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♪邪馬台国ドンと来い!♪123 (401)
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♪邪馬台国ドンと来い!♪123
- 1 :2013/10/09 〜 最終レス :2013/10/21
- ,..-─‐-..、
/.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j| <ソースを書きなさい!
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
/:/ = /: :/ }! |〕) コツン
{;ハ__,イ: :f | /´
/ }rヘ ├--r─y/
/ r'‐-| ├-┴〆 _, 、_ '⌒ ☆
仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ < ヤダヤダー!!
,ゝ、 \ \ __厂`ヽ (__ ̄) )
/ /\_i⌒ト、_ ノrr- } し'し′
└-' ̄. | |_二二._」」__ノ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪122
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1374947515
- 2 :
- 邪馬台国関係のスレも多くなったな。
でも、これはやっぱりはずせないか…。
- 3 :
- 後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
- 4 :
- この道を行けばどうなるものか。
ひとまず>>1さんに感謝。
○さんいるかな?
>倭国王「帥升」、伊都国王「難升・米」
まず「自古以來其使詣中國皆自稱大夫」
(難升米以前にも、大夫の自称に成功)。
で升は劉伯升(光武の兄)があり悪字じゃない。
と、この仮説はイイ。さすが。
で。実名敬避俗から官名というか通称と考え、
難升米=奴潮男兄=ナ(ヌ)シオオ(ヌ)エ
=奴潮嗚兄 =ナ(ヌ)シオ(ノ)ヲエ
とか言ってみる(笑)。
奴は奴国じゃなく、灘の意もアリ。
帥は統(す)べる、統(す)ぶの関連かな。
○さんの升は王or主の意?家名込み?はて?
- 5 :
- >>4 ルートさん
日本書紀巻第八 仲哀天皇
「筑紫伊覩縣主五十迹手、聞天皇之行・・・天皇即美五十迹手、曰伊蘇志。
故時人號五十迹手之本土、曰伊蘇國。今謂伊覩者訛也。己亥、到儺縣、因以居橿日宮。」
五十迹手は「イトデ」と読んで、伊都国に結び付けている。が
五十迹手は「イソ・トデ」=磯トデ
阿曇磯良が開いた黥面文身の国。 「曰伊蘇國」(いそ国)
「男子無大小、皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫」
今に伝わる「磯良舞」は、白い布で顔を隠す。志賀海神社と宮獄岳神社の二ヶ所だけ。
魏使はいそ国から、一歩も出てない。
- 6 :
- 五十は「十」を読まずに、イソ、イスとかでなく単にイと読むな。
- 7 :
- >>4 :日本海ルート論者氏
>奴は奴国じゃなく、灘の意もアリ。
奴国の語源は、「仲」
福岡県筑紫郡那珂川町仲(ちゅう)
古い土器には「仲」の文字が出ている。
住吉神社の元宮「現人神社」がある。すぐ南に安徳台。
海退とともに住吉神社は三回に渡って、現在の博多区に移動している。
「713年 好字二字令」により、「仲」から「那珂」へ変更された。
「灘」は勉強中にて、今は分からない。
- 8 :
- ただ伊都とは関係ないな。
音韻が似てるから、即これだとやると失敗が待っている。
勿論当たることもあるが・・・。たとえば〜〜
獲加多支鹵大王は雄略天皇で間違いないがね。
- 9 :
- >>7
阿曇族も、713年に「安曇」に変わっている。
安曇野の穂高神社宮司が、去年の「金印シンポ」で発言されていた。
- 10 :
- 那の津は奴国とは全く関係はない、ってことか
- 11 :
- う〜ん
今、否定に傾いてたんだが〜〜。ちょっと早計か〜?
この件、保留だな。
- 12 :
- みなさんすごいですね…
専門の方達ですか?
前スレで大した、いや、全く知識もないのに自分の意見を言ったのが恥ずかしいです
にも関わらずレスを頂けて嬉しかったです
- 13 :
- >>5 ○さん
難=仲
升・米=五十迹手=イソ・トデ=磯トデ
難升米=仲の磯トデ
なるほど〜。
で。
>>6 太国さんの指摘はどうしますか(笑)
太国さんのだと五十迹手=イ・トデ。
ふむ〜。八十はヤソだから五十もイソ読み
できる気もするけど、太国さんもなにか
説をお持ちとか?
- 14 :
- >>12さん
このお二人は歴史に囲まれすぎて、もはや
埋まってる方々です(笑)。
歴史専門以上の歴史人生だと思われます。
リーマンの自分は今必死デス。
- 15 :
- 「那」は「奴」と共通
「那珂」がなまると「ぬか」になる
「額」のボスのは「奴佳鞮」として出てくる
これが後世風に記すと「中智」なるべし
- 16 :
- 「難升米」は「那司馬」なるべし
「帥升」のは「帥司」でよかるべし
- 17 :
- >>13 :日本海ルート論者氏
「倭国王」と「倭国主」もあるとか?
自説では、「帥升」は名前。
この時代は、中国の政変と倭国の事象は直結している。
中国のケ皇后は、ボロボロの状況だった。
この苦境を打破するため数少なくなった友好国の中で紫綬の国の「漢委奴国」に
働きかけ、友好使節団の大朝貢パレードを演出し、国内を何んとか纏め上げることが
企画されたと想像できる。(岡田英弘説)
従って、帥升は漢委奴王統となる。
旧唐書「倭國者、古倭奴國也」
- 18 :
- 「倭」と「委」とが差し替え可能なことは論を待たない。
- 19 :
- 太国さん保留ですか。
確かに、もっと聞きたい所ですよね。
>>7 ○さん
福岡県筑紫郡那珂川町仲(ちゅう)
地図確認。結構海進深いなあ。
良い入江。川も南下してそう。
ふむ。(壱岐=アクアポリスも揺らぐか)
えと。伊都から魏使が出てないのは同意。
で、難升米は実名敬避俗でなく実名ですよ
ね。すると、魂渡しちゃいますけど?
あ〜。いいのか。
- 20 :
- >>13
とにかく五十を単にイと読むようですよ。
五十鈴川のようにイスズガワから五十はイスとも読むわけですが、
イと略読みができる人名とかありますから、あの場合イでかまわんよう
です。
だから今回のイトデとはこの読みでいいんでしょう。
否定しましたが〜撤回して〜
糸島の地名に関係あると観て可となるようだね。
- 21 :
- >>14
本当にすごいですよね
本出せるんじゃないですか!?
私はただの兼業主婦…
スレ住人の方々、私のようなものが質問したり意見を述べてもいいのでしょうか?
みなさんものすごいハイレベルなレスをしておられますので邪魔ならロムに徹します
- 22 :
- >>15
>「那珂」がなまると「ぬか」になる
「額」のボスのは「奴佳鞮」として出てくる
福岡市西区野方ですね。
野方遺跡公園には、時々行きますよ。
http://inoues.net/ruins/nokata.html
- 23 :
- もう寝ますが、明日に〜・・・
例えば、五十猛命といった命名は確かイタケルノミコトだったねえ〜。
崇神天皇もそんなんでないの。
zzzzz・・・・・
- 24 :
- >>21さん
>>15、>>16さんも
多分適当に書いていってokです。
あとで多分レスつくと思います。
一応今は必死です(笑)
とにかく適当に書いていっておk
- 25 :
- 五十迹手は「イトデ」でも構わない。
「曰伊蘇國。今謂伊覩者訛也」
伊覩以前は、伊覩と呼ばれていた。
「磯国」から「伊都国」で十分。
- 26 :
- >>修正
>伊覩以前は、伊覩と呼ばれていた。
正、伊覩以前は、伊蘇と呼ばれていた。
- 27 :
- >>24
ありがとうございます!
私は専門的なことは全く分かりません
質問したり自分の意見を聞いてもらって色々言って頂きたいのです
レベルが高すぎてもう何がなんだか…
- 28 :
- >>17
なるほど。当時の外戚は案外良い外戚って
wikiにありましたね。
帥升は会ってると。ここ同意。
国王って明記されてるしね。
>>22
ああ。つか、どこまで比定してますか?(笑)
ヌカテは地名+通称(官)かな?
名字はないけど苗字っぽい感じかな。
これ王-諸侯-大夫の構造か。
家名兼任地名ね。
- 29 :
- 概要はなんとなく掴めた(気がする)。
これ要するに、
五王上表文まで連続性ありますよね?
邪馬台国は滅ぶけど、構成国は連続する。
違うかな?
- 30 :
- >>28 :日本海ルート論者さん
「第七回 金印シンポジウムin志賀島」
http://shikanoshima.blog.fc2.com/blog-entry-25.htm..
開催日 平成25年10月19日
場所 休暇村 志賀島
記念公演 「 金印の謎を追って60年」
二松学舎大学名誉教授 大谷光男氏
大御所の登場です。前回理事長の甚兵衛発見の続きかな。
私は「春日市奴国の丘歴史資料館 井上義也氏」の方が楽しみです。
しっかり質問して来ます。
- 31 :
- >>29 :日本海ルート論者しゃん
>邪馬台国は滅ぶけど
滅んでません。
隋書「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
ちゃんとあります。
- 32 :
- あれ?
志賀島歴史研究会
http://www.shikanoshima-hsg.com/
- 33 :
- >>23 太国さん
崇神はイニエですね。
用法を示しつつ、でも例外もアリとして
明日と(笑)。お休みなさい。
>>30>>31 ○さん
アクティブ(アグレッシブ?)な質問を(笑)。
てか、○さんアレか磐井まで邪馬台国伸ば
すんでしたっけ?うろ覚えだ〜。
- 34 :
- >>33 日本海ルート論者さん
>磐井まで邪馬台国伸ばすんでしたっけ?
いえいえ、天智までですよっ!
また明日。
- 35 :
- >>34 ○さん お休みなさい。
イメージとして、中原が時間差で日本に
できてる感覚で良いのかな。
かなり中国と親密で、五王上表文には最高
に上手く乗り込めそうな感じ。
倭(い)奴->伊都=磯=五十(書紀:五十迹手)
でも邪馬台国=都:伊都=地方国かな。
ひとまず明日は、
どうやって大夫を自称したか、かな?
語は話せたとして、字もそうか。
にしては金文少ないのをどう取るか。
あたりを聞きたかったり。
畿内説古事記派日本海ルート論者としては
刺激が強すぎ。紀の分かる部分で助かった。
寝ます。疲れた(笑)
- 36 :
- >>33
で、五十というのはイソ、イスと読むが、単に イ とも読むということだね。
五十迹手の「迹」は、確か音読みではシャクと読むんだと想ったな。
この漢字は日蓮宗学で使うが、法華経の前半を迹門といいその後半を本門と
呼ぶんだそうだ。前者はシャクモン、後者はホンモンと読み下し、後者は
池上本門寺の寺名に使用している。12日はお会式だな。
- 37 :
- >>36
新井将敬ですね。
- 38 :
- >>37
その人物のことは政治家とかでないのでよく知りません。
どういうことでしょうか?
- 39 :
- ははぁ、本門寺にその方の墓でもあるんですかな?
- 40 :
- 12日は太国のお葬式です(爆笑)
- 41 :
- 九州説 age
- 42 :
- >>5:○
ここの「伊蘇志」とは「勤」の意味ではないかと思います。
天平勝宝二年に、黄金を献上した楢原東人等に、「東人等賜勤臣姓」(いそしのおみ)と。
上奏した五十to手に対する単なる誉め言葉なんでしょう。
- 43 :
- >>42老眼氏
松浦郡誌、二丈町史、糸島誌、いずれも「怡土」の語源を倭人伝に求めている。
伝以前の名称は分からないが目的。磯国は二次。
- 44 :
- >>19 日本海ルート論者氏
>福岡県筑紫郡那珂川町仲(ちゅう)
地図確認。結構海進深いなあ。
「真鍋大覚の針摺瀬戸 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E9%8D%8B%E5%A4%A7%E8%A6%9A
古代、玄界灘と有明海はつながっていた。
御笠川と宝満川は、大宰府付近でぶつかり合っていた。
そこを「針摺瀬戸」と名付け、さだまさしは「かいきょう」と歌った。
福岡の川は山際まで、海進していた。
水域は農民の為に、川の塩化を防ぐ治水目的の方が理解しやすい。
- 45 :
- >>44
時々このネタ見るけど、
筑紫野のこのへんが一番標高が高い分水嶺なのね。
相当昔じゃないと通らないと思うけどな
- 46 :
- >>45
「風浪宮」http://www.ofurousan.jp/main.html
六十七代続く「阿曇氏」。磯良神社も中にある。
何らかの形で繋がっていた可能性は大きい。
自説「次有奴國。此女王境界所盡。其南有狗奴國」
- 47 :
- 御笠川と宝満川は両方共近いところが源流。
御笠川は四王寺山、宝満川は宝満山から。
先ほど書いたように、ちょうどこの辺りが一番標高が高くて、
博多湾側、有明海側に分かれている。分水嶺である。
ちなみに筑紫野市筑紫の筑紫神社も近い。
- 48 :
- 御笠川と宝満川は両方共近いところが源流
舟で移動する旅にとても便利
- 49 :
- 針摺、西鉄香椎朝倉街道付近
意外と標高があるので、海進期であっても
ここまで海が来ることはない。
万年オーダーならわからんけどな。
また、低湿地ではないので、九州では珍しくないが
ほぼ全域が遺跡の宝庫でもある。
海がここまで来るのはありえないと思いますよ。
- 50 :
- 那珂川の源流部はかなりふかいよ。
坂本峠超えればそこは吉野ヶ里が砦の國であった。
- 51 :
- >>48
この2つの川をつなぐ運河説なんてあったけど、
源流はほんとに小さい小川というか、
今ではただのコンクリの溝なんで、
当時でも舟が行けるような川だとは思えないけどなあ。
- 52 :
- >>50
三瀬峠を越えれば、ヨド姫神社、総座遺跡、肥前国庁
坂本峠は吉野ヶ里
やはり要所なので道を開いたのか。
それとも道があるので要所になったか?
- 53 :
- 日向峠を越え吉武高木遺跡付近から東へ
「道隈〜田隈〜干隈〜七隈〜〜〜雑餉隈〜月隈〜金の隈と横一線に並んでいる。
金の隈からは、宇美へと通じている。
現在の202都市高速環状線。 これが古代の陸行の幹線と思われる。
内側は川幅も広く、まだ湿地帯であった。
塩の干満で水位が上がり、大宰府付近でぶつかり合ってた可能性はある。
真鍋大覚氏の1980年、九州各地のボ−リングでのハイガイ化石調査による
放射性炭素年代測定を元に、古代九州の詳細な地形図を発表しているそうだ。
地形図を知ってる人いたら、おしぇ〜て!
- 54 :
- 博多湾〜有明海は海峡だったのですな
針摺瀬戸の東からが倭国ですな
- 55 :
- 現在の住吉神社の絵図(鎌倉時代?)には、住吉神社、櫛田神社が
波打ち際となっている。
住吉神社の南に「美野島」「宮島」の住居表示が残っている。
博多湾内は、群島だった。
「参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連」に合う。
- 56 :
- >>42
ところで、童顔氏
「到伊都國 戸万餘」と「到伊都國 有千餘戸」。
近畿説としては同じ場所とお考えですかな?
- 57 :
- 博多湾〜有明海が海峡ってのは
住吉神社以北が海だったとか、博多湾内が群島だったとかいうレベルの話じゃないでしょう
西から東に陸行できないわけですから
住吉神社と針摺じゃぜんぜん場所が違いますよ
- 58 :
- >>44 ○さん
なるほどね。ちとスッキリした。
この頃の船の型体は未だ不明な訳ですが、
かなりのノット数がない限り、川上りは歩
速より遅くなる。ならば、歩行で良くなり
水行などする筈がない。日本海で潮流を合
理的に述べる○さんがどうコレをクリアし
てるのか疑問だった訳ですが(笑)
なるほどねえ。距離的に小郡の川沿いあた
りには興味あるかな。まあ地形復元学とい
うのがあるか知らないけど早いとこ結論が
欲しいトコですね。
- 59 :
- 針摺付近=巴利国
- 60 :
- >>58 :日本海ルート論者氏
>この頃の船の型体は未だ不明な訳ですが
これ、非常に大切ですよね。
色んな船に関する本読んだけど、どれも意味不明。
結局分からないが結論みたい。
私は、刳り貫き船説。船の進歩は遅かった。
継ぎ目のない刳り貫き船は丈夫で長持ち。
- 61 :
- >>60 ○さん
刳り貫き船に同意。壊れないしね。
その分、潮流を読む目で勝負になる。
大潮を使うなら新月と満月の月2回か。
まあ水位が足りるなら、2回以上だが。
>>44 塩化防止は三角州の想定もかな?
仮にそうなら範囲によっちゃ収穫量は相当
確保できるが。でも麦じゃないしか。
ちと西アジアがよぎった(笑)。自己却下。
- 62 :
- 刳り貫き船じゃ海は渡れないんじゃね
大きな荷物も載せられないし
- 63 :
- 台与って神功皇后ですか?
- 64 :
- さて。
>>16 べしさん。
那の司馬(中国官名)
帥司(中国官名には無し?漢風造語?)
なるほど。宋書からかな。
大夫自称も、竊自假開府儀同三司と同手法
と取る感じですかね。
しかし、みなさん。
大夫の自称は漢語によるか漢字も伴うか、
通訳任せか。どう解釈するんでしょう?
漢字の出土数が少ないことと当然関連して
の提起ですよ。
- 65 :
- >>62さん
刳り貫き船というのは型体の話ですよ。
大きさの話はまた別です。
漕ぎ手と荷物、加えて持衰も乗る訳ですか
ら、かなりの面積が必要となる(笑)。
でもそれが刳り貫き船を否定する理由にな
らないのが現状です。漸次的結論となるか
もですが、型体はコレでしょう。
荷物をどうにかすれば、壊れない以上、転
覆する度にひっくり戻せば航海を続けられ
る利点は大きいですよ(笑)。
- 66 :
- 持衰は「不近婦人」だけど船に乗るのかな
- 67 :
- レッドクリフに出てきた船はかなりでかかったけどな
実際はどうか知らんけど
- 68 :
- >>64 いかが?
http://zh.wikisource.org/w/index.php?limit=100&search=%E5%B8%A5%E5%8F%B8
- 69 :
- 三国志の軍船
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse053.html
- 70 :
- >>66
乗らない。遭難したら殺されるとあるけど、遭難したら持衰も
生きていないから。
- 71 :
- >>64
http://www10.plala.or.jp/matuzawayosihiro/img222.jpg
BC1世紀にして鉄製の刃物
武帝の楽浪郡の成立には薉君南閭の現地での手引きが働いていただろう
薉君南閭は濊貊系の「口二十八萬人」を従えて武帝の楽浪郡の成立に協力した
蒼海郡のコアなところは梨花洞あたりか?
http://www10.plala.or.jp/matuzawayosihiro/img248.jpg
梨花洞の多紐細文鏡は三紐ので、
鍋島町大字鍋島字増田の増田遺跡 http://matome.naver.jp/odai/2127840240631636001/2127846283232206903
下関市梶栗浜綾羅木遺跡 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0041142 のも三紐
本村籠遺跡 http://inoues.net/study/toraijin35.jpg のは、平譲から20km西南の
平安南道大同郡大宝面反川里 http://www.geocities.jp/yamauo1945/fig51.jpg
のと同一グループ
帯方縣の鳳山郡松山里のは
吉武高木遺跡 http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/271-280/277/277_01.htm
のの発展系だともいう。
楽浪人と呼ばれた混血の足跡は海峡を越えてBC1世紀から確実に辿れるはずである。
吉武高木遺跡に出現した木棺による埋葬も所謂楽浪人の持ち込んだものであろう。
- 72 :
- 刳り貫き船。そんなもので新羅征伐ができるわけがない(カラカラ)
平壌で夫租薉君の銀印が出るわけがない(ケラケラ)
- 73 :
- >>66
私も>70氏同様乗らない。後世は卜占として同船している。
万葉集十五ー三六九六
「新羅へか 家にか帰る 壱岐の島 行かむたどきも 思ひかねつも」
続日本紀「聖武天皇が天平八年2月、・・・使節団を遣新羅使として任命」とある。
雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoutorai/yuki/yakamaro.html
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2011/11/post-f91e.html
「万葉集」には、彼への挽歌が9首納められている。天皇や有名人ならともかく、
地方の一占い師に9首というのは異例である。おそらく有名だったのだろうね。
- 74 :
- 「一支国」とは、宗像大社の「市杵島姫」(いちきしま)神社、広島安芸の「厳島神社」(いつくしま)と
同様に「斎く」(いつく)という語源を持っている。
一支国は、韓半島への渡海に際し、無事を祈願する島(場所)であった。
一支 = 伊吉 = 雪 も同じである。
伊吉氏は、壱岐島で亀ト(きぼく)に通じていた。亀の甲を焼いて吉凶を占う卜部として乗船ていた。
当時まだ卜占は、安全な航海をする上で欠くことのできない存在であった。
一支は「イツキ」「ユツキ」と発音され、「イキ」へと変化して「壱岐」という字に固定されたと思える。
- 75 :
- 「息長帶比賣」のは「ゐきなヶたりひめ」が如く発声するならむ
「ゐきな」のは「壱岐那」なるべし
「息長帶比賣」のは初代の「高良玉垂命」とコモンなるべし
「高良玉垂命」は「物部連」に属するなり
「連」のは「つら」と発声するといふ
「物部」本部は「壱岐郷ノ浦物部本村触」なるべし
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=129.70793838753&latitude=33.770188657598
「息長帶比賣」のは「御眞木入日子印惠命」と同系の御子孫で「天日矛」の末たるべし
すなはち、後の世に「新羅」とも呼ばれたコロニーの酋長の末なり
倭系土人は半島に広範に巣食っていてコロニー形成していたのだ
ちなみに「新羅」らしい「新羅」なるものが成立するのは「息長帶比賣」の世代なり
「奈勿」なる「金姓」のが「新羅」らしい「新羅」の基点たるべし
これのは「王」をつけると「おうなもち」になるのが興味深い
- 76 :
- 稗箕狐は阿呆とコモンなるべし
稗箕狐は白痴に属するなり
- 77 :
- 「息長帶比賣」は「もののべひめ」なり
- 78 :
- >>27さん
とにかくwikiとかそのlink先を調べて行く
のをオススメします。結論より、まず論を
構成する要素に着目して読むと楽かも。
前野良沢じゃないけど、まだ(あくまで自
分の主観で)「倭化」みたいな方がお一人
まだいらっしゃらないようなので、、、
急いで(笑)。
ps.個人的にはとにかくまあ、止揚ができ
れば良いナアとか思ってます。あ、あと多
分、男書きが吉かと。
- 79 :
- 箱崎のルーツも壱岐にあるらしい。
- 80 :
- さて。>>64へのレスが賑わわない。
おかしな流れ。
回避してるのか、それとも準備なのか。
準備はかかる気もします。
もし警戒なら無用ですヨ。
>>71 イチイの弓さん(かな?)
文化は伝播していきますね。
その鏡たちはその証。銅矛も?
で、樂浪人は漢人と東夷の混血ですかね?
韓伝の魏略注にある漢人奴隷の話、光武帝
による奴隷解放宣言と人身売買規制とかを
考えると、文化は買われたかも知れない訳
ですよ。そうでもなきゃ、難升米たち北九
州の墓地に、漢字があんなに少ない筈がな
いと思う訳です。
- 81 :
- 大夫の意味するところについては
まず倭人の身分制度を考察することが先だろうな
字義的なところからはたいした答えは期待できまい
- 82 :
- 東夷の混血の件は単純に考えない方が良いとはおもふよ。
東夷自体のが数次に亘る移動と混血の結果発生しているので
長期的な視点で発想すべき。
列島内に関していえば
移動してきたのと混血して縄文形質を残存させるのが得意だった模様。
- 83 :
- なんか船と持衰が賑わってるけど(汗)。
しかも○さん乗らない派だし。
いや参ったな、否定はしませんよ勿論。
大変なことになりそうだから(笑)。
なので一応、論の要点だけ説明を。
船については閩越の船も中文wikiにあって
色々調べちゃいるんですけど、倭文化に魏
や閩越船の痕跡がないんだから、否定はし
ないけど持論にはしない、連続性で言えば
刳り貫き船って単純な論法ですよ。
持衰は次に書きますよ。
- 84 :
- 川筋のところで舟の底のかわら材が発掘されたのを
木棺が出たのと早とちりした例があったよ。
土壙墓に眠る酋長さんの場合は舟底のかわら材を倣ったケースのが多
土壙が進化して石で補強するようになっても舟底のかわら材を倣ったケースのが継続。
- 85 :
- 持衰についてはなかなか解釈が難しいな
3つほど考える資料をあげておこう
一つ目は北前船の持斎、これは伊作も言及しているが江戸時代の北前船の絵馬が
奉納された神社があって、そこには舳先に縛りつけられて嵐を受ける
持斎の壮絶な姿が描かれている
二つ目は和歌
万葉集に「櫛 も 見 じ 屋 内(やぬち)も 掃 か じ 草 枕 旅 ゆ く 君 を 斎(いは)ふ と 思ひ て」
というのがあって、これは海路を旅する夫を思って、妻が髪をくしけずらず、家内も掃除しないという
持衰を思わせる歌
三つ目は絵画土器で、唐古・鍵出土 ただしネットをあたってみたがよい画像がない
船の後尾に横たわって手に何かを持っている人物が描かれており
明らかに櫓を取っている人物とは異質
これは持衰を表しているという説がある
- 86 :
- レスしながら持衰が乗ってると思う理由を。
>>66さん 持衰は原則男ですね。少なくと
も非処女、特に出産後の女性との接触は穢
れとして忌避されていたと思います。
出産前ならセーフかもですね。
>>70さん 若有疾病,遭暴害,便欲殺之。
目的は交易です。持衰が不謹でなく、勤勉
に勤めをしていれば航海成功。それが成功
するかどうか一緒に連れて行き、何かあれ
ば今度は生贄として活用する。難破しそう
ならR。病があっても貨物が流されるor
盗まれてもR。仮に難破しても壊れない
刳り貫き船に皆がしがみつく。でも、持衰
は海に捨てる。非常に即物的な発想かと。
>>73 ○さん 後世は同船で確定なのかな。
これは有難い情報。助かります。ん?
なにか腑に落ちないような、落ちたような(笑)
- 87 :
- 書いてる間にスレ進む。必死(笑)。
いやでも面白いなあ。スゴイです本当。
マジ勉強になる。
ひとまずメシなどで離れます(涙)。
- 88 :
- >>86ルート氏
「恒使一人」は乗船と考えられる。 が、しかし
@ 乗っているなら、魏使が見ることはない。
倭人からの伝承で、多くの字数を使うのは不自然。
A 女は乗船させないだろう。
B インドネシア付近の持衰も乗ってない。(大林太良説)
- 89 :
- >>88 ○さん。
文脈で行かないなんて、○さんらしくない
論だなと思ったんですが他の人の説と聞い
て納得。ダメ元で勧誘用に一つ(笑)。
イザナギとイザナミ、黄泉比良坂で逃げる
男と追う女の関係があるでしょ。で、倭人
伝の文脈からは、持衰は穢れの塊かつ慎み
深い喪主です。これは巫女じゃなく、穢れ
を請け負うギリシャの浮浪者だけでもなく
歴史的連続性のある生贄の女性にも留まら
ない。黄泉に行くイザナギだと思います。
だから、持衰は生死の境である海に行かな
きゃ始まらない訳です。多分ね(笑)。
- 90 :
- そういえば、櫓という手段もあるな。
櫓で動かせるのはどのくらいの大きさまでなのかな?
櫂より効率がいいらしいのだが。
- 91 :
- 大林太良説、詳しく読んでます。
ちと>>89保留で。
う〜ん。やり直しかあ?(笑)
>>84さん詳しく教えて下さい。
>>85さんも櫓とある。形から櫂じゃなさ
そうって話だったっけ?出雲の祭で国譲り
を迫った大和勢の使者を模した舟競争があ
って確か一人が漕がないんですよね。
そんな感じかな?ただその祭は櫂なんだけど。
>>90さん どうなんでしょうね?
遅そうだけど、重さは大丈夫なのでは?
ただ遠海は無理な気もする。
というか正直、舟は全然わかんない(笑)。
海国なのに舟わかんないって困るけど。
- 92 :
- 「若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不謹」
断ち物:神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを絶って、
禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E3%81%A1%E7%89%A9
謹:嚴禁、嚴守
船に乗ってたら、不謹もなにもないわけです
- 93 :
- う〜ん。ここは意外に論点なのかな。
保留中なんで撤回もあり得る訳なんですけ
どね。その前提で読んで下さいね(笑)。
まず、乗らない版で読みますね。
この文脈の直前の葬式の描写で、肉を食わ
ない、埋めた後は水に入る(それまでは体
は洗わない)。当然女も断つでしょうね。
でも葬式だから願掛けではない。
で、持衰の文で改めて喪人の如しとする。
死出の旅立ちと舟の出港は同じ?で持衰は
喪人として振る舞う。帰って来れば死者の
復活となるんでしょうかね。始死停喪十餘
日を大潮にあてれば丁度同じくらい。その
間、走れメロスと同じで期限まで逃げない
ように見張られているし、逃げる気が起き
ないように生口などの財も渡しておく。
これはイイ推測。間違いない気がする。
難点は唯一、其行來渡海詣中國恒使一人。
あと皆で酒飲むってのがないのも今一つ。
で、あえてココに従って読むと、
出港日の前の大潮から持衰が一人喪を行う
のかなと。なんかオカシイですけどね。
良くわかんないけどそういうことを書いて
いると思うんですよねえ。要は逆回し。
カウントダウン後、死ぬ予定日に船に乗る(笑)。
- 94 :
- 倭人伝の倭語には二種類あって、一つは漢語として意味が取れるもの
もう一つは倭語を聞き取って漢字の音を当てたもの
この場合漢字一字が一音の原則になっているようだ
前者は末盧国、持衰など 持衰は漢語としても意味が取れる
これは何を意味するか
もちろん卑弥呼、邪馬台は後者だろう
「台」はタイではなく一音の語だろうな
- 95 :
- 舟出は死への旅立ちではないし、持衰は汚れているのであって穢れではないし
持衰は祈願のための禁欲であって、
喪人は肉を食べたいのや女といたしたいのをがまんしてるわけではないでしょう
- 96 :
- >>94同意。邪馬台国とは山田国のことです。
やっぱり、邪馬台国は四国の土佐山田です。
- 97 :
- 確かに倭語には2種類ありますね。
持衰とか、倭語の音から取って、字を後で
当てたと思えば、凄いセンスがイイ。
持衰の良い倭音が思いつかないのがもどか
しい。もう少し倭語を正確に聞き取ってい
てくれたら楽なんだが(笑)。
- 98 :
- 一大(壱岐)、対馬、末盧、卑字ではない伊都などは
おそらく倭人伝が書かれる以前から知られていた半島に近い国々
持衰もまた倭人伝以前から倭人の奇妙な風習として知られていたのではないか
とすれば船に乗っていたのを中国人が見た可能性があるかもしれん
- 99 :
- 持衰は非同船かもね〜、
と済ませたいんだけど(笑)。
合理的解釈が提出されてな〜い!
いや現実は非合理なんだけど、やぱ合理的
解釈って必要だと思うんですよ。
そういう板の方が良いだろし。
要は恒使一人の解釈ですね。
>>95さんのおっしゃる通り、喪主は禁欲
ではないし、持衰は禁欲と持論訂正したい
と思いますけど、なんというか
(まあ清めの逆の穢れだとは思うけど)。
上でまどろっこしい解釈しましたけど、単
純に言えば、壱岐と対馬で仮に大潮を待
てば計1月。この期間、船員の中で一人だ
け禁欲している者がいる。魏使はこの異常
な光景を見て記録しただけ。じゃダメ?(笑)
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