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【リヒター】 写真論を戦わせるスレ 【飯沢耕太郎】


1 :2006/07/01 〜 最終レス :2013/04/28
写真とそれを取り巻く社会環境やマーケットについて、
おまいらの自由な意見を聞かせてくださいな。 ヽ(´ー`)ノ

2 :
デジ坊がレスしたら会話にならんから、この板では無理。

3 :
>1
デジタルになって、益々写真趣味が価値を失った。こんな未来がやって来るかも。
男「おれ、写真が趣味なんだ」
女「へえ。じゃ、やっぱりフィルムで撮って自分で焼くの?」
冗談だけど・・。

4 :
>>3
意味を失うということはないんじゃない?デジになって撮影やプリントが簡単になったのは事実だけど、
写真を撮る感性の部分は、デジになっても簡単にはならないでしょ

5 :
>4
なんだろ。社会の認識かな。
銀塩からの流れなんだけど、AF、AE、高性能フィルムと来てデジタル。
その結果、写真を撮る行為の敷居が恐ろしく低くなった。
今や、さして自分の撮る「写真」について考えもしない人たちがカメラを持ち、(記念ではない)数え切れないシャッターを押していく。
レタッチ云々ではなく、デジタルで写真を撮ることはとても優しい。例えば、今や素人が何の設備も持たず物撮りをする。
その結果、写真技術というものは特別なものと思われない時代が来るのでは? という冗談。
あるいは、桁違いの難しそうな写真だけが敬意の的となる、とか。

6 :
逆に技術が簡単だからこそ、一瞬の表情を捉えたポートレートとか、
都市風景の一部を鋭く切り取った心象写真なんてのが
重要になってくる希ガス。
どちらにしても、これから写真を続けるのは大変な時代かもね

7 :
パソコンが普及して、フォトショやイラレを手軽につかえる時代になった今、
版下なんかも簡単に作れてしまう。(でもシロートのデザインはそれなりだけど)
でも今は時代の過渡期で、そのうちデジタルカメラの事をわざわざデジタルと言わなくなる。
その頃にはまた新しいシステムができて、「最近の奴らは…」∞の繰り返し。

8 :
「最近の奴らは…」ではなくて、どんどんと撮影が簡単になっていく中で、写真趣味がもはや趣味として尊重されなくなるのではという危惧、かな・・。
たとえば、昔は音楽を聴くということが趣味として認識されていたけど、CDとともにそれもなくなった。
「聴く」ということが趣味で無い、というのはともかく(として)、写真は「撮る」という能動的な行為。
それが、別段なんでもないことになってしまう状況。その兆しが今確実に見えている。気がする。

9 :
http://kanabun-2.kir.jp/g2%20shiroutokeigazou/src/1141524828006.jpg

10 :
履歴書に趣味:写真撮影と書いても、趣味:映画鑑賞ぐらいの価値しかなくなるってことだな

11 :
なんだこの暗さは。

12 :
批評とは何だろうみたいな話をしたい人がいるみたいなので
まずは自分が思うところを書いてみる。
批評しますスレで批評の批評をしたい人、こっちへいらっしゃい

写真論なんて大層な事は語れないので、最初の第一歩として
批評の定義についてさくっとまとめてみる。
批評とは表現者が提示した作品に対し、知識と感性のある
批評家が他者の視点から評価・位置づけを行う事でしょ?
批評家は作品から何らかのイメージを受け、それを
他人が理解できるように、文章でことほぐしてみせる、と
思うに、感覚的な文章と論理的に厳密な文章は相容れにくい
ものだから、批評家には自分の体験したイメージを理解できる
ような文章にまとめあげる才能がいるんじゃないかな
(つまり、感覚を論理に再構築する才能とも言える)
心地良いと感じたとして、何が心地良いのか、どの程度
心地良いのか、を数学みたいに完全に厳密には表現できないよね?
「ちょっと待ってて」とか言うときの「ちょっと」って何秒?何分?
何時間?
ようは、そのアバウトな部分を他人が納得できるような形で
提示する才能って事
必要な量の(批評家と完全に同一とか言うと不可能なので、
そこそこな)知識を得られれば一般人でも批評家の感じたイメージを
追体験できる批評が、理想の批評文であるというのが自分の意見

言うまでも無いことだけど、単なる主観の産物なので
メッタ切りに・・・ってメッタ切りはイヤなので、やさしくしばいといて
くらさい
(批評の定義づけ自体を・・・とした上で話をしたい、とか
それで批評はどうあるべきか、みたいにね)

13 :
>知識と感性のある批評家
最初に嘘っぱちの前提を置いてちゃだめだな
>他人が理解できるように、文章でことほぐしてみせる
そんな親切な奴ばかりじゃない。
他人=万人ではない。
対象と懸け離れた難解な文章で表現してそれが批評としての力をもつ場合もある。

14 :
批評ってのはね、結局のところ、自分をさらけ出すことになるんだよ。
もちろん、写真のことばかりじゃないよ。
その人の持っている世界観・価値観…。
その人の全てがね、出るんだよ。

15 :
デジタルになって誰でも同じように撮れちゃうってのは案セルアダムスとかあほな老人カメラ同好会のア
マチュアカメラマンみたいに技術とか川柳的なわかりやすさとかで差異化をはかってどうですかうーん
いいですねっ、てほめられたいだけの人にとっては写真やる動機がなくなる訳だからきついんだろうけど
人に見せる見せないじゃなくて自分の作家性みたいのにタンタンとしたがってくしかないってことが
はっきりするって意味ではいいことなんじゃないか
女子高生が毎日写メール何十枚も撮るような今の時代に
ロバートアダムスや渡辺兼人みたいにまじめにストレートプォトやったところで
世間一般的には「だから?」ていうか黙殺なんだろうけどなんかそういう虚しさに
たえてほそぼそやってくってのがわりと写真のほんしつに近いんじゃないかと。
つーか田舎だと暗室材料手に入んないから全部通販しかも印画紙高杉

16 :
さすがに写歴のある人の言葉だ。納得。
なんてーか、技術自慢ではないのだけど、フィルムだと様々な技術が撮影限界=撮れる絵を決定していた部分があると思うのですよ。
それが、さまざまなテクノロジーによって自由になったことで、趣味としての面白みが減ったなあ、と。
黙々と・・。まさにそのとおり。
でも、なんだかデジタルって軽んじられている気がして、うちのHPも銀塩だけ見ていく人が多い。
まったく同じスタンスなのに。

17 :

そもそも銀塩が高い技術力を必要とすると思い込んでるのがまちがいでな、たかだか3日もあればおぼえる程度のことでねーの。銀塩なんて団塊世代とともに滅びていいんや。

18 :
>>17
だが断るw

19 :
>そもそも銀塩が高い技術力を必要とすると
そういう風には言ってないよ。

20 :
俺も銀塩は滅びると思うけどまあそれでも自分で感材つくってつでもつ”けるやつはいるんじゃなかな
デジタル時代になってもリヒターとか奈良みたいに油絵やりつつ”けてるやつらがかっこいいのと一緒で

21 :
ま、パソコンを使えない人がいずれ滅びるように、
デジカメを使えない人もいずれ滅びるだろうけど。

22 :
ある程度のレベルに行っちゃうと、写真の良し悪しって技術じゃないよね。
メンタル。
撮れるか?撮れないか?というより、何をどう撮るか?の部分が大きくなってくる。
と思ってた時期、牢名主に立候補しようと思う俺です。

23 :
シ----ーン

24 :
age

25 :
>何をどう撮るか?
これ、まさしく技術的アプローチなんだが。

26 :
>>25
技術的なアプローチ以前のことを指してるんじゃないの?

27 :
本当の天才でもない限り、技術と精神と、どちらかだけなんて断定はできない
普通の人は、テクニックにハマって、テクニックより気持ちが大事だと気づいて
でもテクニックも必要だなと見直して、やっぱり小手先のテクだけじゃイカンとか言い出して
その繰り返しだろ

28 :
>>25
>>22が言ってる「どう撮る」ってのは広角であおってとか、
望遠でぼかしてって話じゃないだろーよ。
一枚写真じゃなくて、複数枚の写真をテーマ持って組めばすぐに気付くことだろ。

29 :
>>26
>>28
そうそう。そういう事。

30 :
>28
いやあ、違うんだけど。
何をどう撮るって考えてる時点で技術じゃない? 何を、まではいいけど、どうって自覚した時点で技術が入り込むよ。
言葉が悪い。

31 :
そういうレベルで話してないんだけど。

32 :
そりゃあ写真を撮るのはカメラでありレンズなのだから、
「どう撮る」を具体化すれば技術的なものは切り離せないだろう。
たぶん彼の言いたいことは、「どういうイメージとして提示するか」ということではないのかな。
じゃその方法は、というと、それは技術であるわけで。

33 :
>>32
代弁ありがとう。もちっと噛み付かれたら説明しようかと思ったけど助かった。

どうしたらいいんだろうね。何か会話にならんというか。

34 :
というかね、どうしてこういう話になるかというと、
あの写真批評スレの他の写真を見たけれども、
残念ながら、何をどう撮るか?という事を考えているだろう写真が殆ど無いんだよね。
何をどう撮るかというのはもう決まってる。
それは本人が決めたというよりも、むしろ特定の写真界、
例えば、雑誌やらネットに溢れてる花を綺麗に撮りましょう。
風景を撮りましょう。なんちゃらをこう撮りましょうという状況の力に押されてシャッター押してる。
そのレベルの話から先に進まない。
写真撮影板って言うからには、もちっと気合入れて撮ってますな人が居ていいし。
少なくとも亀板には何人もそういう人が居るから。
間違って欲しくないのは、俺はその手の写真を否定してる訳じゃないよ。
それも写真の一つだと思うし、その手の使い古された価値を凌駕する何かというのは
その延長線上にあると考えてるからね。

35 :
>>34
禿同。別の言い方をすると、スタイルだけが決まってて中味が無い。
どこかで見た写真家の模倣をして、それなりになんとなくシャッターを押してるだけ
その被写体にカメラを向けた、本人の内的な想いとか葛藤とかが見えてこない。

36 :
>>35
そうそう。そういう話なの。

37 :
>>36
レスThx! 自分がデジの時代になって感じているのは、
昔のように高速で移動する物体や小さな生き物を写真にするときに
非常に特殊な技術や腕が要求された時代だと
その困難な条件に逆らって写真を撮るという写真家の姿勢だけでも
力強い意志となって見る側に伝わっていたのでは・・・と思うのですよ。
それに比較して、昨今のように困難な撮影条件というものが非常に少なく
誰にでも条件の良い写真が撮れる時代になると、
以前にも増して「その被写体にカメラを向ける」
写真家の意図やメッセージ性が要求されているのではないかな・・・と

38 :
なるほど。
動体撮影等に特殊な技術が要求された時代に、動体を撮ってた人には
先駆者としての新規性があったのかなという風に考えてたけど、
どうしても写真に撮ってやるという強い意思もあったのかもしれない。
ちょっとしたアレなんだけど、4年前のワールドカップサッカーの時に
アサカメの巻頭にサッカーの写真が掲載されていて、普通の報道的写真なら
すぐに忘れちゃうんだろうけど、そこの掲載された写真は只の報道写真的じゃなかったんんだよね。
誰だか解らんがスローイングする腕と頭だけ何故かクローズアップされてたりして、どんな写真だったか結構覚えてる。
ああ、普通に誰がどうした的サッカー報道写真が溢れる中にもこういう写真を撮る人が居るんだと思った。
そこには、ワールドカップサッカーという当たり前の中に、
写真家の非凡なる意図があったのかもしれないなと思ったり。

39 :
>>38
それはなかなか面白い写真だったでしょうね。只の報道カメラマンじゃなかったのかも。
今の世界って、それこそ日常的に写真が溢れてるからこそ、
小手先のテクニックじゃない、他とは違った写真が求められているような気がします。

40 :
去年始めてコダックが発売されたかのような会話だな

41 :
>31など。
こっちもそういうことじゃなくて。
写真って、スナップにしろすべてが計算に溢れている。これは風景などには当てはまらないけど、偶然を捉えるなどと言う割にはそれを計算してる。つまり技術で作ってる。
もっと理屈を凌駕するものはないのか? 現実を記録できるのなら語りなんていらないじゃないか?
という、まあ未熟な解釈だよ。写真論なんて知らないし。

42 :
今まで何百本撮った?数えてなんかいないが何千本に掛かる遥か前くらいで
撮影時のあなたの言う計算や技術は引っ込んだけどな。

43 :
なんていうか、スナップも富士山や花とたいして変わらない気がするのよ。
定型が刷り込まれてて、無意識に形にまとめようとする。
よく風景写真を出来合い写真のコピーと揶揄する人たちがいるけど、単純に動いている世界を切り取っているという自負だけで勘違いしているのではないかと思う。
つまり、特に何でもない景色を必死に形作って、本当の気持ちや衝動をごまかしている。
よく素人さんが写真が分からないと言う。難しいと言う。当たり前だと思う。
撮る側に何にも無く、解釈して分かれと放り投げているのだから。
という、まあ未熟な解釈だよ。写真論なんて知らないし(リピート 笑)。

44 :
本城直季が人気だが、Olivo Barbieri、Marc Rader、Miklos Gaalといった
「元ネタ」の存在を無視している
コマーシャルの世界では半ば公然と行われている「パクリ」だが、
写真家として、またはアートとしてやるなら許されない
これはそういう意識を持った他の人間すら貶めるものだ
森山大道が好きだからと森山風の写真を撮る
これも同じことだ
篠山、畠山のパクリ
荒木のパクリ、中平のパクリ
海外から「どうせわからないだろう」と引っ張ってくる奴よりマシな気もするが、
こういうものも同じことだ
習作としてやるならまったく問題ない
ただ「自分の作品」を求めるなら、それとして発表するなら、これは許されない
恥を知れ
そして誇りを持て

45 :

それを毅然と公の場で指摘するのが批評家の役目だろ
批評亡き写真界ってわけだな

46 :
写真を撮るということは政治だなー

47 :
金村修の生批評聞いたことあるけど容赦ないぞ。いい意味で。

48 :

写真家ってのはみんな最初は写真を成立させるためのある方法として
コンポラなりドイツ写真なりっていう『歴史』を参照するんだけど
一流の作家ってのはある時点ででそういう写真界や現代美術界の文脈からどんどん離れていくんだと思う
尾仲浩二さんにしろ関口正夫さんにしろ個人的には大好きなんだけど
コンポラっていう枠の中で成立してるっていう限界があるし
それはほとんどのドイツ系現代美術系の写真作家にも言えることだと思う
160年歴史があって全く新しいとんでもない写真なんてほとんどありえないんだろうけど
作家てのは新しい/古い、うまい/下手って言う社会的な評価と切れたところで
世界と自分の間の対話というか、個人的な探求をタンタンとやっていくしかない訳で
その結果としてごくまれに奇跡的に新しいものが生まれたりするんだけど、
それは>>38みたく奇抜な発想とか奇をてらうことでなくもっとシリアスなことだと思う
うまく言えないけど大事なのは目先の新しい/古いっていう二分法にとらわれるのではなく
いかにして写真を『なぞる』ことをやめるかなんじゃないかと




49 :
俺はスティーブン・ショアとかエグルストンとかのニューカラーとか、
ニュートポグラフィックス、ソーシャルランドスケープ的な写真が好きなんだけど、
その一方でセンチメンタルな旅・冬の旅はやっぱり傑作だと思っちゃう

50 :
>いかにして写真を『なぞる』ことをやめるかなんじゃないかと
ふーん、という感じ。(ふーんというのは褒め言葉です)

51 :
写真撮るのも才能いるからなー

52 :
なぞる云々言ってる人は久門易の「藝術写真捏造博覧会」を読むと面白いぞ。
絶版だと思うけど。

53 :
まず自分の資質を知ることからしか始まらねー
いっぺん死んできなー

54 :
一番悲しいのは自分が新しいものをやってるつもりだったのに
すでにやられていたものの焼き直しでしかなかったりすることだよね
それなりに過去の写真を勉強するのも必要だと思う

55 :
新しさとは無知の裏返しな場合がほとんど

56 :
>>53
へぇ〜。で、お前は資質あるの?それとも死んでくるの?

57 :
おR

58 :
いま>>57が非常にいいことを言った
オマエラしょせんRとチンコのカス同士だろっ!と

59 :
ここはカメ板とデジ板で落ちこぼれた奴らの掃き溜めですから・・・

60 :
koko→nichann

61 :
絵葉書的な綺麗な写真は増えても、見たいと思わせる写真が少ない今日此の頃w

62 :
やっぱブログかね。あの乱雑で無自覚な写真の貼り付け。
あれは本当に「写真を真剣に見せる」という意識を撮影者から無くさせる。
新しい形? 自由な形? どうかな。単に安易なだけだと思う。

63 :
>>62
やや同意。撮った本人以外には意味の無い
『心象風景』みたいなものを延々と貼ってるサイトが多いよね。
自己愛の極みを見せられてるようで疲れるよ。

64 :
う〜〜ん。自分が意図したのは、
『心象風景』みたいなものを延々と・・ではなくて、写真の選別をしていないなあと。
明らかにボツの写真を見せられると全体のレベルが下がって見えるし、そんな感じでぐちゃぐちゃと張られると、もういいです。さようならと。
ついでにくだらないロゴも。邪魔なだけ。

65 :
どっちにも同意な俺が来ましたよ。
元々人に見せられるような写真なんてそんな簡単に撮れないのに
Blogのために撮る写真って、とりあえず撮りました的な写真が多い。
だから第三者からすると、見るに耐えないのでは?
言い方をちょっと変えると、心象風景みたいに見えるとか
長野で起きた放火事件も、結局はBlogのネタを作りたかったんでしょうし。

66 :
自己満足な写真があったっていい。
いやなら見なきゃいいだけ。

67 :
心象風景に見えるならまだ「イイ写真」と言えるのでは?
撮るという行為やそれをネットに載せるという行為が自己満足でいいんだけれど、
人に見せるという意識がなく垂れ流しているブログが多い
編集もしてない自分の子供の運動会のビデオを延々と他人に見せ続けるのと一緒なんだ
俺は安易なブログブームよりも、携帯カメラの普及のせいだと思う
誰でもシャッター切ればそれなりに写るカメラを携帯している
写すという行為が安易になり、64の言うように選択もせず載せる
ポジでちゃんと撮るという行為の中には
撮影後、ちゃんと撮れたかどうか自分で見直す=自分が何を撮れたのか、撮れなかったのか見直すという行為があった
多くのブロガーが、純粋な意味で趣味写真でやってるんじゃないだろうし
「嫌なら見なきゃいい」というのはネット社会の中では正論なんだろうが
ここはあくまでも写真論スレなので・・・スルー

68 :
写真を見る人に、
一つのテーマを思い浮かばす事ができる
複数写真を提示する事を求めているのかな?
スレを読んでみて、そう思った。
思い浮かぶテーマの内容が、見る人によってそれぞれ違うだろう。
その内容が、多数の人に受け入れられて、
金銭的に利益を上げられるようになったならば、その撮影者はプロになるだろう。
想いが多くに人に受け入れられなくても、
独自の道を歩み、芸術家に往く人もあるだろう。
プロというのは、「それによって、利益を上げる事ができる」という事。
決してプロの作品が、至高のものではない。

69 :
初心者です。
橋口譲二の写真の
すばらしさが
わかりません。
鑑賞のポイント
解説お願いします。

70 :
橋口譲二ってもいろいろ作品集はあるでしょ。
先に結論を言えば、解らないものは解らないでいいんだと思うよ。
それを皆が高く評価してるから、いいと思わなくちゃいけないなんて思わない方がいい。
では17歳や職人なんかの系列で「おいらの」考えとして言えば、
評価スレでも誰か書いていたが、写真には記録性という重要なファクターがあります。
強い被写体やテーマに沿った人や物を、高い技術でストレートに記録するというのは
記録だけでなく、作家の表現(構え・姿勢)にもなると思うのです。
鑑賞のポイントは写真を読むことかと思います。キャプションも含めて。
目に見える髪や手や服や、見えない空気感を読む写真。
他のおすすめは鬼海弘雄の「PERSONA」や江成常夫の「花嫁のアメリカ」なども、
非常に素晴らしい作品ですのでご覧になると良いかと思います。
ちょっと異なるが、個人的究極は植田正治の「小さい伝記」。

71 :
追加橋口さんに興味があるなら、星野博美との共著
「対話の教室―あなたは今、どこにいますか? 」がまだ入手できそう。
×職人→職 でした。

72 :
橋口さんのは、「職」と「カップル」を持ってるけど
様々なカップルとか、様々な職業の人たちが堂々と写っていて
世界とか人のありようの多様性を垣間見ることができる気がする。
俺はそこがとっても好きだけどね。あと、作者の優しい眼差しが見えるのもいいな。
自分も人物写真を撮るんだけど、あのような相手との距離感で撮るのは
本当に難しいと思う。

73 :
橋口さんの「職」とかのシリーズってすげー欲しかったけど
写真集高くて断念したんだよな・・・

74 :
>>70-73
マルチに釣られ乙

75 :
結果的にマルチ、すいません。
皆さんレス、サンクスです。
メモ帳にコピー
明日図書館で写真集さがしてみます。

76 :
かつて平凡社に「太陽」という雑誌があってドキュメンタリー写真家のために、
「太陽賞」というのがあった。第1回目の受賞者はあのアラーキーである。
橋口さんのデビューも太陽賞だったと記憶している。
太陽賞を受賞することは写真家としての登竜門であり賞金で作品集を出すのは当時の写真家のタマゴ達の夢だった。
賞をとるまでの橋口さんは何をしていたかというと「放浪していた」と言っている。
太陽賞の賞金を手にした橋口さんはまた放浪しに行き、翌年に世界の不良を撮影した、
ペラペラの自費出版写真集「俺たち、どこにもいられない」を発表。
そして太陽賞の受賞作である「視線」の個展をやり、(私も駆け付けました)
そのあと壁崩壊前のベルリンへ行ってしまわれました。
ファンはベルリンの混乱の映像を見る度に「橋口さんあん中にいるんだろうな」とやきもき。
その後に「17歳」「ひと夏」「南からの風」「職」「夢」「子供達の時間」などを世に送り、
現在はアートワークの活動をNGOとしておこなっています。
http://www.apocc.org/index.htm
橋口譲二さんの作品の鑑賞のポイントとか言われても困っちゃうな。
あなたが橋口さんの作品を見て「気に入った点」「気に入らない点」「理解できた」「理解できない」
などを一覧表にしてまとめてみて「私の橋口譲二論」に仕上げてみるといい、
人の解釈なんてどうだっていいんだ、自分が何を感じとったかが「重要」
機会があればどこかのワークショップにでも参加してみるといいよ。

77 :
ここ落ち着いていて、いいスレだね。
たまにのぞきに来よう。

78 :

|│ /
| ̄\
|∀ ゚ )<ダレモイナイ・・・
|_/
|│ \
|
|∧
|∀゚)<写真を撮るなら・・・
|∧∧
|∀゚ )<イマノウチ!
|⊂/
|ノ
|                  【◎】
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< 銀塩銀塩!
                 \_/   \_________
                / │ \
             【◎】    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ぎんえんぎんえんぎんえん!
ぎんえん〜〜〜!   >( ゚∀゚ )/ |【◎】 / \___________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /

79 :
橋口譲二、太陽賞を獲るまで吉祥寺の裏の方で喫茶店の雇われマスター
してたんじゃなかったけか?


80 :

橋口作品はなんだか教科書的で面白くないのー
NHK 的模範作品。
でもね、けなしているわけじゃないのよ。

81 :
  ∧,,∧    ∧,,∧   ∧,,▲   ∧,,∧   Λ,,Λ
  (,,・∀・)   ミ,,・∀・ミ   (;;・∀・)   ミ,,・∀・ミ (´^ω^) 定期あげぬこー
〜(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ 〜ミ_u,,uミ .c(,_uuノ

82 :
NGOとかそういうのは写真作家がやることじゃないんじゃないかと思うけど
多分橋口さんにとっては作品をつくるってことと世界全体について考えたり行動したりすることが
だんだん切り離せなくなってきたんだろうなとおもった。
ただちょっといい人っぽいイメージが先行しすぎてどうも敬遠してしまい
じぶんはずっとみてない。写真学校の刷り込みなんですかね
NGOとか放浪、17歳 不良とか風とかいわれるともうなんか自分はいいやって思っちゃう
じゃぁあなたは新宿でガングロのギャルに集団リンチされてもまだ17歳。とかいえるのかっていう
同じような手法だけど瀬戸正人の写真はすごくまじめだと思う
こめかみがピーンとはりつめてくかんじっていうか
作品見てないのに先入観でえらそうなこといってすいません

83 :
webを見てると本当に個性的な写真家なんてほんの一握りなんだとわかるね
アップされてる写真なんてほとんど誰かの形式を真似て
俺にも撮れるよ的な主張してるだけという感じ
そのうえ、でも俺はいい加減に撮ってて本気じゃない的な逃げも見え隠れしてる

84 :

写真家には一握りの人間しかなれないのだからそれでいいんじゃない!?
評論家も同じようなものね
誰かからこっそり借りてきた言葉で書いてるだけ
そうでしょ、ね、ね

85 :
ここで評論してる人間も、そりゃ自分のサイトは出せないわな。
批判されるのが目に見えてるもん。
それもみな、"すばらしい写真を撮ること"の難しさが原因です。

86 :

パクリや借りものの言葉で延命を図る評論家
生きていくって大変なんでちゅ
まわりはみんな知ってるんだよ

87 :
少し古いけど、このドイツ写真展のはどうなの?
普遍的なものもあれば日本では理解できないものもあると思うけど。
http://www.momat.go.jp/Honkan/German_Contemporary_Photography/index.html

88 :
この板で盛り上がってるのって芸術写真とかじゃなくモデル・コンパニオン・撮影会とか
フィギュア撮影とか、スナップ街撮りとかだよな。
ここじゃこの手の写真論のスレってのは無理なのか?


89 :
ポートレート系スレは大杉とオモタ

90 :
フィギア撮影って気持ち悪い。
R。

91 :
>>88
俺は目についたスレにちょこちょこ表層的なことだけは書きこんでるけどな。
ただ、核心的なことは書かない。そこまでする義理もないし。
ただひとつ、写真論も大切だけど、一番大事なのは写真だ。
才能の無い若い人を見るのは悲しい。

92 :
何が写真の才能なのかを決めるのも写真論なのにな
91は、ただ自分の写真論は正しいけど、その内容についてはヒミツって事でしょ
だったらこんな所にこなければいいのに

93 :
まぁ、しょうがないんじゃないの。
このなかで本質的なことを言ってしまう事は
本名をさらすことに近いんじゃないかな。
なんの得も義理もないだろうし、お金になるわけでもない。
ものの名前そのものをださずにそのものを語るゲームと同じ。
それに参加するなってのもヒドイよw

94 :

【速報】キヤノン、ゴミ対策機能搭載の「EOS Kiss Digital X」
〜1,010万画素CMOSセンサー、2.5型液晶、9点AF測距など新搭載
キヤノンは24日、デジタル一眼レフカメラ「EOS Kiss Digital X」の発売を発表した。
発売日は9月8日。価格はオープンプライス。
ボディのみの販売に加え、レンズキット、ダブルズームレンズキットも用意する。ボディカラーはブラックとシルバー。

               グッジョブ!!   ∩   ∩
       _ _∩           (⌒ )   ( ⌒)       ∩_ _ グッジョブ!!
        (ヨ,,. i             |  |  / .ノ        i .,,E)
グッジョブ!!  \ \          |  |  / /         / /
  _n      \ \   _、 _  .|  | / / _、_    / ノ
 (  l     _、 _  \ \( <_,` )|  | / / ,_ノ` )/ /    _、_    グッジョブ!!
  \ \ ( <_,` ) \         ノ(       /____( ,_ノ` )    n
    ヽ___ ̄ ̄ ノ   |      /   ヽ      | __      \     l .,E)
      /    /     /     /    \     ヽ   /     /\ ヽ_/ /
           Make it possible with Canon

95 :
>93
ただオマエが2chですら本音を出せないチキンだってだけの話じゃん。
みんなも同じだなんて拡大解釈は良くない

96 :
オマエモナーw

97 :
この板もダメかも・・・orz
漏れもチキンだけど
何も高尚な話をしたいというわけではないんだ
プロでもシコシコと自分の作品を撮ってるヤシ
アマでもコツコツとライフワーク的に撮ってるヤシ
美学や美術史から入って写真に興味を持ったヤシ
あまり専門的にもならず普通の言葉で交流できないかと思うんだけど
そういうのは少数なのか、そもそも2chに来ないのか
どこかそういう場所ってある?
半ばあきらめながら、それでもここを覗くのは
自分の視野を広げてくれるような写真なり意見が転がってないかな
とか期待してるからなんだけど・・・

98 :
93だけどスマンな。
俺も期待してんのよ。
チョトあおりっぽくなったのは、
本質ってなんだよ。とかゲームって何?とか
表層だけかよって話から写真につなげられないかな〜。
って勝手な期待w
俺が下手だったけど、写真論を戦わせるスレで罵倒だけかと
笑っちゃいました。本質と表層と写真をからめて見下して
欲しかったよ。
97の方向で話すとしたらスレ違いかもな。こんな過疎スレでなんだが。
ある程度やってる奴は方法論が確率されてるだろうし、他人の方法論に
けちつけても始まらんの知ってるから書き込まないんじゃないかな。
でも、たまにヒントっぽい書き込みしてる人もいるから
来てることは来てるみたいね。
ウザイから消えるよ。
モウコネーヨw

99 :
まあまあ、気長にやろうぜ

100 :
本質論は全て下らないから誰も本気で語ろうとしないんだよね。

101 :
画家だったら歴史に名を残した芸術家って沢山いますよね。
写真家でそんな人いますか?
戦場写真とかでなく、芸術としての写真家でです。
そもそも写真って芸術になりうるんでしょうか?

102 :
「画家だったら歴史に名を残した芸術家って沢山いますよね。」
お前がそう思ってるだけだろ。ピカソやゴッホならともかく、
ミレーやシャガール、ロートレック知らないやつなんて、何ぼでもいるだろ。
「写真家でそんな人いますか?」
荒木や篠山は、国内一般人にでも知られてるだろ。良し悪しは別に、一般論として。
アジェやアンセル・アダムズ、木村伊兵衛、前真知らないやつは、この板にも何ぼでもいそうだがな。
「戦場写真とかでなく」
何で戦争写真を外すんだ?戦争写真≠芸術っていう、お前の定義で語れってか。
じゃぁ、お前の「芸術」って定義は何なんだ。そっから語れサル吉。

103 :
サル吉です。
今年は柿が不作です。
里に下りようと思います。

104 :
他に聞けるスレがなさそうなのでここで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060823-00000017-maip-soci
ブリトニースピアーズの妊婦ヌード写真なんだけれど
こういう問題の時に、表現の自由と公共の場という問題ばかり論じられるんだが
なんでもかんでも表現の自由って言われる事に戸惑いがある
この写真は芸術か?
俺にはただの「有名妊婦腹だし写真」にしか見えないんだが
他の人はどういう風にみえるんだろうか?

105 :
「芸術、芸術」って皆さん、何のコンプレックスよ?
「芸術」って何を指して、どんな定義してるの。
その写真に関しては、東京メトロのお偉いさんが、「ダメ」と言ったからだろ。
世間ってのはそんなもんだ。価値観の差だ。それは埋まらない。
「有名妊婦腹だし写真」には同意だ。
>103 降りてくんな。餓死しろ。

106 :
>>104
それは芸術か否かではなくて規制の問題の話ですね。
芸術だから展示OKとかそうじゃないからダメだというのは不毛な議論です。
だって芸術って言うのはすごく主観的なことだから。
>>105
餓死は嫌だよぉ、ウッキッキ

107 :
「表現の自由」は、「広告」には当てはまらんだろ。
提示する媒体や場所が、「ダメ」と言えばそれは、「失格広告」だ。
製作側は話題になりゃ、何でもいいのかも知れんがな。

108 :
うを。サルと被った。

109 :
だからこれが芸術かどうかという事を論じても意味が無いので
どういう基準で規制するのか?はたまた基準というものが作れるのかという事を考えた方がいいかもしれませんね。
良い映画でもボカシが未だに入っているのはそういうことだと思ってます。
>>108
「サルかぶり」のコテハンを進呈いたします。
柿くれ

110 :
>>105
俺の中で芸術の定義をするなら、「誰の役にも立たないもの」だけれど、
104で言った芸術はもうちょっとくだけて「美しいもの」という意味でも良い
>>106
規制論なんか語りたくもないので、一般的にどうなんだ?これっていうのが知りたかった
>>107
> 「表現の自由」は、「広告」には当てはまらんだろ。
そこんとこが語られないメディアがおかしいのにも同意なんだけどね

111 :
何かもらった。
だから、その「腹だし」を「美しい」と見る人もいれば、
「不快」や「キモw」と思うやつもいる。
だから、「芸術かどうか」なんて不毛だ。
あんたがそう思うものを、「芸術」と思えばいい。

112 :
芸術(受け取り手の問題なんだけど)も広告もさほど差異は無いと考えます。
製作過程でクライアントや複数の人間の意図を入れ込むかどうかという差ぐらいじゃないのかなぁ。
「芸術」も発表の場やそれを作品として売らないことにはどうにもならないから。
圧倒的に純粋な芸術って難しいと思いますね。
>>111
柿くれ

113 :
>>111
> だから、その「腹だし」を「美しい」と見る人もいれば、
> 「不快」や「キモw」と思うやつもいる。
> だから、「芸術かどうか」なんて不毛だ。
そうか、だから、「芸術だ」っていうんじゃなくって、「ブリトニーだ、脱いだんだ」でなきゃいかんのか
ひとつ勉強になった

>>112
> 芸術(受け取り手の問題なんだけど)も広告もさほど差異は無いと考えます。
そこが考え方として俺と違うと思う
さて寝る おやすみ

114 :
自分で「芸術って言うのはすごく主観的なことだから」、
って書いておきながら、そのレスは矛盾だろ。
「主観的」なら、発表や売ったりしなくても、「芸術」たり得る。
柿は無いが、賞味期限切れの納豆が冷蔵庫にある。
サルは、何でも食えるだろ。それも考えようによっては、
誰も知りえない「芸術」とやらになるかもな。やってみろ。判断は自分でな。

115 :
おっと、>>113とも被った。
>>114>>112のサル吉にな。

116 :
>>114
そうなんだけれどもさ、こういう我々の目の前に現れた作品というのは既に撮った人の主観からはズレが生じているんじゃないかって言いたかったのだ。
それは単に商業主義とか言う話ではないぞよ。
納豆ラブ。

117 :
>>116
あ、コテハン入れるのを忘れた。
今日はネットでひっかけたモデルさんを撮ってきます。
どう撮ろうかな?

118 :
ついでだからマジレス
>>112
> 製作過程でクライアントや複数の人間の意図を入れ込むかどうかという差ぐらいじゃないのかなぁ。
その差がどれほど大きいか知らないようじゃ、まだまだ言葉遊びしているだけだ
>>116
> そうなんだけれどもさ、こういう我々の目の前に現れた作品というのは既に撮った人の主観からはズレが生じているんじゃないかって言いたかったのだ。
広告の場合、明確な意思を持って、見る人をある方向に持って行こうとするものなのです
>>117
Rあっぷでうpよろしく

119 :
ちょっとアレンジしてみた。
「その差がどれほど大きいか知らないようじゃ、まだまだ言葉遊びしているだけだ 」
うを。リアル。てか、俺のお仕事写真は「クライアント様の仰るとーりです!エヘエヘ。」だ。
>>117 ちなみに俺は巨乳ウプで。

120 :
この問題が起こって妊婦ブリトニの広告効果は凄い事にはなってるよね。

芸術性が問題となるのは、芸術性がわいせつ性を払拭するか?という争点がありうるから。
ま、今の時代、この程度じゃわいせつとも言い難いなと俺は思うんだけどね。

121 :
「広告効果」のプラスが多いか、マイナスが多いか、にもよるけどな。
この間の、クソニーみたいになったらオシマイだ。
人種差別だって、芸術になるかも知れないのに、そこの争点は無いんだな。何故か。

122 :
>>118
商業写真じゃなくても媚は入ってるなぁと、そういうことが言いたかったわけで。
例えば芸術性の前に目新しい「技術」をもって出てくる新人さんっているでしょ?
果たしてその差はあるのかと。
言葉ヘタでスミマセン、サルなので。
洗車してたけど電話が来て撮影が延期になった…。
君らの呪いだな。

123 :
芸術性かわいせつかなんて議論起きてるのか?興味本位で見たいかキモイから見たくないかのレベルだろ。
論争厨は相変わらずすり替えだけは上手いな。

124 :
ティルマンスのプリントなら機会があれば1枚買って壁に飾りたいと思うけど、
内原恭彦の写真を1枚買って壁に飾ろうとは思わない
これはどうしてだろう

125 :

内原はすでに若くしてワンパターン。
限界が見え出してるな。

126 :
荒木や森山なんか何十年もワンパターンでし
>>124
個人の好みでね?

127 :
>ブリトニーの広告
今回のは妊婦+ヌードで、ヌードであることの意味が公共の場に触れたのでは?
とりあえず胸は手で隠しているけど、そこからたっぷりお腹が裸。地下鉄に乗るのは成人だけじゃないしねえ。

128 :
ブリちゃんのはメトロ対出版社の問題だしねぇ
どこにもカメラマンの名前もコメントもでてない
ついでにブリちゃんがどういう気持ちで撮影に応じたのかも
こういうのは写真家の力量というより出版社の企画力なんだろうけど
写真や企画は個人的に悪くないと思うけど
これは表現の自由を持ちだす以前の問題のような
メトロ「いや、公共の場だし・・・青少年に・・・苦情がきたら面倒(ry」
出版社「流行発信基地にある表参道駅がなにセンスないことをw」

129 :
こういうのはさ
『新人女性編集者が純粋に妊娠の喜びを読者に伝えたいと考え奔走する
最初はバカにしていたカメラマンも彼女の真剣さに心を打たれ協力し
あたかも妊娠中の有名女優を情熱で口説き落とし
メトロとの掲示トラブルにも真摯な気持ちでぶつかって理解してもらい
張り出されたポスターをカメラマンと眺めているとクリスマスソングが・・・』
なんて月9のドラマになりそうな
(漏れの企画だからね いちおう主張しとこw)
もしかしたら
出版社「妊婦の裸なんて話題性があるかもョ」
モデル「ギャラさえよければおk」
カメラマン「使ってくれるならなんでも撮ります 裸好きだしw」
なんて安易な企画かもだけど
出版社「困難だけど女性の美しさをストレートに表現してみようよ」
モデル「そういう真面目な企画だったら協力します」
カメラマン「できるだけ美しく喜びを表現できるように撮影しましょう」
みたいな比較的真剣な動機かもしれない
報道された表層から想像するだけじゃ本質が見えてこなくて
好きか嫌いか、好感か嫌悪かの個人的感情でしかコメントできない
ということで嫌われ者の本質論なんだけどね
なんか会社とかのバックがでかいことに安心して
深く考えずに報道したり出版しているマスコミや編集者より
自分のサイトに顔出しスナップを掲載しようかどうか悩んでいる
個人のほうが表現の自由とモラルに関して真剣に考えている気がする

130 :
ハァ?

131 :
そもそも写真ってなんだろう?
日本ではそこにあるものを撮っただけの風景とかスナップ写真が主流だよね。
でも、映画のようにSFを題材にしたもの、セットを組んだりミニチュア作ったり、
お金も時間もかかるけど、そうした写真作品があってしかるべきだと思うんだが。

132 :
日本では写真が売れない、パトロンが付かない、という問題点が

133 :
>>131
自分の知ってるのが、全てじゃない。そういった作品撮ってる作家も、国内に結構いるよ。
つか、それが写真作品の主流の国があったら、教えて欲しいものだ。

134 :
>>131
日本の場合は私小説の伝統が写真にも影響してるとか
エンタメ系は森村さんとか森村さんとか・・・う〜ん
考えてみると隠し撮り的な街スナップって伝統を踏襲していたりしてw

135 :
名前忘れたが、フォトモの人とか、SF系のセット組んで、
モノクロで撮ってる人もコマフォトか何かで見た。
あとは森村さんとか森村さんとか・・・

136 :
森村さんとは誰?

137 :
森村泰昌
http://www.morimura-ya.com/
セット組んでとか、つくる写真?的なのは
写美や川崎市民ミュージアムで見てるんだけど
名前までは記憶になかったり
ファッションやポートレートだと
アベドン
http://artphoto-site.com/story15.html
カーシュ
http://artphoto-site.com/story76.html
とかが思い浮かぶけど
そういう系統が日本ではアートとして認識されにくいとか
秋山庄太郎がいるか・・・
二科会みたいなサロン写真的傾向も日本の場合ありそうですね

138 :
>>131
日本でも世界でも結構いることはいると思う
日本なら戦前のピクトリアリズムはにはじまって
坂田稔とか平井輝七とか名古屋のシュルレアリズム系の作家
小石清 坂田稔 ハナヤ勘兵衛 中山岩太
戦後ならVIVOの細江英公 奈良原一高 初期の東松照明
大辻清司 植田正治 横須賀功光
最近なら やなぎみわ オノデラユキ 森村泰昌 今道子 沢田知子
外国なら
80年代のコンストラクトフォト
オララブルーニング シンディーシャーマン トーマスデマンド ディコルシア ラシャペル
あと今も昔も広告ファッション系の写真家は殆ど。
日本の若い世代がストレートな方向に偏っているというのは写真界の中だけを見ればたしかにそう。
それは多分自分で被写体を創り始めるとだんだんもうカメラを使う必要がなくなってきて
みんな写真からはなれていくから、結果的に写真界にはストレートな人ばかりが残ったんだと思う。
世間一般でおもわれてるような、いわゆる『芸術』がやりたければ
カメラ使うよりもMacでゼロから創ったりネットで素材取って来て加工したほうが早いし楽だし
でも当たり前だけど、現代では主体的な創造行為だけがアートではないわけで、
今普通に写真をやるってことは、その『非主体的な創造行為としてのアート』に賭けることだから
実はものすごく現代美術的な行為なんだと思う。
 
昔から写真には2種類の方向性しかなくて
現実(窓)(左翼)か内面(鏡)(右翼)か。
みんなその二つの要素の間で試行錯誤しながら写真やってきたんだけど
デジタルとPCができて内面派は写真である必要がなくなった。
だから写真界の中だけ見てるとストレートフォトが主流みたいだけど
それは本来の内面派が現代美術系の映像作家やアニメ作家やCGやオタク、に流れたってことでは。
むしろ世の中の流れは完全にそっちが主流で
写真界で『主流』といわれてる作家は殆ど捨て身で世の中の大勢に抵抗してる感じだと思う
荒木や森山みたいな年寄りはもう死ぬんだから良いけど
金村修やや今井智己や小野博、それよりもっと若い世代の人はほ内心ほとんどお先真っ暗だと思うよ
ホンマタカシはのうのうと生き残っていきそうだけど
写真の話にになるとムキになるのは僕のアイデンティティと人生の後悔がかかってるからです
長文うざいひとは飛ばしてください
どうもすいません←エゴ
優れた文章とか作品って
「結局おれってすごいだろっ」ていうエゴをどう消すかだと思う
そういう意味でもまじめな作家が突き詰めればストレートになってくのは当然
でもそれじゃ食えない←このジレンマはあらゆる表現につきまとうと思う

139 :
芸術の名の下に全ては赦される。

140 :
>>138
ちょっと質問
>昔から写真には2種類の方向性しかなくて
>現実(窓)(左翼)か内面(鏡)(右翼)か。
誤解の解釈かもですが
これは写真家の興味の対象が社会(現実)に向いているか
それとも自分(内面)に向いているかということで理解していいのかな?
実際には一人の写真家でも二つの要素が複雑に絡み合っている
深く写真を見ているわけではないけど
荒木と森山というのは傾向が似ているようで
実は荒木は内向する写真家で少し特異なのは
自分ではなく陽子さんを見ていたというところ
(陽子さんを通して自分を見ていたのかもしれない)
一方で森山は手法的には個性的だけれども
その視線といういうのは常に社会に向かっている
と思ったりするのだけど、どうなんだろう
>内面派は写真である必要がなくなった
若い人のインタビュー読むと
「たまたま身近にカメラがあって、それが自分の表現したい感覚と合っていた」
みたいな発言があって
写真やりたいってより手軽で身近な表現手段だから使ってるだけ
他にやりたいこと(表現したい方法)が見つかったら
写真に未練はないというような感じだった
写真に愛着がある漏れからすれば「おまえなぁ〜」なんだけどw
なにかを創作(表現)しようっていうヤシは
根本のところで我が強くないと続けていけないかも
という気もしたりして・・・

141 :
内面をつきつめれば社会的現実にたどり着くし、その逆もあるだろうし。そこが風景の場所だし。いずれにせよ優れた写真家は外とか内とかいったわかりやすい線引きを絶えず無効化してゆくような生き方をしてるもんだとおもうけど。

142 :
>>134
漏れ的には私写真の伝統があって、
それに最近の若手がそうじゃない写真、それもドイツの影響を受けたかなという
写真家が出てきたなという印象なんだけどね。
>>131の認識って写真見るのはデジカメ雑誌ですって感じなんだけど。

143 :
金村系、内原系はもうお腹いっぱい
何か先鋭だとか高尚だとか思ってるのかもしれないけど、
すでにやられてしまったものを他の誰かがやる必要なんてないんだよ
それはもう他の人にはただ踏み越えられるべき踏み台でしかないの
しかもほとんどが表層をただパクッただけ
それで何か写真を真剣にやってるとでも思ってるのかもしれないけど、
そんなにふざけた行為もないんだよ
表層なんて猿でもパクれるんだよ
今だにいる私写真系もどうしようもない
私写真っていうのはまずその私生活がおもしろいものじゃなけりゃ駄目なの
どうでもいいようなつまんない生活をただ晒されてもつまらないに決まってる
私写真を本気でやるならまず私生活に本気で取り組まないといけないんだよ

144 :
郵便的な思考

145 :
理解もしてないのに難解な哲学語を捻り出して中身のない世迷言を書き連ね、
何か世界を理解したかのように振舞ったり、ただただ懐疑のみを
積み上げて考えた振りをするなんて愚の骨頂だよ
本当に考え抜いたら言葉は簡素になるんだよ
はっきりとものを言えないのは考えが足りないからだし、自信がないからだよ
本を読んで勉強するのは大切だけど、言葉を暗記することが勉強じゃないんだよ
ありきたりな言説の単なる言い換えにはもううんざりだよ

146 :
つーか。
上から眺めているだけなら、世界はとても単純。

147 :
荘子的な世界観で全てを語ろうと思うなら
そこに至る筋道を示さないと意味がないんだよ

148 :
まあきみの言いたいこともわかるよ。ひとにはひとの生長速度があるから、きみにとって不要なものごとはそれこそさっさと乗り越えてしまえばいいのでは?二ちゃんでいきまいてる暇などないだろ。

149 :
>138
なかなか良い整理だ

150 :
>>昔から写真には2種類の方向性しかなくて
>>現実(窓)(左翼)か内面(鏡)(右翼)か。
>>みんなその二つの要素の間で試行錯誤しながら写真やってきたんだけど
>>デジタルとPCができて内面派は写真である必要がなくなった。
>誤解の解釈かもですが
>これは写真家の興味の対象が社会(現実)に向いているか
>それとも自分(内面)に向いているかということで理解していいのかな?
>実際には一人の写真家でも二つの要素が複雑に絡み合っている
自分が言いたかったのはそういう複雑さ、
つまり現実と内面の間の葛藤や矛盾、の中で物を創っていくのが本来の写真行為なのに、
その葛藤を排除した「内面」のみが垂れ流されている事を
内面派と呼ぼうとしたのですが
内面という言葉が二つかさなってしまいちょっと意味がトリズラクなってしまいました。
排他的主観派とでもいった方がいいのかな。
新しい技術の安易な援用によって写真表現の本質の部分にある葛藤そのものが失われているんじゃない
かなっていうことを言おうとしたんです

ストレートフォト=現実
手を加えたもの=内面
という二元論ではなく、
コンストラクテッドなものでもストレートなものでも問題は、作り手が、141さんのいうような『風景の場所』に関わっていく
その強度だと思うのですが、その風景の場所そのものが存在しなくなって、
安っぽくて甘っちょろい物語だけが消費されていきしかもそれが表現として賞賛されている。
その『内面』の垂れ流しって、我が強いように見えてじつは我を放棄してるだけなんだと思います。
内面も現実もなくて、テレビやアニメからあらかじめ与えられたたレディメードの物語を再生産してるだけ。

学校の先生がよく『反時代的であることの同時代性』っていってたんですがこれは社会と芸術との関係を考える上で
非常に重要なのではないでしょうか
特に新しい技術を使って物をつくるひとにとっては、いかにして写真的な偶発性や
ノイズを作品に取り込みつつ作品として成立させるかを考えていかないとアートというものの
存在意義がなくなるんじゃないかと思います。
後個人的にはやっぱり高橋恭司や金村さんに頑張ってほしい
自分ははたからみてるだけだから気楽ですけど

151 :
>現実と内面の間の葛藤や矛盾、の中で物を創っていくのが本来の写真行為
という定義はどこから生まれたの?
>写真表現の本質の部分にある葛藤
写真表現の本質とかいうものを知ってるからこういう発言をしてるんだよね?

152 :
あまり二極化するのは好きじゃないけど
仮に傾向として社会派(現実)と内向派(内面)とあったとして
(それとは関係なく職業として写真家が存在するというのは置いといて)
歴史的にみると2つの大戦から冷戦を経た時代というのは
全体的に関心の対象が社会に向いていて
写真の傾向にもそれが反映されている(社会派の優位)
ヴェトナム以降あたりから社会的にも
個の内面を見つめる動きがでてきて混沌の時代を経る
冷戦崩壊とネットワークの発達は社会的関心を希薄・多様化させ
さらに情報を社会⇔個だけでなく個⇔個の範囲まで広げた
その結果として現在の写真は内向する傾向が強くなりつつある(内向派の優位)
まあ、すごく乱暴な解釈ね
Webでパラパラと見るだけで個々の名前は覚えてないけど
今の量産垂れ流し的な写真(言葉は悪いが)というのは内向派の傾向があって
そういう意味で荒木さん的な流れを継承しているような気もする
(撮っている対象や内容というのは外見的に違うのだけど)
他方社会派というのは目立たなくなったんだけど
これはWebの特徴としてモラルの問題がでてきたことにも原因があると考える
現実を見つめるっていうのはわりと写真的にもダイレクトだから
そういうのを撮っている人はWebでは半地下での活動を余儀なくされている
で、つらつら思うに
自然や風景というジャンルも大きな存在だけど
人間というのはやっぱり人間に関心がある
様々な人間の表情(行動)を撮りたいというのは写真家としての
本能的な根源に近い欲求だと思う
そう考えると安易ではあるけれど
モデル撮影やコンパニオンやRQを撮ろうというのは
案外健全な欲求かもしれない(Webにも掲載できるしね)
一方で内向派も葛藤というより自己充足する傾向があり
これもまた安易な方向ではある
「なんで自分は写真を撮りたいんだろう?」
みたいな疑問(葛藤)はここに来るようなヤシには多少なりともあると思う
まあ「ウダウダ考える前に撮れ」とか「どうせ落ちこぼれ自称写真家の嫉妬だろ」
とか言われてしまうと漏れも含めて返す言葉がなかったりする面もあるけど
(あ、他の人はどういう立場か分からないけど・・・)
でもやっぱり他人が写真をどう考えているのかというのは参考になるし
何故そう考えるに至ったのかというプロセスも興味深かったりする
結果としてあるのは一枚の写真なんだけど
それが撮影されたプロセスを現実と内面から推察するっていうのは
その写真を理解するのに多少なりとも必要だと思う
撮る人も見る人もある程度の写真を見る目を養わないと
某批評スレみたいな混乱が・・・
長文スマソ

153 :
何が言いたいのかさっぱりわからない
結論は「写真を理解するのには多方面から考える必要がある」でしょ
そんなの当たり前だし、それ以前の文章はその結論に対する
なんの論理にもなってない
「本能的な根源に近い欲求だ」なんて何の根拠があって言ってるの?
本能的な根源に近い欲求だよね〜って感覚で言ってるの?
本能的な根源に近い欲求かもしれないよね
でも本能的な根源に近い欲求じゃないかもしれないよね
そもそも本能的な根源って何?
本能的なことが根源的であるの?
本能的な根源に近い欲求であったとして、それを写真でやる根拠はどこにあるの?
ビデオでいいじゃない
動いてるほうがより自然でしょう
表層を撫でて考えた気になってるだけでしょ
内面だの現実だの安易に口にすることそれ自体が、
テレビやアニメからあらかじめ与えられたたレディメードの物語を再生産してるだけ
なんじゃないのかね

154 :
>>153
>何が言いたいのかさっぱりわからない
>結論は「写真を理解するのには多方面から考える必要がある」でしょ
結論だけ言っちゃうとそこで終了だかららね
なるべく自分の言葉で「なぜそう考えたのか」
という過程を書きたかったの
そうすることで」「ここは違う」とか「漏れはこう思う」
とか議論のきっかけになるでしょ?
まったく別のプロセスから同じ結論になるかもしれないし
>「本能的な根源に近い欲求だ」なんて何の根拠があって言ってるの?
人間が社会的生物である以上、人間に興味があるんじゃない?
ってか、あなたがレスするっていうのは
他の人間の発言に興味があるからでしょ?
そういう他の人間に興味を持つということは
人間の根源的な欲求ではないか?ということ
で、写真をやっている以上は被写体としての人間に関心が向くのも
そういう根源的な欲求ではないかと・・・
>ビデオでいいじゃない
それを最後まで突き詰めると写真なんか撮らないで
目で現実を見てればいいじゃないって話なんだけどね
やっぱり自分の見たものを伝えたい気持ち
何らかの形で形にして提示することで
コミュニケーションを持ちたいということがあるんだろうね
その手段というのは人ぞれぞれ
まあ、言葉足らずでウダウダ書くのはクセなので
改めるよう努力します

155 :
むしろ論理になって無いのは153の方だろう
表層なんていう概念を何の説明もなく提示しても、誰も理解出来ないよ

156 :
写真の本質は写真は人間とは違う仕方で同じ場所のイメージを組み立ててみせるところにあるでし

157 :
内向的垂れ流し写真にはホントうんざり。
こんな気分です。こんな風な生活です。こんな心の引きこもりです。
ウザ。

158 :
写真論てカブトやクワガタみたいに、自分で戦ってはくれないと思うのは漏れだけか?

.......と、レスを一切読まずに書いてみた

159 :
>157
で、スナップも風景も花も人も静物も否定して、見たいのはあれこれ演出(創作)した嘘写真?

160 :
>>156
もそっと詳しくおせーて
人間は五感でイメージするけど写真は冷徹にレンズを通した情報だけ取り込む
同じ空間でも切り取り方によってまったく異なったイメージが出現する
とか想像したんだけど、もっと難しいこと?
写真世紀やエプソンの何たらでは
内向垂れ流し的なものが評価されてるようだけど
それなりに一線の評論家や写真家が評価する理由ってなんだろう?
講評とか読んでもイマイチわからない

161 :
日本の場合、写真だけではないけど
「癒し」っていうのがパワー(活力?)を弱めているような気もする
ブログでも写真サイトでも癒しがキーワードになっていて
「そんなに癒し癒されてどーするんじゃい」みたいなところがある

162 :
みんなひとつになりたいんだよw

163 :
ゴメン みんな癒し系だったのか?

164 :
その逆の人々が不安になるような、おどろおどろしい感じのは少ないのかな?
日本でもホラー映画とかは結構あると思うけど。

165 :
ずっと前にペニスを沢山集めたコラを見たことあるんだけど、どこかにまだないかな?
草間彌生を彷彿とさせていたような気がしないでもない。
作った人は単なる冗談だったんだろうけど。

166 :
飯沢かな。怖い写真集だか、ヤバイ写真集だか忘れたけど、
そっち系の写真集を集めた本だしてるね。
人体を縫合したものばかり集めた写真集とか。

167 :
危ない写真集かも。

168 :
好きな写真家て誰ですか?売れている写真家といい写真家は別のような気がしますが。。

169 :
http://www.epson.jp/contest/gallery/comment/2004/2004_comment.html
http://www.epson.jp/contest/gallery/comment/2005/05_comment.html
こういうの読むとみんな時代感覚ってものを重要視してるように思えるけど、
その時代感覚って地域によって違うと思うんだけどね。
日本だけの時代感覚じゃどうしようもない。

170 :
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/npci/npci2002-2003/contents/winner/index3.htm
このグランプリの写真から読みとれるのは、
この人形を持っている白人の女の子が外で遊ばず、日焼けしていないということ。
つまりアフリカの子供たちと交流があるのではなく、人種差別的な記念写真にすぎない。
しかし審査員たちは和気藹々とした表面的な表情から、全く逆の感想を持っている。
見る人のオツムがこの程度だとどうしようもない。
ここにも写真について論じられる人がいないじゃない。
日本ってだめなんだよ。良いカメラだけ作ってれば?w

171 :
>170
まず・・写真から意味を読み取るのは無意味。写真は事実を写すとともに嘘も写すから。
あなたのは決めつけ。
恐るべき断絶がある白人と黒人がこのように同じフレームに入って笑っていることが、この写真の「強い部分」なのかもしれない。
平和とか、差別とかそういうのに意味づけるのは短絡。たしかに審査員の多くは駄目だね。
自分の範囲内の素直な言葉を使わないと。

172 :
写真っていうのはそこに写ってるのが表現なんだよ。
嘘か誠かは重要じゃない。
171の言う強い部分ってのは審査員がそこが良いって言ってるんだから、あらためて君が書いてもね。
絵画だけでなく写真もその表現を読みとれるようにならなくちゃね。
日本の写真家ってきちんとした教育機関で学んだ人より有名な写真家に弟子入りしてただけの人がほとんど。
そういう人たちって写真のこと何も理解してないんだよ。
こういう公募展とかでもピントが甘いとかどうでもいいことにケチ付けたり。

173 :
>>172
いや、前のレスだと、審査員は真実を読み取れていないから技量不足だと言っているように取れる。
どう解釈しても。
で、後半、
>絵画だけでなく写真もその表現を
表現とは具体的に何を指すの? あなたの言う写真を理解するとは?

174 :
どうして技量不足と思ったんですか?
私は彼らが能力不足だと思ったのですよ。
表現については170ですでに書いたけどね。
「人形を持っている」「日焼けしていない」
この2つでいろいろこの人物たちの状況について思いめぐらすことができる。
文章で言うと行間を読むような感じ。

175 :
いや行間じゃないな。そのものズバリだっ

176 :
>>175
だいたい論旨は分かってきたけど
人形を持っている日焼けしていない白人の女の子が
黒人の子供との記念写真に写っていて
それで人種差別的な記念写真だと解釈する短絡さが理解できない
人種差別という解釈に違和感がある
人形好きの引っ込み思案な日焼け止めクリームを塗った(かもしれない)
女の子が母親に連れられてガンビアに行って現地のイベントに参加した
まあ母親はヤラセまでいかなくても「仲良くしなさい」くらいは言ったかも
で、母親が写真を撮って「愛と平和」がテーマのコンテストに応募した
これを撮った親の功名心とか複雑な要素はあるだろうけど
それを短絡的に人種差別という言葉にまで拡大解釈していいのかな?
審査員は撮影者の善意の部分を評価したんじゃないか?
そういうコンテストだし、そういう趣旨に沿ったコメントだよね
まあこれは撮影者のコメントとか読んじゃってからの意見だけど
その写真の事実(意味)を本当に知っているのは撮った本人だけ
撮った本人でさえ四六時中哲学してるわけじゃないから
「なぜ撮りたかったのか」ということを深くは理解していないかもしれない
さらに見る側は推論するだけだから、あなたの解釈も一つの推論だし
もっと他の解釈も成り立つかもしれない
写真論ていうのは皆が勝手に解釈しても支離滅裂になるだけだから
少なくとも議論の前提になるような共通の認識を探してみようよ
そういう「写真とはなにか」ということを探るところから始まるような気がする

177 :
>>172で書いたように、写真っていうのはそこに写ってるのが表現なんだよ。
嘘か誠かは重要じゃない。どうみても引っ込み思案には見えない女の子。
人種融合の記念写真という感じ。
でもすでに指摘したように大きな壁が見える。この写真以外では一緒になって遊んだりしていない光景が目に浮かぶ。
絵を描く場合、描くものに偶然はない。全て意図して描かなければいけない。
きちんとした教育機関で学んだ人にはそんなことは当たり前。
なぜそこにそれを描いたか。それがあるか。
写真も同じなんだよ。ってことをこれまで書いていたんだが、もう理解できましたか?
176の意見見てわかったよ。日本は完全にだめだ。全ての層でだめなんだ。
撮る側も見る側も。教育機関も。

178 :
>>177
たぶんどこまで行っても平行線だと思うけど
とりあえず人種差別だったのが人種融合に摩り替わってる
人種融合の記念写真だったらコンテストの趣旨にあってるかも
(あまり深く人種問題を考えたことはないけど)
あなたの理屈っていうのはあなたの想像の世界だから
それをとやかく言う気はないけど
常に自分の推論が正しいとは限らない
とりあえず自説を疑ってみるというのは学問の基本
引っ込み思案というのは「人形を持っている日焼けしていない」
ということからの推論(想像)ね
それに反論されてもお互いの主観的相違としかいえない
絵画の場合は見ている事象を間接的に絵の具に置き換えるという作業だから
そういう意味で偶然が発生することはない(抽象はともかく)
写真の場合は見ている事象を直接的に画像データに置き換える作業だから
事象の変化によって偶然性が発生する
そういう意味では画家のほうが理想を追求するのは楽かもしれない
写真家はなかなか意図した結果(シャッターチャンス)を得られない
たぶんきちんとした教育機関で学んだ人は
写真の偶然性や絵画との違いについても考察していると思う
あなたの言う
>絵を描く場合、描くものに偶然はない。
>全て意図して描かなければいけない。
を写真に置き換えるなら
写真を撮る場合、被写体に偶然性が発生する。
しかしなるべく意図したものを撮らなければいけない。
みたいになるのかな
まあ意図したものを完璧に撮れれば分かりやすい写真になるんだろうけど
その意図を推理(想像)するのも写真の面白さだと思うし
写真論の事始めでもある
あとは誰かお願いします

179 :
やっぱり読解力の無い人だったな。
ボケ老人との会話のように何度も同じことを言いたくないのだが。
この表情の女の子を見て引っ込み思案に見えるというならしょうがない。
私には全くそのようには見えないが。
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/npci/npci2002-2003/contents/award/grandprize/index.htm
撮影者や審査員には人種融合の写真としてとらえられた。
しかしよく観察すると「人形を持っている日焼けしていない」 状況から実際には大きな壁が見える。
同じことを何回書けばあなたに理解できるんだろうね。
彼女がもし日焼けしていて人形ももっていない、完全に周りのアフリカの子供たちにとけ込んでいる写真だったらどうだろう。
この写真のような「いかにも」な黒人白人の融和写真とは違うものになったはず。
大切なのは審査員には私が指摘したことを読みとる能力がなかったということ。
シャッターチャンスや偶然性はこの場合関係ない。

180 :
>>179
まあ自分の書いていることがあなたに対する反論のためで
けっこう屁理屈だってことは自覚しているんだけど
写真自体がグランプリに値するのか
また審査員のコメントの安易さというのは疑問の余地がある
それはそれとして極端だけど
要するに女の子が日焼けサロンにでも行って
もっとそれらしく親睦してるシーンが写っていれば
嘘でも誠でもそれは良い写真になる
ということなのかな?
審査員は嘘でも誠でもそれを信じて写っている写真だけで判断しろと

181 :
ちょい追加
>しかしよく観察すると「人形を持っている日焼けしていない」 状況から実際には大きな壁が見える。
たぶん壁というのは女の子と現地の子供たちの環境の違いを見たんだろうけど
そういう環境の違った者同士が同じ場所で写真に納まる
世界は狭くなったというけど、それだけでも価値がある凄いことかもしれない

182 :
親睦だの差別だの、そんなわからない所を話しても無意味だよね
日焼けしてたら融和ってのもおかしな話だし
笑顔で楽しそうだの相互理解だの
>人種差別なく子供たちが共に写り、楽しい記念写真として撮られているということ。
>ここに、世界が和平と安定に向けて動き出したな、という感慨を抱きます。
だのと言う感想は確かに酷いよね
裕福そうな白人のかわいい女の子1人と、貧しそうな黒人の子供多数の対比っていうのも余りに安易
今の時代にそんなので感動しましたっていうのもね
ここから
>多様な地域の人々が相互の民族性や感性を理解し合うこと。
なんていうのを読み取る心持ちっていうのはどうなのかね
裕福な白人が貧しく文明の乏しそうな黒人の村に旅行へ行って記念写真を撮った、良かったねというのは古臭すぎる
どこか白人至上主義すら感じてしまうよね
登場人物がステレオタイプ過ぎる
黄色人種が登場してもいいわけだし、白人の中に黒人がいてもいいよね
ガンビアとかいう途上国じゃなくてもいいし
イギリスなんて人種差別の酷い国なんだから、国内で撮った方が強い写真になりそうだ
多数の黒人の中に一人の白人っていうのもなにか白人の私が
理解しようと心を開いて努力してます的偽善っぽさがあるよね

183 :
>要するに女の子が日焼けサロンにでも行ってもっとそれらしく親睦してるシーンが写っていれば
>嘘でも誠でもそれは良い写真になるということなのかな?
それを良い写真として認めることができるかどうかだろうね。
私には出来るが、彼ら審査員には無理だろう。
この写真の良いところは単純に、白と黒の子供たちの笑顔、なのだから。
審査員たちはこの写真をそれ以上深く読むことが出来なかった。さらに頭の中は奴隷時代のままの視点のようだ。
ちなみに私は6年ヨーロッパに住んでいる。
だからこそ、アフリカでこの日焼けしていない子供に違和感を感じた。
日本は優秀なカメラを作っていて、カメラメーカーがこうしたコンテストをするのは良いのだが、
内容があまりにもお粗末すぎる。この写真がグランプリということに正直恥ずかしさを感じた。
全ては審査員=日本の写真文化の問題なんだ。

184 :
>>181
逆に思った。
依然としてヨーロッパ人とアフリカ人には高い壁がそびえ立っている。
そう捉えると、この写真には価値がある。

185 :
やっと分かってきた 頭固い自分・・・
あなたほど強絶ではないけれど
このコンテストの審査やコメントには疑問を感じる
そういう意味での結論は近いのかもしれないけどそこに至る過程が違っている
私の場合は写真からその写真が撮られた事実的背景を読もうとするけど
あなたの場合は写真そのもの写っている事柄自体を読むべきだとしている
同じ「読む」でも、そこの違いが大きいのかな
母親が撮った子供の写真とプロが撮った子供の写真
当然プロのほうが見栄えがいいんだけど
私は撮った母親の愛情とか考えてしまう
あなたはそういう見えない余計なことは考えずに
写真だけ見て判断しなさいということですよね
まあ私が甘いと言われたらそれまでなんだけど・・・
写真に対する見解の相違は
その写真を否定的に見るか肯定的に見るかの違いかな
ということで、もともとの疑問は
>このグランプリの写真から読みとれるのは、
>この人形を持っている白人の女の子が外で遊ばず、日焼けしていないということ。
>つまりアフリカの子供たちと交流があるのではなく、人種差別的な記念写真にすぎない。
の「人種差別的な記念写真にすぎない」という部分に
「短絡的じゃないか?」って反応しちゃったんだけど
だいたい考え方の違いが分かってきて多分あとは平行線だと思うので
一方的だけどこのあたりで
>>184さん つきあってくれてどうもでした

186 :
>>185
どうも。
偶然性の話題が出たので、それについてのティルマンスの言葉。
「私は偶然性など信じないし、私の作品のなかにスナップ写真があると思わないでほしい」
http://d.hatena.ne.jp/asin/3775710841
日本で主流になっているスナップ写真とは対局にあると考えて良いと思う。
カメラのボタンを沢山押して、「偶然こんな面白い写真が撮れました」というのは写真芸術家として恥ずべきことだと思う。
ということで私の言ってるのは芸術写真論ね。
他の分野の写真については知らない。写真界にも沢山種類があるから、偶然に頼ったものも当然あっていいとは思う。



187 :
完全に偶然にまかせたものははっきり言ってつまらない
完全ノーファインダーでアングルも無茶苦茶にやってるのを
表現とかいってやってる奴をなんかの雑誌で見たけど
はっきりいってゴミです

188 :
今日のHaruki。
「偶然にも画面の中の良い場所に良いタイミングで鳥が入ってきてくれた」
でも何の意味もないんだよね、これは。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki/2006/09/04/4530.html

189 :
>>186
このあたりでと書いておきながらスンマセン
これでホントに最後ね
たぶん同じ認識だと思うけど
そもそもあの写真は芸術写真ではないと思う
せいぜい(といっては失礼だけど)募金活動の
パンフレットに使えるかなくらいの写真
コンテスト自体が例えば
浴衣着た金髪姉さんが日本人と一緒に盆踊り
みたいなスナップでもそれなりの出来だったら
入選するような雰囲気だから
その程度の感覚であの写真を見てた
で、なんでその程度の写真に憤っているのかと
ちょっと戸惑ってレスしてみたという面もありました
想像だけど
グランプリというのはコンテストの顔になるから
あまり深刻な内容じゃなくて明るいやつ
入選に関しても応募者の国籍や写真内容のバランスをとって
さらに日本ユネスコ協会連盟協賛だから配慮して
みたいなのが見え隠れ
素人が撮ったほのぼの写真と
本当に訴えたい内容のある深刻な写真が
同じ土俵で審査されることにも議論の余地があるんだけど
天下のナイコンが堂々とやっちゃって審査員も追随して
という情けなさはあったりします・・・
(海外のコンテストがどういうものか知らないけど)
写真芸術とか偶然性は別の問題なのでまた機会があったらどこかで
(私では役不足かもしれないけど)

190 :
力不足

191 :
・・・orz

192 :
作品はそれ自体で評価すべきだと思うが?
その裏やそれを作った人間性を含めて評価するのこそ愚の骨頂では?
素人が撮ったほのぼの写真が
本当に訴えたい内容のある深刻な写真より優れていたらそれは価値がある
メーカーのコンテストというコマーシャリズムに乗ったモノに何を求めているんだ?
偶然性云々はその作家の哲学だろ
ギリギリ偶然を排除した作品(スナップに置いても)
全てが偶然だと考える作家(スタジオ商品写真でも)
どちらが正しくてどちらが間違っているなんか言えない

193 :
日本語が不自由なやつが多いね。

194 :
>>192
ずっと前から通してよく読んだ上で意見を書いてくれ。
いつも思うのは日本人にとっての写真というのはスナップ写真だけなんじゃないかと。
>ギリギリ偶然を排除した作品(スナップに置いても)
>全てが偶然だと考える作家(スタジオ商品写真でも)
そんな人がどこにいるの?
言葉遊びがしたいだけなら参加しないで。

195 :
芸術って退屈ですね

196 :
読みとれなければ退屈だろうね。
難しい話でも知識がないから理解できなくて退屈なのと一緒だね。
読みとるものがないのが最も退屈。

197 :
日本カメラみたいな雑誌がアメリカにあるか?
アメリカカメラ。
朝日カメラならイーグルカメラかな?
そゆ文化がだめだけど
89年ころのカメラ毎日はぐー!

198 :
フリードランダーとかブレッソンなんかはなるべく偶然を排除したスナップ写真と呼べるのではないだろうか?

199 :
スナップ風に撮っただけでスナップではないでしょ。

200 :
じゃあスナップって何よ?

201 :
ドイツ写真についてはどうよ

202 :
>>200
即興的に撮影すること。

203 :

20 新日本は腐ったミカン◆0puVYletLs 05/01/03 07:20:25 ID:pWJR67RN
俺はケツ感じるまで2年かかりました
最初はこんなんありえへんってくらい激痛だったけど
今じゃモロ感じまくってます。なので
痛いのを我慢して>>1さんも、回数こなしてみて下さい
その日の体調、相手が自分のタイプか
タチのチンポの形、大きさ、テク、ローションの種類
などでも左右されると思いますが頑張って下さい
22 薔薇と百合の名無しさん 05/01/03 07:27:19 ID:pWJR67RN
≫20
間違えた。。。名前とトリップは忘れてください

204 :
>>197で雑誌の話題が出たけど、日本の写真雑誌って
池田大作みたいな風景写真かスナップ写真がほとんどだね。


205 :
風景かスナップが多いのは敷居が低いからじゃないの?
要はアマチュアが撮り易い分かり易い→雑誌での反応が良い→そればっか
アメリカなんかだとアマチュアでもスチールライフやマクロ撮影してる人が居たりする
こういう人はカメラ以外の機材にも金をかけられる人
日本では100万あったら敢えて1Ds買わずにD30+大型ストロボなんて奴が居ない
と何の根拠も無く言ってみる(アメリカ云々は本当だけど)

206 :
アメリカだとタイムやライフ(ちょい旧い)
ナショナルジオグラフィックスやヴォーグあたりが
一流の登竜門になったのかな?
最近の主流は知りませんがw
日本の場合は写真誌というと同人的なのを思い浮かべるけど
これは文化の違いが大きいのではないかと思う
平安からある日記文学は欧米では回顧録という形式になるようだし
私小説ってエッセイじゃないのか?という認識もあるらしい
日本的スナップというのは私小説や日記文学的な
流れを汲んでいる雰囲気があるから
それはそれで文化だと考えれば欧米より低く見ることもないと思う
あるいは欧米人には理解され難い俳句や文人画のような発想が
日本の写真の流れにあるのかもしれない
一方では好き嫌いは別として既存の写真界とは別なところで
プリクラ・ケータイ・デジカメ・ネット世代がカメラを道具として使っていて
あまり写真とか作品とかいうことを意識しないで自由な発想で表現している
そういう不思議というか興味深い現象もブログとか見てると感じる
もしかしたらオタクが世界(の一部?)に認識されたように
日本的スナップが世界的に流行る可能性も無きにしも非ずだと思ったり
でもオタクと一緒にされるのは(ry
と、これも根拠や信念があるわけではないけど日本的スナップを擁護してみる
(日本的スナップってなに?っていうのは自分で考えてください)

207 :
>>206を始めとした人たちってどこまでいっても理解できないのかなと思うけど、
タイムやライフ、ナショナルジオグラフィックスとかはほぼ報道写真でそこにあるものを撮ったに過ぎない写真だよね。
アメリカは興味がないから知らないけど、ヨーロッパの雑誌だと自分のイメージで創った写真が多い。
日本的スナップっていうものはもともとウィリアム・クラインがこんなのもあり、というアラブレ写真を
森山大道が真似てバカの一つ覚えでそれをだけをやっちゃった、で最近では肉原が受け継いだようなものを言ってるのかな?
君がここで写真論を戦わせることができるレベルなのか一考した方がいいんじゃない?

208 :
>タイムやライフ、ナショナルジオグラフィックスとかはほぼ報道写真でそこにあるものを撮ったに過ぎない写真だよね。
>アメリカは興味がないから知らないけど、ヨーロッパの雑誌だと自分のイメージで創った写真が多い。
あふぉかコイツ???って思ったんだけど、俺がアフォなのかもしれない。
すごい写真論を戦わせることができるレベルのようですから、もう少しその差異についてkwsk

209 :
簡単に言えば、インスタレーションを行える写真と無縁の写真、って感じでは?
まぁ、どんな写真でもインスタレーションやろうと思えば出来るけど。

210 :
唯物論的魂たちにとって写真が青春のはけ口となりえたのは極めて日本的な事情によるものであり結局は構造の問題である

211 :
俺があふぉ?と思ったのは以下の部分です。
>ほぼ報道写真でそこにあるものを撮ったに過ぎない写真

212 :
もし208が誰かと意思疎通をしたいのなら、もっと説明しなきゃな。

213 :
なんで新しい靴を買う時って、それまで普通に見えていた自分の履いてる靴から
異常なほどのみすぼらしさがせり上がってくるんだろう?

214 :
肉原のスナップ写真群ってアンディー・ウォーホルのキャンベル・スープと同じなんだよね。
でもデジカメジンに集うような単なるカメラ小僧にはそれが理解できない。
一枚一枚に価値があるのではなく、まとめて見ての価値。
しかしそれがスナップでなくそれぞれを創作してとったものの方が良いと思う。
難しいけどね。

215 :
で、208は何だったの?
タイムやライフ、ナショナルジオグラフィックスで、こうのとりが月を背に飛んでいる合成写真とかもよくあるのかな?

216 :
肉原のスナップ写真群って一枚一枚が前近代的なんだよね。

217 :
>>202
即興的に撮影するのはキャンディッドフォトって言うんじゃないの?

>>207ってかなり見当違いの事を言ってる気がする
>そこにあるものを撮ったに過ぎない写真
ってストレートフォト全てを否定してるし。
このスレで言ってる日本的スナップっていうのはクラインや森山大道とは関係ないだろ

218 :
日本的スナップは206が言い出したことで、自分で考えてくれって放棄してるから
解釈としては間違ってないよ。
>>204で書いたように、池田大作のように、そこにあるものを撮ったに過ぎない写真が
日本の雑誌に多く載っているってことで、206の見当違いの意見を否定してるだけ。


219 :
>>218
いや、あなたがもし森山大道の写真を私小説や日記文学の流れを汲んでいるって思うならすごく変わってるよ
それこそ説明してくれないと分からん
>>206が日本的スナップってなに?っていうのは自分で考えてくださいって言ってるのは単なる逃げで、ちゃんと日本的スナップが何かって事は書いてある
俺が日本カメラを見てもそこにあるものを撮ったに過ぎない写真なんて、一枚も見当たらないんだが?

220 :
私が考えた日本的スナップは森山や肉原なわけ。
206の曖昧な逃げが混乱させた原因ね。
その日本カメラを見せてくれ。
表紙はどんな写真だ?w

221 :
森山は日本を代表するスナップシューターだと思うけど、
206のいう日本的スナップはコンポラの事じゃないのかな。
日本の写真てのは独特ではあるけど、必ずしも私小説の
流れをくんでるわけでもないんじゃないか。
隠れコンポラ気分っていうかな。楽そうだもんなコンポラ。

222 :
コンポラって何?

223 :
こんぽらさま http://ja.wikipedia.org/wiki/こんぽらさま
1960年代後半頃から日本に興った新興宗教。
日常の中に神は宿るとされ、ただそこにあるものを
崇拝し信仰するといういう、つかみどころのない教義をもつ。
神の使いとしてねこが祀られることが多い。
宗教自体はすたれてはいるがその信仰は姿、形を
変えつつも現代にも影響をもつ。

224 :
>表紙はどんな写真だ?w
少なくとも「そこにあるものを撮ったに過ぎない写真」では無い写真
>222
http://www.google.co.jp/
で「コンポラ写真」で検索しよう

225 :
日本カメラ10月号の表紙w
http://www.nippon-camera.com/

226 :
口内発射ごっくん動画!すげぇよコレ・・(´Д`*)
http://uploader.erv.jp/src/erv_jp0468.jpg
http://uploader.erv.jp/src/erv_gokkun.wm

227 :
日本カメラって写真雑誌じゃなくカメラ雑誌だからそんな表紙なのか?
こんなのばっかりだから日本の写真ってダメなんだよ。

228 :
で、>>225のどこがそこにあるものを取ったにすぎない写真なのか早く教えてくれよ

229 :
スズキカメラ商会の店を撮っただけだからなぁ。
写真家がディスプレイしたわけじゃないだろうし。
>>228は何考えてるの?
もう一度写真について整理しよう。
写真作品というのは写真家が撮ったものでなくても良い。
カメラマンに撮らせればいいのだから。
写真家というのは映画監督のようなもの。
イメージを創り、まとめるのが写真家。

230 :
中古屋特集だから中古屋の写真が表紙ってだけだろ

231 :
>>225の新刊案内にある出版物も、
全部そこにあるものを撮ったにすぎない表紙だな。

232 :
中古屋特集なので中古屋を狙って撮ってるって時点で、すでに対象のイメージを探してるわけだから、それは「そこにあるものを撮ったにすぎない写真」では無い
イメージを探すこととイメージを作ることは別の事じゃないよ

233 :
いよいよ写真にまつわるウェブがつまらなくなってきた
ただ一瞥、消費されて思い出すこともない写真の垂れ流し
単なるキーワードの羅列
難解な言語を使っただけの論理になってない論理
言葉を並び立てて考えてるつもりになってるだけで何の答えも出さない文章
自意識過剰なだけの人間
こんなのが多すぎる

234 :
>>233
その典型

235 :
俺写真学校言ってたんだけど将来性なさそうなんで中退した
今大学入りなおそうと思って受験勉強してるんだけどこの板見てると
つくつく写真から足洗ってよかったなぁと思う
もうカメラとか一切触らないし
親類の結婚式で写真頼まれても断ってるんだけど
写真集集める趣味だけは辞められなくて
毎週末は洋書の本屋巡りしてる
写真ある程度やるとある時点から人の写真見ることがなんか眼の訓練みたいになってくる
毎週ジムに通って鍛えてるみたいな感じ
見てるだけって
自分の人生に関係ないから気楽だし、もうフィルムとかカメラ製造中止とか言われても
全然不安にならない。
でも写真家って付くずく惨めな人生だな
金もないし女に馬鹿にされてるのに
芸術家だっていっても世間的にはカメラやってますっていったら
秋葉原だからなぁ
可哀想だなぁ

236 :
>>235
医者に言って薬の量を増やしてもらうといいよ。

237 :
正直写真集高すぎるな
CD三枚買える

238 :
写真論ではないのだけれど。
ときどき、すごくセンスのいいブログを見る。女性で、デザイン的に整然として、でもかたっ苦しく無く。
そして、必ずと言っていいほど写真(画像)にはロゴが入ってる。
うわ、すごく決まってるな!と色々見つつ、ロゴを隠すと突然がたっと力が無くなる。
ボツだろ・・これ・・。
なんかこう、この人たちの中にはいつも文字を入れるスペースが頭の中にあるのだと思う。
無調子で、「間」として作用していない構図。
もったいないな、といつも思う。

239 :
>>238
例えば、女子高生の写真は凄まじく面白いって話は90年代の半ばからあったな。
ポラに自分たちでお絵描きとか文字とか入れちゃって写真を1つのデザインとして保管する遊び。
男性は空間認識能力に勝っているが、若い女性は別の知覚能力に勝ってるんじゃないか?
言い換えれば、
ある三次元の光景を捉えようとしたとき、
男性が現実の観察からイメージを固めるのに対して、女性は自分の持ってるイメージから現実を抽出するのが上手いんじゃないか?
>>238の言っているのは、文字を前提として1つの広告を作るという感覚で写真を捉えている女性、なのであって
俺はもったいない、とは思わないな。
飯沢には絶対書けないだろう、90年代以降の日本の女流写真家論とかあったらちょっと面白いだろうなとはよく思う。

240 :
あ。真剣な返答をありがとう。
まあそうだな、とは思います。写真というのは色々な形があって、
自分は古い頭で捉えているのでしょう。
写真とはそれ単体で力を持つ物であり、言葉を越える、と。
ただひとつだけ。
>文字を前提として1つの広告を作るという
というのは、そこにふさわしい言葉や文面があれば作品と捉えられるのですが、
いつも単にロゴをデザインしただけのブログタイトルなのです。これはほぼ100%。
ようするにセンスのいい写真を撮っているのに、「写真」に対する意識がない。
もし、写真展を開くとしたら、彼女たちは無意味なロゴをそのままにしておくのかな。
絶対に、しないと思う。だから。

241 :
>>241
確かにその通りなんでしょうね。
俺も、10代の女の子にカメラを持たせた方が40のプロカメラマンよりいい写真撮っちゃうことは、よくあることだと思います。
特に人物写真とか身の回りのもの、とかね。
具体例として、どっかのブログを貼り付けてくれればわかりやすいんですけど...どっかないですかね?11

242 :
飯沢ってその時のはやりを肯定するだけで、
結局何一つ批評してないね。
デジグラフィとか言ってて恥ずかしくないのか??

243 :
>>241 具体例
いや〜。さすがにそれはちょっと。
リンク先で覚えてるってのもあるけど、コメント数の多い人たちだし。

244 :
>>242
昔は、新人の発掘っていうのもしてたんじゃないかなぁ?と擁護はしておく。
仕事量で言えば、そうとうなことをしているはずの人である、とも書いておく。
だが、写真の世界で飯沢に対して肯定的な人間と言うのは、実はあまりいないんじゃないかと思う。
このスレの人はどう思ってるのかねぇ?
>>243
そうですよねー。
残念です。

245 :
西井一夫がやっぱり最高だったな

246 :
mixiで気軽に素人写真を載せていたら
それを切っ掛けに幾つか情報誌なんかに
写真を使われるようになって
そこで他の人の写真と並んで初めて
職業として日常的に写真を撮っている相手との
技術差に気付いて愕然とした。
当然だが、やっぱりプロは伊達じゃないね。
この中から更に飛び抜けようと思ったら
どれだけの感性と技術が必要なのか
思わず色々と想像してしまったな。
このスレに出てくる写真家の本も少しずつ揃えてみるよ。
(初心者のスレ汚でしゴメン。)

247 :
最近出た「女の子100人うんぬん・・」の本を見た。
不思議だったのは、ブログなどで際立つ繊細なガールズフォトが、このように
集結するとまるっきり光らなくなること。被写体の本当の芯などは写っていず
(狙っていず)、これはオヤジたちのシリアスになりきれていないスナップと
何ら変わりないのだな、と。
その中でも、本当に自分を持って表現をしているのは2人ぐらいだった。
やっぱりそんなもんか、と冷静になった。

248 :
趣味で撮ってる女の子写真なんぞ見たってしょうがないだろう。

249 :
清水穣にふれるスレあります?

250 :
ないよ。2ちゃんねるでまともに写真語ろうなんて思わんほうが良いよ

251 :
団塊オヤジでもあるまいし、いまどき「写真論」などという恥ずかしいことがやれるのは2chだけ。
だからためらうことなく、評論家きどりの駄論をくりひろげようじゃまいか!!!

252 :
www.gokurakudo.net

253 :
月刊CAPAにしては珍しく、写真論みたいのがのっていた。
というか撮影論。
新連載でオザワの現場というページ。
で、小沢忠恭のホームページを見に行ったら、
その撮影の話が書いてあった。
オザチュウはいい歳をして、
けっこう青っぽい所がはまる。と思った。

254 :
>>248
TVをつければプロが撮った動く綺麗な写真がタダで見放題しかも音付き
写真なんてほぼ趣味だろ

255 :
絵コンテ描いてから写真撮ってる人いますか?

256 :
>>255
俺の知り合いにはいる
だが能書きや理屈ばかりで撮ってくる写真は
つまらないな
写真撮影と絵コンテはどうもなじまない気がする。俺は

257 :
でも大がかりなセットを組んだポートレートなどでは絵コンテ描きますよね?

258 :
>>257
お前がそういう絵コンテを描く良さ・悪さについて主張したいことがあるなら書け。

259 :
絵コンテを描くことで曖昧になっているイメージが具体化する。
周りの人にそのイメージを伝えやすくなる。
悪いことはない。

260 :
肉原恭彦
http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/gallery/2003/yasuhiko_uchihara/index.html
森山大道評
確信犯的な目と行為。そういう写真で、圧倒的です。
写している世界、撮っているモノは当然いろいろ違うけれど、
ある種全部が等質で、その等質感は見事です。
見たものをきちんとすぐ撮り、それもいい加減ではなくクッキリ撮る。
そういう撮影スタンスは、デジタルやアナログのこだわり、
区別を全く問題にさせない。
インクジェットでも出力されたプリントはまさに質も量も圧倒的。
最終的には、その人の持っている力量。それで決まりだね。

力量ってなんなんですかね?


261 :
強さでしょう。

262 :
肉原のどこがつおいんですか?

263 :
強さの意味くらい考えれ りれりれ

264 :
この場合、見る前に撮ることですかね?

265 :
写真の50%は偶然性でできており
それもありかと。

266 :
表紙写真が宮本作品に酷似、英人気バンドのDVD出荷停止
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070507ih01.htm
これのことだよね。宮本氏が作ったものでなく浮浪者が作ったものを記録しただけなのに
写真家の作った作品になっちゃうのね。おもしろい。
http://www.fujifilm.co.jp/photographer/2005_03miyamoto/miyamoto10.html

267 :
俺、香川県に住んでいるんだけど、西の空に明るすぎる星?がある。誰か望遠鏡で確認して。
倍率の低いので見たら、十字にランプが光っている感じに見えるから、すっごい気になってます。

268 :
>266
不思議だよね。
写真なんてただの模写のはずなのに、そうじゃないと多くの人が思っている証拠だわな。

269 :
もし浮浪者でなくてその人がゲージツ家だったら、その人が権利を主張することも
ありえるだろうね。
そのとき写真家の宮本氏はなんと主張するんだろうか?

270 :
>>269
被写体となったオブジェクトの芸術性と、撮影された写真の芸術性とは本質的に異なる物
だと思うが。

271 :
芸術性は本質的に違うな。でも段ボールに傘のアイディアは浮浪者のものだし。
そこを通ったアマチュア写真家も撮っただろう。先に撮ってるかもしれない。
でもそのイメージは有名写真家が権利を所有する。
なんかおかしくない?

272 :
ヒント:発表

273 :
写真に限らず、芸術ってのは意外と偶然性に頼ってるもんさ

274 :
日本では芸術作品や写真などで、どういう意図で作者がそうしたのか?ということについて
見た人がそれぞれ感じればいい、というだけで、作者の意図や考えをくみ取ろうとしない、
あるいは日本では作品に考えを織り込まず、たんなる偶然でしかないのがほとんどなんだろうけど
世界じゃそれは通用しないね。芸術写真としては。

275 :
単なる偶然てのは?どういうこと?
例えば「表現したいものはありません」という名(迷)言を金村修氏は吐いているけど、
彼の作品を偶然でしかないものと捉えるのは無理。よく構成したもの。
ノーファインダーの人も撮った後のセレクションに意図を持ってやっているし。
俺が思うにだけど、一流どころの人と周囲のへたれスナッパーとを混同して論じていない?
たしかに日本では絵コンテ描いてセットを作って撮るのは傍流扱いだけどさ。

276 :
おちるぞ

277 :
>>274がageてまで思いを吐露した割に、言いっ放しなのがなんだかな
読む人が勝手に読み取ればよいとでもいいたいのかな

278 :
スレ違いだったらごめん
ロランバルトの「明るい部屋」の2部の最初らへんの
母親の少女時代の写真の話らへんまで読んで、
バルトがちょっとキモク思えてきた。
私は母の小さな娘となりまた写真の中の少女と一つになっていた云々
あと自分は母の病気を通して母を子供として生み出したとか、
2部からはなんだか理解できん。
一枚の写真からそれだけインスピレーションを得るのもすごいけど。

279 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
3 増殖する巨大人工物写真(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/003/index.html

280 :
バルトはマザコンかつホモ

281 :
大竹 -- 3 月号の「アサヒカメラ」で、谷川俊太郎さんと飯沢耕太郎さんがホンマさんの写真集の
ことを話しているでしょ。風景と人の写真がまじっていると、つい人のほうを見てしまうとか、
対象をつき離して見る力が弱いとか、人や犬の写真を入れるところに恨みつらみが出ているとか。
あれってどう思いました?
ホンマ -- あー、あれに関しては、なんでそんなに写真というか表現に対して鈍感な人が評論家な
んていってんのかなーと思いますね。
http://wiredvision.jp/archives/special/interview_visual_artists/199903090300.html

1999年のもので凄い古いけど、飯沢さんに対するホンマさんの評価が笑える。
このあと大竹さんによるフォローも入るんだけどね。
評論家なんて辛いね。作家に否定されると死亡だから。
飯沢さんが日本の写真批評の第一人者みたいな感じであっちゃいけないわな。

282 :
批評ってのは別に正解じゃなくていいんだよ。
当然、写真家との視点は違う。

283 :
評論家って写真家より遅れてるのが常だもんな

284 :
>>281
多竹の方が最悪だろ
文学かぶれの写真おんち
飯沢さんはホンマの本質を見抜いている
ホンマはホンマもんじゃない

285 :
ここまで読んでの感想
「批評は自己顕示欲の表れ、批判はコンプレックスの裏返し」

286 :
ヒステリーさんいらっしゃーい

287 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
4 写真学生時代の集大成 - 卒業制作(1)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/004/index.html

288 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真学生時代の集大成 - 卒業制作(2)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/005/index.html

289 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真学生時代の集大成 - 卒業制作(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/006/index.html

290 :
飯沢が本当にアホだということはよくわかったよ

291 :
これ、写真としてはいいよな。
報道写真として問題なだけで。
http://www.technobahn.com/news/2008/200804092113.html

292 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
7 写真界の芥川賞 「木村伊兵衛写真賞」(1)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/007/index.html

293 :
>>170
黒人=屋外=日焼け っておかしくないか

294 :
写真表現掲示板の案内
http://www.asahi-net.or.jp/%7eSL7K-KWMR/c_way/wbbs.html

295 :
管理人はせめて話題を具体的にふれ
オバサン属性の機材マニアに付き合う暇はない

296 :
>294
はは。少し読んじゃった。
仲間内で貼った写真じゃなく、他人のブログに関してあれやこれや
言ってるようでは終わってるね。やってることは2chと同じ。
安全なとこから、厳しい目線だけを人に向ける。
なんつーかな。
頭の中が矮小だな。写真家はいちいち作品の内容を言語化しないと思うが。
批評家でも増やしたいのかな。

297 :
追記。
結局、管理人氏のやりたいことは、
当の掲示板でも名前が出ていたが、
連綿と写真のダメを指摘し続けることで会話が広がっていく
「ここダメ」スレッドが体現している。

298 :
>偽匠の件
人間は意識せずに醜い一面をさらすという例だな

299 :
>>296
管理人氏、
指導者の資格のない人間が指導者になろうとしてるふうで
基本上から目線なのが痛い。こういう人って初級者とか上級者とかっていう
言葉が好きだよな。
↓こういうレベルで写真を語っちゃうのかね。
>私が写真を始めた頃に、写真論にのめり込みました。図書館から借りた雑誌
>で「決闘写真論」を読んだり。
>写真集もたまに買っていて、とくに奈良原一高氏と森山大道氏が多いです。
>両極端の表現形式ですが、この二人の凄い作品たちに、私は強く引きつけられ
>ました。
>あと、アジェ氏も好きで、古いカメラ毎日の特集号とか、海外で出された小さな
>写真集も持っています。
>岩波書店の日本の写真家シリーズは、好きな写真家を中心に20冊以上持って
>います。
>当然ですが、中平卓馬氏のも含まれています。ある時期から図鑑写真を提唱?
>してますね。
>「決闘写真論」は文庫本が出ているので、それも前から持っていますよ。
>複数冊も。

で、全体的に書き込みが陰湿なんだな。
>ただいま私は、忙しい中、変な人への対応で疲れ気味です。
だから書き込みもこうなる。
>にせ専科のぶろぐ、みてきたよー。
>きったない写真ばっかりで、なんなのあれ。驚。
>あんなんじゃ、まねしたくもないよねー。
>
>いろいろ書いてるけどさー、
>ためになることなさそうだもん。
>よんでて飽きたから、とちゅうでやめたよー。疲。
>なに言いたいのかわかんないし。
>
>だまされる人ってさー、
>いい写真ってみたことないのかなー。
>しゃしん見ててさー、
>ひしゃたいへの愛がかんじられるしゃしんとか、
>きもちよくなるしゃしんとか、
>いやされるしゃしんとかー。
>やっぱりさー、なんども見たくなるしゃしんじゃなきゃね。喜。

300 :
なにこんなとこで愚痴ってないで本人に直接言ってやれよ

301 :
>299
しかしその後の展開がすごいよこれ

302 :
写真ヘタだよな、管理人w
センスがないしー

303 :
 ★ 星野仙一氏 はサムスン選出聖火ランナー ★
★ 中国のチベット弾圧に抗議してボイコット・発言を!★
『言うべきことはいわなきゃだめですよ。
もう本当日本人、中国に対しても韓国に対しても本当に腰が引けてるね。』
と言ったのは星野さんあなたです。jp.youtube.com/watch?v=SWot8◆GKCfN0 (◆を除く)
<星野氏 抗議先>
メール: info アットマーク tigersfanclub.jp 本社内にあるファンクラブ事務局
    (@を付けて下さい)
電話: 0 7 9 8 −4 6−1 5 1 5  阪神タイガース本社
ファックス:0 7 9 8 −4 6−3 5 5 5  阪神タイガース本社
郵送:〒 6 6 3-8 1 5 2 兵庫県西宮市甲子園町1番4 7号阪神甲子園球場内 
<日本サムスン 抗議先>
広報問合せフォーム(◆を除く):
ttp://erms.samsu◆ngelectronics.com/customer/form/formmail/SEJ/input_jp.jsp?S◆ITE_ID=52&PROD_ID=7
電話:0 3−6 2 3 4−2 0 4 7 広報担当(月-金9時-17時)

304 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真界の芥川賞 「木村伊兵衛写真賞」(1)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/007/index.html
写真界の芥川賞 「木村伊兵衛写真賞」(2)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/008/index.html

305 :
伊兵衛賞候補にも入らなかった内原恭彦の本性は・・・
http://s01.megalodon.jp/2007-1129-1108-45/blog.goo.ne.jp/zalzal04
http://s03.megalodon.jp/2007-1127-1937-54/blog.goo.ne.jp/zalzal04/e/9c18101642860b2e747e709bc17f7ccb

306 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真界の芥川賞 「木村伊兵衛写真賞」(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/009/index.html

307 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
10 写真界の芥川賞 「木村伊兵衛写真賞」(4)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/010/index.html

308 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真界をリードし続ける写真家 「森山大道」(1)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/011/index.html

309 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真界をリードし続ける写真家 「森山大道」(2)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/012/index.html
写真界をリードし続ける写真家 「森山大道」(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/013/index.html

310 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真集を楽しむために(1)
ttp://journal.mycom.co.jp/column/photologue/015/index.html

311 :
>写真集は、複数の写真を並べることによって、写真家の意図を伝えるメディアなんだ。
写真家って意図を持っててそれを伝えようとしてるものなの?

312 :
>>274
そういうのはいわゆる「お散歩」写真の部類でしょ?そりゃバラバラだもんな。
だけど何でもコンセプトを持てばいいってものでもないし、持ってない海外作品
もないこともない。ただ、その「持ってない」ってことを説明するだけのこと
なんだけど。
日本がどうこうじゃなくて写真家の姿勢の問題。

313 :
>>271
>芸術性は本質的に違うな。でも段ボールに傘のアイディアは浮浪者のものだし。
そこを通ったアマチュア写真家も撮っただろう。先に撮ってるかもしれない。
でもそのイメージは有名写真家が権利を所有する。
なんかおかしくない?
十人十色だぜ。それぞれがそれぞれの視点を持つだけ。「特許」じゃないからさ。
ただ、その中のどれが市場で生き残るか、印象強く訴えかけるかの違いだろ。
そこの心配は余計なこと。見る側がすることではない。

314 :
>>312
君は日本以外知らないんじゃないの?
>>313
権利を主張した写真家がいたことを話題にしてる訳だが。
っていうか、古っ。

315 :
>>314
逆。むしろオレは日本を知らない。米国大学出だから。
確かに、コンセプトを持ってるか持ってないかの話は腐る程、日本であるわな。
だけどないわけないじゃん、そもそも。写真を撮る行為プラス作品づくりって
プロセスを取ってるわけだから。
そこに一貫性がないとか主張が弱いとかいうのとごっちゃにしてはダメ。評論家が
しつこくまでいうのは、単に底上げの部分だと思う。
>>314
それはしらん。興味ないし。

316 :
>>314
もうちょっというと、オレはあっちで映像関係勉強してたんで、その観点から
いうと、写真やってる向こうの日本人でも、プロアマ問わず、作品発表するまで
のプロセスではコンセプトというのはあらすじ程度。発表の時点でできあがって
るわけで。オレは学生もアマもプロもいろいろみてる。一般的な話だけどな。
なんていうか、出来上がったものが最初と違うなんてことよくあるわけで、これは
ドキュメンタリーなんかそうだけど、企画の段階と違うところにたどり着いた
みたいなことは。逆にいうと写真なんかの場合、とりあえず現場で作業始めて
手ごたえを得てそれで完成をめざすみたいなことだけど。
言ってることわかるか?


317 :
>>316
何で向こうの日本人の話するわけ?

318 :
>>317
何で話す?何その質問?まるで話すことに何か特別な意味でもあるかのような?
何を前提にしてそのような質問をしてるの?

319 :
>写真やってる向こうの日本人でも、
って君が書いたんだよ。
アメリカも日本と同じってことなの?そこで教育を受けた君みたいなのも。
ドイツをはじめとしたヨーロッパではそうではないね。

320 :
>>319
おまえ日本語おかしいぞ。「何で話すか?」と聞いておいてなんだそれは?
話す理由は知り合いだからだ。アホか?
>アメリカも日本と同じってことなの?そこで教育を受けた君みたいなのも。
同じじゃない。同じとはいっていない。ただ、上で挙げたような指摘は、
一般的すぎて、ステレオタイプすぎて、答えがひとつじゃないってことだ。
>ドイツをはじめとしたヨーロッパではそうではないね。
知らん。

321 :
>>319
>ドイツをはじめとしたヨーロッパではそうでは
おまえのその質問の仕方にものすごく違和感を覚える。ヨーロッパが
どれだけ広くどれだけ国によって地域によって違うか。

322 :
しらん。興味ない。そればっかりだね、君。
ドイツ留学してたのは私じゃない。私は別の国だけど同じ傾向だよ。

323 :
>>322
>ドイツ留学してたのは私じゃない。私は別の国だけど同じ傾向だよ。
おまえがドイツを挙げたんだろ。で、おまえはどこで学んだの?なんで
国名挙げない?おまえからそんな質問先にしておいて。
>しらん。興味ない。
実体験に基づかない知識や興味のないことはそれまでだ。本読んで得る
知識で済むことならそれでいいがそうでもないこともあるって話だ。


324 :
知らない、興味ないならレスするな。

325 :
>>324
で、おまえはどこで学んだの?質問に答えろ。

326 :
イタリアだよ。そんな個人情報聞き出して何をしたいの?

327 :
【コラム】Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 第16回 写真集を楽しむために(2)
ttp://journal.mycom.co.jp/kaden/camera/index.html

328 :
【コラム】Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 第17回 写真集を楽しむために(3)
ttp://journal.mycom.co.jp/column/photologue/017/index.html

329 :
写真は未来を写す
ttp://ascii.jp/elem/000/000/167/167244/

330 :
写真作品について分かっていないドアホウな俺にみんなの意見を聞かせてほしい。
俺はこんな風に考えている。
1.舞台なり演劇なりを客席の真ん中から舞台全部が写るフレーミングで
最初から最後までビデオで撮影したものは、カメラマンの作品か?
→否。それは演出家なり俳優なりの表現者の作品であり、カメラマンは
それを記録したにすぎない。と考える。
この考えには多くの方が賛同してくれると思う。
2.ではそのビデオの1コマを切り抜いたら、それはカメラマンの作品か?
→否。確かに1コマを選んだのはカメラマンかもしれないが、表現者は
その切り抜かれた瞬間も含めて表現しているのだから、カメラマンがしたのは、
その記録だ。と考える。
この考えにも賛同してくれる方が多いのではないかと思う。
3.ではその舞台なりで、ビデオをカメラに変えて、アングルを変えたり、
レンズを換えたり、露出を変えてスローシャッターで撮ったりしたら、
それはカメラマンの作品か?
→否。カメラマンがどのような細工をしようが、舞台の写真はあくまでも
舞台の表現者の作品であり、カメラマンは舞台の記録者に過ぎない。
と考える。
この考えには意見が分かれそうな気がする。
4.被写体を自ら表現するものから、富士山なり一般人なり町並みなり花なりに
して撮影したら、それはカメラマンの作品か?
→否。自ら表現するしないは被写体次第であり、撮影者の知るところではない。
被写体にどんな熱意を込めて撮影しようとも、どんな風に切り取ろうと、
どんな瞬間を狙おうと、結局は被写体の記録者に過ぎない。と考える。
ここまで飛躍すると、「それは違うぞ」という意見が多いように思う。
俺はこのような考えから、自分の撮ってきた写真は作品ではなく単なる記録なんだ、
全ての写真は記録でしかないんだ、と思えてきた。
もちろん、記録じゃダメということではないが、芸術には成り得ないという意味だ。
みんなの意見を聞かせてほしい。

331 :
その通りだ!全部その通りだ!
ただ、もう少し考えてみよう。
台本を書いて絵コンテ描いて、俳優に指示し、構図を決めカメラマンに撮らせる。
それは誰の作品だ?つまり映画は誰の作品だ?
写真家とは何かを考えてみよう。監督に指示された通りに撮るのが写真家か?
いや、それはカメラマンだ。
写真家は自分で写真を撮る必要があるのか?
いや、撮る必要はない。カメラマンに撮らせればいいのだ。ボタンを押すだけの単純作業だ。
それは誰にでもできる。
表現とは何か?そこにあるものを撮っただけのものは表現ではない。
それは記録だ。

332 :
>>331
ドアホウの俺は映画には明るくないので、うかつな事は言えないが、
映画は複数製作者の作品なんだと考える。
複数製作者とはいえ、中でも製作に占める監督の役割は大きいと思う。
一般的には映画は監督の作品ということになるのか?
よく知らない。
表現とは何か?
それは被写体自身である、と考える。
被写体に対して写真家が出来る事と言えば、
ライティングをしたり構図や露出を決めたり、
被写体が人間ならポーズや表情を作らせることもあるだろう。
しかし、それはあくまでも二次的な要素でしかない。
繰り返しになるが、写真家が出来るのは被写体の記録だけだ。
>>330 の書き込みの最後に芸術という抽象的な言葉を使ってしまったので、
ここで補足する。
芸術の大切な要素の一つにオリジナリティというものがある。
これは、多くの方もそう思っていると思う。
写真の場合、オリジナルは被写体だ。
だから芸術足りえないと考える。

333 :
森村 泰昌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9D%91%E6%B3%B0%E6%98%8C
この人も写真家といえるかも知れない。
ある意味オリジナリティはあるけど、それらは名画のコピーにすぎない。
すでに芸術として認められているが、彼の作品は芸術ではないのか?
映画はどうだ?芸術ではない?一人の人間の仕事でなければ芸術ではないの?
風景絵画はどうだ?肖像画は?それらもコピーだが。

334 :
>>333
森村泰昌のオリジナルプリントを観たことがないので、
想像で回答するが、彼は彼自身が表現者なのだろう。
>すでに芸術として認められているが
芸術って誰が認めるんだ?教えてほしい。
俺は芸術というのは、個々人が芸術か否かを判別するものだと考える。
写真は芸術ではない、というと芸術とは何か?
という流れになってしまが、
ドアホウな俺はまだ芸術の定義が分かっていない。
あえて言葉にするなら、
やむにやまれぬ内なる想いを表現することによって伝えること。
となるのかな。
風景画でも肖像画でも俺にとっての芸術作品はある。
映画はない。それは一人の人間の仕事でないからダメ、
という訳ではなく、商業ベースに感じるからだ。
いい映画を観ていないからそう考えるのかも知れない。
ただ、蛇足気味だが、芸術におけるやむにやまれぬ想いとは
個人の想いであり、他者が個人に同化することは不可能だろう。
絵筆のように他人を思いのままに動かせるのなら、話は別だが。
ところで、みんなに教えて欲しい。
芸術ってなんだい?
写真は芸術になりえるのかい?

335 :
そうだね、一対一で対話していてもしょうがないから、他の人にも参加して欲しいね。
これらの写真を見てどう思う?やはり芸術ではない?記録かい?
http://www.alessandrobavari.com/english/sodom_gomorrah/gallery_sodom_gomorrah.htm
http://www.photosight.ru/users/23161/
http://www.tokoroyukinori.com/

336 :
>>335 さん、ドアホウな俺に付き合ってくれてありがとう。
写真家を一人づつ挙げられると、つらいものがあるな。
俺も好きな写真家はいるし、心を動かされる写真もある。
ただ、ここはやっぱり写真は記録だと言い切りたい。
そして写真は記録とした上で、では写真家に出来ることは何かを
考えて行きたい。
>>335 さんは俺に紹介してくれた写真達を芸術だと思っているの?

337 :
記録とは事実のことだよな。
芸術とは創作。
写真は記録とした上で、では写真家に出来ることは何かを
考えて行きたいのなら報道だろうね。はい、それまで。
デジタルによって写真芸術の世界が広がろうとしている時に残念だね。
絵的にいいと思って、何かを付け足したりの合成をしたら失格だよ、報道写真は。
くれぐれも気よつけてね。

338 :
>>337
デジタルによる写真芸術の世界というのが、どんなものを指すのか
分からないけど、俺の知っているコラージュとかぬりえの類なら、
写真が進む一つの方向ではあるが、それは亜流だと考えていた。
素材を写真に求める必然性がないし。
>>337さんが言うようにそれが本流になるかもしれないな。
ドアホウな俺にはこの先のことは分からない。
あなたの考える写真家に出来ることってのは
写真をベースに何かを付け足したりの合成をしたりするって事
なのね。回答ありがとう。

339 :
>>335で紹介したサイトの写真を見てないのか?
芸術というのは作者の持ってるイメージを表したもの。
デジタルによってそれが比較的簡単に形にして表すことが出来るようになったと思うのよ。
本流とか亜流の話はしていない。記録性より芸術性の高いものを示しただけよ。
君が写真は記録だというからね。そこにあるものを写しただけでは、やはり記録だとしか言えないよね。
でも写真はそれだけではないということだ。

340 :
>>339
ドアホウな俺にもあなたの言いたいことが少し分かってきた気がする。
>芸術というのは作者の持ってるイメージを表したもの。
同意。
>でも写真はそれだけではないということだ。
写真は記録だけではなく、作者のイメージを表した芸術性の高いものが
あるという意味だよね。
芸術性の高い写真というのは、
暗室ワークなりPCなりで手を加えることが必須って訳ではないのだよね。
イメージ通りの写真を撮ったとして、
写真として発表すればその写真が芸術になりうるということなのか。

341 :
芸術写真について、読んでみてね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%86%99%E7%9C%9F
ドイツの写真芸術の現状
http://www.goethe.de/kue/bku/dos/dfh/jaindex.htm
ドイツ写真の現在
http://www.momat.go.jp/Honkan/German_Contemporary_Photography/index.html
何かの参考になればいいけど。

342 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
写真集を楽しむために(4)
ttp://journal.mycom.co.jp/column/photologue/018/index.html

343 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
変容する報道写真(1)
ttp://journal.mycom.co.jp/column/photologue/019/index.html

344 :
Vistaの壁紙、写真を撮影したのはだれ?
ttp://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0810/04/news010.html

345 :
ストレート・フォトグラフィへの自覚は、写真表現における記録性のもつ意味をつきつめて考えさせるとともに、記録における芸術性という問題をあらためて問う契機になった。
表現が個性的・主観的な創造行為の果てに得られるとするロマン主義的芸術観からすると、本質的に個性の介在する余地のない客観的な表現行為によって約束されるであろう記録性は、我慢ならぬものであったといえる。
しかし記録的手法を、新しい表現への方法論として自覚的にとらえ、そして実行してみたとき、たとえばウェストンやアッジェが到達した表現世界のように、それは十分衝撃的なリアリティを獲得することがきたのである。
しかし、記録は決して表現ではないという偏見は今日でも完全になくなっているわけではない。個性や主観的意図の介入しえない記録的表現には少なくとも芸術的な創造性が乏しいという観念は、なおかつ現在でも生き続けているのである。
http://shigemorikoen.com/koen/ss/00.html

346 :
かつて写真とは、写真家の撮った被写体がまず何であるか、
その定着された映像に、撮る段階で被写体に向けられていた
写真家の意識がどのように対象化されているか、という空間
にほかならなかった。
しかし今日の写真映像にはすでに被写体の輪廓はぼけ始めて
いる。何が映っているのかも、もはや問題ではなくて、作家主体
が対象にどうかかわろうとしたのかというかかわり合い方の記録
として写真が作られようとしている。

347 :
ここには今日でもまったく解消されたとはいえない、写真は記録か表現かという問題がすでに萌芽としてあった。そして多くの場合、記録と表現を対立した概念としてとらえてきた。
記録と概念に含まれている客観性を、表現を意識する側は自己表現の阻害源として認めたといってよいだろう。観念的な議論としては確かに論理的にそうならざるをえない面もある。
だが二元論的にとらえるにしても〈写真における〉という大前提に着目し、〈写真における〉記録と表現として、いわば特殊概念的に考える必要があった。
写真がそのメカニズムに立って記録性を抜きにしえないかぎり、記録性を写真の表現性のなかへ吸収してしまう視点に立つことが重要なのである。
アマチュア作家たちは、自らが設定した記録か表現かといった二元論に挟み込まれながらも、写真を芸術たらしめるかぎり、表現性に重点を置かねばならぬという結論を抱くようになっていく。
しかもまた表現は自己の決定的な外化によって初めて成立するのだという自覚もそこには欠落していた。
つまり表現は自己の主観的美意識の問題としてのみとらえるのでは、たんなる趣味意識を満足させるものでしかなかった。
http://shigemorikoen.com/koen/ss/10.html

348 :
Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話
変容する報道写真(2)
ttp://journal.mycom.co.jp/column/photologue/020/index.html

349 :
写真表現掲示板
http://rara.jp/shadow/

350 :
前日のエントリーの「一瞬を切り取ること」と関連するが、昨年の木村伊衛兵賞受賞のハプニングスナップショットについて、自分の考えを述べておきたい。
 町中で面白おかしい光景をスナップで撮る。そうした写真が賞をとって、ヒット作になり、時代の寵児のようになってメディアなどの露出が大きくなって、本も売れる。
メディアは、メディアを活性化させるために、いつもこうした構造で人気を増殖させる。
 このスナップショットついて、「写真のおもしろさをストレートに感じさせてくれる。日常生活のなかで起きている不可思議な小事件、出来事。それを見逃さず写真に記録して見せてくれる。
思わず笑いがこみあげ、もっと見たいと眼が訴えかけてくる。」などと、評論家が賞賛して、その言葉がまたメディアに乗るから、
今、写真学校などに通っている人もまた、
これに続こうとする人が増える。
 
昨年の10月、大阪芸大で行われたシンポジウムに参加したが、その時の私の鼎談の相手だった野町和嘉さんは、「風の旅人」でも何度も登場したいただいている素晴らしい写真家だが、
学生のうち野町さんを知っていたのは1/4以下で、スナップショットの梅佳代のことは全員が知っていたと、写真学科の教授が話してくれた。
 この若い女性カメラマンは、ごく普通の写真好きの若い人で、自分のやりたいことを素直にやっているだけだと思う。だから彼女が、どうだこうだと言うつもりもない。
 しかし、こうしたスナップショットを持ち上げすぎるメディアの状況が、私には薄気味悪く感じられる。
 あのようなスナップのハプニングものを、”奇跡的な一瞬”などと評する人がいるが、私はそのように思えない。あの種の人間の面白さは、その辺に溢れている。
どこかの街角に立って、あの種の面白さだけを待ち続けていれば、幾つものケースに出会うし、その瞬間を撮り逃がしても、待っていればまた同じような光景と出会う。
あの種の面白さを見ても、笑う人はいても、驚いたりしない。あり得ないとも思わない。誰しも心のなかで少しは認知しており、「こういうのって、あるよね」と受け止める。
あの面白さというのは、既に自分の認知済みのものを再確認して、共感して、納得できる安心に裏打ちされているのだと私は思う。
 現代の社会で、人間の変な面白さは、敢えて探し出さなくても溢れている。テレビとかでもしょっちゅうその類のことが流されている。農家の人を登場させて、お笑いタレントが突っ込みを入れて、
ボケた感じの対応を皆で笑うということは日常茶飯事であり、そうしたことを、ストレス社会の一服の清涼剤などと言う。
 
そして、その「ストレス社会」は、大人の間だけでなく、子供の間にも広がっている。子供は、大人の真似をして、ストレスの発散をするために誰かの欠点を見つけだして嘲笑ったり、はやしたてたりする。
おかしな行動とか仕草を見つけては、からかいのネタにする。「他者」を、自己のストレス解消に利用するという発想は、社会の至るところに溢れている。
”いじめ”は、そうした社会風潮のなかで増殖するものなのではないか。
 本当の意味でシャッターチャンスを逃さないというのは、そのようにみんなで笑えるものを準備することではなく、表面的に見ていると見逃してしまいがちな内実とか本質を引き出すことではないだろうか。

351 :
 ハプニングスナップショットには、内実を引き出す技量は、さほど必要ない。技量がなければ何にも感じとれないような微妙な瞬間を撮っておらず、誰が見てもわかる大仰な表情とか、誰が見てもわかる明確な動作ばかりが写っている。
結果として、何が大事か伝えてくるような、もしくは何が大事か改めて考えさせるような、揺らぎは伝わってこない。
 
誰が見てもわかるような大ざっぱなアクションでコミュニケーションして面白さを伝えるのは、ハリウッド映画が典型だが、ハプニングスナップショットは、そこに属するものだ。
そして、ストレス社会の発散は、ハリウッドの娯楽映画が得意とするところなのだ。
 そうした娯楽写真が賞を受賞するのは、メディアが、写真もまた娯楽と割り切ってしまっているからだろう。
 しかし、ハリウッド映画は、ギャラをもらって俳優が演じているが、ハプニングスナップショットには、普通の人が写されている。普通の人が、娯楽の材料にされている。その感性は、非常にテレビ的だ。だからテレビに登場する有識者や有名人にも受けが良いのだろうと思う。
 テレビは、新しい価値観を提供するのではなく、社会に広く行き渡っている価値観に便乗し、それをさらに増殖させる効果を持つ。結果として、法律に違反しなければ、「ストレス」発散の目的のために何でもOKの状態に陥っていく。
 そのように商業的快楽の大きな流れのなかで見失われがちなものや、不当にないがしろにされているものに秘められた豊かさや美しさを捉えた”写真”こそを、私は、”奇跡的な一瞬”と呼びたいと思う。

352 :
『風の旅人』 編集長 佐伯剛の言葉  コピペです

353 :
>>352
で?藻前はどう思うんだ?

354 :
激しく同意する。そして「うめめ」の中にある障害者が写ってる写真には
本当に頭にきている。これのどこがおもしろい?

355 :
>>306
>>312
飯沢の言っているコンセプトって、↓こんなんのことか?
写真の中の時間は過去の一時点で静止しているが、
写真を鑑賞している人間側の時間は動いている。
仕掛けを考えて写真を撮るが、
撮影における非意図的なるものも歓迎する。
これがコンセプト?。
非論理的に言葉をならべているだけかと思うが。

『CANARY』について
撃たれてR。
印画紙が証拠品となる。プリントされた像は生ものであるかのごとく臭気を帯び、
目の前にたちあらわれた。この世の時間軸が写真側にあるとすれば、
私は全くその圏外にいて、“現在”という宙ぶらりんでつかむことができない
不確かなものから逃れようと、その確かに存在する軸への手がかりを必死に探す。
私という死に向かう、流れる時間そのものに対し、
止まった時を作る行為は祈りに似て、自己と対立する存在への強い欲望、
執着の線上にイメージは成り立つ。
撮影の際、偶然を引き起こす仕掛けを自ら作り込み、
なおかつ自分が意識的に持つビジョンのコントロールを失うべく、
予測不可能にカメラに撃たれることを待っている。
写真を撮る『shoot』=撃つ、R行為だとしたら、
それは逆に撃たれる意味であり、R行為で蘇生してしまう時間がある。
被写体や光景との出会いの段階、またはそれ以前で既に写真をみている。
撮影以前に存在する時間が圏外にある私を撃ち、蘇生する。
身体は媒体でしかない。カナリアを腹の中で飼っていた。
写真によって生け贄にされた人物や風景が、あの世に捧げたものを見よ。

356 :
>>352
この佐伯剛という人の言葉も、
ある一面的な写真を擁護(嗜好)しているだけの言葉だという気がする。
結局、それが人それぞれの「論」ではあるんだろうけれど。
雑誌のカラーがはっきりしているものな。

357 :
「私の写真論」だものな、当たり前か。

358 :
デジタル写真によってもたらされた大きな変化は、色を簡単に操作できる点だと思う。
今、日本人の写真を見ると色はそれほど意識されていないけど、海外のwebを見てるとかなり色を操作している
これほど簡単に、かつきれいに写真の色を変化させる方法は歴史上存在しなかった。
これからは写真をやる人も見る人も(ピトリアルな表現に否定的だったとしても)より色を意識せざるをえなくなると思う。

359 :
ピトリアルじゃなくてピクトリアル

360 :

『風の旅人』って結局は写真原理主義
つまらん

361 :
カメラの極楽堂が27日から30日まで倒産セールだ!

362 :
飯沢はまったく深化も進化もしないクソ野郎だな。

363 :
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://nowaksvd.nanzankyokai.net/jiai/jiai02.htm
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359
キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html
キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm
キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.newsalesian2007.com/reisei/2007/saintspdf/adcosta.pdf
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html
病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html
カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
http://www.donboscosha.com/
http://www.sanpaolo-shop.com/
http://shop-pauline.jp/
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

364 :
飯沢は写真界の癌そのもの。
くだらない言動はやめろ。

365 :
飯沢って名前を聞くだけで、苦笑。

366 :
風の旅人はふつーにかっこわるい。

367 :
ウィキペディアの飯沢解説文↓w
「現在まで、著作や写真公募展審査員を中心にして八面六臂の活躍をしているが、
著書や雑誌における評論には、他の評論家の著作からの盗作も目立つ。
ちなみに盗作元のネタは写真集の序文などのほか坂川栄治著『写真生活』
やネット上のブログなど、挙げていくとキリがない。 」

368 :
>>367
たしかにあげていくとキリがないよなー。
飯沢の付け焼き刃的な意見は、どっかからの
借り物で、ホントすかすかだわw

369 :

     オオトカゲのあくびだ文句あっか?↓   
      http://hwm8.gyao.ne.jp/eternal-life/


370 :
青弓社から「写真空間3」が発売されて、写真論の入門特集が組まれるみたい。
これを足がかりに、すこし写真論に触れてみようと思う。
2009/05/01発売予定とあるけど、まだ発売されてなくて、
青弓社に問い合わせたところ、5/18以降に書店に置かれてるそうです。
以下、サイトからの引用。
写真空間3――特集 レクチャー写真論!
城丸美香/三浦なつみ/内野博子/末廣 円/中川裕美/甲斐義明 ほか
A5判 予価2,000円+税
2009年5月1日書店発売予定
ヴァルター・ベンヤミン、ロラン・バルト、スーザン・ソンタグ、アンドレ・バザン/ケンドール・ウォルトン、ヴィレム・フルッサー、ジョン・シャーカフスキー、ピエール・ブルデュー、ロザリンド・クラウス、アラン・セクーラ、ジェフリー・バッチェン。
本特集では、代表的な写真論者を取り上げ、彼らの見方・考え方を明快に解説する。
ありそうでなかった写真論への招待状。充実の連載も健在。

371 :
飯沢の、にやけ顔がむかつく

372 :
>>370
情報サンクス。
とりあえず、買ってみた。

373 :
なんなのこのスレ。なんでリヒターと飯沢なの?
リヒターはすごいけど、飯沢なんて調子のいいことばかり
いってるニセ評論家。リヒターに失礼でしょ。

374 :
飯沢ははやりものに乗っかる風見鶏
評論家を名乗るのは100年早いよ。

375 :
>>367
「中傷的記述」として削除されてたよ。履歴参照。
俺は削除するならWikipediaの方針に従って「存命人物についての出典無き批判は除去」によって削除するべきだと思ったがね。
批判と中傷はまったく異なるからね。

376 :
飯沢のしたり顔が腹立つ

377 :
飯沢さ〜ん、pippoとはどういう関係なんですか?(知ってますけどw)

378 :
だれpippoって?

379 :
つttp://blog.livedoor.jp/pipponpippon/archives/51239662.html#more

380 :
皆さんのお話が面白すぎるので写真論読みはじめたんだけど、
写真空間3で取り上げられているテクストを読んだ後で、
読むべき写真論のテクストをリストアップして下さい。

381 :
写真空間3なら、脚注に山ほど参考文献でてるやん。
あれ片っ端から読んでけばいいんだよ。

382 :
飯沢の新刊、またもウンコだなw

383 :
写真空間4でないかと楽しみにしてるんだけど、いまのところ青弓社に情報はないねえ。


384 :
厂下广卞廿士十亠卉半与本二上旦上二本与半卉亠十士廿卞广下

385 :
写真空間4――特集 世界八大写真家論
清水 穣/前川 修/日高 優/荻野厚志 ほか
A5判 予価2,000円+税
2010年5月中旬書店発売予定

http://www.seikyusha.co.jp/kinkan/index.html

386 :
最近これ読んでる。けっこうおもしろい。
写真の存在論
ロラン・バルト『明るい部屋』の思想
荒金 直人 著
http://www.keio-up.co.jp/kup/sp/shashin/01.html

387 :

http://zeiss6.hp.infoseek.co.jp/rep-EOS5D.htm

388 :
論者より先端をいく心あるスナイパーを尊敬します。
心なくしたら、ただの暴力でしかないでしょ。
暴力つかってでも、今、この瞬間を手探りで手繰りよせているだけの刹那的
写真はとても悲しみを覚えます。 失礼しますた。

389 :
撮る人のための実践的写真論が、けっこう好きだったな。
最後まで通して読めた上で、理解出来る部分が多かったと感じる。
忘れている部分のほうが多くなっているけど、
それはもう血肉になっているということで。
ソンタグ、フルッサー、バルトを図書館で借りて読んだけど、
しみこんでこないというか、途中で挫折。
局所的には理解できる部分もあるんだけどねえ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%92%AE%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E7%9A%84%E5%86%99%E7%9C%9F%E8%AB%96-%E5%85%90%E5%B3%B6-%E6%98%AD%E9%9B%84/dp/toc/4903485056


390 :
思想本の表面だけ眺めて偉くなったような気になっても、
自分の写真はなにも変わらない。
自分の無い頭で考えながら撮りまくって、
自分のスタイルらしきものを見つけたとき、
ふと読み返してみると、怒濤のごとく雪崩れ込んでくる。

391 :
発売日、1ヶ月のびた。
写真空間4――特集 世界八大写真家論
清水 穣/前川 修/日高 優/荻野厚志 ほか
A5判 予価2,000円+税
2010年6月中旬書店発売予定
http://www.seikyusha.co.jp/kinkan/index.html

392 :
このブログがけっこうお気に入り。
Art&Photo/Critic&Clinic
写真、美術に関するエッセーを掲載。
http://blog.goo.ne.jp/zalzal04

393 :
写真は、記録でも表現でもないな。暇つぶしだろ。
実用性ないなら暇つぶしだ。なくてもいい。だから誰も買わないし、見ない。
大学での授業は糞だね。

394 :
>>393
そう考えるのは別にいいけど、論拠にかける。
たとえば、"誰も買わないし、見ない。"のくだり。
なにをもって、"誰も"と言い切れるのか。
論理に流れを意識して、もう少し具体的に。
結論をいそがなくてもいい。

395 :
現代写真論 (単行本(ソフトカバー))
シャーロット・コットン (著), 大橋悦子 (翻訳), 大木美智子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794967500/


396 :
写真空間4――特集 世界八大写真家論
サイトでは、6月中旬ってあるけど、青弓社に電話してみたら、
7月中旬っていわれたよ。
遅れているそうです。気長に待つか。

397 :

 ロック気取りのN-Kは今ヨーロッパで歌手をしてる
 http://www.youtube.com/watch?v=kE3IC-ch81I
80年代伝説の パンクロッカーANDI SEX GANG と音楽作ってる 

398 :
うんこ

399 :
大阪にビーツギャラリーっちゅう自称パンク写真家集団がおってな。
こいつらどうだ?
www.beats-gallery.com/

400 :
今日、7/9発売予定の写真論の本。
話す写真 (単行本)
畠山 直哉 (著)
価格: ¥ 2,100
http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%B1%E3%81%99%E5%86%99%E7%9C%9F-%E7%95%A0%E5%B1%B1-%E7%9B%B4%E5%93%89/dp/409388112X

401 :
ために買ってみようと思う。
まだ発送されてないようだけど。。

402 :
>>397 そいつって日本の文化大革命をしかける日本の若き闇将軍だろ?敵は容赦なく切り捨てる織田信長のような残忍非道の性格
   元々尾張三河の桶狭間の生まれ、九州の人間じゃない。表に出てこないから余計に不気味だね。日本の警察、検察、政治結社を影で動かしてる
   キャノン等の大企業もそいつにやられったって?呪いをかける、不思議な能力を持つ。皆怖がってる。
   
    

403 :
現代写真家を冷静な視線で、淡々と紹介している。
もし気に入った写真があれば、その人の写真集を手にとってみる、
というきっかけにもなる本。
Amazon.co.jp:
現代写真論:
シャーロット・コットン, 大橋悦子, 大木美智子:
http://amzn.to/bJe7Lf

404 :
てす

405 :
ジェフリー・バッチェン 前川 修/佐藤守弘/岩城覚久訳
『写真のアルケオロジー』
定価5000円+税
詳しい内容は
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-7292-8.html

[編集者から――矢野未知生]
ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』、ソンタグの『写真
論』、バルトの『明るい部屋』など、これまで欧米のすぐれた写
真論が翻訳されてきました。それらの成果を引き継ぎ乗り越えた、
決定的に重要な理論書が本書『写真のアルケオロジー』です。
理論的な内容の充実、水準の高さはもちろんですが、写真が発
明される以前の画家/原写真家の奇妙な試みや珍妙な視点を紹介
しながら風景や人・物を紙に写し取る/定着させることへの欲望
を描く事例もとても魅力的です。
また本書は新シリーズ「視覚文化叢書」第1巻です。第2巻は
長谷正人『映画というテクノロジー経験』を11月に刊行します

406 :
5000円は高いなあ。
書店でちょっと見てから、購入を検討しよう。

407 :
翻訳がクソだったらどうしようもないしねえ

408 :
live28.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1275937066/

409 :
http://live28.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1275937066/

410 :
スレのタイトルに飯沢の名が入ってる意味がわからない。
あいつの批評は批評というレベルじゃないだろw

411 :
まあ、ここの住人にはスターンツインズなんて理解も出来ないんだろうな

412 :
出来ない出来ない。
何それ教えて!!

413 :
ツインズって言うくらいだから双子でやってる連中だけど
まあ、一言で言えば写真に物としての質感を与えた、というべきかな。
写真をちぎり、貼り付け、形を変え、コラージュして、新たな物を生み出す。
色あせた古い写真を見るとなんか哀愁を感じるのと同じ効果といえばわかりやすいかな。

414 :
フリマとかで回収した、素人の撮った古い記念写真とかスナップを素材にして作品つくってる連中もいましたよね。

415 :
ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』を
書店で立ち読みしてみたよ。
写真史研究を通し、写真の誕生から現代にいたるまでの
写真をとりまく活動とその変化を引用をまじえながら
丹念につむがれている文章という印象。
派生する書籍は多岐にわたり、写真史を専門にやってないと
ついていけないような高いレベルだなあと感じた。
大学院修士の輪講で読まれるようなリッチな内容だった。
わたしには難解すぎたので、この本を買っても
積ん読になりそうなので、購入はひかえた。
いつか読みこなせるようになれたらいいなとは思う。

416 :
最近、写真論に関係する本、見かけないな。
なんかあったら教えてください。

417 :
写真のキーコンセプト 現代写真の読み方 を読んでみた。
訳者あとがきで、
「写真と根本的に向き合うときになにが必要か可能なかぎり
コンパクトに詰め込んだ、写真研究のための教科書」(要約)
とあるように、写真史をさきにふれ、そのあと、現代写真を
語るためのキーコンセプトがわかりやすくまとめられている。
若干、直訳調のところもあるけど、注釈で可能なかぎりフォローしてくれたり、
ルビで英語と日本語のニュアンス違いをカバーしてくれたり、
全体的に読みやすく、非常に楽しめたよ。
写真論コーナーで、この本をみつけたのは偶然だけど、
得難い面白さがあった。
写真のキーコンセプト 現代写真の読み方 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/dp/4845910578

418 :
女子中学生手コキ学園 http://t2xdorvynm.mh7.mp7.jp/

419 :
(今月のキーワード:シミ消滅)..このサイトは美容・健康関係の携帯サイトです。美容の技術や女性の悩みなどをみんな様と交流したいです。よかったら。掲示板に意見を書いてください。http://iivii.fool.jp/beauty/index.php

420 :
デジタル化がすすみ、現像ソフトウェアをつかい、
撮影画像をどういった意図で編集・補正し、
自分のイメージに漸近させるか、というプロセスは
不可避であろうと考えている。
そのとき"明確な意思"をもって写真をコントールする
ことは「写真論」の範疇でもあると感じているので、
ここで紹介。
本書は、なぜその機能をつかうのかという
理由について、著者の経験上知りえた知見で、
わかりやすく説明されているのが、
わたしにとって有益であった。
Photoshopのレタッチ手法に関する書籍は多くあるけど、
現像プラグインの Camera Raw に着目し、
そこについて多くのページをさいて
説明されている点がいい。
Photoshop×Camera Raw
レタッチワークフロー
フォトグラファーが知りたかった速さと質を高める方法
http://www.amazon.co.jp/dp/4862671020

421 :

 早田カメラ嫌い

422 :
ボードリヤールのデジカメ嫌いってなんでなんだ?
『なぜ、すべてがすでに 消滅しなかったのか』あたりに
書いてあるんだろか?

423 :
もしも写真が、芸術の諸機能のいくつかにおいて芸術の代行を果すことを許されるならば、
写真は間もなく芸術の地位を奪ってしまっているか、芸術を完全に堕落させてしまっていることでしょう、
それが群衆の愚昧の裡に見出すであろう自然なる同盟のおかげをもって。
従って写真はその本当の義務に戻るべきなのですが、その義務とは、諸科学、諸芸術の下婢となること、
それも、印刷術や速記術同様、きわめて慎ましい下婢となることであって、
印刷術や速記術は文学を創り出しもしなければ、その代行を果しもしなかったのです。(「1859年のサロン」ボードレール)

424 :
写真とは「表現」なのか?「記録」なのか?自分はどこまでいっても「記録」であると思う。
なぜ写真に芸術性を求めるんだろう。自己表現を求めるんだろう。

425 :
絵画とは表現なのか?記録なのか?
その思考で行くとやはり記録になるようだが、しかし実際にはそうじゃあない
絵画の中では記録に徹することがひとつの表現方法でしかないように、写真においても無自覚な写メでさえが表現だ
記録には意図がある
意図に沿った撮影をしようとすることを表現という
表現方法に嗜好を組み入れれば、それはもはや自己表現以外のなにものでもない

426 :
>>425
意図のない写真が結果的に、記録性を帯びることだってあるぞ。
つまり、記録に意図があるとは必ずしも言い切れない。

427 :
意図のない写真なんてありえないのではないかなあ。
意図のない記録性のみの写真がもしあるとしたら、何気なくスナップを撮ったら画面の隅っこにたまたまゴルゴ13が写ってた、みたいな感じか?

428 :
意図のない写真ねぇ…
インターバルタイマーつけた全周魚眼で撮った写真とかか?
それでもその場所にカメラ置いた時点で意図が生じるかw

429 :
>>426
おっしゃるとおり古代の絵画は意図があって書かれてるが結果的に記録ともなっているな
しかしその逆は真ではないと思うね

430 :
写真は記録だ
ありのままを受け入れろって奴の写真が
ありのままを受け入れていない件
ちょっとお知らせしておきます

431 :
写真論なのに何で飯沢wwwww
そんでもってリヒターwwwww
きめぇ^^;wwwwwww

432 :

 フォトベルゼが嫌い


 フォトベルゼが嫌い

 フォトベルゼが嫌い

433 :
誰でもカメラを持ってる時代になって、「論」が逆に必要とされなくなってる
作家がいて論は後付け
人が亡くなって魂は残るか、残らないかみたいな話だよな
戦争写真が金になる、政治的な意図に使われるとか、評論家も似たようなもんだろ?
別な切り口で自分が立てた論を切り崩すこともできなくて、ズルズルと昭和を背負って金にしてる
写真がダメになるのをその論こそが、牽引してんじゃねえのか
違いますかね?

434 :
激しく同意なのでage

435 :
バルトやソンタグなどの古典を読んどく価値はあると
思うけど。

436 :
写真家にとっての才能とは?

437 :
http://www.ikuru.co.jp/blog/archives/2011/07/post_193.html

438 :
記録なのか表現なのか
記録と考える人はきろくでいいし
表現と思えばそれでいい
記録 表現双方でもいい
頭が固すぎるとろくなこと考えないよ
撮ること自体が自己表現で自己表現を否定してもそこには自己がある
一つの論が全てではないし
論を読めばその論に影響される
自分の論が無い人間は他人の論を読まない方がいい



439 :
気になったからからあげる
最後の書き込みは2ヵ月前すね

440 :
なんか東横線沿線っぽいスレですね

441 :
日本には仕事をちゃんとしている(出来る)写真ギャラリーがひとつもない。

442 :
実はフルフォード情報でこんなのがあります。
東京の○○公園に十年前から核爆弾が埋められてるという情報がある。
ロシアの連邦保安局からこういう情報が入っているという。
東京直下の地震を引き起こして日本を破壊するために埋め込んでるんだと思うんですよ。
しかも不気味なことに、嫌なのがあるんですねこれ、これそっくり。
このカードがね、ビッグベンなのか、和光堂なのか銀座の、議論されてるんですよ。
ビッグベンだとね、ここが数字じゃないので和光堂だろうと、しかも形そっくりなのね。
だからこれをモデルに書いたとしか思えないものなんですよ。
でこれオリンピックの年を、この人たちの服の色がね、象徴してるんだろうとかね。
(1時間27分頃)
陰謀論だと言って馬鹿にできないのが、
イルミナティカードというのには前例があってですね、これ有名なやつですね。
これ1995年に出たカードなのに、2001年のツインタワーが崩壊してる映像が出てるんですね。
でご丁寧にペンタゴンまで燃えてる、これがあまりにもリアルなので、
おかしいぞこのカード、という陰謀論者のですね、興味を掻き立てるカードなんですね。
(1時間30分頃)
こういうのもありましてね、はいこれですよ、またイルミナティカードね。
ほら津波でしょ、津波で建物が襲われてる状況ですね、そしてこれ明らかに原発だよね。
原発が破壊されてる状況がありますね、これイルミナティカードなんだよね。
これをね、ひっくり返すんですね、そうすると確かに311が出てきてるんだね。
これ311が、ひっくり返すと出てくるんだよね、よく見つけたなと思うよ、最初に見つけた人。
これを見せられるとね・・・まぁ偶然でしょ多分、嫌なものを感じますね何か。
(1時間33分頃)
http://www.youtube.com/watch?v=2FhVLj4HfPg

443 :
上に立つ者が無責任過ぎるんだよね。
人を引き込んでいるだけで
その先は勝手にやっとけみたいな感覚だから。
そういった詐欺まがいの事件に巻き込まれた事がある。

444 :2013/04/28
『現代思想 2013年5月臨時増刊号』
総特集 東松照明 戦後日本マンダラ
ttp://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791712618
【エッセイ】
守宮と夜蛾 / 倉石信乃 
追放と王国 東松照明の写真から見えるもの / 鷹野隆大 
国境の街から / 菊地智子 
片思いのラブレター / タイラジュン 
吐き出された東松照明 / 島尾伸三 
東松泰子さん / 石川真生 
桜になった写真家明 / 石川直樹 
思想写真家・東松照明 / 磯崎新 
【対談・1】
写真が語り続ける 東松照明と「新しく」出会うために /  森山大道+伊藤俊治  
【再録テクスト】
友よ――東松照明 / 大島渚 
【未収録インタビュー】
髪の風、…… / 東松照明/吉増剛造 
【写真アルバム】
『東松照明と沖縄 太陽へのラブレター』選 / 新里義和 選 
【時のかたち、場所のかたち】
「時」のモンタージュ 東松照明論 / 土屋誠一 
東松照明≪わたしの町≫ リアリズムと「組写真」の間で / 竹葉丈 
【群島から/へ】
水の巡礼 東松照明をめぐる海 / 今福龍太 
ドキュメントの詩学 東松照明の汀へ / 八角聡仁 
【表現のために】
雲から抵抗へ、ネクロフィリアの新しい生へ / 友常勉 
長崎の皮膚 東松照明『<11時02分>NAGASAKI』 / 林田新 
【南へ】
叙事詩的世界から混成世界へ 転成する東松照明 / 中村隆之 
沖縄マンダラのころ / 翁長直樹 
【沖縄】
イメージの群島と光の詩学 東松照明の沖縄クロニクル43 / 仲里効 
見ることに賭ける 東松照明とシマ / 田仲康弘 
【対談・2】
生きられる写真、生きるための写真 / 志賀理江子+新城郁夫 
【光をもとめて】
写真の存在する場所 / 岡崎乾二郎 
<占領>とカラー写真 東松照明と島々 / 徳田匡 
【年表・解説】
東松照明主要作品集・展覧会解説 / 友寄寛子 
年譜
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