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2013年04月心と宗教269: 仏教 議論スレッド 63 (947)
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仏教 議論スレッド 63
- 1 :2013/03/24 〜 最終レス :2013/03/31
- 仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
前スレ
仏教 議論スレッド 62
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1363500909/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
ttp://ci.nii.ac.jp/
ttp://www.jstage.jst.go.jp/AF13S010Init/-char/ja/
ttp://www.inbuds.net/jpn/index.html
パーリ三蔵
ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
ttp://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
- 2 :
- お邪魔しますよ! これにて本日
のマーキングはお仕舞い www
- 3 :
- 大震災、福島原発事故、このままいったら、日本はなくなってしまうのではないかという
感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに無機的な、空っぽな、ニュート
ラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。
あんな風にはなりたくないものだと思うが、あの気持ちはよくわかる気がする。
国家の滅亡は、多くの場合、道徳の退廃と宗教への侮蔑の次にくるものです。
- 4 :
- 本来の宗教とは、イエス=キリストや釈迦が説いている。
信者が生きていく上で困難なことに遭遇しても「信仰によって
困難を克服する糧を教え」実践するものなのだが。
日本では、現実に、仏教や神道やキリスト教を装って(悪用)た新宗教が蔓延り、
信者に「マインド・コントトール」を施して、信者が辞めないように生かさぬよう
殺さぬよう一生涯にわたり、徐々にお金を搾り取る「インチキカルト」が大多数。
これらを撲滅させることも必要であろう、
釈迦の教えとは何か? イエスの教えとは何か?
- 5 :
- 世のすべてのものは移ろいゆく。
「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか
心の悟りは得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて
解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに
対する執着を断つこと。
- 6 :
- 釈迦の仏教ではバラモンのカースト(当時はヴァルナ)にこだわっってない。
プールナは商人、階層ではヴァイシャ、平民の階級。
それを釈迦は出家する、出家しないにかかわらず、空の悟りを開いて彼岸に行き、
悩める人々を彼岸の道に導けと諭した。
バラモン教では僧職をバラモン階層が独占したのに対し、釈迦は階級を設けず、
平等に開放したのです。これが釈迦仏教の特徴の一部分です。
釈迦は生前自分の仏像は作っていませんでしたが、釈迦入滅後数百年もたってから
仏像を作り、拝む習慣ができたのです。釈迦が最も嫌がったことだと思います。
- 7 :
- 前スレで仏教イコール仏像という間違った知識晒しちまった知的階層の低いバカ手かざし信者いる?(笑)
- 8 :
- >>6
>釈迦が最も嫌がった
それはさすがに、貴方の推測を投影し過ぎでしょwww
《「像を作成」し、「礼拝する」》ことを、「否定した・禁じた・嫌悪した」伝承ってどこにある?
チェックしておきたいんだが・・。
- 9 :
- 長阿含経 遊行経より抜粋
ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、
供養するゆえんではない。アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗
の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、よく法に従って行ずる者こそ、
如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。
さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」
つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、
法を知りそれを実践することである。
- 10 :
- >>9
イ: 意味ある供養 (≒善行)
(すべき行為、推奨される行為)
― ロ: 文化的慣習、敬意・思慕・尊崇の想いの表出
ハ: すべきでない行為 (≒悪行)
避けるべき行為、否定される行為
イロハのイではない、としか言われてないようだが?
- 11 :
- >さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」
> つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、
>法を知りそれを実践することである。
ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを
実践することと言っているのである。
そのことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」と思います。
- 12 :
- >>11
?
それでは悟りに資さないってだけで、否定までされてないと思うが?
(法句譬喩経護戒品に、私を見ていない、と言われるだけの如く。)
「花や音楽を捧げるな」と言っていない点が重要だと思うがね。
それでは供養になっていない、というだけで。
- 13 :
- ブッタは生前「私を拝んでもなにも益は無い」と説いていました。
つまり「偶像崇拝は禁止」です。
ブッタ入滅後,足形を拝み、法輪を拝み、仏像を拝む仏教の派閥がでてきただけ。
基本は仏法(仏の教えこと)による「自灯明」だと思います。
- 14 :
- >>13
いやいやw
だから、「禁止されていない」でしょ?とw
- 15 :
- ・「依法不依人」=法に依って人に依らざれとあります。
偶像崇拝を直接禁止した訳ではなく、ブッダが入滅する少し前に、弟子たちが、
ブッダが入滅したその後はどうしたらよいのか、と尋ねたところ、
・「汝らは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、
法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい」
と、教えたそうです。仏典は涅槃経だと思います。
何度でも記述しますが、直接禁止したのではなくとも、言葉の行間や裏読みす
れば、プッタは、自分の仏像作られ拝まれつのは嫌だったでしょう。
ブッタの心情を考えれば宗教的には、偶像崇拝は事実上禁止でしょう。
- 16 :
- >>15
だからwwww
>直接禁止したのではなくとも、
と
>嫌だったでしょう。 & >事実上禁止
の間に飛躍があることがわかりませんか?
まさに、 >裏読み を超えていないわけです。わかります?
また、「葬儀を取り仕切ること」と「香華(灯燭)を具える・献ずること」とは別事(異質)ですよ?
寧ろ後者は、六方礼経に於ける説示に近接します。
- 17 :
- ブッタが嫌なことを知りながら、仏像作って拝むのが宗教なのでしょうか?
- 18 :
- >>17
だからwwwww
『 >嫌がった 』 わけじゃないでしょう?
と言っているのです。
(また、時代背景まで考慮すれば、
在世当時は像の作成自体が想定すらされていない、
という面もありますよ。)
- 19 :
- ブッダは形而上学的な問題は人生の苦の解決に役に立たないとして切り捨てたのです。
「大乗仏教の時代になって神を創作し、ギリシャの真似をして仏像を造り始めた」。
創作したのは神ではなく阿弥陀仏や弥勒菩薩などの諸仏、諸菩薩です。
仏像は1世紀末ころヘレニズム(ギリシア神話とか)とイラン文化の影響の下に現在
のパキスタンで作られたのが最初のようです。
ブッダはインドに根付く輪廻思想の影響はあきらかに受けていますが。
神は梵天勧請くらいしか仏伝でも出てこないですし、これも後の創作でしょう。
「無師独悟」がひとつのヒントです。
- 20 :
- ブッタと今の大乗はべつもの
- 21 :
- >>19
パーリの仏典に神々が教えを説いたものがあるそうですよ?
第一次か第二次の結集のときの経にね
- 22 :
- >>19
仮に、 >切り捨てた という言い方を承けたとしても、
それは、「行や教えの中に組み込まれない」というだけのことでしかありません。
在家にRが禁止されていますか?
花や音楽でなく、言葉で(法や聖者を)讃嘆することは禁ぜられていますか?
言葉で称賛することと香華で称賛することとの違いは何ですか?
- 23 :
- 基本的に仏教は偶像崇拝を禁止しています。
しかし、小乗仏教であれ大乗仏教であれ現在は仏像を拝む事はめずらしくありません。
これは偶像崇拝を行う他宗教の伝統を取り込んで仏教が発展した為と言われています。
大乗仏教である法華経を信仰する日蓮系仏教では、現在でも偶像崇拝を禁止しています。
その為、仏像や仏画などを礼拝の対象に利用する事はありません。ただし、はたから見て
仏像と同様の役割をする曼荼羅を掲げている為、日蓮系仏教を理解していない人から見る
と仏像が曼荼羅に置き換わっただけの様に見えてしまいます。
日蓮系仏教の中でも「日蓮正宗に破門された創価学会」に至っては
仏具に対する執着は殆ど持っていません。
- 24 :
- サロメさん天国を信じてるの?
真宗が浄土をしんじてるみたいに
- 25 :
- >>23
だからw
「禁止はしてない」って言っとろうがw
- 26 :
- 親鸞聖人を崇める
渡海 難氏は最近みかけませんね。
- 27 :
- >>19
>神は梵天勧請くらいしか仏伝でも出てこないですし、これも後の創作でしょう。
>「無師独悟」がひとつのヒントです。
原始仏典(スッタニパータ、ディーガニカーヤ)には度々登場しますよ。
梵天、大梵天、神々、夜叉、悪魔等々。
逆に大乗で出てこないのであれば、後世の改竄でしょう。
- 28 :
- ブッダは、直接偶像崇拝について何もかたっていませんが、類推できる経典がある。
「ブッダが、死に瀕して沙羅双樹の下に横たわっていた時の話です。
ブッダを供養するために、沙羅双樹は季節でもないのに花を咲かせブッダの体に降り注ぎました。
そして、天から美しい音楽が流れてきたときのことです。 長阿含経 遊行経より
ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、供養するゆえんではない。
アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、
よく法に従って行ずる者こそ、如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。さればアーナンダよ
ここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記るがよい。」
つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを実践することである。
と言っているのである。
ことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」という解釈ができます。
- 29 :
- >>931
>スッタニパータと阿含経典の一部にかなり古い古典的な文脈の文章が残ってるらしいです。
>中村さんによると。
スッタニパータや阿含経典(南伝では長部経典)でしばしば同じ説法(文脈)が繰り返されますので多分それがヒントかと思います。
@(スッタニパータSn.29)
師は答えた、「牡牛のように結び縛めを断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、私はもはや母胎に入ることはないであろう。」
A(スッタニパータSn.82以降)
彼は悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことはなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
I(スッタニパータSn.754)
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
上記の文脈はスッタニパータだけでも10箇所(BSn.152、C278、D486以降、E535、F547以降、G569以降、H727)は確認されております。
- 30 :
- ユダヤ教、イスラム教、キリスト教(プロテスタント系)は、
偶像崇拝は禁止です。
高度に洗練された宗教は、偶像を崇拝したりしません。
仏教も然り。
- 31 :
- >>29
以前、オイラ氏が解説されていたように、まず釈尊は衆生に輪廻を説明し、次にその苦しみから解脱する方法を説いて廻られたと思料します。
- 32 :
- あれだな、
「人はパンのみにて生くるにあらず」を
「パン無しで生きろ」と解釈するようなもんだなw
- 33 :
- 聖書では、頻繁に偶像を禁止しています。 日本の神道でも、聖書を忠実に守るかの如く
偶像はありません。 聖書で偶像を禁止しているのには深い意味があると思います。
偶像は、人間が造りだしたものです。
仏像を拝むというのは一種の偶像崇拝です。仏像を拝む行為は偶像に願をかけ、
欲得で埋めるものです。偶像崇拝というのは、ちょっと考えてもそういうものです。
聖書で偶像崇拝を何度も禁止しているのは、悪魔(魔物)に願をかけても、決して
運気が上がらないからです。悪魔とは、「必ず取引条件」があり、しばらくして
運気が大いに下がることになります。
古代イスラエル史を聖書で読むと、偶像を崇拝しては集団で運気が下がり、ついには
多民族からの支配を受けてしまうということの繰り返しです。
偶像にではなく、目には見えなくとも確実に存在している神に対して感謝を捧げる
だけで十分なのに、偶像に走るというのは、本当に愚かなことです。
- 34 :
- >>33
>仏像を拝むというのは一種の偶像崇拝です。仏像を拝む行為は偶像に願をかけ、
>欲得で埋めるものです。偶像崇拝というのは、ちょっと考えてもそういうものです。
教会や聖堂でも、十字架のイエス像やマリア像があってクリスチャンが祈っておりませんでしょうか。
- 35 :
- 在家さんへ
>>前スレ348、665
>白色大同胞団とエッセネ派ユダヤ教、クムラン宗、ナザレ派との関係
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1328334664/603-605
- 36 :
- >>27
梵天勧請は仏教に「神」は不要というメッセージなのにそれすら「ブッダへの勧請感謝しております梵天様」などと邪径邪見の極みを晒してたバラモン教手かざし鼻糞カルトおはよう(笑)
- 37 :
- 「人形に少女の霊が宿ってる」的な視点から一バカ在家は当然偶像崇拝を受容するオカルト乞食(笑) そーいえば立教者の純金像もあったっけ(笑)
- 38 :
- >>29
>上記の文脈はスッタニパータだけでも10箇所(BSn.152、C278、D486以降、E535、F547以降、G569以降、H727)は確認されております。
参考:「ブッダのことば スッタニパータ」中村元、岩波文庫
@(スッタニパータSn.29) 第一 蛇の章
師は答えた、「牡牛のように結び縛めを断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、私はもはや母胎に入ることはないであろう。」
A(スッタニパータSn.82以降) 第一 蛇の章
バラモン・バーラドヴァージャは悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことはなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
B(スッタニパータSn.152) 第一 蛇の章
諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
C(スッタニパータSn.278) 第二 小なる章
実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれ変わり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。
D(スッタニパータSn.486) 第三 大いなる章
スンダリカ・バーラドヴァージャは悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
- 39 :
- >>38 続き
E(スッタニパータSn.535) 第三 大いなる章
諸々の汚れと執着のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない。
F(スッタニパータSn.547) 第三 大いなる章
サビヤ長老は悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
G(スッタニパータSn.569) 第三 大いなる章
セーラは悟った、「迷いの生存のうちに生まれることは消滅した。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
H(スッタニパータSn.727) 第三 大いなる章
彼らは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。彼らは輪廻を終滅させることができる。彼らは生と老いとをうけることがない。
I(スッタニパータSn.754) 第三 大いなる章
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
- 40 :
- >>665 一在家
>師から白色大同胞団とエッセネ派ユダヤ教、クムラン宗、ナザレ派との関係が説かれたことがあります。
キリスト教議論板 >>603 >>604 >>605 宝珠氏
詳細な解説を真に有難うございました。 よく分かりました。
40年以上前に師は弟子達に伝えたとのことですが、「ハイアラキー」から直接的か間接的かに伺ったのかも
知れませんね。よく符合しておりますので。
>(アストラル体レベルでは、その他の地域や内界で修行しました)。
これならば、インドや日本へ飛んできて修行も可能ですね。
- 41 :
- >>39
>I(スッタニパータSn.754) 第三 大いなる章
>物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
この「非物質的領域」は、天、浄土、地獄でしょうか。
因みに梵天界もそうですが、梵天クラス(菩薩の頃の釈尊を含む)は流石に消滅を知っていて「衆生済度」ゆえに意図的に再生されるようです。
- 42 :
- >>41 で、キリストが青森で修行したっつー与太話を補強するわけか(笑)(笑)(笑)
おまえはバカか(笑)
- 43 :
- 教会や聖堂でも、十字架のイエス像やマリア像があってクリスチャンが祈っておりませんでしょうか。
プロテスタントは、聖書を一字一句間違いないとしていますので
寓像崇拝を禁止しています。
カトリックは偶像崇拝(マリヤ崇拝も)、していますね。その結果ローマは滅んでしまいましたが。
- 44 :
- >>41
>この「非物質的領域」は、天、浄土、地獄でしょうか。
>因みに梵天界もそうですが、梵天クラス(菩薩の頃の釈尊を含む)は流石に消滅を知っていて「衆生済度」ゆえに意図的に再生されるようです。
このスレで釈尊は形而上学的な話は無記だと主張される方々が多いですが、「非物質的領域」は形而上学的な話のように存じます。
やはり異教徒や初心者には無記だったという四悉壇のように思います。
- 45 :
- インドで発症した仏教は、現在、日本にさまざまな宗派があり
「十三宗五十六派」あるといわれています。
元々一つ釈迦の教えがこんなに分裂して何処が、正当な釈迦仏教なのか
皆目見当もつかなくなっています、偶像崇拝したからかもしれません。
- 46 :
- 面白いわよ! (o^ Д^)シ彡☆
親父のチンポしゃぶりてぇ。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1357370851/
- 47 :
- >>46
お前、頭悪いなw
各宗派の違いが偶像の有無だとでも思ってんの?w
つか、
まず手始めにインド仏教史を概観してから発言した方がいいと思うよ。
さすがにアレコレ知らな過ぎでしょ・・w (^^;
- 48 :
- アンカー間違えたら、連鎖あぼんで自分のレスまで消えとるwww
- 49 :
- 「衆生済度」ゆえに意図的に再生?馬鹿じゃねーの?(笑)
スッタニパータに書いてあんだろ?神神も執着を捨てよとブッダに嫌み言われてんくらいぐるぐる回ってんだよバカ在家(笑)
- 50 :
- 「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか
心の悟りは得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて
解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに
対する執着を断つこと。
- 51 :
- 人が、この世に誕生した理由は、煩悩にとらわれて、
ブッタと同じ悟りが開けないから。
悟りを開けら極楽浄土(天国)に行ったままです。
- 52 :
- ブッタの教えは、いにしえのインド人のための教えであって、
現代人の日本人に説いたものではありません。
イエスも、いにしえのユダヤ人のために教えを説いたもので
現代の日本人のために説いたのではありません。
時代も文化も全く違いますので。
- 53 :
- >>47
話が噛み合って無いわよ!
しっかりしなさいよ!(。>д<)
- 54 :
- >人が、この世に誕生した理由
宇宙が誕生したからさ
ただそれだけ
神なんていない
宇宙は消滅と誕生を永遠に繰り返すので
56億年後には地球はなく
別の宇宙領域で発展消滅を繰り返すね
- 55 :
- 前スレ>>999
>心の問題はどうすんの?
心など、各人とその状況によって百人百様。また、他人の心は分らない。
そんないい加減で当にならない「心」など持ち出すから、宗教には殺し合いと
争いが絶えないのだよ。
- 56 :
- >>55
はあ?w
心療内科、精神科、神経内科、各種カウンセリング、
或いは各自治体やNPO法人等の心の悩みの窓口等は、いったい何を扱ってるんだ?
或いは、親が子供に「痛いの痛いの飛んでけー」ってやるのは、
あれは肉体的苦痛の緩和治療なのか?w
達磨安心は世俗では通用せんぞ?w
つか、「心」に問題が生じないとでも思ってんの?w
つか、まさか、『「心」なんて無い』という考えの人? ┐(´ー`)┌
- 57 :
- つか、
終末医療のことも何も知らんのやな・・・。 >>55
末期医療の臨床の現場で、「心」の問題がどれほど重要か。
薬剤投与や物理的治療で対処できない領域があることくらい、
ちょっと調べれば分かりそうなもんだが・・・w
ああ、そうか。
投薬して或いはロボトミー手術でもして朦朧とさせて、何も考えなく・感じなくさせて解決するのか。
そりゃ手っ取り早くて良いわなwwwww
- 58 :
- >>57
鬱病患者が苦行できるって思い込む自称精神医学に詳しいおじいさんに言うだけ無駄でしょう
- 59 :
- 心、心と叫ぶ宗教や現代のほうが、心が荒んでいるという事実。心のために
人までR。
「心の専門家はいらない」という本が出ている。
心理学や精神医学では、心で心を判断するのではなく、行為という認識可能な
外観で判断する。
- 60 :
- >>58
鬱病患者は、既に常に苦行している。それ以上の苦行は必要ない。
どれほど苦しいものか、分っているのか?
- 61 :
- 老化とは、細胞の糖化。
http://www.yobouigaku-kanagawa.or.jp/kenkana/377-1.html
糖化反応 -wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%96%E5%8C%96%E5%8F%8D%E5%BF%9C
中年ぶとりは・・・
http://www.sawai.co.jp/kenko-kakeibo/topics/vol13.html
老化の原因の一つ「糖化」を予防する運動
http://www.self-medication.ne.jp/kenkoundo/2012/10/58/
若返りと細胞の糖化
http://www.antiaging9.net/cp451.html
ロート製薬、「表皮細胞」の糖化が肌の透明感を左右することを解明
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=323483&lindID=4
糖化たんぱく質が他の細胞を攻撃する
http://dietfood4u.com/109.html
[ためしてガッテン]ストレッチ 1月25日/呼吸筋ストレッチ コラーゲン 糖化
http://blg.mania-info.com/?eid=1403
糖尿病 -- その5 まず、症状を知ろう
http://pine.zero.ad.jp/~zaf44755/html/gs-info/g-info-5-1.htm
ストレッチで血管年齢を若返らせる,(コラーゲンの糖化を改善する)
http://as76.net/health/stretch.php
酸化と糖化は老化の2大原因
http://kaneshou-1.org/cat0004/1000000112.html
- 62 :
- 仏教やキリスト教や神道
他の新宗教が20万以上もあって人救いを掲げているのに
10年間も三万人以上が自Rる日本はおかしな国だw
- 63 :
- >>62
釈迦の「一切皆苦」と「輪廻転生」が原因の可能性がある。彼は「生きること」
を教えなかった。
- 64 :
- 釈迦が、「人が苦難に遭遇した時の糧となる教え(信仰)」を説かなかったから?
- 65 :
- >>64
釈迦は、煩悩が「生きていることの証」であることに思い至らなかった。
「煩悩を去れ」とは「R」と言うこと。愚かさ極まりない。
そもそも、生命を、無明、無我として否定している。
- 66 :
-
> 彼は「生きること」を教えなかった
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
輪廻からの解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
そして,中論も 『 我、我所を滅する因縁によって,無我、無我所を得て、智慧を決定する 』 と言うことであるらしい
- 67 :
-
> そもそも、生命を、無明、無我として否定している
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
- 68 :
- >>前スレ972
>唯一、宝珠が使用するから、「神智学」には引用されていると言えるかもしれんがw
いえ、全然ないですから!
私が投稿する仏教内容のすべては、まるまる“私個人の理解に拠るもの”です。
ハッキリいっておきますが、
神智学で仏典が随所に引用提示されて仏教の教学が細部に渡って論じられているなどはありませんから。
私が参加するグループでも仏教論議が沸き起こることなどはないし、
ましてや仏教の知識についてなどは一般と同程度くらいしてか持ち合わせていないですよ。
神智学徒である私がたまたま、仏教を元々かじっていたというだけのこと。
>>40
>>(アストラル体レベルでは、その他の地域や内界で修行しました)。
>これならば、インドや日本へ飛んできて修行も可能ですね。
(可能か不可能かでいうと)可能ですが、イエスが当時、日本に来ていたという情報は今のところ私は
入手してません(肉体でもアストラル体レベルでも)。
イエスの死後、彼は7年後のすぐにティアナのアポロニウスとして転生して、その生涯で第五イニシエー
ションを受けました。このアポロニウスがカシミール地方を遍歴してこの地で埋葬されたのです。彼は当然、
イエスであったときの記憶をすべて保持しており、そのためにイエスがこの地(北インドやチベット)を訪問
していたという伝説やイエスは十字架上で死なずに生き延びた、という誤った伝説を作ったのです。
- 69 :
- 仏教は現世を火宅とし生きるに
値しないと言ってますからね!
また二度とこの世に戻らない事
を彼岸に渡るとも表現していま
す。この世を生き地獄とする考
え方は何故か心地良いですね♪
南無 (*^人^*)
- 70 :
- >>前スレ83-84
>だからw
>それは仏教ではないし、お釈迦さんの名前を出すのは筋違い、
>ということです。
あなた方がいうところの仏教
(それが「伝統仏教」であれ、「正統仏教」であれ)に対しては、
この私は、“ゴータマの教えの正しい継承”であるとは見なしていません。
>縁起しないものだから、「“どこか”にある」とか「“存在として”コレである」とか言い得るものでない、
>ということがウダーナで示されているというのに?
了解しています。
- 71 :
- 1/2
>>前スレ107
>あるいは、なんで涅槃も法に含めたの?
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎり、
それは生滅変化する現象の法に限られていた。(p112) われわれにとっての世界は現象界のみである。
この意味における一切の現象界を仏教では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの
現象界に限られる。(p127)
部派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加
えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏
教とは違った性格のものとなった。(p143)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
このように涅槃を勝手に一切(法)に含めたのは部派であり、それは本来のゴータマの教えにはなかっ
たことというのが水野氏の解説におけるポイント部分ですよ。だから、一切(法)の中に涅槃を含めると論
理矛盾が生じるという在家さんの指摘は正しいものです。
間違いは、やはりどう見ても間違いなのだから、それはどうぞ素直に認めてください。素直でないとダメ
だとというが仏教の教えの基本では?ゴータマも古い信仰(間違った価値観と迷信)は捨てるようにいわ
れていますよ。(Sn.1146) もし、それらが唯一なる「伝統仏教」なのだというならば、その伝統仏教とやら
が間違えてきた証拠ですよ。
- 72 :
- 2/2
「無我」の“アートマンはない”が意味的に通用するのは、精々、一切(有為)内だけです。時代の変色を
帯びて、無我が“アートマンはない”という本来はなかった使われ方をしたのは部派影響に拠るということは、
一代が天才と賛美する石飛氏も言及されていることです。
『「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我ではない」という意味です。--中略--
ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな)
これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入っ てくるということ
です。』(管理人エム/マニカナ掲示板過去ログ2739.)
『ところが、やがて此の“アートマンでないもの”ということが“アートマンを有しない”という形容詞として用
いられ、我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。』
(武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)
- 73 :
- 神話みたいなエピックばっかり拾って現実との境がわからなくなってしまったアタマのおかしい常見カルト一在家いる?(笑)
- 74 :
- >>73
君は一度病院で診てもらった方がいいと思うぞ。君の在家に対する粘着は異常だから。
2chには君のような異常者で溢れている。
- 75 :
- >>63
>釈迦の「一切皆苦」と「輪廻転生」が原因の可能性がある。彼は「生きること」
>を教えなかった。
果たしてそうですか?
死んで天へ往くという教えでなく、釈迦は地獄のあり様も原始仏教では詳細に説いております。
日本の大乗ではあまり説かれていないのであれば貴兄の見解も分かりますが。
(参考)「ブッダのことば」中村元、P143-P148(第三 大いなる章、10.コーカリア)
- 76 :
- >>66
>//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
>そして,中論も 『 我、我所を滅する因縁によって,無我、無我所を得て、智慧を決定する 』 と言うことであるらしい
H(スッタニパータSn.727) 第三 大いなる章
彼らは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。彼らは輪廻を終滅させることができる。彼らは生と老いとをうけることがない。
- 77 :
- >>29>>38>>39>>41>>44(カルト在家)
>>71>>72(レイシズム宝珠)
一切内外に自性を妄想するアホ信仰につける薬はない
<有為法⇔無為法>の分裂症観念批判、一切外自性妄想心霊主義批判については済んでいる。
・仏教議論スレッド54 >>660>>661>>662 など
・同62 >>553>>573>>575>>576>>598、 >>963>>964>>969 など多数
無為法というような縁起撥無概念を生み出してくる背景には、神秘的超越主義の密輸入(特にシャンカラ的不二一元論の逆輸入)であり、
仏教のバケモノ超越仏への「信仰」宗教化戦略があったのである。
当該仏典および教説については、
・明証性 Sn.1066、1053参照
・果報認証性 同上
・客観的再現性 同上
・涅槃合目的性 Sn.737
・自力検証性 Sn.908
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想)を語っているからである」(相応部経典35-23 一切)
- 78 :
- >「パーリ仏教における涅槃」片山 一良 駒澤大學佛教學部研究紀要 59, 478-462
>,20010401
>CiNii PDF(ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580
『以上は、--中略--あらゆる有為法を欠く自性の無為法が涅槃であることを証明した部分である。(p474)
もし、「生まれもしないもの」などを自性とする無為界がなければ、この世において「生れるもの」などを自
性とする色などの五蘊と称する有為の出離は存在しないであろう。(p471) これに対して、「無余依」とは、
五蘊が残りとしてもはや存在しないことで呼ばれるものである。(p467)』(上記、片山論文)
曲解する傾向にある一代(>>前スレ85)とその他の勘違い仏教徒たち(及び、それらを擁護するセブン)
にいっておきます。
仏教理解においては、どうみても(縁起する)「五蘊」が「有為」であり、涅槃は有為とは異なるものとして
あり(対比して<縁起しない>「無為」と呼ばれる)、最終的に迎えることになる無余依涅槃は五蘊が完全に
消滅した涅槃境地だということになる。
従って、仏教でいう「一切」とは(縁起する)五蘊であり、“それ以外のものはない”といっているのであるか
ら、「一切行皆苦」という場合の一切には仏は含まないが、それ以外の、つまり「一切法無我」という場合の
一切には仏も含むなどという勝手な解釈は、まさしくゴータマが戒められた“別の一切を説いている”ことに
他ならないのです(『相応部』35.23)。
要するに、「無我」「空」には如来は含まれないということ。当然ですよ。これらは、一切(の性質)について
の説明に過ぎないのだから。
- 79 :
- 『「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。←(マヒカリ&神智学などの信仰宗教)
たといかれ(釈迦)が見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。←(一切外信仰を捨てよ)
かれらは、正しい道を踏みはずして、他人(釈迦)によって清浄となると説く。←さて、悟るものは誰なのか?』(Sn.908)
正しい道を踏みはずしているのは、マヒカリ&神智学などの超越自性主義の「信仰」宗教である。
ここで、佐倉哲氏の論説を引用しておく。
アタシは賛意を表する。
『(3)後代に現れた非物質的世界についての言及
最古層に属する記録(スッタニパータ4章5章)によれば、悟りの世界(涅槃)は神秘的な世界ではなく、
この世において得ることのできるものでした。
この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、これが洲(しま)に他ならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。(1086,1094)
そのため、中村氏は、元来「ニルヴァーナとは現実生活からはなれた、超越的世界のことを言っているのではなく、
日常生活の無欲の実践、無臭着の実践にニルヴァーナは実現する」(中村元・田辺祥二、『ブッダの人と思想』、NHKブックス、172頁)意味だと言われます。
「後の時代になると、涅槃(ニルヴァーナ)とは、凡人のよりつけない高度な心境のように受け取られますが、
ブッダの時代には、煩悩の止滅したところ、不死の境地、やすらぎ、寂滅を意味し、日常に生きた心境を表していたと考えられます」(中村元、同上、174頁)。 *中論25-19,20
これらの事実もやはり、ブッダは形而上学的問いに対しては沈黙を保った、という仏典の記録するブッダの基本姿勢と一致しています。
したがって、無為の世界や悟りの世界などを超越的な世界として捉え、それについてあれこれ語りはじめた物語が、ブッダの預かり知らぬ後代の作り事であることが分かります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism30.html』
- 80 :
- >>78(レイシズム宝珠)
> 要するに、「無我」「空」には如来は含まれないということ。当然ですよ。これらは、一切(の性質)について の説明に過ぎないのだから。
あまりに浅薄すぎて嗤えますねえw
当該片山論文も『<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想)を語っているからである」(相応部経典35-23 一切)』
一切なら、<一切行無常(三法印)>が当然です。
無為法という観念自体が『一切行常住』(自性ある実体)なら無為法に対する執着を生み、仏法の本懐に反する反仏法です。
ブッダが示される一切が無常だという意味は、間接現実において仏法自体も無常(一切行無常)だということです。
実存苦の超克というブッダの本懐からすれば、その原因となる我執の主体も対象も縁起であり、
無常な縁起であるがゆえに実体(自性:自立性・単一性・恒常性)が認められないから、還滅できるのです。
『最上の<想いからの解脱>においての解脱』(Sn.1072)ですし、筏の喩えの法門→法をも捨てる(金剛般若経6、アッジマニカーヤ22)とはそういうことです。
そこにおいては『涅槃』という想い、『法』という想い、『仏』という想いそのものも捨てられています。
@分別(仮観)→A無分別(空観)→B無分別の分別(中観)
宝珠ような『解釈』は無明であるがゆえの“無常⇔恒常”@オンリーのレベルです。
“即無常即恒常”Bにまで至っていません。
- 81 :
- 『信仰を捨てよ!』(南伝 相応部 6-1)、Sn.1146)
“間接現実一切外”のガラクタ妄想(絶対・超越的創造神、業報輪廻、仏性(仏種)・如来蔵などの自性信仰、
菩薩キャラ、形而上学的思惟などのドグマ や物語、妄想等の検証不能領域)を捨てよ。
他信仰宗教のみならず、大乗・小乗を問わず仏教でもこういったガラクタ妄想であふれかえっている。
問題は愚かにも、これらのガラクタと直接現実を混同し、または混ぜてしまうことだ。
これらガラクタをすべてゴミ箱に捨てれば、『四諦』というパラドックスだけが残る。
仏法は深遠だが、非常にシンプルだ。
- 82 :
- 我思う 故に 我あり
byデカルト
無我厨は、これをどう受け止めるのだろか?
- 83 :
- >>82
>我思う 故に 我あり
>無我厨は、これをどう受け止めるのだろか?
結論先取りトートロジーのナンセンスなアホ論理。
第一義空経 参照。
では、修空華万行へ。
- 84 :
- >>82
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/343
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/344
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/346
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/348
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/349
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/350
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/351
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/354
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/367
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/369
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/370
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/373
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/376
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/380
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/381
(http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/403)
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/133
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/134
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/135
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/142
- 85 :
- >>82
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/268
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/269
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/270
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/271
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/269
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/370
- 86 :
- 何れもその程度の答え?
なら、漏れの答えの方がましだなw
- 87 :
- >>前スレ85
>宝珠とかカラスみたいな見方は単なる常見なんだって、それは仏教じゃない
私は、その「常見」の理解についても疑問視していますから・・・。
ゴータマがいう常見とは、本当はウパニシャッドの説くアートマン否定などではなく、死後に残存する意
識状態、つまり心霊存在のことであったり、更には、もっと深奥の輪廻主体である魂存在を恒常視する間
違いについての指摘だろうと。
当時の大衆、及びバラモンたちの姿勢はこれらを恒常視し、特にバラモンたちは魂がウパニシャッドの
アートマンと勘違いしたのです。三昧の境地で魂との合一を達成しても、これが究極のアートマンと勘違
いしたままだと輪廻の解脱に失敗するのです。これが梵網経の説くバラモン否定です。
>>前スレ816
>宝珠は神通とかを認めるのに、何故か仏典の記述を認めない部分がある。
>それは恐らく仏典より神智学を信じてるから
そうではなくて、“(心の)内なる師”に従う結果です。
>>前スレ117
>貴方や宝珠は、(まるで隠居の鏡像の如くwww)、
>「ある」と耳にすると反射的に、「目の前に存在するもの」と同じ扱いをしているのですよ。
>だから宝珠は、「涅槃の主体」を必死になって探す。
そんなことしてませんよ!勝手にそういうこと(「目の前に存在するもの」と同じ扱い)にしてしまって、
一生懸命に批判してくるのはあなた方のほうですから。
- 88 :
- >>前スレ86
>宝珠氏と在家氏は、この片山論文を批判してくれ。
別に批判できるような箇所はありませんよ。
あなたこそ、この論文の内容が理解できるように努めるべきです。
>>前スレ118
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1363500909/118
さすが鋭い指摘です。
まっ、彼らはそういう問いは無視するか?
都合が悪いときには無記とか言い出しますからね・・・。
>>前スレ268
>仏の三十二相というのは、例えば眉間から光を出して闇を照すとあるのは、
>優れた智恵をもって苦悩に沈む民衆を救うという意味だということ。
>髪の毛がクルクルしているのは優れた才能があるという意味だ。
>また、性器が埋没しているというのは、欲望に敗けずコントロール(制御)下にあるという意味にもとれる。
もし、全部がそうならば(私も概ねそのような感じで受け取っているので)、いいんですけれど・・・。
けれども、5.手足指縵網相(手足の指の間に水かきのようなものがある)は、一体、何か?
私の理解では、仏の三十二相というものは、完成者はあまりに通常とは異なるほど大いなる意識と能
力をもたれているので、(「元々、我々とは異なる人間なんだ!」という特別視が生じ)きっと肉体的外見
も通常の人間とは異なるに違いないとしてバラモンによって作られた創作、即ち、神格化の典型だという
こと。そして、仏教はこれをそのまま継承してしまった。
- 89 :
- 「無我」なら、「苦」という概念も「五蘊(の仮和合)」という概念も生じ得ない。
「非我」なら、もろに「我」を前提とする。
釈迦は、「自己意識(我)」が肥大し過ぎた、完全な基地外。
- 90 :
- 無我は後世の誤訳。
釈迦は「非我」を説いたのである。
非我を説いた仏教学者に注目のせよ。
- 91 :
- 【国内】朝鮮総連本部の強制競売、宗教法人「最福寺」が45億円で落札[03/26]
http: //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1364266282/
【社会】朝鮮総連本部、宗教法人が落札=不動産競売、45億円で―東京地裁
http: //uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1364264665/
- 92 :
- 最福寺
著名人を使って人集め
売れ筋商品は護魔厄払い
- 93 :
- >>90
諸縁の和合で十分なわけ。
根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
別に唯物論擁護ではありませんが、五蘊の和合で済むわけです。
非我であっても同じこと。 人類史上、「我」など誰も見つけ得ていないのです。
鰯の群れでは満足できない人たちが、「我」を肯定してゆくのです。
- 94 :
- 死後の世界(地獄世界)があると思ったら、とんだ勘違い。
いわゆる霊魂なるモノは空の状態である。
地獄とは、当に生き地獄をさすのである。
善因善果・悪因悪果である。
人身を受けるは稀であり、三帰五戒は人に生まれ・・
畜生(動物)は残害の苦しみをもつ。つまり、他者に食われる苦しみが常につきまとう。
今世の姿が五蘊仮和合なら、その生きざまで、それに相応しい姿に生まれてこよう。
そう、天国も地獄もこの世にあるのだ。それを感じるのは、自身の命である。
これまでの地上の出来事を具に思えば分かるだろう。
- 95 :
-
>>76 前世は一在家さんへ
//homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
727
かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。
かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』
というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察[法]である。
- 96 :
- >>93
的確なたとえですね
>根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
使わせていただきます^^
>>94
>死後の世界(地獄世界)があると思ったら、とんだ勘違い。
死後にも存続する微細なレベルの意識はあります
もちろんそれも空ですけど
だから空であるはずの個人の主体が輪廻するのです
生命が生きている 今の時点で六道を表現してるというのは
創価学会の教義であって仏教のそれではないです
- 97 :
-
>>83 アホにつける薬 混ぜるな!危険さんへ
> 第一義空経
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
//www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
我慢を断滅する事が出来ない場合は
此の蘊を捨て己(おわ)っても
異蘊相続して
又、次の、この世の生に戻り来る
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
仏教はインドの輪廻と解脱の考えに基づいている
人は永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむ
そこから抜け出すこ
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
- 98 :
- >>93
>根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
どこかに人(我)がいなければ、TVから人の声は出ないよ。
>別に唯物論擁護ではありませんが、五蘊の和合で済むわけです。
「五蘊の和合」などと「考えている」主体は誰?w
>非我であっても同じこと。
「非我(我に非ず)」とは、モロに我の存在を前提とする「有我論」。
「我ではないと、己の我で無理やり思い込め」ということ。「世界を空と
『観ぜよ』」も同様。世界の実在を前提とする。
だからこそ中論は、「無我」だの「無」だのアホなことは、慎重に一言も
言わなかった。
>人類史上、「我」など誰も見つけ得ていないのです。
我を以って、我を知ることは不可能。認識主体と客体とが同一だから、認識の
正しさの担保は皆無。我(生命)は、人間が対象化できない「唯一の存在」。
- 99 :
- 死んだら思考する主体、または、苦楽を感じ取る五感も消滅するわけで、結局何もない空の状態だ。
故に、死後に行くとされる天国や地獄など存在するわけがなかろう。
あるとすれば、生を受けた今であり、また、生をうけるであろう未来であるといえる。
死後に、天国や地獄に留まるとするなら、輪廻等とはいえるはずもない。
苦楽を感じる苦しみや楽しみは心が感じ受けるものだ。
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