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2012年3月日本史312: 日本服飾史 (343)
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日本服飾史
- 1 :
- 日本の衣服の歴史について語りましょう
- 2 :
- ♪葉っぱ一枚あればいい〜
- 3 :
- アダムとイヴじゃあるまいし。
- 4 :
- 十二単を着た臭い女たち
- 5 :
- 陰茎の先に蚊の刺青を彫った人がいたらしい。
歴史って面白いね。
- 6 :
- 日本じゃ、刺青は堅気でない893者の文化
- 7 :
- もともと刺青は犯罪者に対する懲罰として行われていたみたいですね。
捕まって”箔がついた”と考える人間も少なくなかったようで、
時代が下るうちに、反骨精神とか侠気の象徴となっていったとか。
- 8 :
- 極道と言えば着流しの着物なイメージ
- 9 :
- 和服のルーツは中国です♪
- 10 :
- ま、嘘ではないけど
- 11 :
- いいや、嘘だろ
- 12 :
- 今も着物の事を呉服というように、元は大陸の衣服がルーツになっている。清代以前の中国の衣服や、ネパールや朝鮮の伝統衣装見りゃ分かるでしょ。
- 13 :
- 間違えた、ネパールじゃなくてブータンの伝統衣装だったよ。
- 14 :
- 奈良時代の服や髪型ももろ唐のパクリだよな
- 15 :
- >>12
今は着物を呉服と言う場合もあるが、元々は反物・主に絹織物のことだよ。
元々は衣類を指す言葉ではないから、衣類(着物)のルーツには関係ない。
- 16 :
- >>15
ウィキペディア閲覧乙
- 17 :
- >>14
捏造乙
- 18 :
- >>17
無知乙
当時の唐のパクリ装束は平安初期まで続くし女子の髷などもろ唐文化なんだけど。
もうちょっとまともに歴史のお勉強したら?
- 19 :
- >>11>>17
日本が大陸文化の強い影響下にあったことを認めたくない低能ネトウヨ
- 20 :
- >>18
パクリ装束とは具体的には何?
そしてパクリの所以を説明出来るかな?
- 21 :
- >>20
当時は日本独自の衣文化が未発達で、朝廷の衣服令により定められた唐風衣装が平安期に至るまで用いられていた…ということ
てか、まともに日本史を勉強してたら常識だよねこんなの。何度も言うようだけど人に聞く前に自分で勉強しろよ鬱陶しい
- 22 :
- >>21
アホはほっとけよ
- 23 :
- 日本の実に様々な分野の文化が大陸発祥の文化のパクリから来てるのにね(最初から日本固有の文化もそりゃ中にはあるけどさ)
無知って怖いね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
- 24 :
- 現代の和服の形になったのは小袖が表着になってからだっけ
- 25 :
- 自演の巣窟だなw
- 26 :
- >>24
基本的にはそうと言われてる
…が、仕立て方や帯の形態、着付け方等の変遷も激しいので(特に女物)、時代が違うと同じ小袖でも別物みたいだったりするw
- 27 :
- 和服を中国起源にしたい人って何なの?
中国人?
韓国人?
- 28 :
- >>27
答え:
起源なんてどうでもいいと思ってる人
- 29 :
- >>21
衣服例を定めていない事と、衣文化が未発達の事とは別物。
まさかそれまで裸だった訳ではないだろうw
裸でないなら独自の衣文化が存在するという事。
衣服令により服のジャンルが公服と私服に分けられるようになったが、
それを分りやすくいうと「制服」の誕生で、「和服」の誕生ではない。
- 30 :
- で、「和服」の起源はその結局その唐風の衣服なのに、
「独自の衣文化」への言及にさして意味があるとは思えないな。
- 31 :
- >>9のお陰で大盛り上がりだな
- 32 :
- 和服はシナが起源だよ
朝鮮服もそうだしな
- 33 :
- 古墳時代のアレ(頭の横のお団子とか勾玉とかw)がそれまでの日本独自?
- 34 :
- 律令と一緒に影響受けたってだけ
起源は誇張しすぎw
- 35 :
- >>32
チマチョゴリは元
モンゴル起源
- 36 :
- 奈良時代の服が唐のパクリか否かって話じゃなかったの?
いつの間に和服一般の話にw
- 37 :
- そういやログ飛ぶ前のスレに書いてあったんだけど、神社の赤い袴の巫女さんスタイルって
近代に生まれた新しい伝統なんだってね。女学生の袴スタイルを取り入れちゃったらしい。
- 38 :
- まあ女学生の袴も宮中女官から取り入れたものだし
- 39 :
- 女学生の袴も巫女の袴も、なにゆえにかくも洗練された優れたデザイン性を有しているのか?
アレを考案した下田歌子はネ申だと思う。
- 40 :
- >>24
小袖は元は下着なんだよねw
現代和服は小袖の着流し。
着物を外国人に紹介して驚くのは、糸をほどけば一枚の布に戻る造りになっていること。
(最近の大量製品の着物は知らないけど)
この発想は一枚の紙で何かを作り出し、再度一枚の紙に戻せる折り紙と同様。
関連性を考えると面白い。
- 41 :
- >>40
昔の人にしてみれば、下着のシャツ+一丁でうろついてるような感覚かもね(笑)>現代きもの
- 42 :
- >>41
昔といっても、小袖のスタイルは戦国時代くらいからあったような
- 43 :
- >>30
そんな事を言ったらその唐風とやらも、
どれだけ唐風だったか疑問視できる時代で、それこそ意味がない。
- 44 :
- >>21
唐装と言っているがルーツはユーラシア大陸の騎馬民族の服。
いわゆる胡服。
唐で採用されていた胡服が律令制と共に伝来した。
構造からしてあまり正しく、原型に忠実とは言えないが
伝来を重視するならここに行き着く。
衣服令を理由に中国起源を語ることすら、本来はおかしいんだよ。
論理として破綻している。
- 45 :
- >>42
戦国時代といえば、女性着物の着崩しかげんが好きだ。
琉球衣装っぽく見えるかもしれないけどw
- 46 :
- 「唐」と買いてもいろいろあるからな
- 47 :
- >>36
パクリは言いすぎだからだろ
- 48 :
- 戦国時代といえば、木綿がどんどん普及しだした頃だね
麻の着物ばっか着てたパンピーにはかなり有り難かったんじゃないかな
- 49 :
- インドがもっと近かったら綿普及も早かったろうに
- 50 :
- 古代に伝来したものの、定着しなかったとか>木綿
室町時代に朝鮮木綿が珍重されたから、その流れで国産化を目指して今度は成功したぷー
- 51 :
- >9からからw
和服のルーツは中国です(キリッ AA略
- 52 :
- 貫頭衣から変遷していく過程はそれなりに興味深いと思う
- 53 :
- >>45
あの着方は気候もあるだろう
時代別の気候変更では江戸時代は寒いほうじゃなかったっけ
十二単も単純な気温調整に良い、夏は薄く、冬は着込むと。
- 54 :
- 袴も重ね着してたんだから大したもん
重ね着国風文化全盛期か
- 55 :
- >>50
宗氏と堺商人はそれでボロ儲けだぜw
わらしべ長者貿易で儲けれた時代が羨ましい。
- 56 :
- >>39
大正?辺りだったと思うけど、洋服の影響で女性がズボンを穿くようになった時、
西洋文明の弊害だ!女性のズボンの反対!って社会風潮があったらしいw
女袴がスカート状主流になるはずだよ
- 57 :
- 今はジーパンが主流かw
セーラー服がスカートで良かった
- 58 :
- >>56
行灯袴が主流になったのは、おトイレの便利さを考慮してじゃ?
裾を全部まくり上げちゃえば楽に用を足せるから。
- 59 :
- >>58
複数要因だろう
小袖主流の美的感覚がその後の和服に関係したと思う
- 60 :
- >>57
セーラー服も本当はズボンだったのに、女学生用と結局スカートになった
人民服は女性用でもズボンだった
奇妙なところから文化差異が見える
- 61 :
- もんぺはズボン?袴?
- 62 :
- あれは作業着w
- 63 :
- 戦国時代も女性は袴をよく着ていた
ドラマや映画は着ていない時多いな
- 64 :
- ドラマはあてにならないね。
膝立てて座らないし、帯も時代不明になっていたり。
腰巻見たくても打掛ばっかで残念な気分になる。
- 65 :
- >>63
その説はちょっと疑問
女性の服飾から袴が消えていく流れは既に鎌倉時代頃からできていた訳で
戦国時代ともなると、宮中で着用される衣装か(春日局の肖像画みたいな)
庶民の野良着等の特殊な状況でしか見られないのでは?
- 66 :
- >>64
大河ドラマは酷いもんだよ
- 67 :
- 大河ドラマで唖然とさせられた時代考証無視といえば、何と言っても『春日局』。
あの髷は・・・って服飾じゃないな。
ちなみに腰巻姿は『秀吉』でお市の方が着ていたから見てみてね。>>64
本当にあの肖像画そっくりだった。役者さんはあまり美しくなかったけどw
- 68 :
- 立て膝どころか戦国は胡坐もあり、女座りもありの大雑把作法じゃない
- 69 :
- >>52
日本の貫頭衣は言葉から連想されるような覆いかぶさる代物じゃなく
合わせる着物っぽい物
遺跡から縫い針や縫い布が存在するし、貫頭衣の捉え方はこっちが定説じゃないかな
- 70 :
- >>69
それって貫頭衣って呼べるのかい?
- 71 :
- 今度、帝から絹布の法被を下されるそうじゃ。
- 72 :
- 一枚の布で体を包めるような幅の広い機織機は発掘されたことがない。
- 73 :
- >>70
慣例上そう呼んでるだけみたいだよ
- 74 :
- >>72
織機以前に養蚕技術がないから。
- 75 :
- >>74
植物繊維系をなぜ省く?
- 76 :
- 鎌倉時代の庶民の服装がよくわからん
- 77 :
- 武士ってなんで烏帽子かぶらなくなったの?
- 78 :
- >>72
ということは、ゴザみたいな目の粗い、小さな布を何枚か継ぎ足してたわけで、
普通、イメージする貫頭衣より、余計にみずぼらしくないか?
- 79 :
- 鎌倉時代に限らず庶民服はしょうがない
- 80 :
- >>76
平安末期から中世にかけての絵巻類は、庶民もけっこう描かれてるぞ。
- 81 :
- >>77
烏帽子は武士に限った被りモノではないし。被られなくなったのは流行だな。
- 82 :
- ♪葉っぱ一枚あればいい〜♪
- 83 :
- >>76
そういう疑問はここが定番でしょ。
ttp://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000074
まあ、40年前の考証なんで、いろいろと問題があるとはされていますが、見ておいて損はないです。
- 84 :
- 烏帽子は全国一斉に飽きちゃったのかな
- 85 :
- 日本人とは何さって話になった時、やっぱ古代日本人に加え、
大陸から渡来した古代の中国人や朝鮮人が交じり合ったのが今の日本人ですわな。
倭+中華+朝鮮・・朝鮮はちょっと違うかな。
倭+中華=日本だと思うわ。朝鮮経由の文化はだいたい中華のものが伝わってきたくらいで。
やっぱり今は腐敗して民度が下がっているとは言え中国はすごい国だよ。
きもの(呉服)にしても、平安神宮など建築物にしても中華思想+大和+倭が芸術的に融合したもんだと思う。
大阪の呉服神社の祭神は、応神天皇が呉に依頼の上、日本に渡来してもらった4人の呉の女性の職人たち。
同じく大阪の服部(はっとり)という地名もあるし、服部神社もある。衣服は中国の技術が伝わってきて大和で昇華された。
- 86 :
- 韓国の釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などは
九州系弥生遺物が出土する倭人の鍛冶遺跡だ。
特に莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だ。
その九州に3世紀後半あたりから前方後円墳が作られる。
丁度、畿内で銅鐸が祭祀の主役から急激に主座を失う頃だ。
九州が何らかの形で畿内勢力の傘下に入った証拠だろう。
事実、半島南部から出土する日本系遺物も、九州系から畿内系へと変化する。
これらは大和朝廷が半島南部の豊富な鉄資源を手に入れた事を意味してる。
- 87 :
- 百済義慈王の王子の禅広は、
新羅・唐の連合軍によって祖国が滅亡し、日本に亡命してきた。
そして天皇に仕え、天皇から「百済王」という姓を賜った。
さて時代が下って…
百済王敬福は陸奥に赴任させられた。
当時の感覚では、南極のような僻地だ。
百済王敬福は陸奥で黄金を産出し、天皇に献上した。
天皇はとても喜び、敬福を従5位から従3位に昇進させた。
百済王の冠位は、それまで100年間、ずっと「5位」。
それが、「3位」になったという事は…大出世!やったね敬福タン!
- 88 :
- >>81
流行って言われちゃうと身も蓋もないな
- 89 :
- 日本の元々の服は貫頭衣なのだが、この貫頭衣をちはやという。
神の枕詞であるちはや振るのちはやである。
貫頭衣と言っても一枚布ではない。
二枚の布を左右で縫い合わせ、その際真ん中だけ縫わないで置く。
その真ん中から頭を出す形になる。
これに段々色々なものが加わる。
腰巻、襲(おひす)、領巾(ひれ)、襷などだ。
そしてちはや自体も変化していって、まず二枚の布の後ろだけを縫い、
前は縫わずにおき、代わりにくびと呼ばれる襟を付ける。
法被の袖の部分が無い形の服とおもえば良い。
それから袖が付き、おおくびが付いて着物の形ができる。
この変化は色々な影響を受けている。
応神天皇14年に百済から縫衣工女(きぬぬいおみな)が渡来し
雄略14年には漢織(あやはとり)呉織(くれはとり)衣縫(きぬぬい)の兄媛弟媛が来て
織物・縫製作業に加わったと日本書紀にある。
つまり当時の日本の服は漢・呉・百済などあちこちの物を取り入れたごちゃまぜの服装だった。
それに対し聖徳太子が冠位十二階を導入する時に、隋の服装を取り入れる。
隋はすぐに滅び、唐に変わるが、これが唐服。
基本的に唐服は完全パクリなのだが、着物は具体的にどこかのパクリと言うわけではなく、
だからと言って日本オリジナルと言うわけでもない。
ちはやが色々な物を取り入れて変化して行き、完成したものと言うべき。
- 90 :
- >>89
百済と明記されているのは古事記じゃない?
日本書記スレにゴー
- 91 :
- >>56
白木屋百貨店,長襦袢でggrと真偽はともかくおもしろい
- 92 :
- 烏帽子はスルーか
- 93 :
- 烏帽子も時代で形態がかなりかわる。平安時代には高かったのに
江戸後期になると漆で塗り固められて小さくて頭上にちょこんと。
髷に結ばないと落ちる。
- 94 :
- >>89
ちはや云々だから高田倭男か、
引用するのは結構だが、嘘をつくとはいただけない。
彼は唐服をペルシャ様式、ペルシャ系胡服とし、
漢・呉・百済に関連付けて説明していない。
まあ百済は胡服系だがな。
日本書記あたりは高田倭男が考古学者ではない事を踏まえないと、
足をすくわれるそw
- 95 :
- 唐服は隋って書いてね?
- 96 :
- >>95
日本で言う隋・唐は漢・呉・百済に無関係だか何故か引用している。
引用部分がおかしいんだよ。
- 97 :
- >>93
普段武士がかぶらなくなったのって
厳密にどのあたりなんだろう
- 98 :
- >>97
それは地域や家中によって大きな差があると思うが、
やはり統一政権ができる織豊期が過渡期ではないだろうか。
直垂・素襖に代わって肩衣が武士の衣服の主流となったもの大きい。
信長が謙信に送ったとされる洛中洛外屏風図には直垂・素襖の武士は
侍烏帽子を被っていて肩衣の武士は被っていない。
また公家も古代中世には寝る間も烏帽子を被って、髷をさらすのは恥と
されていたが、近世には外出時以外は小袖指貫姿が一般的で
その時は烏帽子は被らなくなった。
- 99 :
- >>96
日本語理解できてないだろう
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