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本多正信


1 :2006/06/17 〜 最終レス :2012/10/26
本多正信が好きで好きで仕方ない。

2 :
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150189191/l50

3 :
家康公の御友達。

4 :
なんか苦労人なイメージがある。

5 :
武功派との対立があったんだろうね

6 :
織田、豊臣の懐刀達に較べてパッとしない人物。
将器として戦国有数なのに影が薄い人物を豊臣秀長とするなら、
軍師として戦国有数なのに影が薄い人物が本多正信。

7 :
徳川三傑・大久保党・古参家臣 対 本多正信・正純・家康吏僚。

8 :
正信系の本多って松平にいつから仕えてるのかな?
忠正・正定・俊正は確実なのかな?

9 :
ごめんあげる気はなかった

10 :
>>8三河物語によると(うろ覚え)
元々国人だった本多家は清康時代に降伏し家臣になったと思う。

11 :
忠勝系は
助時のとき三河国に引越し松平宗家二代泰親に属し、
三代信光の安城攻めに戦功があった。以来、代々松平宗家に仕え岩津譜代とされた。

12 :
>>10-11
ありがとうございます
私が疑問なことは、正信って本当に忠勝の同族なのかな?ということです
一向一揆に加担したり、ちょと譜代っぽくないんですよね

13 :
忠勝も重次も正信も元々同族だお。

14 :
なんかこういう人好き(*´∀`)

15 :
話半分に系図でもどうぞ
割と下のほうに正信と忠勝を見つけてたどってみてみて
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/fujiwara/fujiwara_hoku/fujiwara_hoku11.html#anchor555

16 :
血族としてはかなり遠いね・・・

17 :
>>12
寛永諸家系図伝には、清康時代、松平に属した忠正とその息子三人の戦死の記録があるから、
捏造を疑わなければ、その辺りから仕え始めたと考えて良いと思う。
正信が忠勝系と違和感があるのは、血族縁が薄いからのような気がする。
祖父の兄弟が戦死して、父親の兄弟もいないんじゃ、松平宗家を盛り立てるという以前に、
自分達の生活の方が困窮してそうだし。
そんな状況じゃ、遠い親類縁者より、他人でも真宗の講の繋がりの方が、正信にとっては
よっぽど確かで確実な扶助関係だったんじゃないかな。

18 :
本佐録より
百姓は天下の根本なり。これを治むるに法あり。
まず一人ひとりの田地の境目をよく立て、さて一年の入用作食をつもらせて、
その余を年貢に収むべし。
百姓は財の余らぬように、不足になきように治むる事道なり。
毎年立毛の上をもって、納る事古の聖人の法なり。

百姓は生かさず殺さずですかね

19 :
>聖人の法
正信……つまらんやつだ。
上手い絞り方と書くならリアリストとして評価して遣ったものを妙に体裁を取繕いおってうつけものが。

20 :
正信が家康のもとに帰参したのは、本能寺の頃でいいのだろうか。

21 :
色々説が有る。
三河一向一揆鎮圧後・長島一向一揆鎮圧後・姉川合戦前後・本能寺後。

22 :
本能寺の頃って話があるのは、そこまで消息不明なのかな?

23 :
伊賀越えの時に家康に付き添ってたようだ。

24 :
松永久秀に仕えていたという説もあるらしい。
事実ならすげえ組み合わせだな。

25 :
三國連太郎のイメージが強くて、他の役者が思い浮かばない。

26 :
敵味方から腹黒軍師だの腸腐れだのと散々いわれて
まともに褒めてくれたのが家康と松永弾正だけってかなり微妙。

27 :
どっちも腹黒の代表格だな

28 :
悪口を恐れないって立派な態度だと思うよ
人間褒められ認められたいもんだもん

29 :
>>24
((;゚Д゚)ガクガクブルブル

30 :
>>24
あ、すごいなそれ。
勉強になりました。

31 :
【懐刀】本多正信【腸の腐れ者】
http://c-docomo.2ch.net/test/-/warhis/1133764123/i

32 :
正純も有能だよね
最後はアレだけど、仕方ないと思う

33 :
正信は徳川の謀臣として大往生。しかもちゃっかり菩提は西本願寺。
正重は一万石の大名になり政重は前田家の家老で五万石。
正純の人生悲惨杉。

34 :
正信帰参の橋渡ししてるのは、大久保忠世だよね
なのに正純が忠隣を失脚させるたりするから、悲惨な目にあうのよ

35 :
家康が磐石な態勢を作れずに死んだら、本多正信が石田三成になってただろうね

36 :
ちょっと意味がわからないが
江戸幕府が出来てから家康が急死するってことかな?
正信は補佐役タイプで、率先して一軍を率いるとも思わないけど

37 :
石田三成も本来は補佐役タイプだよ
率先してくれる人いないから関ヶ原のような状態になったんだよ

38 :
忠隣失脚の時里見や石川が潰されてるけど
正純失脚の時はどうだったんだ?
あおりくらった与党はいなかったのだろうか

39 :
福島さんとか

40 :
福島は正純がハメたって説もあるが

41 :
福島正則の減転封は元和五年(1619)六月
本多正純の改易は元和八年(1619)十月
正則をハメタ説はあっても、正純失脚のあおりを食うことはないかと

42 :
晩年は家康に遠ざけられたらしい。

43 :
>>41
正則がとりなしを頼んだ時には既に正純は実権を失っていたのに
二人してそのことに気づいてなかった、という可能性もある。
>>42
むしろそれは家康が(自分がやりたくない)秀忠の教導を正信に押し付けたんでは。

44 :
家康の久能山に〜って遺言きいたのは
正信?
正純?

45 :
>>42
秀忠につけてた康政が死んだから、正信におはちが回ってきたんじゃないの?

46 :
>>44
金地院崇伝の日記である「本光国師日記」で
本多正純、金地院崇伝、南海坊天海になっている

47 :
本多正信>土井利勝>>>>本多正純

48 :
柳生宗矩>本多正信>土井利勝>>>>本多正純

49 :
江戸幕府の基盤固めた功臣(謀臣?)は土井利勝だと思うよ

50 :
「絶対に三万石以上貰うな」
という正純への言葉が正信という男の全てを表している。

51 :
xxx

52 :
>>50
本人は二万二千石に甘んじていたからね
なんか太田道灌に対する父資清の言葉にも通じるんだよね

53 :
>>33
家老って五万石ってちょっと多くないか?

54 :
120万石の5万石だからな
筆頭家老なんだから普通だろ

55 :
>>53-54
べらぼうに多い。
当時の大名の大半は1〜5万石の小大名であり、陪臣の石高としても異様。
戦国たたき上げの前田家が譜代押しのけて新参の渡り者にやる給料としても異様。
しかもさらなる五万石の加増話があったが辞退して、その代わりに
「村雨の壺」と称するルソン壺を拝領したという話が現物とともに残っている。
このへんの異様さは妙に元岳父直江兼続を思わせる。
それだけ前田家が幕府とのつきあいに神経をつかっていたということなのだろうけど。

56 :
確か、息子の政重は関ヶ原の時は宇喜多家にいたんだよな。
明石全登と二人で采配を奮ったと聞くが。

57 :
浪人時代、松永久秀に寄宿してたのは凄いなw

58 :
本多親子は三国志の呉の諸葛親子に似てる気がする。
正信の清廉さとか正純の権力を持ちすぎた故の失脚とかね。

59 :
>>57
え、それマジ?
誰か優秀な小説家に面白く書いて欲しいなぁ。

60 :
松永の謀反は正信がそそのかしたんじゃないだろうな。本願寺とつるんで。

61 :
>>60
正信の帰参した時期にもよるな。
姉川の頃だと無理だし、本能寺前ならあり得る話。

62 :
あれ?正信は本当に松永家に身を寄せていたのか?
眉唾物と聞いたけど…。

63 :
所領も慎ましいが、官位まで小国の佐渡守とは。

64 :
「本佐録」だっけ、この人の著作とされてるのは?
「三河物語」みたいに読めたりする?

65 :
あげ

66 :
腸が腐ってる人(誰が言ったんだっけ?)

67 :
忠勝か直政あたり?

68 :
俺は本多忠勝か榊原康政だった気がするから本多忠勝かな?
仮病で家康との対面を断るときに皮肉交じりのことを言った話だよね?

69 :
>>66
榊原康政
『名将言行録』か何かだったかな? 今、手元に資料無いから確認できんでスマン。
身体壊して、秀忠補佐を降りてたときに、家康の見舞いの使者に言ったんだよな。
「近頃はそれがしも徴を腐らせて斯様な仕儀になり申した」とかなんとか。
忠勝は「佐渡の腰抜け」と言ってたってのを何かで見たけど、出典元は知らない。

70 :
腹黒いけど処世術が上手いようだけど、三国志でいうと賈ク辺りかな?

71 :
>>69
腰抜け話は姉川の時、とされている話が多いようですが、
当時帰参していたか
当時佐渡守を名乗っていたか
の疑問が残りますね

72 :
>>71
帰参したのは本能寺の前頃って節もあるね。

73 :
>>55
亀レスだが「村雨の壷」は『開運!なんでも鑑定団』に本物が登場してたな
あれは政重縁の品だったのか

74 :
三河一向一揆扇動して、本能寺の前頃帰参したのなら
そりゃ周囲からの印象悪いだろうなあ
徳川家の苦しい時期に不在で、いきなり美味しいポジションについてるんだから

75 :
正信好きってあんま聞かんな。

76 :
同じようなタイプである石田三成を慕う武将(島左近など)はけっこういたけど、正信とかにはいないからね

77 :
俺は正信好きだよ。
人気はなくて当然だと思うけど、最終天下人家康と相通じるしたたかさが正信にはある。
家康が与えようとする高禄を拒否し続けるあたり、バランス感覚いいな、と思う。

78 :
一揆を扇動したわけじゃあないだろう?
一揆側の軍師だっただけじゃん

79 :
>>76
家康が信頼してただけで十分ってことか。

80 :
三成は大名であって家臣もいるが
正信は謀臣であって大名じゃないから
玉縄一万石ではあるけどね

81 :
大学生ですが僕も本多でして家紋も本多立ち葵で先祖は関係あるのかなと思い興味がありますが良い調べ方ないでしょうか?

82 :
主君である家康との親交(?)はつとに知られているが、
同僚たちに友人が居たとは聞いたことが無いな
これも徒党を組まないという信条によるものかな

83 :
>>81
菩提寺というか実家の墓があるお寺の過去帳を調べるとか
>>82
確かに武人とは合わず、他の能吏とは足を引張りあいそう

84 :
正信ってどうしてもヒールのイメージが強い。
だけど俺はこういうキャラ好きだぜww
口数が少なく細面で冷静沈着だがとてつもなく腹黒く見えないところで巧妙に工作をしたり、頭の回転が早い頭脳タイプの悪役。
そして忠勝や正則のような筋肉馬鹿を毛嫌いしている。

85 :
どっかのスレであったけど、
一向宗に入って浪人して、家康に許されて帰参して、
家康が死んだ後は菩提寺をやっぱり一向宗にしたこの人は、
「Rして離婚したけど暮らしていけなくて、
旦那に許され出戻りしたR妻が、
旦那の死を看取ってから、やっぱりR相手と再婚した」
状態だよねw

86 :
個人的に最後は「R相手と同じ墓に入っちゃった」て気がするなw

87 :
>>81
>立ち葵家紋で本多なら関係あるよ。お祖父さんから戸籍謄本上げ遡れるまで出身地を調べればどうかな。ただ本多家は全国に散らばってるからね。あと本多姓は寺の住職も多いんだよ。頑張ってね


88 :
地方大名の参謀だった直江ですら大河ドラマの主人公に起用されんだから、この人もいつかは主役確定だね。

89 :
NHKがR推奨ドラマとして作成……ありうるから恐いな。
でも正信は梅毒で顔溶けてたというから、主役にはなれんだろう。

90 :
ドラマ化するなら正信役はオヒョイがいいな。
腹黒いとこが目立つけど、鷹匠上がりの苦労人で、聞きたくない話は
居眠りでスルーとか、なかなかおちゃめな爺さんじゃないか?

91 :
>>90
おちゃめはないw
なんだろう、秀忠の頭押えてニヤニヤしてるイメージだ。

92 :
同僚から疎まれたことが多いらしいが、
当時の価値観としてそんなに槍働きが重要だったんだろうか?

93 :
槍働きがないっていうか、むしろ家康に近すぎる上に持ってる権力が半端なかった
からじゃね?
おまけに邪魔なら恩人の息子(大久保忠隣)まで蹴落とすし。
それに、関ヶ原以降は武断派連中が遠ざけられていたし、やっぱりそういう連中は
中央にいる官僚派のことがムカつくわな。
たぶん、家康の考えだとは思うんだが、武断派連中はそれを官僚派、つまり
正信のせいにした、と。

94 :
イメージ的には、家康の政策の泥をほとんどひっかぶった、またひっかぶらざるを得なかった
感じかな。
まさか、家康のこと悪く言うわけにはいかんし、やっぱりそばにいる本多父子に
悪意がむく。
それでも正信はまだ家康がいたからよかったけど、忠純なんか、おやじの分まで
背負わされて結局あぼんだもんな。
まあ、父親の言いつけ守らず、周りの空気も読めずじゃ本人のせいもあるだろうけど。

95 :
今の首相みたいに苦労知らずの御曹司なんだろうな、正純は。

96 :
正純は大御所家康が駿府に隠居してからの側近中の側近だろ。
ボンボンじゃ務まらない。

97 :
しかし放浪した父、叔父、弟と違い、最初に出会った家康がそのまま「当たり」主君だったために
以来とくに深く考えることなく全力忠勤できたともいえる。
家康死後にそのツケが一気に来たわけだが。

98 :
正純が三成並みに清廉な人柄だったら、生き残れたものを。

99 :
>>98
それは三成が生き残れてないことを踏まえて言っておるのかね?
家康は確かに当たり君主だったんだろうけど、親父、祖父、弟、叔父がことごとく
家康に離反してるのがなあ。
弟の政重なんて、関ヶ原で家康の首狙ってたんだぜ。
むしろ、よくそんな環境の中で生き残れたなと言ってやりたい。
だいたい、親父の正信もどうやって家康の側近になったんだ?
鷹匠っていう軽輩+謀反のコンボだぜ?
大久保忠世のとりなしがあったらしいけど、よく家康も許したな。

100 :
AにはAのBにはBに向いた臣というものがございますって
オーベルシュタインも言ってたじゃん

101 :
豊臣と徳川じゃ政権のあり方が違うからなぁ。
徳川幕府みたいにきっちり組織作りをした政権の場合だと、三成みたいに仕事に
関して身奇麗な官僚タイプは使い勝手良くて生き残れた可能性も高い気がする。

102 :
>>101
そうかな?三成の方が政治家臭がきついと思うが。
正信に比べても自分の派閥の利益を優先してるよ、三成は。

103 :
hos

104 :
過疎ってる。
鷹匠から関東総奉行って、かなりな出世だと思うんだが、どーもそっち系の
男一代成り上がり物語!みたいな目では見られないよな。
石高が少ないから?それとも武功派じゃないからかな。

105 :
>>104
成り上がるって、ある種突き抜けないと目立てないからね。秀吉みたいに。
前田利家だって藤堂高虎だって成り上がりと言う意味では相当だが、どちらもあまり
成り上がりと言う目では見られない。秀吉も、もし天下を取らず織田政権の一諸侯として終わったら
似たような評価になったでしょ。

106 :
利家は城持ちだから

107 :
本多家は三河以来の譜代家臣で、正信が鷹匠やってたのは
放浪時代のバイトだって弥五八のじっちゃがいってた。
まあ、小説ネタはいいとして、正信の息子で生き残れたのは結局
中央政権から離れてた二男の政重だけなんだな。
長男は社会的に抹殺、三男は変死。ちょっと正信父さんがかわいそうだ。

108 :
石川丈山が正信の親戚になるんだったっけか。
松永久秀の正信評といい、正重も体に香を焚きしめてたって話しだし
意外とこの本多家は芸術家肌が多いのかも知らんな。

109 :
>>108
>松永久秀の正信評
詳しく。

110 :
なぁ
徳川家の参謀というか軍師というか文治派で
一番、家康の側近だったのは誰なの?
本多正信、本多正純、大久保長安、天海、金崇院、石川数正、酒井忠次・・
結局、誰なのさ?

111 :
因みに豊臣家は
豊臣秀長、竹中半兵衛、黒田如水、蜂須賀小六、浅野長政
石田三成、小西行長、長束正家、増田長盛、前田玄以、千利休

112 :
>>109
> 松永久秀の正信評
「徳川の侍を見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は剛にあらず、柔にあらず、
卑にあらず、非常の器である」

113 :
>>110
参謀と軍師と文治派はそれぞれ別の役割だっつーの。

114 :
>>112
即レス感謝します。
ちなみに、どの文書で残ってた記述でしょうか?

115 :
>>110
石川数正と酒井忠次は文治派じゃないと思うぜ?

116 :
それは「信長の野望」しか知らないからです

117 :
>>114
BY新井白石『藩カン(漢字出ねえ)譜』
にのってる、らしい。
なあ、正純ってホントに正信の子供?65年に三河で生れたんなら、
64年に親父が出奔してるのは、ちょっとおかしくないか?
いや、よく腹ン中にいたから説は聞くけど、なんかさ……。

118 :
>>117
なんかって言われても正信が息子だって言ってる以上息子だろ。
疑いがあるのなら疑わしいと言う事の書いてある資料を出してから言え。
どうしてもそう言うことにしたいのなら小説でも書いてろ。

119 :
ここは妄想板だからそんなにムキにならんでも。

120 :
>>119
>>118は書き込みの趣旨よりも、変にうじうじした内容が気に入らない。
ネタを振りたいなら堂々とふれっての。

121 :
土井利勝や井伊直孝に家康の子供説があるから
正純も家康の子供って事にしちゃえよ。

脳内で。

122 :
>>117
極限状態になると打率が良くなるのはよくある話。
男盛りの謀反なんて正信の人生でも最高にエキサイティングな時期だし
明日はもう三河に居られないという夜の一発で大当たりというのもあり。
身重の妻は置いていくしかないしねえ。
逆に出奔直後に他の男(家康よりは大久保でしょここは)と出来ちゃったんなら
元の鞘に戻って二子を生ませたり次男を養子に出してまで正純の家督を磐石にしたりはしないはず。
奥さんと正純が帰ってきた正信をどういう目で見たかは実に興味深い。

123 :
正純と、政重、忠純って三人とも母親一緒なの?

124 :
>>123
正純とあと二人の年の差考えると母親一緒はなさそう。
たとえ奥さんが十五くらいで正純産んだとしても、
政重が生まれる頃には三十、忠純が生まれた時は三十六歳と
当時としては結構な高齢出産になっちまうし。

125 :
幕政を親子二人で仕切ってた割には、正信と正純の間に仲睦まじいエピソードは
きかんなぁ。そんなイメージもないし。
この親子そろっての逸話って、関が原で「秀忠の遅参は父の責任なんで
自分親父ぶった切ってきます。そんで秀忠を堪忍してください」
と正信の「三万石以上の加増はうけるな」っていう遺言くらいしか
聞かないし。
仲は良くも悪くもなしってとこなんだろうか。

126 :
>>123
正と政の字が違うし、別親かな?

127 :
>>125
しきってたって言っても徳川家の権力構造は複層的だからなあ。秀吉生前時の三成のような意味で
仕切っていたわけではないし。
それにあの時代、ある程度以上の地位の武士の場合、父子の仲むつまじいエピソードなんてそんなあるかな?
「三万石以上〜」なんて親心を示すエピソードが残っている以上、それなりに親子仲は良かったと考えていいのでは?

128 :
>>127
小説では正信の妻は一向門徒というのもあったけど、どうなんだろうね
政重の生年と正信帰参の兼ね合いも微妙だね

129 :
ごめん
>>128>>126宛て

130 :
>>128
正信開基の寺(徳本寺)じゃ、月に一度夫婦で説法(?)してたって
寺のパンフにあったから、門徒だった可能性はある。

131 :
徳本寺って西浅草にあるんだ、しかも今はビル!〜〜情報サンクス

132 :
>>130
正信どんだけ浄土真宗に熱心なんだよw
つか、家康もよく許したなぁ。
三河の真宗禁令解除(1583年)は家康の伯母のお願いってことになってる
けど、やっぱり正信みたいな門徒武士にも気兼ねしたんだろうね。

133 :
最近じゃ、結構忠臣だったり硬骨の人だったりっていう描かれ方してるのかな?
腹黒そうではあるけど、薄汚かったり意地汚かったりっていうイメージはないなぁ。

134 :
昔でも神山繁(おんな太閤記は見た・葵・徳川三代は見なかったが)はさほど腹黒くなさそうな、ドラマで恐縮ですが

135 :
徳川家の『ドライアイスの剣』って感じ

136 :
>>133
政治家としては腹黒い手法をいくらでも使ったけど、人間として廉潔では立派な武士だったそうだな。
ちょっと方向性が違うかもしれないが西郷隆盛もそんなだな。

137 :
司馬遼太郎の「関ヶ原」なんかじゃ、三成を手玉に取る悪どいじーさん
な感じだけど、それでも裸足で有楽斎追っかけたり、手踊りしたりなんか
憎めないんだよな。
>>136も言ってたけど、刀の鞘留め紐をこよりで代用したり着る物も
質素で清貧を貫いたとか。
家康に怒られてる部下をそれ以上に怒鳴りつけ、家康が驚いて「佐渡もうやめろ」
というと、けろっとして「お前らよかったな、上様の御許しがあったぞ」
とかいう高度かつ複雑wな部下のかばい方をしたり。
わかりづらいけど、すごい人だよな。家康の黒子役に徹し切ってるし。
でも、同僚からの評価は散々なんだぜ……。

138 :
損得抜きというと聞こえはいいが
そういうスタイルも含めた駆け引きで
全体を自分の思う方向に操っているわけで
結果としては分限以上の権力を振るっていることになる。
石高=発言力というルールで頑張ってる譜代三河人にしちゃむかつく存在だ罠。

139 :
石高といえば譜代筆頭は井伊だね。

140 :
石高=発言力か?
そりゃある程度は関係あるだろうけど、大久保忠隣なんか江戸の家老やってたのに
六万石チョイしかなかったし、基本中央にいる連中って録は少なめじゃないか?

141 :
まあ統一政権の場合、石高がいくら高くても政権中枢に係われないのならあまり意味は無いな。

142 :
大久保忠世とはどんな関係だったんだろね。
単なる上司部下や友人関係には思えないけど、姻戚関係でも結んでた?

143 :
>>6
軍師て
政治家だろ

144 :
>>143
戦国時代は政軍一体だから、政略も含めて参謀的働きをする人間を
軍師と呼んでも間違いではない。

145 :
もっと…豊臣家の火事を大きくせねば……火事はまだ小さい………

146 :
大学入試の、日本史用語辞典に江戸初期の幕政欄に本多正信と本多正純がでてくるけど、教科書じゃ出ないのが不思議。
頼朝や尊氏の家臣は出ても、家康の家臣は教科書に殆ど出ないからな。

147 :
高校生の日本史だったら別に本多親子なんて知らなくても良いと思うけどな。

148 :
正信が長命だったから正純は半人前のイメージがしてならない。

149 :
たしかに、家督継いだの正信が死ぬ直前だもんな。五十過ぎの跡取りか。
あと、次男政重に正純との兄弟付き合いを禁じたりしてるし、
秀忠には「息子に録の加増はせんでください」とまで言ってるし。
正信は家名存続について、全く正純のこと信頼してなかったんだな。

150 :
この親子はプライベートが謎。
悪巧みを企むことこそが人生の楽しみなんだろうけど。
何か趣味でもあったのだろうか。

151 :
鷹狩りとか。

152 :
正信は「碁は亡国の遊戯ですぞ!」っつって家康を叱った逸話があるから、
たぶんボードゲーム系は嫌いだと思う。将棋とか。
ただ、ほんとにプライベート関係の逸話ないよな……。

153 :
盆栽が好きだったに違いない

154 :
戸田家と仲良し。氏鉄、正勝の娘さん保護してたりしてる。
まあ、その母親が自分の娘なんだから当たり前だが。
正純の改易で正純の一家離散してるけど、結構あっちこっちで保護されてるな。
成瀬家に正勝の次男が保護されたり。(成瀬正成の継室が正信の弟正重)
正純改易の余波ってあんまり、というかほとんどないよな。政治的衝撃は
あったんだろうけど。大久保みたいに連座で改易転封とかないし。

155 :
そのころには「居なくても困らない人」に成り果てていたってことでわ>>正純
直江景明(兼続嫡男。つまり政重と義兄弟)も戸田氏鉄の娘を娶っているね。
しかも夭折している。戸田の娘は呪われてんのか。

156 :
>そのころには「居なくても困らない人」に成り果てていたってことでわ
……土井ら秀忠側近連中に干されてる正純が目に浮かぶ。
「居なくても困らない」なら改易せんでもいいのにな。
それか、いなくても困らんが、いたら困ったりしてたんだろうか。
それにしても戸田の娘こわいな。戸田女と本多関係者合わせると変な化学反応
起こす仕様にでもなってんのかw

157 :
腰ぬけ佐渡

158 :
>>152
家康と浅野は碁好きだったらしいから、相当揉めたろうねw

159 :
信長を本能寺ではめごろしたのは正信

160 :
この人の弟と次男がどっちも文系の兄に対して、武闘派で徳川家を飛び出してっちゃうのはなんかあるのか?w

161 :
>>156
水に落ちた犬は叩くって言葉もあるからなあ…。

162 :
>>161
「葵・徳川三代」の正純がまさにそれだよな。
見てて辛いってか、良い時との落差が……。
まさにリストラされる中年オヤジのようでorz

163 :
渡部いっけい

164 :
>>156
> 「居なくても困らない」なら改易せんでもいいのにな
譜代の中では江戸に近いところに大きな領地を持っていて存在感はでかいし
元の実力者として隠然たる影響力も持っている。
そのまま置いておけば何かの拍子に一気に実権を取り戻すって事態も起こりかねない。
また、家光に代替わりした後正純やその子息が重用されるような事態になれば、政権中枢から排斥した
自分達が復讐されるかもしれない。
なかなか一筋縄じゃいきませんわな。

165 :
三河物語にある、忠世が養った正信の女って、女(むすめ)でおk?
それとも女(つま)?

166 :
おんな

167 :
娘だと思う。

168 :
正信が玉縄2万2千石だけ、というのは大したものだと思う

169 :
欲深くないというか 興味が栄達より幕府の繁栄させる事にあるというか。

170 :
まあ、禄の変わりに権力もらったわけだし。

171 :
権勢欲は物欲を凌ぐってか

172 :
倅は15万石ももらったから自滅しちゃったもんな

173 :
呉の諸葛親子に似てる

174 :
家康より年上なのに死んだのは家康の後ってのはすごい
長生きも才能のうち

175 :
家康だって長命なのにな 更にいい時に死んでいるし。

176 :
>>164
しかし、その実力は駿府の大御所あっての影響力。
江戸の秀忠側近にしてみれば当然、二元政治の残滓を早めに排除しておきたいという
思惑があったでしょうし、加納殿の讒言を上手いこと利用したというのもあるでしょう。
とはいえ、秀忠が側近を遠ざけてまで正純を重用することは無かったとは思いますけどね。

177 :
>>176
秀忠の間はともかく、次の家光の代になって正純、もしくは正純派が復権する事も十二分に考えられる。

178 :
本多正純って年が近かった石田三成を尊敬してたんじゃない?秀吉時代の三成を超えたいとか思ってたかも。

179 :
>>178
そんな物は小説の領分だ

180 :
小説とかじゃなくてさ、秀吉政権時代に三成の位置が羨ましいと思いそうだけど。

181 :
羨ましいと尊敬は全く違う

182 :
言い方がまずかったな。

183 :
反面教師にはしてたんじゃないかな。
立場は似てるし。

184 :
A

185 :
>>176
土井利勝が居ては再浮上も出来そうに無いが。

186 :
>>185
政治の世界は一寸先は闇ですから

187 :
>>185
土井のように江戸の政治機構の側にいる者としては、その機構の外側(大御所)にいた
正純は当然、邪魔者でしょう。

188 :
>>185
土井利勝っていうのは、そういう時に躊躇なく敵を叩いておくから土井利勝なんだ。

189 :
土井利勝は腹黒い印象があまりないのはなんでだろ。かなりの策謀家だってのに

190 :
>>189
あまり私利私欲が見え無いからでしょ。
個人的に強烈なキャラクターをもっているわけでもなく、あくまで行政長官的に仕事をしていた感じ。

191 :
本多正信だって2.2万石だぞ!
武功派に腰抜け佐渡とか言われたから印象悪いけど、
悪人じゃないだろ?

192 :
>>191
そこは文官としての自分自身を弁えていたんでしょ。
高禄を食むようになると必ず潰されると。
だから正純にも「高禄は辞退せよ」と言って聞かせた。
善し悪しではなく、人間は妬む生き物である、ということを知っていたんだよ。

193 :
大久保一族をはめて叩き潰したから、
大久保彦左衛門は恨みつらみを書いてるね。

194 :
やっぱ趣味はSMでしょう。
甘縄(相模)なんていや!もっとキツイ荒縄で縛って!!

195 :
>>193
そりゃそうでしょ。
彦左は大久保家の郎党として食禄を受けていた身だけに直接、忠隣の改易に
巻き込まれてしまったからね。

196 :
三河物語にある忠世が正信の家族の面倒見たとか、
元三飯を一緒に食ったとかって言う記述が胡散臭い。
両家の所領ってそんな密接なわけないし、元三飯は
主が家来と食うもの(この場合は主忠世、家来正信)だし。
正信の帰参の口利きしたのも、忠世のほかに、高木広正の説だってあるしなあ。

197 :
本多正純が失脚しなけりゃ、功ある本多家は大老に格上げされてたんじゃない?

198 :
またへんなのが湧いてる

199 :
>>197
それはどうかなぁ・・・
やはり大御所(駿府)の寵臣というのは、江戸の秀忠中心の政治体制の中では
厄介者なんじゃないかな。

200 :
本多正信・正純父子は駿府と江戸の二元政があってこその存在ですから、本多正純は大御所逝去後、江戸の大年寄を辞退して隠退すべきであった
さすれば、家光によって再登用もありえたものを

201 :
家康死去→父正信死去→江戸の年寄への転任辞令→固辞→野州小山3万石から野州宇都宮15万5000石に転封→徳川秀忠死去→家光、土井利勝を解任し、本多正純、忠純兄弟を老中再任

202 :
>>200
秀忠が利勝を手放すとは思えないんだけどなぁ。
となると、家光の後見的存在として正純が再浮上するというのもちょっと考えづらい。

203 :
正純はかつて権勢を振るった譜代でも潰されるという人柱になったイメージがある。
ただの策略家ではなく、結構人間できてて好きなんだけどなぁ。

204 :
親父の忠告無視して、禄に関して欲をかいた段階で、やっぱボンだなあって感じはするけどな。

205 :
>>204
禄は、欲がなくても、「受けざるを得ない」って状況もあるんだぜ。
そう言う状況を作ってしまうことが甘いといえばそうかもしれないが。

206 :
関ヶ原後に正信とのよしみを深めた上杉家だけど
正純失脚よりだいぶ前に、幕府取次ぎを土井利勝に乗り換えてんだよね。
それも正信直々の勧めで。
正信もそこまで先を読んでいるなら軌道修正してやればいいのに、
よほど正純に政治家としての欠陥をみてたんだろうか。

207 :
>>206
それは正純が駿府の家康の近習だったからでは?

208 :
>>205
正純が受けざるを得ないと思っていたなら、それはそれでいいんだが、自分から欲したんじゃないのかな

209 :
所望したんだろうね。

210 :
奥平の所領もらったのはまずかったな
閨閥はおそろしい

211 :
>>210
加納殿を怒らせちゃ拙いよね。
恐れ多くも東照大権現様のご息女だもの。

212 :
>>211
それを上手い事利用したのが土井利勝。

213 :
世間的には正信と服部半蔵が家康の家臣として有名じゃないのかな。
本多忠勝とか榊原とかゲーム厨以外はあまり知らんと思う。

214 :
>>213
徳川四天王はゲーム厨しか知らない?
何を言ってるんだお前は。

215 :
ゲーム厨ってのはおかしかったかもしれんが、家康の家来といえば正信が一番有名ってことを言いたいだけ。
徳川四天王は誰かを質問したら正信をあげるやつは多いと思う。
半蔵は忍者の名前だから有名ってだけ。

216 :
家康の家臣なら徳川四天王のほうが断然有名だよ。あとは天海僧正。正信はマニアックな域に入る。

217 :
そうか。分かった

218 :
>>212
正純は家康の死を以て役割を終えたと見るべき。
秀忠側近にしてみれば「旧勢力」でしかないわけで。

219 :
歴史素人だが、本多正信・正純親子は言えるけど徳川四天王は空では言えないな
本多忠勝・井伊直正・酒井なんたらにあと一人誰だっけ?な状態
天海も判らん。土井利勝とか大久保長安とかそっちの方がまだ判るな。

220 :
>>219
康政は他三人に比べてなぜか非常に地味なんだよなあw


221 :
>>220
徳川四天王の功績はこうかな?
榊原康政>本多忠勝>伊井直正>酒井忠次

222 :
不等号が逆では?

223 :
>>220
小牧・長久手の役での榊原康政の活躍はもっと注目されていいと思うのだが。
忠勝の武勇伝の方が有名になってしまったが。
羽黒(八幡林)では酒井忠次と共に森長可隊を撃破して機先を制し、さらに秀吉を罵倒する
高札を立てて十万石の賞金首を掛けられ、三河侵入を企てた三好秀次の一隊を散々に
打ち破るなど、小牧・長久手の役はまさに榊原康政が勇名を轟かせた一戦なのだが。

224 :
>>223
字がうまかったんだっけ?
>榊原康政

225 :
>>224
高札は何ヶ所も立てられたというから、書いたのは本人じゃないでしょ。
文自体を起草したのは康政だったかも知れないけど。

226 :
起草も宋学の僧侶と聞き及んでいる

227 :
>>226
陣僧みたいな連中もいるしねぇ。
但し、高札の署名は榊原小平太なので名は残ったと。
いいとこ取り?

228 :
署名したのは責任の所在だろ。
「老臣権を争うは亡国の兆し」といい、高潔な人だと思うけどな。
単独スレはすぐに落ちるけど。

229 :
正純が改易される時、幕府は江戸にいた大名をみんな呼んで説明会ひらいてるのね。
下手に扱うと幕府にも大ダメージを与えるような大事件だったことは間違いないんだろうな。

230 :
大名は事情を何も知らんやつがほとんどだろうし正純の改易はびっくりしたと思うぞ。徳川の知恵袋だったからね

231 :
使者として国許を離れたところを狙い撃ちしたんだから、
たとえ15万石の大名とはいえ、波紋が広がるのを防ぎたい意図が見える。
正純と懇意の大名、或いは譜代の混乱を押さえ込む意図でしょ、説明会は。

232 :
正純を排除するということは、大御所政治の残滓や譜代とて容赦しないという
強い政治的な表明だからね。

233 :
信州高遠藩主“幕政の要”保科正之を「NHK大河の主役に」 
2008.7.13 02:24
■生誕400年節目に狙い

江戸幕府の4代将軍、徳川家綱を支えた会津藩主、保科正之(1611〜1672年)−。
時代劇では脇役に甘んじる人物だが、戦国時代の余韻が残る武断政治から、法律・制度を中心にした
文治政治に幕政を導いた立役者だ。そんな隠れたヒーローを顕彰する取り組みを正之が青年期を過ご
した長野県伊那市(信州高遠)の観光協会が進めている。NHK大河ドラマの主人公に担ごうと署名運
動を展開。国会議員や県会議員も巻き込んで盛り上げを図る。(比嘉一隆)

6月5日、東京千代田区の議員会館で超党派による「名君保科正之公の大河ドラマ実現を応援する国
会議員の会」の設立総会が開かれた。
会長は、民主党の渡辺恒三最高顧問(福島4区)。伊那市(旧高遠町)出身の伊藤公介元国土庁長官
(東京23区)と宮下一郎財務大臣政務官(長野5区)が事務局に就き、発起人には、羽田孜元首相(長
野3区)▽与謝野馨元官房長官(東京1区)▽坂本剛二自民党組織本部長(東北比例)が名を連ねた。
いずれも保科家ゆかりの地と関係が深い面々。伊那市観光協会のロビー活動のたまものだ。
地元の長野県議会でも今月4日、ドラマ化を支援する全員参加の議連が発足した。
(略)
大河ドラマは「篤姫」のあと、来年は直江兼続が主人公の「天地人」、22年は「龍馬伝」に決まっており、
狙うは23年。正之の生誕 400年の節目だ。
ttp://sankei.jp.msn.com/region/chubu/nagano/080713/ngn0807130225000-n1.htm

234 :
大名家改易にあたりわざわざ説明会を開催するのはよほどだな

235 :
家康の頃に活躍した家臣は、江戸時代に入って井伊以外は歴史の表舞台から消えちゃったイメージがある

236 :
>>235
伊井って関ヶ原の後に死んでね?
息子は頑張ったが、戦国時代じゃないし。

237 :
忠勝とかの武功派は影を潜めたな
豊臣の武断派と、この違いはなんだろう?教育か?時勢か?
ともあれ二世が執政で頑張ってるよな
戦そのものが減ったから当たり前だけど、うまく文官化したのは御見事

238 :
>>234
大大名潰すときは結構相談してるぞ。例えば加藤とか。

239 :
>>236
いや、井伊家とか家という意味でね。
>>237の仰るように戦場で活躍していた家は江戸時代では活躍してるところ知らんので。。

240 :
正信があと5年生きたらどうだったろう?
秀忠もやりにくかったろうなあ。

241 :
>>240
正純改易が5年遅れただけのこと。

242 :
>>239
大久保とか酒井とか本多とか元気やん。

243 :
>>242
大久保は宗家が改易になっているからね。
中小旗本は数多く存在したけど。

244 :
>>243
> 大久保は宗家が
宗家って…
何か非常な勘違いをしているような

245 :
対馬の…いや、なんでもない

246 :
昔通わされてた英語塾の先生が大久保宗家を主張してやまない困った人だった。
そのくせ「ものみの塔」の牧師だった。

247 :
大久保家は忠隣、忠佐ともに改易になっとるわな。
忠佐は無嗣廃絶のばず。

248 :
忠隣の家は孫の代でキッチリ大名に復帰してますがな。

249 :
大久保忠職ね。
再興できたのはやはり血筋でしょう。
家康―加納殿―大久保忠常室―忠職 という系譜なので、家康の曾孫にあたるし。
一方、正純の系譜は孫の正之(嫡子・正勝次男)が3000石の旗本として再興したけど、
嫡流(正勝長男)の正好は赦免されないまま各地を転々とし、最後は旗本安藤家の郷代官。

250 :
ぶっちゃけ能力の問題だろ

251 :
運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると加賀本多五万石を見ててそう思う。

252 :
いい方なんでしょ

253 :
秀忠は端から改易を考えていたということ?

254 :
>>253
じゃね?つか、徳川の鎖国政策始まりの時期に、外交官スキルの高い正純が
いたって邪魔なだけだし。
たしか、外人に人気あったんじゃなかったっけ。あと、キリスト教にも理解が深かった。

255 :
>>254
鎖国それ自体は豊臣政権下でその第一段階が始まっているわけで。。。

256 :
正純失脚と鎖国は関係あるまい

257 :
家康と正信の死後、正純か速やかに退陣に表明していれば
改易だけは免れたのでは?
但し、宇都宮15万石の所領を維持できたとは思えないが。

258 :
>>257
それはそれで秀忠への当てつけになる

259 :
>>257
多少の減封はあったにせよ、大名家として生き長らえた可能性は高いですね。
しかし、正純は柳沢吉保のようにはなれなかった。
むしろ秀忠政権下でも同じような権勢を得られると思っていたようです。

260 :
最終的には大和に移封だっけ?>柳沢家

261 :
>>260
でも左遷ではないんだよね

262 :
大和は畿内支配の重要拠点だしね。

263 :
左遷だよ。柳沢は甲斐国守として甲府入りし、表は15万石だったが、裏高は23万石であったのに、大和は国守でなく実高も15万石

264 :
>>263
政治的に排除されなかっただけ良かったと思うけどね。
しかも、体裁を保った上での転封。
吉保が早々に隠居しなければ、正純と似たような末路を辿ったかも知れない。

265 :
柳沢家って吉保の次は吉里だっけ?

266 :
>>265
バカのひとはお引き取り願います

267 :
別にええやん

268 :
本多上野介正純
本多忠純
本多安房守政重

269 :
正信より正重のほうが有能だと思う。

270 :
>>269
背負ってるものが違い過ぎて比較なんて出来ないだろ。

271 :
松永久秀と本多正信か。こいつらに狙われたら恐ろしいタッグだな。絶対殺られる。

272 :
>>271
実際、主従関係はどのくらいの年月だったんだろうね。
その後に加賀で一揆軍の参謀みたいなことをやってたんでしょ?

273 :
三河一揆戦で敗れた永禄7年(1564年)から、元亀元年(1570年)の姉川の戦いまでの間に
松永弾正に仕え、加賀で一揆軍の参謀をやっていた?
ちょっと無理があるよね。

274 :
そもそもいつ頃、徳川家に帰参したか分からないしw

275 :
>>274
そんな正信が伊賀越え以降、急速にその地位を高めていった不自然さ・・・

276 :
>>275
ヒント:不自然と思いたい人間には、どんな事象も不自然に見える。

277 :
正信以前の家康の腹心って、石川や酒井あたり?

278 :
本多重次

279 :
酒井正親

280 :
石川家成

281 :
智謀98
武力15
政治86

282 :
誰か剣豪を付けてやらないと危うい武力。

283 :
大須賀康高の認知度の低さは異常

284 :
大須賀 康高(おおすが やすたか)は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。
大永7年(1527年)三河国額田郡洞村に大須賀正綱の子として生まれる。はじめ榊原康政とともに酒井忠尚に
仕えていたが、忠尚が徳川家康に反旗を翻すとこれに従わずに康政とともに家康に仕えるようになる。その後
は、旗本先手役として活躍し、天正元年(1573年)に遠州馬伏塚を武田軍の侵攻から守りきった。更に高天神
城攻略で手柄を認められて天正10年(1582年)、遠州横須賀城主となる。本能寺の変後の甲斐平定では、
真っ先に甲府に乗り込んで甲斐の軍民を家康に帰順させた。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも先鋒として参加し、三好秀次(豊臣秀次)軍を追い詰めたが、
堀秀政の反撃を受けて敗れた。天正13年(1585年)の真田昌幸攻めでは、井伊直政と共に苦戦する味方の
救援に赴いた。
天正17年(1589年)6月23日に死去。享年63。男子が無かったため、榊原康政に娶わせた娘が生んだ忠政を
養子に迎えて後継ぎとした。実は、康高には信高という実子があったが、仏門に入り、慶長8年(1603年)に
城下に善福寺を開山した。
徳川氏の家臣においては新参にも拘らず、家中において重度の武功を挙げたことから、徳川二十将の一人と
して数えられる。大須賀氏が後に榊原氏に吸収された為、あまり記録には残っていないが、実際は三傑や大
久保忠世・鳥居元忠に匹敵する武功を挙げた人物である。

285 :
正信−正純(改易)で不遇囲ったとか言われがちだが、正信次男の系統は加賀前田で五万石という陪臣で一番もらってるぞw

286 :
>>285
配流地で1,000俵程度の捨て扶持をもらっていたけどね>正純

287 :
正信は立派に勤め上げただろ
家康が死んだら自分もすぐに死ぬところがカッコウいい

288 :
それでも墓は西本願寺。
東ではなく敢えて西というのが、業が深い。

289 :
>>288
本願寺派の方がリベラル。
大谷派なんて日本共産党の宗教部会だしな。

290 :
一向宗は左派でもおかしくないな。

291 :
>>287
徳川家は正信、正純を上手いこと使い切ったな。

292 :
>>291
正純がせいぜい3万石くらいの小大名だったらどうなんだろ?
改易されるようなことは無かったのかな?

293 :
>>292
政治家としての死を許容できたかどうかでしょ。

294 :
丹波哲郎の本多正信が見たかった。
地方局のショボイ時代劇には出てたかもしれんが・・

295 :
>>294
丹波哲郎は、やはり真田昌幸のイメージが強いかと。
戦国武将を演じるなら、この俳優さん
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1198268197/

296 :
だったら成田三樹夫がいい。

297 :
>>296
井伊直弼。。。

298 :
影の軍団?

299 :
「魔界転生」では知恵伊豆でしたね。
あっさり殺されましたけど。

300 :
>>285
その政重の家督を継いだのは直江の養女・阿虎の生んだ子たちでは
ないんだよね。
継室の子・政長の系譜。

301 :
忠純って微妙だよね。

302 :
>>300
直江の養女が生んだ嫡男は、早死にしたんだよな確か。

303 :
>>302
政次ね。
寛永4年(1627)、政重に先立って死去している。
政次の嫡男・朝政は一度は叔父・政長の養子に推されたが、養父であり舅である石川光正に
反対されたため妻子のうち嫡男・定政のみを連れて加賀藩へ。
加賀藩では祖母の姓である樋口を名乗る。
次男・政久は後嗣の無かった叔父・忠純の本多大隈守家を継ぐも、寛永9年(1632)に死去。
3歳で後を継いだ嫡男・犬千代が夭逝したため大隈守家は断絶。
三男・政朝は幕臣として5000石を知行。

304 :
なるほど 加賀には別に樋口家があったわけか。

305 :
樋口って直江と関係有?

306 :
>>305
兼続の出が樋口家

307 :
義仲四天王

308 :
>>303
地味に生き残ってるんだね。

309 :
佐渡守正信の倅、上野介正純の系統は、
正純の嫡子正勝の次男正之によって、
命脈を保っていたな。
…ただし、大名ではなくエリート旗本としてだが…。
でも、なんで上野介正純は、
宇都宮155,000石を改易された時に、
素直に元の石高である55,000石を拝領しなかったのかねぇ〜?
そのまま拝領していれば大名として存続していたかも知れんのに…。
ちと、正純も頑固過ぎたな…。

310 :
>>309
土井たち若造の下につきたくはなかったんだろ。プライド。

311 :
正純だって、面倒くさい三河武士の端くれだったんだよ。
出奔だいすき本多一族の反骨精神が
正純の場合最後の最後で暴発した、とも言える。

312 :
自分の無実を訴えたかったんだよ
将軍を暗Rるなら釣り天井なんて面倒臭くて証拠の残ることやるわけない
加増されたのだから家臣や武器を増やすのも当然のこと

313 :
>>312
だろうね。
減封で終わっていたら「ごめんなさい、許してちょ」と言うようなもの。

314 :
家康ともあろう有能な政治家が、自分の死後の駿府政権と江戸政権の
対立は考えなかったのだろうか?

315 :
晩年はかなり痴呆が進んでたからね。
深夜徘徊もかなり酷かった。

316 :
>>314
駿府の方は組織でなく、ブレーンとして置いていたから
解体し易い

317 :
家康の死後その遺産は家臣団も含めて、完全に秀忠に吸収されている。

318 :
>>314
しかし、その駿府政権なるものは、幕府の組織体系の外側にあったわけで
家康が亡くなってしまえば、必然的に二元政治は解消されてしまう。
結果、政策面でのブレーンは皆、秀忠の江戸政権に合流せざるを得ない。
家康死後、バックボーンのない駿府政権がどうやって江戸の組織機構に
対抗できるのやら。

319 :
>>318
駿府政権はあくまで顧問団集団で、実際の行政措置は全部江戸の幕府機構に任せていたしね。

320 :
それに余った連中は紀伊徳川家だし

321 :
>>319
そのブレーン集団の中心だった正純が、江戸の政治機構に捻じ込んでいけば
排除されるのは時間の問題だった。

322 :
そうだろうね。家康はその点は気にしてはなかったのか。

323 :
家康にとって大事なのは徳川と幕府だろうから

324 :
それはそうだよな。

325 :
バランス感覚の問題でしょう。
家康にしても自分の死後、正純が江戸の秀忠とその閣僚から排除されるのは
当然の成り行きと見ていただろうし、何の手も打とうとしなかった。

326 :
何の手も何も、秀忠付きにしてるじゃん>正純
その後の失脚まで家康の知ったことじゃないわな。

327 :
>>326
「付」の権限までは明確ではないし。

328 :
>>327
幕府高官の権限が明確になるのは、家光の時代でしょ。

329 :
江戸の秀忠側近にしてみりゃ面白くないよなぁ。

330 :
加納殿を敵に回した時点で命運が尽きたね。

331 :
せめて正信がもう少し早く隠居して家督を正純に譲って
家康存命時に地盤慣らしをさせとけばなー
正純の処世は身一つで家康に依存しすぎて危なっかしい。

332 :
>>331
で、その地盤と言うのは具体的にどういうもの?

333 :
秀忠の側近が力をつけてしまったらどうしようもないでしょう。
基本的に正純派と呼ばれる派閥は存在しないわけで。

334 :
後ろ盾がない吏僚なんて哀れなもの

335 :
石川丈山

336 :
正純の罪状が言い掛かり過ぎでちょっと可哀想になる
よっぽど相性が悪かったのかな秀忠公と

337 :
大久保党を粛清していたから譜代や秀忠の反感買ってたんじゃないか

338 :
>>336
ポイントは加納殿でしょ。

339 :
岡本大八とか、いい家臣を持ったな…

340 :
>>339
他は誰かいるのかな?

341 :
聞かないねえ

342 :
領地も城もあったんだから家臣はいるはずなんだが、あまり伝わってないな。

343 :
>>342
陪臣だものね。

344 :
本多正信を大名にしてのぶやぼをやるとするか。

345 :
>>344
すぐに暗殺されそうですねw

346 :
むしろするほうでは。
何せ松永に誉められた器量だしw

347 :
弾正と佐渡の組み合わせはなかなかw

348 :
ぜひ大河で扱って欲しいw

349 :
天地人が「有り」ならば佐渡も「有り」だな。

350 :
つーか、天地人は早く正信をクローズアップしておかないと、後半の兼続の行動が
さっぱりわからなくなると思うのだが。

351 :
>>350
養子のことはスルーで、正信も家康の背景みたいな扱いで終わるのでは?

352 :
>>351
兼続の人物を認めてたのは、家康ではなく正信だろうになあ。

353 :
加賀の一向一揆にいた正信と上杉の兼続が対信長の為に出会って後のフラグ云々。
そんな風に考えていた時期がありました。

354 :
>>352 そうなの?

355 :
>>354
そりゃそうでしょ。外交担当者として直接接していたし、徳川家中で最も関係が深いのは正信なんだし。

356 :
上杉家を取り潰さなかった理由は?

357 :
取り潰しとなると戦争になったりでめんどくさいからもう抵抗はできない程度の石高だけ与えて許したんじゃないの

358 :
浪人対策じゃないかな

359 :
徳川家臣で真っ先に出たな、正信。

360 :
>>359
天地人の話ね。

361 :
兼続との折衝役は正信だからね。

362 :
>>358
上杉方が先んじて挙兵したわけじゃないし、家康が「討伐するぞ」「来るならお手向かいします」
という戦いだしねぇ。

363 :
>>362
上杉と延長戦のような小競り合いをやって無用の損害を出すくらいなら、
政権基盤を固めてそこに取り込んでしまった方が得策でしょ。
恭順の意を示しているんだし。

364 :
上杉軍は再戦も辞さない態度だったよね?

365 :
上杉家は一枚岩でもなんでもないからな。
あのまま戦続ければ内から崩れる。

366 :
しかし、潰すと反幕府勢力を拡散させることになるよね?
後に幕府が浪人対策で苦労したのは周知の事実。

367 :
結果から過程を推論する愚

368 :
その時分は浪人対策など考えてもいないはず。

369 :
夏の陣まで手を打った様子はないね。

370 :
しかし、恩賞や士官目当てであれだけの数の浪人が集まっちゃうってのも
問題だよねぇ。
まあ、各地の大名も多かれ少なかれそうやって臨時的に軍備を整えていた
わけだけど。

371 :
派遣武士

372 :
渡りはありふれていた。

373 :
大阪の冬の陣で前田さんのところが、臨時雇用の足軽の給与ケチったせいで、
夏の陣のときえらいめにあった。

374 :
kwsk

375 :
>>374
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-212.html

376 :
良く言えば質実な家風とか。

377 :
残らなかったから何ともいえない。

378 :
加賀にある。

379 :
加賀で意外ともめ事起こしてるのね。

380 :
本当に本多なのか?

381 :
本多家って名門のはずなのに、なんでこの人、はじめは鷹匠とかやってたのかな。

382 :
>>381
本多も大族だからいろいろいる。

383 :
大族ではないだろうけど、系統は分かれてる

384 :
忠勝のとこの定道流本多と、正信のとこの定正流本多どちらかが本多の嫡流なんだよね。
でも、三河時代の没落(?)ぶりからみて、忠勝の方が嫡流かなあ。
正信の父親が清康に命じられて、断絶した本多を継いだなんて話もある。

385 :
重用されてたのは忠勝の家でしょう。

386 :
本多俊正の事績って分かってるのかな?

387 :
「こいつとは気が合いそうだ」
 本多正純について 黒田長政

388 :
>>387
如水と正信を合わせたら天下統一も可能だったと思う。

389 :
どういう策を立てるか?

390 :
正信に限ってそんな野望はなさそう。

391 :
似た者同士で仲良く主君を担いで天下統一か、同族嫌悪で血みどろの政争を展開するか
のどっちかだと思う。
二人ともアクが強すぎるし

392 :
あんまり似てないと思うけどなー
同じ庶民感覚でも如水は商人視点、正信は農民視点
同じ切れ者でも如水は勢力としての存在感を誇示、正信は懐刀として汚れ役を負う傾向

393 :
農民視点でもないような気がする。

394 :
正信と個人的に懇意だった大名って誰がいるの?

395 :
>>394
関ヶ原後で大大名だと、前田利長、伊達政宗、上杉景勝、福島正則、黒田長政、細川忠興、
こういった連中はあきらかに正信を頼っているな。
あと、直江兼続とは、景勝が上杉家を掌握したあたりから、外交担当官として
交流があったようだ。

396 :
>>395
錚々たる面々ですな。
そこに上がってない大名は本多忠勝や榊原、酒井らを通してるんでしょうが、
正信の権勢の大きさがよく分かります。

397 :
割と最近研究されてきたのが取次論。
中央政権で主君と大名の間を取り持つ存在。正信もそうだが、彼の場合は
秀忠に附きながら家康にも話を通せるのが大きい。だからほとんどの大名
が頼ってくる。
正純はずっと家康附きで、秀忠との関係は薄い(または不仲)。だから家康
(正信)が死ぬとほとんどの大名が正純から土井利勝に取次を変える。上杉
も直江がこれまで家族ぐるみで本多家と付き合ってたのにあっさり土井に切
り替えた。黒田は正純を頼っていたようだが、細川忠興に「まだ付き合って
るようじゃ黒田もおしまい」と言われてるように取次選択は重要。
正純は性格が悪そうなイメージがあるが、改易まで彼を頼った福島家がピ
ンチになったときは「福島を改易するとほかの豊臣恩顧の連中が結託して
謀反を起こす」と秀忠に諫言して必死に止めた。取次は大名のために奔走
するのが当たり前なのだが、結局この将軍を脅した行為が自身の改易の一
因になってしまった。

398 :
家康よりも先に生まれて後に死んだ。
すげえ。

399 :
大河の正信って無口で目芸だけだよね

400 :
>>399
今回の正信は、松山兄弟の弟さんの方ですな。
怪奇大作戦の野村洋。

401 :
>>399
早くから出ているわりに台詞も少ないからなあ。
というか、正信に限らずみんなロクにキャラが立っていない。

402 :
味方ですな。

403 :
無口な威圧感?
佐渡は弁が立つタイプであって欲しいなぁ。

404 :
政宗も正純と付き合っていて
家康死後に百万石の話を正純に泣きを入れてお願いを始めた。
すると正純は山形最上で改易され
政宗はあまりのことに唖然とした。
さらに政宗謀反により秀忠が伊達征伐するという話が出てくる。
政宗は幕府軍とのシュミレーションをしたが大敗し松島で自刃としか机上演習でも出てこないため恐れおののく。
しかしまた諦めきれない政宗は百万石の証書を井伊の倅に見せて、伊達は東軍として恩こそあれ改易はありえないし百万石の約束は家康が約定したことと嘆願すると井伊は
「こんなもんがあると御家のためになりませんぞ!」と証書を破り捨てた。
それ以来、政宗征伐の話は消えた。
井伊の倅は政宗を救ってくれたのだろう。

405 :
>>404
直政の娘がたしか政宗の息子の嫁

406 :
一揆の経緯からみても弁が立つだけでもない佐渡

407 :
思うところは強いんだろうね。

408 :
>>397
後ろ盾が無いんだからみんな離れるよねぇ。

409 :
>>397
その一方で井伊直孝は、
「一度尻尾を下げた老いぼれの犬ころにいつまでも恐れおののいてどうする!」
と強行して、結局たいした問題にもならなかったしねえ。

410 :
大河ドラマ「本多正信」はまだか

411 :
>>409
各個撃破で終わりでしょ。

412 :
>>411
何が言いたいのかさっぱり分からん

413 :
>>410
まずは「その時歴史が動いた」くらいは制覇しないとなぁ。

414 :
親子で登場かな

415 :
上様・・・もっと・・・豊臣家の火事を大きくせねば・・・・火事はまだ、小さい・・・

416 :
戦国時代はその名のとおり、戦いこそ華々しいものだから正信タイプは嫌われるんだろうな

417 :
本多正純の墓が秋田県の横手市って所にある。 <br>

418 :
長年に渡り家康を支えた連中も、なんだかんだで四天王の井伊家以外は江戸時代以降はぱっとしなくなったよね

419 :
庄内藩を忘れるな

420 :
>>418
パッとしないって言うか、四天王の中でも特に忠勝の本多家と榊原家は、
家を永続させるため、あえて政治にかかわらない名誉家系ポジションにされた。
井伊家は家格的にはそれらより一段劣ると考えられたため、幕政に関わった。

421 :
>>420
官位や石高は井伊がトップなのはなぜだ?

422 :
>>421
見せ金みたいなもの
井伊は遠江の没落国人、部下も甲斐の新参者
譜代の三河武士でなくても栄達できるという宣伝効果
後は外国人部隊みたいに使い倒されている代償

423 :
甘縄2.2万石でじゅうぶん

424 :
四天王は無理としても、本多正信は徳川十六神将には入ってると思ってたが。。。

425 :
武将じゃないから

426 :
>>417
名物のB級グルメみたいに微妙にチープな墓じゃのう。

427 :
腰抜け佐渡と揶揄された割には
一向一揆で家康に反抗している。


428 :
武将とは言えないってのは偏見だよ

429 :
武将じゃなければ農民か?

430 :
安房守の本多「政」重は何で「正重」じゃないんだろ?
政の字って、誰かからもらったんだろうか?

431 :
>>430
「正」と「政」を文字として特に区別していなかった可能性がある。
この時代そう言う例多いし。

432 :
駿河田中藩本多伯耆守が正信の末裔の大名

433 :
>>430
身も蓋もない話しだが正信の弟に正重がいるから

434 :
>>431
子孫は通字として、「政」の字を重ねてますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E6%94%BF%E9%87%8D
>>433
ホントですなw
前田利政から一字拝領したとか考えてみたりしたのですが……。

435 :
2.2万石の農民か?

436 :
息子は15万石の農民か?

437 :
神山繁が目の前をちらつく名前だ。
それだけ映像になってないということか。

438 :
>>437三國連太郎がいるじゃないか。
映像にはなってるけど、存在感のある役は少ないイメージ。
結局家康の添え物的扱いみたいな。

439 :
今年は欣也&正雄

440 :
S守正信

441 :
サドの守史上最高のイケメン、正雄
今年の大河の徳川は、渋い二枚目の家康に三河武士とは思えないハンサムなサド
史上最美の徳川だわ。

442 :
ストーリーは最悪の大河になりそう。

443 :
天地人、あれより下はあるまいよw

444 :
>>443
ふふふ。1、2話見てからでもその言葉言えるかな。

445 :
どんな題材でも脚本次第で良くも悪くもなる

446 :
>>432
田中藩は弟の正重の系統だよ。
それも正重の後は娘の子供が継いでる。

447 :
>>445
篤姫は篤姫とナヨ五郎の出ていないシーンはまともだったんだが
お江はお江出ずっぱりみたいだからなあ。

448 :
>>443
天地人は、最初だけはわりとマシだった
上条政繁とかもちゃんと出ていたし
(なぜか兼続の命令で信濃に出陣したりしてたけど)

449 :
>>448
でも上条さん信濃へ行ったきりフェードアウトしちゃって、あとは馴れ合い上田衆だけに
なっちゃったんだよな。

450 :
大御所の死後、その遺命であるとして、本多正純には小山三万三千石から、宇都宮十五万五千石に加増され、併せて江戸に転任して年寄になる
正純は加増を固辞したという説もある。
秀忠としては、加増を花道に自ら年寄を退任してくれることを望んだのであろうか。
けだし正信の遺言として、禄高と権力を併するのは遠慮せよとあったからである。

451 :
大久保忠隣とはどうして仲悪くなったの?
忠世とは仲良かったのに

452 :
「三河物語」で本多父子が槍玉に挙げられるが、実際に裁断したのは家康
個人的には鎌倉幕府の北条氏の様に大久保が抜きん出た権力を得る前に、早めに潰したとも考えられる

453 :
>>452
そうなのか、ありがとう
でもいくら秀忠の後見をしたとは言え、大久保が抜きんでた力を持つようになるとは
思えないけどなあ

454 :
>>452
(本佐の)帰参に口添えした恩を仇で返したとか、散々な書かれようだっけw

455 :
大久保家が大名に復帰できたのは家光の頃だったっけ?

456 :
>>453
一族が多く纏まっており、要衝の小田原に居る
更に大久保長安以下の寄騎衆は関東南西部を抑えている
そういう一族主義と寄騎衆の解体を目標にしていたとも
考えられる
例えば、大久保忠教はこれ以前は大久保家から知行を
貰っていたが、これ以降は徳川の直臣になっている
>>455
一応、孫の忠職が2万石で存続し続けている

457 :
この人って奥さんの名前や出自の史料はさっぱりないのか
割とマイナーな人でも、妻は○○の娘とかあるのにな

458 :
>>457
たしか徳本寺が出してる本に奥さんの名前(法名だったかな)とかのってるよ。

459 :
>>458
ありがとう 探してみる

460 :
甘縄関係の史料ってあるの?

461 :
対等同盟相手だった水野氏が信長と家康によって潰されたようなもんでしょ。
あれも佐久間の讒言だとする説あるけど信長と家康も暗黙の了解を与えてたんじゃないか。

462 :
本日BSで22時からのNO2の番組で
正信やるぞい

463 :
>>462
これか
BS-TBS
THEナンバー2「戦わずして勝つ!〜本多正信〜」
2011年5月9日(月) 22時00分〜22時54分
番組内容
歴史を作ったナンバー2にスポットを当てる!…日本史を彩る名将の陰には、歴史を作り、
時代を動かした影の男たちがいた。今回は徳川家康のナンバー2本多正信。家康のブレインとして
「戦わずして勝つ」兵法を提言。家康を天下人にまで押し上げました。
http://tv.yahoo.co.jp/program/41193898/?a=-23
正信がナンバー2と言われると多少違和感も感じるな。

464 :
徳川家臣団のNO2ではないが、家康政権の官房長官の役割を果たしていた
ことには間違いない

465 :
そもそも徳川のNo.2って誰だ?
関東に移る以前なら酒井か石川だと思うが、それ以降だと明確なNo.2はいない気がする

466 :
いないというのが徳川家の特徴と言えるな

467 :
解説井沢かよ……

468 :
戦わずに勝つと言うより
勝ちたいとすら思ってなかったんじゃ無いかな?
大久保一族を追放する晩年以外は

469 :
ほとんど家康の番組だったな
井沢はウソばっかり言ってるし

470 :
井沢と童門のくだらない妄想なんて聞いて、誰が徳をするんだか。

471 :
井沢って古代に関しては、全部怨霊のせいにする怨霊厨だけど、
名古屋人だけあって、戦国時代〜江戸初期に関しては、見識が高いのかと思ってた

472 :
井沢がバカってことは戦国板じゃ周知の事実
しかし、なんで作家呼んだんだろう

473 :
草刈のサドがカッコイイ

474 :
>>463
でもなぁ、世間は家康の家来といえば実は正信しかしらんことが多いよ。
秀吉死後、家康が歴史の主役となって一番活躍した側近が正信だからね。

475 :
今は正信より忠勝の方が有名じゃね?

476 :
いや、井伊直政が一番有名だろう

477 :
ぶっちゃけ、平岩親吉が一番

478 :
今日のTHEナンバー2は井伊直政だな
正信も井伊もナンバー2かよw

479 :
本多正信が関東に移ったときに貰った領地について、
相模国玉縄(甘縄)ではなく上野国八幡一万石という説があるらしいけど、一体何を出典にしているのだろう?
もしそれが事実だとしたら、上野八幡というのは現在のどこらへんに当たるのだろうか?

480 :
前田家の筆頭老中は、本多。関ヶ原前の和睦で。

481 :
老中→家老。

482 :
本多正信の次男だったか
前田家の存続の為に奔走した人だな

483 :
前田家の監視役ですよ。

484 :
政重は自身が家康秀忠に嫌われた存在だったので
監視役ではないかな。本多ー前田ラインをつない
だのが大きい


485 :
前田家の家老の本多なにがしはすごくおもしろい!
ただのスパイじゃなく、前田慶次なみの傾奇者にも見える!

486 :
本多政重主役で大河ドラマ作れそうなくらい波乱万丈な人生送ってるしな。

487 :
井川や童門のたわ言を聞いてる暇はないんですよ

488 :
【豪】本多政重【傑】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150189191/

489 :
本多正信は優秀だよなあ
うちにも1台欲しい

490 :
むしろ永田町に10人くらい送り込みたい。

491 :
陰謀だらけの永田町ですか?

492 :
家康いないと働かなさそう
まずはヤスを総理大臣にすることからだな

493 :
正信の実像は,陰謀家ではないだらう.
本佐録や治国家根元などの文書は
偽作とされてゐるが正信を知るひとが正信に仮託して書いたのだから,正信の人物像を
それなりに伝へるものではないか.
これらを読むかぎり,陰謀家らしさなどないよ.

494 :
正信正純、親子揃って優秀なのが凄い。

495 :
武闘派の大久保家や本多忠勝あたりにボロクソに言われてるのを見ると、
石田三成みたいな細かいところを注意して歩くいけすかない役人タイプにも思える

496 :
正信、正純って虎の威を借る狐だよな。
本人たちではなんも出来ないしやってない。
悪口言うだけ。そんな人間が企業にもごろごろいるけど、
偉くなれても部長止まり。

497 :
部長ってスゲーじゃん

498 :
>>496
本人たちが前面にでたわけでもないのに、なに書いてんだかw
虎の威を借る狐とか、覚えたばかりのよく知らない言葉を使うときは注意しなさい。

499 :
大河葵徳川の神山繁さんは良かったなぁ。

500 :
本多正信、本多正純、板倉勝重、伊奈忠次、天海、崇伝、ウィリアム・アタムスら吏領を活用した家康公

501 :
正信が死んだ後の甘縄2万石はどうなったの?
正純は別に所領がありましたよね

502 :
ついでにあげとく

503 :
>501
遅レスですが、正信所領の甘縄2万石は松平正綱が引き継いだようです。
byウィキペディア

504 :
本多正信って主君家康のあとを追うように亡くなってるけど、
ひょっとすると同僚の恨みを買いすぎてて、
家康がいなくなったとたん暗殺されたのかも

505 :
79才の爺さんを暗Rるメリットがわからん
秀忠付なわけだし、主犯もわからん

506 :
本多正信の正信という名前、正信偈から名づけたのかな。

507 :
一族では
加賀の政重がいちばんいい思いをしたのだろうか?

508 :
5万石ももらってますねー そこらのちっちゃい大名より所領多い
100万石の最大藩の筆頭家老ですし、ずいぶんいい思いはしたでしょうね

509 :
正信が主役orメインの歴史小説でお勧めないかな?
岳宏一郎「御家の狗」、羽太雄平「二河白道」、中村整四郎「本多正信」は読んだ
家康関連の本には脇で出てくるんだけどメインとなるとほとんど見ないよな…

510 :
脇でこそ輝く

511 :
参謀でしかないから、主体的な記録が残らない
創作ばかりだと萎える

512 :
創作だけど藤沢周平の「密謀」にはやや人間臭い場面が出てくる。

513 :
歴史小説は、正信より正純メインのほうが多い気がする

514 :
宇都宮釣り天井とか、
暗Rるのにそんな面倒なことをするわけねえのにな。
アホかバカかの世界。

515 :
本多親子は秀忠に嫌われてたんだろな

516 :
あげとこう

517 :
ウィキペディアに「家康が行なった謀略の大半は、この正信の献策によるものであった」とあるけど、
謀略はどんなものだったのか詳しく知りたいんだよな。

518 :
謀略っていうか、政治の細かい問題とかをうまく徳川家有利なように導いてたんじゃね?
だからスパイとか諜報部の親玉っていうよりはフツーに徳川家の外務大臣のような
気もするけどな イメージどおり悪のかぎりを尽くしてたのかなあ 

519 :
大久保長安事件みてると悪賢いと思える

520 :
しかし何のことはないよくある汚職事件の顛末とも言える>大久保長安事件
そもそも家康は謀略の少ない武将なので、仮に正信が謀略担当だとしたらむしろ無能だわなw

521 :
だって鷹匠だもん

522 :
TBS『関ヶ原』では悪巧みはほとんど本多正信の献策にされているのな
実際は家康発案だろうに

523 :
謀略や悪巧みなんて記録に残らないものは誰の発案か分かるわけが無い

524 :
中身までは分からないが忠隣改易の直前に
家康秀忠正信高虎の四人で人払いして密議を持ったという記録から
この四人の承認、そして主導の事件だったとは推測できるがね

525 :
献策よりも謀略の汚名を引き受ける役目だったのかな

526 :
だろうね
理不尽なことがあっても主君を恨まずに済むというのは
精神衛生上大変宜しい

527 :
粗暴な性格が災いして御家を潰した三男忠純

528 :
正純は、家康と正信死後、宇都宮15万5000石に加増され、あわせて江戸の年寄に転任しましたが、正信が在世だったら、どちらか一つは辞退したと思いまふ

529 :
正信に何才まで生きていろ、と言いたいのかねw

530 :
やれやれ。ワシゃ、いつになったら楽隠居できるんですかのぅ。

531 :
正信さん好きです
なぜかすごい惹かれるわー
武功派の武将みたいに強くて武士の生き様を示してるのとは違うけど
ちゃんと自分の役目を理解してそれを全うしてる感じがする

532 :
>>519
逆に考えるんだ。
悪辣な手段で長安を処分し、大久保一族の勢力を削がねばならないほど
大久保一族の勢力が徳川内部に浸透していたと。
第二の北条義時や高師直を出さないために毒刃を振るったと。

だって四天王は誰一人、正信に失脚させられていないからね。

533 :
家康が正信が忠隣を選択する歳、残して勢力拡大するとマズイのは間違いなく後者

534 :
ノブヤボでの正信と忠勝はほんと厄介な存在

535 :
個人的には大久保長安事件があるからこの親子はあまり好きじゃ無いなぁ。

536 :2012/10/26
正信は同じ匂いがする梶原景時や石田三成と違って、嫌われても自分を守る術を心がけてるところが凄いと思う。
まあ、亡くなったタイミングが良かったのもあるけど。
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