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■〜天理教・教理と要理の解説スレッド〜■


1 :2011/12/19 〜 最終レス :2013/09/22
天理教の要理と教理の専用スレッドです。
それらに関する質問、解説などにご利用ください。
天理教組織については他の天理教スレでお願いします。

2 :
有難うね。いつも基本に配慮してくださり、希望さん感謝いたします。
天理教は一神教か多神教かと言う議論が、あります。
その前に、神そのものについても、神と呼ぶべきものは何かと言う問題もあります。
天理教では「神が出て」と、或いは「神が表に現れて」と、天理の神を、神自らが定義しています。
いわゆる、神ならば、そのご神体・ご身体はという事がとても重大です。
先ずそこから、ちゃんと理解したいと思います。
天理教の親神は「中山みき様」で、神名は「天理王命」、ご神体は「ぢば」「甘露台」です。
天理教の神は「十柱の神」で、分掌の神として、神名は、
「くにとこたち」「をもたり」「くにさつち」「つきよみ」「くもよみ」「かしこね」「たいしょくてん」「おおとのべ」「いざなぎ」「いざなみ」。
掌(たなごころ)には十本の指があって、その指一つずつが、それぞれに神名一つづつの守護の理に対応しています。

3 :
神を拝しますとき、その十本の指は、腹と腹をあわせて柱のように立てて祈念します。
親指は、月日・真実の神の理で、左親指はくにとこたち命さまの守護の理の指。
右親指は、をもたり命様の守護の理の指です。
左は父親、右は母親、親指の力添えが無いと、小指は中指は薬指は人差し指は、指としての機能が制限されます。
手錠をかけずとも、両手の親指を括れば、同等の効果になります。
元の親を離れた思案行動は、不自由なものであり、月日を親神として拝する事は、天理の基本です。

4 :
天理教の神は、神が表に現れたものであり、それに対して表に現れていなかったけれど裏には親神が守護していた神があります。
仏教、キリスト教、神道、八百万の神々、これらは、皆立教以前の、裏守護時代の神であり、それも月日が教え来たる、神です。
天理教の神の教え、つまり表に現れた神と、表に現れていなかった時の神と、神の教えそのものには、何の相違もありません。
同列というように考えても良いのです。
ただ一点、「をや」を説いているだけが、天理教の教えの特徴です。
「おやさま・天理王命様」の指の理は、「右小指」です。いざなみのみこと。
同じ十本の指に、同列に存在していて、一番かわいらしい指が、人間の親神の分掌の理の指です。
「小指は子や指」という諭しもありました。左小指にはくにとこたち様が右子指にはをもたり様が、お添いになって守護くださいます。
人間子供を誘導する、誘うという意味が「いざな」にはあります。
「いざな」「き・岐」は、左の小指ですが、「き」は、月様の、どこどこまでも突き通すというご守護の理が添います。
世人の道に導く進化の「岐路」を、守護してくださるのは、いざなぎ様で、「種の理」です。
「種」に存在する誘導の守護が、一貫した成人の道を、絶えず選択してくださっている。
そういう、「をや」の事は、天理教のみの教えです。

5 :
レス連投支援
ぼちぼち、基本は良いとしてもネカマ希美ちゃんはどうかと思います

6 :
何を言おうと種無しがお偉いさん。
天のお手入れだ。

7 :
教理的に解説しますと、真柱の後継者は内とは限っていない。
初代真柱は、外孫です。
おやさまの逸話には、お子さんのいないご夫婦にお褒めになっている逸話があります。
育児・子育てと言う苦労をしなくても良いという意味で、良い心使いに結果と、そのように誉めておられます。
今の真柱さまと言うのは、遺伝情報的には、夫婦から生まれる子供の遺伝情報は、必ずしも、みき・善兵衛の遺伝子情報が濃いとは限っていません。
これも、重大な問題です。
みき・善兵衛は、いとこ同士の結婚であり、二人の祖父の生まれ変わりが、初代真柱です。
いとこ同士の結婚は、隔世遺伝の、遺伝情報保存の方法として、科学的に合理的です。
初代真柱とたまえ夫婦は、みき・善兵衛の孫の、いとこ同士の結婚です。
こういう観点に立つとき、現真柱の子が次の真柱と言うまちがった固定観念では、遺伝情報の濃さでない基準が用いられることになります。
子供は、無くて当然です。


8 :
では、次の真柱様は、遺伝情報の濃い方といったら、誰ですか?
血族同士でご結婚された方のお子様という事ですか?
現真柱様は土佐家の血が混じっているが、二代真柱の魂ではないかという方が居られるが?

9 :
さて、個人情報保護の法律ができて、そういう問題は、内々でしか分からなくなっています。
親神さまのご配慮です。
隔世遺伝と言う観点で、1が3、2が4という唱え方をしているのでしょう。
おやさまの教えでは、そういう遺伝情報の問題と全く別個に、生まれ変わっているかのごときに見受けられる生まれ変わりも説かれているかに見えます。
が、例えば、梶本家と言うものには、どういう遺伝情報が含まれていたのか、これは、調べようが無いわけです。
梶本の母が、辻家の出だったという記述がありますので、辻家からの遺伝情報が辻家の出の女性から、伝承したことは理解できます。
では、辻家と中山家はどんな関係だったのか、これは分からない。辻家と前川家もどんな関係だったか、分からない。
血族よりも、「いとこ」同士が、基本ですね。「同じ祖父母を持つ」です。
それは、女性であっても良い。
ただし、初代様の時のように、人間の思惑がかかると、実現しない場合があるので、つまらぬ詮索はしない事です。
「生まれ出る前から真柱」は、決まっている。
それは、内々では分かっていることでしょうから。


10 :
次の真柱が誰かにこだわると言う事は、おやさまが親神さまで存命だと言う事を、疑っている。不信感そのものですね。
お屋敷の事は、おやさまと真柱さまに信頼申し上げたらよいわけです。
ですよね。
そう言う事疑っているより、ご自分の陽気暮らしに専心なさるべきですね。信じて信仰している信者さんならね。


11 :
神の問題よりも、人の問題に興味が先行するのは、現実の親神さまを侮っているからですね。
神について、「しらぬ間はそのままや」という天理があてはまっていますから、神について「教典」に書かれている程度は、暗記できていないと、知らぬ間はそのまま状態です。
しかし、「種無し」「天のお手入れ」と語られたお方は、少なくともその程度は知っておられるわけで、「種」はいざなぎ命様で、進化の分岐においての守護と読まれたわけですから、
心一つにまこと真実の種が無いと、天のお手入れを、ご自分が頂くでしょうから、それから、思案されたら宜しいと思います。
神のお働きは、ご守護は、身の内に手入れ頂いて、お知らせ頂いて、一つづつ骨身にしみて分かるものです。

12 :
お書き下げに書かれている「まことの心」が、わかる様で難しい。
まこと真実について解説してください。

13 :
普通には、「真心」という意味に、「まことの心」の意味は理解されています。
そこで、「まこと」と言う言葉はお筆先で見ますと、本当の事と言う意味にて用いられています。
お指図でも「まこと難渋な道を通りた」のように、本当に、という意味で用いられています。
それが、基本となります。
また、「真実」は、おふでさきでは「しんぢつ」。「しんぢつの神」のように、これも、本当のと言う意味に使われています。
それは、分かりやすくいいますと「うそがない」「偽りがない」と言う事になります。
『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』
これが、おかきさげの本文にあります。
ここに、真の誠とあります。
おかきさげは。お指図が台ですから、お指図のお言葉で確かめることにします。
お言葉は、「初出」の用法が基本的な意味です。最初にそのお言葉の意味や用法がちゃんと示されてあります。
そこで、おさしづの用語検索で、「真の誠」を調べます。
ネット上にては、私の場合、TATENUI おふでさき、を利用させて頂いています。
http://tatenui.from.tv/index.php?job=search&type=osasizu&q=%E7%9C%9F%E3%81%AE%E8%AA%A0&x=45&y=8
そこで、「真の誠」をおさしづ検索しますと、次のお指図が「初出」となっています。
井筒梅治郎事情伺
明治二十一年十二月五日(陰暦十一月三日)
さあ/\/\/\、尋ねる処/\、尋ねるには一つの理を聞き分け/\。
さあ/\、世界皆兄弟、身は皆兄弟。さあ/\、真の誠の心が、心は皆々兄弟。さあ/\何かの事も治めてくれるよう。
さあ/\これまでは長々の処治めた。
又これから先は、何かの事も治めてくれるよう

14 :
『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』
真の誠の心が、心は皆々兄弟。と言うのが初出になっています。
おやさまが、人間の元を教えられて、親を教えられたと言う事は、皆々が兄弟であると知らされた事でもあります。
その、おやさまが真実の親神だと信仰するなら、心は兄弟であるのが真の誠の心と言う事に相違ありません。
おやさまの教えを真実と聞くなら、人間は皆兄弟と言う「本心」が嘘偽りないとき、まこと真実の心と、なる。
さて、そうした心が真のまことの心としました時、
『日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、
誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。』
このお言葉の深さが分かるのです。
おやさまは、常にまことの心であられた。つねに「皆私のこどもや」というお心と態度であられた。
それは、反対攻撃も、無理解からのあざけりも、誤解ゆえの悪口も、ことごとくまことの心にてお受けになられた。
一寸にはみな弱いように思う、そんなお姿でもあったわけです。
一列は兄弟であるという、真のまことの心が、おやさまの教えられた「真のまこと」の基本と言う事になります。

15 :

中西金次郎妻ゆき三十七才おさづけさしづ
明治二十一年十二月二十五日
さあ/\/\/\、だん/\の席をしい、又々の席も、だん/\の席もして、なれど一日の日に生涯という心を定めて、一日の日を改めて、一つの席をするなら、一つの理を聞き分け/\。
さあ/\日々に常々に、誠一つは天の理、誠一つの心に理があれば直ぐに受け取る。それ常々に真の誠という心多年々々にあれば、それ世界という。
めん/\常々真の誠あれば、自由自在である。
自由自在は、何処にあるとは思うなよ/\。
めん/\常々に、精神誠という心が自由自在や。
誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。
直ぐに受け取る、直ぐに返やす。
さあ/\又これより一つさづけ/\/\。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おさづけを頂きます時に、それは誰に対して用いるお授けかと言えば、病人さんにです。
では、その病人は、あなたの何なのか。
兄弟。互いがおやさまの子である兄弟なのです。
お授けの病たすけにおいて、自由自在にご守護いただきたいという願う心のまことは、「きょうだい」であるという真実を、偽らないことて、まこと真実となります。
『常々に、精神誠という心が自由自在や』
病人におさづけをさせて頂くときだけの誠と言う精神では「嘘」。嘘でないことが、まこと。
これが、基本です。

16 :
『誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。』
「それより」、というのは、「一列兄弟」と言う人間の本心より、と、そのようにご理解下さい。
家庭内や、家族内々の睦まじさだけの事は、「嘘」。
面々勝手の陽気と言うようなものです。
根底に一列兄弟の自覚があって、おやさまの子としての本心に素直なままの「内々睦まじい」が、本物の、まことの「睦まじい」であると、お指図は示しています。
「睦まじい」→「むっつ」。六。→「ろくぢ」。おやさまは、世界をろくぢに踏み鳴らしておられます。

17 :
病気で侵されていて治療費がかさんで大変な現実に陥っています。
善意の義援金をお願いしたいです…
助けて欲しいです…
銀行 ゆうちょ銀行
支店番 548
口座番 1295048
名前 フジイセイジ
お願いします…


18 :
>>17 は詐欺の容疑が濃厚です。
前回は異なる理由、下記でキリスト教関連スレにマルチコピペがありました。
189:助けてください :age:2011/12/17(土) 17:38:03.41 ID:y88+oMaM (1) ID AA レス
恥ずかしい話なのですが所持金がぜんぜんなくて本当に食べる物さえ買えません。
途方にくれております…少しばかりのお恵みをお願い出来ないでしょうか?
私はいちお信者です.口座と名前書いておきます。
名前 フジイセイジ
ゆうちょ銀行
支店 548
口座番 1295048
助けてください
お願いします

19 :
神は抱えるのは嫌いと言われています。
>>17
これは、抱えるに該当します。
おやさまは「こじきはささぬ」と言われています。
これは、こじき・物乞いのたぐいです。
おやさまの信者で無いから、物乞いしていると、理解されます。
物乞いをしたいのなら、ちゃんと顔を見せて、頭を下げて、請うべきです。
それができないのは、詐欺だから。
宗教の偽善に付けこむ欲心まんまんです。

20 :
さて、詐欺と言うのは、色は白と黒です。
右の薬指が、たいしょくてん命様の守護の理。黒の神様です。
生き死にの神様で、喪服は黒。
左の薬指が、かしこね命様の守護の理。白の神様です。
基本的に、誕生も死も、知らせは右薬指です。
病人のおたすけで、たいしょくてんの指に知らせがあったら、痛の知らせは「死・たすからない」です。

21 :
おやさまは、信仰者には「こじきはささぬ」。信仰者でないお乞食さんには可哀想にと、態度が二つありますが、
それは信仰者さんには「不自由なきようにしてやろう。神の心にもたれつけ」と、言われていて、
神の心にもたれつくことが最優先で、不自由の脱却になる天理ゆえです。

22 :
神の十全の守護の理は、基本であり、神名と守護の理は暗記出来ていないと、九九を知らないと一緒です。
天理教の教典に書かれています程度は、覚えてみないと、理は働きようがありません。
おやさまの事ですが、思想家としてのおやさまの話は、理解しやすいので、様々に解釈されていますが、預言者としてのおやさま、予言の書としてのお筆先について、確かな物との認識が信じると言う事です。
以前に「天理教・質問回答スレ」で、話題がありましたので引用し、改めて解説します。
http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/psy/1278326308/
804 : 神も仏も名無しさん: 2011/02/05(土) 17:01:20 ID:yG2/Bct4 [2/2回発言]
中山みきは憶病な嘘つきの日和見屋だよ。
口先だけの自分の考えも神の言葉だと錯覚していたただの婆。
さらにいいかげんな教義を加えて、日本にはもはやいらないものね。
頭の弱い人や自己中の人間を選別するための擬似餌の役目が、ズバリ!天理教。

23 :
http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/psy/1278326308/
844 : 基本。: 2011/03/28(月) 12:32:34.10 ID:89PbMkzB [1/17回発言] >>804 :神も仏も名無しさん:2011/02/05(土) 17:01:20 ID:yG2/Bct4
>中山みきは憶病な嘘つきの日和見屋だよ。
>口先だけの自分の考えも神の言葉だと錯覚していたただの婆。
この見解には、いささかの異論がありますので、基本的見解を語ります。
みきの言葉です。
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 第8号 58
日和見な発言ではなく、「月日・みき自身も意味します」の「残念立腹」と、きわめて、はっきりと意思を明示しています。

24 :
845 : 基本。: 2011/03/28(月) 12:49:26.73 ID:89PbMkzB [2/17回発言] 43の事情は、天理教{天日火の海}理の返しにも述べました。
> 明治二十四年十月三十一日 夜 過日二十八日の朝大地震に付、・・・伺い。
> これまでに話し、刻限事情にも諭したる。  
信者むけに「天理教団」「天理教団2」にて、
http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
77 名前:神様の見せてくれた事 :2005/02/02(水) 14:45
・・・
> 神様は、お筆先に於いて、
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
> 神のかやしというのは、刻限が来たらという予言だということでした。
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
> 1951年4月に、ぢばにて、ひながた甘露台の据え換えが行われました。
> 1951年4月から数えて、43年後の1995年に、阪神大震災が起きています。
> お筆先で、海は津波やの予言がなされた1874年から、43年を三回数えた、129年後、
> 2004年12月の大津波が起きています。
> 神の残念としての地震が、43年という理で現れると言う事、
> ぢば以外の場所でのおつとめも、教祖が許していたのだという、山名の諸井国三郎先生の、龍頭の狂いが、「しん」の狂いといて、「一人狂えば万人狂う」事情と、神様は見せてくれました。
みきの予言には嘘がないと、基本的には理解します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みきは、みき姉は自分の事を「元の神」とも「実の神」とも語っています。
現実の世に、外れた事の無い数理の予言を的中させているのは、未来を当てたではなく、未来そのものを現実に守護したという事です。

25 :
おやさまの、予言の書。おふでさきは、神のお言葉の聞き取り書・原典おさしづにて、
この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。
晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。
世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。
今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。
ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、
十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。
通りたら分かる。
三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。
遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、
十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、
中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。
入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。
この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。
もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。
もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる
。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。
これまでよりだん/\思やんしてみよう。嘘は無い。嘘は一つも言うてない。
これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。

26 :
つまり、みき姉によれば、
「この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。」と言う事で、
神の予言はあっても、「信者が、世界が、みきの教えを分からない」から、その曇りで、始められないと、
そういう事なのだそうです。
考えてみれば、おやさまの名が天理王命とさえも、正確に理解できていない、幼稚園児ばかりでは、みき姉の理の発動そのものが、開始できないのは、当たり前です。
が、それは、おやである、みき姉そのものの責任でもある。
みき姉の責任その問題は、後にして、「十二下り」の事ですが、十二くだりは、予言であると言う事。
おつとめのお歌も「おふでさき」です。
十二下りの予言として、分かることは、曇りをはらす事になります。

27 :
晴れと曇りについては、次のようなお指図があります。
刻限御話(但しまさゑ縁談の話)明治二十七年四月三日 午後二時
『晴れた理は世界曇る。晴れるは世界では分からん。曇る晴れる理まで諭してある。』
これは、まさえさんの縁談についての、関連したお指図です。
相手は、信仰初心者で、未信者というところでしょうか、でも家柄は良く、文化人教養人でもあった。
それで、この縁談には、天理教NO1の、本席の娘の相手として相応しくないという、教内世論があって、
そんな相手なら、きちんと信仰を仕込めと言うような世論、・
又、反対に、相手がなかなかの家だから、高山のように感じて、似つかわしくないという見解、つまりそれは嫉妬なわけですが、
身分と言う考えなら、立場ごとに見方ごとに上下が違うわけで、神意は縁談をすすめるようにとあったが、遅れていたと言う事情があります。
おやさまは、当人の心と心だと、示されているわけですが、縁談事情にありがちな、本をただせばたかが大工。
曇りがあった。
世界では天理教を潰したいわけで、縁談つぶれるようなら、世界は晴れ。
世界が晴れなら、道は曇り。
こういう理と言う物があります。



28 :
世界一列の陽気暮らしを見たい親神にとっては、「世界の晴れ」は見たいが本音ですが、
大社高山が谷底をままにしつつ晴れを演出するという、世界(道に相反する世界並みという意味での世界)の「晴れ」は、天理の道には「曇り」となる。
そういう理があります。

29 :
増野正兵衛身上伺 明治二十年六月二十四日(陰暦五月四日)
さあ/\何かの処、皆それ/\、皆障り、さあ/\どういう事を知らす。
尋ね事情、何かの処、さあしっかり聞き分け。何よの処、どういう処、踏み止まる。
取次々々、だん/\取次、しっかり取次、道付け始まる。
どういう大道々々、大道の掛かり。
どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。
泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。
治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。
ふでさき通り皆出る。
今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。
大きなふし見える。大きふしなら、大きな心据える。
大きなふし、大きなふしが出る。忘る一寸、どういう事、こういう事、泥水流れるなら、どういう事、
いかなる水の掛かり。
取次、これをしっかり聞き分け。
又延びるやら知れん。今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みき姉、直命の、取次ぎ人。増野正兵衛先生へのおさしづです。
「一人思案定め」とありますように、正兵衛さん、あんた一人で思案を定めなさいと、みき姉さん。
どんな思案か、取次ぎ人として、おふでさきの予言を踏まえて、きちんと理を取次ぎなさいよよいう意味であり、
それは、「今度の言わん道の処に」、つまり、おさしづの無い神は何も言わん道の所に、かかっているよという、責任の重さを伝えるおさしづです。

30 :
陰暦の五月四日と言う日の、意味は、
陰暦とは、陰に隠れている暦と言う事で「実の箱50年」の時代と言う事。
五月四日とは、五月五日の一日前を示しての、四日です。

31 :
お指図には、わざわざ、(陰暦○月○日)と書いてあるお指図と、書いてないお指図とがあります。
それを、書くか書かないかの判断、お指図の言葉を聞き書きして、それを照合し、どう書き残すかを決めると言う、一言一句の判別をしたのが、正兵衛先生。
そんな風な理解で、間違いないでしょう。
それが、「陰暦」の意味を持っているお言葉という判別をした、判別を許されたただ一人の取次ぎ人。
増野正兵衛先生と、基本は、ただただ尊敬の念を持っているお方です。
表舞台に出ることは無い、取次ぎ人。
ふでさきの予言がみな出る将来にそなえて、「取次ぎしっかり」と、みき姉さんに、託された、道具とは、なんと素晴らしいでしょう。

32 :
>>30
> 陰暦の五月四日と言う日の、意味は、
> 五月四日とは、五月五日の一日前を示しての、四日です。
おふでさきの。五月五日は、ここに書かれています。
第4号
このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる 3
それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや 4
この事は、以前にザ掲示板にて、書いたことがありますので引用します。
http://bbs.thebbs.jp/religion/1132923011/584
[584] 基本。 2006/04/11 15:01
ひながたとは、数理では、「三年三月」です。
おふかん道とは、数理では、「五月五日」です。
三月三日は、おひなさま、三年三月は「おひながた」
五月五日は、端午の節句、五月五日は「こいのぼり」、そして、往還の道の数理です。
端午の節句には、鎧兜を飾ります。
それが、おうかん道の合図であると言うことのもつ意味は、「戦争」という謀反の根を切ることの意味です。
鯉のぼりをあげて、子供の幸せを祈るという、素朴な祝い事と、実際の戦場で武勲を立てると言う事とは意味がまるで違います。
謀反の根を切るためには、避けて通れないのが、「高山」の戦いの大儀に潜む、本音を隠して国民を戦争に誘導していく、その産軍一体の構造に潜む、情報戦略のカラクリを親神が暴くしかないと、それが、天理です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五月五日と、情報操作・大本営発表については、天理2スレより引用します。
http://unkar.org/r/psy/1273405833/301-400
日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願 明治二十七年七月二十六日 朝 のお指図では、
『大概の理は諭したる。これまでうか/\聞いてはならん。幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
五月五日は端午の節句。武士の節句。大本営の開始も五月五日でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさきが、予言であるその「五月五日の数理」、この一日前なんだよと、刻限はそれを示しているわけです。


33 :
増野正兵衛身上伺 明治二十年六月二十四日(陰暦五月四日)
[泥水が澄まする。 ]
「泥水を澄ませる」と誤解しそうですが、正兵衛先生書き取り間違ったかなと、疑ってかかりたい人もいましょうが、神が「ただお一人」指名した元公務員。
誤記ではありません。
正兵衛先生が、書き方が間違ったと、身上手入れ頂いた事は、基本的には、「中台勘蔵」さんに関してのお指図でした。二代目中台勘蔵と、二代目と明記してなくてお手入れ頂いて修正しています。
『泥水が澄ませる』なのです。


34 :
泥水とはずばり「戦争」。情報操作であり、高山の武力支配、経済支配。
その「強気・強欲」が泥水となってあふれ出る。
そして、結果として、この世を澄ますと言う予言です。

35 :
おふでさきの予言についてのおさしづの解説の引用をしますと、
> 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』
これは、おふでさき十号のおうたを直接的に示しています。
 このひがらいつころなるとゆうならば
 たあのしゆりをしまいしだいに   十号16
そして、「ひがら」とは、おふでさき四号にしらされてありました。
 このひがらいつの事やとをもている
 五月五日にたしかでてくる     四号3
> 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
この、五月五日よりというものが、おふでさき四号3、に知らされたものであり、それが、日清間の事情であると言う事をしめしたものです。
より掘り下げたこともありましたので、紹介引用します。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/146-245


36 :
149 名前: 基本。◆B5BIYWRc 投稿日:2010/02/10 08:18 ID:KrVQkBrs0
おふでさき、扉に記載された数理が、日本の戦争内乱の予言になっていましたことについても、別スレよりコピーします。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1199017873/ [ソースチェック]
878 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/02/04 09:56 ID:TIvmhIR60
第四号、七十七歳老女 明治7年4月。(←扉に記載)
1年目 1874年4月〜  
お筆先四号 77歳 7号 7年  4月 予言
 4年目 
1877 西南戦争 
[(2月から)9月24日 西郷軍敗戦]
 4+7=11年目 
1884 秩父事件 
[(10月31日)から11月9日にかけて、農民武装放棄鎮圧]
 7+7+7=21年目 
1894 日清戦争
[(7月)から1895年(4月)、日本勝利]
 7+7+7+4+7=32年目
1904 日露戦争[(2月6日)から (明治38年9月5日)日本勝利]
 4×7=28年目 
1901年 日本初の社会主義政党。治安警察法によって禁止された。
 7+7+4=18年目
1891年 足尾公害事件 第2回議会(1891年11月26日開会)田中正造議会闘争。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり基本的には、おふでさきの「とびらがき」も、数理を示していると言う事です。
四は、四柱の神様で月読命さまの理、「つぱっり」で、戦争とは「つっぱりあい」そのものです。
七は、七柱目の神様で、大食天命さまの理。「切る神様・生死の神様」。戦争とは「斬り合い」「生死のやりとり」。
七と四の数理が、きちんと、歴史に泥水事情を年表に残しています。

37 :
この、戦争と言う泥海事情を取次ぎ人として、親神から聞き取り記録した、増野正兵衛先生は、伊蔵先生が本席になる以前に、その意味のお指図を頂いていた、正真正銘の神の選びし取次ぎ人です。
増野正兵衛身の障り伺
明治二十年四月二十四日 午後五時半
さあ/\遠く/\処、さあ/\それから遠く、何かの処も急ぐ。
身上一条の処は、又の道の、いつ/\まで身の障りという事で、なに大抵今までの処、どちら大変処、計り難なき。
やれ/\何でも、一日なりとも、一月なりと、日を送る。何の思案。
月更わる、日更わる。是非に押して/\、残念々々でならんで。残念の処に、残念がある。
残念の中に、何か幾分何かの処、又々それ/\処、何の楽しみも無き、一度の処と立て替える。
仕事場々々々、仕事場はあちらこちら、その時/\さしづ。
何を尋ねる。よう風吹くようなもの。どうやこうや、又々立て替えじゃで。
仕事場委せて置いた。席をすっきり、あちらから/\、こゝで一寸、仕事場にしようか。
席というは綾錦、身の内障り、だん/\もう成ろか、洗い替いせねば余儀無くの。ほんに席にては、十分何時なりとも、席にて伺え。
何時なりともあちこちと、立て替える。ほんに席さしづは仕事場。何時にても、どういう事も早く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

38 :
陰暦で言うなら、(陰暦二月十七日)という表記は、二月十八日の一日前になります。
二月十八日と言うのは、普通に言えば、おやさまの死んだ日です。
明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時
刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。山を刳り抜かねばろくぢでない。さあ/\刳り抜くで/\。それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1887年(明治20年)2月18日に教祖が死亡した。
1887、と、218と一目で分かるように、1887は1888の一年前です。
つまり、「八」は、「八方に開く」と言う数理ですから、1887は、八の前ですから、おやさまが扉開いて、刻限において、山が刳り貫かれたと言うお言葉は、次の段階ならそうなると言う意味です。
おやさまは、1887年に扉を開かれた。二月18日は十分八方に開く理。
三月十一日の日付は、十分始まりの数理です。
山を刳り貫くお指図は、山をくりぬくことは十分始まりであるが、十分八方に開く一段前の、刻限だという数理の示すものです。

39 :
つまり、『さあ、さあ刳り貫くで、』は、今はじまりだけれど、理としての始まりで、実体としての刳り貫き開始は、その後に来ると、理解されます。
そこで、「さあ」と言うのは「あさ」の「朝の理」ですから、「さあ、さあ」と、二回の夜明けを、告げられていると理解するのが、基本的理解です。
おやさまの命日、26日は、1887年とそれは、25年縮めた命日ですから、
1912年が該当すると、思案されますが、そういう場合実年齢にて数えるのが基本ですから、
1798年(寛政10年)4月18日 (陰暦)- 前川みき生誕。
これから、115歳の定命を満年齢で数えますと、1913年になります。
おやさまの扉を開いた歳は、満89歳。
でも、実は、おやさまは、存命のおやとしての一年を足して、九十歳と、死までの年齢を数えるわけです。
明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分
刻限御話
一寸正月二十六日、これまで話てある。
さあ/\事を始め。二月二十六日というは、今初めやで。多く始まり、追々。
さあ/\今一時世界も分からず、世界も不思議や。
それ/\の道一寸付け掛けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、一(正月二十六日)二(二月二十六日)と、そういう一、二が、数理としてある。
おやさまが、天理教会をオープンすべく、扉を開くと言う126の次の年の126に一年祭妨害事件を引き起こさせた。
本席の出直しの時、百日のおさしづでは、明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
『もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。』
このような、数理の構造を確かめておきました。

40 :
おふでさきには、
「一けふまでは」と、いう文字があります。
第13号 1
一けふまでわなにかしんばいしたなれど
あすにちからわをふくハんのみち
Kyomade wa nanika shinpai shita naredo
Asunichi kara wa okwan no michi
Until today, you have worried about many things. But from tomorrow, a broad path will open.
今日まで、この道は細道であって、種々と苦労したけれども、これからは、いよいよ確かな往還道に出る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「一けふ」も「けふ」も、音では「今日」です。
「今日」にも「一今日」「二今日」があると思案するのが基本です。
おふでさき13号の五月五日は、「一今日」ではなく「今日です。
五月五日
第13号 9
けふまでわなにもしらすににんけんの 心ばかりでしんはいをした
Kyomade wa nanimo shirazu ni ningen no
Kokoro bakari de shinpai o shita
Until today, being aware of nothing, you have used only the human mind and worried yourselves.

41 :
>>40
「一けふ」には、「あすにちからわをふくわんのみち」になると言う予言でありますが、
明日日というのは、一今日に対しては、仮に言うなら、「二今日」と理解されます。
あるいは、「一けふ」とは、始め(一)においての今日という理解で読み取るべきです。
つまり、13号には、二つの「けふ」がある。
と言う事は、十三号の五月五日けふと、四号の五月五日けふは、四号は「一けふまで」、十三号は「一けふまの明日日のおいてのけふ」と
このような時間経過があるという事になります。
さて、これは全く独自の基本的な見かたですが、「一けふまで」のおふでさきは、「13号にて完結している」と、このように見立てます。
「十三とは、十分身につく」で、教えが、十分身につく。
そして、四つは、「世の中」「世直り」ですから、
十三号までで、お筆先の教えが十分身についた。→十四号からは「十分世の中・十分世直り・十分幸せ」と、そういう構造と理解されます。
その区切りをお示し頂いたのが、「一けふ」という文字であり、
「一つは正月」。
正月二十六日を待つ。
その、正月には、「一けふ」いごの、道の容態になるという予言になっております。

42 :
「三つ身につく」。
       三下り目
一ッ 日の本庄屋敷の 勤め場所は世の元や
二ッ 不思議な勤め場所は 誰に頼みはかけねども
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
五ッ 何時も笑われ謗るられて 珍したすけをする程に
六ッ 無理な願いはしてくれな 一筋心になりて来い
七ッ 何んでもこれから一筋に 神にもたれて行きまする
八ッ 病む程辛い事は無い わしもこれから日の寄進
九ッ ここ迄信心したけれど 元の神とは知らなんだ
十ド この度現れた 実の神には相違無い
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
十二下りでは、三下り目の十ドになって、元の神実の神と納得しています。
>>25
十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。
//////////////////////////////////////////////////////////
天理教の信仰をしていても、元の神、実の神と相違ないと納得は、「三つ身につく」ことです。

43 :
天理教団は、天理教会一つ始まりの当初において、大きな理の間違いをしました。
現在の組織においての大教会というものは、教会・講の開始は初代講元の三日・三年千日の事を理では三日と言うのですが、三日の苦労で出来たものでした。
それは、十二下りの三下り目に、到達さえしていない、おやさまを「元の神・実の神」と一瞬は感じたかもしれませんが、後は闇夜のような、あざない道でした。
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
という姿を、扉開いた直後には、見せて頂けた。感じていた。
しかし、三から四へと進行するにおいて、
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
と、口で唱えて踊りながらも、「四つ世の中、四つよんなか、四つ世直り」に進もうとするより、
教会大切という、宗教大切と言う、宗教高山因縁の道にはまり混みました。
「みにふろ・過去ログ」の「天理教団」に整理して述べてあります。
http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
7 名前:基本 :2004/10/25(月) 17:45
・・・中山みきは、そうした方針に断固と妥協しない為に、政府からは、何度も拘引投獄という弾圧を受けました。
が、監獄から出るたびに、出迎えの信者は増えていくと言う、「節から芽が出る」という姿にて分かるように、各地域での布教成果は上がり続けていて、それは、権力との上手な妥協をしていた弟子たちの功績なのです。
そこで、神道の組織に参入する道を選んだ、初代真柱は、時の神道管長を招いて、政府の方針に従うと誓書を差し出します。
これが、応法の道と言われる天理教会の道の始まりです。
教祖が、邪魔だ。教祖を黙らせろと言うのが、神道の幹部の意見でした。

44 :
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
実のたすけとは、「世直り」「よんなか」(豊年の意味)「幸せ」「陽気」・・四の理。
四の理とは、資産、資本。社会資産と社会予算の、柱の理。
「家業第一」の基本を貫かず、いつも豊年教えたいおやさまの「四の理」。
そういう四の理の「四つ」に入って行こうとしないで、
「三つ身につく」で、三年の苦労で初代が身につけたものを、教会の財産資産を「私物化」し、世直しに向かおうともしなかった。
天理教団の四の理の間違いは、「四つ夜の中」。
四は戦争の闘いの、腹立ちの埃。
実のたすけは、いまだ行われず、三つ身につくことばかり求めての、元の神実の神とも得心しない天理教団、開始から、ずっとそうでした。

45 :
http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
8 名前:基本 :2004/10/25(月) 18:02
・・・信者たちは、有力な講元が、公認を得る為の方策に動いていて、教祖の、「慎みがおふかん」とは程遠い、派手で活発な活動でした。
ここに、お屋敷では、ひっそにしたい。
講元たちは堂々と表を通りたいという事情が立てあいました。
115歳の定命の教祖は、そこで、皆に尋ねました。
「扉開いてぢをならそうか、扉をしまりて地をならそうか」と。
皆は、扉を開いた方が宜しいと答えました。
「堂々」と「ひっそ」のどちらを選ぶかを尋ねた時、子供たちは、「堂々」を選びました。
教祖は、そこで、25年の命を縮めました。
政府に、地方権力に迎合した、堂々の道を求める心は、慎みを忘れた手がけの大道でした。
戦争協力の道は、この時、選ばれていました。
18 名前:基本 :2004/10/28(木) 17:43
ひながた時代のお助けというのは、非営利であり、かつ持ち出しでした。
初期の講元さんが素晴らしかったのは、お助けが上がればあがるほど、貧乏し、生活に支障をきたしても、それを続けていた事です。
それは、ひながた時代の、結構源さんはその代表でした。
山名の諸井国三郎さんもその代表でした。
郡山の楢蔵さんもそうでした。
施す一方のお助け人たちが、教祖の道具でした。
そのときには、皆、「私ほど因縁の悪い者は無い」と、口々にそういいました。
支配するもされるも無い、「因縁が悪いから人を助けるのだ」「人助けてわが身助かるのだ」
おふでさきを持ち出して示すまでも無く、「わが身に悪事を自覚して」いました。

46 :
おやさまは、その「三」から「四」に入れない成人の状態の原因は、日の本初屋敷が世の元だと、神に諭せない軟弱な精神にあるとご承知でした。
そして、それでは。身につかないことも天の理です。
明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時
刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。山を刳り抜かねばろくぢでない。さあ/\刳り抜くで/\。それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分が身について三つ、他人が身について三つ。自他共に身につくと「六つ」。ろくぢ。
親神自らの守護により山を刳り貫くとの御宣言・予告の刻限は、「陰暦十分八方」の一日前の17日予言されました。
仮に、その日、高弟たちが、「日の本初屋敷の元の神の宣言」と理解していたら、新暦の三月は、「三つ身につく」「十分始まり」の3・11の昼の理にて推移したでしょう。
しかし、その頃、もう汚染されていた泥水交じりの彼らは、陰/心の闇路。だから「陰暦」。
このおやさまの残念は、切ないものと、思慮されます。
yoru

47 :
>>46
>神に諭せない
訂正します。上に諭せない。です。
それは、今現在の天理教においても同じ事情です。
「天理の原則は、知らしたら出る」、です。知らせないと言う事は、神は働かない。つまり理の発動は無い。
 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて 第1号 24
これは、お筆先一号にあります。
15号には、こうあります。
なにもかもとのよな事もゆてをいて それからをやがはたらきをする 36
はたらきもとんな事やらしろまいな せかいちうハをやのからだや 37
いまゝてのをやのざんねんしらしたさ そこでこのたびみなしてみせる 38
とのよふな事をするやらしれんてな みな一れつハしよちしていよ 39
このたびのさねんくときのこのはなし みな一れつわなんとをもてる 40
このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや 41
これさいかしいかりしよちしたならば とんな事をがかなわんでなし 42
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この四十三ねんいせん」のためしについては、既に投稿してありますように、
「しん」の理、「震災の数理」として、歴史に出現しています。
第15号 36
 なにもかもとのよな事もゆてをいて それからをやがはたらきをする
これが、現実の「大震災」にて出現することに、思い至らなかったのは、初代たちは、天理教を甘く見ていた、みき母をなめていた。
お上の方が、強いと、「上に諭せぬ」ふがいなさだったからです。

48 :
基本は、43年の数理について、「知らして」おきました。
http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
77 名前:神様の見せてくれた事 :2005/02/02(水) 14:45
フリーフォーラムからの私の投稿の引用です。
http://yousun.s82.xrea.com/cgi-bin/patio2/patio.cgi?mode=view&no=66&p=2
> 1875年 12月27日内外隔てなく、掃除する予言。
> 43年後 天理教青年会設立。
> 43年後 かなめ会第一回会合。
> 43年後 天理教の名称は占有物でないとの司法判断。
> このように、神様の見せて下さった事を整理しましたが、このかなめ会の43年事情の元というのは、1875年のお筆先です。

49 :
> 神様は、お筆先に於いて、
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
> 神のかやしというのは、刻限が来たらという予言だということでした。
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
> 1951年4月に、ぢばにて、ひながた甘露台の据え換えが行われました。
> 1951年4月から数えて、43年後の1995年に、阪神大震災が起きています。
> お筆先で、海は津波やの予言がなされた1874年から、43年を三回数えた、129年後、
> 2004年12月の大津波が起きています。
> 神の残念としての地震が、43年という理で現れると言う事、
> かなめ会の43年は、1875年からの43事情と見せて下さいました。
> 1875年ぢば定めの時からのもので、かなめ会は、ぢばに対して、国のしんとして、揺らいでいる事を見せています。
> ぢば以外の場所でのおつとめも、教祖が許していたのだという、山名の諸井国三郎先生の、龍頭の狂いが、「しん」の狂いといて、「一人狂えば万人狂う」事情と、神様は見せてくれました。
> 基本さんの言う、山名系の教義の間違いが、狂った姿です。
お筆先は、天理教のプロ中のプロのための理の責めの書物です。
そこに知らされた掃除の対象が、実は、天理教青年会であり、かなめ会であった。
神様の見せてくれた事でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的は、ちゃんと書きました。

50 :
31 名前:基本 :2004/10/29(金) 09:22
・・・この、天理教団スレッドは、八島の「天理王の神名」への攻撃と、それを幇助する教団内部の権力者「上」の嘘を暴く目的が一つ、天理教団の正当を示す目的が一つ、あわせて、胸の掃除のお手伝いです。
知らしたら働くおやさまのお手伝いとして、
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
ちゃんと震災の数理を、明記して、おきました。
天理教団2、に継続しましたが、基本の数理について抗議がありました。
162 名前:宗教を考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:05
12月11日の基本さん・・・・というHPに変な解釈が掲載された。
書いた人の意図が知りたい。
・・・ある特定の事柄を述べるために、つまり12という数字
に象徴的な意味(基本の言う処の)を持たせたいがために、太陽暦の用いられていなかった
1838年の出来事にまで太陽暦での月日を当てはめる事が天理教の基本だとしたら、
天理教とはあまりにも姑息な考え方の人達ではないかと思います。
それはこの基本さんという人がそうなのでしょうかね。
・・・基本さんとやら、お答え下さい。

51 :
対する回答は、このようなものでした。
167 名前:基本 ◆./kJ00CA :2005/12/14(水) 21:39
116さんは、理の意味を知らないので、そうした愚問をなさるのですが、「表守護と」「裏守護」というものについて、ご存知でしょうか。
それは、神が表に現れる以前と神が表に現れる前の、守護の理の事です。
理には、表で説く、裏で説く、二種類の説き方があるのが基本です。
次に、二十六日と言う日についてですが、教祖のひな型は新暦においての26日に一つのイベントをなさっています。
165さんは、基礎的な事ですが、それをご存知でしょうか。
理の構成の基本については、フリーフォーラムの頃より既に丁寧に解説が済んでいますが、まだそれが理解できていないのか、或いは、突然に、ネットに来られたのか、分かりませんが、
理の構造の、123123123<これを、考察下さい。
つまり、太陰暦も太陽暦も、親神様の教えられた知恵の仕込みの賜物です。
暦のなかでも、易は太陰暦が用いられます。
易というのは、裏守護の、国常立命さまの、月様のご守護の理です。
ご理解できますか。
これが理解できなければ、あなたには、基本以前に、入信する事をおすすめします。
入信して、天理教のイロハから学ばれるべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このとき、>>48>>49 の震災の数理を「敢えて再掲」しました。
これも、神の掃除のお手伝いのつもりでした事です。
震災の数理を知らしたら、震災が来るというのは、天理の基本であり、基本のHPに訪問して下さった、海外の研究機関に理をお知らせできると、判断しての事です。

52 :
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
第6号 116
このはなしなんとをもふてきいている てんび火のあめうみわつなみや
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
第8号 58
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
月日よりをしゑる事ハみなけして あとハにんけん心ばかりで 123
いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども 124
月日よりにち/\心せきこめど こくけんまちているとをもゑよ 125
第12号 52
けふまでわひがらこくけんきたらんで なにかちがいもありたなれとも

53 :
>>52 
↑このように、きちんと参照して頂けたかどうかはともかく、地震が刻限の理で発生すると、お筆先には書いてあるわけですから、それを、お知らせすることは、おやさまの掃除のお手伝いのほんの僅かではあっても気持ち、お手伝いで、なしたことです。
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
あすからハをやがはたらきするほとにどんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
教理の基本は、一二三一二三、三段一つです。ひな型にもあり、あさしづにもあり、今のわれわれにもある。
基本には、これだけで十分だったのですが、疑い深い人たちは、「43」の数理の実現例を、もっと見せなければ納得しないと言う状態でした。
そして、詳しく書くことは、おやの頼みでもありますから、
天理教・天日火の雨という、スレを立ち上げて、間違いなく「月日の残念」が返されると、その時に、理について少しでもあらかじめ語っておかなければならないと、それが、本音でした。

54 :
1.基本。 ◆XE./kJ00CA :2007/07/28(土) 01:16:42 ID:3Sm7zXhB 天理教の原典には、天災が、神の残念であると、知らされている。
地震、大水、津波、旱魃、天日(太陽)の火の海、・・
それらは、地球環境を直接的に、人間に不便なものと、変えてしまう。
人間の肉体で言えば、大病。
それが、天災であり、天災は、神からの「残念の返し」である。
それでは何が残念か、何が神の残念か。
「大社・高山」が、谷底をままにすること、そのものである。
人が病から、その人の心得違いを悟るように、
人類は、天災から、この世の構造の間違いに目覚めるようにと、親神様は、災害にて返しをされる。
それは、心の鏡である。
この話題を、論じ合おう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさきは、一言百巻、とも一言万巻とも、教えられています。
現実の神。
これを、きちんと踏まえないと、天理教の教理は研究できません。

55 :
甘露台の取り払いが一の残念なんじゃないか?

56 :
稿本教祖伝から引用します。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。

         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
(略)
 こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。
  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

57 :
>>55
ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。この年の初めから、教祖は、
「合図立合い、/\。」 と、屡々仰せられた。
とあります。
第十七号は、明治15年頃 75首 85歳頃の執筆ですから、それ以前のお筆先に書かれてある「返し」とは、「甘露台取払い」に対する神に残念があってと言う事にはなりません。
すでに、説明したように、「高山」「大社高山」への残念が原因で、天災の返しがある事を告げられていて、明治十四年以前に、しらされてあります。
「一の残念」の「一」、これが示すものが何かという思案が大切です。



58 :
基本的な数理は、「一つはじまり」です。
「一の道具」というのは、人間の始まりのための道具で「男女一の道具」。
つまり、一の残念とは、「開始、始まりの残念」ということになります。
また、「かんろふ台」ではなく「かんろふ大」ですから、一の残念の対象は、「台」にあるのではなく、「大」にあると思慮されます。
二段で取り払われた。「だんだん」「段々」「段がふたつ」。
「さあさあだんだんの席、返す返すの席をして」の「だんだん」です。
「一つはじまり」「二つたっぷり」「三つ身につく」。
二段で取り払われた、その段数の示すのは、教えが身についていないということです。
そこで、神様が残念といわれているのは、当時の信者のふがいなさだと分かります。

59 :
親神様の十全のご守護の理というのは、人間の元始まりの「男女一の道具」の月読命と国狭土命様の二人の柱の神様。
手の指では、人差し指。一を示すときに立てる指。
人間の成長成育のための「立毛の一の道具」の雲読命様と大戸辺命様のお二人の神様。
手の指では、中指。指の中では一番長い指。
人間の生命の生存そのものの守護の理である、呼吸と生死の道具である尊根命と大食天命様。
手の指では薬指。
この、道具の神が、お役に立ってくれたたと言う事は、やがて神として拝をさせると元の約束がありますから、各々の神を神として拝するのは理です。
天理教では、道に引き寄せられた人材を「道具衆」と呼び、その道具衆の「魂の者」が、神楽をつとめると、そういう説かれ方がされています。
最も神に近い人が道具衆であり、お勤め人衆であると言う言われ方もしますが、ひな型の示す史実は違っています。
それは、道具衆といえど、神の仰せに従わなかった者、一筋心で無くなった者、泥の中にいて泥を食ってしまった者。これらは、役立たずとなっています。
道具衆の魂ともなんとも言われていない、大工の伊蔵、そして、取次ぎ人の増野正兵衛。こう言う方がいるわけで、
魂の因縁というのは、「大食天命さま」の場合なら、「ふぐが、本質」。切る神というのは、月日のお力を得てのものであり、「神」と呼ばれている場合の本質は「月日」。
もともとの道具としての「役」の本質は、泥海の生物に過ぎないわけです。
問題は、月日がお入り込みくださるかどうかです。
おやさまのたすけ一条は、ひな型そのものの示す如く、「一日といって、これはという日は無かった」。
つまり、戦場です。
戦場にいない戦士は、道具として、何の役にもたっていない。
魂がなにであれ、心の据わらない者は、「しょうもない金」とふるいにかけられて、おしまいです。

60 :
>>57
> ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。
この時おやさまは、>>59 しょうもない金  これを吹き分けたと言われています。
そのような者に、造られては、しょうもない甘露台になってしまう。
その者の精神を見澄まされている月日。
一の残念。
甘露台というのは、人間始めかけた証拠。
第17号 9
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや
そして、かぐらとは、この世始まり。
第16号 3
このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり
その「はじまり」の、「一」の理に対する、甘露台取り払いは、しょうもない信仰者への、ふるいわけであったと言う事です。

61 :
天理教談話室12で、教義的問題が生じていますので、こちらに投稿します。
日本の大震災は、東北大震災。神戸淡路大震災。関東大震災。
基本は、常々こう語っていました。
初代真柱が中山家に入る   → 43年    関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年    阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任   → 43年    東北大震災。
じつは、125の数理がありまして、この事の、過去の投稿には、当時の基本のレベルゆえの字なさがありまして、正確さに欠けていました。
ここで、訂正し、整理しつつ、神の残念とその返しの問題を、解説続けます。
寛政10年 1798 6月2日、教祖誕生。
125年 (と3月)後 1923年9月1日 関東地震
明治二年二月 1869年陰暦3月新暦(1月19日〜2月○日) おやさま甘露台の予言。 
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる 39
125年 (と11月)後 1995年(平成7年)1月17日(火) 阪神・淡路大震災。
明治19年1886年1月おやさま最後のご苦労。
125年 (と2月)後2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)

こういう紛れも無い事実に、目をつぶるのは、濁りの水です。

62 :
この投稿以前の数の数え方を吟味しまして、訂正とします。
おやさまは、おふでさき17号にて、甘露台は一の残念と示されました。
そして、明治18年の最後のご苦労のきっかけとなった、「おつとめしたーい」の心勇講には、
「心勇講は一の筆」というお言葉がありました。
整理しますと、
真柱の真柱職の開始(開始は始まり・一つはじまり)から、43年で、三大、大震災。
この道の、開始で、見ますと
教祖の誕生。(神が表に現れた・肉体としての親神の一つはじまり).
甘露台のこのよはじめの甘露台予言(陽気遊山の道の一つ始まり)
一の筆の(反対攻撃を呼び込むつとめの一つはじまり)
このように、始まりの理に対する「125」であると、分かります。

63 :
明治15年に、大きな掃除がなされています。
それは、このようなものとして、稿本教祖伝には記録されています。
まつゑ出直:
 この少し前から身上勝れなかったまつゑは、教祖お帰りの直後、十一月十日(陰暦九月三十日)、三十二歳を一期として出直した。
 又、この年四月一日以降、飯降おさとの名義になって居た蒸風呂は、悪企みされたのを機に、即日廃業した。
同じく宿屋業も、十一月十四日(陰暦十月四日)頃廃業した。
 教祖は、廃業については、
「親神が、むさくろしいて/\ならんから取り払わした。」
と、仰せられ、又、拘留については、
「連れに来るのも親神なら、呼びに来るのも親神や。ふしから大きいなるのやで。」
と、仰せられ、
・・取払いと同時に、今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
それを見て、人々は、成程、これが合図立合いと、かね/\仰せられて居た事であるなあ、
屋敷の掃除とはこの事か。と、感じ入った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
十五という数理は、十分理を吹くという数理であり、五つ理を吹くの数理は神の残念立腹の、数理です。
おやさまのお年も、85才、明治15年。
この時のおやさまへの弾圧の開始の前、
お屋敷では、十月二十六日(陰暦九月十五日)のおつとめの際、ふとした機みで、つとめ人衆の一人前川半三郎が、辻とめぎくの琴の上に躓いて倒れ、
山本利三郎は、お供えの餅米を間違えて飯に炊いた。
人々は、何となく、変った事が起らねばよいがなあ、と思って居た
と、あります。
ようするに、前川半三郎さんは、女鳴り物を蹴飛ばし、山本利三郎さんは神へのお供えを人間が食べてしまった。
そういう、男尊女卑と宗教で飯を食うと言う、そういう埃があったよという史実そのものです。



64 :
おふでさき七号には、このようにあります。
 いまゝでハ月日いかほどをもふても
 そばの心にわかりないので 104
> 今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
これは、そばの者の事でもあります。
七号は明治八年、十七号は明治十五年。
七号執筆年においては、小寒さまが出直ししています。
十七号執筆年においては、まつえ様が出直ししています。
このお二人は、
第9号 5
月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら
Tsukihi yori yashiro to naru o futari tomo Betsuma hedatete oite morotara
I desire that the two persons received as shrines by Tsukihi each be given a separate room.
,6 親神がやしろとしてもらい受けている者を一人とも、別間に置いてもろうたならば、
何を願うて来ても、それから先は必ず請け合うて、たすけするから、これから先をしっかり見ていよ。 註 二人ともは、教祖様とこかん様を指して仰せられている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑これは、間違いです。
もらうのは親神・みき様で、二名とは小寒とまつえさん。
そのお二人とも掃除されています。
おやさま、おそばのお二人でした。


65 :
小寒様とまつえ様には、赤衣を用意して、別間隔てて、神の道具として用意がなされた。
しかし、お二人は、神から掃除されています。
その、お二人を掃除に至らしめたものは、なんであったでしょうか。
それは、例えば小寒様に、今風に言えば真柱のような巫女、それも、口寄せをさせようかという神意に対して、
人間は、事実として若き神小寒と、見せられても、小寒様を「かんなぎ・巫」のつかせず、
普通に結婚させようと言う、真にまるで無視のそばの者の姿だった。
それが、原因です。

66 :
おふでさき七号には、親神の心配が語られています。
月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので 7
月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ 8
人間の将来には、怖い危ない道筋がある。それを知らせたい親神様。

67 :
それは、おやさまのそばの者には、理解されないものでした。
そばなるにいかほど月日たのんでも きゝわけがないなんとさんねん 第9号 41
とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 第11号 74

68 :
小寒様は、おやさまのように月日の言葉を語れる。
しかし側の者は、出来ません。
でも、扇の伺いなどで、真似していた記録は残っていますが、出来ない物はできない。
おやさまの教えの聞き分けが出来ない側の者。それが、女性二人の出直しの原因とは、思いつきもしない側なものでした。

69 :
この場合、小寒・まつえは責任者、引責出直しと、見れば分かることです。
 月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら 5
なにゆうもそれよりしかとうけよふて たすけするぞやしかとみていよ 6
 このさきハどのよなたすけするのもな うけやうのもとであるから 7
 どのよふな事をゆうてもけさんよふ たしかきゝすみしよちしてくれ 8

70 :
「中山家の女」の、「巫」(かんなぎ)を承知しなかったのは「側の者」。
たすけ請合う元を、「消した」彼らは、今の山名系にその悪因縁を伝承しています。
小寒が消え、まつえが消えて、「甘露台は一列澄ます」では無くなった。
石造りは、取り払われた。このオカルト、重大なひな型です。


71 :
「鎮め石」(地震を鎮める石)たる、甘露台はなぜ消えたか。
それは、「社」となる女二人を承知しなかった間違いで、「たすけ請け負う」は無理。
月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん 七号1
震災の数理、38。に知らされた理から、立教以来、「女」は「認めないという、
宗教高山因縁に、震災の原因があったとオカルトです。


72 :
「鎮め石」とは、お筆先に「これで証拠の大神宮なり」とある、伊勢神宮や高千穂神社にある、地震治めの鎮め石です。
普請の時には地鎮祭をしますが、仏教においての地鎮祭でも鎮石と呼ばれる平らな石を置きます。
関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もあるとのことで、古神道の常識としての地震対策といえます。
伊勢のご神木の土台に水晶は、以前に紹介しました。災害対策でした。
「天理2」「284」「285」参照下さい。
http://unkar.org/r/psy/1273405833

73 :
明治15年までの取次ぎ人らは、多くの講元は以後「道具は破損中」状態となり、真柱が芯だとお手入れなどで知らされた神明、明神の講元が残る程度になりました。
取次ぎ人、増野正兵衛先生は、その以後の登場です。
「模様替え」と呼ばれた、事情は、明治七年の「中山家の女」の事情を経て、なるべきしてなった事態でした。
「女は道の台」なのに、甘露台の「台」の理を粗末にした姿が、女鳴り物蹴っ飛ばした、山本利三郎さんの心であることは、明白なものです。

74 :
>73
女鳴り物蹴っ飛ばしたのは前川半三郎さんですよ〜

75 :
はい。
ご指摘有難うございました。瞬間の間違いでした。
「屋形取り払え」とのご神言により巽の角より瓦をおろしかけた史実の方、おやさまの実家の弟さんですね。
訂正します。

76 :
お屋敷においての、心の成人の鈍さとは、「側」の濁りとして、諭されてあります。
甘露台の石が取り払われた事情については、教祖伝には、こう記されています。
こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。
  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
このように、親神の意図を悟り得ぬ者により、かんろだいの石を取り払われたのは、子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く、その胸に、余りにもほこりが積もって居るからである。とて、
  このさきハせかへぢううハとこまでも
  高山にてもたにそこまでも          一七 61
  これからハせかい一れつたん/\と
  むねのそふちをするとをもへよ        一七 62
これから先は、世界中悉く、地位身分の高低に拘らず、次々と、一列人間の胸の掃除をする、と、強く警告して、切に、人々の心の成人を促された。
 これと立て合うて、「いちれつすまして」の歌を教え、一列人間の心のふしんを急込まれた。
 二段迄出来たかんろだいの石が取り払われた後は、小石が積まれてあった。
人々は、綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍らしい守護を頂いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く →それはつまり、取り次ぐ人たちの成人の鈍さです。
「一列人間の心のふしん」を急き込まれる神意は、側の者には、教祖の死のあとの組織維持問題の案じ心の濁りでしかありませんでした。
何も知らざる子供に、教えを取り次がない、取次ぎ人のていたらく。
さんげです。

77 :
関連で、地震の数理については、おさしづにあります「濃尾地震」に関して、以前の投稿を紹介させて頂きます。
きたろうさんのブログでした。「あったかい」に、おさしづが引用されていて、コメントしました。
http://blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d
Unknown (基本。)
2011-04-08 03:30:06
特に、初代真柱様の前生にあたる「亀蔵」さんは、出生から43年の数理、出直しから43年の数理とに、きちんと、震災がリンクしています。
これは、初代真柱はご自分の出生の因縁話ですから、当然ご承知だったと、思慮されます。
雛型かんろだい据えかえの儀。から、きちんと43年後に震災。
こんな芸当は、世界をふさめる、富さめる、真柱の理にしか許されないと、思います。

78 :
引用です。
http://blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d#comment-list
43の教理。 (基本。)
2011-04-08 03:31:28
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278326308/
856 :基本。:2011/03/28(月) 17:44:07.26 ID:89PbMkzB
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、
この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
857 :基本。:2011/03/28(月) 18:10:26.52 ID:89PbMkzB
紹介しました、15号のおふでさきには、
 10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
 13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
 これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳
1880年の1月。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。

79 :
引用です。
http://blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d#comment-list
おさしづの中の刻限とは、これも示している。 (基本。)
2011-04-08 03:44:10
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273405833/
>>290
>> 刻限
>> 明治二十年八月二十五日(陰暦七月七日)夜十一時
> 時刻「夜十一時」に、「刻限」の理があります。 子   午後11時〜午前 1時 子の刻、です。
> (陰暦七月七日)は、・・教祖七十七歳の時に、を陰暦にて示していると理解します。
> 教祖77才の時のおふでさきには、「しん」の理がきちんと知らされています。お筆先3号です。
お筆先(予言)→刻限(予言)ですから、最初の教祖77才1874年→13年 の刻限1887年ですから、
・・ この刻限は1987年8月25日。
→4年2ヶ月3日後、4年3月目に、大震災でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43の数理は、43年と、4年3カ月とで発現しています。
13年とは、4年×3。+3月×3で、12年9月は、13年目ですから、三段重ねかも知れませんね。
いずれにしても、おやさまは、丁寧です。

80 :
38の数理は、「天理教団2」より、再掲しますと、http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1130979257.html「172」
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。

81 :
立教から三十八年、そこに何がおきたのか、地場定め。
教祖伝本文から、引用しよう。
第九号には、
  月日よりとびでた事をきいたなら
  かんろふだいをばやくだすよふ         九 18
  かんろたいすへるところをしいかりと
  ぢばのところを心づもりを           九 19
  これさいかたしかさだめてをいたなら
  とんな事でもあふなきハない          九 20
とて、世界治めに大切な、かんろだいの据わるべきぢばを、定めて置く事が肝腎である。これさえ定めて置けば、どんな事が起って来ても一寸も心配はない、と教えられた。
 かくて、明治八年六月、かんろだいのぢば定めが行われた。

82 :
http://otasuke-tai.net/tenri_oya9.html から、引用します。
明治六年、教祖は本席さんに、かんろだいのひな型の製作を命じられています。
現在の十三段のかんろだいではなく、直径(さしわたし)約三寸、長さ六尺の六角の棒の上下に、直径約一尺二寸、厚さ三寸の六角の板のついたもので、
しばらく倉に納められますが、ぢば定めの後、こかん様の身上お願いづとめに当たり、「ぢば」に据えられ、
以後それまでの御幣にかわる礼拝の目標(めど)にはじめて定められます。
立教以来、三十八年、地場は定まった。それは、道が、八方に開くはずの旬。
しかし、八方に開くほどの霊験は高弟に高慢心を、八柱大戸辺命さまの、お嫌いな高慢心を埃としてみます。
そのターゲットは、中山家の女たちに向けられて、いたと、悟れます。

83 :
教祖伝より、中山家の内の者の事情は伺えます。
魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。
 第十一号前半から中頃に亙り、この身上の障りを台として、人間思案に流れる事なく、どこ/\迄も親神の言葉に添い切り、親神に凭れ切って通り抜けよ、と懇々と諭されて居る。
 更に、第十一号後半には、秀司夫妻に対して、
  ことしから七十ねんハふう/\とも
  やまずよハらすくらす事なら         一一 59
  それよりのたのしみなるハあるまいな
  これをまことにたのしゆんでいよ       一一 60
小寒は、周囲が嫁がせようとしています。
月日の代理という、赤衣の小寒とまつえ、その実現を、妨げる周囲の側の者の意図を感じます。

84 :
小寒と、梶本の縁談を、おやさまは、許さなかったのではない。
梶本は、お屋敷に来なければならない。
小寒がお屋敷出ることを許さなかったという事は、再婚するなら梶本はお屋敷に入らなくてはならないという事。
「とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 74」
これは、おやさまからの、側な者へのきつい、一言。お屋敷内に対するお側の無礼へのお叱り以外の何物でもない。

そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで70
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり 71
月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを 72
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 73
とのよふな事をゆうにもみな月日
そばなるものハまねをしてみよ 74
小寒は、出直すしかなかった。側のものは、小寒・まつえはいらなかった。

85 :
結局地場やしきの神屋敷化は百年間以上も中断していたという事か?

86 :
それが、天然でしょう。
人は嫉妬深く、おやさまが親神であるということさえも、側近者も含めた信者自らが、否定する側に回った。
真柱が芯であると言う事も、高弟たちは、認めようとしなかった。
すべて人の嫉妬です。
パワーで、押さえ込むには、人間は未熟すぎて、親神はほんの百日、お待ちになっただけの事でしょう。
「九拾九年たって、皆出直し」、は、人間始まりだしの元の理です。

87 :
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)
おふでさきでは、17号になって、「かんろふたいのいちじよ」と、この道について説かれました。
17号以前にも、かんろふたいについては、記されてあります。
8号では、おやさまとの関係について書かれています。
しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで 72
どのよふな事をふしへてかゝるのも もとなるをやてなくばいかんで 73
いまゝてもなにをふしへてきたるのも みなこのどふりはじめかけたで 74
にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ 75
このよふなしらぬ事をばだん/\と ゆうていれどもこれがまことや 76
にち/\にしらぬ事をやない事を これをしへるが月日たのしみ 77
このよふのにんけんはじめをやなるに 天のあたゑハあるときけども 78
このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや 79
このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ 80

88 :
ついこの間まで、おやさまは、おんなじ人間で、月日の社役しただけだと言う、
そういう、教理を信じていた。説いていた。
これは、間違いでした。
これ一つ、百年たって、わかったでしょうか。


89 :
「かんろふ」・・ 「ふ」。
「よふき」・・  「ふ」。
「こふき」・・  「ふ」。
「このよふ」・・ 「ふ」。
「しよこふ」・・ 「ふ」。
文字と音では、
「かんろふだい」
「かんろふたい」
「かんろふ大」
残念に関しては、「だい」。濁点、濁りがあります。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら 第3号 108
「かんろふ大」とは、「台ではない」大です。サイズの問題と分かります。
神社などには御神体という、言葉がありますが、「かんろふたい」の「たい」は、御神体そのものですから、「体」との文字が当てられます。
人間は、神の体、すなわち「御神体」ですから、「かんろう」を受け取る「たい」とは人の事でもあるわけです。
「だい」は、ストレートに「台」と文字が当てられます。
そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを 第8号 83
これは、台です。「たい」ではありません。

90 :
明治八年、これからハと、話を開始されたのは、「台」の話です。
 これからハなにのはなしをするならば かんろふだいのはなし一ぢよ 第9号 44
これからハだん/\しかとゆてきかす
かんろふだいのもよふばかりを 第9号 46
このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ 第9号 58

91 :
明治十五年、お筆先17号の話題は、「たい」と「だい」の話です。
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)
このだいをどふゆう事にをもている これハにほんの一のたからや (17-3)
神様は「かんろふたい」と「甘露台」の二つについて語っておられます。
この道は「かんろふたい一条」であり、この台は、日本の一の柱であると知らされています。
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
ここには、「台」となっていません。「体」となっています。

92 :
そして、
このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)
皆そろうということは、「台」なら、一個ですから、皆も何もない。
「体」だから、「皆そろう」なのです。そして、それは、世界一列に話題はつながります。
それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)
このそふぢとこにへだてハないほとに 月日みハけているとをもゑよ (17-12)
月日にハどんなところにいるものも 心しだいにみなうけとるで (17-13)
世界中の子供が、「かんろふ」を受ける、「たい」になる。
その事こそ、「かんろふたい」の一条の道である、この道。
そこが分からないと、「大が、一の残念」のままです。
地場の屋敷に「たい」がいても仕方ないわけで、世界中に「たい」がいなくては、サイズが違いすぎる事、分からなくては、恥です。

93 :
みき姉さんは、数理と言う誰でも数えられるもので、天理の厳密さを明示し、
一年は12月、音階は、白黒鍵盤で一オクターブ12音。四三、十二で、
四十三で、震災の数理。
そして、一日は二十四時間。三八二十四、38年は復興の数理。
お筆先は、かな文字。音と、文字で、判別させて、理を知らす。
遊び心のお姉さんだから、人は、ただの百姓女と、無学な女と誤解する。
誰にもわかるかな文字と、指折り数えられる一二三の数理で、「ふ」「普遍」の真理を諭す。
こんな、姉さん。
大好きになりますよね。
神名は、天理王命。中山みきさまと申し上げます。
同じ人間ではありません。

94 :
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)
それまでにせかいぢううをとこまでも
むねのそふぢをせねばならんで (17-11)
このそふぢとこにへだてハないほとに
月日みハけているとをもゑよ (17-12)
月日にハどんなところにいるものも
心しだいにみなうけとるで (17-13)
いまゝでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ (17-14)
しんぢつに心すきやかいれかゑば
それも月日がすぐにうけとる (17-15)
月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ (17-16)

95 :
拝見して最初は、大、台、体と分けて考えるのは面白いかも知れないなあと思いました。
それならば、下記のさねん、ざねん、ざんねんの違いもあるのでしょうか?
それをばななにもしらさるこ共にな
とりはらハれたこのさねんわな一七 38
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん一七 58
……………………………
このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし 十七 10

取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば、完成すれば、どんなことも叶うようになる。
順番は違いますが、普通に拝読しますと、こうなります。
大、台、体に対して、さねん、ざねん、ざんねんの違いを教えて下さい。
言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?

96 :
過ぎたるは及ばざる?

97 :
ぼちぼちさんは、楽しい方です。
肩というのは、大戸辺命様の「戸」と、月読命様の「月」の文字の組み合わせです。
五十肩というのは、年齢の数理で言うと、秋です。つまり大戸辺命様の守護の理の季節。
お分かりのように、埃は「高慢」です。
直接の対話ですので、先ず一言、。。。

98 :
ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。

         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
一 唐縮緬綿入                一枚
一 唐金巾綿入                一枚
一 唐縮緬袷                 一枚
一 仝単物                  弐枚
一 仝襦袢                  弐枚
一 唐金巾単物                一枚
一 縮緬帯                  一枚
一 寝台                   一個
一 夜具                   一通
   但 金巾ノ更紗大小貮枚
一 敷蒲団 但坐蒲団ヲ云           一枚
この事は、談話室12にも、引用して書いておきました。
あなたは、知らぬことを知ったかぶりして、「取り払われた十三段の石のかんろだいが」と、書いた。
知らぬことを知ったかぶりするのは高慢です。


99 :
さて、私は、「普通に拝読していない」、教会長でありながら教祖伝での確認もしない、と言う事は、
ほとんど無知な人に、解説しなければならないわけで、わくわくします。
ぼちぼちさんの「質問の趣旨」は、次の@、Aと受け止めました。
@ 「ざねん」と「ざんねん」の違いもあるのかということと、それが「大 台 体」に対しての違いの内容は?
A 言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?
先ずAからお答えします。
言葉は、お筆先にきちんと書かれていて逃げません。逃げないので追っかけません。
お言葉は、一言万巻、「根をほれ」と言われているので、一言づつにこだわって、研究するのは、基本の普通なので、それがおかしいといえばまるでおかしい私の研究です。

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