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探検の歴史


1 :2010/09/11 〜 最終レス :2013/09/07
世界地図の空白を埋めていった先人たちを語れ

2 :
高岳親王(799〜865)
平城天皇の第一皇子。真言僧として出家し、天竺を目指すが、その途中羅越
国で流砂に飲み込まれて死亡したとされる。
羅越国については、ラオスないしはマレー半島とする説が有力。
ただし、その場合は流砂に飲み込まれたという記述とは矛盾する。
11世紀には、マレー半島の言葉が日本に伝わっており、数詞とされていたも
のは、現代マレー語と一部対応している。
金剛三昧(9世紀)
唐代に中国へ渡り、更に中天竺まで行って帰還して来た日本人僧。
本姓や詳しい経歴は不明であるが、中天竺へ巡礼して壁画を見て来たといい、
それも二回も渡天していたという。
また、四川も訪れていたらしい。

3 :
進んで渡海した僧や商人ではないが、漂流者の異国体験も興味深いものがある。
津太夫(1744〜1814年)
仙台藩の御用商人として物資を満載し江戸に向かう途中、
暴風雨に遭遇し船の転覆回避措置として帆柱を切断したため自力航行不能になり、
約半年間の漂流後、当時はまだロシア帝国領だったアリューシャン列島に漂着。
数々の苦難の末、シベリアで出会った日本人の案内でシベリアを横断して首都ペテルブルグに到着、
帰国を切望する津太夫ら四名は外交使節として日本に向かうロシア特使とともに
北海⇒カナリア諸島⇒マゼラン海峡⇒ハワイ島を経て日本に帰還することができた。
上記の通り、本朝初の地球を一周した人物ながら、教科書にも載らず、人物伝すら知られない人物。

4 :
音吉(1819〜1867)
尾張の人。13歳の時、江戸へ向かう船が遠州灘で遭難。
388日間漂流した末、14人が3人となって、現在のアメリカ合衆国ワシントン州に漂着。
原住民に売り飛ばされた後、モリソン号に乗って帰国しようとするも叶わず。
明治を目前に、帰国を望みながら亡くなった。
息子(母はマレー人)は父の遺言に従い、日本に帰化している。
なお、日本人としてはおそらく最初にロンドンの土を踏んだ人物である。
(寄港自体は津太夫一行が先)

5 :
ハンノが最強

6 :
>>5
「ゴリラ」の発見者ですね。
しかし、記録はともかくネコ2世の方が距離的には上では。
時代が下ると、鄭和なども出て来ますが。
徐福は、始皇帝本紀だと実際に航海に出たのかも疑わしい。
『アナバシス』の顛末は、探検と言ってよいのでしょうか。

7 :
>>2
その時代だとロシア関係が目立つね。
大黒屋と高田屋は有名だが、同じ頃には中川五郎次という人がいる。
吉村昭の「北天の星」参照。

8 :
>>7
1000年も違いますけどw
高岳親王(799〜865)
金剛三昧(9世紀)

9 :
アイスランドに行ったノルウェー人たち

10 :
それは探検ではなく移住っていうの(^〜^)

11 :
新しい移住先を見つけるのも探検あればこそ。
ところで前の方に出た漂流の話は、探検と言うより冒険だな。

12 :
コロンブス

13 :
そういえば前人未踏の土地とかって残ってないの?

14 :
未踏峰としてナムチャバルワという山がある。
中国とミャンマーとインドの国境あたり。

15 :
まだ未踏の地があるのか!
やはり地球は広いな〜

16 :
未踏といっても上をヘリで飛んでるからな。
本来の探検・冒険はもう出来ないだろう。
あとは地底や宇宙に舞台を求めることになる。

17 :
深海は最後の秘境だよ

18 :
新しい中国の有人深海潜水艇は7000mまで潜れる。
日本のしんかいの6500mを抜かれちまったよオイ。

19 :
>>18
しんかい6500は、設計上1万メートルよりも深く潜航できる。
問題は、それが日本に1台しかない事だ。
しんかい2000も、事実上退役状態だし・・・

20 :
>>19
しんかいの方だけ安全係数の下駄を履かせて1万メートルより深く潜航できるとか
言っても意味がないような。
実用潜航深度は日本の「しんかい6500」が6500mで、中国の「蛟龍1号」が7000m。
潜水艇も必要だが、海洋調査船も日本はもっと造るべきだ。

21 :
別に中国とムキになって張り合う必要ないだろ。
意識しすぎだ、おまえら。

22 :
探検が盛んだった時代ってのは
つまるところムキになって国同士が張り合ってた時代なんだぜ。
16世紀にはスペインvsポルトガル
18世紀にはイギリスvsフランス
で、21世紀には日本vs中国というのは言いすぎか
シャカリキに頑張れば勝てる可能性はあるが、
クールな無関心さはでは中国の後塵を拝する未来が確定。

23 :
ポルトガルみたいにムキになりすぎてキャパシティを超えてしまった例もある訳だがw

24 :
>実用潜航深度は日本の「しんかい6500」が6500mで、中国の「蛟龍1号」が7000m
中国はあっているが、日本のは6,200〜6,300m付近での重点的観測が必要と考えらているから6500と名付けただけで
しんかい6500の実用潜航深度は15000m

25 :
訂正
>しんかい6500の実用潜航深度は15000m
しんかい6500の設計上の限界潜航深度は15000m

26 :
まあ落ち着け。

27 :
ずっといじめられっ子だった中国があんな風に
狂っちゃうのは分からんでもない。
その辺わかって世界も生暖かく見守ってる感じ。

28 :
>>25はまだ何か勘違いしているようだが
15000mってのはしんかい6500のチタン耐圧殻がこれくらいなら
耐えるだろうという理論値だ。JAMSTECで行った実際の水槽試験
では13200m相当の水圧で圧壊してる。
現実にはそんな数字の限界まで潜る馬鹿はいないわけで、
安全係数を2から2.5ほど取って限界潜航深度を決めているが、
それは世界のどこの国でも同じことだよ。

29 :
>28
それ縮尺モデルの話じゃないのか?
なんか本論からドンドンずれてきてるが深度7000以上に潜る理由があればやるんじゃねぃ
現状は潜水病を回避するために沈降や浮上に時間がかかり過ぎるとかの乗員の安全に考慮してやらないだけだろ
>現実にはそんな数字の限界まで潜る馬鹿はいないわけで
軍艦はそんな甘いこと言ってられんと思うがコレは俺が本論をそらしているな(苦笑

30 :
理論上の耐久値と保証値は別に設けておかないとな。
保証値が6500mってなだけだろ。
常に理論値で行動してたら頻繁に事故ってるだろ。

31 :
まあ理論値が15000mなら可能な限り挑戦しろよって気持ちは分かるが。
まあ消耗品なんだしだんだん弱くなってきてしまうものなんだから
その6500mくらいで許してやった方がいい。
エレベーターとかだって同じだろ?
多分限度の表示の倍位はいけるんだよ。
でも古くなってくると動きが悪くなってくるだろ。それと同じだ。

32 :
>>14
登頂されちゃったみたいだね。
やっぱり深海とか地底しか残ってないのかな。
スペランカーが希望の星なのか。

33 :
冒険と探検。
登山は探検と言うより冒険ぽいが、みなさんはどう区分するかな?

34 :
三人なのか被ってる奴がいるのか分からんが最近の壷は争点をずらして論点を誤魔化す姑息な連中ばかりだな
整理する
>新しい中国の有人深海潜水艇は7000mまで潜れる。日本のしんかいの6500mを抜かれちまった
発端は↑ね
>しんかい6500は、設計上1万メートルよりも深く潜航できる
間違いが指摘される(コレは俺のレスじゃない)
>しんかいの方だけ安全係数の下駄を履かせ
ここで>20が突然根拠不明の推測を付け加え>18の間違いを繰り返す
で、>24の俺が初登場、しんかい6500は6500mまでしか潜れないわけではないと>19を援護
>28は縮尺モデルでの実験を本体の実験であるかのように誤導させる更に安全係数は世界中で同じと争点を完全にそらし結論がでたかのように仮装する
>30.31が>28と同じ根拠不明の言を繰り返す
日本のしんかい2000が潜れる限界は3300mしんかい6500は10050m(←法規上の耐圧深度)
日本は縮尺モデルにおいても13000mの水圧に耐えれることを実証
汎用品ではないこうした一品物(宇宙船・航空機・深海艇)での曲面仕上げ等の加工は日本のお家芸
>28.>30が決定的な勘違いを犯しているのは設計図云云では無く、現代中国には理論値に適う精密品を仕上げる技術力が
日・米・仏・露に匹敵するのかという現実を考慮していない点
自動車・鉄道においてすら他国のコピー品しか製造できない中国に、深海調査船という高度な工業力が要求されるものに対して
日本と中国が同列に語れるという根拠を何一つ示さず双方同じ安全係数であるとのみ主張している
日本だけ下駄を履かせていると言うが、(恐らく中核部は)露製(モンキー)の中国の深海調査船に日本の優位性は全くないという主張の方が俺には奇異に思える

35 :

へびあし(←何故か変換できない)
>29現状は潜水病を回避するために←コレ俺の勘違いorz
結局中国は7000mまで潜って何がしたいのだろうか、そういうのは無人調査艇の仕事だと思うが…
>31
>まあ消耗品なんだしだんだん弱くなってきてしまうものなんだから
知らない事は黙ってろ恥をかくだけだ
これいじょう無駄なレスを重ねるなら今後お前の書いた全てのレスに今回お前がやっているようなゴミレスを書いてやろうか?
無意味なレスに付き合わされる不愉快さが理解できないというのなら、お前が実感できるまで続けてやるよ

36 :
↑何を必死になってるんだコイツは。
シャカリキに頑張れと書いたのは俺だが、
コイツは努力の方向を完全に間違えている。

37 :
どっちもクズだぁぁぁ

38 :
探検に必要なのはハードウェアの性能じゃない。
たった400dかそこらのちっぽけな帆船で、
発見また発見の大航海を3度もやったキャプテン・クックを見習え。


39 :
>>38
あと、逆転の発想だよ。
それやったのがコロンブス。

40 :
そういえばさアマゾンとかの森林地帯って探検し尽くされてんの?

41 :
>>40
パウリスタ衆がさんざん遠征して先住民狩りしてたろ

42 :
>>40
つい最近も未開部族を発見したってニュースがあったから、
まだまだアマゾンにも未踏地帯はあるってことじゃね。
http://www.abc.net.au/news/stories/2008/05/30/2260586.htm?section=world

43 :
>>41
まあ彼らも案内者に頼って他部分はあるしちょっとくらいは
未踏の地があるのかな、と。
やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
>>42
未開部族が踏破してそうな気もするけどw
まあ世間に認知されてない土地はまだ残ってればいいな。

44 :
Aシャクルトンの冒険談はおもしろかった

45 :
未踏地と南極で思い出したが、
まだ人類が誰も到達していない湖が地球上にある。
たぶん人類が火星に降り立つ時代になっても、
この湖の探検は手付かずじゃないかな。
ボストーク湖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%B9%96

46 :
>>43
>やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
人工衛星の時代になり、夜の地球が観測されるようになると
アマゾンやアフリカ、東南アジアの長らく人跡未踏と言われていた密林地帯に
無数の明かり(焚き火)が映し出されるようになったそうだ。
そもそも20世紀半ば、飛行機が飛来して初めて接触した部族も居るし。
イリアンジャジャの部族の老人は飛行機から人が降りてくるのを見るまでそれを「大きな鳥」だと思ってたそうだ。

47 :
サハラ砂漠のエミクーシ山とか登頂歴あるの?

48 :
>>45
驚くべき生態系があったりするのかもね。
興味ある。

49 :
>>45
手つかずと言うよりも、手がつけられないんだよね。
ボストーク湖の環境を汚染するのが怖いから。
だから、ボストーク湖の”湖面”に達する直前で
掘削を中止しているはず。
日本の”ドームふじ”での氷床ボーリングも、基盤岩の直前で
掘削を中止していると言う話。

50 :
ここひと月ほど、南極に関する本を読みあさっているんだが・・・
トイレの話と”ナニ”の話がほとんど出てこない事について。
特に”ナニ”に関しては、第1次隊の”ベンテンさん”の話と、
不肖宮嶋氏がダッチワイフを持ちこんだ話、ぐらいしかないんだよね。

51 :
ニュージーランドで新種のダチョウを発見 絶滅した巨鳥モアの近縁種か ただし大きさは成鳥で鶏程度★2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1285149441/

52 :
未来永劫人跡未踏であろう高山がある。
その名はカイラス。チベットにあり、標高6500mくらい。
全山が氷雪に覆われ、氷河を従え、頂上付近まで登ろうとすれば高山病に苦しむ
という山だ。しかし、それ以上に強力なシステムにより、難攻不落を誇る。
チベット仏教徒はこの山を世界の中心にある山と言う。
数年前登山計画を発表した連中がいたが、世界中から圧力を受けて、登山を行えるどころか
計画段階で登山は中止されてしまった。
未来永劫人類が絶頂を極めることは不可能であろう。

53 :
>>52
たしか5600か5800ぐらいまで 普通に行けるから
こっそり登った奴はいると思うんだけどな。
最近西チベットにガリ空港ができたからアクセス良くなったよ。

54 :
>>53
しかし、こっそり登ると
公に自慢できないんだよね。

55 :
>>54
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%B1%B1
wikiによるとミラレバという吟遊詩人が登った伝説はあるみたい。
ちなみに、あの山はチベットの聖山でチベット仏教徒の聖地であるだけでなく
チベット好きのバックパッカーの最終目標地。今年ガリ(アリ)空港ができるまでは
ラサからランドクルーザーをシェアして往復2週間ぐらいかかってたはず。
普通にいけるドルマラ峠の標高が5630メートルだから山頂まで1000メートルぐらい。
空気薄いけど、装備を整えれば単独でもなんとか行けそうな気がする。
確かに登っても自慢はできないどころか、バッシングがすごそう。
日本の恥とか言われそうだね。
聖山がらみの未踏峰はネパールのマチャプチャレが最高じゃないかな。
http://photofriend.jp/photo/choice/57749/1177396/
ポカラから見えて綺麗。切り立っててかっこいい。

56 :
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4101286213
江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚
探検じゃなくて漂流の話だが



57 :
漂流記は日本が世界に誇れる偉大な冒険談ではある。

58 :
子供の頃読んだ不思議本に
「オーストラリアの牧草地に、底無し沼が点在している!」ってネタがあったが
今思うと、カルスト台地を牧草地にしてるだけだな

59 :
オーストラリアは「内陸は湖」といわれて、
探検家はボートを持って奥地に入ったんだと。
結果は……全滅

60 :
オーストラリアなんて沙漠とか塩湖だらけだもんな
ディサポイントメント湖なんて名前つけるぐらいだし

61 :
中国人は西欧人の発見前から海鼠漁に訪れていたので
オーストラリアを知っていたそうです。

62 :
当時の中国人はオーストラリアを何と呼んでいたんですか?

63 :
インドとオーストラリアの交流もはるか昔からあったらしいね。
ヨーロッパ人は中国の南に「アジア大半島」があると想像していたが、
これはインドからおぼろげにオーストラリアの地理を聞いた証かもしれない。

64 :
>>62
南蛮

65 :
なるほど、すると南蛮人の本来の意味はアボリジニだったのですね。
ありがとうございました。

66 :
>>63
ないない。
>>65
南蛮の元々の範囲は華南〜ベトナムで、後には東南アジア。
現在のオーストラリアを別個の地域として認識していたわけではないから。

67 :
>南蛮の元々の範囲は華南〜ベトナムで、後には東南アジア。
黄河中原から見て朝貢国以外の南方諸民族はみんな纏めて南蛮人。
同じように北荻、西戎、東夷も朝貢国の外側を指す。
なのでアボリジニも南蛮人の範疇に入る。

68 :
四夷概念と実際にアボリジニをどう呼んでたかは天と地の差があるんだが。
大体中華圏の勢力化の雲南だって南蛮だし、長江以南の支配下にない非漢
族は山越と呼ばれてたし。東夷西戎北狄南蛮なんて、実際に使った具体的
な呼称じゃなくて、概念の話だ。
中国との中継貿易を行ってた東南アジアの商人やそれに加わっていた中国
人がアボリジニをどう呼んでいたかは記録からでないと分からない。
>>65
変な回答に影響されて南蛮人の意味がアボリジニなんて滅茶苦茶な解釈し
ないでくれ。

69 :
中華からみて夷(日本)戎(中東)狄(モンゴル)はある程度発展していたので
時代の経過によってあまり悪い印象で見なくなったが、南方に関して言えばまだまだ未発展段階にあり
未だに未発展段階の民族を蛮族とか野蛮人と呼ぶ蔑称として名残がある。
古代中国人から見た場合、農耕牧畜の有無や衣服の着用は文明の証として見做された。
その基準からみたらアボさん達は蛮族にカテゴライズされてしまうのだろうね。

70 :
蛮族にカテゴライズされるのと、アボリジニが南蛮と呼ばれていたなんて
妄想の返答と全く関係ない話だ。
だいたい南方が未発展だの古代中国だの、いつの話をしてるのやら。
東南アジアの人間がアボリジニと中国との海鼠の中継貿易を既に行ってい
いる時代で、しかもそれに中国人が絡んでくるのは、どう見積もっても中
国人が南海交易に積極的に乗り出す宋・元以降だし、海鼠の需要が増え
たのは明代だ。この時代の南方を未発展で片付けられるのがたいしたも
のだ。
アボリジニは当時でも蛮族にカテゴライズはされているだろうが、南蛮と
呼ばれていた根拠はゼロだ。何度も言うが概念的なおおざっぱな名称と
実際の呼び名が一致するわけじゃない。
実際に絡んでパオ氏がここで嫌われる理由がわかったわ。

71 :
>>70
宋元以降だろうと明以降だろうと漢民族の四夷に変わりは無い。
その上で、南方の非朝貢民を南蛮と踏まえること自体に何ら変わりは無い。
そもそもアボリジニが海鼠貿易に積極的に関わったという記録もないし
仮に中国人がオーストラリアの海岸でアボリジニに遭遇してもただの蛮族にしか見えないだろう。
その場合、蛮族と呼ばれていた根拠がゼロとか一切関係なく未開な時点ですべて蛮族なの。
それが四夷思想ってヤツですよ。
南の蛮族なので南蛮。それ以上でもそれ以下でもないの。
日本が中華の王朝に正式に朝貢するまで他の多数とひっくるめて単に東夷と呼ばれていたのと一緒。
頻繁に行くようになって倭とか固有名詞が生まれたけど、それも狭義の意味では蔑称だし。

72 :
結論。
「アボリジニが南蛮と呼ばれていた」は間違い。

73 :
結論
仮に遭遇していたら南蛮人と呼ばれただろうねって話。
だから間違てるワケじゃない。

74 :
>>71
>そもそもアボリジニが海鼠貿易に積極的に関わったという記録もないし
http://ja.travelnt.com/about-nt/key-facts/history.aspx
>マカサーンたちは何世紀もの間、アーネム・ランドのヨルング族などノーザン・テリトリーのアボリジニと交易を行い、
>そこで得た品物を中国南部の市場で売りさばいていました。
http://www.minpaku.ac.jp/research/sr/11691053-07.pdf
>ナマコは17〜18世紀にインドネシアの南部からオーストラリアにマカサーンと呼ばれる人々が遠征し、アーネムランドの
>アボリジニと一緒に干しナマコを製造していたことが知られている。
多分、ナマコ交易がいつ頃のものかも知らずに、中国人が関わっていたという話だけで、きちんと裏を取らないから古代中国云々
と言い出して墓穴掘ったんだろ。
なんども言ってるが、四夷というのは概念的な話で西南にいても蛮でも戎でもなくて、夷と呼ばれるのもいる。あと、清の時代に
なっても、西洋人を夷という呼称で呼んでいて、抗議を受けてもいる。中国だって名称と方角の関係を厳密に適用しているわけじゃない。
全くの勉強不足だ。
>日本が中華の王朝に正式に朝貢するまで他の多数とひっくるめて単に東夷と呼ばれていたのと一緒。頻繁に行くようになって倭とか固有名詞が生まれた
方角と名称をある程度合わせている史書でも、朝貢しようが倭は東夷伝に記載されてる。魏志倭人伝の正式名称も知らないのか。
>>73
>仮に遭遇していたら南蛮人と呼ばれただろうねって話。
それなら、偉そうに>>62で南蛮と断言した挙句に適当な講釈垂れてグダグダ抗弁するな。知らないことは恥でもなんでもないが、中国史の
知識もないくせに四夷思想の講釈を垂れりゃ無知を指摘されて当然だし、自分の話が否定されたら間違ってないと抗弁しつつ主張を変えるのは、
単なる卑怯者だ。

75 :
結論。
アボリジニが南蛮と呼ばれていたというのは、少なくともパオ氏の主張からは全く
根拠がない。もしそういう史料があっても、それは妄想だけが根拠のパオ氏の見識
でもなんでもなく、単なる偶然に過ぎない。
つまりはそういうこと。

76 :
同じコテハンなのに、何で山野と比べてこいつがウザいのか考えたら
こいつは「考察」じゃなくて「妄想」を挟み込むからなんだな

77 :
本来パオ氏みたいなのはスルーかおちょくるかがパターンなんだろうが、ほかっ
ておくと際限なく増長するからな。おちょくるとムキになるし。
俺はそういうのはきちんと論破しておかないと、曖昧な知識で組み立てたいい加
減な論を延々講釈されるだけだと思ってる。
中国商人や東南アジア商人のアボリジニとの交流は面白そうなんだけど、言い出
した人間がなあ。おまけに言いだしっぺのくせに都合が悪くなった途端に記録が
ないとか、否定的見解に転向しおった。
このへんは誰か東南アジア貿易史に詳しい人が解説してくれるとありがたいな。
南方大陸とかメガラニカとかオーストラリア発見以前の南半球に関する希望的予
測も面白そうだし。

78 :
>>74
>>61でもパオ兄が述べたように、海鼠交易自体は否定してまへんで〜。
ただアボさん達がどの程度、シナ人達と関わっていたかはシナの文献からは不明ですと
言いたかったんや。
その上で華夷思想とはなんぞやいう話題やがな。
>西洋人を夷という呼称で呼んでいて、抗議を受けてもいる。
>中国だって名称と方角の関係を厳密に適用しているわけじゃない。
そりゃ貴方、アメリカ大陸から太平洋を西に西に進んでシナに到達すれば
はるばる東の果てから来たように見えんがな。
だから「夷」やんか。
日本でもこっちから見て東の果てに存在するアメリカ合衆国に対して
「攘夷」やいうて狂気したやんか。
方角に関してはあながち間違えではおまへん。
>朝貢しようが倭は東夷伝に記載されてる。
>魏志倭人伝の正式名称も知らないのか。
それは朝鮮も含めた東夷を一纏めにした書だからです。
その中で倭の部分は倭人の条と言ってるだけ。
現代風に言えば「極東アジア伝・日本の条」。
そんなことも知らねーのかよ?
まだまだ尻が青いな。フフフ。

79 :
>>78
君、自分で言ってること恥かしくないか?専門板どころか本当に本気で中学生レベルだぞ。
>そりゃ貴方、アメリカ大陸から太平洋を西に西に進んでシナに到達すればはるばる東の果てから来たように見えんがな
だから無知なんだよ。太平洋航路なんぞ誰も使ってりゃせんし、当時の中国王朝だって西洋人がどこから来たくらい知ってるわ。
なんでポルトガルやイギリスの商人が太平洋から来るんだよ。
坤輿万国全図くらい高校で習うぞ。お前、西洋人と中国人との関わりの歴史も知らんのだな。
>日本でもこっちから見て東の果てに存在するアメリカ合衆国に対して「攘夷」やいうて狂気したやんか。

攘夷という言葉の語源も知らないのだな。尊皇攘夷というのは、春秋時代の「南方」の楚に対抗するためのスローガンの尊王攘夷
が語源で、幕末の攘夷志士たちが都合のいい言葉だと中国の史書からそのまま引っ張ってきたの。だから、中国だって方角と名称
を厳密に使ってないと何度も言っただろう?
>それは朝鮮も含めた東夷を一纏めにした書だからです。
君は倭と言われるまで東夷と言われていた、つまり朝貢して倭になったら東夷じゃなくなった、と言ってたんだよ。大体君の主張
は朝貢国の外が東夷西戎南蛮北狄と呼ばれていたということなんだがな。
>>67で「朝貢国以外の南方諸民族はみんな纏めて南蛮人。同じように北荻、西戎、東夷も朝貢国の外側を指す。」と自分で言って
るぞ。
俺は朝貢しても倭は東夷伝に入っていると言っていると、そうじゃないことを指摘してやっただけ。
俺の言ったことを丸ごと繰り返して自分の解説みたいに偉そうにいうのが卑怯者たる所以だ。「狄」の字も知らない恥かしいミス
を黙っててあげただけでもありがたいと思え。
こんな程度のこと、ちょっと歴史好きな中学生でも知ってるレベルの話ばかりだぞ。ほとんどまる一日かけてそんなレベルの反応
しかできないんじゃな。こんなレベルの自慢話で尻が青いなんて煽られても怒るどころか心配になる。

80 :
おまけだ。
大体、議論が進んでから根拠のない煽り文句を言うのは負けるのが怖くて、相
手を低いレベルだと罵ることで、相対的に自分を高く見せて自尊心を保とうと
する心理の表れだ。
俺は君の歴史知識レベルが客観的にみても相当低いことをきちんと論証してみ
せてるから、別にそんなことする必要もない。
中傷でも嫌味でもなく、小学校の高学年レベルでこれを自慢げにいったら、い
くらでも褒めてあげてもうちょっと教えてあげるが、世界史板でこんな初心者レ
ベルの論破と解説してやらなきゃいけなくなるとは、全く思わなかったわ。
もう探検の話とは関係なくなったから、続きをしたけりゃ中国史関係のスレに
でも移動してくれな。このスレの人に迷惑になるから。スレ移動してもちゃんと
相手してあげるから心配するな。

81 :
パオとは仲良くしようと思っていたが少し待ってみる。

82 :
俺も寝起きで半分寝ぼけて書いてるし、中国史のスペシャリストじゃないからな。
四夷概念とか蠻とか、もう少し掘り下げなきゃいけない余地があるのは自覚して
る。何しろ本来は周代から清の時代までの長い歴史全般の中での話なんだから。
色んな時代背景をかなり端折って大雑把に書いてるということは断っておく。

83 :
パオは釣りだから相手にすんなつーの。
しかも頭が悪いから煽りも下手。
相手にしてるほうもアホだぞ

84 :
歴史専門板で紛らわしい嘘を書いている時点で糾弾されて然るべき存在だな。

85 :
>>83
確かに分かる奴には丸分かりだけどな。
すぐに釣りだの煽りだのの一言で何も説明せんと、そのいい加減な話が歴史板のログとして残るだけだ。
おまけにそんなのばかりになれば、まともな話でもアンチによる説明なしでの釣り煽り呼ばわりの全否定まで許容されるということになるぞ。というか、なって
ないか?ただでさえおかしなのが湧きやすい板なんだし、ある程度はきちんと相手して変な説ははっきりさせておく必要はあると思うが。

86 :
ああ、俺がパオの相手してる68,70な。

87 :
>>79
>だから無知なんだよ。太平洋航路なんぞ誰も使ってりゃせんし、
>当時の中国王朝だって西洋人がどこから来たくらい知ってるわ。
>なんでポルトガルやイギリスの商人が太平洋から来るんだよ。
正確には東シナ海から上陸した。
つまり中国大陸から見て海岸線は東側に大きく拓けているので
海から来る異邦人は纏めて「夷」の呼称で呼んぶことに何ら間違いはない。
喜望峰経由〜マラッカ海峡経由だろうと、太平洋横断だろうと、
海外の貿易船は寧波や杭州に入るパターンが多い。
近代になってからも天津や旅順など大陸東側の港湾から異邦人は入ってきたので
「夷」の呼称はあながち間違いとは言えない。
>攘夷という言葉の語源も知らないのだな。尊皇攘夷というのは、
>春秋時代の「南方」の楚に対抗するためのスローガンの尊王攘夷が語源で、
>幕末の攘夷志士たちが都合のいい言葉だと中国の史書からそのまま引っ張ってきたの。
またまたそんな聞いたことも無い珍説を説くかな。
すまんが、出典を教えて下され。民明書房?
ま、百歩譲ってそうだったとして「楚」の国は中国大陸の南部ではなく東部だろ?
南部といえば広東や雲南の方だろ。
都合良く「楚は南方の国です」とか言い張るなよ。
華北から見たら南方でも中国の地図上ではどう見たって東部。
長江の河口は中国大陸の南方ではなく、東シナ海に向かって行くから東方なの。

88 :
>>79
>君は倭と言われるまで東夷と言われていた、つまり朝貢して倭になったら
>東夷じゃなくなった、と言ってたんだよ。大体君の主張は朝貢国の外が
>東夷西戎南蛮北狄と呼ばれていたということなんだがな。
そうだよ。
だが、冷静に考えてみなよ、東夷伝には朝貢国以外の記述も載ってるだろ。
たとえば邪馬台国に敵対した狗奴国とか、更に遠方のまだ中華文明に属していない国の記述も。
それらをひっくるめて東夷伝という書にまとめたのさ。
だから邪馬台国のこと指して東夷と言ってるワケではない。
その外側の国もまとめて記してるから東夷伝と言うのさ。
例えば、国連に属していなくてもアジアの国ならアジアの地理書に載せるだろ。それと一緒。
>「狄」の字も知らない恥かしいミスを黙っててあげただけでもありがたいと思え。
2ちゃんねるで偉そうに誤字を指摘されてもね…
それこそガキの揚げ足取りと言うもの。
>本当に本気で中学生レベルだぞ
中学生レベルとか言い出す時点で己の稚拙さを知るべきだ。
それこそ猿以下のレベルと言わざるを得ない、お粗末さだね。

89 :
>>82
>82 :68,70 :2010/10/05(火) 12:41:50 0
>俺も寝起きで半分寝ぼけて書いてるし
平日の昼過ぎまで寝てるのか?
無職?ニート?
他人のレスに食ってかかってる場合ではないだろう?
とにかくハロワに行きなさい。

90 :
このコテあたまわるすなぁ

91 :
うあ・・・本当にバカだ。
尊王攘夷という言葉くらいwikiでも引いてみろ。
当時の中国が西洋人がどこから来たのか知ってるのは説明したはずだが。杭州や
寧波に上陸したから夷ねえ。四夷概念を延々講釈したんだから四夷概念じゃ「来た
方向」じゃなくて、居住地で分けてることくらい知ってるはずだが。それなら広
州に来てた西洋人は南蛮にされるぞ?四夷思想すら理解できずに偉そうに言って
たこと自分で証明してるぞ。
>百歩譲ってそうだったとして「楚」の国は中国大陸の南部ではなく東部だろ?
お前、正気で言ってるのか?だったら中学生の歴史マニアのレベルにすら達して
ないぞ。もの凄く馬鹿馬鹿しいが、当時の中華世界は華北で長江中流域の流域の
楚は南方だ。南東の下流域の呉や越が楚の版図に入ったのはその後だ。広東や雲
南なんざ、春秋時代の中国の視野にも入ってないぞ。
>それらをひっくるめて東夷伝という書にまとめたのさ。
あ〜 ひっくるめて言ってる時点で東夷のカテゴリに入れられてるんだが。
例えば新唐書じゃ突厥や回鶻は北狄伝には入れられてない。北狄とは別に
カテゴライズされてるが、日本は新羅や百済と一緒に東夷伝に入れられて、
つまり、東夷にカテゴライズされてるの。
あと、俺が書き込んでるタイムスタンプよく見とけ。なんで寝起きなのか
分かるからw
もう、お前さんの抗弁がどう見られてるかだけの問題になってるな。今ま
での反応に好意的なのが一個でもあったかw
いくらでも無知を指摘できるが、時間ないからこれで切り上げとくな。

92 :
これ以上スレチになった話に付き合いたくないので、少し冷静にまとめておく。
パオが絶対視する四夷概念というのは正直、思い浮かぶ限りこのイメージ図しかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tianxia_ja.svg
見れば分かるがあくまで概念であって、全中国史に絶対的に適用できるものじゃない。
外国船が寧波や杭州から入ってきたというのも、俺は>>74で清の時代だと指摘してい
るし、清代は西洋人(夷商)の貿易窓口は南の広州しかなかった。これは受験世界史で阿片戦争の
絡みで覚えておいたほうが良いポイントだし、詳説クラスなら載ってることだろう。
天津だの旅順だの、阿片戦争以降の話は勿論論外で夷という呼称はそれ以前のもの。
それと楚を東だというのは何を根拠にしたのかわからない。これは本当に高校の資料集の地図レベル
の話だから強いて言うなら、楚漢戦争時の項羽の領土を勘違いしたか、春秋時代の中華の領域と今の
中華人民共和国の領土をごたまぜにしてるとしか思い浮かばない。
以上、すくなくともパオは中国史に関しては高校世界史のレベルでもないし、中国史の入門書や概説書
すらまともに読んでない。もし読んでいても、それは理解できそうな文字列だけが頭に入っていて、理
解できない所は自分の脳内妄想で補完している。だからこうやってやり合うと、どんどん妄想補完が進
む上に知識が追いつかなくなるから、言ってることのレベルがどんどん低くなる。
これは一応中国史に限ったことだから、イスラムやヨーロッパ、中央アジア史のパオの知識レベルは知
らない。
アボリジニと中国人の関係は珍しくヒットだったが、裏も取ってない所を見ると自分も理解できてない
聞きかじりの話が、下手な鉄砲を数打って当たっただけだと断定せざるを得ない。

93 :
あと、俺はパオがニートだろうが引きこもりだろうが中卒だろうが、きちんとした歴史知識と考察をす
るなら敬意を払うし、この流れのように適当なことばかり垂れ流すなら社長だろうが大学教授だろうが
中学生レベルと言う事にためらいはない。ここじゃ言ってることが全てだからな。
>>80の言葉を再掲しておく。
「議論が進んでから根拠のない煽り文句を言うのは負けるのが怖くて、相手を低い
レベルだと罵ることで、相対的に自分を高く見せて自尊心を保とうとする心理の表れだ」
ここのスレじゃ俺はここまでにする。パオが勝利宣言してもこれだけ無知を晒したら虚
しい自己満足に過ぎないし、勝ち負けなんざ、読んでる人間がするものだからな。
まあ、パオの相手する奴がバカだというのもその通りだと思ってるしな。
パオがこれ以上やりたいのならどこか適当な過疎スレにでも移動してくれ。まあ、パオ
が変なこと言いふらさないようにパオ専用誘導スレでもあったほうがいいかなとくらい、
思ってるが。
このスレの人たちには元がアボリジニの話だったとはいえ、関係ない応酬をしたことを
謝罪しておく。

94 :
「発見」の定義ってなんだろうか。
新大陸発見→先住民がいた
間宮海峡発見→アイヌなどは知っていた

95 :
記録したかどうかです

96 :
>>91
>うあ・・・本当にバカだ。
この一言で単なる他者を貶めるだけの鬱憤晴らしレスになってますね。
かなり博識で素晴らしい方の筈のに、この一言で貴方は自分自身を詰まらない小者に貶めてる。
自分の意見を聞き入れない他者を「こいつバカ」の一言で片付けてしまう残念な人になってます。
>尊王攘夷という言葉くらいwikiでも引いてみろ。
そして出典を求めると「wiki」。
グーグルで検索して最初にヒットするwikiで知っただけの事を公言してしまってる。
そもそも誰でも自由に編集可能なモノを引き合いに出して「これが証拠だ」と言われても
何ら説得力の欠片も無いです。
じゃあ仮にパオ兄が趣くままにwikiを編集したら、それは歴史の真実として認めるのですか?
「だって、ほらwikiに書いてるじゃん」で納得してくれますかね?
>広東や雲南なんざ、春秋時代の中国の視野にも入ってないぞ。
これまたwiki知識でしょうか?
春秋時代の国でなければ漢民族の視野に居なかったのでしょうか?
その外には誰も住んでいない未開の荒野が広がっていたとでも漢民族は考ていたのでしょうか?
交流があまり無いにしても異民族の地であることは知っていたでしょうし、
それを指してた思想こそ華夷思想でしょう。
四夷の範囲は漢民族の膨張に従って時代を経ると徐々に外側へ広がっていっただけなのです。
日本の飛鳥時代も同様に勢力圏外に蝦夷や熊襲など異民族が居る事を知っていましたし
だからこそ自分たちの文化水準の高さを再認識できたのです。

97 :
>>92
>思い浮かぶ限りこのイメージ図しかない。
はい、これもwikiからの引用ですね。
自分で書籍を読んで研鑚するということが無い人なのでしょうか?
どちらにしろ、こんな図は誰でも自由に作れてアップロードできます。
こんなものを出されてさも説得力有り気に書かれても滑稽なだけです。
>外国船が寧波や杭州から入ってきたというのも、俺は>>74で清の時代だと指摘しているし
>清代は西洋人(夷商)の貿易窓口は南の広州しかなかった。
華夷思想は清代以前からありましたし、清代以前にも外国船は来航してたし、
泉州、揚州、福州、杭州、劉家港など東部沿岸の港湾が外国船の主な寄港先になっていました。
何故なら当時の内陸部にあった都市に大運河を使って物資を輸送するためです。
広州で積荷を降ろすよりも上記港湾で下ろした方が利便性が良かったのです。
>天津だの旅順だの、阿片戦争以降の話は勿論論外で夷という呼称はそれ以前のもの。
そのとおりです。
それ以前は上記の東部沿岸の港湾都市が利用され、近代以降は引き続き北京に近い東部の港湾である
天津や旅順が多用されただけのことです。
広州からわざわざ上がって来るのは大変ですからね。
ただ、広州に西洋人がわざわざ立ち寄る理由はマカオなど西洋人の拠点が有ったからです。

98 :
ああ、尊王攘夷のほう、忘れてたわ
俺が持ってる奴入門書じゃ教養文庫「世界の歴史3 東洋の古典文明」な。春秋時代の
尊王攘夷と幕末の尊皇攘夷とは偶然の一致というなよ。
後、とりあえずは漢書刑法志に斉の桓公の業績として「外攘夷狄,內尊天子,以安諸夏」と
あるし、春秋公羊傳注疏に「齊桓先朝天子晉文先討夷狄者晉文之時楚與爭〜」と注されてる。
斉の桓公や晋の文公の時代はこれが覇者の役目だったということ。
字が違うから関係ないと言ったら、それは単に意味が汲み取れないというだけの話な。
あと、俺は西洋人が夷と呼ばれていたという例は清の時代の話を引用して、清の時代
は貿易はは広州しか許されなかった、と説明してるのに、なんで他の時代の話を自慢
げにするのかねえ。読解力がないからバカだと言ったんだよ。
本気でこれで終わる。パオにも言っておくが、これ以上やりたいなら、余所の板に
言ってくれ。
重ね重ねこのスレの人にはスマン。

99 :
>>85
330 名前:パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. [] 投稿日:2010/10/01(金) 02:58:07 0
シュークリームの発祥についていえば、
古代中国の「周」王朝が起源という説がある。
周で考案された薄皮の菓子を北方の遊牧民族がクリームを入れた物に
中東でインド由来の砂糖を使ったのが今日にシュークリームという説。
またもう一つの説として、清朝後期に「周」という名前の洋菓子職人が
欧州に菓子修行に行った際に中華伝統の油条からヒントを得た薄皮の生地にクリームを注入した菓子を
考案したという説もある。
いずれも「周クリーム」が語源であるようだ。
自分が学生時代にバイトした洋菓子店のパテシエから実際に聞いた話。

説明なんて必要か?
このレスの説明が必要ならそいつもアホだわ

100 :
100

101 :
>>99
それ、食物スレのネタスレの流れで必死に作ったあげくに受けなかったネタだろ?w
ここじゃパオはマジレスしてるよ。自分が中国史も議論も出来るんだぞ、スゲーだろ!って
アピールしようとして、こけただけ。
ここまで自虐な釣りネタやるにはパオには無駄なプライドありすぎるからなw

102 :
パオさん
もうスレ違いだからやめてくれ。
俺はあんたに好意的だが、今は賛同できない。悪いが。

103 :
ナイルの源流ってまだ探索続いてんのな

104 :
>>98
>本気でこれで終わる。
お疲れ様でした。
わたくしもバカを相手にして疲れました。
>>99
はっきり言ってネタがどうかは謎です。
自分が学生時代にバイトした洋菓子店のパテシエから実際に聞いた話です。
ただ、このレスの何件か後にも戦前の横浜中華街の華僑がらみで「周」が
「シュークリーム」の語源になったという話がありませんでしたか?
自分が修行していた親方のパテシエもその話が大元になった可能性がありますし
「周」という料理人の系譜が周王朝の血筋という可能性もあるのです。
いづれにしろ、自分以外に複数の方から類似した情報が寄せられたという事は
あながち真実である可能性を捨て切れません。
また「そんな記述はwikiに無かったよ」とか言うのは無しです。
あくまで巷レベルの説。民間伝承の類。

105 :
自分の後に寄せられた類似の話↓
336 :世界@名無史さん :2010/10/01(金) 16:46:41 0
日本のシュークリーム命名の由来は靴墨ではなく、周富徳。
周の大叔父の功醇が戦前、横浜中華街に移住して間もなく、
当時多く住んでいたドイツ人からカスタードクリームの製法を学び、
周が最初マントウの生地にクリームを包んで売り出したのが日本での始まり。
卵と小麦粉があればできる廉価なカスタードクリームは、
これを機会にして横浜から日本中に広まった。
343 :世界@名無史さん :2010/10/01(金) 18:43:58 0
日本のシュークリーム命名の由来は靴墨ではなく、周恩来。
日本留学中だった周恩来の離日前夜、
当時最大の中華街のひとつだった神田神保町の紅燐河菜館で送迎会が行なわれた。
その席で中洋折衷のお菓子として供されたのがシュークリームの始まり。
その後、周氏が世界的知名度を得てからシュークリームとして販売されるようになった。

106 :
ホント、ウザいな...

107 :
今日は楽しいうんち祭り!
みんなでお尻を突き出して!
いっせぇのぉでウンチブリー!
固いの普通のやらかいの
うんちがいっぱい臭い臭い
出すもの出したら大声で
叫ぼよさぁさぁ
『うんちブリブリ〜ン!!!』
うんち祭りだクソまつり
みんなでうんちをひりだして
うんちの中でずるずるべちゃべちゃ
のたうつのたくる臭い臭い
うんちまみれになったなら
あなたもぼくもうんちマン
ついでにおならもひりだして
もっと叫ぼよ
『うんちブリブリ〜ン!!!』
まだまだ続くようんち祭り
うんち食べちゃえムシャムシャムシャ
ついでにおしっこジョロロロロ…
うんちお茶漬け完成だ
ゲリとおしっこ混ぜたなら
ウンチブレンド召し上がれ
おっとクソカス浮いてきた
これは風流、茶柱だ
ウンチ食べ食べおしっこゴクリ
今日は美味しいうんち祭り

108 :
漢王朝とローマ帝国
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284073085/
295 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/08(金) 20:42:32 0
中国史系スレは復活してほしいな。探検スレでのパオを見て、専用スレ必要だな〜
って心から思った。

109 :
>>104

110 :
>>106
>ホント、ウザいな...
こっちが正論を言った途端にこれだからな。超笑えるw
>>107
荒らしで憂さ晴らしかよw
テメーの頭の中にはきっと糞がいっぱい詰まってんだろーなw

111 :
>>110
うざいから消えろよ見苦しいぞクソコテ

112 :
明日モニタの実物チェックしに行こうと思うんだけど、
ベンQのモニタ置いてるお店ってありますか?
ベンQだとVAパネルなので一応購入前チェックしたいんですが。

113 :
以後パオに対するレス禁止
荒らしにかまうのも荒らし同然

114 :
>>111
おやおや、頭の中に糞がたっぷり詰まってる人が登場したぞw

115 :
>>113
>スレ主様へ
正当な議論に対して、荒らし行為によってスレの進行を阻害している人間にこそ
それが当てはまります。
何ゆえ、常にスレの主題に対して真摯に向かい合っているこの私が批難されなければ
ならないのでしょうか?
トリップも付けずに私に成り済まして荒らす者と混同されていらっしゃるのでしょうか?
107の異常なレスは私ではありません。
納得のできるご返答をお願いいたします。

116 :
791 名前:パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. [] 投稿日:2010/10/10(日) 00:13:40 0
>>790
騙り荒らしが多くて、いい加減もう嫌にになったので、
今後は「名無しさん」としてカキコしたほうが良さそうなので
数年間使い続けたこのコテハンとは、サヨナラします。
皆さんもそれがお望みのようですので。

117 :
>>115
いや
あんた時々コテ外してレスしてんだろ?
アンフェアじゃね?

118 :
NGワードに登録している身としてはコテを使い続けて欲しいのだが…

119 :
>>115
キモイw

120 :
>>115
きもい 消えろ

121 :
もうパオとかトンデモ相手のスレ作ったほうがいいんじゃね?
いい加減なことをあちこちで書き散らされるのも迷惑だし、初心者が騙される
弊害もある。
パオにくっついてくる一言だけのアンチも逆にパオ信者増やしかねないし、
パオが頓珍漢な議論始めたらそっちに誘導してやるということで

122 :
487:パオ兄さん◆mEq.Fp/iL. :2010/10/10(日) 17:34:47 0 [sage]
今は見る影もありませんが、わたしが失業中だった昔、ネット配信で乾隆帝など、
中国の歴史物が無料で見られた時代がありますた。
無職当時インターネットも便利になったなと当時は感動したものですが、USENに買収され、
今ではソフトバンクとも提携するようになり、わたしもまた一部上場企業に就職し
いつしか歴史ドラマモノは廃れてしまいました。
新自由主義の時代であり、企業も利益追求の組織である以上、方針の転換は已むを得ない面もあるでしょうが、
いささか残念に感じますね。

123 :
パオ兄ぃが来ないと議論が進行しないからおもろない

124 :
パオのは議論とは言わないぞ。本人も自分が何を言ってるのか理解できてないんだから

125 :
パオ兄ぃの言ってることに
アンチ&煽りが絡むからいつも変な方向に話が進むんだろ
歴史映画スレとかその典型
春秋戦国時代のスレと化してる

126 :
会社の会議で、そいつが発言するといきなり議論が瑣末な方向に脱線して、
30分で終わるはずの会議が3時間経っても終わらなくなるって奴がいるんだが、
ここのアンチはまさにその同類。
2ちゃんならまだいいが、会社にあまり居てほしくないタイプだ。

127 :
パオはデマや妄想をさも事実のように語ることこそが非難されているのだけど。
せめて「自分はこれこれを理由としてこう考えている」ならいいんだけど、そうじゃないし。

128 :
中公文庫の極地探検ものシリーズ四冊は全部買った。
ただ、イマイチおもしろくないわ。

129 :
プトレマイオスの地図帳を図書館で見たんだが、すごいなわな。
特に気になるのは、やっぱり東方だ。
イマエウス地方やらアスミリアン山脈・オットロコーラス山脈やらがどこ辺りなのか比定するのが楽しい。

130 :
東海大学出版会のプトレマイオス地理学

131 :
探検者に関して見方を変えれば、それは侵略者のさきがけとも言える。

132 :
>>129
それら地名は、一体何語でどういう意味だったんだろうな?

133 :
プトレマイオス地図じゃ中国まで行ってんのにアフリカは北部のみだ。
アフリカ南下してプトレマイオスに情報を与えられた人はいなかったんだなあ

134 :
イスラーム以前は、サハラ以南とは交流が少なかったのかな

135 :
サハラを縦断する技術がなかったのか

136 :
>>133
まあ、海岸沿いじゃフェニキア人がアフリカ大陸一周したって話をヘロドトス
が載せてる。大げさな話が大好きなヘロドトスがあまり信じてないんだけど、
内容が思い出せないけど、たしか、ヘロドトスがおかしいと言ったことが、逆
に丁度当てはまるってことで、案外本当だったんじゃないかという話がある。
ちなみにゴリラの名称は、このときにフェニキア人がアフリカで見たって言う
「毛むくじゃらの人間」をそう呼んだことに由来してる。

137 :
>>136
>ヘロドトスがおかしいと言ったこと
太陽が北にあり、右手から昇ったってことだなあ。
当時でも地球丸いって知ってそうなもんだと思えるけど
ざっと検索したらアリストテレスが地球丸いって言っててヘロドトスはそれ以前だから
地球がまるいことは思いついたとしても太陽が北に行くとか右手から昇るとかは想像付かなかったのだろうか。
ゴリラの目撃報告、太陽の話からフェニキア人のアフリカ周航はホントっぽい感じ

138 :
ゴリラって沿岸にいるの?

139 :
>>138
ゴリラを見たという、フェニキア人のハンノの記録じゃ、湾の中に島があって、
その島の中に湖があって、さらにその中の島に「女が毛むくじゃらの野蛮人」
がいたということになってる。現地の人間がそれを「ゴリラ」と言ったと言う
だけで、現在言う所の「ゴリラ」かは分からない。ひょっとすると現地人を
ゴリラと言ったのかもしれないし、ボノボのような種だったかもしれないし、
絶滅種の可能性もあれば、単なる法螺話なのかもしれない。
逃げ回るのを何人か捕らえることができたくらいだから、現在のゴリラとは
言いがたいかもな。
ただ、その記録から、今のゴリラをそう名づけただけ。

140 :
山海経も異形の者を報告してるがそれと認定できる者がいるのか単なるホラかは謎

141 :
ヘロドトスって言ったら、スキタイの章で草原の道を記録しているよな。

142 :
フェニキア人検索したら毛深い女を捕まえて背中から皮をはいだとか。
暴れたんで殺したのか

143 :
アポロニウスの行伝も面白い。けど、あれは探検記というよりも旅行記か・・・。

144 :
保守

145 :
シナイの北にはセレス人の国とその首都があり、それよりも東は、沼沢地帯を抱えた未知の世界で、
沼には大きな葦が隙間もなく生い茂り、それにつかまって対岸に渡れるほどだという。
また、そこ(セレス人の国)から石の塔を経てバクトリアナへ道が通じているばかりでなく、
パリンボトラ経由でインドへ行く道もあると聞いた。
ところで、シナイの都からカッティガラ港への道は南西を向いているということなので、
この都は、マリノスの言うごとく、セラやカッティガラを通る子午線上にあるのではなく、もっと東にあるのである。
                    プトレマイオス第1巻17章

146 :
第3章・シナイ人の位置
シナイ人の北を限るのは、セリカの説明済みの部分である。
東と南は、未知の世界によって限られる。西を限るのは、大湾に至る確定済みの線を挟んだ、
ガンジス河の外側のインドと、大湾そのものと、それに続く諸湾、すなわち野獣の湾とシナイ湾とである。
この湾の周りにはエチオピア系イクチョオファゴイ族が住む。西側の記述は次の通り。
大湾内のインドとの境界の次に
アスピトラス河河口 170°    16°
ブランマ町      177°    26°
アムバトス川河口  177°   12°30′
ラバナ町       177°    8°30′
シノス川河口     176°20′ 6°30′
南の岬        175°15′ 4°
野獣の湾湾頭    176°    2°
サチュロス岬     175°   赤道
シナイ湾内にはカッティリアデス川河口 177°20′ 7°S
カッティガラ、シナイ人の泊り   177° 8°30′S
この地方の最北部を占めるのは、同名の山脈の上にあたりセマテノイ族、
彼らおよび山脈の下にアカドライ族、残りの湾沿いにはシナイ人のイクテュオファゴイ族。
シナイ人の内陸の町として挙げられるものは次のもの。
アカドラ      178°20′ 21°15′
アスピドラ     175°   16°
コッコサナゴラ  179°50′  4°S
首都のティナイ  180°40′ 3°S
この町には銅の城壁もないし、その他、特筆すべきことも何もないという。
カッティガラからは西方へ、未知の世界がプラソデス海を囲みつつ延々と広がり、
プラソン岬に連なっている。既に述べたように、この岬から浅い海という湾が始まり、
未知の世界をプラソン岬およびアザニア地方南部につないでいる。
                               プトレマイオス第7巻3章

147 :
日本の南極探検隊の白瀬中尉ってさ、
良く見たら南極大陸の陸地まで到達できなかったんだね。
まあ、それでもすごい探検だったと思うけど

148 :
>>136
ヘロドトスならむしろエジプトの冒険好きな若者たちがナイルをさかのぼってみた話が面白い
たしかワニのいる巨大な湿地までいったらしいから、スーダン南部まで到達ってことか

149 :
旧約聖書やコーランには、凶悪な蛮族ゴグとマゴグが登場するが、
彼らは世界の終末に大地の果てから殺戮のために襲来するだろうとの言い伝えがあった。
アレクサンドロス大王は、東方遠征の途中で彼らを封印するために防壁を築いたという。
842年、アッバース朝のカリフ・ワースィクは、
ある晩、その防壁が壊れる夢を見て不安になり、
その防壁の状態を確認するために、探検隊をアジア北東部に派遣した。
その報告書は、イブン・ホルダードベの地理書に引用されており、
防壁の様子、谷の両側に立つ柱、尖塔、扉、錠と鍵などの寸法、材質が記されていたという。

150 :
>>142
あれはナイジェリアあたりのメスゴリラという説もある

151 :
どうして19世紀のヨーロッパ人はアフリカの探検に馬を使わなかったのだろう。
確かに密林へ入るなら馬は不適だが、アフリカにはサバンナだってある。

152 :
馬って暑さに弱そうなイメージがあるな

153 :
マダガスカルとモガディシオって同じだったんだな

154 :
モガディシオってソマリアの首都じゃなくて?

155 :
何かマルコポーロがモガディシオとマダガスカルを混同して記述したって聞いた。

156 :
イタリア語話者のマルコ・ポーロが
ワシャワシャとしか聞こえないアフリカの地名を聞き取れなかったとしても不思議ではないな。

157 :
アフリカ人から直接聞いた訳じゃないだろ

158 :
人類の秘境探検で最後まで人跡未踏と言われていた南極大陸に
最初に到達したのは“本当は”誰でいつ頃なんだろうか?

159 :
氷山と陸の区別が難しいので南極大陸一番乗りの判定は微妙。

160 :
マンガはじめて物語で
半裸の土人風の人が丸木舟で南極に行ったような描写があったけど。

161 :
>>158-160
一応、マオリの昔話で「白い島がある寒い海」が出てくるものがあるそうだが、
千年も遡るかどうかだな。

162 :
南極の周りは風と海流が西から東へぐるぐる回っている。偏西風と南極周極流だ。
そして南半球の高緯度の海域は強風で海は物凄く荒れる。丸木をくりぬいたような
船じゃすぐに沈むし、仮に沈まなくても凍死か餓死を迎えるまで南極のまわりを
回り続けるだけじゃね。

163 :
>>162
回るだけじゃなくて、ちょっと右に舵を取って辿り着ければ死ななくて済むだろ。
食糧は現地に豊富にあるんだし♪

164 :
吠える40度→狂う50度→絶叫する60度・・・と緯度が高くなるほど嵐はレベルアップし、
気温は急激に低下していく。
こんな状況で先に陸があるかも分からないのに、南に舵を取るやつがいるとすれば、
正真正銘のキチガイ・・・

165 :
フエゴ島あたりの住民は南へ向かったりしないか。寒いし

166 :
フエゴ島自体かなり寒いですよね。
そもそも、ヤーガン人は一年中暴風の吹き荒れる氷原のパタゴニア高原を
わざわざ越えてまでして最果ての地まで辿り着いたのでしょうね。
近代以前であそこまで過酷な環境に定住した民族って他に無いでしょうね。

167 :
氷で鎌倉を作るイヌイットとか

168 :
ヤーガン族って寒いところに暮らしているのに、やたらと薄着だったみたいね。
彼らに出会ったヨーロッパの探険家たちはみなびっくり。

169 :
フエゴ島の住民マゼランが会った時寒かったのに裸状態だったというが
って思ったらそれがヤーガン族だったのだなあ

170 :
南米といえば巨人族パタゴンも気になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%B3

171 :
>>169
なぜヨーロッパ人が出会ったフエゴ島の
ヤーガンたちが半裸で暮らしていたか。
きっと、人体の耐寒性を高めて、さらに寒い
南極に移住する準備をするための適応キャンプ
だったに違いない。

172 :
>>169
何の本で読んだかもう忘れた話なんだが、
「船の近くに先住民の女がいたんだが、ほぼ全裸の状態で
 ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった」
とか言うのが書いてあったな。

173 :
セクシー

174 :
航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50

175 :
何ヶ月も女断ちする先の見えない辛い探検航海。
でも地球の裏側の島にたどり着いて目にしたものは半裸または全裸の美女たち。
船員たちの喜びは想像に難くない。生きててヨカッタ。

176 :
>>175
しかし、病気をうつされたんだってね。

177 :
>>176


178 :
フランスの探検家ブーガンヴィルの航海記には、
船に乗り込んできたタヒチ島の美女がいきなり腰布をはずして
船上でオールヌードを披露したりなんてことが書かれている。
禁欲生活を強いられてきた船乗りには刺激が強すぎますわ。
こんな感じで探検家が報告した太平洋諸島のフリーRな社会風俗は、
キリスト教的倫理観に縛られていたヨーロッパ人に衝撃を与えたらしいね。
もしかしてオレらの方が異常なんじゃないの?って疑問がヨーロッパの知識人の
間に生まれて、比較文化的な思考へと繋がっていくわけだ。

179 :
>>177
うつしうつされ

180 :
宮城県にはベーリング探検の記念碑があるが、
この前の津波でどうなったんだろう。

181 :
>>172
>ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった
随分と小さい人だね、身長20センチぐらいか?

182 :
まぁ船乗りってジュゴンだのマナティだのが人魚に見えるくらい、おかしくなってたんだよ。

183 :
>>180 そんなものがあること自体はじめて知った
ベーリングは日本に来てないのに・・・
実際に来たシュパンベルクの記念碑を建ててあげようよ

184 :
ボストーク湖、掘り抜いちゃったよ…。

185 :
エスパニョーラ島にはコロンブスがジパングと思い上陸したジパング記念碑とかなかろうか

186 :
あげ

187 :
>>184
マジですか。それは探検と言うより環境テロでは。

188 :
>>187
汚染せずに掘り抜く事が出来るようになったそうだけど、なにせ
ロシアだからね・・・

189 :
【マレー】オーストロネシア語族【ポリネシア】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1331906002/l50

190 :
>>188
ロシアは掘削孔に灯油を流し込んでると報道されている
「環境保護に関する南極条約議定書」違反は明らかじゃ


191 :
>>183
その名前じゃ「誰?」て話だろw
ベーリングが人名だと知らない人もいるし。

192 :
>>191
そういう人に広く知ってもらうため正確を期して記念碑を立てるんだよ。
来てもいない探険家の記念碑を立てるなんてヘンだ。

193 :
大航海時代関係の記念碑って、日本国内でほかに何かあったっけ?

194 :
探検と関係ないけどザビエルの記念碑があるんじゃないか?

195 :
探検というか非常にハイリスクな冒険だ。冒険野郎ザビエルここに至るの記念碑はこんなにいっぱいある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB#.E3.82.B6.E3.83.93.E3.82.A8.E3.83.AB.E3.81.AE.E9.8A.85.E5.83.8F.E3.83.BB.E8.A8.98.E5.BF.B5.E7.A2.91.E7.AD.89

196 :
高知にベニョフスキーの記念碑をつくるべし

197 :
ウィキペディアのベニョフスキーの項目を見ると完全に犯罪者扱いだな。
なんか見方が偏ってる感じがする。
この記事だけ見ると「犯罪者の記念碑を建てるのか」って反対が出そうw

198 :
シュパンベルグ
ベニョフスキー
ラクスマン
レザーノフ
ゴロブニン
リコルド

彼らの記念碑を建てよう

199 :
>>198
ラクスマンの記念碑なら根室にあるヨ
http://www.nemuro-kankou.com/s-map01.html
リコルドの像もあるらしい
http://www.takataya.jp/nanohana/kawara/monument/monument.htm

200 :
南極あたりまで行ったとき、巨大な氷は陸地とはみなされなかったのだろうか?
だとしたら南極大陸発見はむき出しの陸地を見てはじめて陸地発見とされたのか

201 :
>>197
ロシア南下の脅威を警告してくれた恩人に対してあんまりな仕打ちだろ。Wikipediaの[[ベニョフスキー]]を書いた奴には言っておく。恩を仇で返すのは畜生の所業だぞ?

202 :
ロシアの脅威ってw
ベニョフスキーがロシア憎しでつくりあげた幻であることは常識ですよ。
林子平も自分で自分の影におびえただけ。

203 :
>>200
実際に南極が発見される前から、
「あの辺に、大きな大陸があるんじゃないかな?」
と、予想はされていたけどね。


204 :
>>202
実際問題として、露西亜は西比利亜をものすごい早さで併呑し、阿拉斯加を押さえて千島と樺太へも勢力を伸ばしてたよ。
海防意識を高めてくれた人間がいたおかげで、ようやく日本は蝦夷地を露西亜に取られずに済んだんだよ。話に多少の誇張があることぐらいは問題じゃない。

205 :
では光太夫などを送り届けてくれたロシアの行為はなんなのよ。

206 :
大体、シベリアもアラスカも日本に関係ない土地だし、
クリルやサハリンですら満足に実効支配できてなかった時代に、
ロシアの脅威もへったくれもあるのかと・・・

207 :
>>205
日本からの食糧調達と貿易を打診する布石。
>>206
その次に北海道を取りに来た可能性はある。

208 :
レザーノフの来日だって通商の樹立が目的だよね。
はんべんごろうの警告が本当なら最初から攻め込まれてなきゃおかしい。
1806年のはレザーノフの個人的報復、ロシア政府が日本に攻める気なんてみじんもないよ。

209 :
>>197
見たところ、みなもと太郎の「風雲児たち」の内容そのまんまのようなので、悪人扱いも仕方ない。

210 :
>>208
海防論の高まりが日本側の対応を促し、幕府が蝦夷地を直轄領にし北辺の探検と防備を行なって、結果として北海道と択捉以南の千島列島がなんとか日本の手に残ったんだよ。
もう少し日本側の対応が遅れれば、どちらもロシア領になるところだった。それに攻め込むだけが勢力拡大の方法じゃないことを忘れてはいけないね。現地人を手なずけ商館を建てて勢力を増してくのが基本だ。ロシアにしてみればそこまでは日本との交易に平行して進められるし、
交易が実現すればネックだった食料供給が解決して進出をよりスピードアップ出来る。
>>209
マンガの丸写しとはとんでもない話だな。

211 :
いや、林子平のころすでに北海道は日本だから。

212 :
いや実際のところ、松前藩は蝦夷地を自領と称していたが、全く実質を伴っていなかった。
当時の蝦夷地は基本的にアイヌの土地で、松前藩が押さえていたのは渡島半島の一部のみ。
この和人地を拠点にアイヌと通商していただけだな。
http://www22.atpages.jp/kakibaku/yum_wd_ma.html
日本側が北海道全体を掌握するのは、幕府が松前藩から蝦夷地を取り上げて天領にしてからだね。
【関係年表】
1771年、ベニョフスキー来航「はんべんごろう事件」
1781年 工藤平助「赤蝦夷風説考」刊行
1785年 幕府が最初の蝦夷地調査隊を派遣
1787〜1791年 林小平「海国兵談」刊行
1792年 ラクスマンが来航
1789年 東蝦夷のアイヌが一斉蜂起「クナシリ・メナシの戦い」
1799年 幕府が東蝦夷地を直轄化
1804年 レザノフが来航
1806年〜1807年 レザノフの部下が樺太と択捉を襲撃「フヴォストフ事件」
1807年 幕府が西蝦夷地を直轄化、ロシア船打ち払い令
1811年 「ゴローニン事件」

213 :
>>196
北の守りに注意を喚起してくれた功労者ベニョフスキーの記念碑をぜひ建てよう!
宿敵ロシアの船を奪って流刑地を大脱走、すんでのところでマダガスカル王になるところだった波乱万丈な人生、
そして世界を股にかけたビッグスケールなウソツキ冒険記・・・彼は映画の題材にも最適だ!

214 :
仲間を食べ続けながら達成した
アムンゼンの偉業は黒歴史にしたい気配はないか?

215 :
>>214
犬を仲間というならな。
公式、と言うか
アムンゼンの手記を信じるなら、用済みになった犬を食ったのは
まだ働いてもらう必要のある犬だよ。
まぁ、アラスカやカナダにいる先住民は、
普通に犬を食うけどな。
植村直己の手記にも書いてあった。

216 :
アムンセン隊は食料の用意を十分にしていたよ。
極地探検で食人といえばジョン・フランクリンの探検隊だろう。
>>214は下のリンク先を読むべし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3

217 :
世界の最後の探検はアポロ17号。
国際宇宙ステーションやスペースシャトルは地球が近すぎてちゃちに見える。
月面車持って行ったり、ド派手な探検だった。
13号はこれまた世界が固唾を飲んだ。
去年各着陸点の上空写真が公表されたが、まだイカサマ説を唱える人がいて、滑稽だね。

218 :
あの白瀬矗も千島探検の時に愛犬を食べてる。背に腹は代えられぬ。

219 :
スコット中佐かわいそうだった。

220 :
よくもわるくも歴史に名を刻んだ人は
一生生きているのと同じかもな
受け継がれていくから
そうなると寂しくなさそう

221 :
>>219
スコット隊の運が悪かったんだ・・・
スコット隊がたどったコースが、たまたま天気が悪かったんだ。
それと、燃料缶が油漏れしたのも拙かった。
アムンゼン隊は、前人未到のコースを辿ったのに
たまたまなだらかなコースだったんだよ。
冬営キャンプも氷の上だったのに、その年は
流される事もなかったし。

222 :
南極で馬に橇を引かせるってスコット隊のやり方も、今から思えば無謀だったが。
まあ後知恵ではあるけどね。

223 :
>>222
いくつか言いたい。
・そもそもスコット隊は、ロス氷棚が終わる所で馬ソリを使うのをやめる予定だった。
 南極大陸へ登る場所は、馬ソリが越えられない地形である事は
 以前の南極旅行からわかっていた。
 そもそもこのルートは、以前英国隊が通過している(シャクルトン隊とか)ルートだし。
・以前スコット隊は、犬ぞりでひどい目に遭ってるとかいう話だ。
・馬ソリの不調のせいで、物資の貯蔵所の場所が
 若干北側になったのは認める。
 もしもこの貯蔵所の場所が予定通りなら、スコットと部下の2人は
 生還できた可能性はある。

224 :
スコットがあと20km物資貯蔵庫を前進させておけば、帰路にたどり着けたんだよな。
デポ作りにあと1日がんばってれば、ってところが生死をわけちゃった。
教訓とすべきことだ。

225 :
アムンゼン隊の不利な点。
・ルートがすべて前人未到だった。
 途中に犬ぞりが使用不可能な地形があった可能性もあった。
・冬営地が浮氷の上。
 冬のさなかに、冬営地が流れ出した可能性も十分にあった。
 実際、スコット隊の冬営地は現在でも残ってるが、アムンゼン隊の冬営地は
 数年後には存在を確認できなくなったそうだ。

226 :
おっと、これも書かなきゃまずいか。
両探検隊共通の問題。
・燃料缶の油漏れ
 アムンゼン隊の手記でも、燃料缶の油漏れに
 悩まされている事が読み取れます。
 スコット隊でも、デポした食料が
 漏れた燃料で使用不能になった可能性を
 指摘してる手記もあります。
この時使われていた燃料缶は一斗缶を
縦に半分に切った様な物らしく、今存在する物としては
エンジンオイルの缶に似たものだと思われます。

227 :2013/09/07
太平洋の海底で世界最大の火山を発見か ナショナルジオグラフィックニュース
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130906003
そんな大物が今まで見つかっていなかったなんて・・・地球は探検し尽くされたなんて
浅墓な思い込みだったわ。
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