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デカルトについての質問


1 :10/09/30 〜 最終レス :12/05/11
のスレです

2 :
疑えない=存在する
とは言えませんよね。

3 :
言えませんともw

4 :
疑えない=存在すると言えないことは明白であり、疑い得ないことですw

5 :
世紀末デカルト学院

6 :
http://twitter.com/#!/3_aru_3/followers

7 :
デカルト先生
神はいませんよね
疑えますもん

8 :
疑いがあるという事だけは疑えない。ゆえに疑いあり。
うたがいしかない世界。

9 :
いきなりデカルト読むからわけが分からなくなる
トマスアクィナスの神学大全とセットで読もう

10 :
自分が思っていることが、実は思ってないなんてことが有り得る?

11 :
思っているのに、自分がそう思っていることに気づかないことなら、
ふつうにあるだろ。

12 :
>>7
デカルトは「疑い得るものは存在しない」なんて言っていない。
命題の逆と対偶の区別もつかんのか?

13 :
>>12
それでは
デカルトによる「神の存在証明」とは
いったい、どんな内容なんでしょう?

14 :
だったら逆に疑い得ない対象を見つけた方が早くね?

15 :
>>11
そんなことある?
例えばどんな状況?

16 :
>>15
自覚なき価値判断てのはどう?

17 :
デカルトが言ったらしい「人間身体の妄動の秩序」ってどういう意味ですか?

18 :
デカルトやプラトンて、簡単に反論できそうなんだけど、
本気で反論しようとするとなかなか上手くいかずにイライラした中途半端な状態で
彼らの論理に屈服して納得せざるを得ない、なんとなくもどかしいものを感じてしまう。
正しいと思うが、しかし中途半端な。。。この感じは何なのだろう。

19 :
神の存在証明は、方法的懐疑の後に来てるでしょ
批判するなら、せめて批判対象をまともに読んでからにしてほしい

20 :
>>19
よく理解してそうな貴方にききます。
目の前のすべてを懐疑したくせに
神は存在するって、どういうことなんでしょう。
おかしくないですか。

21 :
19とは別人だけど横槍をひとこと。
・目の前のすべてを懐疑、でもそうかんがえる自己の理性はある。そして私のこの理性を中心に
世界のすべての現象が展開される(世界も、ある)。
・ここまでだと、神はいりません。「わたし」がいれば、世界は存在できます。
これは当時のヨーロッパではやばい。
・そこで「わたし」の理性は、神の理性から降ってきたものとするのです。
神→わたし→世界 です。

22 :
>>21
わたしの理性は、神の理性の派出所ということです。

23 :
デカルトを読むには、彼の本音を深読みして上げないといけないのか。
彼が密かに本音を書いたものは発見されてないのかな。
「えーと、神は死んだ、と・・・やべー俺いまヤベーこと書いちゃったよ」みたいなの。
ガリレオの死刑を批判した手紙は見つかってるようだけど。

24 :
>>21
あとは、はっきりいってこじつけです。こわかったんでしょう。
本質は「われおもう、ゆえにわれあり」、神は不要とよむのはまともだとおもいます。
デカルトはほんとはなにかんがえてたんかまでは?です。

25 :
>>21
>「私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される世界もある」・・・・?
「この懐疑は存在する(ことは疑えない)」まではいいとして、
どうして「存在する懐疑」が「世界を展開させる理性」にまでレベルアップするのです?

26 :
そうだそうだ!

27 :
>>25
>「私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される世界もある」・・・・?
すみません、かきかたがわるかった。
私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される、つまり世界はある、といいたかったんです。
>>どうして「存在する懐疑」が「世界を展開させる理性」にまでレベルアップするのです?
するどい。「存在する懐疑」=わたしだけでは、世界の存在証明には不十分。
「世界を展開させる理性」=創造主としての神の存在が不可欠、ということですね。

28 :
>>27
んー・・・
なんだか結局、全ては「神頼み」ってな感じなんですかね・・・

29 :
デカルトがいるのにケンサツルトがいないというのは
いまの検察不審時代への予言だったのでしょうか。

30 :
>>20
デカルトの「懐疑」で重要なのは、「方法論的」と言われるところです
つまり「懐疑」自体が目的なのではなく、
懐疑を通して、相対的に確実な根拠は何であるかを見つけることが重要です
そして、神の要請は、「方法論的懐疑」が終わった後に出てきます
最終的に、デカルトに同意できなくても、
面白いから、自分で「省察」を読んでみたらいいよ
>>21
言いたいことは分かるし、半分は同意なんだけど
デカルトの「省察」での議論の展開からは、少しずれてるんじゃないかな?
あと、デカルトが、どこまで「仮面」をかぶっていたかは議論の分かれるところですね
>・目の前のすべてを懐疑、でもそうかんがえる自己の理性はある。
これは
1)すべてを懐疑してみる
2)しかし懐疑しているという事はある
3)この懐疑している、を原理に据えられるのではないか?
4)つまり懐疑している「もの」がある
と分解で来て、3から4の間に飛躍があるのではないか?
というのは昔からよく言われるところです
つづく

31 :
>>21
>そして私のこの理性を中心に世界のすべての現象が展開される(世界も、ある)。
>・ここまでだと、神はいりません。「わたし」がいれば、世界は存在できます。
ここは、デカルト自身の議論から少しずれています
重要なのは、疑う私が確保された後で
そうした私に現れる世界がある、ことが確認されますが
そこで、もう一度デカルトは問うことです
そうやって現れる世界は、悪い精霊が適当に見せている世界なのではないかと
サイバーパンクものでは、おなじみの疑問ですね
神が登場するのは、まさにそうした文脈です
「神は善なるものなのだから、私に現れる世界は正しい世界であるように世界を作っただろう」と
ほとんど詐欺ですw
しかし、ここにデカルトによる、世界の「我」による基礎づけの失敗を読むことも出来ます
つまり「神を持ち出さない限り、疑う我による世界の基礎づけは出来ないのだ」と
あるいは、この「神」を、抽象化してとらえれば
「疑う我による世界の基礎づけは失敗する」、しかし「世界は所与のものとして与えられる」という
見解を、キリスト教的な枠付で述べなおしただけなのだ、と21さんのように言う事も出来ます
そうすると、それは、決してそれほど単純な議論でもなく
またキリスト教的な古い議論でもなく
きわめて現代的な基礎づけの不可能性を語る議論でもあるわけです

32 :
>>30
思惟上の実体=イデアの観念があるから飛躍があるではないでしょうか。

33 :
>>30
省察を読んでもピンときませんのでね。
神を要請できるぐらいなら、(方法的)懐疑などしないで
最初から「神任せ」で良いのでは?
神を要請した時点で、全てぶち壊しとは思いませんか?

34 :
>>30
ぼくのいいたかったことぜんぶ伝わってるようです。すこし本からずれてるのは
文献読解というよりじぶんでかってにかんがえてるからです(笑)。ちょくちょく修正してくだされば。。
世界の存在はおいといても、懐疑するわたしの存在には神さんはいりませんよね。
また、33のいうように、神もちだせばなんでも説明できちゃいます。絶対者なんですから。
わからんですね。デカルトはことばたらずで。

35 :
>>33
そこの部分は、当時支配的であったスコラ的神学における
神と世界と我の関係との対比で考えないと
デカルトの議論がいかに革新的であったかが見えにくいと思うよ
非常に単純化してしまえば、旧来の神学的な枠組では
1)神が世界と魂(我)を作った(この段階で世界の「存在」は神によって保障されている)
2)そうした被造世界のなかで、我(魂)が、いかに世界を認識するか、できるか
というのが、問になる
デカルトの枠組だと
1)疑う我と、我に現れる世界がある
2)我に現れる世界の恒常性はどのように確保されるのか
という問になっている

36 :
デカルトが「神」に「絶対者」の意味を持たせていたかは疑問
俺は「神」という言葉が指し示すものを知らない
だから、俺は「神」という言葉であまり深くは考えない
デカルトの神の存在証明は
・「疑っているわたし」という不完全なるものがある
・完全>不完全
・完全なる何かがある
・したがって、完全なる世界が存在する
という論証だったはず
ここで「神」という言葉に求められる意味は「完全」ではないだろうか?
ただ、「疑うわたし」を「不完全」とする時点で、完全なる存在(≒神)を想定している
という批判は可能に思える

37 :
>>36
完全なる存在=ほかに比類なき存在(絶対者)といういみではそうずれはないんじゃないかな。
たしかに不完全→完全のくだりは?です。
>>35
まずデカルトの枠組みができた、そしてあとからそれが神学の枠組みにそうように調整した、というところですかね?

38 :
>>37
君が不完全→完全のくだりに?を感じるのは
方法論的懐疑を方法論としてではなくマジで受け取っているからと思われ

39 :
どういうこと?わからんです。
>>ただ、「疑うわたし」を「不完全」とする時点で、完全なる存在(≒神)を想定している
という批判は可能に思える
とあわせてもうすこし

40 :
>>35
それ、革新的ですか?
完全な神とは、プラトンのイデア論の焼き直しに見えますが。
私に現れる世界(イデア)の恒常性を確保(イデア界)・・・
ということで、プラトンと同じではないですか。

41 :
>21
あ、ごめん、間違えた
君は21って降ってたね
レスのどれが同一人物が把握してなかった
ちょっと別スレで議論してたついでに書いただけだからさ
過去ログに目を通すと俺が間違い

42 :
昔ね、グルってコテがいたんだ
俺はそいつと文学板でデカルトの話をしてたんだけど
グルが言うには、
デカルトの「神の存在証明」は
神を証明しようとしたんじゃなくて、世界があることを証明としているらしい
あまり書き込むと連投規制になるし、向こうが本業なんで失礼

43 :
>>35 >>40
35でおっしゃりたいのは、革新的なのは神の解釈の仕方ではなく、
論証のしかたが中世のようにまず神があり→世界、そして我がそれを理解するではなく、
まず我がある、そして神や世界としたということでは。
神からではなく我からはじめたのが革新的ということですかね。

44 :
デカルトは何で神なんて言い出したのか。
宗教裁判で死刑になるのが怖かったからなのか。
それとも独我論を回避するためなのか。

45 :
>>37
>>44
デカルトがどれぐらい当時一般的だった信仰を持っていたかは
未だに結論がでない問題なので・・・
弾圧を恐れた言い訳だと言い切るには
普通の信仰を持っていたと思える証拠もありすぎるので
あれが仮面だとしたら、デカルトは極めて優秀な嘘つき

46 :
>>42
>>36の最後の「完全なる世界」っていうのは
デカルトの表現の言い換えとしては言い過ぎだと思うけれど
36で書かれているような「神の存在証明」(本当は観念の問題が入ってくるのでもう少しややこしい)と
「神の存在証明を通して何を確保したかったか」は、別の問題で
後者の確保したかったものというのが、まさに「世界は我に現れるままにある」ということで
デカルトの場合、議論の道筋としては、あくまでもそれを確保するために「神の存在証明」が出てくるんだよね
という意味で>>35で言いたかったことは>>43さんの書かれている通りです

47 :
>>46
同意。
デカルトは、哲学について必要な省察の原型を作り上げたところに意味がある。

48 :
>>46
なるほど。かれの神のもちだしかたにやいやいいってもしょうがない、
それよりかれの生んだ真新しい思考方法のほうに意味があるというところですか。同意です。
>>普通の信仰を持っていたと思える証拠
「方法的懐疑」といった時点で、神も、教義も、たぶん一度は根底から疑ってみたはずでしょうけど。(文献ないだろうし憶測にとどまるけど。)
・ところで、彼はもともと数学者・科学者で、「方法序説」のほうは、生理学や気象学などの科学論文の序文のような位置づけだったきがしますが、
かれは科学や哲学と、宗教や神学の古い枠組みとを区別したことにもなるんでしょうか。
そのうえで、教義や神学にしばられず思う存分科学研究やったと。自信ないですね。経験論やなくて数学みたいな合理論だし。

49 :
>>48
・まあガリレオやらみたいにあたらしい哲学的根拠作らんでも科学やれてますから、
デカルトの科学の業績と哲学の業績は別でかんがえといていいんですかね。

50 :
>>48
それでも、デカルトの神にこだわりたい。
デカルトにとっての神は完全で、理性によって考えて行けば今は不完全だけど
ゆっくりと完全という神に近づけるだろうという、理性的な人間のゴール地点を設定したんじゃないのかな。
何でそこで神という言葉を使ったのか、これが疑問。

51 :
>>50
古来の神の意味は現代の神の意味とはかなり違うってことをまず
自覚するべきでしょう。
その常識的な意味であっても、引用として発した意味でも
貴方が感じているそれとはかなり違います。

52 :
>>51
そうですか?ぼくは50さんのいうのも一理あるんじゃないかなとも思います。
>>理性によって考えて行けば今は不完全だけど ゆっくりと完全という神に近づけるだろうという、理性的な人間のゴール地点を設定したんじゃないのかな
これは時代をくだって、19世紀のヘーゲル哲学での神の観念です。
じつはぼくも、我から演繹によって神を導きだすあたり、デカルトからヘーゲルまで一本通じているきがします。

53 :
デカルト以前の神とデカルト以降の神のちがいを考えるのもいいかも。
まあぼくの手にはおえません。
ただ、中世神学のときからずっと理性(思弁)によって究極のイデア=神にちかづきたいという欲求はあったでしょう。
デカルトもたんなる保身のでっちあげだけじゃなく、こういう意識も底にあったかも?。それはわからんですが

54 :
おいおい
不完全から完全を演繹できるはずがないだろ
演繹ってのは完全から不完全を導出する作業なんだから

55 :
>>演繹ってのは完全から不完全を導出する作業なんだから
わからん。数学の演繹は、公理(デカルトの我)からはじめて定理(神、世界)をみつける。
公理は完全で、定理が不完全てことないだろう

56 :
>>55
定理が公理以上の何かを語るはずがないだろ
「わたし」から「世界」を演繹するなんて
灰から純金をつくるようなもんだ

57 :
演繹は哲学者の得意技だろw 
哲学者は帰納ができない。帰納は高度な努力、専門性、検証をようするから。
よって、演繹に走る。たとえば、量子だのクオークだのという言葉を借りてきて、それから自己主張を展開する。

58 :
それが現代哲学者と哲学科ぶれのつまづきの石

59 :
吾から神ってのは帰納だな。カルトは自分で吾を発見したんだから。

60 :
デカルトって独身だったの?

61 :
デカルトとエリザベス女王はだったよ

62 :
>>61
イギリスにも滞在したことあるの?スウェーデン女王と出来てたんじゃなくて?

63 :
デカルトの言う我(われ)とは、
1概念としての自分
2外界と関係しながら非連続的な思考や感情を持つ自分
3場としての自分
の3つのうちのどれでしょう?

64 :
>>63
2番かな?

65 :
やっぱ2番ですかね。

66 :
>>65
で、デカルトは独身だったんですか?
カトリックの哲学者って性欲無かったんかな

67 :
毎日ーしてる独身ですが何か?

68 :
デカルトの「我」と仏教の「我」は違うものでしょうか?
仏教では「無我」と言うから「我」は否定してるかと思ったら、
「唯識」などと言って意識の存在は認めるので、
どうも違うようですが。

69 :
仏教の我は、世界を構成する一部としての自分のような気がした。
デカルトの我は、世界から離れた考える自分でしょ?
素人感覚だけど。

70 :
>>63 >>68
1、概念としての自分でないのはたしかでしょう。
2、これはヘーゲルのいう自己です。
3、これでしょう。ほんらいは我から世界を導出するのに神はいらんだろうとぼくがおもったのはこの意味でです。

71 :
西洋の思想史・哲学史に登場する「神」ですが
中世の神学内部でも、神が実際にどのように世界に関わっているかは人により様々です
スコトゥスの神とトマスの神はかなり違う
ですので、哲学史的な観点から古い思想を見る場合
神、という名前自体への拒否反応でそれを除外してしまうのではなく
まず、そこで語られる神が、議論全体の中でどのような役割を果たしているかを見る事が大事だと思います
>>48
時代的には、科学と哲学は今のようには分化してはいませんでしたので
当時のような言い回しをすれば
それによって「諸学問」の基礎づけをしようという意図はあったわけです
ところで、一方で疑い、知覚し、知的活動をする我を基礎に据えつつも
その我に現れる現象が、本当に世界の間違いのない現れであるのか
(それが保障されないと、諸学問は、我によって基礎づけされません)
そこの点は「全能の神は欺かないはずである」という命題によって保障します
これは、もちろん今から読めば「基礎づけ(主義)」の失敗・不可能性を示しているとも読めるわけです
しかし、だからといって、今の時点の視点から「だから無意味だった」というのは性急です
というのも、そうした論理の組み立てにより、我による基礎づけという議論のパターンを打ち立て
それが有効かどうかを議論しうる形に仕立てたのがデカルトだとも言えるからです

72 :
自分が今見ている世界は、悪魔が見せてる悪魔的なものか夢かもしれない、
と考えるよりは神様が見せてるものと考える方が気持ちいいからじゃないの。
今自分が見ている世界が、いい加減な夢や悪魔の作り出した滅茶苦茶な影絵だとしたら、
世界について理性的に真面目に考える気持ちが萎えるからではないかな。
結局デカルトは神様を持ち出すしかなかったんだと思うよ。
デカルトを読むときに、デカルトの考えた神様の部分は出鱈目だから無視して真面目にとらなくてよいという人がいるけど、
本当に無視していいのかな?

73 :
神はデカルトの思考ベクトルの基点みたいなものだから無視したらぶれるんじゃないの
カトリックはー禁止してるんだと思ってた。デカルトはーしてたのかな。

74 :
だれか、デカルトとバークレーを比較考察してくれ

75 :
デカルトのほうが自然科学者だよね。自分が最初にデカルトを知ったのは、哲学者としてではなく数学者として、くらいだも

76 :
>>72
世界は理性的で調和あるものであるはずだという西洋人の信念ですね。
とにかくなにかしら世界があればいいんじゃなく。でもこの特異な世界観自体はどこからきてるのか。
キリスト教神学くさい。そして、はじめは先入見なくえらく慎重に考察していたデカルトが、
こういう先入見を途中でもちこんだところが彼の失敗だったんじゃ?と。

77 :
母の匂いが忘れられなかったんだよ。母がカトリック神を信仰してたから、神に疑問を持てなかったんだよw

78 :
デカルトは生涯の大半、カトリック教会からの給金で生きてたんだから、
神の存在の否定とか無理。公明党議員に日蓮批判をもとめるようなもん。

79 :
>>76
ふざけてるけど、いがいにそれが真理 すりこまれてます

80 :
宇宙の語源であるKosmosは調和を意味する。
世界は理性的で調和あるものという信念はたぶんギリシャ起源。

81 :
デカルトの『省察』が岩波文庫に無いのはなぜ?もしかして哲学専攻ではない素人には難しい?
『方法序説』を読み終えて、これから『情念論』を読みます。

82 :
>>69
デカルトの我は世界から離れた考える自分でしょ、に賛成!しかし世界と離れて(外部と関係なしに)
ある自分など存在できるだろうか?それは具体性を欠いた抽象にすぎないのではないか。考えるあるい
は疑うとは、何かについて考えたり疑うことだと思う。「何か」とは外部なしにありえない、一つの外
部を認めるとそれと関係する他のものを認めざるをえない。それと関係する他のものを認めるとまたそ
れと関係するものを認めざるをえない・・・こうして無限に続くだろう。その極北にはこの認識は正し
いと保証する「神」のようなものを考えざるをえない、デカルトの「自分」だけでは支えきれない。

83 :
俺もよく知らないが、仏教のような宗教は関係の中に自分が存在したりしなかったりするとしたのかな。
デカルトは関係の外に特別な自分が常に存在するとしたのかな。

84 :
デカルトを極限まで突き詰めると、究極的には自分の存在のみが正しくて、自分以外は間違いということかな。
それでは単なる独我論になってしまうし、自分は能力や知識において不完全なのに正しいってどういうこっちゃ?という矛盾が出てくる。

85 :
>>84
デカルトが論破を試みたのが独我論
独我論を論破するために「われおもうゆえにわれあり」を言った
こう解釈するとデカルトの言ってることはすっきりする

86 :
そうかな?当時は独我論は存在しなかった(できなかった?)んじゃないかな。
逆に、デカルトが独我論を存在させることが可能な思考を作ったように思うけど。

87 :
>>86
デカルトが『方法序説』第4章で「われおもうゆえにわれあり」と言った時
デカルトは議論相手を想定していたんですよ
その人物の名前は第1章で挙がってます
当然デカルトは「独我論」とは呼んでません

88 :
>>82
世界と離れて(外部と関係なしに) ある自分など存在できるだろうか?
内界と外界をわけて考える二元論をとるか、独我論や仏教の唯識のように内界に一元化して考えるか。
あるいは唯物論のように外界に一元化するか。どれもあり。デカルトはどれでしょう。通説は?

89 :
方法序説でデカルトが言ってるのは、
“ある物が本当に存在するかどうか確信を持てないのは、ある物を感じる自分が不完全な存在だからである。存在するか判断する依り処は神から与えられた能力だから、神は存在する”
ですか? 正直よく分かりませんでした。

90 :
学校の先生が、デカルトはde-cult(脱宗教)をもじった
架空の思想家だという説があると言っていましたが、何かソースがあるのでしょうか?

91 :
やはり問題の核心は第一原理にあると思う。「cogito,ergo,sum」は通常「われおもう、故にわれあり」
として知られている。この文を考えてみるとおかしなことに気づく。「故にわれあり」の前に「われ」が
ある。結果より先にすでに「われ」というもの又はことが想定されている。われというもの又はことが、
どのようなもの(あるいはことがら)かはっきりしない内に前提されている。論理としておかしいといわ
ざるをえない。この矛盾をさけるためスピノザという人が「cogito,ergo,sum」を「われおもいつつ存在
する」と単一の文と考えることを提案した。しかしそれでも「われ」が前提されている。この第一原理は
意識に直接与えられたもの(疑ってもこれ以上さかのぼって疑えないもの)でそこからしか出発できない
ものでなければならないはずだ。ウイリアム・ジェームズなら「純粋経験」というかもしれない。たとえ
ば生まれたての赤ちゃんやまだ母親のおなかのなかにいる赤ちゃんに通常の意味での「われ」があるだろ
うか?

92 :
>>91
>「故にわれあり」の前に「われ」が ある。
そうじゃなくて消去していったらわれが残ったって話。

93 :
消去していけば、疑いしか残らないが。

94 :
>>93
疑いは思考できないだろw

95 :
>>92
おっしゃるとおりだと思う。じつは「われ」というのは疑う、考える、思う、消去する、といった述語
のあとにあらわれるものなのだ。しかし「われおもう、故にわれあり」とするとまず「われ」というも
のがまずあって、それが疑ったり、考えたり、思ったり、消去したりすると誤解されかねない。事実、
デカルト主義者といわれた人の多くはそう考えた。その小さな誤りは大きな誤りとなっていくだろう。

96 :
>>94
それも疑える

97 :
一応、デカルトを「可能性の中心で読む」ことと
デカルト自身がどう言っているかは区別して考えた方が良いでしょう
デカルト自身は、周知のとおり、「方法序説」では、はっきりと
考える我の存在という話の文脈で「je pense, donc je suis」が出てきますし
「省察」でも、Ego sum, ego existo, quoties A ME profertur, vel mente concipitur, necessario esse verum. と
議論は常に「我」を中心に回っていることを無視してはいけません
もちろん、そのことと、それをどのように読むか
読むことで可能性を引き出すか、は別問題です

98 :
たとえ別問題であっても、非常に重要な関係を持つ問題で、
これを関係ないとして切断して互いの関係を遮蔽すべき問題だとは思わないけど。

99 :
>>98
うん、いいんじゃないか、つか、わかるよ、それ。
で、そっから先じゃん、そっから先を展開してよ。

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