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2013年07月野球殿堂60: 〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.19〓 (783)
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〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.19〓 (783)
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日本野球最強世代は1972〜76+年度生 (552)
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.19〓
- 1 :2013/01/27 〜 最終レス :2013/07/09
- 【過去スレ】
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.18〓
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1335725477/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.17〓
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1317774406/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.16〓
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1297932853/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.15〓
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1278830307/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.14〓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1265347196/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.13〓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1245918805/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.12〓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1230213737/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.11〓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1215222680/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.10〓
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1195711274/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.9〓
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1155266051/
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓特別編〓
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1066213111/
【プロ野球板最後のスレッド】
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.7〓
http://sports5.2ch.net/test/read.cgi/base/1063636281/
【関連スレ】(既にdat落ち)
平和台球場〜forever〜
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1072848528/
【関連サイト】
失われたライオンズの世界へようこそ
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/lions/
福岡野球博物館
ttp://www.geocities.jp/fukuoka_baseball_museum/
Wikipediaより「福岡野球」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E9%87%8E%E7%90%83
- 2 :
- 意味のない2げっと
- 3 :
- >>1
君こそライオンズ!
- 4 :
- ◆福岡の真の姿
1)ひたすら他力本願の支店植民地奴隷。
2)地元の全国的有名企業はゼロ。 とにかくゼロ。
3)九州の人口背景をバックに国や企業が作ったものを福岡市単独の力だと自慢する。
4)地元から日本に影響を与えるような文化・流行発信能力はゼロ。
5)福岡ラブコレクションに代表されるように他都市が発信したものを福岡が発信としてパクル。
6)九州内の他県、他都市を田舎モンと蔑む(特に熊本市や北九州市)。自分もカッペなのには気づいていない。
7)他都市は決して認めない。負けそうになると人格攻撃や論点をそらしてごまかす。卑怯な気質。
8)とにかく自画自賛や自己過大評価がすごい。過去の武勇伝を得意げに語り自分を誇示したがる。
9)天神をとにかく異常に過大評価する。超高層ビルへのコンプレックスは日本一
10)高層ビルがないのは空港があるからだと言い訳する(実際は需要自体がない)一方で、
内陸都市の札幌には港が無いと攻撃する。
11)他都市の話題でスレが立つとボウフラのように湧き出てその都市に関して必死にネガキャン・こき下ろしを行う。
12)言う事がなくなるとひたすらオウム返しでごまかす。
13)社会人では、他人を蹴落として生き残ろうとするあまり、年下相手にも本気で争う。
14)冗談が通じず些細な事でも顔を真っ赤にして過剰反応を示す。
15)異常なほど自尊心が高い。自身の非は決して認めない。従って、傷付けられると異常に反応する。加えて執拗である。
16)極端な地元偏重思考。何でも一番だと思いたがる。
17)貧困から生じた他人蹴落とし精神によって、他地域を蔑み、蹴落とそうとする。
18)貧困による権利主張志向により、自動車に対し、歩行者と自転車運転者に『譲り合い精神』が無い。
19)生活安全面における「福岡市内は県内他地域より安全」説を強く信仰する。
20)福岡市内における事件ではまず他地域住民のしわざを強く疑う。また、脈絡なく他地域の悪口を言い始め、
話題を転換しようとしたり「〜より福岡市内はマシ」説を唱え始める。
21)異常なまでにコンプレックスが強く他都市を攻撃する。一方でなぜか福岡市は周りから羨み妬まれてると勘違いしている。
22)麺類の話題が出ると聞いてもないのに「福岡市では〜」「博多では〜」とアピールを始める。と同時に他地域の料理を通ぶって批判する。
- 5 :
- つられてやるけど
都道府県本の読みすぎじゃね?
ずっと福岡市に住んでるけど他県民を田舎扱いとか聞いた事もないし…
だいいち地元民自体半分しかおらん
- 6 :
- 二つ言えるのは
ホークスは大阪
アビスパは藤枝
が発祥で福岡ではない
- 7 :
- まあ例えば、浦和レッズも
発祥神戸→東京→埼玉だし
そもそも親会社は東京だしね
首都圏のJ1クラスは東京が本社
アビスパは発祥は藤枝だが、地元が支えている
皮肉にも中心は福岡市、九電、西鉄なんだが・・・
- 8 :
- >>6
米国ではスポーツチームの本拠地移転は普通のこと
新たな地元ファンだってちゃんと受け入れてる
つうか、それを話題にしたらまた揉めるじゃん
このスレでは関係ないし触れてはならぬw
- 9 :
- 久々の燃料投下!
ガチバトル開始!
- 10 :
- >>8
嘘や誇大ならともかく、事実を挙げたら揉めるって何なんだ?
「ぼくちゃんたちは本当のことは知らなくていいんでちゅ」といつまでチイチイパッパやってなよW
- 11 :
- 低音でつやのあるウグイス嬢が
吉岡の嫁さんかな?
- 12 :
- 太平洋クラブライオンズと言えばロッテオリオンズとの遺恨試合
- 13 :
- 数年しか違わない西鉄末期より太平洋とクラウンの思い出が多いのは
少年用の友の会のおかげかな・・・ 6千人位いたはず
外野無料でファンサービスを始めたのが大きい
良くも悪くも話題を提供してくれたし
西鉄から直に西武になってたらここで語る人もほとんどいなかっただろうな
- 14 :
- 家にクラウンのヘルメットがある
ファンの若い女の子が移転が決まり、ファンを呼んでの
百道寮のお別れ会でおねだりしてもらったものだ
西田と大原が2軍で使用していたらしい
(当時球団にお金がなく、二人で使用していたとの事)
つばのところに「NISHIDA・T」右横には47 左横には13と白マジックで書いてある
かなりボロボロだけど漏れの大切なお宝で今も家に飾っている
- 15 :
- http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g117603644
- 16 :
- 会員のみなさんへ
ライオンズ友の会のみなさんお元気ですか。今年は熱心な応援有難う御座いました。
すでに新聞、テレビなどで発表されましたとおり、このたびわたくしたち
ライオンズ球団は埼玉県所沢球場に本拠地を移すことになり、名称も新しく
西武ライオンズとしてスタートすることになりました。
- 17 :
- この一年間 ライオンズ友の会では全国の5000人のお友達と手を結び
野球教室、スポーツ画コンクールなど、いろいろ催しをしてきましたが、
会員のみなさんとは、大変残念ですが、今年限りでお別れしなければ
なりません。本当に長い間 ライオンズを応援して下さいまして
ありがとうございました。
また来年度も平和台球場で西武ライオンズとして試合ができるように
現在、各方面と相談していますので、もし実現できれば応援にきて下さいね!
クラウンライターライオンズ球団
ライオンズ友の会事務局
(78、12-18消印 ハガキより)
- 18 :
- >>9
たまに荒れてこそ福岡ライオンズのファンなのさw
「金田!キサ〜ん!」
- 19 :
- >(当時球団にお金がなく、二人で使用していたとの事)
日ハムに社会人から入った選手がユニを春秋1枚ずつしか支給されないことに絶句したというが、
これもまた結構なもんだな・・・
- 20 :
- 1978年 クラウンライターライオンズ選手名鑑 CROWN LIGHTER LIONS
http://www.youtube.com/watch?v=38Vckcdugso
再生数からして既にチェック済みの人が多いと思うが、念のため
- 21 :
- 太平洋クラブライオンズ生誕40周年
西鉄最後の優勝から今年で50年
- 22 :
- >>21
>西鉄最後の優勝から今年で50年
俺もいいオッサンだけど、1963年はまだ幼稚園児だったからまったく覚えていない。
でも今となっては、太平洋の元年を知ってるだけでもじゅうぶんに化石ファンだなw
当時は「太平洋クラブかぁ。けっこうカッコいい名前やな」と思った。
でも「クラウンライター」に改称したときは、さすがに情けなかった・・・。
- 23 :
- ライターだけに、投手陣も火だるまが常だったw
しかし、火消し役まで火をつけてんじゃなぁ…w
- 24 :
- >>22
漏れは江藤太平洋からです
太平洋元年知ってる人うらやましい 色々地元から嫌がらせがあったなか
音響装置設置、内野席椅子改修、ビュフォード、レポーズ
遺恨試合、友情トレード、赤い旋風、開幕連勝、友の会
カラーユニ、台湾キャンプ
- 25 :
- >>21
細かいようだが、40周年じゃなくて40年たったが正しいんじゃ?と
今年は日ハム経営進出40周年という記事を見て思った
- 26 :
- >>23
太平洋クラブ時代に作られた球団歌 『君こそライオンズ』の中に
♪こ〜の〜 一瞬に〜 火を〜 つ〜け〜ろ〜
という歌詞があったな。
後にクラウンライターに変わってちょうどドンピシャw
- 27 :
- 去年11月、長嶋主演の「勝利の旗」をBS日テレでやってて、63年の日本シリーズの映像がカラーで挿入されていた。当時カラー放送は始まってたが、余程の特権階級しか見られなかったはず。
後楽園も平和台も。DVDあったらまた見たいなあ。
- 28 :
- HD録画で全編保存、日本シリーズの部分だけ抜き取ってDVDに別保存したな、それ。
王のホームランがライトスタンドの上段ばかりに飛んでてムカつくわw
NHKも60周年番組やってんのなら、BSで「よみがえる熱球」を再放送しろよ。
http://www.npb.or.jp/welovebaseball/npb70tvprogramlist.html
第7集は完全録画保存するから。
- 29 :
- S52年シーズン後 平和台前の砂利道をスーツ姿の鬼頭監督が電車通りに
向かって歩いていたので サインをねだったら
「もう関係ない」「もう関係ない」と拒否されてしまった
悲しかったな・・・
- 30 :
- 片岡捕手の結婚式においての東尾の祝電
「女房役が女房もらって女房役を忘れるな」
1973年フクスポより
- 31 :
- 加藤初
○子供の頃はやんちゃだった
○中一の時 野球部の上級生からのしごき?がきつく1ヶ月で退部を申し出るが拒否される
中三でキャプテンになったが今まで休みだった日曜も練習日にしたため
反感をかいキャプテンを下ろされた
○実家は加藤タバコ店
1973年フクスポより
- 32 :
- 加藤初
○吉原商時代、バネがあり陸上部からスカウトされた
○吉原商時代の野球部の監督は加藤博一w
1973年フクスポより
- 33 :
- 坂井代表就任会見
「野球の醍醐味をライオンズ丸という船に満載して地元のファンにお届けしたい
草ヶ江小出身、修猷館中1年まで在籍
1973年フクスポより
- 34 :
- ベースボールマガジン3月号の波乱万丈時代の福岡野球の特集立ち読みしてきた
4ページで内容は坂井本に書いてある事がほとんどだが
坂井さん、たけさん、チャイさん(基)の取材が少しあり
坂井さん:太平洋の小宮山会長がユニフォームはとにかく派手にと
漢字で大きく「太平洋」と入れてくれと希望
たけさん:ライオンズの売主を間違えた(中村オーナーへ)
チャイさん:西鉄でライオンズは終わった
みたいなことが書いてあった。
読んでの感想だが、たけさんの気持ちは充分判るが中村さんしか買い手がなかったんだよな
中村さんが買わなかったらライオンズは解散してたかもしれないし
チャイさんもあの激動の福岡野球KK時代も充分思い出があるはずなんだが
幻の中日移籍や最後に放出されたので中村ライオンズに対して不満があったのかな?
- 35 :
- 「チャイさん」
ライオンズファンは基なんだろうけど、ホークスファンは藤原だよなぁ
- 36 :
- http://www.news-postseven.com/archives/20130204_169823.html
- 37 :
- 遺恨試合当時 平和台太平洋VSロッテ
「チューインガムはハリス野球は太平洋」の立て看板
金やん・・・お久しぶりです
中村オーナー・・・なにか差し入れせないかんなあ、毒入り饅頭でもどうや
金やん・・・どうせなら銭がええですわ
- 38 :
- [よみがえれ!ライオンズ] 第一部 揺れる球団A
【歳月】 セが買収の手 パの危機 中村オーナー引き継ぐ
地元球団構想の根は意外に深かった。そのルーツは昭和47年(1972年)10月、
あの西鉄球団の身売りにまで遡る。
当時、西鉄球団の親会社である西鉄本社は電車部門の福岡市内線で、
一日当たり160万円の赤字に悩み、市内線廃止を急いでいた。
とはいえ、公益的色彩の強い交通機関の廃止には、それなりの覚悟が必要だった。
金ばかり食う、子会社の西鉄球団放棄して、指導・監督機関の運輸省筋、そして利用者間の
コンセンサス(合意)作りを急ぐことになったのだ。
「いくらでもいい、3千万でも5千万でもいい。とにかく(球団を)処分したいという事だったようだ。
タイムリミットもあった。10月末までに売り先を決めないと、球団の経営権は(パ)連盟預かりになり、
西鉄の手を離れる。焦っているところへ、中村さんが『私がお世話しよう』と、申し出てくれたのだ」
と、当時のパ・リーグ関係者は説明する。
中村氏は、その頃ロッテ球団のオーナーだった。その中村氏が西鉄の経営権放棄を
”パ・リーグの危機”としてとらえた裏には、一球団が姿を消すこと以上に重大な別の理由があった。
セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、岡野祐パ・リーグ会長に
西鉄買収を申し入れていたからだ。
- 39 :
- 引き受け手がなければ、パ・リーグが(今以上に)セの風下に立たされているのは目に見えている。
そこで中村オーナーは、オーナー会議の要請で”ペプシ・コーラ”との交渉をし、これは不調に終わった。
そうなると『後継者探しは私の手で』と大見得を切った手前もあり、中村オーナーは引っ込みがつかなくなった。
『さあ、どうする?』と、各オーナーに顔をのぞき込まれた中村氏は、『それでは、私が引き受けましょう』と言ってしまった。
地元(福岡)の関係者が西鉄にライオンズ球団の買収を打診してきたのは、
中村氏がレジャー産業の太平洋クラブをスポンサーに、買収の交渉を終わらせた直後だった。
これが、後になってもライオンズ球団の経営上に、除き難い影を落とすことになる。
当時、パ・リーグ関係者の間でも『新しい経営母体は地元で見つけるべきだ』という声があった。
『中村さんに”地元(福岡)に怨まれるよ”と言ったら、”リーグを救うにはこれしかないんだ”と
悲壮な顔をしていた』という証言もある。
こうして中村氏をオーナーにしてスタートした福岡野球株式会社(資本金1億円)は、全株を持つ中村オーナーが
西鉄に即金で1億円を払い、福岡市西区西新にあるライオンズ寮(7千万円=推定)の他、日用品、備品に至るまで
一切合財を有償で引き受け、買収を完了した。
中村オーナーには当時『身をもってパ・リーグを救った』という自負もあったろうし、
それは各球団のオーナーも認めていた。それが阪急からの石井茂雄投手、南海からの三浦清弘投手の
見返りなしの”友情トレード”となっている。
黒い霧でズタズタにされた”ノンプロ並”のライオンズは、この他、現役大リーガーのビュフォード、レポーズの大砲や
ヤクルトから借用の福富を加え、何とかプロの顔を取り繕ってスタートしたのだったが……。
【西日本スポーツ昭和53年(1978年)9月28日付け】
- 40 :
- >セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、
>岡野祐パ・リーグ会長に西鉄買収を申し入れていた
どこだろうかね、ここ。
普通に考えて、九州地区での拡販を目指す新聞社と思われるが。
>>34
このシリーズを読むと、自分が応援して好きだった太平洋、クラウンが、一部の熱心なファンを除いて
いかに多くの関係者に恨まれ、疎まれていたのがわかって愕然とする。行政やお偉いさん相手だけではなかった。
- 41 :
- >”パ・リーグの危機”としてとらえた裏には、一球団が姿を消すこと以上に重大な別の理由があった。
セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、岡野祐パ・リーグ会長に
西鉄買収を申し入れていたからだ
ということは、ライオンズがセにいって、1リーグになってたかもしれないって事かな?
この話は初めて知った。となると竹之内の「ライオンズの売主しを間違えた」発言は当たっている
事になるな。で中村も余計な事をしたと・・・
中村もライオンズを地元に残す事ってよりパリーグ存続が目当てだったからね
当時の新聞でも「儲ける」ためにやっていると公言していたし。
クラウンの時の地元雇われ社長の江口氏が中州で飲んで下さい(地元財界と)お願いしても
平和台とホテルの往復ばかりだったらしい
- 42 :
- >>30
片岡の結婚式に出席する予定だった稲尾さん
急きょ西鉄球団から呼び出されキャンセル
オーナーから身売りを告げられる呼び出しだった…
- 43 :
- 西鉄から太平洋の引継ぎで色々大変だったみたいだが
ウグイス嬢の岩坂さんと、太田さんは西鉄のウグイス嬢の
今泉さんから10日間の研修を受けたらしい。
- 44 :
- >>35
基さんの場合は、チャチャイというタイのボクサーに似ているからチャイと呼ばれていたようです
- 45 :
- ちなみにチャイさんの自主トレ先は平尾霊園
チームごと平尾霊園の時もあったみたい
あと新人は大濠公園、トンビは平和台周辺でスタートその後は別府
1973年の当時です
- 46 :
- >クラウンの時の地元雇われ社長の江口氏が中州で飲んで下さい(地元財界と)お願いしても
平和台とホテルの往復ばかりだったらしい
その頃なんて逆に地元政財界が中村氏を疎んじて
中州なんて行った日にゃフルボッコにされかねん状態だった予感w
- 47 :
- >>44
南海の藤原満の場合もニックネームの由来は同じ
ボクサーのチャチャイ・チオノイ(元世界フライ級王者)の顔は
どちらかといえば藤原のほうが似ている感じ
- 48 :
- あ
- 49 :
- >>46
九電の瓦林会長なんてS52暮れにクラウンの顧問か後援会を
抜けてるんだよね、中村オーナーのやり方に不満があると
あと地元企業のどこかも途中で不満があって社外顧問を抜けてたな
大人になって当時の新聞を読んでの情報だけど
- 50 :
- 77年と78年のクラウンはシーズンの開幕戦を主催したんだが、
「前年Aクラス入りしたチームが開幕権を得る」というのを長年見てきた俺は違和感を覚えた
92年の開幕を主催したロッテのような特別な処置か?
- 51 :
- 江藤監督が大好きでした。
- 52 :
- >ペプシ・コーラ”との交渉をし、
ユニフォームが赤と青だったのはペプシで行くのがほぼ決まりかけてたからか?
>パ・リーグ関係者の間でも『新しい経営母体は地元で見つけるべきだ』という声があった
おれば苦労せんよw
- 53 :
- >>50
当時のパ・リーグは九州唯一のライオンズが必ず開幕主催をやっていた。
あとは関東にあった東映・日拓・日本ハムと大毎・東京・ロッテ(後に仙台移転)のどちらか上位、
関西の阪急(現・オリックス)と南海(現・ソフトバンク)と近鉄の何れかの上位が開幕主催していた。
ライオンズが所沢移転してからAクラスチームの開幕主催に変わったと思う。
- 54 :
- >>41
>ライオンズがセにいって、1リーグになってたかもしれないって事かな?
その辺りは、記事には掘り下げてないからわからないが、当時…というかセ・パ2リーグ分立時から
セ・リーグ会長だった鈴木龍二の、度重なるパ軽視発言に対する中村の意地があったのでは、と考える。
パ軽視というかセ優先、パはスルーという感じだったかな?
鈴木セ・リーグ会長には、当時のプロ野球に対する、世間の空気そのままを反映していた発言が多かったように思う。
昔のことで、この辺の記憶も怪しくなったので曖昧な部分もあるが、当時のパの関係者には、
鈴木会長に対する反発と同時に、セに対する憧憬、仮に1リーグ再編となって巨人戦の恩恵…安くない放映権料を受けられれば
それはそれで球団経営的には良し、みたいな感情は持っていたんじゃないか。
竹之内のその発言にも「ライオンズが九州に存在すれば、2リーグだろうが1リーグだろうが形は問わない」という
思いがあったのかな、と想像する。ということで>>39以降は近日中に。
- 55 :
- まぁ元々西鉄は関西私鉄とのよしみでパ・リーグに所属したってだけ(企業としては他のパ加盟
チームの様な反読売や反正力と言った対立関係とは無縁で、寧ろ読売とは基本協力的な関係だった)
で、西日本パイレーツとの合併時(1950)や平和台事件(1952)等と、度々セ・リーグ入りを
画策したとされる位だしな。
- 56 :
- 三原西鉄:水爆打線
稲尾西鉄:線香花火打線
稲尾太平洋:ピストル打線
江藤太平洋:どんたく打線、山賊打線
根本クラウン:地雷打線
- 57 :
- [よみがえれ!ライオンズ] 第一部 揺れる球団B
【受難】 地元に買い戻し熱 スポンサー料も途絶える
かつて三年連続日本一に輝き、リーグ優勝5回を数える栄光の球団も、
身売り直前には尾羽うち枯らしていた。三年連続最下位。
年間予算5億円では、目ぼしい新人補強もできず、パ・リーグのお荷物になり下がっていた。
そんな”あばら家経営”にあえいでいた西鉄球団が、最後の年に集めた観客は23万人。
ところが、これを引き継いで昭和48年度(1973年)に8億円を投入した福岡野球株式会社は、
発足一年目に87万7千人を動員している。
プロ野球界に先駆けたカラー・ユニフォーム、球場のサウンド・システム、シートの改造、
そして演出されたロッテとの遺恨試合…。平和台には西鉄三連覇当時を彷彿とさせる賑わいが訪れた。
この年、球団は単年度収支では、わずかながら黒字を計上している。
『福岡では絶対に儲からない』とされていたプロ野球界の常識を、福岡野球は大きく変えた。
金と知恵とを有効につぎ込めば、プロ球団も企業として独り歩きができることを証明してみせたのである。
しかし、設立から三年連続でリーグ1、2位の観客動員力を誇り、商売上手だと
ファンの目を見張らせた福岡野球にもやがて受難の時代がやってくる。
昭和50年(1975年)といえば、闘将・江藤慎一監督が率いる山賊軍団が春と夏に大暴れし、
通算勝率5割を下回ったものの、初のAクラスに食い込んだ年だが、実はこの年の暮れに、
球団は初めてのピンチに見舞われていた。
- 58 :
- 地元福博の有志たちの間で、球団経営熱が再燃したのだ。
最初は元西鉄系の人々が『下手な手放し方をした球団を、何とか地元に取り戻せないものか』と
財界の主だった人に説いて回った。その動きに前年 監督の座を降りた、かつての大投手稲尾和久氏
(現中日投手コーチ)を何とか返り咲かせてやりたいという若手財界人たちの願望が重なった。
が、こっけいなのはこの時期、当の江藤慎一監督も”九州ライオンズ”論をブチ上げていたことだった。
どうやら、地元球団作りの筋は、二つあったらしい。
地元買い戻し熱が、はっきりした形を整えてくるのが、翌昭和51年(1976年)だ。
この年、中村オーナーは、江藤監督を退団させた後のレオ・ドローチャー監督招聘に失敗。
鬼頭ヘッドコーチを昇格させたものの、ライオンズは士気の低下で最下位に落ちた。
心情的には、これが地元財界人の”中村離れ”を決定的にした。
そんな時期に福岡野球は糧道まで断たれてしまう。泣きっ面にハチだ。
それまで三年連続でスポンサーの太平洋クラブから、きちんと入金していたスポンサー料(年間1億8千万円)が
この年は、ドルとオイルのダブルショックによる、レジャー産業界の大パニックの波を被って途切れてしまった。
福岡野球は1シーズン、スポンサー料なしでの経営を強いられ、昭和49年(1974年)以降の三年間で
5億円の累積赤字を背負い込んだ。
そこへ銀行筋からの融資の締め付けがやってくる。
窮地に立たされた福岡野球は、その年のボーナス支給のメドもつかなかった。
そんな福岡で、全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた。
【西日本スポーツ昭和53年(1978年)9月29日付け】
- 59 :
- ※>西鉄球団が、最後の年に集めた観客は23万人。
手元の資料やサイトには32万人とあるが、誤植なのか、例えば新聞社が掴んだ情報である所の有料入場者数なのか不明。
ちなみに元の記事は「二十三万人」と漢字表記である。
※>元西鉄系の人々が『下手な手放し方をした球団を、何とか地元に取り戻せないものか』と
>財界の主だった人に説いて回った。
西日本鉄道において球団経営に関わっていた人達なのか、あるいは西鉄OB選手、または現役選手もいたのか不明。
※>稲尾和久氏(現中日投手コーチ)を何とか返り咲かせてやりたいという若手財界人たちの願望
この財界人たちの顔ぶれも不明
※>全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた。
「全国紙系のテレビ局」という言い方が混乱しているのか誤植なのか分からないが、いずれにしても、ここにも>>38の
「セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、岡野祐パ・リーグ会長に西鉄買収を申し入れ」
と似たようなニュアンスの言い回しがでてきた。
- 60 :
- ※>全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた。
元西鉄系の人々が『下手な手放し方をした球団を、何とか地元に取り戻せないものか』と
>財界の主だった人に説いて回った。
西日本鉄道において球団経営に関わっていた人達なのか、あるいは西鉄OB選手、または現役選手もいたのか不明。
これ知らなかった。身売りの時の木本オーナーでなことはたしかだよな
身売りに否定的だった 中島元オーナー?や 元常務の古賀さんやあたりか?
後に古賀さんは「8億の赤字と言っても、興行権は本社が握っており構造上
赤字になるようにできている。また運輸省の行政指導があっても、当時の赤字は
断トツに西鉄運輸だったのでこちらを先に整理するべき」「もっと企業努力したかった
本社が数字を優先させて非常に悔しかった、数字だけでは図り知れないものがあり
あそこで反発して名誉挽回してこそ本物の経営者」と本に書いてあった。
「全国紙系のテレビ局」という言い方が混乱しているのか誤植なのか分からないが、いずれにしても、ここにも>>38の
「セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、岡野祐パ・リーグ会長に西鉄買収を申し入れ」
と似たようなニュアンスの言い回しがでてきた。
この話も知らなかった、FBSかな〜
- 61 :
- どの球団も裏に回ればドロドロしたものがあるだろうが、福岡野球は特にドロドロ、ギトギト、グツグツしてるな
刺激的だ
- 62 :
- >全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた。
読売新聞の福岡侵食ねらいもあっただろうな。
S53年のころは、クラウンのスポンサー料を1億から2年契約で1年で1.8億値上げをクラウンがけってる
けらなければ少なくともS55年までは本拠は平和台のままだったんだよね
その後、クラウンの桜井氏が裏で九州財界に働きかけてたのは記事で何回か読んだ
太平洋と違って、クラウンは桜井氏が表にでてきてたからね、
経営は中村氏なのに勝手にスポンサーである桜井氏が裏でクラウンと九州財界で協力して
買収?の動きに中村氏が怒っていたとも言われている。
- 63 :
- 「切り込み隊長の野球人生」 (高倉照幸)
限定500部 定価1,200円
(本体1,143円+税) 送料140円 ■ 著者:高倉照幸
■ A5判・96ページ・ソフトカバー
■ 編 纂:益田啓一郎 (合資会社アソシエ)
■ 発行元:高倉総監督 「喜寿祝の会」
■ 発行日:平成23年12月10日
■ 写真提供:西日本鉄道株式会社
■ 協力・連載掲載紙:熊本日日新聞
全45話 ・トレードの裏側
・生い立ち ・ベロビーチキャンプ
・選抜大会で初ホームラン ・緊張感漂う川上野球
・西鉄ライオンズ入団 ・引退、そして野球解説者へ
・中洲で痛飲も試合でホームラン ・少年野球チーム
・趣味は車、外国車を次々と
ほか、熊本日日新聞連載文に加筆したものです。
- 64 :
- そのままコピーしたので宣伝になっちまったが、
高倉さんの自伝本が出てたよ。
零細出版社による発行で、本のつくりは学校の
教科書みたいだった。
天神北ダイエー裏の「書斎りーぶる」にある。
巨人移籍のところに書かれていた西鉄球団の
冷淡さにはムカついた。
- 65 :
- >※>元西鉄系の人々が『下手な手放し方をした球団を、何とか地元に取り戻せないものか』と
財界の主だった人に説いて回った。
西鉄本社が捨てるように手放し
当時は九州政財界も見向きもしなかったボロ球団を
福岡野球(中村商店)が経営努力で僅かながらも黒字を出したのを見て
取り返そうと政財界タッグを組んで嫌がらせで締め付け横取りしようとした訳だなw
ホントに屑だな
- 66 :
- う〜む。欲しいけどなんか通信販売?のサイトが貧弱で不安だ。
かと言って買いに行くのは無理だしなあ
- 67 :
- >>63
その本は読んだけど、高倉はもともと巨人ファンだったらしいな
現役生活の最後はヤクルトで、のちに三原が監督、中西がコーチで
チームに来ると決まったときは、また一緒にやれると喜んだそうだが
その前に球団から戦力外通告を受けてしまい、しかたなく引退・・・
西鉄時代の高倉と中西は、誤解が生じて不仲になっていたとか
- 68 :
- ダイエーからソフトバンクに身売りされたときも、
読売系のFBSが買収するって、話があったよね。
余談ですが。
- 69 :
- [よみがえれ!ライオンズ] 第一部 揺れる球団C
【冷遇】 中村オーナー、突然のカケ クラウンとの契約 地元財界に肩透かし
糧道を断たれた福岡野球株式会社は、すんでのところで音を上げかけていた。
『ライオンズは、もうじき経営をあきらめるだろう』というウワサが飛び交ったのも、この頃だ。
ウワサは銀行筋から流れ出し、球団の買収を目論む人々によって、さらに増幅されていった。
中村オーナーはこの時期、直接に地元財界へ協力を求めている。が、反応は鈍かった。
鈍かったというより、冷たかったというべきだろう
福岡の球団だと言いながら、在京のワンマン・中村オーナーに
一から十まで遠隔操作されているように見えた福岡野球は、しかし型破りのニュールック経営で、
西鉄ライオンズが18年かかって、しかも、あの強チームをもってしても三度しかやれなかった
観客80万人の大量動員に成功している。これを見て
『これなら地元だけでもやれる』
『ヨソ者には手を引いてもらおう』
という声が出始めると、それは日増しに大きくなり、財界でも
『中村オーナーが下りるなら、支援は惜しまない』
という意見が多くなった。
スワこそ”福岡ライオンズ誕生!”と思わせたところで、中村オーナーは一種のバクチとも言える手を打った。
印刷・出版業界の新興勢力だった広済堂グループと提携し、翼下のクラウンガスライター(桜井義晃社長)と
スポンサー契約を結んだのだ。
クラウンライター・ライオンズは、昭和51年(1976年)10月10日、こうして突然に誕生する。
”地元”は肩すかしを食わされた格好になった。
- 70 :
- 『今になって考えれば、やはり多少は空回りの印象はぬぐえない。(地元の)受け皿作りは完全じゃなかったし、
それにみんなが(それぞれの立場で)色んなことを言いはしたが、責任を持って動く人が地元にはいなかった。
何よりもオーナーの中村さんの意向を全然確認していなかったのだから…。でも、あの時の挫折感は小さくはなかった』
と、当時の舞台裏を知る中島国彦マツダオート福岡社長(元西鉄球団企画部長)は言う。
正直な告白かもしれない。
福岡野球が新スポンサーにしたクラウンは、やはり地元企業ではなかった。
しかも、提携について、球団からは地元財界には全く相談がなかった。
これが地元というより、財界の”球団離れ”に拍車をかけた。
元々、冷淡だった財界は、これをきっかけに完全にソッポを向いた。
中村オーナー”不在地主”説が出始めたのもこの頃だ。
中村オーナーも反省したようである。予期以上の悪評を知り、”地元密着”の方針を打ち出した。
福岡に生まれ育った江口昭八郎・元福岡青年会議所理事長(サン・アスレチック社長)を球団社長に据え、
地元各界のプロ野球ファンの意見を”ライオンズの今日と明日を考える十五人委員会”(6ヶ月交代)で吸い上げ、
球団経営に生かすことにした。本人に断られたことで実現しなかったが、稲尾監督の復帰を交渉したのも、この頃だ。
新戦法の取り入れより、旧戦法の追い出しの方が難しい。球団経営も同じだろう。
新しい布石が効果を表し始める前に、地元の不評ぶりはスポンサーの桜井社長の耳に入る。
九州進出を経営戦略のポイントにしていた桜井構想にとって、これは聞き捨てにできない事実だったようだ。
【西日本スポーツ昭和53年(1978年)9月30日付け】
- 71 :
- クラウンライター・ライオンズの誕生によって、とりあえず、
「セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、岡野祐パ・リーグ会長に西鉄買収を申し入れていた」
とか、「全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた」といった勢力は、表向きは沈黙したようだ。
これ以降、恐らく読売系列(?)勢力による福岡野球への攻撃は、加藤初の成功に気をよくした事で、更に、
東尾修、その他にも若菜、大田らの獲得の為に、張江五・読売広報を中心とした裏工作の活発さだけになったと思った。
だが、この頃の出来事で忘れられないのは、巨人の東尾獲得に際して、地元福岡の百貨店の
有力社長までが球団に出張ってきて、東尾の巨人入りを勧めたという話だった。
球団間のトレード交渉なら、当事者である球団間のパワーバランスや、交渉力が中心になるのが普通のはず。
前回、巨人相手に加藤初を大損してるだけに、球団も今度は、いい加減まともな対応をするだろうと思っていたので、
「東尾を失うことは球団の死を意味する」という談話に、ようやく溜飲が下がった。
だから、この話は当初、何故、地元の有力者が東尾を巨人に入れようとするのか理解できなかった。
しかし、ここまでの流れを改めて見直すと、地元と読売が結託して東尾を巨人に出し、福岡野球を弱体化させ
トドメを刺そうとしていたのか?と陰謀論的な事まで考えてしまう。
>>62
クラウンに関してこれ以降に書くことは、大筋その流れになります。
「市民球団論」と併せて、坂井本と被る部分も出てくるがご容赦を。
- 72 :
- >>71
どーぞよろしく
後世になるだけ正しい歴史を伝えていかなければ
それにしても東尾移籍話はそういう経緯が絡んでいた可能性があるんやね
地元福岡の百貨店の有力社長は玉屋の田中丸やね 東尾の後援会長ばしよったごたあ
- 73 :
- 後援会としては、応援する選手には、やはり地元でも貧乏で不安定なチームより
東京の華やかな人気チームでやってほしいのかな
後援会になんか入ったこともなく、選手とチームは等価値で応援してきた身にはわからん
- 74 :
- >>69〜>>71に書かれてる事
まんま>>65の感想通りだな
中村氏に火の中の栗を拾わせて様子見をしつつ
干上がらせて根を上げたところで二束三文で球団を取り上げようと画策してたいたと
思いたくなる
- 75 :
- 結局、地元財界も読売の犬だね。
結局は「読売リモコン」じゃないか。
- 76 :
- >>73
いや、いくら選手の後援者でも基本として地元のライオンズのファンでもあるんだから
そんなことはないと思うけどなぁ、やはり読売からみの一巻とも感じる
坂井本には書かれてない事も多いね
- 77 :
- 太平洋
- 78 :
- 合併で西鉄じゃなくセ・リーグの西日本が生き残ってたら、どうなってたかなぁ。
ちなみにパは高橋球団が誕生せず、大映スターズがそのまま残ってただろう。
地理的に、大洋と合併かなぁ。
- 79 :
- 田中勉 「俺はあの豚 (中西太) が大嫌いなんや。あいつは女の
くさったような奴よ」
黒い霧の仕掛け人・藤縄洋孝の著書 『ファンに詫びる』 より
高倉はアンチ中西の田中と仲が良かったので、中西監督サイド
から誤解を受けて、険悪な関係になってしまったとか。
- 80 :
- >>75
福岡財界(球団保有時の西鉄含む)は当初からライオンズのセ・リーグ加入を希望していたから、
読売の餌に乗ったって事でしょうね。
そもそも西鉄がパイレーツを吸収したのもセ・リーグ入りを企図してのものだったし。
パイレーツ吸収のどさくさに紛れてセ各チームがリーグ既得権を盾に所属選手を分捕った件と、
西鉄が巨人で閑職だった三原のみならず、主砲の青田まで手を伸ばしたのに巨人が激怒した件
から、パ・リーグ所属のままと相成ったけど、西日本新聞絡みなのか毎日とはどうにも相性が
合わなかった。
ま、その辺が今現在では首都圏ダービーという形となっているライオンズ vs マリーンズの宿命
対決にも尾を引いている様な気もしないでは無いが。
- 81 :
- [よみがえれ!ライオンズ] 第一部 揺れる球団D
【陰謀】 主役抜き身売り話 真意と粉飾入り交じる
この辺りの事情は、今回の騒ぎにも繋がってくる。少々書き込んでおくことにしよう。
福岡野球の危機を救ったとされる桜井義晃・広済堂クラウン社長は京都の呉服店の生まれ。
戦後、和文タイプ印刷からスタートし、写植印刷を経て昭和45年(1970年)には出版に手を広げ、
昭和48年(1973年)には経営不振だったクラウンガスライターを買収、広済堂印刷、広済堂出版
などで形成する”広済堂グループ”の頂点に立った人。
球団のスポンサーを買って出たのは、同グループの取引先の一つ平和相互銀行の小宮山英蔵会長に
太平洋クラブからの”肩代わり”を打診されたためで、『私の方から中村さんに申し入れた』(桜井氏)のだと言う。
スポンサー料は2年契約で2億円(年1億円)、別に保証金1億円を積んでいる。
業務契約といっても、クラウンは広告主に等しいスポンサーだ。
福岡野球への経営参加はもちろん、持ち株による資本参加もなかった。
しかし、億のつく資金を提供している以上、やはり何らかの形で発言したくなるのは人情だろう。
その一つが昨夏(昭和52年/1977年)の”お返し発言”だ。
『決して地元球団を乗っ取ったわけではない。地元に球団経営への動きがあれば、お返しするこもと考える』
という談話が、あるスポーツ紙に載った。スポンサーのワクを踏み出した勇敢な発言だった。
- 82 :
- もっともこれは、後に『真意が伝わっていない』と取り消されている。
が、実はこれこそが桜井社長の”真意”だったようである。
それから一年が過ぎ、スポンサーとしての契約期間切れを迎えたところで、意外な事実が表面化してしまった。
(昭和53年/1978年)8月上旬、桜井社長は福岡4区選出の田中六助代議士と共に、地元財界の長老、
瓦林潔・九州電力会長を出張先に訪ね、
『九州で球団をおやりになるなら、応分の支援をさせていただく用意がある』
と相談を持ちかけた。瓦林氏は、もちろん確答はせず、話を聞くだけにとどめたという。
しかし、真意は『(私は)旗振り役にはなりたくない。年を取ったし役職も多く、自分が乗り出す余裕は全く無い。
誰か人望があり、力もある人が音頭を取れば(側面からの)支援はするつもりだが…』と、必ずしも積極的ではないようだ。
それが一部に『ある程度の資金、人材の提供、(平和台の)人工芝問題までの協力を約束した』ことにされてしまった。
どこかで何かが狂ってしまっていた。世にも不思議な球団の身売り話が持ち上がったのだ。
全権を握る中村オーナーが全く知らないところで、球団譲渡の打診が行われていた。
当然、地元側からは『中村さんが何らかの形で(球団経営に)タッチしている間は引き受けられない』という返事は出てくる。
ところが中村オーナー自身には、球団から身を引く気は全くない。
売り主が売らないというものを、頼まれもしない仲介者が第三者に買わせようとする。
何やら胡散臭い図式だが、今回の空騒ぎを現象面だけでとらえる限り、こういう見方になる他はなかろう。
一体、どうして、こんなおかしな”事件”が起こってしまったのだろうか。
【西日本スポーツ昭和53年(1978年)10月1日付け】
- 83 :
- 日付も10月に変わって、運命の日も近づいてきた。
ここまでのまとめ。
・>>38
>セ・リーグの大手球団を擁する企業がダミー(身代わり会社)を立てて、
>岡野祐パ・リーグ会長に西鉄買収を申し入れていた(昭和47年/1972年オフ)
↑↑↑↑↑
讀賣グループ?
・>>39
>地元(福岡)の関係者が西鉄にライオンズ球団の買収を打診してきたのは、
>中村氏がレジャー産業の太平洋クラブをスポンサーに、買収の交渉を終わらせた直後だった。
↑↑↑↑↑ (昭和47年/1972年オフ)
顔ぶれ不明
・>>58
>元西鉄系の人々が『下手な手放し方をした球団を、何とか地元に取り戻せないものか』と
>財界の主だった人に説いて回った。 (昭和50年/1975年オフ)
↑↑↑↑↑
>>39の「地元(福岡)の関係者が西鉄にライオンズ球団の買収を打診してきた」グループとの関係は?
あるいは同一関係者?西鉄OBや現役選手が絡んでいた可能性は?
・>>58
>全国紙系のテレビ局を中核にした球団の受け皿作りが、着々と進行していた。(昭和50年/1975年オフ)
↑↑↑↑↑
>>38と同じく讀賣グループ?
一般のファンとは関係ないところで、色んな勢力が色んな動きをしている時に、広済堂クラウン桜井社長の
『決して地元球団を乗っ取ったわけではない。地元に球団経営への動きがあれば、お返しするこもと考える』発言で
事態がさらに混沌としてきた。
こんな状態が太平洋初年度から、グラウンド外で常にきな臭くうごめいていたのだから、
中で格闘していた責任者は大変だっただろう。しかも、ファンは完全に置き去りにされてしまった。
その根源になっているのは、俗っぽい言い方をすれば「愛情の空回り」という感情ではないだろうか。
>>70
>今になって考えれば、やはり多少は空回りの印象はぬぐえない(中島国彦元西鉄球団企画部長)
- 84 :
- >>72
玉屋ですか…。玉屋、井筒屋、岩田屋の看板の古いロゴが、西鉄末期からクラウンの時代の流れに
自分の中で残ってますわw
「正しい歴史」と大きく出るつもりはありませんが、なぜ、こんな事になったのか、その原因があるとすれば何か、
こんなやり方はできなかったのか、あるいは何をやっても無駄だったのか、みたい問いかけになればと思ってます。
>>80
青田昇の西鉄入りを最終的に実力行使で阻んだのは、鈴木龍二セ・リーグ会長でしたね。
この件も、いつか触れたいものです。
- 85 :
- 本当に一連のゴタゴタ話はうんざりするよねぇ。
もう末期の福岡ライオンズは、いろいな意味でどうしようもなかったんだな。
- 86 :
- >>84
坂井本に載ってない記事ドーモです。
平和台ライオンズの存続の可能性としては
○西鉄末期後セに移ってのFBSライオンズ
○福岡野球からFBSライオンズ もしくは九州クラウンライオンズ
あたりか
今まではペプシライオンズしか浮かばなくて
東映が数日身売りを遅らせればもしかして実現できたか位しか
考えなかったけど 他に可能性があったんだな
自分が当時の記事で読んだのは
○クラウン時代に地元が5億で買いたいとの話を中村氏が10億(借金があるので)
でないと売らないと断った(たしか読売新聞)
→ただ西武身売り時では九州で売ってほしいといってきたところはこの6年で1社もなかったと答えている
○別の新聞記事はクラウン時代 3億で買いたいとの話を断った(上の企業と同じかどうか不明)
実際のところ真相はどうだったんだろうね、坂井氏でも中村オーナーから知らされてないことも
あるだろうしね。
- 87 :
- >>81
>『決して地元球団を乗っ取ったわけではない。地元に球団経営への動きがあれば、お返しするこもと考える』
>という談話が、あるスポーツ紙に載った。スポンサーのワクを踏み出した勇敢な発言だった。
西スポ以外でこんな話を載せるのはどこだろ
フクニチ読んでたけど記憶にないわ
その時代、福岡では見かけなかった報知スポーツか?
- 88 :
- 花井悠がかつておは朝(ABC)で、
西武球団から福岡時代のOBへの絶縁を通告されたと嘆いていたな。
後藤体制によるOB復権を見ずに死んでしまったのが惜しい。
- 89 :
- >>88
稲尾さんも河村さんも仰木さんもだよなぁ
同じ西武でもオーナーが代わって、実質別企業になったから出来たのかも
ホークスもダイエーからソフトバンクになった事で南海に光を当てられたし
- 90 :
- >>89
稲尾氏は、死の直前、現経営陣から
ライオンズクラシックについて相談を受けていたらしいね。
torabaka.jp/torao/archives/2493
- 91 :
- >>90
そうだったんだ
情報ありがとう
でも一番感動したのは、豊田さんの挨拶でも稲尾永久欠番でもなく、やはりタケさんが所沢でのイベントに出たことだった
西鉄は知らない世代には、竹之内・基・大田・若菜・真弓がヒーローだったし、西武から阪神へのトレードの時「所沢みたいな訳のわからん所より甲子園の方がよっぽどええ」とタンカを切ってライオンズを去ったタケさんが西武ドームに立ったのは感慨深いものがあった
神奈川生まれで社会人は埼玉の日通浦和出身の彼が所沢を知らないはずがないのに、当時は男気を感じたよ
- 92 :
- クラウンファンの俺にとって永射、若菜、竹ノ内、基がスター選手だったな。
西武に絶縁していた彼らが太平洋クラブライオンズクラシック
に参加していたのは嬉しかった。
それと俺はたまたま西武球場で後藤オーナーに会って話したけど
稲尾さんの協力でこのイベントができたと言っていた。
だから去年の「24」永久欠番イベントは稲尾さんの感謝のしるしだと思う。
堤のおっさんは新しくすれば成功すると思い込んでいたよ。
しかし結局、野球のライオンズもアイスホッケーの西武鉄道とコクドの合併
も失敗に終わった。後藤オーナーは商売上手だと思うよ。
復刻イベントや観客動員数を伸ばしたからな。
と言う事でクラウンライタークラシックのイベントをお願いします、後藤さんw
- 93 :
- >>79
太さんは気が小さいから自軍選手の八百長もすでに知っていて
見て見ぬふりをしていたんかな?
- 94 :
- ワンマン中村ライオンズになってからは
やはり岸に相談するべきだったな、それが唯一の方法だったかもしれん。
「私はワンマン、人には相談しない」と当時語っているほどワンマン
岸の言う事ならなんでも聞いていた可能性があると思うが。
中村氏がロッテに入ったのも 岸氏による日韓基本条約がらみでだし。
- 95 :
- 佐賀新聞に西武の身売り当時の記事
http://www.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/43/02.html
- 96 :
- >>92
本当に福岡財界は稲尾さんに多大な苦労や迷惑を掛けたと思うね。
あと平和台がなくなる時に西鉄ライオンズ記念館との話があったが
いっこうに進まんね、もう16年位経つよ
そうこうする内に別府の稲尾記念館に記念ものをもっていかれているし・・・
当時の責任をとって、西鉄、福岡市、九電は記念館をつくってもらいたい。
例えば、西鉄不動産のビルの中にとか。
- 97 :
- >>95
たしかネットにはフクニチスポーツでのそのトップ記事の
写真も上がってたよね
- 98 :
- >本当に福岡財界は稲尾さんに多大な苦労や迷惑を掛けたと思うね。
あの連中が稲尾氏の寿命を縮めたんじゃないかと思いたくなる
>別府の稲尾記念館に記念ものをもっていかれているし
稲尾氏は大分県出身だから何の違和感も無い
地元の英雄だから
寧ろ福岡政財界にこれ以上稲尾氏を利用されない意味でも良かったと思う
- 99 :
- >>96
>>98
今の福岡にとって、功労者は稲尾さんよりも王さんだという意識が
強いんじゃないのか?。だから王さんの記念館なんぞを球場内に
設置したりするんだろう。でも、個人的に言うと、王さんの記念館は
福岡なんかよりも東京ドーム内に作った方が相応しいと思うんだが・・。
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