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戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?


1 :2007/01/27 〜 最終レス :2013/03/12
源頼朝から三代で「源氏の嫡流」ってのは歴史の表舞台から消えたけど
もしかして足利氏が名乗っていたの・・・?
そんな馬鹿な。
ってなわけで戦国時代における源氏の正当な系統ってどこなの?
or平氏も

2 :
( ´゚ω゚` )

3 :
石見の吉見氏が
範頼の子孫だと名乗っていたはず。
頼朝の子孫は全滅したんじゃ。
大きな一族だから、直系は絶えても傍流はかなりの数が残っているはずだ。

4 :
源氏:足利
平氏:西洞院
藤原氏:摂家
橘氏:薄
終了

5 :
終わらすなタコ

6 :
>>5
じゃ続けてみ?500レスいかねえから

7 :
>>6
とりあえず新田について
源氏長者の遍歴
は押さえてから終了して欲しいな

8 :
じゃ源氏長者について書きなぐり。
時は治承・寿永の頃、源氏諸家の危機に際し源氏最長老の源通親だったかが
源氏長者として一族を取り纏めたことに由来だったと思う
その後通親の後裔の久我が継承するも足利義満が纂奪し以後源氏長者と淳和奨学両院別当は
セットになって足利家が独占。足利滅亡後徳川が継承し
明治になって久我に返還された

9 :
>>8
ついでに新田もお願いします

10 :
新田の何を語れと?

11 :
なんだかんだ言って盛り上がってるじゃん。

12 :
ま、義貞が世にでるまで無位無冠の小太郎だったことからみても
新田がどういう位置にあったのかわかろうというもの。
源氏の嫡流などという妄想を語る以前に、新田などまな板にも乗れない存在だったということよ

13 :
>>12
足利の官位だって親北条でなければ似たような存在だったんじゃ?

14 :
母親の地位貴賤、当人の官位、時の政権との距離で如何様にも左右されるのよ
嫡流なんて

15 :
>>14
そこまで言及してから終了にしようよ
日本史板じゃないんだし

16 :
いいけど何語るよ?w

17 :
庶嫡関係なく養子を入れないで男系の血統だけで考えた場合の現在の足利将軍家の末裔→尾池家
そういうことを話すのか?

18 :
>>16
各地の源氏の最大勢力の紹介とかしてくれるとありがたいです
戦国乱世だから嫡流になったかもしれないし

19 :
>>14が書いているように嫡流候補はなにも一家ではなかろ。
経基流に限るなら多田源氏も大和源氏もあるし

20 :
各地の源Rえ・・・詐称も多いし、信頼できる中でも例えば常陸の佐竹なんて男系血統で山内上杉だもんな

21 :
>>20
我が家は系図上は平家だけど源氏から養子が入っている
でも平氏だよね?
血統にこだわり過ぎると議論が拡がらない

22 :
なんとなくだが前にも同じメンツでこんな話題をしている記憶が。
明らかな僭称は嫡流に成り得んだろ。

23 :
>>21
日本はイエの概念が強いからな。有名な戦国時代の貴族山科言継は桓武平氏から四条流に入ってるが
公卿補任には藤言繼と記載され言継の次男から薄に入嗣した諸光は
橘諸光となってる。はっきり言って血は関係ないんだよな

24 :
>>22
徳川は桶なの?

25 :
河内だ!摂津だ!大和だ!と、そもそも本姓しかない(苗字家号など個人の区別はあったが)
平安末の時点でも嫡流の判断なんてあやふやなのに
時代が下った戦国の世でどの家が源氏の嫡流だなんてナンセンスだと思うが。
しいて上げるなら源氏長者の足利と久我。何がしたいスレなのかよくわからん

26 :
>>24
ここは戦国時代板だから俺は認めたくないなあ

27 :
>>25
源氏長者を政権の箔付けの一部にするのが一般的な時代だし
>>26
平氏なんでどうでも良い、すまんな

28 :
さて二十数レスついたが・・・三人とも微妙に会話が噛み合ってないと思わんか?w何だろwwwあれ?wwwww

29 :
やはり>>1が降臨しないと

30 :
スレタイがアレだが戦国時代の源氏を語るスレでいいべ。

31 :
趣味板にナンセンスも噛み合わせもあるかよと思ったが、
試しに地下平氏の嫡流を考えてみて不毛さを再認識。

32 :
源氏シリーズか無いFFは糞だよな

33 :
武田と佐竹じゃなかったけ?


34 :
普通に足利だろ

35 :
>>35
新田の方がお兄さんだから一歩間違えば逆転くらいの差だと思う

36 :
清和源氏嫡流→摂津源氏:源頼政+嫡男+嫡男の嫡男が宇治川でアボン
以降、鎌倉・室町幕府の河内源氏が源氏嫡流を称する
よって、戦国時代の源氏嫡流は足利氏でFA

〜終了〜

37 :
多田源氏なら太田氏も大河内氏もあるやん。

38 :
で、結局嫡流に近い系統でもいいや、そこってどこになったの?

39 :
紀伊の堀内とかどうよ?
新宮十郎の末裔らしいが


40 :
まだあったの。

41 :
頼朝の弟・範頼から始まる吉見氏

42 :
範頼が目一杯庶子だし。

43 :
吉見氏というと、戦国時代に大内義隆の娘を娶った吉見氏しかわからぬが・・・

44 :
源義国の子供が長男、新田義重 次男、足利義康 になってたよ

45 :
>>39
源行家?

46 :
>>44
義重は庶長子、義康は嫡子。

47 :
成程、それで足利のほうが名門なのか

48 :
名門というか・・・
足利氏にしてみれば分家がなぜ逆らうんだろうと疑問だったんじゃないかと。

49 :
皇室典範のように源氏嫡流を決めるとしたら、
頼朝ー頼家ー実朝ー八幡ときて、最も血筋が近い範頼の家系である吉見氏に移るのは当然の流れ
また安定した勢力を持って武士の棟梁として君臨していた足利が嫡流とも言える

50 :
あくまでも頼朝に拘るなら、土佐の吉良氏を推すのが筋と心得る。

51 :
残念ながら土佐の吉良氏は希義から既に系図が怪しいというのが通説
頼朝子孫を称する島津を押した方が良い
それに吉良氏は戦国時代に断絶した

52 :
足利でいいじゃん

53 :
>>51
>>頼朝子孫を称する島津を押した方が良い
は?
そっちの方が春かに怪しいじゃん。
つーか、ほとんど事実ではないというのが定説。

54 :
姓の意味さえ分からない人が嫡流を語るのに驚きだ

55 :
>>53馬鹿者
>>51に書いたのは、系図捏造説が濃厚な吉良氏を嫡流だと言うのは、島津を頼朝の子孫だと言う位アホだという事なんだが
お前は空気が読めないとか人から言われてるだろ?

56 :
オレは嫡庶しか話してないからね。

57 :
希義と頼朝の母親は同じ人物なんだよね
土佐吉良氏の系図の信憑性さえあれば良かったんだけど…
吉見氏が範頼の子孫だと言うのは信頼できるらしい

58 :
熱田神宮を膝元に持ってるからね。
信憑性は措いといて。

59 :
頼朝より源三位頼政の系統のほうが本流だろ

60 :
ここの>>1って徳川宗家は津山藩とか清和源氏嫡流は多田とかいってるスレの>>1か?
だったら何遍同じことで叩かれてんだか。学習しようぜ!

61 :
>>60
やかましい。レベルに応じて話題を楽しむスレがあってもいいだろ。
気に入らんならすっこんでろ。

62 :
カッカッカ!スレのレベルとはレスの内容でいかようにも出来るのだよぷらっと君
NHK総合の宇多源氏薬屋スレにて待つではお先に

63 :
プロデューサーとは同じ住宅で育った仲だったりする。

64 :
>>57-58
熱田大宮司な

65 :
下間氏はどうだろ?

66 :
源氏と平氏の子孫はどうなった 第二章
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1116921328/
吉見一族 〜その系譜と事暦〜
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/
もう一つの清和源氏・能登吉見氏の歴史
http://www.geocities.jp/tgbqg409/YoshimiGenji.htm


67 :
源氏の生残り
希望http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%B8%8C%E6%9C%9B
範頼http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%AF%84%E9%A0%BC
全成http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%87%8E%E5%85%A8%E6%88%90
義円http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%86%86
摂津源氏
太田氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ota_k.html
土岐氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toki_k.html
大河内氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/o_kouti.html
河内源氏
範頼の子孫・吉見氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yosimi_k.html
希義の子孫・吉良氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tos_kira.html
足利氏(喜連川)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kiturega.html
足利氏(平島)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/awa_kubo.html
新田氏(岩松)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/iwama_k.html
石川氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mk_isika.html

68 :
源氏嫡流
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E5%AB%A1%E6%B5%81
摂津源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E6%BA%90%E6%B0%8F
源頼政
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%94%BF
多田源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E6%BA%90%E6%B0%8F
多田行綱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E8%A1%8C%E7%B6%B1
河内源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%BA%90%E6%B0%8F
源義家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E5%AE%B6
源義朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%9C%9D
源頼朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D

69 :
摂津源氏→土岐氏→明智氏

70 :
佐竹と足利はどっちが嫡流に近いんだ?

71 :
足利は、八幡太郎義家の子の義国の子孫。
佐竹は、八幡太郎義家の弟の義光の子孫。
よって、佐竹より足利の方が嫡流に近い。

72 :
サンクス。そうかタッチの差だな

73 :
>>70
もともと佐竹は嫡流争いでそうそうな負け側。
ただ源氏と言うだけの存在に成り下がってる。
佐竹が誇っているほど良い家では無い。

74 :
血筋から言えば大差ないんじゃないの?
義光は頼義の三男
義国は義家の三男
当主から見ればどちらも三男だし
頼朝の系統だって厳密な意味では嫡流とは言い難い
ただ、義光は宗家争いに負けたから河内源氏宗家には大きく遠退いたけど

75 :
>>74
どんどん嫡流から遠退いて行ってるから、佐竹の場合は。

76 :
佐竹氏は早い段階で異姓の養子当主が立っている。
嫡流を考えるなら男系で途絶えた家は普通除外するだろう

77 :
皇室典範の様に考えると、吉見氏が源氏の嫡流という事で結論とっくに出てる

78 :
少し上の書き込みくらいは見ておくべき。

79 :
源氏の嫡流ってなんだろね?
清和源氏の嫡流の事か?源氏長者の事か?

80 :
平氏嫡流は熊谷氏だと思われる

81 :
>>80
そ れ は な い 。

82 :
>>81では平氏の嫡流はどこ?

83 :
俺、隠れ源氏の嫡流

84 :
なにこのクソスレ
7が特にクソ過ぎる

85 :
里見が嫡流?

86 :
財前だな

87 :
源氏嫡流と一言にいっても・・・
何処の源氏の嫡流なのか?
代表的なのは清和源氏だろうけど。

88 :
しずかちゃんは源氏の嫡流?

89 :
普通に
足利→徳川だと思うけど
義昭死後から家康が将軍に任命されるまでの間が
どうなるのかわからん

90 :
>>88
仮冒

91 :
武家源氏初の氏長者足利義満以降歴代氏長者
略―足利義満―足利義持―久我清通―足利義教―久我清通
―足利義政―足利義尚―久我豊通―足利義稙―久我通言
―久我晴通―久我通堅―徳川家康―徳川家光―徳川家綱
―以下徳川慶喜まで略―久我建通―明治四年氏姓禁止により氏長者消滅

92 :
おい>>81
だから桓武平氏の嫡流はどこなんだよ?

93 :
ちょっと上くらい見たらどうよ。平家は>>4でいいだろ。

94 :
>>93西洞院は高棟王流の堂上平氏じゃん
桓武平氏の嫡流はより先に平姓を賜った高望王流だろ

95 :
先に平姓を賜ったのは高望の伯父の高棟王だけど。

96 :
>>4に適当に追加
菅原長者=五辻
清原長者=舟橋
小槻長者=大宮・壬生
王氏長者=白川伯王
大中臣長者=藤波
高棟と高望はどっちが格上かという話だ

97 :
高階はどうすんの。

98 :
宿禰だよ
小槻が地下の最高位を得てからもう朝廷への道は閉ざされた

99 :
壬生なあ。なんか納得できんと思うのは当時の公家も同じ気分だろう。

100 :
戦国期の小槻はおもろい。超おもろい。
日記を読み比べるといかに氏長者というものが重要なもんだったかがわかる。
とくに貴族全般が貧困の底であえいでた時代にあって
氏長者が本来の意味を失っても
一族の求める直接的な要求において違う意味で重要な役得を帯びてくるのは実にあわれだ
こういった必死な連中の前では秀吉が簒奪者以外の何者でもなかったかががよくわかる
橘長者も滅んだしな
>>99
納得できないのは公家全般ではなく地下だろ
そもそも公家というのが当ってるのかは疑問だし
まあそういう「下克上」が一次的な利によって引き起こされるばかりではないのは
土御門が安倍とともに加茂(かでい)も襲っちまって格が逆転してるの見るとわかるけどな

101 :
政治力って重要だな。
つか垂仁後裔って朝臣姓でいいんだろうか。

102 :
ようしらんが姓を貰った人物が離れすぎてるから原則的には真人では有りえん

103 :
真人はないけどさ。職分から忌部かなと。

104 :
忌寸?

105 :
高望王流の嫡流はどこよ?
坂東平氏の千葉氏かな

106 :
高望の5人の子はそれぞれ独立してるからな。
孫の代で将門を討った貞盛系、曾孫の代で貞盛の子らを逐った忠常系。
どちらを取るかは考えてくれ

107 :
忠常系の嫡流は千葉で間違い無いと思う
で貞盛系の嫡流はどこだろう?
高望から長男ー長男で貞盛だし

108 :
その考えで行くと貞盛の長子は維敏
干公 ─ 信盛 で絶えているようだが

109 :
貞盛がいるなら大掾一門とか。

110 :
貞盛の嫡男は維将だろ
で嫡流は維将ー維時ー直方と続き
直方の子孫が北条氏や熊谷氏
ただし、北条に関しては系図捏造説が濃厚

因みに貞盛の四男維衝は源頼信らと共に、四天王と呼ばれる程の武勇に秀でた武将
この維衝が伊勢平氏の祖
そして伊勢平氏の庶流から清盛ら平家が現れる
でいつの間にか桓武平氏嫡流の様になってた訳

111 :
あと伊勢平氏庶流の平家に対して、嫡流なのは足利幕府の礼儀作法を司った伊勢氏だろうね

112 :
結局、平氏の嫡流は熊谷氏って事?

113 :
なんでそうなるの

114 :
>>113
>>110

115 :
国香ー常陸大掾を引き継いだのは大掾
全く発展はしていないが

116 :
桓武天皇―葛原親王―高見王―高望王―@ABC
@国香―貞盛
A良持―@将門A将頼B将平C将文D将武E将為
B良兼
C良正
清和天皇―貞純親王―経基王―@満仲A満政B満快
満仲―@頼光A頼親B頼信
頼信―頼義―@義家A義綱B義光
義家―@義宗A義親B義国C義忠
源 義光―@義業―佐竹昌義―隆義―秀義
A親義
B義清(那珂川武田郷)―武田 清光(鹿島神宮社領侵略父子共に甲斐市河荘流罪)― 信義……武田 信玄
源 義家―為義―@義朝―@義平A朝長B頼朝C範頼D義円E義経
……らしい。
なんで義円だけルビが【ぎえん】なんだ?

117 :
源 義業の嫁が常陸だいじょう(漢字出ない)
平 重幹の孫娘
源 業光と義綱とな間に源氏の統領争奪戦がおこり、義光が義忠を討ち殺し、義綱一家佐渡流し。
骨肉骨肉……。
この人がいなけりゃ、義朝も義経もさして苦労しなかったんじゃないんだろうか。

118 :
いやいや
源氏衰退の最大の原因は、
やはり為義、義朝親子が争ってしまったことでしょう
その前だと義親の問題もあるし
義光もそうだけど、本当に代々骨肉だよね

119 :
慢れる者は久しからずや
盛者必衰の理ありき
ってか口は災いの元の平氏のほうがまだ綺麗に見えてくる……。
半分逆恨みなんじゃないかってすら感じてしまうm(__)m
ちなみに、
八幡太郎義家―義国―足利 義康―義兼―義氏―泰氏―頼氏―家時―貞氏―@尊氏
A直義
尊氏―@直冬
A義詮―義満
B基氏(関東公方系)―氏満―満兼―持氏―成氏
『見るべきものはみつ』
内因壊の源
外因壊の平
って印象……。

120 :
大掾氏は貞盛の甥(貞盛の弟・繁盛の子)である維幹が、
貞盛の養子となって大掾の職を引き継いだ一族
しかし貞盛流の嫡流と呼べるかどうか

121 :
大掾が貞盛流の嫡流な訳ないじゃん。単に役職を継いだだけ
なにより繁盛は養子な訳だしね
維将が貞盛の嫡男だよ
嫡流はこの子孫から探すのが妥当

122 :
宗家を継いだ者=嫡流だろ
役職と領地を継承した大掾は
紛れもなく嫡流だよ
長男云々で言ったら頼朝も嫡流じゃなくなる

123 :
>>122
正論だな

124 :
>>122頼朝は三男だが嫡男だよ
それはともかく甥の繁盛になぜ大掾を継承させたのかが疑問
子沢山の貞盛の男子達をさしおいて、なぜ養子の繁盛を嫡男にしたのかなぁ?
というか本当に嫡男なのか?
そういえば同じく養子にした維茂は余五将軍と呼ばれ武勇に秀でてたよね

125 :
失礼。養子になったのは繁盛じゃなくて維幹の間違いだった
因みに鎮守府将軍の職は国香ー貞盛ー繁盛ー維茂と継承されてるよ
常陸大掾と鎮守府将軍の職がどちらが格上なのかは良く分からないけど
紅葉狩りの話には維茂が貞盛の嫡男だという事になってる
でこの子孫が城氏
大掾氏が常陸平氏の本家だというのは間違いないのだろうけど

126 :
>>124
頼朝の系統自体が違うと言っているのだよ
義家から下ると血筋的にはもっと近い者が大勢いる
だが、祖父為義が先代義忠の養子になり
河内源氏を相続した事から嫡流を名乗る事となる
まあ、細かく言えば河内源氏自体
血筋的には源氏の嫡流じゃないだろと言う話しになるけど
要するに血筋ではなく
宗家を継いで力を有する者が嫡流となる
極端な話し血縁がなくても嫡流になる
徳川なんかがその例

127 :
徳川は源氏の嫡流だなんて言われてないよ
氏長者だっただけ

128 :
それじゃ天下を取る事で嫡流を名乗った
頼朝や尊氏も嫡流ではないと言う事になるな

129 :
徳川は名乗ってないが

130 :
>>122>>126でこいつの言ってる事は矛盾してるな
>>126の通りなら嫡流は大掾じゃなくて、清盛一家の平家もしくは
平姓を称した織田になるはずなんだけどな

131 :
んー、じゃ戦国時代において頼朝の「血筋」に最も近い家ってどこ?
無論、嫡流は途絶えてるから・・・何処?

132 :
>>131頼朝の弟に範頼がいるが、その子孫の吉見氏

っていうか散々既出だ

133 :
おめーら、みんな馬鹿ばっかりだなー頼朝も足利も河内源氏だから、嫡流じゃねんだよ〜摂津源氏が嫡流だーボケが〜

134 :
単に源氏ってくくりでは嫡流は村上源氏なのでは

135 :
河内源氏の嫡流は足利氏
摂津源氏の嫡流は太田氏
坂東平氏の嫡流は千葉氏
伊勢平氏の嫡流は伊勢氏

136 :
>>135
有無を言わさぬ感じで書かれていますが、
理由付けとしてはどんな感じでしょうか?

137 :
理由付けも何もそういうもんでしょ
日本史板にいくつか関連スレッドがあるから見てくるのはどうでしょう
「源氏と平氏の子孫はどうなった2」とか
ただ伊勢平氏の嫡流は山木(八巻)氏だと思う

138 :
太田は自称源氏ですから

139 :
坂東平氏の嫡流が千葉氏
河内源氏の嫡流が足利氏というのは間違いない
で摂津源氏の嫡流は源頼政の嫡孫から始まる下間氏
本願寺の重鎮というのが微妙だが…

140 :
源氏長者はそのとき一番官位が高いやつが任命されるんだろ?
あっこれは嫡流関係ないね。

141 :
大江氏の嫡流だか長者はどこよ?
毛利なのか?まさか

142 :
一所懸命の時代であることから考えれば
毛利より北条や安田のほうが大江の本家筋だわな

143 :
毛利本家が越後にあっただろ。戦国時代、分家の北条とたびたび所領争いしていた
ただ毛利は大江氏の嫡流ではないだろうな

144 :
大江氏の嫡流は北小路家
匡範は広元の兄

145 :
ふむ。

146 :
伊勢平氏の嫡流は山木氏だろうか
それとも伊勢氏だろうか
はたまた自称平家の子孫嫡流を名乗る伴家だろうか
山木は滅亡したそうだけど

147 :
多田蔵人行綱

148 :
結局摂津源氏の子孫である太田家が血筋的には正統なのかな?

149 :
嫡流の意味のよって違うんじゃないかな
出生順と家格とか

150 :
平家の嫡流なら公家の西洞院では?

151 :
それ言っちゃうとスレの発展が止まっちゃうからな。
久我や西洞院のような堂上家はスルーしようや

152 :
スルーしようやで、逆にスレが止まったので、スルーしないのが吉かと

153 :
土岐はどうなんだろうか?

154 :
偽系図もあるけど、明確にわかるものなの?

155 :
有力は今のとこ、どこ?

156 :
諏訪たいしゃの諏訪源治が一番確定では?

157 :
桓武平氏の嫡流は伊勢氏
貞盛の太刀を継承している

158 :
じゃあ源氏の棟梁の証明としては、例のオニギリもってたらおkってこと?

159 :
じゃ、後北条って家柄いいじゃん。伊勢しんくろうだしさ笑

160 :
武田信玄はやっぱだめかね?

161 :
足利氏かそのも分家だろう

162 :
足利抜きにすると、やっぱ今川か。

163 :
>>162
今川の前に吉良がいるだろうに

164 :
もう石川でいいだろ

165 :
それでは多田と下間のほうが上だろ

166 :
平成の平家の嫡流!! 平幹二郎

167 :
昔、クラスに源って奴いたんだけど、そいつってどっかの庶流の源氏?
あるいは清和源氏以外のマイナー源氏?
あるいは勝手に名乗っている偽物源氏かな?

168 :
ニセだよそれ。

169 :
源は姓であって苗字じゃない。
明治になって姓と苗字の違いがわかってない
どん百姓が源だの平だの藤原だのを勝手に「苗字」として名乗った、が真相だろう。

170 :
足利将軍家だよ

171 :
>>169
でも平って人たまにいるじゃん
姓と苗字の違いをもう少し詳しくplease

172 :
>>171
「本姓」という言葉をご存知だろうか?
その氏族に朝廷(国家)から与えられたもので、
主に日本史で姓といえばこれを指す。
例として長尾景虎を挙げると、「長尾」は苗字で長尾氏の姓は「平」なので
彼が上洛して天皇に拝謁した際は「平景虎」と名乗ることになる。
所謂「源平合戦」の源氏と平氏や豊臣家などは
姓と苗字を変えていない(というよりその姓の嫡流なので変えなくていい)
例ということになる。

173 :
頼朝が苗字を名乗るなら「鎌倉」なのかね。

174 :
河内が元々の本拠地だったから、河内かも。

175 :
>>171
たとえば本物の藤原氏の子孫で
今現在苗字が「藤原」になってる人はいないのよ。
みんな近衛とか九条とか三条とか冷泉とかの苗字になってる。
明治維新後、氏は苗字に統一されて「本姓」がなくなっちゃったから、
現在の源さんとか平さんとか藤原さんは、本物じゃないってこと。
そのあたりの姓と苗字の違いは近世以前はちゃんと認識されてて
源氏だの平氏だの仮冒する場合は先祖を源氏とか平氏の子孫にくっつける
やり方をするのが普通で、苗字を源とか平にしてしまう馬鹿はいなかったってこと。

176 :
>>175
家康とかね。

177 :
別に苗字を源平藤橘にするのがおかしいと言う事はないよ
むしろ本来はその方が正しい
本物ならねw

178 :
実際問題存在するかね?
本物の藤原北家の子孫で今も苗字が藤原っていう家。
聞いたことないんだが。

179 :
第11代
豊臣秀義

180 :
嫡流が本姓称してる所はひとつもないだろうね
明治に長者を選出して本姓名乗ればよかったのに
実際本物は消滅したも同然で偽者のみ存在するとは間抜けな状態だな

181 :
高階・大江・清原・卜部の諸姓は辛うじて 本姓=苗字 の家を繋いでるよ。
惜しいのは養子入りまくりで男系で繋がってない点。

182 :
>>181
家系ってのは血統とは違うからね。
養子が駄目とか言い出すと、
近衛家なんかもアウトになる。

183 :
家系も血統も兼ね備えてこそ、嫡流としては箔が付く。
>>182
近衛は不要な養子を迎えた残念な家だよね。ほっとけば皇族に準じられたのに。

184 :
>>91
足利義満の前の源氏長者に北畠親房がいたことを忘れるな

185 :
>>182
近衛家は関して言えば
藤原道長の男系の直系の血が絶えたことが
一番残念だ

186 :
>>173
鎌倉源氏といわれるほどだからね。
強いて言うと頼朝の末子とする忠頼(だっけ?)は
京都(公家?)に土着し本堂氏と名乗ったそうな。
ちなみに孫の公暁の母は賀茂重長の娘(ここらに松平繋がり?)。

187 :
忠頼のことをググったら、政子に殺れたはずの長男・千鶴丸のことらしい。
もちろん母親は伊東氏らしい。

188 :
近衛って名前かっこいい
“近くで天皇を衛る”なんて
さすが公家筆頭

189 :
>>187
まずなさそうな話ですね・・・

190 :
>>188
元近衛府に邸があったからだよね。

191 :
あげ

192 :
武田信玄家臣、多田頼満が清和源氏の正当な嫡流、摂津源氏の出。

193 :
 

194 :
多田満頼の多田氏は名族名跡を授けられただけの偽源氏だったような

195 :
うるさいわボケ!

196 :
吉見氏が嫡流だという事で結論出ているのだが

197 :
何で、吉見が嫡流?そんなん河内源氏やろ!嫡流はあくまでも摂津源氏の多田氏じゃ!

198 :
あげ

199 :
どこが嫡流か、なんてそのときの勢力で替わるべ?
つーか長男の家系=嫡流じゃないだろ、そもそも。

200 :
公家に戻った京の本堂氏

201 :
嫡男の系統やから、嫡流なんじゃ!アホ!

202 :
あれだけ分立してしまったら
もはやどれが嫡男の系統と呼べるのか・・・・
頼光流と頼信流はもう別の氏族みたいなもんでしょ、
平安末期になると。
単純にどっちが嫡流とか言えないんじゃないすか?

203 :
そんな屁理屈...どれが嫡男の系統か分からんのなら、系図見れば分かるやろ!

204 :
嫡庶の概念が確立できていたならば。源氏名物兄弟相剋は起こらないよね。
伊勢平氏ではあまり揉めなかったところを見ると、惣領制が興ったのは
西国のほうが早かったのでは。

205 :
徳川が嫡流に決まってんじゃん

206 :
伊勢平氏は庶流の没落がひどくて
維衡−正度−正衡の系統以外は中央政界で生き残れず、嫡流に従属するしかなかったから
そもそも争いが起きようがない。
源氏のほうは庶流も受領階級ぐらいの地位は保持しててそれなりに力があったから
争いが絶えなかったんだろう。

207 :
本堂氏って↓この本堂氏?
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hondo_k.html
出自ほぼ不明らしいけど・・

208 :
戦国時代に摂津源氏の多田氏なんていたのか?
偽物の多田氏なら甲斐武田家にいたが
摂津源氏にこだわるなら太田氏が嫡流だろ

209 :
そこまでいくともはや嫡流とかあってないようなもんだな。

210 :
太田氏がありなら下間氏でもいいような。
みんな法体だけど

211 :
太田道灌

212 :
摂津源氏の嫡流は田中氏だよ。
直系の子孫が神奈川県在住。

213 :
田中角栄

214 :
>>212
俺が摂津源氏の嫡流だったのか・・・今まで知らなかった。
ありがとう。今から先祖のこと調べてみるわ。

215 :
>>212
直系って誰から数えて言ってんだ?

216 :
頼光からじゃないの?

217 :
恒基じゃないかな

218 :
経基じゃないかと。

219 :
室町までは源氏の嫡流扱いされていたのは足利だろ?
なら足利に近い血筋の者がベストじゃないのかな

220 :
じゃあ小田氏とか?

221 :
足利氏からの血縁関係で言えば吉良でしょ。
その次が今川。

222 :
>室町までは
久我氏じゃないか

223 :
>>221
それは今川が意図的に流した噂話
足利将軍家>将軍家連枝○○公方>斯波氏>渋川氏
が実際
渋川氏は斯波氏を継いだことがあるし
斯波氏は鞍谷公方を継いだことがある
将軍家を継ぐのは、まず尊氏以降の連枝だと思う

224 :
流れぶった切り 参考になるかわからんが。
うちの母は四国の真ん中辺りに代々住んでいて
“多田”を名乗っている。
関西に嫁に行くと決まった時、じーさまに
「兵庫に祖の氏神様が奉られているからお参りするように」
と言われたそうだ(多田神社・摂津源氏)
田舎の田舎で代々そこに住んでいて
祖は兵庫に奉られてると伝えられたのに驚いた。
あと多田神社の周りに多田姓を名乗る人は多いが
土地が“多田”とついているからそこから頂いたという人も多い。
名前だけで調べるのは限度があるよ。


225 :
>>224
でも四国阿波国には確かに南北朝頃から摂津源氏多田氏の一族
がいたようだね。今でも香川、徳島あたりは多田姓が多いらしい。

226 :
源氏の嫡流は頼朝の家系→阿野氏だろ
頼朝の弟である阿野全成(義経の同母兄)は北条政子の妹を嫁にとった。最も将軍家に近い家系と言える

227 :
だけど阿野氏はその後、歴史の表舞台から消えてしまうんだよね

228 :
いや南北朝のときに大活躍する。

229 :
阿野氏って現代まで男系で続いているのか?
女系で公家になった藤原系阿野氏ならいたけど

230 :
>>76
1400年前後の、どこが早い時期なんだよw

231 :
このスレは1000までいくであろう
御旗楯無も御照覧あれ

232 :
阿野氏か吉見氏だろ

233 :
戦国時代に生き残ってるのは全部庶流だろ。
終了終了。

234 :
>>233
責任持って証明をよろしく

235 :
嫡流は榛名氏だよ
阿野氏とか雑魚もいいとこ

236 :
希義の子孫を自称する吉良氏は、庶流か

237 :
河内源氏は最高だよ

238 :
毛利元就が家臣を集めて
「我が家中には副将軍が4人いる」
とかなんとか言った逸話があったな。
小早川と吉見はわかるがあとが思い出せない。

239 :
河内のオッサンの歌は源氏の歌?

240 :
>>238
副将軍かどうかはともかく前に調べたやつ。
出羽隆綱 →佐々木高綱(先鋒)
熊谷信直 →熊谷直実(先鋒)
吉見広頼 →源範頼(頼朝舎弟・次鋒)
天野隆重 →源全成(頼朝舎弟・次鋒)
宍戸隆家 →八田知家(なりすまし頼朝舎弟・衛軍)
小早川隆景→土肥実平(脇大将)
こんなとこ。スレ違いだな。

241 :
新田家嫡流は、戦国時代も今も滅びいていない。
北朝は認めないが、今更、南朝後胤を擁立する気もない。
天皇家は、明仁様で不満もない。
岩松など新田の支流。
新田家嫡流は、南朝を正当とし、故義貞の教えを守っている。
新田家嫡流家の総意である。
家訓である。

242 :
土岐氏でしょ

243 :
武田の先祖も義光だろ? 義光の子供と、孫が武田の祖?になるの
 んで清光の子供が常陸に行って、佐竹の祖となったと調べたらわかった。

  

244 :
逸見太郎光長

245 :
ごめん 戦国時代ね

246 :
そういえば「きこ様」が新田の筋だよね

247 :
まず「嫡流」ってのは血統や長幼の順で決まるわけではなく、勢力の大きさで決まるのがほとんど
公家社会では官位がステータスシンボルであり、源氏長者は基本的に最高の官位をもつ源姓の者がなる
源氏長者でさえ、嵯峨・村上の間で変更したし、
南北朝時代には村上源氏嫡流と看做されていなかった北畠氏がなっている
その後は足利氏や徳川氏に移っていったのを見ても分かる通り、
源氏長者は源姓であれば血統は割とどうでも良いわけだな
そして「源氏の嫡流」には大体3つの考え方がある。それぞれ対照の範囲が大きく異なる。
どの線で考えていくかで各々の認識に大きな違いが出てくる。
1・皇別氏族としての源氏全般の嫡流(源氏長者&淳和院奨学院両別当)
2・中でも清和源氏の嫡流
3・とりわけ河内源氏の嫡流
2・3は平安時代からほぼ同一視されてるだろう。清和源氏の嫡流=河内源氏の嫡流でおk
(摂津源氏は多田を相続したが、その後は嫡流としてどれだけ看做されただろうか?)
そしてその後、源家将軍が絶えた後は、御門葉最大勢力の足利氏だろう
足利義満が1を満たしたことで、あたかも1〜3の嫡流が全て一本化されてしまった感があるが、
義満以降の歴代将軍は1・2・3を兼ねていただけ(義尚など例外はある)で、厳密には一本化したわけではない
1573年に室町幕府が滅亡したとされるが、それまでは足利将軍家が1〜3を兼ねていたで問題ないだろう
日本中の大名が建前上は将軍の家臣筋だったわけだしさ
京を追われてからも義昭は位階などを取り上げられてないし、また幕府滅亡後に「源氏の嫡流」を名乗った家もないようだ
だから1588年に辞官するまでは足利義昭が1・2・3を兼ねた嫡流だったと考えられないだろうか?
その翌年あたりに源姓に改姓した徳川家が以後は2・3、後に1も兼ねた嫡流だったかもね

248 :
戦国時代までの源氏の嫡流は、足利義昭でしょう。
義昭以降は、 古川公方の喜連川足利家が嫡流と認められてるのでは?

249 :
足利

250 :
光秀「バカ信長っ!もうあんたなんか許さないんだからぁぁー!!」
信長「寺燃えす」

251 :
>>243 甲斐源氏というくくりならば、嫡流は逸見氏だね。庶流が武田氏、小笠原氏など。
逸見氏は甲斐源氏嫡流の家柄ながら、武田氏(若狭、甲斐、安芸)の家臣だから、ややこしいんだよな。

252 :
武家平氏は全滅だな
北條や千葉、熊谷は言うに及ばず伊勢も疑問だらけだし

253 :
つ 相馬

254 :
>>253
それは論外

255 :
千葉 上総 大庭 梶原 三浦 熊谷
ダメかなあ。

256 :
武家藤原氏にも嫡流はある?
もしあったら伊東、立花あたりか?

257 :
長尾(上杉謙信)も平氏ではなかったっけ?

258 :
そうか、上杉もあったか。
>>257
長尾は確かに平氏だが上杉の名跡を継いだ時点で藤原氏になる。

259 :
源氏 
 ・
 ・
足利 
 ・
 ・
斯波 
 ・
 ・
長男、大崎
次男、最上

260 :
新田一族は本宗系、山名氏、里見氏・越後新田里見一族、世良田・得河氏、岩松氏の5系統に分かれる。


261 :
千葉、大掾、葛西、城、三浦あたりは桓武平氏だろうな
宝賀みたいな古代豪族オタは、なんでも古代豪族認定したがるけど

262 :
紀氏や小野氏を名乗った家ってあった?

263 :
紀氏なら浦上家が名乗ってたかな

264 :
>>256
武家藤原氏の嫡流はやはり藤原秀郷の系統だろうね
つまり小山氏・結城氏

265 :
>>255
全部仮冒だね。
武家平氏でまともなとこがほぼ無いから出自不詳の関東豪族主体の諸蕃氏族と考えればちょうどいい。
そうすれば血筋なんて意味が無くなるから最大勢力=嫡流で執権北條→伊勢→後北條→織田が妥当か。
正統な平氏なら大掾か。
>>256
仮冒だよ。
挙げるとしたら吉井松平だけど血筋は代わってるんだよな。
>>257-258
上杉の称藤氏と長尾の称平氏は共に仮冒。
>>261
城と大掾はいいと思う。
それまで隆盛を誇っていた豪族がある時期を境になんの前触れも無く急速に姿を消したのをどう説明する?
なんでもかんでも貴種に従うなら織田信長、羽柴秀吉、徳川家康はいづれも歴史の表舞台に立たなかったよ。
>>262
紀氏はわりと多いよ。

266 :
>>264
ご冗談を。

267 :
>>262
小野氏の末裔だと武蔵七党の横山党・猪俣党の末裔の成田・横瀬(由良)・中条・猪俣・藤田
出雲の神西氏、佐渡の本間氏等・・・あと飛騨の内ヶ島氏が横山党の末裔とも言われているw
まあはっきりしないのが多い上に、横瀬氏は源姓を名乗ったりしてるし
仮冒するほどの価値はなかった模様

268 :
>>266
えっと何でかな?秀郷流で良いと思うけど

269 :
>>268
称秀郷後裔諸氏で秀郷に繋がる確かな家が無い上に、秀郷自体が藤氏なのか非常に疑わしい。
利仁流も似たようなもの。

270 :
>>269
>称秀郷後裔諸氏で秀郷に繋がる確かな家が無い上に

おいおい小山、結城でさえ「秀郷に繋がる確かな家」には入らないのか?
「結城系図」は秀郷流諸氏が残した系図中では、もっとも充実したものなのだが。
>秀郷自体が藤氏なのか非常に疑わしい

秀郷の父、村雄は従五位下に叙爵されているところからみて藤氏とみることに矛盾は無いだろう。
もし仮に仮冒であったとしても、その子孫は代々鎮守府将軍に任じられたりしているので、中央では藤氏として扱われていたということになる。
現に永承2年、藤氏長者の藤原頼通が興福寺修復のために全国の藤氏諸大夫に寄進を要請した際、
秀郷後裔の陸奥・経清が寄進をしている史料が残っている。
又、矛盾と述べたがその矛盾と言えば、清和源氏二代満仲は初代経基の子とするには矛盾があることになってしまう。
そうすると、足利であろうが、武田であろうが、佐竹であろうが「仮冒」ということになってしまうよ。


271 :
満仲の代で源氏を名乗る以上、誤記混同はあったにしろさすがに仮冒はないと思う
貞純親王の子が経基、元平親王の子が満仲みたいな感じで。
嫡流の印象は男系と母方の貴種性に振り回されるから
平直方の婿に始まり藤姓上杉が継承した佐竹氏ではピンと来ないね

272 :
桓武平氏の嫡流については以下の通り
・高棟王流:西洞院家
・坂東平氏:千葉氏
・伊勢平氏:伊勢氏
・貞盛直系(1):熊谷氏
・貞盛直系(2):大掾氏

その他:北条氏、三浦氏、城氏、上総氏・・・

273 :
清和源氏の嫡流については以下の通り
・河内源氏(清和源氏嫡流):足利氏
・摂津源氏:太田氏
・大和源氏:宇野氏
・甲斐源氏:逸見氏、武田氏
・信濃源氏:井上氏、村上氏
・美濃源氏:土岐氏
・義朝子孫:吉見氏、阿野氏
・その他:新田氏、石川氏、下間氏、大河内氏

274 :
>>270
うん。
頼朝後裔の源氏を称した時点で秀郷流嫡流を放棄してるわけで。
秀郷については豊沢と藤成に違和感があり系図上の位置付けが不明。
子孫云々〜藤氏として扱われていたことについては、徳川がまさにそのケースだね。
満仲については、資料に残りやすい中央に近い点で秀郷より信憑性が高いと言える。
個人的には秀郷流が藤氏を称するのは氏姓の歴史から見て問題無いと思うが、
武家藤氏の嫡流というなら明確な藤氏から武家になった家が選ばれるべきと思う。

275 :
武家藤氏の場合は北家以外も大丈夫?

276 :
むしろ北家以外の出番でそ。
どうせ仮冒するなら途絶えたとこの方がロマンがある。

277 :
源氏と平氏の嫡流については>>272>>273でいいね。
武家藤原氏の嫡流はやはり小山・結城氏だろうか。また系図のはっきりしてる所では伊予の西園寺氏など
その他、上杉氏、伊達氏・・・

278 :
一番明確な戦国時代の武家藤氏ってどこだろうな?
土佐一条か伊予西園寺か播磨の下冷泉か
この面子だと武家藤氏の嫡流というよりただ地方に避難してる公家という感じがする
まあ仮冒でも武士団の棟梁筋と呼べそうなのは
北家秀郷流:小山・結城氏
北家勧修寺流:上杉氏 だよなあやっぱり
大内、陶氏滅亡後の多々良氏嫡流ってどこになるんだろう?




279 :
>>277->>278
棟梁が嫡流なら清和源氏は徳川になってしまうから小山、結城、上杉、伊達は無し。

280 :
↑ 意味不明

281 :
藤原北家系なら那須氏もあるね

282 :
よし、ついでだ!


武門橘氏も誰か頼む・・・

283 :
>>278
やはり山口氏でしょう。祖を大内義弘とし、江戸時代には牛久藩主、維新まで男系を維持できてるよ
もしかするとこの山口家は傍流で嫡流の山口家というのがあるかもしれんが

284 :
>>279
よし長幼の序で言えば南家豊成流の大和片岡氏だな
>>282
遠保流の出羽小鹿島氏か肥前渋江氏か?

285 :
>>284
武家の最上位に就いた点では摂家将軍を輩出した九条はどうかな。名目だけだけど。
あと人臣最高位の点で一条か。
両家は嫡流を争ってたし、仮に片方を嫡流とするともう片方は分家になって二重でウマー。

286 :
>>284
小鹿島氏は公頼流じゃなかったっけ?

287 :
伊達氏は藤原山陰流の振りをして、平家じゃなかったっけ?

288 :
桓武平氏(高望流)の嫡流は伊勢氏、大掾氏、熊谷氏の3つのうちのどれかだろうね。ただしそれぞれ長短ある
・伊勢氏
清盛を代表とする平家は伊勢平氏であるが、平家は平氏の中の血筋では傍流に過ぎないという説がある。
しかし高望の子維衝から代々平氏最大の勢力を誇り、清盛まで至って大臣にまでなった。
その意味で嫡流だという説も根強い。そして平家滅亡後最も有力な伊勢平氏の家が伊勢氏
頼朝の系統が滅亡した後、源氏嫡流が足利氏に移ったという考え方と同じである。
また伊勢氏は室町幕府で将軍に礼儀作法を教示するという名門であった

289 :
>>287
と見せかけて毛野氏

290 :
・大掾氏
貞盛の本領と役職を継承したのは貞盛の甥繁盛を祖とする大掾氏である。それをもって平氏嫡流とする説は根強い
しかし繁盛は貞盛の養子であり、嫡男であったかどうかは疑問が残る。
さらに嫡流は本領を継ぐものという考え方では源氏嫡流は石川氏だという説まで登場してしまう

291 :
訂正
×高望の子維衝
○貞盛の子維衝

・熊谷氏
貞盛の子維将の家系である。貞盛の養子の繁盛、四男の維衝に対して維将は次男。(長男は夭折したと思われる)
長幼の序で言えば維将流こそ平氏嫡流と言える。
また同じ維将流を称した北条氏の系図に不明な点が多いのに比べ、熊谷氏ははっきりしている
そして戦国時代、江戸時代も活躍し滅亡することなく乗り切った
問題点は官位がさほど高くない所、勢力が大きくなかったという点である

292 :
熊谷が嫡流かどうかはともかく、折り目が正しいことは北条氏の系図が示してるな。
父の名さえ確定しにくい時政が直実の従兄弟かハトコに設定されてるし。

293 :
平氏嫡流がどこかと考えるなら、貞盛の嫡男が誰かという事に尽きるだろうね
維将→熊谷氏
維衝→伊勢氏
繁盛→大掾氏
維茂→城氏

294 :
この時代、兄弟で通字を使う例が多いから判断し辛いね。
とりあえず常陸大掾家や十五郎は除外だな。

295 :
って事は熊谷氏と伊勢氏の一騎撃ちかな

296 :
その時点の熊谷、勝負になるかな?

297 :
因みにぷらっとさんはどこが平氏嫡流だと思うの?

298 :
熊谷は久下の庶流じゃないの?

299 :
伊勢平氏は桓武平氏の傍流で、平家はその伊勢平氏の中のさらに傍流
なんていう人がいるが、どうなんだろう?
貞盛の子のうち、最も栄えたのは維衝。ここから伊勢平氏の流れになっていくが、代々当主の官位もはっきりしており、桓武平氏の中で最も栄えている。
清盛の代でいきなり出てきた家ではなく、先祖代々勢力があった。
また坂東の平氏が悉く清和源氏の勢力下に置かれる中で、それを潔しとせず独立できていたのが伊勢平氏であり平家
因みに貞盛が将門討伐の功として朝廷から賜った「小烏丸」は平家に伝えられたという
平家はやはり桓武平氏嫡流だったのではと思うが如何か・・・

300 :
亡びた家は嫡流を奪われた亡家に過ぎない。

301 :
嫡庶を血統で決めるのか、実力で決めるのか、
仮冒を含めても良いのかどうかで、見解は大きく別れるわな

302 :
だな。それが一番の問題だ。
徳川にしても朝廷から源氏と認められてるから血筋が怪しいだけで源氏なのは確実だし、
他の仮冒とみられる諸氏も任官の際は氏姓を名乗るわけで、
朝廷の帳簿に載る以上はいちおう認められているわけだ。
それこそ執権北条発行の公文書なんて署名は「官位(位階)平朝臣」でほぼ統一されてて、
名字の北条や諱が書かれるなんて稀だしな。

仮冒かどうかの判断は人によるから、もし仮冒がダメなら俺基準だと桓武平氏はほぼ全滅だし、
ちゃんと任官しているのならなんでもありでいいかなとも思い始めてる…。

303 :
源氏嫡流の流れ
摂津源氏→河内源氏→鎌倉将軍家→足利家→平島公方家

平氏嫡流の流れ
貞盛→伊勢平氏→平家→伊勢氏

304 :
武田や佐竹は嫡流ちゃうの?

305 :
>>304
ちゃうちゃう嫡流ちゃう

306 :
>>25で結論出てるだろ

307 :
結論付けるのではなく、限りなく正解に近いものを探し続けるスレだと思ってる。

308 :
やはり平氏嫡流は伊勢氏だろう
源氏において鎌倉将軍家滅亡後に足利家に嫡流が移ったように、
平家から嫡流は伊勢平氏で最も名門である伊勢氏に移ったと考えるのが妥当
室町幕府のみならず徳川幕府でも故実家として名門だったし
とりあえず伊勢氏が伊勢平氏嫡流だったのは確実

309 :
地下平氏嫡流は?

310 :
素朴な疑問なのだが、そもそも伊勢氏は戦国期に大名の範疇に入るのか(除く後北条氏)?

311 :
むしろ仮冒こそ嫡流でいいよ。
義国足利 柴田勝家
義国新田 徳川家康
義光甲斐 香宗我部親泰
義光信濃 三好長慶
頼光摂津 北条綱成
頼光美濃 明智光秀
桓武平氏 織田信長
北家秀郷 蒲生氏郷
北家利仁 斎藤道三
南家為憲 吉川元春
菅原氏  前田利家
在原氏  長野業正

なんだかそうそうたるメンツだなw
まともなのが一人もいないww

312 :
伊勢氏が伊勢平氏嫡流なのは間違いないが、
桓武平氏嫡流として伊勢氏のネックとなる部分は鎌倉時代以前の動向が明らかじゃない事なんだよな
日本各地のあらゆる名家が源平合戦に参加してるのに、伊勢氏の活躍ぶりが分からない
記録が残ってるのかもしれないが

313 :
維将流の嫡流なら熊谷氏。北条氏と違って系図がはっきりしてる
また戦国時代、江戸時代も名門として存続した
源平合戦でも熊谷直実が活躍。子孫のうち最も栄えたのが安芸熊谷氏。毛利家家臣としてこれまた活躍
因みにHARIMAYAの武家家伝では熊谷氏が北条氏族となっているが、これは完全な誤り
平直方も北条直方になってしまっている

314 :
見てきた。酷いね。

315 :
>>312
言ってること矛盾してるよ。
鎌倉以前の動向が明らかでないんならそもそも本当に平氏なのかわからないよ。

316 :
>>315
う〜ん。確かにそうかもね。書き込みした後「伊勢貞継」で検索してみたら・・・
そもそも、いつから足利家に仕えたかも分からないらしい。
幕府での名門っていう待遇と系図を見ただけで伊勢平氏嫡流なんて言ってしまったが、まだ断定は早そうだ
因みに同じ伊勢平氏の関氏なら源平合戦からの動向がはっきりしてる

317 :
追加になるけど平家一門の中で清盛の弟である頼盛の家系が残ってるらしい
光盛の出家後は没落したに等しいありさまだけど。

318 :
とりあえず貞盛の男系で現代まではっきりと系図が残っているのは熊谷氏って事だね

319 :
源氏なんてどうでもいいんですよ。織田も源氏、徳川も源氏、もうアフォかと。勝てばみな源氏。
おそらく麻生太郎も源氏なんでしょう。小池百合子や石場茂るや石原信照も源氏。
先代の小泉安部福田も源氏。
今度の総選挙如何によっては小沢一郎が新たに奥州源氏の末裔であることが判明するかもしれない。
俺の先祖は紀伊の漁村に居て、代々漁師か海賊をやってたそうですが
もし俺が立身出世したら、実家の物置から突如ぼろぼろの巻物が見つかって
そこには清和天皇を筆頭とする先祖代々の系図が、、、

320 :
武家平氏嫡流2億円熊谷容疑者

321 :
橘氏嫡流はいずこ

322 :
>>1
そもそも源氏長者は清和源氏と限らんでしょ
でも戦国時代は一応足利だろそんで義明がゴネてるけど一応義明でそのあと家康だろ
清和源氏の嫡流だって頼朝の家系より多田源氏の方が嫡流とか言うのと違うだろな
ようわ>>319だろ俺が天下取ったら俺が源氏の嫡流なわけ
実際多田源氏の子孫だし
>>319が天下取って源氏と名乗ったら彼が源氏の嫡流よ

323 :
んなことはみんな解っててグダグダやってるんだけど。

324 :
天下を取ったら嫡流か。そんなアホな訳ない
源氏嫡流は江戸時代になっても足利だよ

325 :
>>321
鎌倉 : 小鹿島
南北朝

戦国 : 楠木
戦国

江戸 : 甲斐荘

326 :
清和源氏嫡流:足利家
桓武平氏嫡流:熊谷家
藤原氏嫡流:九条家(五摂家筆頭の近衛家は藤原氏の男系でない)

327 :
楠木は執権北条流の説があったな。
>>322
kwsk

328 :
桓武家:朝鮮騎馬民族

329 :
桓武平氏維将流:熊谷甚一
桓武平氏良文流:三浦和義
清和源氏義国流:畠山鈴香
藤原北家利仁流:加藤智大

330 :
桓武平氏嫡流は熊谷・伊勢・関の三つ巴の争い

331 :
熊谷氏が桓武平氏の嫡流なんだよね

332 :
なんでそうなるの。

333 :
系図見れば明らかだろ

334 :
足利が筆頭だろ。
分家の吉良や今川がその次、今川範政は征夷副将軍になったから足利一門
でも破格の立場。
足利将軍家>鎌倉公方の系統>吉良>今川>斯波・・・
これでいい気がする
吉見氏は最初ののりよりがそもそも庶子だから対象外。

335 :
紀伊の漁村に居て、代々漁師か海賊なら熊野水軍とか
阿波忌部氏とかの子孫じゃねぇか?

336 :
>>希義の子孫を自称する吉良氏は、庶流か
吾妻鏡にのってないみたいだから、鎌倉幕府から存在自体を
認められていないようだ

337 :
近衛 はな
父は目黒祐樹、母は江夏夕子、伯父は松方弘樹と共に俳優という
芸能一家の長女として誕生した。
母方祖父方曽祖父は市川松蔦二世、大伯父は市川門之助、父方祖父は近衛十四郎(1977年没)、祖母は水川八重子、従兄は目黒大樹、従弟は仁科克基、
十枝真沙史、従妹は仁科仁美である。
またえらい名前に変更しましたな。
目立つ。近衛って。
父方祖父は近衛十四郎の近衛を引き継ぎましたか?

338 :
足利以外いるわけない。
徳川は足利の分家の分家のまた分家。
将軍になったから皆が従ってただけ。
将軍であり、源氏長者であっても嫡流ではない。

339 :
徳川は血縁的に遠すぎる。

340 :
変な奴が連投してんな

341 :
>>332
ぷらっとはまず桓武平氏高望流の嫡流がどこなのか明示しなさい

342 :
>>341
>>307

343 :
戦国大名の子孫が持つ家柄って現代の政治家が持つ格式と比べると無意味でしょうか?

344 :
>>343
意味がわからん。
戦国大名の子孫が持つ家柄は使い道があまりなさそう。
現代の政治家が持つ格式は実生活上使えそう。
ただそんだけ。

345 :
麻生は宇都宮庶流だから藤原北家
安部は平知貞の系譜だから平氏
福田よくわからん

346 :
>>342
で、その限りなく正解に近いものはどこなんだよ

347 :
盛経から早雲までの系図がカオス過ぎるんだが
四つくらいのページを見ただけでこれだけ異説があるよ
諸説全部集めようかと思ったがとても無理
1盛継━盛経━貞継━貞信━貞長━貞道━早雲
2盛継━盛経━貞継━貞信━貞長━貞行━貞経━貞国━貞藤━早雲
3盛継━頼継━貞信━貞行━貞国━早雲
4盛継━盛経━経久━盛久━盛綱━盛富━盛種━盛貞━早雲
5盛継━盛経━教経━経久━盛綱━盛貞━早雲
6盛継━盛富━盛種━盛貞━早雲
山城、備中、伊勢の違いなら当然の事だが、2と3、4から6みたいに同じ系統なのに盛継からわずか数代の人物がバラバラってどゆこと?

348 :
Wikipedia見てみたら途中省略されてる上に違うの載ってるw

349 :
>>343
糞の価値並みに実利がないから無意味
実利がある家は規模の大小はあれど、細川氏みたいになってる

350 :
>>341
嫡流ってのは今までのこっている家で比較せにゃならんから答えは非常に出しにくい。
高望流で考えてみる。
諱で見れば高望の嫡子は国香以外に考えにくい。
国香の嫡子は貞盛、次点は繁盛以外に考えにくい。
(こいつらは曲りなりにも「将軍」だし)
ただ貞盛の跡は維叙ではない(父系で繋がらない養子)のでここは維衡でいい。
平安時代の諱は兄弟で共有するものだと思っている。

351 :
源氏=天皇家につながるから、源氏かどうかで違うのちゃう?
現在は意味ないかと

352 :
ゴメン。いまさらだけどここでいう源氏って清和源氏でいいんですよね。
(嵯峨とか)他の流れまで含めちゃうと清和だけでもややこしいのに、さらに複雑になると思うんですが。
初歩的な疑問を投げ掛けてしまい申し訳ありません。

353 :
氏長者を何度か出した久我氏は一応嵯峨源氏。

354 :
戦国時代って室町時代の一部だから足利幕府がまだあるじゃん?
足利義昭が、普通に嫡流じゃないの?
公家限定の源氏だったら久我家でしょ?

355 :
>>350
質問が2つ
1、貞盛の後を次男の維将ではなく、四男の維衝とした理由は?
2、維衝が貞盛の嫡男だとして維衝流の嫡流はどこ?

356 :
足利は氏長者であっても嫡流ではないって何度も言われてるだろ

357 :
足利が嫡流でいいんだってば
足利以外存在しないんだよ、清和源氏の嫡流は

358 :
俺、田中だけど親父が「うちは清和源氏の嫡流だ。世間様に恥ずかしいことはするな。」っていつも言ってた。
たぶんうちが嫡流で間違いないと思う。

359 :
まあ田中源氏というマイナーなのもあるけどアレは清和源氏の流れだっけか?
てかお前の書き込みからはなんも判断できん

360 :
>>355
1.貞盛の子らは上野介常陸介を歴任しているけれど、孫のうち帯刀常陸介に任じられたのは
   正度しかいないから。
2.↑の次の世代でいま悩んでる。

361 :
田中って足利系の田中?新田系の田中?
どちらでも嫡流に近いとは思うが
嫡流ではないだろ

362 :
>>360
常陸介などという官位よりもっと位の高いもので考えたらどうだろうか?
維衡流が嫡流かどうかという事ではなく、下級の位を根拠に庶嫡を論じるのはどうかと。
貞盛の子らのうち、維将は肥後守という大国の国守に任じられている。
そして維将の子である維時も肥後守に任じられている

貞盛の四男維衡も伊勢守という大国の国守に任じられているが、これは手違いによるものであり、任官後2ヶ月後に解官されている
子孫が再び伊勢守に任じられているが。
家が勢力をもってくれば当然官位も高くなってくる訳だから、常陸介に任じられていなくても高い官位に任じられていれば何ら問題はないはず
貞盛ー維将ー維時という流れも嫡流と言えなくは無い。子孫の熊谷氏はそれほど栄え無かったが・・・
もちろん貞盛ー維衡ー正度という伊勢平氏の流れも嫡流の候補と言える

363 :
おいおい、親王任国の受領のどこが下級の位なんよ。

364 :
>>363
スマン勉強不足だった。
介だから次官で大した事ないと思い込んでいたが、親王任国の介は実質的国守で他国の国守と同列またはそれ以上の格があったんだね〜
まぁ「大国」の国守も結構な位ではあるけども・・・

365 :
ただ官位や所領を根拠に庶嫡を論じるのはどうかと思うが・・・
正度以降伊勢に勢力を持ったら常陸や上総などとは関係なくなってくるし
維衡流つまり伊勢平氏を桓武平氏の嫡流とするなら
貞盛ー維衡ー正度ー正衡ー正盛ー忠盛ー清盛
の「平家」が嫡流でいいだろう
で、源氏が頼信〜頼朝まで嫡流が続き、将軍家が三代で滅んだあと足利氏に嫡流が移行したように
平家滅亡後にどこの家に嫡流が移ったかというのが問題な訳だ。
伊勢氏、関氏、さらには頼盛の子孫などが候補

366 :
維衡流である伊勢平氏を桓武平氏の嫡流とするなら、伊勢平氏の嫡流は平家
平家滅亡後に嫡流となったのは伊勢氏、関氏、長崎氏、池氏あたりが候補か。
維将流を嫡流とするなら熊谷氏で確定
庶流になるが坂東平氏の嫡流なら上総氏→千葉氏

367 :
源氏はね、清和源氏より村上源氏の方が格上なんだそうでね

368 :
>>360
正度の子供達をあげると(官位と子孫も併記)
長男・維盛:駿河守、子孫不明
次男・貞季:駿河守、子孫に関氏、山木氏
三男・季衡:下総守、子孫に伊勢氏
四男・貞衡:左衛門尉、子孫に桑名氏、大和氏、杉原氏
五男・正衡:出羽守、子孫は平家
兄弟の官位の中で一番格上なのは大国の国守である下総守ではないだろうか
だからと言って季衡が正度の嫡男かどうかとはまた別の話

369 :
同時代の平氏の武将に維将の孫である平直方がいるが、
剛の者として有名であり、上総介や検非違使を歴任している
平忠常の反乱鎮圧を命じられるなど中央から平氏の棟梁として見なされていた可能性も否めない

370 :
ぷらっとさん、桓武平氏高望流の嫡流がどこか決まりましたか?

371 :
>>370
>>307

372 :
その「限りなく正解に近いもの」を聞いた訳だが

373 :
>>368
本来なら維盛だと思う。
上総介宗盛・信濃守帯刀長盛基の兄弟は名家の嫡子に申し分ない。
ただそのあとの磊落ぶりが激しすぎるからなあ・・・
近いものを探るために、まずここでは正衡にしておこうか。

374 :
>>373
正衡まで出たら必然的に平家にたどり着く
次行きましょ次

375 :
>>373
平氏の嫡流がどこかを考える上で正度の嫡男が誰かなんて全く無意味だろ
正衡―正盛―忠盛―清盛という平家への流れが実際には嫡流になった訳で。
源氏でも満仲の嫡男は頼光だが、源氏の嫡流になったのは頼信の系統である河内源氏だからな
考えるべきなのは平家滅亡後に嫡流がどこへ移ったかという事。
さんざん既出だが、鎌倉将軍家が三代で滅んだ後、足利家に嫡流が移ったように、こういう家が平氏ではどこになるのかというのが問題なんだよ

376 :
それではぷらっと先生に、平家滅亡後に嫡流はどこに移ったのか教えて頂きましょう
どぞ!
↓↓↓↓↓↓↓↓

377 :
>>376
>>307

378 :
分かってダラダラやってるつもりなんだよ。オレは結論を急がないからね>>375
血統的に近いから頼盛の家系でいかがかな。

379 :
ぷらっと大先生、頼盛の家系って戦国時代まで続いてましたっけ(^^;
分かっているならダラダラともったいぶらずに、本当のところ教えて下さいよ

380 :
嫡流の定義も曖昧なままなのに、できる限りこのスレの雰囲気にあわせながら
ダラダラと調べながらやってるから待ってよ。

381 :
やっぱり平氏嫡流は伊勢氏か熊谷氏だろ

382 :
平氏嫡流の候補
1.熊谷氏
2.伊勢氏
3.関氏
4.大和氏
5.杉原氏
まぁ後はぷらっと次第

383 :
ん?あれ…?
源氏の嫡流…

384 :
甲斐源氏の嫡流は、武田氏。
八万太郎義家の流れ。
信長や家康みたいな、にわか武家とは格が違うわ

385 :
>>384
イタイイタイ病ですね?わかります。

386 :
源氏嫡流は田中源氏で決まったけど平氏嫡流はもめてるな。

387 :
源氏嫡流は今話題の蔭山氏に一票
(自称)足利持氏後裔で血筋も現代まで男系で繋がってるからな。

388 :
武田より足利だろ
武田が足利より格上だったことなんて、
義昭追放から武田滅亡までの数年しかなくね?

389 :
武田は今川よりも格下だろう。今川から田舎源氏と馬鹿にされてた

390 :
源氏嫡流は足利氏で決着してんだから、平氏嫡流を早く決めようぜ

391 :
信長は平氏名乗ってたよな

392 :
熊谷の末裔が先週くらいにガッチリマンデーに出てたな
銀座でお香の店をやってるらしいけど

393 :
京都・寺町と東京・銀座に店を構える文房具老舗『鳩居堂』
は今西熊谷氏の系統

394 :
平安末期の嫡流が平家であると仮定して、そこに一番近い家系を考えるか。
平家滅亡後、最も栄えて今に続く確実な血統を考えるか。
定義ってのが難しい。

395 :
>>394
じゃあ平家に一番近い現代まで続く家系と、最も栄えて今に続く家系をそれぞれ挙げてよ

396 :
>>395
2ちゃんで一人に調査や検証を押し付けるなよ。

397 :
>>396
悪い悪い。ぷらっとの考えも聞こうと思っただけ
平家滅亡後に栄えた家で家系もしっかりしたところでは>>382
熊谷氏は維将流の嫡流、他の家はいずれも伊勢平氏嫡流に申し分ないのでは
平家に近い家系で言えば出自が確実なところは頼盛の家系。嫡流は光盛で断絶。
池氏が残っているが、戦国時代の動向は今のところ不明。←ここは調べる必要あり
清盛の子孫を称するところはどこも怪しい。平家嫡流を自称する栃木の伴家などは論外

398 :
単純に信長の織田家っていう考え方はあかんの?
それか室町幕府政所執事伊勢氏(傍流に後北条氏あり)とか
戦国時代に最も家格が高かった平氏と認識されてる家ということで

399 :
ググれば出てくる
熊谷氏は平氏ではない可能性が

400 :
>>398
それだと源氏嫡流は徳川になっちゃうよ。

401 :
>>399
ソースは?ぐぐったけど見つからなかった

402 :
>>400
1603年以降は徳川が源氏の嫡流で間違いない

403 :
明治以降は坂井氏が源氏嫡流でファイナルアンサー?

404 :
「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www

405 :
>>402
>間違いない
定義がないのになぁ…

406 :
>>402
源氏長者と清和源氏嫡流は全くの別物

407 :
うちのとうちゃんとかあちゃんの出は両方とも戦国時代の城主でした。
両方ともまだうちの土地で町史にちゃんと記されている。
そのお城はいまもある。どうだすごいだろ。没落してっけど。。。

408 :
>>407
最近は小学生でも2ちゃんに書き込みするのか。
嫌な時代になったもんだ。。。

409 :
熊谷氏 でググってみた。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuma_mt.html
>一説に、熊谷氏は宣化天皇を祖とする丹治姓・私市氏の後裔ともいい、直季の時に熊谷氏
>を名乗ったのだという。
ここだろうな。上殖葉皇子の丹党は講師を招いて勉強会を開きたいもんだ。

410 :
>>409
>別説では宣化天皇を祖とする丹治性・私市氏の後裔とも言われている。
>先に私市直季が熊谷氏を名乗っており、その孫の熊谷直孝の後継として平氏の一門である平直貞が養子に迎えられ、
>それ以降、熊谷氏は平姓を称するようになったと言われている。

以上が熊谷氏が平氏の出じゃないなどというネタの原因だが、
平直方の子孫であるのは諸説で共通。桓武平氏維将流なのは間違いないな

411 :
そこなんだよな。
平安時代は妻問婚だから、義兄弟が兄弟のようになってたりする。
熱田大宮司家が尾張氏から藤原氏になったようにさ。
兄弟通字に当てはまらない人物は養子や入婿を疑いたくなるんだよ。

412 :
とりあえず維将流の嫡流は熊谷氏という事に暫定的にしておいて、伊勢平氏の嫡流を決めてしまおう
・伊勢氏
・関氏
・杉原氏
・大和氏
の4氏が今のところ候補に挙がっている

413 :
>>410
>徳阿弥が新田義貞の子孫であるのは諸説で共通。清和源氏新田流なのは間違いないな

どうみても間違いだろうwwwww

414 :
VIPで嘘の戦国時代を教えようとしてる奴いるから助けてくれ!
朝までデキル奴だけで【応仁の乱】【戦国時代】について語ろう
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1226649392/

415 :
伊勢平氏の嫡流は順当に伊勢氏だな
蜷川氏が伊勢氏の初期の動向を伝えている。足利義兼の代から家臣であるらしい

416 :
>>410
熊谷氏は平直方の子孫にしては弱小過ぎなのが気になる

417 :
>>416
まぁ自称だし仕方ないよ。

418 :
今度裁判員なんかに選ばれたらPBC4とか平気でつけられそうだなw

419 :
誤爆した

420 :
伊勢平氏の嫡流さっさと決めちまおうぜ。なぁ、ぷらっと

421 :
>>420
いない
が正しいだろ。怪しいのばっかだし。

422 :
北条は案外公家平氏からの養子の系統だったりして。
太田は北面の武士が鎌倉へ出稼ぎに来て上司に仕えたもの。
上杉はもはや足利だろ

423 :
仮冒を言い出す場合、「血縁ではない立証」に近いことをしなければいけないのが難しい。
なんせ「悪魔の証明」だもんなあ。
関氏について
・資盛流説はガン無視。盛国と実忠が資盛流なら世代数が合わない。
・山木兼隆分流だとすれば名乗りがおかしいうえ、誰だかわからない名前だけの叔父が出現。
・・・織田氏と同レベルだぞこれ

424 :
なら伊勢氏、大和氏、杉原氏はどうなんだ?

425 :
厳しいようだけど伊勢氏は鎌倉時代、ほとんど事跡が分からんやんね。
大和・杉原なら文句が言いにくいけれど、現代まで続いてたっけ。

426 :
室町の世には、伊勢氏は北小路あたりに屋敷があったと聞きます。つまり、幕府御所や京兆家などの
中枢部。今でいうと永田町みたいなとこか?

427 :
伊勢は関の分かれだから仮冒ですな
武家平氏に仮冒じゃないとこなんてないだろ
坂東平氏は最早言うに及ばず

428 :
>>425
>>415にある通り伊勢氏の初期の動向は蜷川氏により分かっている。
>>427
全然違う。伊勢氏と関氏は祖が異なる

429 :
とりあえず祖からの家系図が間違いないと断言できるのは清盛の弟である頼盛の家系
嫡流は光盛で断絶したが、他の系統が池氏として存続、鎌倉時代は御家人になっている
しかし、ぐぐってみても池顕盛から先の系図が見つからない
あとWikipediaなので参考にはならないと思うが、「朽木氏」の項目に「桓武平氏の嫡流池氏」との文がある

430 :
池顕盛の子孫はどうなったのかな?

431 :
どこが嫡流でもいいじゃん
今の価値観を物差しにあーだこーだ言っても仕方あるまい
当時にも嫡流か否かなんてのを確定させてステータスにする価値観あったわけ?

432 :
池顕盛の実子はいなかったのかな?
あと池氏の分家なんかは無いのだろうか?
頼盛の家系について調べても八木氏は養子を迎えて血筋切れてるし、なかなか戦国まで続く家が見つからない。

433 :
北条氏の方が桓武平氏の本流ってやってたぞ。
清盛のほうが分家筋だってよ。
じゃ、北条や熊谷の方が嫡流なんじゃねぇの?

434 :
スレを最初から読み返してみましょう

435 :
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01105.htm
検証してみてくれ。

436 :
ちなみに薩摩八木氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_yagi_k.html
辺境には期待したくなるが・・・

437 :
光盛およびその男子は実朝暗殺に遭遇したあとみんな出家しちゃったからな〜
頼盛の子孫としての八木氏が盛定で断絶してるのはそのため。山名家から盛重を養子に迎えたが、この時点でもはや平氏ではないとも言える
そもそも薩摩八木氏が頼盛からの流れという事自体が自称の域を出ないし

438 :
頼盛の子孫ということで戦国を生き抜き現在まで続いているのは保盛の子孫である小谷氏だろうか
検証の必要はあり

439 :
清和源氏嫡流:足利家
桓武平氏嫡流:小谷家

440 :
平                                       
  頼盛───保盛─┐                              
          │                              
┌─────────┘                              
│僧都                                      
├─心圓                                     
│                                        
│<初代>                                    
└─頼晴──────┐                              
   上神     │                              
    左近将監政員│                              
┌─────────┘                              
│                                        
└─某───────某───────某───────政有──────某─────┐
                           四郎           │
┌───────────────────────────────────────┘
│                                        
└─某───────某───────則常──────某───────常儀────┐
                   権之進             丹和右京亮│
┌───────────────────────────────────────┘
│                                        
└─某───────政貞──────某───────某───────某─────┐
           四郎                           │
┌───────────────────────────────────────┘
│                                        
└─某───────某───────政鑁──────某───────某─────┐
                   小谷                   │
┌───────────────────────────────────────┘
│                                        
└─政種                                     
   甚八郎                

441 :
某が多すぎだろ

442 :
行き詰まった時には奇矯屋に聞こうぜ

443 :
素人ながら
>>436
光盛の下向記事は何に書いてあるのかね?
これだけじゃなんとも言えないけど、最低でも分脈にあるなら南北朝期までは信用出来そうに思う。
平氏の系図は源氏に比べて通字が綺麗に並んでることが多いけど、ちょうど戦国期に盛から信へ変わってるのが気になるね。
足利持氏━蔭山広氏━広親━広忠
の流れを連想した。
養子を迎えてるとか分家したとかでないとちょっと疑問だし、そうだとしてもどうかなと。

444 :
>>442
いや、オレも知識足らんのだからみんなで考えようよ。
>>443
下向したのは盛定とその婿の盛重の代になっているね。
盛定が庶子であっただろうとすれば問題ないのだろうけど、尊卑分脈にあっても
光盛が九州に地頭で下向したり受領したような記録もなければ、その子は
wikiですら男児が出家した一人くらいしか見当たらず、長盛だの宣盛だのと
諸説あって定まらないないような状態。
下段であなたが示したように養子だったり(盛重が山名氏だからここでの嫡流には失格?)
郎党による仮冒だったりするなら無理はないけれど、苦しいよなあ。

445 :
とりあえず>>435の家系図に載っているところを消去法で行くしかない
八木氏は頼盛の男系でないので問題外
鎌倉時代に御家人となった池氏だが顕盛の代に養子をとり男系断絶。分家などがあったかどうか検証必要
上神氏・小谷氏の系図で某が多いようだが、単に省略しただけで名前がしっかり載った家系図がある可能性もあり。
検証必要だが小谷家は現代まで続く名家である

446 :
定義を確認しよう。
>>445氏は佐竹氏を源氏の嫡流から外すんだな?

447 :
>>444
下向記事は但馬へのです。
但馬、土佐、日向、薩摩と移動が多いから古い方から一つづつ精査してみれば…と思ったけど
息子の時点で怪しいなら仮冒認定でいいんじゃないかな…
>>445
某と省略することはまず無いです。
諱が伝わってない場合でも体裁を整えるために後付けしますから。
それに諱が伝わってない理由を考えたらやはり怪しくなりますし。
>>446
>>445ではないですが私は除外です。

448 :
>>446
当然外れる。嫡流は男系であるべき(佐竹氏が源氏の男系で続いていても到底嫡流とは呼べないが)
>>447
省略したというのは、ネット上の某HPでの系図の事
小谷家に伝わる家系図にはちゃんと歴代の名前が載っていると思われます

449 :
頼盛の男系子孫について整理
長男:保盛ー頼清(政員)ー保清→上神氏・小谷氏
   保盛ー保教→安村氏
次男:為盛ー家保ー家衡→鬼丸氏
三男:仲盛ー盛重ー盛順→財部氏
      盛重ー重兼→下村氏
四男:知重→池氏・松尾氏
五男:光盛(嫡男)→男系は断絶
六男:隆弁
七男:保業ー光度→池氏
   保業ー保定→潮崎氏
これらのうちいくつかの家系が現存。
また戦国時代に多く見られたような平家子孫を称した武士の家とは違い、
戦国武将としての行動を積極的に起こしていないのも興味深い点

450 :
>>448
某で省略するのがおかしいのは系図実物でもHPの写しでも同じことです。
諱で二文字と某で一文字の違いでは不正確にしてるだけで大した省略にはなってないし、
そもそも諱を略してるのに通称を記してますから全く省略になってませんしね。
略したいなら
政有━(三代略)━則常
こう書きますよ。

451 :
>>450
違う違う。おかしいと言ってる部分が完全にズレてるよ
>>440は下のHPからのコピーなんだが専門家が運営している訳じゃないんだからつっこんでもしょうがないでしょ
http://www.geocities.jp/masa_tsujimoto/REKISHI/sensyu/meike/kotani.html
そこのサイトに載ってる系図もどこかのHPで載ってる系図か本で見た系図を元に作ったんだろう
政有━(三代略)━則常と参考にしたサイトではなっていても、個人のHPで、その人の嗜好で政有━某━某━某━則常とする事もある訳で。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01105.htm
このサイトも参考にした可能性あるが、こっちでは某を使ってない。
そもそもの出典となる家系図が何なのか明記されてないんだから、小谷家に伝わるオリジナルを見て作った系図じゃないって事ですよ

452 :
佐竹が嫡流じゃないのは上杉に乗っ取られたという意味なんだな
全然知らなかった
レベル違いすぎて書き込みできないよ…

453 :
>>451
把握
>>440がズレてるから自分で修正したんだが、通称がどうしても某の下に来ちゃったんだ。
とりあえず保留か。
>>452
素人がgdgdするスレだからいいんじゃまいか。
俺は佐竹の男系が途切れてるのは知ってるけど、名字が佐竹の人は義昭とK―1ファイターしか知らんもん。

454 :
>>440によると政有と則常の間は三代だが、政有は五代目で則常が八代だそうだから一代余計か
則常と常儀の間は一代となっているが、則常の次が九代常信がおり、常儀は十一代目だから一代足りないか
http://www.sakai.zaq.ne.jp/yoshimi8839/page036.html

455 :
有力な大名やその家臣が家系を装飾するために平家の子孫を称する事はあったけど、(織田家と源平交代思想など)
小さな領主程度の存在で頼盛の子孫を称するメリットは無いと思うな
その点で小谷氏、財部氏、下村氏などが頼盛の子孫だというのはリアリティがある

456 :
【池家略系】
    ┌保業┬保房─保長
    │    └光度┬貞度
    │    ┌保教└為度
頼盛┼保盛┼頼清─保清
    ├知重└光惟
    ├仲盛─貞成─貞親
    ├為盛─俊盛
    ├光盛┬長盛
    ├静遍└教性
    └隆弁        参照:宮廷公家系図集覧(近藤敏喬編・東京堂出版)
※保業の系統は尊卑分脈に載っていないが存在が確認できるので記載。
※為盛は倶梨伽羅峠で討死しており、右兵衛佐でも嫡流からは一歩下がる。
頼盛のこの中で堂上公家は保盛(正三位)と光盛(従三位)だけ。

457 :
ぷらっとは小谷家の家系図に関してどう考える?
俺は信用できると思うが。歴代の当主の名前がしっかり表記された系図が小谷家にあると思う
同様に財部氏や下村氏、安村氏も仮冒ではないのでは

458 :
>>457
>>449を引用してみるよ。
長男:保盛┬頼清(政員)ー保清→上神氏・小谷氏【期待・史料待ち】
    :    └保教→安村氏【たぶん絶望】
次男:為盛ー家保ー家衡→鬼丸氏【同上】
三男:仲盛ー盛重┬盛順→財部氏【ちょい期待】
          :    └重兼→下村氏【同上】
四男:知重→池氏・松尾氏【あえてパス】
五男:光盛(嫡男)→男系は断絶【そうだね】
六男:隆弁【坊主ガン無視】
七男:保業┬光度→池氏
    :    └保定→潮崎氏【とりあえずパス】
本居宣長は無視すべきだと思うんだ。所詮は自身の立身が基になってるから。

459 :
安村氏と鬼丸氏を絶望と考えた理由は?

460 :
>>455
見栄は十分根拠になると思うが。

461 :
>>459
まず頼盛の家系は清盛家が滅んでしまったら本宗に見られるようになるでしょ。
六波羅一門の系図を眺めていて、こういう仮説を立ててみた。
「盛」の字を下に持つ者>親の一字を持つ者>兄弟から字を譲られる者
      └正嫡           └別家            └庶子
忠正は庶子、忠度は別家という考え方。

462 :
清盛の子孫を称する戦国大名やその重臣はいたが、頼盛の子孫を称するのはいなかったね
どうせ平氏を仮冒するなら頼盛の方が本当っぽいのに
やっぱり本物の子孫がいると、系図の詐称はしづらいのかね

463 :
名家マニアの江戸幕府が、仮に平氏長者という意味で高家を指名するならどうしただろうか。
平氏そのものが家格の低い出身なので仕方ないとはいえ西洞院ではないはず。

464 :
新田源氏嫡流:房総里見家

465 :
それはない

466 :
>>463
そりゃやっぱり幕府の故実を司った伊勢氏でしょ
でも新田に関して岩松氏ではなく横瀬氏を嫡流としたことを考えたら
徳川家が源氏長者であるように自称平資盛子孫の織田家を平氏長者にしたかもしれない

467 :
江戸初期に伊勢氏なんていたの?

468 :
伊勢貞丈なんかは有名なのだが

469 :
やはり小谷家で決定でしょう
小谷家には鎌倉時代からの歴代当主の名を記した家系図が伝わってますし

470 :
小谷家の当主はどこに住んでおいでだね。

471 :
大阪にある小谷城の麓に東西に分かれて現存
西小谷家は資料館も併設している

472 :
じゃあ清和源氏嫡流は足利家
桓武平氏嫡流は小谷家って事でいいかな?

473 :
平氏は暫定でよければそれでいいんじゃないの。

474 :
誰か関西に住んでる人に頼みたいのだが、
小谷家が開設している資料館行って、展示してある家系図調べて来てくれないかな?
うちは関東だから行けないのが残念だが・・・

475 :
ネット上にある小谷家の家系図って何を引用して作ったのかな?
妙に略されてるけど

476 :
源氏嫡流は足利家
平氏嫡流は小谷家

っていう結論になったね

477 :
足利って源氏の支流じゃなかったの?
武田や佐竹とかじゃないの

478 :
徳川が源氏長者になったから徳川

479 :
しつけーわボケ

480 :
えーと、質問なんですけど、戦国時代における「源頼朝」の血筋に一番近い家ってどこっすか?
頼朝の家じゃなくて頼朝自身の血筋。公家のほうで生きているとは聞いたんですが・・・。

481 :
>>477
武田や佐竹こそ支流だろw

482 :
足利は嫡流候補のなかで一番嫡流に近いからじゃない
そんで実力もあったし
武田や佐竹はもっと遠いから、嫡流から


頼朝自身って子供やその子孫って意味?
そんなの戦国時代にいるのか?

483 :
>>480
頼朝の兄弟の子孫は除くって事か?
頼朝の子孫は男系も女系も断絶してる。秀吉と同じ

484 :
あと少しで>>6涙目

485 :
うちは吉良家の傍系だけど家紋は足利と一緒
しかしよく考えると上杉景勝の血統なんだけど清和源氏足利一門を名乗ってもいいの?

486 :
上杉景勝の血統って何?
吉良上野介の長男の子孫?

487 :
長尾上杉ほど母系で繋ぐと、いっそ清々しいね。

488 :
坂東八平氏の嫡流は千葉氏

489 :
>>487
武田庶流の我が家も傍流男系と女系のオンパレードだぜ
んで俺は女系子孫なんだけど男系だと別の武田庶流に繋がってるぜ
菩提寺の坊主曰く我が家と俺の男系先祖の家は婿で男系先祖が入れ替わってるらしいぜ
超ややこしいぜ

490 :
海野龍宝?

491 :
青龍と白虎の日本史ミステリーで
「北条氏は平氏だった!」でみんな驚いていたが、
北条氏の先祖が怪しいという点を突っ込みたかった

492 :
>>491
>「北条氏は平氏だった!」
どういう意味?
あれって珍説紹介番組だよね、ってことは本当は仮冒じゃなくてガチに平氏な説を紹介したってこと?
それともゲストに氏と名字の区別が無いから驚いてたってこと?

493 :

武田信玄は徳栄軒信玄について考えてみました。
「元服前」
武田勝千代
「元服後」
武田太郎晴信
武田大膳大夫晴信
武田信濃守晴信
源晴信
源朝臣晴信
武田=苗字・家名
勝千代=幼名
太郎・大膳大夫・信濃守=仮名(けみょう)・通称・字(あざな)
諱(いみな)が一般に使用されないために、通常相手を指すときに使用する名。
  太郎=輩行名(兄弟や親族間の順序を表す名)
  大膳大夫・信濃守=官職(大名の場合朝廷からの正式な任命が行われることが多いが、
一般の武士の場合「○○衛門」などの大名からの与えられた通称や、私称の官職もどきの名が多い。)
晴信=諱(いみな)=忌み名とも書かれ、親や主君等目上の者しか知らない名。
原則的には公式文章等でしか使用しない。元服時につけられるのが一般的です。
  晴=将軍「義晴」の一字を賜ったもの。「偏諱(へんき)」と言い、上位者から賜るが、名誉なこととされる。
  信=通字=家代々に使われる名の一字。武田氏の場合父が「信虎」、弟が「信繁」、
子が「義信」のように代々「信」が通字として使われている。
源=氏(うじ)=武田氏は清和源氏出身であるため、氏は「源」。
朝臣(あそん・あっそん)=姓(かばね)=氏族に与えられた称号。身分や職業を表す。
*元服後の正式な名乗りは次の形式であることが一般的です。
  武田「太郎」源(朝臣)晴信
  「」の中は、任官すれば官職名が入ります。一般の武士の場合は上記の通称が入ります。
  (朝臣)は使用しない場合もあります。
出家後
  法諱=信玄。別号=徳栄軒。院号=法性院。道号=機山。
  法性院機山信玄大居士・
信玄は出家後には徳栄軒信玄と名乗ったようです。

494 :
>>491
北条は微妙。あまり宝賀の仮冒説を信用しすぎるのも危ない

495 :
北条って、どっちのだ?

496 :
執権のほう。

497 :
>>492
ガチに平氏な説ですよ
ゲストの皆さんは平氏がすべて壇の浦で滅んだと思っているらしく・・・。
番組では平清盛は平氏の傍流、北条氏が平氏の本流という説明
大学教授やら、北条の子孫の住職なんかもこんな説明してた

498 :
江田避妊と源氏の仲の良さ

499 :
>>497
まじすかwww

500 :
このスレの上のほう見せてやりたいな。

501 :
北条が平氏の本流かどうかは知らんが、武門で源氏と双壁と成したのは伊勢平氏
で、伊勢平氏の嫡流はどこだという結論になったんだっけ?
あと平家は伊勢平氏の中では分家みたいな説明する専門家やHPがいくつかあるけど、
じゃあ本家はどこなのかという肝心な所が書かれていない。

502 :
山科旧伯爵家だろ。

503 :
興味があって覗いたんですが、
うちは、語り継がれているのは桓武平氏を祖とする。
三浦氏の生き残りの末裔って教えられました。
ついでに三浦は北条に滅ぼされたのですが、北条も同じ平氏だと、
親から教わりました

504 :
はあ

505 :
結局、伊勢家が伊勢平氏の嫡流って事なんだっけ?

506 :
どうなんだよぷらっと?

507 :
ぷら様はこんな時間には現れないぞ

508 :
>>505
宝賀の言うように仮冒の疑いがかなりあるから微妙。
長らく土地を牛耳って支族を大量輩出してた古代以来の氏が、
忽然と姿を消した理由は仮冒以外に説明がつかない。

509 :
じゃあ伊勢平氏の嫡流ってどこなのさ?平家は伊勢平氏の中でも傍流っていうし

510 :
どうなんだよぷらっと

511 :
ちょっと上のほうで調べたところで止まってる。

512 :
沼田氏や葦名氏も三浦だよ。
房総には三浦氏系の正木氏もいたし。
鎌倉時代の長尾は三浦の家臣筋で、三浦本家と一緒に執権北条氏に滅ぼされた。

513 :
正木は胡散臭いけどなぁ

514 :
まあ三浦氏の平氏自体が疑わしいからね

515 :
>>514
具体的にはどの辺りが?

516 :
平良文―平忠通―三浦為通―為継 とよく書かれるが
良文と忠通の親子関係が絶対成り立たない

517 :
世代だけで見るならそこまで疑う必要はなさそうだけどなあ。
事跡が薄いから疑われやすいのかな。

518 :
良正が絡んだらアレだけどな。

519 :
>>517
世代が一番怪しいんだけどね
為通の生年は1000年代前半で、良文の生年は886年
忠通の生年をどこに置いても無理がでる

520 :
それより伊勢平氏の本家はどこなんだよ?

521 :
ちなみに伊勢氏についてだが伊勢貞丈以前の動向は蜷川氏の文献に残ってるから
伊勢氏は伊勢平氏の一流であるのは間違いないのでは

522 :
基本、嫡流とは言えないくらい隅っこにいた気がするんだが>伊勢氏

523 :
じゃあ平家が伊勢平氏の傍流っていう説の場合の嫡流はどこになるんだよ

524 :
だからそもそも本当に平氏なのかすら疑わしい

525 :
で、その疑わしくない伊勢平氏ってのはどこ?

526 :
ない

527 :
そりゃあんまりだ

528 :
どうなんだよぷらっと

529 :
逃げんなよぷらっと

530 :
分かったよ帰ってきたよぷらっと。

531 :
よう帰った
>>523の答え出しとけ

532 :
>>531
上のほうを読み直せ。オレは自分で正解を出せるほど知識がない。

533 :
>>1そのもしかしての足利氏が源氏の嫡流、室町時代以降江戸時代までは。
鎌倉時代から南北朝時代までは阿野全成の子孫の阿野氏が源氏の嫡流とみられていた。

534 :
源氏の嫡流と源氏の氏長者って違うの?やっぱり徳川宗家?もし同じなら徳川家康が後陽成帝から征夷大将軍をもらって源氏の氏の長者に認められてるからなあ〜。それとも維新で抹消された?

535 :
>>534
「源氏長者」は源氏の嫡流でもなければ武家源氏の棟梁と言う意味でもなく、
朝廷における公家源氏のリーダーと言う意味。

536 :
公家源氏だと、清和じゃなくて、嵯峨や醍醐等も含むの?
清和源氏の嫡流ってやっぱり実朝で終わり?

537 :
清和源氏は公家で続いている。清和を名乗る武家源氏は「河内源氏」と呼ぶべき。
そして足利氏なども河内源氏。

538 :
村上源氏の北畠親房が源氏長者になってるじゃんか

539 :
北畠親房は戦国か。

540 :
>>538
源氏長者は武家とは関係無い。
朝廷における源氏貴族のリーダーって意味だ。

541 :
そんな事当たり前じゃないか

542 :
うん、当たり前だ。

543 :
仮定の話だけど「調査の結果、木曽氏が嫡流でした」とか言われたら納得できる?
(木曽氏ってのはたまたま頭に浮かんだだけで、どこでもいいんだけど)

544 :
征夷大将軍に成ったのが、源氏長者だろ。

545 :
今いる源って名字の人は明治期に名字を持つことになった農民?

546 :
>>544
「源氏の長者」は征夷大将軍とは関係ない。というか、武士とも関係ない。
「源氏の長者」というのは、『朝廷の源氏貴族のリーダー』と言う意味。
足利義満以降、武家政権の長が朝廷を統制する根拠となった。

547 :
武家政権の根拠が源氏長者であるのは構わない。
ただ、源氏長者が武家の長であるという逆は全く成立しない。

548 :
源氏嫡流→足利氏
平氏嫡流→熊谷氏

549 :
>>545
しずかちゃん?

550 :
伊勢平氏の嫡流候補
・伊勢氏
・山木氏
・小谷氏(頼盛流)
・池氏(頼盛流)

551 :
武士としての平氏の嫡流は維将流もしくは高棟王流だと唱える者がいるが、そうではない
源氏と双璧をなす武門を築いたのは平維衡であり、伊勢平氏こそが嫡流である

552 :
このスレをすべて読んでから書き込めカス

553 :
足利長氏の子孫である上杉氏だろ

554 :
>>552
お前こそスレを見直せカス

555 :
5 5 5 ゲ ッd

(´∀`)

556 :
武士平氏の嫡流は伊勢平氏のどこかなのは確かだな

557 :
伊勢平氏が武家平氏の嫡流というなら戦国期の嫡流は後北条でいいんじゃないの
他は雑魚だし

558 :
それはない。北条家は伊勢氏の庶流だよ
あと戦国時代に勢力拡大したのと、嫡流かどうかも全く関係ない

559 :
執権北条氏と区物する為に後北条氏、伊勢北条氏って書くようにしたほうがいいよ

560 :
自称維将流の系図捏造した執権北条家
伊勢氏の傍流に過ぎない小田原北条家
どちらも平氏の嫡流には関係ない

561 :
>>1
源氏嫡流
室町→足利
戦国→足利
江戸→徳川
明治以降→吉良

562 :
>武士としての平氏の嫡流は維将流もしくは高棟王流
高棟王の系統かつ武家で高名な氏族ってのが思いつかんね。

563 :
>>562
そもそも高棟王流は嫡流じゃないしね

564 :
平氏嫡流で名前があがってる熊谷氏って平敦盛が首とられるときに
「武蔵の住人、熊谷次郎直実」って名乗ったら、
「ならば自分は名乗れない(あまりにも身分が違うため)源氏の中にも
 顔を知っているものもいるだろう。早く首をとり手柄にせよ」
と平家物語に書かれた、あの熊谷氏?

565 :
>>561
源氏長者が嫡流ってつもりで書いてるなら、足利家将軍家は別に全員源氏長者ではないぞ

566 :
>>564
そう。その熊谷氏
維将流ならば熊谷が嫡流
ちなみに北条は仮冒

567 :
源義経に付き従った佐藤継信って人が先祖様らしいのですが
親に秘密で蔵を勝手に漁ってたら昔の刀や弓がたくさん出てきました。
売ったらどれくらいするのかな?

568 :
つ【なんでも鑑定団】

569 :
関西在住のやつ誰か、小谷家について調べてきてくれ

570 :
清和源氏の中で武家棟梁、源頼朝にもっとも近い血筋かつ明確な系図があるのが、
頼朝の弟である範頼の子孫吉見氏。現代の皇室典範に則れば文句なしの将軍家
多くに分かれた吉見氏であるが、嫡流は能登吉見氏とされる
吉見氏の歴史
http://www.geocities.jp/tgbqg409/YoshimiGenji.htm
概説http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/noto1.htm
石見吉見氏 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yosimi_k.html

571 :
頼朝の同母弟である希義から始まる土佐吉良氏があるがこちらは系図がはっきりしない
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tos_kira.html
木曾義仲の子孫を称する木曾氏は完全に捏造である

572 :
伊勢平氏の子孫を称する中では清盛の弟、頼盛の流れのみが信用できる
頼盛流
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01105.htm
子孫はどこに行き着いたか
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100738.html
http://blogs.dion.ne.jp/fm7/archives/1062010.html
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/daijiten-tairano-yorimori.htm


573 :
熊谷が嫡流に近いなら、敦盛は相当無学だったことになるな。

574 :
あくまで維将流ってことだろ

575 :
戦国の武家源氏の嫡流は足利将軍家にきまってるだろ

576 :
武田→(長篠)→佐竹→(関ヶ原)→最上→(義光死)→細川

577 :
どこの武田だ→上杉分家じゃねえか→斯波氏没落してたけど無視かよ→まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな

578 :
>>577
どこの武田だ
→武田は義光の不祥事ですでにアウトじゃ。それいったら頼朝も父、祖父、曽祖父と謀反人だらけだが
まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
→和泉細川が出自不明?一門内の家格は高くはなさそうだが1京兆2阿波3典厩以外はどっこいどっこいだろ
上杉分家じゃねえか
→それいったらその上杉は江戸時代は吉良家嫡流の直系だろ?

579 :
突っ込み具合がズレてないか。オレは戦国板向けに書いたつもり。
・嫡流に謀叛だとかどうでもいいし。
・忠興は藤孝の子でありたくなさそうであり、藤孝は誰の子なんだろう。
・吉良家嫡流というか、吉良家だけどそこまでいうならもう少し現代まで追及しよう。
ただ今見返すとちょっと皮肉具合が足りんかなと反省。
>どこの武田だ→上杉分家じゃねえか→斯波氏没落してたけど無視かよ→まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
本家は若狭じゃなかったっけ→異姓に乗っ取られてんじゃねえよ→本家没落しても残ってたのに無視かよ→まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
とりあえず改変。

580 :
武田、佐竹、最上などはもはや一門扱いですらないけど( ^ω^)

581 :
またいい加減な挑発やの。

582 :
まずは嫡流の定義からはじめろって感じですね
出ないと議論が平行線をたどるだけ

583 :
忠興は藤孝の子でありたくなさそうであり、藤孝は誰の子なんだろう。
→?
・吉良家嫡流というか、吉良家だけどそこまでいうならもう少し現代まで追及しよう
→鷹山は繋ぎで現在の宇宙学者様まで吉良の男系じゃ

584 :
秋月の子など思いも付かんかった。
これっていちいち答えなきゃならんことなん?

585 :
嫡流は名実共に氏族の頂点に立つ者とするべきだお( ^ω^)
血筋だけで結論付けるのは不可能に近いお( ^ω^)

586 :
まあ上杉は戦国期は源氏ちゃうし吉良も没落中
和泉細川は油窃盗すること没落してるし

587 :
良スレ

588 :
長尾氏出身の謙信以降の上杉氏は
百万石以上を領する平氏嫡流の大本命

589 :
 
3月20日は、日本の記念の日
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/267_1.html
源氏が平家に勝利した、
徳川家の記念の日だった。

590 :
保守

591 :
戦国時代はいつから?

592 :
河内源氏の下風に立つのがいやで貞盛流平氏が
関東から伊勢に本拠を移したという意見があるが、
それは後付けの理由でその前から伊勢に勢力を扶植しているはず。

593 :
【岩松頼有こそ、田島経政?】
暦応2年から伊予国守護、その後備後国守護として活躍する岩松頼有その人を岩松・田島経政の出家した姿か、後継者である可能性が高いという。
新田義貞の鎌倉攻めにおいて、岩松経家と並ぶ岩松軍団の大将として、新田遠江(田島)又五郎経政がその人であろうという。
 『新田町史』

594 :
伊勢平氏の嫡流が頼盛子孫の小谷氏
現在の当主は確か五十代目くらい。大阪にお住まいです

595 :
源氏は足利氏。平島公方系
ただし、しんごさんの経歴がちょっと怪しいので要確認

596 :
武家藤原の嫡流は少弐だろう

597 :
武藤氏か。
武家藤原って言うと、秀郷系な気がしないでもないけど、武藤氏って秀郷系
だっけ?

598 :
武藤氏系図によれば、藤原道長の後裔
尊卑分脈だと、少弐氏は藤原秀郷流

599 :
あげ

600 :
秀郷系の嫡流は結城&小山でしょ

601 :
ちなみな坂東平氏嫡流は千葉氏

602 :
血筋なら九州千葉氏が本流でしょ

603 :
とーちゃんが防人先で死んで、長男が代わりに行っている間に、弟が本貫地を
継いじゃったんだっけか。
それはそうと、嫡流って、上総氏じゃないんだっけ?

604 :
本来は上総氏
だけど、断絶したため一族の千葉氏に移りました

605 :
こうなんじゃないの?

606 :
平家なき後の伊勢平氏嫡流は頼盛流の小谷家もしくは、足利に仕えた伊勢氏

607 :
伊勢氏は藤原氏だろ
信憑性の高い「滝山寺縁起」に、藤原俊経と藤原俊継として記述されている
三河国額田郡の伊勢神宮領にいた藤原氏が、伊勢氏と名乗る

608 :
平家一門の結束力の高さに対して、清和源氏の一族間の抗争の激しさは異常。
新羅三郎とかググっていやになるくらい極悪だ。
また坂東平氏が同族である平家一門を棟梁とせず、源氏に忠誠を
つくすのも不思議。

609 :
お前ら偉そうに能書き垂れてる割には答え出せんねんなw
ニワカ戦国オタやんけ

610 :
>>608
伊勢平氏と坂東平氏じゃ、遠戚だろ、
身内意識ないよ

611 :
平家と平氏は違うぞな

612 :
伊勢平氏正盛流が平家
清和源氏全部と比較すんなよw
せめて源為義の血縁って仲悪いよねくらいにしとけって

613 :
>>609
頼朝の系統が滅んだ後は 完全に源義国の系統つまり足利氏に移った
それは江戸時代を通して同じ
これは頼信系が清和源氏嫡流ならばの話だが、頼光流となると太田氏か
下間氏は自称だし

614 :
大坂・畠山家と思ふ。

615 :
日本の歴史(中世〜近世)

◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏為義流、藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡矢作)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝

◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏足利流、三河守護
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼→足利義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡吉良)、今川氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡今川)、石橋氏(清和源氏足利流、三河国碧海郡)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数

◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏足利流、細川吉兆家/本貫地:三河国額田郡細川)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義清→足利義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている

◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平

◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(三河国幡豆郡吉良)
・附家老の8割が三河国出身

◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平



616 :
室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は全国で最大人数

【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、伊勢、大草、高、久下、小嶋、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
神谷、山下
【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和

617 :
室町幕府樹立後(初期)の西三河人の日本支配構造

【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:仁木頼章
・安房国守護:斯波家長
【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏
【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆         ← 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経

618 :
【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・下野国守護:斯波頼兼
【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、仁木頼夏
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼遠、上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義
【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春
・安芸国守護:細川頼之
【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑後国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親

619 :
>>613
もし建武政府が足利を滅ぼしていれば新田に嫡流が移ったりしてたのかな?

620 :
>>606
伊勢氏
新編岡崎市史20(総集編) 足利家の根本被官で室町幕府政所執事などを務めた武士。ふつう桓武平氏で平季衡の子孫とする。
『滝山寺縁起』にみえる足利家被官の藤原俊経(肥前前司)・藤原俊継(伊勢前司)は「伊勢系図」にのる同名の人物と官途が一致するので伊勢氏の先祖にあたるとみられる。
とすると桓武平氏というのも必ずしも信をおけないことになるが、もとは藤原姓であったのを事情あって後に平氏に変えたのかも知れない。
『縁起』に登場する伊勢氏は、俊経・俊継父子のほかに、俊経の兄弟に滝山寺僧円辰、その子に同じく増恵がおり、鎌倉中期の滝山寺の隆盛に尽くしたひとが多く出た。
鎌倉時代の伊勢氏について知りうることは少なく、上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継がいるが系図にはあらわれない。
康暦元年(1379)に尊氏の近習であった貞継(俊継の孫)が政所執事に任じられ、以後伊勢氏がこの職を世襲した。ほかに将軍右筆や御番衆になった一族もいる。
明徳2年(1391)伊勢貞行が御料所額田郡山中郷の代官に任じられ、以後山中郷は伊勢氏の所領となった。寛正6年(1465)当時、山中郷代官は伊勢氏被官の蜷川親賢であった。

伊勢俊経
新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉前期の武士、足利氏被官。『滝山寺縁起』に肥前々司藤原俊経(法名願仏)と見える人で、足利氏被官伊勢氏の先祖とみられる。
弟相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶であった。滝山寺に持仏堂を建て、古市場御油畠などを寄進した
伊勢俊継(初代伊勢氏)
新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。そのほか滝山寺の諸造営にかかわって財政的な援助を惜しまなかったのは、
叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。

621 :
参考
同地域で藤原氏が伊勢氏を名乗った事例

藤原惟康(伊勢惟康もしくは高橋惟康)
■藤原道隆→伊周→忠頼→惟康(伊勢惟康)
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/fujiwara/fujiwara_hoku/fujiwara_hoku12.html
■藤原実範(三河守)→女子(兄は藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住))→伊勢惟康
大森葛山の祖・維康(惟康)について、「伊勢新二郎大夫、成高橋殿、三河国高橋庄領主故号、母実範三位女、外戚伯父伊勢権守令養育之」と「姉小路系図」に註記される
高橋庄は高橋郷(現豊田市高橋辺り)を中心に豊田市域の北部中央、矢作川中流を挟む一帯から尾張国境に及ぶ庄域をもった大荘園であり、十一世紀頃の開発とされる。
安元二年(1176)二月日の八条院領目録に庁分御荘として参河国高橋・参河国高橋新庄があげられる。

622 :
>>619
元々は義国系の棟梁を継ぐはすだった系統だから、移っても問題はないと思う。

623 :
源義国の跡目は次男ながらも正室の子で嫡男の義康(足利氏祖)が継ぐと決まっていたんだよね。
事実、義国が開墾した足利荘を継承したのは義康
義重(新田氏祖)は長男ながらも庶子であったため、上野に移り新田荘を開拓。
足利尊氏が新田義貞に滅ぼされたとしても、足利氏の傍流が嫡流となったんじゃないかな

624 :
三重県の津市教育委員会によると、伊勢平氏嫡流は正度の子で正衝(正盛祖父)の兄にあたる貞衝らしい
安濃津氏、桑名氏を名乗る
戦国時代の杉原氏はこの系統というが詳細不明

625 :
斯波とか吉良は明らかに新田より格上だった

626 :
新田も義重の時代は義国の嫡子でなかったにしても、足利の下ではないし、
日和見した自分はともかく息子の山名義範は頼朝から数少ない源氏門葉に
選ばれてるし、源氏の中でも名門と認められた家の一つと言えそう。
新田荘の大半を失い、無位無官だった義貞の時代の世間の評価はともかく。

627 :
新田義重は重鎮あつかいだとはおもうが
新田家は単なる源氏の豪族扱いじゃね?
だって頼朝に味方しなかったのだから。
ようするに、新田家は足利家の単なる庶家。
吉良>斯波>>>>>新田。

628 :
しかし源氏は内陸思考で田舎臭い。
今の時代にはあわん日本は四方海に囲まれた海洋国家。
なぜか信長、謙信の方が戦上手だしビジネスセンスが有りそう。

629 :
>>628
意味がわからないのだが、源氏と信長、謙信とどう言った関連が?

630 :
信長はカネの重要性はわかってるだろうけどビジネスセンスがあるかどうかとなると
矢銭二万貫を堺に要求するのが信長のビジネスですし

631 :
イエスかノーか、の世界だな

632 :
上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、
足利家家人の上杉三郎入道(頼重)より前は不明。その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か

事実上の始祖である上杉三郎入道(頼重)の日名屋敷

新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉末期に額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。


633 :
空華集「三河国碧海荘は管領家、斯波義将の墳墓の地である」
足利家氏(初代斯波氏)は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し、そこが本拠地

滝山寺における足利義氏一周忌関係者
・足利家氏(斯波家氏)
足利義氏の法華堂造営、田畑寄進、足利義氏の骨が埋め込まれだ大日如来奉納
・足利義継(吉良義継)
初代東条吉良氏、出家し滝山寺にて僧侶、高野山より足利義氏の骨が埋め込まれた大日如来を受け入れる
・藤原俊継(伊勢俊継)
初代伊勢氏、叔父と従兄弟が滝山寺の僧侶、田畑寄進

室町幕府の政務執事で著名な伊勢氏であるが、三河国額田郡の伊勢神宮領に由来が濃厚
藤原俊継(初代伊勢氏)の父である藤原俊経は、滝山寺に持仏堂を造営し、足利義兼と真福寺に法華堂を造営
足利一族と伊勢氏との繋がりは、三河国で足利義兼の代まで遡る

634 :
源を名乗るこの方は↓面白いですね。いろんな意味で。
http://genjiroyal.lolipop.jp/

635 :
源氏嫡流は足利で間違いないが、尊氏の男系を伝えるという平島公方家は、
明治時代にお家が乗っ取られて実は男系でもなんでもないという話が数年前にあったな
足利義廉ー智恵
         ll
        進悟
         llー義弘ー義徳
        典子

こんな系図まで載ってたし。
http://yomi.mobi/read.cgi/academy6/academy6_history_1136378226

636 :
われは清和天皇七代ノ後胤 八幡太郎 源義家!
八幡殿四代嫡孫 旭 征夷大将軍 源義仲!
義仲三十三代義明が長子
嵯峨嵐山ノ源宗家八幡殿三十七代
旭八幡 源尊義なり!



プッwww

637 :
菅原の嫡流って誰?

638 :
旭八幡は痛いですねw

639 :
源家の子孫なら吉見氏だな
頼朝の弟の系統
皇室典範に習えば吉見家が代々将軍家を継承してたのだろう

640 :
>>634
何の系図をかじってどういう感覚を持っていたら、コレで宗家とか名乗るきっかけになるのだろう。

641 :
>>6 www

642 :
>>5はコテ入れ忘れたオレだったりする。

643 :
源氏長者じゃなくて源氏の嫡流だったら
多田院御家人じゃないの?
幕末時点で朝廷や徳川も一応認めていたんだし。朝廷が多田隊に御所を警備させたのも、源氏の嫡流だからだろ。

644 :
それはない

645 :
源氏は足利で決まり
で平氏はというと、伊勢平氏の嫡流桑名氏もしくは平家一門頼盛の子孫小谷氏になる
源氏と対比される平氏ってのは坂東平氏ではなく伊勢平氏だね

646 :
因みに坂東平氏嫡流は千葉氏
摂津源氏嫡流なら太田氏

647 :
桑名氏の子孫が豊臣秀吉の親戚杉原氏

648 :
普通に考えれば足利氏じゃないのか?
他に居るなら、持ち上げられていいはず

649 :
>>640
そのサイトの千家って千葉県旭市に行った木曽氏とは別族なの?
義仲大河化を目指してるようだけど。
来年は清盛大河だって言うし、
個人的には義仲でまた源平やるくらいなら新田義貞を主役に南朝視点の大河をやって欲しいわ。

650 :
酷い後付けとしか言いようがない。系譜の乗っ取り何回やんとんじゃと。

651 :
太田氏や大河内氏って皇族将軍下行時に上杉のようについていった京武者の摂津源氏の一派が一族の著名人である頼政の末裔を名乗ったの?

652 :
河内源氏の棟梁源義朝の五男で源頼朝の同母弟の源希義を祖とする土佐吉良氏。
名門中の名門のはずなのにパッとしないよねえw

653 :
まあ木曾氏と同レベルの庶家だわね。

654 :
足利、今川、細川あたり

655 :
それ格差あるでしょ。

656 :
源希望がじつざいするかどうかわからんのでは?
足利、今川、細川
足利>今川>>>>>>>細川

657 :
嫡流は一色

658 :
源氏:河内源氏系統で一番身代の大きい奴
平氏:貞盛(or繁盛)系統で一番身代の大きい奴
藤原氏:秀郷系統で一番身代の大きい奴
橘氏:遠保(or公頼?)系統で一番身代の大きい奴

以上。

659 :
なんで藤原氏の嫡流が秀郷流なんよwww

660 :
他にどこがあるんだ?
アホクサ

661 :
乗っ取られていない五摂家や清華家だろうな。

662 :
武家な藤原氏の嫡流は秀郷流だとは思うけど、本流は違う気がする。

663 :
伊勢平氏の嫡流がどこかって事だな

664 :
いや武門なら国香流平氏っていうことだろう。
ってか実質おなじか。

665 :
頼盛の子孫で確実なのは仁和寺の若林家だったらしいが、近世に断絶
分家はいないのかな

666 :
>>658
豊臣が抜けてんぞw
まあ臣籍降下組ではないが。


667 :
尾崎洵盛さんが伊勢平氏の当主
仁和寺で由緒あるから間違いのない家系

668 :
今更>>1の文章にケチつけるのもなんだが
>源頼朝から三代で「源氏の嫡流」ってのは歴史の表舞台から消えたけど
もしかして足利氏が名乗っていたの・・・?  そんな馬鹿な。
別に足利氏が源氏長者でいいじゃん。何でそんなこと言うの?
少なくとも「馬鹿な」ってことはないだろ。
>>1よ居たら答えてくれ。

669 :
北条得宗家と伊勢新九郎さんではどちらが平氏の嫡流に近いんでしょうか?

670 :
とりあえず執権北条氏は仮冒
伊勢氏も系図がはっきりしない

671 :
>>658
藤原氏:秀郷系統で一番身代の大きい奴
九州の大友氏?
秀郷→近藤→大友


672 :
なんか大神氏も気になってきたでござる

673 :
秀郷流の嫡流は結城・小山家に決まってるだろ

674 :
ペリーは、「源頼朝」だった。
http://s1.shard.jp/deer/0204/45/296_1.html
ペリーが東インド艦隊司令長官として日本遠征を命じられたのは、1852年3月24日。
源頼朝が征夷大将軍に就任したのは、皇紀1852年(西暦1192年)。
しかも、源氏が平家を打ち破って天下を統一したのは、
西暦1185年3月24日志度合戦
旧暦1185年3月24日壇ノ浦の合戦の結果だった。
ペリーは間違いなく「源頼朝」の生まれ変わりだった。

675 :
源頼朝の男系で最後となった貞暁。
平清盛の男系で最後となった六代御前。
どちらの人生も泣けてくる。

676 :
現在、源氏の嫡流はいないとされているけど、
そんな証拠はないよね?
すると、普通の一般人が、気づかずに嫡流のケースがある。
その場合、その一般人は、自分が嫡流で「すまそ」状態になり、かわいそう。

677 :
源氏の嫡流は足利義弘さんだと散々言われているだろう
平氏の嫡流は平頼盛の子孫にあたる仁和寺の若林さん

678 :
清和源氏なら普通にここだろ。
頼朝が妬んで領地を奪ったくらいだし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E6%B0%8F

679 :
新田遠江又五郎経政が居る (元弘3年8月熊谷直経軍忠状・熊谷家文書)。彦五郎・又五郎は田島氏の諱名であろう。
この経政は、南北朝内乱初期に、陸奥南部で親類の相馬氏と共に活動する新田左馬亮経政である(相馬文書)。
また「新田左馬亮経政代田島小四郎」(相馬文書)という記述から、経政の代官として田島小四郎なる人物が派遣されている。
代官には普通一族の者がなる場合が多いから、この史料は経政か田島氏であることを裏書するものである。
ところがこの経政は、史料上では建武2年(1336)に姿を消し、暦応元年から岩松頼有が伊予国守護、その後備後国守護として活躍する。
岩松氏惣領家は岩松経家が建武2年に中先代(北条時行)の乱で戦死してから、岩松三郎直(正木文書22)国が跡を継いで活躍する。そのように考えると、
この岩松頼有は岩松経政(田島系)の出家した姿か、あるいはその後継者である可能性が強いが、
それを確定する史料がない。
 『新田町史』

680 :

【音楽/事故】韓国アイドルグループ「BIGBANG」のテソン(D-LITE)が人轢く運転事故、男性は死亡★3
1 :落花流水ρ ★:2011/05/31(火) 20:35:47.21 ID:???0
 日本でも人気が高い韓国のアイドルグループ「BIGBANG(ビッグバン)」の
メンバー、テソン(22=日本での活動名はD−LITE=ディライト)が31日未明、
ソウル市内で乗用車を運転中、道路に倒れていたオートバイを運転していた人を
ひいたなどとして道交法違反容疑で警察の取り調べを受けた。聯合ニュースが伝えた。
 同ニュースによると、この人は死亡したが、ディライトの車にひかれたことが
原因かどうかは不明。ディライトは当時、制限速度が時速60キロの道を
約20キロオーバーで走行。停車中のタクシーに衝突して止まった。
この衝突も容疑に含まれるという。調べにたいして「ガタンという感じがして
ブレーキを踏んだが、ブレーキが利かなかった」と話しているという。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110531-783719.html
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/teson-110531-006-ns-big.jpg
http://www.asahi.com/showbiz/korea/images/AUT201105310032.jpg
「BIGBANG」D-LITEが乗っていた乗用車
http://www.wowkorea.jp/upload/news/84505/20110531075609697.jpg
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1306821803/
★1 2011/05/31(火) 10:24:02.98


681 :
頼盛の確実な家系が現代まで続いていれば良いわけ

682 :
>>677
喜連川氏じゃないの?

683 :
久我家でしょ

684 :
家康は、初め、藤原を名乗っていたのに、源氏に鞍替え。本当に源氏の血筋なのだろうか?

685 :
徳川=松平≠源氏
得川=新田=源氏
徳川家康が源氏を名乗ったのは征夷大将軍就任直前

686 :
>>685
ただの、愛知の土豪だよ、
信長も秀吉も、出自ではなく、実力

687 :
>>685
たしか、徳川って新田の飛び地じゃなかったっけ?
それで源氏名乗ったのでは?

688 :
Genghis Khan という「チンギス・カン」
http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/46/305.html
「ゲンジ(源氏)ス・カン」となると元王朝も、「源王朝」となる。

689 :
源氏好かんなのだから平家の落人が作った王朝と考えるのが妥当である

690 :
http://homepage1.nifty.com/sira/nantaiheiki/nantaiheiki02.html
細川・畠山などは義包(義兼)の下から分かれたようである。義包(義兼)は長け八尺あまりで、力人に勝れた人であった。ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。

>ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。

細川氏です

691 :
畠山は、二俣川で終わり

692 :
元弘の変当時の室町幕府支配層
【岡崎市中心部地区/現在の岡崎城周辺】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期は足利尊氏の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高一族(足利根本被官)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)
【岡崎市北部地区/岡崎市中心部地区より北に5キロ】
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉一族(足利被官、下野守護他)の屋敷(日名屋敷)
・仁木一族(幕府執事、伊賀守護他)の屋敷及び城(仁木城)
・細川一族(管領家、阿波守護他)の屋敷及び3つの城
【岡崎市南部地区/足利宗家の屋敷より南に10キロ】
・上地一族(細川氏分家)の屋敷
・上地一族(仁木氏分家)の屋敷
【豊田市中心部地区/足利宗家の屋敷より西に15キロ】
・上野一族(石見守護等)の屋敷
・中条一族(尾張守護等)の屋敷と城(金谷城)
【豊田市南部・安城市地区/足利宗家の屋敷より南西に4キロ】
・斯波一族(管領家、奥州管領)の屋敷
・石橋一族(将軍御一家、備前守護他)の屋敷
【西尾市幡豆郡地区/足利宗家の屋敷より南に15〜20キロ】
・西条吉良一族(将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良一族(奥州管領、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・一色一族(四職家、九州探題、丹波守護他)の屋敷
・今川一族(将軍御一家、九州探題、駿河守護他)の屋敷と城(今川城)荒川一族(戸賀崎氏分家)の屋敷

693 :
足利尊氏は、隠岐を抜け出し船通山にたてこもった後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河在国の足利党の19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
西条吉良
東条吉良
今川
一色
仁木
細川
斯波
戸賀崎(荒川)
畠山
桃井
渋川
岩松
石塔
上野
鹿嶋
粟生
倉持

上杉

694 :
結局、現代の源宗家は、どこになるか分からないから、
言った者勝ちの世界か・・

695 :
やっぱ源氏長者である久我家じゃないの

696 :
>>694
源氏ったって
清和と宇田と村上と嵯峨とかがあるんだが?
久我家をもって宗家と言われても他には関わりがない。

697 :
そりゃ多田氏でしょ。
徳川が多田神社を霊廟にしたり
幕末朝廷が多田隊を組織したのが証拠

698 :
>>693
戸崎or戸賀崎?

699 :
どちらかは不明
候補地は岡崎市戸崎、西尾市戸賀崎の二つある
戸崎(戸賀崎)義宗は、兄弟の細川義季と行動を共にしていたらしく、細川一族の氏神 村積神社の神官をしていた
墓も細川義季と同じ豊田市の隣松寺にある
尊氏の頃は荒川と名乗り、活躍したのが荒川詮頼だ
伊奈忠次で有名な伊奈氏は、荒川氏が信濃に移り住んで、再び三河に戻ってきた一族らしい


700 :
天神地祇の観点からいうと、諏訪氏は天皇家の対極にある崇高な存在
現人神という点も同じ

701 :
>>696
当たり前の知識をドヤ顔で披露してる痛い奴発見
そもそもここは戦国板なんだから源氏は清和源氏を指すってことぐらい分かるだろ
これだから近頃のゆとりは

702 :
源氏は足利氏
平氏は坂東なら熊谷氏、伊勢なら杉原氏

703 :
>>701
昔の学生より今のゆとりのほうが
学力高いんだとよ

704 :
学力では測れないものがあるよな

705 :
>>704
昔の荒れまくっていた
学校に比べ今は落ち着いてるな。
非行も男女不順交友とやらも発生率減っているらしいし。

706 :
○不純交友

707 :
多田て声が多いようだな

708 :
坪井氏はどうなんだろう?
河内の坪井八幡宮の鳥居に坪井氏寄進と書いてあった。坪井氏は土着してまだ続いてるみたい。
だれか意見よろ。

709 :
多くないじゃん

710 :
源範円(源範頼の息、吉見氏の祖)
・正法寺(愛知県豊川市)
了信坊(源範円)が中興、鎌倉時代初期には、源範頼の息子範円(のりかど、はんえん)が太子堂に居住した。
貞永元年(1232年)9月1日、浄土真宗の開祖親鸞が関東から帰京する際、聖徳太子像を拝むため太子堂を訪れた。
このとき範円は親鸞に教化されて弟子となり、名を了信坊に、寺を太子山上宮院正法寺に改め、天台宗から浄土真宗に改宗した

711 :
三好長慶は源氏。

712 :
伴野氏
伴野長房(*〜1397)
小笠原・蔵人大夫・三河守・出羽守・出羽前司・入道道鎮。三河国幡豆郡の豪族。領地が隣接することから足利高氏に早くから出仕し側近。
1345年天竜寺供養に従軍、六番隊後陣10人衆のひとり。1349年「観応の擾乱」に尊氏派。貞和8月師直邸に参じる。若狭一色家の与力となる。息に長春・長正。

713 :
何貼りまくってんだよ

714 :
クラスに源君っていたけど、歴史に興味なかったから何も聞かなかった

715 :
>>714
源の本姓だけで明治まで続いた家も一応あるらしいね

716 :
>>715
本姓かどうかは知らんが、オリンピックに出てた女の子がいたじゃん。

717 :
>>716
源氏で源をそのまま苗字にした家系はほぼ無いってことね
源氏は足利とか吉良とか別に苗字があるんだよ

718 :
>>717
なんか根本的に間違ってないか?
新田、足利は分家だろ。
新田、足利にとってはまさに頼朝、頼家、実朝で滅んだ源家が本家。
源を本姓にして残った家ってのがオリンピックに出た家以上に眉唾なんだが?
そこは、何源氏なんだ?
村上源氏は早くに源の名乗りをやめてる。嵯峨もそうだし、宇田は最初から佐々木だろ?
水泳選手は政治家として自民党が担ごうとしたくらいらしいから、本当に源氏かもしれんがなw

719 :
>>718
何も勘違いしてないよ。
今本家とか嫡流がどうとかの話題じゃないし。
友達に源さんがいるって人がいたから
「本姓と苗字は違うんだよ。源は本姓であって、ほとんどの源氏は別に苗字があるだよ。足利とか吉良みたいにね。でも源氏の中にも、源義忠流の一部みたいに本姓と苗字を同じにした人たちも居たよ。」って話をしただけ。

720 :
>>713
吉見氏はスレタイ通りのレスだろが
次にたまたま三好長慶が出てきたから、同族の伴野氏を出しただけだが

文句あるのか?猿



721 :
>>719
え?じゃあ一応は本物ってことでいいの?

722 :
>>721
苗字が源だってだけじゃあ、その友達が本物かはわからないよ。
明治になって各々が苗字付けるときに、苗字と本姓の違いを知らない無学な人が、「源って名門の苗字パクろうぜ!」ってなった可能性はあるね。

723 :
現代人の先祖をたどれば、必ず源氏か平氏に繋がって、皇族に行き当たるって聞いたことあるけど本当?

724 :
>>723
皆じゃないよ。近衛家などの藤原氏なんか皇族由来じゃない最大勢力だよ。
ただ源氏や平氏を自称する家は多いよ。ほとんど捏造だけどね。
農耕民族日本人だよ。大概の家はホントは百姓の子孫だからね。百姓の中でも小作人がほとんどだしね。

725 :
>>724
でもさ、直系だけじゃなく、女系も視野に入れたら、数百年の長い歴史の間にどこかしら繋がってる気もするけどなぁ

726 :
>>725
ああ母方か。なら可能性はかなり広がるね。けど母方の母方の母方の〜って把握してる人少ないでしょ。

727 :
>>726
昔は身分制度があったからあれだけど、現代の場合、例えば先祖が農民だった俺が、吉良さんという女と結婚して出来た子は先祖が皇族みたいな感じで現代になってどんどん広がっていってるんだろうなって思う。

728 :
>>727
うん。それでいいと思うよ。

729 :
>>718
こいつ恥ずかしいなw

730 :
足利義清 (矢田判官代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%B8%85_%28%E7%9F%A2%E7%94%B0%E5%88%A4%E5%AE%98%E4%BB%A3%29
>なお、矢田庄、矢田御厨、矢田郡などの呼称の所領は当時足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代なる義清の通称は誤りであり、根本所領の梁田判官代とされるのが正しいと思われる。

三河 矢田郷前城(愛知県西尾市上矢田町郷前)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html
>足利一門の矢田判官義清、義実が居住した地と云う

731 :
>>1
宇多源氏の流れを汲む朽木元綱あたり

732 :
>>731
宇多源氏の嫡流は六角氏てことになってるんじゃなかったか?
関ヶ原の頃までは消滅してないはず

733 :
公家に本家がいないのか。

734 :
足利義清 (矢田判官代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%B8%85_%28%E7%9F%A2%E7%94%B0%E5%88%A4%E5%AE%98%E4%BB%A3%29
>なお、矢田庄、矢田御厨、矢田郡などの呼称の所領は当時足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代なる義清の通称は誤りであり、根本所領の梁田判官代とされるのが正しいと思われる。

三河 矢田郷前城(愛知県西尾市上矢田町郷前)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html
矢田郷後城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Goushiro-jo.html
矢田熊子城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Kumako-jo.html
>足利一門の矢田判官義清、義実が居住した地と云う

http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den056.htm
>「高階系図」には、高惟長(こうのこれなが)・惟信(これのぶ)兄弟が義清に従いこの戦いで討死したことを記している。
寺津八幡社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B4%A5%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A4%BE
>建久年間(1190年 - 1199年)に大河内氏の初代、顕綱(あきつな)によって創建されたと伝えられる

何故、初代大河内氏の大河内氏顕綱が三河に逃げてきたか
三河国菅生郷(現在の岡崎城周辺、地頭職は足利義兼と推定)の郷司だった高階惟長
三河国矢田郷を本拠とした足利義清
源頼政の同盟者であった足利義清と足利義清と行動をともにした高階惟長からみだったんだね
大河内氏顕綱が、矢田郷と目と鼻の先にある寺津の地に寺津八幡社を建てたのも、足利義清が関係している

735 :
つー事は細川氏仁木氏は、義季実国の代に西尾から岡崎に移り住んだだけかw

736 :
伊勢平氏の嫡流は杉原氏?

737 :
正直言えば直系が絶えているから源氏の血を引いていて、勢力を保った家かな
個人的に言えば佐竹かなあ
徳川は元々得川といったらしいがあれは鼻紙に写した系図らしいね
徳川が源氏なのは嘘もつき続ければ本当になるの典型例だな
マジで
恥を知れってカンジだな

738 :
家康は、完全勝ち組名門の地三河に生まれて運が良かったよね
成功が約束されていた


739 :
>>738
(?_?)
負け組新田の末裔を名乗ってるけど?
>>737
あの時代、血統なんてアクセサリーに過ぎなかったんじゃね?
今のBや半島の人達程の拘りは無いと思う。
織田の平氏に豊臣の藤原氏に徳川の源氏って、
笑えるじゃん?
今だと、新田、平、藤原、佐々木って苗字名乗るようなノリだろ

740 :
田舎猿がくだらねーこと言ってんじゃない
田畑耕す仕事に戻れ


741 :
>>739
豊臣は豊臣氏だダボ

742 :
>>741
くだらねぇ

743 :
>>739 完全勝ち組とは、この連続性を指すがw
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義兼→義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義清→義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平

744 :
徳川家康が清和源氏て
ククク

745 :
家康は楠木正成、源為朝の血も引いているね
源為朝の血は2回入っている


746 :
ワロタw

747 :
松平 親忠
松平氏の第4代当主
正室:閑照院殿(鈴木重勝の娘)

鈴木重勝
鈴木重勝の父は重員といい、足助重範と楠木正成の娘である真佐子との間にできた子供で、大和国高取で生まれたという。
鈴木重員は父の志を継いで南朝に属し、嫡男の鈴木重勝と共に北朝方と戦ったという

748 :
足助重長
加茂六郎と号した。足助氏の祖。
正室:源為朝の娘

父重直より三河国加茂郡足助荘の荘官職を継承し、同地に黍生城を築き居住したとされる。
父祖に続き河内源氏の嫡流に臣従したと考えられ、源為義の八男為朝(鎮西八郎)の娘を娶るなどした

足助重範
足助氏の七代目惣領。

元弘の乱では後醍醐天皇に味方し、天皇の呼び掛けに応じて集まった者三千余人の総大将をつとめた
弓の名手としても知られる重範は、笠置山で幕府の大軍を相手に荒尾九郎、弥五郎兄弟を遠矢で討ち取るなどして奮戦した。
しかし、落城後に捕えられ、京都六条河原で処刑された。


749 :
例え母方から源氏の血が入っていたとしても母方の血筋は
血統には含まないのがセオリー

750 :
下手すると家康は、三河にゆかりがある新田義貞、佐々木高秀、赤松則村あたりの血も入っていそうだな
稀にみる貴種ということになるw


751 :
>>750
そんなこと言い出すと源氏一族が歴史上一度でも存在した地域なら
可能性はあるってことになる


752 :
>>751
具体的に例は?



753 :
伊勢平氏は杉原氏

754 :
>>751
良いじゃん
隠居後の放浪伝説のある佐々木高綱なんて日本中に子孫がいるしw

755 :
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義兼→義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義清→義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平

756 :
【リーマンショック後の総所得ランキング】
総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)  
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(愛知県安城市〜吉良町)  
10位 名鉄豊田線(愛知県日進市〜豊田市)
11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(愛知県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)

ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html

757 :
源氏の総当主は足利義弘氏

758 :
天津神の子孫の嫡流が天皇家
国津神の子孫の嫡流が諏訪家

759 :
諏訪氏こそ地祇の嫡流

760 :
名前の文化誌
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325431811/l50

761 :
つか、嫡流がいねぇ。
すでに嫡流は13世紀前後までに全員殺したんだよ。

分留でも血が濃ければ
北条、信長
あたりじゃねーの?その理論で源家も存在しない。

762 :
源氏は八幡太郎義家の子孫足利家
平氏は平維衡の子孫杉原家

763 :
伊勢平氏嫡流は杉原氏か大和氏

764 :
平家子孫の嫡流なら仁和寺宮諸大夫の尾崎・若林
源家子孫なら吉見

765 :
「戦国時代、清和源氏の本来の嫡流に近かったのは誰」ならわかるが、「戦国時代の源氏の嫡流は誰」と聞かれると、「嫡流は滅んだ」「足利氏」「公家なら云々」としか言いようがないじゃん。

766 :
>>744
家康はん清和げんぢ中流以上の武田にコンプレクスかなりあて、
昭和期かなりタブーやたろけど、関東上州に新田分流(本流?)の
由緒正しい家系図保持の庄田はんと領地みつけて、江戸日本唯一の
恒久免税村なて 武田→正田の漢字アナグラムで 年一 当主が江戸しろ
来て将軍あいさつして 徳川の家系支える
いま平成にいたるまで TOKYO=江戸は 支配層にまで
得川ゆかりのこてる まだ江戸オワテないし

767 :
足利、杉原もしくは熊谷、結城が武家源平藤御三家

768 :
志村、武田武田!
清和源氏だろうが

769 :
チンギス・カンの発音に極めて近い表記
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/46/305.html
英語で「ゲンジ(源氏)ス・カン」となる。

770 :2013/03/12
そしたら 源氏好かん で義経ではなくなっちゃうな
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