国津神嫡流の諏訪氏について語る (194) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
墓を暴いて斬首した後ドブに捨てるべき歴史上の人物 (218)
日本史板住民自治スレッド (262)
あぁ北条氏康!敵前逃亡&土下座外交の日々 (356)
教員公募星取り表11連敗【歴史学総合篇】 (401)
天皇の古糞の発掘許可が降りない (113)
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!74 (454)

国津神嫡流の諏訪氏について語る


1 :2012/09/23 〜 最終レス :2013/10/21
天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である

では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である

諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている

2 :
高島藩主の諏訪家からはいくつか分家し旗本として幕末まで存続していたはずです

3 :
天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてないな
天津神と国津神を知ってる日本人なんてどれくらいいるのだろうか・・・

4 :

オレの知人にも諏訪氏の末裔がいるが、彼の実家(諏訪湖のほとりの岡谷市)近辺では、
そんな家はざらにいて珍しくも何ともないらしい。
彼の家は一応男系でつながっているらしいが、女系を含めたら諏訪湖の周りに昔から住んでいる
家は大半諏訪氏や守屋氏の子孫じゃないか?と言っていた。

5 :
日本総鎮守。伊予一宮、大三島鎮座の大山祗神社の大祝家は素戔嗚尊の神裔(家系図を宝物館で公開)。

6 :
>>4
そりゃざらにいて当然
源氏や平氏の子孫を称する家なんか膨大な数に上るが、みんな天皇家から別れたものだし
ましてや天皇家並みに歴史のある家系なら子孫も膨大でしょう

7 :
このスレでは諏訪氏の嫡流について語りたいと思います
皇室の男系議論同様、その対極の存在たる諏訪家にもそういったものがあって良いのではないでしょうか

8 :
諏訪氏は江戸時代に信濃高島藩主家と諏訪大社の大祝家(諏方家と表示)に別れました
藩主家は江戸時代後期に忠粛ー忠恕ー忠誠ー忠礼ー忠誠(再承)
と続きましたが忠誠に男子がなく忠元を溝口家より婿養子に迎え
その後も度々婿養子の当主が続きながら明治時代に子爵になっています

9 :
弥生時代末期の北部九州、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。
【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡「大和」
....................隅国(鹿児島)
卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。
神武は男系祖先の本拠地・投馬国(日向)から船出し、首都を博多から大和へ東遷。「大王」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。
※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。
-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代
【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系イリ三輪王朝の活躍>筑紫系ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都

10 :
諏訪氏系図
大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命―水隈命―盛麿―
豊麿―繁魚―清主―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼―頼平―
有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣―信有―有継―
信満―政満―頼満―満隣―頼忠
―頼水(藩主)
―頼弘 (大祝)

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html

11 :
大名家と大祝家はどちらが嫡流だったのかな?

12 :
大国主命の子供は181人いたというが嫡男は健御名方命なのかね?

13 :
事代主命じゃないか。

14 :
じゃあ事代主の子孫っているの?

15 :
三輪とか賀茂とか宗像とか

16 :
三輪氏は元々大和にいた出雲族とは無関係の一族だろう

17 :
やはり国津神の嫡流は神氏である諏訪家だな

18 :
しかし三輪山を御神体とする大神神社の祭神の大物主は大国主命の「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」
あるいは「和魂(にきみたま)」とされ、三輪は出雲と関係ある事になっている。

19 :
三輪氏も諏訪氏も姓は「神」なんだっけ?
神朝臣諏訪忠恕みたいな

20 :
三輪氏は事代主が祖じゃないよ
大国主命系で第一は諏訪氏

21 :
素戔嗚尊の嫡流が諏訪氏

22 :
>>16
出雲なんざ山に囲まれた辺境だ
大部分の出雲族とされている神々は、国譲りの際に大和の支配していた天津神以外の神を出雲系と同一視、習合した結果生まれた物

23 :
吉野祐子の『蛇』がおもしろかったな
どちらかというと民俗学的アプローチだったが、三輪、諏訪に共通する部分も知った

24 :
>>22
むしろ大和こそ山々に囲まれていて、大陸からも離れた辺境の地だったんじゃないかな

25 :
大国主命は全国各地の神様が同一視されて出雲のオリジナルに合わされたもの
三輪氏の祖とされる神様もそうしたものじゃないかな
そういう意味では諏訪氏はオリジナルの直系なんだよね

26 :
江戸時代の諏訪氏の系図ってどこかに残っていないのかな?

27 :
ところが、当の諏訪では、地元民の誰もが認めたネイティブの長は、神長官守矢氏であって、
大祝氏(諏訪氏)は、後になって、どっかからやって来た外様扱いというw
甲信以東では、国津神は土着勢力じゃなくて、明らかな後発の征服者なんだよね。
諏訪の恐るべきところは、この「真正の土着勢」が、氏族として近代まで残っていたこと。

28 :
武蔵四宮・秩父神社の禰宜は守屋通夫さんという人。
諏訪の流れかね?

29 :
>>27
護りに易く、攻めに難い山国信濃たればこその現象だな
人の流動性も非常に低く、時が停まったかのように何も変わらない

30 :
先住民の洩矢神が鉄の輪を持ち、侵攻してきた健御名方命が藤の蔦で戦った
という古事記とは違う伝承が残っているんだよね
その後、諏訪氏と守屋氏が共存して諏訪大社を支えたというのも興味深い

31 :
健御名方命は、諏訪に閉じ込められた。
であるならば、逃げ出さないように見張りが必要となる。
辰野の小野氏がそうなのか?

32 :
大神姓三輪氏が嫡流だよ。
神=ミワ=三輪
苗字と本姓が共にミワ(神)なんだし。
そもそも、朝廷が嫡流と認めているのが
諏訪氏ではなく三輪氏の方

33 :
朝廷が嫡流と認めているというソースは?
あと三輪氏が嫡流って何の嫡流?神姓の?

34 :
神姓の嫡流ってことじゃないか?
確かに、俺の地元でも神姓の古代氏族がいたんだけど
太田田根子を祖にしていたから大和の大神氏一族だわ
諏訪の神氏の一族は少ないけど
大和の大神氏の一族は全国各地にいるからな
諏訪なんかとは別格なんだわ
さらに言えば、大和の神氏は公式に神姓を名乗れたけど
諏訪は公式には金刺氏と名乗ったじゃん
格が違うんだよ

35 :
守矢家もまだ続いてるよね

36 :
建御名方神の長男と洩矢神の長女の間に生まれた子が諏訪氏の祖先
洩矢神の長男が守矢氏の祖先
守矢氏は78代目で現在も続いてる

37 :
大国主命の嫡男は事代主と健御名方命
古事記に記載すらない庶子の太田田根子とじゃ格が違う

38 :
事代主と健御名方命が嫡流っていうソースは?
太田田根子は古事記にも出てくるんだが?
大神神社の神氏の真似をして
自分も神氏を名乗った諏訪氏こそが庶流だろ
大国主より大物主の方が格上なのじゃ
大神神社は元伊勢だが諏訪は元伊勢じゃないだろ?
天皇家の前の日本の支配者が誰なのか普通ならすぐにわかるだろ
諏訪信者が

39 :
諏訪氏は三輪氏の一族って位置だよね。
苗字をみればわかるよね、神(みわ)を継いでいるのがどちらかなんて。

40 :
三輪氏も守矢氏も現当主は男系でつながっているの?

41 :
出雲神族の嫡裔は三輪氏だよ
他は支流

42 :
>>38
国譲りの記述を見れば大国主命の子達の中で事代主と健御名方命が別格なのは明らかでしょうに
諏訪氏は三輪氏の庶流なんじゃなくて、祖がそもそも違うのだから別物でしょ
天孫族が天皇家の分家でないのと同じ

43 :
三輪氏の嫡流は現在何家となっているのでしょうか
また嫡流は男系で現代まで続いているのですか?

44 :
旗本になった諏訪家は全部で何家あったの?
その中に男系を維持できている一族がいるかもしれない

45 :
三輪氏も諏訪氏も出雲族が移住してきたのかね
なぜ出雲族は大和や州羽に移ってきたのだろうか

46 :
出雲族(国津神)の嫡流が出雲にいないのは何故だい

47 :
諏訪に強制移住させられたから

48 :
なぜ諏訪に?あと自称大国主子孫の三輪氏が大和にいる理由って何よ?

49 :
10月はちょうど神無月だよ
出雲は日本全土を支配してた
大和に居ても不思議じゃない
出雲の大国主は国譲りの後、高層神殿に閉じ篭って
今の出雲国造はアメノホヒの子孫と言う事になってる
乗っ取られたと言う事だろう

50 :
記紀の記述を見たら、大国主が国譲りするかどうか聞いたのをみると
事代主のほうが嫡流ぽくて、
健御名方命のほうは有力な子息でも庶流ぽいけどな。
もしかしたら、事代主は嫡子だけど、健御名方命は庶兄だとか。
健御名方命は母方は越の出身なんだよね。
三輪氏と諏訪氏は、どちらが嫡流かどうかって
足利家と新田家のどちらが嫡流か聞くようなもんだと思う。
足利家と細川家ならば、明らかに足利家が嫡流で細川家は分家だけどw
足利家と新田家の場合、どちらが嫡流なのかは微妙。
歴史的経緯を見たら、
三輪氏を足利家に例えるのなら、諏訪氏は新田家に例えられる。

51 :
>>43
三輪氏の傍流ならば、天下を統一したよなw
まあ、自分の先祖は、放浪の源氏の入り婿でしたと偽称したけどw

52 :
大国主の後を母系で継承したのが、天火明命、天香語山命なんだけどねw
だから、男系では入れ替わったけど、大国主の天下を母系経由で
継承したのが、ヤマト王朝の王族ってわけで。
播磨国風土記などによると
大国主の王女の天道日女命の夫が天火明命であり、
大国主は、高天の天火明命に国譲りした。
だからこそ、天火明命は、別名、天照国照彦といわれる。
国譲りによって、天つ神と国つ神の両方の支配者になったという意味。
そして、彼の後は、嫡子の天香語山命が継承した。
彼は、父方が高天、母方が出雲であり、天神地祇合一の象徴。
そういう風に考えたら、天火明命の兄弟のニニギ命は、
出雲国譲りの直後、辺境の九州南部の高千穂へ飛ばされる。
そういう風に考えたら、天皇家は天孫の傍系だったと考えられる。

53 :
大国主命と三輪氏の祖である大田田根子の父・大物主は別人じゃなかったっけ?

54 :
たぶん元々は関係ない。しかし古事記には『大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』とある。
大神神社の由緒では『大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った』とある。
日本書紀(の一書)には大国主の別名とある。古事記や日本書紀を否定するとそもそも国譲り神話自体を
否定する事になる。出雲風土記には無いので。それなので別人と言いにくい。

55 :
賀茂氏には天神系と地祇系があるが、松平はどちらかな?

56 :
賀茂氏は天神系・地祇系とか別系みたいに言ってるが、実はどちらも同根から分かれた氏族と思う。

57 :
家康は、関ヶ原に勝って甲斐信濃を回復すると、日根野を放逐して諏訪家を諏訪高島に戻してくれた。

58 :
地祇系の三輪氏族の貴族で、天神系の賀茂氏の一族に入り婿で入った人がいる。
大田田根子命のちょっと後の子孫だったと思うが...
その人が、地祇系の賀茂氏の祖。鴨氏ともいうが。。。
陰陽道の賀茂氏は、この地祇系の賀茂氏のことで、
松平氏はその末裔だったと思われる。
新撰姓氏録は、ちゃんと男系で系統の違いを分類している。
賀茂氏も天神系と地祇系で分けているし
葛城氏なんかも、もとは天神系だけど、武内スクネの末裔が入り婿にはいったので
その葛城氏だけは皇別系としている。
忌部氏なんかでも、入り婿がはいった系譜は、それ以外とは別系統としている。

59 :
天神系の鴨氏って祖は誰?

60 :
>>53
大物主とは三輪山の神名で
三輪山は、大国主の仮の姿として信仰の対象だったのであろう。
大田田根子の父は、健飯賀田須命。
大田田根子は、
大国主から数えて9代目、事代主から数えて8代目の子孫とされていたと思う。
つまり、大田田根子は、三輪山を祭る神官だったと思われ
その先祖は、大国主ー事代主につながるとされていたであろう。
事代主の後から健飯賀田須命までは活躍が分かってないので
大田田根子が生まれたころは、かなり落ちぶれて
ひっそりの神官として生きていた一族だと思われる。

61 :
>>59
天神系の賀茂氏の祖は、賀茂建角身命。
神皇産霊尊系の貴族だと思われる。
実質的に最初の先祖は、天神玉命で、その孫あたりが賀茂建角身命だったのでは?と。
天神系の最高名門系は、高皇産霊尊裔氏系で
その次が神皇産霊尊系。
たぶん、これって、
ヤマト朝廷の譜代になった時期や王家との親しさの違いとかで分けているのかもね。
徳川幕府の譜代大名でも、松平系、安城譜代、岡崎譜代と分けていたけど。
高皇産霊尊裔氏系の場合は、ニニギ、天火明命の生母の一族だったわけだし。

62 :
確か武田信玄の側室が諏訪の姫で間にもうけた子が武田勝頼だっけ?

63 :
>>62
そうだよ。

64 :
>>61
別雷神てのも有るんだよな

65 :
三輪氏族系って、実質的には大田田根子が初代だよな。
大国主とつながっているかどうかは分からんし。
三巻イリヒコ(崇神天皇)が抜擢したようなかんじで
大田田ネコと事代主の間の人物の業績は全然わかってない。


66 :
となるとやはり大国主命の嫡流は諏訪氏になるのかな
事代主の子孫いないし、三輪氏の祖は大国主命と別人らしいし

67 :
大国主は大物主を見て「誰だあいつ?」と言ったんだよなw
おそらく元は別々の地域で信仰されてた神様だが国家形成の中で同一なものにされていったのだろう
オオムナジも別の神様だと思われる

68 :
神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。
古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。
古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。
だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。
日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは?

69 :
足利氏=三輪氏
新田氏=諏訪氏
ってな感じ?

70 :
足利家のほうが中央とのパイプが厚くて
新田家のほうは田舎でくすぶっていたのをみると
足利家=三輪氏、新田家=諏訪氏という例えは、分かり易い。
あと、系図を信じるのなら、三輪氏と諏訪氏の分岐は
大国主の子供の代だから、どちらが本家か分家か難しいしな。
足利家と新田家も、どちらが本家かどうかなんて判別難しい。
細川家、斯波家、畠山家などは、一応、足利家の分家だと思うし
里見家、世良田家、山名家も、一応、新田家の分家だと思うけど
三輪氏が出世したのは、大国主から8代後の子孫の大田田根子命からで、
その間は、くすぶっていて、何をしていたのかもわからん。
三輪氏は大田田根子命が実質的な初代。
だから、三輪氏と諏訪氏は、系図上は、大国主の息子の代で分かれているけど
その歴史的経緯を見たら、どこから、ずっと数代たって、世に出だした家系。
とくに三輪氏の場合はそうだし、諏訪氏も地方でくすぶっていたわけだし。

71 :
>>69
諏訪氏=岩松氏
三輪氏=松平氏
って感じだろう。新田で例えるなら

72 :
大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命
―水隈命―盛麿―豊麿―繁魚―清主
―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼
―頼平―有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光
―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣
―信有―有継―信満―政満―頼満―満隣―頼忠
―頼水(藩主)
―頼弘 (大祝)

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html

73 :
徳川家康の先祖って、安倍清明の師匠だったんだなw

74 :
>>68
>日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
>政治的にする必要があったのでは?
しかしそう書いてあるのは古事記の方だ。

75 :
大田田根子は大国主命の子供じゃないんだな
七千傑だけじゃなくHARIMAYAでも事代主の子孫という系図になっている
大国主命―事代主―天日方奇日方命―健飯勝命―健甕尻命―豊御気主命
―大御気主命―健飯賀田須命―大田田根子―大御気持命―大友主命―三輪氏へ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02106.htm
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_omiwa.html

76 :
大物主というのは、個人名ではなく、通称ぽい。
大国主とか、事代主とかも、そう。
鎌倉幕府の最大権力者に、鎌倉殿といったのと似ている。
だから、大国主と大物主は、もともとは別だったけど
大国主の一族か本人か何かが、大物主の地位も兼ねるようになったとか?
そんなかんじかな?

77 :
三輪氏が大国主命の子孫ってのは後付け臭いな
天津神系の最大対抗勢力の嫡流が出雲から朝廷のある大和に移り住み、政権近くで多大な権力持ってるのはおかしいだろ

78 :
ちなみに諏訪氏と三輪氏の現当主はどなた?

79 :
>>77
おかしく無い
大国主の勢力は日本全国と考えられるからな
国譲りをしたけれど
旧来の勢力の力を借りないと治世出来なかったとか
良く有る話し

80 :
神々の祭祀と三輪の伝説
http://shrine.s25.xrea.com/sujin2.html

81 :
>>80のページにあるように、
大田田根子が、大国主や大物主の子孫であるというのは後付けぽい。
まず、大国主と大物主が同じなのか?という疑問もある。
大物主というのは、古事記や日本書紀でも何度も登場するが
姿が人間ではなかったり、それらは三輪山の神というふうになっているので、
これは、実在の人物ではなく、三輪山のことを表しているのであろう。
一方、大国主のほうは、出雲王朝の最後の当主なのであろう。
これは実在の人物のモデルであると思う。
古事記にもあるように、大田田根子は、
崇神天皇が探し出すまで、その存在は知られておらず、
自己申告で、自分は大物主の子孫だといっているだけ。
それも数代前の婆さんが見知らぬ男と愛し合って生まれた子供の子孫が
自分(大田田根子)であるとかw 
そして、その見知らぬ男があとで調べたら三輪山の神様(大物主)だったとかw
そこから、大物主は実は大国主で、いつのまにか、大田田根子の子孫の
三輪氏族は、自分らは大国主の子孫という風に、後世、どんどん変えていったのであろう。

82 :
よって、三輪氏族ってのは、事実上、大田田根子が初代の人物。
それ以前の系譜に関しては、創作の可能性が大いにある。
うえで誰かが言っているが、松平家は自分たちは新田家の末裔だったと
いっているのに似ている。

83 :
では大国主命嫡流の諏訪氏に話を戻しましょう

84 :
大国主命は素戔嗚尊から三種の神器「生太刀、生弓矢、天詔琴」を奪ったんだよな
天皇家に三種の神器が伝えられたように、国津神嫡流にも神器が伝わっているんじゃないかな

85 :
諏訪家には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が伝わっている
三輪家には伝わってないの?

86 :
>>80の内容を見ても
三輪氏族系が大国主の末裔なのかどうか、かなり怪しいな。
松平家の新田氏系の徳阿弥伝説以上に怪しい。
実質、大田田根子が三輪氏族の初代という解釈で間違いないように思う。

87 :
では大国主命の子孫はどこへいったのか
特に嫡流は

88 :
三輪氏は君姓、諏訪氏は神姓
全く別物

89 :
諏訪氏が一番、嫡流を受け継いでいる感じだとは思うけど
でも、途中で婿養子が入って、男系では変わっている可能性もある。

90 :
>>89
幕末に高島藩主は婿養子を迎えたけど、それ以前は無かったんじゃないかな?

91 :
初代大祝で諏訪氏としても初代である諏訪有員を良く調べる必要あるな

92 :
大国主命が素戔嗚尊から奪った三種の神器って今どこにあるのですか?

93 :
三輪氏が大国主の末裔かどうか怪しいのと同じ位、諏訪氏が大国主の末裔というのも怪しい。
健御名方は本来大国主と関係無いんじゃないか?諏訪社の伝承には国譲りの件は無いんだし。

94 :
大国主命と奴奈河毘売の間に産まれたのが健御名方命というのは間違いないだろう
越の国にも伝承は伝わっているし
国譲りは大和朝廷側に都合よく書かれていて当然
諏訪側では逆に征服者としての伝承が残っているな

95 :
むしろ越から侵入したんじゃないのか?

96 :
出雲〜古志〜糸魚川〜諏訪のルートだろうね
大国主命と健御名方命の親子関係は間違いないと思われる

97 :
硬玉の翡翠の産地は糸魚川のみ
出雲大社にも翡翠の勾玉が残ることから同盟関係にはあったのだろう

98 :
糸魚川の翡翠はかなり広範囲から出てるはず。
物流の証拠にはなっても同盟は如何なものか?

99 :
守矢氏は何千年も侵略者の諏訪氏をたててきた。
これってすごいよね。
なんでとってかわろうとしなかったんだろう。

100 :
出雲と糸魚川双方に大国主命と奴奈川姫が結婚し、健御名方命が産まれたというで伝承残っている
古事記にも同じ記述

101 :
>>99
征服はしたが、守矢氏や金刺氏を滅亡に追い込むのではなく神官として存続させてきた
これもまたすごい事だと思う
出雲という先進国と洲羽じゃ圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらずだ

102 :
金刺氏は、神武天皇の長男の後胤。

103 :
大国主命の第一子の木俣神(性別不明)には子孫いないのかね
あと国譲りのとき事代主と健御名方命だけが大国主命から指名されたのは何故だろう

104 :
ヤマトタケルが討伐したイズモタケルって出雲の首長だったわけだし、大国主命の血筋なんではないかな?

105 :
三輪氏は偽物、諏訪氏は本物

106 :
諏訪大社に伝わる三種の神器の由来ってあるの?

107 :
天津神が神器をもっているのは
降臨したと言う証拠を示すため
国津神に神器は無いな

108 :
生太刀、生弓矢、天詔琴の三種の神器があるじゃん

109 :
それを大国主は代々継承したのか?
少なくとも諏訪に逃げた建御名方は持ってないと思うが
国を譲ったのに出雲に神器は残ったとかも無いだろう

110 :
諏訪には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が実在していたな
由来は知らんが

111 :
>>81
それだと三輪氏の系図(自称だが)で八重事代主が二代目になってる説明がつかないな
事代主は古事記で両親ともはっきりしていた訳だし
つまり三輪氏が大国主命の子孫というのは後付け

112 :
大国主の子が事代主で
事代主の娘がヒメタタライスズヒメ(神武天皇の嫁)
つまり政略結婚
嫡流は追放し、娘を嫁にした
まあ良心的な侵略者だな

113 :
ヒメタタライスズヒメは「三輪大物主」の娘
大国主命や事代主とは何の関係もない
ある意味自作自演

114 :
>>113
天皇によって編纂された日本書紀が
大物主は大国主の別名としてるのだが

115 :
古事記によれば
「オホモノヌシの神がスヱツミミの命の女のイクタマヨリ姫と結婚して生んだ子はクシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、その子がタケミカヅチの命、」
タケミカヅチはオホモノヌシの子孫

116 :
>>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係

117 :
>>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係

118 :
>>115
タケミカヅチはカグツチの血から産まれた天津神だろ
めちゃくちゃだな

119 :
>>113
日本書紀と古事記では、記述が違う。
それは、神武さんの近畿での嫁さんの出自について。
古事記のほうでは、大物主の娘ということになっているけど
日本書紀のほうでは、大国主の子の事代主の娘となっている。
どちらが正しいかは分からんけど、普通に古い古事記のほうが正しいのでは?
大国主と大物主は、本来は別だったのが、いつのまにか、同一視されたらしいし。
つまり、後に政治的に作られた日本書紀では、
神武の嫁さんは、出雲の大国主の系統ということにしたかった。
しかしながら、実際は、神武の嫁さんは、三輪山の大物主の娘で
大国主の後胤ではなかった。
ヤマト朝廷の正統性は、出雲国譲りにあるわけで、
出雲から譲られたことが前提だったので、日本書紀では、
神武の嫁さんを、出雲の大国主の孫娘にする必要があった。

120 :
一方、出雲国譲りの時、つまり、神武東征よりも三代くらい前に
出雲の大国主の娘を妻にむかえて、その大国主から天下を譲られた男がいる。
ようするに、出雲国譲りを実現させた主役の男ということだ。
それは、播磨国風土記、旧事本紀、海部氏系図にも記載がある。
その男とは、天火明命のこと。
通称を天照国照彦という。天津神と国つ神の両方の支配者という意味だ。
彼の正室は、天道日女命といって、大国主の娘だった。
つまり、出雲国譲りとは、大国主が義理の息子(娘婿)の天火明命に
天下を譲ったという真相もあった。
だからこそ、ニニギの後胤である神武皇統の天皇家は、
神武の近畿での正室の嫁さんの父親の大物主を
大国主や事代主と同一視したかったのが分かる。

121 :
諏訪大社の大祝は天皇以外では唯一の現人神だった
明治の国家神道の中で廃止されてしまい、家系も断絶。
分家の存在は不明だが実に嘆かわしいな

122 :
大田田根子の父親がタケミカヅチという古事記の矛盾が生じているな
またヤマトトトヒモモソヒメ(七代孝霊天皇の娘で箸墓古墳に埋葬されている)が大物主(と後で知った)
との間に産んだ子が事代主、その後裔が大田田根子
という国譲りと全く時代 が合わない矛盾もある
天津神の子孫が国津神の先祖に国譲りを迫るという摩訶不思議な話
古事記作成の中で三輪氏の恣意的なものがあったのだろう

123 :
古事記と言うより崇神天皇の影響でないかな
出雲も三輪もその時にすり替えられた感じがする
建御雷神の子と言うのは有り得ない

124 :
>>122
大物主は顔を見たことないけど、実はヘビだったという話だから
要するに、モモソ媛命は、独身の巫女で
三輪山につかえる巫女だった。
大物主という人間と結婚したわけではなく
三輪山の祭祀を行う女性だったということでしょう?
今でも、夜中に宮中祭祀をするけど、その時、
天皇は神様と合体するわけだからw
それと似たようなことをやっていたんでしょう?モモソ媛命は。

125 :
天皇は子供産まないだろw
矛盾だらけの三輪伝説と訳が違う

126 :
三輪氏は大国主命の子孫でないし、出雲族とも無関係な古代の有力氏族
というのが結論だろうね

127 :
古事記に記載のある謎の系図。大国主命の神裔としてはここが嫡流かもしれない
大国主命―鳥鳴海神―国忍富神―速甕之多気佐波夜遅奴美神―甕主日子神―多比理岐志麻流美神
―美呂波神―布忍富鳥鳴海神―天日腹大科度美神―遠津山岬多良斯神―・・・

ちなみにこの続きはどうなったのだろうか

128 :
モモソヒメと大物主の結婚の伝承は
独身のシャーマンであるモモソヒメが
三輪山(大物主)の祭祀を行っていただけだろう?
モモソヒメは夫である大物主の顔を見たことがなく
初めて見た時にヘビだったので、おどろいて尻もちをついて
ハシ(食事に使うハシではなく、祭祀で使うハシ)をRについて
死んだという話だし。

129 :
要するに三輪氏が大物主の子孫だというのは捏造だということだろう
編纂の時点でも矛盾は感じていたはず

130 :
三輪氏が大物主の子孫というのに疑問符が付くだけではなくて
大物主=大国主という解釈にも疑問符が付く。
二重の捏造だな。
いずれにせよ、三輪氏の事実上の初代は、
三巻イリヒコ(崇神天皇)に見出された
大田田根子命。
この人物が、大神氏、陰陽道賀茂氏の先祖であり
松平家の先祖にも当たる。

131 :
>>99
諏訪地方にはミシャグジ様への厚い信仰が縄文時代から深く根付いており
洩矢神は唯一ミシャグジ様を操れる存在だった
建御名方神が洩矢神を打ち倒しても地元の信仰心は揺るがなかった
それで建御名方神は洩矢神を助命し、洩矢神をクッションにして農耕文化(弥生文化)を伝えた
そして建御名方神の子孫の諏訪氏が大祝、洩矢神の子孫の守矢氏が神長官として続く事になるが
面白いのは諏訪地方での実質的な政権を掌握していたのは守矢氏という点

132 :
建御名方神は侵略者と言うより
迷惑な押し掛け居候みたいな感じだからな
ちゃんと住み分けるのが日本ぽい

133 :
守矢氏が実質的に政権を握ってたというのが意味不明
名実共に諏訪地方の主導権は諏訪氏にあったのだろ。戦国時代なんかまさにそう

134 :
戦国時代は参考にならない気がする
旧来の権力無視が戦国時代だし

135 :
鎌倉時代で既に諏訪氏が大きな権力あっただろ

136 :
旗本になった諏訪氏について詳しく教えてください
男系は存続しているのでしょうか

137 :
>>136
ここが詳しい
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html

138 :
縄文時代も農耕時代なんだけどなw

139 :
harimayaには旗本の系図載ってないな

140 :
今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。









141 :
子供が「ハンバーガー買うにはお金がいるんだよ!スマイル0円とか言っているのは、お金を出させるためなんだよ!!
そんなこと知ってる僕って、オトナの世界の裏のウラまで知っちゃったんだぜ!!!」
とか言っているに等しい、可愛らしい書き込みですなぁ、ほのぼのする。

142 :
素戔嗚尊―・・・―大国主命―健御名方命―・・・―諏訪氏
の流れが国津神の男系嫡流
天津神の男系嫡流の天皇家とは対極の存在

143 :
>>133-135
信濃では諏訪氏が力持っていたけど
諏訪地方だけはずっと明治頃まで守矢政権だった
江戸時代に藩主が赴任した時でさえそう

144 :
今もそうと言えるな

145 :
>>143
具体的にはどんな事例がありましたか?

146 :
現人神とされた人は天皇と大祝以外にいたのかな?

147 :
天津神の当初の男系嫡流は、尾張氏の嫡流だったんだけどなw

148 :
蛮族であるはずの隼人も天孫族だったりするしな
山幸彦以外は天孫族として論外だろ

149 :
諏訪氏において神武天皇に相当するのは誰?

150 :
旗本になった諏訪家の家系図が詳しくのったものってないの?

151 :
オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
オリンパスは、産業医を使ってHさんを精神異常者に仕立て上げようとした。
<T谷弁護士は(編注:原文は本名)不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、
まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、
怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>
<このような集団ストーカー行為、もしくは
産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
精神分裂症等の精神病として診断書を作成して
被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し
措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて
対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>


152 :
三輪氏の本姓は神じゃなくて君だったよな
神なのは諏訪氏

153 :
守矢神長家の話 守矢早苗
      「神長官守矢資料館のしおり」より
■洩矢神からの生命のつらなり
 諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えら れています。
そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、
出雲系の稲作民族を率いた 建御名方命がこの盆地に侵入しました時、
この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住 民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪 を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。
その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神 (岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、
天竜川を挟んで対岸に祭られており、 藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家 の氏神様の祠ということになっています。

154 :
 一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」に よりますと、
この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりと なっております。
今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
 さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、
しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢神の子孫の守矢氏が神長 (のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
 大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、
呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
 こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。
こうした信仰と政治 の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。

155 :
■ミシャグチ様のこと。
  諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営 まれます。
家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、 ここではミシャグチ神とします。
そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む 神殿、そして
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町) で行われました。
 そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上 げや、
ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、
大県(信州一円の神氏 系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。
童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で
一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。

156 :
■一子口伝の秘法の終わり
 このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、
明治維新によって大きな変化をこうむりました。
明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。
また、 明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。
しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
 そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、 七十七代の真幸にその一部を伝えました。
 私は更に次のように伝え聞いております。
 明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、
一子相伝により 「くちうつし」で伝承されました。
 その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、
具体的な神事の方法に つきましては、一子相伝で伝わったのです。
 しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。
祖父の七十七代 真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、
それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。

157 :
大祝(おおほうり)の「ほうり」の語源って何?

158 :
祝は古代の官社制では禰宜の下位に置かれた神職であり
男性の神薙の意味でも用いられる。
語義は「穢れを放り去る者」であると言われている。
ちなみに諏訪大社下社の「大祝」は金刺氏(神武天皇の子・神八井耳命の子孫)
諏訪大社上社の「大祝」は諏訪氏
(建御名方神の子孫)
が近世まで務めた

159 :
手研耳の乱
ホ31111 イイロよむウタ
サユカワゆ クモたちわたり ウネビヤマ コのハさやぎぬ カゼふかんとす
ウネビヤマ ヒルはクモとゐ ユフされば カゼふかんとぞ コのハさやげる
ワカミヤは このフタウタを かんがえて サユにそこなふ ことをしる カンヤヰミコに ものがたり
手研耳(ノ)命、陰(ひそか)に帝位を簒(うばは)んことを謀(はか)る。故に恩を布(し)
き、党を結ぶ。手研耳(ノ)命、誅せらることに逮(をよん)で、則ち党属数千人、其の
子、彦耳(ヒコミミノ)命を以て主として畝傍(ウネビ)山に在(あり)て、以て朝廷に敵す。
皇太子、親(みづ)から官軍を帥(ひき)ゐて、畝傍山を囲む。党属の中に舎人(とね
り)欲雄(エキヲ)、弟彦(ヲトヒコ)といふ者(も)のあり。
建御名方命は、この乱で追放されたのでは?

160 :
北町奉行諏訪美濃守の息子が藩主に成った

161 :
他の息子は?

162 :
神長官 守矢氏 家系図
ttp://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira123229.jpg

163 :
千家や諏訪家もそうだけど
紀元前から続く家系というのは壮観だな
勿論血の繋がりなら日本人は皆それくらいの代を重ねてきてるわけだが
家系図として連なってるのは凄い

164 :
>千家や諏訪家
書くなら「千家家」だろうに

165 :
近世の大祝家、旗本家も含めた諏訪氏系図を体系化したものを教えて下さい

166 :
同じことをしつこく尋ねるくらいなら自分で調べた方が早いのでは?

167 :
そういうのは当家の人が公開しない限り判明しないんじゃないか
大祝を歴任した諏訪氏の嫡流は
諏方姓になってから15代目の諏方弘氏が平成14年に死没して断絶
守矢氏もおそらく最後の代になるであろう78代目守矢早苗氏が初めて系図を公表

168 :
寛政重修諸家譜や系図纂要では足りんのか?

169 :
そこには詳細な家系図が載っているのですか?

170 :
読んでから言え

171 :
それ図書館で目を通したことあるが、索引ばっかの事典みたいだったぞw

172 :
天皇家の対極という存在に神秘性を感じるな

173 :
>>171www

174 :
諏訪神道って天照大神を中心とする普通の神道とは違うの?

175 :
諏訪氏を嫡流とする神氏の中で最も繁栄した一族って保科氏だよな

176 :
 
確かに日本には特別な人々がいる
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/4/127_3.html
私の周辺で社会を牛耳り、企業を牛耳る人々の人相、体系に、
大きな共通点を見出した。
ひょっとしたら、親類ではないかと思うほど似ている。

177 :
つーか諏訪氏と三輪氏って同族なのか?

178 :
三輪明宏もDHC

179 :
三輪じゃなくて美輪明宏だろw

180 :
諏訪氏と鹿島氏(の傍流同士)が戦国時代に戦ったみたいなことは無かったのかな?

181 :
大祝を復活させよう
天皇家に並ぶ名門

182 :
>>27
この守矢氏先住部族説ですね。
”守矢氏は建御名方が諏訪にお祀りされる以前からこの地に土着していた一族で、
祖神とされる「モレヤ(洩矢)神」を祀っていた・・・・・守矢一族は建御名方を
祭神にむかえ、その子孫ともいわれる諏訪氏を大祝に据え、みずからは神長官と
して大祝を補佐する職に就いた・・・・・”
諏訪大社に関する考察  2009年10月
http://www12.ocn.ne.jp/~libra/toho/tohoessay/kousatu01/kousatu01.html

183 :
天津神と国津神って、要は譜代と外様の違いみたいなもんじゃないの?

184 :
>>182
神長守矢家って、男系継承なのに土着系なの?
以外だな。
狩猟民たる縄文人も男系社会だったんだろうか。

185 :
基本だが混同している輩が多いので改めて言うが明治まで上社と下社は別。
下社大祝は大和朝廷系の金刺氏で同じ諏訪氏を名乗るも別物。
ここでは守矢洩矢と過大評価しているが守屋の知名度は低い。
ミシャグチ神なんて地元諏訪でも歴史に詳しい人でなければ今だ知らないよ。
それに男系継承なんて今流行りなだけだろ。アホ草。

186 :
>>185
男系継承が今流行りってどういうこと?

187 :
>>186
後で中国から大和朝廷に入り、それが縄文系のモレヤ氏にも採用されたということでは。

188 :
>>156
明治維新というのは中国でいうなら文革。
なんでネトウヨが礼賛するのか理解に苦しむ。

189 :
>>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか

190 :
>>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。

191 :
>>188
朝鮮人には理解できないだろうね

192 :
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
                                   糞スレ終了
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.

193 :
>>184
おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。

194 :2013/10/21
諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは?
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
福島「長州じゃ長州の仕業じゃ〜!」 (162)
もし日本の面積が今の10倍だったら (113)
もし平家が源氏を滅ぼしていたら… (300)
結局日本文化なんて一つも存在しないんだよね (352)
赤穂浪士って武士じゃねえよなw (957)
平成は日本の暗黒歴史 (575)
--log9.info------------------
声が出ない引きこもり (147)
Rされてヒッキーになった人 (147)
ひきこもりはブラックジャックによろしくの精神科編を読め!!! (193)
外に出るとオシャレな髪型の奴多くて落ち込むヒキ→ (107)
断食するヒキコモリ (377)
自分自身が生理的に無理なヒキ (126)
ヒッキーで大学いけません18連休目 (311)
戸塚ヨットスクールと長田百合子を批判するスレッド (214)
24歳までに大学へ入学することを目指してるヒキ (651)
高認(旧大検)から大学に入った人々 (915)
ヒキコモリのための大学受験勉強マラソンスレ (723)
働いてるヒッキー7社目 (629)
人生で最も大切なのはコミュニケーション能力 (584)
(´-`).。oO真性引き篭もりの集い Part103 (778)
引きこもりの体臭 悩み版part1 (312)
昭和60年(1985年)生まれの引きこもり (235)
--log55.com------------------
増田哲也専用スレ
Rハゲ気持ち悪いwwwwwwwwwwww
ニートな上スケベ男児
笹井と小保方はデキている。STAP細胞が
ポスドク「国が悪い!社会が悪い!俺を救え!」
STAP細胞はありまあああああああああああああす
炭酸水うますぎワロッタwwww
バイキンマンて抗生物質で死にますか