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□ □大唐英雄列伝□ □


1 :2006/10/26 〜 最終レス :2013/10/23
唐朝の建国から滅亡までに、現れては消えていった武将や豪傑など、数々の英雄たちを語りましょう。
隋朝末期の戦乱、高祖李淵、太宗李世民の統一戦争に従事した、李靖、尉遅恭ら建国の二十四功臣。
唐朝中葉期には、西域での戦いで功績を上げた高仙芝、大反乱を起こした安禄山を初め各地に割拠した節度使。
そして唐朝に致命傷となる打撃を与えた黄巣、次の五代への時代の扉を押し開いた朱温、李克用等、
唐代には英雄と呼ぶに相応しい人物がたくさん登場しました。
彼らを大いに語りましょう!

2 :
高仙芝は高麗人、安禄山はソグド人だったようだし、
唐朝は漢民族以外の異民族も積極的に登用していたから、国際色豊かだよね。
華やかさがある。

3 :
まずは隋末戦乱期の英雄にして、唐朝建国の功臣、
庶民にも親しまれた英雄である尉遅敬徳と秦叔宝を推薦。

4 :
いや、推薦じゃなく語るんでしょ。
ここがすごいと思ったことを書くべし!
で、自分は河間王李孝恭がかっこいいと思う。
唐室李氏の縁戚で、隋末唐初の群雄群盗大乱舞期では、主に四川〜荊楚の平定を担当。
部下に古今名将李靖を持ち、中原で鹿を追っている李世民を横目に見ながら華南を転戦。
李靖とのコンビもなかなか良好だったようす。
後年には李世勣も加え、江南の平定を成し遂げた。
自身は豪放磊落な性格で遊び心のある人。しかし傲慢にならず功績を誇ることもなかった奥ゆかしさもあった。

5 :
誰か詳しい人凌煙閣二十四将全員の名前を教えて下さい
お願いします

6 :
テンプレもってる…w
長孫無忌、李孝恭、杜如晦、魏徴、房玄齢、高士廉、尉遅敬徳、李靖、蕭ウ、
段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、
虞世南、劉政会、唐倹、李世勣、秦叔宝

7 :
凌烟閣
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E7%83%9F%E9%98%81
房玄齢、杜如晦、長孫無忌、魏徴、尉遅敬徳、李孝恭、高士廉、李靖、蕭瑀、段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、
長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、虞世南、劉政會、唐儉、李勣、秦叔宝

8 :
>>6
一生懸命入力しているうちに、先越されちゃったw

9 :
>>6-7
おお、早速ありがとうごさいます!
それにしても錚々たるメンバーですね
自分が好きな雲台二十八将の面々と比べるとすごい個性的な人物が多いですね

10 :
あれ、ユニコード対応した?
テスト 「鄴都」

11 :
>>6>>7
柴紹の代わりに平陽公主入れたら?w
>>10
最近、対応したと聞いた。

12 :
郭子儀を忘れちゃいかんな。
史上屈指の名将だ。

13 :
薛任貴も有名、物語などで民衆にも親しまれた英雄。
太宗李世民の高句麗討伐で頭角を現した武将。

14 :
大唐五大英雄
尉遅敬徳
秦叔宝
薛任貴
高仙芝
郭子儀

15 :
>>12
極西の神人の御先祖様か

16 :
>>14
高仙芝は功績も大きいけど、有名な二つの戦いで負けたし、
敵前逃亡罪という軍人にしちゃ一番恥ずかしい罪名で処刑されちゃったからな。

17 :
逃亡の罪への罰なら受けよう
金品物資を横領したというのは
冤罪だ!

18 :
尉遅敬徳の「尉遅」はやはり異民族系の姓なの?

19 :
鮮卑系の姓だったと思うよ。
漢人化したけど。
他に、慕容とか、長孫とか、宇文とかね。

20 :
名もなき英雄たち

21 :
唐代後半期には、反抗する節度使の討伐に功を上げた武将もいるよね。

22 :
憲宗の節度使討伐がもっとも熱く、有名。
憲宗は父、徳宗期に楊炎の進言から実施された両税法による、国家財政の建て直しおよび藩鎮抑制の効果を基に、そして拡充した禁軍、神策軍をもってまず
西川節度使(使府は成都)の劉闢(りゅうへき)をはじめ、夏州、滄州、潞州、易州、蔡州を鎮定し、朝廷に服属させることに成功。
さらに青州の強大な領土を三分割させ、汴州を下し、いよいよ安史の乱以降、藩鎮の兵乱の患部ともいうべき、反側の地である幽州、恒州、魏州のすなわち、河朔三鎮の仕置きにかかった。
魏博天雄軍の強兵を率いた田氏を伐ち、河朔三鎮にくさびを打ち込んだところで、憲宗は燃え尽きた。
次の穆宗の代になって、恒冀成徳軍、幽州盧龍軍の従属化にこぎつけ、唐へと服属させ平定された。
ただし、表面上。

23 :
河北の節度使連中が、一番強力だったらしいね。
安史の反乱軍の直系だったから。

24 :
>>23 河北のその三藩鎮は五代初期の軍乱にまで影響をもっている。
その中で、魏州はこの頃も強兵を編成していたけど、そのだいぶあとの五代の梁×晋争覇の折、魏州の強兵・銀槍効節都(唐のときとは違うものの、伝統は受け継いでいる)を率いた節度使が晋に付いたことから、戦略的に不利だった晋が、梁に優越するようになった。
それくらい影響力をもった地域だったのだ。

25 :
唐朝の最盛期、実は武則天の治世。

26 :
だが周朝

27 :
儒者はなかったことにしたがっているけどね、周朝。
史実じゃないけど、中井貴一が出ていた天地英雄という映画、
舞台が唐代。

28 :
薛任貴だな。
薛家将という物語にもなっている。
何より、絵になる。

29 :
薛仁貴だ罠。

30 :
それにしても隋末〜初唐の江南、湖北〜湖南(荊州とも言う)の群雄って激弱だな。

31 :

マイナーだが、徳宗時代の藩鎮戦争もけっこう面白い

32 :
>>30
元末の群雄なんかとは大違いだね。

33 :
まだ江南の開発が十分に進んでいなくて、依然として天下の中心は、
中原だったんだね。

34 :
単雄信だっけ。好漢グループのアニキだったのになんだかんだで敵対しちゃってカワイソス。

35 :
>>30
なんだと、貴様!
楚の闞稜や王雄誕の武勇を知らぬのか。
両刃の名刀「拍刀」を持ち、一気に数人を殺したという闞稜。
膂力絶人の「小将軍」王雄誕。
両名の武勇を知らぬぬしなどに、隋末江南を語られたくないわ。

36 :
李孝恭が強すぎたんだな。

37 :
唐の李孝恭・李靖が強すぎたとか、江南が弱すぎたとかではなく、
最大勢力の蕭銑があまりにも組織として烏合の衆だったせいだとおもう。

38 :
南風競わず。

39 :
>>27
ああいう、辺境で散った無名の英雄というものは結構いただろうな。

40 :
>>35
その語り口調、客観的に読んで自分で痛いと思いませんか?
まぁどーでも良いですけど。
ちなみに>>30では無いです。

41 :
>>40
>>30

42 :
>>41
オマエって野暮って言われない?w

43 :
>>40
痛き煽り有らば、更に痛き煽りを以て應ず可し。之れ二ちゃんの禮法なり。
有痛煽,可應以更痛煽。之二張禮法也。

44 :
高仙芝ももっと早く死んでたら、
名将として後世に名を残しただろうな。

45 :
>>44
けっこう問題のある人物だけど最後は哀れだな
それにしても玄宗の後半の落ちぶれっぷりはまるで別人だな

46 :
若い頃なんか、行動力もあって颯爽としていたのにね。
楊貴妃に会う前に死んでいたら、名君として名を残しただろうね。

47 :
治世の長い人物にはよくあるよな
梁の武帝も然り
皇帝職てのは月並みだが大変なんだろうな

48 :
そうか、蕭衍も晩年政治を乱して亡国の禍根を残していたんだっけか。
李隆基はひとりで名君と暗君をやってのけたわけだけど、その名君のときに整備された地盤と、彼の後継者に結構有能な皇帝たちが立ったおかげで、のち100年以上も生き延びることができたんだけど
それは王朝にとって幸だったのか不幸だったのか…

49 :
若い頃の玄宗が有能な皇帝だったことは否定しないけど
「名君のときに整備された地盤」というなら玄宗よりも武則天の功績じゃないかなぁ。

50 :
そりゃ武則天の功績を否定はしていないよ。
だけど、なにもかも先人の業績というんじゃ、実際に最盛期を演出させた玄宗とその臣下に失礼だろうと思う。
科挙によって、これまで中央進出など望むべくもなかった地方からの受け口を広くしたのは武則天なので、そういうところで彼女の功績も無論大きいと言える。
しかし、実際に張説や張九齢、あるいは宇文融などを使ったのは玄宗なわけだし。
その点、名君としていいと考えるよ。 で、そのあと李林甫… はまだいいとして、楊国忠、安録山を重用したのもまた玄宗、ということで名君暗君一人二役という結果に。

51 :
>>50
だから、>49は否定していないでしょう。否定しているのは「名君のときに整備された地盤」
の部分。
玄宗って、漢の武帝のように前代の蓄積を背景に事業を行うというタイプの君主だと思う。
逆に言うと、そういった国力の蓄積という地味で重要な仕事はしていない。

52 :
確かに漢の武帝、唐の玄宗、清の乾隆帝あたりはそういう点で似たようなタイプかもしれんなぁ

53 :
安録山と董卓がちょっとだぶる

54 :
>>53 意外といいかも。 どっちも百貫デブだし。
しかし、安録山のほうが巨大かな、人物として。また郷里の英雄として。

55 :
董卓も結構人柄がよかったかもね

56 :
安禄山の名前はアレクサンドロスですか?それとも安ルーシャンですか?
誰か答えてみんしゃい。

57 :
安禄山ってソグド人だし、濃いい顔してたんだろか

58 :
そりゃもちろん。
颯爽としたイケメン











百貫デブだったらしい…

59 :
百貫デブなのに胡旋舞踊れたなんてすごいね

60 :
よく見れば、おれ「百貫デブ」を連発しているな… >>54 >>58
安録山になんか恨みでもあるんだろうか。

61 :
>>59
胡旋舞を見に行こうと誘われて、エキゾチックな胡姫の舞を期待して行って、
安禄山が踊っていたら複雑だな・・・

62 :
>>61 もしかして玄宗も、それで度肝を抜かれた??

63 :
玄宗と安禄山の胡旋舞
衣装は肌の露出が多い衣装で

64 :
>>60
百貫デブはともかく、垂れた腹の肉が地についたって言うしなあ・・・
これは誇張であったにせよ、
まあ、一度見たら忘れられない姿をしていたんだろう。

65 :
楊貴妃からは気に入られていたみたいだね、安禄山
おっさんを可愛がるってかなり不気味だけど

66 :
そのピザデブ振りが、かなり滑稽で面白いって事で気に入られたらしいですよ。

67 :
安禄山は楊貴妃に欲情は感じていたんだろうか。

68 :
唐代の美人はふっくらぽっちゃり系なんだってね。
・・・肉弾戦だよなあ・・・

69 :
大陸で爆発ヒット中のチャン・イーモウ監督の最新作「黄金甲」は、
唐代の美女を表すために、巨乳女優をたくさん集めたらしい。

70 :
唐代の踊り子の人形(今で言う美少女フィギュア?)なんかはアラブ系っぽい柳腰だったと思ったが、ムネはどうだったかな・・・

71 :
唐代の美女と言えば、
一つに連想されるのは、楊貴妃を含めた、グラマー系美人、
もう一つは西域からやって来た胡姫

72 :
梅妃がいるじゃんか。
スレンダーバデーの。

73 :

晩唐から五代十国には、日本の戦国時代に似たイメージを持っているが
日本の畿内のように軍閥以外の宗教勢力、一揆みたいなものは
生まれなかったんだろうか?

74 :
あんまり聞かんねー
マニ教系とかは、何してたんだろ

75 :
武宗の廃仏が効いているのかな?
寺社はその当時、荘園貴族真っ青なほど優雅なお暮らしをしてたし、それなりに自衛集団はいたそうだ。
抵抗勢力とまでは行ってないと思うが(そこは詳しくみていないから知らないだけか)、世の弊害の片棒であったことは疑いない。
だからこその後周世宗の仏教整理なんだろうが…

76 :
宗教勢力によって引き起こされる戦乱ってのは中国史上たくさんあるけど、
この時期はあまり目立ったものがないね。

77 :

日本の室町時代の近畿地方の面白さは、武家権力の狭間に
朝廷、幕府、寺社の権威を結びついた民衆勢力がわり込んでいるところだと思う。
一方、晩唐や五代には、そういうものの存在が目立たないように思う。
晩唐や五代は、むしろ関東や九州の室町時代に近いと考えればいいのかな。

78 :
室町について詳しくないからわからんが、唐末の藩鎮体制は日本の大名に置きかえてみることもできると思う。
本来節度使は、地方の統括を任されたものだったけど、兵乱・民衆反乱に続く黄巣の乱によって、中央の管制を受け付けなくなった。
その節度使は、地元民との結びつきを強め、割拠状態に至る。
三国以来の都督制と違い、民政・徴税の権を有していたので、独立国とみれる。その節度使同士が領地を削りあうわけだから、日本の戦国期に似ている。
また、藩鎮の有力兵士が節度使を武力で打倒し、取って代わる下克上が行われるところも。
唐末五代での特筆は、それまでの貴族支配から、下層民出身者が政治に関わるようになったところ。
そのころの有力者は、山東や関隴系とかの名門ではなく、没落した農民たちを労働者として取り込み、大土地を所有した新興の地主層となった。
また、藩鎮兵士や幕僚には、節度使に人事権が一任されていて、好きな人物を登用できることから、貧民出身者や家内奴隷、盗賊などの類まで、政治に関わるようになった。
全国の唯我独尊的な人物たちに、小なりとはいえ地方割拠のチャンスを与えてしまったこの時代は、統治機構の崩壊もあって、荒れて当然の時代だったのだろう。

79 :
節度使に権限が集中したから、
その藩鎮内では中央集権的な体制を作れたからかな。

80 :
いや、おれは逆かなと思っている。
五代の乱を改めて見るといい。
あれは中央集権とは逆で、地方に有力者が分散し、かつ権限が大きかったからあっさり政権交代し、そうならないまでも内患が絶えなかった。
そして、その藩鎮内でも、牙兵以外の鎮将などに徴税代行などの権限があったから、集権というわけでもなかった。
いわゆる影の内閣(シャドーキャビネット)と言われたのは、藩鎮の構成が、縮小された朝廷と地方の構成に似ていたから。
藩鎮内での要職が、そのまま国家の要職に相当するようになるし、前述の鎮将は国家レベルでいくと節度使に相当するようになる。
つまるところ、節度使もその地位が安泰だったわけでは、決してない。
そういう中で中央集権的、君主独裁的な流れを作ろうとするには、君主自らの固有の武力が、他の節度使を圧すればいいと、そうしたわけ。
で、そういう流れは実は中唐の頃、憲宗率いる北衙神策軍の登場にあったわけだけど、方向性がつけられたのはもっと後、後周の頃となってしまう。
後周世宗が為そうとした禁軍の強化は、地方藩鎮に兵士が集中しないように配慮されたものだった。
その頃は地方藩鎮が強力で、皇帝の権力が低かったから、皇帝権の復活を第一とした改革までしか為されていなかった(途中で病死したから)。
趙匡胤はその流れで禁軍の兵権すらも皇帝に帰すようにし、節度使の権限を次第に縮小させていったわけ。
安録山の乱の前後に発生した中唐の負債を支払いきるのに、それだけの歳月がかかってしまうことになる。
玄宗や楊国忠のなした罪科はかように重いのだったw

81 :

80氏の解説は正しいと思うが、その価値判断については正史を流れる
「始皇帝の亡霊」の呪縛にとらわれているのではないか。
「中華は一つ」であるべきかどうかっていうのは、現代まで通じる問題で
あるにもかかわらず、中国史の専門家の多くが無条件にそれを
前提としているように思う。特に宋代の専門家は。
確かに宋は中国史上の黄金時代だと思うが、同時に中華世界の限界を示した
時代でもあるし、朱子学なんてものは我が国にまで入り込んできて
今日に至るまで我々は被害を蒙っているわけで…

82 :
>>81 つまり?
自分が言いたいことというのは、分権として成り立つなら、それもいいのだけど、唐末から北宋の成立にかけて、一体なにが害悪であったか、ということ。
それはすなわち、節度使による地方分権的な体制であり、それによってもたらされる兵乱であり流通の阻害であり、荘園の拡大に伴う貧農の増幅であり、さらにそれによって生じる賊徒なわけですよ。
もうひとつ付け加えて言えば、藩鎮勢力あるいは禁衛の将が皇帝すらをもすげかえるだけの力を有していたわけだから、乱が長引くのは想像に容易だと思う。実際五朝期はそういう時代だった。
そういう無秩序な中では、皇帝自身が力をつけるのが、苦難ではあるけど乱を納める近道ではあると考える。
後周〜北宋にあった統一の気運というのは、何も中華思想だけがその根本にあるわけではなかった。
その背景に、商人たちから流通路の確保、国境税の取り払いなど、そういった面からも後押しされた部分もある。
柴栄がもと商人出身だから、そういう道に敏感だった、というのも妄想ながらあるにはあるけど…
とはいえ… その「始皇帝の亡霊」が何世紀も中国という国を形作ったのだから、「皇帝」となった人は、統一を大義名分にするのが一番簡単簡潔に周知させられることだと思うな。
ということは、自分もとらわれているのかもしれないなぁ。 
どういう価値基準を持てばいいのだろうか。

83 :
節度使が支配してる領域の行政組織ってどうなってたの?

84 :
「使」っていうのは、三省六部ではない官、つまり「令外官」で、武則天くらいから増えてきだした、新しい官職。
で、もともと節度使っていうのは、府兵制で補い得ない軍団を統制するための、軍組織だったわけ。
だから基本的に国境周辺の辺境にあった。
しかし内政の失敗から朝廷が税の徴収を満足にできなくなったので、節度使に観察使を兼ねさせて、民政権と徴税権を与え、内地に置くようになった。
基本構成は軍組織であり、牙兵というのがその中心にある。
牙兵は節度使のいわば親衛隊であり、もっとも身近な兵団なわけです。
親近者や仲間などがそれを構成しており、その中から、「中門使」(節度管内の軍政責任者)
「押衙」(おうが。 武官高級幕僚。税の管理もおこなった)
「孔目官」(牙兵に対して、牙吏という。文官職だけど、武人が携わったりした。後周の太祖郭威が劉知遠の幕僚だったとき孔目官だった)
「客将」(他藩鎮との外交接客など。文官職ではなく武官職)
「親軍」(馬軍、歩軍など分化されるが、節度使内での軍団の主力)
「都虞候」(管下州の刑獄など)
「節度判官」(幕職官。文官の最高幕僚。軍事にも参画する)
「節度掌書記」(同様に幕職官)
「節度推官」(節度使の補佐)
「鎮将」(管下の要衝を守衛する。また徴税権もあった)
以上は節度使に付随するもの。 観察使としての役職を補佐し民政などに参画するものとしては
「観察判官」「観察支使」「観察推官」などがあった。
この他、「州刺史」や「県令」も従来どおり。
財政を司る職分でも、主に武官が任命されたし、外交や式典の役職も武官がやった。
これは、そのまま中央官制にあてはめることができ、武人政治と呼ばれるゆえん。

85 :
中国といえば崇文軽武のイメージがあったが、節度使や藩鎮が力を持った時代は違うんだね。

86 :
節度使って、使職なんだけど、のちには行政区分も兼ねるようになったんだよね。
従来の州県区分では、豊かになりすぎた江南江浙やらの民政統治がままならず、より大きな区画が必要になってきたから。
中唐に起きた軍乱、安史の乱以降は基本淮河より北の地での反乱が多かったけど、唐末になると、湖南や浙東を基軸に次第に北上していく兵乱および民乱が続発していた。
五代十国時代の十国が、華南にあってそれまでの例になく分裂していた背景は、その節度区画と兵・民乱による相互連絡の分断と地域民とのより深い密着という点が大きいと思う。
それまでの歴史は、普通華北側が分裂し、華南は比較的分裂しない、というものだったのに対し、ね。

87 :
>85
三国時代から宋の建国までは、基本的に軍閥の時代と考えていいと思う。
モンゴル研究者の杉山氏が明を元の出来の悪い後継者と評しているが、
宋の時代に中華帝国の統治原理が確立され、
明や清は基本的にそれを受け継いでいるように思う。

88 :
夢の中で龍王を処刑した魏徴だな。

89 :
唐って、世界帝国、強大な国家のイメージのわりには、
結構軍事的に弱い場合が多いよね。

90 :
成立当初、太宗の治世の前期でも突厥に押され気味なところがあるし、
安史の乱以降となると、もうぼろぼろだね。
吐蕃なんかは、長安に迫りやすい位置にあるし。

91 :
首都が何度も落とされているからなあ。
弱さははっきり言って宋とそんなに変わらん。

92 :
安史の乱以後の唐は、世界帝国とは言えなくなったしね。
下手したら、ウイグルの属国だし。

93 :
>>89 府兵制が機能していたときは、軍事的に精強だった。
しかしそういった制度はゆるやか〜に傾きだしていき、やがて周辺国の侵入に対する過度な徴兵によって
民衆は逃亡し兵をまかなうことができなくなってしまった。
節度使を置きだしたのは、それを地方官に押し付けたと言ってもいい状況から。
安録山は節度使の強大な権限を振るったわけなんだが、節度使の機能が十全であれば、実は軍事的にはかなり強力。
ただ、河朔三鎮をはじめとして、その大きな権限を皆自分のものと取り込んでしまったため、唐は終る。
外に向けられていたちからが内に向けられたわけだから…

94 :

唐の中央政府が弱かっただけで、
節度使の軍事力は最後までかなり強力だったと思われる

95 :
中原の節度使の配下の将兵には、遊牧民がかなり参加していたのかな。

96 :
>>95 中原? 遊牧民族系の牙兵が多いのは、河北の藩鎮だろうと予想するけど…
ただ、中唐以降の藩鎮による兵乱というのは、実は華南から発祥しており、根本的に唐人による暴動だった。
その時期、河朔三鎮は、まぁ独立国といってもいい状態だったし、兵力の確保から異民族の子供とか奴隷とか養っていたかもしれない。

97 :
唐代末期から五代にかけての、もっと南の河南とか、江南とかのあたりになると、
遊牧民は参加する余地はないかな

98 :
いろんな藩鎮を渡り歩く傭兵のような武将もいそう

99 :

四川だとチベット系やタングートの傭兵がいると思う

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