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2013年05月神社・仏閣6: もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ Part X (285) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ Part X


1 :2013/03/25 〜 最終レス :2013/05/03
【鉄の掟】

■質問者へ
回答者へ質問すること
お礼はいくらでもすること

■回答者へ
質問者へ回答すること
お礼は期待しないこと

2 :
スレ立て乙です

3 :
諸天総呪とされるオンロキャロキャキャラヤソワカの意味を教えて下さい

4 :
このスレは「もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ21826」です
前スレ:もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ21825
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1357272218/
【テンプレ追加】
~社仏閣に関連してわからない事があったら何でも聞いてみよう!!
回答を知っている人がもの凄い勢いで答えてくれるよ!!
でも知らなけりゃ知らないと書くからそこんとこよろしくね!!
■質問者へ
なかなか回答がこない場合は「>>2」のように質問を書いた場所の
左側の番号を半角で書き込んで回答を催促してみましょう。
スレ立て乙です>>1

5 :
スレ立てありがとうございます!!!>>1
※前スレで991さんの書き込みを自分が止めてしまった為
質問を再掲し、回答を頂ければその後一連のやりとりを以て
この質問を終えます。長引くようなら専門スレに移動します。
これでよいですね?>前スレ998、999
質問:釈尊の遺言と伝えられている自灯明法灯明の「自」とは
何か、それはおのれの心のことでしょうか。もしそうならば
それはいかようにして生じ「自」となりうるのでしょうか
補足:「自」を主体性や自由意思のように捉えると無我の
教えとの関係から大変な矛盾やごまかしを感じます。一方、
主体性や自由意思なき修行なら、それは修行と呼ぶような
ものなのか、そもそも「何が」修行しているのかその意義が
わからなくなり虚無感を生じます。釈尊が頼り拠り所とせよ
と仰った「自」がこのように不明瞭で不明確であるならば
頼るどころの話ではありません、法灯明さえ危うく感じます。
ゴチャゴチャ言わず言われた通りにやればいいという見切り
発車式は、行き先のわからぬ電車に飛び乗るようなものです。
そのやり方で多くのカルト教犠牲者もでています。本物の
仏教はもっと賢明且つ理路整然と導かれるものであるはず。
ゆえに「自」とは何か、大凡でも知りたいと願っています。
せめてそのありか(内在する?予めある?誰にでもある?)
又はどのように生きることが「自」を灯明としてることに
なるのか理解した上で修行したいと思います。尚、前スレ
999氏が勘違いしていましたが質問の主旨は自灯明の「自」
とは何かという事であって、アートマンの在否は詮索して
おりません。でもおかげでアートマンを否定をしない諸々の
考えが仏教にもあるとわかり勉強になりました、感謝します。
入門者にも明瞭で指針となるご回答をよろしく御願い致します

6 :
質問の回答としては心ではなく「自ら」だよ
そのまま受け取ればいい 難しく考えすぎ

7 :
>>5
>ゴチャゴチャ言わず言われた通りにやればいいという見切り
>発車式は、行き先のわからぬ電車に飛び乗るようなものです。
ゴチャゴチャ言いながら、言われた通りにやればいいんじゃないのかね?
狂信に陥らないよう批判精神を持ちつつ先人の歩んだ道を歩めば、
カルト教の犠牲者にならなくて済むと思うよ。
>本物の仏教はもっと賢明且つ理路整然と導かれるものであるはず。
一見して理路整然としているんだけど、よく調べると矛盾している部分も多いよ。
ところが更に行学を進めていくと、今度は矛盾していないということが「体感」できる。
やはり仏教は哲学ではなく、宗教にカテゴライズされるべきものだろうと思う。

8 :
>>6
その「自ら」が何か知りたいのです。「自ら」は心の事ですか?
心にもいろいろありますが「どの心」のことでしょうか。
回答をお聞きして「あぁ釈尊はこれに頼れ、拠り所にせよと
仰ったのか」と思えるような「何か」を探しています。
自らだよ、自分だよ、といわれても何かピントきません。
自信がない自身がないと感じているからかもしれませんが。
>>7
走りながら考えろよという事ですね。行が進めば自ずと矛盾が
解消されることがあるというのは分かる気がします。とにかく
まずは何か始めないと駄目だとは思っていますし、小理屈を
こねまわせば救われるとも思っておりませんが、拠り所となる
はずの自分が今ふらついているのでこのような質問になりました。
ご回答くださった方々に御礼申し上げます

9 :
とりあえず現代語訳すると「自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」でしょ?
「自ら」を「心」に変換してしまうのはどういった経緯でそうなったの?
ただどこまでいっても自分自身てのは不安定なもの。 
あの一休さんでも最後は「死にとうない」ですから
でもこの人生を歩くのはほかでもない自分自身ですよ

10 :
>>9
この質問の主旨は前スレにも書きましたけれども、「自ら」と
いわれて思いつくのは自分の肉体と心です、しかし仏教では
肉体を含むこの世のありとあらゆるものは変滅するものとして
拠りどころにはならないと捉えているはずです。ではこころを
頼りにするのか、という事なのですが、無我、縁起の教えを
踏まえれば、そこに主体性や自主性とよべるような「自」なる
ものがあるのか、拠りどころになりうる軸のような確かなもの
があるのか、段々分からなくなってしまったのです。そこで
釈尊はいったい何を拠りどころにせよと仰ったのか具体的に
知りたいと思ったのです。>>9さんの考える「自ず」とは何ですか。
「自ず」とは「自ず」のことだよwというのは無しで、教えて下さい。
拠り所にせよといわれたものが何か分からないのに拠り処には
できませんよね?どのような心持ち、生き方をしたら自灯明に
なるのでしょうか? 質問ばかりですがこれが今の自分の素直な
気持ちですのでもう暫くこのまま問い続けたいと思ってます。

11 :
心だと心灯明法灯明の方がしっくりくるね
でも心も変化するよ
個人的には「法に照らされた自分」と捉えてます

12 :
>>10
自灯明、法灯明が説かれた文脈を良くみてみようか。
前後にどのような話が続くか。
「無我」については、三法印、四法印の中で考える必要があるし、
自灯明の「自」については、どような状況下で自灯明が説かれ、
次にどのように続いているかをみないと理解出来ないよ。
諸法無我の「法」と仏法僧の三寶のひとつとしての「法」とでは
それぞれの意味が違うように。
こんなところで長々と質問を続けるよりは、専門書を読んだ方が
絶対に為になるよ。
『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』 中村元訳註 岩波文庫
くらいは読んでるよね。

13 :
自灯明法灯明の話はね
お釈迦様が亡くなったら誰に、何に頼ればよいのかと嘆く弟子に対して言われた言葉
「自らをたよりとして他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」と。
笑うかもしれないが「自」は自分なんだよこれがw
自己については「仏陀感興のことば」を読めばわかるよ

14 :
例えばサンスクリット語で○、スワヒリ語で○、バビロニア語で○、漢語で○、大和語で○
○はブッダの言った日本語で「自」と訳されているものに相当
ブッダの自と漢語の自と日本語の自では、話し合うまでもなく相違しています
ブッダは一生かけて自を説明しました
しかしどこまでいってもブッダの自でしかありません。
世界の人々はそれを勝手にそれぞれに受け止めます
苦労して勝手に受止めたものをごちゃごちゃ二番煎じ三番出がらしで話し合います。

15 :
ここに前スレ990さんが登場します。
「その「自ら」が何か知りたいのです。「自ら」は心の事ですか?
心にもいろいろありますが「どの心」のことでしょうか。」
という数千年後のでがらしの滓のような質問が出てきます
これは我々にとっては非常に真面目な切実なものです。

16 :
ブッダでさえ、
彼も私も何億の人々をも救えなかった問題です
人類救済の教えだけは残っていますが、口先だけの無力なものですから
ブッダは990さんにあやまって当然です。

17 :
まずどこから心が出てきたのかな?
>>思いつくのは自分の肉体と心です
思いつくとかいやそんなん知りませんやん・・・

18 :
なんか触っちゃいけない人だったのか

19 :
ここである人は、自分の努力を棚に上げて仏陀のせいにするなど
もってのほかと怒り出します。
ブッダは怒らないのに、この人はどういう積もりでしょうか。情けない仏教者たちですね。
ーーーーーーー
こういった言い方に違和感があれば、もっとおとなしくやってみましょう。
良書を読めとか、専門書を探れとかは
まるでブッダの経験とは違うはずですが、、、、、

20 :
えっと・・・
同一人物?キャラ変わりすぎて怖いんだが

21 :
>>18
>>20
「990の次」さんは前スレの991さんだと思います。
自分とは別の方です。

22 :
>>11
>個人的には「法に照らされた自分」と捉えてます
なるほど!わかりやすいです。まず法ありき。次ぎに
それに照らされた自分。問題はその法に照らされた
自分に主体性自主性があるやなしやです。あるように
自分にも感じられるたのですが、仏教ではこころに
主体性なるものは認めていない(無我、縁起の法)で
一気にアイデンティティークライシスに至りました。
>>12
>『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』 中村元訳註 岩波文庫
>くらいは読んでるよね。
それが恥ずかしながら積ん読になっています。早速読みます
>>13
>笑うかもしれないが「自」は自分なんだよこれがw
自分が頼りになる存在だからではなく自分に頼るしか方法がなく
仕方ないから釈尊はそう仰ったということかもしれませんね。
>自己については「仏陀感興のことば」を読めばわかるよ
これは自分の積ん読ライブラリーwにもありませんでした
早速きちんと読んでみます

23 :
>>15>>16>>19
前スレの991さんですか?
何人(なんぴと)たりとも自分以外のこころを体験した人はいません。
他の人の心が自分の「こころ体験」と同じかどうか誰にも証明できません。
ゆえに自分のこころ体験を越える何か、自らのこころを司るなにか
頼りになる「自」なるものが自分の側にあって欲しい、その「自」こそが
釈尊が説いた頼るべきもの、拠り所にすべきものなのではないかと考え
質問した次第です。しかし結局は永遠に答えのでないことかもしれません。
なぜなら「自」は、文字通りいかなる形でも共有知覚体験できないものだから。
>>17
思いつく・・のくだりは「自ら」に続きます。自らに頼れといわれ、
では「自らとはなんぞや」といわれたら自分なら「心と肉体」と
答えますという事です。こころがどこから生じるのか、自分は
見たことも聞いたこともありませんので正確には知りません。
その心が生じている元となるものが、頼りになり拠り所になる
「自なるもの」ならそれを知りたいと思ってこの質問になったのです。
前すれ991さんもご回答下さったようですので質問を終えたいと思います。
この質問におつきあいしご回答くださった皆様に心より感謝致します。
ふらつきながらもきっちり自分を建て直しこれからもゆるゆる精進して
いこうと思います。無我と主体性(自由意思)の関係は難しいですね
ひとつ間違えるとアイデンティティーが崩壊するからこわいですwww
おそらくその先に安寧があるのだとは気づいてはいるのですが・・・

24 :
990さんが自という時、それはどこからきたもでしょうか
990さんが過去のいつかに覚えた自の上に、勉強して自と 使えるようになった自です。
その自は漢語からきていて、日本語の自とは違うでしょう。
漢語の自はチベット語かサンスクリットからきていて、それぞれ違うでしょう
それらは ブッダの言葉から来ていてそれまたそれぞれでしょう。
ブッダは一生掛けても自を説ききれず、「自」で済ましました。
ではブッダの自はどこから来たでしょうか。父母からか学校からか、はては、、、、
ブッダが発明したのではないのは明白です。
ブッダ以前にどれだけの人が、自と言ってきたでしょうか
ブッダ以前にも自を思った人は無数にいます。
では990さんは何が知りたいのでしょうか
ブッダの自が知りたいのなら、勝手に調べて分かるか分からないかになるだけです。
ブッダも使用した自を知りたいのなら仏陀も単なる一使用者でしかないので、ブッダなどに
取り付かれることもありません。
 さあ、990さんの 自とはなんでしょう。自と言った人々の十万年の歴史が990さんを支えているはすです。
それよりか、ブッダの名前を出し仏陀の威光を借り、仏陀の自を知りたいのでしょうか。

25 :
>>24
自分を幸せにしてくれるのは自分だけです。しかしその「自分」と
自灯明法灯明の「自」が同じかどうか分からなくなったのです。
真実を知りたいのではなく、真理に基づきゆるぎない幸せを
得たいのです。目的と手段を逆にはできません。990の次さんの
仰る「自」がいかなるものが見当がつきませんが、たとえそれが
真実を知る上で重要な「自」であったとしても、自分の幸せとは
遠く離れたところにある「自」のように思います。
自灯明法灯明の「自」とは何かについては、これまでに
ここで紹介して頂いた本をゆっくり読んで考えてみます。
これ以上、自分の質問でこのスレを占有できませんので
この質問はこれで終えたいと思います。
質問におつきあい下さりありがとうございました。

26 :
読み替えてみました。
23を読みますと実はそうではないという裏が見えます。
いません==います
証明できません==できます
共有知覚体験できない==できる
そろそろブッダを超える道があると、
気が付く入り口にたたずむ新らしい人がここにもいることを知りました
ありがとうございました。

27 :
こういう例があります 日蓮の三沢抄です
 我に付きたりしものどもに、真の事を言はざりけると思いて、佐渡の国より
弟子共に内な申す法門あり
此は仏より後、迦葉(かしょう)、阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親・天台・妙樂・伝教・義親等の
大論師、大人師は知りて而もその心の中に秘めさせ給ひて、口より外に出し給わず、
其の故は仏制して言ふ、我滅後末法に入らずば此大法言ふべからずとありし故なり。
日蓮は其使にはあらねども其時刻にあたる上、存外に此大法をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまで、
先づ序文にあらあら申すなり。
而るに此の大法出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は、
皆日出でて後の光、巧匠の後に拙なきを知るなるべし。
此時には正像の寺堂の仏像僧寺の霊験は皆消え失せて、
但此の大法のみ一閻浮堤に流布すべしと見えて候。
557 :名無しさん@京都板じゃないよ:2013/03/24(日) 21:53:42.67
「皆日出でて後の光」
この大法が出たら日蓮(ブッダ)の教えなど日の昇った後の蝋燭の灯火でしかない
と自分でいっています
おげんきで

28 :
喪中と忌中の違いてなんですか?

29 :
それはググろうぜ

30 :
仏教では在家者の一夫多妻は認められていますか?
浄土真宗では教祖も僧侶も一夫多妻みたいですが、それとは別に、ちゃんとした日本仏教の宗派の話として。

31 :
江戸までは在家にお妾さんは当たり前に居ました。仏教関係無しに経済力や地位で。
戦前も法律では重婚無しでしたが、在家にお妾さんは居ました。仏教関係無しに経済力や地位で。
戦後も法律で重婚無しですが、よっぽどお金持ちで精力パンパンな人にお妾さんはいるかもしれません。
仏教関係無しで。
だって仏教の在家さんは不R戒じゃなくて不邪R戒なだけで、重婚不可の戒律じゃないから。
でも奥さんお妾さん抱えてエッチしまくりで、俺在家の仏教徒!不邪R戒もバッチリ守ってるサ!!
と言ったって説得力0ですけど。

32 :
法律で許される行為の場合は「不邪R戒」を犯したことにならないのです
なんてことをズパッと説かれているサイトを発見。俺には真似できないわ。
http://www.j-theravada.net/qa/gimon47.html

33 :
どこでも過疎化しており質問をしても無理みたいなので
すれ違いでしたら申し訳ございません
このお経?CDが入っている物が欲しいと思っています。
http://www.youtube.com/watch?v=5Xh7Yrj1yNU
どのような方が歌っていて?名前がわかる方がいたら教えてください
お願いします。
甘えて申し訳ないのですが、どこで売っていらっしゃるかも教えていただけると
ありがたいです

34 :
>>3
の質問お願いします

35 :
>>3>>34
まじないや真言陀羅尼の質問はスルーされることが多いよ
ものにもよるけど悪用されることがあるからね。
どうしても知りたいなら回答のとっかかりを作るために
もっと詳しく書いた方がいいよ。もちろんそこまで書いても
スルーされることはあるのであしからず。

36 :
>>29
このスレでは「ググれば解る」は禁句。教えてちゃん以外は逝って良しなわけ。
>>1
勝手にテンプレ変えないよーに。

37 :
>>32
出た! スマナサーラ長老www
国法は仏教とは関係ないと言いながら、国法に反しない限り邪Rではないとおっしゃる統合失調老人ww
もっと早く…ヒッピーとマリファナ全盛の頃に生まれていれば、アイドルになれただろうにねww

38 :
>>33
般若心経の終結部の御真言のサンスクリット(梵語)版ですが、
アメリカ西海岸あたりの英語訛りが非常にキツいことや、途中ガムラン系の打楽器の音が無意味にかぶせられていること等から推測するに、
「東洋ならば何でも一緒」程度の認識と知的水準の、カリフォルニアあたりの疑似仏教系ニューエイジ・カルトもしくはヒッピー集団によって録音され、アップされたものだと考えられます。
彼ら独自のアレンジなので、商品として流通しているような録音は存在しない、もしくは手に入らないでしょう。
以上です。

39 :
>>35
在家の人は、在家用の勤行をしっかり上げることが大事なんだよな。
つか、マジでそれで法力もしっかりつくから、妙な心配は不要のはずなんだ。
それをランボーや酉酉みたいなハグレ野良行者が越法して、2ちゃんで勝手に
修法を公開したりするから、妙に興味を持ってしまう人達が出てきてしまうんだよ。
本当に困ったもんだ。

40 :
>>39
ランボーが修法を公開?
そのジョーク笑えるわ。
あいつ霊界がどーたらとか不動明王とタンデム走行とか物陰から覗く内気な大元帥明王とかそんな話しかしとらんがな。

41 :
>>40
ランボーは酉酉の別人格だろ
あれ自演しながら、自分の存在価値を高めてるんだよ。
なかなか上手いやり方だと思う。

42 :
去年の7月から職場にて嫌がらせを受けています。
崇敬する神仏に嫌がらせが止まるように祈願してきましたが収まる気配がありません。
あえてその神仏がどなたかは書きません。
証拠が押さえられないような嫌がらせなので周りに訴えることができないのです。
嫌がらせを止めてもらうのにお願いする神仏はどなたが最適といえるでしょうか。
経済的理由から転職は困難です。宜しくお願いします。

43 :
「証拠が押さえられないような嫌がらせ」とは周りに
言っても信じてもらえないうような巧妙な嫌がらせと
いう事でしょうか?
仮にそうならばその嫌がらせがただの思いこみや被害
妄想ではないときちんと確認してから参拝された方が
いいと思いますよ。
といいますのは、自らの心身のゆがみがもとで生じて
いる問題にも関わらず、相手や外部環境を変える事で
問題解決しようと神仏に一心不乱に祈願してしまうと、
よりいっそう問題が悪化することがあるからです。
人間関係の問題は色んな立場や目線で色んな見方がで
きますから、周りに信じてもらえない理解してもらえ
ないとしても、まずご家族や友人、職場の同僚など誰
かに相談された方がいいように思います。神仏に参拝
するのはそれからになさっては?

44 :
>>43
ありがとうございます。でも教えていただきたかったのは自分の祈願する内容に適した神仏のお名前です。

45 :
具体的にはどのような厭がらせでしょうか?それによっても変わってきます

46 :
>>45
書きづらいこともあるだろう。怨敵退散でいいんじゃないか?
怨敵調伏だと相手に災いを与えることになるから自分にも返る
だが退散にしとけば相手を遠ざけるだけだから穴二つにはならない

47 :
>>42
自らが崇敬する神仏に祈願したのに自分の
思い通りの結果にならなかったのはなぜだと思う?

48 :
>>44
不動明王などの明王尊や、神祇でしたらスサノヲ系の神社とか。

49 :
>>44
あるいは十一面観音様とか。

50 :
>>45
>>46
>>48
>>49
ありがとうございます。参考にさせていただきます。
>>47
私にはなぜ助けていただけないのかわからないです。
ずっとお願いしてきたのですが。信仰心が足りないということになるのでしょうか。

51 :
残念ながら神仏はすべてを救うことはできないんだよ
大災害やチベットがそれを証明してる。
だけどあなたの信仰は必ずあなたをどこかには導いてくれる。
今信じている神仏への信仰を続けられるのが一番いいと思いますよ。

52 :
>>50
神仏が観て居られるところは人間とは違いますから
既に助けて下さっているのかもしれませんね。
神仏への願い事がなかなかかなわない場合、
自分都合による具体的な祈願を一端止めて、
シンプルに素直に、ただただ幸せと苦からの解放を
願った方が 良い結果になる事があります。
つまりご質問の場合、嫌がらせはなくならない、でも幸せ
転職することになった、でも幸せ という救われ方です。
人間苦しくなると視野狭窄になり心が固まってきます。
そうなると、幸せになることより自分の思い通りの
結果を優先する、本末転倒な妙な心理状態、いわば一種の
魔境にはまりやすくなってしまいます。このような
心持ちのまま神仏に向かいますと、自分の納得のいく
結果が得らないまま、いろいろな信仰を渡り歩くことに
もなり、やがて遂に、神も仏もあるもんかという、
殺伐とした本当の魔境に入る事もあるので要注意です。
申すまでもなく神仏を奉ずるとは、自分の思い通り
都合通りに神仏を動かすことではありません。
自分の体験上、神仏の違いそのものよりも
自分の心持ちと姿勢の方が結果を左右するように思います。
動くのは、変わるのは、神仏でなくまず自分の側である、
自分が本当に救われるために何をどうすればよいか
ぜひぜひご加護とお導きを頂きたいとの
謙虚でこころほぐれた状態での願いから、
真の救いの光がさしてくるように思います。
42さんに神仏からの真の救いの光がさしますように
以上参考になさって、どうぞご自愛ください

53 :
>>52
職場を辞めて嫌がらせから解放されたいのは山々です。
具体的に嫌がらせをなくしてください、ではなく今の苦しい状況から解放してくださいと願えばいいのでしょうか。
自分の思う願いを優先すると魔境にはまるというのが理解できないです。
嫌がらせを止めてくださいと助けを請うことが悪いこととは思えないです。
でも実際に数ヶ月願い続けて状況が変わらないのは事実なので、具体的にではなく、苦しみから解放してくださいとお願いするようにします。
ありがとうございました。

54 :
>>53
>自分の思う願いを優先すると魔境にはまるというのが理解できないです。
自分自身が理解できない原因や事情、経緯で問題が生じている事があります。
42さんからすれば嫌がらせをしている相手はどう考えても敵、そして
その行為は悪でしょう。しかし神仏の見地から公平に観たらそうでない場合も
ありえます。42さんのケースがそうだと申しているのではありません。
ですが、崇敬している神仏に長らく願っても状況が変わらないと仰るので、
ならばと、問題対象を外した参拝法を自己体験から参考までに書いたのです。
すなわち、嫌がらせをしている人のことや、嫌がらせ行為が続く続かないは
とりあえず全部棚上げして、単純に自分が幸せになり今の状況から救われる
ために何をどうしたら良いかだけに意識を集中させ、そのためのご加護と
ご指導を神仏に謙虚に願ってみてはどうかという事です。その時に正義は
自分にあるとか、周りがこうでなければとかは考えない様にします。要は
42さんが今の苦境を脱し幸せになれればいいのですから、結果オーライ式
にどのように救われるかも特に想定せず、状況が動き始めたら事の是非を
頭ごなしに決めつけず、ほぐれた気持ちで柔軟に自分から動いて対応する
覚悟をもって、自分の主体性に賭けた祈願をしてみるという事です。
魔境云々は、例えば、嫌がらせをしている人への怒りや憎しみが先に立ち、
自分が幸せになることや救われることより、相手をどうこうしたいとか
周りの環境がこうでなければ納得いかないとかを念頭において参拝し続け、
しかも神仏が一向にその願いを聞き届けてくれないために様々な信仰を渡り
歩いた結果生ずる心境につき書いたものです。具体的な祈願をしたから
即そうなるという意味ではありません。
いずれにせよ、申すまでもなく自分は神でも仏でもありませんので
神仏の代弁はできません。参考にならない部分は軽く聞き流して下さい。
何事も正解は星の数ほどあるのですから

55 :
>>42
神頼みでこの世の苦しみ(四苦八苦)が無くなるならば、釈迦は出家などしていない(四苦八苦の一つが怨憎会苦)。
つまり、神頼みで苦しみが解決できるならば、仏教は興らなかった。

56 :
>>55
このケースの場合は仏教で救いがあるということ?
どのように救われる?
すべてを受け入れて、なされるがままにいろと?
そうすればいつかは幸せが巡ってくると?
そのいつかが来る前に質問者がノイローゼになってでも?

57 :
>>56
違うよ。
神に頼もうが仏に祈ろうが現身のままで現世の苦から脱することはできないってこと。

58 :
>>57
つまり、死んで楽になれ!ってこと?

59 :
極端だな〜
いろんなケースがあるけどその都度神様がお願いを叶えてたら世の中めちゃくちゃになるよ
自分が変わるしかないんだよこういう問題は
人間の心は弱いし助けを求めるのはしょうがないけど結果が出ないからといって騒ぐのは違う気がするわ

60 :
>>59
あなたの言ってることの方が正しいけど
葬式仏教と拝み仏教がメインの日本ではなかなか理解されないよ。
仏教の一番基本の部分なのにね。
ある意味仏教国なのに四苦八苦と八正道すら知られていない。

61 :
これはどちらも言っていることは正しいと思うよ
今の病気を治療してもいずれ別の病気になる
その事を知りながら今の病気を治療するのが人間
そもそもみんないずれ死ぬと分かっていながら
なんとかやりくりして生きようしてるじゃない
だから怨憎会苦の苦そのものが消えることはなくても
ご祈祷などで目の前の問題が片付いて
つかの間の休息を得られたらそれはそれでありがたい
そうやって皆やりくりして生きてるんだと思うよ
釈尊はそのようなつかのまの休息ではなく
怨憎会苦の苦のそのものを根本から越えようとされた
それはとても尊いことだがそのためには出家せねばならぬ
釈尊の説かれた初期仏教にこだわる人がよくいるが
それはみんながみんな通れる道ではないんだ
ゆえに神仏に祈願する事や大乗仏教的な救いにも意味はある
勿論、自らを是とし他人や周りを変えようと願う主旨の祈祷は
その結果に固執して執着すると魔境にはまる可能性はある
結局、自分が動いて変わらないと問題解決にならない事は多い
自分が変わった方が手っ取り早いし確実なのも事実
いずれにせよ思い詰めた固まった考えから問題は生じる
救われる道、正解は星の数ほどあるんだから
まぁみんな、心身をほぐしてまったりと行きましょうや

62 :
正見―現実を直視して、正しいものの見方をする。それには四諦をよく理解することが肝心。
正思―正しいものの考え方をする。
正語―嘘や他人の悪口を言わず、正しい言葉で真実を語ることによってみんなの信用を得る。
正業―殺生や盗み、そしてRらな愛欲に耽ることなく、正しい行いをなして生きていく。
正命―身のまわりを公明正大にし、人として正しい生活をする。
正精進― 悟りを目指して、正しい努力をする。
正念―正しい考えを常に保ち、決して悪い考えを持たない。
正定―座禅や止観(しかん)等によって精神を集中し、心の正しい安定をはかる。

63 :
仮に魂(真我)のようなものが存在するならば
人の一生など、とある一日の出来事ほどの意味しか無い
たとえ一生まるまる不幸の連続で苦痛に満ち満ちたものでも
そのようなついてない一日など誰にでもあるもの
心(自我)と肉体が勝手に目先に囚われ暴れてるだけで
魂(真我)は全然気にしておらず楽しんでるかもしれぬ
これしかない、後がないと思い詰めてろくなことは無い
我も正義、彼も正義、みんな正義というのが真実
心身共にゆるんだところからしか力は生じない
古い西洋のことわざに「ゆっくり急げ!!」というのがある
みんな、もっとまったり、且つ本気で日々生きようぜ!!

64 :
こうやってたくさんの言葉が集まってくること
それが質問者さんの信仰する神仏の力なのかもね。

65 :
>>59
>自分が変わるしかないんだよこういう問題は
実際問題として、自分を変えることは物凄い難しいことですよね。
『生まれつきの性格+今までの人生で培ったあらゆる癖』を消去して、
新たなキャラクターを自分にインストールすることだからね。
出家して根本から解脱するのは皆が皆出来る事ではないし、
だいたいお坊さんでもほとんど出来ている人はいないだろう。
誰もが自分を変られる方法なんて、本当に存在するのですか?

66 :
確かに難しいが、変えようと努力することはできる。努力の結果変わらなくても、変えようとしたその過程が大事なのでは?

67 :
>>66
いや、その努力の方法を仏教(他の宗教でもいいけど)は提供しているのか?ということです。

68 :
修行が嫌なら禅とかいいんじゃない 荒れた心を落ち着ける
おと宗教ってのは拠り所にはなるけどすがりつくもんじゃないよ これ大事

69 :
座禅もいいけど、やるなら本格的にやらないと駄目だよね。
一定期間自分を世間から隔離し、生活全てを禅寺に委ねて、
いったん自分を空っぽにする必要がある。
日常生活を営みつつ自分を変える方法を提供できれば、
これからの日本仏教復活の新たな起爆剤になると思うんだけど・・・

70 :
浄土真宗です。
先日家族が亡くなりました。
・遺骨は墓に納めるものの他に、京都の本願寺にも納めると良いと聞きますが、メリットは何でしょうか?
・遺骨の一部は家で所持してても大丈夫なのでしょうか?
知人に、遺骨なくなったら寂しくなるという話をしたら、一部持っとけばいいじゃんと言われたので気になりました・・・
よろしくお願いします

71 :
>>70 最初の質問へ
自分でメリットが解らないなら必要ない(皮肉ではない)。それなりの理屈はあるかも知れないがどうせ後付けだ。
ウチも遺骨を永平寺に分骨したが、
あの道元禅師の建立した曹洞宗の総本山に、父の体の一部が収まるのかと、
理屈抜きで、それだけで感慨物だった。
理屈で言えば、遺骨を納めたところで父が正法を会得するはずもない(修行は生きてる間にするもんだ)。

72 :
レス有難うございます
>>71
お坊さんの話だと、昔の人は迷わず京都に納めてたらしいですけど、最近の人は
馴染みもない所だし、忙しくてあまり行く機会もないし、納めたら納めたっきりで京都へ参ることがないので、全部お墓に
入れる人がいると聞きました。
メリットっぽいの聞いたのですが・・・
毎日お坊さんがお経を唱えてくれるし、お参りに来るお客さんが多いということです。
亡くなった人にとってはそれがいいのでしょうか?
向こうの世界で良い思いをするのなら納めた方がいいですよね。
確かに別の寺に分骨って感慨深いですね・・・
永平寺に納めたのですね。
今のところ、京都へ納骨する方向へ話は進んでいます。(家族の話し合いで)
納めたらやはり2〜3年に一度は行かないとならないですね・・・
(行かなくても問題ないとは思いますがw)

73 :
本願寺の教義では、骨なんてただの物質だから、どこに置こうが棄てようが関係ないし、「追善供養」自体が否定されているから坊主が骨の近くで読経しようが屁をかまそうが関係ない。
真宗ハゲのスレ行って、ちゃんと教義を教えてもらいなよ。

74 :
なんで売国の曹洞宗の総本山がいいんだよ

75 :
明治神宮が神社庁から脱退した理由は?

76 :
>>74
道元禅師が建立した寺だから。祇園精舎がいいのと同じようなもん。
日本の開祖で、仏陀の教え(正法)に一番近づいたのは道元禅師。
あくまで大乗理論(天台本覚論とか)の中でだが。

77 :
道元はいいんだよ。
でも、その道元が「宗派はつくるな!」って厳命していたのに、死んだ途端に師を裏切って曹洞宗なんてこしらえちゃって…。
挙げ句の果てに、チョンコと一緒になって懺謝文だのR解放同盟だのやってたら、どうしようもないじゃん。

78 :
道元禅師がいいなら、いいじゃん。
あと「開祖の教え通りじゃない」のは曹洞宗の専売特許じゃないので。
仏派仏教の段階ですでに仏陀の教え通りでない。三位一体説や法王庁はキリストの知らぬ事。
こんな事をイチイチあげていったらキリがない。

79 :
あの…いま夢で見て思い出したのですが、
小学生の頃に遊んでいた神社の公園に獣道があり、そこを進むと笹藪の中に半壊した小屋があったんです。
その小屋の壁には血を流した狐とか蛇の絵が沢山ありました。
足下には埋めた井戸のようなものがあった気がします。
10年以上前のことなのではっきりとは覚えていないのですが、このような小屋?があるのは普通でしょうか?
またどのような目的で建てられた小屋なのでしょうか?
神社は神明宮のはずです。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
夢で見るまで忘れてたのに思い出してしまい怖いです。

80 :
>>79
その「神社」があったのは中国地方ですか?それとも四国?
血を流して殺された狐や蛇は、本当に「絵」でしたか?
本当の狐や蛇が釘付けにされて血まみれになって殺されていたのを、せめて「絵」であって欲しい!と思ったのではありませんか?
そこにはあなた1人で行ったのではありませんね。…そう、大人の男も一緒で、その男の手に握られていたものは…。
少し、思い出しましたか?

81 :
>>80
回答ありがとうございます!
地方は東北地方です。絵は確かに絵でした。
血を流している絵とそうでない絵、様々ありました。
そこには当時よく遊んでいた男子数人と行ったと思います。
その獣道がわかりにくい場所から始まっていたので「秘密の道を見つけた!」と騒いだのを覚えています。
でも誰と行ったのかと言われると誰なのかまでは思い出せません。

82 :
行って確かめて来てください。
子供の頃のことで、しかも夢で思い出した記憶なんて全くあてにならない。
実地検分してからもう一度質問を。

83 :
そうですね。雪が溶けたら一度行ってみます。
調べてみたら、私が言っているのと同じ神社に「狐や蛇の絵が置いてある祠があった」というブログがあったので、とりあえず小屋(祠?)は実在していたみたいです。
回答してくださった方々、ありがとうございました。

84 :
>>82です。
なんか突き放したような書き方になって申し訳ない。
レポ楽しみにしてます。私も興味あるので。

85 :
>>81
一緒に遊びにいっていたのは本当に「男の子」でしたか? よく思い出して下さい。一緒にいたのは「おとなのひと」ではなかったですか。
そして…そこにいって、そこであなたたちは何をしていましたか。

86 :
みなさんありがとうございます。
気になってしょうがないので、さっき行って来ました。
井戸のようなものは見つかりましたが小屋はやはりもうありませんでした。
一緒に行ったのは子供たちで間違いないです。
特に何をした訳ではないのですが、秘密の場所という感覚でしょっちゅう立ち入ってました。
http://imepic.jp/20130402/576460

87 :
うちの近くに、俺や近所の人もよく知らないうちに神社が建ってました。
神社って、何か由緒や謂れのある土地や場所に作られるものじゃないんでしょうか?
普通の住宅街の一角に、いきなり建ったので、すっごい疑問なんですケド(汗

88 :
明治神宮が神社庁から脱退した理由は?

89 :
>>88
宮司が天皇・皇后を「両殿下」と呼んだのを注意したら、ブチ切れた。
あとは…カネの問題。

90 :
>>87
由緒は神社が建った後にできるもの。

91 :
>>87
もともとおうちでお祭りしてたけど、よく効く(良縁)で参詣者が多いので神社を別の場所に建てた という由来の神社が近所にあった
移転とかもしてるので土地のいわれがあって出来るパターンと、適当な良い場所に作るパターンがある模様

92 :
神社だと思ってたらマヒカリの神殿だった…なんてのはよくある話。

93 :
>>33
これ前に誰かが東南アジアだっけかな?
CDで出ているって書いていたよ
過去スレにかいてあると思う
知っている方はもういないのかな?

94 :
大物主大神と日本大国魂大神は同一神?

95 :
>>91
ありがとう、新規の神社って見たの初めてで
更にそれが家の近くの住宅街ってのが意外だったので・・・
案外適当な理由で作られたりしてるんですねw

96 :
神をお鎮めする場所は、清浄な場所よりも、むしろ血なまぐさい歴史の跡だったり、
災いが多くて困っている場所だったりしている所が少なくない。
そういう場所に建てることで悪い空気を払いのけ元凶を封じ込める意味があったりもする。
神社を遷座して災いが起こったときに、神様の祟りというのは的外れ。
今まで問題のあった場所に居てくださって、悪さをなす者を抑えこんでくれていた神社を取り除いたので、
悪意の気が暴れはじめただけ。神も離れさせられてしまえば助けてやりようがない。
神社も、ただあるだけで祭祀が疎かになり、境内の整備が行き届かなくなり荒れていけば神の加護も人に届かなくなる。
神社を中心に、その土地の神と人とが拝み拝まれ地域の平和がはぐくまれる。これが健康な社会の基礎。

97 :
百日参りというのは必ず、途切れる事なく続けなければならないのですか?

98 :
普通そう言われてます。
端からとにかく百回お参りしに行きます、とでも誓いを立てて行く場合はその限りじゃないですが。

99 :
願掛け参拝法の21日参りや百箇日参り、百度踏参り(21日参りと組合せ?)ほかは
決まった(決めた)時間帯に連続的に毎日欠かさずお参りする祈願法。
それほどに真摯で強い祈願である事を神仏へお伝えする行為。
途中、何らかの都合で中断するとそれまでの努力は無に帰して、
もう一度最初からやり直し。
また、これらには地域や寺社毎に口伝の作法も有るかも、
古老や寺社にお問い合わせ下さい。

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