドヤ顔でそんなもんだされてもな。
それって、好き勝手な個人見解を垂れ流せるような場所だぞ。
史書の記述から見る証拠以上の説得力があるとでも?
それであっても、そのサイトの記述では1位は項羽なので
項羽が個人武勇最強ってことでいいのか。ならこの不毛な流れもようやく終了だな。

410 :
個人見解と証明できる証拠は?で無かったとしても、前レスの名将ランキングでも
義や評によって名将を決定した形跡は有りません
更に呂布は劉備・曹操の様な群雄なので忠義のそれは適用されません
曹操が袁紹を裏切り、劉備が公孫讃を裏切り、孫策が袁術を裏切った様に、
呂布が他者を裏切ったのも非難される謂れの無い行為です

411 :
個人的見解と証明できる証拠?
投稿者が一般人だからな。
完全に個人編集の類だろう。
曹操や劉備や孫策には上に立つ人間としての器があった。
呂布ように人間的魅力が皆無な獣とは大きく違う。
曹操は史書では本紀を立てられ、名前でよぶのは畏れ多いと
「曹公」と尊称を持って敬意を払われ、劉備も先主と呼ばれ敬われ
孫策も孫権へとバトンを繋ぐ長命王朝の魁となった。
董卓や呂布のように目先の利益だけを追い続ける不義不忠の塊と
同列におけるような存在じゃないだろう。
呂布の裏切りは無駄に敵を増やすだけのマヌケな裏切り。
曹操、劉備、孫策の裏切りは自分の将来性を見越した裏切り。
裏切っても、非難されるに値しないのは裏切りによって自身の滅亡を招くような
愚か者ではなかったというある種の聡明さもあるからだろう。
現に曹操は今の時代になって著しく上向きの再評価を受けているだろう。
悪であっても、それが世を生き抜く賢い手段ならば評価も受ける。
我欲に走って滅亡を招くだけのアホなら、そんな裏切りは手厳しい評価から
何も変わることはない。
で、個人武勇最強は項羽でいいのか。
そのサイトの評価を重要視するみたいだし。

412 :
投稿者が一般だからといって個人編集の類と断定するのはまずいのでは?
不義不忠な裏切りで敵を作った割には、徐州内での評価は高かったみたいですよ?
陳琳の檄文にはこう有ります。曹操が呂布を攻めた時降ったのは張遼と侯成のみだと
つまり人民は裏切った事が無いと書かれています。曹操が多くの武将・領地に裏切られたのとは大きな違いです
これが聡明な裏切りとアホな裏切りとの違いでしょうね。勝敗によって評価は逆転していますが
陳琳の文書
ttp://www.xiexingcun.com/shiciqupianqu/08/h029.htm

413 :
俺はそのサイトの"評価の方針"を支持すると言ったまでです
項羽が第一位とする訳では有りません
後曹操と戦う前に袁術とも戦ってますが、この時点でも呂布を裏切った将兵は
居ません。劉備は蜀を取った後大混乱に襲われ、孫策は敵の粛清に右往左往しましたが、
呂布にそれは無かったみたいです

414 :
自分の好きな武将をアゲアゲするのはいいと思うけど、
それを何がなんでも相手に認めさせようってのはどうかと思うな。
反対意見を無視できない病的な精神の持ち主さんなのか、
ここで呂布が1番だと認められなければ家族でも殺されてしまうのか、
いずれにしても、みんなからバカにされて迷惑がられていることに早く気付いた方がいいよ。
わざとそういうことをして楽しんでる荒らしでないのなら。

415 :
呂布最強くんは最近史書を引き合いに出すようになったけど、
大半が曲解だったり、都合の良い部分だけを拡大解釈してるからなあ。
確かに呂布はかなりの武勇の人だとは思うけど、
歴史を左右する戦果や、後世まで語り継がれる武勇伝はないし
(董卓誅殺は呂布の武勇あったればこそってわけではないしね)、
後世の評価が呂布の限界を物語ってると思うけどな。
義とかそういう評価を抜きにしても。

416 :
時代が違う過去の人間がガチで殴りあいできるわけないんだから
結局評判が全てになるのよね
創作ではやっぱり呂布のような私欲方悪役は負けキャラなのでそういう評価になっちまうわ
最初は押せ押せでも逆転負けするイメージしかわかないわ、項羽や岳飛や楊大眼や尉遅敬得に

417 :
>>414
反対意見を無視したら、それはそれで相手の意見を無視すると言われるでしょう
>>415
まず相手に納得してもらうには、どこら辺が曲解や拡大解釈なのかを説明しないと
それに後世まで語り継がれているでは無いですか?演義がそうでしょう
毛宗崗や魯迅も呂布の武勇を持ち上げすぎと言った訳では有りませんしねー
>>416
渡邉義浩や井波律子の評が有りますよ

418 :
>>417
>>373
渡邉氏の見解は否定されたろ。
きっちり流れを読め。自分にとって都合の悪い意見を無視してるヤツは
どこのどいつだ?
曲解に過大解釈ねえ。
曲解は万余の兵、騎馬数千頭の張燕軍を呂布が一人で壊滅させただの
離散させただけなのに、これまたたった一人で百万の軍を壊滅させただの
喚いてなかったっけ?明らかに曲解だな。
過大解釈は呂布の武名は、関羽や張飛に比べたら大したレベルじゃない。
証拠:>>304
それに三国演義なんて小説世界への扉を半開きにしてしまったら
小説世界の最強ランクまで参戦可能になってしまうな。
そうなったら封神演義や西遊記の仙人や仏が上位独占で呂布なんて凡骨なんぞ
相手にすらならん。しかも、この手の世界は史実に実在していた人物ならば
関羽の右に出れるものはいない。
小説世界の関羽は死後に神として転生し活躍する。
小説世界の関羽は生前と地続きな存在。
その関羽はといえば
孫悟空を引き合いに出して考える。
西遊記の孫悟空の法力(巨大化すれば宇宙と同じ位大きくなれる。)
その孫悟空が西天取経の際、助力を願い出た神に真武大帝という神がいる。
この真武大帝は北遊記の主人公である真武大将軍。
その真武大将軍が道中に強敵にあい、落命していまう敵がいる。(神魔小説なのですぐに蘇る。)
それが関羽の青龍偃月刀の精として、下界に下り悪さをしていた金烈将軍と名乗っていた存在。
関羽はこの不届きな行いを知るなり、釈迦如来の元で行なっていた読経を止め釈迦尊に一時の退席をつげ
道教世界への舞い戻り、怒号一閃。瞬く間に金烈将軍を目の前に呼び寄せ、刀の姿に戻してしまった。
それほどの存在。
ただ、東遊記の時代にはまだ元帥神であったこともあり、
四海龍王軍の救援として、八仙と戦いために参戦したがこのときは
八仙側に孫悟空が現われて一蹴されている。
関帝となった頃の法力は、その孫悟空が助力を求めた真武大帝以上の
存在になったことになる。
小説世界ってのはこれくらい無茶苦茶なんだよ。
三国演義の呂布なんて小粒過ぎるだろ。
史実目線で見てそれを「くだらない」って思ったらそれも当たってる。
小説とは「くだらない読み物」という意味があるらしいからな。
くだらないから突っ切った幻想を貫徹できる。
それほどに小説とは柔軟で大衆向けの幻想に満ちている。
三国演義は良く出来てるよ。その分、万能な無敵キャラとかいないんだけどね。
そして、お前の大好きな渡邉氏も小説を「くだらない読み物」と訳してるよ。
それに基本の根幹が「中国史上」なんだから小説は関係ないだろう。

419 :
数万と数千の間違いですよ。それに百万が十余万に減少したらそれは軍事用語的には「壊滅」でしょう
しかもそれが呂布の戦いでもたらされたなら尚更です
で、その関羽は張飛と一緒に呂布と戦っても呂布を倒せなかったんですよね
その滅茶苦茶な小説世界を持ち出したのは貴方がたでしょう。誰が言いましたっけ?
項羽は「小覇王」孫策の様な猛将の雛形だって。それに文人達は呂布の武勇について一言も持ち上げすぎだ等
と言った事は有りません。中国史上の文人・儒者達が三国演義にて呂布についてこの様な評価を下しているのですから、
それは尊重されるべきだと思うんですが。それに三国演義って「七実三虚」なんですけど

420 :
>>渡邉氏の見解は否定されたろ
>>410
>>曲解は万余の兵、騎馬数千頭の張燕軍を呂布が一人で壊滅させただの離散させただけなのに
それ言いましたっけ?
>>これまたたった一人で百万の軍を壊滅させただの喚いてなかったっけ?
張遼だって800人で突撃したのに江東で語られたのは張遼の武だけでしょう?
張遼一人が江東全体を恐れさせたなら呂布の武威が黒山賊を壊滅に追い込んだとしても
不思議では有りません

421 :
壊滅してないじゃん
曹操からちゃっかり将軍にしてもらうほどだし

422 :
百万から十余万に減っているんですよ?つまり五割以上が減っている訳で、
これを軍事用語では「壊滅」と言うんです

423 :
信長とかジャンヌ・ダルクとかスキピオとか、世界の英雄同士で戦ったら誰が一番強いの?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1357906050/
こんなスレがあるぞ
呂布宣伝してくれ

424 :
>>423
ここも説得出来てないのにそれは無理ですね

425 :
そこでも呂布推してる奴なんて1人もいないな
項羽以下というのが大勢のようだ

426 :
>>425
>>18
>>19

427 :
まさに都合の良いものしか目に入らない好例なレスじゃねえかwwwww

428 :
いちおう抽出しとこう
  84  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/11(金) 21:36:15.87 ID:hIkGT8BW0 [1/7]
戦争の強さか個人の強さかわからんから、どっちの強さも化け物クラスの項羽おしとくわ
ちなみに項羽の個人武勇は一人で数十人の人間皆殺しにできるレベルな
呂布とか片手で殺せるレベル
  182  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  [sage]  2013/01/11(金) 22:15:08.85 ID:QBu+QgNn0 [1/2]
項羽と伝説の呂布ってどっちが強いの?

  183  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  [sage]  2013/01/11(金) 22:16:10.70 ID:k6e7MjrY0 [5/7]
>>182
項羽

  184  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/11(金) 22:16:12.21 ID:+aTThPPf0
>>182
呂布とかワンパン

  185  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/11(金) 22:16:33.00 ID:qxkRTI7w0
呂布なんて塚原卜伝にも勝てないよ
  187  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/11(金) 22:17:04.50 ID:G+70zNax0 [4/8]
>>182
項羽
呂布は知略で楽勝
  191  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/11(金) 22:17:48.12 ID:JS261AEX0 [3/6]
項羽と呂布じゃ実績が違いすぎる
  427  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  [sage]  2013/01/12(土) 04:02:46.71 ID:QaP+l97oP [1/2]
一番最近生まれたやつ
多分三国志の超英雄の呂布や孔明みたいな最上級クラスの人材ですら信長時代じゃ中堅レベルがいいとこだろ
もちろんそいつら全員が同じ時代に生まれて同じ環境で鍛錬させたらどうなるかって話なら色々変わってくるんが
少なくとも数百年クラスの技術の歴史補正は能力云々じゃどうにもならんよ
  429  番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です  []  2013/01/12(土) 04:09:09.29 ID:gJIjqala0 [2/7]
数千数万の人間を反抗させず殺し合いに連れてゆける時点ですごい
今の日本で出来るとしたら橋下か池田大作くらいじゃないかな
だいたい地方軍閥のメンバーレベルの呂布だの孔明だのを超英雄とかすごくくさい

429 :
>>427
>>そこでも呂布推してる奴なんて1人もいないな
これ言ったのはどこのどなたでしたっけ?
それに呂布自体は自らが政権を握った事も有るんですが

430 :
百万なんて記述を鵜呑みにしてると恥かくよ。
ああいうのって実際には10万ちょっとぐらいだったりするし。
10万以上の軍だし、どうせわかりゃしないんだから威勢良く百万と号して
相手の戦意をくじいてやろうとか、良くある話。
あとは史書を残す時に、我々の王朝の流れを組む正当な前王朝の話だから、
下した敵がいかに強敵だったかを記して、王朝の威光を高めておけ的な検閲が入ったり、
朝廷への戦勝報告でも何倍にも盛るのが一般的だったしね。
あと現実的な話として、そもそも黒山賊は浮浪者たちが集まってできた賊軍なのに、
決起して大乱を起こした黄巾党と同じ規模なわけがない。
そしてそんな規模の大軍だったら、狭い一地方に留まってるわけがないよ。
せいぜい12〜3万の軍で、練度の低い賊軍なら実戦レベルなのは2〜3万。
それらがちょっと負けたから、非戦闘人員が離散してほとぼりが冷めるまで雲隠れしたって話
として考えるのが冷静な見方なんじゃないかな。

431 :
そんな事言ったらどの軍勢だって誇張している可能性が有るでしょと言うのが
俺の主張な訳で
黒山賊は朝廷の討伐軍ですら倒せなかった軍なんですがね…
それに、雲隠れする期間が長すぎるでしょう。194年から205年までですよ
そんな長い期間雲隠れする賊って居るんですか。量も多い。大体九十万ぐらいが
雲隠れしている試算になりますよ。205年まで

432 :
呂布最強君も延々頑張ってるけどさ、
相手は誰一人として納得してないよな。

433 :
結局そのなんちゃら賊を少し弱らせたぐらいしか呂布は戦争の功績がないんだな
他に上がってる名将を見るといくらでも戦争の話題があるのにな

434 :
>>433
徐栄に大敗して逃げる曹操を追い討ちしたり、
曹操の留守を襲ってエン州を落としたり(これは曹操を裏切った陳宮や張バクの功績)、
逆襲してきた曹操に勝ってもいる(けど最終的には大敗してる)。
あとは劉備の留守を襲って徐州を落としたり、小沛の劉備を駆逐したり、
陳珪の策略で袁術を撃破したりもしてる。
戦には決して弱くはないけど、これで中国史上最強と言われても…って部分はあるな。
てかぶっちゃけ三国志史上最強ってのでも怪しい。

435 :
小競り合いばっかりなんだな

436 :
>>432
過去レスも読めない方々の巣窟ですから。なんちゃら賊なんて言われている黒山賊が烏桓や屠各
と提携していた強大な賊で有ると言う事を完全に知りませんもの。烏丸や屠各なんて漢の時代に大活躍した騎馬民族
なのにね…
後黒山賊は少し弱まったレベルじゃ有りませんよ。百万⇒十余万ですから。これ程の大軍勢をここまでにした将軍は居
ないでしょう
曹操もそうです。彼は高島俊男によれば黄巾百五十万余りを五千で撃破した男ですが、
彼も呂布にはこてんぱんにぶちのめされ、滅亡しています
劉備もその黄巾を撃破した男で有り、彼も呂布に降伏するハメになっています
袁術は後漢紀によると帯甲数万(少なくとも三万以上)を数える大勢力で有り、
対して呂布は三千の兵士しか持っていません。にも関わらず袁術は呂布を恐れ子孫の間で婚姻を結んでいます

437 :
その滅亡した曹操と劉備の亡霊に殺されたんだね呂布クンは

438 :
項羽も劉邦に殺されましたが?ついでに関羽も孫権に殺されてますね

439 :
あんたの言ってることで変換すると劉邦が殺したはずの項羽に殺され孫権が殺したはずのカンウに殺されたようなもんだろ?
呂布は滅ぼした曹操劉備に殺されたんだから

440 :
>>393の基準でとりあえず「三国時代限定」でやってみると
・個人的な身体能力
許チョ(牛の尾を掴んで引きずりまわすとんでも馬鹿力)
典イ(数人掛りで持ち上がる大旗を片手で持ち上げる超怪力)
関羽(麻酔なし切開手術に耐えるどころか、談笑して酒を呑み肉を喰っていた。)
俺は正直、この三者は人間じゃないと思った。
・個人的武勇
関羽
張飛
既にデータが上げられてるので差して語る意味もなし。
・戦術レベルの戦いで圧倒的勝率を誇った名将
張遼
騎馬戦闘のスペシャリスト。戦術レベルの戦いならば
まさに戦神とも言うべき強さ。日本ならば上杉謙信級。
・戦略レベルの戦いで圧倒的な勝率を誇った名将
曹操
三国時代で最も大きな領地を獲得していることからも
疑いようはない。
戦略レベルの戦いは「最終的に勝つ」ことに意味がある。
・天下統一を成し遂げた創業の王
曹操
天下統一、と言われたら苦しくなるがそれでも
実質的な正統は曹操であったといっても過言ではない。
名実的正統を劉備の喧伝によって奪われたが、それはあくまで
「漢」という時代での話。中国の伝統の帝が住まうべき地は
中原の大地。中国史という全体で照らし合わせれば三国時代の
天下の主は曹操だったはず。
・後世にまで広く轟く武名と威信
蜀なら五虎将、魏延、
魏なら五大将、曹仁、張コウ
呉なら、孫堅、孫策、甘寧、太史慈
その他の英傑ならば呂布
三国演義は豪傑の物語としても読めるね。
・生前の武勇により、武神として祀られるほどの剛勇無双の者
関羽
ここだけなら、関羽は中国史全部でもいける。
あくまで俺の私見だが、三国時代だけでも呂布の単独最強は厳しいと思うな。

441 :
>>440
異論ないわ。
これぐらい説得力ないとダメだと思う。

442 :
疑問なんだけど、曹操っていつ呂布に滅亡させられたんだ?
一度は根拠地を奪いはしたけど、程イクや荀イクに阻まれて城は落とし切れなかったじゃん。
それ滅亡なの?
したらなんで呂布はそれから、袁紹の援助を断った曹操にボロクソに負かされたのよ。
曹操は滅亡したんじゃなかったの?

443 :
you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。
それを見ると中国人も中国の民主化を望んでいる事がわかります。
新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、
中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。
日本語による吹き替えも毎日アップしています。
日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。
新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない
日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。
さらに新唐人テレビを衛生放送を使って中国国内に放送する計画まであります。
これはある意味、中国共産党に対する強力な「兵器」です。
新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!

444 :
曹操が滅亡していたり黒山賊が壊滅していたり呂布最強君の歴史は俺らがしってるものと少々違うらしい

445 :
戦略的な一時の軍事縮小も呂布最強君によれば滅亡扱いになってしまうらしいからな。

446 :
>>440
呂布は武勇の士董卓の投げた手戟を躱したり、朝から夕方まで戦闘を行ったりしていますよ
これが個人的体力
武勇については語るまでも有りませんね。三万を一人で退けた事を考えれば
戦術レベルで言うなら呂布もそうでしょう。特に騎兵の扱いは張遼を上回っています
敵を壊滅させるのと撤退させるの違いですね
戦略レベルですが、相手を滅ぼしている時点で呂布の勝利と考えていいと思います
神はキツいですがそれでも神と対等の武勇を持っている様に描かれていますよ
>>442
故九江太守邊讓、英才俊逸、天下知名、以直言正色、論不阿諂、身[首]被梟縣之戮、妻孥受灰滅之咎。
自是士林憤痛、民怨彌重、一夫奮臂、舉州同聲、故躬破於徐方、地奪於呂布、彷徨東裔、蹈據無所。
幕府唯彊幹弱枝之義、且不登叛人之黨、故復援旌擐甲、席卷赴征、金鼓響震、布衆破沮、拯其死亡之患、
復其方伯之任、是則幕府無梔兗土之民、而有大造於操也。
蹈據無所と言う所が重要です。要するに曹操は寝床すら無くしましたと言う事ですからね
後漢書では註釈でその直前に曹操が呂布戦に敗れたと記されています。後は方詩銘と曹操論でぐぐって
みてください。ちなみにちくま訳だと死亡之患は滅亡の苦しみと訳されていますよ
>>444
組織構成員が五割以上減る事を軍隊用語で壊滅と言います。黒山賊は五割どころじゃ
有りませんでしたけどね

447 :
このアスペ君早く消えてくれねーかな
ループしてつまらん

448 :
>>447
ループしているのは貴方がたでしょう
俺が史料を出してもすぐ無かった事にするんだからさぁ

449 :
なるほどね。
呂布って、個人的武勇も戦術も戦略も
高い標準にはあるけども当代でもナンバーワンとは言えないな。
身体能力は並の人間よりは上というレベル。
>>440の挙げた三人と比べたら正直見劣りする。
個人的武勇はより高い評価を受けてるので関羽や張飛が上。
史料という証拠があるのだから主観では語れない。
戦術に関しては、何度もいわれてるので分かり易かった。
黒山賊は呂布軍との戦いで壊滅などしていない。
軍隊用語で壊滅の状態など言われても、結局息を吹き返しているのだから
本当の意味の壊滅とは程遠い。
張遼は当代での戦績は文句なし。合肥戦での張遼か?
黒山賊戦での呂布か?なんていう意地の張り合いでは永遠に決着はつかない。
三国時代でもっとも隆盛を極めた
魏における武人の頭領格に上り詰めた強さは本物。
さらには張遼は唐の古今六十四名将入りまで果たしている。
俺も戦術にかけては張遼かと思う。
戦略論に関しては単にモノを知らないだけじゃないかと。
劉邦も項羽には数え切れないくらい敗れたが、最後の一戦で逆転勝利をもぎ取った。
広い視野でものを見る戦略的概念から見れば過程の段階では幾ら負けても構わない。
然る後、その強大な敵の威勢をあらゆる方法で削ぎ、最終的に
決定的な勝利を得て、対象を完全に滅ぼすことにある。
呂布は曹操に復活の機会を与えてしまってる隙があり、この時点で既に戦略において
曹操により劣っている。結果として曹操に滅亡させられてしまっているのだから。
神と対等の武勇?
それは語るのも馬鹿馬鹿しくなるからやめておけ。
代表的な民間道教の神である孫悟空の獲物は8トンもの重さがある、こんな神の同僚となるまでの
神に関羽はなった。
そんな幻想世界の住人に肩を並べたいのなら、呂布も史実世界とは別の顔を持った
存在になる必要もある。
三国演義程度の幻想では文字通り足元にも及ばない。
わかりやすくいえば、関羽は死後、神仏として転生し
修行してパワーアップしまくった、という
まるでドラゴンボールのような設定。幻想世界だからありうるのよ。
俺も史実世界の人間がここまで宗教や幻想世界に溶け込んでしまっている存在は
関羽だけだと思う。中国の偉人英雄達も数多く道教の神にはなっているが史実色が
強いためか、それほどの地位にいないのが現状。
民間から強い崇敬を受けていた関羽は孫悟空と同じような存在にもなった。
残念ながら呂布は末端の神にすらなっていない。

450 :
>>身体能力は並の人間よりは上というレベル。
基準も無しに並の人間より上レベルと言うのもどうかと思いますよ
それに呂布は朝から日暮れまで数十回合戦していますからね
>>個人的武勇はより高い評価を受けてるので関羽や張飛が上。
高島俊男は呂布を後漢末期第一の豪傑と言っております。昔の評価はともかく、
現代の評価なら呂布は上なんじゃないかなー。それに昔の中国の評価なんて、
結局は北伐に失敗した孔明を孫武と同クラスにしちゃう程信憑性に欠けるし
>>軍隊用語で壊滅の状態など言われても、結局息を吹き返しているのだから
袁紹に無視される程度の勢力が息を吹き返した…?後兵を出すだけなら呂布にこてんぱんにされた袁術でも出来ますよ?
結局袁術と黒山賊は戦えてなかったけど
>>劉邦も項羽には数え切れないくらい敗れたが、最後の一戦で逆転勝利をもぎ取った。
では黒山賊百万を壊滅させた功績はどうでしょう。後十倍の国力を持った袁術を半身不随にした点も良いですね

451 :
後、関羽や張遼や張飛が個人的武勇で敵軍を"撃破"した事は有りません
関羽は結局曹操が白馬を放棄して撤退してますし、張遼はその後孫権が
十日余り合肥を攻撃していますし、張飛は曹操軍を足止めしただけです
呂布の様に軍隊を撃破しているのは珍しいのでは無いでしょうか

452 :
呂布は1人で軍隊を皆殺しにしたんだ凄いねー
じゃあ終了で

453 :
そう言う事言った覚えが無いんですが…?
都合よく文章を曲解してるのって貴方がたじゃ無いですかねー

454 :
え?個人的武勇で撃退したんじゃないの?
軍隊に個人で殴りかかるなんてそれこそ項羽も真っ青の匹夫の勇だな、最強じゃなくただの知的障害者だな

455 :
数十騎で数千の部隊を撃破した項羽や数百で十万に突貫した張遼はその個人的武勇を
恐れられていますよね、と言っただけですよ。まさかこのスレに池沼が居たなんて思わなかったなぁ

456 :
え?張遼は個人的武勇で撃破したことはないんじゃないの?
君の言ってることはよく変わるなあ

457 :
まぁ何レスも使ってますからね。ご愛嬌と言った所です
ついでに張遼が勝利したのは合肥の守りが硬かった事も理由の一つ。決して張遼の武勇のみが
原因では有りません。後張遼が個人的武勇で撃破したとは言ってませんよね?日本語判ります?

458 :
呂布が最強か最強じゃないかより手垢が付くほど食傷気味な三国志武将関連の話題をやめてほしいんだがね、関羽なんかもだが
あまりよく知らない他の時代の人物や出来事を知れるのがこの板のいいとこなんだが呂布君は三戦でやってくれないかね
君のせいで他の話題にならないんだよ

459 :
だったら史料を持って反論すれば良いでしょう。うまくいけば俺を追い出せるし
啓蒙にもなるじゃないですか?それも出来ないでここから出て行け?
都合が良いにも程が有りますな

460 :
>>304
史料による考察で三国時代に関張以上の武勇はなし。
そして関張以上の武勇保持者が中国史には存在する。
よって三国時代に中国史上最強の武勇保持者の存在はなし。
呂布最強君以外はコレで納得してると思うのだが。
項羽、楊大眼、尉遅敬徳あたりが本命って
大概の人が認めてるよなあ。
>昔の中国の評価なんて、
結局は北伐に失敗した孔明を孫武と同クラスにしちゃう程信憑性に欠けるし

てか、こんなことを言ってる時点で呂布最強君自体が史料の信用性を否定してるな。
それでいて史料を持って反論ってのもよう分けのわからん話だ。

461 :
>>てか、こんなことを言ってる時点で呂布最強君自体が
史料の信用性を否定してるな。
俺が否定しているのは中国人の"評価"なのですが、
曲解だけでなく拡大解釈もお手の物の様ですね

462 :
何を言っても無駄とはこのこと。
構うのをよした方が良さそうだね。

463 :
病気だな。

464 :
>>462
>>463
おやおや?論駁できないから今度は無視ですか?
まぁその程度の連中が歴史を読むとは笑止千万。語るに落ちたりと言った所ですね

465 :
じゃあ別の武将の話しよう
五胡南北朝あたりだとそれなりに強いのが結構いると思うんだけどおすすめは?

466 :
北斉の皇帝はどうかね?
あれだけの気違い三昧が出来たのも戦いに強かったからでしょ。

467 :
たしかに北斉や高氏はやたら強いよな
でも北周に勝てなかったのは悲しい

468 :
>>402
夏魯奇は2対1の一騎討ちのほか、一人で数百人の包囲を突破して主君(李存勗)を救出しているし
当時最強だった王彦章を生け捕ってもいる。
王彦章は、語るにおよばないくらい最強候補のはず。

469 :
呂布って三国志が超有名だから出てくるだけだよな
時代が無名なだけで同じような猛者は他の時代にもいるな

470 :
結局、あの時代で他史からも賞賛された勇猛の存在は関羽と張飛だけだったしな。
この二人だけなら中国史級の武勇とも思うわ。
まあ、トップは厳しいだろうが。

471 :
呂布は武勇に加え三國志だけでなく後漢書にも伝を立てられてるから一時代を乗っ取ったと評価されてるのは間違いないんだが、そう考えるともっと規模の大きい奴が沢山いる気がするんだよな
項籍とか朱全忠とか

472 :
その流れでいくと、李克用なども入るかな。
新唐書の沙陀伝だけど、一応、唐と五代の両史書に名があるうえ、朱全忠ともども歴史の中心人物。
それに百歩の距離から針に矢を当てるとか、弓術は呂布を彷彿とさせ、15歳の初陣(龐の乱)
のときには飛ぶように戦場を駆けたことから「飛虎子」と渾名され、長じてはおなじみ「独眼龍」と呼ばれる。
しかし李罕之が李克用を頼ったときには「お前がいるのは、董卓のもとに呂布がいるようなもんだ!」と
難色をしめたのだけど、むしろ李克用のほうが呂布っぽいと思わぬでもない。
(言葉の意味は、いつ裏切られるかわからん、というほどのこと)

473 :
ちなみに夏魯奇が一騎討ちした相手のうちの一人は単廷珪という。
梁山泊にでもいそうな名前だけど、偶然か作者が適当に見繕ったのか。
(wikiにある「単無敵」なんて呼称は聞いたことも無いのだけど、大燕では指折りの猛将だったことは疑いない)
水滸伝つながりでは、花和尚のモデルは趙匡胤だといわれている。
その趙匡胤は関羽を彷彿とさせる、敵陣に一騎駆けして敵将二人を捕らえる武勇を示した。

474 :
趙匡胤もそういえば関羽に魅了された人物の一人だったな。
自選で古今忠臣を23人を選び、特に関羽の功績を賞賛していた。
単騎駆けがいかに難しいかを自分で実戦して分かったからかな。

475 :
昔者,東漢之微,豪傑並起而爭天下,人各操其所爭之資。蓋二袁以勢,呂布以勇,
而曹公以智, 劉備、孫權各挾乎智勇之微而不全者也。夫兵以勢舉者,勢傾則潰;
戰以勇合者,勇竭則擒。唯能應之以智, 則常以全強而制其二者之弊。
是以袁、呂皆失,而曹公收之,劉備、孫權僅獲自全於區區之一隅也。
方二袁之起,借其世資以撼天下。紹舉四州之眾,南向而逼官渡;
術據南陽,以擾江淮,遂竊大號;呂布驍勇, 轉鬥無前而爭袞州。
宋の時代に学者で有る何去非から呂布はこの様な評価をくだされている
みたいですよ。要するに呂布はすごい強いと言う訳ですな
而有驍勁之力以助其悪
これは明の王夫之からの評価です。これも呂布は
強力で有ったと評価しています
自董卓作亂,以迄於今,將三十載。其間豪桀縱,熊據虎跱,強如二袁,
勇如呂布,跨州連郡,有威有名
これは陳琳の檄文
呂布有虓虎之勇
これは陳寿の評価です
呂布壮士、善戦無前
これは陳宮の評価
後前の方がおっしゃられた様に范曄は伝を立て呂布の武勇を
これでもかと言う程書いています
つまり漢・魏・晋・南朝・宋・明では呂布が猛勇であったと評価されています。
これでも中国史級では有りませんかね?

476 :
後漢時代を紹介するなら呂布の武勇は第一人者級になるでしょう。
呂布は一部将ではなく、数ある群雄の一人なわけだから、関羽や張飛とはまた違う視点で見られるのは当然ですね。

477 :
わざわざ盛り返すなカス

478 :
>>476
俺の知性じゃ何をおっしゃってるか判らんので簡約お願いします

479 :
>>478
なにが判らんのかな?
そちらの発言の意図するところと、こちらの示したところに齟齬があるのかな?
呂布は後漢末期の一群雄としての武勇はぬきんでていたけど、戦争は曹操が勝った
ではダメなのかい?

480 :
もう呂布の話はいいって。
キリがないのは上見りゃわかるだろ。

481 :
まぁキリはないのは確かだ。
とはいえ、他の話題が続かないのも現実なんだよな。
>474からリスタートするか?

482 :
了解だ。
三国時代だけが百花繚乱ってのもなんなので唐あたりから
尉遅敬徳以外にも
李靖、秦淑宝、薛仁貴、郭子儀あたりを上げとく。
北宋の楊業もいいかな。日本では北方謙三効果でかなりカッコよく仕上がってるようにも見えるけどw

483 :
今現在中国軍で最強の武将は誰なんだ?

484 :
>>479
あぁ、なるほど

485 :
楊業は「もとより驍勇」と言われたとはいえ、個人的に強いというより組織戦という印象が強かった。
《十国春秋》にある劉継業伝では、北漢時代にすでに「楊無敵」と言われてたそうだけど
(その後、劉承鈞の養子待遇になって劉姓と継の輩字を与えられる)
対北宋戦では、実はあまりいいところが無く敗戦の記録ばかりという……
それには続資治通鑑なりが、正統王朝視点に拠っている事情も絡んでいるでしょうが。
とはいえ防衛戦には、完全指揮とまではいかないまでも、中心的将帥だったことは確認できている。
ところでその北漢には、張元徽という武将がいて、楊業の前に北漢で名将といわれた感じの人。
高平の戦いで、後周軍がその猛進ぶりを契丹の鉄騎兵だと勘違いするくらいの迫力だったので浮き足立ち、鎧袖一触された。
柴栄が最前線で陣頭指揮をし、先頭に立って突撃したのはこのとき。
当時22歳だった(後周陣営では最年少)馬仁瑀は、柴栄の側にあって北漢兵を数十人立て続けに射倒し敵を怯ませ、味方を鼓舞した
それにより柴栄は親衛軍だけで、勝利を疑わず酒宴の用意をしていた北漢本陣に乗り込んだという伝説がある。
張元徽が落馬して討ち取られたので、北漢は敗走して後周による北漢遠征が開始されるわけだが、その防衛戦で
楊業はまだ無名だったかもしれない。
後周の北漢遠征から北宋太祖による北漢遠征までは、15年ほど空いているから、その期間に楊業は将としての名望を上げていた
のでしょう。「無敵」の呼称もその頃か?

486 :
あまり名前が上がってないようだけど、南宋の孟キョウはどうだろう。
著しい領土拡張はしてないから派手さはないけど、崩壊しつつあった南宋で金やモンゴルを相手に連戦連勝し、
孟キョウ一人の力で国の寿命を40年伸ばしたと言われる、救国の英雄なはずなんだが。
当時のモンゴル軍は中国史どころか世界史上最強で、しかもまだ膨張期で一番勢いのあった時期だから、
戦ってきた相手は、スレに挙げられてる候補者の中でも恐らく一番強いはず。
頭も良くて戦略的に戦線や防備を構築でき、勇猛で武勇もあり、人間も出来ていたという完璧超人。
少し前の時代に太陽のように輝く岳飛がいたことと、後に人が続かずに南宋が滅びたことで日陰に隠れがちだけど、
候補ぐらいには挙がってていい武将だと思う。

487 :
オゴタイが戦争を見送ったくらいだからな
四川での内政もすばらしい

488 :
孟[王共]か。
ここまで一度しか名前が出てないのが不思議なぐらいだな。
たしかに切り取った領土は最強武将を論じるには物足りないかもしれないけど、
情勢と相手や国力差を考えると、世界史クラスの武将だと思う。
しかも国に疑われず、同僚とも上手く折り合って、身を全うしてるのも評価が高い。
比較的若く死んだのが惜しいな。

489 :
隋の史万歳さんはどうだろうか
飛ぶ鳥の群れから狙った鳥を射落としたり
無名ながら武勇を見込まれて突厥の代表との一騎撃ちの場を設けられるも瞬殺したり
高智慧の乱鎮圧でも将軍として活躍してる
後の突厥との競合いでは時の可汗が隋の指揮官が史万歳だと知ると兵を退いたとか
 
隋も時代の短さにしては良い武将多いよね
来胡児とか沈光とか
建国の士が亡国の士になっちゃった感もあるけど

490 :
戦乱の時代だから当然だけど、
分裂〜統一直後の時代はいつの時代も名将が多いな。

491 :
>>489
その史万歳を謀殺した楊素さんは、軍事含め色んな意味で隋代最高のスケールの持ち主

492 :
武将なのか?

493 :
呂布厨が消えた途端一気に失速したな。

494 :
呂布厨に触ると来る怖いお兄さんもあんまり話題がないようだし

495 :
元々これぐらいの速度のスレだったじゃん。
駄レスで賑わうぐらいなら過疎でいいって。

496 :
>>490
平和な時代に軍才が輝くようなことはあまり無いからなぁ
どれだけ才があっても発揮する場が無ければ名を残すことはできんし

497 :
平和な時代だと、外征か内乱・賊鎮圧ぐらいしか武功は立てられないしな。
たまに班超や高仙芝や衛青なんかのように、突き抜けてしまう人もいるけど。

498 :
京師が脅かされるレベルの外敵がいない場合の時期、武功をたてた臣はたいてい干されるかパージされる。
魏のケ艾とか後唐の郭崇韜とか。
抗争時期でも京師付近が平和なら、権力闘争で平気で功臣Rからなぁ。
斛律光とか。

499 :
元々中国は文治主義で武家は煙たがられる傾向が強いし、
唐の節度使のような、兵権を帯びて領土を持つ実力者が中央にとっては一番危険だしな。
失脚せずに天寿を全うした名将ってのはそれだけで評価できると思う。
特に皇帝ではなく権臣が実権を握ってる場合は、実力者はすぐ粛正されてしまうし。

500 :
>失脚せずに天寿を全うした名将
郭崇韜のご先祖の郭子儀などは、その好例かな。
晩唐ならば徳宗中興の元勲ともいえる李晟なども大したもんだが、このへん単に天子と臣下の
信任だけで考えるわけにはいかないよね。
最後には兵権からは外されたし。
天子と禁軍と節度使のパワーバランスが非常にデリケート。
その流れは長く宋太宗の節度使解体まで続くという。

501 :
郭子儀はこのスレでエントリーされててもおかしくないと思うけど、
戦乱の時代ではなく、戦功のほとんどが叛乱鎮圧だからか、なんか地味な扱いだな。
人格者で史書でもこれ以上ないぐらい褒められてるのにさ。

502 :
叛乱っつても、盛唐以降の節度使体制は、戦国時代と同様なんだがなw
安禄山の乱前夜から北宋治政までのシミュレーションゲームでもあればまた違う印象を持つだろう

503 :
呂布が黒山賊を離散させたと言う話ですが、修正します。呂布は黒山賊を離散させていません






実は呂布、黒山賊を降伏させてました
ttp://ctext.org/hou-han-shu/yuan-shao-liu-biao-lie-zhuan-shang/zh
金鼓未震,狡敵知亡,故韓馥懐懼,謝咎帰土,張楊、黒山同時乞降。

504 :
もう呂布はいいって。
ここの三国志系のスレでさえ、呂布は最強どころか名将とさえ呼ばれてないんだし、
まずはそっち行って、呂布が三国志最高の武将だって誰もが認めるようにしてきなよ。
三国志内ですら認められてない武将をここで論じる意味はないんだしさ。

505 :
>>504
三国志スレで認められてないからこのスレでやっちゃダメってルール有るんですかね?
ほかのレスでも呂布は後漢における武人の第一人者だと認めている人が居るのに
論破できないからこっちくんなって言った方がまだ正直だと思いますよ

506 :
そこまで呂布を軽くみる必要もないでしょ。
後漢末の中原を騒がせた猛将という評価や実績に揺るぎはないわけだし。
かといって実態以上に重要視するのもだめだ。
まぁ呂布云々するなら、三節度使をもって唐朝を滅亡寸前に追い詰めた安禄山も相当なもんだし
それを鎮圧した郭子儀(や李光弼)は三国志に登場する英雄なみの評価をもってもらいたいもんだ。
誰も言ってないかもしれないが、内乱鎮圧はしょぼいとかそんな印象を持つのはやめて欲しいw

507 :
呂布に関してはもう答えは出てるんじゃないかな。
後漢末を騒がせた当代一流の驍勇の将であり群雄だけど、それ以上でもそれ以下でもないと。
演義の呂布はまぎれもなく三国志史上最強だとは思うけど、
実際はその配下だった張遼のがずっと高く評価されてるわけだし。
>>506
自分自身は評価してるけど、どうも地味なイメージがあるらしいんだよな。
乱世にがんがん領土を切り取って建国の功臣となった武将と比べると派手さはないけど、
安史、僕固懐恩、吐蕃、ウイグルと、かなり大規模な討伐を何度も行ったのにさ。
小説とかでも楊貴妃の話のついでぐらいにしか扱ってもらえないせいかね。

508 :
第一中国史上での評価は俺が書いたはずですが、5つ以上の王朝で呂布は強豪だと認められてるんですよ。
それなのにスレの評価が無いと認めない?随分と小さくなったものですね。中国史上最強の武将を決めるのに
日本の、対して価値も無いスレの評価で決めちゃうんですか?あ、これも貴方がたが言った言葉ですからね

509 :
>>506
残念ですが、百万に至る大軍勢黒山を降伏させたってのが呂布なんですよね
ちなみに黒山は張燕がリーダーだったと言われていますが、どうも石井仁の黒山・白波考
だと黒山の一勢力に過ぎないそうです。黒山が張燕抜きで降伏してもおかしくないって事ですな

510 :
>>507
過去レスを探せばわかると思いますが、張遼より高く評価されてますよ、呂布
それも学者からの評価ですし。関羽なんて大体は武人からの評価でしか無い訳ですからね

511 :
>>507
演義はここでは関係ないな。
あれを持ち出すなら、残唐五代史演義伝も飛龍伝も岳飛伝もいろいろ入れないと公平ではないしキリがない。
張遼が高く評価されるのは、曹操の部将としての有能さであって、群雄の一角であった呂布とはまた評価の
角度が違うと思うよ。
だから呂布を出すなら同時代なら曹操や袁紹、まぁ劉備とか。
別な時代なら、それこそ安禄山だし、李克用や朱全忠という感じになるでしょうね。
もちろん項羽だってwそうなるとすごく減退するような気も・・・
つまり自己の裁量で軍を進退でき、ただの部将より枷が少なく、本人に備わった勇猛さや武力を
振るいやすい立場にあって、どれだけ主導者として有為であったか、が争点になるんですよ、群雄の場合。
逆に部将の場合は与えられた条件下でどれだけ最善を尽くすか、が争点でしょうね。
>乱世にがんがん領土を切り取って
といって、最大の分裂期になる五代十国時代で他国を切り取った武将が評価されているかといえば
知名度の問題でほとんど言葉に上っていないというw

512 :
>509
その「百万」という数字を信じるとするなら、昆陽の劉秀や淝水の謝玄、梁田陂の李克用とか
匹敵かそれ以上の人はいるんだがね。
問題はその「百万」の黒山というのが、当時の政治にどういう影響を及ぼしたか。
黄巣レベルの賊だったのだろうか?

513 :
>>512
黒山賊は晋書か唐書で「一時の雄傑」と言われた袁紹を苦しめてます。名将と謳われる皇甫嵩や朱儁でも討伐できませんでしたしね
それと前にあげられた三者ですが、三者は数十人以上の軍勢を持っていた訳ですから呂布にはかなわんでしょう
昆陽言うなら、百万を伐った曹操も呂布は大破してますしね

514 :
問題は呂布の強さのスケールが他人に一切伝わってないことだと思うが・・・
伝え方がヘタクソ過ぎるんじゃないの?

515 :
>>513
その曹操を大破したすごく強い呂布を捕らえて首を斬ったのはどなたでしたっけ…?

516 :
すごい既視感。

517 :
ついでに言えば、趙翼のガイ余叢考では大軍では軍としての全力を発揮できない(これで良かったかな?)
と有ります。呂布の場合相手にしたのは張燕の数万数千、曹操・袁術の数万な訳で、とても軍が機能不全に陥る程の数では有りません
それを数十から数百の規模で破ってやがては相手を壊滅・降伏に追い込んでいる訳ですから、呂布が最強考察の一翼をなして当然だと
思うんですけどねー。ちなみに黒山を降伏させた張燕戦の倍率、張遼の合肥戦より多いんですよ?

518 :
>名将と謳われる皇甫嵩や朱儁でも討伐できませんでしたしね
斜陽の王朝末期ではよくある話だなw
中華の7、8割を席巻した黄巣の乱だって、唐朝には名将、名臣あまたにいたけど、結局李克用の軍勢だけで
壊滅に追い込んだようなもんだったし、少なくともその最大のきっかけではあった。
黒山賊は曹操もひと当てもふた当てもしているし、袁紹だって苦しめられたからといって、相手の疲弊促進すら
放棄していたわけじゃない。
あたかも呂布が一から十までひとりでどうこうしたような表現は、理解を曇らせるので注意されたい

519 :
>>515
項羽ですら最期負けたのをご存知無い?
まぁ凄い既視感といえばそうですよねー。最強スレなのに項羽すら知らないと言う(笑)

520 :
久し振りにきたら呂布厨が相変わらず暴れてた
呂布は中国最強かどうかわからんが呂布最強厨はこのスレ最高のキチガイ

521 :
>>518
誤解を招いたのは謝罪しますが、袁紹とて呂布がいなければ黒山賊を討伐できたかどうか…

522 :
>>520
ここまで痛いと彼以外の呂布ファンが可哀想になってくるな。

523 :
何が彼をここまで駆り立てるのだろうか…
ここまで馬鹿にされ気違い扱いされて猶誰にも受け入れらることのない自説を繰り広げるその行為に疑問は無いのだろうか

524 :
鶏卵だが、過剰に貶すのも見識が疑われる。
まそれはおいといて。
呂布を当代猛将の一候補にするのは理解できるが、全時代級にするのに黒山賊の一件のみに
執着するのはどうなんだ?
そうなれば必然的に黒山賊というのが、当時や後世の政治史にどれだけの影響を与え、その鎮圧が
どういう歴史事象を現出したかが重要になるって理解してるだろうか。

525 :
当時最大の勢力を持ってた袁紹が手を焼いてた。
総数100万。
それを呂布一人で粉砕!降伏!
ここだけが拠り所なんだろう。

526 :
>>524
黄巾賊と一緒に漢王朝を衰退させた黒山賊を葬った事は、晋代でも賞賛される袁紹の河朔統治を実現させましたね。それが魏を国家として三国で最も優勢足りうる状況にしました。統一の遠因を作ったと言っても問題有りません
(冀州だけで漢・呉の兵力と同等になる30万の兵を算出できる環境を作ったのであるからこれは大きいであろう)。公孫讃が統治していたら豪族との激突で冀州は荒廃しきっていたでしょう。
あと袁術軍をほぼ全滅(これまた軍事用語)させた事は、一つの王朝を滅ぼし魏王朝を出現させる一因にもなりました
>>525
えー。それ以外にも百五十万を降伏させた曹操や項羽よりデカい倍率(4000対20万で50倍)の戦を勝った劉備を降伏させた事も候補に入れているのですが
400の騎兵で数万(最低でも50倍)を殲滅したのも良いし、十人の将の首を斬ったのも大きいです。一人で三万を退けたと言うのもデカいですよね
そうでなくても張燕戦の時点で趙翼から最著と言われた張遼の合肥戦を上回る倍率の戦を勝っている訳ですから、これだけでも中国史級と言えるでしょう
て言うか貴方は今まで何を見てたんですか?

527 :
>>冀州だけで漢・呉の兵力と同等になる30万の兵を算出できる環境
失礼、「冀州だけで漢・呉と同等の兵力を編み出す事が出来た要因」でした。呂布が黒山賊を鎮圧した事で、
袁紹には河北統治の余裕が生まれた訳ですね(公孫讃は劉虞を殺し自滅している)。黒山賊は一度袁紹の本拠地で有る
魏郡を落としてますから、残っていたら戦いに次ぐ戦いで治政はもっと苦しいものになっていたでしょう。

528 :
>>526
>>晋代でも賞賛される袁紹の河朔統治を実現させましたね。
>>それが魏を国家として三国で最も優勢足りうる状況にしました。統一の遠因を作ったと言っても問題有りません
袁紹が河北平野を手中に収め発展させ、またそこが豊かなればこそ曹操がそれを引き継いだこと自体正しい認識なんだけど
魏の母体は河北平野だけじゃなく、河南にもそれがあり淮北と淮南の一部が呉との係争地となったことを
考えても、魏の優位性というのは、河北の統治だけで成っていたわけじゃないでしょ。
山東(泰山の東)や江淮の富を過小に見積もるわけにはいかない。
そして曹操の発展で忘れてはならないのは、黄巾賊の残党吸収があるわけなので、黒山賊の帰順だけで語るのは片手落ち。
それにしても、あなたの説明からは呂布のすごさの説明というより曹操の経略の合理性というかしたたかさの賞賛が
滲み出ているのは気のせいだろうか。
最終的に呂布を命乞いさせたから当然の帰結ではあろうけど。
ま、とりあえず呂布の評伝はここまでにしようか。
呂布以外にも候補を見つけて、比較すればそれぞれの長所が論じられておもしろいかもよ。

529 :
>>357
漢・呉の兵力は総勢30万ですから、曹操が手に入れた冀州の兵力だけで漢・呉と相対出来る様になるんですよ
つまり淮南や山東の兵力が無くても冀州だけで対等に闘える様になる訳ですから、これはデカいと思います
淮南だけだと15万あたりですからね。それに黄巾賊は曹丕の代で故郷に帰っているので黄巾は三国時代に関係無いのでは?
曹操勢力の独立につながったのは間違い無いのですが

530 :
あれ、ちょっと待て?徐州は虐殺で壊滅してたし、淮南も飢饉でそれは然りでしたね
エン州・豫州は官渡戦では数千の兵力すら支えきれなかったし、これ考えると冀州ってかなりデカいんじゃないですか?
三国時代の洛陽は五万の兵力しか無かったそうですし…
出来たら前のと一緒に書いてください。よろしくお願いします

531 :
>>530
徐州虐殺のあとのことは考慮しないのかな?
淮南の飢饉もそうだが、曹丕の代のことにまで視野を広げる割には、呉の人民不足が人民北帰による
ものもあると考えないあたりもすごいが、淮南と河南の「富」を問題にしていることから逸れているのも脱力を誘う。
河中、淮南と山東半島あたりは古来より塩の産地としても名があったと思うが?
ただ、鄴の繁栄はまず間違いなく当時(後世も)の白眉であったわけで、そこを否定はしていないが、それだけでは
ないということは銘記しておかねば勘違いを起こすだろう。
ところで黒山賊は三国時代を貫いて魏や晋の基幹兵力として機能したのだろうか?
>黄巾は三国時代に関係無いのでは?
というくらいなのだから、かなり中枢を占めていたわけですよね?
また、それだけ重要な黒山賊を降伏させるきっかけとなる戦果を上げたのは呂布だが、結果それで精強となったのは
曹操であり、呂布は黒山賊の武力を得られず、その武力を得た曹操に命乞いする羽目と相成るわけですね?

532 :
>>531
何か誤解されている様ですが、俺が問題にしているのは兵力ですよ?富だの何だの、それてるのは貴方の方では無いですか?
まぁ曹操以前の時代だと、淮南地方は万未満の兵しか居ないし、山東方面は言うまでもなし。青州・徐州は臧覇のテリトリーだから益々
冀州の重要性が増して来るんですがね…。青州兵なんて実際は数万かそこらでしょうし
そりゃあの時呂布は只の武士ですからね。呂布が黒山賊の兵を手に入れろと言うのは無茶でしょう。寧ろ総兵力数百の呂布が黒山賊を降伏
させた事は快挙なのでは?

533 :
>>532
そもそも兵力ってのは富あっての話なんですよ。
あなたが河北偏重な論法だから、それ以外にもあると言うだけ。
冀が数ある版図の中で随一の豊かさだというなら良いが、それのみで魏が興ったように
言うのは暴論以外の何者でもない。
>>寧ろ総兵力数百の呂布が黒山賊を降伏させた事は快挙なのでは?
呂布一人だけの快挙ではないと言っているのですよ。
ましてや呂布に降伏したわけでもなし。
>>青州兵なんて実際は数万かそこらでしょうし
なぜそこで黒山賊の百万だけは頑なに信じられるんでしょう。
両者の数に対する根拠はなんなんですか?

534 :
俺は何も冀州だけで魏が興ったとは言ってませんよ?
ただ冀州は前述した状況の中で影響力はすごく馬鹿デカいなーと思ったので
まぁ富は重要ですよね。そこは貴方の仰る通りです
それは前述してますので前レスをご覧下さい
でも呂布に降伏しないのはそりゃそうでしょう?呂布は袁紹の配下なんだもん
呂布に降伏する訳が無い
呂布戦での荀ケ曰く「曹操軍は十万」だそうですよ。そこから換算して数万と言ったまでです
そして十万は誇張だと裴松之も言ってます。30万の青州兵は曹操が精鋭だけをそこから取ったと書いてありますしね

535 :
冀州は、後漢三国時代だけじゃなく、北宋まで貫く天下第一の都市ですからね。
ほぼ中原区の王朝はその恩恵を蒙っているでしょう。
>そりゃそうでしょう?呂布は袁紹の配下なんだもん
あれ、黒山賊は袁紹に降伏してその牙軍になったんだっけ?
ちょっと寡聞にして知らなかった。
曹操はどうやってその強い黒山軍を擁して治政が絶賛される袁紹に勝利できたのだろう。
純粋にもう一度洗いなおしたいですね。
>十万は誇張
もちろんそうでしょうね。で、黒山百万が信頼できる数字であるという根拠は?

536 :
そら、黒山軍とは言えお家が分裂してたら誰でも勝てますわな
三国志は誇張の少ない資料ですから、それに百万と記されている事は特筆すべきでしょうね
後資治通鑑にも百万と有りますよ

537 :
>>536
当時の人口を考えてから物言えよ
いわゆる正史だろうが、誇張は誇張
こういう莫迦が南京大虐殺なんかを信じるんだろうなw

538 :
>>537
貴方修正主義者なんですか。まぁ、その賢しい頭脳には近づかないでおきましょうか
ちなみに史記で永年伝説と言われていた殷朝は真実だったそうですな

539 :
おっと、史記で書かれてた殷の存在でしたね。失敬

540 :
周倉の墓とかある国に史実の絶対性なんて存在するんかな。
史書と民間伝承が渾然一体になった歴史文化を持つ国だろ、中国は。
誇張なんて日常茶飯事だ。

541 :
>>539
で、夏王朝は?
文献研究と考古学は別だし、補完しあうものだよ
書かれた時代背景その他含め、参考にはなる。だから、事実もあれば、事実でないものもある。
絶対視する莫迦は少なからずいるけど、お前もそのひとり

542 :
ttp://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage#content_1
ちなみに上記は南京大虐殺について詳しく書かれているwikiです
これによると当時の南京の住居人20万と言う数はいい加減な数らしく、
もっと居た可能性は高いそうですな

543 :
>>南京の人口を20万とすることも初歩的なトリックである。
>>「虐殺」の地理的範囲とされるのは狭い場合でも「南京市」なので、人口も南京市のそれを基準としなくてはならないはずだ。
>>しかし前の項目でも述べたように「20万」というのは「安全区の推定人口」に過ぎない。安全区の面積は南京城内の1/8程度に過ぎず、
>>そのうえ「南京市」の範囲は城内だけでなく城壁周囲の広い地域も含むのである。
これも前文に追加でお願いします

544 :
後、正史三国志三巻に有る論ですが、陳寿は晋書において司馬遷・班固に次ぐ
者とされています。そこいらの民間伝承と史書を比較するのは、確かに筋が通らないでしょうね

545 :
>>537
おいおい、さらりと歴史修正主義を発露するなよ。
それこそ歴史学への冒涜だ。
そしてここでは完全なるスレ違い。
>>536
でも資治通鑑ではおおよそ衆十万になってるよね。
この場合、青州兵と似たような感じでその家族なのどの非戦闘員も含んだ数と言う可能性は?
山林亡命の徒は、基本政府の戸籍調査から漏れるので、そのせいで後漢末は人口ががくっと
減った印象が強い。
十万くらいならまだしも、正規軍でない賊衆が百万など誰が確かめたものやら。

546 :
>>545
以前その辺つついてた人がいたけど、
「そんな事言ったらどの軍勢だって誇張している可能性が有るでしょ」
とか言って済ませてたな。
全然答えになってないからか、言ってた人は放置してたけどw

547 :
>>545
そうでしょうね。まぁ劉秀は輸送隊を含めた兵数百万を撃破したと書かれてますし、俺の記述に問題は無いでしょう
どの史料にも誇張の可能性は有るのでそれを言ったらキリがない(項羽等も考慮に入れねばならない)と言うのが俺の答えなんですが、
答えになってないんですか?三国志は誇張を出来るだけカットしているので他の史料とは別ものなんですけどね
それにそれだけで呂布が最強じゃないと言うのは無駄ですよ。貴方がたは呂布の様に個人的武勇で勢力を降伏させた
武将を挙げられてないんですから。呂布はそれを大体3回はやってるんですよね。しかも当の3人は名将ですから
しかも後漢書に書かれた様に呂布は一時代を乗っ取った男として書かれている。項羽の様に天下を取ったと言う訳ですから、
天下を取ってないと言う言い訳も通用しない

548 :
>>547
黄巣の流賊のように首都を陥落させたならともかく、太行山系の山賊が百万などというのは
誇大宣伝によってそれを最終的に下した曹操を相対的に持ち上げる効果を見込んでのことでは?
まして呂布の攻撃は、これまで順風だった黒山賊が凋落するきっかけではあるが、そこで集団としては
消滅していない以上、呂布「だけ」で壊滅させたというのは言いすぎだろう。
>呂布の様に個人的武勇で勢力を降伏させた武将
その幻と過大評価を今否定しているわけだが。
個人武勇で降伏させたって黒山と孫策の漢朝への帰順と劉備の庇護がその拠り所らしいが
呂布が先に劉備に降伏していたわけなんですが。
劉備の度量と人格は呂布の武勇に勝るというわけですね。
>呂布は一時代を乗っ取った男
後漢末期に現れ一世を風靡した風雲児の一人でしょうね。
その記述で天下を取った?
呂布の敷いた官制は?百官は?支配領域は?
名が天下を騒がせた、の間違いなのでは?

549 :
兵法的には、壊滅させるより降伏させる方がレベル高いそうですよ
それに黒山賊が百万でないと言う根拠は?流民や農民を加えれば百万なんて簡単に到達するでしょう
それこそ青州黄巾党の様にね。所で貴方が黒山賊は農民も含むと書いたのに、一転して百万は捏造だってどう言う事ですか?
新たな史料でも見つけたので?
劉備に降伏した、と言う記録は有りません。三国志・後漢書には呂布が劉備のもとへ走ったと有るのみです
次の記述には呂布が劉備の徐州を襲ったと有りますし。それに曹操を降伏させた事も追加ですね。これだと4人になるか?
官制は漢王朝と同じ、百官は并州系、支配地域は益州を除く漢朝全域と言った状況です
後漢書曰く王允や朝廷の官吏には関東の軍と計画を図る意図が有ったそうですしね
袁術や公孫讃や陶謙は間違いなく仲間。彼等の版図を加えれば封建制で有った西楚よりも多くなり、
王允が関東の軍は皆仲間と言う記述を信じるなら袁紹も仲間だったと言う事になります
これを考えれば王允・呂布政権は一時期でも西楚の倍、ともすれば益州を除く殆どの地域を勢力下に収めていた事になる訳です

550 :
曹操が呂布に降伏??

551 :
>>547
呂布が個人的武勇で・・・とは?
この時代の個人的武勇での功績といえば関羽の顔良斬りが物凄いくらいで
後は大したことないようなものばかりじゃないのかな。
呂布は張遼と同じく少数戦闘を得意とした戦術のプロだと思うが。

552 :
>それに曹操を降伏させた事も追加ですね
なんの話?
劉備が呂布に「降伏」した件と合わせて、ちょっと引用よろしく
仮に降伏しても、その勢力の根幹を吸収していないのでは、客分と変わらないですね。
時勢によっては、そういうこともあるでしょう。
>官制は漢王朝と同じ、百官は并州系、支配地域は益州を除く漢朝全域と言った状況です
>袁術や公孫讃や陶謙は間違いなく仲間。彼等の版図を加えれば封建制
ああ、董卓を騙し討ちした直後のことですかね?
王允のほうが位が高く、むしろ呂布を封じていますよね。王允の勢力の話でしたっけ?
しかも逆撃されたとき天子も捨てて都から逃げ出しましたよね。
その後は漢朝の支配の及ばぬ一軍閥あるいは群盗だっただけではないですか?
一方の群雄として、下位軍閥に宣や封をした記録がありましたっけ?
>袁紹も仲間だったと言う事になります
だからこそ、長安を追われた呂布が関東の軍閥を頼り渡り歩いたわけですが、袁紹は邪魔にし
曹操とは敵対、あなたの言葉を借りれば百万を下すほどの武勇の持ち主なのに、麾下兵わずか
数千から1万程度の曹操に劣勢となって、潰走。
その後は漢朝の標である献帝を曹操が擁したので、その後の呂布は漢朝の逆臣となって討伐を受けた
というのが大意でしょう。

553 :
ずっと曹操や劉備が降伏したとか滅ぼされたとか行ってるよなこいつ

554 :
呂布が最強なら、呂布の勢力を滅ぼして呂布を捕虜にした曹操の方が最強となる

555 :
反論→恐ろしく曲解した史書の引用
突っ込み→他の時代を引き合いに出してうやむやにする
呆れて放置→論破完了wwwwww
だから、終わりがないよ。

556 :
関羽の武威に気圧されて、思わず発した
最高じゃなくて、最強を決めるんだろ!発言の呂布君。
ならばと、岳飛を最強の引き合いに出した時の妄言。
兵法では百戦百勝は下の下!キリッ!
百戦百勝は善の善のあらず〜の下りなら聞いた事あるけどね。
さすがは曲解の申し子だった。

557 :
曹操降伏or滅亡の件は文選の巻44に有る陳琳の檄文ですね。これは名高い李善や恵棟も認めた
史料でも有ります。もしくは後漢書の袁紹伝をご覧下さい。或いは過去レスをご覧いただければ上記のそれが見れると思います
劉備の件は後漢書や三国志に普通に有るのでググって下さい
儀同三司ですから扱いは王允並だと思いますよ
後劉備を予州刺史に封じてますね
"袁紹"の支援を受けた曹操の前に敗走ですね。冀州対エン州では国力が違いますし、
何より兵糧の問題も有ります
まぁ史料に有る事ですから、言うのは当然でしょう。そこは過去レスでも見てきてくださいな
それ言うなら、項羽を滅ぼした劉邦最強となるのですが?
曲解したと言うならその箇所を出せば良いと思います
まぁそれやって失敗した方が前レスで居るんですが
或いは「嘘も百回言えば真実になる」ですか?
事実なので曲解とはいかないでしょう
呉子でも五回遠征する国は亡ぶと有ります。一回で勝敗を決めれば天下を取るとも
矢張りこれを鑑みても曲解では有りませんね

558 :
それと後漢紀によれば呂布は開府してますね
まぁ三公と同じく役人を持っていましたよと、そう言う訳です
呂布が許されず他の武将が許されると言う道理が無い事から、他の時代を引き合いに出しているのですがねー
呂布の事は言っておいて項羽の事は言わない人って、居るでしょ?

559 :
百万歩譲って仮に王允ではなく呂布がトップだったとしても、
その勢力が実行支配していた地域は長安一帯だけだよね。
それより西には董卓の部下達がいて手を出せなかったわけだし。
袁術や公孫サンや陶謙は、王允と誼を結んでいただけで、
いわゆる王允派ではあっても王允の部将ではなく、割拠している群雄なのだから、
実行支配地域にそれらの群雄の領土は含まないのが常識的な考え方では。
あと呂布が天下を取ったように言っているけど、
それって明智光秀が天下人だと言ってるようなものだと思うけどな。
まああれは王允の勢力だから、そもそも呂布が天下を取ったとかって話ですらないけども。

560 :
>>557
『文選』は持ってないわ。それはどこで見れるかな?
>後漢書の袁紹伝をご覧下さい
>後漢書や三国志に普通に有る
>後漢紀によれば呂布は開府
もうちょっと絞り込んでよ。何年の段ですかね?
自分の持ってる史料で確認したいのですが、どこかわからないことには、解釈もできないので。
これは別に嘘を言っていると決めているのではなく、本当に知らなかったので確認したいだけです。
>冀州対エン州では国力が違いますし
でもあなたの言い分では、黒山は衆百万で袁紹すら手が出なかったのに、呂布と数十人だけで
九十万を離散壊滅させたのでしょう?
ましてやその後の黒山賊は別に袁紹軍に降っているわけじゃなく、冀州軍の兵質がそれによって
強化されているわけでもなく、また呂布が敗れた辺りではまだ冀州の復興も途上だったのではないですかね。
たかが5千かそこら冀軍の援護を得た曹操にジリ貧に追い込まれる最強ですか。
お得意の個人武勇で十度突撃すれば勝てませんかね?
あるいは漢朝逆臣の檄を振るって周辺軍閥を決起させられませんでしたか?天下取っているのでしょう?
>何より兵糧の問題も有ります
曹操も同じ条件下です。対処が違っただけでしょう。
それでも、数十人で打ち破れなかったのはなぜ?

561 :
袁術や陶謙等は漢の太守や牧の位を受けている訳ですから、実質的には漢室の臣なのですが
そもそも明智光秀は実質的にも近畿一体しか従えられませんでしたが、
王允・呂布は関東の軍とは同志で共に計画出来る立場に有った訳でして。
全く以て比べ物にならないと思います

562 :
ついでに言いますが開府儀同三司って権限も格式も三公と同様って事ですからね
これ考えると、呂布が王允の下に居たなんてとてもじゃないけど考えられない訳ですが

563 :
ttp://www.guoxue.com/jibu/wenxuan/wx_ML.htm
以上が文選です。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei01.html
以上が後漢紀です
ttp://ctext.org/hou-han-shu/liu-yan-yuan-shu-lv-bu/zh
以上が後漢書です
呂布が天下を取ったのは192年、194年では有りません
袁紹の属将となった曹操は兵糧の支援を多少なりとも袁紹から受けられます。呂布はどうです?
曹操の様に誰かの属将だったんですか?

564 :
黒山賊が袁紹に降っていないと言う根拠は?
ちなみに張紘は袁術に対し「袁紹と黒山が通謀している」と書いていますがね

565 :
王允(と呂布)が長安と皇帝を押さえて実権を握る
 ↓
漢王朝に叛乱を起こした黄巾賊以外はみんな名目上は漢の臣
 ↓
天下統一!
そう言いたいのかね。
だとしたら李カクなんかは、その天下を取った王允を殺し、
呂布をボロカスに負かして破滅状態で追放させた上に
(呂布最強君の論理なら、これは呂布を滅ぼした事になる)
王允らよりずっと長く政権を維持していたのだから、
李カク達の方がずっと優れていることになるんじゃないのかね。

566 :
残念ながら王允・呂布が天下を三日天下にしたのは、王允が呂布の牛輔等に早期に対処する、そして将兵に褒美を送ると言う
金言を無視した為で有り呂布に責任は有りません。呂布と王允は同輩で有る為王允の発言は考慮しなければいけませんからね
更に言えば王允・呂布政権は関東軍と計画出来た立場で有り、李カク等はそうでは有りませんから、
天下を統一したとはちょっと違うんじゃないかなーと思います

567 :
>>563
どうも、曹操が呂布に降伏したくだりを見出せないんですが・・・どこですか。
後漢書等二十四史は持っているので、段を示してくれればいいんですが。
>>袁紹の属将となった曹操は兵糧の支援を多少なりとも袁紹から受けられます。呂布はどうです?
>>曹操の様に誰かの属将だったんですか?
あれ?
あなたの言い分では、袁紹は呂布の仲間か配下か封建国主みたいなことを言って、袁紹の版図も
呂布の支配地に勘定してませんでした?
食料の徴発令はともかく、せめて借り入れくらい命じられたのでは?
それでなくとも、四川以外は自分の支配地だということで、曹操以上に手はあるはずですよね・・・。
>>呂布が天下を取ったのは192年、194年では有りません
何年を言われていますか?
>>黒山賊が袁紹に降っていないと言う根拠は?
呂布の活躍移行、なお十万の衆を保ち、やがてそのまま曹操に降っていますので、袁紹に
降った分が算出できないでしょ。
どこにいますか?

568 :
>>566
李カクらは公孫サンや陶謙らに、
王允とは違って直接爵位を授けて袁紹を警戒させたわけだけど、
これは呂布最強君の論理から言えば、
関東の群雄と密接に結びついてたことの証明ではないかな?
むしろ計画してただけの王允の時と違って
各地の群雄はちゃんと動いてたわけだし、
これが違うというのであれば、おたくが言う王允の
関東との繋がりも推して知るべしだよな。
王允が天下を取ったなら、李カクらも天下を取ったことになるだろう。
ま、ああ言えばこう言うのだろうけど。

569 :
俺は何も呂布に降伏したと言っている訳では有りません
"袁紹"に降伏したと言っているのです。まぁそれ以前に曹操は割拠する所を失って独立勢力としては滅亡している訳ですが
(袁紹からは死亡之患、死とは滅ぶと言う意味でも有るので、つまり滅亡の悩みから救ったと言われている。袁紹からそう言われているのだから、曹操の勢力は一旦消えたのだろう)
ちなみに曹操滅亡の件は文選の巻44です
張遼が曹操に天子を失えば天下を失うと言っておりますから、呂布は丁度項羽の様に天下を失ったのでしょうね
張紘曰く黒山と袁紹が通謀していたと言っているでは無いですか。貴方は一体何処を見ているんですか?

570 :
>>569
>>俺は何も呂布に降伏したと言っている訳では有りません
そういう意味ね。
ただの拡大解釈でしたか。納得。
まぁ一旦はそうなったけど滅亡はしていないし、殺されてもいない。
後に曹操が勝ったので、この点をもって呂布は最強ではないといえば不満が残るだろうが
ここで問題となるのは、呂布は個人的武勇あるいは極小人数で、例えば黒山賊をやったように曹操軍を縦横に
蹴散らしたのかどうか。
軍勢対軍勢なら、曹操を袁紹を頼るのも無理なき仕儀に追い込んだのは換算されないのでは?
ましてや曹操はたかだか5千しか借りてないのに、百万降せる猛将が打ち破れないわけがない。
食料? 曹操などと違って家臣が天下にあまたなんだから借りてください。本当にいればですが。
>>黒山と袁紹が通謀していた
通謀が共同の意ではなく、帰順の意味だとすればそうだけど、しょせん黒山賊でしょ?
またかつてのように蹴散らせばいいのに、なぜできなかったのでしょう。

571 :
拡大解釈も何も、貴方が過去レスを読んでいなかっただけでしょう
それに死亡之患とは即ち滅亡の悩みと書いたのに、それも読めない?
数百かそこらの騎馬で青州兵を壊滅させていますよ
天子を失えば天下を失うと書いた筈ですが、貴方には読めなかったんですか…?
袁紹の根拠地を落としたのは黒山賊ですよ?それを所詮って一体何なんですか?

572 :
>>571
>>それに死亡之患とは即ち滅亡の悩みと書いたのに、それも読めない?
読めてるよ。
でも復活したじゃないですか。
呂布こそ、曹操に「降るを欲す」ですよ。しかしながら勢力として復活はできませんでしたね。
それを「滅亡」というのです。
>>天子を失えば天下を失うと書いた筈ですが、貴方には読めなかったんですか…?
関東落ちしたときは、ただの流浪衆だったと認めるわけですね。
項羽とならべるなどおこがましいほどの瞬間的天下だったわけです。
しかも官爵は同列であれ、漢朝累代の臣下である王允のほうが、席次は上でしょう。
でなければ、なぜ呂布の意のままにならなかったのでしょう?
なぜ王允は呂布の進言を退け、意を通すことができたのでしょう?
>>袁紹の根拠地を落としたのは黒山賊ですよ?それを所詮って一体何なんですか?
呂布にとっては、ですよ。
もっとも、魏郡も奪還されましたけどね。
一時の利あらず、軍事的用語では戦略的撤退というんじゃないんでしょうか。

573 :
では聞きますが、一時でも勢力を個人的武勇で滅ぼした将って他に居ましたっけ?
項羽も一年と天下は持ちませんでしたが。それに、天下を取ったのに期間と言うのが必要なんですか?
どの道天下が持たず滅びたと言うのは同じなのでは無いでしょうか?
長安落城後、呂布が王允を助けようとした様に、呂布は呂布で王允を重んじていたのでしょう
そりゃ投降してるんですから、攻撃するのは詮無き事でしょうよ

574 :
>>573
>>一時でも勢力を個人的武勇で滅ぼした将って他に居ましたっけ?
さぁ?
少なくとも呂布はそうではないでしょう。これまで否定してきたとおりです。
>>天下を取ったのに期間と言うのが必要なんですか?
後継者がいて長続きする場合は、後継者も含めた功績に入りますが、だからこそ一個人の輿望で
(この場合、武勇人に過ぐることも一要素として含まれます)天下を担った場合、維持した期間と制度
の合理性と治政の良否で優劣を論じてもいいのではないでしょうか。
>>呂布は呂布で王允を重んじていたのでしょう
そうでしょうね。
なので、呂布の天下とは言えないのです。
最終決裁が王允を起点にしている以上、それは漢帝を擁した王允と呂布の幕府であり、呂布は官位は同列なれど
席次上その下である。
そして、あくまで漢朝の臣下の一人に過ぎず、ここでの天下とは漢朝のものと言えるわけです。
楚王を擁した項羽は上位者を斬って捨て、事実上のナンバー2になりおおせていますので、その行為の是非は抜きにして
組織上の立場は、呂布のそれとは大きな違いでしょう。
>>そりゃ投降してるんですから、攻撃するのは詮無き事でしょうよ
もう少し明確に書いてください。なんの話ですか?

575 :
つうか呂布以上の戦経験があり生涯無敗で死んでいった名将とかいるのに
そういうのを差し置いて最後負けて死んだ呂布が最強とかありえない

576 :
呂布君の言ってる事はなんつうかショボいジャブの連打で
全く心に響かんのよね。
>>575
岳飛とか出すと、兵法では百戦百勝は下の下とか喚き散らすぞw
曲解のプロですから。

577 :
呂布は李カクに滅ぼされてるんだし、
天下を牛耳ったことにかけても李カクよりずっと下。
その李カクが最強の武将とかでは問題にならないぐらいなんだから、
李カクより下の呂布だってノミネートされることすらおかしいレベルでしょww

578 :
>>577
そもそも俺は呂布が"武勇"において最強と言っているので、李カクと呂布とでは比べ物にならないでしょう
そうでなくとも李カクは天下を握ってから季節を跨がないうちに政府が分裂しました
王允・呂布政権も季節を跨がないうちに転覆されているので、李カクも呂布もレベルとしては変わらないんじゃないか
と思います

579 :
貴方の言葉と李善・恵棟・方詩銘に支持された陳琳の言葉、どちらに信憑性が有るのか?
勿論陳琳でしょうね。しかも貴方「復活」って言ってるじゃないですか
それは一度滅亡したって意味じゃないんですか?
項羽って支離滅裂な封建で自滅したんですよね…
金言を無視した王允ですら一定の正当性は有ったのに
え?項羽もナンバー2なら呂布や王允と同じ臣下では無いですか?
それに王允と呂布の幕府で有る事は何度も言っている訳ですが
後軍事上の決定権は間違いなく呂布にありましたよ。王允の決定を待たず
牛輔をR為に李粛を派遣してますから
>>臣乃旋師,奉辭伐畔。金鼓未震,狡敵知亡,故韓馥懷懼,謝咎歸土,張楊、K山同時乞降。
ttp://ctext.org/hou-han-shu/yuan-shao-liu-biao-lie-zhuan-shang/zh
少なくとも、呂布は個人的武勇で黒山賊が袁紹に降伏する程大打撃を与えたと言う事ですな
ではその歴戦の将軍は武勇で敵に大打撃を与えたのか?と言う事になりますね
呂布が最強と言っているのは武勇の話ですから。別に将としての資質を問うている訳では無い

580 :
>>576
そう言いながら曲解したと言う部分は出さないんですよねー
まぁ貴方がたは史料も読まないで史実を捏造しますから

581 :
>>578
OK。
なら呂布が政権を握ったことは李カク並みに取るに足らないってことだし、
武勇において最強だと思っているなら、
もう武勇以外の部分をことさらに強調する必要はないよね。
で、戦においても李カクに滅ぼされて、曹操に殺されたのだから、
個人武勇はともかく、戦でも底が見えてるわけだし、
あとは個人武勇のことだけ話せば呂布の話は終わりだよね。

582 :
>>578
>>李カクも呂布もレベルとしては変わらないんじゃないか
そうです。
呂布が天下をとったなど世迷言なのです。
>>579
>>それは一度滅亡したって意味じゃないんですか?
でも曹操を初めとした基幹部分は残っていたので、巻き返すことができたわけです。
滅亡ならそんなことできません。
あなたの言葉を借りれば、一旦は戦闘力がなくなり壊滅したが、すぐさま回復した
ということでしょう。
呂布は軍事的に壊滅=滅亡だったんですけどね・・・。
>>項羽もナンバー2なら呂布や王允と同じ臣下では無いですか?
そうです。ナンバー1じゃないんです。
なので呂布が天下をとったなど嘘っぱちの誇大妄想です。
しかしながら項羽は後に楚王を亡き者にして、自身が覇王として中華に君臨し牧どころか
王を封じてしますので、呂布などとは立場がまるっきり違うことは歴史が教えてくれています。
>>後軍事上の決定権は間違いなく呂布にありましたよ。
いわゆる二元政治でしょう。
文は王允、武は呂布ということ。頂点には漢帝。これは揺るがないはず。
そして中華はもとより文を武の上に置いています。
それが逆転したのは唐末五代十国時代のみ。

583 :
李カクに負けたのは繰り返しますが、王允が呂布の助言に従い将兵に褒美を贈らなかった為
曹操に敗れたのは侯成が禁酒令を守らずそれに怒った為(罰していない)。呂布には何の責任も無い訳です
どこを読めば天下を取った等世迷い言と言う言葉が出るのか不思議ですね
李カクは天子を取れば天下を取れると言っているのに。項羽ですら史記以外では統一王朝としては扱われていないが
天下を取ったと言われているのに
貴方の解釈等どうでも良いのですよ。檄文を書いた陳琳が滅亡したと言ったならそれは滅亡。貴方のそれは曲解した解釈に過ぎないので有ります
それに「一時」でも滅亡、壊滅したんでしょ?それ程の武勇を発揮した武将が他に居るかと言うのが本題な訳で有りまして、
貴方は全く以て話を逸脱しています
その時項羽は斉と戦っていましたよね?天下を統一していたとは言い難いのでは無いですか?
それ言うなら呂布だって太守や刺史を任じていますよ?それに西楚って封建制じゃないですか?
秦以前に逆戻りしてますよね?しかも項羽は逆らわれている。どうして君臨したと言えるので?

584 :
>>583
なんでそこだけ言い訳ができるの?
留守番が内輪もめしてる時に留守を襲ったことや、
留守を預かってた盟友をそそのかしてその留守を襲わせたことだって、
君の論理では「著名な群雄を滅亡させた」ことになってるじゃない。
王允が何をしてたって、戦になったら得意の史上最強の武勇でどうにかすればいい話でしょ。
呂布は負けて滅亡した、これは揺るぎようのない事実じゃない。

585 :
幾らなんでも一人で軍勢を破るってのは項羽ですらできない事ですよ?
いかな猛将でも軍勢を破るのは兵が必要なんです。その兵の士気が落ちてちゃ勝てないですよ

586 :
留守を襲った後曹操は「死亡之患」と云われる程の状況になっていますし
劉備は呂布に投降しています
これを以て俺は呂布が曹操・劉備を滅亡・投降させたと言っている訳です

587 :
>>583
>>王允が呂布の助言に従い将兵に褒美を贈らなかった為
そうです。呂布は董卓を騙まし討ちしただけで、別に天下など取っておらず
ために、王允の失策に付き合わされただけなんです。
もし自身で天下を取りその発言や行動が何者にも掣肘されないか、されにくければあるいは
ということもありえますが、歴史はそうは示していない。
>>侯成が禁酒令を守らずそれに怒った為
それは勢力対勢力の話で、部下の統制も満足に取れずに敗北を招いた、という統率者としての
覆いようのない欠点というにすぎません。
曹操を袁紹を頼らねばならないほどの打撃を与えたのも、勢力対勢力、軍勢対軍勢のことで
呂布個人かあるいは数十騎であれば、そもそも濮陽を守備できないでしょう。
けだし、どちらも天下を取ったことと結びつくような材料は見当たりません。
なにをもって「呂布が」天下をとったなどと言えるのでしょう?
>>李カクは天子を取れば天下を取れると言っているのに
だから取ったのは、董卓暗殺を企画し実行者に呂布を選んで事を主導した王允なのです。
呂布ではありません。
>>それ程の武勇を発揮した武将が他に居るか
問題は呂布個人の武勇のみをもって曹操を敗走させたかどうかでしょう。
軍勢は引き連れてませんでしたか?
>>天下を統一していたとは言い難いのでは無いですか
いや、少なくともあなたが主張する「呂布が天下を取った」よりは言い易いとしたまで。

588 :
>>586
呂布は個人武勇で何度もあちこちの大勢力を滅亡させてるんじゃなかったの?
それと曹操には荀イクらが守り抜いた城がまだあったでしょ。
呂布は根拠地も軍隊も失って、数十〜数百騎だけを率いて放浪する羽目にまでなった。
どう考えても呂布の方が酷い状況でしょ。
それを曹操のことをツッコまずに同列として扱ってあげてるのに何を言ってるのさ。

589 :
>>586
>>留守を襲った後曹操は「死亡之患」と云われる程の状況になっています
袁紹が手助けしなければ、滅亡していたでしょうね。それは事実でしょう。
しかし袁紹が5千を与えたので、呂布は敗れてしまいました。
それでは曹操は滅亡したとは言えません。
「呂布が曹操を敗走させた」という表現で落ち着くでしょう。
劉備の件は投降とは書かれてませんね。
劉備のそれを降伏とするなら、先の呂布が劉備を頼ったのも「曹操に敗れたため劉備に降った」
とするのが正しいでしょう。
あと、歴史学には多様の解釈からより事実に近いものを割り出していくことに本質があるんですよ。
解釈をどうでもいいと切り捨てるなら、反対論陣を張らねばならず、この場合、歴史事実として
曹操は滅んではいないのですよ。

590 :
>>585
では個人武勇ではなく、戦術の優劣ですね?
項羽や張遼、謝玄、周徳威に李存孝、あるいは岳飛など、いろいろ幅が出てきそうな話題で
興味がありますね。

591 :
>>585
関羽の顔良斬りは単騎しか捕らえようのない記述だけどね。
まあ、顔良軍の旗印を捕らえるまでは記述的には張遼の副将的な
存在だったんだろうけども。

592 :
>>591
《宋史》太祖本紀の趙匡胤も同じく単騎突入です。
事前に敵将から兵を並べて決戦しようと持ちかけられ、笑ってそれを受諾し
いざ合戦がはじまると、馬に鞭を入れて突入。
敵の大将二名をあっというまに捕縛し、敵軍15万はこれによって「壊滅」したという記述。

593 :
趙匡胤は関羽を古今の烈士、忠臣23名のうちの一人に選出してるから
同じような共感があったのかもね。

594 :
すげー痛い奴だなあ

595 :
>>593
なんかデジャブだな。>473-474
記憶に頼って書いているので、同じ事を何度も言うきらいがある自覚はあるw
壊れたレコードすまん。

596 :
>>595
こっちこそ合いの手を入れて同じ流れにしちゃったな、すまんね。
流れを変えたくても強引に呂布に持ってかれるから
皆、色々と苦労してるんだと思う。

597 :
権限や格式が王允と同じなのに天下を取ってないって何事ですか?
後貴方も軍事では呂布が意思を表示出来たって言ってませんでしたか?
呂布と王允は二元政治を行ったのだと、そう言ってはいませんでしたか?
部下の統率なんて曹操や袁紹に比べれば取れている方では無いですか?
少なくとも呂布が劣勢になって裏切った配下なんて一人か二人ですよ
詳しくは陳琳の檄呉将校部曲文をご覧下さい
数百騎が軍勢になるなら張遼とて個人的武勇を発揮していない事になりますな
封建制なのに天下を統一した?天下を取ったの間違いじゃないんですか?
曹操は呂布に地を奪われ割拠する地が無くなったと陳琳の檄文には有ります
別に呂布が軍隊を失ったと言う記述は無いのでひどさで言うなら呂布と曹操は同列かと
>>備敗走海西,飢困,請降於布。
ttp://ctext.org/hou-han-shu/liu-yan-yuan-shu-lv-bu/zh
これで投降では無いんですか?
歴史事実を記さねばならない檄文にそう書いているのに滅亡では無いと?
では貴方の歴史事実とは一体何なんですか?

598 :
フビライとチンギスの前では関羽は子供

599 :
>>597
>>これで投降では無いんですか?
ああ、書いてましたね。
そうですね、劉備は呂布に降伏してますね。個人武勇のゆえではなく、ただの空き巣狙いですが。
なので、呂布の武勇を評価するポイントにはならず、呂布の群雄としての領土切り取りにポイント
加算ですね。
>>歴史事実を記さねばならない檄文にそう書いているのに滅亡では無いと?
まぁ自分に都合がいいように書くのも檄文のありようなわけで、歴史事実を記さ「ねばならない」
わけではないのでは?
でも事実として曹操は呂布の節制をそのとき受けたわけじゃなく、袁紹に兵を借りて呂布に勝利
するわけでしょ?
呂布が曹操を袁紹に「降伏」しなければならないほどの打撃を与えたが、すぐさま立場は逆転して
呂布は曹操に降伏ののち処断された。
というのなら、それはそれで納得しておきましょう。
これまた個人武勇は関係なく、呂布の勢力としての評価をするならば、曹操を袁紹に降伏させて
プラス、呂布が曹操に敗れ劉備を頼ってマイナス、最後に滅亡してさらにマイナスですね。
呂布の個人武勇があるなら書いてください。
>>権限や格式が王允と同じなのに天下を取ってないって何事ですか?
取ったのは王允ですね。
>>軍事では呂布が意思を表示出来た
そうです。軍事は政治の下位部門なので、どちらが主でどちらが従か一目瞭然。
現在でも、「軍事」というのは「政治」の一カテゴリーでしかないのですよ。
>>呂布が劣勢になって裏切った配下なんて一人か二人
たとえ一人か二人であっても、その裏切りで勢力滅亡していたのなら、相当に大きな
要因として換算できますね。人数の問題ではない。
まぁ、董卓も呂布が裏切ったので死んでいますから、なおわかるというもの。

600 :
曹操ですら撤退しかけた下ヒ城を数千で吶喊して落とすのが個人的武勇では無いんですか?
李善・恵棟・方詩銘は真実と言っている事は以前書いた筈ですがね…
説明ができないからゴリ押しなんですね?これなら議論する必要無いじゃんさ
権限・格式が同じなら王允と同様ですね。呂布が王允を重んじただけで上下が決まる訳でも無いし
それで決まるなら劉備・法正の君臣関係は逆転しますわな

601 :
ついでに言えば方詩銘は、後漢の陳琳の檄文は基本的に真実で有る(袁紹が呂布を征した事は重大な真実)
何故なら陳琳が嘘を書けば袁紹に逆に恥をかかせるからだと言っている訳でして

602 :
思ったんですが、貴方って俺が呂布が騎兵だけで曹操を破ったと書いても、
何も言わず無視するばかりなんですね。王允の件と合わせてこれでは議論する意味等有りません
消えます。駄レス失礼しました

603 :
>>600
>>劉備・法正の君臣関係は逆転しますわな
劉備は王から帝になったので、歴然としてます。
王允が董卓を伐って漢朝の実権を得たとき、帝はもちろん献帝でしょ?
なにが問題ですか?
呂布でないといけないとするほうがゴリ押しというものです。
>>曹操ですら撤退しかけた下ヒ城を数千で吶喊して落とすのが個人的武勇では無いんですか?
では、少数で大勢を退けた他の武将も、同じ土俵で語っていいわけですね?
まぁ、関羽は一人で1万の只中に討ち入って大将を殺して、軍勢を瓦解させていますので
呂布より上でしょう。
>>李善・恵棟・方詩銘は真実と言っている事は以前書いた筈ですがね
そうです。
でもその歴史の流れにはその続きがあって、檄文には書かれていないだけでしょう。
>>駄レス失礼しました
ようやくあなたの主張が駄レスとわかってくれましたか。

604 :
やっと消えたか。
元々呂布なんてここでは議論する意味もないだろうに…。

605 :
関羽も意味ないような

606 :
単なる史実での対比に留まらないのなら関羽も十分に資格ありじゃないかな。
>>1の意見から察するに史実上の人物に対するありとあらゆる評価を加点対象に
加えてるみたいだ。

607 :
単なる史実の対比でも、関羽も十分に論じる意味はありますよ。
もちろん、呂布だって正しく認識さえすればいいだけなんです。
というか、史実以外を加味する必要性こそ、あまりみとめられませんがね。

608 :
呂布の話はもういいよ、蒸し返すなって。

まあ基本的には史実に沿った戦績で判断することが望ましいけど、
後世に与えた影響というのもある程度は加味して良いとは思うかな。
後世の認識は語り継がれてきた歴史なのだし、「史上」としてる以上は無視はできない項目だろうから。
だからと言って関羽を一番にするのはアレだけどさ。

609 :
最強候補の羅列で良かったと思うなあ。
たったの1人はさすがに決まらないでしょ。
「最強」に対する評価や価値観も個人個人で多種多様。
誰か一人の意見を強制的に持ち上げれば、他の人の不満が募るだけだろうし。

610 :
これまで通り、各自で個人的に最強って武将を挙げてくだけでしょ。
このスレで1番を決めるとか絶対に無理だし、
推薦者が問いかけでもしない限り議論なんてする必要もないと思うぞ。

611 :
羅列ねぇ。
せめて何をして、どうすごいかくらい書けなければ、ほんとうに意味がなくなるな。

612 :
一人だけあげてるような人は大抵理由や雑歴ぐらい書いてるでしょ。
呂布厨が一時的に静かになってた時はいい感じだったと思うけどな。

613 :
関羽厨よりマシじゃね?

614 :
痛すぎる関羽信者が、このスレ立てちゃったからな〜

615 :
今度は関羽アンチが暴れるターンなのか。
これだから三国オタは・・・。

616 :
はぁ?

617 :
このスレに関羽厨なんて居なかったからな。
下手に真性の信者を呼び込むような真似はやめてくれよ。
関羽、曹操、光武帝、韓信、項羽は信者とアンチの争いになると
収拾がつかん。

618 :
いるんだよな、こういう第三者気取りの関羽厨
散々関羽マンセーしてる奴に盲目的になってんの
┐(´〜`)┌ ヤレヤレ
これだから三國志野郎はよ

619 :
触るなよ…

620 :
まぁ>>615でダブスタなのに気付かないからな

621 :
でも、平和だよね。今。
呂布最強君が暴れた頃は彼の中身のない長文塗れでウンザリした。

622 :
ある意味楽しかったけどなw

623 :
荊軻タソのスレはここですか

624 :
おれも楽しかったと思う。
解釈と結論の仕方が極端なのが彼の欠点であり受け入れられない最大の要因だったわけだけど
調べると、呂布って書簡で離反させたり、結構あって驚いた。
袁術の件や孫策のことなど、平和裏に事を収めたりしているなど、今までの呂布像が改められたのは
まぁ呂布君のおかげかもw

625 :
調子に乗って戻ってきたら困るんだから、
変に持ち上げるのはそれぐらいにしとこうぜww

626 :
>>624
寧ろ、それほど武勇に長けた武将とも思えない一面も見えたよな。

627 :
呂布自体が納金キチガイみたいな印象あったけど
実はそこまで強くは無くて逆に結構策略的なとこがある
武力-10知力+10しよう

628 :
脳筋最強武将は演義でのイメージだからな。
実際にはずる賢いけど大局を見ない小利口なタイプだろう。
主簿とかやってたぐらいだから教養もあっただろうし。
でも正史で一騎打ちの記述がある数少ない武将でもあるから、
個人武勇も有数であった可能性がある。騎兵を率いさせても天下一品。
でもこのスレで語る武将ではないことだけは確か。

629 :
呂布の強さの評価は、例の郭と黒山賊との戦いに集約されていて、武勇の点で当代指折りなのは
疑いようがない。
それにもまして、関東落ち後の戦いでほとんどが、奇襲とは絶対言えない騙まし討ちで勝利していることと
どういう背景をもってか、書簡で寝返らしたりできたことが目立ち、個人武勇や戦争の強さってのは
若干なりを潜めた感がある。
関羽の北上で許都が震撼した、みたいな武威が感じられない。

630 :
強い事は強いが、明智光秀や松永弾正みたいな感じか

631 :
日本の戦国武将とはなかなか比較しにくいな。
松永ほど凄みがあるかといえば、違う気もするし、明智ほど決定的に歴史に関与したかと言えば
そこまでではないと思う。
呂布の裏切りの人生を後世の人が比喩しているのは、唐末の李克用が李罕之に対してのセリフ
「お前がわしの元にいるのは、董卓の元に呂布がいるようなものだ」
いつ裏切られるかわかったもんじゃない、というほどの意味で発したそれなら知っている。
李克用の方が呂布なんじゃないの?
と言いたいところだが、呂布君の言うようにほんとうに呂布が後漢朝を奉じて戦っていたなら
李克用のようになっていたかもしれないだろう。
李克用はあれだけ無茶苦茶な事をやっても、唐室の系譜と忠誠を捨てなかったことで、演義でも
主人公側になっているのだから。

632 :
>>629
その辺は張バクや陳宮や陳珪辺りの手柄が多くないか?

633 :
西太后
金属で補強した長い爪が

634 :
始皇帝〜毛沢東までまあまあいるなぁ

635 :
五代の人気者・李存孝はどうだろう。
まあWikipediaにも載ってないし、戦乱の中国史でも最もカオスな時代の、
それも統一王朝の功臣とかでもないから、ちょっとマイナーかな。
奴隷上がりで、晋(のちの後唐)王・李克用の仮子となり、
500の騎兵で斬敵数万の大勝をあげたり、何度も一騎打ちで将を捕らえたり、
謀叛じゃないなら今すぐ賊を討ってこいと無茶振りされて本当に倒してきたり、
戦ではほとんど無敵だった。
ただ傲慢な性格だったのと、あまりに強すぎたことで味方がいなかったことと、
死に方が情けないのがこのスレ的には問題になるかなあ。
対立した李存信らに謀叛に追い込まれ、交戦中に騙されて捉えられて、
命乞いまでしたけど、結局刑死。
李克用には才能を愛されていて、殺した後もずっと惜しまれていたとか。

636 :
>>635
李存孝を処断したことによって、あきらかに晋軍の威勢が振るわなくなって
梁に太原まで攻められるようになったってのは、李存孝の武威を示していると思う。
そのへん、宮崎市定氏も指摘しているところ。
とはいえ初期すぎて、周徳威のような会戦での大勝や、符存審のような百戦不敗を
記録していないので、李存信に讒訴された同情票が集まっての人気と思われ。

637 :
いきなり過疎化してる

638 :
まあそんなもんさ。

639 :
呂布は雑魚だな
論破完了した

640 :
>>639
お前がしたわけじゃない。

641 :
多分、知恵袋のrammda64ってやつが呂布厨
こいつの回答を追っていくと気持ち悪すぎて寒気がする
あまり関係ない質問にまでわざわざやってきて呂布ageする真性基地外
都合の悪い記述は無視して都合の良い記述を拡大解釈するのも特徴

642 :
kousonnkennennってのもアホだな。
知恵袋で水掛け論とか見苦しすぎる・・・。
三国志の正史オタは自身の見解にどいつもこいつも酔いすぎ。
どうして客観視できんのかね。

643 :
知恵袋だと、ppdgjmpmgjってやつの曹操アンチ・諸葛亮マンセーっぷりもなかなか狂ってて面白い

644 :
好きな人物をマンセーするのはいいけど、どうしていちいち相手を貶めないとマンセーできないんだろうね。

645 :
三国志厨にありがちじゃん

646 :
何かをageるためにわざわざ他を叩いちゃう痛い子ね。
歴史が題材じゃなくても、妄信的なヲタはそんなのばっかだと思うわ。
確固たる物があるなら他をsageる必要はないのにな。

647 :
三國志ヲタはよ〜

648 :
ppdgjmpmgjは諸葛亮に命を救われて曹操に親を殺されたんだろうな
文面から諸葛亮への狂信と曹操への憎悪が溢れている
物語に出てくる復讐キャラかよってくらいの視野狭窄w

649 :
関羽は武人としては武神化したのもわかるレベルで異常っぽいけど、武将としてはちと辛いわなぁ

650 :
まだ名前挙がってないので有力な香具師っておる?

651 :
概ね出揃った感はあるね。
五胡十六国、五代十国あたりのカオス期辺りには
まだまだエントリーぐらいはされていい武将はいそうだけど、
詳しい人の少ない時代だからなあ。

652 :
晋の智伯が出てないな
もっとも最強というわけじゃないが
これからって時に滅んだが覇気と武力の項羽タイプの人間だった。
もし晋をまとめきれていたら三国分裂もなかったかもしれない
長く戦ってれば軍事的な力を発揮していったと思うが

653 :
>>649
霊的な存在として極めて強大な存在なんだろう、関羽(関帝)は。
日本でも将門公や道真公の霊威が史実で多大な功績を残した人傑より
遥かに強大であるのと同じく。
現代にまで霊的な干渉を及ぼすほどの強さもアリ捉えるのなら
関羽は確かに中国武人ナンバーワンではある。
史実の豪傑達も関羽に限らず、多くの存在が神になっているが
関羽並の大法力を誇る巨大な神は存在しない。
関帝以上となる道教の超大物しかいなくなる。

654 :
このスレよりヤホー知恵遅れの方がマシな議論してる
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1250005207

655 :
最有力候補=李靖
有力候補=楽毅、白起、曹操、陳慶之、岳飛
準有力候補=王翦、項羽、韓信、馮異、班超、郭子儀

656 :
李靖が別枠になってるのはわけがわからんけど、まぁ残りはそんなもんか

657 :
B'z New Album「SAVAGE」リリース決定!! 
    01.Scoop!!
    02.疾走
    03.DEARLY
    04.ストイック★LOVE
    05.SAVAGE
    06.NIHILISM
    07.この身、燃えつきるまで・・・
    08.昼庭
    09.SLUDGE
    10.GO FOR ITBABY
    11.哀切な色
    12.SAMIDARE
    13.二人あえる日まで

658 :
>>655
だいたい同意だが、五胡十六国時代からも一人くらい入れちくり〜

659 :
>>655
慕容恪でいいんじゃないかな
前燕の発展=慕容恪の半生と言っても過言でないくらいの将軍だったわけだし
個人的には百万を呼号する前秦軍を撃破した謝玄を推したいが
何か評価低いんだよねー、実績凄いのに

660 :
評価する奴が全時代に通じてるわけじゃないかんね
春秋戦国楚漢三国志って有名どこが有利になるな。
最も岳飛とかは個人の知名度が高いから知られてるけど
孟キョウやら韓世忠やらは同じような活躍でも上がりすらせんし
楊大眼やら李克用、常遇春、柴栄なんか事跡凄いが知名度ないやつらは。
李靖は名将として有名に評価されてるけど李考恭が何一つ触れられんのなんかもそこの差やな。

661 :
李孝恭は李靖の働き場を最大に整えたって印象だから、最強とかいうフレーズとはそぐわないのだろう。
李克用は強いときは底抜けに強いけど、弱ることも多いからw
むしろ、陣営にすごいのが集まっていた印象。
柴栄。あれをその当時の最強と言わずして誰を推すか。
常遇春は、わりと語られていると思うけど楚漢三国の比でないのは確かだね。

662 :
時代毎に条件が違うから…
同時代中の最強は決められても、中国史通しての最強ってのは、なかなか決められんでしょ
戦国最強が白起、楚漢だと韓信、三国なら曹操
この辺は知名度や自力で平定した面積からして鉄板だろう(と個人的に思う)けど
後の時代となると情報量も増えてくるし、知名度低いせいで語り尽くされてないかんね
対異民族をもってくると、またややこしくなるし

663 :
無敗の慕容恪もいいけど垂の方が上だと思う
謝玄は一発屋じゃない?
魏晋南北朝なら石勒か韋孝寛を推したい

664 :
>>662
陳寿の曹操評に「白起・韓信の奇策を〜」とあるように、"中原平定"の将ってのは中華では大きな意味を持つのよ。
これが曹操死後の魏晋南北朝時代になると、江南なんかでも開発が進んで中華の範囲が広がり始める。だから難しい
小粒な将が多く見えるのは世界が広がったせい。

665 :
>>663
慕容垂には情と戦略センスが決定的に足りないw
傷口広がってから動き出す癖が晩年まで治らなかったからなあ
謝玄の評価下げてるのはやっぱ北伐だよなあ

666 :
初心の帰って項羽にロマンを感じよう

667 :
慕容垂は苻堅を一度は助けたし情がないことはないと思う
あと死ぬ直前まで戦ってたのが好きだわ

668 :
魏晋南北朝なら陳慶之や桓温なんかも捨てがたい

669 :
>>668
陳慶之<爾朱栄≦高歓<韋孝寛<斛律光<韋孝寛(ガチモード)
魏晋南北朝で括ると、韋孝寛最強説に落ち着く
先秦:白起
秦漢:韓信
魏晋南北朝:韋孝寛
隋唐:李靖
このあたりはひっくり返らないと思うわ

670 :
魏晋南北朝は220〜589年か?
後漢末の184〜220年も含むならなんだかんだで魏武帝さんは入ってくるだろ

671 :
韓信or項羽なら韓信確定でいいのかな

672 :
時代背景を無視すると、個人的武力なら項羽を超える者はなく、指揮官能力では韓信を超える者はない!ってのが自分の意見。
中華帝国が拡大すると、戦闘も変わったろうから、やっぱり秦漢限定かな

673 :
韓信は古今東西何れを見ても間違いなく五指に入る将帥でしょう

674 :
韓信を過大評価しすぎ
実際楚漢戦争だけ見ても項羽が個人武勇はいうまでもないけど軍団指揮としても上に近い。
直接対決がないから絶対といえないけど少なくとも韓信が確実に上なんてとてもいえん。
秦漢たって前後含むなら項羽も冒頓も衛青もあの光武帝も曹操も全部いるんだから韓信がナンバーワン!なんて断言とてもできんよ。
ましてオールタイム全世界で五指とか冗談でしかない。
そういうのはチンギスとかアレクサンドロスとかアッティラみたいなんでやっと使えるもん。
とは思うけどこれ以上長文で議論する気も起こらんから
お前がそう思うならそれでいいと思うよ。怒り狂われると怖いし。

675 :
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11112876311
まあ古今東西で五指は韓信でも無理やろな
そんな喧嘩腰で言うことでもないとは思うが・・・

676 :
呂布最強君を言い負かせた奴が一人もいなかった訳だし
呂布最強でもいいと思うわ

677 :
そうかなぁ…項羽や曹操よりは間違いなく上だと思うし少なくとも中国史ではNo.1だとおもうんだけどなぁ
>>675の知恵袋では何人かに指摘されてる通り欧州に偏りすぎてるきらいがあるし中国史でトップなら間違いなく五指に入れていいと俺は思うんだが…うーむ
>>676
そりゃどんだけ負けても負けを認めない相手を負かすことなんて誰にもできんわw

678 :
>>674
すっげー細かいけど、アッティラの将軍評価はそんなに大したことない
チンギス、アレクサンドロスは文句なしだけどね
>>677
中国史に限るなら、韓信は五指に入ると俺も思う(ナンバー1かと問われると困るけど)
時代背景を考慮しても、
・約2年で華北のほぼ全域を征服する
・常に相手より少数でかつ寄せ集めの軍で勝利を収める
・明確な敗戦がない(一点議論が分かれるものがあるが後述)
という点から、中国史に限るなら上位5人に入れていい
ただし、韓信は海戦や騎馬民族との戦いを経験していないから
その面での将才は未知数にせざるを得ないし
彭城の敗戦の責を負うかどうかでも評価が変わってくる
(史記・漢書はどっちとでも取れる内容で、そのせいで人によって評価がブレる)
ゆえに、ナンバー1とか古今東西とか範囲が広がると、断言はできなくなるね

679 :
>>677
曹操は兵法家として孫子編纂の影響力が大きいんじゃないかな・・・南匈奴、烏丸、鮮卑なんかにも勝利してるし
韓信が北方異民族と戦って勝利してたら、中国史上ナンバー1もあり得ると思うが

680 :
漢と匈奴の力関係を見る限りそれはないんだよなあ
やっぱり>異民族が確定してる項羽呂布辺りが最強候補だろう

681 :
なんでそこで呂布?
荒らしなの?

682 :
呂布厨はスルーしろよ何言っても無駄なんだから

683 :
呂布も項羽も騎馬民族と戦ってないからなー

684 :
はっきり言って、後漢末〜三国からは曹操以外はエントリーすら出来ないでしょ。
その曹操にしたって華北平定・北狄撃破・孫子編纂で中国史上ベスト10には入るだろうけど、五指に入るレベルではない。
ましてや呂布や関羽なんて論外ですわ。

685 :
曹操は、騎馬民族撃破の功績があるから一頭抜けているけど、
勝利と同じくらい敗北もしているから単純に強い、という評価を下しにくいのが困るね
特に五指に挙げるとなると、騎馬民族を撃破して、統一戦で活躍して、不敗の人から選んだ方が異論が出ないし、
実際居そうだよね5人くらい、という点で損をしている
決して弱いワケじゃないし、業績も、軍事的観点に限った後世の影響を見ても凡人ではないけど、
上位5人に入れるには他に候補が居なかったら、という後ろ向きな理由になっちゃう

686 :
強いて言えば、徒手空拳からあそこまでいったのが曹操の特筆するとこかな・・・
国や勢力の後ろ盾から兵を貰って各地を平定した将軍はけっこういるけど、私財で義勇軍を組織したとこから始まって中原の覇者までいったのは数えるほどしかいないから
まあ、五指には入らんけど十指には入るって評価は妥当と思うよ
曹操は政治とか文化の功績も大きい(特に建安文学)し、究極の器用貧乏って感じ・・・というとファンは怒るかもしらんが

687 :
王翦とかはまさに後ろ盾あっての名将だね
既に秦TUEEEEの時代だったから

688 :
春秋は覇者の時代だし、最古の最強候補はやっぱり白起かな・・・
呉起の時代は春秋の色が残っているし、楽毅はスケールが小さいから、戦国ならやはり白起だろう
白起と韓信ならどっちが上かな? 時代も条件も違うのは分かっているけど

689 :
問題は韓信やら呂布やらを最大に評価したがる人が、他の時代の人物や背景について
どれほど知っているか、だよな。
>>677
>>そりゃどんだけ負けても負けを認めない相手を負かすことなんて誰にもできんわw
解釈の相違が激しすぎた実際。
しかし、やつのおかげで呂布が実は武勇より交渉ごとやかけひきで勢力を拡張したのだと知り
ある意味有益ではあった。

690 :
>>686
いや、曹操は恵まれてる方に入ってるから
三公まで出している家の出自、これより上の条件でスタートした群雄なんて唐の李淵ぐらいだろ
石勒あたりに猛烈に扱き下ろされてるのも
武力で事を成し遂げる実力を有しながら陰険な謀略で簒奪を推し進めたからでしょ
漢王朝の権威を利用するだけ利用しつくした曹操を、そんな風に評価できる神経を疑うわ

691 :
>>690
どうでもいいが、なんでそんなに喧嘩腰なんだ?お前は
>>674 もそうだが、議論したいのか荒らしたいのかわからん連中が多いなここは
自分の意見が絶対的なものだと思ってるのが特に凄いと思うわ
解釈なんて人それぞれだということすら理解できんのかい

692 :
>>691
議論の火種があったら、全力で燃え上がらすのが便所の落書きの流儀だろ
穏便に済ませたいのであれば火種を撒かなきゃいいだけの話なんだよ
曹操を評価するのでれば、崩壊する古代以来の兵制を弥縫して何とか兵力を確保した軍政家として、
あるいは、後漢通じて安全保障上最大の脅威だった羌族による関中侵入を克服した政治家として、
はたまた、孫子に注釈施し、かつその軍事理論を実践した(図に乗りすぎて頓挫もした)軍事理論家として、
評価するのが妥当であって、挙兵の態勢で評価なんて劉邦や朱元璋に後れを取るだけなんだから
端っから評価しない方が賢明と言うだけの話だ
本当に曹操を褒めるのであれば、後漢百年の宿痾ともいうべき塞外民族対策の一応の安定化だわな
この一点で衛青をはじめとする「一軍人」たちとは一線を画していると評価できる

693 :
実は情勢を見る目はあったっぽいよなぁ、呂布
董卓が勢力を伸ばしそうだと見るや丁原を見限って董卓についてたり、その後董卓から民心が離れたと見たら董卓を討って長安を脱出
そのまま当時最大勢力だった袁術と袁紹のところに立て続けに自分を売り込みに行ってる
そこでも自分が疎まれてきたことを察知して脱出
そして隙を見つけるや一気呵成にエン州を獲りに行ってる
しかもそのエン州を支配していた曹操の遠征中に腹心だった陳宮と張バクを抱き込んでの反乱という普通に考えたら失敗しようもないくらい完璧な計画とタイミング
この時残っていたのが荀イク&程イクじゃなかったらどうなってたことか
あと呂布の不思議なところは丁原と董卓を立て続けに裏切ったり袁術袁紹のところでは略奪をはたらいたりとろくなことしてないのに何故か行く先々で歓迎されるという点
なんかどっかの大耳さんと同じようなスメルを感じるわw
実際その大耳さんも歓迎してるしな

694 :
曹操の異民族引き入れは五胡時代の原因を誘引したわけで

695 :
>>692
すまん…新参だから2chのノリに慣れてなかったんだ

696 :
こんな見えている地雷初めてだ
思わず踏みに行きたくなる誘惑に抗いがたいw

697 :
>>696
お前さんには、押すなと看板が付いてる押しボタン式地雷が最強の武器になるな
ポチッとなって言って吹き飛ばされる姿が目に浮かぶ

698 :
呂布はNGワード登録推奨

699 :
>>691
あれで荒らしですか。韓信が全世界オールタイムで五指に入る、って「断言」してる方に
明らかにそれはないよって意見を言っただけなんだけどね。
そもそも俺は自分の意見が絶対なんて言ってないから。
韓信が秦漢最強は動かない、とか「自分の意見は絶対」って断定してる人に
そう言いきる事はできないでしょって言ってるわけで。
韓信がナンバーワン系の断定はOKで、それを否定すると荒らしっすか。
>>678
アッティラ凄まじいイメージあったけど違うのか
スレ違いだからやめるけど今度調べてみるわ。

700 :
>>695
勘違いしないで欲しいけど>>692はID:bKpMFhxL0の流儀であって別に2chでそんなものが蔓延ってるわけじゃないからな?

701 :
>>699
>>691は言葉がきついから感心しないけど、
>>674も言葉がきつい上に、言い逃げ(実質勝ち逃げ)宣言している姿勢は、
お世辞にも褒められたものじゃないよ
誤解してほしくないんだが、
>>674の内容は否定しないというか、俺も賛成する内容だけど、
最初読んだ時は、あーこれは荒れるかもしれんな、という書きぶりだと思った
ついでに、アッティラは、戦略的に相手の隙をつくのが上手いけど将軍としては微妙、というのが俺の評価です
主力が出払った隙をついて攻めこんだりとか、相手が全力で戦えない情勢を選んで戦ったりとか上手いけど
全力で攻め上ったカタラウヌで完敗したりしているので、世界史的に見れば上位には入らないなあ、と思う
あくまで俺の評価なんで、調べてみて下さい。騎馬民族もそれなりに制約に苦しんでいて面白いよ
長文失礼しました

702 :
>>701
ちょっと訂正
あーこれは荒れるかもしれんな→反発する人が出るかもしれんな

703 :
顔良
呂布対張飛50あまり打ち合う
張飛対紀霊10合未満で張飛が突き落とす
紀霊対関羽80合打ち合う
徐晃対顔良20合でかなわず徐晃がj逃げる
徐晃対許チョ50合あまり打ち合う
許チョ対馬超100合あまり打ち合う二回
馬超対張飛100合あまり打ち合う二回
顔良は袁紹のもとに身を寄せていた劉備は袁紹の武将に関羽の特徴を伝え
もし見かけたら袁紹のもとにいることを伝えてほしいと告げたので
顔良が関羽に殺された真相は関羽を見かけた顔良が有無をいわさず切られた可能性が高い
昔雑誌に載ってたコラム
これ演義準拠なので創作は多分に含まれるだろうけど
夢があるね

704 :
>>701
ここ2chだぜ。別に俺は煽ったり罵倒とかしないけど
そんな丁寧すぎる必要もないと思うけどね。
てか長々議論する気起きなかったから「一応の理由を書いたけど絶対韓信が一番って思うならそれを否定する気はないよ」
って流したんであって、勝ち逃げしたわけじゃない。結局この手のは突き詰めれば主観なわけで。
アッティラはサンキュー。あんま詳しくなくてネームバリューで選んでた。
代えるならナポレオンかティムールあたりかな。

705 :
>>704
その辺はスタンスの問題だけど、分かってやってるならいいわ
むしろ、すっげー野暮な横槍入れてすまんかった
というところで、ネタを
戦国時代の李牧は、対騎馬民族戦で歩兵主体の軍で史上初の勝利を収めている
最強候補ではないが、対騎馬民族枠で赫々たる勝利・軍歴を見ても白起に負けない実力者ですな

706 :
韓信を中国史を代表する名将に推薦する根拠
・漢軍の河北方面別働軍を立ち上げ、低コストで趙・燕を制圧
・劉邦に兵力抽出を余儀なくされるものの、引き続き斉を撃破
基本的に低所得な軍隊を率いて連戦連勝してるのは珍しい(普通は勝ったり負けたりの繰り返し)
似たような境遇だった劉秀は現地の有力者の娘を嫁にもらって勢力基盤を築いた上で
ようやく宿敵王郎の駆逐を成し遂げることができた、それまでは粘り強く多数派工作に明け暮れていた
また、五胡十六国の石勒も河朔転戦後は悪戦苦闘の連続だったが、詐術で強敵王浚を滅亡させた
後は戦果ともいうべき幽州の全土制圧を敢えて放棄して、鮮卑段部と折半している(鮮卑との
領土争いを回避するという現実的な戦略を採用)
李世民は河北作戦において竇建徳に対する処遇を誤ったため、一度は勝ち取ったはずの河北諸州を
劉黒闥率いる竇建徳残党勢力にことごとく奪回されてしまっている(まあ、まいた種は自ら刈り取る
あたりが李世民の凄いところではあるが)、そもそも李世民の部隊は上記二名と比較すると精兵
なので韓信との比較には不適だとも言える
唐・五代以降は弱卒・募兵で河北の勢力とガチで戦って勝った例自体が珍しくなる
唐が安史の乱を平定する時なんて、もはや異民族傭兵にすがるしかなかったくらいだし
明の北伐の終末段階は、華南の資源をありったけ投入し、軍も明軍の古参兵・歴戦の司令官抜擢と
条件そのものが韓信とは全然違う
しいて言うなら李自成が最後の比較対象かもしれないが、……三日天下だからねえ
低コストで高配当という点では、韓信は中国史ではトップだと言える
比較対象の中にいる劉秀や李世民を入れたが、その両名よりは(僅差ではあるが)上手く河北経略を
成し遂げているわけだから、中国史最強に推しても問題は無かろう
異民族との戦争、特に草原での戦争に関しては、将の才覚よりも「遊牧民の戦い方」にどれだけ順応
しているかが勝負の分かれ目になるから、評価対象にするのは個人的には反対する
明初には遊牧民の戦い方に通暁した人間が多かったから北元に対しても優位に戦争を遂行することが
できた、そもそも戦争する必要がない連中だし(張居正みたいに妥協するか衛瓘みたいにえげつない
謀略で戦争を回避する方が遊牧民を撃破した名将なんかよりもはるかに評価されるべきだ)

707 :
>>異民族との戦争、特に草原での戦争に関しては、将の才覚よりも「遊牧民の戦い方」にどれだけ順応
しているかが勝負の分かれ目になるから
>>謀略で戦争を回避する方が遊牧民を撃破した名将なんかよりもはるかに評価されるべきだ
暗にカウンターとして李靖が出されるのに釘を刺しているように受け取れる。
コストのことを言うなら、敵対者の強弱も勘定に入れてほしい。
弱卒でも勝てる理由、募兵傭兵でのガチにならざるを得ない理由等々。
そしてなぜ、草原勢力だけを特別視しているのかも理由がわからない。
草原勢力でなくとも戦争回避して一国を得るなら、それが最上だと思うが?

708 :
漢が匈奴の属国同然だった時点で韓信最強は無いんだって
それなら遊牧民の王朝である五胡南北朝隋唐辺りから選ぶのが自然

709 :
>>707
遊牧民との戦争が生起すること自体が無駄骨という話
(彼らは滅ぼしつくすことができない、今の敵を倒しても必ず新しい敵が現れる)
彼らに校納金を支払って、定期的に交易しておけば安全保障上の脅威度は下がるってのが
歴史上の経験の蓄積から導き出された解答
それに我慢ならないんだったら、遊牧世界も徹底的に支配しつくす(単于や可汗の地位に
中華皇帝が就くということね)しかない、高いコストを払った上でだが
膺懲、あるいは場当たり的な迎撃は悪手、陣地戦を築いての防勢は最悪手
で、李世民+李靖ペアの場合は、遊牧世界の統治を志向し、実践したという意味では百点満点
なんだけど、戦争の基盤づくりは李世民、作戦遂行は李靖と功績をきれいに折半してるから
評価しづらいんだよね、中国史最強の君臣を決める、というお題だったら楽なんだけどね
悔しがりながら軍備増強に打ち込む李世民は君主の鑑です
草原勢力を特別視と言うよりも、安全保障上の脅威は倭寇を除けば彼らしかいないからね
統一中華帝国にとっては、それに対する対応如何はある程度当該人物の評価につながる話でしょ
国内勢力に対して遊牧世界に対するのと同じ対応したらただの属国にしかならんけど、
遊牧世界相手の場合はまったく意味が違ってくる、彼らは農耕世界から収奪しないと生きていけない
だったら国防予算に大金投入して衝突するよりも、カネで解決した方がはるかにマシ
遊牧国家相手に活躍した将軍ってのは、大半が根本的な解決に寄与してなかったりする
(軍事的に根本的解決したのが李世民と康熙帝のみ、曹操は及第点かな、漢武帝はアカン)
この認識はしっかり持つべき
ビザンツ帝国はこのあたりをうまく処理している、中華帝国は中華思想に邪魔されて最良の方策を
選択できてないってのが問題だわ

710 :
>>708
漢が匈奴に貢納していた点を減点項目と考えているようだから、俺とは議論は絶対に噛み合わんよ
俺は貢納して軍事費削減できたら優良評価する人間だから(ただし戦争準備は決して怠らない、
という条件付きではあるが)
だいたい、魏晋南北朝〜隋唐を遊牧国家として評価しているようだけど
彼らの政権基盤は漢民族が大半を占める農耕世界にあったわけだから、その時点で遊牧国家ではない
(洛陽遷都前の北魏だけが条件を満たしているかな)
拓跋国家は結局江南を征服することができなかった、これは揺るぎようのない事実だ
後に著しく漢化した末に、漢化と遊牧世界への原点回帰をハイブリッドした武川鎮軍閥の登場に
よってついに農耕世界と遊牧世界はいびつな形ながらも合一の可能性を見出すことになる
結局唐太宗を除けば正解には程遠い(唐太宗すら国力増強している間は突厥に貢納し続けている)
俺は貢納による安全保障を否定的に見ている限り最強の将軍を論じるのは無益だと思うわけよ
ぶっちゃけ、李世民ですら高句麗遠征という泥沼にはまった時点で耄碌しすぎと評価せざるを
得ない部分もあるわけだけど
つーわけで、どういう理論で「遊牧民の王朝である五胡南北朝隋唐辺りから選ぶのが自然 」と
判断したかご教示願いたい

711 :
また……名将(将軍)の定義から議論しなくちゃいけないのか……

712 :
「草原」と「中華」のこの分別する観念は、なんと言えばいいのか。
国内の戦乱や統一事業でも、「彼らは滅ぼしつくすことができない、今の敵を倒しても必ず新しい敵が現れる」
が当てはまるんだけど、なぜに草原だけそう特視するんだろうか。
つまりは、中華の実効支配範囲が、草原にまで及ぶのは極めて稀だから、統治が行き届かずそのため
コストもかかって、そのうち内部矛盾の発露によって瓦解してしまう。
って話なら、これは政治の話だ。
軍事の名将とは、その政治が許す範囲での最善を尽くすものだと思うけど。

713 :
>>712
遊牧世界と農耕世界で政治形態も社会基盤も宗教文化も何から何まで異なるからだよ
草原や砂漠での戦い方は、実は海戦に近い形態をとるようになる
地形の「摩擦」が農耕世界と異なり減少するからだ、住民対策の必要性も激減する
(人口密度低いからね)
また、港としてのオアシス諸都市の価値が農耕世界の都市とは全く異なったものになってくる
草原世界においては物資の高速かつ大量の輸送のために軍事力による保障が必要不可欠であった
(ゆえにオアシス諸都市は遊牧民による軍事的庇護を要求する、そして農耕世界の帝国が
これに取って代わったとしても、軍事サービスを継続してくれるのならば問題なくそれを
受け入れた)
農耕世界側からの草原世界に対する戦争は、得てして敵の戦力の撃破や王庭の殲滅を目的に
行われがちだが、それがいかに迂遠で困難なものか理解してもらえると思う(索敵能力が向上した
WWU当時の会戦ですら、敵戦力の捜索・発見は非常に困難な任務であった)
漢王朝が西域経営にリソースを割くようになったのも、匈奴が西域のオアシス諸都市に経済依存
していたからにほかならない、港そのものを封鎖して通商破壊するという概念に近い
往々にして、派手な戦果を収めた武帝前期の司令官たちが高評価される傾向にあるが、軍事的に
最良の手段は武帝後期以降の軍事政策の方であるのは明らかである
(班超なんて必要最小限以下の戦力で西域経営を任せられて本当に不憫だったと思うが、彼こそ
草原世界に対する安全保障政策で最良の成果を収めた軍司令官の一人だと評価する)
後漢の後半期に入ると、過去の先人たちの経験が忘れられ、悲惨な安全保障政策を採用していく
ことになる、すなわち防勢作戦下における敵戦力の索敵・撃破である(攻勢作戦でも悲惨だとは
思うけど、防勢だと敵がどこからやってくるか分からず、それに対する索敵・阻止拘束に必要な
防衛予算は飛躍的に増大せざるを得ない、そりゃ後漢も財政破綻するわ)
根本解決に至らず、国家の資源を無益に投入する政策下における局所的な軍事的成功を「名将の
要件」だとは俺には到底受け入れることはできない
しかし、遊牧世界に対する効果的な安全保障政策の採用は結局時の政権が遊牧世界に対しどれくらい
の理解があるかによって左右されてしまう非常に不安定な案件でもある
ゆえに、農耕世界における戦勝評価と遊牧世界における戦勝評価は同じ土俵ですべきではない、
というのが俺の持論、たぶんこのスレでやったら衛青が班超を下回ることないでしょ

714 :
>>713
勉強になります
対外施策は強硬策ばかりてはいけないということですね
けど、ここは最強の武将を決めるスレだから。。。

715 :
>>714
あー、そういうわけで
韓信最強説するにあたって、対遊牧国家(匈奴)戦の実績は無理して問わなくてもいいんじゃね?
という持論に繋がります
まあ、この点に関しては実績十分な李靖優位だなとは思うけど

716 :
>>715
しかし、相手のことを熟知しているしていない、が戦果につながり、それをもって遊牧民族相手の
戦果は将帥の能力ではない、みたいな話は首肯できないよ?
なぜなら河北、江南でさえそれはあるのだから。
南北戦ともに名を馳せる将帥をのきなみ評価しないつもりかね

717 :
>>716
俺の論点の趣旨は
貢納>遊牧民統治>状況により攻勢>状況により防勢>陣地線をもっての阻止
の順で対遊牧国家に対する作戦の賢愚を判断するとともに
遊牧世界における戦闘の様式は国内戦とは著しく異なる、という内容であるんだが
>>716の論点は
河北・江南でも戦争そのもには差異はない、という話なんでしょ
戦術レベルの話であればいくらでも評価していいんじゃない?
南北で活躍した人物ってのは結構レアだからね
でもそうすると明代にごそっと固まるぞ、このスレだとほとんど上がってないけど
その中から選ぶと湯和か戚継光あたりになるのかなあ
この二人だったら俺はまだ于謙の方を推すわ、その上で朱元璋・徐達・常遇春になるな
対遊牧国家戦略として大元ウルスを継承して遊牧世界の統治に乗り出した朱元璋は
名実ともに名将過ぎる

718 :
>>705
今更だけど、リーボックは守将タイプだからね…防城戦や撃退戦は、攻城戦や平定戦よりイージー
趙の名将たちは好きだけど、そういう意味でもやっぱり戦国は白起ってことになるんじゃないかな?と思う

719 :
>>717
>>河北・江南でも戦争そのもには差異はない、という話なんでしょ
そこだけの話じゃなく、戦争というのは「敵を知り、己を知る」が原則といってもいいでしょ。
国内戦はそれを当てはめず、対遊牧民戦にだけ当てはめる意図が希薄なのでは、ということ。
あと、戦術レベルっていうけど、最強の武将と銘打つこのスレでは、おそらく多くの参加者が
個一の武将やらを想定すると思う。
それは戦術レベルでの洗練さを競うものではなかろうか?
相手がどうであれ。いや、相手が難敵であればあるほど、より評価は高くならないか?
もちろん、難敵というのは相手を知らないと勝てないって君がいう草原勢力も含まれるが。
また戦略はもとより政治も含むならば、君のいう「最強の君臣」ということになり(総合評価)、精強で文化形態の
違う遊牧民との戦いを勘定にいれなかったら、やはり韓信の功績は国内、特に河北にとどまるのみとなりうるが?
おれとしては、草原勢力との戦いもそこまで特視しない。
朝貢やむなきことは、相手も同等かそれ以上の勢力だからだ。
こと戦術の洗練さをみるに、韓信はもちろん数え上げられるが、草原勢力と戦うのが下策なので、それに従事した
将帥を評価せず、草原とは戦わなかった韓信は評価する、という選別のしかたには賛成しない。

720 :
>>719
戦術能力重視だと「一回も負けなかった」みたいな連中が高評価で
「一回の戦役で決着をつけた」人間は評価下がるじゃん
戦略を加味しないと、軍事力整備や軍事組織の構築、政軍関係とか語れないし
「最強の武将」から乖離していくだけだと思うんだが
政治・戦略に対する理解を求められない将ってのは何だかな
しばらく来ません、出張なんで

721 :
>>720
いやだから、相手や社会背景も含めたうえでいくさの内容が重要なんだって。
戦略や政治、社会を加味するのはもちろん賛成だが、だからといって遊牧民と戦ったことを評価しない
という流れにはならないよ。
遊牧民への対応なんて、別に時と場合によるのだから、恭順が至上策と決め付けることもない。
おおむねベターだというなら、歴史的に草原勢力のほうが強大なのだから、そうだといえるが。
だいたい、「将」に政治選択決定の権限は付加されない。
そういう場合は君臣の評価となる。
韓信のように、ある方面を全面的に任された、とかのような緊急事態であれば、将にも一定の
政治権限が付与される場合もある。
それは君主の信頼あればこそのこと(末期のとき丸投げされる場合もあるのかな?)。
で、後代になれば崇政院・枢密院など軍政本部が設けられ、そこはたいてい文官(あるいは宦官)が上位となる。
五代期や宋代の狄青みたいなのは例外としても。
これで「将」に政治や戦略の根幹部分まで責を負わせて評価するのは、さすがにどうかと思うよ。

722 :
同時代間で評価はできても、一世紀以上離れたら同一基準での評価は無理だってばよ
時代区分毎に各最強を決めるくらいで限度とすべきでしょ
韓信と項羽は比較できるけど、韓信と李靖の比較なんて不毛すぎる

723 :
春秋戦国楚漢時代だったら
楽毅、白起、韓信あたりが候補に挙がるのかね

724 :
白起は強いけど具体的にどうやって戦ったか書いてないのがなぁ
楽毅に至っては国力の変動があると言えど幽州の兵を率いて青州を占領しただけだし
韓信は具体的な戦術も残されてる上に寡兵で何度も大軍を倒してる
韓信>白起>楽毅だろうな

725 :
楽毅はなんだかんだで州規模の武功でしかない、しかも平定失敗
武力というか将軍として純粋に評価するなら、白起や韓信には遠く及ばない
呉起と比べてどうかなというくらいか?

726 :
春秋なら司馬穣苴だろJK…と思ったけど最強って感じではないか

727 :
春秋は名将っぽいのが少ないから、最強候補自体が少ないが、最強を決めるのは難しそう
范蠡とかどう評価するんだ
色々とよくわからん孫武もいるが

728 :
>>725
当時の二大国のひとつである斉を五か国による連合作戦で撃破した上で
後に燕単独で斉平定戦を円滑に遂行した手腕は、白起に勝るとも劣らない功績だと思うよ
連合作戦は参加国の足並みがそろわないことも多く、春申君や公孫衍は失敗している
兵数が多ければ有利と言うわけではなく、指揮通信や統制調整の困難性と言うものが常に付きまとう
リスキーな作戦形態でもある、西洋においても中途半端な連合作戦は一致団結した国家に対しては
寧ろ各個撃破される可能性が高いとその危険性について言及されることも屡である
(七年戦争が好例)
小国の燕から指揮官に選出され、各国の軍を取りまとめて戦える態勢に持って行った時点で
春秋戦国期では最も優秀な「指揮」能力の持ち主と評価して差し支えない(信陵君と悩むところだが
信陵君には高い名声・国際的なネットワークを構築していたというアドヴァンテージがあった点を
差し引けば、小国燕の将であった楽毅の方が高いハードルをクリアして作戦を遂行させたという
点で僅差で上位に評価)
斉70余城と白起の東方への領土拡大のどちらが偉業かってのは、やっぱ白起の方が上になるんかな
両者とも功績が上司のせいで消し飛んでいるのが不憫でならんが

729 :
誰も楽毅が弱いなんて言ってないだろ
ただ白起や韓信の華々しい戦場での活躍と比べると見劣りするだけ
連合軍を作ったのも将軍というより政治家寄りの功績だし
連合軍を束ねたって意味では評価されるのかも知れないけどさ
個人的には漢までの武将じゃ韓信が一番だと思う。
春秋戦国時代の戦争は統一戦争じゃなく国家間のイザコザだから規模も小さいし回数も少ない。

730 :
楽毅さんはやや一発屋に近いのも痛い
まあ名将であることは誰も否定しない人物であろうけど、最強となると違うんじゃないか
それでも趙なんかの防戦メインの名将達よりは間違いなく上だと思うが

731 :
白起と韓信の間にいる名将となるとやはり王翦かな
楽毅とどちらが上だろうか
平定戦を成功し切っている点からして王翦だとも思うが、それは秦軍あってこそでもあるからな

732 :
個人的に秦統一以前と以後で同一に語って欲しくないな

733 :
時代毎となると、??→白起→韓信(or項羽)→霍去病(or衛青)→劉秀(or馮異)→班超→曹操→??、かな
班超は要らんか

734 :
田中芳樹の中国名将100選より
何故この人が? という武将もいるけど、最強候補の叩き台くらいにはなるかと
流れ的に放っておくと、三国以前の話しか出ないような気がしたので一応挙げておく
春秋:孫武、伍子胥、范蠡、趙襄子
戦国:呉起、孫臏、楽毅、田単、廉頗、趙奢、信陵君、李牧
秦朝:白起、王翦、蒙恬
楚漢:項羽、張良、韓信
前漢:周亜夫、李広、衛青、霍去病、趙充国、鄭吉、陳湯
後漢:ケ禹、馮異、岑彭、馬援、班超、曹操、関羽、周瑜
三国:司馬懿、陸遜、ケ艾
両晋:杜預、王濬、陶侃、祖逖、謝玄
南北:檀道済、韋叡、楊大眼、斛律光、蘭陵王、蕭摩訶
隋朝:韓擒虎、劉方、張須陀
唐朝:李靖、李勣、秦淑宝、尉遅敬徳、蘇定方、薛仁貴、王玄策、裴行倹、高仙芝、郭子儀、李愬、李克用
五代:王彦章、周徳威
両宋:曹彬、楊業、耶律休哥、穆桂英、狄青、宗沢、岳飛、韓世忠、宗弼(兀朮)、虞允文、孟珙、完顔陳和尚、張世傑
元朝:伯顔(バヤン)、郭侃、拡廓帖木児(ココテムル)
明朝:徐達、常遇春、姚広孝、鄭和、于謙、王守仁、戚継光、袁崇煥、秦良玉、鄭成功
清朝:多爾袞(ドルゴン)、明亮(ミンリャン)、楊遇春、李長庚、関天培、僧格林沁(センゲリンチン)、李秀成、石達開、劉永福

735 :
正直張良は将軍じゃねぇだろと思う
田中の挙げた条件って
・中国人のアイデンティティを守った
・略奪をしなかった
みたいな良く分からん条件だったし
まぁ項羽は名将だよね
秦との戦いでは連戦連勝、劉邦との戦いでも連戦連勝、韓信も二度破ってる

736 :
>>734
Thanks
ちなみに武成王廟からそれに追加すると、この辺も入る
春秋:管仲
楚漢:曹参、彭越
後漢:呉漢、耿エン、寇恂、賈復、段ケイ、皇甫嵩、張遼、張飛、呂蒙
三国:諸葛亮、陸抗
両晋:羊コ

後漢大杉
劉秀と曹操って時代分けるべきな気もするんだが…

737 :
あ、春秋は司馬穣苴もだな

738 :
>>734
この板で昔議論した百選の方がずっと妥当だと思うけどなあ
保留が結構多いけど、甲乙つけがたいゆえの保留だったし
ttp://www36.atwiki.jp/chinatiku/pages/31.html
三国からはケ艾のみというシビアな選定だったのに意表突かれたわ

739 :
>>738
>>734は議論の叩き台として挙げただけで妥当性は特に問題にしていない
そして妥当だと思うならその百選の方を名前リストで貼ってくれ
リンク見たけど結局100人が誰なのかわかりにくかった

740 :
>>739 コピペ
春秋戦国 其ノ弐>>623
 【確定】
  楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾
 【候補】
  士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王
統一秦〜前漢 其ノ弐>>831
 【確定】
  韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定)
 【候補】
  劉邦、曹参、彭越、鄭吉
新・後漢 其ノ参>>171
 【確定】
  劉秀、馮異、樊崇、耿弇(エン)、呉漢、班超、段熲(ケイ)、馬賢、曹操
 【候補・議論中】
  岑彭、周瑜
三国〜両晋 其ノ参>>169
 【確定】
  ケ艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪
 【候補】
  陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔
南北朝 其ノ参>>278、284
 【確定】
  劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋Z(トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶
隋・唐 其ノ参>>468、475
 【確定】
  楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明
 【候補・議論中】
  李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替)
五代〜北宋・遼 其ノ参>>786
 【確定】
  李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆(チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光
南宋・金〜元 (其ノ四>>278
 【確定組】 9名
  宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、伯顔(バヤン)、トゥルイ、阿朮(アジュ)、速不台 (スブタイ)、察罕帖木児(チャガン・テムル)、
 【候補】
  海山(カイシャン)、張弘範、郭侃、阿里海牙(アリハイヤ)、李庭芝、忽必烈(フビライ) 、
  完顔宗弼(ウジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、張俊、呉カイ、呉リン、劉リ、虞允文、
  李顕忠、楊存中、僕散忠義、徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ)
  劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥
明 (其ノ四>>544
 【確定組】
  徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳
 【候補】
  陳友諒、方国珍、湯和、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁、拡廓、呉三桂、李自成、
  鄭成功、馮国勝、張輔、邵栄、秦良玉、胡深
 【資格あり?】
  拡廓帖木児(ココテムル)
清 (其ノ四>>749
 【確定】
  洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン)、楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、左宗 棠、
  石達開、劉永福
 【候補】
  岳鐘キ、阿桂、兆恵、明亮、宋景詩

741 :
こうやってリストが複数あると見比べられてイイね

742 :
私的最強武将選出
春秋:孫武
戦国:白起
秦漢:韓信
前漢:霍去病
後漢:曹操
三国:ケ艾
両晋:慕容恪
南北:斛律光
隋唐:李靖
ん〜、韋叡も入れたいけど…
恪は垂でもいいかも
異論は認める

743 :
また懐かしいレスきたな。

744 :
春秋以前の最強は太公望でFA?

745 :
>>742
これがかなり的をついてると思うな
春秋以前は記述不足すぎて決める必要無いと思う
あえて選ぶなら太公望だろうけど

746 :
>>742 が良い感じの叩き台になるかな

747 :
>>742
五代、宋、元、明、清は?

748 :
唐以降は意見述べられる人が少なさそう

749 :
五代は生涯不敗の李存審か、後漢に曹操が入るなら、柴栄か。

750 :
唐より後は岳飛や戚継光みたいな日本で知られてるやつしか知らないなぁ
この二人は時代最強って感じではないし
そもそも唐より前は >>742 でいいのか?
もっと異論が出ると思ったのだが…特に晋から南北

751 :
>>742
前漢は周亜父を推す
たった一戦だが、決定的な一戦
戦国以来の東西対立が解消され、また郡国制から中央集権体制へと移行する画期にもなっている
(本人は酷吏を嫌っていたようだが)
戦争目的と戦術が合致しており、結果も伴っている
訓練精到であり規律も正しい、司令官としてするべき自己主張はしっかりする等
太尉として申し分ない人物、口の悪さを除けば
と言うか霍去病みたいなボンボンで兵卒と生活を共にできないタイプはちょっと……
(人気あった理由が共感できない、対匈奴戦争が上げ潮の時期だったから許容されたとしか思えん)

752 :
>>742
後漢は劉秀以外誰を挙げても厳しいような……
曹操は傑物だが時代区分で損するよな
・後漢の場合:劉秀と比較される
・後漢末〜魏晋の場合:東晋期まで含めると必然的に五胡十六国の名将たちと比較される

753 :
霍去病の活躍の土台は文景の遺産、武帝のバックアップ、衛青からの流れって側面もあるよね
長生きしたらどうなっていたかわからんが、あまり良い想像は個人的に出来ない
名将というと周亜夫の方が良さげかも
三国志で曹操が徐晃の陣営を褒めて「周亜夫の風韻がある」と言ったように、後世で規律正しい名将の代名詞となっているのも評価点
ただ"最強"というイメージはあまり無いかもしれない…

754 :
劉秀はネットで過大評価されてる代表みたいに言われてるし、触れたくない存在w
狂信者がいるんだもん。
てかこのスレって皇帝になった人も範囲内なの。

755 :
>>742
三国の場合杜預もありかと
と言うか三国は末期に固まるよな
両晋は各段階でそれぞれ最強がいるから評価しづらい
 戦術:慕容恪次いで冉閔
 戦域:王猛次いで石勒
 戦略:石勒、淝水限定で謝安・謝玄コンビ
慕容恪を推したい気持ちは分かる、中国史最強に推しても良い人物の一人だもの
でも石勒の反則的なまでの凶運と鬼謀も捨てがたい

756 :
>>754
皇帝もありだろ
劉秀の戦績自体は十分に歴代最強の一角
狂信者がいたらダメってのは意味が分からん
ただ、戦略的に後手に回ることが多いのが難点(性格上おっとりしすぎなんだろうな)
劉邦ほどの強烈な目的意識を持ち合わせていなかったのが天下統一が遅れた理由だと思う

757 :
>>752
五胡十六国の名将と比べたら曹操が頭一つ上と思うぞ
特定分野で曹操より上の人物は幾人か思い付くが
後漢は大樹将軍が好き
でもやっぱり最強は曹操かな、あくまで個人的な意見として

758 :
耿弇も捨てがたい。
「韓信以上の功績である!」だし。

759 :
>>742
で、最後に南北朝は韋孝寛かな
情報戦では後の時代まで含めても最強
中央がゴタゴタしているときでも諜報網を維持し続けて、いつでも北斉を滅ぼす準備をしていた
ってあたりは本当に軍事バカだと思わされる
献策を宇文護に退けられても腐らないで任務遂行に努力を惜しまなかったり
玉壁での驚異的な粘り強さと言い、攻防謀略何でもアリなところは全時代通しても韋孝寛以外
いないんでないかな
斉公憲も捨てがたいんだけどね

760 :
>>757
曹操の場合戦術レベルは神だが
戦域レベルになった途端いきなり大荒れするからな(赤壁が有名だが漢中も怪しい)
大軍の運用がお世辞にも上手とは言い難い(と言うか曹操の兵制そのものが大軍での運用ができるほど
兵の質が良くないといった側面があるのが痛い、時代的な制約とは言え)
戦略レベルに至っては荀ケと喧嘩別れした時点で大戦略が崩壊したからな
(何であのタイミングで禅譲に色気出し始めたんだか)
劉備、孫権への舐めプ以外の何ものでもない
基本的に戦略上のミスを驚異的な戦術能力と強運で覆すタイプ

761 :
>>760
曹操は自分で全部司令官やって中原全土平定したのは凄いが、初めての河(赤壁)とか山(漢中)とかだと途端に弱くなるよね
孫子編纂からも分かるけど、自分の理論を実戦で試して経験を積まないと強くならないタイプ
毎年毎年戦い続けだし、天才ではなく秀才
中原での必勝法を確立するまでも、何度も負けてるし(その度に強くなって復活するけど)
大戦略を荀揩ノ依存してるのもその通り
ただ、中国史上最強の器用貧乏枠として、個人的には推している
文学専攻していた身としては特に思い入れがある人物…

762 :
>中国史上最強の器用貧乏枠
ここ数年で一番しっくり来る曹操評に吹いた

763 :
まず劉秀+雲台二十八将+馬援で将領として最強は誰なのさ

764 :
>>763
劉秀麾下最強はやっぱり馮異かな。
上位陣はどんぐりの背比べだけど、赤眉や延岑等が跋扈しカオス状態だった関中を
短期間で制圧した手腕は中々なものだと思う。
劉秀が絶大な信頼を置いていたケ禹ですら失敗した難事業だったし。

765 :
>>676
こんな所でムキになるほうがどうかしてるんだよ。
所詮はこのスレ内の幻想に過ぎないもの。
結局、誰が一番に落ち着いたところで何が変わるもんでもない。
仮想は仮想。
現実には何一つ影響もない。現実逃避の激しいヤツほどその差がわかってない。

766 :
少数を率いて無双した人間、という意味では呂布が最高なんじゃないの?
それを「名将」と呼ぶかと言ったら呼ばないし呂布は将軍としては強い方では無いと思うけど黒山賊との戦いは目を見張るものがある
明とか清とかの時代は知らんが中国史全部知ってる人はどうなん?呂布レベルで無双した奴いんの?
同時代には曹仁、張遼と少数で選果挙げた人間多いけど

767 :
項羽の彭城の戦いの例を挙げておく
3万の兵で56万の劉邦連合軍を撃破している
死者は数十万だとも言われている

768 :
いやそのレベルの少数じゃなくて数十騎とかそういうレベルの話
だから名将とか将軍としての能力とかとは別になると思うけど

769 :
じゃあ項羽が垓下の戦いで敗れて28騎で敵陣を突破した例を挙げておく
28騎になった兵を7騎ずつに分けて漢軍に突撃して
漢軍の都尉を討ち取り兵士90人ほど討ち取った
突撃が終わって項羽の下に戻ってきた者は26騎だったという

770 :
うんそういう例を挙げて欲しい
ただそれは司馬遷が項羽の死を美しく脚色するために用いた文学表現も入ってるだろうから呂布は越えないと思う。
もちろん比較対象にはなるけど。

771 :
慕容恪 二千騎で少なくとも十万は数える後趙遠征軍(武帝石虎の親征軍)に襲撃を仕掛け三万を超える首級を挙げる
    さらに数か月後、後趙の段遼討伐軍三万を七千騎で迎え撃ち、その60%以上を討ち取る
    精鋭騎兵を率いての武勲には事欠かない、敗戦は数えるほど(最終的には勝ってる)
冉閔 宮中で一か月間足らずの間に三度も暗殺の憂き目に遭うが(護軍や領軍による襲撃も含む)そのことごとくを撃退、大した兵力もなしでw
   一千余騎で七万の後趙軍を攻撃、撃破、首級三千以上
   数十万を超える兵力を有する後趙地方軍による包囲網を撃滅し、その兵力を吸収、三十万の手勢を率いて凱旋(出発時はたしか十万ぐらい)
この化け物二人が激突するのが魏昌郡の廉台の会戦、たぶんこいつら人間以外の何かだと思う
慕容恪の場合、生前は立ち向かえる人間がいなくなって敵国では「死ぬまで待とう」戦略が採られるほど

772 :
前燕と冉魏の激突は五胡のハイライトの一つ
その後に、桓温北伐とか、符堅の華北統一→淝水の歴史的大敗北とか見どころ満載
統一に関わってこないので中国史全体から見たら高評価にならないかもしれないけど、
調べて本当に楽しい時代

773 :
>>767
その戦が凄いのは項籍が策源地域(作戦基盤・兵站の拠点)である彭城を失陥した上で
圧倒的な兵力差をひっくり返して勝利していることだと思う
農民反乱とか遊牧民を除いて、こういうケースで勝てた人間を他には知らない
>>768
それだと劉裕が指揮官一人で賊軍撃破しているぞ
孫恩の乱の際に、中級将校だった劉裕は数十人の部下とともに指揮官偵察に出かけた際に
敵兵数千と遭遇、早々に部下は全員戦死
孤軍奮闘していた劉裕が一人で撃退、もはやギャグ
「気が付いた時には周辺は死体だらけでした」って心神耗弱っぷりをアピール

774 :
>>770
何故呂布側にも誇張があるという発想に至らないのだろうか…
ちなみに倍率が同じなら規模が小さくなるほど寡兵に有利なんだが意外と逆に捉えてる人が多い

775 :
>>772
東晋十六国の戦争は、いろんなタイプの将軍が激突するから面白い
桓温みたいに「勝てる勝負しかしない」人間もいれば、博打大好きな叔父謝安に引っ張られて
大博打の決戦に挑まされる謝安みたいな可哀そうな人間もいる
慕容兄弟なんて、政治専門の太子、最終兵器の四男、ちょっと人情薄いけど不敗の五男、才気煥発
若干狡っからい末っ子(そしていつも忘れられる慕容徳)みたいな感じで賑やかすぎる
きっちり頂上決戦するから、三国志ほどフラストレーションもたまらない

776 :
>>774
うんだからその誇張具合の話だろうが。
項羽の場合は側近と共に死期に奮闘した。
呂布の場合は数十騎で賊を平定した。
項羽は勝ってないわけだから「○○人を斬った」みたいのは誇張の可能性あるよね。
呂布の場合は数万の賊相手とあるけどそれが誇張だとしても数千程度の敵を追い返してるわけだよね。

777 :
>>775
謝安が二人いてワロタ。
一人無双といえば、五代の夏魯奇もいるな。
偵察に出てた李存勗が後梁の包囲にあって血路を開いたっていう。
有名なのは一人で二人同時に相手したっていうやつだけど上にあったわ

778 :
>>777
後者の方は謝玄のミスですわ
毎度この手のスレでは一発屋扱いされるけど普通に名将だと思います
淝水の戦いの際の状況判断が一々神掛かっている
・ 朱序から「苻堅の戦闘準備、まだできてないよー」と言われたら、迷わず前秦の別動隊であった
 梁成を殲滅、返す刀で寿陽に進出(内戦作戦による各個撃破)
・ 早ければ早いほど決戦には東晋の方が有利として苻堅を挑発、決戦に持ち込む
 (防勢戦略なので無理して決戦しなくてもよかったが、今しか前秦を撃破できる機会はないと
  戦機を喝破)
・ 決死の正面突破で前秦を撃破、飽くことなき追撃の断行による前秦の軍事力減殺
自国の興廃がかかった一戦で、冷静に戦況の推移を判断できる能力は凄い
呉なんて丞相張悌自ら自殺的に敵軍に突撃している始末……

779 :
劉整も12人で城落としているから少人数無双にランクインだな

780 :
>>778
一発屋とかほざくやつなぞ無視で。
思うに会戦のあった前後の情勢を鑑みず規模や印象だけで言い放ってるんじゃないかな。

781 :
時代区分のせいで不利なのは郭子儀とかもだな…

782 :
>>776
統一王朝の正規軍相手と賊相手で誇張しやすいのはどっちだ、と言うこともできる
誇張の程度まで考え出すとキリがないと思うよ
とりあえず史書は信じるとか、単純に勝ち負けだけみるとか基準決めとかないと

783 :
王翦よりは楽毅だろう

784 :
強さなら楽毅よりは白起だろう

785 :
なぜそうなのかの理由が書かれないのは、ただの怠慢かw

786 :
結果論だけど簡単に説明すると
白起の領土拡大は始皇帝の統一に大きく貢献した
斉の70城制圧は田単にいとも簡単に取り返されて燕はまた小国に戻ってしまった
戦時中に仲の悪い太子が王に就いたことが原因とはいえ
二年掛けても落とせなかった辺りも含めて白起の方が戦場では強いといえる

787 :
>>786
一司令官である白起と軍事の大権を委任された楽毅は権限が違うから何とも言えんわ
楽毅は外交にも携わっており、五か国連合の立役者でもある
そういう意味では戦略能力は白起よりははるかに高い(白起は実績すらないから)
また、一国を滅亡に追い込む手腕を評価するのであれば、王翦こそ戦国最高の司令官であり
楽毅、白起はそれに次ぐが甲乙つけがたいと評価するのが筋(楽毅は臨淄、白起は郢を攻略しており
功績は同等、落とした城数の多寡は両国の国力差を鑑みれば、かならずしも白起が優位とは
言い難い)
斉が燕や宋を滅亡に追い込んだあたりから戦国期の統一レースに拍車がかかったわけだから
実は斉湣王政権こそ戦国最強だったんじゃねーかな、と思えなくもない、時代のパイオニアとして

788 :
いずれにせよ、楚漢争覇以前の最強候補は、楽毅 白起 王翦の三人って事よね

789 :
これに限らず、重視する要素で評価が変わるからどうしようもないんだよなぁ
20選くらいでぼんやりまとめるのでギリギリか

790 :
正直100選ですら悩ましい議題をたった一人に絞ろうということ自体に無理があるんだろうけどなw

791 :
20選くらいなら、>>742 で各時代1人ずつで9人が選ばれてるから、それぞれあと1人ずつ程度追加すると良いんじゃないのかな
唐までになるけど

792 :
>>788
王翦は微妙
本人じゃなく秦が強かっただけ
と言うか孫武や司馬穰苴どこ行った

793 :
というか70城を一瞬で落としたのに田単がいる城だけ都合よく何年も落とせないのはおかしい
連合軍と斉軍による戦闘が予想以上に激しく斉の主力が大破されてて斉軍が敗残兵をまとめる前に兵がいない斉本土を縦横無尽に駆け回っただけでは?
もしくは連合軍と斉軍の戦いをスルーして脇から斉に入ってガラ空きの斉を奪っただけとか
どちらにせよ70城を落として2城に手こずるとおうのは当時の燕の君臣じゃなくても違和感覚えるよ

794 :
>>793
細かいところだけど、楽毅に抵抗したのは3城な
楽毅更迭直前に1城落ちてるから2城でも大きな間違いじゃないけど
普通は政略的な理由と結びつけて論じられる方が多いね
昭王でさえ楽毅を斉の王に封じようとしていたりするから、相当警戒されてたんだと思う
攻城能力がなかったのかも、という風に評するのは珍しい

795 :
勝手に一人ずつ追加
春秋:孫武・司馬穰苴
戦国:楽毅・白起
秦漢:項羽・韓信
前漢:周亜夫・霍去病
後漢:馮異・曹操
三国:ケ艾・杜預
両晋:慕容恪・慕容垂
南北:韋叡・斛律光
隋唐:楊素・李靖
絶対異論出るな(確信)
韋孝寛推しの人もいたし

796 :
>>793
史記の時系列に依拠するなら
連合軍(指揮官:楽毅)が斉軍主力を撃破
連合軍解散
燕軍単独で臨湽奪取
斉平定作戦(70余城を陥落)
作戦開始から5年を経て昭王薨去、楽毅電撃解任
基本的に戦国期の堅城は何年囲まれても持ちこたえることもあるし
(邯鄲なんて秦軍に囲まれて二年以上持ちこたえている)
即墨、莒の2城が落ちなかったのは、あんまり不思議でもない
そもそも燕は七雄でも下から数えた方が早いくらい国力は低い
作戦初期の快進撃は、斉の国家機能がマヒしている段階における
電撃的な攻略だったと予想されるが、楚の支援を受けた莒に対する城攻めは
典型的な攻城戦と籠城というパターンに持ち込まれてしまったがゆえに
長引いたものだと想像している

797 :
文字化けしているな
莒はキョね

798 :
>>795
杜預のキャリアハイは泰始律令制定、討呉の戦役だから、三国じゃなくて両晋のカテゴリに
入れるべきだと思う

799 :
>>798
呉平定戦までは三国の時代って感覚だったんだ
でもそうなると杜預は入らないな…
三国はケ艾だけでいいか
攻め込んで大功挙げた人物、他に思いつかんし
司馬懿の遼東平定くらいか

800 :
>>799
と言うか呉の陸遜、陸抗が三国を代表する名将みたいな評判になってるけど
両名とも地味だからなあ
国を疲弊させたけど姜維の方が良くも悪くも鮮烈だし

801 :
>>800
守るのは攻めるより簡単だし
陸遜・陸抗は中国史レベルとは言い難いよなぁ
守戦の名将なら魏の満寵もいるし
前にここの板で三国時代はケ艾だけって結論出たのは妥当と思うわ

802 :
大体三国時代って短いしな
三国志に伝のある優秀な将の大半は後漢時代の人間だし三国時代の人間でも杜預みたいに晋以降に功を挙げてる人もいるからそもそものエントリー数が少なすぎる

803 :
>>801>>802
昔の名将百選スレで、三国が両晋十六国と組まされた経緯まんまだな
>>795
両晋期だと慕容恪に次ぐのは石勒だろう
間接アプローチ戦略の権化であり、一度敗れた相手はキッチリ殺る復讐鬼
単純な勝ち負けだけでは評価できないゴキブリ並みのしぶとさを併せ持つ
慕容垂はいろいろと疎すぎる、機に臨んで出遅れて傷口広げる男
枋頭、参合陂とか出足の重さが目立つ
あと、周囲との余計な軋轢を生む性格も何だかなあ

804 :
三国までは誰が突出した名将か分かり易いけど、両晋の頃からは良くも悪くも個性的な連中が多いからなぁ

805 :
>>804
少し史書読めば「こいつは反則だろー」ってのはすぐに分かると思うけど
魏晋〜南朝の北伐した名将で陳慶之挙げる人は多いけど
実際は劉裕や桓温の方がはるかに軍事的成功を収めているんだよなあ
「寡兵で北伐して快進撃」という評価基準でいくならば、祖逖なんか
東晋からまともな援助もないまま南渡したわずかな手勢のみで石勒の後趙から
河南一帯を奪回しているし、生前は戦線を維持し続けた(陳慶之は作戦末期に
爾朱栄によりその戦果の大半を台無しにされてしまっている)
>>795で南朝側から韋叡を出しているけど、そこまで功績圧倒的ではないだろ
南朝代表であれば劉裕一択、六朝最大版図を築いた実績は誰も敵わんよ
(曹操、劉裕とか李克用は時代区分が若干面倒くさいとは思う)

806 :
後漢末は曹操が頭一つ図抜けているが、後漢全体で見ると
劉秀、馮異、岑彭、耿(エン)、呉漢、馬援の建国組や西域系の西域経営の班超、
対異民族戦線で耿秉、馬賢、段(ケイ)、皇甫規、張奐、黄巾鎮圧で皇甫嵩たちと渡り合わなければならない
地味に後漢は激戦区なんだよな

807 :
曹操は自分で中原全土平定してんだから後漢末どころか後漢全体でも頭一つ抜けてますわ
北狄も撃ってるし

808 :
江南の勢力に負けてるけどね。

809 :
春秋:孫武・司馬穰苴
戦国:楽毅・白起
秦漢:項羽・韓信
前漢:周亜夫・霍去病
とりあえずここまでは確定したのか?
戦国の王翦や前漢の衛青が誰かを押しのけて入る可能性は無し?

810 :
ついでに思うんだが、秦末漢初と前漢を分けてるのに、なんで新末後漢初と後漢を分けないのか?
光武帝と魏武帝ではかなり時代が違うぞ

811 :
>>807
江南で孫権、漢中で劉備に完敗してますがな
劉秀は曹操+αで天下統一してますから
地味だが皇甫嵩は黄巾の乱において反乱地域のほとんどに展開して鎮圧している上に
涼州においても反乱鎮圧で大活躍、曹操以上に八面六臂の働きです
>>809
各時代2枠って狭すぎるだろう
かつては百選の各時代(約200年スパン)10名ですら難儀したと言うのに
各時代の代表者選出であれば1枠で決めていった方がいい

812 :
>>811
劉秀はともかくなんで皇甫嵩が出てくるのか…
皇甫嵩が戦ったのは賊であって烏合の衆であり、曹操が戦ったのは基盤を持つ群雄達なんだが
曹操以上の活躍って…本気で言ってんのか? そもそも戦域も明らかに曹操より狭い
意味不明な曹操sageは高二病患者にしか見えないよ?
曹操批判してる俺って歴史詳しい!なノリなの?

813 :
各時代の代表者選出であれば
春秋:孫武(春秋最強国であった楚を滅亡寸前まで追い込む+軍事学の理論形成+呉の軍事基盤確立)
戦国:王翦(秦天下統一の立役者、白・楽と悩んだが最後は結果で評価)
秦〜前漢:韓信(趙、燕、斉の征討+軍事組織の構築・練成における類稀なる才能+劉邦の項羽右翼迂回戦略を認識しこれを完遂)
新〜後漢:劉秀(並み居る敵対勢力を武力をもって撃破し天下統一+将軍たちに委任し広範な戦域で同時に作戦展開)
三国両晋:慕容恪(精鋭騎兵による強襲打撃の名手+河北〜山東半島〜河南を平定+その生前は遂に敵国が侵攻を断念)
南北朝:拓跋Z(トウ)(華北統一+南朝宋を完膚なきまでに撃破)
隋唐:李靖(江南平定+突厥帝国撃滅+吐谷渾征服、あらゆる地形・気象を克服した名将)
五代〜北宋:李存勗(燕〜後梁〜岐〜前蜀を武力併合+耶律阿保機率いる日の出の勢いの契丹を撃退)
南宋・金〜元:トゥルイ(金平定時における金軍主力の撃滅+西方遠征における功績、まあチンギスハンありならチンギスで)
明:朱元璋(天下統一は当然だが、モンゴルの弱体化を喝破し北伐を繰り返して彼らを服属させ、北方の安定化を実現)
清:ここだけは決めきらん……
一名選出はやっぱ難しい

814 :
>>812
そもそも「全土平定」って平定できてないじゃん
後漢括りなら、劉秀に次ぐのは曹操っていう意見には反論しないよ

815 :
>>812
統一どころか明らかに格下の地方政権に連敗する曹操が最強とかどんな冗談w
三国だけじゃなく他の時代も勉強してから出直してきなボクちゃんw

816 :
煽り合いはやめんさい
>>813
南宋・金〜元は、南宋・金と元に分割した方がいいのでは?
モンゴルはまとめずに別枠扱いした方がいいと思う

817 :
というか「三国時代」って普通後漢末も入れるだろ
三国鼎立してからでは無く三国志に記述された人間が活躍する時代からが普通だと思うよ

818 :
>>817
三国鼎立から三国時代とする場合もあるし、最大で184年から三国とする場合もある
中国の中世の始まりである魏晋南北朝時代を考慮するならば、三国鼎立で切るのが収まりがいい
時代区分の定義からやり直すか?きっちりかっちり時代区分表に則って
春秋 B.C.771 - B.C.403 (369)
戦国 B.C.403 - B.C.221 (183)
統一秦 B.C.221 - B.C.207 (15)
楚漢戦争 B.C.207 - B.C.202 (6)
統一前漢 B.C.202 - 8 (215)
新 8-24 (17)
後漢 25-184 (160)
広義の三国 184 - 280 (97)
統一西晋 280 - 317 (38)
東晋十六国 317 - 420 (104)
劉宋〜南北朝 420 - 589 (170)
隋 581 - 619 (39)
統一唐 618 - 907 (290)
五代十国 907 - 960 (54)
北宋・遼(金) 960 - 1127 (168)
南宋・金(元) 1127 - 1279 (153)
大元ウルス 1279 - 1368 (90)
明 1368 - 1644 (287)
清 1644 - 1911 (268)
やっぱ、「広義の三国」だけ浮くな

819 :
偏見かもしれないけど、治世の名将が挙げられるのが少ないなら
わざわざ秦統一とか楚漢戦争とかで区分する必要あるのかなあとか思う
中国一強がデフォルトで外交の成果が軽くなりやすい中華世界では
多大な戦果を挙げる=領土が大きく変動する→乱世の統一戦で活躍した将軍、なのかなあと
南北朝や宋代で異論は出ると思うけど

820 :
広義の五代十国ってのもあるんだが、唐懿宗から北宋真宗期まで・・・いやなんでもない

821 :
あ、広義じゃないな。
広域だな。
後漢晋初を含めた三国時代に対応する場合

822 :
>>820
北宋いらなくなるわw
ただでさえ軍事的に低調なのに……
柴栄を何とか入れれないものか(でも、李存勗と比べられるのは厳しい)

823 :
北宋時代は経済発展と人口爆発の黄金期だから、軍事が注視される資料は少ないな。
その中で生え抜き(言葉通りだが)なのは、やはり対西夏と内乱鎮圧で功績挙げ、貧民から
枢密副使にまで上った狄青くらいなもんか。
漢の衛青に似てるわな。

824 :
>>813
戦国は呉起もエントリーされないかなぁ?
軍事の才は司馬穰苴よりも上と称えられ、王翦、白起のように強兵で格下と渡り合うのではなく、自ら強兵を作り上げ、格上の秦を叩き生涯戦場で七十余戦無敗という点を評価して。
確かに残した戦争でのスケールは、背景となる国の規模や当時の国家指針もあるから両者に遠く及ばないが、その将たる才能の凄まじさでは両者に決して引けをとらない存在だと思うんだけどな。

825 :
>>822
軍事だけを取ってみると、五代全体を通じては李存勗になるのは仕方ない。
軍事的才幹というか、その性格は「唐太宗の風あり」と、とある研究書にも書かれているから異論はないでしょ。
政治政略など含めトータルで見たら柴栄が断然上だけど。
三国では蜀を下したケ艾が上で取りざたされたけど、五代後唐では誰か。
郭崇韜といいたいところだが、ここは前線指揮官の康延孝が対応するだろう。
しかし三国蜀漢では姜維という百戦錬磨の武将がいたので、ケ艾の武勲も相対的に上がるが、前蜀はそのような
将官はおらず、命運をかけた会戦も一度で決した。
もっとも一方的な快勝だったので、康延孝のマイナス評価となることなどありえないが。
その後、「四川に攻め入った将帥は不遇の最期を迎える」ジンクスにより、郭崇韜は誅殺、康延孝は謀反をしてしまう。
で、その前蜀平定戦で完勝を収めた康延孝を伐ったのが、魏王付きの文官、任圜。
任圜は、康延孝謀反で荒れる四川の地で、老弱兵を率いて討ち取ったという、ちょっとおかしな文官。
なにが言いたいかというと、任圜サイコー

826 :
>>809司馬穰苴って実績は微妙じゃない?
司馬穰苴よりも鄭の荘公、斉の桓公、楚の荘王の方がまだ実績があると思う

827 :
春秋に范蠡を候補に入れていいと思う
司馬穰苴や孫武は兵法家としては優秀だけど将軍としてはこちらの方が優れてると思う
范蠡は孫武を一度破ったわけだし、勾践を春秋五覇者に仕立てたという功績もある

828 :
あぁ、范蠡は確かに凄いよね。
ここでは関係ない要素だけど身の引き方とかもスマートだし。
色んな時代のを絞るのは本当に難しいな。
既にみんな挙げてるけど、俺なら
・呉起
・白起
・韓信
・劉秀
・李靖
かな?
他、王翦とか楽毅とか田単とか李勣など捨て難いのたくさんいるんだけどね。

829 :
孫武は将軍より兵法家で実績があるから有名になってるわけで
将としての強さなら范蠡の方が上手だと思う

830 :2013/10/24
同じくそう思う。
まぁ多少良いとこ取りされてるかもだが、范蠡はやることなすこと全てピンポイントに真理を見抜いてる感じ。
孫武の将としての部分は…よく分からんw
烈火の如き闘将・伍子胥の良き相方ってくらい?
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