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2013年08月政治101: カレル・ヴァン・ウォルフレンを叩くのってなぜ?v4 (120)
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カレル・ヴァン・ウォルフレンを叩くのってなぜ?v4
- 1 :2013/03/02 〜 最終レス :2013/08/02
- 僕はどうみても、これからの日本って
ウォルフレンのような分析が日本国内で叩かれる
世論が強いようじゃこのまま落ちぶれてドキュソ国民
になってしまうような気がしてなりません。
日本の将来を憂いながら、彼の鋭い分析
をたたく日本人ってなに?
- 2 :
- カレル・ヴァン・ウォルフレンを叩くのってなぜ?v3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1291639784/
- 3 :
- ↑ 前スレ
- 4 :
-
/// 法を支配下におく 84 /////////////
カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel Van Wolferen)著
原著1989年、邦訳 早川書房/篠原 勝 (翻訳)1990年発行
「日本/権力構造の謎」 The Enigma of Japanese Powerより
政治腐敗問題に対する検察の取り上げ方がきわめて少数選別的な理由を、その事件がどれだけ
マスメディアで騒がれるかによる、と検察官は釈明する。つまり、世論が田中の逮捕を望んだから、
検察官も"現体制を維持"し、自分たちの信望を保つ行動に出たということである。その一方で、
その後のダグラス、グラマン贈収賄事件では、新聞の反応がそれほど激しくなかったので、
事件に関わった政治家の訴追までいかなかった、というわけである。五大全国紙に代弁される
"世論"は、日本の検事にとってこれほどまでに重要なのである。逆に、自分たちが追及すると
決めた事件に政治的な妨害が入る懸念がある時には、捜査中だという事実とともに、差し迫った
汚職事件を新聞が第一面で報道するのに必要最小限の情報を漏らす。
////// K.V.ウォルフレン著 ///
- 5 :
-
/// 法を支配下におく 85 /////////////
自分の判断に対して、つねに"世論"を代表するとされる報道メディアの反応を気にする裁判官も
多い。弁護士も同様で、世論は法廷での裁決に反映されるべき神聖な制裁力として受け入れる
傾向がある。このようにして、青法協はじめ、他の日本の司法制度の批判者までが、田中角栄を
とことん追及する検察の執拗さを賞賛することになる。彼らは、(田中は高裁でも最高裁でも
勝てないという岡原昌男・元最高裁長官の言説に明らかに示されたような)政治的な偏見を
見過ごしてしまう。そしてまた、<システム>への脅威という仮想のもとに田中を処理するのに
使われた方法が、同じ想定のもとに、たとえば消費者運動にも使われるということには、まったく
気づいていないようだ。事実、消費者運動の評判を落としめる意図がはっきり見える事件が、
一九七一年の一一月に起こっている。本田技研の自動車に欠陥があると主張した日本ユーザーユニオンの
幹部が、逆に、同社を恐喝しているとしてRされたのである。
/// 「日本権力構造の謎」<上> ///
- 6 :
-
/// 法を支配下におく 86 /////////////
法による保護に代わるもの
日本の新聞が社会的制裁役を演じるのは、日本の法制度に実際面で欠点があるためという
見方で捉える必要がある。「他の国の司法制度にも、ある程度は日本の法律にあるような限界は
あるが、法規範の違反に対する有効な制裁あるいは救済対策をこれほど広範に欠いている状態は、
他に見られない」と、この問題に詳しいあるアメリカ人は書いている。権力者は、刑事事件で
人を投獄する以外、法をあまり強制しえない。日本の裁判所には法廷侮辱罪を科す権限がない。
/////////////// 原書1989年刊 ///
- 7 :
-
/// 法を支配下におく 87 ////////
(裁判所は法廷の秩序を維持する権能はあるが、拘束されていない者をその意思にさからって
法廷に出廷させることはできない)。財産差し押えがせいぜい行使できる最高の制裁だが、
その場合でも有罪になった者が回避できる方法がいろいろとある。正規の法規に違反した場合に
科せられる罰則規定も、違反者が企業や他の大きな主要組織であれば、実際にはほとんど
発動されない。すでに指摘したように、日本の組織やその長たる人物がそれほどひどい罪を
犯さないのは、運わるく"一罰百戒"の一人に選ばれた場合、自分たちの評判に傷がつくからである。
///////////早川書房 ///
- 8 :
-
/// 法を支配下におく 88 //////
一九八六年末に最高裁は近い将来、五七五ある簡易裁判所のうちの一四九を統廃合すると発表した。
簡易裁判所は、一般市民が手軽に法律手続きを利用できるようにと、戦後導入されたものである。
(刑事事件は)主として罰金刑以下にあたる軽徴な犯罪が扱われ、交通法違反などの略式裁判が
大半である。窃盗や横領などでも懲役三年以下の刑を言いわたすことができる。そのほか、訴訟の
目的額が九〇万円以下の民事訴訟も扱う。
役所の目からみれば、あまり利用されていないこれらの裁判所は廃止して当然だろう。だが
こうした裁判所の管轄にあった地域の村人は、暴力団のような"プロの調停役"がどっとやって来る
のではないかと心配している。法の保護が十分にないところでは、力のある友達が必要になる。
/////篠原 勝 (翻訳) ///
- 9 :
-
/// 法を支配下におく 89 /////
そして、法によらない調整に大きく頼る<システム>を前にして、名もなく、力もない普通の人は
身を護る個人的な関係が必要である。こう考えれば、日本社会における地元の"ボス"や国会議員、
暴力団員その他の"始末屋"の役割の説明がつく。なによりも重要なのは人脈だ、ということの
説明もつく。人と人とのつながりが、成功だけでたく、安全のためにも決定的に重要なのである。
また、日本人が、個人主義的な態度をとって社会から疎外される危険を冒さないようにする
理由も、ここにある。
/////// 945円(税込) ///
- 10 :
-
/// 法を支配下におく 90 /////////////
日本人は、自分たちの社会を統制する者も裁く者も含め、同胞が間違いを犯すことは知っている。
7章で指摘したように、彼らは恩恵のおしつけに対して冷めているところがある。<システム>と
その法的プロセスの基底にたっているこの伝統的な考えを、外国人に説明する際、破らは、ごく
"典型的な"日本人はこれを現実的には善として受け入れていると説明する。つまり暗に自分自身は
そうではないと考えているのである。
/////////// K.V.ウォルフレン著 ///
- 11 :
-
/// 法を支配下におく 91 /////////
三四年間を刑務所で――そのうちの三一年間は死刑囚監房で――過ごした免田栄は、再審裁判で
無罪判決を勝ちとった。その後、インタビューした筆者に彼は、日本に正義があると思うかと
聞いた。彼はそう思わないと言いたげであった。最終的には無罪になったその事実自体が、免田の
考えが間違っていた証だと論じる人がいるかもしれない。正義の適用が三四年間も延期されたのは
正義の否定に等しいという論はさておくとしても、彼の無罪判決が出るまでには、司法の外側で
支援者が息の長いキャンペーンをたゆまず続けて、はじめて無罪になった。一九八○年代後半の
現在、このようなケースを日本の司法に委ねてはおけないと気づいた人道主義の活動家が、
約二五件の同じような受刑者にかわって戦っている。
//////// 早川書房 ///
- 12 :
-
/// 法を支配下におく 92 ///////
一九八七年一〇月には、拷問によって自白させられ、三三年間死刑囚監房に入れられていた
赤堀政夫が、支援団体の強力な訴えによって、再審を認められた。再審手続きの開始は、
司法がすでに彼の無罪を決定したことを意味する。だが、彼が自由の身となった再審判決が
出るまでには、その後一年三カ月かかった。ユーゴの政治家ミロヴァン・ジラスは、その国の
不公平さをもっともよく知っている国がもっとも公平な国であると言った。この尺度からいえば、
日本の<システム>にはあまり高い評点はつけられない。
・・・・
////// 篠原 勝 (翻訳) ///
- 13 :
-
/// 早川書房 //////////////////////
カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel Van Wolferen) (著)、篠原 勝 (翻訳)、
原著1989年発行、邦訳 早川書房1990年発行
「日本/権力構造の謎」(上巻) The Enigma of Japanese Power
ハードカバー: ¥ 2,447(税込) ISBN-10: 4152034475 ISBN-13: 978-4152034472
http://www.amazon.co.jp/dp/4152034475/
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4152034475.html
http://www.bk1.jp/product/00690461
http://books.rakuten.co.jp/rb/item/432945/
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ハヤカワ文庫NF、945円(税込) ISBN-10: 4150501777 ISBN-13: 978-4150501778
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http://www.7andy.jp/books/detail?accd=18988933
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http://books.rakuten.co.jp/rb/item/650744/
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- 14 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 1
2009年03月06日
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090306_horiemon02/
GIGAZINE(以下、Gと省略):ブログにも書いていたのでわざわざこんなことを訊くのも、
野暮といえば野暮なんですけど、日本では裁判員制度がもう始まっていますが、
どう思われますか?今の現状として。
ホリエモン(以下、Hと省略):どう思っているかというのは?
G:全体的に、うまくいく、うまくいかないだろう、というところも含めてです。
H:まあ、うまくいくもいかないも、始まっちゃったものはなー、なかなかやめらんないでしょうね。
G:やっぱりあれはもう止まらないものだと思いますか。
H:むしろその裁判員制度を導入すべき部分っていうのは……実は日本の裁判員制度って
すごい中途半端なんですよ。
G:中途半端というと?
H:要は、重大事件にしか適用されないんですよね。殺人とか、銃刀法違反とか凶悪事件
みたいなものにしか適用されないから、それはそれで意義はあることなんだと思うのですけど、
経済事件とかそういうのも実は重要なんですよ。けれども、そういう視点が入ってこない
っていうのは、すごく残念なことですよね。国民はバカだからわかんない、っていうふうに
思われているんだと思いますよ。バカにすんなー、って言うべきだと思いますね。
ふざけんな、って。何で言わねーのかな、みたいな。
G:確かにそれはありますね。
H:だってアメリカの陪審員制は全部、刑事事件で被告が無罪を主張したら選べることに
なってますからね、被告が。陪審員制か、裁判官の裁判、どっちを選ぶかってのは被告が
選べるようになっていますし、陪審員のセレクトにも参加できます。だから非常にフェアな
仕組みだと思いません?
- 15 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 2
G:あと個人的に思ったのは、取り調べの方法ってなんか、明らかに日本はおかしい
じゃないですか。まず取り調べを警察が録音する義務がないから被告が何を本当は
言ったのかわからない。警察が勝手に作文しても誰もわからない。任意だと弁護士も
立ち会わせることがないから、誰もちゃんと取り調べを正しく行ったかどうかが証明できない。
任意で取り調べを行い、逆らえば逮捕するぞとか言って脅迫するのはダメなのに、
身内同士でかばうから警察は罪に問われない。特に刑事事件なんかはそのあたりが
ぐちゃぐちゃなので、そのあたりの法律も一緒に整備してから裁判員制度を実行するのかな
と思ったら、全然そのあたりは整備せずに、要するにまあ刑事が一人で好き勝手に
作文できるような環境のまま進んでいるじゃないですか、現状としては。
G:あと個人的に思ったのは、取り調べの方法ってなんか、明らかに日本はおかしい
じゃないですか。まず取り調べを警察が録音する義務がないから被告が何を本当は
言ったのかわからない。警察が勝手に作文しても誰もわからない。任意だと弁護士も
立ち会わせることがないから、誰もちゃんと取り調べを正しく行ったかどうかが証明できない。
任意で取り調べを行い、逆らえば逮捕するぞとか言って脅迫するのはダメなのに、
身内同士でかばうから警察は罪に問われない。特に刑事事件なんかはそのあたりが
ぐちゃぐちゃなので、そのあたりの法律も一緒に整備してから裁判員制度を実行するのかな
と思ったら、全然そのあたりは整備せずに、要するにまあ刑事が一人で好き勝手に
作文できるような環境のまま進んでいるじゃないですか、現状としては。
- 16 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 2
G:あと個人的に思ったのは、取り調べの方法ってなんか、明らかに日本はおかしい
じゃないですか。まず取り調べを警察が録音する義務がないから被告が何を本当は
言ったのかわからない。警察が勝手に作文しても誰もわからない。任意だと弁護士も
立ち会わせることがないから、誰もちゃんと取り調べを正しく行ったかどうかが証明できない。
任意で取り調べを行い、逆らえば逮捕するぞとか言って脅迫するのはダメなのに、
身内同士でかばうから警察は罪に問われない。特に刑事事件なんかはそのあたりが
ぐちゃぐちゃなので、そのあたりの法律も一緒に整備してから裁判員制度を実行するのかな
と思ったら、全然そのあたりは整備せずに、要するにまあ刑事が一人で好き勝手に
作文できるような環境のまま進んでいるじゃないですか、現状としては。
H:まあ、その通りですよ。それもすごい問題だし……。
G:あのあたりのことについて、なぜ誰も「問題だ!」と指摘しないのでしょうか?
H:でもね、一番問題だと思うのは、やっぱり、それはあの拘留制度にあると思うのですよ。
G:拘留制度と言うと?
H:拘留制度っていうのは、まあ日本の場合は捜査機関っていうのが決められてて、
強制捜査権を持つ団体ってのが何団体かあるんですよ。一番有名なのが警察、
そして検察、公正取引委員会、証券等常時監視委員会あとは厚生局とか入国管理局とか、
あと何個かあるんですよ、防衛省の警備局とかね。つまり、独自の捜査権限を持って
強制捜査できる団体があるんですよ。そこが捜査をして、逮捕なりをするわけですよ。
G:なるほど。
- 17 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 3
H:で、逮捕状を請求して逮捕状を示して、令状逮捕するんですけど、そうすると
被疑者を身柄拘束できるわけです。牢屋に閉じこめることができるわけですね。
その取り調べができる期限が、48時間とかって決められてるんですよ。身柄拘束から
勾留に切り替えるには、裁判所の許可を貰わなきゃいけないんです、裁判所から。
だから48時間以内に被疑者は全員、裁判所へ護送されるんですよ。そこで勾留の
手続きをとらされるんですね。一応そのときに質問されるんですよ。質問されて一応、
その、裁判官が判決を出すわけです。で、もう99.9%勾留が決まるんですけど、そこから
また10日間勾留されて、さらに10日間延長できるから、最大で48時間+10日間+10日間
延長で合計「22日間」勾留できるんですよ。政治犯の場合更に5日間延長できるんですけど、
まぁ通常は22日間の勾留ができる、と。その後、送検されて起訴されるけど、起訴
されると、更に起訴後勾留(2ヶ月間)ってのが認められてるんですよ。起訴後勾留も
自動的に1ヶ月毎に自動延長されます。
G:なんか、全然出られませんね。こうなってくると。(詳細は「勾留期間」を参照のこと)
H:そうです。で、起訴後勾留も自動的に行われるんですよね、裁判所には行かないんですよ。
それから保釈請求をするんですけど、それは刑事訴訟法89条の第4号ってのが、実は
一番ひっかかってきて。その89条ってのは保釈の条件を決めた条文なんですけど、あの、
要件がいっぱいあるんですよ。保釈をしない条件みたいなのがあって、懲役三年以上が
もう確定してるような、確定っていうか、殺人罪とかね、そういう懲役三年以上な場合は
もう保釈できないとか。そういう凶悪犯系は三つぐらい要件があるんですよ。でも一番
問題なのはその第4号ってとこで、「罪証隠滅及び逃亡のおそれがある」ものっていう。
- 18 :
- 日本猿は野蛮
正しいのはウォルフレン
- 19 :
- いや
略奪侵略殺戮強姦奴隷の歴史を歩んできた他国の人たちは
冷酷野蛮さは桁違い
資源や貯蓄があるとわかると寄生してきて
ゆすりたかり略奪をやる
いまだに治らない
日本を偉そうに批判するけど自分たちの国のほうが問題が多い
- 20 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 4
G:ああ、よく聞きますよね、それ。
H:そう。証拠隠滅をしたりとか、口裏合わせをしたりだとか、逃げたりするような人の
疑いがあるときは、勾留を延長できる、と。保釈請求されても拒否できる、却下される、と。
それも一応裁判所に行くわけですよ。
東京だと東京地裁の刑事第14部ってのがあって、その第14部で審議されるわけです
(なぜか東京地方裁判所のページではこの第14部については記載されておらず、公開
されていない)。保釈請求とか専門のとこなんですよ。勾留の手続きも全部そこで
やるんです。要はずーっと勾留関係の手続きをやってる専門の部署になっていて、そこが
判断するのですよ。で、それで異議申し立てをすると、さらに準抗告とかそういう
手続きがとれて、そのあとの特別抗告っていう、要は普通の三審制と同じような、
一応そういう仕組みが決められてるんですよ。だけども、基本は、もう裁判官の主観で、
バンバンバンってハンコ押されて終わり。
G:それだと制度が機能してないような感じですよね。
H:もう被告人ってのは基本的に悪人で、嘘をつくどうしようもない人たちだから、
保釈はできない、っていうのが前提にあるわけです。だけど、例えば僕の場合は
逃げも隠れもできないじゃないですか、どう考えたって。
G:ええ。ですよね。どう考えても無理ですよね。有名人だからマスコミがぴったり
はりついていましたし、顔もよく知られていますから。
- 21 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 5
H:それをわざわざ閉じこめておく意味はないわけじゃないですか。証拠隠滅及び
逃亡のおそれは無いわけですよ、実際は。保釈すればいいんですよ。
G:不思議ですね。不思議といえば、被疑者であって、殺人の現行犯のようなもうほぼ
罪が確定しているわけでもないのに、なぜマスコミは突然手のひらを返して、
悪人のように報道しているのか、というのもあったのですけれどもね。
H:通常のアメリカの裁判などであれば、僕なんかはもう一日か二日で必ず
保釈されるような案件なんですよ。
G:ですね。海外とかだったらこんなことでそんなに長期勾留したら逆に問題になります。
H:だからそれはなぜかって言うと、起訴するかしないかに関しても陪審員が参加
できるようになっているからですよ、アメリカは。
G:ああ、そうなんですか。
H:そう。陪審員が決めるんですよ。この人は逃げられるか逃げられないかっていうのを。
G:なるほど。
H:だって、僕は普通の人が見たら、「堀江さんは無理ですね」って思うじゃないですか。
G:ええ。思いますね。
※「アメリカの保釈に関してはちょっと誤解があったかも」とのことなので、より詳細な
内容は「陪審制 - Wikipedia」などを参考にしてください。
- 22 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 6
H:たぶん検察官はいろいろ言うと思うけど、でも弁護側も主張ができるわけじゃないですか、
そこで。すごい有名だし、どこ行ったってみんなすぐ気づくから、ってね。
G:逃亡もくそもないだろうと。
H:そう、逃亡もくそもないだろう、って思うじゃないですか。
G:誰でも思いますよ。
H:でも検察は「プライベートジェットなどを持っていて、飛行機で逃亡するかもしれない」とか、
そういうことを当然言ってくるわけです。
G:映画の見過ぎじゃないですかって話ですよね。日本の制度はそのあたりが
全然整備されていない、と。
H:いやそれはもう全然整備されていません。すべて全くの密室で決まってるじゃないですか。
G:誰も見てない所で勝手に決めてますからね。
H:そう。実は、重要なところっていうのはそこにあるんですよ。で、実際その例の事件の
裁判の部分も、経済事件だから裁判員は参加できないわけですよね、今後も。
そうするとやっぱり密室で決まっちゃうわけじゃないですか、事実上。
G:確かに。
- 23 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 7
H:職業裁判官が判決を出すことになるわけですから。職業裁判官で一番の問題点
というのは、やっぱりずっと彼らは極悪人を見てきているからバイアスが
かかっちゃうんですよ。
G:ああ、警察の人がずっと悪い人ばかり見てるから人をすぐ疑う、みたいなもんですよね。
H:裁判官も、刑事は刑事専門の裁判官がやるんですよ、ずーっと。キャリアがずっと
刑事事件ばっかりになっちゃう、ほとんど。例外ももちろんありますけど、ほとんどは
刑事部の中で出世をしていくんですよ。まあ世界で最も保守的な裁判所は
東京高等裁判所って言われてるんですけど。
G:そうなんですか。
H:高裁の裁判官のキャリアのなかで、裁判長ってのは、実は事実上最後の
キャリアなんです。スゴロクで言えば「あがり」のポストなんですよ。
官僚で言えば事務次官みたいなもんです。
G:かなり頂点ですね。
H:頂点なんですよ、そこが。そこから最高裁の判事になれる人ってのは、もう本当に
特別なんですよ。最高裁の判事っていうのは刑事裁判官からは一人か二人しか
選ばれないので。
- 24 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 8
G:少ないですね。
H:あの15人のうちの1人か2人なんですよ、刑事裁判官のキャリアでそこまで行ける人。
だからそれはもう名誉職みたいなもんなんですよ。特別な名誉職なんで、普通の人は
もうキャリアとして高裁の裁判長で終わりなんです。だからまあ、スーパー保守
なんですよ、大抵の場合は。
G:でしょうね。どう考えても。
H:スーパー保守か、めちゃくちゃ変わり者かどっちかなんですよ。
G:まあ普通の組織で考えますとそうなりますね。
H:ほとんどがスーパー保守で、たまにすごい変わった、正義感の非常に強い人がいる、
っていう図式です。
G:まあでもほとんど保守的な人でないとそんなとこまで出世できませんよね、
ああいう組織の中では。
H:そう。で、刑事裁判をずっと何十年もやってきて、検察官とべったりで、99.9%
有罪判決を書いてるわけです。有罪判決しか書けないんですよ、逆に言うと。
無罪を書くことっていうのは非常に特別なことで、非常に勇気のあることなんです。
しかも判検交流っていうのをやってますからね。
- 25 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 9
G:判検交流というと?
H:判事の「判」と検事の「検」なんですけれども、検察官がたまに裁判官になるんですよ。
そんなことあんの?って思うでしょ、あるんですよ。普通に。
G:めちゃくちゃじゃないですか。
H:めちゃくちゃでしょ?
G:それはめちゃくちゃ過ぎませんか
H:いや、でもそういうもんですよ、そうなってんですよ。要は、裁判官の気持ちになって
研修をしなきゃいけない、みたいな建前で。癒着してるんですよ。
G:ああ、なんかみんなグルというわけですね。
H:検事出身の裁判官なんてね、もうそりゃ検察寄りの判決書きますよね。
G:当たり前ですよね、どう考えても。
H:普通に当たり前じゃないですか。でもそういう制度も残ってるし、でも誰も
そんなことの問題提起をしないでしょ?
G:まあ普通のマスコミはしませんねー、そういうの。私もそんなものは初めて聞いたので。
H:判検交流なんて知ってる人はほとんどいないでしょうね。
- 26 :
- ★「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜 10
G:聞いただけでも大問題だと思うのですけど、普通に考えて。
H:おかしいでしょ?
G:世界的にもそんな制度ないんじゃないですか?
H:いや、意外とあるんじゃないかな、わかんないからね、国民はね、そんなの。
G:伝える人がいないから?
H:そうそう。
G:マスコミは何をしているのでしょう?
H:いやもうマスコミは、当然検事とはべったりですよ。
G:ああ、記者クラブとかありますもんね。
H:記者クラブでべったりですよ。だって検事と仲悪くなったら情報くれないですから。
G:なんかよく聞きますね、そういうの。
H:だからたまにはフジテレビみたいに「HERO」とか作って媚びを売ったりとか。
まあでもそれが処世術ってものですよね。
(後略)
2009年03月06日
新聞やテレビが絶対に書かない「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー後編〜
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090306_horiemon02/
- 27 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 1 /////
『ウォルフレンを読む』、関昿野(編集)、窓社1996年5月発行より
・・・・
なぜ日本は変わらないか
――ウォルフレンの日本権力論が提起したもの――
関 礦野
【せき・ひろの】
@【生年】1944年
A【現職】文筆業
B【最も重要と考えるウォルフレンのキーワード】正統性(正しい秩序をめぐる認識)
誤解されるウォルフレン
在日オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンの名は、今や日本でも広く
知られた名となった。これは一九八九年に刊行された大作『日本/権力構造の謎』がまき起こした
世界的な反響に氏が満足することなく、その後も日本における権力行使のあり方をめぐるすぐれて
論争的な著作を精力的に日本の公衆に向けて発表しつづけてきたせいである。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 28 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 2 /////
しかし知的な刺激にみちた『日本/権力構造の謎』(以下『謎』と略記)はもちろん、その後
日本の読者のために書かれた『民は愚かに保て』や『人間を幸福にしない日本というシステム』
(以下『幸福』と略記)などの一連の著作で氏が示した姿勢は、たんなるジャーナリストと
いうよりは知識人のそれであった。氏の問題提起をめぐる日本の保守派論客との論争も、日本の
現状に対する知識人の責任にかかかわるものであった。そして最近では、テレビの政治討論会の
席上などでアカウンタビリティという“ウォルフレン用語”が聞かれても、われわれはもはや
驚きはしない。日本の公衆にとって氏はすでに、ジャーナリストというよりは在日の国際的知識人
といっていい存在である。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 29 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 3 /////
しかしながら、三〇年以上もジャーナリストとして付きあうことになった日本という国の
現状に氏が知識人としてかかわったことは、さまざまな誤解の原因にもなった。昨今はさすがに、
氏を日米貿易紛争でアメリカの肩をもつ日本たたき屋とみなす偏見はなりをひそめたが、氏の
主張に共感する人々のあいだでさえ、内政干渉めいた政策提言をしているとか特定の党派に
テコ入れしているといった誤解が根強くある。また、『謎』は批判ではなく分析を意図した
書であると氏が強調しているにもかかわらず、同書を痛烈な体制批判の書だと思って読み、
喜んだり怒ったりしている人々も少なくない。氏が『謎』を書いた狙いは日本のユニークな
異質さを説くことにあるなどと、氏の主張とは正反対のことを信じている人々もいる。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 30 :
- マルクスは、資本主義を歴史上もっとも革命的な経済システムと見なしていました。
彼の革命理論は、資本主義がもっている革命的な性格が旧い社会システムを次々に
破壊していき、新しい社会を作り上げていくだろう、というものです。
資本主義は自らを常に革新しつづけなければ生き延びることができない経済システム
であるというのです。そのことをマルクスは見抜いていたのです。
そしてこの資本主義の革命的性格こそが、最終的には人類を共産社会へと半ば
必然的に導いてゆくものだろう、とマルクスは考えたのでした。
マルクスの革命理論では、資本主義を廃止して共産社会をつくるのではありません。
資本主義の発展の最終段階に共産社会が訪れることになっているのです。
共産革命とは資本主義の発展の別名にすぎません。資本主義の歴史それ自体が革命史なのです。
資本主義を廃止して共産社会をつくろうとすることは空想的社会主義だとされたのです。
- 31 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 4 /////
思うに、こうした誤解がはびこる原因の一つは、『謎』が欧米人の読者を念頭に書かれた著作
であるために日本人にはわかりにくいところがあるせいなのだ。例えば、『謎』の中心的な
テーゼは「日本には国家のかわりに“システム”がある」というテーゼである。このテーゼを
展開しているがゆえに『謎』は批判ではなく分析の書なのである。ところが、氏や欧米人の
読者には自明な「国家」のイメージは、大方の日本人にはなじみがないものであり、そのために
氏が国家とシステムを区別する理由も日本の読者にはピンとこない。他方で氏は、日本の実情に
うとい欧米人読者のために、中央官庁から農協や暴力団にいたるまで現代日本の諸相を詳しく
説明しながらそのテーゼを立証していかざるをえない。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 32 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 5 /////
そして日本の読者も見慣れた光景が出てくるそうした枝葉の部分に興味をひかれ、そこから
『謎』は体制エリートの横暴や腐敗を批判した痛烈な内幕暴露ものだという誤解が生じてくる。
こうして「日本には国家ではなくシステムがある」という同書の中心的なテーゼは理解されない
ことになる。実際、このテーゼにショックを受けたとか、その当否をめぐって論争が起きたとか
いう話を私はきいたことがない。その意味で『謎』とそれ以後の氏の一連の著作は、むしろ
これから日本人によってじっくり読まれ論議さるべき書なのである。もちろんかく言う私が氏の
主張を正しく理解しているという保証はないが、以下私が理解しえたかぎりで氏の日本権力論に
コメントしていきたい。
///// 1996年5月出版 ///
- 33 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 6 /////
ウォルフレンの出発点はどこにあるか
まず最初に、ウォルフレン氏の主張は「日本異質論」であるというよく見かける誤解を
とりあげたい。この誤解は、氏の問題の立て方が理解されていないところからくる。氏は
きわめて普遍的な問題から出発し、日本はその問題を探究するうえでの一例として論じられて
いるにすぎない。氏にとっての普遍的で根本的な問題、それは人間と社会にとって正しい
秩序とはどのようなものか、という問いである。そしてこの問いはただちに権力という問題、
権力の正しい使われ方とはどのようなものか、という問いかけに結びつく。文明の発展とは、
ますます人間が大規模で複雑に組織され人々の相互依存が深まる世界に生きるようになる
ことを意味する。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 34 :
-
/// 窓社 (1996/05発行) ////////
★ウォルフレンを読む
関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
ISBN-10: 4943983901 ISBN-13: 978-4943983903
http://www.amazon.co.jp/dp/4943983901
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////////// 絶賛発売中! ///
- 35 :
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/// なぜ日本は変わらないか 7 /////
こうした世界は、なんらかの形の強力な政治権力なしには統合されえない。ゆえに文明が発展
すればするほど権力は不可避で不可欠なものになり、政治の影響を受けない人間はいなくなる。
だからこそ文明の発展に伴い、権力行使の正しい在り方という問題はすべての人の最大の関心事
とならねばならない。現代においては、権力を正しい秩序を実現し維持するための手段にする
試みは、民主主義と呼ばれている。大規模で複雑な経済や技術の上に成立している現代社会に
おいては、権力なしには何事も生じず、それだけに民主主義は理想家向けの贅沢品ではなく
万人にとっての必需品なのである。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 36 :
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/// なぜ日本は変わらないか 8 /////
権力という事実、権力の必要をリアルに認めることなしには民主主義はありえない。ところが
第二次大戦後の西側諸国、とくに米国の社会科学の一大特徴は、権力の概念を排除してしまった
ことである(『謎』上巻、六三ページ)。米国流の行動論的社会科学においては、権力は漠然
とした「影響力」の概念に置きかえられたり、さらに多元的国家論においては権力現象に経済モデルが
あてはめられ、権力は市場取引によく似た方法でさまざまな勢力グループのあいだを移動すると
されている。権力概念を排除した結果、この社会科学は現存する西側の秩序や政策を暗黙裡に
受け容れ肯定するものになってしまっている。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 37 :
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/// なぜ日本は変わらないか 9 /////
西側には権力などという不愉快なものが存在しないかに見せかけるこの行動論的社会科学は、
実は東西冷戦を西側がイデオロギー上で闘いぬくために発展させられたものであって、それは
同じように権力という現実を否認した旧東側諸国のマルクス・レーニン主義に等価なものと
いえよう。『謎』における知識人ウォルフレンの最大の攻撃目標は、この行動論的社会科学に
ほかならない。そして、この科学に密接に結びついているのが、日本を含む西側諸国は米国と
ウリニつの国となる方向にほとんど自動的に進化するという、冷戦期の米国の独善的な信念である。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 38 :
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/// なぜ日本は変わらないか 10 /////
六〇年代に流行したライシャワーやロストウの近代化論を想起していただきたい。実際、
冷戦期とは東西双方においてあきれるほど粗雑で知的に有害な経済決定論や社会進化論が
まかり通った時代だった。そして氏を修正主義者と呼ぶことが正しいとすれば、それは氏が
権力の民主的統制という視点に立って、冷戦の副産物である行動論的社会科学や近代化論の
見解を「修正」したという意味においてなのである。
してみれば『謎』が刊行された八九年が、天安門事件以来、旧東側諸国で民主主義――
資本主義ではない――の嵐が吹き荒れ、ベルリンの壁の崩壊とともに冷戦が終結した年でも
あったのは偶然とは思われない。
///// 1996年5月出版 ///
- 39 :
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/// なぜ日本は変わらないか 11 /////
『謎』の問題提起と東欧民主革命による冷戦終結のあいだには、深い歴史的同時代性がある。
そして冷戦終結が冷戦期イデオロギーの死をも意味するものならば、われわれは経済決定論や
社会進化論がまき散らした幻想から現実へと立ち戻らねばならない。それは、世界のどの国も
固有のナショナルな過去をひきずり、過去をきちんと政治的に克服する努力なしには民主的
立憲国家になることはできない、というきびしい現実である。かつてカントは「恒久平和論」の
中で、商業の精神が平和な世界公民秩序をもたらす可能性を考察し、すべての国がまともな
立憲国家であることをその付帯条件とした。おそらくポスト冷戦の世界とは、すべての民族に
このカントの命題がナショナルにして普遍的な課題として課されている世界であろう。そして
この課題の実現のためには、すべての国の現状を権力の民主的統制という視点からきびしく
分析する必要がある。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 40 :
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/// なぜ日本は変わらないか 12 /////
そうした分析の対象としてウォルフレン氏は、庶民の日常から政財官界のトップまで永年くまなく
取材してきた日本を選んだ。そして分析の結果、氏は二つの重要な結論に到達する。その一つは、
日本人はいまだに「国家なき民族」であり、日本にその名に価する立憲国家は存在していない、
ということである。もう一つは、経済大国日本は民主主義の世界的な再生と発展にとって大きな
障害や脅威になっている、ということである。というのも、ポスト冷戦の世界における最大の問題は、
世界の現状を見渡せばわかるように、政治的民主主義の経済発展の論理への従属にあるからである。
そして民主主義の経済発展至上主義への従属という点において、日本は極端で不幸な例なのである。
ゆえに日本は異質どころか悪しき典型であり、氏の所説は日本典型論と呼ばれていい。もちろん
日本がそうした国になった背景には、日本人が過去からひきずってきた歴史的に特殊な権力行使の
在り方がある。だが氏によれば、そうした伝統も制度的にはせいぜい明治国家をへて徳川期に遡る
ものにすぎない。
/////// 出版社: 窓社 ///
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/// なぜ日本は変わらないか 13 /////
<変化の制度化>か<現状維持の制度化>か
そしてベルリンの壁が崩壊する以前に、すでに世界の関心は東西冷戦から日米の貿易紛争に
移っていた。したがって氏が『謎』のなかで欧米の読者に日本の権力構造を説明するにさいして、
まずジャパン・プロブレムをとりあげたのは当然のことだった。それに日米関係はジャーナリスト
としての氏の当面の最大の関心事でもある。というのもこの二大経済大国の争いは、両国の局地的
利害をこえて現に全世界に巨人な衝撃を与えているからであり、場合によっては世界恐慌の導火線
ともなりかねないからである。しかし、日米関係をめぐる欧米人の発言は、必ずといっていいほど
日本の体制エリートの経済ナショナリズムに立った感情的反応を呼び起す。氏の場合もその例外
ではなかった。米国の立場を代弁する日本たたき屋という見方は論外としても、いまだに氏のことを
ひたすら日本に市場開放と規制緩和をせまる英米型の経済的自由主義の信奉者と思いこんでいる
日本人は多い。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 42 :
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/// なぜ日本は変わらないか 14 /////
しかし「私は、究極的に自由市場原理に立脚した経済のみが成功すると信じる、新古典経済主義者
ではない。日本の場合は、これが正しくないことを示している」(『日本の知識人へ』六四ページ)。
氏は日米交渉というゲームのプレイヤーでもレフェリーでもない。ジャーナリストとして氏が注目
したのは、日米交渉に見られるコミュニケーション・ギャップだった。そしてこのギャップに関しては、
明らかに日本の側により大きな責任があるのだ。米側にも独善と錯覚がある。しかし、日本側は
この独善と錯覚をうまく利用し、いろいろな嘘をついている。米側はそれなりに現状を変えようと
しているが、日本側には現状を変える意志も能力もない。そして何よりも重大なのは、攻撃的
敵対的な貿易によって異常な貿易黒字をかかえこんだ日本経済が世界の通貨貿易秩序の最大の
撹乱要因になっていることに、日本側が無自覚であることだ。
///// 関 曠野 (編集) ///
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/// なぜ日本は変わらないか 15 /////
日米間の知覚の行き違いということが言われるが、日本側は日本に関する基本的な事実を知覚していない。
そして欺瞞にふけっている。自己満足し傲慢になった経済大国日本は、その力の正しい使い方を学んで
おらず、その結果は、国際的コミュニケーションにおける不誠実さとなって現われている。しかし
ウォルフレン氏は、交渉の日本側当事者たちが邪悪なペテン師集団でないことはよく知っている。
空文になった前川リポートを見てもわかるように、日本はその政策や方針を変えたくとも変えようが
ない国なのだ。そしてここにこそ、日本という謎を前に首をかしげる欧米人に対し氏が説明しなければ
ならない問題の核心がある。。それは、なぜ日本は進路の変更ということがまるで不可能な国なのか、
という問題である。それゆえに『謎』は、日本という国をひとえに変化の可能性という点に的を絞って
分析した著作であり、この視点に立った一貫した徹底的な分析の試みとしては日本人の書いたものを
含めて前例がない。
///// 1996年5月出版 ///
- 44 :
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/// なぜ日本は変わらないか 16 /////
民主主義についてはさまざまな定義がありうるが、その最も重要な定義の一つは「変化の制度化」
であろう。民主主義とは、暴力や独裁に訴えなくとも国家の政策や制度の変革が市民の自由な発意と
政治家のリーダーシップによって実現されうる政治体制のことなのだ。そしてこうした変化の
制度化が可能であるためには、少なくとも以下の五つのことが条件となる。それは、@有益な情報と
その論理的で私心なき分析が入手可能であること、A人心を変化に向けて動かしまとめる政治的
リーダーシップの存在でB変化の意味、目的および政治的意思決定の過程を討論可能なものにし、
討論による政策の変更を可能にするアカウンタビリティ(権威者の説明責任)の存在、C市民が
変革を実現するための効果的な手段の存在、そしてD紛争や反対を変化の契機として評価し、
民主主義にとって最も意義のある政治的過程として承認すること。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 45 :
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/// なぜ日本は変わらないか 17 /////
以上は、変化の制度化をめぐる氏の主張を私なりにまとめてみたものだが、とにかく日本には
右の五つの条件がどれも存在していないのである。だから日本は制度上は一応民主主義国家なのだが、
民主政治の最も重要な課題をまったく果たしえていない国なのだ。それというのも日本の現実の
政治体制は、変化の制度化どころか、その中にがっちりとビルド・インされた「現状維持の制度化」
の論理によって動いているからである。そこで後者の特徴をわかりやすいように図式化してみる。
【変化の制度化】
@情報と分析
Aリーダーシップ
Aアカウンタビリティ(説明責任)
C効果的な手段
D紛争と反対
【現状維持の制度化】
@リアリティの管理
A権力の拡散、権力中枢の不在
B非公式のヤミ権力の排外的秘密主義
C立法と司法の無力
D“調和”と“集団主義”のイデオロギー
/////// 出版社: 窓社 ///
- 46 :
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/// なぜ日本は変わらないか 18 /////
まず@だが、情報とその分析なしには、そもそも何か変革や改革の対象であるのかさえ、わからない
ことは自明の理である。いっさいの変化は、情報とその分析を手がかりとした学習から始まる。
ところが日本のジャーナリズム、学者、知識人は公衆に必要な情報をちゃんと提供していない。
また情報の明確で政治的に有意義な分柝もやっていない。ゆえに彼らほど現状維持の制度化に貢献
している存在はない。とりわけその最大の功労者は大手マスコミであり、彼らは市民に必要な情報を
サービスするという姿勢に欠け、体制の一環として美しい日本の秩序について道徳的に説教することに
関心をもっている。さらにジャーナリズム、学名、知識人は情報の提供やその分析を怠るだけでなく、
現実の管理者として振舞うことによって、政冶的に能動的な市民になるための知的手段を人民から
二重に奪っている。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 47 :
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/// なぜ日本は変わらないか 19 /////
こうして日本では万人に公開された共通の現実というものはなくなり、現実は政治的な交渉や取引
によって現状維持のために管理されうる対象と化し、現実についての偽りのイメージによって洗脳
された市民たちは体制に対して手も足も出なくなる。ウォルフレン氏は日本の官僚王国の批判者と
思われていることか多い。だが、氏は日本の官僚が概して有能で勤勉なプロフェッショナルである
ことを認めており、官僚制を分析したことはあっても官僚を攻撃したことはない。日本の官僚の問題は、
彼らが憲法の規定に反してまであれこれと仕事をやりすぎることにあるので、彼らに職務怠慢の
疑いはない。しかし、ジャーナリズムに関しては話は異なる。ここには世界最悪の職務怠慢と背任の
実例がある。一連の著作において氏の怒りにも似た批判は、官僚や企業経営者ではなく、日本の
ジャーナリズム、学者、知識人の怠慢と同胞市民に対する裏切りに向けられている。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 48 :
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/// なぜ日本は変わらないか 20 /////
人間の保守化しがちな性向と物事の惰性からすれば、変化は自動的に生ずることはなく、変化を
求める社会的合意も自然に形成されるものではない。変化のためには、そのための世論の焦点を
つくりだすような問題提起的リーダーシップが必要である。民主国家における社会的合意や協調は
そうしたリーダーシッブの求心作用がもたらすものであって、初めから与えられているものではない。
そしてリーダーが提起した問題をめぐる論争や反対も結果的にはそうした合意や協調を生み出す
ことに寄与するのである。そのためにはリーダーは、自分が提起した問題を公的に明確に定式化
しなければならない。そしてリーダーの決定か承認された場合には、彼にはその決定を実行する
ための権力が与えられていなければならない。ところが日本国家の一大特徴は「政治的説明責任の
中枢の不在」(『幸福』七九ページ)であり、変化のためのリーダーシップというものが根こそぎ
不可能になっている権力構造である。
///// 1996年5月出版 ///
- 49 :
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/// なぜ日本は変わらないか 21 /////
民主国家においては世論が究極の権威の源泉であり、この権威に対して説明責任を負うことを条件
としてリーダーには強大な権限が与えられている。だが、日本においては、権力は公的に国家権力に
統合されることのない幾つかの有力な政治的グループの間に分散していて、それらのグループは
自分の流儀で勝手に権力を行使している。代表的なグループとしては政財官界のほかマスコミ、
農協、警察、暴力団などが挙げられるが、これらのグループはグループ間や仲間うちで派手な
勢力争いをすることはあっても、一方が他方に従属して公的な国家権力を構成することはない。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 50 :
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/// なぜ日本は変わらないか 22 /////
「日本の権力は、自律的でかつ、なかば相互依存的な多数の組織に分散されていて、それらは
主権者としての選挙民に対して責任を明確にすることもなければ、互いの組織の間に究極的な
支配関係もない。政府のさまざまな活動に、このような組織すべてが関わっているが、ある組織が
他の組織に命令を下すことはありえない。どの組織ひとつをとってみても、国の政策の最終責任を
とったり、緊急を要する国家的問題について決定したりするだけの力はない」(『謎』上巻、九八ページ)。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 51 :
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/// なぜ日本は変わらないか 23 /////
変化への決定を下し説明責任を負うトップの座にいる者はない。官僚は国家体制におけるその
位置からして巨大な権限をもっているが、彼らとて究極的な決定を下しうる立場にはない。財界とて
しかりである。自らの力と威信を追求するさまざまな組織があるだけで、国家を公的に代表し国家の
ために選択や決断を行なう者はどこにもいない。そして「こういった日本の状況は、各種の利益団体
からの政府攻撃や内部抗争のために政府が意思決定できないというような、ほかの国の現状とは
まったく異なるということである。つまり、ロビー(院外団)の活動が政治を左右するという
状況ではなく、これまでの政冶理論のどの類型にも当てはまらないひとつの構造的現象なのである」
(『謎』上巻、三七ページ)。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 52 :
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/// なぜ日本は変わらないか 24 /////
だから、日本を特定の人間が牛耳る一枚岩の国家とみなす部の欧米人の通俗的な日本観は、
間違いなのだ。日本は東洋的専制国家でも、疑似共産国でも、権威主義的官僚独裁国家でも、
大企業と官僚が一体となって支配する日本株式会社でもない。さまざまなロビーが政府に圧力を
かける多元的国家とか職能団体・利益代表と政府が協調するコーポラティズムといった戦後の
欧米諸国をモデルにした政治理論も、日本には当てはまらない。こうした理論は政府が政策決定の
中心であることを前提にしている。究極的な中心や頂点のない日本国家の権力構造は、同じ
東アジアの韓国や中国にも見られないものである。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 53 :
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/// なぜ日本は変わらないか 25 /////
だが、間違えてはならない。日本の権力者たちは意思決定ができないのではない。政財官界
その他の有力グループは、市民や選挙民に対し何の説明責任を負うこともなしに、社会に重大な
影響を及ぼす政治的感思決定を毎日行なっている。こうして、誰がいつ何のためにどんな権限に
基づいていかにして下したのかわからない政治的な選択と決足が、日本の社会を動かしている。
そして有力グループは説明責任を負わないばかりか、その政策決定過程に排外的秘密主義の
ヴェールをかぶせる。というのも決定は現状を維持する目的で、すなわちグループの力と威信と
既得権益を保全する目的で、グループ自身のためになされるからであって、この真の動機は市民を
前にして公言できるようなものではないからである。組織エゴと秘密主義は常に不可分なのだ。
///// 1996年5月出版 ///
- 54 :
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/// なぜ日本は変わらないか 26 /////
これに対しウォルフレン氏の説くアカウンタビリティの原則は、組織の行動をめぐる変化を
可能にするルールといえよう。それは政治的意思決定の過程を公開することで討論の対象とし、
討論による政策の変更や旧習の廃棄を可能にする原則である。この原則は、権力を行使する
人間に対して、人間のいっさいの行動や決定には他者への奉仕という愛他的要素があることを
思い起こさせ、それによって権力に対する民主主義的な統制を実現する。きちんと説明責任を
負う者は、自分を公衆に対する奉仕者として自覚している者である。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 55 :
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/// なぜ日本は変わらないか 27 /////
組織エゴと秘密主義に密接に関連しているのが、日本の権力構造に特有のタテマエとホンネの
区別である。暴力団以外の日本の有カグループは、公的には民主国家の名誉ある成員として
国家の権威すなわち世論と選挙民の総意という権威に従属し、公衆への奉仕によってその高い
地位を得ていることになっている。しかし現実には彼らは、半自治的グループとして、市民が
委任したものではない権力をきわめて恣意的に自分自身のために行使しており、その力の及ぶ
範囲や他のグループとの関係は法の公的ルールに従っていない。それゆえに、民主国家という
タテマエと現実のエリート間の人脈を中心とした寡頭制というホンネのずれは不可避になる。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 56 :
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/// なぜ日本は変わらないか 28 /////////
もちろんタテマエとホンネが完全に一致している国など世界のどこにもないし、ある程度の
二枚舌や面従腹背は世の常であろう。しかし日本の場合は、話が違うのだ。日本においては
夕テマエとホンネの違いは、現状維持をはかる権力エリートの力の源泉として制度化されており、
ゆえにタテマエとホンネの差をなくそうという努力など皆無なのである。例えば大蔵官僚の
絶大な権力は、タテマエとしての民主国家があってこそのものであり、しかもタテマエ上は
「公僕」である彼らは独裁者とされて政治的打倒の対象とされる心配はない。しかも日本の
エリートがホンネの世界で行使する権力は、非公式な「ヤミ権力」(『幸福』九九ページ)に
ほかならない。そして非公式な権力に対しては、人々が選挙、訴訟その他の公僕としての権利を
駆使して闘いを挑むことが初めから不可能なのである。
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- 57 :
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/// なぜ日本は変わらないか 29 /////
だから現状維持をはかる権カエリートにとっては、タテマエとホンネがずれたまま民主主義が
空洞化した日本ほど往み心地のよい国はない。ところが日本人は、この制度化されたずれが生む
ヤミ権力という問題を認識していないことが多い。それはタテマエを原則と解釈するからである
(例えば権成ある研究社の『新和英大辞典』でもprincipleと訳されている)。この解釈に従えば、
タテマエとホンネのずれは日本人の柔軟なプラグマティズム(?)を意味するように見えるが、
これは開違いである。タテマエはむしろfacade, appearanceなどと訳されるべきであって、
この言葉は日本的なウチとソト、インサイダーとアウトサイダーの区別から解釈されなければ
ならない。つまりタテマエとホンネの区別は、強力な組織のインサイダーがもっともらしい
見かけの下に無力なアウトサイダーを操作することを意味しているのである。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 58 :
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/// なぜ日本は変わらないか 30 /////
民主国家において市民が体制を変革するための究極的な手段は立法と司法である。日本が
変わらない最大の理由は国家の立法部と司法部が無力なせいなのだが、この問題については
後で述べる。ともあれ、国家の権威がタテマエにすぎない世界で立法と司法ががまともに
機能することばありえない話である。そしてウォルフレン氏は、現状維持の制度化がエリートの
意向に即してはぼ完全に実現されている日本の社会を、市民社会と正反対のものとして
「政治化された社会(『幸福』五一ページ)と呼ぶ(この区別は、一九世紀ドイツの法学者
オットー・フォン・ギールケが人間社会を「支配結合」Herrschaftsverbandと「仲間団体」
Genossenschaftに大別したことによく似ている)。
///// 1996年5月出版 ///
- 59 :
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/// 窓社 (1996/05発行) ///////////
ウォルフレンを読む
関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
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- 60 :
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/// なぜ日本は変わらないか 31 /////
民主国家の公的権威が確立している場合には、国家が市民から委任された権力をもって支配してよい
範囲とそうでない範囲は、法と世論によって明確に区別される。市民社会とは、市民の自由に
委ねられ国家の支配や介入があってはならない領域である。ところが日本においては、中央官庁と
大企業を中心にした有力グループが非公式なヤミ権力を行使して社会に重大な影響を及ぼす決定を
勝手に行っているので、そうした政冶的決定がノーチェックで社会を左右するという意味で、
社会は「政治化」される。この無制限の権力にとって官と民、公と私といった区別は意味がなく、
その支配と干渉は家族生活や職場環境に及ぶ。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 61 :
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/// なぜ日本は変わらないか 32 /////
ここでは企業組織も、寡頭制エリートの権力追求のために存在しているので政治化しており、
その従業員を社会的に統制するという政冶的機能を果たしている。しかし、いかにエリートの
ための現状維持を目的として政冶化された社会においても、社会から変化がなくなることは
ありえない。そして社会が変化する必要は、紛争や反則によって表面化することが多いのだから、
エリートは全力をあげて日本の社会に紛争や反対が実在することを否定しなければならない。
彼らは昔から各種のトラブル・メーカーを体制のインサイダーとして取りこむ手法にたけている。
そして恐るべきは、人々が発作的本能的な紛争や反対を契機に現実を直視することを学び、
考え始め、思想をもつに到ることである。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 62 :
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/// なぜ日本は変わらないか 33 /////
人間社会の決定的な変化は思想によって起こる。だから日本のエリートは、現実を管理する
ことによって、人間の思考能力をも社会的に統制しなければならない。彼らは体制派の知識人や
学者の手をかりて、変化への可能性を神話と儀式によって封じこめようとする。こうして
現存する秩序は、唯一の不動の秩序とされ、それはエリートの権力行使によって生じたものではなく、
文化の産物、日本民族のユニークな先天的素質が“調和”や”集団主義”といった形で発現した
ものとされる。この種の神話によって日本は、変化に向かって開かれた出口をもたない、檻のような
社会として完結する。それは、ひたすら現状維持を志向する、いや、より正確にいえば、変化への
恐怖にこり固まったエリートに支配された世界である。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 63 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 34 /////
日本を呪縛する“組織の記憶”
ウォルフレン氏の著作においては日本の官僚機構が大きな比率を占めている。それだけに、氏の
主張を官僚王国批判に矮小化して受けとめている日本の読者も少なくない。しかし、先述したように、
氏の本来の意図は官僚批判にはない。氏がその日本権力論で官僚制をクローズ・アップしたことには、
構造的および歴史的な理由がある。まず第一に、氏が問題にしているのは官僚制自体というより、
官僚が絶入な権力を揮うことを可能にしている日本の政治風土である。変化への恐怖にとりつかれた
世界においては、万事に保守的なルーティン・ワークの専門家である官僚は、まさに水を得た魚
である。それゆえに日本の政治風土を深く理解するには、その典型的な住人であり代表者である
官僚の行動を分析するのが一番よい。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 64 :
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/// なぜ日本は変わらないか 35 /////
第二に、日本のように立法と司法が無力な国の政府を分柝しようとすれば、立法と司法を押しのけて
異常に肥大した行政の権力がその中心とならざるをえない。実際、歴史的事実としても、近代日本の
政治を動かし歴史を作ってきたのは行政官僚なのである。彼らをぬきにして近代日本の歴史は語れない。
そこで氏は『謎』において、官僚が勝手にヤミ権力を行使できる不思議な民主国家の実情を欧米の
読者のためにあれこれ実例を挙げて説明している。そして同書のクライマックスというべき一四章
(「支配力強化の一世紀)と一五章(「不死鳥の国」)において、いかにエリート官僚と官僚出身の
管理者型経営者が戦後日本という巨大な生産マシーンをつくりあげてきたかを、明治期にまで
遡りながら分析している。
///// 1996年5月出版 ///
- 65 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 36 /////
本書の読者諸賢は氏のこうした文章をすでに読んでおられると思うので、ここでその内容を
長々と祖述することはしない。その代わりに、氏の論点のなかで日本の読者が今後ともじっくり
考えてみる必要があると思われるものを以下幾つか列挙したい。
(1) 氏によれば、戦後日本の経済大国化は占領軍の民主化改革がまったく皮相なものだった
ことを示している。日本の経済成長は、内務省の流れをくむ経済統制官僚が三〇年代に戦時産業体制を
確立するために全体主義の影響下で作成した産業・金融の統制政策にのっとって推進された。
占領軍は彼らを軍部と財閥というライバルから解放してやった。いわゆる一九五五年体制は革新官僚が
三〇年代に唱えていた大政翼賛体制をほぼ実現したようなものだった(『謎』下巻、二二四ページ)。
/////// ウォルフレンを読む ///
- 66 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 37 /////
そして経済成長は新たな国家総動員の試みだったのだが、計画として公的に呈示されなかったので、
誰からも攻撃されずに済んだ。こうした氏の見解はさほど新しいものではなく、日本現代史に
関心のある左翼知識人なら周知の事実とさえ言える。だが問題なのは、この事実か国民の常識に
なっていないことだ。庶民はいまだに日本の経済成長は民主主義と日本人の勤勉さの賜物だなどと
思いこまされている。つまりここには、日本には知識人向けの知と大衆向けの宣伝という二種類の
知があるという、氏が『幸福』の中で指摘したことの典型的な例があるのだ(『幸福』二二ページ)。
/////// 出版社: 窓社 ///
- 67 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 38 /////
(2) 官僚は、日本を巨大な生産マシーンにせよという至上命令に盲目的に従う。というのも
彼らは生産力の増大だけが日本国家の存立と安全を保障すると信じているからだ。戦後日本は
官僚が統制する経済的国防国家であり、国家の安全という至上命令を前にしては個々の国民など
使い捨ての消耗品にすぎない。その点では特攻で戦死した学徒兵も、旧満州に置き去りにされた
開拓民も、過労死するサラリーマンも、焼け跡に放り出された大震災の罹災者も、薬害エイズの
犠牲者も、みな同じことである。官僚の国防幻想があるかぎり、人権、自由、幸福といった言葉は
日本では虚ろな言葉であるだろう。そして経済力という力しか信じない日本の官僚の思想と行動を
国際社会が承認することは決してないだろう(念のため付け加えれば、氏が指摘するように日本には
真に自由な資本市場と労働市場が存在しない以上、日本は市場経済の国ではないのである)。
/////// 価格:¥1,916 ///
- 68 :
- ウォルフレンっていまだに小沢を改革者とか言ってヨイショしてるの?
- 69 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 39 /////
(3) 氏によれば、日本の官僚制を欧米のそれと分ける重要な特徴は「組織の記憶」にある。
組織とその成員の一体化や終身雇用を特徴とするこの官僚制は、形状記憶合金のような組織の
記憶を持っており、それによって敗戦ショックを生きのび強力に再生することができた。独裁的な
旧内務省を解散させた占領軍は「組織の記憶の生命力や強さや死後にも残る力にまったく気づいて
いなかった」(『謎』下巻、二一二ページ)。この非人格的組織の記憶こそが、日本の真の支配者
なのかもしれない。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 70 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 40 /////
それゆえに日本の権力エリートは変化に対応して方針を転換することができないし、その権力と
支配の結果に対して人格的な責任をとることができない。日本は組織の記憶による自動操縦に
委ねられた国家であり、船長も舵手もいない五〇万トン・タンカーである。しかしこの記憶に
日本の政治化した官僚制の究極のアイデンティティがあるのだとすれば、それを一種のプログラム
として分析することによって官僚の権力を解体する途も開けてくるはずである。日本民族が
ユニークであるとか先天的に調和を好むといった神話も、万邦無比の国体とか家族国家という
戦前の官僚制のイデオロギーが組織の記憶によって再生したものであろう。
///// 1996年5月出版 ///
- 71 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 41 ///////
(4) 日本の官僚の特徴は、自分たちだけが何が善であるかを知っており間違いを犯すことが
ないと信じこんでいることである。善を認識し間違うことのない存在とは、ルソーが一般意志と
呼んだものである。すなわち、官僚は自分のことを勝手に一般意思の体現者とみなしている
のであり、だからこそ彼らは管理者として政治化しているのだ。ウォルフレン氏によれば、
日本の官僚が政治化している原因は、彼らの原型が戦前の内務省の官吏、つまり社会統制官僚に
あるからである。ざらに氏によれば、この官僚制は明治の元老山県有朋の政党政治と民主主義に
対する深い恐怖と嫌悪から生まれ、いっさいの社会的変化を阻止すべく山県によって仕組まれた
ものである。これは大いに傾聴に価する見解といえよう。
///// ウォルフレンを読む ///
- 72 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 42 ///////
というのも従来の日本の歴史学は明治の元老といえばもっぱら伊藤博文に注目して、山県という
陰険な権力亡者の役割を軽視してきたきらいがあるからだ。山県に関する研究を深めることも、
日本の官僚を公僕に変えるためには不可欠な、一歩といえるだろう。しかしながら、氏が分析した
日本の官僚制の問題は、役所に対する情報公開の要求、オンブズマン制の導入、市民による
監視機構の設立といった方策で片付くような問題ではない。そうした試みもちろん無意味ではないが、
根本問題は官僚の無統制なヤミ権力をはびこらせる政治風土であり、氏の言う「システム」
なのである。
//////// 出版社: 窓社 ///
- 73 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 43 ///////
押しくらまんじゅうの日本社会
「日本には国家ではなくシステムがあるだけだ」とウォルフレン氏は言う。ではシステム
とは何か?それは変化の反意語であり、変化というものを不可能にしている日本社会の
組織原理である。それは普遍的で基本的な組織原理なのだから、大蔵省、暴力団、農協、
マスコミ、教育機関のどれにでも当てはまる。つまりこれらの組織のあいだには、その
異質さにもかかわらず、その組織の力学と成員の動機においてきわめてよく似た構造的
特徴があるのだ。ゆえに官僚制も、システムの最も強力で危険をはらんだ一例にすぎない。
///// 価格:¥1,916 ///
- 74 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 44 ///////
普遍的な組織原理であるかぎりにおいて、システムには官と民の区別はないし、システムに
取りこまれた家族もざらにあるのだから、公と私の区別もない。システムの影響力は個人の
内面にさえ及ぶのだから、精神と物質の区別さえないのだ。こうして日本においてはシステムは、
一種の宇宙的運命の観を呈し、そこからシステムがもたらした結果に対してはなにごとも
「仕方がない」とする庶民の反応が生じてくる。そしてシステムのこの捉えどころのない
包括的な性格のおかけで、日本の権力者が「日本には権力の行使などというものはなく、
美しい日本文化があるだけだ」などと主張できることにもなる。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 75 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 45 ///////
システムが生じてくるのは、日本の社会に何が正統な支配であるかについての合意がなく
ルールに則した服従ということが不可能なせいである。誰が最終的な支配者であるかは誰も
知らない。ゆえに日本の有力な組織は可能なかぎり自らの力と威信を追求しようとする。
この力と威信の迫求は当然他の組織との紛争をひき起こすが、そうした紛争を解決するための
合意された予見可能なルールは存在しない。正当性を承認されたルールに代わるものは、
脅しと威嚇が生み出す力関係であり、そうした力関係に基づく不安定な疑似秩序である。
そして組織間に公的な支配と服従の秩序が存在しないこととは裏腹に、各組織の内部では
組織に対するその成員の軍隊的な服従が要求される。システムのこの側面は“イエ原理”と
呼ばれていいだろう。
///// 1996年5月出版 ///
- 76 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 46 ///////
こうして力と威信を追求する組織間の紛争は、力の対抗と均衡からなる力の相対的配置図を
つくり出し、それはまるで意図的な合意や計画から生じたかのように見えることがある。
例えば日本の政治がシステムの所産であることを知らない欧米人は、日本人に経済的な
世界支配の計画や陰謀があると思いこみやすい。しかし「日本政治の歴史は、政治的目標
というものは、それが完全に意識されていなくとも実現は可能であるという事実を立証していると
筆者は思う。至る所で接することのできる日本主義的な宣伝活動は、強力な中核機関が源として
あるわけではなく、それぞれ別個の権力集団が共通の必要性から自然に発しているものだ。
///// ウォルフレンを読む ///
- 77 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 47 ///////
同様にして、それぞれの権力集団が、各グループの政治的な生き残りを確かにし、最良の
生存条件を得ようと努力する結果、その個々の尽力が緊密につなぎ合わさって社会構築の
青写真にもとづいて実行されているかのように見えるだけだ」(『謎』下巻、二七二ページ)。
しかしシステムがもたらす力の相対配置図は、結局、合意された計画ではない。それゆえに
システムを構成する諸組織は、現存する力関係に予見不可能な変化が生ずることを極度に恐れ、
状況の変化に対する警戒を怠らない。システムの影響は個人の行動にも及ぶ。日本では
人間関係が力関係になっていることか多く、日本人はレーダーを張って自他の地位や状況を
正確に判断しながら行動しなけれはならない。
//////// 出版社: 窓社 ///
- 78 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 48 ///////
全体としての日本社会をシステムとして見るならば、それはさまざまな有力な組織が
押しくらまんじゅうをしている社会と言えよう。各種の業界を主役とするこの押しくらまんじゅう
においては、当然図体の大きな者が勝つ。そして支配と服従の明確なルールのないこの社会に
おいては、被害者意識が正当性の代用品になっている。この意識が押しくらまんじゅうを
道徳的に正当化するのだ。ゆえに日本では、中央官庁や大企業のエリートでさえ精神的には
被害者意識のかたまりであることが多い。
///// 価格:¥1,916 ///
- 79 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 49 ///////
そしてこの社会で最も悲劇的なのは、有力な組織へのアクセスを持たない弱者の孤立と
無力である。押しくらまんじゅうで動いている国に、本来の意味での権利という思想はない。
当然の権利の代わりに権力者の慈悲や恩恵が強調される。そして弱者のほうも、その権利の
主張を脅しや威嚇という形で行なうことが多い。民主主義を推進するはずの労組や民主団体も、
組織の力と威信の追求に狂奔しているのが普通である。また日本では有力な組織への所属が
ただちに特権的な政冶的地位を意味するので、そこから人脈による貴族階級が生まれる。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 80 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 50 ///////
要約しよう。正しい秩序についての社会的に共有された認識と何が正統的な支配であるかをめぐる
合意が存在せず、現世的な力関係がすべてであるような社会においては、システムはほとんど自動的に
生成してくる。そしてシステムについて最も強調さるべきことは、変化に対するその抵抗である。
というのも、ここでは対抗と均衡による力の相対的配置図が秩序と安定の唯一の保証なので、新規な
事態による配置図の変更は、秩序の全面的崩壊につながりかねないからである。さらに忘れては
ならないことに戦後の状況がある。日本が国家ではなくシステムとしてやってこれたのは、日本が
一人前の近代国家として荷なうべき義務や責任を米国がずっとおんぶにだっこで引き受けてきた
からなのだ。
///// 1996年5月出版 ///
- 81 :
-
/// 窓社 (1996/05発行) //////////////////
ウォルフレンを読む
関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
ISBN-10: 4943983901 ISBN-13: 978-4943983903
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- 82 :
- ★談合文化論 何がこの国の「社会」を支えるのか 1/2
宮崎学/著 出版社名 : 祥伝社
出版年月 : 2009年9月
[目次]
土建屋の逆襲;日本の基層社会で起こっていること;
日本に「自由社会」などない;
談合の起源;
官製資本主義が談合を生んだ;
近代法とともに談合が生まれた理由;
官僚文化と土建文化の接点で;
顔役、金筋、新聞屋;
談合文化が高度成長をもたらした;
談合を変えた田中政治;
自治型談合から癒着型談合へ;
談合の復活が日本を救う;
日本に本当の自治社会をつくるために
[出版社商品紹介]
“突破者”による「談合」擁護論であり、「談合」を通じた日本文化論。
- 83 :
- ★談合文化論 何がこの国の「社会」を支えるのか 2/2
出版社・メーカーからのコメント
土建の現場を知り尽くしたアウトロー・宮崎が世に問う! 日本が日本であるために必要な
「法を超えたもの」とは。 「談合は悪」――なのか? この国に流れつづける「話し合いの文化」
談合とは、徳川時代まであったムラの自治に根ざしたもので、自治を運営する自分たちの掟をつくり、
それにもとづいて自己統治していくうえでおこなわれた構成員全員による話し合いのことであった。
近代になってからムラの自治は奪われ、国家行政に組み込まれたが、社会の基層には談合文化が残った。
日本は建前上「法治国家」になったが、社会のトラブルが司法の場に持ち込まれて、それを一つ一つ
解決していくことを通じて法が具体的に形成されていく、というヨーロッパ近代では成立した過程が
日本近代では成立しなかった。問題が発生した具体的な現場で、公式のルートには乗らない非公式な
話し合いで解決されてきたのである。(本文より) 談合の歴史を見ることで、この国の姿が見えてくる
(本書の主な内容)
■「一般競争入札」は土建屋に何をもたらしたか
■土木王国=田中角栄政治を崩壊させた小泉改革
■なぜ「談合坂」という地名があるのか
■明治政府の殖産興業が「土木建設請負業」を生んだ
■戦時統制経済と高度成長経済はつながっている
■「単なる談合なら無罪である」という地裁の判決
■「談合文化の否定」はアメリカからやってきた
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4396613431
- 84 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 51 ///////
求められる法の支配と道徳的リーダーシップ
それではどうすれば日本は名実ともに近代国家へと脱皮できるのであろうか。それには、
市民が自由な討論をつうじて正しい秩序についての認識を共有すること、および正統的な
支配をめぐる社会的合意が成立することが必要である。しかしながら、ウォルフレン氏が
トップ・ダウンのピラミッド型権力構造の必要性を説きながら、他方で市民的自由の価値を
強調してやまないことには、とまどいを覚える日本人が多いのではあるまいか。戦後民主主義の
感化を受けた日本人には、民主主義をある種の粗雑なアナーキズムとごっちゃにする
傾向があり、そうした人々にとっては権力と自由は対立概念なのである。
///// ウォルフレンを読む ///
- 85 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 52 ///////
しかし真にリベラルな政治思想は、民権としての権力を強調する。すなわち@権力の所在と
行使は誰にでもすぐ見分けがつくように公示されていなければならない。そうであってこそ
討論の権力に対する監視や統制が可能となる。A法の最も基本的な役割は、社会の統制ではなく、
権力に対する人民の統制を可能にすることにある。人民と為政者の問に緊張がなければ法は
存在しない。ゆえに国家と市民社会、組織と個人の間に明確な境界線を引き、後者を前者による
干渉や侵害から守るということも、法の基本的な使命なのである。Bそうした法は人民の間に
共有された正しい秩序についての認識を究極の源泉とし、そこから派生するものでなければ
ならない。
//////// 出版社: 窓社 ///
- 86 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 53 ///////
そして、このリベラルな民権思想の核心にあるものこそ、法の支配 the rule of low の
原則にほかならない。法の支配、すなわち独立した立法と能動的な司法は、人民の世論による
権力の統制を可能にするだけでなく、紛争や反対を社会変革の契機に変えることで変化の制度化を
実現する。民主主義の問題は、法の丈配の実効性の問題に尽きるといっていい。そして日本が
国家ではなくシステムにすぎないのは、まさしくこのタテマエ上の民主国家に法の支配が
存在していないからである。
///// 価格:¥1,916 ///
- 87 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 54 ///////
「たしかに、日本の社会にも多くの法律がある。事実、ときに外国人から日本には法律が多すぎると
指摘されるほどだ。日本の役所では、上から下まであらゆるレベルで、当局者のそれぞれの仕事に
関連して、秩序維持のために自由に発動できる多くの法律がそろっている。
しかし日本では、私がしばしば述べてきたように、最も重要な事柄は正規の法の規制を受けないのだ。
日本の政治構造の事実上の本質部分も、一切、法体に基づいていない。前段で述べた、日本の巨大な
経済システムの最も重要な側面も、法律の条文規定にまったく基づいていない。実際は、日本人の
経済活動は、多くの側面で法律の文言を組織ぐるみで破っている。たとえば、系列構造が存在すること
自体、日本の独占禁止関連法(米国の独禁法を真似たもの)を、そっくり虚仮にしている。(中略)
法律は何にもまして官僚の道具だ。官僚が社会秩序を保つための道具になっているばかりでなく、
彼らの望みどおりの制度や条件を確実につくり上げるための道具としても使われている」(『幸福』
一〇一−一〇二ページ)。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 88 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 55 ///////
しかし「戦後の正規の法規に定められた通り、真に独立し、政治に従属しない司法があり、
人びとか少しずつ訴訟になじんでくれば、戦後の<システム>が今日ある姿にまで強化される
ことは阻止されていたはずである。独占禁止法か一貫して公平に通用されてきていれば、
阻止できたはずだ。公職選拳法を厳正に適用してもそうできただろうし、大企業と自民党との
腐敗した関係、その他の<システム>を存続させるさまざまな非公式の人間関係や慣例について
司法の審査がおこなわれていれば、阻止できただろう。
///// 1996年5月出版 ///
- 89 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 56 ///////
民衆が上手に訴訟戦術を展開すれば、今日、いろいろな活動を制限しているあらゆる法制外の
行政措置について、裁判所に訴えることができたにちがいない。実際に企業家が官僚を裁判所に
訴える可能性があれば、<システム>管理上の目的の多くが根底からくつがえされていたはず
である。さらに言えば、無数の人脈によって動かされている現在の<システム>は、法的な
手続きを一貫して適用することによって可能になる政治的な検分に耐えてまで、存続することは
できないだろう」(『謎』上巻、三六二ページ)。
///// ウォルフレンを読む ///
- 90 :
- ★あれこれ 弁護士 飯島奈絵
次に、感じたのはアメリカ人、そして、ここに住む日本人の方々の参政意識の高さ。
日本では、多くの国民が「政治は政治家が密室で利権がらみであれこれ決める何だか
よくわからないおどろおどろしいもの。」といった意識を持ち、政治に関わろうとしない。
露悪的にいえば、政治に関心があるのは権力意識がよほど強いか、妙に純粋で理想論
ばかりを述べる「青い」人か、宗教関係で動員がかけられた人といった意識がある。なぜ
このように違うのか。単なる「国民性」ではすまないであろう。日本人も米国の政治は
面白いと思っているのだから。違いは大統領選か?二大政党制か?
勤務先法律事務所で『民主主義』を感じたことがあった。クライアントの日本企業が
州法に抵触した。勤務先事務所は「州法の制定手続、規制方法に手続的瑕疵がある。
当該法の規制範囲は広範に過ぎる点でも問題がある。争おう。」という。しかし、
日本企業は煮え切らない。日本では訴訟を提起したということ自体、新聞沙汰になる。
人聞きが悪い。企業イメージが下がる。その上、監督官庁にたてついたら、どのような
不利益があるか。国にたてつくとの構図も企業イメージを下げる。日本企業のそんな
思考方法を説明したところ、米国人弁護士に呆れられた。「法律に瑕疵があれば、
その是正を求めることは、民主主義における市民の権利であり義務でないか。」と
言われた。やはり日本はムラ社会なのか、出る杭は打たれるのか。国は「お上」なのか。
http://www.wjwn.org/views/05summer/sakairijima.html#_ftn2
- 91 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 57 ///////
そうなのだ。まるで宇宙的運命のように見えるシステムは、日本に真に独立した司法と
能動的な立法さえあれば、太陽の前の雪ダルマのように消えていくものなのてある。しかし、
日本の司法と立法は事実上行政に従属し、絶望的なほど無力である。氏が指摘するように、
法務省は最高裁事務局をつうじて司法の独立を骨ぬきにしてしまっており、長らく政党の名に
価しない自民党に支配されてきた立法府は、中央官庁の資金を建設業などをつうじて地方に
ばらまく利害誘導政治に従事することで行政を補完してきたにすぎない。
//////// 出版社: 窓社 ///
- 92 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 58 ///////
そして司法と立法のこの目を覆いたくなる現状は、あれこれの制度的手直しや、ましてや
金権政治家を道徳的に非難することで打破されるようなものではない。司法の独立と立法の
能動性を確立するためには、おそらく日本の政治風土を一変させるようなある種の精神革命が
必要なのだ。というのも、日本に法の支配が不在である原因は、官僚が法を権力の道具として
使うことを当然とみなすような日本人全般の法意識にあり、それには日本の宗教的、知的伝統が
深くかかわっているからである。
///// 価格:¥1,916 ///
- 93 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 59 ///////
大方の日本人は法ときくと警察や役所を思い浮べる。実際、世界の主要国の中で日本は、
その国民が法の原点は司法にあることを理解していないおそらく唯一の国である。欧州に
おいては中世の王権は司法権と不可分であったし、欧州の法の源流をなす古代のイスラエルや
ギリシアやローマの法はいずれも裁判官や弁護士の法であった。欧州では文学でさえ
『アンティゴネー』から、『ヴェニスの商人』や『罪と罰』にいたるまで、法や裁判を主題と
したものか少なくない。その一方で法に基づく行政が確立するのは欧州では、近代法治国家の
成立以降のことにすぎない。また中国語でも法という言葉は、もともと堤防で囲まれた水面の
平らな様子を表わし、転じて訴訟の公平さを意味するようになった、司法起源のことばである。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 94 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 60 ///////
ところが日本では、八世紀に律令国家がつくられて以来、鎌倉時代の一時期を除けば、
法は常にたんなる禁令か行政の手段とみなされてきた。そして司法権がその権威を確立する
ためには、「正しい秩序とは何か」という問いをめぐる一貫性のある宗教的、思想的伝統が
不可欠なのだが、政治的便宜主義によって神仏儒の三者を使い分けてきた日本には、そうした
伝統は生まれようもなかった。ちなみにウォルフレン氏は言論における論理的一貫性の重要さを
よく強調するが、西洋の倫理学もその起源は法廷弁論にある。
///// 1996年5月出版 ///
- 95 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 61 ///////
近代国家の三権分立の原則は、日本ではたんに抑制と均衡の原則として理解されがちである。
そうした理解は、三権の間に権威の序列があるということを見落としている点で、不充分な
ものである。この権威の序列からすれば、行政は立法に、そして立法は司法に従属しなければ
ならない。この司法を頂点とする権威の序列こそ、国家による権力の行使が許容される条件であり、
支配の正統性の根拠である。そして司法のこの卓越した権威は、民主主義の原理が多数決に
ではなくて正義にあることを示している。
///// ウォルフレンを読む ///
- 96 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 62 ///////
多数決の原則は、自由と平等の原理とある程度まで両立可能とみなされた次善の策にすぎない。
司法によって民主主義の原理が正義であることが明らかにされた具体例を一つ挙げよう。
七〇年代の日本は水俣などの四大公害訴訟に揺れたが、そうした激甚公害の主な被害者は
日本全国でも総勢三五万人にすぎない沿岸漁民だった。彼らは国民中の極少数派である
ばかりか、経済成長路線を突き進む官僚や財界にとってはいてもいなくても同じ虫ケラの
ような存在だった。そして四大公害訴訟の判決内容をどう評価するにせよ、沿岸漁民は
司法という手段によってのみ、権カエリートに彼らがなした不法行為を公に認めさせることが
できたのである。
//////// 出版社: 窓社 ///
- 97 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 63 ///////
ここで私がウォルフレン氏とともに民主主義の原理は正義であることを強調するのは、
正義という思想なしには権利という言葉が何を意味しているのか理解できなくなるからである。
そしてこの正義という問題に関連して、氏が説くアカウンタビリティの原則もやはり司法起源の
ものだといえる。判決理由の付いていない、あるいは意味不明の文章で書かれた裁判所の
判決など誰も承認しないだろう。裁判所の権威は、たとえ相手が被告席の凶悪犯であれ、
裁判の当事者を人格をもつ他者として認めその決定をきちんと説明する姿勢に結びついている。
///// 価格:¥1,916 ///
- 98 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 64 ///////
そして司法において法とはそうしたものであるなら、同じ基準は行政と立法における法の
あり方にも適用されなけれはならない。すなわち行政と立法委においても、法はその意味や
目的や決定の過程が公的に明記されたものでなければならず、口頭による指令や怪しげな
メモなどがまかり通ることがあってはならない。強大な国家権力の存在が承認されているのは、
ひとえにそれが人民に奉仕するものてあることを根拠としてのことであって、ゆえに権威者の
説明責任を伴わない権力の行使は許されないのである。
///// 関 曠野 (編集) ///
- 99 :
-
/// なぜ日本は変わらないか 65 ///////
戦前の日本帝国と戦後の新憲法下の日本国家の最大の違いは、日本が戦力を放棄した平和国家に
なったこと――これは嘘である――ではなくて、戦前の行政国家から司法が最高の権威である
司法国家になったことである。しかしこの司法国家日本は、口にするのも恥ずかしいタテマエ
にすぎない。戦後の革新勢力がそのお題目めいた平和主義に注いだ熱意とエネルギーを、せめて
その半分でも日本をその名に価する司法国家にするための運動に注いでいたら、日本はどれほど
今日とは違う国になっていたかもしれないのだ。
///// 1996年5月出版 ///
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