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壇ノ浦の戦いで平家側が退却したら


1 :2013/09/02 〜 最終レス :2013/10/22
入水を選ばず退却を選んだらどうなってましたか?

2 :
壇ノ浦当事で500艘の船を駆り出せる力がまだあったのにね。

3 :
平家方の船に義経が乗り込んできたら船を引き上げちゃえば良かったんじゃね?

4 :
テスト

5 :
退却って何処へ退却するんだい?
四国を追われ、山陽道も範頼軍に占拠され、
北九州も範頼に押さえられ
対馬、壱岐も範頼に抑えられたんだけど。

6 :
沖縄

7 :
範頼軍の圧勝ではないか。

8 :
どこかに上陸出来なかったの?

9 :
長門も九州ももはや源氏に制圧されていた

10 :
ああ最弱宗盛軍団何処へ行く

11 :
壇ノ浦の兵士はどっから調達したんだ?

12 :
>>11松浦党、山鹿党、裏切る前の田口一族。
あとは降伏しても許される見込みのない人たち。

13 :
熊手で延命

14 :
逆に考えるんだ。
本来は屋島で全員入水するところを頑張って逃げ延びたんだ。

15 :
それをいうなら一の谷

16 :
>>3
「あぁ、義経殿が遠のいていく」

17 :
まあ、船に乗っているのだから
沖縄か、朝鮮半島か、五島列島に逃げて、海洋帝国になるしかなかっただろうな
ただ、大勢の人間を養うのだから、沖縄や五島列島では
穀物が調達できないだろうから、済州島しかないだろうな

18 :
日本海経由で奥州に行けなかったかな。

19 :
>>17>>18
朝鮮、奥州他日本海方面は門司、壱岐、対馬が源氏方に抑えられてるから壇ノ浦から直接抜けれない。
屋島敗北で瀬戸内海の制海権も失ったから
豊後水道通って南に抜けてその先どっかに行くしかない。

20 :
逃げるにしても途中で水、食料の補給が必要。
大人数が彦島に封じ込められて一ヶ月。
さほど食料の備蓄があったとは思えない。
(範頼軍が食料不足に悩まされてた。平氏も不足の可能性あり)
逃げるにしてもまず補給に苦労するだろう。

21 :
朝鮮に打って出て任那を復興するべきだった!

22 :
壇ノ浦から近い源氏の手薄な拠点ってなかったのか?

23 :
>>22
彦島。
でもこの最後の拠点落とされたら本当に最後。

24 :
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s

みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm

25 :
対馬の宗氏は一応知盛の遺児が逃れて始めたことになってるよな。

26 :
>>25
否定説もあるけどね。
ただ、大軍団じゃなくてバラバラにそれぞれどこかに逃れるというのは
可能だったかも知れない。

27 :
鎌倉を攻めよう

28 :
>>26
実際は知盛の遺児じゃなくてその残党の中からリーダー格が出て僭称したんだろうね。

29 :
宇久五島氏も平家盛が祖って説があるね

30 :
奥州平泉しかないだろ

31 :
>>29
家盛は遥か昔に死んでんねんで…。

32 :
戸沢氏は平忠正の裔自称してるけど
なぜ平家の中でも忠正に祖を求めたんだろ

33 :
>>30
その移動ルートは?

34 :
太平洋を大きく迂回。釣りしながら生き延びる。もしくは、義経が平家の船に飛び乗った瞬間、全速力で源氏方から船を遠ざけて人質。休戦協定を結ぶ。(遠方に勝手に逃げさせてもらう、もしくは関門海峡周辺からの源氏の撤退が条件)

35 :
>>34
なんか義経ごと沈められそうなんだがw
彼、諸将からの評判が抜群に悪いし

36 :
義経いなくなったら統率とれなくなってしまう

37 :
>>34
源氏方の作戦目標は「安徳天皇」と「三種の神器」の確保。
そこまで追い詰めて義経一人のためにその目標をあきらめるとは思えん。
ましてやみすみす神器ごと逃走をする海峡封鎖解除をするとも思えん。
両軍とも戦闘中に漕ぎ手が失われている可能性が大きい。
(ちなみに平氏方も相手の漕ぎ手を討っていたのではないかと最近は言われてる)
そんな状況で義経連れて一気に逃げれるかどうかわからないし、
うまく逃げれたとしても
多くの船は漕ぎ手を失っているから漂流して捕えられるか、海上で遭難するか
うまくどこかに陸地に逃れてもそこから隠れとおすのも難しい。
一番ラッキーなケースだと、無人島に流れ着いて0円無人島生活をすることだろう。
>>36
対岸にいる侍所別当和田義盛が代行するだろうから大丈夫。

38 :
壇ノ浦→種子島→奄美大島→琉球

39 :
種子島氏は行盛の後裔を自称しているが、そうした方が統治に都合のいい事情があったんだろうね。
やはり平家落人の一部が住み着いて、それなりの勢力を持ってたんだろうな。

40 :
位一位の座にしがみつかなければ琉球でまったりと王国運営ってのも悪くない
ね。
九州は完全に源氏の手に落ちてたの?

41 :
落人伝説がある所はたいてい平家ってことになってるけど、
実際は鎌倉〜戦国時代の落ち延びが多そうな気がする
あくまでも想像だけど

42 :
平家みちよって平家の落ち武者の末裔なのって本当?

43 :
>>40
平家の地盤の豊前・筑前は範頼によって制圧済み
豊後は緒方惟栄らに押さえられていた
つまり豊後水道も玄界灘も源氏によって封鎖されていた

44 :
封鎖って事は上手いこといけば海と陸から挟み撃ちできたって事か?

45 :
@奥州藤原氏を頼る
A大陸の高麗や宋、金を頼る
B南海の島へ

46 :
沖縄のグスク時代って源平合戦の後だよね

47 :
瀬戸内の河野水軍も源氏方、九州の航路も無理となると日本海ルートしか残ってないぞ?

48 :
瀬戸内の河野水軍も源氏方、九州の航路も無理となると日本海ルートしか残ってないぞ?

49 :
>>44
対岸化から射かけることが可能
それと近くの船着き場からすぐに出陣可能。
>>45
奥州藤原氏→平氏を受け入れた時点で頼朝との対立必至。
      そのリスクを覚悟して平氏を受け入れる覚悟があるかが試される。
大陸→ それを阻止するために先に北九州、壱岐、対馬を源氏軍が確保
南海→ 一番可能性が高いが、あくまでも三種の神器を確保する為に
    源氏の執拗な追及が待っている。
>>48
上記の通り、関門海峡が封鎖されているので日本海にも出れない。
壇の浦の時点で平氏は袋のネズミ。

50 :
無人島

51 :
>>49
奥州藤原氏は平家を匿わなくても結局難癖付けて滅ぼされたじゃないか
平家と組んでパワーバランスを保つ方がずっと得策のはず

52 :
義経の縁があるしそれができるかどうか…
泰衡じゃ無理

53 :
義経の場合、頼朝は義経を匿ったということを理由に
朝廷に奥州藤原氏追討宣旨を要求するんだけど
朝廷側がいい返事をしない。
それで先に出兵して既成事実を作って朝廷に追認させる、という経緯だった。
平氏が来た場合は朝廷も躊躇なく、平宗盛追討宣旨&藤原秀衡追討宣旨を出しただろう。
義経と違って時間稼ぎできないから奥州藤原氏がどう出るかは読めないなあ。

54 :
それ以前に、奥州から見れば受け入れるメリットゼロじゃないか。
それでも受け入れるほどの義理があるか?

55 :
>>54
ないな
平家の力の源である西国利権と朝廷コネクション、武士団はどれも崩壊してるし
奥州の自治を守り抜くという基本方針によれば、
鎌倉と平家が同程度の力を持ち、牽制しあう状態が望ましかったんだよね
義経はやりすぎたんや…

56 :
>>55
福原政権・鎌倉幕府・平泉独立王国の「三国時代」を狙うのが奥州にとって賢い選択だろうね
あくまで後世から見ればだけど
ただ頼朝を旗印とする勢力は、伊勢平氏政権打倒というモチベーションで成立し得た物
京都と鎌倉が拮抗する以前に、同時に存在する事すら考え難い
更にはもし頼朝がいなくとも、いずれ誰かが歴史的必然に乗っただろう
やはり武家勢力は全面対決で打倒に走るか、公家化した平家の下で個別にくすぶるかの二択
奥州藤原氏も武力で中央を抑えられない以上、その歯車が動き出して以降の介入は困難
介入可能な時期があるとすれば清盛健在の段階、平家と他の武家勢力の分断を進めた上で
後々も平家を存続させる手を打つ事だろう
その為には何としても福原京を完成させ、中央勢力を分散させなければならなかった
弱体化した平家が生き残る武器として、貿易港という力を持たせる事にもなる
そして史実以上の資金援助により増した発言力をもって、自治の黙認を引き延ばす
稼いだ時間で武家勢力のまとまりを数十年、何代かかっても催す
奥州が国力の底を見せるのが先か、歴史の舵を曲げ切るのが先か、結果の前に暗君を出し
史実通りの退場となるのか
なんてのは結果を知っているから言える選択か、それとも少しは予見した者もいたのか
とにかくこの機を逃せば後の歴史を知っている目から見ても、平家と平泉は詰みに近い

57 :
平家はまだ九州に拠点が残っているうちに瀬戸内海を脱して、薩摩あたりに
本拠地を築けばよかった。
薩摩を落とされた場合は、奄美・琉球・台湾への逃走経路を確保できる。
琉球を実効支配しながら、持久戦に入ればいいのではないか。
やがて、安徳天皇の子孫は琉球皇帝となる。

58 :
琉球での拠点づくりを推す意見が複数あるね
でもこの時代の琉球には、本当に本土からの落人に対抗
し得る勢力が皆無だったのかな?
伝説では為朝が琉球王国の始祖という事になってるけど

59 :
宮古島くらいならさすがに源氏も攻めてこないんじゃない?

60 :
現地の軍にタコ殴りにあって追い返されるかもよ?
統一した国家になっていない小国の集まりだから
記録が残らなかっただけなのかも知れないじゃん
台湾も統一されていない多部族構成だけど、結構
外部からの侵入は跳ね返してるみたいだし

61 :
宮古島民に撃退される宗盛に胸熱

62 :
しかし琉球までたどり着き、島の一つも制圧できるだけの戦力が
残っているうちは脱出しないんじゃないか?

63 :
琉球あたりまでついてきてくれる武士だちがどれくらいいるだろうか?

64 :
弓隊が3人くらいいれば制圧できる

65 :
いずれに退却するにせよ義経が来る前に
すべきだった。

66 :
Y染色体的には、南琉球は本土以上に弥生系(O2b1)
かといって畿内人のような顔立ちではない
つまり少数の男だけがやってきて、その子孫が支配的になったのだろう

67 :
伝説通りに為朝の子供がいて当然の様に弓の達人
平家の落人にトドメを刺す修羅の国であった

68 :
それを平家の落人の視点で描くのも面白いかも。
行く先々で撃退されながら琉球まで流れ着いたけど
ついに為朝流の弓の餌食になって全滅みたいな。

69 :
いっその事太平洋側に逃げるのはさすがに無理か
小笠原諸島とか大東島辺りに

70 :
為朝が日本中の島で種を蒔きまくって待ち構えてるのさ
大陸に逃げても義経がモンゴル軍で攻めて来る
この二人から逃げても、更に崇徳院の呪いが襲って来る

71 :
三種の神器と安徳天皇があるかぎり
平氏はどこまで行っても追いかけられる。

72 :
全身にお経を書いたらスルーして貰えるかも

73 :
三種の神器を源氏に渡せばよくね?

74 :
いやいや、渡しちゃった時点で平氏としての頼るものが何もない。
すなわちただの賊軍となるだけ。

75 :
逃げるなら、範頼に九州を抑えられるまでないと駄目か
つまり壇ノ浦の戦いになった時点で詰み

76 :
>>73
一の谷の後の和睦交渉で安徳天皇と神器を都に返す
話がでてたんだけど
平氏側の拒否で決裂。
結局この拒否の結果源氏に平氏討伐令がだされて
範頼の西国出兵、屋島、壇の浦になったんだよね。

77 :
>>75
頼朝は範頼に山陽、九州を抑えさせて、義経に四国を抑えさせて
平氏に降伏交渉させる構想があったかも
と言われてる。
ただ義経が早期解決をめざしてあーなった
という見方もあるらしい。

78 :
>>76
渡した後、本当に和睦してくれると思う?

79 :
>>78
一の谷直後の和睦当事者は平家と朝廷
朝廷は後鳥羽天皇の即位式に神器を間に合わせて
安徳天皇から譲位してもらう平和手段を望んでいたから
それさえ達せられたら全滅までは望んでなかったんじゃないかな?
宗盛あたりの命は危うかったかもしらないけど。
源氏は朝廷からの平氏追討令がなかったらは平氏そのものの攻撃はできなかったとおもう。
平氏の処分は「後白河法皇の意思」次第だったと思う。

80 :
>>79
つまりは、自分が命を失いたくなかった宗盛の悪あがきのせいで、一族滅亡の淵に沈んだということか。

81 :
>>80
命惜しさかどうかわからないが
宗盛は和睦受け入れ賛成に傾いたが
知盛、時忠の強硬派に押しきられて
和睦破棄に至ったという見方もあるようだ。

82 :
和睦するなら一の谷の前じゃないと無理だろうな

83 :
>>82
一の谷前だと平氏側に和睦のメリットはないが。

84 :
琉球の拠点化に成功すれば、琉球で日宋貿易を行うことによって、経済力を
つけることで巻き返しのチャンスも出て来る。
また、三種の神器を持っているのだから、安徳天皇の正統性・琉球の平氏政権の
正統性を主張することもできるだろう。
奥州藤原氏の琉球版として、一種の僻地独立王国を築くことができたのではないか。

85 :
まあモンゴルが攻めてきたら速攻で滅ぼされそうだけどな

86 :
壇ノ浦の後に平氏が高麗まで逃げて高麗王の指揮下に。
史実では高麗王がフビライに東征を勧めた事になってるが、高麗に渡った平氏が
高麗王に日本攻めてくれと頼んで高麗軍主体の遠征軍に。
そんで怨みを持ってる兵士は対馬やら各島々で大暴れ。
実は島民の手をぶち抜いて紐を通して数珠繋ぎにして持ち帰ったっていうのは
怨みから…
っていう風になっていたかも。まあありえない話ですけどね。
私は朝鮮が過去の戦争についてぶーぶー言ってるなら、日本も元寇について言えばいいんだ。
おたくら対馬で何をしたかわかってんの?って。

87 :
>>83
都に帰って平穏に暮らせるというメリットがある

88 :
まあ主だった武将は流罪だろうね。
で、子供達は出家させる。

89 :
一の谷前ならもっと平家に有利な条件で和議が結べるだろ

90 :
>>89
たださあ、和議の相手が急速にかわったからなあ。
義仲→後白河法皇って。
義仲死亡から一の谷まで半月もたってない。

91 :
風が語りかけます
弱い・・・弱すぎる・・・

92 :
残存勢力十万石未満

93 :
敗死直前義仲は平氏に和議を働きかけていた。
平氏側はそれをどう受け止めたか不明。
弱体化した義仲なら実力で制圧できたと踏んでいたかも。
一の谷の時も兵力は平氏方が多い(玉葉)と言われてたんだよね。
ちなみに一の谷の時京都側わ和議の使者を送ると言いながら
源氏連合軍を出兵させたんだよね。

94 :
義仲、藤原秀衡と連携して鎌倉方と戦うことが出来たらあるいは

95 :
>>94
治承寿永の乱の初期に
藤原秀衡(奥州)、城助永(越後)と提携して
東国挙兵勢力を包囲殲滅する構想が平氏にはあった。
だが秀衡は動かず、城助永は休止して出兵中止、
助永の後を継いだ城助職が横田河原の戦いに敗れて
越後を義仲に奪われ
平氏の包囲構想は失敗した。

96 :
ありえねーよ
伝言力が無いに等しい時代に団結や同盟は無い
京から岩手までの伝令の往復時間を知ってるか?
先陣の考慮時間を加味すると1往復3か月は かかるぞ
目の前の戦術で勝てない奴等が同盟や戦略なんて無理無理

97 :
伝書鳩

98 :
鳩は目的地まで連れていかないといけないんじゃね?

99 :
>>96
城氏からはやる気満々で反乱軍をやっつけるという
お手紙が都に来てたけどね。(玉葉)
壇の浦直前にどこかと組もうとした場合はムリだったと思うけどね。

100 :
城氏ごときでは無理だろ
奥州藤原氏がもっと北関東あたりにちょっかいを出してくれていれば

101 :
>>100
本命は奥州藤原氏だろうね。
結局動かなかったけど。
ただ佐竹の残党が常陸で色々策動していた頃、背後に奥州の援助があったかも
という説があるから
全く脈が無かったわけではないかも知れない。
城氏も越後だけでなく
会津にも勢力を持ってたらしいから
イメージより大勢力だったかも。
(城氏を会津から追い出したのは奥州藤原氏だけど)

102 :
もっと早めに九州を制圧し、大宰府あたりに本拠を置いて数年単位の持久戦に
持ち込めれば、その間に頼朝と義経の不和が表面化したあたりがチャンスだった
かも知れない。
義経と講和し、安徳天皇から義経に伊予守の官位を授けて、四国の守備を任せる。
新宮十郎行家も抱き込んで、畿内へ時々奇襲攻撃させるとよい。行家は負け戦が
続くだろうが、攪乱が目的なので、たとえ討死してもかまわない。

103 :
>>102
平氏が屋島に行った理由が九州を追い出されたからなんだが・・・・
この時九州を一旦制圧した平貞能(小松系)と宗盛との間が不味かった
というのも九州陥落の一要因らしい。

104 :
参考
平氏都落ち後の経路
瀬戸内海漂流→九州豪族に阻まれ上陸できず
→筑前の原田氏に迎え入れられる
→原田氏ごと在地豪族から攻撃される
→四国の田口氏から迎え入れの要請
→屋島へ行く、この時貞能離反
→水島の戦いなどを勝ち抜き瀬戸内海の制海権を獲得
→一の谷に進出→一の谷陥落
→朝廷から和平案を拒否→彦島を拠点化→
→三日平氏の乱→範頼の山陽道、九州制圧
→屋島→壇ノ浦

105 :
しっかし戦国時代の大名を考えると平氏流の大名もいる訳で、すなわち鎌倉時代
に残ってないと存在しなかった大名。
どっかに落ち延びてれば期を見てまた源氏と一戦できたかもしれん。

106 :
まあ源氏といっても頼朝の将軍家は三代であっけなく絶えちゃうわけで…

107 :
>>105
平氏流の大名と言っても
鎌倉御家人になった坂東平氏の末裔とか
正盛以前に分派した
清盛系と関係ない平氏の方が多いのでは?

108 :
だいたい鎌倉幕府の執権北条氏だって平氏だし

109 :
>>108
北条の本音は幕府乗っ取りでしょ?
取り巻きだって平氏だし(梶原とか)

110 :
北条氏が本当に平氏かどうか怪しい
北条時政は、ほかの坂東平氏と違って、公家から北条丸と呼ばれていた

111 :
こういうことか
http://www.youtube.com/watch?v=ANqH5lmKi6w

112 :
単に「生き延びた」だけなら、頼盛の子孫が地方領主として続いているので、
平家はもうしばらく存続したと言うこともできる。
しかし、本来の意味で平家が存続したと言うためには、一門の大半が
安徳天皇を戴いて、正統性や文化を保持して存続しなければなるまい。
西国を基盤とした地方独立政権として存続する道を何としても探りたいものだ。

113 :
平家のあっけない滅亡を考えると南北朝時代の南朝方はよく粘ってるよな

114 :
>>113
保元の乱 負けたらすぐ出頭→おとなしく処分される
平治の乱 負けてもとりあえず逃げてみる。殺害もしくは捕縛されるまで粘る。
頼朝 負けても逃げて再起を図る
平氏 都落ちしてから二年弱西国で踏ん張る
鎌倉時代を経て
楠木正成 一度落城してもまた立ち上がる
武士たちも段々しぶとくなっていくようで

115 :
なんで平家って嫌われちゃったの?

116 :
寺社勢力を敵に回したのは痛かったな
南朝のように寺社勢力の協力も得られれば吉野の山奥なんかで生き延びることもできただろうに

117 :
>>115
貴族→平氏が入り込んだ為ありつける官職が減った。
院近臣→清盛と法皇が対立するたびにとばっちり
藤原一門→氏寺興福寺を焼かれた。
寺社→清盛の宗教政策(厳島優遇など)のとばっちりで既得権の危機
南都焼き討ちの反感
地方武士→平氏知行国が急に増えた為既得権消滅と混乱の発生で反感。
その他、強引な安徳天皇擁立に対する反発(治天の君指名によらない皇位)
関白の強引な交代など
はっきり言って敵をつくりすぎた。

118 :
>>115
時間が短すぎた
藤原氏のように数世代かけて朝廷を掌握したわけではないからね
急激な勢力拡大はただでさえ敵をつくる

119 :
>>117
おごる平氏は久しからずだよな…

後、当時の人から見たら清盛が追い落とした崇徳院や燃やした大仏の
さらには清盛たちの先祖である貞盛が討った将門公の祟りとも
思ったんじゃなかろうか

120 :
なんか某御仁みたいな感じか

121 :
ところでなんで源氏と平氏が戦ったの?
なんで憎みあってるの?

122 :
>>121
平治の乱も治承寿永の乱も「源氏と平氏」の戦いではないから。
平治の乱
 二条天皇側近と院近臣の勢力争いの中で流動的な政治状況の中で
 清盛と義朝が最終的に戦う羽目になった。
治承寿永の乱
 朝廷の貴族、寺社、地方豪族が平氏に反感を持ちまくっているところに
 以仁王の令旨が発行された。
 その中で挙兵したのが源氏系武士が多かっただけ。
 (寺社や北陸、四国、九州は源氏と全く関係のない勢力が蜂起)
 六年に及ぶ内乱の間に各反平氏勢力は平氏に潰されたか
 他の反平氏勢力に吸収され
 結果的に反平氏勢力の最大勢力となった源頼朝が平氏を圧倒したに過ぎない。
源頼朝には平治の乱において中立と見られていた平清盛がいきなり二条派と結びついたゆえに
信頼と結びついていた父義朝と清盛が戦う羽目になって、
その結果父を失ったという個人的恨みを清盛に抱いていた可能性はあるけどね。

123 :
鎌倉幕府なんて頼朝死んだら平氏の北条に乗っ取られてるし

124 :
一の谷以降は「三種の神器」争奪戦になってたな。
安徳天皇不在中に立てた後鳥羽天皇の正統性を
主張する為に「三種の神器」が欲しい朝廷&後白河法皇と
「三種の神器」を奪還して朝廷&法皇に恩を売り付け
鎌倉の権益を獲得したい頼朝と
何が何でも神器を離したくない平氏の争い。

125 :
東国平氏出身の清盛が東国平氏を軽んじたので怒りを買い、
源氏を立てられて逆襲をうける。
要済の源氏は消された。結局平氏の内ゲバ。
皮肉にも、源氏の常陸佐竹氏は平家につき頼朝と戦う。

126 :
けど佐竹氏は南北朝も戦国も関ヶ原も乗り越えて明治まで生き残るんだよな

127 :
>>125
彼らは清盛に対してそこまで同族意識もってたかね?
工藤、小山などの「藤原氏」もいたんだが。

128 :
源氏といえば
志田は1183年に野木宮合戦で頼朝と戦うし
義仲は頼朝に倒されて
武田は独立勢力だったのが頼朝に屈服させられ
新田はある時期まで自立。
頼朝に協力的だったのが足利、平賀、(武田から離れた)加賀美&小笠原、(新田から離れた)山名、毛利冠者
くらいなんだよね。
源氏という一族意識なかったかも。

129 :
こっそり、平氏の相馬も明治まで生き残ってる

130 :
>>128
明治まで残った歴とした源氏は喜連川、細川、佐竹、山名、最上くらいか
>>129
歴とした平氏って他に居たっけ?

131 :
>>130
河内源氏 南部(甲斐源氏)
宇多源氏 京極(佐々木氏)
藤原氏 伊達
大江氏 毛利
平氏はよくわからない

132 :
そのさあ、当事の源氏と平家が仲良くやる方法はなかったの?
わざわざ戦までして面倒な事になって…
お互いに妥協点っていうのはなかったのかな。
武家は武家、公家は公家って感じで。
幕府開いていいから平家側は位人としての位置の向上、現状維持でとか。

133 :
殺してでも奪い取るのが当時のジャスティス
とくに源氏

134 :
義仲も頼朝も後白河法皇も
平氏に和平持ちかけたんだよね。
全部平氏方が拒否して和平不成立に終わるけど。

135 :
>>132
とりあえず>>122->>126を読んでみよう。

136 :
>>130
平氏は後北条が大名に復帰し明治までつづいてる
あと旗本でもいいなら伊勢とか

137 :
高家を含めれば結構残ってるよ

138 :
後北条は勝手に北条名乗ってるだけ、平氏じゃないよ

139 :
伊勢氏の出という説が濃厚だから平氏だろ

140 :
片手千人切りの土屋昌恒の子孫の土屋(良文流)とか

141 :
退却先は彦島しかないんで、海上封鎖されて投了でしょ
三種の神器と平家の男子の引渡しさえすれば、みな殺しは回避できるはず

142 :
>>141
つうか、水没から助けられた平氏一門のうち女性と最初から出家していた男子は
命まではとられていない。
二位尼などの死は本人の自発的意思。

143 :
>>131
さんくす
南部すっかり忘れてたわ、ついでに小笠原も
京極は清和源氏じゃないから敢えて外していたわ
伊達の藤氏と毛利の江氏は他の有象無象よりは信憑性あるかもね
江戸期の平氏で大身は伊勢氏くらいかなあ

144 :
源家と平家はそんなに仲が悪くなかった。
というか、両者は、互いに勢力結婚で門閥を形成していたから。

145 :
伊勢氏は実は藤原氏という説もある。

146 :
平家は高位高官を占めて富と権力を握り、天皇の外戚になるところまで
到達したので、今さら妥協して他の氏族と同格の軍事貴族に戻ることは
考えられなかっただろう。
是が非でも京都を奪還して元の地位に返り咲くか、地方を要塞化して
安徳天皇を擁して自立した勢力になるしかなかったのではないか。

147 :
仮に三種の神器を屋島の戦いの後手渡して、平家存続の道をとってたとしたら
どうなったんだろうか。
もちろん主要な人物は処刑されちゃうだろうけど。
北条執権の時代になったら幕府の中核どころに収まるのかな

148 :
>>147
安徳天皇 上皇として普通に生涯を過ごす。
ただし院政はしけない。
時子、徳子 都でそれなりの生活
宗盛 望み通り讃岐国の国司になり(「玉葉」)そのまま屋島で生涯を終える
時忠 しぶとく政界復帰を遂げる
その他一門 官位面では一生干されるが、地方に下って地方武士として生きる。かな?

149 :
>>147-148
とりあえず重衡は死亡確定

150 :
>>149
和平が成功した場合、和平仲介者として
それなりに遇されそう。
ただし、南都をどう宥めるかが課題。

151 :
>>150
平家にはもはや南都を押さえつける力残ってないし、
鎌倉や朝廷は助命するメリットがないので犠牲の羊になる可能性は非常に高い
史実でも源頼朝は重衡を評価し厚遇していたが、結局助けられなかった

152 :
>>147
安徳天皇→淡路廃帝コース
重衡→史実通り処刑
これはほぼ確定じゃないか?

153 :
>>152
当時財産を持たない上皇は無力な存在。
膨大な荘園の所有者は八条院と後白河法皇の二者しかいない。
この両者が荘園の譲渡をしないと安徳天皇が退位後力を持つ事はない。
それまでの経緯を見ると後白河法皇も八条院も安徳天皇に荘園を譲渡する事はない。
従って安徳天皇は退位後人畜無害な忘れられた存在となる。
保元の乱のように、経済力を持つ存在(摂関家領を牛耳っていた忠実頼長父子のような存在)
と結びつかない限り淡路廃水帝コースを歩む事はない。

154 :
>>130
安東はちがったっけ?

155 :
>>154
安東氏は安倍貞任の子孫だろ

156 :
>>153
じゃあ九条廃帝コースか

157 :
瀬戸内海沿岸を拠点として対峙する作戦だと、史実どおり早期の滅亡は
免れまい。南都も西国も一枚岩で平家を支える状態にはない。
西国をすべて失陥したときに備えて、奄美・琉球方面への逃走経路を
確保しておく必要があった。
沖縄本島に安徳天皇の御座所を置いて宗盛の本軍が護衛し、奄美大島で
知盛の前衛軍が源氏の追討軍を迎え撃つ展開になれば、戦線の伸びた
源氏は厳しい戦いになるだろう。
万一、沖縄本島を失陥した場合は、御座船に安徳天皇を移し参らせ、
台湾に御座所を移動させることになる。

158 :
>>157
そこまで行ったら、源氏は追ってかないと思う
とは言え三種の神器は欲しいから、放っておくことも出来ないんで、和議を持ちかけるが、平家がそれに応ずるとは思えない
150年早く、南北朝になったかも知れんな

159 :
>>158
三浦水軍、梶原水軍などという水軍を坂東武者は持っていたし
義経の娘婿である源有綱を出した摂津源氏は渡辺党という水軍を従えていた
さらに、西は九州、北は奥州といったように日本全国で水運活動をしていた
熊野水軍も義経についたから、
追跡は可能だったと思う。

160 :
>>157
平氏は兵庫辺りですでに源氏に追いつかれてるじゃん
逃走経路を用意したところで源氏も一緒に来るだろ
結局壇ノ浦でとどめを刺されただけで

161 :
>>157
当時の沖縄は統一国家はなかったがグスクを構えた小国王は群雄割拠してたからな
平氏が受け入れられたかどうかは分からんのでは

162 :
知盛・悪七兵衛景清あたりの先遣隊が沖縄の部族長たちを平定しておく
必要があるかも知れない。家人化して平姓を授けて重用するとよい。
日宋貿易の拠点も沖縄に移すことで、平家の収入源を安定させて、武具や
軍船の購入に充てることができる。
源氏の水軍の追尾を振り切って、安徳天皇と宗盛の船団が奄美方面に
いかに逃げ切れるかがカギになる。紀伊水道から四国の南側を通って
抜けて行くのがよいかも知れない。

163 :
>>162
そんな余剰兵力あったら源氏にあてるだろう
兵力も時間も物資も足りない
そもそも後年に島津にあっさり征服されたからといって琉球をあなどりすぎ

164 :
>>144
源 義家、義光なんか母親平氏だしね

165 :
琉球に逃亡するのが難しいとなると、最初から台湾を目指すしかない。
ただ、どのタイミングで西国を見切って逃亡を開始するかが難しい。

166 :
中国国民党かよ

167 :
台湾って、琉球行くより難易度高くない?

168 :
琉球にせよ台湾にせよ、
なんで国内の勢力も抑えきれないのに海外遠征ができると思うんだ?

169 :
でもさ、琉球に源氏が追いかけてきてもどうやって帰るの?
待てー、待てーって追いかけていって、源氏と平氏とも帰れなくなりました
ってオチじゃない?

170 :
源頼朝にとっては粛清の手間も省けていいじゃない、それ

171 :
>>170
三種の神器がないと朝廷と交渉できないでしょうが。

172 :
後の琉球王国で元寇として伝えられる義経来襲である
しかし最後に勝つのは、全国の現地妻に種を蒔きまくった為朝さん

173 :
さすがに為義にはかなわん>種蒔き

174 :
木曽義仲との和議に踏み切るのが良策だったと思う。
これなら一の谷や屋島の要塞を保持したまま、都を伺うこともできた。
西国を失陥した場合も、安徳天皇と平家の本軍は沖縄・奄美方面に退いて
本陣を築くとともに、南九州を木曽義仲・新宮十郎行家に守らせて、
本土奪還をねらうこともできる。

175 :
>>174
行家はこの時期義仲とは険悪になって別行動している。

176 :
>>173
為義、日来ひごろ願ひけるは、男子を六十六人儲もうけて、六十六ヶ国に一人づつ置かんと思ひけれども、
心に任まかせぬ事なれば、男女なんによ四十六人ぞ持ちたりける。(保元物語)
史実でもフィクションでも、マジで種蒔き父さんだな
まあ為朝の子孫を名乗るって事は、為義の子孫を名乗る事でもある

177 :
>>174-175
行家はいろんな所に顔出して、全員と仲悪くなるのが特技だね
あと合戦が滅法弱い

178 :
一応、仲が良かったのはいるけど、後白河院と院近臣
…使えねぇ

179 :
木曽義仲と組んだら中央政権から総スカン

180 :
どうせなら、奥州藤原氏と組んだ方が良くない?

181 :
>>179
義仲と離れたから朝廷に食い込めたんだわな。
それである程度の実力を持っていたから頼朝に警戒されるようになったんだが。
>>180
奥州藤原氏の方に何のメリットもないわ。

182 :
清盛死後の平家はどうあがいても絶望でFA?

183 :
>>181
平家が滅んだらパワーバランスが一気に崩れて結局奥州藤原も滅んだじゃんか

184 :
>>183
181だが、行家と奥州藤原氏の提携と捉えてレスをした。

185 :
>>182
滅亡回避に二回チャンスはあった。
一度目は清盛死亡直後の頼朝からの和平提案の受け入れ。
二度目は一ノ谷の後の和平提案。
何人かは死ぬことになったかも知れないが、全員滅亡は免れたと思う。

186 :
清盛逝去の後、頼朝と和議をしていたら、西国と都を拠点とする平氏と
東国を拠点とする源氏、奥州藤原氏は併存する事態が続いたのだろう。
頼朝の死後、源氏棟梁たちに高い官位を授けたり、和歌を伝授したり、
中央貴族の姫を娶らせたりして、次第に都の文化で懐柔しながら、
源氏と東国武士団の離間を図るチャンスがあったかも知れない。
東国政権の政治顧問に平氏からも派遣して、内部から懐柔する手もありそうだ。

187 :
>>186
安徳帝がそのまま在位ならともかく
後鳥羽院が即位したんなら結局は承久の乱が起きて
宮方が勝っちゃったりして

188 :
>>182
清盛の死も打撃だが
高倉上皇の崩御も痛かったのでは?
そのせいで後白河法皇の院政を復活させざるをえなかったんだから。

189 :
>>186
もし3者が並立していたら元寇のときはどんな対応をしていただろう

190 :
都で政権を担っている平氏が対応への決定をするんだろうな。
また、西国に基盤のある平氏が軍事的対応の中軸となるんだろう。
蒙古・高麗が実際に侵攻した場合は、現地の家人・原田氏あたりが総大将を
務めるか、知盛の子孫あたりの平氏一門が指揮するのだろう。
その際、東国政権(源氏)や奥州藤原氏にも院宣か勅旨で動員命令を出す
ものと思われる。
敵国撤退後、西国警護を通じて、平氏は東国や奥州藤原氏に対する支配、
干渉を強め、一時的に平氏の権勢は強まるのではないかと予想する。
だが、そのことは三者の均衡を崩し、新たな局面に入っていくものと
考えられる。

191 :
北条氏ってのは平家の時代の家格はどんなもんだったの?

192 :
北条時政より前の事は何も判らないというくらいの存在。

193 :
「北条某」で済まされてしまうレベル

194 :2013/10/22
頼朝の代官で上洛しても『玉葉』では「北条丸」扱い
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