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戦国大名の家柄や先祖について


1 :2007/09/22 〜 最終レス :2013/01/20
語れ

2 :


3 :
のらのららののらの

4 :
家康←乞食坊主の子孫
信玄←罪人の子孫

5 :
武田家と伊達家はどっちが由緒ある家柄だったの?

6 :
家康は信玄の息子って東テレが言ってたお

7 :
由諸ある家柄は阿蘇大宮司家、千家、紀家 だけ

8 :
>>7
阿蘇家も伝承が多くて正確なところは不明。
千家は神官で戦国大名ではない。
紀家も古代氏族であり、紀を苗字とした戦国大名はない。

9 :
諏訪氏は?

10 :
>>9
諏訪氏は阿蘇氏の支族
阿蘇家、千家、紀家 この三家の家柄が確かじゃないとすれば日本っていったい・・・
源氏や平家も本当はどこの馬の骨かわからないらしいし

11 :
通説を疑いすぎ

12 :
>>10
源氏や平家が馬の骨ということは、天皇家が馬の骨ということか?

13 :
平家はともかく、源氏は満仲以降は馬の骨だろ

14 :
まさか天皇を本当に神の子だと思ってる人なんていないでしょ?
どこの馬の骨か分からんただの人間が
勝手にこの国の天皇を名乗って居座り続けてるだけだよ、荒っぽく言えば
隔離された島国だから2000年も崇め奉られてきただけ
大陸なら新たな王が登場するたびに殺されてる
そのどこの馬の骨か分からん天皇家のために国民は古代から振り回されてきただけ

15 :
世界に類がない事ではあるだろ
アホ

16 :
姉妹スレッドでーす。
「武士と盗賊ってどう違うの?」
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190162061/

17 :
織田、徳川、武田、今川、北条、上杉、毛利、伊達、島津
一番名門の家柄はどれですか?

18 :
伊達の先祖は鎌足さん


19 :
>>17
徳川が一番名門にきまってるだろ。
将軍家になれる唯一の家柄。
親藩でも特定の家しか徳川を名乗ることを許されず、他の家は松平となった。

20 :
日本御三家とは阿蘇家、千家家、紀家のことをいう

21 :
紀家は現在存続してるかは知らないけど、阿蘇、千家は今でも続いてる。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180095303/201-300
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1179839855/1-100

22 :
年代によって家格も上下するお( ^ω^)

23 :
神職なら籠神社の海部氏。

24 :
武田と戦い続けた村上家は由緒ある家柄だったんですね
知りませんでした

25 :
>>17
戦国時代に限れば今川家が一番名門の家柄だよ
今川家の本姓は源氏で、清和源氏の流れをくむ足利氏の傍流
将軍家足利氏に何かがあれば、その将軍職を引き継ぐ権利を持っていた名家中の名家

26 :
今川家も源氏の庶家だったんだね〜。
でも源氏の流れを汲む人がやけに多いな。ほんとかな?

27 :
九鬼も熊野宮司の家柄

28 :
古い神社の宮司を代々継ぐ家柄ならある程度は信憑性があるな。

29 :
武田家も源氏だよね?

30 :
系図関連のスレは他にあるだろ
乱立させんなよ

31 :
こんなんぷらっとに聞けば一発で解決するのに

32 :
吉川晃司は毛利家の末裔らしい

33 :
>>32
何で苗字が違う? 分家以外で苗字の違う場合はあやしいよ。
よくいるじゃん。源氏のマツエイ、平家のマツエイと爺ちゃん婆ちゃんが言ってたとか
言う人が

34 :
>>32三本の矢の逸話すら知らないのか

35 :
>>33
本気で言ってるのか?
と思ったら今川家が清和源氏流足利氏一門の吉良氏庶流の名家ってことすら知らない馬鹿か・・・
鎌倉時代から続く名家に向かって「ほんとかな?」って馬鹿すぎるwww

36 :
確かに馬鹿の中の馬鹿の中の馬鹿の中の馬鹿の中の馬鹿の中の馬鹿だな

37 :
先祖だってここに書いてあったんだもん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E6%99%83%E5%8F%B8

38 :
>>37
吉川晃司の場合、あくまで自称。
仮に本当だとしても吉川本流は明治まで存続して子爵になっているから
没落した傍系子孫でしかないなら、珍しくもなんともないしな。
つか吉川は、元春以前は毛利の血筋と関係ないから
その時代からの別れなら毛利元就の子孫ではない。
吉川晃司は広島出身だから、むしろその可能性のほうが高い。
※江戸時代の吉川の所領は現在の山口県
なにより国民皆姓で、好き勝手に名乗った苗字の可能性すらある。
国民皆姓の時は、それまで苗字を名乗れなかった農民は、
どんな苗字にすればいいか分からず、地元の名士の名字をパクったりした。

39 :
>>25
うちの先祖、今川の家臣だったんだが、確かに源氏だった。
しかも、その先祖は足利家とも関係していたらしい

40 :
>>39
今川の庶流が家臣として、本家に仕えたクチか。
ちなみに証拠はありますか?

41 :
いや、あるというか、ウチの蔵に変な「●●(うちの苗字)一族」って古い本があって読んだ。
ただ戦後に一度没落していて、日本刀とか全部盗られてなくなったらしい。
今川の庶流というか、本家が潰れて落ち延びて今川家に仕えたクチ

42 :
つーかここまで書いたら苗字バレるな。

43 :
何か叩かれまくってるw 源氏の庶流とかに興味なかったので知らんかった。
日本人として常識ですか・・・ゴメン、あやまる。

44 :
朝比奈とか?

45 :
>>38
そうなんだ
教えてくれてありがとう
ちなみにスケートの織田は本当の織田信長の子孫なのかな?
無知ですまん

46 :
信長の子孫って言っても、側室合わせたら何十人じゃすまないくらいいるんじゃないのかねぇ。
スケートよりも政治家とかになってほしかったね。個人的には

47 :
信高系も近代になってからはっきりしないし信成が子孫と断定できないんじゃないお?
信長は子供多いけど男系子孫は僅かだと思うお( ^ω^)

48 :
苗字が同じなら名乗ったもの勝ちみたいなとこあるよな。
家紋は分家ならアテにならんしなあ

49 :
信長の子孫なんて100万人ぐらいいるんじゃないの

50 :
じゃあ俺も信長の子孫な。

51 :
織田のほとんどは弟系だろ

52 :
織田無道も織田信長の子孫だって名乗ってたけど…

53 :
名乗ったもん勝ちなんだってば。
苗字が同じならばそれっぽいし。

54 :
朝鮮人が豊臣名乗って帰化する時代だしな

55 :
>>54
まじですか?

56 :
>>55
現代の話っすよ。
ちょっと前に捕まったパチプロ梁山泊のリーダー

57 :
国民皆姓の時に現存する苗字は使えないって
規則を作らなかったのは失敗だったな
先祖に騙されて「うちは○○の子孫だ」なんて本気でいう奴多すぎ

58 :
鈴木さんが多い理由も神社の宮司に鈴木氏が多かったせいで
学がない農民が宮司さんの氏をパクって鈴木と名乗ったせいだしな

59 :
>>57
言えてる。勝手に名門の苗字を名乗って、その名門の家系図と墓を盗んだ外道を知ってる。
因みにそいつの昔の家柄は賤民のたぐいってことも地元の老人なら知ってる。
でもそいつら金持ちで地元の権力者と関係があるから皆だんまり。

60 :
リアルだな

61 :
外道行為はそいつの2代前くらいの奴がやったのだが、子孫にそのことを知らせてる
とは思えない。その家系図は絶対誰にも見せんらしい。地元の教育委員会会長にさえ。
専門家が見たら書き換えたのがバレルからかな。しね

62 :
>>57
武士自体が苗字詐称してたりするからな。
徳川家とかもほんとは松平なのに、松平が、そのとき公認されてなかった
苗字(要するに農民苗字)だったからって、源氏の分家、徳川に改名。


63 :
>>8
伊予の紀氏は?

64 :
俺の父方の先祖は埼玉の農民だったらしいけど、苗字っていつ誰が決めたのか気になるなぁ
適当に決めちゃったのかなぁ

65 :
江戸時代の農民にも苗字はあったよ
ただ名乗ってはいけなかった。
これは最近の研究で明らかになっている。

66 :
へぇ〜 そうなんですか
一応、家紋もあるみたいなんですけど、こちらもいつ誰が作った家紋なのか分からないんですよねぇ。。

67 :
>>65
全員が全員名字持ってたわけじゃないけどな
>>66
家紋はどんな家にでもある。
自分のルーツを知りたければ、菩提寺にでも池

68 :
紀氏厨うざいよ

69 :
今は家紋というものは誰でも好き勝手に持てる。今風のピカピカの新しい墓に
ある家紋とかはその家のルーツに全く関係ないのがほとんど。
そこらじゅう違い鷹、並び鷹だらけ。

70 :
家紋なんかじゃ差別化出来ない時代だから、模様なんかで自己主張するくらいなら名前刻む方が合理的だからな

71 :
>>65
だいたい貴、武 以外が苗字を許されなかったのはいつから始まったのかな?
苗字があるのに名乗るのはXて、意味がわからんな〜。そいつらに苗字がある意味
は何?

72 :
庶民の名字はどこ出身とか表すだけのもの
武士の名字は血筋を表し、支配階級であることを明らかにする為のもの

だから庶民の名字は家系存続でなく、集落とかそういうものを表す適当なもの

73 :
足利→斯波→柴田ではないかといわれる柴田勝家。
雁金紋ばかり有名だが、あれは戦場で使われた旗紋。
戦国時代の記録に旗紋が目立つのは当然だろう。
勝家の位牌が残る菩提寺に柴田の紋として藤の紋が示されている。
出自がはっきりしない柴田の一族は藤原系なのかもしれない。

74 :
文字紋って結構格が高いってホント?大名が使ってたとか
家の源氏香紋の文字紋なんだけど

75 :
間違った、源氏香紋と同じ場所に入ってる文字紋。
わかりずらいスマン

76 :
>>74
>>69

77 :
土星とかあるらしいな…

78 :
>>76
なるほど。
ただうちのルーツは藤原北家という資料があるんだが、まったく同じ家紋を使っている氏族がいるんだけど、やはり藤原北家なんだよね。
関係あんのかなこれ

79 :
藤が頭に来る姓なんだけど定紋が下がり藤、織田家の家臣〔のちに明智〕
兵庫京都近江一帯に親戚が多い。寺は浄土真宗、ほんとに末裔なのかな。
墓も仏壇も小さいけど。

80 :
分家なら可能性はあるんじゃね。
正統本家だと主張されたら嘘つけ!となるけど。

81 :
本家とか嫡流は合戦に負けた場合など狙いうちにされるため子孫は根絶やしにされる確率が高い。
歴史に残る一族の子孫は、ほとんどが分家や庶流、傍流の子孫。

82 :
おれなんか先祖が平家の落ち武者だからその時点で血筋あやしすぎる

83 :
>>82
平家め。本姓が清和源氏の俺様が根絶やしにしてくれるわ。
確かに一族の本家は>>81の言うとおり、合戦に負けて根絶やしにされた。
家紋がなかなか威厳のあるものだったんだが、それも既に本家と一緒に亡くなり・・
うちの家紋、本家のものに変えようかなぁ

84 :
>>83
平清盛の養子だったから平姓名乗った流れもあるけど
うちの流れは藤原姓使ってたから許しておくれ゚(゚´ω`*)゜。
保元・平治の乱じゃ源義朝方について、戦った家柄ですぜ

85 :
というか、本姓ってのがイマイチわからない。
田中太郎っていう人が清和源氏だったら、姓がかわるなら清和源氏太郎っていう名前が本当なの?
本姓ってなによ

86 :
周りの親族の支持を得られるかは別だが
家紋、今は変えようと思えばすぐに変えられるんだろ?

87 :
多分ね
どうやって変えるかわからんが

88 :
かってに選べるよ。自由。
選んでくださいだってw

89 :
マジレスだが呉服屋やレンタル衣裳してる人ならわかるけど、
和服を貸す際、お客の家紋を尋ねるか紋帖で確認する。
でも知らない人も多い。よってよくある蔦紋などを使う。
レンタル着物なんか殆ど桐紋だしね。

90 :
肥後国の先祖附はいつ頃から書かれ始めたのですか?教えてください。

91 :
>>90
ヒント ラモス

92 :
>>89
うちのは特殊だからたぶんないな・・・

93 :
家紋とかよく分からんけど、戦国武将は複数持ってたて本当?
俺信長の家紋2つ3つ見たことあるんだけど。

94 :
自分ちの家紋を知らない人間なんているんだな
仏壇も無い渡来人かよ

95 :
うちさあ・・・・
奥州畠山の末裔
家紋は桐(細かい違いしらん)
臨済宗です
南部藩藩主の乳母を出したことあるそうです
その地方では昔からの豪族だったのは間違いないらしいが・・・・
ほんとかな? いやそれだけだw

96 :
>>93
色々なケースがあるからね。事情はそれぞれ。
身内同士で戦うこともあった時代。同じ旗印を掲げられないケースもある。
一族の紋ではない戦い用の紋が別に用意されるのは当然。
母方との繋がりや影響力が強い場合、母方の家紋の併用もある。
身分の高い嫁をもらう場合、嫁の家の権威を利用しない手はない。
など、諸事情により複数使い分けられていた模様。>>73の話も関連するね。
現役中は出自を粉飾する必要もある。状況に有利な血統(家紋)を主張する。
で、死後に弔うのに使われてる家紋は一族共通のものかもね。

97 :
おまえらの家とかどうでもいい

98 :
>>95
その自慢口調が痛すぎるw
しかも、明智の家臣や今川の家臣の末裔が集まってきてるこのスレじゃ対して珍しくない普通の家系w


99 :
つーかよく考えたら奥州畠山って伊達家に潰されてなかったか?w

100 :
戦国大名ですらない

101 :
まぁまぁ 庶民どもよ落ち着け。
それより今年の年貢じゃが・・・

102 :
そんなの関係ねぇぇ

103 :
             /\__    _. ィ
         _. - .:.{  ヽ.:.:.:.:.:.>' ´ /
       /.:.:.:.:.:.:.:.:l   '. :.:./   , '`丶、
      /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、  Y⌒) _.ノ_:.:.:.:.:.:.:.\
       /.:.:.:.:.:.:.:.:j.:> ´ .`-−…−- ` く :.:.:.:.:.:ヽ
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      |:.:| :.'. :.:.:.:.: l{ ト'ハ       ト'ハ' リ /|∧.| :.:.l\|
     ヽ||:.:.'.:.:.:.:.:.! 弋_り     弋_り  ムィ.:.:.ハ:.:|
       |:.:. '.:.|.:.:.|ヽ.     r─−‐、   ノ、|:.:/ |:/
       ∨:|ハ|ヘ.:|  > ._|  ___  |‐ ´   ヽ/  l.′
       ヽハ.  ヽ    ', |  冂| |    , ヘ
        | \      | 〒' |、  /  |
        |   \  ,. '´| f,ユ...」 ヽ'   |
そんなの関係ねぇぇ・・・・・・

104 :
西の人にはピンとこないかもしれないけれど
関東以北で平、藤原の末裔と称してるのは殆どエミシだよ
さすがに源氏なんて言い出せないから
真ん中取って詐称してるだけ

105 :
悪い、関東以北で清和源氏だ。
家系図もあるぞ。
確かにもとは関西ルーツなんだが、室町時代に関東に流れてきたという罠

106 :
北海道辺りにいるのは怪しい
そもそも新天地を求めて差別階級の人がなだれ込んだ場所でもあるから蝦夷は

107 :
ああ、確かに北海道とはずいぶん離れてるわ。

108 :
>>105
系図の最初が天皇になってるやつだろ
そういうのは大抵偽物だよ
鑑定にでも出してみ

109 :
>>108
いや、それはないなw
日本家系協会だかなんだかが作った奴だからw

110 :
DNA鑑定すりゃいいのに
最終的に皇室にたどり着くんだろ?

111 :
正確にいえば、協会がうちの一族の家系図本を出した時、末裔のいくつかの分家に配ったというところか。

112 :
 幕末まで考えると鎌倉時代からまともに勢力を維持しながら残っている
 のは伊達と島津しかいないという事実
 あとはひょっとこ出か途中で滅亡とか
 伊達と島津は尊敬に値する家柄

113 :
>>109
日本家系協会wwww
うちにも葉書が来たぞ。
○○、△△、□□一族は源氏の末裔とかいうので
本を出したから買ってくださいとか言うのw
で、いくらとられたの?w

114 :
>>113
いや、タダでくれた。
寺にある家系図、家紋、家にある甲冑、日本刀すべて見ても、不自然ではないんだよw
そんなに悔しいか?w

115 :
日本家系協会なんて新手の名簿屋だよ。
こんなところ信じてたら笑われるよ。

116 :
日本家系協会なんか存在していたのか

117 :
それが寺にある自分の家の家系図とかぶっていても信用しちゃだめか・・・
となると、なにを信用すればいいのかね。

118 :
天国

119 :
自家系図はどこまで信頼出来るかは微妙。
寺にある家系図も全幅の信頼はおけない。
確実なのは、菩提寺にある過去帳だろう。
過去帳と自家系図を比べて、重なる人物は信用出来ると思う。
自家系図で怪しいのは、先祖を源平藤橘としていて、それらと結びつけているところ。
このあたりは、自家系図以外に史料がない場合は、参考程度に考えて、完全に信用しない方がいい。
ちなみに私の家の先祖は、源三位こと源頼政らしい。
頼政から家系図に書かれている祖父までの系譜を眺めると、実にうまく作ってあると思う。

120 :
>>114
屋敷はないのか?
旧家なら地域では自他共に認める名門のはず。
周辺に家来の子孫がいるなら今でも別格扱いだろ。

121 :
拙者の家は家系図だまされて取られたそうな、何代か前の話だが。
金に困って売ったりってのも昔はよくあったそうな。

122 :
うちの地方にも系図買いにきたってばあさんが言ってた
生活に困って売ったところ多かったみたいだよ
だから家系図はほとんど信用してない。
どんな家だったのかは明治時代までの婚姻相手や墓、戒名を見ればだいたいわかるよ
あとは地元の人の認識。名門なら今でも名が通ったままだよ

123 :
>>120
屋敷というかどの程度の大きさが屋敷だ?
確かに石塀や蔵はあるな。ただうちの建物自体はそれほど大きくない。
本家は黒塀とちょっとした掘で囲まれてるけど。
周りは農家が多い地方なんだが、本家に行くとよく様づけで呼ばれてた記憶はある。

124 :
拙者の家は上杉(米沢)の家来らしいのだがその前は伊達の家来だったとかなんとかっていうのも聞いたりして、なんだかわからん
お墓は上杉の家来がもらった万年堂ってのがあるから確かなんだが、有名な名前ではないので
上杉の家来の家来みたいなもんだと思う。
でも、そういうのあると面白いね。歴史とか興味出るし、ひいきに出来る殿様もできるしね。
ただ今を生きる人たちも先祖(正式な家系という意味ではなく親戚縁類含めて)血筋をずっと、たどっていけば大抵、良いところの血がまじってるんじゃないのかな。

125 :
家柄とか先祖自慢する人うざい Part2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1163488146/

126 :
戦に駆り出された農民が敵地の女を犯して生まれた子を
祖先に持つ人もそれなりにいるのかね…

127 :
伊達家の先祖からの家柄って素晴らしいんだね
びっくりした

128 :
>>127
そうでもないよ。伊達家も伊達政宗より数代前までしか分からず、それ以前は伝承の類でしかないから。

129 :
現存する家系で最も信頼できる名家はどこ?

130 :
>>128
えっ そうだったんですか
教えてくれてありがとうございます

131 :
>>129
天皇家

132 :
>>131
その次は?

133 :
>>131
それを言っちゃあ、お終いだw
江戸・明治の壁を越えて家系連続→確率20%
戦国・江戸の壁を越えて家系連続→確率1%以下
って程度だよね。現実問題。
天皇家以外は、ほぼ信用できんだろう。

134 :
堂上公家とか社家あたりはどうかな
って、スレチだな

135 :
おまいら詐称できるだけマシだよ
おれなんて歴史に名前が出てこないんだぜ?

136 :
>>132
佐竹

137 :
>>135
歴史に名前がでてこないのはドン百姓か部落

138 :

でも実際天皇もドン百姓も同じでなんもかわらん。
そのドン百姓も子供の頃から天皇として育てられれば、同じになる。
同じであるこを痛いほど理解しているがため、よけいに地位、名声、選民意識、差別などの卑しい考えがが増大されるのだろう。
差別に縛られる者は己も差別される対象であることに気づけ。
それに気づいた者は何者からも支配されない。

139 :
>>129
出雲国造

140 :
阿蘇大宮司家

141 :
熱田大宮司家はちょっと残念。

142 :
>>140
阿蘇大宮司家は、初期は伝承の域を出ず、出雲国造(千家家、北島家)とは比べものにならない。

143 :
天皇家や出雲国造家の初期は伝承じゃないの?

144 :
>>137
ばーか

145 :
>>141
何故残念かいえよ。

146 :
>>112
そんなド田舎で勢力を維持した奴なんか尊敬できるかよw
せめて引き篭もりを克服して中央に出てきてからいえよww。

147 :
>>143
伝承には違いないが、阿蘇大宮司家よりはかなり古い時期。

148 :
その古い時期とは、千家家は天穂日命を祖とする ということじゃないよね。
阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてる
と思うぞ〜。もちろん千家家もそうだとは思うが

149 :
>>145
尾張国造まで遡れる家系なのに、途中で藤原氏の婿を迎えて家督が移行しているから。
んでその婿が藤原季範。源頼朝の外祖父。

150 :
>>148
「阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてる 」
認められていないよ。それこそが伝承のレベル。
阿蘇家は、俗に古いといわれる諸家の中ではかなり新しい方。
出雲大社の千家家や住吉大社の津守家の方がはるかに古い。

151 :
阿蘇は2ちゃんではなぜか分不相応に崇められてて、親戚かなんかが工作してるのかと疑ってしまう。
阿蘇より古い千とか津守とか紀にはまったく触れずに阿蘇だけをマンセーしてるとこが
どうも胡散臭い

152 :
ttp://blog.goo.ne.jp/taezaki160925

153 :
工作して何か得するの?

154 :
信者が増えてお布施が増える

155 :
自尊心を満足させる為だろ
韓国起源説と同じ理屈

156 :
阿蘇家は名門だと思うが、なぜ否定する??

157 :
名門であることは否定していないだろ
わざと話を捻じ曲げてるのか?それとも人の話を理解できないほどの馬鹿なのか?

158 :
千家とか津守とか紀って阿蘇より古いの? 例の伝承云々?
Wikiには、もとより伝承の域をでないと書いてあるけどね〜

159 :
wikiてw

160 :
>>156
阿蘇家は名門だが、それは中世以降の阿蘇家の在り方の結果。
名門だが家史は古代名族ほど古くはない。

161 :
鎌倉や京都は大火があったから多くの系図が灰になったのかな
寺社も炎上したし

162 :
確かに阿蘇家の動向が確かなのは平安初期くらいからかもしれんけど、
他の古代名族はいつくらいから歴史があるの?

163 :
そのぐらい自分で調べようよ

164 :
織田信長の一族は本当に尾張守護代織田家に繋がる系統なのだろうか?
家康かあっさりと松平を捨てたのは松平一族ではなかったのではないか?
僭称するほどの姓ではないが系図を弄った形跡があるのが気になる

165 :
家康が松平を捨てたとは何の寝言だね

166 :
信長は元々織田じゃなかったぞ。元の苗字忘れた

167 :
藤原だろ

168 :
最も古いと言われる阿蘇も千家も初期は伝承じゃないか

169 :
あげ

170 :
尾張織田家はみな近江津田家につながります。
よって織田信長は俗称で正式には津田信長です。

171 :
福井の織田からきてるんじゃなかったっけ?

172 :
信長の家系は織田本家よりずっと離れた家柄

173 :
織田氏は忌部氏の一族だよ。

174 :
戦国武将直系の有名人はいますか?

175 :
>>174
松田聖子(蒲池法子)。
柳川城主で蒲池氏16代 蒲池鑑盛
鑑盛三男で塩塚城主  蒲池統安
蒲池統安の直系で、江戸時代は柳川藩家老格。
幕末の柳川藩家老格で上士の蒲池鎮之が松田聖子の高祖父。
※福岡県立柳川古文書館にて史料確認済。

176 :
松田聖子って女だよね・・・乙

177 :
蒲池法子は改姓したとはいえ蒲池の立派な女総領だよ

178 :
女総領なんてのは日本には存在しないよ
出戻りとはいえ嫁いでるしね

179 :
そんなこと言われたら井伊直虎の立場が

180 :
赤井英和は丹波の赤鬼の子孫らしいな。

181 :
>>176
女だから乙にしならんよ。
江戸時代では多くの武家は、娘の婿養子に名跡を継がせて家系を維持しているから。
>>178
立花道雪の娘のァ千代は女総領だが。

182 :
出戻りで?
しかも聖子は2回も姓が変わってるが

183 :
>>182
そんな個人的なことはどうでもいいじゃん。
>>174の「戦国武将直系の有名人はいますか? 」に対するレスとして
聖子のことは書かれ、事実として間違いないのだから。
ただ、柳川藩の蒲池家だった松田聖子の生家の総領は、聖子の兄。

184 :
>>177の池沼発言が叩かれているんだろ

185 :
あら、僕叩かれてたのか。

186 :
>>180
あ、そうだったのか
俺は名字が同じだとついつい勘ぐってしまうな

187 :
きのうTVで熊本の農村の人で
甲斐さんっていう爺さんが出てたんだが
やっぱり勘ぐってしまった

188 :
熊本村の甲斐さんがどうしました?

189 :
このスレは熊本県民だらけ?

190 :
さあな

191 :
自称戦国武将の子孫に出会ったらこれを聞け!
1、「家紋は?」(家紋は、つじつま合わせに同じものにしていることが多いが、たまに旗印を使っているアホがいる。家紋が違えばその時点でウソ。)
2、「屋敷はあるの?」(戦後に取られたとかいうのはほぼウソ。名の成る武将の子孫は、みんな今でも地元の名士です。平戸出身者なら、95パーセントの確率でウソ。)
3、「あなたの家は何宗?」(浄土真宗やキリスト教であったら、よほどのことがない限り武将ではない 単なる武士ならば可能性はある)
4、「ご近所に様付で呼ばれたことある?」(武将の子孫であれば、近所からは●●様、と必ず呼ばれます。)
5、「あなたの出身地はどこ?」(よくあるのは中国地方の武将を、東北地方の人間が自称したりするパターン。毛利家とか。)
6、「あなた、その武将から数えて何代目?」(「〜代くらいかな?」とか言うのは、完全に嘘。名だたる武将の子孫が、何代目かはっきりしないなんてことは絶対にない。)
ちなみに、わたくしの先祖は地元の弱小藩の上級武士でしたが、
それでも近所からは様付け、屋敷有り、墓も屋敷の敷地内にあり、と、ほぼ満たしています。
なんの武将の子孫でもない、単なる弱小藩の藩士の子孫でも地元ではその程度の扱いは受けます。
著名な武将の子孫が、平戸出身者でなんの資産もないなんていうのは、ほぼ99パーセントありません。

192 :
ああ、「平戸」っていうのは「普通の家」っていう意味で。

193 :
帰農した武家なんかの存在を考えると何の参考にもならんな。

194 :
帰農した武家なんてそんなにいないんだろ
有名どころとか特に

195 :
>>191はいろんな板やスレを荒らしてる朝鮮人らしいのでスルーで


196 :
旗印に関してはかなり同意したい。
戦国武将は旗印が有名すぎて誤解されている。
家紋で辻褄を合わせて墓穴を掘る自称さん多過ぎ。

197 :
過疎っていてつまらないので今まで出会った自称末裔さんを語るスレになります
みなさん楽しく書きましょう

198 :
俺の知り合いで、山本という奴がいるんだが

風林火山が始まったら急に「俺の家は山本勘助の子孫だ」と主張し始めた奴がいる。
単なる寝ぼけだと思ってほっておいたのだが、山本勘助の模造刀を通販で買いだして、
「これは俺こそが持つ資格があるんだ」と言い出したので、ついに
俺が「山本家は有名な海軍元帥の山本五十六の家(家老)が子孫だ。」
と教えたら、急に言わなくなった。

199 :
そりゃ在日だな

200 :
いや、一応日本人だと思うぞ。
ただ家を訪ねたことがあるが、たぶん小作人かなんかが先祖なドン百姓だと思う。

201 :
そういやうちの先祖様功名が辻で討ち取られてたなあ

202 :
>>201
誰?

203 :
>>202
名もなき雑兵

204 :
上杉家って子孫いんの?

205 :
ガクト

206 :
>191
キリスト教信者な武将の末裔って、案外居るよ。
明治期の日本人牧師には、士族出身者が、多い。
当時の牧師の多くは、外国語を学んでいたりと、
高等教育を受けれる家の者が多いから。

207 :
武士と武将は違うだろw

208 :
>>206
そいつは浅い知識でいろんな板を荒らしまくってるバカだから
マジレスしちゃ駄目

209 :
今川義元、足利義輝がトップか

210 :
足利義輝カッコヨス
日本刀を畳に突き刺し斬ってや捨て斬ってや捨て

211 :
男祭り

212 :
義輝すごいよな。切り捨てた死体が積み上がって高さ4メートルにも達したらしい。
部屋の中が文字通り死体の山。寄せ手が死体の山を掻き分けて義輝探してると
死体の間から刀でグサリ、死体の山に駆け上って義輝探すと足元からまたブスリ。
義輝一人討ち取るのに犠牲者700人を超えたという説もある。

213 :
案外大勢の槍に攻められて
あっけなく死んでたんじゃないの

214 :
>>196
近所にもっと残念な家がある。
本で武将の家紋調べて真似しようとして、
横に載ってた家紋と間違えて子孫だと主張w

215 :
ウソクサ

216 :
>>196
そういう墓穴堀さんが沢山いるのは事実だと思う。
でも中にはご先祖様が戦に参加した例もある。
○○家の者(兵隊)として旗印の下で戦った。
その後、仕えた家の関係者としてその姓を使うようになる。
掲げて戦った旗印に愛着がないわけがない。
だから旗印を家紋として使うようになる。
記録は曖昧になり、誇張されて傍流を名乗ってしまう。
が、実際は家来の末端、または戦に参加した農民。
つまり悪気はないが都合よく解釈しすぎている。
ここを見て早速「実はもう一つ家紋がありました」
と調べて嘘を重ねる墓穴梅さんも出てくるかも。

217 :
俺の家は絶対本物
元々は家来だから家紋が旗印かもしれんけど
政略結婚で身内になってるらしいよ

218 :
↑勘違い自称さんの典型だな
家紋が旗印なのは百姓足軽だけ。
大名と結婚するような重臣は自分の家紋があるからね。

219 :
調べてみたら俺んち旗印やわ。
オヤジの与太話鵜呑みにしてた(>_<)

220 :
>>217
功を立てた家来が紋をもらって家紋にすることは確かにあったよ。
ただね・・・

それはまぎれもなく「大名の家紋」なんだなこれが。
よーするに正統なルートで「大名家と婚姻できるほどの」の家紋が「旗印」になる可能性は0パーセント。
旗印になる可能性は以下の2つ
@君のご先祖様は槍を持って背中に旗を背負って走り回った雑兵君
A完全な確信犯の「自称君」
あなたはどっち?

221 :
B親または祖父または曾祖父または・・が自称さんで本人は鵜呑み君
を追加!

222 :
家紋関連で言うと、たとえば伊達家。
上杉家からもらった「竹輪に雀」が代表紋のように言われるが、
実は江戸時代を通じて藩主の身の回りの品に入ってた紋は
「丸に竪三つ引両」。伊達家内部ではこっちが正式な家紋だったようだ。
こういう細かい事情を調べずに家紋とか馬印、もっとひどいのは軍旗
なんかをパクって子孫だと主張するとおかしなことになる。

223 :
まず、自分の家の家系図や年表と自分の先祖だと思う大名の家系図と年表を重ねてみてみればいいんだよw
一致しなければその時点であぼーん
実際に子孫なら、奇妙なほど一致するものですよ
特に年表は大事。

224 :
>>222
家紋だけでも複数あるのが珍しくないよな。
菩提寺に行ってみると意外な家紋を発見することもある。
なのに全国の同姓さんが一番有名な家紋に集中しちゃうw
この事象から導き出される答えは「ほとんどが自称」しかない。
誰でも一度は目にするような資料からパクっちゃうんだからねw
たまたま現存する資料が示す紋が代表紋とは限らないのに。
家紋は一つだと思ってる無知君はそんな落とし穴には絶対気付かないw
情報の乏しい時代には自称し放題だったということだろうな。
>>223
「奇妙なほど一致する」にはかなり同意だな。
事実だと別ルートの情報がパズルの様にはまっていく。
一方、作り話は基本から脱線してるw

225 :
>>224
実際、俺も経験者だからね。
家は戦国大名なんて大それたものじゃなくてちょっとした武将だったけど。
家紋はあまりアテにならんよな。
仮に子孫だとしても、昔は嫡流の家紋は嫡流の子孫しか継げなかったなんて情報もあるし。
まぁ逆にいえば、その嫡流の家紋が氾濫しているのは異常事態と言えるんだが。

226 :
浄土真宗とキリスト教は武将の子孫になりえないってどっかのバカが書いてたけど
キリスト教は大名でもいるよ
浄土真宗は要するに一向宗だけど、主に弾圧していたのは信長とか上杉とかだな
武田信玄は一向宗の親玉と親戚だし。
家臣に一向宗禁止を出してた大名もいたけど(信長とか)、武田家を初め一向宗と仲のいい大名もいるからね。
そういう大名家の家臣で門徒の武将はいたはず
キリスト教もしかり

227 :
本物の分家が苗字や家紋を変えたりするのに
自称してる人達はみんな本物を丸写しなんだなw

228 :
学習院初等科にいる大名やら武将やらの子孫には、キリスト教徒も浄土真宗の子もたくさんいたよ
宮内庁に戦前から務めてた侍従とか女官にもね

229 :
×本物を丸写し
○本家を丸写し

230 :
これは面白い展開ですねぇ。どんどん偽物を炙り出して行きましょう!

231 :
一向宗は武士に反対した農民勢力みたいに思われているけど、
一部の大名の弾圧政策や信長との石山合戦が有名すぎるので偏ったイメージが定着しているだけ。
実際、家康の領内で起きた三河一向一揆の時は、
その後家康の参謀になったり天下取りの重要なカギになるような武将が家康を裏切って一向一揆に参加してる。
それに、滅びた大名家が放浪して帰農したりすると宗派を変えるパターンも多いから宗教はアテにならないよ。

232 :
>>226
信長は宗派の禁教令なんて出してませんよ?一向宗にかぎらず、法華宗も天台も真言も。

233 :
一時出してるよ。武田信玄が仲裁して撤回したけど

234 :
あ、ちなみに家臣限定でね。
元亀3年7月に禁教令を出した。
んですぐに撤回した。

235 :
こう考えるとわかりやすい
一向宗=創価学会
一向一揆=信者集団の公明党の選挙応援
本願寺顕如=池田大作
創価学会の信者は老若男女なんでもござれだろ。職種もさまざま。
一向宗も士農工商・老若男女なんでもござれ。
信仰心してれば身分関係無しに一揆に参加。

真宗に失礼だった。

236 :
マジで失礼だなこのやろう

237 :
>>235
現代は層化に限らずどの宗教でも老若男女なんでもござれだし、職種もさまざまだと思うが。
真宗の本山は皇族が嫁いでくるとこだが、犬作のとこに皇女が嫁ぐことは永遠にないだろうよ

238 :
>>234
それは初耳でした。具体的な史料名など教えていただけるとありがたい。

239 :
>>238
史料というか淀川堤の戦い前後をちょっと調べればすぐわかるはず
ちなみに元亀4年でした失礼。

240 :
自称さんて「自分の先祖は●●」って言うとき、どんな主張をするの?
家紋が一緒だから先祖、とか言うのかね?

241 :
物証も公的な記録もない奴らは、ドメスティックな伝承オンリー。
「代々語り継がれてきた」と形容される父親作のフィクションが基本。
手の込んだオカルトと同じで、証明する材料も否定する材料もない。
が、煽てて詳しく語らせればいずれ綻びが見える。辻褄が合わなくなる。
そんな奴らに限って確実に家紋は一致させてくる。主張の中身はそれぞれ。
落ち延びてきた武将の子孫なのに鎧も刀もない。昔からの住民の証言は0。
慎重派は、簡単に足が付かないように「○○の家来の家来」とか言う。
最悪の評価を回避するために、最初から「上の下」または「中の上」を狙う。
「うちは昔から苗字を名乗っていたから」が秘密兵器になると思っている始末。
いずれにせよ、農民化するまでの事情を捏造していくことになる。
「戦から逃げて」は間違いなく農民。農繁期に逃げるのは基本中の基本。

242 :
ここ読んでると
戦国大名の子孫なんかいないんじゃないかってたまに思う

243 :
>>242
と考えて自分を慰めている先祖のみじめ奴。

244 :
>>242
ほとんどが偽物≠本物はいない
うちの祖父は武家屋敷で育ってます。地元では有名です。
祖母も名家の出。母方の祖父母も同様。
名家は名家と縁組してきたので名家はどこも有名血統の集合体。
だから特定の武将の名前を強調する意味がありません。
特定の姓ばかり主張する連中は大概自称でしょうね。
ちなみに現在でも家紋は複数使い分けています。
うちの先祖の一人はよく自称に使われますよ。
確かにみなさん家紋で失敗してます。
生き残ったのは女系で女紋が主流になってるんですよね。
歴史資料に掲載されてる家紋を使ったのは養子の家系だけ。
養子の系統は近年になって絶えたはずなんですよね。
なぜか全国に親戚が発生し続けています。
香典貰えるなら全部認定しちゃいますけどw

245 :
>>244の通り、昔の親戚見りゃ一発だけどね
同家格同士で結婚してきたから、上流の家系はみんな繋がってるんだよ
逆に言えば、明治以前の親戚がしょぼかったら偽者だ
親戚や墓石は焼けたりしないからね
落ちぶれてても今だに県下に名前が通ってるもんだし、他県でも同じ階層の人なら通じたりする
元大名の家ならそんなもんだよ

246 :
中世以来落ちぶれた公家や武士が
自分の系図を売ったりするのは普通にあったからねぇ。
系図もどの程度信憑性があるかはわからんですわ。

247 :
おいらは本物かどうか知らないけど
墓守だとかおやじがいってたよ
墓近くにあるし裏山が城だから、まあそおかなあなんておもてる
どうでしょう?ところで先祖ってどうやってしらべんの?

248 :
菩提寺いけ

249 :
>>246
だからわかる家はわかるんだって

250 :
>>239
ググればそりゃでてきますけどね。ほとんどwikiかそれの孫引きばかりで。
しかし3月に顕如から白天目の茶碗を送られる。7月に家中に禁教令を出して信玄の
仲介で和議というのも奇妙なタイムスケジュールだな。
ほんとに史料を教えてくださいよ。家中に出したというのなら残っているでしょう?
現物が残っていなくて家臣の家にはそういった記録は残りますしね。

251 :
家紋が複数あることを考慮しないって多いね

252 :
武士と農民の区別を戦国以前に求めるのは不毛なんだけどなあ

253 :
全国の佐藤さん、加藤さん、工藤さん、斉藤さん、その他の●藤さん。
あなた方のご先祖様はエライ人だ。
藤原鎌足だ!

254 :
>>252
昔は武装農民だよな。で、争いに敗けた奴らは農民に固定。
なのに「武士だったけど帰農した」って言う奴ばかりw

255 :
>>252
地侍層と有力農民層の区別は確かにはっきりしてなかったけど、
国人層から上の領主層と農民層は中世でも明確な区別はあったよ。
なんか中世は農民も武士も大して変わらんみたいな論調があるが、
そんなことはない。
身分概念としての侍と百姓は明確に区別されてた。

256 :
禄を貰っている者が士分でしょう
百姓は富豪だろうと武装してようと禄は貰っていない

257 :
>>253
残念ながら○藤と名乗って自称藤原一族な人たちは沢山居ます
○藤=藤原一族と言うのは平安時代から有名だし

258 :
>>255
地侍は今風に言うと地主なんだよな。
自分の土地を小作農に耕作させて小作料を取る。
国人は領主だから取るのは年貢。この違いが大きい。
地侍層は戦国時代に国人領主や大名の家来になって
そのまま江戸時代には侍身分になったのも居るし、
村に残って江戸時代は庄屋なんかの村役人になったのも居る。
そういう意味で地侍は百姓と武士を繫ぐ存在と言えるのでは。

259 :
三人で暴走族やってた近所の柴田君は、特攻服に家紋付けて戦国気分で走っていましたw

260 :
それは傾いてたんじゃないのか?

261 :
>>259
柴田君はやっぱり雁金なんだろうね。
でも、あれも旗印疑惑があるんだよね。

262 :
雁金は家紋でしょ。他に柴田勝家の家紋はないぞ。

263 :
まぁ徳川家だって流浪の坊主から始まったんだ
区別はそれほどはっきりはしてないだろ

264 :
勝家の菩提寺に柴田家の家紋が残ってるよ。
下がり藤の中に一が入ってる柴田藤。

265 :
へぇー、柴田も家紋複数あったのか。

266 :
家紋て複数有るものじゃないのか?

267 :
複数あるものだけど、柴田勝家は雁金しか一般的には知られてないんだよ。
勝家関連は福井の神社や墓が有名で、滋賀にある菩提寺がなぜかマイナー扱い。
菩提寺に柴田家の家紋として柴田藤が残ってるけど、情報として出回ってない。

268 :
明治維新後に帰農した武士は腐るほどいるけどな

269 :
幕府がないんだから武士は必要ないわな
働くか娘を売るかしか食う術もないし

270 :
http://www.01-station.com/asq/search.asp?c=9

271 :
武田と上杉と伊達 どれが一番由緒正しい家柄なの?

272 :
戦国時代までなら断然武田だろ。

273 :
そりゃまあ守護だし

274 :
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%BA%D9%CC%DA%BF%F4%BB%D2%A4%C9%A4%A6%BB%D7%A4%A6%A1%A9%A1%A9&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1
1番最初にある細木数子どう思う??のアンケートにご協力下さい。宜しくお願い致します。









275 :
戦国時代なら最上もかなり家格が高くないか?
なんせ原点が足利氏と名越北条氏だろ
吉良や一色より二段ぐらい斯波の方が上だろ

276 :
>>275
斯波氏は呼ばれ方も違うしな。吉良氏は霜月騒動で討たれてから
しばらく消息がハッキリしないし、その後もそんな特別高い地位に
いた気配は無さそう

277 :
観応の擾乱で敗者になった辺りか?斯波が足利名乗りを辞めたのは
江戸幕府成立時点の大身の大名のなかじゃ、源氏系で一番毛並みのよい大名か>最上

278 :
源氏は最高だよ。

279 :
毛並みの良さなら京極。傍流だけど肥後細川や佐竹。
最上を認めるなら南部や島津、伊東、相良、黒田、池田、浅野、伊達、上杉、小山などを
認めなければならない。

280 :
そこまで認めるなら、尼子も認めろ。
宗家は毛利家に残ってる

281 :
大名じゃないのまで言うなら高家に足利一族うじゃうじゃいるお( ^ω^)

282 :
南朝系だけど、北畠は?
村上源氏としては結構毛並みよくないか?
あと結城。御落胤なんていうアヤシイ伝承もともかく、藤原秀郷の系列じゃなかったっけ。

283 :
江戸時代を生き抜くくらいの条件は付けようや

284 :
>>279
黒田、池田、浅野ってそいつらに並べられるほどの名家?
小山は知らんけど。
>>280
「宗家」で思い出したけど、そういや対馬の宗氏も結構古い家柄だな。

285 :
清和源氏の嫡流は
新羅三郎義光から甲斐武田と常陸佐竹に分かれたんじゃなかったっけ?
九州じゃ小弐と島津とあと何処かは頼朝の隠し子が始祖って本当?

286 :
北畠は親房からの成り上がり貴族じゃね?

287 :
>頼朝の隠し子が始祖
そういう伝承が有るだけだな。
大友、島津共ポッと出なのに複数の国の守護に任命されるなど
かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
全く関係無いが旧大名家で今最も格が高いのは島津と徳川あたりか?

288 :
黒田、池田、浅野なんて下級武士からの成り上がり

289 :
明治以降だと
徳川宗家、毛利家、島津家、水戸徳川家

290 :
水戸徳川じゃなくて徳川慶喜家な。

291 :
今格が高いってのは無いんじゃないか?
格っていうのは相対的な評価だろう
鎌倉幕府当初ならまだ義光から別れた甲斐武田や常陸佐竹は格が高いと言えるだろうが
室町幕府の頃になれば、当然足利家で特異な地位の斯波氏、足利氏に血が近い上杉氏などが格が高い
江戸幕府になれば徳川家に近いモンが格が高いんだよ

292 :
そういうことだな

293 :
>>290
いや、水戸徳川家も公爵家だお( ^ω^)
大名家で公爵になったのはこの四家
他に徳川慶喜家と島津久光家があるが明治になってから出来た家だから除外したお

294 :
除外した理由が違う。
水戸家は公爵家でありながら現代に男系で繋げなかった。

295 :
現当主斉正さんは、義篤の男系子孫ですよ

296 :
慶篤でした。。。

297 :
水戸家の家宝は尾張家の家宝に比べると
弱い感じがする
集客数も尾張には及ばないみたい

298 :
尾張さんの、いつも同じものばっかなんだよね

299 :
>>287
> かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
それはないと思うなあ。
頼朝の置かれた状況を鑑みるにそんなことできそうも無い。
完全な後付だろう。

300 :
島津と大友は、関東では弱小で無名に近い武家。
たまたま島津、大友の初代の母親が頼朝の妾だったので、頼朝は彼らを重用し、自分の代官として九州の守護にした。
九州の武家は、元平家方だったので、御家人にしたものの頼朝は彼らを信用しておらず、
監視と抑圧を兼ねて、島津や大友という代官を送った。
だから九州の大名は、鎌倉時代以前からの在地のものと、鎌倉時代の頼朝の代官的な下り衆に大別される。

301 :
神奈川県民の俺から言わせてもらえば大友も島津も毛利もただのチンピラ
都落ちして田舎者相手に粋がってるようだがチャンチャラ可笑しいね

302 :
当時の関東もまけず劣らず田舎なんだが
神奈川県民(笑)

303 :
大友や島津は妾うんぬんじゃなく乳母つながりの縁故と見るべき。

304 :
>>303
そんなことよりも、島津も大友も関東では無名弱小の武家だがら、
頼朝の代官的任務で九州の守護となったということが大事なんだよ。
九州の大名や武家は、だから「九州在地」系と、「関東からの赴任」系の二つに大別される。

305 :
中央気取った側から見たら、何も大事でない件。

306 :
っていうか在地系と赴任系なんてドコも一緒だ

307 :
>>306
それは一般論にすぎない。
一般論はどこでも通用するが、何事も解明しない。
九州の在地系とは、鎌倉時代に守護として赴任してきた「下り衆」以外の武家。
松浦氏や菊池氏、大蔵党の諸氏、嵯峨源氏の諸氏がそう。
彼らもまた平安時代に都やその近辺から地方官として赴任してきたが、
九州で勢威を張った島津や大友など鎌倉時代の下り衆に対して、九州在地として区別される。
鎌倉幕府に反対した承久の乱に参加したのも、下り衆の下に置かれた、在地の武士たち。
彼らはまた、後には南朝方になり鎌倉幕府を倒すことになる。

308 :
大伴の役割はけっこう深い深い意味があっていたような気がする。
継体天皇以前からの天皇家の隠密諜報役割。
表に出た時は大友氏などなり
近衛の中の近衛。
継体天皇自体あきらかに諜報員達の情報の上に在るような気がする。
よって応神天皇を祀る鶴岡八幡は大伴宮司。〈ツルガ〉は敦賀となる。
古代から表舞台に立った時に数々の責任を負うが有事の際には何故か勢力がある大伴族。
その流れから伊賀甲賀だろうか。
戦国時代には播磨や豊後で快挙を見せる大名側近吉岡氏は、なぜか出目がハッキリしないのは隠密中枢からの派遣かも。

309 :
根拠ない妄想の開陳はここでやるべきことではないと思うが

310 :
よく気づいたな

311 :
そらそうよ。

312 :


313 :
家系図を見たら加藤上計頭清正って人がご先祖さんで家臣だった飯田覚兵衛(?)さんの孫さんとも交遊があります

314 :

使用禁止の言葉「門地」
http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p004.html#page51

315 :
近江源氏マンセー。
上洛未遂の尼子氏、飛騨国司偽装の三木氏、大名返り咲きの京極氏、風見鶏の朽木氏、報われないレジスタンス六角氏、目薬屋黒田氏。
みんなキャラ濃い。最高。

316 :
     伊達家
伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗
     長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを殺害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを殺害して上杉を僭称
       さらに上条上杉政繁を追放
どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな

317 :
>>316
そのコピペ、出自とはなんら関係ないね

318 :
山本は神の子

319 :
>>315
さすが自称源氏だけあるわwwwww

320 :
武将の先祖家柄とかを語るスレなのに
なんで「うちは○○の子孫」とか「僭称乙」とかの
どうでもいいお家自慢と化けの皮はがしであふれてるんだ?
子孫を語るんじゃなくて先祖をかたるスレじゃないのか?

321 :
武将でも自称源氏乙がいっぱいいるから変わらない

322 :
しかし俺の先祖は源氏だ、藤原だ、みたいな事を大した根拠もなく自慢するよりは、
ただの武士だけど、勘定方を務めて各資料に名前がきちんと出てくる俺の先祖の方が自慢できるわ。

323 :
家系図幕府に提出する時に
一ページめによくわからないけど藤原らしいですよ?という歌を詠んでおいた
脇坂安冶の息子みたいなのがかっこいいよね

324 :
脇坂安元
『北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの すえの藤原』

325 :
>>322
僭称でも源氏や藤原と言える家なら先祖にその程度の人物はいるさ。
今で言ったら市の収入役程度の人物でそこまで自慢出来る君はある意味凄いけど。

326 :
脇坂の場合は実際、自分の曾祖父以前のことはわかっていなかったらしいから。
池田家の場合は他の戦国武将同様に、当時からそれなりの家系伝承は有していたっぽい。
ただ光政一流のセンスや気骨が幕府に家系図を提出する時にああいう物言いにさせた、
という感じがする。

327 :
うちなんて「戦国時代からうよ曲折の末元八王子同心になり(社会的に雑魚)で株をうっぱらい商売を始めたが没落した」という
自慢にもなんにもならないしなんでこんな流れの語り継いでるのか理解不能な家系を
後生大事にしてる家の生まれだぞ
まったくどうせうそっぱちなんだろうか僭称するならもっとスケールでかいのにしろっつーの
そうでないならこんな中途半端な家系ねつ造すんな
先祖わけわからん
その点戦国武将の連中は脇坂安元みたいな奴もいれば
どう考えても嘘だがスケールのでかいやつがいる
大名までなった人とずっと百姓だかなんだかしらんあ
社会的に雑魚だった俺の先祖と俺との血統の時点での器の違いを見せつけられるね

328 :
>>325
そういうやつの子孫ってことにしてるんだから、いなかったら困るだろw

329 :
>>325
>>322は、自分の先祖かどうかも分からない偉人を誇るよりは、
きちんと自分の先祖だと分かってる人物を誇る方がいいと言ってるんだろ。普通の考えだろ。
それに、勘定方ってのを現在の市の収入役程度に置き換えるのもどうかと思うが。
現代はなろうと思えば何にでもなれる時代なんだから。

330 :
>>328
実際の先祖にってこと。
ってか足軽の称源氏すらいるんだから>>325は無視して。
>>329
うん、なんかイライラしてたんだ。
>>322ごめん。
あんな書き方したけど、勘定役は様々な役職の中でも特に能力が問われる立派な役職だと思うよ。

331 :
>>330
お前のその素直なところ、俺は嫌いじゃないぜ

332 :
にしても、たかだか江戸時代のことですらはっきりしないってのはどういう事だろうね
たった4,5代前の爺さん婆さんの時代のことだ
文字のない文化ならまだしも、文化レベルは相当高かったというのにね
士農工商の身分序列は明治に学者が作ったものってのが濃厚なんだろ?

333 :
残ってる家は残ってる、そういうのに興味のない家は残らない
若いうちは興味わかない事は多いが、年を取って興味が湧いていざ調べようとすると
当時を知る人がすでに残っていなく、寺の記録などの最低限な物しか手の入らない

334 :
>>332
文化レベルが高かったと言うのも疑問があるけどな
8割が農民だし

335 :
同時代の地域別の相対評価なら高い
現代の基準での絶対評価なら低い

336 :
まさか寺子屋が日本中にあったとか思ってるんじゃないだろうな?

337 :
文字読めるのが大勢いるだけでレベルは高いだろ

338 :
識字率も実際は微妙じゃないか。
参考資料の大半が江戸や城下、宿場のものだろうし。
曾祖母(母の母の母、91歳)から聞いた話だが、父やその友達、近所の年輩の人は文字の読み書きが出来ないか苦手な人が多く、
義務教育を受けてる曾祖母やその兄弟が本の朗読をよく頼まれたんだと。
父の友達が来てる時はみんなからお小遣いが貰える上に褒められて嬉しかったそうな。
曾祖母の祖父の頃の話だが、、、
城下から近いが水害が非常に多くて稲作がろくに出来ず、予定されてる治水事業の反対派の演説に討ち入り、
家まで追いかけてフルボッコした挙げ句家を家財ごと火薬で吹っ飛ばし、
村民のうち六十人がまとめて逮捕されたくらいの貧しい地域だが、
曾祖母とその兄弟はみんな中等学校を卒業してるから、他の地域でも似たようなもんだと思う。
中等学校の進学率はたしか昭和頃で50%程度。

339 :
>>337
文字読めるのなんて一部の地域の一部の人間だけ

340 :
奈良=ブラク

341 :
奈良出身と聞いただけでブラク民におもえてしまう

342 :
>>338
概ね同意だが、昭和頃(昭和の具体的にどの時期かは上のレスからは不明だが)に旧制中学への進学率は50%なんかないだろう。
戦後ですら昭和30年代初頭までは新制高校への進学率は3割台だったはずだ。
戦前は旧制中学以上を出ていれば、社会的には少なくともエリートの末端くらいの位置付けだった(例えば軍隊に入っても旧制中学卒業以上ならば将校になる資格を有する等)。

343 :
>>342
いやソースは忘れたが確かに50%となっていた。
俺も嘘くさいなと思ったから覚えていたんだ。
おそらく小学校高等科、青年学校、中等実業学校の専門課程を含んでいるんだろう。
そうなれば青年学校に行けば軍役を回避出来る時期があったからありえない話じゃないね。
俺の曾祖母も工業学校の女工専門課程修了で正規の卒業じゃないし。
で、二年で修了だから14歳から働きに出たんだが、初任給が小学校の校長より高くて、
3ヶ月に一度、田んぼを実家に買い与えてたんだと。
おそらくこういう短期で終えて技術が身に付く専門課程は相当人気があったんじゃないかな。

時代が下り過ぎてスレ違いだな。

344 :
>>343
おそらく小学校高等科、青年学校、中等実業学校の専門課程を含んでいるんだろう
↑だったら最初からそう書けよ。中等学校の進学が50%とか書くからややこしくなる。
しかも一つの資料から答えを導き出すとか頭がおかしいとしか思えん。
どう考えてもその資料が間違えてるとしか思えないし。
しかも、14歳のただの労働者の給料がエリート中のエリートの校長より高いわけないだろ。
曾祖母と仲がいいのは結構だが、年寄りの話を鵜呑みにする事ほど馬鹿な事はないぞ。

345 :
>>336
寺子屋に行着く君の思考回路が難解すぎて理解出来ない
誰もトップクラスだとは言っていない
世界中の農民を比較して、日本の農民は下から数えた方が早いと本気で思ってるのか?

346 :
文字で書かれた高札その辺の下層階級の連中が集まって読んでるもんな
時代劇でなwwwwwwwwwwwww

347 :
>>345
それじゃ聞くけど、何をもって日本の農民の文化力を計ってるわけ?

348 :
>>344
だから総称の「中等学校」って初めに書いたじゃん。
給料に関しては、曾祖母の実家に行った際にその兄二人からも聞いたよ。
家族で一番稼いでて小学校の校長より給料が多かった、うちにある田んぼや土地の大半は曾祖母が買ったもの。と
当時最新の紡績機械の扱いを習得していて他の女工に指導する役目だったから高給取りだとも言ってた。
親の世代は文字の読み書きが怪しい人がゴロゴロいる時代なんだから、
技能者とそうでない人に現代以上の所得格差があっても当然でしょう。
スレ違いだからもうレスしないよ。

349 :
>>344
つかややこしくもなっていないし答えを導き出してもいないなぁ。
何をそんなに興奮してるんだろう。

350 :
>>346
昔の時代劇だと字を読んでくれる
「ご隠居さん」「坊さん」「通りがかりのご浪人さん」が
いたんだけど、最近は省略されがちみたいだね。

351 :
>>348
自分は>>344ではないが、いくら何でも女工の給料が校長以上ってことはないでしょ。
女工の給料は年収で10〜20円。一番優秀な女工で年収100円。
一方の教師の給料はよく知らないけど、恐らく月給50円ぐらい。
小泉八雲が教師をしてた時の月給が100円で校長の2倍だったらしいから。
初任給が校長より高かったってのはひょっとして契約の事じゃないか?
5年で100円みたいな。当時は先にまとめてお金を払う会社もあったらしいし。
それと言い方悪いが、紡績業に勤めてる女性はただの駒で、技能云々ってのは関係ないよ。残念ながら。
土地にしても、どこの土地かは知らないが一部の都市部を除いて昔の日本の土地は安かったからね。

352 :

どこの土地かは知らないがってのは>>348の土地の事ね。

353 :
>>351
戦前はちょっとした技能者の賃金は物凄い高騰してたぞ
戦争で労働力が失われるから、人手不足になる
人手不足なので、売り手市場になって、賃金を高くしても労働力を確保する
確保できなかったところはヘッドハンティングで確保しようとする
それを回避するために賃金を高くする
とまあこんな素敵なながれで、最終的に政府が賃金に上限を設定したか、なんだか、取りあえず賃金高騰抑制に乗り出すほどに

354 :
迷走してるな。
中卒はエリート
所詮女工
どっちだよwww
>>351
三ヶ月に一度とあるから最低でも三ヶ月ごとに給料貰ってたんだろうな。
つか三ヶ月分の給料が校長より多かったところで自慢にならないししないだろ。
一口に女工と言っても小卒、女学校卒、工業学校卒がいるし、女子は中卒も理系も少なく、
より上位の大卒なんて極稀だから会社次第で高給取りは十分ありえると思うぞ。
小卒就職でまともな給料貰ってたとは思えないからそのぶんが現場主任的なその曾祖母に回ってきても不思議じゃない。
代わりの人材も今と違ってかなり少ないし。
あと公務員の給料は経済が反映されにくくて、その曾祖母が働きに出た頃だと業種によっては満州事変の特需があったんじゃないか?
よく知らんが。

355 :
と思ったら>>353が書いてくれてた。
で女にも高給職が回ってくると。
紡績専門で二年ってことはそれなりに習う内容があったんだろうな。
暗記バリバリやらされてて今みたいなゆとり教育とは違うだろうし。

356 :
戦前に電話の交換手をやっていた祖母は男より稼いでいたと言ってたな

357 :
日本の与野党の党首は家父長制度の典型
http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/0202/6/157.html
「太郎」と「一郎」の対決。これは、よく考えれば長男同士の対決だ。
二代目、三代目だけではない、家督相続の時代になった。

358 :
江戸時代の識字率は世界でもトップクラスじゃなかったっけかな

359 :
>>334
レベルが低かったら何百年も鎖国してた国が、開国してすぐ
西洋の列強と肩並べることなんか出来ないよ

360 :
つーか清が滅亡して約100年経って
ようやく近代化しつつある中国は
いつの間にそんなレベルが下がってたんだろな

361 :
そりゃ毛沢東がやらかしたから

362 :
戸籍等を調べたら、俺の母方の先祖は三河武士であり江戸時代には
代官を勤めた「旗本」だったことが判明した。
曾祖母(97歳)によれば曾祖母が若い娘さんだったときに
破産したそうだが。一方、父方は「百姓(しかも水呑)」の家柄だ。
この場合、俺はどちらの家柄の家の末裔を名乗ればいいか教えて欲しい。

363 :
>>362
あなたが名乗ってる名字の方。

364 :
万石取り以外はスレ違い

365 :
家柄だけなら宇都宮家も名門

366 :

まぁ、やっかみと妬み疑いの交錯する話だわな。
ただ、2ちゃんの住人として、ひねくれた視点で自分の先祖を調べる奴も結構いるだろう。
ただ、俺みたいに名家に繋がって凹む人間も居そうだ。
名乗らないょ恥ずかしいもん。

367 :
良スレだな

368 :
>>364
戦国時代に幕府領、朝廷領、寺社領合わせて五千貫文の代官で更に独自の領土もいくらかあったようだがあり?
江戸時代の代官と違って自立的で取り分も多いから幕藩小大名級の収入はあったし戦国大名の子孫を名乗っていいものだろうか。
時期が守護大名、奉公人から戦国大名への移行期なのと
後に滅びて現存する資料がほとんど無いからか小和田は国人として扱ってるが…
のぶやぼにも出てこないし…

369 :
朝廷領ってなんだね?

370 :
完全にネタでしょお( ^ω^)
「自立的で取り分も多いから幕藩小大名級の収入はあったし」
↑これがハッキリ分かるような家なら十分に資料が残っていると言えるお( ^ω^)

371 :
上杉は山内家、長尾氏、吉良氏どれをとってもなんか微妙に残念な気がする。
憲政定景義央
吉良のみは風評被害だけど

372 :
ちょっと質問。
自分とこも先祖が武家で祖父母祖母が墓守をしてたんだけど二人共亡くなって、
火事で巻物や家系図やらがダメになったのもあって詳しい系図が分からないんだ。
祖父母の代で自分とこが宗家になったのは間違いないのだけど、
先祖墓近くの寺やその地域の市役所に電話で聞いて調べてもらうことってできるのかな?
個人情報やプライバシー云々言われるから直接行って聞いたほうがいいんだろうか?
因みに本家とは祖父母と祖母が亡くなった今、一切交流がなく居場所も生きているかも分からない………
父も一人っ子だから親戚という親戚もいない。
生きてたら祖父母の本家だけ。

373 :
なあ、親が悪名だかき学会員だったせいでそれ以前の宗派も菩提寺もわからんのだが、調べる方法あるか?

374 :
それを聞く祖父やおじおばはいないのか>>373

375 :
>>372
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 14
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1235929583/
ここいってみ。最近過疎ってけど

376 :
>>372です
>>375
おぉっ!そういうスレがあったとは!
ありがとうございます!
早速見てきます。

377 :
市役所に行けば簡単に分かるんじゃないの。戸籍ってもんがあるんだから。
ルーツがはやったときに、親父が松山まで言って先祖を捜してきたよ。
江戸時代はじめに木曽から移り住んでたこともわかったけど。
それから家紋は変わらないと思ってる奴がいるけど主家が変われば手柄さえあれば家紋の一部を
拝領することがあるので変更は十分にありえます。

378 :
重要なのは血筋だけではありません。
血筋と共に気高い精神を継承し続けて行くことに意味がある。
真の名族は分家にまで品格を求めるものです。
本物の武家の血筋だとわかったなら、誇る前に学びなさい。
途切れてしまった品格を取り戻す努力なしに血筋を語るのは
上流の人間のすることではないのです。

379 :
大江広元!

380 :
大江広元といえば、毛利氏。
でも大友氏とも縁がある。
大江広元の義兄弟の中原親能の猷子。
中原親能が、頼朝の娘三幡姫の乳母父となっていた関係で、大友能直と大江広元も
中原親能と一緒に京都鎌倉を行き来していた。

381 :
俺ん家は別に大名とか武将の後裔みたいなカッコいいもんじゃないけど
株みんなずーーっと同じ土地に住み続けて400年になる。
天正年間ごろから大槻姓を名乗りはじめたようで、国は丹波国天田郡。
これはこれでグッと来るものがあるよねw

382 :
ほー、たいしたものだ。

383 :
なるほどね

384 :
>>381
昔の墓とか残ってる?

385 :
前田利政の墓、嵯峨にある?

386 :
 
日本では「家柄」差別はないという。
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
そもそも日本の行政では、「家柄」という言葉自体が存在しない。

387 :
芋がらの方が重要だお( ^ω^)

388 :


織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/



〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜
●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。
●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」


389 :
マルチ乙

390 :
>>285
武田厨ではないしそういう見方はなくして欲しいが、甲斐源氏は名門じゃないの?
源氏嫡流の源頼朝の家が断絶して、足利や新田が出たが新田よりも名門だと思う
足利は征夷大将軍を輩出してることを鑑みれば甲斐源氏よりも上だと思うけど。
常陸佐竹は血筋が大給松平氏みたいだからそういう議論にはならないけど。

391 :
名門なのは間違いないけど源氏嫡流からは遠いお( ^ω^)
斯波、吉良、畠山、細川辺りの方が家格は高いお( ^ω^)

392 :
いやいや、お百姓君、この人はそういうことを聞いてるんではないでしょwwwww
百姓君がいってるのは全部足利支流で足利の五光で名門になったやつらwww
そこと比べるのはおかしい。この人がいってるのは新田も嫡流なんだからwww
甲斐源氏も嫡流でいいのではないか?ときいているのではないのwwwww
「足利氏流」と「新田氏」での違うジャンルでの名門の比較もおかしいwwwww
あと、甲斐源氏の南部や武田は細川と比べると同列かそれ以下だけど、
吉良や今川と比べたら甲斐源氏嫡統の方が家格は上なんじゃないの?
約束しましたか?

393 :
足利>吉良>今川>斯波>>>>>新田、武田>細川>南部
こんな感じだろ、だいたい。
でも実際はたいして差はないかもな。
形式上の話で。
お互い同列の大名として接してたかもね。将軍以外は。

394 :
新田とかかなり格下じゃんお( ^ω^)
南部もただの地頭程度だお( ^ω^)

395 :
新田は武田の格下なんじゃないの?んで最下層あたりに佐竹

396 :
足利>吉良=今川>斯波>香宗我部=武田>新田>細川>佐竹>南部ぐらいなんじゃないの。
足利が絶えれば吉良が継ぎ吉良が絶えれば今川なんてのがあるけど、
正直、吉良と今川は大差ないんでね?って感じ。
香宗我部は甲斐源氏嫡流の武田信義の嫡男の忠頼の長男の子孫で地頭、
それでもって四国でも土佐を二分三分するくらいは活躍してるから
守護で庶流の武田と同列ぐらいには入れときたいな。
上はしゃあなしに足利争い、下は主に河内源氏内での争いか。

397 :
香宗我部氏は所領に守護使が立ち入ることを禁じる特権を幕府から与えられてるな
大忍庄の代官職も与えられてるが、上のは正直別格扱いである。
土佐は長宗我部(秦氏)とか安芸氏(素性不明)みたいなのがいるぐらいだし、
香宗我部氏はひょっとしたら中央では名門扱いだったのかもしれない。

398 :
日本人よ元気を出せ
仲間は増え続けている
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10565626

399 :
 
憲法に「門地」などという変な言葉を使う
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
不可解な事が数多くあったが、全て「徳川一族」の支配する日本を考えるとき、
全てが解決した。
日本の問題は、徳川一族を権力から排除すれば、全て解決する。
だが、彼らは、全て偽善者であり、人を騙すことで400年生き延びている。
どうすれば、善良な日本人と、邪悪な徳川一族を区別出来るのか???

400 :
私の家のの家紋は、カタバミに剣が3本。戦国時代にお百姓さんだったが、
戦になって雑兵として戦に行った。そしたらボロクソに負けて、先祖と
気を失った殿様とその殿様をおんぶしていた侍の3人だけとなって戦場から逃げた。
殿様をおんぶしていた侍が力尽きて倒れた拍子に殿様の意識が戻って、殿様
が私の先祖に「お前が私を助けたのか?」と言ったので、私の先祖は「そうですよん♪」
と、答えた。ほいで私の先祖は侍に取り立てて貰えた。拝領で貰えた家紋は、逃走中に腰に
いっぱいカタバミの葉っぱが付いてたからカタバミ。最後までその場に居た人が
3人だったから、剣が3本だそうな。

401 :
>>191
> 自称戦国武将の子孫に出会ったらこれを聞け!
井伊家の子孫です。

> 1、「家紋は?」(家紋は、つじつま合わせに同じものにしていることが多いが、たまに旗印を使っているアホがいる。家紋が違えばその時点でウソ。)
丸に橘。
> 2、「屋敷はあるの?」(戦後に取られたとかいうのはほぼウソ。名の成る武将の子孫は、みんな今でも地元の名士です。平戸出身者なら、95パーセントの確率でウソ。)
800坪の宅地をもてあましています。田舎だから大して金にならない。
現時点での保有不動産は、約43000坪。

> 3、「あなたの家は何宗?」(浄土真宗やキリスト教であったら、よほどのことがない限り武将ではない 単なる武士ならば可能性はある)
曹洞宗
> 4、「ご近所に様付で呼ばれたことある?」(武将の子孫であれば、近所からは●●様、と必ず呼ばれます。)
実家は開業医だったので、
祖父:大先生(おおせんせい)
父:若先生
俺:ぼん
漏れはお手伝いさん二人に育てられました。
おかげで実母苦手。
> 5、「あなたの出身地はどこ?」(よくあるのは中国地方の武将を、東北地方の人間が自称したりするパターン。毛利家とか。)
岐阜県美濃加茂市。井伊家庶流越前井伊家から分かれました。
> 6、「あなた、その武将から数えて何代目?」(「〜代くらいかな?」とか言うのは、完全に嘘。名だたる武将の子孫が、何代目かはっきりしないなんてことは絶対にない。)
親父が18代目。

402 :
うちは小笠原家だが武田より下級扱いなのかな?

403 :
>>401
わ〜ぉ。
>>402
小笠原さんは「弓の先生」です。どちらもが家の格式を高める為の努力をしていたので、甲乙とかは付けられないですよ。

404 :
>>403
ありがとう
御先祖がいつも脳筋や雑魚扱いされていたんでこういう観点の評価はうれしい

405 :
>>404
小笠原家は、室町・江戸期の「弓馬の術」&「礼法」の師です。

406 :
>>400
宇喜多さんちですか?

407 :
>>404 >>405
はい。私は、小笠原さんを尊敬しています。♪
>>406
いいえ、戦国時代の上総国大名の里見義弘さんの家臣の酒井胤治さんの領地内の、名も無い百姓でした。私の先祖。
 
↓が、レス400番の話のご褒美に貰えた家紋です。
 
http://www.digistats.net/image/2008/10/himeji.gif

408 :
>>401
補足:菩提寺は瑞林寺。天井、灯篭に一族数百人の名前が書き連ねてある。漏れが死んだらここに名前が書かれ、当家所有の山の上に墓石が立てられ、埋められる。
江戸時代の俗称:「御柿庄屋様」(尾張徳川家の代官が常駐しており、年貢・諸役免除、堂上蜂屋柿の進上のみが義務。干し柿は尾張家、将軍家、朝廷に収められた。)
名字帯刀御免。(脇差だけでなく、大刀も。)
通称の通字は「鉄(旧字)」。曽祖父までは鉄之助(井伊家と共通。)
直系先祖は井伊直勝と聞いています。
で、その子供が結城松平家家臣。

409 :
美濃加茂と聞いちゃ黙っちゃいないが、曹洞宗なんて他に子安観音くらいしかなかったような。
蜂屋なら蜂屋氏以外には岸・佐藤くらいしか旧家知らんかった。

410 :
>>409
瑞林寺の天井をよーっくご覧くださいw

411 :
いや、行ったことないけどさ。

412 :
>>411
一度行ってみてください^^

413 :
盛り上がってまいりました

414 :
wwww

415 :

「門地」の使用頻度
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
「家柄」の2000分の一であり、行政文書そのものが死文となる。

416 :
あちこちに日本の陰謀貼るなよ鬱陶しい。

417 :
鹿児島出身の親父から我が家の先祖は薩摩藩の上級藩士だったと聞かされてきたが、薩摩藩士家普みたいのを調べたが出てこず、ネタだったみたい(´・ω・`)

418 :
それはそれでいいじゃない。

419 :
死んだ婆ちゃんがその晩年に突然に「祖先は安東水軍」などと言いだしてた
その証拠は何一つすらも無いがかなり気になる

420 :
>>402
明治新姓でしょ?

421 :
もうどうでもいいやい

422 :
戦国大名の家柄を語るスレなのに何故かしょぼい先祖自慢スレになっているお( ^ω^)

423 :
>>422
もう知ってる事は、全部・書き尽くしましただ。

424 :
うちは宇多源氏で足利家の末裔

425 :
>>423
なるほど( ^ω^)
まあ江戸大名なんかは家柄もなにもあったものじゃないおね( ^ω^)
武家の棟梁たる徳川将軍家自体が新姓を用いて由緒もなにもないし
キコリの家に入り込んだ乞食というのが実態に近いお( ^ω^)

426 :
盛り上がってまいりました

427 :
>>417
亀だが、鹿児島ならネタじゃないかも。
まず幕末以降で言えば、
鹿児島は廃仏毀釈が凄かったから、家系図紛失とか結構多い。
ついでに西南の役で、家族親戚の中も真っ二つだったところも多いから、
武士だらけの藩だったわりには、系図なしの比率が高い。
もっと遡っていうなら、島津家ドロドロ歴史のせいで、上級であったがゆえに巻き込まれ
没落した家も多い。
でもって、明治以降は上級藩士の流れを汲む家の子孫ほど、鹿児島を出て行ってるケースが多いから、
先祖辿りたくても辿れない人って多い。
自分の里の近所の家は、今は極平凡な家で婆さん1人住まいだが、
元は島津家のお姫さんが輿入れした上級藩士の家。
でも薩英戦争で家ごとお宝(系図も)全焼。
その家がそんな由緒の家だって知ってるのは、今じゃ自分とこの両親と自分の3人だけ。
自分が最後の生き証人w(順番から言えば)
その家だって、小さな家と周囲の空き地くらいしか残ってない。
武士と農民がハッキリ別れてた上級藩士の家ほど、戦後の農地解放でごっそり持っていかれてる。
15歳以上の農業従事者がいないと農地が認められなかったから。
だから今の時点で大名家以外でかなりの土地持ってるのは、
半農半武だった家が多い。

428 :
何か2chには凄い家柄の人が多いなw
豪族の家系の俺にはスレチか

429 :
うちの家紋立派らしい
いいかもんのすけと同じ「まるたちばな」っての
武家です

430 :
>>407
ウチの家紋はこれを60度回転させて丸で囲った「丸に剣方波見」。
結城晴朝に敗れた実の兄貴の小山小四郎殿に従って埼玉柳生に落ちて帰農した。

431 :
120度だったorz

432 :
>>428
だよなー
うちは農家の小作人だったらしい
はい最下層です

433 :
毛利両川
毛利 厚木市
小早川 小田原市
吉川 静岡市

434 :
家紋から出自を調べてくれる業者とか無いですかね?

435 :
>>396
>>足利>吉良=今川>斯波>香宗我部=武田>新田>細川>佐竹>南部ぐらいなんじゃないの。
鎌倉時代は
足利>=吉良、斯波>武田、小笠原>今川、細川、畠山、新田、佐竹、南部、山名、岩松、世良田
室町時代初期は
足利>吉良、斯波>今川>=細川、畠山>武田、小笠原>新田、佐竹、南部、山名
その後
吉良が徐々に落ちてきて、細川、畠山が上がって
足利>細川、斯波、畠山>山名>今川>武田、小笠原、佐竹>吉良、南部・・・・新田、岩松、世良田・・・


436 :
松平清康って結局どの程度の人物だったんだろうか?家康の祖父という事で
過大評価されているだけなのかそれとも本当に優秀だったのか?いくら下剋上の
時代でも人生下り坂でも無いのに暗殺されたのはこの人と信長だけだから
ちょっと興味あるお。

437 :
家康以前の松平氏で唯一三河をほぼ統一したから一族で傑出した存在ではあると思う
個人的には大好きなんだけど……まあ、最近松平一族スレが立ったからそっちで聞いた方がいいかも

438 :
【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303368850/

439 :
>>429
いいかもん なのか

440 :

先祖が士族の娘の場合、「俺の先祖が武士です!」って
名乗っていいものなんだろうか


441 :
基本的には今の苗字の先祖が先祖でしょ
せいぜい「武士からの血も入ってるけどね」ぐらいに止めといたほうが
まあ百姓や商人でも元をたどれば武士な家って結構あるから、
ちゃんと調べてみたら?

442 :
>>440
やめとけ
かえって勘ぐられるぞ。
金でどっかの系図でも買ったお肉屋さんとか靴屋さんにでも間違われたら、
御先祖も悲しむだろ?

443 :
【戦国武将】筒井順昭さんが既に死去していたと判明、影武者は元の木阿弥に
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news7/1302357674/

444 :
うち、六文銭だ。真田じゃないけど

445 :
>>440
それは無理がある
そこまでして家柄を良く見せようとするのは滑稽

446 :
 
パソコンの文字変換にもない言葉「門地」
http://music.geocities.jp/jphope21/02/4/51.html
これは、天皇・徳川一族が最も愛し、それがゆえに、最も使いたくない言葉だ。
普通は、「家柄」が使われるが、憲法・法律・行政では、「家柄」は使われない。
そして、この「門地」という言葉を事実上死語にして、事実上、憲法・法律を無効にする。
そもそも、日本の国家・法律の全てが、さいしょから一般大衆を騙すために作られたのだから。
このインチキ精神は今日も全く変わらず脈々と生き残っている。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p009.html )

447 :
随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html

448 :
 
誕生日でわかる家柄の度合い
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/43/287.html
日本の日付は、それぞれ「格付け」、「吉兆」などが細かく分類されている。
それなりの家柄の人なら、誕生日だけで、相手の家柄が識別できるのかも知れない。
( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/35/240.html )

449 :
明治新姓について詳しい方がいらっしゃったら、教えて下さい。
好きな名字を名乗ってよいのですか?
その際に家紋を変えても良かったのですか?

450 :
誰か〜!

451 :2013/01/20
さぁ
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