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2013年08月軍事613: ビルマで戦った師団の話 (173) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ビルマで戦った師団の話


1 :2013/01/07 〜 最終レス :2013/05/05
旧日本陸軍烈師団第五十七連隊のある個人の話

2 :
誰かいませんか?

3 :
まぁ…いいか。
まず57連隊なんだけど、ビルマの戦いに参加してコヒマの戦闘を戦った人の話です。
うちの祖父だけど、
小隊57名くらいの在籍が終戦時7名だったのでほとんど第一大隊の話はないよね。

4 :
多分子孫もそんなにいないだろうからね。
ここに勝手に残しとく。
あ、58連隊だね。
コヒマ付近の戦闘は昭和19年4月19日らしいね。
最初は入隊からあるんだけどね。
んで、面白い話とかもあるから見てる人いたら何か話す。
まずは経歴でいきますわ。

5 :
昭和13年12/15仙台歩兵第四連隊第七中隊に入隊
昭和17/3/10 歩兵第58連隊に転属のため仙台出発
同年3/12 宇品港から出発
同年3/17 揚子江通過
同年3/22 漢口上陸
同年4/07 宣昌到着 付近での警備戦闘
同年10/20 宣昌出発
同年10/25 荊間?到着 付近での警備戦闘

6 :
昭和18年1/8 荊間出発
同年1/22 呉松(さんずいに松)?港上陸
同年1/27 上記港出発
同年2/10 マライ昭南港上陸 同日より付近での戦闘
同年6/7  作戦のためマライクワラガンサール出発
同年6/8  国境バタンベッサ通過
同年7/1 タイ・ビルマ国境デンダラヤ通過
同年7/10 ビルマ国ペリー着 同日から警備戦闘
同年8/11 デンテアン着
同年9/28 ピンニブ着

7 :
そんなこんなであの牟田口指令のインパール作戦が開始されていくんです。
宇品港出港した祖父は中国で初の実線に参加しています。
揚子江をはさんだ対岸に敵がおり、非常に緊張してしまい
弾が飛んでくるのに遮蔽物の無い道に伏せてしまい、上官に
こっぴどく怒られたらしいです。
ここで敵に向けて小銃を撃っています。
昔から言われたのが
「引き金は、指で引くな、手で引くな、闇夜に霜が降りるが如し」
今日大河ドラマで同じような言葉が会津の藩士が話しているのを
聞いて懐かしく思います。

8 :
元自衛官でしたので、この言葉が非常に役に立ったのは言うまでもありません。
小さな頃から射撃姿勢や偽装の仕方等々教えてもらったせいで
軍オタになったという過去w

9 :
そんで、停戦が下達されたのは
8/28だそうです。
8/29にはダンビヤに移動して
8/30タトン県コウインに終結
武装解除ののち連合軍に投降。そのときの自己小隊の人数は7名でした。
戦記等ではコヒマの戦いで一つだけ中隊の状況が把握できないのがあります。
ソレが祖父の所属中隊でした。
もう亡くなられたので大丈夫でしょうが中隊長だか大隊長は
2・26事件に参加した元中佐でした。
皆死刑になったと歴史にはありましたが、前線転属をされたみたいです。

10 :
ビルマの竪琴で有名な部隊もありましたが、祖父の部隊は捕虜の時
戦闘機の残骸で三味線やギターを作ってよくみんなで歌ってたそうな。
連合軍兵士には演奏会をして色々食料やタバコをもらっていたそうです。

11 :
話は飛びますが
戦時中よくビラがまかれたそうです。
「今は勇(青森の師団)と根競べ。コヒマの烈(仙台の師団)よ今何処」
なんてビラがばら撒かれよく休憩中に笑いながら見ていたそうな。
ほかにもたくさんのビラが撒かれ、皆楽しみにしていたという話がありました。
前線での楽しみは食事とこのビラだったそうです。

12 :
スレタイ、「師団」じゃなくて「部隊」の方がよかったかもしれんなぁ。

13 :
>12さん
ごめんなさい。
許してくださいませ。

14 :
さて、師団はこのインパール作戦時
コヒマを目標とした戦闘をします。ここには3つの師団がいたそうです。
山岳中心の烈師団
そして市街地の祭師団
もうひとつは弓師団ですね。
この3つの師団の話をよく聞きました。
祭りは関西部隊で軟弱な口だけ師団だとか…
弓は補給物資を届けないとか…
言いがかりでしょうがww

15 :
この師団の1中大隊砲の機関銃小隊にいたわけですが、何故か工兵の
話があったり、高射砲部隊の話があったりと錯綜しています。
いつも時系列では話してくれませんでした。
ただ、祖父は3回死にそうな目にあったそうです。
1・手榴弾が塹壕に落ちてきた!

16 :
なんだSSスレか?

17 :
多分話の流れからコヒマなんですが、
斜面陣地での話。
稜線に沿って機関銃を配置しての戦闘中に下方に蛸壺を掘って
身を隠していたら、銃声が数発聞こえたそうです。
辺りを見回しても誰も声を上げないし、不思議に思った祖父は頭を出して機関銃の塹壕
に声をかけたそうな。
そうすると英語が小さく聞こえ、皿のような鉄帽が見えて
「しまった!」と思った矢先、11年式機関銃が祖父を狙い射撃を始めたらしいです。

18 :
>16さん
SSではありません。実話です。
でもそれに近くなるかもしれません。
すいません。

で蛸壺に隠れた祖父は難を逃れたかにおもったそうな。
でもそのあと、静かになり安堵したと同時に上空で
ピンッっとはじける音が聞こえたら足元に煙吹いた手榴弾が落ちてきたらしい。
で、死に物狂いで握って投げたら近くで爆発したそうです。
連合軍の手榴弾は信管6秒らしいので助かったらしいです。

19 :
その後、敵もあわてたのか反撃らしい反撃が無いままだったので
下にある交通壕まで必死に走ったそうな。
そのごまた軽機関銃で撃たれて大変だったそうな。

20 :
2・航空機に機銃掃射された!
敵の戦闘機は多分ハリケーン戦闘機だと思う。
大休止中に木陰で休んでいるとエンジン音が聞こえてきた。
そこでどこぞの馬鹿が小銃で戦闘機に向かって撃ったそうな。
結構大勢で。
したら、戦闘機が旋回し始めて狙いを定めたかのように高度を上げ
距離をとってあの映画のような音で急降下始めたらしいです。
全員伏せて動かないようにしていたが、アホな士官が軍刀抜いて
撃てぇー!とか言ってたら見事に爆弾と機銃掃射をうけたそうです。
士官は肉片すら残らず粉々。祖父は水田のアゼに隠れて難を逃れたそうです。
隣の兵士は臀部から銃弾を受け内臓までいっていたそうです。
まだ息があり、「安部ぇ…安部ぇ…」と呻きながら亡くなったそうです。
このとき、水を与えれば死ぬのですが、死ぬにRず、衛生兵も首を横に降った為、
本人が「水をくれ」といった望みをかなえたそうです。

21 :
3・敵の機関銃銃座の射界を走り抜ける。
敵の銃座が据えられた場所があるが、通らないといけない場所であるらしい。
でまず軍曹が手本を見せて木陰から走り出す。
反対側の木陰まで走り抜けると敵の掃射が砂煙を上げて追いかけてきた。
距離で言うと30m程度らしい。
そこを3列横隊で走り抜ける。
合図を間違えた奴が餌食になったらしい。
撃っても撃っても当たらない敵は思う存分撃ちまくった。
(その前が祖父)
夜死体を確認すると15×20位の物入れに8発の銃創が残っていたそうです。
水冷式機関銃の音はバババババババ!らしく
日本の機関銃はバンバンバンバン!くらい遅かったらしい。

22 :
>>7
八重の桜に心動かされて書く気になったのか

23 :
あと、アッサム砲兵師団との戦闘時
掩蔽壕がみつかり砲弾の嵐がきたときの話。
敵の砲弾がやまず蛸壺で隠れていたら、ふと砲撃が止んだそうな。
辺りに声を掛け、皆死んでいないのを確認した頃。
一発の砲弾が着弾。しかし爆発しない。不発弾かと思ったらしいが
次の瞬間、紫色の煙が勢いよく噴出しだした。
あわてて逃げようとするが、辺りの森は平坦な平野に変わり、逃げ場は無かった
そうでう。
しかし、死にたくない祖父は中隊司令部まで走ったそうな。
中隊司令部に入った直後、うなるように砲弾が飛んできて辺り一面が
粉塵で見えなくなるほど攻撃されたそうです。

24 :
>22さん
まぁ、ちょっと思い出してしまいました。
でも、いつか祖父と約束したので書こうとは思っていました。
八重桜が良いきっかけでしたね。

25 :
後は、赤痢だかマラリアで死に掛けた。
自決用の手榴弾をもらうまで覚悟したらしい。

26 :
これだけは言わせてもらう!
南京での虐殺は無かったよ。
でも大日本帝国陸軍は略奪などしていない!というのは嘘。
武器を捨てないってのも嘘。
捕虜を殺さないってのも嘘。(便衣兵のみ)

27 :
南京の件
中国の情報はよく耳にしたが、虐殺などする余力も人員も当時の
日本軍には無かったってことを言ってた。便衣兵は知らないよ。
当時の中国人やビルマ人・または現地兵は掛け算すらできなかったらしいから
間違えたんじゃない?ってこと
武器は捨てる!弾薬が届かない。代えの銃身が届かない。被服が届かない。
大隊砲の部品が無い。
捨てる!敵のステン短機銃を拾う!38式はポイ!
「え?菊の紋?知るか!撃つ弾無いのにもてるかよ!」
らしい。
敵の小銃も使ったそうです。よく低伸する銃だそうですよ。
銃剣は持ってて、マチェット代わりにつかったそうな。
あと祖父は敵の士官のコルトだかブローニングがお気に入りでした。
被服も鉄帽以外すべてそこらへんの敵軍の補給物資から調達。

28 :
敵の便衣兵は縛って竹槍で突いたのを見たらしい。
なにやら内地で女性が竹槍で武装したのを聞いて試したらしい。
結果は知らないみたいです。

29 :
それから、食料が届かないので力水という水?を飲んでいたみたい。
あとは徴発。パイナップルとかマンゴーとかバナナとか。
肉は犬・猫・鳥・蝙蝠・蛇・蛙・バッタなんでも食べたらしい。
よく同僚に「今日の肉は何だぁ?」って言われてたみたい。

30 :
細かな戦闘は映画なんかと変わらないといってた。
突撃したら逃げ出す敵兵。声を上げるだけで一斉射撃があるとか

31 :
【日韓】韓国政府、安倍首相の特使・額賀氏にVIP専用通路を使わせず
…暴力的な団体や人物の怒号の中を移動[13/01/04]★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357488528/
【社会】 民団が9日に東京で新年会 韓日議員連盟や自民、民主などの政治家が出席
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357489149/
【ミャンマー】麻生太郎氏が日本兵墓地を訪問、現地の中国人が抗議★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357481904/

32 :
ありがとうございます。
まぁこの後「ウ」号作戦やら次期態勢作戦イラワジ河の合戦
メイクテーラ戦闘 克作戦 サルウィン河盁?作戦 があって
8/28 大命停戦下令 と悲惨な戦闘が続きました。
捕虜生活を終えて日本についたのは、昭和22年5/12の佐世保港でした。
たくさんの仲間を失った祖父は父には話さなかったみたいで、私しか知らない
ことです。
自己満足に付き合っていただき感謝します。
まだまだありますが、寝ます。

33 :
力水って阿片をいれた水かな?
オカルト板で前世のスレで軍人の話で見た。
携帯なのでコピペができない。

34 :
狂ってる・・・

35 :
>>34
何が?

36 :
力水ってのは、ウイスキーだか焼酎と砂糖を入れた水のこと。
飲みすぎたら二日酔いになるらしい。吐くものは無いらしい。

37 :
大隊砲→山砲?なのか?
砲身の重量は80kgで二人で運んだ。
砲は分解が可能なため、アラカン山脈を越えるさい良かった。
牛を連れていたが、山腹で動かなくなり、食べた。
個人装備は30kg程度らしく、そこに砲身や代えの銃身が加わるから大変。
米は一人で10kg程度を分担していた。
水は河があれば「顔を洗う」と嘘を言って飲みに行った。
(河の生水は下痢や赤痢の原因バクテリアが豊富な為衛生兵が許可しない)

38 :
どっかのブログで背筋の良い兵隊の話があるが、その人に声を掛けた
人物が祖父と思われる。
荷物担いだ人が折れ曲がるように下敷きになった話しを聞いた。

39 :
>>34
そうだよ。狂ってるんですよ。狂気の沙汰です。
すべてが狂気に満ちた戦場だったのでしょう。
30〜50mでの手榴弾の投擲合戦なんかキ○ガイですよ。
祖父はよく手榴弾を空中で爆発させていたそうです。
敵は何が起きたのか理解できず混乱するそうです。

40 :
昭和19年1/13 パイメンで戦闘
3/19 印麺国境サイヤポー通過
4/19 コヒマでの戦闘
ここから負け戦
6/25 印麺国境ワミネへ撤退通過
7/29 「ウ」号作戦「九」号作戦が開始される
10/26 シエボ県ガターに到着 次期態勢作戦が開始される

41 :
昭和20年 1/16 ガターにて磐作戦が開始される。
4/12 イラワジ河での大規模な合戦が開始され
   メイクテーラ戦闘に参加
5/20 克作戦が開始される。
8/10 サルウィン河?防衛作戦開始
8/15 内地では終戦 玉音放送が流れる。現地は戦闘中であった。
8/28 大命停戦下令 このときようやく終わったと安堵。
このとき敵軍装備を破棄する命令が下達。英霊遺体から剥ぎ取る。
8/29 ダンビヤで一時休息 ここで自己小隊が7名なのが判明
8/30 タトン県コウインに集結。
編成完結の時1080名位いて部隊が原っぱを超え森までいた部隊が
340名辺りまで減耗し、大隊長が足を無くしながら指揮台に上り、訓示
連合軍に降伏 武装解除
捕虜収容所へ
ここからも楽しい話たくさん

42 :
(みてるよ)

43 :
>>42
ありがとうございます。
高射砲の話と味方戦闘機の話
高射砲部隊は敵の戦闘機を撃っても当たらないから仰角のギアを壊して
敵の戦車や装甲車を撃ってたみたいです。
何でも航空機を狙えば必ず報復が待っているから絶対に撃たない。
その為弾薬は今で言うIEDにしたりしたらしい。勿論起爆は人間が信管を叩く…
ソレを見かねた部隊長は仰角のギアを壊して地上目標を狙った。
当然二度と仰角15°以上上は向かない。
休憩していたM4?(多分違う。車体に砲がついてて、砲塔は銃機らしい)
を砲身除いて照準。で射撃。装甲は破壊できないものの中の人間は完全に死んでいたらしい。
まぁそんなこんなで結構装甲車を破壊すると、敵も黙っていない。
ついに爆撃の餌食になって部隊は壊走。でも突撃よりも良かったらしい。

44 :
味方戦闘機の話。
祖父はゼロ戦だ!と聞かないのですが、どう考えても隼戦闘機です。
作戦中に2機の敵戦闘機に狙いを定められ、必死に逃げ惑っていた時でした。
蛸壺や交通壕に逃げ込んだ祖父たちは一様に「もう駄目だー」って思っていた矢先
敵戦闘機がいつまでたっても掃射してこない。エンジン音はしきりに空を舞っている。
でも撃ってこない。不思議に思った祖父たちは、空を見上げたそうです。
そこには5機の戦闘機がいたそうです。祖父は「敵の援軍が来て、総攻撃の待機中だ」と思ったそうです。
でも、実際は上空で旋回戦闘が始まりました。
唖然と見ていると、1機がこちらに急降下して来ます。でも、いつまでたっても
射撃音は聞こえないので不思議に思っていると、機体を左右に振りながら上空をパスしていったそうです。
戦闘機の翼には大きな日の丸があり、また旋回戦へ戻っていきました。
5分程度上空で戦闘が繰り広げられ、徐々に高度を上げ見えなくなったそうです。
敵の銃撃も止み、不思議な静けさが訪れている途中、祖父は目頭が熱くなったそうです。
この時ほど日の丸に感謝した事はないそうです。
祖父が私に話した時ゼロ戦といったのは機体が似ていた事と隼を知らないことが起因していると思われます。
私が調べた結果、ビルマに展開していた陸軍航空隊と分かりました。
次は何が良いだろうか…

45 :
明日から仕事だし、残ってたら明日にでも…
おやすみなさい

46 :
ありがとうございます
次の更新をゆっくりお待ちしてます

47 :
師団や方面軍の概要がありましたので
http://www.shinseisobi.co.jp/kantansi.pdf
多分祖父のいう3師団は15軍を示すものですね。
そういえば、祖父は終始大佐を担架に乗せた部隊とともに居たそうです。
(足を負傷した大佐)
大佐は「俺が邪魔になるなら置いて行け。だが、俺と一緒に行くなら絶対に帰らせてやる」
「決して命惜しさではないからな」といっていたそうだ。最後まで担架に乗せて終戦を迎えた時
大佐は「どうだ!俺の言う事は間違いではなかっただろう!」といったそうだ。
この大佐がどこの部隊の大佐なのかは不明ですが、祖父はいつも感謝していましたね。
:笑える話
どこかで集結中に新しい補充兵が着たそうな。そこには士官もおりました。
祖父は作業中であったため上半身裸であった。
そこに新任の士官がやってきて祖父は「しまった!」と思ったそうです。
しかし、新任士官は祖父に直立不動の敬礼をしたそうです。
祖父はバツが悪いので仁王立ちのままになったそうです。
しかし士官は敬礼を辞めないので適当に敬礼すると士官は「○○に着任した○○です!」と挨拶していったそうです。
やってしまったと思ったそうだが、その後お咎めは無く終わったそうです。
その後聞いた話によると上半身裸で階級章が見えない事
筋骨隆々の身体、日焼けした皮膚、鋭い眼光、無精ひげの顔を見て、上官と勘違いしたそうです。

48 :
:ちょっと現代戦をかじったことがある人には「?」な話。
現代戦闘は弾を豊富に撃ちますが、この時代の祖父の部隊では違いました。
実際戦闘行動をして戦闘が開始されて小銃を撃つのですが、多い時でも5発程度だったそうです。
祖父がよく言いました。「5発も撃つ戦闘は相当大きな戦闘だった。基本1〜2発が相場だ」
仲間内でも「ああ、今日は5発も撃ったのか、相当大きな戦闘だったな」といった会話があるぐらいでした。
現代の自動小銃が30発装填の連射が可能なのに対してボルトアクションの5発装填では
これが大きな違いだそうです。弾ばっかりなくなる奴は早死にするのが相場なのは今も昔も変わりませんねw

49 :
:オカルトな話
祖父の仲間に宮司の息子がおりました。その人はたまにボソボソと不思議な事を言うのです。
「今度の戦であいつは死ぬ」とか「あいつは怪我をする」とか云々
最初は皆馬鹿にしたそうだが、戦闘が長引くにつれ、本当にその人の言う人がいなかったり、怪我をしたりしたそうです。
皆は背筋が凍るような気持ちだったそうです。
戦闘前になるとその人の周りは人だかりができるようになります。
しかし当人曰く「見たくて見るのではないんだ。ふとした瞬間に見えてしまうんだ」らしい。
その人は休憩中のさりげない仕草や顔色で分かるらしく、ずいぶん気味悪がられたそうです。
部隊が窮地に陥り、とうとう突撃敢行やむなし(つまり特攻)といわれ始めました。
祖父は河を現地人の船を使いマンダレーまで逃げるつもりでいたそうですが、結局突撃が行われることはありませんでした。
そこで、その人に冗談で聞いたそうです。
「俺は死ぬのか?」と。その人は嫌そうな顔をして答えます。
「死ぬ気配は今のところ無いよ。ただ…」
「もし生きて帰れた際、絶対に銃は持たないほうがいい」と神妙に答えたそうな。
祖父は膝の震えが止まらなかったそうです。それもそのはずで、帰ったら熊撃ちでもしようと考えていたからだそうです。
見事に当てられた祖父は、生涯鉄砲に触らず生涯を閉じました。エアガンで遊んだけど。
ただ、コレには尻尾がついていて、まるで身代わりのように叔父が仕掛けた散弾銃で足を無くしました。
このとき叔父と一緒に塩梅を見に行く予定だったそうですが、ちょうど熱が出て行けなかったそうです。
祖父はまるで予言のとおりじゃないかと思ったそうです。それがあった以降、叔父に顔向けができなかったそうな…。

50 :
祖父が言うM4戦車(実際はM3グラント)
とてつもなく厄介な存在だそうです。
野砲は効かない。小銃も重機も意味が無い。唯一の攻撃は地雷で行動不能にするか、エンジンに手榴弾を投げ込むか。
行動不能になった戦車は乗員が逃げ出すらしいです。その戦車の砲塔を弄繰り回して敵に向かって撃ったりしていたようです。しかしすぐに爆撃機が来て処理される。
手榴弾がエンジンを壊すのにイラついた敵は戦車上部の金網を二重にして対抗。
手榴弾が落ちても跳ねて落ちるようになった。しかも側面から火炎放射器で近くの蛸壺を攻撃してまわるようになる。
火炎放射器は祖父も嫌な思い出があるらしくあまり話さなかった。
砲塔にも火炎放射器が装備されたものがあって、現地の村のバラックが一瞬で火達磨になるところを何度も見たそうです。
そのときの描写が不思議で今も覚えていますが、青白い光が飛んでいくとバラックが燃え上がるそうです。
しかも、途切れ途切れに3発程度打ち込むそうです。爆散したりもしたそうで、仲間内では「あれは新兵器だ」と言われていたそうです。
70過ぎた祖父は私に「今でいうレーザー兵器だ」と言うのですが、そんな物あるはずが無いんですがね。
で、榴弾とか曳光弾では?と聞くと、榴弾は撃っても見えない。曳光弾は赤い。という。
今でも謎です。

51 :
時が経ち、敵が優勢で手榴弾を投げる戦法も無意味になり始めた頃、敵は火炎放射器と超伸地旋回を武器にし始めます。
付近の蛸壺を側面の窓のような場所で確認するや火炎放射器で炙り殺しました。それでも憎くてたまらないのか
ワザワザ戦車の覆帯を蛸壺の上に乗せ、ぐるぐる回ってすり潰したそうです。
こうなるともはや地雷を持って突撃しかありませんでした。
祖父の友人が工兵部隊におり、とうとう友人が突撃に行くことになりました。
祖父は泣いて話ができなくなり、いつもここで話は途切れます。いつも戦争の話をするとここにたどり着きます。
友人は最後に何を言ったのか不明ですが、教育隊以降ずっと苦楽をともにした友人を亡くした祖父には何も言えませんでした。
私も自衛隊時代、1任期先に入隊した陸士長と仲が良く、こいつの為なら…と思う方がおりました。
部隊配属時から大変世話になり、可愛がってもらい、よくRやバーを歩きまわったものです。
今後有事になっても、あの人がいる部隊に配属されるなら家庭を捨ててでも行く自身がありますね。
さぞ辛かったのでしょう。

52 :
:祖父の敵軍兵器インプレッション
ステンマシンガンだと思うが、32発の9mm弾を発射する銃。
祖父が鹵獲したそれをみんなで遊んだそうです。なんてったって突撃すると弾薬も銃も置き去りで山ほどあったそうです。
これは「日本軍の突撃に対抗してできた武器だ」と当時は思っていたらしい。
んで、缶詰を30〜40m離れた場所において1マガジンを連射したそうです。
結果1発しか命中は無く「ばら撒き兵器」という名前がついたそうです。劣勢になり、コレが双方で威力を発揮したのは言うまでもないらしい。
バズーカと小銃も試したそ話、ジープを盗んだ話、色々ありますね。

53 :
ミャンマーの竪琴

54 :
>>53
 そうですね。それに似た話も多いですよ。
竪琴話と同じようにグルカ兵?は非常に怖かったとか言ってました。
木の上から狙撃するんだそうで…。
砲弾や爆撃の死者より狙撃による死者が多いらしいですね。グルカ兵とは限らないでしょうが。

55 :
:バズーカのインプレッション
敵が手持ち擲弾筒を装備し始めたと噂が広まった。鹵獲した擲弾筒だとも言われた。
発射音が聞こえるとすぐに爆発音が聞こえるようで、はじめは戦車が来たのか・と錯覚するような衝撃だったらしい。
でもジャングルの戦車が入れないような地形で聞こえた事で新兵器ではないか?となった。
この兵器が新兵器として分かったのは、敵軍の弾薬庫を破壊した時に近くに落ちていたそうです。(多分敗戦直前あたりでしょうか?)
大きな筒があり、銃握と持ち手がついていた非常に簡素なつくりだそうです。
弾は一発しか無く、暴発の危険もあった為遠くから引き金を引いたそうです。
祖父曰く「ロケット弾と同程度」だそうです。いやいやロケット弾なんですがw
まぁ、重いので破棄したそうですよ。

56 :
:小銃のインプレッション
敵の小銃は非常に重いそうです。ついでに弾も大きい。薬莢も大きい。
低伸するのも飛距離も三八式と比べ物にならない。着弾の粉塵も多く舞い上がったそうです。
三八式放棄した後の主力武器。

57 :
:ジープの話
敵のジープが捨ててあった(多分鹵獲した)ので乗ろうと頑張った。でもどうしてもエンジンがかからない。
ふとしたきっかけで手を置いた場所に二つの丸いものがちょうど胡桃を転がすようにガチャリと動いたらしい。
その後普通にエンジンがかかり、山砲運ぶのに重宝したそうです。
しかし戦闘が始まれば使えず、道路の法面伝いに相当苦労して偽装していた。
だが、熱帯ではすぐに草木は茶色く変化するもので、しょっちゅう飛行機に見つからないように気を配っていた。
しかし、戦闘が長引くにつれて、偽装が手薄になり、とうとうジープは見つかり、破壊されてしまったそうです。
祖父は非常に悔しくて、いつも敵がジープに乗っていないかと思ったそうです。その後戦況は悪化。とうとう捕虜キャンプまで乗れなかったみたいです。

58 :
:照明弾と敵の戦術
日本軍は海も陸も夜戦が得意であったことで、昼は隠れ、夜になると忍び寄る。
しかし敵も照明弾を使い、対抗したみたいです。
敵の照明弾は防衛・奇襲問わず上げられ、まるで昼間のように明るくなったそうです。
陣地防衛時の祖父は蛸壺から空を見上げて、まるで花火のようだとずーっと見ていたようです。
煌々と照明弾が輝き、銃声が花火のようにうるさく、ちょっとした行楽気分が味わえたといっていました。
ここまでくると、相当精神的に疲弊していることがなんとなく分かります。
敵は縦深陣地を構築して、両翼には重機関銃を据えていたそうです。
戦闘が始まると100m付近まで日本軍を誘い出し、窪みには迫撃砲と砲弾の嵐。突撃や丘には重機関銃を使い、
ほぼ無敵といえる陣地を使い、一方的な戦闘になっていったそうです。銃座を叩くにも軽機関銃も山砲も擲弾筒も無く、
どうしようもない状況だったそうです。

59 :
もう無いなぁ…あとは収容所でも生活かねぇ…

60 :
いいね

61 :
>>60
見ていただき、ありがとうございます。
ほとんどオ○ニーですけどもwww
収容所はゼイムネイ・チャイト・ペリー・メイクテーラ・ベヤウン・アロン・ラグーンを回ったそうです。
収容所生活は、戦時中と比べ非常に快適だったそうです。何分食料に困らず、雨風が凌げるのですから文句は無かったそうです。
戦闘機の外板やバラックの廃材でギターや三味線を作るのが余暇の楽しみだったそうです。
弦はエンジンやモーターのコイルをバラして作ったそうです。
祖父は通訳兼ドライバーとして冷房や扇風機の当たる場所で快適に雑務をこなしてたそうで、その他からは妬まれたとぼやいています。
その折、よくタバコももらい皆で回し吸いをしたので、仲間内からは重宝がられた。
捕虜としての扱いは変わらずなので、点呼もあります。点呼は連合軍兵士にやらせると相当な時間を要したそうで、結構イライラしてたそうです。
捕虜でも階級は当時のままで、士官が連合軍に変わり点呼をすると(自衛隊と同じ)連合軍兵士は「you are lie!」とか罵声を浴びせられました。
「何故だ!何故そんなに早く終わる!?誤魔化したな!」と言われ、掛け算の要領で四列縦隊で番号を12345、2欠!
という点呼方法を教えてからは朝食も早くなったそうです。

62 :
上記の事が「敵は掛け算すらできない」という所以。
収容所の連合軍兵士は警棒のみの歩哨がいるだけで、とりたててガチな装備はしていなかった。
もちろん収容所の周りは有刺鉄線と監視塔にはライフルもったオッサンがいたらしいが。
そんなこんなで脱走者もおらず双方和気藹々と暮らしていたそうです。
でもある日、捕虜の態度が気に食わないのか連合軍兵士は警棒で捕虜を何回も殴ったみたい。
当人は頭から血を流していて、最後にはホイールに頭をぶつけられてプッツン!鬼の顔になった当人は
暴行した兵士の喉元に食いつき、引きちぎったそうです。もちろん兵士は死亡。捕虜の当人がその後どうなったかは知りませんが
それ以降、連合軍兵士には「捕虜を乱暴に扱うな!」と命令が通達され、捕虜には「殴られたら、即報告しろ!」と下令された。
でも、また戦時中の恐怖が蘇った連合軍はこの事件以降全員がサブマシンガンを携行するようになりました。
でも、和気藹々は変わらずwたまにバコタへ見学に連れて行ってくれたり、寝半像付近で遊んだりもした。

63 :
現地人の女の右手が膿んでひどい状況で祖父は可哀想に思い、衛生兵に懇願して薬をもらいにいったが、もらえたのは
靴の保革油w
でも、祖父は女の化膿した部分をナイフで削ぎ落し保革油をぬってあげたそうです。
そして1週間後・・・女は熱も無くなり超回復。元気になって収容所まで来てくれた。しかも鶏に卵、パイナップルまで持ってきた。
女の夫は相当嬉しかったのか、水煙草も一式くれたw
その日は本当に豪勢な食事で、歌って騒いでMP騒ぎになったwwww
50年経った祖父はずっと忘れられず、一度家で当時の料理を作ったそうです。
結果「不味くて食えたものじゃない!」
「でも、こんなものが美味しく思えたのだから相当ダメだったんだろう」と
回想してました。料理はパイナップルと鶏肉の卵和えwwwwwww

64 :
凄いな
傷が多い兵隊は医療知識も実戦で得るのかな

65 :
>>64
えーっと衛生兵教育ってのを必ず受けるそうです。
自衛隊でもちょっと習いますけど。
例えば止血点の場所や止血・消毒・骨折の当て木の仕方とか色々。
まぁ当時の実戦では止血不能な銃創や火傷・貫通銃創・盲貫銃創・内臓損傷など
平時では重症扱いが多いらしいから、衛生兵の見よう見真似を実践していくみたいです。
マラリアや盲腸の簡易検査も習うらしく、下手な病院よりも的確な診察をしてくれた気がする。
切創なんかは私も自分で治療しますし、実践が一番経験を得られるようです。
麻酔なしで二針縫ったのはいい思い出w

66 :
祖父の現認証明書には
前頭部兼右上膜部盲管砲弾破片創
印度「アッサム」州「コヒマ」ノ戦闘中砲弾ニ依り受傷ス
ってかいてある。
この話も面白い。
戦闘中、敵の砲弾が斜面上部で炸裂したらしい。んで、なにやら額が温かいと気づいた。
ふと額を触ると手は真っ赤に染まっていた。 木の上を見上げ「誰か受傷したのか?」と思ったそうです。
でも誰もいない。 不思議に思った祖父は、顔を両手で撫でてみたら両手にべっとり血がついた。
しかしいくら見ても上に人はいない。その時ようやく自分が砲弾を食らったことに気がついたみたい。
戦闘中で火照っていたので、痛みも感じない。「ああ、終わりだ。」と本気で思ったそうな。

67 :
アドレナリン出まくるとそうなるんですね
そうなると突撃も怖くは無くなるのかな?

68 :
>>65
自衛隊より詳しくやってそう

69 :
>>67
アドレナリン出まくると、指が千切れ飛んでも戦える(気づかない)
突撃は怖いみたい。特にサブマシンガンが出回ってからは突撃は4割以上死傷らしいから。
経験が浅い頃はアドレナリン全開で盲目に従ってたみたいよ。
>>66
続き
それで必死に衛生兵がいる指揮所に飛び込んだ。
そうすると椅子に座った指揮官が「うわっ!」って仰け反ったんだってww
んで衛生兵に「おい、顔洗って出直して来い!」って言われたんで冗談かと思っていたら
鏡を見せられて自分でも「おわっ!!」ってなったんだって。
実際、額が切れて骨で止まっているから軽傷で済んだみたい。

70 :
>>68
自衛隊は衛生科でもない限り基本ファストエイドのような…
でも肺気胸の為にナイロン袋とガムテを持っているが、
防弾ベストの性能上肋骨が肺に刺さることを想定してるのかもしれないけど。
>>69
続き
顔を撫でたから顔面ゾンビみたいに見えたんだって。
で、傷口消毒して砲弾破片はそのままw
70歳でたまたま頭部X線をしたんだけど、医者が爆笑したってwww
頭蓋骨の写真に綺麗に反射する砲弾片が写ってた。
死ぬまでそのままでした。
焼骨?で骨拾っていくと、頭蓋の右目上が黒く跡が残ってました。

71 :
当時マラリアや赤痢に対する有効な処置ってあったの?

72 :
ヤクザやなりすましを使い成人式を荒らしているのは広告代理店やテレビ局の自作自演です。
反原発デモでチンドンや太鼓を鳴らし、ソントを行っている在日
街宣車に乗り、騒音を撒く朝鮮人
構図は全て同じです
http://mamorenihon.files.wordpress.com/2011/10/zainichi_seijinshiki_1.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-1_jEcAWVs1s/Tm4X2mLBhhI/AAAAAAAABok/MObw2nzMyoI/s1600/IMG_9062-714071.jpg
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/timg/middle_1228711905.jpg
ソント(声闘)・・朝鮮人は、声が大きければ音が大きければ、主張が通る、どんな凶悪犯罪でも無罪になると思い込む。
だから、朝鮮人は大音量で街宣車を走らせる。
原発サウンドデモ=ソント
在日(もちろんテレビや新聞は通名で報道)が凶悪犯罪を起こしたとき、人権派()弁護士が異様に沢山付くのも
弁護士が多ければ=声が大きければ、無罪になると思い込んでいるから。

73 :
いろいろ間違いはあるけど、興味深いところもある
特に鹵獲バズーカのエピソードは興味深い
ビルマ戦記は100冊くらい読んだけど、鹵獲バズーカのエピソードは2件しか俺は知らない
そのどちらも北ビルマでの話
58連隊でも鹵獲してたとすれば、かなり貴重な証言じゃないかな

74 :
何が間違いなの?

75 :
>>73
所詮昔話ですから祖父の思い違いもあるでしょうね。中隊は自分も忘れたし
小隊の人数も正確ではないと思うよ。大隊砲の機関銃小隊ってのは間違いないけど
それが中国でなのかも分からない。でも山脈越えたのは確か。
バズーカの話だけど、祖父は北ビルマにいた訳だし。
ただ年表は正確。資料を基に書いてるから。
>>74
間違いは多いと思います。

76 :
>>71
祖父の話だと休養が一番の特効薬って言ってました。
それ以外は覚えてません。

77 :
>>73
ビルマ戦記が100冊もあるとは驚きです。
今後、徐々に探していこうと思います。
えっと祖父がよく言う名前が「森本少佐」ってひと。
たぶん100冊もあれば、その名前も出てくるのではないでしょうか?
祖父の最終階級は伍長ですので、規模・人員等は性格ではないでしょうね。
個人の戦闘経歴や現認証明書・引き上げ証明書はありますが、
UPの仕方が分からないので…すいません。

78 :
第58連隊第一大隊の森本少佐、ってググルと出てくるけどこの人かな?

79 :
ジープはさぞ、便利な車両と感じたでしょうね。

80 :
>>78
それです!多分…ですが、そうです!
祖父はこの人のことを非常に信頼しておりました。
戦後も一度お会いになった、年賀状もやり取りしていたと話していました。
http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/31si.htm
ここに正確なもの?がありますね。ありがとうございます。
この資料だと祖父のいう大隊長ってのは佐藤さんでしょうかね?
そこの軽戦車4両自動車30両だかのくだりが、多分ですが、ジープの話だと…
口頭での表現で日記としては無いので、私も祖父も記憶が風化してしまいました。
ここまで詳細な資料があれば祖父もけっこう思い出したのではないでしょうか?
そうそう、クネクネした道を占領したが、すぐやられた話とかもあったし、間違いないですね。
私の記憶が間違いでしょう。

81 :
スレタイの指摘を受けたとおりですが、
戦闘の詳細資料ではありませんし、あくまで昔話程度のお話なので
個人的視点から見た太平洋戦争であり、インパールであり、コヒマなので
詳細の相違は勘弁してください。
ただたんに、戦争に駆り立てられていた時代に生を受け、20代という青春を
戦争で生きた人間のお話です。

82 :
>>79
そうだったみたいですよ。その時は皆我先に運転したがったそうです。
当時車を運転できる人はあまりおられなかったようで、限られていたそうですがw

83 :
すいません。話にもどります。
祖父は戦争の話をすると、思い出すように語りだすので話が前後するのが普通にあり、
最後には、亡くなった友人の話で言葉を詰まらせて終わってしまいます。
私もその語りがなんとも心地よくて好きでした。(だから私も話が二転三転するのでしょうか?)
南シナ海での話。
「南シナ海はすごい!」という祖父に私は何がすごいのか聞いたところから話がはじまります。
宇品港から出港する際、宇品からみた夜景が未だに忘れられな。あのときは
「ああ、これで本土を見ることは叶わないだろう」と思っていたそうです。
瀬戸内海を抜け、外界に入ると駆逐艦が護衛について南方を目指したそうです。(海防鑑かも)
波が非常に荒く、はじめ皆は嘔吐を繰り返したそうです。雨の中「全員臭いから、甲板に上がれ!」
といわれ嘔吐物まみれの皆が甲板にあがったそうです。海の香りがなんとも気持ちよく、護衛艦艇が
勇ましく見え、非常に心強かったそうです。

84 :
かくして南シナ海(付近)に入ると波が非常に荒く、駆逐艦が上に見えたり下に見えたりしたそうです。
この時点で船酔いはほとんどが馴れておりある程度快適だったそうな。
ある時、船内に警報が発報された。
飛行機だか潜水艦だかを駆逐艦が捕捉したようで、全員が甲板に集められた。
駆逐艦は大量の黒煙を噴きながら輸送艦から離れていく。このとき駆逐艦の艦尾が海に沈んだように
加速していったことを覚えているそうです。甲板上でいつでも離艦できる準備をしていた祖父は
「戦う前にくたばってたまるか!」と本気で思っていたそうですが、辺りを見ても陸は一つも見えず、
初めて戦慄したそうです。
外海ってすごいなあと子供ながらに思ったものです。

85 :
一応>>74にレス
>>6  「ペリー」はたぶん「ペグー」だね。「ピンニブ」は「ピンレブ」かな。
    個人戦記の場合、地名の表記違いは珍しくないけど、この例は初めて見た。
>>11 「勇」は仙台の師団だね。
    「烈」はいわば寄せ集め師団で編成地はタイ。
>>40 「ワミネ」はたぶん「フミネ」だろう。これも初めて見る例で面白い。
>>41 58連隊はメイクテーラ戦には参加してないから、何かの間違い。
でもね、間違いや勘違いがあってこその個人戦記だと俺は思う
出版された戦記でも、こうした間違いは別に珍しくない
体験を整理して一冊にするというのは大変な作業
けどこれ、できれば世に出してほしいなあと思った
内容的には出版戦記と比較しても遜色がないし、充実してると言っても過言じゃない
あとバズーカの話だけど、ちょっと言葉が足りなかった
米支軍との戦いと言う意味で「北ビルマ」と使ってしまった
米軍が関与してる敵との戦いでバズーカが鹵獲された例しか俺は知らなかったという意味ね
58連隊が鹵獲したならば英印軍からぶんどったということになって、非常に珍しい証言だと思う
長文失礼しました
もう邪魔しないので

86 :
>>85
ありがとうございます。
地名に関しては、祖父が残したメモが元ネタです。
カタカナが「ペリー」なのか「ペグー」なのか読めませんでした。
「ピンレブ」「ピンニブ」の違いも多分聞いた言葉をそのまま書いたのかも…しれません。
「フミネ」は「ペリー」と同じく見間違えw
「勇」は祖父も適当でした。ただ、強いから東北だろうって感じ。訛りから青森と勘違いした可能性あり。
メイクテーラ戦はちょっとメモ書き参照ですので…。本当の経歴書の画像を貴方にあげたいくらいです。
73さんありがとうございます。間違いはご愛嬌ですかww痛み入ります!
本にしようか悩みましたが、何分情報が少ないのでずっと脳内保管してました。
えーっと、世に出したいのは山々ですが、祖父が亡くなってからと思ってましたので
こうやってココにさらしています。
バズーカ話ですが、「ラモウ」とかちょっと変換できない漢字の場所もあるので、分かりませんね。
米軍相手なのか、英軍相手かわかりませんが、横に弾倉ある銃ってステンぐらいしか思い当たりません。
長文でかまいませんので、是非間違いは間違いでコメントくださいまし!
邪魔ではありませんよ!ただ、間違いあったらゴメンネって意味ですから!
>>73 さん
またお待ちしてますよ。

87 :
そうえば…
1/12祖父の七回忌だわ…。
祖父の名前は「安部 孝」最終階級 伍長 
100冊の中に祖父の名前があるでしょうかねぇ?
すでに私と苗字が違いますので、曝します。

88 :
>>86
?孟のラは環境依存文字だから仕方ない。気にスンナ。

89 :
>>88 さん。
ありがとうございます。
初めて知りました。
不思議なんですが、三叉路の話とかもうっすら覚えていたりするのです。
インパールまであと少しだったとかミッションまでどうのとか…
思い出せません。

90 :
あと、どっかで一度戦死してたみたいで、原隊追求したら
「あれ?安部、お前戦死してるんだが?」って言われたみたいですよwww
マラリアにかかったときなのか、撤退戦でのゴタゴタかは不明です。
ですが、書類上一度戦死したそうですよ。
話の続き
どこかの話ですが、道路の近くに大きな切り株があって、足を切り株に乗せて
寝ていたそうです。気持ちのいい日で、敵も来ないだろうと思っていたそうですが、
いきなり、バババババババババババババババって撃たれたそうです。
銃声にびっくりして必死で切り株に身体を縮めて隠れたそうです。
ちょっとすると硝煙であたりが白くなるほどで、敵も見えないのか死んだのか分からないのか
撃って来ません。とっさに後ろにあった水路に飛び込んでワニのようにはって逃げたそうです。
それでも容赦なく敵は撃ってきて、体中砂塵やら木の破片やらが冷や汗で張り付いて
気持ち悪いやら恐ろしいやらで部隊に帰ったそうです。
部隊も銃声に気づき警戒していたそうですが、祖父を見るなり全員が銃口を向けてきて
二度も生きた心地しなかったとはなしていました。
自衛隊で幹部に拳銃を向けてすいませんでした!!!!!!!!

91 :
久々良スレ
今後も楽しみです

92 :
>>91 さん
ありがとうございます。
でも100スレいかないとおもいますよ?

93 :
揚子江での話し
揚子江対岸でにらみ合いが続き、戦闘が始まる。
敵機関銃が、こちらの土手に着弾し砂煙を上げるのに、
こちらの機関銃は揚子江に水柱をあげる。
すでにこの時点で祖父は戦争に勝ち目が無いと言ってた。
どうしようもなく仰角をとって射撃してようやく届いたそうだ。
でも照準なぞ無意味なほどで、最後は撃ち方止めの号令がかかった。
揚子江ってそんに川幅あるんですねぇ…中学生の多感な時期にこんな話聞いてると
どうしても海外ってどんなんだろう?あの山の向こうはどんな景色だろう?とか
気になってました。

94 :
最後かも
まだあるんでしょうけど、何分思い出せません。
捕虜収容所にもとうとう引き上げではないか?と噂が広まり、一同は喜んだ。
あくまで噂でも、煙の無いところには云々というので、皆身辺整理やら
「俺は地元に帰っていい女捕まえて結婚するんだ」
「母親にあって安心させたい」「地元で仕事あるかぁ?」
ともあれ帰れるのだから喜んでいたみたい。
中には「帰らない」という人もいたようだ。現地で相手を見つけたのかは不明。

95 :
毛虱やらの駆除の為、粉を吹きかけられた。たぶんDDT。
引き上げ当日。祖父は色々な思いが頭に浮かんだそうです。
友人の事。亡くなった戦友の事。故郷の事。今までの事。等々。
最後は収容所の人数も閑散としていてどこかもの悲しい雰囲気だったが
帰郷できる一同は相当はしゃいだみたい。

96 :
帰りの船は甲板が平らな空母のような船だったそうです。
行きと違い非常に穏やかな航海で船内のハンモックで心地よい船旅だったと言っていました。
とうとう日本が見えてきたとき皆で甲板に上がって、眺めていたそうです。
だれも話はせず、ただ黙々と日本の陸地を見ていたようです。
入港は昭和22年5月12日 佐世保に上陸
そこで現地解散をされたそうです。「現時点で軍の任を解く。解散」って言葉だけだそうです。
帰りしなに鉄道に揺られながら日本海側を新潟に向かったそうです。
そこで、初夏にもかかわらず雪化粧をしている富山県の立山連峰をみて、
たいそう感激し「あぁ、やはり日本は良い。もし機会があれば富山に住もう」と思ったそうです。
地元に帰り、家族と再会してこの話は終しまいです。

97 :
えーっと、日本に帰ってきて物価が違うのに相当困惑したそうです。
今まで貯めた金は200円でちょっとした家でも買うつもりでいたそうですが
何も買えないほどの物価になっていたそうで…
闇市のような場所で180円の鋼入り折りたたみナイフを買って終わったそうです。
そのナイフは死ぬまで大事に使っていました。そのナイフが私の元に今あります。
父も祖母も母も誰も知らない、祖父の戦争記念品です。
:96式軽機と11年式軽機の違いを書くの忘れた!
要望あれば書きます。
とりあえず以上でございます。
質問等あれば答えますし、不思議な点があればご指摘ください。
短い間、長文・駄スレの応援ありがとうございました。

98 :
>>90
最後の衝撃の告白ワロタ
主さんの自衛隊よもやま話も機密に引っかかっらない範囲内でみたいな

99 :
>>98
えっ?いいですよw
あれはイラク派遣の準備中でした。
選抜組が至近距離戦闘射撃やフォーメーションの訓練なんかしてた時。
とある事で幹部が拳銃(弾無し)を貸してくれました。
部隊の中でもサバゲしてるほどのマニアは私含め数人で、幹部が貸してくれたんです。
私は嬉しくて「ようやく本物のハンドガンだぜ!」とか思いながら触りました。
鍛えていたのもあり、そんなに「重い!」と思うほどではなく、手にしっくりくる拳銃でした。
私は左利きなのでデコックが手の中にくるのであれこれ思案していると、銃口が知らないうちに
貸してくれた幹部ではないB幹部のほうに向いていて…貸してくれた幹部に相当怒られました。
「銃口管理!!!!!」って。
B幹部は知りませんので、ここで告白しましたw
個人的な感想になりますが、89Rと64Rでは89のほうが当たりました。
多分5.56mmが良いのと銃本体の性能でしょうね。
折りたたみは当たりませんでした。勿論折りたたみで当てる怖い叔父様方も
相当おられます。
64は一昔前の軽機関銃みたいな印象です。一発一発が重く、私には短い銃床も
あいまってそこそこの結果しか残せませんでした。

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