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2013年02月戦国時代4: 戦国ちょっと悪い話35 (422)
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日本刀 (955)
毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう (908)
豊臣恩顧どもはカス(福島加藤浅野・・・) (808)
【衆道】この武将にならお尻を捧げてもいい【衆道】 (451)
毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう (908)
播磨赤松氏について語るスレ (416)
戦国ちょっと悪い話35
- 1 :2013/01/01 〜 最終レス :2013/02/06
- 戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350987604/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
- 2 :
- あけましておめでとうございます
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- 3 :
- _,..-――-:..、 ⌒⌒ あけましておめでとうございます
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- 4 :
- 天正中の初め、小田家は土浦城を佐竹勢に囲まれたうえに、一騎当千と
頼んだ海上武経と行方幸菊丸の討死によって城中の空気は失望一色となった。
そこに佐竹軍が鉄砲を激しく撃ち掛けてきた。
その頃、常陸両国にはいまだ鉄砲がなかったのだが、佐竹はこれを求めて
絶え間なく撃ち掛けてきたので城中の者たちは肝を潰し「これは一体
どうしたことだ。人間の行為とは思えない」と恐れをなした。
既に大手の軍は破れたと知った小田氏治は守治、菅谷、由良、丘見らに
向かって「氏治の運命ここまでなり。自害する。防矢を射させよ」と命じた。
諸臣は「心得候」と涙ながらに敵陣へと馳せ向かっていった。
氏治は広縁に曲録を置かせてその上に座り、法華経六巻、寿量品を心静かに
唱えた。そして結跏趺坐し、近習の櫻井豊之助に目配せすると櫻井は後ろに
廻り、太刀影光れば氏治の首は前に落ちた。豊之助もまた刀を取り直し腹を
一文字に掻き切った。
野中瀬入道鈍斎は氏治自害と聞いて攻め口より来たり、その有様を見て
「それがしは君と同年にして幼少竹馬の昔より付き添い奉った。死ぬ時は共に
と申し上げましたのに先立ちなさるとは、恨みに思いますぞ」と泣きながら
法華経をしばらく唱えて、自身も腹を切って殉死した。
誠に日本は義国なりと白居易が誉めたのもその通りだと思い当たるばかりである。
――『小田天庵記』
小田天庵記では自害したことになっている氏治公であった。
一応「越前で死んだって説もあるよ」と紹介されてはいる。
- 5 :
- 一瞬ポカーンとなった
不死鳥だから、死んでも灰から蘇ることくらいあるよね
- 6 :
- そこで自害した事にしておけばそれ以降の黒星も無かったことに・・・ならない気がする
- 7 :
- 氏治殿がまた死んでおられるぞー!
- 8 :
- 天庵様は大陸に渡って…渡って…
帰って来たんだよ!
- 9 :
- さすが天庵さまだ、首を斬られてもなんともないぜ。
- 10 :
- 青森あたりに何故か天庵様の墓があるに違いない
- 11 :
- ここで死んだことにしといたほうが軍記的にかっこいいからね、仕方ないね
- 12 :
- 天庵1「わしが死んでもいずれ第2、第3のわしが現れるだろう」
天庵2「わしが死んでも代わりはいるもの」
天庵3「多分、わしは3人目だと思うから」
- 13 :
- 天庵様、またエゲレス商人からその様な怪しげな石の仮面などお買い求めになられて…お戯れが過ぎまするぞ
- 14 :
- 守治「どんなありえない負け方をしても元気に帰ってきていた父上が・・・」
菅谷「思い返せば何故ここまで生き延びれたのか不思議だったが・・・」
野中「死んでしまわれるなんて信じられませぬ・・・」
櫻井「小田城を取り返すぞという殿の声がまだ聞こえて来そうで・・・」
天庵「そうだよ小田城まだ取り返してないじゃん!ごめん今の自害なし!」
一同「ギャー!」
- 15 :
- 氏治「オール・フィクション!」
- 16 :
- 天庵様なら切腹しても生きてるかもしれないなw
- 17 :
- 氏治「俺は不可能を可能にする男だ」
- 18 :
- 日根野さんの記録を超えるのか
- 19 :
- 魁!小田塾
- 20 :
- 天庵さまの本体はあの猫に違いない
- 21 :
- Rも治るんだな
- 22 :
- なぜか、悪い話スレなのにスレが華やいでみえる
これが正月と天庵様の力なのか・・・!
- 23 :
- どうしても負けられない戦いがあるーーー小田氏治
- 24 :
- 天庵様は魔界転生をされたのだ。
- 25 :
- クローンが用意してあるんだろ
- 26 :
- 足利茶々丸の死後、北条早雲は伊豆の侍の帰順や土民百姓の待望を
背景に御所の跡を残らず押領した。その時、茶々丸の侍・戸山が早雲の
野宿する御堂へ忍び入って火を放ち夜討ちを仕掛けた。
この時、運も尽きたということだろうか、早雲はぐっすりと寝入っていたので
枕の上に火が及んでも気付かなかった。しかし間一髪のところで笠原が
走って来て、手で火を払い早雲を救い出した。
だが、笠原の左手は焼けてしまい、指も皆焼け落ちて生姜のようになって
しまったのだとか。夜討ちを仕掛けた敵は皆逃げ落ち、あるいは討ち取られた。
元々生姜は『はじかみ』と呼ばれた。しかしこの一件より伊豆国では早雲を
恐れて『しょうが』とばかり言うようになった。その頃、何者かが早雲の門に
落書を立てた。
「草の名も所によりて替りけり伊豆の生薑は伊勢のはじかみ」
本名が伊勢氏だったのでこのように言ったのである。
――『異本小田原記』
- 27 :
- 早雲の代は伊勢しか名乗ってないから当然のような。北条を騙るのは氏綱から。
- 28 :
- 天庵:義重、オレは人間をやめぞぉ”””””
- 29 :
- いくらなんでも早雲は寝入りすぎだろw
寝耳に水でも起きないタイプかよ
- 30 :
- >>26
申し訳ありません、手で火を除いて助けたのは笠原だけど
左手が焼けたのは早雲の間違いです。
- 31 :
- この人は劉備とイメージがかぶるな。負けても何度でも復活する事や優秀な家臣に見捨てられないあたりが。
- 32 :
- 蜂須賀小六の子孫の蜂須賀茂韶侯爵(華族)。
明治天皇に参内したとき、明治天皇のタバコを盗んだ。
それに気づいた明治天皇が「先祖は争えないね」と失笑。
それに激怒した蜂須賀侯爵は、自分は泥棒だけど先祖は盗賊で
ないことを明治天皇に主張した。
- 33 :
- >>32
何故か可愛いと思ってしまった
悔しい!
- 34 :
- 板違いだけど、なぜそのあとを省略するんだ?
- 35 :
- 既出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-786.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3466.htmlに関するレス
- 36 :
- さて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7167.html
この本城常光の誅殺は毛利方についた石見の国人を大きく動揺させ、再び離脱するものが相次いだ。
これに慌てた毛利元就公は、この事態は本城常光の怨念によるものだと考え、陣所からほど近い
鰐淵寺に参詣し、和多坊栄芸に対面して
「本城の怨念を沈め、また尼子晴久の一命を奪うよう、無二の祈祷をして頂きたい。」
と、依頼し、栄芸もこれを辞することが出来ず、よって鰐淵の滝壺に壇を構え、
初三日三夜は五大尊の法、中三日三夜は六観音の法、終わり三日三夜は七仏楽師の法を修した。
炉壇の煙は満山に霞み、振鈴の音は万峰に響き、大法秘密九日九夜修行あって、元就公は陣所に帰られた。
間もなくその験が顕れるのかと人々は、暗に恐ろしく思った。
そもそも、天子将軍が天下の軍乱を鎮め、万民が安全に生活できるようにするために、怨敵退治・調伏の
秘法を修せられる旧例は確かに多い。しかしこれらは民の利益のための、大仁大度によるものである。
ところが毛利・尼子の争いは、民を治めるための仁戦ではない。私利を目的とした軍事行動によって、
他の国を切り取って自分の物にしようとする欲心のため、累年に渡り中国を騒動させ、万民を苦しめる
戦である。
それがせめて、剣戟刀槍によって敵を滅ぼし、その国を得るのであれば武門の業とも言えるのだろうが、
智謀計略によっても敵を滅ぼすことが出来ずに、仏神に祈り呪詛して敵を落命させるなど、
元就公や吉川元春には、こういった不仁不義の例が少なくないのだ。
また六観音の法を修めれば、呪詛や諸毒薬はたちまちその本人に還るという要文があり、
これによって毛利家にも今後不思議の憂いが生じるだろうと、人々は眉を寄せて愁嘆していた。
尼子晴久公は、永禄五年十二月二十四日の晩、48歳にて手水のために縁先に出た所頓死された。
大変いたわしい事であったが、これは毛利が、厳島や鰐淵山で修めた祈祷の験であった。
そして翌年、和智誠春の毒薬によって、毛利大膳大夫隆元は、享年41歳にて頓死された。
これは只事ではない。毛利家の柱石に対しそれまでの利益の報いが還り、砕けたのだ。
父元就に先立たれ、わずか11歳の幸若丸殿を捨て置かれて、隆元公は逝った。
隆元公の、無念の御心の内が推し量られ、大変いたわしいと、人々は因果の道理を感じたのである。
(雲陽軍実記)
尼子家の家臣であった河本大八隆政が1580年頃に著したとされる雲陽軍実記より、
尼子側から見た元就の戦いや、隆元の死についての所感である。
- 37 :
- そこで綺麗な隆景さんなわけですね^^
- 38 :
- 長尾景虎「不仁不義・・・だと?」
- 39 :
- ある時、毛利輝元が老臣を召して「公方義昭公は退屈な日々を送っている
ことだろう。かといって武家在家の人などでは安らかに伽することはできまい。
そこで我が領国の禅宗役に三人当たり一年代わりで伽を申し付ける。
この公方は詩連句を詠み秀才であると聞くから、相応の相手でなくてはならぬ」
と、命じた。老臣は承って寺領千から三千石などを寄付して、秀才の僧侶たちに
義昭を慰撫させた。義昭は大層喜び、彼等に慰めさせて一日を過ごすようになった。
それから歳月を経たある年に、鑑首座という禅律僧がいた。彼は天龍寺妙智院で
修行した悟道発明の僧であったので、義昭は仏法を皆首座に聴聞し、少しも側を
離さなかった。春秋に至っては山野の樹木、紅錦の林を飾る風情を観覧する時でも
この首座と同道して一日を過ごしていた。
さて、義昭には持病があった。この持病が殊の外悪くなり尋常ではない苦しみよう
だったので、人々は何かと義昭を労わった。御伽の僧たちが芸州へしかじかと
報せるとただちに名医が遣されて来た。医術を尽くして治療が施されたが、日々
容態は悪くなっていったので、人々は「どうなってしまうのだろう」と今になって
驚いた。そんな時に義昭は首座を枕元近くへ呼びよせた。
「我は武将の家門に生を受けながら戒力は薄く、その徳は備わらなかった。
だから織田信長に一度は救われ厚恩は感謝しきれないほどであったが、己身有世の
為にたちまちに我を排除した。そこを秀吉が情をもっていたわり、輝元が大分の扶持を
参らせ、そのうえに諸々の懇志があったことは後世までも忘れ難い。この旨を心得てくれ」
首座は涙に咽び、少し間を置いて上意を承った。そして「そのように心細く
思われますな。御顔の色はいつも通りですから程なく御快気することでしょう。
きっと御持病の程度がひどいので弱ってしまわれたのですよ」と義昭を慰めた。
その後、義昭は采女を召して「御料紙箱に色紙が二枚あるはずだ。持って参れ」と
命じた。首座は以前に色紙を望んだが今日まで打ち過ぎていた。義昭は「この世を
去ることになるから、これを取って筐に見てくれ」と言った。首座が頂戴して涙ながら
に見ると、そこには古歌があった。
「いづくにも心とまらば住かへよながらへばまたもとの故郷」
「朝露は消え残りてもありぬべし誰かこの世に残りはつべき」
二、三日経って義昭はますます弱っていた。暁方に監物入道と采女を召して
密かに話すことがしばらくあって、その後は仏号を静かに唱えていたが、明方に
眠るようにこの世を去った。遺言通り火葬にされ、遺骨は高野山に納められた。
また、かつて豊臣秀吉が田舎暮らしは退屈だろうと参らせた秘蔵の御局は中陰後に
京へ参らせた。万事遺言の通りに処理されたのであった。
――『室町殿物語』
- 40 :
- >>39
ちなみに持病はさしこみだそうで。
- 41 :
- 永禄6年(1563)、毛利隆元公は大友との和平締結に成功すると、7月10日、本拠地吉田郡山に帰還。
翌日、城内にあった嫡子・幸鶴丸(輝元)公と正室福原殿を城下の宿舎に呼び寄せ、三献のあとお供の衆も
召し出し、近年の戦局の次第、今回の大友との和睦のこと、公方方からの上意のこと、そして何より、
父・元就公が数年にわたり油断なくお心遣いされており、ご苦労されているのだということを、心静かに
仰せられた。
そうして幸鶴丸公母子を御城に帰されたが、久しぶりの妻子との再会だというのに、あまりうちとけない物であった。
腰を落ち着かせる間もなく、翌12日には尼子攻めの出雲戦線に合流すべく吉田を立ち、佐部という場所で
軍勢の集結を待ち、8月5日には出雲に向けて出立するということになった。
その直前の3日夜、和智誠春に招待されそこで夕食を取り、本陣に帰られた。
翌4日夜、にわかに体調が崩れ、そのまま隆元公は急死した。
これに下々に至るまで嘆き悲しむこと、言語を絶する程であった。
御遺体は吉田大通院に納められ、葬礼相調えられた。御法名は花渓常栄大居士とされた。
隆元公はその御一生の間、行跡能く御孝行を第一に考えられていたので、『平重盛以来の御名将である』と、
他国の人々も揃って唱えていた。
隆元公が最期に吉田に帰られた時も、2日ほど滞在されたのに、遂に御城には入られなかった。
どうしてかと尋ねられると、隆元公は
「今、父上は雲州において、昼夜ご苦労されているのだ。そんな所に、例え一夜であっても自宅に立ち寄るというのは、
あまりに気ままのように思う。
まあ、父上に対する敬意だよ。」
そう仰ったのだという。
御孝行の事など書き付けるのは、畏れ多いことだとも思うが、旧記によればこの様であったとの事である。
(吉田物語)
吉田物語より、毛利隆元急死に関する記事である。
- 42 :
- 平重盛とかw後世の作り話かよ
子供がいたら三好義興も揶揄されていたんだろうか
- 43 :
- 世に生き仏と言われた一休和尚も岩木ならぬ身の悲しさには女色男色を
見て心を動かすこともあったのである。かつて一休が駿河に行脚した時、
府中に小玉弁之助という田舎には似つかわしくない実に艶やかな美少年
がおった。
一休は彼を一目見て大変堪え難く思い、しきりに弁之助を口説くも
拒否されるばかりであった。そこに一休が一首の狂歌を送った。
「花は根に鳥は古巣にかへれども人は若さにかへることなし」
弁之助はこの狂歌に心動かされて返事を送り、その夜に一休を訪ねてきた。
「あなたの御望みに従います」
「これはよく来たな。しかし今朝までは左様に思っておったが、
今はもうその念も去って用なきことだ。早く帰りなさい」
一休はそう言って弁之助を帰したそうだ。
いつもながらその心の動く時にこれを動かし、動かない時には堅くこれを
動かさないことは、実に行く水の如く、誠に敬服のことである。
――『一休禅師 頓智奇談』
- 44 :
- アニメ化不可能な一休さんだな
- 45 :
- (男色が)好き好き好き好き好き好き♪(美少年を)愛してる♪
まあ坊さんなら美少年好きは当たり前と甲斐の虎が
- 46 :
- 最期も、孫くらいの年齢の女性を侍らせて死にとうないだもんなあ
- 47 :
- 死にともな、ああ死にともな、死にともな
- 48 :
- >>45
アッー! アッー! なむさんだアッー!♪
- 49 :
- 門松はメイドの足袋の一里塚 愛でたくもあり愛でたくもなし
- 50 :
- >>49
一休が天才に思えてきた
- 51 :
- しかし、本当に後小松天皇のご落胤だとしたら、
還俗して天皇になった可能性あり?
- 52 :
- 還俗する理由があんまりないんじゃね?
一休さん以外にも皇子もいた気もするし・・・
- 53 :
- wikiでみたら、後小松天皇の皇子の称光天皇には皇子がなく、他の宮家から養子とったみたいだったから
- 54 :
- みんな先に死んでるけどね
- 55 :
- http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4178.html
一休禅師「賢者モード?」
こっちは相手は女だが似たような話
- 56 :
- >>49
何という才能の無駄遣いw
- 57 :
- 九条稙通が若年の頃は天下の乱れも激しく公家の知行も絶え絶えとなった。
都での生活もままならないということで稙通はあるいは和泉堺、あるいは
九州に徘徊した。また、武勇も心掛けていた。
稙通は機嫌の良い時には色々と昔語りをしたものだった。
ある時、稙通は「何事も思い立ったならば中途半端にせず極みに至ることを
肝要とするが、私が飯縄の法で成就したと思われるのは、どこで寝る時でも
家屋の上に、夜半時分に鳶が来て鳴くのだ」と言った。また、歩く先には
辻風が巻き起こったのだとも。
――『日本史伝文選(戴恩記)』
なにそれこわい。
- 58 :
- >>57
すいません、ちょっと訂正します。
×私が飯縄の法で成就したと思われるのは、
○私が飯縄の法を成就したと思われるのは、
- 59 :
- >>57
鳶職「へぇ、この屋根の立て付けがね あっしも半端な仕事じゃ家に帰ぇらない性分でして、夜分すいやせん」
- 60 :
- >>57
飯縄の法を極めた関白か…
くっ…鎮まれ!俺の厨二心よ!
- 61 :
- あるとき、能楽師の観世宗節・同三郎が御見舞として、毛利元就の居城である吉田まで罷り下った事があった。
月迫(12月末)であり、合戦の前でもあったが、十二月中旬に一座は登城し、ご対面の上、御囃子申し付けられ、
同月23日には、郡山の麓、興禅寺に舞台の設置を仰せ付けられ、能興行を行うこととなった。
しかし前日より大雪で、その日の能は延期であろうと、大夫衆も考えていた所、なんと毛利元就が、
未明のうちに既に能舞台の桟敷へお下りになったとの報告があった。
元就、この日をものすごく楽しみにしていた模様である。
そこで観世太夫たちは取り敢えず楽屋に入り準備し、日の出とともに能は始まり、晩に終わった。
元就はご機嫌よく城に帰っていかれた。
この時、国衆から家来まで見物するよう仰せ付けられていたため、彼らは雪の上に敷き皮を敷き、その上に
座っていたのだが、その日は昼ごろから天気が良くなり、雪が溶け大木の上から落ちるなどし、
彼らは水の上に居るような状況で、終日座っていたそうである。
そんな中元就はお酒などを召し上がることもなく、膝を直すようなこともせず熱心に能に見入っていたので、
宗節も大変忝く思い、後で御礼申し上げたそうである。
(吉田物語)
毛利元就、能見物を大いに楽しむというお話w
- 62 :
- 事例1
まず油揚げを準備します。
毎夜、飯縄権現へのお供えします。
寝ます。
鳶「ピーヒョロロロロ(油揚げウメェー)」
九条稙通「飯縄の法極めたどー!!」
事例2
まず油揚げを準備します。
出かけるときは手に持って行きます。
絶対に手放してはいけません、周囲を警戒しながら歩きましょう。
ビュッ
九条稙通「飯縄の法極めたどー!!」
鳶「(チッ、失敗か・・・)」
- 63 :
- 油揚げさえあればいいのかw
- 64 :
- >>57
何の役に立つんだろう・・・(ボソッ
- 65 :
- 歩く先を旋毛が走るんだぞ
カッコいいじゃないか
それで十分だよw
- 66 :
- 半将軍様がアップを始めました
- 67 :
- 長享2年「池の上に人の頸」
明応2年「頭は馬、尾は蛇、蹄は牛のような化鳥」「炎をまとった鳶付きの辻風」
半将軍様、次はいったい何を!?
- 68 :
- 九条稙通は妻不詳で養子をとってるんだね
これはつまり…
- 69 :
- >61
国衆、家来一同「寒い…冷たい…。」
- 70 :
- >>68
毘沙門の人も達人だったの?
- 71 :
- >>68
現代日本だと、同性カップルは法律上で養子という形が一番収まりがいいと聞いたことがあるがwww
- 72 :
- >>71
妾への遺産贈与もな>養女
>>70
養子4人とるってどういう現象なんだ 上条も山浦もそんな大した容貌だったのかよ
- 73 :
- 今川義元の不慮の死によって諸人の心もまちまちになっていた頃、
義元の舅・武田信虎は謀叛を起こして駿河を取ろうと目論むも、
望み薄であった。
そこで今川の一門衆、国人をそそのかし、子息信玄へ引き付けて
信玄に駿河を取らせようと謀った。
ところが、この事がたちまちに露見して信虎は駿河より追放となり、
上方へ牢人することになった。
――『今川家譜』
- 74 :
- >>72
容貌は良くなくとも具合は良…おや?誰だこんな時間に法螺貝吹いてr
- 75 :
- >>74殿はどちらに行かれたのだ?
宇喜多直家様からいただいた酒をお裾分けに参ったのに
- 76 :
- >>73
晴信「チッ、本当に使えねえ親父だ。」
- 77 :
- 信虎の願いは帰郷だからな
謀反の旗頭を膝元に置くわけにはいかねえ
老人とはいえ黒官みてえに油断ならぬ武人
- 78 :
- >>76
四郎某「だな、親父がアレだと子が苦労するわ・・・」
- 79 :
- 武田信虎の策謀は失敗に終わったが(>>73)この時、武田信玄は堀越六郎に、
「堀越六郎は今川家の一門であり了俊の家筋なのだから、早く謀叛を起こして
駿河を攻め取りなさい。こちらも手を合わせて人数を出し両方より攻め寄せよう。
御舘を其の方に遣わし、今川の家督も継がせようぞ」と偽りを言って扇動した。
これを受けた堀越は思慮のない人であったので引間の飯尾豊前守を
味方に付けて永禄六年に逆心を起こし、近辺の地侍をも勧誘した。
今川氏真はこれを知るとすぐさま出陣し、飯尾方には新野左馬介と
朝比奈備中守を、堀越方には匂坂六右衛門や三浦左衛門尉らを差し向けた。
堀越も飯尾も防戦叶わず自害して果て、残党は尽く討ち取られて城は
火をかけられ焼失した。しかしその一方で、今川方も新野左馬介が討死した。
――『今川家譜、今川記』
- 80 :
- 義元死後の氏真の袋叩きっぷりは本当に哀れだと思う
- 81 :
- 素人意見で申し訳ないけど、そう考えると
やっぱり義元(と太原雪斎)は優秀だったんだろうね
- 82 :
- 一度弱みを見せると、周りが一斉に群がってくる
世の中って常にそういうものなのよね
- 83 :
- 特に戦国なんて弱肉強食の野生の王国だからなあ
- 84 :
- この謀反に対する氏真の速攻果断ぶりと、
桶狭間直後の対応との差がどうにも解せないんだよなぁ。
それだけ義元に頼ってたってことなのか?
- 85 :
- 今川家の立地がすごいからな北に武田東に北条と大国ばかり
史実の義元のように西に向かうしかないだろうな
- 86 :
- >>84
桶狭間で重臣もまとめて死んでるからね。
家内の秩序をまず建てなおさないと復讐戦どころじゃなかったのは当たり前。
ところが、一族を嫁にもらってる松平がいきなり寝返るし。
今川にとっての松平って、武田にとっての木曽だよね。
- 87 :
- >>86
つーか松平は対織田の最前線なんだから、義元の敵討ちまで行かなくても、最低でも援軍出してもらわないと
自分たちが持たないんだけど。実際に家康と織田との戦いは継続されている。
だから家康は何度も何度も氏実に軍の派遣を要請してるのに、なしのつぶてじゃ、そりゃ見限るしか無いわな。
氏実はこれにかぎらず、自分の都合でしか周りをみなさすぎる。
- 88 :
- その辺の対応の悪さで家中が混乱してる事が露呈して、
周辺にヒャッハーカモだーと思われたんだろうな
- 89 :
- 当主が頓死したときの権力継承は難しそう
- 90 :
- 龍造寺鍋島の事情の如何に特異なことかよくわかるわ
- 91 :
- >>84
謙信が大挙して関東を襲ったので、北条に援軍を出してて
身動きが取れない状況。
翌年には小田原も囲まれるような状況で、尾張へ侵攻する
ような余裕が無かった。
- 92 :
- >90、九州のクマーのところは戦闘民族に四天王五人狩られてなかったっけ?どっちがキツイんだろうな?
- 93 :
- 四天王つったって別にそんな大身てわけでもなくないかね
- 94 :
- 四天王って、狩られたのが確定してるの4人だけじゃなかった?
- 95 :
- 大丈夫、百武とかは奥さんも強いし
- 96 :
- 重臣大領主を大量に刈られた大友さんと
家中一同期待の嫡子を狩られた長宗我部さんの事も思い出してあげてくださいね
- 97 :
- 龍造寺は肝っ玉かあさんの功績だろうな
- 98 :
- 当主が戦死か・・・少弐さんのとこはあんだけ死んでもあれだけ持つってそれはそれですごいんだろうな。
- 99 :
- 背景に大内と大友がいるからね
当主が遠征中に討死って今川、松平、三村、龍造寺
ほかにいたっけ?
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