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2013年05月日本史38: 武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ (287)
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武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ
- 1 :2012/01/26 〜 最終レス :2013/05/02
- 鎌倉〜江戸時代と主に歴史は武家によって作られました。
歴史に疎い人間の中では朝廷は無い物として認識されていますが
厳然として存在した公家、朝廷について何でも語り合いましょう^^
- 2 :
- 室町末期はさておき、安土桃山あたりから、公家はどうやって銭儲けてたんだろうか?
天皇とか、その辺はさておき、下級公家なんて、収入ないでしょ?
- 3 :
- >>2
書や和歌、管弦の家本としての教授や免状発行だね。対象は大名。
- 4 :
- >>3
暮らしていけるほどの銭をくれたんですかね?
受取証みたいのあったら、見てみたいんですが。
でもって、下っ端の公家って、そんなのを発行する権利あったのかもようわかりません。
- 5 :
- そりゃあ大内とかは一流しか相手にしないでしょうけど、
受け手側もピンキリだから、三流どころにも需要はあったのでは?
都ではまがい物として通用しないかもしれないけど、
田舎では都の公家ってだけで、それなりの権威では。
- 6 :
- >>5
あー、それはそうですね。なるほど、納得。
そういや、田舎豪族に嫁ぐ公家娘も多かったんですもんね。
戦国の混乱期に、なくなっちゃった公家なんかもあったんでしょうし。
にしても、徳川時代に入ってからの、下っ端公家の生活とか、大変だったのだろうなー。
岩倉具視の話を聞くだけで、「おおう、ヤクザの末端じゃん」という感じが……。
- 7 :
- 中には偽公家とかに騙された田舎小名も居たんじゃないの。
事務とるくらいの公家の家臣なら主人のまねくらいできるでしょ。
下男の類ならともかく。
退職金代わりに主人の衣装とか一式盗み出して田舎に逃げれば、
立派な偽公家のできあがり。
たぶんそんなのが居たと思うんだよね。
で、地方の旧家の蔵の中にその連中が書いたような書き付けとか
まだ眠ってたりして。
- 8 :
- 家業があった公家は上でも出てるような稼ぎはあったからまあ良かったね。
有名どころだと蹴鞠の飛鳥井家はいろんな大名のところに出張蹴鞠大会に赴いてがっつり稼いでる。
珍しいところでは久我家の按摩の免許とか五条家の横綱免許とか、
家業とは関係のない特権を持ってる家もあった。
応仁の乱以降は荘園を奪われて土地で生活はできなくなったから
それこそ公家だからこそ価値がある芸能や儀礼などで生きてたわけだ。
江戸時代に入ると下向して云々ということはなくなるから大名と姻戚関係を築いて上納金なんてのが一般的か。
禄高はたかが知れてるし、五摂家や一部の高級公卿以外はなかなか大変になってくる。
なもんで風俗店の呼び込みのバイトしたり、部屋貸ししたり、中には盗人になるような公卿もいた。一部だけど。
- 9 :
- 蔵米取りの新家公家なんぞボロい長屋屋敷で下級武士並みの生活だったろうな。
五摂家の諸大夫・侍の方が地下だけどいい生活できていただろう・・・。
- 10 :
- 切米取りの下層公家なんて100石にも満たないのいるからね。
しかもそういう新家は副収入得られるような家業がない場合も多いしそりゃ大変だったろう。
- 11 :
- 堂上になると体面があるから、下手な副業もできないし。
その上に体面維持にかかる費用も大変。
と言うわけで、それなりに金になる本業の余録や副業がある地下は、
堂上になりたがらなかった家もあるとかどうとか。
- 12 :
- 近衛家最強だね。縁戚の国持ち大大名や津軽家からの貢物、伊丹領からは
清酒でウハウハだろうし。そこらへんの貧乏旗本・大名よりよっぽど裕福。
- 13 :
- そりゃまあ貧乏旗本より貧乏な摂関家があってたまるかだろ
- 14 :
- 内職をしていました。
- 15 :
- 公家町絵図見ると九条や近衛などの御殿の広さに比べて30石平堂上のボロ屋敷の
狭さに笑ってしまう。
それにしても明治維新は日本を大きく前進させたけど、一方で旧来の城や寺や公家屋敷
など現代からみれば垂涎ものの建築物を破壊した。当時、後世に残る文化遺産として
保存しようという考えは皆無だったのかね?
- 16 :
- 後世に残る文化遺産なんて考えが起きるのは時間が経たないと無理だろ
我々だってリアルタイムで生きている時はそのものの価値評価は難しい
明治時代ってのは旧時代の遺物=悪みたいな極端な考えもあったからね。
仰るとおり城郭や寺社でさえボコボコに破壊されたりただ当然で払い下げされたりしたわけだから
神社でさえ統廃合でかなり壊したからな
- 17 :
- ちなみに京都御苑に実際行くと分かるけど、地図上ではゴミクズみたいに見える公家屋敷も
実際はそこそこの敷地だったことが分かるよ。
もちろんかつての栄華やに比較したり、摂関家、市中の大店と比べたらそりゃ寂しいもんだけどさ。
摂関家は御所以外にも複数別邸持ってるしな。まあ別格だ。
- 18 :
- 戦後復興期とか高度成長期とかバブルの頃に適当に作った手抜きビルでも、
何かの偶然で100年も残れば立派な文化遺産。
その時代に当たり前にあるものの価値は同時代人にはわからないよね。
って言うか時間が経過して当たり前でなくなって初めて価値が出る場合も多いか。
- 19 :
- 姉歯マンションだって発覚せずに200年残ってたら、
その頃のドキュメントみたいなもので、
「見てください、実はこのように巧み設計されてるんですね」
「へー、さすが先人の知恵はすごいですねえ」
とか言われたりして。
- 20 :
- 京都の三条通りは明治期のレンガ造りの建物が多いけど
あれこそ当時は文明開化の象徴として作ったものだから
当時は相当な違和感を感じた人も多かったと思うよ。
それが今やレトロな建築物群ってことで歴史的遺産になってるもんな。
ただ総じて言えるのは何でもかんでも時間が経てば価値が出るというより
その時代を反映していたり、その時代の技術の粋を活かしたものだったり
いずれにしても「良い物」じゃなきゃいくら古くてもさすがに価値は出んな。
千年くらい経てばうんこでも価値は出るが。
- 21 :
- しかしせめて宮家・摂家あたりの御殿をひとつでも残してくれてたらと思うと・・・。
冷泉家が残ったのが唯一の救いだが。
御苑内に九条家の茶室と庭園の一部は残っているね。
- 22 :
- 江戸時代の公家って何やってたんだろう。禁裏御料や公家領の統治は幕府がやってたし、具体的な政務があったわけじゃなさそうだし。
組織だから総務とか会計とかの仕事はあったのかな。
- 23 :
- 関白、武家伝奏、議奏など幕府と絡む役職はそれなりに忙しい
それ以外は交代で御所の勤番(夜勤あり)
あとは儀礼的な出勤
出勤がなければ家業に勤しむ。もしくは写本。
もちろん内職をする者もあり。
- 24 :
- >>22
毎日出仕してただろ
武家の世になったからと言って官位授与や年号取り決めは相変わらず
朝廷の仕事だった
あと、公家は和歌や琵琶などの「家元」になって副業で稼いでいた
- 25 :
- あと全国各地の寺社伝奏というお役目もありますな。勅祭はもとより祭事には
勅使その他の差配の役目があった。
また参内はしなくても主従関係(門流)を結んでいる摂家への出仕や
宗家・縁家の葬祭法神事への参座もある。
- 26 :
- >>21
閑院宮邸(京都御苑内)
有栖川宮邸(有栖館・平安女学院内)
桂宮邸(二条城本丸御殿)
有栖川宮邸と桂宮邸は移築されているけど
江戸時代の建物が残っている
- 27 :
- >>24
こういうシッタカっていなくならないな
- 28 :
- 年号は武家が実質的に決めるようになっても、
年号決める儀式だけは朝廷でやっていた。
それでその儀式に伴い関係者にはなにがしかの対価があった。
ことに地下官人の場合は儀式の対価が収入のかなりの部分を占めたらしい。
役目によるから一概には言えないけど。
- 29 :
- >>24は恥ずかしい
- 30 :
- >>28
年号をいつ武家が決めた?
江戸時代を通じて年号を決めたのは朝廷。
織田信長が改元を求めたことはあったが、
それでもどのような年号にするか、いつから改元するかは
朝廷の権限だった。
>>29
そっちが恥ずかしい。
- 31 :
- >>30
毎日出仕とか知ったかしてるから恥ずかしいと言ったんだが。
しかし恥の上塗りをしてるようだね。
いつから改元するかは幕府の意向に相当左右されてるんだよ。
そもそも室町時代であっても義満なんかは改元に口挟んでるからな。
年号案は朝廷だけどね。
ちなみに江戸時代は誰が年号案を決めてたか知ってる?
- 32 :
- 江戸時代にこのままじゃ朝廷・公家はダメだって
武士の真似事した天皇いたよな
俺は嫌いじゃないぜ
- 33 :
- あと後柏原天皇の和歌が好き
- 34 :
- >>31
>いつから改元するかは幕府の意向
えっ?
史料を提示してね
改元も朝廷側が学者に3つぐらい候補を出させて合議制で決めてたと思うけど
君は誰が元号を決めてたと思ってるの?
- 35 :
- その示した3つの案を考えた学者が誰がと聞いてるんだよ
それも答えられないくせに偉そうなこと言うな
- 36 :
- なんで日本史のスレは、ケンカになることが多いんだろう(´・ω・`)
知ったか って言葉はやめようよ
- 37 :
- その三つの案ってのは、ただの形式の場合もある。
決まってるけど、一応三つだして選んだことにする。
公家にとってもっとも大切なのは形式だから。
酷い時は同じ人物が、案を出して、自分で批評して、
これがよろしうございますと進上。
つまり一人二役なんてことになる。
衰亡期で人が居ないとそんな羽目になるけど、
それでも形式だけは外さない。
それしかすがるものがなかったんだな、その頃は。
- 38 :
- 公家領って一村に複数の領主がいる入組だし、公家の家政機構が脆弱だから
年貢徴収や裁判権は京都町奉行や幕府代官に頼らざるを得なかった。
しかし軽微な事案は公家側で処理していたみたいだね。公家側の雑掌と庄屋間の
手紙などが古文書として多く残っている。
- 39 :
- >>32
後光明天皇のこと?
京都所司代の板倉重宗の「あなた様をお止めできなければこの重宗
切腹せねばなりません」の諫言に対して
「未だ武士の切腹を見たことがない、見ていてやるうえ切腹せい」
って言った人?
- 40 :
- >>34は江戸時代の改元には幕府が介入していたものもあるというのを知って消えたか
ちなみに改元案自体を考える家は菅原氏だ
- 41 :
- 改元が公家の専管事項だなんて都市伝説だよ。
室町期に足利義満が「洪徳」という年号を
ごり押ししてきて、「徳の字のついた年号が続き過ぎる」とか
「洪水になる」とか言って必死に公家衆が宥めたんだわ。
永徳-至徳 と来てその次に洪徳を希望した義満だった。
それで結局「嘉慶」になったのだが、義満は「洪徳」が
採用されなかったのを怒り、今度は改元をさせないという
サポタージュに出た。
南北朝合一後に定められた「応永」が35年の長きに渡るのはそのため。
- 42 :
- 改元っていうと、江戸時代の改元の詔書を見たことがあるが、
改元に際して天下に大赦し・・とか老人には穀を給う・・とかおよそ朝廷の実権においては
なし得ない事柄が書いてあって、また同時に出される太政官符に至っては
名のみで実体のない官・省以下が記されていて、ちょっと感動ものだった。
大赦というと、これも形式的だが検非違使が罪人を赦すという儀式があるって
『幕末の宮廷』にあったな。
- 43 :
- >>42
それは全くの空文なの?
それとも幕府や藩がそれに合わせて減刑したり米を支給したりしたの?
- 44 :
- >>41
義満の死後も続いてるじゃないか>応永
- 45 :
- >>43
詔書はテンプレがあるからそれに沿って書かれているだけで
ほぼ空文かと。改元大赦は下橋敬長の述懐で検非違使が六角獄舎で
宣告のみ行うとある。
実際、改元を諸国に知らせるのは朝廷の詔書ではなくて幕府からだし。
- 46 :
- >>45
でも、獄は実際にあったんだ?
まさか牢屋まで空っぽだったのかな。それとも、幕府の牢屋で読んだのかな。
- 47 :
- 昨日だか、一昨日だかの「さかのぼり日本史」で、武家政権樹立後の公家の
身の立て方みたいなのやってましたね。
- 48 :
- 確か犯人役の人が決まっていて、その人許す儀式をするんだとかどうとか。
役人でなくて町民だったような。
あくまで幕末頃の話で、いつからそんなことをやっていたのかはまあ不明だろうけど。
戦国末とかはそんな形式すらできなかっただろうし。
- 49 :
- その犯人役は「こうべ」とか言うらしい。
「頭を垂れる」の頭?
- 50 :
- 幕末、堤家(30石蔵米)の家臣団・使用人
雑掌・用人・番頭・近習(奥勤小侍)・中番・下部
年寄・側・R人・黒歯・白歯・茶間・仲居 など男女約15名・・・。
けっこうな人数だな。
- 51 :
- >>48
有り難う。今で言うと神事みたいだね。
地鎮祭で鍬を入れるあれなんかも、今では実際の意味を完全に失ってるものね。
- 52 :
- >>48
有り難う。今で言うと神事みたいだね。
地鎮祭で鍬を入れるあれなんかも、今では実際の意味を完全に失ってるものね。
- 53 :
- >>50
30石で、そこまで!?
- 54 :
- 江戸時代の朝廷って敢えて現代に準えれば「神社」というイメージで良いのかな。
職掌は儀式(改元含む)ばかり。でも組織だから、総務とか会計とか人事とかは存在してる、みたいな。
- 55 :
- 学会だよ。
- 56 :
- せんせい∩(´・ω・`)
江戸時代……というても広過ぎか。江戸末期段階で、公家ってどのくらいの家が
あったんでしょうか? 曖昧な聞き方なんですが、単位がよくわからない……。
んー、なんとか家みたいなの、なんですが。
岩倉具視が騒動起こしたのって、五百家騒動でしたっけ?
- 57 :
- 堂上は130〜140軒くらいだったかと。
地下は世襲じゃない下官人まで入れると1000人前後とかだったような。
家として固定してるのは300とかそのくらいだったかな。
- 58 :
- 世襲の地下官人は士族になったんでしょ。
- 59 :
- 世襲かどうかの定義は難しいみたいだね。
世襲ってことになってる家でも、実際は株化して養子の場合もあるし、
下官人でも本当の親子や兄弟の例もあるらしい。
なんか一応子が継ぐけどすぐに辞めて、他人が相続ってのが連続してる役目もある。
それで世襲かどうかの区切りがつけにくかったのか、
下橋翁の話では幕末の時にたまたま史生等で任官してた連中は
士族になれたとかどうとか書いてあったような。
記憶違いだったらすまん。
下官人にも入らないんじゃないかとも思われる看督長・使庁なんかは、
士族になれたんだろうか?
- 60 :
- 幕末の宮廷は、たぶん19世紀の宮廷についてはほぼ正しいんだろうな。
もちろん多少の記憶違い勘違いはあるにしても。
伝聞にしてもある程度正確なのは祖父の頃までだろうから。
18世紀前半以前とかは地道に調べるしかないんだろう。
古代史と違ってまだ画期的新史料が出てくる可能性は有るしね。
- 61 :
- >50
それは、何に載っていたのですか?
その資料の名前を教えてください。
- 62 :
- >>50の例はたぶんなにか別途収入があったんだろうな。
それとも家臣の大半は無給、あるいは持ち出し有りとか、
じゃなきゃあどう考えても生活できないよ幕末頃だと。
江戸時代初期ならまだあり得たのかな?それでも非常にきつそう。
もしかして、なにかの行事の時の臨時雇いも含めた人数かな?
- 63 :
- >>61>>62
皇學館大學の上野秀治氏の論文から。皇學館大學史料編纂所報第72号
「幕末の堂上公家の家計に関する一史料」
史料は堤家所蔵の家計帳。
時代は文久の分賜米があった後なので実質石高は方領含めて215石らしい。
- 64 :
- 女中は行儀見習いだから無給って場合もあったらしい。
逆に実家から付け届けとかもあったりとか。
有給でも男よりは安く上がるし、食い扶持も少ない。
だから江戸時代も進んでくるとどこの家でも男を減らして、
女を増やす傾向があったそうだ。
幕臣とか陪臣の話だけど、公家も傾向としては同じかな?
平和な時代なら、儀礼上どうしても必要な役目以外の、
単に家政で必要な人手は大概女で間に合うもんな。
- 65 :
- 上野氏の論文によると家臣の給米だけで35石らしい。
分賜米のおかげで家臣を新規雇用したのか・・・というと
近習以下侍は譜代家臣もいるようだ。一代抱えもいてこれは新規かもしれんが
そこまで詳しくは書いていない。
- 66 :
- 従五位程度の旗本(禁裏附)の部屋に呼び出されて罷り出る
従二位権大納言級の武家伝奏・・・。
- 67 :
- 明治以降は立場逆転だな。旗本は威張っていても石高が高くても
士族。堂上は石高少なくても、30石でも子爵以上の華族さま。
- 68 :
- 1851年の二条家諸大夫は筆頭が27両強・あとはほとんどが15両強、
子息で禄がないのは除き、なぜか一人だけ8両強。侍からの昇格組かも。
侍とか用人とかは、9両とか8両程度以下。
かならずしも家内の身分と禄の高低は連動してないようだ。
身分ごとに平均値はちゃんと身分順になってるようだけど。
- 69 :
- 二條家の諸大夫ともなれば北小路とか松波とかさすがに譜代でそれなりに
由緒ある家臣だなー。
- 70 :
- 武家との婚姻関係で見る家格
将軍家−内親王・摂家・親王家
御三家・御三卿−摂家・親王家
国主大名−親王家・清華家・平堂上家
一般大名・旗本・大藩家老−平堂上家
- 71 :
- 公家の生活は「家の格」によって出世できる終点の身分も決まっていた。
武家の方が自身の才覚によって身分上昇が可能なので、「世の中を変革しよう」
など、公家の側からは出なかったのだろうな。
- 72 :
- 逃げる公家、媚びる公家―戦国時代の貧しい貴族たち―』柏書房(2011)
- 73 :
- 信長とか秀吉は公家を武装させて参陣させてたからなあ。
もちろん実戦力ではなくて御伽衆的な感じだけど。
これを本気にして渡海しようとした近衛信尹みたいな摂家も出てくる始末。
- 74 :
- 公家はペットみたいなもの。数が少ないのが生き残る道。
- 75 :
- 公家が一番困窮したのは戦国時代でしょ?
でも江戸時代見ても100石に満たない公家がぞろぞろいたよな・・・
戦国時代は天皇も飢えて餅屋からの献上品を食ってたというし
京都にいた有力武家は何をしていたのかと小一時間問い詰めたい
- 76 :
- 別に扶養義務があるわけじゃないし。
正直どうでも良かったんじゃないの?
余裕がなかったのかも?
- 77 :
- >>75
>京都にいた有力武家
これって室町将軍のことでしょ?室町将軍も金欠で援助どころでは無かった。
大体将軍が京に不在なことが多くてね。追い出されちゃって。
- 78 :
- >>68
へえ、そうだったんですか。面白い。
何ていう本(論文?)に書いてありますかね?
- 79 :
- >>78
「近世の身分的周縁」とかってシリーズの「朝廷を取り巻く人々」とか言う題名の本に、
収録されていてた摂家家臣について書かれたもの。
題名はうろ覚えなので間違ってるかもしれない。
- 80 :
- >>79
78です。ありがとう御座います。
来週学校に行って図書館にあるか調べてみます。
- 81 :
- >>79 >>80
正しくは吉川弘文館 『身分的周縁と近世社会8 朝廷をとりまく人びと』
近世朝廷研究の第一人者、高埜利彦氏と高埜氏の門下生による共著の本。
地下官人や堂上家の部屋住みなどにも触れていてなかなか読み応えあるよ。
- 82 :
- 宣伝乙
- 83 :
- そもそも江戸時代に公家って必要だったのか?
皆無でいいとは思わないが、大臣家未満は無嗣絶家でも問題ないでしょ。
大名の改易みたいに浪人が増えるわけでもない。
- 84 :
- 朝廷の組織運営に最低限必要な人数を確保するために、幕府主導で新家を設けて公家の数を増やしたのだが>江戸時代
- 85 :
- >>84
中断していた儀式とかを中断させたままにするのならば、
新家を設ける必要がなかったけれどね。
もちろんそうさせないのが朝廷の要望と幕府の方針だったから、
公家がごちゃごちゃ増えたのだが。
- 86 :
- >>83
あなたはレンホーさんですか?
- 87 :
-
評論家が「江戸時代の体制を維持せよ」と、
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/8/188_2.html
ようやく、日本政府の一角が、現体制が「徳川幕府体制」そのものであることを認め始めた。
そもそも、徳川時代権勢を誇った「公家」「侍」集団が、やすやすと貧しい農民集団に権力を明け渡すはずがない。
明治時代、金持ちから優先して税金を徴収したというのは、真っ赤な「ウソ」。
平民階級の成り上がり者に高率税金を課し、絶対に金持ちに紛れ込んでこないようにした。
もちろん、天皇一族、公家、侍階級が税金を払うはずがない。
このような天国の生活を放棄するわけがないことは、子どもでもわかることだ。
- 88 :
- 摂家の当主ですら、征夷大将軍ごときから偏諱を受けていたって、情けない
存在価値が希薄すぎ
- 89 :
- >>88
二條家のことかーーーーっ!!!
- 90 :
- 室町時代は二条家以外の摂関家ももらってるよ
- 91 :
- あの時期は実質的に君主だもんな。
普通はあそこまで行けば簒奪しちゃう。
あるいは、名目君主の次の臣下最上位の地位を作ってそれになるか、
既存の臣下最上位の地位に就任しちゃう。
征夷大将軍は名目上は明確に摂関より上位に位置づけられてもいない、
不思議な地位。
- 92 :
- 室町時代後半
スポンサーがいない → 即位するカネがない → 天皇在位が長い
感じいるものがある
- 93 :
- >>92
死ななければ100年でも在位していそうな雰囲気。
後柏原や後奈良、後土御門あたりが貧困天皇の極致。
- 94 :
- >>92
他の国なら、とっくに公家・天皇家なんて消滅してたんだろうね。
>>83氏の言ってるように、「なんで必要だったの?」っていうのは、
天皇家・公家っていうシステムの不思議さを改めて感じさせます。
- 95 :
- >>94
長く続きすぎて、誰もが「無くす」ことが怖くなってしまった。
- 96 :
- >>94
武家は権威付けに朝廷から官位貰わないといけないのに
天皇家、公卿を粛清とかする必要あるのか?
織田信長は生きていたら自分が天皇として即位しそうな感じだけど
明智光秀に殺されてるし。
- 97 :
- 今から見ると、皇室は日本史上存続するのが当たり前だったように見えるけど、
実際には、偶然が続いてここまで存続した、と見るのが正しいと思う。
特に、室町中期までは、皇室にもまだ
財政的基盤も政治的基盤も、それなりにあったわけだが、
戦国時代にそれが、ほぼなくなった。
その後江戸時代には、家康の貴種マニア的な性格もあり、
朝廷は箱庭的に生き残ったわけだが、あくまでも箱庭であって
財政的にも、政治的にも従来のものとは全く異なったものになっていた。
もし戦国時代があと数十年続いていたら、皇室が滅亡していてもおかしくなかった、
と自分は思うが。最後まで京都を離れなかったのが幸いした。
もし本当に生活できなくなって、地方に亡命したりしたら、きっと滅んでいたと思う。
- 98 :
- >>97
運がいいだけで生き延びられないよw
- 99 :
- >>96
信長が天皇として即位しそうな感じってのの根拠は?
それ言ってる人見るとどうも素人っぽくて。
根拠を明示してくれればまだ話になるけど。
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