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田沼の時代&白河の時代


1 :2010/11/27 〜 最終レス :2013/02/24
田沼意次が老中に就いてから松平定信が失脚するまでの治世について議論しよう。

2 :
実は田沼意次は老中に就く前から一定の権勢を振るっていた。

3 :
白河の清き流れに魚住まず濁りの田沼今ぞ恋しき

4 :
別バージョン
白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

5 :
どれがほんまなん?

6 :
田沼といえば人参座

7 :
田沼は運が悪すぎ。アイスランドのラキ・グリームスヴォトン大噴火+浅間山噴火で
寒冷化+降灰。明和の大火とエルニーニョで追い討ち。こんなのどうにもならんだろ。

8 :
フランスの王様も日本の老中も苦しめられたラキ火山の大噴火。
自然災害は畏るべし。

9 :
age

10 :
age

11 :
「家*公の時代」というサイトの御用部屋っていう掲示板の政事暇っていうトピック読んでみた方がいいよ。
田沼意次と松平定信について色々おもろい事が書いてあるぜ

12 :
定信が将軍になってたらどんな恐怖政治をしいてただろ。
止める者がいない

13 :
犬公方を誰も止められなかった事を考えると怖いな。

14 :
田や沼や汚れた御世を改めて清らに住める白河の水
世の中に蚊ほどうるさきものは無しぶんぶといふて夜も寝られず

15 :
>>13
時代が違うだろ

16 :
江戸時代だろ?ってのは冗談だが、定信の頃には将軍の暴走を止めるようなシステムが有ったのか?

17 :
田沼意次が失脚していなかったら蝦夷地の拓殖が100年早まっただろう。

18 :
田沼意次が改革するまで本当に幕府には予算計画が無かったの?

19 :
予算制度を初めて導入したのは
明治政府の大隈大蔵卿。

20 :
田沼失脚が無かったら幕府の開国は早まっただろうな。

21 :
蝦夷地の開拓
開国

22 :
田沼意次を貶して松平定信を尊ぶような歴史観あるいは歴史教育が
リスクを恐れて行動しない今の日本社会を作り上げたんだろうな

23 :
代わりに水戸光圀のような統治能力皆無のバカウヨが持ち上げられる。

24 :
>>12
それを考えると、我が子家斉を将軍にしたいが為に定信を白河松平家に追っ払ってしまった
一橋治済の陰謀は結果オーライという見方も出来るなw

25 :
だね
松平定信が途中で愛想を付かされて強制引退させられなかったら
日本は一度滅んでいた
村山富市にも似た、間違った方向へのポリシーのある人間だった

26 :
>>1
おいらなんかだったら「濁った田沼」のほうがいいと思うね。

27 :
昔みたなんかの歴史マンガだかで田沼=性悪でブサイクに描画 松平=正義でイケメンに描画みたい
なのがあったな。

28 :
田沼は小姓上がりだけに美形だったらしいがな

29 :
日刊ゲンダイに田沼を悪役にしたエロ漫画がむかし連載されていたな

30 :
平賀源内の活躍した時期は、ちょうど田沼意次の絶頂期と重なる。
杉田玄白と前野良沢が『解体新書』を翻訳したのも田沼時代。

31 :
林 子平がもうちょい早く「海国兵談」を書いていたら、あの時日本は開国していたのかね。
そういや彼の先輩である工藤平助の書いた「赤蝦夷風説考」を田沼は高く評価していたが、
やはりこれも定信は弾圧したのか?

32 :
どうも風雲児たち読者がいるな

33 :


34 :
江戸時代ってのは一面で
「綱紀粛正を図る武士vs自由な表現を求める文化人」という構図があるけど
その辺の対比が一番明らかな時代だよな

35 :
だて 白河侯て 紀州吉宗の実の孫で 幕閣も逆らえない 世論が失脚させたんでひょ
て田沼を利用した清水一橋家の策謀かや

36 :
>>31
林子平の書の中身読んでないだろw

37 :
田沼時代の開国って言うけど。
相手はロシアだけだぞ。しかも白河時代に来るんだが。

38 :
田沼は頭が良すぎた感じがするな

39 :
田沼は偉いが子孫がクソ

40 :
ラクスマンがあのまま長崎に来たら、定信は通商許可を覚悟していたと聞くが。

41 :
こなかったのは定信のせいじゃなくロシアの都合だよな。
その気がありゃすぐ来るだろうが、次に来たのが10年も後だ。

42 :
生まれるのが早すぎた感じがするね。
割りと長い好景気を続けたり日本を初めて
貿易黒字国にするなど成果は出してるのに評価が低い。

43 :
田沼は今で言えば公共事業で景気をよくする、土建屋と癒着した政治家だよ。

44 :
それで経済が回れば良いじゃない。と尾張宗春も言うであろう。

45 :
松平定信や文藝春秋あたりの経済無視の清貧論と比較すれば、汚職政治家の方が数段清らかだ。
前者では自殺者も含めて犠牲が多すぎる。

46 :
まあ、定信も白河藩主としては領内から餓死者を出さなかったり、
老中としても当時としては画期的な社会政策やってるんだがな。
物事を一面だけで判断してはいけない。

47 :
松平定信の白河藩救援は、他藩の米を横取りして飢饉を悪化させた最悪の所業じゃないか。
一面だけで名君と謳っても、同時期の上杉庸山は松平定信の行動に迷惑という記録を残しているよ。
あんなものが名君なら、菅直人は神にも等しいだろう。

48 :
>>44-45
その結果として、日本中に使い道のない公共施設が粗製乱造されたわけだが。

49 :
田沼擁護は政治家の賄賂を容認するようなものだな。

50 :
賄賂なんてどうでもいいから景気をなんとかしてくれってのが
庶民の願いでしょ。あれだけ評判の悪かった定額給付金が
自分としては最高だったように。

51 :
>>50
その定額給付金をばら撒いた政権はその後どうなったか知ってるか?

52 :
あれにしても、清貧バブル退治が元凶だな

53 :
>>50
景気よりも身の安全だろ。

54 :
清貧の名の下に失業を撒き散らしては、身の安全なんてないのですが

55 :
>>54
そんなに安い賃金でこき使われた揚句、過労死したいのかよ。

56 :
低賃金すら清貧の生みしもの

57 :
>>56
役に立たない道路や空港やダムを山ほど造れとでも言いたいのか?

58 :
>>56
役員報酬や株主配当を減らしてまで従業員にばら撒いてくれる会社なんてどこにあるんだよ。

59 :
いつの間にか政権論w

60 :
職を減らして清貧を気取り、
人殺しとしか思えない所業を指摘されて、
「役に立たない道路や空港やダムを山ほど造れとでも言いたいのか?」
「役員報酬や株主配当を減らしてまで従業員にばら撒いてくれる会社なんてどこにあるんだよ。 」
と筋の通らないことを言い返す。
文藝春秋あたりでいい気になっている清貧主義者は、職自体を減らしているじゃないか。
失業の主体は、彼ら保守清貧論者のわがままだろう。
半藤一利や藤原正彦ら保守清貧論者は、人を殺して得意顔の下劣極まりない人間だ。
彼らの手本となった痴呆の一人が松平定信であり、松平容保も彼らはよく引用する。
彼らの話を聞いてきた日本は後退に後退を重ね、彼らのせいで破滅する。

61 :
でも不景気は定信のせいじゃないよね。田沼時代の負の遺産を引き継いだだけ。

62 :
>>60
文藝春秋の連中にそこまでの影響力は無いだろ。
失業の原因をつくったのは自民党・民主党・経団連。

63 :
田沼や定信の政策って今で言うと、
・角栄、小沢、宗男型の公共工事濫発土建屋経済
・小泉、みんなの党型の格差拡大新自由主義経済
どれに近い訳?

64 :
>>60
今さらバブルなんて夢見るなよ。
豪華な文化会館の維持費はどこから出るんだよ。
今時そんな気前のいい経営者がいるわけないだろ。
ITバブルで儲かったのは一握りの連中だけ。
大多数の若者は低賃金でも働ければいい方で、派遣切りであっさり切り捨てられる。
そんなご時世に職があればいいなんて、お前はどこのブラック経営者だよ。

65 :
>>64
>大多数の若者は低賃金でも働ければいい方で、派遣切りであっさり切り捨てられる。
だから仕事くれって言ってるのに、お前はどこのブラック経営者だよ。言ってる事が矛盾してるぞ。

66 :
>>65
ブラックでこき使われるくらいなら、働かない方がまだマシだろ。

67 :
労働なくして賃金をもらう権利は無い。だから仕事は増えたほうがよい。
なのに清貧主義を掲げる人間は、経済を悪化させ、失業を撒き散らして正しいつもりでいる。
この部分を指摘すると、「ブラックでこき使われるくらいなら、働かないほうがましだろ。」といって逃げる。
それは清貧主義ですらない。文藝春秋あたりの文人が陥った「不労所得礼賛」という労働穢視の一種だ。
彼ら、先祖の遺産で生活する文人は、労働を卑しみ、労働で得た収入をバブルと呼び、盛んに攻撃した。
松平定信も奇怪な清貧思想に取り付かれ、労働というものをまるで考えずに観念で経済運営を行った。

68 :
自分がオーナー経営者でもないくせに、経営者気取りで労働賛美するやつってなんなの?

69 :
失業を進んでやらかす清貧主義に未来などはない

70 :
>>67
だったらブラック以外の職をよこせよ。

71 :
社会が清貧を気取る限り、職は減り労働条件は悪化する。
全ては清貧主義とそれを掲げる悪質な武士道論者の所業。

72 :
>>69
鬱で自殺しろというわけか。
>>71
政治家と役人と経営者(とマスコミと労組)の問題だろ。

73 :
反論が出来なくなり、妄想飛躍に出ましたか。
清貧は失業を増やし、労働条件を悪化させます。
清貧を掲げておいてブラック労働を無くせということ自体が矛盾しています。
経済が消費拡大に向かえば、失業が解消に向かい賃金水準が上昇し、
労働の代償としての賃金水準が上がることで、それまでのブラックと呼ばれていた労働環境が改善するのです。
清貧を好んでいては未来がないし、それを望む清貧主義者は全人類の敵です。

74 :
>>73
人を勝手に清貧主義者扱いするお前こそ妄想がひどいぞ。
こんな所で机上の空論を掲げている暇があったら一度社会に出てブラックで働いてみろよ。

75 :
>>67
お前はホリエモンがまじめに働いて収入を得たとでも思ってるのかよw

76 :
反論にますます窮し、表に出ろ、ですか。
あなたの話はどこにも論理がないということです。
ブラック労働は清貧主義が生んだ最低の労働環境です。
清貧主義が消費を抑制し、労働が余っているから低賃金で買い叩かれるのです。
全ては、清貧を謳う文藝春秋などに陣取った世襲武士道論者たちの傲慢さに起因しています。
彼らは不労所得があるので、労働従事者など軽視した上で、全ての消費を抑制せよと叫んでいます。
しかしその消費は、生産や流通に従事している人が賃金を得るために欠かせないものです。
彼らが傲慢な正義論に乗っかって消費抑制を叫ぶと、その分だけ雇用が失われ人々が路頭に迷います。
失業者の存在は他の労働者の賃金を押し下げます。
全ては、地についていない世襲所得者が掲げた武士道論の矛盾から生じています。

77 :
>>76
文藝春秋や武士道論なんて物好きしか相手にしてないだろ。
単純に政府の無策や大企業の傲慢が原因だろ。

78 :
割り込んですまないが、あとは政治経済板でやってもらえまいか。

79 :
実行者は政治家や企業でも、彼らに社会を自殺させる論理(?)を与えているのは
文藝春秋ら保守系論説誌と、そこに陣取った不労所得に立脚した世襲文化人たちだ。
彼らの話が嘘だらけで、彼らの話の通りに清貧を実行すれば社会が崩壊するということを明らかにしない限り、
「武士道は清い」「清貧は美しい」「消費を見直すことが必要だ」などと叫びながら、
何度でも首切りはなされるし賃金も切り下げられる。
日本経済崩壊の元凶は清貧を謳う保守武士道論であり、
彼らの自称倫理の中心あたりに、江戸期の日本を崩壊寸前まで追い込んだ暗愚の老中、松平定信が存在する。

80 :
松平定信の清貧主義では、経済は縮小し失業と賃金低下でどうしようもなくなる。
あんなものを尊んだ白河藩救民伝説はおかしい。

81 :
>>79
あんたも「清貧」や「武士道」といった言葉遊びを楽しんでるだけ。
あんたが目の敵にしている保守系論説誌や世襲文化人と根っこは同じ。

82 :
つまり反論放棄ですね。
松平定信の清貧を基調とした政治は、何もかもが間違っており、あなたはそのことについて反論できない。
つまり、あなたの愛した武士道清貧論にはよい所が微塵もない、とあなたは宣言してしまいました。

83 :
>>82
とりあえず自分は松平定信の清貧政治は良いとも悪いとも思っていない。
武士道清貧論なんかどうでもいいと思っている。
そんなことよりも今をどう生きるかが大事。

84 :
ニート、経済論を語る

85 :
田沼時代の労働者は賃金をじゅうぶんに貰えたのかな?
意次と商人ばかりが儲けたのでは意味がないんだが。

86 :
文藝春秋とか清貧とか武士道とか吠えてた奴って、実社会で何か失敗した輩なんだろうな。
それで、自分の人生がうまくいかないのを全て松平定信のせいにしていると。

87 :
松平定信がもうしばらくの間失脚しなければ玉縄城が再興されてたのに…

88 :
>>80
>あんなものを尊んだ白河藩救民伝説はおかしい。
君のほうがおかしいよ。松平定信の経済政策が電波ゆんゆんだったとしても、飢饉時の白河藩で餓死者を出さなかったことは事実だし、それだけの能力・実績も事実。

「他にどれだけ能力や実績があっても、経済音痴は評価すべきではない」とでも。

89 :
松平ばかりで田沼のレスが少ないのが切ない。

90 :
>>89
田沼は再評価がデフォだから。
松平定信のほうも、経済文教政策に失政はあったにせよ、ひとかどの政治家だったと思うけどね。

91 :
>>89
善政を敷いた政治家が後世の話題に登らないのは古今東西変わらんよ。

92 :
>>75
あんなもんを『ホリエモン』などと呼んで礼賛する拝金主義がITバブルの実態だったのは事実。
経済は回さなきゃいかんがバブルはダメだ。マネーゲームじゃなくて実業で。
>>88
吉宗の孫だから幕府が援助したって言われてるじゃん。

93 :
>>92
何らかの理由を根拠に中央政府から金を取り付けて地元を富ますのも、地方政治家の重要な仕事。
将軍の孫というアドバンテージを活用して領民を飢えさせなったのも、能力であり実績だと自分は思うね。

94 :
失政を隠し、他藩の領民を餓死させた上での白河藩救済では能力でも実績でもない。
松平定信を評価する人には実力がない。単に他を貶して正当化をやるだけの無能人ということさ。

95 :
>>92
実業を消滅させたのが、清貧を説く人たちの拝んだ「バブル退治」でした。
彼らの消費抑制で生産設備が余れば、空っぽの工場を撮影されてバブルに踊りましたと紹介されるだけ。
実業を卑しむのが、いわゆる保守系清貧論者の説く「質実剛健主義」の正体でしたよ。

96 :
剣客商売

97 :
>>88
他藩が松平定信のせいで餓死者を増大させて、白河藩を救ったから
松平定信は日本の有能な政治家なのかと問われれば、それは違う。
能力も実績もなく、犠牲を幕府内の別の部署にすりかえただけ。

98 :
松平定信の政策は、老中になった後も日本の役には立っていないんだよ。
白河藩時代に、飢饉では他藩から米を強奪して白河藩だけを救ったということなだけ。
他藩では飢饉が深刻化した。
松平定信は、国政を担当できるような見識のある人間ではなかったように思える。

99 :
>>94>>97
飢饉当時の松平定信は老中ではなく、権限も責任も白河藩内にしか及ばない。当時の彼の勤めは藩主として己の領民を飢えから救うことであって、それ以上でもそれ以下でもない。そして定信は、その勤めを果たした。
この説明に反発を覚える向きは、「白河藩」を「日本国」、「藩主」を「日本の首相」、「老中」を「国連事務総長」に置き換えてみるが良い。
「世界中が飢饉だから」と称して日本国民を餓死の危機から救おうとしないならば日本首相の資格は無い。逆に世界全体の飢饉に際して日本国民を一人も餓死させなかったならば、その首相は己の義務を完全に果たしたと胸を張る資格がある。

100 :
徳川幕府の権威を最大限利用した国策救済では、とても善政とは呼べないよ。
老中になった後も、政策は尽く経済破綻、文化後退の原因となり、
生活が困窮しても本人は善政を敷いているつもりで一切辞任しようとしなかった。
その後、周囲の引き止めを期待し一旦辞意を漏らしたら、周囲はこれ幸いと彼を引退させた。
松平定信の政治は評価できる部分がほとんどない。

101 :
>>100
>徳川幕府の権威を最大限利用した国策救済では、とても善政とは呼べないよ。
ならば問う。君が白河藩主ならどう振る舞うのか。「将軍の孫」というアドバンテージを空しく店晒しにして、「全国が飢饉だから」と領民を餓死させるのか。
それはまさしく君の言う
>「奇怪な清貧思想に取り付かれ」た「観念で経済運営を行った」
態度でしかない。
藩主の勤めは領民を飢えさせないことに尽きる。「他領も飢えている」ことを理由に勤めを果たさないことは許されない。「領民が餓死しなかった」この一事で定信は藩主として勤めを果たしたと言えよう。

102 :
オーベルシュタイン的定信擁護現る。ニート、どう反論する。

103 :
他藩を飢えさせている時点で、日本の政治家としては論外なのだが。
せいぜい小さい藩を任される程度の能力しかなかった。
その上国政を担当したときは矛盾と経済後退、文化抑圧で
田沼時代に方向性が見えていた徳川幕府の将来を、借金まみれにして閉ざしてしまった。

104 :
>>103
>他藩を飢えさせている時点で、日本の政治家としては論外なのだが。
既に述べたとおり、権限も責任も藩内にしか及ばない藩主に対して「他領に配慮せよ」と要求すること自体筋違い。
無論、平時に正当な理由も無く他領に迷惑を掛ける人物の人間性には、重大な疑問符がつくだろう。だが、飢饉という緊急時、責任権限の及ばない他人に犠牲をもたらすことを口実に自らの職責を放棄することは無責任であり、領民への背信行為に他ならない。
藩主として領民への責任を果たしたことを理由に定信を批判するのは、甚だ不可解。

補足すれば、飢饉当時に全国に責任を負うべき老中の地位にいたのは、田沼意次のほう。餓死者を発生させた責任を問うならば、その責を負うべきは田沼。

105 :
松平定信の行為は日本の政治家としては評価できない。
他藩から幕府の権限で食料を強奪し、他藩の飢饉を悪化させているのだから。
一地域のわがままを通して、他地域に犠牲を強いたという点で、日本の為政としては松平定信の行為は落第だね。
平等性を幕府の権威で歪めた。松平定信の為政家としての行為は人間未満の破廉恥さに満ちている。

106 :
僕が就職できないのは松平定信のせいに決まってる。

107 :
>>105
君は、飢饉当時に松平定信が未だ老中ではなかったことを故意に無視していないか。
>松平定信の行為は日本の政治家としては評価できない。
と言いながら、地方政治家としての定信の施政を批評するのは、フェアでないばかりか、評価そのものの誤りに直結する。

>他藩から幕府の権限で食料を強奪し、他藩の飢饉を悪化させているのだから。
定信が行ったことは一般に「会津藩が放出した米を買い付けた」と言われている。
まあ、仮に「将軍の孫」という立場を利用したのだとしよう。通常、あまり好まれる態度ではないだろう。
だが飢饉という、多くの人命が危機に曝されている緊急時には、為政者は自らの責任を果たすことのみが求められ、その際にはあらゆるリソースを活用すべきだろう。
たまたま持っていた「将軍の孫」という絶大なアドバンテージを利用することが責任遂行に有益ならば、それを活用することは、むしろ誠実さの現れに他ならない。

>一地域のわがままを通して、他地域に犠牲を強いたという点で、日本の為政としては松平定信の行為は落第だね。
時系列を無視してはいけない。飢饉当時、定信は日本全国に責任を負う立場ではなかった。責任・権限が一地方にしか及ばないのに、その責任遂行が何故「わがまま」なのか。
「落第だ」というのなら、当然「及第」の対応もあり得たのだろう。それは「他領も飢えていることを理由に、自領の民に餓死を強いる」ことなのか。

最後に、逆に問いたい。領外には責任も権限も無かった定信を「他地域に犠牲を強いた」とまで酷評する一方で、飢饉発生時の老中だった田沼意次が全国に大勢の餓死者を出したことを何故不問に付すのか。
権限も無い一地方領主ですら「落第」なら、権限を有していた老中の責任は切腹ものではないのか。

108 :
>平等性を幕府の権威で歪めた。
やる気のある人もない人も一律平等の護送船団がお好きなのですね、わかります。

109 :
松平定信は、国政など務まる人間ではなかったということだね

110 :
地方の領主が幕府の権威を勝手に流用して他藩に飢餓を撒き散らしたとして、
その領主が犯罪者ではないとする意見は間違っている。
流用を許した幕府の担当者は叱責されるべきだが、流用をさせた領主が名君だとは、地元民以外は誰も思わないだろう。
その意味で、松平定信は人間未満の精神しか持ち合わせていなかったし、
彼を未だに名君と仰ぐ人間は、彼の政治の欠陥を無視するだけで何一つまともなことを言わない。

111 :
飢餓で餓死者を出した田沼政権の責任は?
飢餓や不況を招いたのは田沼時代のことだよな?

112 :
>>110
>地方の領主が幕府の権威を勝手に流用して他藩に飢餓を撒き散らした
具体的に何したの?「俺は将軍の孫だぞ」とか言って他領の人からも年貢を取り立てたとか?

>流用を許した
正規の決定も手続きも無しに幕府担当者が一存で公金を白河藩に横流ししてたの? 正式に補助してたんなら「流用」とは言わないよね。第一、それ決めるのは老中の田沼じゃん。

113 :
ニート君は「全国的な飢饉の時、白河藩主はどう振る舞うべきだったのか」という質問に答えられないみたいだね。
「領民に死んでもらう」というのも回答の一つだと思うけど、そう言い切る勇気は無いのかな。

114 :
ニートとか煽るのは感心しない。

田沼政権が善政でないのは、反田沼が世直し大明神みたいに言われたことでわかる。
景気がいいといっても、田沼と商人だけが儲け、庶民無視がいいわけない。

115 :
飢饉に際して松平定信がいかに振る舞うのか正しかったのかは、興味深いテーマだね。
「他の藩につけ回ししただけ」と非難するのは簡単だけど、なりふり構わず領民を飢饉から救ったのも事実。
少なくとも、餓死者発生阻止に成功した一地方領主を叩く一方、飢饉への対応に失敗した老中を擁護するのは明らかにアンバランスだと思うね。

116 :
>>115
>餓死者発生阻止に成功した一地方領主を叩く
会津の餓死者を考えれば、餓死者の総数は松平定信の政策でむしろ増大したとも考えられるのだが
そうも犠牲者を増やした政策を善政と称えられても、松平定信を拝む人間はそういう精神なのだな、とあきれるしかない。
松平定信は要するに殺人者なんだよ。そして、彼を拝む人間にも同様の傾向がある。

117 :
>>116
では、当時の白河藩主はどのように行動すべきだったのかな。
私の主張は>>107に書いたけど、君からは回答が無いね。地方領主に過ぎなかった定信の責任を問う一方で、全国に責任を負うべき田沼を全く批判しないのも不可解に見える。

118 :
そう、田沼政治の善し悪しを語らず、白河の問題点ばかり指摘してる感じだ。
そもそも不況は白河のせいではなく、田沼時代の負の遺産であることを黙殺してる。

119 :
松平定信の政治に良い点は全くないね。
地方政治家だから、中央からいくら略奪して全体を歪めても、松平定信のせいではないとは、
まともな論理ではない。
当時の飢饉は自然災害で、松平定信らの恣意的な流用で本来収まるはずの被害が拡大した。
これに言及しないという形で、黙殺は松平定信の側にあった。

120 :
飢饉時に他藩から食料を強奪して餓死を撒き散らした松平定信について、
松平定信の罪を問わず、逆に名君と称えていることに疑問を感じる。
松平定信の行動は、地方領主としても最低な行為だろう。
これをもって最善を尽くしたなどと主張することは、事前に倉米を備蓄していた当時の上杉家などを
愚弄する振る舞いでしかない。松平定信の行動に良い点など見当たらない。

121 :
>>119-120
で、田沼の責任は?

122 :
僕が無職なのは松平定信のせいに決まってる。

123 :
田沼政治は省エネ時代に逆行している。

124 :
まだ田沼の汚職政治には目をつぶる論法ばかり。
白河が名君でないことはわかったから、田沼のことを語ってほしいよ。

125 :
田沼様が日本の総理大臣なら僕だって就職できたはず。

126 :
田沼の積極財政は見るべきものがあると再評価されているが、自分には疑問の余地がある。
有名な印旛沼干拓による新田開発と運河建設、あれが当時の技術で実現可能だったかといえば疑問が大きい。
実は、印旛沼と東京湾の間には分水嶺がある上に、水位の関係で印旛沼の水は東京湾に自然流下しない。だから現在の印旛放水路も、大和田排水機場による人工的排水を行っている。
分水嶺を超える無謀な運河計画は、水戸藩の勘十郎堀という失敗例があり、当時でも予測は不可能ではなかった。
言うまでもなく、投資というのは回収出来なければ無駄でしかない。こうした無謀なプロジェクトを実現に移したという事実が、施政者としての田沼意次の能力に疑いを抱く大きな根拠。

127 :
田沼の積極策として名高い蝦夷地開拓にも疑問符がつく。
北海道には松前藩があったが、この藩が無高だったことは案外知られていない。つまり江戸時代の技術では、北海道最南端の松前ですら米は採れなかったわけだ。
明治以降、開拓が成功したのはアメリカ式の営農技術を大々的に導入したから(札幌農学校が早い時期に設立された事実にも目を向けよう)。それでもごく最近まで、北海道米は低品質で悪名高かった。果たして江戸時代、本当に開拓など可能だったのか。
一方で、敵の侵入を遅らせ補給を困難化するために前線付近を原野のままにしておくのは、今日まで生き残っている軍事作戦の一つ。北方ロシアへの備えとして、敢えて荒廃地を残しておくことには合理性がある。
蝦夷地を開拓しなかった松平定信の発想は、本当に「保守派だったから」なのか。

128 :
三つ目に、定信の飢饉対応について。
白河藩は他領(会津藩など)の米を買い付けて飢饉に対応した(戦争で奪い取ったのではない)。
ここで考察すべきは「飢饉なのに米を売った他領」「米を買った白河」の比較。
飢饉なのに米を売ったのは何故か。「馬鹿だから」というのは説得力ある議論ではない。言うまでもなく、江戸時代の藩は米で徴税し、必要に応じて換金していた。逆に言えば、必要なら飢饉でも売ったわけだ。それほど切羽詰まっていたといえる。
そんな中、白河藩は逆に米を買うことが出来た。つまり「他領に比べて経済力があったのではないか」と判断が出来る。
言うまでもなく「領民を飢えさせない」ための方策は、現物備蓄に限られない。いざという事態に対応可能な経済力をつけておくことでも対応できる。
この推測には誤りがあるかもしれない。白河藩も貧乏で、無理に無理を重ねて米を買い付けたのかもしれない。だがそれでも「飢饉なのに運転資金のために米を売った他領」と「米を買い付けた白河」という比較は十分成り立つ。
松平定信が当時の東北地方の中で優れた領主とする判断は、合理的に成立させることが可能なわけだ。

129 :
僕だって田沼様の時代に生まれていれば職に就けた。

130 :
田沼様の賄賂は綺麗な賄賂。

131 :
>>127
開拓よりも海産物に目をつけていたと思われる。
田沼時代はもう金銀はあらかた掘り尽くされていたので
当然だけど輸入が滞ることも多かった。
そこで俵物と呼ばれる海産物を輸出することで流出した金を取り戻すことが行われた。
今でいう貿易黒字国の立国を果たし更にそれを拡大するために北海道進出を考えていたかと。

132 :
海産物に関する史料はありますか?
今、その時代の日ロ関係の本読んでみるわ。

133 :
>>131
それは説得力があるね。
少し気になるのは「漁業基地を造る程度なら、開発というレベルにはならないのではないか」という点。
私も少し調べてみよう。有り難う。

134 :
>>99
分かりやすくて説得力満点。必要量を超えた買い付けをしたんじゃなければ、非難される筋合いはないね。

135 :
2ちゃんがここまで廃れたって言っても今だに自演って蔓延ってるんだね

136 :
>>135
誰もが学問板に相応しい文体で書き込みしてるんだよ。ニュー速と違って似たような調子の書き込みになるのは当たり前では。

137 :
林子平は定信叩きのいい材料だが、確かに処罰は行き過ぎでも、子平を持ち上げるほうがおかしい。
定信嫌いの井沢なんか、海国兵談読んだことないはず。

138 :
>>131
蝦夷地からはせいぜいナマコくらいしか
輸出できるものは手に入らないよ。

139 :
海産物以外にも新しい鉱山の発見と開発という目的もあった。
本州では金山銀山はもう枯渇してたし
田沼時代に残されたフロンティアはもう蝦夷地くらいしかなかった。

140 :
>>127
蝦夷地に荒廃地を残しておくことには合理性がない。
現実には、松平定信の蝦夷地放置政策を幕府が続行したおかげで
ロシアの進入を招き、江戸時代には両属だった樺太はロシアの手によって開発を受け日本領から消えた。
>言うまでもなく、投資というのは回収出来なければ無駄でしかない。
>こうした無謀なプロジェクトを実現に移したという事実が、施政者としての田沼意次の能力に疑いを抱く大きな根拠。
前段でこのようなことを記しておきながら、結果が大失敗だった政策を、合理性があると主張することには無理がある。
松平定信の政策に合理性は存在しなかった。
>白河藩は逆に米を買うことが出来た。つまり「他領に比べて経済力があったのではないか」と判断が出来る。
これについても記述が変。
松平定信の白河藩における治世は短く、特に経済分野で改革を行った形跡はない。
大田原藩のような農民主体・藩主体の用水整備は、松平定信の治世では皆無であった。
つまり、余裕があったというのは幕府、国庫から金銭を強奪したということであり、
松平定信が優れた領主であったと言う認識に合理性はない。

141 :
なまこ・昆布・シベリアを通じた交易品、
当時も存在した蝦夷地の産物というとあまり存在しない。
しかし魚も含めた海産物加工は立地できたのではないか。
日本海では南の方まで、東北から北海道で水揚げされた海産物を使った食文化がある。
鰊や昆布は今でも伝統料理として食卓に並ぶ。
放置するのが正しい政策だったとは思えない。

142 :
>>140
>現実には、松平定信の蝦夷地放置政策を幕府が続行したおかげでロシアの進入を招き、江戸時代には両属だった樺太はロシアの手によって開発を受け日本領から消えた。
まず、樺太がロシア領に確定したのが明治8年だということを指摘したい。しかも当時、日本政府内では、黒田清隆らの樺太放棄論が力を占めていた。理由は、北海道開拓だけで手一杯だったから。
北海道ですら江戸時代には寒冷さゆえに農業不適地だったのに、さらに寒冷な樺太を日本領にして、当時の日本に一体何のメリットがあったのか。

次に、松平定信に失政があったことは、田沼意次の失政を正当化も擁護もしないことを指摘したい。
印旛沼干拓は当時の技術水準では不可能だった可能性が高いことは以前述べたとおり。つまり田沼は、無謀な試みで幕府を財政難に追い込み民間資本を大きく損なうという、致命的な失政を犯した。田沼が狙っていた幕府財政再建と商業振興を、自ら台無しにしたわけだ。

>つまり、余裕があったというのは幕府、国庫から金銭を強奪したということであり
この話に拘りをお持ちのようだが、私には全く理解できない。松平定信が「強奪」した事実があるのか。
彼が行ったことは市場での米買付。売っているものを必要量だけ購入することは、飢饉の有無を問わず何ら道義に反してはいない。
問題があるとすれば、飢饉なのに売出した他領の財政運営のほう。それは定信の責任ではない。また定信の買付が無ければ、米が値下がりしてさらに他領の危機を拡大させた可能性が高い。
幕府による白河藩優遇も問題になさっているようだが、白河藩を優遇していた当時の幕府老中が当の田沼意次だった以上、それは定信でなく田沼の失政なのではないか。

143 :
事実に背いても松平定信の失政を糊塗したい、と。
明治政府内の樺太放棄論は、ロシアが既に開発済みであり巻き返しが困難という状況に即したものであり、
君の唱える開発不可能という意見とは正反対の事実が生んだものだ。
また、白河藩の過度な優遇による周辺諸藩の疲弊について、事実を隠蔽し庇う理由が全く不明だ。
松平定信は白河藩について何らの農業改良などの措置を実行していない。
つまり白河藩の財政は幕府からの松平定信への支援金に立脚していた。
松平定信が幕府の権威で周辺諸藩から強奪した食料は、他藩が飢餓から逃れるのに必要なものであった。
これを白河藩のためだけに使い、他藩は飢餓地獄ともいうべき状況となったことについて、
実行した松平定信の責任を問わないという姿勢自体、破廉恥極まりない。

144 :
印旛沼開拓には無理があったかもしれない。
しかし江戸期の利根川氾濫は天明期の土石流災害以後河床の上昇で甚だしくなった。
これが改善されるのは明治の河川改修だ。
災害の結果として困難性が増したものを、後世の側から元々無理であったと結論付けるのは
計画者にとっては不本意だろう。
そして印旛沼開発は流通の観点からも有用だった。
三角形の二辺を通る利根川江戸川を経由した河川運搬路と比較し、
印旛沼を経由した運搬水路が開削されたなら、東北地方太平洋側との運搬は格段に容易になっただろう。
現に田沼以前にも記録はあり、水野忠邦すら実行している。
失敗が多いということは、それだけ魅力的な計画であったということだ。
失敗したから計画自体が悪かったとは断定できない。

145 :
>>143
>事実に背いても松平定信の失政を糊塗したい、と。
そうした意図は全く無い。ただ、当時の諸条件を切り捨てた一方的評価は真実を見失うとは考えている。

>明治政府内の樺太放棄論は、ロシアが既に開発済みであり巻き返しが困難という状況に即したものであり、君の唱える開発不可能という意見とは正反対の事実が生んだものだ。
開拓使次官で樺太専任だった黒田清隆は樺太視察の後、樺太が北海道以上に開拓困難であることを指摘した上で北海道開拓への専念を訴えている。
また札幌建設を手掛けた島義勇が予算オーバーを理由に解任された事実もあり、明治政府は黒田の指摘を容易に受け入れ状況だったと判断できる。
少なくとも、長期的本格的に樺太開拓の意図を持っていたとは判断し難い。
ロシアとの紛争は事実。黒田もこの事実に触れている。そのような紛争地域やその近隣が開発されることは、敵国の征服欲を掻き立てる上、実際に他国に奪われたなら日本の資金と労力で他国を富ます結果になってしまう。
そうした事柄を総合的に判断すると、蝦夷地を開拓しなかった松平定信の判断は国防上も経済上も、むしろ妥当だったのではないかと思われる。

>つまり白河藩の財政は幕府からの松平定信への支援金に立脚していた。
その時代に幕政の責任者だったのは田沼意次だったことを、何度も指摘したのだが。何故支援した側でなく、された側を非難するのかがよくわからない。
(続く)

146 :
(続き)
>>>143
>松平定信が幕府の権威で周辺諸藩から強奪した食料は、他藩が飢餓から逃れるのに必要なものであった。
これが全く意味不明。松平定信は、具体的にどのように「強奪」したのかを教示願いたい。市場から買ったと私は理解している。
「物不足の中、過大な量を購入して腐らせた」「飢饉の中、差額稼ぎのために買い占めた」というなら別だが、販売されている物品を必要量だけ購入することに、一体どのような問題が存在するのか。
飢饉の最中に米を放出した藩では飢饉が悪化したとしても、それは売った側の問題であって買い手の責任ではない。
また、そうした藩は「飢饉でも売らなければならない」ほど財政に窮しているのだから、仮に買い手がつかなければ、さらにダメージを受けることにもなりかねず、その藩の領民も苦しむことになる。
また、田沼時代の幕府が白河藩を本当に優遇したのかについても疑問が残る。定信は将軍の孫だが、当代の将軍の実子ではない。幕府にとって、白河藩を優遇する動機は何か。
一方、君の言うとおり、幕府が白河藩を不当に優遇し、東北他藩が苦しんだのだとしよう。優遇「した」のは白河藩自身ではなく幕府。そしてその幕府の老中だったのは田沼意次。
とすれば、君の非難は定信ではなく田沼に向けるべきではないのか。

147 :
君の文章には、どこにも君の意見を補強する論拠がない。
樺太は松平定信の時代にはロシアも開発をしておらず、
この時点での漁業基地等の建設は日本の樺太開発の可能性として充分考慮できた。
繰り返すが、明治政府の樺太放棄論は松平定信以降の蝦夷地放置策の結果、
ロシア側の開発が先行し、日本に権利を主張する余地が乏しくなった事実に立脚している。
松平定信の蝦夷地放棄策が、その後の日本の将来を狭めた。

松平定信の白河藩救援は、白河藩以外の周辺諸藩から食料を強奪することによって成立していた。
この時期の東北諸藩の事情については上杉鷹山の評伝では、供出要請に基づき
白河藩への食糧輸送があったとある。
松平定信に貯蓄していた食料を奪われ、白河藩を除く諸藩では被害が甚大になった。
これを松平定信の罪でないというのなら、誰も罪には問えないだろう。

148 :
僕が無職なのは全て松平定信の政治が悪かったから。

149 :
まだ餓死者を出した田沼の責任が語られていない。
また当時蝦夷地はアイヌのものであり、田沼政策はアイヌにとって迷惑なもの。
日本がよければアイヌはどうでもいいとは、白河の餓死回避となんら変わらないんだが。

150 :
>>147
戦前の樺太って、鉱山以外は林業と製紙業くらいしか産業無かったぞ。
漁業なら出来るだろうが、保存技術の貧弱なあの時代、遠い樺太で大漁になっても利用しようが無かろうに。

151 :
サハリンなんて、日本には元々縁のない土地だし、別に惜しくも何ともない。
完全に前近代の日本文化圏の圏外だしな。

152 :
田沼擁護の人は史実を知らないみたいですな。
>>140
松平定信の蝦夷地放置政策がロシアの進入を招いたというが、
天明つまり田沼の時代、すでにロシア人はウルップ島まで来ていた。
松平になってからさらに南下したという事実はない。
ラクスマンの根室来航を「進入」とするのは暴論。
蝦夷地を開拓していたらラクスマンは根室に来なかったとでも?

153 :
ロシアの侵入を文化年間の二度にわたる略奪行為だとするなら。
その前にレザノフ来航と日露会談があったことくらい知っていると思うが、
これが破綻したからロシアは武力で通商を要求したのであり、
もし長崎の会談で通商樹立していたらロシアは攻撃することはなかった。
拒否したのは松平ではなく戸田。松平に非はない。
ラクスマンの時に定信は通商もありうると考えていたことは、前に誰かも書いている。
ちなみに田沼時代にはロシアのシャバーリンが松前で交易の可能性を探ったが、松前は拒絶した。
これでも田沼が開国路線というつもりだろうか。

154 :
>>151
はあ?
林業があったのにそれはないだろ。
テキトーなこと抜かすんじゃないよ。

155 :
>>154
江戸時代「樺太を日本領に組み入れて林業を行う」ということが出来たかといえば、難しかったんじゃないかな。樺太より南にある蝦夷地の森林資源すら、本土で活用した形跡が無いんだから。

156 :


157 :
>>149
田沼が餓死者を出したのはどうしようもないんじゃない?
天明の飢饉は大規模な世界的天変地異によるものだし。
それを言うなら、定信時代だってそうだけど。

158 :
>>152
松平定信が好きと言っている人は>>127で、こう記述しているね。
>一方で、敵の侵入を遅らせ補給を困難化するために前線付近を原野のままにしておくのは、
>今日まで生き残っている軍事作戦の一つ。北方ロシアへの備えとして、敢えて荒廃地を残しておくことには合理性がある。
つまり、松平定信は蝦夷地を開拓しなければロシアは進出してこないと見ていたので放置政策は正当という主張だ。
なのに実際は蝦夷地にロシア船は田沼時代から出没し、松平定信の時代にも進出は続行された。
田沼の蝦夷地開拓積極論が領土保全の観点からは正当で、
松平定信の蝦夷地放置策は、ロシアの浸透を容認する役にしか立たなかった。
松平定信の政策を支持することは、>>152の記述に矛盾している。
要するに、「松平定信擁護の人は史実を知らないみたいですな。」が正しいことになる。

159 :
ロシアの積極的な開拓政策を強調すればするほど、
当時の日本の政策としては、田沼時代の蝦夷地開拓積極策が正当であり、
松平定信の開拓否定、放置策は愚劣であったということになる。
どこに松平定信の政策の正当性があるのだろう。
蝦夷地政策に関する限り、事実に視点を当てれば当てるほど、松平定信は窮地に陥っていくように見えるが。

160 :
>>158
そうではないよ。
ロシアが日本に対して野心を持っている(そう判断する余地はあった)のなら、国境に近い蝦夷地を敢えて未開拓のまま放置し、緩衝地帯にしておく作戦には合理性がある、と主張したつもり。
具体的には、ロシア軍の進軍や補給を困難にするため、また日本の資本と労力を投下した開拓地がロシアを富ますような事態を防ぐため、そして日本人が戦闘の犠牲になるのを避けるためという理由が挙げられる。

161 :
>>160
その説明は>>158の通りだが?
どこが違うのか説明になっていない。
むしろ>>158を補強し、敢えて荒廃地を残しておくことには合理性がある、とした先の説明に何らの論理もなかったと君は言っている。
現にロシアは開拓を続行し、樺太は松平定信の放置策のせいで日本の手からこぼれ落ちてしまった。
松平定信の政策に良い部分が全く見当たらない。

162 :
>>161
「蝦夷地を緩衝地帯にしておけばロシアは進出しない」とは私は言ってないよ。「戦争発生時にロシアの進軍を遅らせるため、緩衝地帯を確保することは合理的な戦術」と言っているだけで。

163 :
詭弁もいいとこ
緩衝地帯を確保することは合理的な戦術、と言っておきながら、
現にロシアが開拓して自領を増加させたことについては、日本の不利益を意図的に無視している。
松平定信の蝦夷地放置政策に合理性が全くなかったことについて、君はもう認めているじゃないか。

164 :
俺は152だが、ご自分の史実無知を棚上げして定信好きの人を叩く時点でどうかと思うが。

165 :
>>163
逆に伺いたいが、あの時代に樺太を手に入れて、日本は一体何に利用するのか。
漁業は出来たろう。しかし当時、海産物の輸送には大きな困難が伴った。
林業も可能だろうがこれも距離という問題が立ちはだかる。加えて当時、局所的問題は別にして日本では森林資源は枯渇していなかった。
農業はといえばお話にならない。樺太より温暖な蝦夷地ですら、当時は農業が成立しなかった。
利用価値の低い土地を領土に編入して行政コストを嵩ませ、しかも対外緊張を大きくしきねない政策があの時代に求められたのか、疑問だと思う。

166 :
俺が定信擁護の人を贔屓していると思うかも知れないが、間違いは間違いだと言うだけ。
ロシアの南下に関して「定信有罪」を出す理由がないの。
では聞くが、定信のせいでロシアの南下を許したというのはどの事例を指すのか。
具体的にお願いしたい。
俺の知る限りでは、ラクスマン来航以後、二例を数えるのみだが?
定信擁護の人はたぶん知らないか、知っていても大げさな話ではないと判断したと思われる。
意次擁護の人は、カキコの内容からこの事例を知っているとは思えんな。

167 :
>>166
レザノフとゴロウニン。

168 :
>漁業は出来たろう。しかし当時、海産物の輸送には大きな困難が伴った。
だったら日持ちするよう加工してから輸送すればいいじゃん
当時すでに棒鱈や身欠きにしんを作る技術は確立されてたし

169 :
>>168
樺太から輸送して採算合うか? それこそ経済重視で行こうや。

170 :
江戸時代、上方の食卓を支えたのは
北前船によってもたらされた蝦夷の海産物だったんだけど

171 :
レザノフとゴロヴニンがロシアの進入ってアホか。いずれも定信とは無関係だが。
特に前者は漂流民送還という人道的な配慮もあり、
仮に定信の責任だとすれば我々は感謝すべきことだよ。
だいたいロシアが領土拡大のために南下政策とったのはそんなメジャーな事件とは違う。
やはり田沼擁護は知識がありませんな。

172 :
ロシアが侵入したことはないけど侵入されたのは定信のせい

これが意次ファンの論理。
自分で馬鹿だと気づいてくれないか。

173 :
まったく、松平定信好きの人には論理がない。
間違いも間違いと認められず、相手を間違っていると言い換えて済ませようとする。
たとえば、>>166ではロシアの南下に関して「定信有罪」を出す理由がないと言っていながら、
松平定信の蝦夷地放置策が継続された結果としての、幕末の樺太におけるロシアの優越状況へは言及しない。
知識の無いのは松平定信を擁護したいからなのか、それとも意図的に嘘を流布させたいのか、
判断に迷う。
樺太を含む蝦夷地開拓は、ロシアに先行して日本に実行できる予知があった。
これを頓挫させた松平定信の蝦夷地政策にまともな判断は一つもない。

174 :
>>165
>漁業は出来たろう。しかし当時、海産物の輸送には大きな困難が伴った。
その後の状況を見る限り、あなたの判断の方が疑問ですが?

175 :
>>172
ロシアの開拓も無く樺太がロシア化したと考えているとしたら、君は魔法使いだろう。
松平定信が好きな人は時々このように論理が逸脱する。

176 :
>>173
樺太の開発が可能だったとして(私見は「開発は不可能ではないが、投下資本は回収不能」)、「日本が開拓した土地をロシアに奪われる」という可能性を考慮しないのは如何なものか。
言うまでもなく、防衛線が伸びれば、それだけ防衛自体困難になる。まして当時の日本では、樺太の後背地である蝦夷地ですら、まともな食糧生産が不可能だったのだから。
実際に幕府は蝦夷地防衛のために様々な軍事行動を起こしている。これを蝦夷地のみならず樺太でも行った場合、どれだけのコストを要したか。

177 :
幕末まで定信の責任とはすごい飛躍だな。
だいたいレザノフを挙げた時点で無知をさらすようなもの。
あれは、ロシアが来たことに感謝すべき話なんだよ?
また文化のロシア侵攻は定信の政策通り通商を樹立していれば起きなかった事件。
よって定信は悪くない。
ゴロヴニン事件はロシアを拿捕した時点で日本側の優勢。
定信の関与であれば手柄話だな。
俺は定信好きではないから、これらのことで定信偉いとは言わない。
だが幕末まで定信に責任負わせるのであれば、手柄も認めねばなるまい。

178 :
1779 シャバーリンの交易要望を拒否
1786 意次失脚
1789 アイヌ相手の御救貿易
1793 海防指令

179 :
>>11
http://mitubaaoi.bbs.fc2.com/

180 :
>>167
蝦夷地を開拓していたらレザノフは来なかったの?
じゃあ田沼の蝦夷地政策が続いたら仙台漂流民は帰国しなかったんだね。
田沼が失脚してよかったよ。

181 :
>>172
おそらく、その意次ファンは経済板の常駐馬鹿だな。
この馬鹿はいつも全否定か全肯定の二択しかしないからな。

182 :
文政の頃には一時的にロシアが来なくなるんだよな。
この時期、幕府は蝦夷地を直轄から松前藩に返した。
開拓云々というならここを語るべきだろ。
意次が失脚した後蝦夷地を放棄したって馬鹿かよ。
放棄したのは文政四年といったほうがいい。
つまり松平定信は無関係。
それより天明時代に交易を拒絶したほうが悪いのでは。
田沼信者が鎖国を推進したいなら話は別だがな。

183 :
>>182
たしかに家斉が最悪だったかもしれん。
万暦帝やブレジネフみたいなもんかね。

184 :
>>183
家斉は水野忠成を登用したよ。
「水野出て元の田沼となりにけり」

185 :
>>184
田沼政治の復活といえるのか疑問。
とにかく家斉が奢侈にふけったのは最悪だろ。

186 :
田沼、失脚したようだけど大名としてはちゃんと生き残ったんだよな。維新後は子爵様だ。
もとは足軽の家なんだから、上出来じゃねえか。

187 :
>>181
俺は、そいつが井沢ヲタだと思ってた。
逆説14巻を読んでニワカの知識で得意になってんだろうな。

188 :
浅い知識で松平定信を信仰しても、所詮底が見えるということ

189 :
浅い知識で田沼意次を信仰しても、所詮底が見えるということ

190 :
井沢の本は面白いし鋭い指摘もあるが、少し一方的に過ぎるとも感じる。
スレ違いで悪いが、例えば徳川斉昭を「祖法ゆえに鎖国に拘った」と一貫して否定している。
斉昭は確かに攘夷論者だけど、その理由は「祖法への拘り」ではないような気がする。

191 :
まだ議論で負けておいて、松平定信の方が正しいと主張しているのか。
松平定信の政策にはその後も有利な点は無かった。
そのことを踏まえたうえで、以下の展開となっているのだが。

192 :
>>176
あなたは、樺太の経済開発が可能であったと論理を変えましたが、
「日本が開拓した土地をロシアに奪われる」という可能性を考慮しないのは如何なものか。と
更に論理を飛躍させたのには、無理を感じます。
千島樺太交換条約の際も、武力衝突は存在しなかったのですから。
あと、他人を馬鹿馬鹿叫んでいるもう一方の人は、全く論理がありません。
そちらの人の方は、松平定信を盲目的に信仰しているだけでしょう。
挙げる話は他人を誹謗しようと試みる内容だけで、何一つ松平定信を弁護する内容になっていないのですから。

193 :
>>192
それは可能でしょう。何も栽培できない田畑を開墾し、コストすら回収できない製材と漁業を行うだけでも「開発」には違いないのだから。
何のためにやるのか、全く不明ですが。

194 :
議論で負けただってw
田沼信者がぼこられっぱなしじゃんw

195 :
>>190
井沢は作家なので、本が売れればそれでおkってスタンス。

196 :
田沼意次は当時としては時代を先取りし過ぎて異端児扱いされてる人物だよな

197 :
>>196
そういう面があることは誰も否定しないだろう。問題は、田沼の政策が「地に足のついた」ものだったか。
印旛沼干拓を兼ねた運河計画は当時の土木技術では実現不可能な恐れの大きい物だ(分水嶺付近の印旛放水路は「渓谷」というレベルに切り開かれている。この付近は土質も劣悪で、開削は極めて困難)。
蝦夷地開拓も投下資本の回収に大きな疑問がつく。
つまり「周囲に理解が無いから失敗した」のではなく、「刹那的な見通しで無茶な政治を行った」可能性があるということが指摘されている。

198 :
大事なことは経済を回すことだよ。
民間の事業者じゃないんだから資本の回収は二の次三の次。

199 :
>>198
つ夕張市

200 :
>>167の「レザノフとゴロヴニン」の件はなんなの?
あれは定信のせいか?
自分で発言しながら突っ込まれると黙秘し、誹謗だけとは身勝手だねえ。
レザノフが来たのは日本人として感謝すること。
帰国した人の子孫みたいな人がホムペ作ってるから一度勉強してくるといい。
馬鹿には理解できないがな。

201 :
>>198
おいおい、それは当時も今も通らないぜ。
事業そのもので金が回るのなんか一時の話、長期的に経済効果のある事業でないと後が続かないし、いたずらに財政や民間資本を損傷するだけだろうに。

202 :
>>198
もし田沼の本音がそれなら、罷免で済んだのはむしろ温情だろう。
使い物にならない運河や、ランニングコストすら回収出来ない開拓事業を、確たる見通しも無く実施するなんぞ、幕府への忠誠も為政者としての矜持もゼロ。

203 :
その後の水野忠邦も印旛沼の開拓に手を付けてるんで
事業そのものが間違いだったわけではないだろ。
というか民間が手を出しづらい事業にこそ国がやらなきゃならないのを
理解してない奴が多すぎ。

204 :
>>198
もし田沼の本音がそれなら、罷免で済んだのはむしろ温情だろう。
使い物にならない運河や、ランニングコストすら回収出来ない開拓事業を、確たる見通しも無く実施するなんぞ、幕府への忠誠も為政者としての矜持もゼロ。

205 :
田沼擁護の人はシャバーリンのこと知ってるの?

206 :
>>203
事業の実施には、何の問題も無い。問題は、その事業が全くの失敗に終わったこと。
勿論、失敗自体は田沼の責任とは言えない。問題は「事前に万全の調査を怠らなかったか」にある。
その点、利根川〜印旛沼〜東京湾ルートの運河建設に挑んだのは、田沼が最初ではない。また、ルート途中に分水嶺があり、しかも極端に崩落しやすい土質だということは、当時の技術でも確認出来たこと。
確かに、この運河に関しては、田沼の側に「万全の調査を怠らなかった」という抗弁成立の余地がある。水野忠邦が同様の失敗を犯したことも、田沼にとって有利な事情であることにも異存は無い。
この点、資料を示せるならよろしくお願いしたい。

207 :
大規模な土木工事の正否に関して失敗の可能性が全くないとは誰にも言えないだろ。
それにこの時代は本州はあらかた開拓してしまってるので
残されてる土地は難工事が確実な所と蝦夷くらいしかない。

208 :
いや、江戸時代の場合はそれこそ白河藩や那須・郡山の荒野があった。
大河原市の用水路建設は既に藩営の事業として進んでおり、
これが明治以降の那須や郡山の開拓事業へと参考にされてゆく。
しかし、松平定信は自藩で農業は振興させず、幕府からの金と他藩の米で賄おうとした。

209 :
>>207
当時の科学技術で万全の調査をした結果が「行ける」という結論なら、田沼の政策決定に過失は無い。
逆に不十分な調査で軽はずみに断行したとしたら、それは田沼の重大な過失。
この点、印旛沼干拓プロジェクトは「新川の流れを逆転させる計画」「染谷源右衛門も着手したが頓挫」「新川と花見川との間に分水嶺」「その分水嶺付近が開削不可能な化土層」「分水嶺が越えられず頓挫した水戸藩・勘十郎堀の前例」と、成功を危ぶむ根拠が非常に多かった。
何故このプランを実践したのか、田沼の無謀さに疑いが残る。

210 :
大田原藩ですね。
あそこの用水開発と白河の停滞を比較する限り、松平定信が農本主義を志向したというのも嘘に聞こえる。
文書だけ読んで幕府の金をくすねることしか頭になかったのではないか?

211 :
この前の地震で崩壊した、南湖公園は作ったんだけどね。
大田原の長大な用水などに比べると、城を潤す程度の役割しか果たしていない。
用水に関しては、松平定信は力不足。

212 :
田沼が実は鎖国推進だったことは天明期の対応ではっきりした。
これを黙殺し、幕末まで話を飛躍させるのはおかしくないか?
レザノフのことも黙秘だね。認識が間違っていたことを認めているようなもの。

213 :
君の文はどれも、松平定信を擁護する内容ではないよ。
松平定信の蝦夷地放置策が、ロシアの侵入支配地拡大という形で日本を圧迫したことについて、
君は発言で認めているではないか。これでよく松平定信を擁護する気になるものだ。
君は引用内容と要求が正反対で、君の引用内容を議論する限り君の意見が間違っていることになるのだが。

214 :
南湖公園は被害を受けたが崩壊はしていないような気がする。
農地利用というにはあまりに小さい、城の溜池の域を出ない工作物というのには変わりはないが。
松平定信は農本主義を掲げるにしては、農業分野ではほとんど実績が見えない。
実績そのものが乏しい松平定信を掲げ、土木工事で結果として失敗した印旛沼干拓で田沼を叩くのは、不正行為ではないか。

215 :
>>213
ロシアの領土拡大は定信以前からだよ。
君は田沼時代からロシア人がウルップに来ていたことすら知らない無知。
定信の時にそれ以上ロシアの南下はない、ラクスマンが根室に来たけど、それは人道的行為の面もあるのだから非難すべきことではない。
そのあと定信が辞任し通商は白紙に、戸田氏教がレザノフの要求を拒否したため文化のロシア侵攻が起きた。
定信の時代には問題が起きなかった事実は動かないよ。
おおざっぱな知識しかないのに勝手な妄想で歴史を語らず、
一度詳細を勉強したらよい。

216 :
蝦夷地や樺太の開発が可能だったか。
君は文化のロシア侵入の後、択捉や樺太に防衛ラインが敷かれたことも知らないのかな?
知っているなら、どこの兵が、何人悲惨な末路を遂げたかも考えるべきだろう。
この程度の知識もないなら勝手な妄想はしないことだね。

217 :
定信がアイヌに対する御救貿易をするのは松前藩がアイヌを搾取したからだが、
田沼時代にはどんな対応をしたんだろう。
放置していたのは意次であり、定信によって改善された。
蝦夷地を取り込むなら日本人入植よりアイヌを味方にする方が先で、
アイヌの反乱を招いた田沼政権は失政としかいいようがない。
定信がやめたのは天明期の探検であって蝦夷地を投げたのではない、投げたのはむしろ松前藩に任せきりだった田沼。

218 :
ロシア側の侵入があったなら尚のこと、放置政策など行っているのが禁治産者となる。
現に松平定信の蝦夷地の放置政策は、その後ロシアの樺太開拓へ対抗手段を喪失することとなり、
日本の樺太への領土主張放棄へと至る。
どこにも松平定信を弁護できる部分など無い。
その程度の話も無視し、君は松平定信の蝦夷地放置策が正しいことだったと主張している。
これは松平定信を支持すると無知になるのやら、それとも松平定信を擁護するためには論理を歪めてもよいという主張なのやら。
君は歴史事実を無視し、相手を無知だと罵るが、その実は松平定信の政策がおかしいと語ってしまっているではないか。

219 :
定信が蝦夷地を放棄した事実はないから君の考えは論外ですね。
冤罪で裁くとか、最悪

220 :
定信の蝦夷地放棄というのは探検を中止したのと開拓をしなかったこと、の意味だろうが、
それは政策転換であり放棄ではない。事実御救貿易を開始するのだから。
開拓をやめたのは実現不可能だから。
先に述べたように蝦夷地防衛ラインの兵士たちがどうなったかを調べたらいい。
ロシアが樺太を占領するのは幕末だ、定信とは関係ない。
それなら千島にロシアを引っ張り込んだ意次の責任はどうなるのか。

221 :
考えたんだが、蝦夷地開拓が有望なプランなら続行したんじゃね>定信?
定信の尊敬するじーさんの吉宗は新田開発ガンガンやったんだから。

222 :
当時の日本の技術では、サハリンはおろか蝦夷地でも開拓できなかったのに、
定信のせいでサハリンが云々とか馬鹿言ってるんじゃないよ。
寒冷な気候で農業に不向き、あまりの寒さに越冬の警備兵(奥羽諸藩の兵)に死者続出。
そんな土地を江戸時代の技術でどうしろと。

223 :
定信以前に田沼意次がサハリン開拓しないのが悪いんでね?

224 :
江戸時代の技術では無理。
季節労働者みたいに魚取りに行くのが限界。

225 :
>>214
結果として失敗したことだけをもって無能扱いするのは、田沼に酷に過ぎるだろう。何度も言っているが、事前に万全の調査を怠らなかったなら、田沼に落度は無い。むしろ積極的な経済政策が高い評価に値する。
ただ、これが「確たる成算も無しに断行した」となると、話は逆。公金を浪費し民を苦しめた軽率さと無責任ぶりは非難を免れない。
その点、このスレで何度も指摘されているとおり、印旛沼干拓も蝦夷地開拓も、当時の知見でも「無理な事業」という予測がついたのではないかという疑いが禁じ得ない。
だからこそ、田沼を評価する人には「田沼には成算があったのだ」という根拠を示してほしい。歴史を再評価し知識を深める喜びを、私も味わいたいのだから。

226 :
民にしてみれば食い扶持にありつけただけでも有難いだろ

227 :
田沼がやった政策で一番大きかったのは貿易黒字を叩き出したこと。
この時代に貿易収支の重要性を理解してたのは驚嘆に値する。

228 :
松平定信恩顧の人って、松平定信の功績を何もあげられないね
その上、田沼が着手した蝦夷地開拓を放棄したことについて
正しい正しいと言いながらこれも結果は最悪

229 :
>>221
地元の白河藩すら、上で田沼支持の人が言及した南湖公園整備だけで、
用水は引きませんでした。

230 :
まーた負け犬の遠吠えが始まったわ。
白河なんかどうでもいいけど蝦夷地放棄の事実なんてないから。
田沼は千島にロシア侵入を許した悪人。
今なお北方領土が返還されないのは田沼の賄賂政治の結果。

231 :
そもそもウルップにまでロシア人が到達した時点では、
日本人の南千島支配はほとんど手つかずの状態だったわけだが。
エトロフに先に進出して、アイヌを改宗させたのはロシア人。
その後、ロシアが撤退(放棄)したすきに日本人が進出して、
高田屋の活躍などで、日本領としてエトロフまで確保したわけで。

232 :
定信は御救貿易しましたが?
アイヌを搾取した田沼時代の悪政の尻拭いだよね。
蝦夷地開拓なんて採算に合わないから。
財産おいて蝦夷地に行け、交通費生活費は自前、なんて誰が行くかw

233 :
いよいよ松平定信擁護の人は、言っていることが支離滅裂になってきたようだ。
松平定信の蝦夷地放置策は、その後の日本から樺太が消えることになった邪悪極まる決断でした。
蝦夷地の開発無しに、この地の日本領土での固定化は出来なかったのですから。

234 :
なんにせよ、蝦夷地本体すら和人地を除けば海岸部分で漁業と交易やってた程度、
内陸部は開拓も何もせず放置状態が幕末まで続いていた。
それでサハリンや千島がどうとか、ありえないわ。
幕末の和親条約の時点で南千島をなんとか確保できただけでも上出来だろう。

235 :
クリル 
もともとアイヌの土地→ロシアが先に進出→ロシアがエトロフから出て行ったすきに日本領化
サハリン
もともと先住民の土地で中国にも入貢・服属→夏場、和人がアニワ湾周辺で細々と漁業する程度
→ロシア船出没で慌てて探検・調査→幕末までほとんど手つかずのまま放置

236 :
>>235のクリルの訂正
× ロシアがエトロフから出て行ったすきに日本領化
○ ロシアがエトロフから出て行ったすきに、「エトロフ以南は」日本領化

237 :
一夜明けたらまた根も葉もない妄想の垂れ流しで呆れ果てました。
225さん、もう議論にならないから放置しましょう。
ところで印旛沼に関する文献のお勧めは何ですか?

238 :
は?
蝦夷地やサハリンの実態についての書き込みは妄想でもなんでもなく、
事実を端的に書いてるだけだが。
江戸時代に、現在の北海道やサハリンの開拓が可能だったかのような見解のほうが、
失礼ながら「議論にならないから放置」するに足る「妄想」では?
それは北海道の開拓が明治になって、ようやく実現したことで明白。

239 :
ここ何のスレwww

240 :
>>238
ごめん、俺は田沼ヲタのことを妄想垂れ流しって言ったんだわw
開拓のことはあなたと同じ意見ですよ。
蝦夷地に開拓団を送るのも大変なのに。
その後の生活も考えが及ばないんでしょう。

241 :
松平定信か、スレを辿ってみると、当初の功績列挙はどれも否定され、
何もしなかったのが功績だということになりつつあるね。

242 :
人足寄場は犯罪者の更生と職業教育の場として、近代的な行刑のはしりで、
浮浪者の増加に対する治安維持としての面もある。
七分積金も、大火で丸焼けになることの多かった江戸には有益な都市政策。
社倉・義倉での備荒貯穀も天明の飢饉の直後なら、当然の政策。

243 :
>>242
そういう地味な政策が、最近はあんまり評価されないね。
派手ではないけど、良い点を突いた民政政策だと思うんだけど。

244 :
まあ定信は「処士横断の禁」による言論弾圧が叩かれてるけど、
株仲間廃止やロシアへの宥和的な姿勢とか、経済政策上はむしろ開放的な面が強いね。
田沼のほうがずっと保護主義的。

245 :
…とはいっても、もちろん定信は「市場開放したほうが経済発展につながる」なんて
今で言う新自由主義的な考えがあったわけじゃなく、むしろ逆の
農本主義的な立場でやったんだろうけど。
そもそも江戸時代の日本じゃ経済は保護しないと立ち行かないほど脆弱だったわけだし。

246 :
>>242
>人足寄場は犯罪者の更生と職業教育の場として、近代的な行刑のはしりで、
>浮浪者の増加に対する治安維持としての面もある。
さらりとトンでもないことを言っているな。
無宿人というだけでまだ犯罪者ではない者を強制収容したんだぞ。
近代行刑はしりと言うより、アウシュビッツのはしりと言った方が近い。

247 :
江戸時代に現代と同じ人権意識を期待する方がまちがってる。
人足寄場は、刑罰といえば死罪か遠島にするか、未決囚として獄死させてた時代において、
画期的で十分評価すべきものだ。

248 :
印旛沼干拓ってなんの落ち度もない農民を強制労働させて、
事業そのものが失敗した上に農村も人手不足で荒廃したんだよな。
でも田沼だけは儲けたという、どこの北朝鮮だよって話。

249 :
>>247
いや、犯罪者ですらなく犯罪予備軍というだけで強制収容なんだぜ。
たしかに画期的ではあるが、当時ですら「やりすぎ」と言われただろうよ。

250 :
>だろうよ
w

251 :
備えずして罰するは不可なり。
まして、まだ犯さざる者を罰することができようか。

252 :
職業訓練の場でもあるからな。
ブラブラさせて犯罪予備軍やゴロツキの仲間にさせるくらいなら、
強制収容して、手に職つけさせた方がいいってことだろ。
江戸の治安対策にもなり、一石二鳥。
まあ、いまのような人権意識のない封建時代のことだから、
いまの基準で考えてはいかん。

253 :
>>246>>249
刑事政策は専門外だが、18世紀、物乞いや浮浪者を逮捕して入牢させるのは欧州でもごく一般的だったし、イギリスのように19世紀までそれを続けた国もある。
この「牢獄」がどんな代物だったかは言うまでも無い。
無宿人に職業訓練を施し、しかも出所後まで視野に入れ有給だった人足寄場は、比較法制上も相当に先進的な取組だったと記憶しているが、間違いかな。

254 :
長谷川泰三の案をとりいれた政策だな。

255 :
>>254
それ違う。それマダオ

256 :
>>253
それをいうなら田沼の賄賂も
正当化されなきゃおかしいだろ。

257 :
>>256
つーか、賄賂は江戸時代を通じてあったからな。
田沼だけを批判できないし、田沼の賄賂は政争絡みで宣伝されたという説が有力だ。

258 :
>>253
プロイセンあたりは誘拐してまで軍隊をつくってたくらいだからな。
酷い場合には、そうして集めた兵士を南米へ売ったりしていた。
あんな野蛮な連中は参考にすらならんよ。

259 :
>>253
何故そうなるのかよく解らないので、詳しい説明をお願いしたい。
>>258
その「野蛮」な状況が、普遍的な啓蒙思想・人権思想の故郷ですら見られたわけだ。
そうした時代の状況を踏まえると、人足寄場の先進性が見えてくると私は考えるが、違うかな。

260 :
アンカー間違えた。
>>253>>256
申し訳無い。

261 :
>>259
啓蒙思想家はそんなものを肯定しとらんが。
それでお前はアウシュビッツも偉大な政策だと思うの?

262 :
>>261
浮浪者や物乞を閉じ込めたヨーロッパの不衛生極まる監獄と比較すれば、人足寄場は遥かに人道上優れていると思う。
また、そうした人道に適う施策を一部知識人の主張に留めず、実践に移した先見性の高い民政も評価に値すると考えている。

263 :
>>259
>そうした時代の状況を踏まえると、人足寄場の先進性が見えてくると私は考えるが、違うかな。
先進性は認めるが、全面的に肯定できるものじゃないと思うがね。
無宿人というだけで強制収容した点で問題なのは変わりないし、これは現代の視点では逆行と言える。
また、無宿人が増えたのは政治の失敗の結果ともいえるわけだが、これを強制収容で対処する点でおかしい。

264 :
>>262
そもそも欧州には「領民のための政治」という考え方はないからな。
少し考えればわかるが、欧州発祥の人権思想や民主主義にもそうした発想はない。
そうした奴等と比較すれば、儒教的価値観はよっぽど人道的でスマートに見えるだろうよw

265 :
田沼様の賄賂はきれいな賄賂

266 :
白川の強制収容は綺麗な強制収容。

267 :
定信様も田沼様に賄賂もってゆきました。

268 :
僕がニートなのは全て白河の政治が悪かったから。

269 :
人足寄場は献策した長谷川平蔵に丸投げしてるね
寄場のための金も五百両しか出さず、足りない分を平蔵が銭相場を使って捻出した際に田沼みたいなことしやがってと不興を買ってる
定信は有能かもしれないけど生真面目すぎて好悪の念が激しすぎる
吉宗の孫とは言え自身が権力を握るためには賄賂も惜しまない程度のバランス感覚はあるけど
自分に会いに来た相手からの付け届け(あえて賄賂とは言いません)を拒否してるけど
その相手にもちゃんと接待はしないといけないわけで入りがなくて出だけなので二ヶ月で二千両を超える出費で
江戸藩邸から金送ってくれと言われた国家老が藩邸での不正を疑ったほど
ちょっとちぐはぐなとこがあるね

270 :
僕に彼女ができないのは全て白河の政治が悪かったから。

271 :
>>264
当時の欧州と江戸時代を比較する方が間違い。
具体的には江戸時代と現代日本を比較するのと同じくらい間違い。

272 :
確たる証拠なんてどこにもないし、あくまでもなんとなくだけど
もし今松平定信がいて、政治家やってたら
東日本大震災の被災者のためとかこじつけて自粛強要してそう

273 :
東電役員は切腹すら許されず斬首
一般社員も召し放ちで他の電力会社から人を連れてきてやらせる
で、さらに大混乱

274 :
>>273
社員はともかく、役員はそのくらいの目にあっても仕方ないことをしていると思うぞ。

275 :
>>272
石原は現代の白河かw

276 :
>>272
たしかに自粛を強要するだろうが、同時に被災者対策を手厚く行うだろうな。
定信は良くも悪くも儒教的価値観で行動してるんだよ。
まあ、全否定or全肯定しかできないタイプの輩には理解できんだろうよ。

277 :
http://thenude.eu/studios/coast_to_coast/TATIANA_752.htm

278 :
http://www.met-erotica.org/mandy-a-andalusia.html

279 :
>>275
悪名高き都条例だって、青少年健全育成を盾にいわば異学の禁になりかねないからね
って、実際定信って出版統制やってたような

280 :
実際に山東京伝や黄表紙の版元を処罰したりしてるね
目的は言論弾圧よりもむしろ武士の統制にあったけど
そういう点でも朱子学的価値観が定信の基礎にあったんだよな

281 :
白河じゃ武士階級以外への一般教育を禁止してたりもしてたしな
武士以外は無知蒙昧で従順であればいいという考えが透けて見える

282 :
>>27
石ノ森章太郎のマンガでは田沼はイケメンだったけどな

283 :
田沼のイケメンは西ノ丸小姓時代から有名

284 :
白河の時代じゃなくて一橋の時代って感じだ

285 :
突き詰めると、"バブルの終わらせ方"の巧拙に行き着くと思う。
田沼時代はバブル時代だった。賄賂が横行するのは見返りがあるからだ。
しかしバブルは物価の上昇を伴うので、江戸で打ちこわしが頻発した。
つまり庶民は田沼政治に辟易したからこそ、定信の登場に喝采した。
やはり田沼がもう一歩考えを進めて、商人から税金を取ればよかったと思う。
国庫に入るカネが個人の懐に入ったのが残念だ。いつの時代もバブルははじけてから
国民は苦労する。

286 :
当時の状況では流通を精査して商人からちゃんと税金を取るのは不可能でしょ
だからこその座を作らせての運上金だったと思うのだが

287 :
田沼の場合物価とかじゃなくて本人に何の責任も無い天災が失脚原因だろ

288 :
>>287
天災の後始末に失敗したからだろ。

289 :
定信の愚民政策は頭くるな。日本の政治家という意識がない

290 :
江戸時代の政治家の第一位はやっぱ田沼だよな

291 :
法人税が取れなかったのが、唯一の問題。
これは徳川宗春にも共通する。
株仲間と運上金ではまだ足りなかった。
印旛沼開発は魅力的だったが、当時の技術が足りなかった。
あとは、五街道の大型車交通の容認と架橋事業
大型船の容認と港湾整備、河川整備と洪水抑止、すべき事はいくらでもあったのだが。

292 :
朱子学に狂って国を傾けた後醍醐天皇と松平定信。
寛政の改革に目立った効果が無いことからも力量の程が分かる。

293 :
田沼=小泉
御用商人=村上、堀江

294 :
水野忠邦=伊東正義
鳥居耀三=大鶴基成
特権商人=土光俊夫
扇動宣伝=半藤一利・司馬遼太郎

295 :
おっと、肝心の
本庄茂平次(冤罪製造目明し)=三重野康
が抜けていたよ

296 :
白河って上皇かとオモタ

297 :
上皇と言えば、定信はずいぶん不敬な真似したようなぁ。

298 :
田沼意次>松平定信
決まり切ってるじゃん。同列に扱うなんて、けしからぬ。

299 :
「貴穀賤金」「士農工商」「商は詐なり」
熱心な儒教の徒は経済がまるで理解できないからどうしようもない
そもそも儒教を統治のための公式哲学にしたのが間違いの元


300 :
>>299
統治哲学として儒教を選んだだけで、上に忠実なら拝金主義でも良かった。
田沼政治は資本主義の先取りだったと言える。それから僅か200年で、
金持ちが上すら買収してしまう事態になったけど。

301 :
人として、定信は「糞」

302 :
>>300
金持ち中心の政治は多くの悲劇を生むからなあ。

303 :

ワイは日本人やけど聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な元の中国に戻るそうやで
みんなも知っての通りでもう経済は破綻してて、取り戻すには無理なんだそうや

その世界ではとても有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
君らほど頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼なくらいな
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ!!


304 :
 定信はポルポト

305 :
どうも、こちらに書いたほうが良いような気もするので上げておこう。

306 :
>>302
金持ち中心って言うか、それ以前もほぼ野放し状態だったわけで
吉宗の晩年なんか大坂商人を抑えるのに苦労してるんですけどね
商業に効率的に課税するのが難しかった時代だから、ある程度は仕方ないけど

307 :
田沼は問題山積で追い出されたが、松平定信は農村福祉を除いてはどれも更に酷かったから。

308 :
人物叢書『松平定信』出たね。

309 :
単なる新装版だけどね

310 :
奥平を無理やりどかして伊勢桑名へ移封を果たした定永

311 :
>>306
そういう意味では株仲間の公認は先進的だな。
江戸という大消費地には全国から様々な製品が入ってくるから
それらに課税をしたようなもん。また独占権を認めることで
必然的に商人の力が強くなるんでインフレを抑えることも可能だし。

312 :
だが株仲間も一度に作りすぎると正直ウザいわけ。何にでも課税でうんざりすることになる。
(課税しないと税収が上がらないから、幕府にとっては必要なことのはずなのだけど。)
だから田沼の治世では、市民は全然田沼のことをよく思っていなかったと思う。
しかしなんでも禁止の松平定信がやってきたなら、途端に田沼の有難味を感じることとなった。

313 :
>>312
勘違いしてるぞ。株仲間の公認ってのは現代風に言うと
大店法の規制緩和みたいなもの。
今で言うと某大手小売が圧倒的な力をもって
製造業者にPBを作らせるのと同じ構図。

314 :
>>313
君の主張内容が見当外れなのは明らかだが、間違いが大きすぎてどう返して良いのかわからないのだ。
1.座及び株仲間は特権的に物品を扱う免許を得ていた
2.その代わりに大岡忠相・田沼意次らは課税を行い、幕府に税収をもたらした
3.松平定信・水野忠邦は「楽市楽座」の立場から解消を行ったが、結果は商品の価格乱高下で市民はかえって困った

315 :
松平定信は晩年に「余は神である」と自称して自分自身の「神像」を彫らせたんだよな。

316 :
儒学の孔子廟と同じ感覚で、自らを未だかつてない聖人と考えたという話だが、
桑名に変なものを建てなくて本当に良かった。
(白河から桑名への移封は藩主辞任後の最晩年のごり押しとされ、定信は領地入りの前に江戸で死んだ。)
白河が嫌になった理由は、蝦夷地警備命令が幕府から東北諸藩にかかってきたため、
蝦夷地を警備する必要が出たのは、ロシアの軍事侵攻が甚だしくなったため、
ロシアが軍事侵攻を行ったのは、老中次代の松平定信が蝦夷地放置政策及び異人接触禁止政策をとったため、
松平定信が蝦夷地放置及び異人接触禁止政策をとったのは、田沼意次が蝦夷地開発及び交易促進政策をとったため。
結局、松平定信の政策の誤りが白河藩を苦境に追いやったのだから、自業自得だったはずなのだけど、
それすら移封で阿部家に押し付けた。松平定信は本当に救いようのない無責任な奴だ。

317 :
今現在に両者が甦ったら
田沼:インフレターゲット&公共事業で景気回復
松平:増税&緊縮策で財政再建
あなたはどっちを選ぶ?

318 :
一商店なら緊縮策もあるが、社会全体を緊縮にしても財政再建は不可能。
松平定信は在りし日の社会党マドンナ議員と変わらなかった。

319 :
>>314
株仲間は商売の独占権を得る代わりに出来るだけ
安価に商品を供給するって役割も担わされていたんだよ。

320 :
安価かどうかは知らないが、松平定信や水野忠邦の規制撤廃策は
期待した競争低価格化はちっとも起こさず、商品相場の投機化しかもたらさなかったわけ。

321 :
どちらにしても、国政に松平定信は不適だった。
せいぜい国内の一つの商店か寒村内でしか使えない、節約して資金を経営に回すという発想で国政を動かしてしまった。
国政で経済を萎縮させれば、経済だけでなく社会も技術も文化も人口すら衰退を余儀なくされる。
良かれと思った清貧克己とやらが日本の衰退しかもたらさないのだから、とんだ自家中毒だ。

322 :
清貧とか緊縮とかいうものは税金未納と変わらない。
一人が抜け駆けで実行するとその人間に利益をもたらすが、全員がやったら社会破綻だ。
まして社会の倫理なんてものに位置付けられたりしたら、その社会は以後浮上できない。

323 :
田沼も、江戸城経費は半減、自らの生活費は埃も出ないほど全てを幕府の貯蓄や将来投資、自藩の将来投資に注ぎ込んでいた。
しかし経済を萎縮させておいて正義だ武士道だなんて、そんな馬鹿なことはしなかったんだよ。

324 :
>>320
商売をやれない人間にとって、商品相場に手を出すメリットはあまりないからねえ。
株仲間解散で誰でも商売をやれるようになったら
投機マネーが市況に流入するのは誰の目にも明らか。

325 :
生産力に余裕がある段階で緊縮財政に反対して好景気をもたらし軍部や国民の支持を得た高橋是清も、
潤沢な予算に味を占めた軍部の暴走によって財布の紐を締めるべき段階になって手をつけられなくなり、
ついには軍部のテロで殺された。

326 :
>>325
緊縮をやるには経済の好転が必要だ。
それも考えない井上準之介が城山三郎などで持ち上げられるのは不自然だ。

327 :
株仲間の場合、構成員としては主に都市の問丸から転じたような問屋、流通関係者が多かったから、
これを解散すると代わりに出てくるのは、農村の豪農系生産業者だろう。
自分で生産しているから考えることは、まずは生産者利益確保だ。
フェアトレード製品が収奪生産品より高いのは当たり前。値上がりしないと考えていたとしたならよっぽど考えが甘い。

328 :
今と違って戦前は無闇に国が借金してたら貸し手の国に生殺与奪の権を握られたからな。
それで互いに緊張状態を高めて戦争に至った。奪わなきゃ奪われるんだから仕方がない。
緊縮政策を今の感覚で財政緊縮を見る奴はバカ。旧平価での金解禁は馬鹿そのものだけど。

329 :
>>327
天保期あたりでは木綿や菜種あたりが典型だけど、上方では国訴が盛んに起こってる。
幕府は金肥の値上がりで悲鳴を上げる生産者の声を無視できないが、江戸では油は
灯油や食用油として生活必需品になっているから値上がりすれば世情不安に直結する。
問屋も経費削減が限界に来ていたから、何をやっても無駄ってな状況まで至っていた。
早い話、江戸の贅沢が飛びぬけて行き過ぎていたとも言える。国の消費に寄生している格好の
今の東京と同じだ。
大坂の問屋を介さない尾張藩の内海船などが多少の安値で売っていたけど、江戸の必要量が
安定的に確保されるためには問屋による統制が必要だったから、問屋のシェアが下がることで
逆に江戸での小売値が上がってしまった。商人は顧客のことより自分の利益を優先させるし、
幕府による統制は問屋を介してしか影響を発揮できなかったからな。
そんなことを矢部定謙が藤田東湖に語ってるよ。当時の状況を今の感覚で語ると見当外れの
結論が導き出されがちだ。

330 :
田沼も定信も治済にいいように利用され捨てられただけだな

331 :
>>330
バーカ

332 :
士農工商の商に媚びた田沼と農に媚びた松平。
飢饉前は多少農を疎かにしても回していけたが、飢饉後は商業どころじゃないので緊縮策
攻めの田沼に守りの松平、時代の要求にあった人材が都度選ばれたって以外の何物でもない。

333 :
ちなみに松平定信以降も東北の人口は飢饉で減ったまま、増えませんでした。
時代に合っていたとは思えません。

334 :
>>333
西日本の商品経済の発展を抜きにして東日本の困窮は説明できないのに何を言っているのやら。
根本的に身分制度、封建体制が矛盾を呈していることを理解できず個人史観に流される輩
はマンガ、アニメでも見てなさいよ。

335 :
>>334
正反対ですな。
その役立たずの江戸封建制を維持しようとしたのが松平定信なのですから。
彼に個人的な好意を表明するのは、
白河市の自主製作マンガや地元民の三文小説程度のものです。

336 :
>>334
お前が相手しようとしているのは有名な基地外らしいから、やめておいたほうがいいよ。

337 :
ああ、武士道叩きが嫌いでその手の書き込みがあると粘着してる奴?

338 :
↑基地外の書き込みかな。

339 :
松平定信の治世は、彼の見解では正道を行くものだった筈なのだが、成果が見られない。
彼は農民保護のため、貸付制度や非常備蓄米制度を整備したとされるが、
この時期以降も北関東及び東北地域の人口減少は止まらず、
関東地域の人口回復も、現実には南関東地域が回復増加に転じたのみ。
これには、松平定信以降もこれらの地域で稲作偏重及び他作物への抑制が止まらなかったことと、
米増産の結果、北関東及び東北地域は却って収入減に直面していたことが挙げられる。
幕府の米確保政策のために、より高価な作物への切り替えを抑制されていたこれらの地域は、貧困から抜けることが出来なかった。

340 :
貨幣経済が農村にまで浸透してたのに米本位にこだわり過ぎて
幕府の弱体化と明治維新に繋がっていったからなぁ。
田沼路線を継承してたらまた歴史は違っていたかもしれん。

341 :
>>329
今でいうところの大手小売りのPB商法みたいなもんだな。
圧倒的な販売力で生産者に安い価格での納入を強いるのと全く同じ。
それによって幕府は税収が入り、江戸の物価は安定を維持できる。

342 :
田沼も色々失敗はしているんだけどね。
米の買取による価格高値安定(必要予算が多すぎて放棄、後の天明飢饉の際はこの教訓が災いとなって対応が遅れた)とか、
大阪から江戸への米売却代金としての銀輸送計画(為替のもっと良い時期に両替しようとしたら、銀通貨が払拭して頓挫)とか。
だが松平定信の米依存はよくなかった。
他の業種と複合させながら地域を安定させてゆくはずが、モノカルチャー推進で通常は豊作貧乏、飢饉時は打つ手なしだった。
江戸幕府は、座・株仲間を通じた統制と安売り強要によって、米以外の諸品の値段を押さえ込んでいたわけで、
これを楽市楽座の原則を通用させれば更に値下がりが期待できるとした松平定信や水野忠邦は、物を見る目がなかった。
だいたい、常に増産が図られた米は享保以降は年度内に販売できない古米を生むようになっており、
これと、日々需要が増していた米以外の各種製品との価格差は日々開いてゆく一方だった。
自由化すれば米価が下がりその他の値段が上がる。江戸時代の状況を彼らは考慮していなかった。

343 :
米の値段を上げたければ東北で米作りなんか止めちゃえば良かったのに、
なぜそんなに他の産品を禁止してまで米作りにこだわったんだろう。

344 :
東北の稲作は、弥生時代の水田遺跡は発見されているのだが
その後全く途絶えてしまい(数世紀化石米すら出ない時期がある)、再開したのが9世紀前後。
この時期は大和朝廷による東北侵略併合が行われた時期で、坂上田村麻呂とかアテルイのいた頃に相当する。
それからも東北地域では長らく稲作は低調で、畑作雑穀里芋中心の生活だったとされている。
これが急に変わるのが、江戸時代の米本位制の時代。
東北諸藩は石高を競い、稲作へ重点を置き、他の産品を一向に省みなくなった。
但しこの時期の稲作はかなり不安定で、天候の不順に際しては全く米が取れなくなり、度々大量の餓死者を出す飢饉が発生した。
東北の稲作には、石高を念頭に置いた藩の立場だけでなく、「畑作を行う人間は日本人ではない」という近畿中心の考えに過剰に反応した部分を感じる。
東北人は日本人であることを示すために稲作を目指した。人口も生産力も減少を続けても、稲作偏重は変わらなかった。

345 :
>>344
後半はおまえの妄想だなw

346 :
>>345
すると藩に強要され、作りたくもないのに稲作に手を出して餓死していったことになるのだが。
江戸時代以前の麦や雑穀や芋の方が、住民にとっては気候変動に左右されにくい有利な作物だった。

347 :
山形の引っ張りうどんや東北各地の芋煮を考えるに、稲作が東北全域に広まったのはそれほど過去ではない。
記録からみても江戸時代より前は雑穀中心だったのだよ。
それが現在のような稲作に生きるという状況に変わったのは、やはり江戸時代ということになる。
でも、少なくとも江戸時代に東北地域で稲作をするのには無理があった。江戸時代中期から東北では人口の減少が止まらなかった。

348 :
>>343
そんな減反政策みたいな真似を大名たちにやらせられるわけないだろ。
基本的に幕府が藩政に干渉するのはNGなんだから。

349 :
関東は幕府領だらけですが、そこでの政策も松平定信の推奨する新田開発一本槍でした。
南関東の方では菜種・木綿などへの転換がなされていったようですが。

350 :
>>347
江戸時代中期以降の人口減少が止まらなかったというのは表現が的確でない。
江戸中期以降は日本の人口そのものが横這い。
全国平均からすると東北の人口はわずかに減少程度。

351 :
江戸時代の北関東から東北に広がる、妙な稲作偏重主義の正体がつかめない。
藩による強要とするには、現在のこの地域の住民の稲作への思い入れを考えると少し違うような気がする。
それとも自発的なもの、現在この地域にある、農業や住む土地への思い入れと同種と思って良いのだろうか。
それにしては江戸時代の東北は稲作に向いていないのに。
本当に、江戸時代を通じ米はいくら余っても増産が図られ、更に米価は低迷してゆくことになる。
経営感覚があったら他の作物への転換を模索するのだが、東北は米へますます集中してゆく。
その結果東北は幕末にはすっかり疲弊していた。
田沼意次の時期が米以外に目を向ける機会だったように思う。それを元の米依存の方向に全て戻してしまったのが松平定信だったのだろう。

それと、江戸中期以降の人口横ばい説は「西日本も含めたら」という語を抜いた欺瞞です。西日本の人口増で東日本の減少を隠しているわけです。
関東東北では人口の減少が止まらず、ようやく幕末近くに関東が回復しているように見えるのは、実は南関東のみの回復です。

352 :
http://i.imgur.com/RFA7b.jpg
私は>>343の東北の人口の減少が止まらなかったに言及してるが。
このデータをみて減少が止まらなかったと主張出来るのか?
北関東に関しては>>343は言及してないが。
ちなみ北関東の減少は飢饉で死んだのではなく、江戸が近い関係で食えないものは土地を捨てて江戸に言ったと言われている。

353 :
すまぬ上で343と言ってるのはは>>347の事ね。

354 :
>>352
このデータみると北関東のみならず南関東も減ってるな。
東北は増えてるよね。

355 :
>>352そちらの資料は古いと思う。
享保6年 宝暦6年天明6年文政5年 弘化3年 明治5年
西暦1721  1756   1786   1822   1846   1872
近畿 100  97,73   94.66   96.02   93,50  99.75
東海 100  100.61  99.16   107.12  106.65  115.36
関東 100  97.95   85.40   82.81   86.63  100.98
東北 100  92.10   83.39   89.04   88.73  122.72
東山 100  102.80  104.07  110.01  110.11  127.56
北陸 100  102.65  97.81   111.86  117.57  153.06
山陰 100  109.25  111.97  127.87  124.81  161.72
山陽 100  102.45  108.45  111.21  120.25  143.09
四国 100  104.92  108.45  122.32  126.82  159.66
九州 100  104.51  104.93  110.44  113.78  161.72
やはり関東東北において江戸時代の人口減少が激しい。
同様に東北も減少したままだね。

356 :
>>352
続き。
関東では江戸時代初期から新田開発が利根川東遷事業とともに推進され、江戸時代の初期には人口増もあったはずだ。
しかし天明の飢饉以後の落下低迷が酷い。しかも後述するが幕末にかけて回復したのは南関東で、
北関東地域は却って減少している。
   享保6年 宝暦6年 天明6年 文政5年 弘化3年 明治5年
    1721  1756   1786  1822   1846  1872
上野  100   101.83   91.80   80.23    75.16   89.06
下野  100    95.31   77.64   70.54    67.62   89.02
常陸  100    90.06   72.22   69.57    73.24   91.06
武蔵  100    93.21   85.48   89.02    93.38  102.10
相模  100    97.74   89.38   86.31    97.00  114.07
上総  100   107.66   95.34   91..36    88.52  103.05
下総  100   104.23   89.10   77.23    96.75  118.86
安房  100   119.02  108.20   120.84   124.16  133.83
(速水融 著「人口統計氏から見た明治維新」より)
これを見る限り、南関東は回復するのに北関東は全然駄目なんだよ。

357 :
>>534
どうも史料からみると、東北が江戸中期以降回復或いは横ばいという話しには根拠がないように思うのだが。

358 :
>>352-354
だいたい君の示した図は、江戸時代の数字が享保の1点しかないじゃないか。
しかもそれ以前もない。「明治に良い政治があって人口が増えました」で済んでしまうような図を出されても、
江戸時代の東北が人口が横ばいだったという主張は成立しない。図で嘘をつかれたように思う。

359 :
>>357
東北 100  92.10   83.39   89.04   88.73  122.72
あなたのデータでも最終的に増えてるだろw
これはほぼ横這いでいいんじやない?

360 :
>>359
明治5年と比較するなら、御一新を拝むべきでしょう。
江戸時代内の比較なら弘化3年までの比較になります。

361 :
>>358
江戸中期のデータだから江戸中期と末期(明治維新は最末期と同等だよね?)
http://i.imgur.com/O1j9U.jpg
http://i.imgur.com/0bn1s.jpg
では合わせてどうぞ。

362 :
>>358
そもそも江戸前期は日本のはじめての人口爆発期ってのは、歴史をかじった人間なら常識中の常識だからいらないと思ったがなw

363 :
>>360
横スレだが
これは人口減少がとまらないってのは間違いでいいじゃないの?
ほぼ横這いでしょ。
北関東が争点なら分かるが。

364 :
下が全く見えません。
しかも享保の前は安土桃山というわけの分からなさ。
江戸時代の話をしているのに江戸の史料を出さない不実。
速水先生の史料を使うしかないでしょう。東北と北関東は江戸中期から人口減少が続いていた。

365 :
>>360
江戸最末期を比較対象にしたい場合、弘化3年と明治5年がどちらが最末期の人口に近いかを問うのは微妙だな。

366 :
>>364
関ヶ原のデータ出てるよ。
見えない?

367 :
関東が抜けているが、江戸初期から中期はこういう感じ。江戸幕府が外様藩に提出させた人口調査によると
       寛文5年 寛文9年 貞享2年 元禄元年 元禄3年 永禄7年 永禄11年 永禄15年 永禄16年 宝永3年 享保5年 享保17年
       1665  1669  1685   1688  1690  1694  1698    1702   1703   1706   1720   1732
薩摩藩                                        260,961                               339,955
岡山藩                                                             337,661          368,680
津藩    252,061                          284,126                                      287,096
徳島藩   308,880              385,751                                                  470,512
金沢藩                                                                    551,734   576,734
二本松藩             73,351                             76,130                         70,614
庄内藩                                 126,383                                      131,164
仙台藩                           599,421                617,323                        647,427
盛岡藩        245,635                                          306,412                322,109
これでみると、東日本も増えてはいるのですが、東日本より西日本の方が人口増に見えます。

368 :
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/7240.gif
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/7241.gif
これなら観れるでしょ?

369 :
>>364
お前さぁ、ちょっとアップミスったくらいで不誠実って性格悪いな。

370 :
江戸時代が一つしかない図を出されても、江戸時代の推移は語れないわけで、
これを証拠として出すなら、不実と言うしかない。

371 :
>>364
それと俺の出したデータは速水の弟子の鬼頭のデータな。
どっちが古い?

372 :
>>370
関ヶ原って江戸時代じゃないの?
それと明治維新は江戸最末期と変わらんだろ?

373 :
結局お前はさぁ、東北の人口減少が止まらなかったって言うのは間違いは認めたのか?
お前のデータでも一時減少しだけど持ち直したりしてるよな?ww

374 :
>>371-373
江戸時代に1点しかないような図を示されても、江戸時代の推移は語れない。
君の主張はこちらの数字で見る限り、成立しないんだよ。
関東東北は江戸時代中期から人口減少(南関東は回復傾向があるが、北関東及び東北は全くない)、
そして人口は明治にならないと回復しない。

375 :
>>373
あんたの相手は日本史スレを荒らしまわって、武士叩いたり東北を必要以上に落としめたり、バブルは文藝春秋が潰したとかおんなじ事ばかり言ってるマジ基地だよ。
間違いを指摘すると3回連続で書き込んでくるよ。
しかも常に勝手に勝利宣言。相手にするだけ無駄だよww

376 :
>>374
お前データ何みてんの?
関ヶ原と享保と維新あるだろ?
江戸初頭と江戸中期と江戸末期だろ?

377 :
>>372
明治5年と幕末は住んでいる人は全く変わらない、と斗南藩の人に言ってごらん。

378 :
>>374
いやいや、あなたのデータでも東北持ち直してるんじゃないの?
何いってるの?
争点は江戸中期から減少の一途をたどったかどうかでしょ?

379 :
>>376
関が原は江戸時代より前でしょう。
山内一豊もまだ東海地域の領主ですよ。
この頃を江戸時代には加えられません。
つまり、その図は江戸時代を1ポイントしか示さない、江戸時代の推移のわからない図です。

380 :
>>377
移住したのは武士と家族だけでしょ

381 :
>>378
明治5年は明治維新後、廃藩置県までやった後のものなので、幕末の人口史料とするには難があります。
江戸時代の推移としては弘化3年までを史料とすると私は考えます。

382 :
あなたが出したデータでも持ち直してるっていってるのを無視?ww
もういいやw
やっは基地外相手に話しはできんらしいw
基本的に争点さえ理解出来ないらしい

383 :
>>359
お前達落ち着きなさい。
>  享保6年 宝暦6年 天明6年 文政5年 弘化3年 
>東北 100  92.10   83.39   89.04   88.73  
天明は減ってるが文政には持ち直して弘化は若干減少だ。横這いだろう。
論点は江戸中期は減少の一途かどうかではないのか?

384 :
要するに、図のほうでは江戸時代の人口推移は問えないということです。

江戸時代中期以降の東北や北関東の人口減少を、
稲作偏重ゆえの飢饉頻発と見るか、別に理由があると見るか、
松平定信の治世で挙げられる農村保護策が有効なものだったかを問うには問題となってくる。
天明年間で人口が減少しているのは飢饉のせいだろう。しかしその後も一切回復しない。
相模や武蔵などでは回復傾向が見られるのに、常陸や両毛地域は却って人口が減少してゆく。
全国レベルで見ると、東北にも北関東と同じ傾向が見られる。
為政者が稲作へ執着し農民に強要したのか、社会自体が稲作へ執着したのか、
関東においては松平定信以後の為政が悪かったのか。
江戸時代に関しては、地元住民にとってこれらの事実はとても不幸なことだったと思う。

385 :
>>384
お前ただの負けず嫌いだな?
減少の一途をたどったは?どうなった?

386 :
南関東は増えてるんだよね。
松平定信というよりは、気象条件か商品作物の栽培かが問題。
(千葉県などでは江戸時代を通じて灯明用の菜種油の生産が盛んになってくる。)

387 :
こういう東北の農民は貧しくなきゃ困るみたいな議論するのはブサヨだよ。
日教組に洗脳されてます。オキノドク

388 :
>>385
東北の人口の場合、横ばいというよりは減少でしょう。

389 :
>>388
はぁ?
天明から文政は?
お前数字読めるw

390 :
西日本では享保の大飢饉と呼び習わされているのに一貫して人口増加
東日本は天明の大飢饉でがっくり落ち込み、その後南関東では持ち直すが北関東では更に低下、東北も低調
(更に天保の大飢饉があったにしてはよく保った松平定信様のおかげ、と評するには成果を全く感じない。)
これまでの歴史を語る上で、農家保護の良治とされる松平定信の農業政策には、実際のところ有効性があったのか、
人口の面からはあまり効果が無いように見える。
それとも南関東を避けて他の東日本にくまなく飢饉が襲い続けたのか、その他の人減らしの論理があったのか。
(だが、幼児の人減らしは松平定信が激しく禁止している。効果の無い禁制だったのか。)
稲作偏重がこれらの農村から奪っていたとするなら、松平定信は、各種の政策で保護を与えたような振りをして、
実際は稲作への偏愛から農家を死に追いやっていたということになる。

391 :
>>354
結局、東北の人口は減っていた。

392 :
北関東や東北に稲作以外の換金特産はあったのか?
鶴岡の紅花みたいなものが仙台にあったのか?
それともやはり稲作偏重なのか?

393 :
>>391
お前なぁ東北の人口の減少が止まらなかった。
ていう表現がおかしいって言ってる意味がわからないのか?
おんなじデータみて言ってるだぞ?
馬鹿かwww
お前の表現だと常に減り続けてなきゃおかしいだろ?
日本語のセンスないんだな
でなきゃただの不実の負けず嫌いだな
俺は一言を江戸中期以降に東北も人口増加したとは言ってないし、北関東なんかは触れてもいないぞ。
やはり東北を貶めたいだけの日教組だなw

394 :
>>390
それと松平定信の政策は間違ってたと思うが、人口の面から間違っていたってのは、やはりお前の東北の人口減少ありきの論だよ。
東北では当時の米作技術じゃ無理があるのは当然だから、政策以前の問題だから減少。西日本では農業政策がそこそこ意味があったから人口が増えたんだろ?
データをバランスよくみれないのか?
何故西日本の増加の理由は無視するのか?

395 :
稲作重視の東北の人口減少と、他作物への開発を進めた西日本の増大。
やはり稲作偏重が悪いとするしかないが、
松平定信の責任か、少し分からない部分がある。
だが松平定信が田沼の商品開発を差し止め、稲作偏重を進めたのは失政だった。
江戸時代中期から東北と関東の人口は減少を続けてしまったのだから。

396 :
>>395
データの悪いところだけ取り上げるて、いいところを見ないのはイデオロギーだぞ

397 :
イデオロギーに騙されているのは、人口減少データも見ようとしない東北はよかった論の人だね。
それに江戸時代の東北は豊かだったとか嘘っぱちを書かれても困る。
これで飢饉の時には人口が減っているのに、人口が増えないのは家族制度のせいで食料が無いせいじゃないとか言い出すんだよ。
こういう見解の人間は、「大家族制だから長男しか嫁が持てず嫁は5人も生んだら終わりだから人口が減った」とか言い出すが、
実際は分家などの形で空き家に次男夫婦を入れたりした記録がある。なのに実際は飢饉の減少を補えない。疲弊していたんだよ。

398 :
>>397
東北は良かったなんて言ってる人はここにはいないぞ。
相手がそう言ってるように思うのがイデオロギー

399 :
>>397
読み直しても東北は豊だったと書いたのは近くにないだろバーカ
家族制度とかここに書いてあるのか?
農業技術の問題しか書いてないだろ?
お前は一体何と戦ってんだ?
完全に左翼の日教組教育に首までつかって、相手の主張がみえないじゃないか?

400 :
議論で勝負できないから中傷罵倒とは、東北を貶めたいのかね。

401 :
郷土の不味い点は嘘をついてでも誤魔化すんだよ、
江戸中期以降人口が減り続けていた事実も、嘘を言い続ければ事実になると言い聞かせて、横ばいだと言い募る。
この人の言動は嘘つきにしかなっていないんだけどね。

402 :
>>401
お前馬鹿かww
俺は西日本在住だよ馬鹿ww
頭悪いやつはそんな事しかいえないんだなw

403 :
>>401
お前あのデータみて東北の人口の減少がとまらないというのは、データの読み方として間違ってるって理屈がなんで理解出来ないんだ?
東北 100  92.10   83.39  →ここ89.04   88.73  
止まってるだろw

404 :
>>403
最後が減らないならまだしも、そのデータで止まっているという表現は不適当ですね。
東北は江戸時代中期に衰退してしまった。

405 :
>>404
中期以降、東北の減少が止まらなかったっていうに反論してるんだろ最後は微減でほぼ横這いだろw
お前は都合よ過ぎるよw

406 :
>>404
お前の表現が不適切だ

407 :
反論できないからデータを誤魔化して横ばい、
不適切な表現を使うから「お前が不適切」
この人の言動は東北を庇う目的としては稚拙で、却って貶めてしまっています。

408 :
>西日本では享保の大飢饉と呼び習わされているのに一貫して人口増加
>東日本は天明の大飢饉でがっくり落ち込み、その後南関東では持ち直すが北関東では更に低下、東北も低調
>(更に天保の大飢饉があったにしてはよく保った松平定信様のおかげ、と評するには成果を全く感じない。)
>
>これまでの歴史を語る上で、農家保護の良治とされる松平定信の農業政策には、実際のところ有効性があったのか、
>人口の面からはあまり効果が無いように見える。
>
>それとも南関東を避けて他の東日本にくまなく飢饉が襲い続けたのか、その他の人減らしの論理があったのか。
>(だが、幼児の人減らしは松平定信が激しく禁止している。効果の無い禁制だったのか。)
>
>稲作偏重がこれらの農村から余裕を奪っていたとするなら、松平定信は、各種の政策で保護を与えたような振りをして、
>実際は稲作への偏愛から農家を死に追いやっていたということになる。
ここから議論ですね。変な横ばい論で松平定信の為政の異常性が隠れてしまっている。

409 :
>>407
東北を庇うなんて言ってないだろバーカ。
お前の表現が適切じゃないよって言っただけだろ?
マジ基地外か?

410 :
事実を曲げるまで動かない、松平定信の話はどうでも良い、という見解か。

411 :
>>410
言葉つうじてる?

412 :
松平定信が幼児間引きを堅く禁じたという話は、松平定信の伝記などで強く主張されているのだが、
それにしては松平定信以降も人口が増えないのが不思議。

413 :
>>412
それは鎖国下では食糧の国内で賄える総量と人口の釣り合いがそこで取れたからだろ。
だから飢饉で食糧生産が減れば人口は減る。
単純化できない部分もあるが順調に石高が伸びた西日本の国では人口が増えたんでしょ。

414 :
>>413
全く通じてないね。
口減らしを禁じたのに人口が増えない理由はいくつか考えられるが、
例「大家族制で長男しか妻をもてなかったので一家で5人ほどが精一杯なのである」
・反証:天明の飢饉の際、相模の農村の記録では数軒空所(空き農家)が生じているが、その後他家から次男などが移り住み人口も回復してゆく。
     然るに東北や北関東の場合、天明飢饉で激減後江戸時代の間全く人口が増えないということは、農地が放棄されたか空き農家が埋まっていない。
例「元々その程度しか人口を支える余力がなかったのである」
・反証:江戸と明治の農業はやり方の点では差はない。稲作収量も近畿などでは現在と大差がない。
     明治になって県庁所在地などで都市化が進行し鉄道道路が整備されても、
     農村の近代化は第二次世界大戦後の農地改革と、その後の原動機械化が起こるまでは激変する要素は無い。
     なのに、明治になってから近年まで人口は増加し続けた。つまり余力云々ではなく江戸時代に人口抑制要素があった。
わたしは、北関東や東北の人口が江戸中期以降、飢饉で減少し以後回復しなかったことについては、荒廃から回復できなかったのだと結論付ける。

415 :
安全確実な避妊方法なんて無い時代なのだから、
収量に見合った水準で人口平準化とか、5人で精一杯とか、どちらにせよ結局は間引きで人口を押さえ込んでるわけで
松平定信の幼児愛護美談は、言っただけで農村社会では守られなかったということ

416 :
だが社会保障的な政策はあの時代としては画期的。
素直に経済政策は田沼路線を受け継いでたら
また後世の評価も変わっただろう。

417 :
田沼意次は、社会保障などはまるで考えていない。
幕府の税収を増大させることが全てであり、そのためには貨幣経済(商業)の発達とそこから得られる税収の確保が重要だった。
そのための株仲間(専売免許を持つ企業団体)の公認であり、運上金(定時課税)・冥加金(臨時課税)の取得であった。
米価については、徳川吉宗と同様の買い支えによる高値安定を狙ったが、費用がかかりすぎて早期に撤退している。
諸色(「その他のもの」の意。この場合は米以外の商品)高は、株仲間を通じた安値販売統制が徳川吉宗(大岡忠相)の頃からあり、これを続行した。
貿易品としては、当時中国で払拭していた銅が有力だったが、これの流出も都合が悪いので、中華料理用の海産物干物を開発輸出する戦略をとった。
この過程で蝦夷地開発が俎上に登ってくる。

418 :
だけど田沼が進めた資本主義や近代化の雛型を
後に倒幕を成し遂げた薩摩と長州が受け継いだのは皮肉な話し。

419 :
同業他社が、他社の意欲的なプランが捨てられるのを横目にしながら、自分のものにしちゃった感じ。
俵物などでは、蝦夷地商品開発と長崎での販売統制強化とをやった田沼と、
琉球経由の貿易や長崎・大阪での出店販売に注力した薩摩とは競合していたわけで。

420 :
実際タイムマシンとかタイムスリップで昔に飛ばされるなら田沼の時代と定信の時代、どっちがいい?

421 :
あげ

422 :
>>420
助郷ブローカーや商品作物を買いたたける専売制度を請け負う商人なら
田沼時代は天国だろうが地方の農民に生まれたなら待っているのは小作農に転落か
江戸に流れて日雇い労働者になるだけだよ。

423 :
江戸時代には幕府と諸藩が経済的に競合してたから、御三家でさえ幕府の経済政策を
台無しにするような形で儲けたりしていた。菱垣廻船や樽廻船による商売を内海船で
出し抜いた挙句、価格破壊も商品安定供給も担わずに自藩の取り分を最大化したように。

424 :2013/02/24
株仲間の公認ってのはインフレ抑制政策って面もあるから
一概に善悪は決められないよ。当時の江戸は世界最大の人口を抱える
大都市だったわけだし、田沼時代は好景気だったから
幕府は如何にインフレを抑えるかに腐心してたわけだからね
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