日本服飾史 (420)
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日本服飾史
- 1 :2010/10/11 〜 最終レス :2013/10/17
- 日本の衣服の歴史について語りましょう
- 2 :
- ♪葉っぱ一枚あればいい〜
- 3 :
- アダムとイヴじゃあるまいし。
- 4 :
- 十二単を着た臭い女たち
- 5 :
- 陰茎の先に蚊の刺青を彫った人がいたらしい。
歴史って面白いね。
- 6 :
- 日本じゃ、刺青は堅気でない893者の文化
- 7 :
- もともと刺青は犯罪者に対する懲罰として行われていたみたいですね。
捕まって”箔がついた”と考える人間も少なくなかったようで、
時代が下るうちに、反骨精神とか侠気の象徴となっていったとか。
- 8 :
- 極道と言えば着流しの着物なイメージ
- 9 :
- 和服のルーツは中国です♪
- 10 :
- ま、嘘ではないけど
- 11 :
- いいや、嘘だろ
- 12 :
- 今も着物の事を呉服というように、元は大陸の衣服がルーツになっている。清代以前の中国の衣服や、ネパールや朝鮮の伝統衣装見りゃ分かるでしょ。
- 13 :
- 間違えた、ネパールじゃなくてブータンの伝統衣装だったよ。
- 14 :
- 奈良時代の服や髪型ももろ唐のパクリだよな
- 15 :
- >>12
今は着物を呉服と言う場合もあるが、元々は反物・主に絹織物のことだよ。
元々は衣類を指す言葉ではないから、衣類(着物)のルーツには関係ない。
- 16 :
- >>15
ウィキペディア閲覧乙
- 17 :
- >>14
捏造乙
- 18 :
- >>17
無知乙
当時の唐のパクリ装束は平安初期まで続くし女子の髷などもろ唐文化なんだけど。
もうちょっとまともに歴史のお勉強したら?
- 19 :
- >>11>>17
日本が大陸文化の強い影響下にあったことを認めたくない低能ネトウヨ
- 20 :
- >>18
パクリ装束とは具体的には何?
そしてパクリの所以を説明出来るかな?
- 21 :
- >>20
当時は日本独自の衣文化が未発達で、朝廷の衣服令により定められた唐風衣装が平安期に至るまで用いられていた…ということ
てか、まともに日本史を勉強してたら常識だよねこんなの。何度も言うようだけど人に聞く前に自分で勉強しろよ鬱陶しい
- 22 :
- >>21
アホはほっとけよ
- 23 :
- 日本の実に様々な分野の文化が大陸発祥の文化のパクリから来てるのにね(最初から日本固有の文化もそりゃ中にはあるけどさ)
無知って怖いね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
- 24 :
- 現代の和服の形になったのは小袖が表着になってからだっけ
- 25 :
- 自演の巣窟だなw
- 26 :
- >>24
基本的にはそうと言われてる
…が、仕立て方や帯の形態、着付け方等の変遷も激しいので(特に女物)、時代が違うと同じ小袖でも別物みたいだったりするw
- 27 :
- 和服を中国起源にしたい人って何なの?
中国人?
韓国人?
- 28 :
- >>27
答え:
起源なんてどうでもいいと思ってる人
- 29 :
- >>21
衣服例を定めていない事と、衣文化が未発達の事とは別物。
まさかそれまで裸だった訳ではないだろうw
裸でないなら独自の衣文化が存在するという事。
衣服令により服のジャンルが公服と私服に分けられるようになったが、
それを分りやすくいうと「制服」の誕生で、「和服」の誕生ではない。
- 30 :
- で、「和服」の起源はその結局その唐風の衣服なのに、
「独自の衣文化」への言及にさして意味があるとは思えないな。
- 31 :
- >>9のお陰で大盛り上がりだな
- 32 :
- 和服はシナが起源だよ
朝鮮服もそうだしな
- 33 :
- 古墳時代のアレ(頭の横のお団子とか勾玉とかw)がそれまでの日本独自?
- 34 :
- 律令と一緒に影響受けたってだけ
起源は誇張しすぎw
- 35 :
- >>32
チマチョゴリは元
モンゴル起源
- 36 :
- 奈良時代の服が唐のパクリか否かって話じゃなかったの?
いつの間に和服一般の話にw
- 37 :
- そういやログ飛ぶ前のスレに書いてあったんだけど、神社の赤い袴の巫女さんスタイルって
近代に生まれた新しい伝統なんだってね。女学生の袴スタイルを取り入れちゃったらしい。
- 38 :
- まあ女学生の袴も宮中女官から取り入れたものだし
- 39 :
- 女学生の袴も巫女の袴も、なにゆえにかくも洗練された優れたデザイン性を有しているのか?
アレを考案した下田歌子はネ申だと思う。
- 40 :
- >>24
小袖は元は下着なんだよねw
現代和服は小袖の着流し。
着物を外国人に紹介して驚くのは、糸をほどけば一枚の布に戻る造りになっていること。
(最近の大量製品の着物は知らないけど)
この発想は一枚の紙で何かを作り出し、再度一枚の紙に戻せる折り紙と同様。
関連性を考えると面白い。
- 41 :
- >>40
昔の人にしてみれば、下着のシャツ+パンツ一丁でうろついてるような感覚かもね(笑)>現代きもの
- 42 :
- >>41
昔といっても、小袖のスタイルは戦国時代くらいからあったような
- 43 :
- >>30
そんな事を言ったらその唐風とやらも、
どれだけ唐風だったか疑問視できる時代で、それこそ意味がない。
- 44 :
- >>21
唐装と言っているがルーツはユーラシア大陸の騎馬民族の服。
いわゆる胡服。
唐で採用されていた胡服が律令制と共に伝来した。
構造からしてあまり正しく、原型に忠実とは言えないが
伝来を重視するならここに行き着く。
衣服令を理由に中国起源を語ることすら、本来はおかしいんだよ。
論理として破綻している。
- 45 :
- >>42
戦国時代といえば、女性着物の着崩しかげんが好きだ。
琉球衣装っぽく見えるかもしれないけどw
- 46 :
- 「唐」と買いてもいろいろあるからな
- 47 :
- >>36
パクリは言いすぎだからだろ
- 48 :
- 戦国時代といえば、木綿がどんどん普及しだした頃だね
麻の着物ばっか着てたパンピーにはかなり有り難かったんじゃないかな
- 49 :
- インドがもっと近かったら綿普及も早かったろうに
- 50 :
- 古代に伝来したものの、定着しなかったとか>木綿
室町時代に朝鮮木綿が珍重されたから、その流れで国産化を目指して今度は成功したぷー
- 51 :
- >9からからw
和服のルーツは中国です(キリッ AA略
- 52 :
- 貫頭衣から変遷していく過程はそれなりに興味深いと思う
- 53 :
- >>45
あの着方は気候もあるだろう
時代別の気候変更では江戸時代は寒いほうじゃなかったっけ
十二単も単純な気温調整に良い、夏は薄く、冬は着込むと。
- 54 :
- 袴も重ね着してたんだから大したもん
重ね着国風文化全盛期か
- 55 :
- >>50
宗氏と堺商人はそれでボロ儲けだぜw
わらしべ長者貿易で儲けれた時代が羨ましい。
- 56 :
- >>39
大正?辺りだったと思うけど、洋服の影響で女性がズボンを穿くようになった時、
西洋文明の弊害だ!女性のズボンの反対!って社会風潮があったらしいw
女袴がスカート状主流になるはずだよ
- 57 :
- 今はジーパンが主流かw
セーラー服がスカートで良かった
- 58 :
- >>56
行灯袴が主流になったのは、おトイレの便利さを考慮してじゃ?
裾を全部まくり上げちゃえば楽に用を足せるから。
- 59 :
- >>58
複数要因だろう
小袖主流の美的感覚がその後の和服に関係したと思う
- 60 :
- >>57
セーラー服も本当はズボンだったのに、女学生用と結局スカートになった
人民服は女性用でもズボンだった
奇妙なところから文化差異が見える
- 61 :
- もんぺはズボン?袴?
- 62 :
- あれは作業着w
- 63 :
- 戦国時代も女性は袴をよく着ていた
ドラマや映画は着ていない時多いな
- 64 :
- ドラマはあてにならないね。
膝立てて座らないし、帯も時代不明になっていたり。
腰巻見たくても打掛ばっかで残念な気分になる。
- 65 :
- >>63
その説はちょっと疑問
女性の服飾から袴が消えていく流れは既に鎌倉時代頃からできていた訳で
戦国時代ともなると、宮中で着用される衣装か(春日局の肖像画みたいな)
庶民の野良着等の特殊な状況でしか見られないのでは?
- 66 :
- >>64
大河ドラマは酷いもんだよ
- 67 :
- 大河ドラマで唖然とさせられた時代考証無視といえば、何と言っても『春日局』。
あの髷は・・・って服飾じゃないな。
ちなみに腰巻姿は『秀吉』でお市の方が着ていたから見てみてね。>>64
本当にあの肖像画そっくりだった。役者さんはあまり美しくなかったけどw
- 68 :
- 立て膝どころか戦国は胡坐もあり、女座りもありの大雑把作法じゃない
- 69 :
- >>52
日本の貫頭衣は言葉から連想されるような覆いかぶさる代物じゃなく
合わせる着物っぽい物
遺跡から縫い針や縫い布が存在するし、貫頭衣の捉え方はこっちが定説じゃないかな
- 70 :
- >>69
それって貫頭衣って呼べるのかい?
- 71 :
- 今度、帝から絹布の法被を下されるそうじゃ。
- 72 :
- 一枚の布で体を包めるような幅の広い機織機は発掘されたことがない。
- 73 :
- >>70
慣例上そう呼んでるだけみたいだよ
- 74 :
- >>72
織機以前に養蚕技術がないから。
- 75 :
- >>74
植物繊維系をなぜ省く?
- 76 :
- 鎌倉時代の庶民の服装がよくわからん
- 77 :
- 武士ってなんで烏帽子かぶらなくなったの?
- 78 :
- >>72
ということは、ゴザみたいな目の粗い、小さな布を何枚か継ぎ足してたわけで、
普通、イメージする貫頭衣より、余計にみずぼらしくないか?
- 79 :
- 鎌倉時代に限らず庶民服はしょうがない
- 80 :
- >>76
平安末期から中世にかけての絵巻類は、庶民もけっこう描かれてるぞ。
- 81 :
- >>77
烏帽子は武士に限った被りモノではないし。被られなくなったのは流行だな。
- 82 :
- ♪葉っぱ一枚あればいい〜♪
- 83 :
- >>76
そういう疑問はここが定番でしょ。
ttp://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000074
まあ、40年前の考証なんで、いろいろと問題があるとはされていますが、見ておいて損はないです。
- 84 :
- 烏帽子は全国一斉に飽きちゃったのかな
- 85 :
- 日本人とは何さって話になった時、やっぱ古代日本人に加え、
大陸から渡来した古代の中国人や朝鮮人が交じり合ったのが今の日本人ですわな。
倭+中華+朝鮮・・朝鮮はちょっと違うかな。
倭+中華=日本だと思うわ。朝鮮経由の文化はだいたい中華のものが伝わってきたくらいで。
やっぱり今は腐敗して民度が下がっているとは言え中国はすごい国だよ。
きもの(呉服)にしても、平安神宮など建築物にしても中華思想+大和+倭が芸術的に融合したもんだと思う。
大阪の呉服神社の祭神は、応神天皇が呉に依頼の上、日本に渡来してもらった4人の呉の女性の職人たち。
同じく大阪の服部(はっとり)という地名もあるし、服部神社もある。衣服は中国の技術が伝わってきて大和で昇華された。
- 86 :
- 韓国の釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などは
九州系弥生遺物が出土する倭人の鍛冶遺跡だ。
特に莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だ。
その九州に3世紀後半あたりから前方後円墳が作られる。
丁度、畿内で銅鐸が祭祀の主役から急激に主座を失う頃だ。
九州が何らかの形で畿内勢力の傘下に入った証拠だろう。
事実、半島南部から出土する日本系遺物も、九州系から畿内系へと変化する。
これらは大和朝廷が半島南部の豊富な鉄資源を手に入れた事を意味してる。
- 87 :
- 百済義慈王の王子の禅広は、
新羅・唐の連合軍によって祖国が滅亡し、日本に亡命してきた。
そして天皇に仕え、天皇から「百済王」という姓を賜った。
さて時代が下って…
百済王敬福は陸奥に赴任させられた。
当時の感覚では、南極のような僻地だ。
百済王敬福は陸奥で黄金を産出し、天皇に献上した。
天皇はとても喜び、敬福を従5位から従3位に昇進させた。
百済王の冠位は、それまで100年間、ずっと「5位」。
それが、「3位」になったという事は…大出世!やったね敬福タン!
- 88 :
- >>81
流行って言われちゃうと身も蓋もないな
- 89 :
- 日本の元々の服は貫頭衣なのだが、この貫頭衣をちはやという。
神の枕詞であるちはや振るのちはやである。
貫頭衣と言っても一枚布ではない。
二枚の布を左右で縫い合わせ、その際真ん中だけ縫わないで置く。
その真ん中から頭を出す形になる。
これに段々色々なものが加わる。
腰巻、襲(おひす)、領巾(ひれ)、襷などだ。
そしてちはや自体も変化していって、まず二枚の布の後ろだけを縫い、
前は縫わずにおき、代わりにくびと呼ばれる襟を付ける。
法被の袖の部分が無い形の服とおもえば良い。
それから袖が付き、おおくびが付いて着物の形ができる。
この変化は色々な影響を受けている。
応神天皇14年に百済から縫衣工女(きぬぬいおみな)が渡来し
雄略14年には漢織(あやはとり)呉織(くれはとり)衣縫(きぬぬい)の兄媛弟媛が来て
織物・縫製作業に加わったと日本書紀にある。
つまり当時の日本の服は漢・呉・百済などあちこちの物を取り入れたごちゃまぜの服装だった。
それに対し聖徳太子が冠位十二階を導入する時に、隋の服装を取り入れる。
隋はすぐに滅び、唐に変わるが、これが唐服。
基本的に唐服は完全パクリなのだが、着物は具体的にどこかのパクリと言うわけではなく、
だからと言って日本オリジナルと言うわけでもない。
ちはやが色々な物を取り入れて変化して行き、完成したものと言うべき。
- 90 :
- >>89
百済と明記されているのは古事記じゃない?
日本書記スレにゴー
- 91 :
- >>56
白木屋百貨店,長襦袢でggrと真偽はともかくおもしろい
- 92 :
- 烏帽子はスルーか
- 93 :
- 烏帽子も時代で形態がかなりかわる。平安時代には高かったのに
江戸後期になると漆で塗り固められて小さくて頭上にちょこんと。
髷に結ばないと落ちる。
- 94 :
- >>89
ちはや云々だから高田倭男か、
引用するのは結構だが、嘘をつくとはいただけない。
彼は唐服をペルシャ様式、ペルシャ系胡服とし、
漢・呉・百済に関連付けて説明していない。
まあ百済は胡服系だがな。
日本書記あたりは高田倭男が考古学者ではない事を踏まえないと、
足をすくわれるそw
- 95 :
- 唐服は隋って書いてね?
- 96 :
- >>95
日本で言う隋・唐は漢・呉・百済に無関係だか何故か引用している。
引用部分がおかしいんだよ。
- 97 :
- >>93
普段武士がかぶらなくなったのって
厳密にどのあたりなんだろう
- 98 :
- >>97
それは地域や家中によって大きな差があると思うが、
やはり統一政権ができる織豊期が過渡期ではないだろうか。
直垂・素襖に代わって肩衣が武士の衣服の主流となったもの大きい。
信長が謙信に送ったとされる洛中洛外屏風図には直垂・素襖の武士は
侍烏帽子を被っていて肩衣の武士は被っていない。
また公家も古代中世には寝る間も烏帽子を被って、髷をさらすのは恥と
されていたが、近世には外出時以外は小袖指貫姿が一般的で
その時は烏帽子は被らなくなった。
- 99 :
- >>96
日本語理解できてないだろう
- 100 :
- 昔の人が市場で衣服を買う感覚って、
現代で言ったら軽自動車買う感覚なんだろうなぁ
- 101 :
- 雲南省シャングリラでは、外套は5世代100年使う前提で作っていた。
ttp://www.56.com/u23/v_NDAxMTI4NzY.html
- 102 :
- >>100
というよりも、スーパーで出来あいのお惣菜買う方が近いんじゃないかな。
- 103 :
- 着物はお古を着回ししまくる文化よねぇ。
- 104 :
- ヒゲを生やさなくなるのは烏帽子がなくなったのと同じくらいかな
- 105 :
- >>98
烏帽子をかぶらなくなったというか
烏帽子込みで着る直垂のほうを着なくなった余波とかんがえたほうがいいわけか
- 106 :
- 髭は家康が禁じた。戦国大名はみな髭を生やしていたが江戸時代以降は幕末まで髭を生やさなかった。
- 107 :
- >>106
禁じた書があるの?
- 108 :
- すおうと直垂の区別がつかないorz
- 109 :
- >>108
見分け方は簡単。袖くくりがあるのが直垂。ないのが素襖。
あと胸紐も形状が異なるね。
- 110 :
- 袖くくりで見分ければいいのか
- 111 :
- >107
昔、NHKの番組で見た。実際、江戸時代の人物の肖像画はみんな髭なしなので鵜呑みにした。
真偽のほどは…解りません!
間違ってたらごめんな!
- 112 :
- 室町時代〜戦国時代辺りの庶民男性や下級武士は
普段その辺出歩く時とか袴穿いてた?
穿いてたとしたら現在もある馬乗り袴って思っておk?
色々調べたがどうにもよく分からん
- 113 :
- すごい細帯の着物を着た女性が街角に立ってた。今でもあんなのあるんだねぇ。
- 114 :
- 髷って何時代からですか?
- 115 :
- 3500年前の簪が出土しているのでそのあたりから。
吉野ヶ里遺跡からも出ている。
- 116 :
- 直垂のデザインって秀逸だよな
- 117 :
- 簪ってさ、垂髪には使わないよね
- 118 :
- 使うわけねーだろ
- 119 :
- 3500年前
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_03_02.jpg
- 120 :
- 髷の件、ありがとうございました。
アジア限定ですかね?
石像見る限りでは、ヨーロッパは違いますかね?
- 121 :
- 着物だけを着て生活してたら、体の使い方が全然違ったものになりそうだな。
たまに着物着ると、きつい着付けでなくても、疲れるもん。
- 122 :
- なんか安土桃山前の狩衣的というか直垂的なのって平服でも
あんまりラフな感じが無いね
戦国時代や江戸時代になると武士でも平服はダルダルなイメージなのに
- 123 :
- その江戸時代のダルダルも現代の我々にとってはとてもラフではない
- 124 :
- 南蛮人が来るまで襦袢がなかったって知ったんだけど
下着代わりの小袖が普段着になって以降襦袢が出来るまでの期間って
一体下着は何着てたの?
- 125 :
- 男は褌、女は腰巻。
- 126 :
- >>125
サンクス
上は直に着物着てたって思っていいのかな
- 127 :
- 下着という概念は西洋にもないでしょ。
ワイシャツの下が長いのは下に回して日本の褌みたいなものだろうし。
- 128 :
- >>123
むしろ現代人並みかそれ以上にラフ
良い年のおっさんでもすぐにもろ肌脱ぎたがる
半ケツかまわず裾まくりあげる
そのくせいくら幕府が禁止禁止うるさく言ってものらりくらりと制約を回避しながらおしゃれを楽しむ
ゆるさでいったらDQNの腰履きなんか目じゃないもんな
- 129 :
- 階級によって着る物が違っていましたから。
- 130 :
- 武士の着流しなんかも浮世絵見る限りでは
温泉に来た現代のおっさんが着てる浴衣なみにゆるい
- 131 :
- そうそう。時代劇みたいなカッチリした着付けが、嘘っぱちとまでは言わなくとも、少なくとも普通ではなかった。
- 132 :
- 一般家庭でくつろいでる庶民が全員おろしたてのスーツ着てます
みたいな違和感かな?
- 133 :
- オン・オフでは違うだろうな。
鷹見泉石なんかは侍烏帽子に素襖でかなりカチッとフォーマルだしね。
- 134 :
- 前スレ過疎だったから立てなかったんだけど、なんだ立ててくれてたんだ。
しかも賑わってるじゃん。ちょっと殺伐としてたみたいだけど。
ゆるゆる着方と言えば、
高田が出してる文庫本の、江戸期女性の着付けの写真の
襦袢の襟の出し方が良く出来てるなと思った記憶が。
そんな写真持ってるなら、「日本の服装 下」出せばよかったのに…読みたかったなぁ。
- 135 :
- きつい着付けにしなくても疲れる
といいながら江戸時代など実際着てた
ころのゆるゆるの着付けとくらべるとまだまだ全然きついってはなしだね
- 136 :
- 洋服着てる時とは身体の動かし方がおのずと変わってくるから、慣れないと疲れるのさ。
- 137 :
- ボロボロになるまで仕立て直しして着続けるのが普通だから。
昭和天皇のモーニング・コートとか何十年も着続けていたものだろうし、英国王室なんかは公式行事で王室は古い物を着ている。
- 138 :
- 子供のころから
どっちも着てるので
「馴れないと〜」っていう時期の記憶が無いな
- 139 :
- 天皇陛下のモーニングは、勲章が重くて垂れ下がるので、左右を少し調整してあるそうだね。
- 140 :
- 将官の軍服もそうだけど勲章を支える為に裏に厚手の綿地でテーピングを回している。
- 141 :
- 確かに重そう
- 142 :
- >>131
お腹にタオルであんこいれるとかナンセンスだよな
- 143 :
- 体型に合わないからしょうがない。
- 144 :
- ゆるく着れば
体形に合わないとかありえない
- 145 :
- 壁にそってピッタリと
かかと、お尻、腰、背中、肩、首、後頭部をくっつけられれば
アンコ無しでも着物を着こなせるしきれいに歩けると思うよ。
体型じゃなくて姿勢の問題
- 146 :
- かっちりした姿勢じゃなくても
猫背でも普通に着れる
あんこが無いと着崩れちゃうってのは帯の位置が高すぎるんじゃないのか
- 147 :
- 猫背と呼ばれるものの半数は
実は良い姿勢
- 148 :
- なんで?
- 149 :
- そういえば絵巻物の武士とか
見ようによっちゃ猫背ばっかだな
- 150 :
- 和服の袖ってなんで上下に広いの?
振り袖とかはまあ晴れ着ってことで飾りというかファッションなのかなっておもうけど
けっこう普段着でも狩衣にしろなんにしろ昔っから
袖ってやけにデカイよね
あれって何か実用上の意味あんの?
それともホントにただの流行というかファッションで意味のないものなの?
- 151 :
- ただの飾り。意味無し。
- 152 :
- 出典は
- 153 :
- 私の考え。
ホントのところはまだ分かっていない。日本服飾史史上最大の謎。
長崎巌なんかは、大袖は権力の誇示で、小袖の袂は成り上りを意識する為とか言ってる。
でも私は、↑は後からのこじつけで、成立自体はファッション的な意味の方が強いと思う。
- 154 :
- 小袖ですら
人間の腕の太さから考えたら
相当大きいしね
- 155 :
- たすきで留められるように、じゃないか
- 156 :
- 袖が大きくなければ腕まくりで済むからそれはないとおもう
- 157 :
- 反物を極力無駄を出さず仕立てたかった
とか妄想してみる
- 158 :
- 冬場柔道着が寒すぎる
- 159 :
- ポケットだろ
- 160 :
- そういうのは懐のほうがメインっぽいけど
- 161 :
- ♪葉っぱ一枚あればいい〜♪
- 162 :
- 腰巻って
くるっと巻いてるだけなのかな
- 163 :
- >>159
女物は振りの部分が穴あいてるからポケットにはならない。
>>162
紐が付いてて括ってる。
でも遊女は紐をわざと付けずに温泉の時のタオルみたいな感じで挟み込んでた。
理由は、腰巻が落ちないように歩くことで色っぽい歩き方になるから。
花魁が道中の時にバサッと落としてしまったという話もある。
- 164 :
- 艶っぽい話やな
- 165 :
- 身八つ口って男が手を入れてオパーイをまさぐるためにあるんだってね。エロス。
- 166 :
- ちがうっす
授乳のためっす
夢を壊して申し訳ないっす
でもおっぱいそのものが授乳のための器官ですから
どっちでもいいかもしれないっす
- 167 :
- 明治以降そういう使い方する人も増えたらしいけど
どうももともとは若い女性などが
胸元の着崩れを直したいとき便利だからってことみたい
まあ結局色気づいた女の身だしなみのための機能みたいだから
最終的には同じかもしれんけどw
- 168 :
- 私はむしろ帯クルクル廻されたい(w
- 169 :
- 色呆けおばさん晒しage
- 170 :
- おばさんとはかぎらんじゃないか
- 171 :
- 和服とは呉服のこと
モンゴルや中国でも大体同じようなものが着られていたのだ
- 172 :
- モンゴルは筒袖なので、呉服とは違うよ。
北方の服は羌袍といって右襟が小さいのがあるが、呉服の襟でない。
それに東蒙と西蒙ではかなり装束が違う。
東のほうは満服、西のほうは藏服に近い。
- 173 :
- 帯やベルトについての考察をすると
北方服飾は、下半身に長ズボンor(半ズボン+ゲートル)などを穿くこと
内側に帯び目を持つ場合があるので帯やベルトが必須ではない。
馬に乗る場合は、外套に帯やベルトで外側から巻く。
このへんも地域差があるので、主に馬に乗るのかによって
和服との違いを考察すると面白いかもしれぬ。
- 174 :
- >>14
そうりゃそうだよ。
当時の中国の先進文化や風俗を取り入れたんだから。
明治になって洋服をとりいれたのと同じ。
- 175 :
- ところが日本へ入ってくると
和服はより直線的になり
体に合わせるのではなく
体のほうを消す着方となっていくところが面白い
- 176 :
- 呉服は北方系ではなく、華中の趙宋時代杭州の装束が元だろう。
平安時代末期に別のものが移入されているんだと思ふ。
- 177 :
- 日本独自の持ったいない主義みたいなもので
端切れを最小限にして行くうちに
デザインが大陸と変わっていったのかな
- 178 :
- >>172
今主流の袂袖は筒袖から変化した形でしょ?
- 179 :
- 陣羽織って最初に着出したの誰?
- 180 :
- >>178
適当に言ってるんじゃないか
呉服も反物のことだし…
- 181 :
- 小田信長
- 182 :
- 前合わせの服は中東にもなかったっけ
- 183 :
- 陣羽織ってマントは日本固有のもんでじゃないでしょう。
- 184 :
- マントの話じゃなくて陣羽織の話をしてるんだが
- 185 :
- 貝巻きあったかいお
- 186 :
- What is 貝巻き?
- 187 :
- 陣羽織を英訳するとマントにならないか。
- 188 :
- 貝巻きは
昔の掛け布団
でかい着物のなかに綿をつめたやつ
- 189 :
- 貝なんて書くから通じないんじゃないの
- 190 :
- なつかしいなそれ
- 191 :
- >>187
陣羽織に相当する物がマントぐらいしかないから
当ててるだけじゃね
- 192 :
- 南北朝ぐらいまでは
使われて無かったよな陣羽織
- 193 :
- 烏帽子の話と同時期か?
- 194 :
- 何であの時期一気にファッションが入れ替わったんだろ
- 195 :
- わかんね
- 196 :
- 裃とかはデザイナーがいたと思う。
- 197 :
- 羽織って庶民にとっては防寒具だと思うんだけど
なんで前を開ける着方が定着してるんだろう
閉めたほうが暖かかろうに
- 198 :
- 羽織はおしゃれだよ。
庶民なんかなかなか買えない。
商人でも名のある人以外が着てたらいじめられる。
防寒は綿入りの着物を何枚も重ねる。
- 199 :
- へえそうなんだ。町人の格好の代表かと思ってた
勉強になったよありがとう
- 200 :
- >>196
たとえば?
- 201 :
- 職人たちの美意識が高かったんだろ。
- 202 :
-
fc2情報 ロリ乳 でググると・・・
- 203 :
- ほ
- 204 :
- も
- 205 :
- 平安時代の単衣はオパーイ透けてます。18禁です。
- 206 :
- それはすばらしい
- 207 :
- オパーイ透け透け再現した本持ってます。
乳首見えてます。
- 208 :
- なんてことだ
- 209 :
- けしからん!
なんという不謹慎!
性道徳の乱れだぁーッ!!!
- 210 :
- 見せブラとかパンツとか生み出してきたんだから
見せちくびとかRとかのブームも作りだせるはず
- 211 :
- 平安の頃の白拍子なんかそれに近いんじゃないの?
太刀に縦烏帽子で男装させるなんていいセンスしてんじゃねーか?
- 212 :
- 1000年前の変態もレベル高いよな
- 213 :
- >>13
いつ見ても、ブータンはどてらにしか見えない。
- 214 :
- どてらは和服
- 215 :
- 江戸の公衆浴場は混浴
- 216 :
- やっぱり烏帽子はかぶったほうが格好いいと思う。
江戸時代の武士より、室町時代までの武士のほうが格好よかった。
月代も剃らないほうがいいと思う。
晩年になってから出家するのがハイセンスだと思う。
- 217 :
- 髪の毛を剃るというのは、近代以前の東アジアに結構あった。
中国だと華北、東北部、西部内陸部など。
南部でも、北からの客民であるミャオ族が持ち込んできている。
江戸時代の日本とていうのは、ヘルメット(鉄兜)の中で蒸れないようにする
発想が、月代となったのであろう。
- 218 :
- 月代は大きく剃り上げたほうがかっこいいよ。
- 219 :
- たしかに烏帽子直垂姿はかっこいいよな
奇異の眼差しも意に介さずに烏帽子直垂姿に太刀を履いて福岡を闊歩した平野国臣の気持ちがわかる気がする
- 220 :
- >>219
現代では和服着てたら奇異の目で見られるわな
- 221 :
- 烏帽子もいいけど束帯と垂纓の冠に憧れる。
- 222 :
- >>198 神戸元町で羽織を1000円か2000円で売っていたがな。
- 223 :
- 聖徳記念絵画館にある歴史画(よく日本史の本や教科書に載ってるアレ)で、
大政奉還(1867)と廃藩置県(1871)の絵を比べると、服装の変化がわかって面白い。
二条城で将軍慶喜の御前に居並ぶ幕閣や在京の諸侯・各藩重臣は月代に裃だったが、
その4年後、旧江戸城西の丸の皇居で明治天皇の御前に居並ぶ政府高官や諸侯たちは
烏帽子・直垂だった。
高官や諸侯の服装が月代・裃から烏帽子・直垂に変化したのがよくわかる。
明治初年の高官の服装を示すものに参議前原一誠の写真があるが、烏帽子・直垂である。
武士出身の高官たちは、直垂で新政府に出仕していた。
この服装は廃藩置県後もしばらく続いていたようで、新橋・横浜間に鉄道が開通したときも、
当時の錦絵を見ると、烏帽子・直垂姿の高官たちが描かれている。
- 224 :
- このイラストレイテッド・ロンドン・ニュースの挿し絵を見ると、
天皇らしき人物の周囲の政府高官たちは烏帽子・直垂だな。
西洋人の記者の描いた絵だから、どことなく違和感はあるが。
イラスト中央の着流しの人物は、琉球の使者(伊江王子)だろう。
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2008/10/post_695.html
- 225 :
- そういえば横井小楠が暗殺された時の装束も直垂に烏帽子だったね
今は大相撲の行司か神事でしちりき吹いてる人たちくららいだよな
- 226 :
- 田舎にいくと村の祭礼でじじいやおっさんがYシャツの上に
裃や直垂や狩衣を着るというけったいな着付けが拝める。
- 227 :
- >>224
直垂と書いているが、それとわかりにくい服装だね。
- 228 :
- この絵は日本側で描かれた鉄道開業式の錦絵
http://www.mtm.or.jp/museumreport/tabiyukeba/page02.html
http://www.mtm.or.jp/pavilion/collection/shiryo/page08.html
- 229 :
- 日本が洋装を公式に受け入れたのは
趙の武霊王が胡の国と戦った時に胡服を用いて勝った故事による。
野蛮なヨーロッパの列強と戦うには、その野蛮な国の服を着て勝つということだ。
明治4年、副島種臣が宮中の会議でそう主張して、西郷隆盛が同調し、天皇は爾来和服を召さなかった。
>>225
相撲の行事のあの衣装は実は明治になってから。
- 230 :
- いや、和装での公式行事の最後は上記の鉄道開通式(明治5年)だよ。
政府での礼服から狩衣や直垂が廃止されたのは、そのあと。
アラブの王様とか見てたら、別に和装のままでも全然よかったと思う。
- 231 :
- 19世紀の帝国主義時代ならいざ知らず、現代まで引き摺らなくてもいいのにねぇ。
- 232 :
- ちなみに宮中はどうあれ日本人として最正装する際は和服を用いても良い。
西洋風の燕尾服がいやなら紋付袴姿で式典に参加することは国際的に認められている。
川端康成もノーベル賞の授与式にはそうした。
- 233 :
- 京都府議会や京都市議会は年初議会は半数以上が羽織袴。
京都市長は年中、羽織袴。
- 234 :
- 着物に羽織をはおればフォーマルさではスーツと同じになる。
これからはみんな着物を着たらどうだろう。
- 235 :
- でも紋付袴っていまいち「最」正装って感じがしないんだよね。
- 236 :
- だからといって束帯というわけにもいくまい
- 237 :
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- 238 :
- http://6306.teacup.com/null/bbs/
のNULLを懲らしめてください
やり方が汚すぎるやつです
こいつは些細なことを取り上げて罵倒してます
- 239 :
- 昔の着物って、小袖の時代に入っても重ね着何枚もして、暑くなかったのだろうか
- 240 :
- 昔は今より寒いし、良い暖房器具もないからちょうどいいんじゃない?
- 241 :
- >>235-6
中国人男性の民族衣装の最高礼装は清朝の官服(つまりキョンシーの格好)らしい。
日本の束帯もそうだが東アジアの宮廷衣装はかっこいいと思う。
- 242 :
- >>241
どれもかっこいいよね。
清代以前の中国の民族衣装(漢服?)は着物とそっくりだけど、
そっちの方の官服はどんな風だったんだろう。
- 243 :
- 調べればいろいろ出てくるんだろうが自分はこんなのが好き。
確か唐の時代に西域民族の衣装がモデルで官服に取り入れられたもの。
日本は聖徳太子の時代に輸入されて束帯や狩衣に進化した。
中国明朝
ttp://qiwenguaishi.com.cn/article/UploadPic/2009-7/20097280438234.jpg
韓国李朝
ttp://www.wombat.zaq.ne.jp/zenchokyo/kimjonghix.jpg
- 244 :
- 熨斗目って格式高いみたいだけどなんか意味あるの?
- 245 :
- 裃が公式な場での礼服や執務服だったのって、いつ頃まで?
大政奉還とか小御所会議の歴史画だと、まだ裃姿の大名や武士が描かれてるけど、
廃藩置県の絵では烏帽子直垂だ。
各藩では、廃藩置県まで裃姿の侍が仕事してたのかな?
- 246 :
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- 247 :
- ・おはしょり前提で丈を長く仕立てる。
・幅の広い帯でぎゅうぎゅうに締め付ける。
男から見たら女物着物はなんであんな不便な仕様になってるのやら不思議(振袖は美しいけど)。
大河でおなじみの戦国時代の着物はその2つがなくて着付けがすごく簡単そう。
子供のころ見た歴史漫画で春日局の服装が日本髪に大奥スタイルで描かれてたが、
時代が江戸時代初期だから戦国時代の着物が正解だよね?
- 248 :
- 最近の大河の着物は身幅が妙に狭すぎる気がする
カツラも変になってる
- 249 :
- 陣羽織も袴もモテスリム仕様だからね
- 250 :
- >>247
でも、大原麗子主演の「春日局」では、
お福晩年の家光時代には日本髪に大奥スタイルだった。
- 251 :
- >>250
あれは大原麗子がワガママ言って時代考証をねじ曲げさせたんだよ。
日本髪のカツラを被りたかったという理由で。
- 252 :
- えー!信じられん。
- 253 :
- しかし、昔から家光時代が舞台の時代劇だと、
(一心太助とか大久保彦左とか柳生十兵衛が出てきたりするやつ)
普通の江戸時代ファッションだけどね。
- 254 :
- 髪型にも流行があったろうに。
- 255 :
- 撮影用の鬘に種類が少ないんだろ。
- 256 :
- もともとテレビの衣装や小道具は映画の流れできてる。
映画のそれは歌舞伎からきてる。
だからリアルさは二の次。
- 257 :
- 平安時代も安土桃山時代も同じカツラ使っているよ。
- 258 :
- 正確な考証にしても一般視聴者の想像の範囲から外れ過ぎてしまうと
それはそれで違和感の元になるからなぁ
- 259 :
- そうそう、忠臣蔵とか水戸黄門のイメージで元禄時代が刷り込まれてると、
たまに菱川師宣の美人画みたいな衣装の作品を見ると、はげしい違和感を持つ。
- 260 :
- 浮世絵も時代で流行が変化しているからね、面白い。
- 261 :
- 時代劇の大名は綾錦の着物だけど、実際は黒の紋付だったってのと一緒でしょ
- 262 :
- 平安時代の貴族女性ってHする時。袴取るの?
- 263 :
- 着衣のままだーり少し脱いだり全裸ダターリ
- 264 :
- 東映とかの大奥物のエロ映画だと、側室は素っ裸にひんむいてても、
なぜか将軍は白の寝間着を着たままなんだよな。
- 265 :
- >>264
殿様の裸じゃサービスにならない
自分は見たいけどな!ハァハァ
- 266 :
- 最近流行ってる着物文化検定、
服飾史オタクから見たら酷い。
着物の格や織りの名所なんかの問題は良いんだけど、
一級とかになってくると服飾史の問題も出るわけ。
それが酷くて。なんかあやしい一説を絶対にして決めつけてたり、(一語一句間違ってたらだめ)
回答間違ってたり、質問おかしかったり。
なんか楽しそうだからやってみようかなと思ったけど、
本屋でテキスト読んでみたら酷い過去問題で腹立ってやめたよ。
- 267 :
- >>266
変な説をそういうやり方で勝手に既成事実化されたらムカつくよね。服飾史に限らずだけどさ。
ちなみにどんなあやしい一説とかが出たの?
- 268 :
- イデオロギーの押し売りがきもちわるよねああいうのって
- 269 :
- 忘れたけど
例えば、
「十二単や束帯は、支配階級であることを象徴的に表現するためのものとしてできあがった。」
それだけじゃないような…言い切るなよって感じ
あとは、
「室町時代には、武家男子は重要な儀式には「袖口」の形状から「大袖・広袖」と呼ばれる公家風の衣服を着用し、
通常の儀式には武家独自のやや袖丈の短い「直垂」を用いました。」
室町時代の直垂は袖口広いんですけど…というか武家独自ってこの時代は公家も着てる件
とか
気になる人は本屋で立ち読みしてみそ
- 270 :
- 漢字で書くとどっちも「垂髪」だけど、
「おすべらかし」は髪の上の左右を盛り上げて後ろで一本にまとめたもので
「たれがみ」は盛り上げずに髪を後ろの方でまとめたものって認識でいい?
- 271 :
- 手持ちの本を見ると、
平安時代のは垂髪と書いて「すいはつ」と読んでいて、
お雛様のは大垂髪「おすべらかし」または「おおすべらかし」とよんでいたよ。
でもあくまでその本が呼び分けしてるだけで、
全部「おすべらかし」で通じる。つまり一般的に呼び分けは無い。
- 272 :
- thx
現代のだけど神社の装束について調べてて、巫女さんの髪型が垂髪(すいはつ)と呼ぶらしくて、
大垂髪と字が似てるなと思ってさらに調べてみると「垂髪」に「たれがみ」という呼び方もあるみたいだったんで
分けられてるのかと思った。
- 273 :
- 平安時代のは大垂髪「おすべらかし」って呼ぶけど
現代の巫女さんの髪型は平安貴族より短いから
「大」を除けて垂髪「すいはつ」にしてるのかな。
ただの予想だけど
- 274 :
- ほっしゅ
- 275 :
- 十二単って、あの長〜い垂髪あってこそのスタイルって気がする。
並の髪型では衣装負けしてチグハグになるもんね。
小袖+打掛のスタイルにも同じ事を感じるけど、
庶民に比べて高貴な女性の間でより長い間垂髪が残ったのは、
もしかしてそんな理由もあったのかもなんて妄想している。
- 276 :
- 浦安舞のこんな舞装束は創作衣装なの?
ttp://hibakama.up.seesaa.net/photo/0065.jpg
- 277 :
- 昭和15年に制定された、「衵装束」と言う全国共通のスタイル。
緋袴、単、衵、小忌衣、裳をつける。
- 278 :
- 昭和15年って皇紀2600年か。浦安舞と同時に制定されたんだな。
裳は後ろに引くものだと分かるが、単、衵、小忌衣ぐぐったらいずれも羽織って着るものか。
ということは白衣緋袴の上に三枚+裳になるのか。
- 279 :
- ふむ。
- 280 :
- http://hibakama.up.seesaa.net/photo/0065.jpg
- 281 :
- 着物萌えage
- 282 :
- ほしゅ
誰かお気に入りの服飾画像はってくらはい
- 283 :
- http://livedoor.2.blogimg.jp/himarin_net/imgs/6/7/672b525a.jpg
- 284 :
- あ、さくらがいる
萌えー
ってなんでやねん
- 285 :
- かつては人前で冠や烏帽子を被らずにいることは恥ずかしいことだったけど、
あえてそういう事をして快感に浸る露出狂みたいな人っていなかったのかな。
- 286 :
- 大量の庶民が式典に乱入して、
天皇の前で烏帽子吹っ飛ぶくらい走りまわったり
(武官とおいかけっこ状態)する事件よくあったらしいけど。
庶民ナイスやで
- 287 :
- ほ
- 288 :
- 時代劇でおなじみの裃って何で一般的に今は使われないんだろう?
まあ秋祭り見てたら氏子(そこの字の幹部が)が着てるケースはよく見るが。
- 289 :
- 庶民レベルでは人前で冠、烏帽子は室町時代は別に自由だったと
見たことがある気がするけど
やっぱかぶってるのが普通なのかな
- 290 :
- 【千葉】男性教授、スカート姿で講義…節電の取り組みで 男子学生からは「自分もスカートはいてみようかな」という声も★2
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1309587326/
めずらしいことではございません
- 291 :
- >>289
庶民が冠・立烏帽子なんぞをかぶってたらまわりから変人扱いされるだけだろう
- 292 :
- >>291
室町時代までは無位無官の者の冠着用はともかく、庶民は揉烏帽子被ってただろ。
- 293 :
- 麻の直垂に腰刀、侍烏帽子が最高にスタイリッシュ
- 294 :
- 祭りで雅楽演奏してる人が着てたが直垂も魅力的な着物だな。
- 295 :
- >>288
幕末、裃は旧体制の象徴とされたため。
その幕府ですら裃から洋装への転換を図ったので益々廃れた。
- 296 :
- 肩衣・裃ってカッコ悪い・・・。
そのまま直垂・大紋・素襖でよかったのに。
- 297 :
- >>296
> 肩衣・裃ってカッコ悪い・・・。
そもそも戦国時代の略装だからな
- 298 :
- 保守!
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1895190.jpg
- 299 :
- 鎌倉時代の武士の質素な直垂スタイルってかっこいいな
- 300 :
- でもなんか
直垂好きが買って着てるのって
ドギツイ色(真っ赤とか真緑とか)&テカテカで派手ってイメージがあるんだけど
質素って具体的にどんなのが好きなの?
- 301 :
- 小学校前に住んでいる層化の婆さん二人が
朝から異常に興奮して何度も叫び声をあげています
ほうっておいても大丈夫でしょうか?
- 302 :
- 保守!
今日の画像
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1899692.jpg
みんなも貼ってね!
- 303 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1902051.jpg
- 304 :
- >>300
麻
- 305 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1906937.jpg
- 306 :
- 歴史ドラマで、中世末期の話なのに女性の着物の帯がやたらと幅広で位置が高いのがむかつく。
- 307 :
- あと、小袖の模様がちゃっちいし、
いいかげん垂髪の半かつら作ってほしい。
保守画像
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1911532.jpg
- 308 :
- 画像
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1915043.jpg
- 309 :
- >>307
垂髪の半かつらって何?
- 310 :
- >>309
日本髪は半かつらがあって、最近の江戸時代物は生え際が自然でしょ。
でも垂髪は今でも、あのだっさいかつらしか無いのが気に入らなくて。
- 311 :
- でも多襄丸の姫?は自然だったなぁ。
あれどうやったんだろ
エクステしたのかな?
- 312 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1918396.jpg
- 313 :
- 垂髪カツラといえば、大河ドラマの天地人とか江ではなんか現代風にアレンジしたような妙なカツラが使われてたなぁ。
あんな滑稽なの使うぐらいなら昔ながらのオーソドックスなのにすれば良いのにと思ったわ。
- 314 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1922780.jpg
- 315 :
- >>313
あんなに鬢そぎって細かく何か所もしてたんだろうか?
うそっぽい…
保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1928036.jpg
昔の帯締めの形がよくわかるね
- 316 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1932050.jpg
- 317 :
- 袴の腰板っていつからできたの?
絵とかで見ると元禄ころまでは無いように思うんだけど。
今でも女性用の袴には腰板ないね。なんでだろ?
- 318 :
- 黒の束帯かっちょいい
- 319 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1935061.jpg
- 320 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1938419.jpg
- 321 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1943478.jpg
- 322 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1946589.jpg
- 323 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1949333.jpg
- 324 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1953272.jpg
- 325 :
- 保守
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1957290.jpg
- 326 :
- 保守の時の画像ってどんなのが映っているか興味津々。
- 327 :
- でも、なんかその画を貼った意図っつうか一言でいいから解説欲しいです。
- 328 :
- いや、特に話題が無かったので
手持ちの服飾史系綺麗な画像をはっただけです
- 329 :
- 御立纓の冠はいつごろ使われるようになったのですか?
また、常に着用されてたのでしょうか、それとも即位礼など特別な祭式の時に着用されたのでしょうか?
- 330 :
- >>329
江戸時代以降登場、天皇だけが着用できる。
宮中では冠が不可欠で、天皇も烏帽子をかぶることは許されなかったそうだから、
常に着用していたと思う。
- 331 :
- >>330
ありがとうございます。
平常時は垂纓の冠を被られて、特別な時のみ御立纓の冠を被られるのかと思ったのですが、
日頃から御立纓の冠を被られていたんですね。
- 332 :
- 誰かが「日本は服飾進化の壮大な実験場だった」って言ってたのを思い出した
唐から伝わった冠や官服が飛鳥→奈良→平安と時代を経て変わっていく様や
古墳時代から少しずつ進化して来た直垂から素襖や大紋が生まれて
その略式の肩衣が裃に進化する様などを考えてみると、すごく面白い
たぶん外国の影響をほとんど受けなかったから出来た事なんだろうね
- 333 :
- >>332
直垂って、古墳時代の埴輪男子の服装(大国主命や日本武尊の着てるアレ)が、
徐々に変化していったものなの?
アニメの新右エ門さんや江戸時代の大名の礼装からは、想像もつかないが。
- 334 :
- 絵巻物とかに出てくる庶民の平服としての直垂なら、
古墳時代の埴輪男子のアレとつながりそうな感じではある。
- 335 :
- 保守age。
- 336 :
- 米原万里の『パンツの面目 ふんどしの沽券』(ちくま文庫)は面白い
- 337 :
- 1978年刊行・朝尾直弘編 小学館・ジュニア日本の歴史4 戦国の争い 97頁左上に載ってる
刀に寄り掛かってクネクネっとポーズ取ってる立ち姿の
茶筅(ちゃせん)まげ結ってるの若い侍風の美少年の肖像画が有るんだど
なんてタイトルの絵画か知ってる方いたら是非とも教えて下さい、お願いします。
東大史料編纂室や国会図書サイトをググっても出て来ません。恐らく安土桃山から戦国時代に描かれた絵だと思います。
- 338 :
- >>337
↓多分これじゃないかと
彦根屏風
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4805505575/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
- 339 :
- 刀によっかかってクネっとナヨっとしてるなら間違いなく彦根屏風
- 340 :
- 大河の時代考証に萎え〜
- 341 :
- 【映画】時代考証学ことはじめ【小説】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325852168/l50
- 342 :
- シワシワヨレヨレの侍烏帽子とスケスケで髷が見えてる立烏帽子に無茶苦茶違和感あるんだが、
NHKの公式見たらわざとそうしてるんだな。
製作者はそれにかなり拘りがあるらしいが、あの烏帽子、小汚く見えるだけで不快だ。
- 343 :
- たしかに時代考証にしてもみんな汚すぎ
あと、裳唐衣・袈裟なんでつけないのか
舞楽装束は現代ものだし
- 344 :
- 流れを遮ってすまない
戦国時代で立花ギン千代とか小松姫とか、袴履いて長刀持ってたりしたそうなんだけど、
当時から女性用の袴ってあったの?
- 345 :
- あったと思う。普段着として用いられていたわけではないと思うけど
女性の袴着用はそれより数百年以上遡るトレンドで、当時はすでに宮中などの特殊な例を除いてすたれていたらしい
- 346 :
- でもどっちはいてたんだろうねえ
女性用の赤い袴か
男性用の袴か
馬に乗る時は男性用を着用することもあったらしいし…
- 347 :
- 姫「私は、月へ帰ります」
爺「あぁ?債務が残っておるぞ?(レリコの」
- 348 :
- きっと大河ドラマの直垂や侍烏帽子は後半になって武士の地位が上がって来るに従ってビシッとして来るんだよ!
・・・と俺は信じてるぞNHK。
- 349 :
- 高階通憲と兎丸はこのままなんじゃないの?
- 350 :
- 装束は石と一緒に洗濯機でまわしてボロボロにしたそうです。
烏帽子は軽さを出すためにへろへろの生地を使ったそうです。
公式サイトより('A`)
- 351 :
- 通憲は坊主になるだろ
- 352 :
- あれ?でも以前、後年の頼朝の所に政子が平家滅亡の報を持って来るシーンがあったような…
『江』に出て来たようなビシッとした侍烏帽子と直垂には最後までならないのでは…?
- 353 :
- 江の時代の直垂は、朝廷の官位を持ってない武士の最高の礼装だからな
- 354 :
- 『平清盛』は『江』以上に人気無いようだが、俺は宮廷装束とか直垂とかに興味持つキッカケになったゆ
- 355 :
- 集英社の学習漫画『日本の歴史』見てたら、戦国時代の武将達が肩衣袴に侍烏帽子かぶってるんだけど、そんなスタイルあったんだろうか?
直垂や素襖に烏帽子被らなくなった方が先なんじゃないの?
武士は戦国のいつ頃から烏帽子かぶらなくなったんだろう?
- 356 :
- それは各大名家によってバラバラ。
現代で言えば夏場にクールビズじゃなくて、半袖ワイシャツにネクタイしめるようなもんだろ。
- 357 :
- 来週、平時忠初登場だが、あの当時公家が侍烏帽子に直垂ってあったのか?
もっと後の時代になれば公家でも直垂着るようになるが。
- 358 :
- 平時忠に関してだけ言えば、桓武平氏の出だし検非違使だから直垂を着ない事も無かったかも…
それが時忠個人に限っての事か、それとも平安末期には普通だったのかは分からん
でもNHKは(現時点での)時代考証だけはしっかりしてるはずだ
- 359 :
- NHKの時代考証は激しくいい加減だよ!
特に戦国史の小和田とか酷すぎ。
- 360 :
- 例えばどういうところが?
- 361 :
- >>359
同意
民放よりマシってだけ。
- 362 :
- それは本当に時代考証家の責任なのか?
どういうところがおかしいかによって、一概には言えないはずだが。
- 363 :
- 「平清盛」の衣装・メイク・美術
ttp://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1330864060/
- 364 :
- 時代考証も過ぎると良くない
古今東西、舞台衣装という物は実際の服装よりも華美な物だった
理由は単純、見栄えがするからだ
中国の京劇、欧州のオペラ、歌舞伎、能、狂言…最近だと宝塚歌劇団
いずれも現実にその性別、その地位、その職業にある人々が着ていた服装より派手で目立つ服装をしている
テレビドラマという物は、この舞台劇の延長と考えて良い
役者達には、リアルさを追求した薄汚い服装よりも、多少虚構になったとしても、やっぱりビシッとしたカッコイイ服装で登場してもらいたい
どんなに史実に近付けようとした所で虚構は虚構なんだから
あまりリアリティばかり求めると面白味に欠けてしまう
- 365 :
- 服飾ではないかもしれませんが、よく時代劇なんかで「殿様」と呼ばれるような登場人物が
ちょんまげを上に立てたような髪型をしていますが、あれを髻と呼ぶのでしょうか。
- 366 :
- 立ってるのが『髷(まげ)』
寝てるのが『丁髷(ちょんまげ)』
- 367 :
- 源氏物語絵巻をみればわかるけど
烏帽子は透けてるものなんだよ。
- 368 :
- >>367
問題はそれをドラマなどで忠実に再現する事が是か非かだね
後世の漆塗りで固められた烏帽子の方が格好は良い
- 369 :
- 髷は見せてはいけないと思っていたけど、シースルーがオサレだったのか…
平安すげえな
- 370 :
- シースルーと言うが、髷とチ○コを同義に語る事は出来ないのでは…?
- 371 :
- 露頂(髷を見せる事)を恥とするのは中国儒教の影響
飛鳥時代に律令制を取り入れ始めた頃から日本でも頭巾をかぶるようになり、奈良時代になって漆で塗り固められた冠へと進化(?)した
- 372 :
- 聖徳太子が冠位十二階を定めた頃は、厳密に言えば冠じゃなくて頭巾だったの?
- 373 :
- 飛鳥時代の服装って良く分からないんだっけ
ところで、奈良・平安時代の衣冠束帯の『袍』と呼ばれる着物って
起源は日本の千早?
それとも唐の官服?
- 374 :
- 唐の官服
- 375 :
- 飛鳥時代の官服は千早の進化形だって聞いた事あるから
正確には、どちらとも言える、が正解なんじゃないかな
服装の変遷ってそういうもんだよ
- 376 :
- 唐の官服の元は北方の騎馬民族の着ていた胡服・・・
千早の元は日本古来の貫頭衣・・・
しかし、東アジアに渡って来た人類の先祖が共通だとしたら、彼らが身にまとっていた衣服もまた共通の起源を持つ、と言えなくもない・・・
- 377 :
- >>373
キトラ古墳壁画でよく分かってる。
20世紀初頭の韓国よりカラフルな着物着てるわw
- 378 :
- 身分によって服装に制限を設けるのは古今東西どこでもあったが、染色すら許さないってのはひでえよな
ところで話ぶっ飛んで申し訳ないんだけど、大紋っていうのがあったじゃないか
あれって直垂と素襖とは別な着物なの?
それとも直垂や素襖の内、大きな家紋が付いているものを特に大紋と呼んでたの?
- 379 :
- モンゴル相撲=北方の騎馬民族www
- 380 :
- ↓ここに興味深い事が書いてある
http://gxc.google.com/gwt/x?q=%E6%9C%8D%E9%A3%BE+%E5%A4%89%E9%81%B7&safe=images&client=ms-kddi_blended-jp&start=6&hl=ja&inlang=ja&ei=_5WdTtjWH43nkAWs4QE&ved=0CAYQFjAB&rd=1&u=http://xn--dpvr52i.jp/1.html
- 381 :
- 服飾学科で習うやつだな
- 382 :
- >>373
キトラ古墳からは人物像は出てきていない
四神像(白虎、玄武など)や天文図、獣頭の十二支像のみ
飛鳥時代の人物像が描かれてるのは高松塚古墳のほうじゃないかな
唐風の衣装が描かれている
http://www.asuka-park.go.jp/takamatsu/
- 383 :
- 飛鳥〜奈良前期って女性の官吏も居たんだよね
服装は男性の官吏と同じ胡服由来の官服だったって聞いた
- 384 :
- 古代日本は現代並みに男女同権だったって何かの本で見た
大陸から律令制度や儒教思想を取り入れるようになって男女同権は崩れて行った
- 385 :
- その女性官吏は官服着て、頭には冠ないし頭巾は被ってたの?
- 386 :
- >>385
女性は基本的に頭には何も被りません。
天武天皇の御世に『結髪令』といって「役人は男女共に朝鮮風に髪を結い上げる事」という命令が出されるのですが、これに対して女性官吏達が「髪を結い上げたら可愛くない!」と猛反発して撤廃さてしまいました。
古代の女tueeee!!!!
- 387 :
- 直垂ってずいぶん長い期間に渡って武士達の間で使われてたんだね
平安から江戸まででしょう
こんなに長く着られた服、普通なかなか無いよ
他国だったら服装って、もっと目まぐるしく変わっていく物だし・・・
- 388 :
- 男性の下着が褌、わけても六尺に特化したのは
いつ頃からのことですか?
古代の犢鼻褌などといった下帯は、どういった形式のものだったのですか?
また女の腰巻き(おこし)が一般化したのは、何時代のことでしょうか?
- 389 :
- >>388
質問する前に自分で調べる努力をしましょう→http://www.google.co.jp
- 390 :
- 無智なら「無学で申し訳ありません」と素直に答えろーイッ!!!!!
- 391 :
- ナッちゃんは出てお行き。
- 392 :
- 前回の平清盛の歌会の場面で他の人達は冠かぶってたのに
雅仁親王だけ烏帽子被ってたのは親王の異端児ぶりを表すためで、
本当は全員冠をかぶってないといけなかったんですか?
- 393 :
- 4 :名無しさん@恐縮です
羽鳥はゲイの世界に立ち戻り、ひたすら正道を歩む可きだよナッ!!!
性悪なオンナと一緒になったのが間違いのもとだゼッ!!!!!!!!!!
妻帯生活から足を洗って正解なのサッ!!!!!!!!!!!
ゲイでフリチンの羽鳥くん
- 394 :
- >>390
流石ナッちゃん様、完璧なブーメラン発言ですね
- 395 :
- 4 名前:名無しさん@恐縮です
カットされたシーンが残念ながらあるようだ。
阿部寛と宍戸開とが69の体位で互いのチンポをベロベロと
しゃぶり合ったり、ギンギンにしごき立てたりして同時射精する場面らしいゼッ!
分かったナッ!!!!!!!!
- 396 :
- カットシーン、見たかったで〜す!
- 397 :
- 淫乱!
- 398 :
- 396-397
ナッちゃんいつも酷い自演ですね
- 399 :
- 今日BSでやってた『新・平家物語』見てたら、烏帽子どころか冠までシースルーだった。何かもうNHKの考証うんぬん以前に、あの時代はああいう物だったんだね。
あと後世の肩衣みたいに袖を切り落とした直垂が出て来て(肩衣と違い、ちゃんと胸紐が付いてる)、あの時代にそんな服があったのかどうかは不明だが、面白いと思った。
しかし、登場人物達の着ている服がシワクチャでボロボロなのは『平清盛』と同じなんだが、なぜか『新平家…』の方が『清盛』より色鮮やかで華やかな気がした。
『清盛』はリアリティを追求しすぎて、色褪せてしまっているのが原因だろうか……。どうにも見劣りしてしまった。
- 400 :
- 肩衣ってのは戦国末期から江戸初期のが一番かっこいいわ。江戸中期以降は意匠化され過ぎてて何か変・・・。
- 401 :
- ところで天皇陛下をはじめ皇族の男性方ってのは和服をお召しになる事って無いんでしょうか?
菊の紋付き羽織りとか見た事ありません
- 402 :
- あれは武家以下の風俗だからお召しにならないでしょう。女性皇族がお召しになるのも最近はじまったことでしょう。
- 403 :
- ほしゅ
- 404 :
- その代わり、祭祀の折には束帯をお召しになられますね
- 405 :
- >>401 割と最近出た、元侍従かなんかの本によると、お寛ぎのとき内々では
お召しになられるそうです。
ある日、みこうしの前に急用で罷り出たら、夕食後に居間かなんかで皇后様
とお茶かなんか飲んでるところに押しかけることになっちゃったことがあっ
たそうで、そんときお見上げしたら和服で紋付の羽織をひっかけてたんだっ
て。
その御紋が例の菊の御紋なのに気づいたときが
「長年勤めてお仕えしているのが天皇家だと最も強烈に感じた瞬間」
だという話でした。
御所言葉とカジュアルな日本語のごちゃまぜスマソ。
- 406 :
- 書名 :天皇家の執事
副書名 :侍従長の十年半
著者名 :渡邉允/著
出版者 :文藝春秋
出版年 :2009.10
ページ数等:351p
大きさ :22cm
NDC分類:288.41
個人件名 :天皇 , 皇后
目次(BOOK):素顔の両陛下;皇居における行事と儀式;陛下のお祈り;陛下とハゼの研究;
外国ご訪問と国際親善;人々に「心を寄せる」ということ;国の内めぐりきた
りて;さきの大戦;沖縄県民の苦難を思い;天皇家の冠婚葬祭;皇后さまの伴
奏
要旨(BOOK):いちばんの側近が、宮中での日々を綴った貴重なる回想録。
著者紹介(NS):昭和11年東京都生まれ。東大法学部卒業後、34年外務省入省。駐ヨルダ
ン大使、中近東アフリカ局長、儀典長などを歴任。7年宮内庁に移り、式部
官長を経て、8年侍従長。19年退任。現在、侍従職御用掛。
ISBN :978-4-16-371800-2
- 407 :
- >>9
- 408 :
- >>245
- 409 :
- ほしゅ
- 410 :
- 保守
- 411 :
- 着物の帯って何メートルあるの
- 412 :
- 今時の女物で3.6〜4m
- 413 :
- 装束とは少し違うかもしれませんが
何週か前の大河ドラマの平清盛(32話だったかな)で後白河上皇が
半紙に模様を描いた仮面をつけていましたが、あれはなんと呼ばれるものなんでしょうか。
また、どんな時に使われたものですか。
- 414 :
- >>413
口の辺りが黒い三角、ほっぺが三つ巴、目が黒枠三角を縦半分で仕切った絵柄かな?
もしそれだったら舞楽の「安摩(あま)」を舞う際に使われるお面。
以下コトバンクから。
あま【安摩】
雅楽,舞楽の曲名。案摩,阿真とも書く。唐楽。壱越(いちこつ)調。二人舞。文(ぶん)ノ舞(平舞)。
陰陽地鎮の曲ともいわれる。番舞(つがいまい)は《蘇利古》。
左方襲(かさね)装束(常装束とも)に巻纓(けんえい)・?(おいかけ)の冠,雑面(ぞうめん)をつけ,
右手に笏(しやく)を持って舞う。
《安摩》だけ独立して舞われることはほとんどなく,《二ノ舞》と続けて舞われ,
《二ノ舞》は《安摩》の答舞の型となっている。
- 415 :
- >>414
画像検索しましたらまさしくそれでした
ありがとうございます
- 416 :
- てす
- 417 :
- auのCMの「大得」、葵髱が完璧
かつらであんなのあるんだね、大河「篤姫」でもあそこまでではなかった
笄の飾りを左だけにしてあるのも完璧
- 418 :
- 某スレで大顰蹙の某女、こっちで引き取ってもらえんかな
- 419 :
- ダメ、ゼッタイ。
- 420 :2013/10/17
- えー凄い肩書きあるのにー
時代衣装総合コーダィネーター様だよー(棒読み)
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