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★ 日本の、キリスト教徒の大半が偽者ですな ★


1 :2009/10/25 〜 最終レス :2013/10/22
ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。
しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。
キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。
言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。
人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。
マザー・テレサ愛と祈りのことば  より
>まあ、日本の社会で普通に働いて預金して豊かな生活しててクリスチャンとか、超偽善的な自己満足さんですな。
>日本にも世界にも貧しいラザロが転がってるのにさwww
>そんな者たちが、天国に入れるはずがないよ。
>自分で疑問に思わないのかね?

2 :
そんなことより日本が憐れだとか言いながら侵入してくる
朝鮮韓国プロテスタントセックスカルトであるウリスト教を糾弾しろよ。

3 :
「ここが変だよ。ろりぽっぷ2」
[PC版]http://www.vote5.net/2kote/htm/1208337146
[携帯版]http://www.vote5.net/2kote/ivote.cgi?result=on&room=1208337146
「2ちゃんコテ嫌い投票箱 Part3」
[PC版]http://www.vote5.net/2kote/htm/1249525268
[携帯版]http://www.vote5.net/2kote/ivote.cgi?result=on&room=1249525268

4 :
「金持ちの日本人・クリスチャンの例え話」
さて、一人のクリスチャンがイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。
「『Rな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
そこで、このクリスチャンは言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
クリスチャンはこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。クリスチャンが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
(そのクリスチャンは会社では重役にあり、世間での評判も良かった)
※ 日本人のほとんどのクリスチャンが、(豊かさを享受しながら)教会に通い、聖書を学び、品行方正な生き方をしても
けっして、天の国に入ることは無い。イエスのために何も捨てようとせずに、天の国に入ることは不可能なことだ。
とくに、自分の地位と富を捨てなければならない。
間違った聖職者は、信者に媚(こび)を売り中途半端な口当たりの良いキリスト教を説き、多くの魂を救わずに地獄に送っているのだ。
このことは日本に限ったことではない。

5 :
荒井英子ないし目時英子のように品性下劣な女が牧師職にある限り
日本基督教団は世間から信頼を取り戻すことは出来ないでしょう。
その素性が何であれ、この種の愚劣極まり無い下等な人種を養うために
宗教が悪用されているのであれば極めて問題である、としか言えません。

6 :

偽者は、ここにいるハンネ ザットさん
http://www.amezor.to/cgi-bin/i.cgi?dir= 宗教板

7 :
ホームレス風の男がいるから、警察に連絡したとか言ってるキリスト教徒がいたなw
あと、ベンツに乗って教会に来たりww

8 :
up !

9 :
自分で稼いだ金で、しかも税金なども支払った後の残りで買ったベンツに乗って何がいけない?

10 :
日本の物は似非キリスト教というのが正しいだろう
明らかに欧州の教会とは雰囲気が異なってる
あちらの人達が多く入り込んでるせいかな?

11 :
自分が無知なのかもしれんが、クリスチャンほど
キリストの言葉に背いているやつはいないと思う。
偶像崇拝ってダメなんじゃ無かったっけ?
なのに 十字架に掛けられたキリストに向かって祈りを捧げているし。
「私は何処にでもいる。」んじゃ無かったっけ?
なのに「神の家(教会)」でミサをする。
そうゆうの一体どう思ってやっているんだろう?

12 :
>4
イエスはすべてを「譬え」で語った(マタ13:34)
「富んだもの」(マタ19:24)とは(聖書知識に)富んだ者
を譬えた。
そのことを聖書を用いて立証しよう。
山上の垂訓で
ルカ6:20では「    貧しい人は幸いだ」
マタ5:03では「こころの貧しい人は幸いだ」
イエスは譬で、「貧しい人」と語った。
マタイは譬の意味を記述した。
つまりイエスは「富んだ者」と譬えたが
その内意は「こころの富んだ者」すなわち
ここでは、(聖書)知識に富んだ律法学者たち
を意味した。
イエスは律法学者たちを「白く塗られた墓よ」
として憎まれた。

13 :
市橋さん・・・
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/topics/news/20091113-OHO1T00160.htm

14 :
>>12
イエスの語録は速記録ではない。作り話の中のキャラクターが何を言ったか
いちいちあげつらっても意味がない。早く気づけ。バカ

15 :
ええ。どうせ私は
偽クリスチャンです。
見栄張り女のニセ信仰で
悪うございました。

16 :
日本のキリスト教は朝鮮カルト。

17 :
日本のクリスチャンは1%の壁を数十年かけても乗り越えられない
問題児ばかりだからどうしようもない

18 :
ええ。どうせ私は
偽クリスチャンです。
見栄張り女のニセ信仰で
悪うございました。

19 :
ヨーロッパのキリスト教国ですら、教会に毎週いってる人は数パーセントなんですと。
日本のようなキリスト教国ではないところで礼拝やミサに集う人の数は立派なものだと思う。
アメリカで教会にいくひと、チャーチゴウアーは数十パーセントいる。
しかし、神様信じて祝福されて金持ちになりましょう。みたいな、御利益宗教がメガチャーチをつくって人を集めている。
日本のキリスト教会にも、御利益宗教はあるが、多くの教会は、地道に活動していると思う。その点で立派だと思う。
それでも、日本のキリスト教会は未熟で成熟していないから、キリスト教徒に、トンチンカンな人がかなりいるのも実態だとおもう。

20 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子という者は悪評嘖嘖たる存在なんですね。
無恥愚鈍で低能下劣な山出しのくせに一人前以上の大口を叩くからなのでしょう。
「バカは死ななきゃ治らない」という諺を地でいくような阿呆スベタに相違ないと見ました。
こんな連中が牧師ヅラをしているから、我が国ではキリスト教が蔑視されるんでしょうネ。
こういうブス老女は早く死んでしまうとイイのでしょう!

21 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子とかいう女は確か東北の寒村の部落出身者で
卑しい根性でゲスの勘ぐりを繰り返しては、愚鈍さと出自の低さと下等さ加減を徹底的に
さらけ出してまわっていた不細工な老婆ですよね。
もう、そろそろクタバってもいい年齢なんだけど、相変わらず世に憚ってるのでしょうか?

22 :
秋保美保子とかいう東北出身の田舎者で劣等感の塊でしかない老婆が
日本基督教団の教会員だと聞いたことがあります。
偽善者というよりも、単なる低能にして魯鈍に近い無智無教養な出来損ない
であるため、お情けで小学校の「給食当番のババア」に雇ってもらっていたとか。
ゲスな人間通有の卑しい勘ぐりで優秀な教会員を誹謗中傷したり、等々と徹底した
阿呆ぶりをさらけ出して生きていた気の毒千万な醜い老女だそうです。
こんな程度の低い徒輩が「キリスト者」を自称するものだから、世間では「偽善者か
不具者しか基督教会には居ない」と思われてしまう傾向にあるようですね。

23 :
qazx: 白色ユダヤは、偽ユダヤである
http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2009/06/post-daee.html
ノーベル賞受賞者の3分の1以上はユダヤ人といわれているが、
マルクス、フロイト、アインシュタイン、チャップリン、キッシンジャー
などなどといった数多くの有名ユダヤ人たちは、不思議なことにほとんど白人である。
一体どうして世の中には「白人系のユダヤ人」が数多く存在しているのか?
本当のユダヤ人は白人では決してないはずである。
『旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。
彼らは人種的に「セム系」と呼ばれ、黒髪・黒目で肌の浅黒い人々であった。
モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエスもみな非白人(オリエンタル)だったと記述されている。
8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかった。
それがなぜか8〜9世紀を境にして、突然、大量に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場したのである。
いったい何が起きたのか?

24 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子のような下賤な老婆が
一人前の牧師ヅラをして、しゃしゃり出るもんだから、
日本のキリスト教徒は皆からバカにされるのです。
こういう自分に対しても相手に対しても愛情をもてない異常者からは牧師職を
剥奪してもらいたいものですね。

25 :
キリスト教の大半は偽善者ですな

26 :
キリストに近づこうとしている人たちにとって、
キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。

27 :
障害物に感謝

28 :
キリスト教徒の大半が偽者→
大半が偽善者

29 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子という人は本当に評判が悪いですね
おそらく卑しい下賤な素性の者にありがちなゲスの勘ぐり、阿呆特有の陰湿な陰口、
等々のおぞましい言動を繰り返しているからなのでしょう。
ともあれ、この種の下等なスベタが牧師職に留まっている限り、我が国にキリスト教が
弘まることはあり得ないでしょうね。
それに、この 荒井英子=目時英子という者は極めて醜い老女だから、性欲が幾ら強くても
相手をしてくれる男性は此の世には存在しないと思いますよ。
無責任かつ愚鈍な発言ばかり繰り返す阿呆なゲス女だから皆から嫌悪されるんですね

30 :
世の中で有名な栗栖ちゃんてよばれている人がどうだかはわからん。
たんなる、有名な人かもしれない。

31 :
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2190290
この動画お勧めです、クリスチャンといってる人に注意してください。

32 :
>>12
どうでもええ解釈ができるのが聖書
それによって戦争も平気でできる
マザーテレサは神の愛を信じて、貧しい人々のことを
思ったのかもしれん

33 :
愛国者のふりをしてる政治家が征倭会だったりするのと同じことか

34 :
本物はここにはいないでしょ

35 :
まさか、2ちゃんで暴れ回るキリスト教徒さんが全部ソーカやトーイツの工作員
・・・なんて説を真面目に信じるのにも無理が有り過ぎなんだけどさw

36 :
本人に自覚はないだろうけど、創価・統一と同じ枢軸からの情報を
信仰してるのは確かだろ。

37 :
そもそも聖書の神が偽者

38 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

39 :
偽者?

40 :
>>14 仮に作り話だとしよう。でもこの物語ほど人を幸せにしてくれる、一切の悩み
解決してくれるものはないだろ。

41 :
http://www.yamashita-yoshiki.jp/archive/news/1161765912.html
このバカなシスターをなんとかしろいよカトリック

42 :
戦争は悪です。
憲法9条を守りましょう。

43 :
>>42 おまえが守ってるのは9条という言霊信仰による言葉信仰念仏平和主義
拉致被害者を守れなかった9条に価値なんかねえよ

44 :
キリスト教だと思って行ってみたら憲法9条の会だった

45 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子のような下賤なチョン老婆が
一人前の牧師ヅラをして、しゃしゃり出るもんだから、
日本のキリスト教徒は皆からバカにされるのです。
こういう自分に対しても相手に対しても愛情をもてない異常者からは牧師職を
剥奪してもらいたいものですね。

46 :
その通りですね。
荒井英子=目時英子のような愚鈍下劣なクズが「牧師でござい」なんて
大きなツラをしてるようじゃ迷惑千万ですものネ。
まったく

47 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子ってイヤらしい化け物ですね。
早く抹殺されてしまえばイイのに。
こんな下賤な阿婆擦れババア。

48 :
荒井英子=目時英子って本当にイヤらしい存在ですね。
早く北鮮へ強制送還されるとイイのに。

49 :
age

50 :
>>41
外人修道者と外人司祭。
外国人なのに日本国憲法に口出しする過干渉のバカ。
アンタらが日本国憲法を気にする必要はありません。
外国の謀略だと思われて、
カトリック教会の評判を落とすだけだから
余計な事はやめろ。

51 :
キリスト教談話室のコテハンは糞ばっかだぞ。
あんなのにスレを乱立させるな!!!

52 :
宗教板に来てキリスト教徒のカキコを読めば読むほどキリスト教が嫌いに
なったんだ。しかしこのスレでガンジーの考え方の一端を聞かせて貰えたので、
実は今は大きな安堵感に満たされている。

53 :
>>52
米国に滞在してたが熱心なキリスト教徒ほど吐き気を覚える人種は居なかったよ
偽善の極みにいるような連中だ、一人清貧を心がける素晴らしい人もいたが
創価学会員にもまともな人は居るのと同じレベル、宗教そのものはカルト
イスラム教徒のほうが遥かに人間性も豊かで親しみやすい人達だった

54 :
oha

55 :
日本のキリスト教徒だけじゃないよ、世界のキリスト教徒の大半が
偽者だね。イエスの教えを理解できてない。
教会の権威と神聖さばかり強調して、そういうのをイエスは
一番嫌ったんじゃないの?
他人を思いやる隣人愛がかけてるね。

56 :
みなさんなら、下の質問には、どのように返答なさいますか?
ちなみにあたい自身は、自分自身が質問者ながら、やはり質問していて激怒しそうになりますね  (^p^)。
|925 :神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 13:46:45 ID:Z+e3MUOZ
|  Q1:キリスト教は外国から来た宗教なのに、
|     何故、何十年・何百年も前の事柄を持ち出して、キリスト教の教義に照らしても誤りである
|     奇妙奇天烈な濡れ衣を基にして、
|     我が国日本に冤罪を被せようと画策して騒いでいるキリスト教徒達の間違いを、
|     教会として正してあげないのですか?

|  Q2:あなたたちキリスト教会の上記の「見て見ぬ振りをする」という態度は、
|     あなたたちの布教地である我が国日本の人々にとって、
|     どのような幸いと貢献を与えてくれていますか?

|  Q3:イエス様の目から見て、あなたたちキリスト教会およびキリスト教徒の姿勢は、
|     どのような点で御心に適っていると、あなたたちご自身で受け止めているのですか?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269051985/l50
【論点】  キリスト教  【議論】 より


57 :
これで落ちよう。

58 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

59 :
キリスト教徒も仏教徒も偽者じゃねーか、我が国ではw
そもそも信じてもいねーのに信じたフリしてるのが大半だろ。
キリスト教はクリスマス、仏教はお盆とお彼岸、神道は正月だけに役立って
くれりゃ良いんだよw

60 :
神の愛を信じるとかいう人間はすがりついて神の御業を求めるやつが多いな。
これは、イエスに低賃金 重労働の 奉仕活動を要求してるにひとしい。

61 :
信者じゃなくても大体偽善者だろ。

62 :
322 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2010/11/03(水) 18:08:00 ID:9fsGcaBA0
■暴力団の4割は在日韓国人!元公安の菅沼氏が民放で暴露!
★やしきたかじんも驚愕!
★なぜ治安の良いと言われる日本に8万人もの暴力団員が存在するのか?
★答えは簡単です!朝鮮半島から渡ってきてるからです。
★暴力団と韓国朝鮮人の気質や外見がそっくりなことを思い出して下さい!
ttp://uk.youtube.com/watch?v=NbGdR1zm88k
「たかじんのそこまで言って委員会」ヤクザの3割が在日・韓国朝鮮人だと思ってましたが、4割でした。
(動画あり)
ttp://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10080534992.html

63 :
モコは若いころは学生運動に夢中になっていたの(*)((δ))
「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」「アンチモコ派 殲滅!」
と書かれたプラカードをもってデモ行進をしていたのヨ(*)((Φ))
でも モコはアンチモコ派のアントニオに恋をしてしまったの(*)((ψ))
そして モコはアントニオと結婚したの(*)((ξ))
でも アントニオの汚いやり方に嫌気が差してきたの(*)((φ))
それで モコはアントニオが主催したセレブパーティーの会場を
突然 抜け出して 「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」
と書かれたプラカードをもって 走り出したのヨ(*)((ο))
雪のふりしきる街路樹をモコは「アンチモコ派 反対!」(*)((δ))
と 叫んで ビラまきを始めたのヨ(*)((Φ))
そんなモコの顔は 輝いていた!(*)((ψ))
モコは中卒だけどキチガイRーチャンピオンになったのヨ!(*)
でも、キチガイRーチャンピオンを目指す人は 一人もいないのヨ*
モコ、くやしいの…((φ)) モコ、泣いていたのヨ(*)((ξ))
テカテカと妖しく光るオマ●コを 男たちに チラチラ見せるモコ…*
モコ くやしい・・くやし過ぎるヨ!!(*)((δ))
ところで話は変わるが、最近、めっきり影が薄くなったアンチモコ一派(笑い)*
構成員の不満が爆発寸前のようだな(*)((δ))
先日のアンチモコ一派全国大会では、(*)((φ))
モコが推し進めているモコスレ乱立計画についても、苦情が続出*
キニョネスさんが殺害された(*)((ο))
殺害されたのはキニョネスさんです(*)((Φ))
月曜日の朝7時30分頃 キニョネスさんは(*)((ξ))
職場に向かうために自家用車に乗って自宅を出ています(*)((Ο))
そしてその5分後に2人の武装した殺し屋に行く手をさえぎられ*
車からひきづり出されて少なくとも3発の銃弾を浴びて死亡しています☆
この間 2分間だったと目撃者は証言しています(*)((ξ))
モコは今朝 スーパー銭湯で ブッ!と屁をこいたら(*)((ψ))
小さなウンコがポン!と出たの(*)((ξ))
銭湯で良かったぁ(*)((φ))
もし、パンツの中にウンコをしてたら 大変なことになっていたわ(*)

64 :
『感謝の力は偉大なるかな』
父母に対して感謝する心になると、
病気がすばらしくよく治ります。
何故(なぜ)かというと、自分を生んでくれ、
育ててくれた人への感謝は、
「生きていてありがたい、生んでくれて有難い」
という気持でありますから、
その生み育てられた生命力がよみがえってきて、
活発に働きはじめるのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます

65 :
『「できたら、しよう」そんな根性では何もできない、断じて行え』
これこれができたら、あれをしようという人がありますが、
そんな根性では何事もできるものではないのであります。
「できたら、しよう」というのではなく、
意を決してすればできるのであります。
「余裕があったら、しよう」というのではなく、
断じて行えば、必ず余裕ができてくるのであります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー生長の花ー

66 :
その通り、日本キリスト教団旭川豊岡教会を見てるとよく判る。

67 :
(^-^)

68 :
「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」 ヘブル 8:12

69 :

198 :神も仏も名無しさん:2011/05/16(月) 00:20:24.21 ID:AnUDICWs
すいませんよろしいですか
実は彼女に教会の先生?から 子供産んでやキスしよう
など変なメール送ってくるんですが教会の先生ってそういう変態多いんですか?
215 :神も仏も名無しさん:2011/05/16(月) 15:29:47.10 ID:AnUDICWs
198です
彼女はとりあえず教会にはいかなくてよくなったみたいです
レスくださった方ありがとうございました
216 :神も仏も名無しさん:2011/05/16(月) 15:37:56.48 ID:80L1r3wv
教会に行かなくて良くなったとのことで、良かったです。
217 :神も仏も名無しさん:2011/05/16(月) 17:15:26.78 ID:e2dIqLXP
>>215
よかった
218 :神も仏も名無しさん:2011/05/16(月) 17:40:37.25 ID:iSy2DmnG
本当によかった。危ないところでしたね。新興宗教は牧師にしろ教祖にしろ聖職者の権威がしばしばいわれます。
やはりこれは信者が聖職者を持ち上げすぎるからだと思うのです。
教祖や牧師なんてただのおっさんですよ。その辺に転がっているステテコおやじにすぎません。

70 :
聖書を読む者、洗礼を受ける者は多けれど、福音を生きるものは少ない。
福音を突き詰めていくと自己犠牲的な高貴な精神 キリストのそれと同じく。
ミサや礼拝を欠かさぬぐらいで、天の御国入れると寛ちがいすることなかれ。
マタイ7−21において
私(イエス)にむかって主よ、主よと言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の
みこころを行うものがはいるのです。その日には、大勢のものが私に言うでしょう。
「主よ、主よ、私たちはあなたのみ名によって預言をし、あなたのみ名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん
行ったではありませんか。」
しかしその時、私はかれらにこう宣告します。わたしはあなたがたを全然しらない。不法をなす者ども、わたしから離れていけ。


71 :
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2190290
この動画お勧めです、クリスチャンといってる人に注意してください。

72 :
日本のクリスチャンは1%の壁を数十年かけても乗り越えられない
問題児ばかりだからどうしようもない

73 :
モコとアンチ桐山が来るとスレが腐るな。
どんな荒らしよりタチが悪い。

74 :
有名な人ほど、どこに行ってるかはわかんない?

75 :
目時英子とか荒井英子とかいう下賤な女が牧師を名のったりするから
なおのことキリスト教徒・牧師・日本基督教会の印象が悪くなるのです


76 :
やっぱお釈迦様の方が偉大だべ。

77 :
だけど仏教で無料な所ってありますか76番さん?ないからお金が取られちゃうんじゃないの?

78 :
目時英子とか荒井英子とかいう女牧師ほど死んだ後も嫌悪されている愚劣な者は
存在しないでしょうね。
卑しい根性をした東北の田舎者というだけでは、もちろん無い。
下賤な素性そのものも、どうでもよい。
その心根の醜さ、下劣さこそが問題なのだ。
知能が低いのは仕方がない。
だが、人並みの教養も何も無い阿呆の分際でゲスの勘ぐりをして優れた人物を中傷したり
笑い物にしたり、云々といった下等極まり無い真似を働いていたのは事実だ。
醜い姿に醜い心。 そのくせ大きい顔して説教をするため、我が国のキリスト教会の信用は著しく悪化した。

79 :
ミサや礼拝を欠かさなくても神の導きは全く得られない証明に満ちた
バカチンの宗教。聖句が阿呆と傲慢に拍車を掛ける。
それともバカは死なないと治らんか

80 :
神は何も信じなくとも「土に帰る、ちりに帰る」として死んで終りの人間とした。
 ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―
 ―イエスは昼のあいだ宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―
 神は人格として存在し、言葉を発した
  ―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座し〜地上のものに心を引かれてはならない―
  ―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。世と世にあるものとを、愛してはいけない〜すべて世にあるもの〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
   地上のものに心を引かれた全ての人々は、既に神の左・呪いの者として、土に帰る運命であると。地上のものに心を引かれないことをよしとして信じない者は、「私(神)の敵、怒りの者である」と。
     神が実際存在して、そのことを語りに来られた!

81 :
全世界あわせても本物のキリスト教徒が1人でもいればそれこそ奇跡だと思う。

82 :
22億人いて1人いるかいないかの話ですかw

83 :
そんな奇跡もクリスチャンの場合はメシア再臨とか騒いで、完膚なきまでに全員で叩き潰しますから大丈夫♪
一人もいません♪
安心してください。


84 :
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ―
 
 善悪感の生じる他者への配慮ある行動、ただそれだけで神への信仰はない。他者への配慮ある行動を少し行っても、人間として当然のこと。自分のことしか考えていない悪魔のような者から、人間らしい存在と
 なっただけであると。
―そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう―
 神にとって、神の左のまま地上でしか生きることのできない者は、神に信仰深いと認めない。
  ―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない― ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―
  神は霊の国のみを義とし、神に信仰深い行為を求める者に、地上のものに心を引かれない暮らしを命令される。物欲や人の手でつくられた楽しみや喜びを全て否定される。他者への信仰深さを自任できない多くの
  者が救われる道・信仰できない者への宗教教義は、家族愛や人間愛、誠実に肉の主人に仕え、相手の意向に仕える、少々のあやまちはゆるしてあげる・・・人間自身が暮らしやすくなる教えしかないのだろう。

85 :
神が来訪したというなら千年以上悪事を続発させてきたキリスト教について
感想を聞いてくれまいか?

86 :
宗教は道徳的なことを教えているだけだ、と自分なりにそう考えていた。もし神が存在したとしても、善いことを行い、悪いことをしないで、人間が幸福になるようにと考えている程度。
 神は人格として実在し、言葉を発した
  ―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。世と世にあるものとを、愛してはいけない〜すべて世にあるもの〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
  ―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座し〜地上のものに心を引かれてはならない―
    神の左にある者、世のことなど知らない。富を欲する人々にあくせく仕え、肉の欲、目の欲、持ち物の誇り(世の中の貪り)にあくせく仕えても、神の左・呪いの子・地の奴隷・悪魔の者どもとして
    神は一切私(神)に信仰のない者と言われた。それどころか、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れよ、地上のものに心を引かれるな、左の者になるな!と説教された。土に帰る者となるなと。

87 :
  ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―
 
世の中での善悪は神の義ではない。行っても自分たちのためだとして当然のこと。人間なら当たり前。神の義は、信仰により肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、一日の苦労は、その日一日だけ
で十分として、貪る世の中をよしとせず、神の右の者となろうとすること。もちろん、敵を愛し、憎む者に親切にする戒めの言葉を受け入れ、敵意や憎しみという肉の思いを捨て去ろうと努めないと、肉の思い
のない神の右の者にはなれないが、能動的に善い行いをせよと命令されることはない。
 神は特定の宗教団体を尊重される方ではない。信仰により世と世にあるものの貪りを捨てようと努め、神の右の者となろうとすること。信仰のない者と認め、金だけを貪って人間の幸せを得ようとせず、肉
 の主人に誠実に仕えることをよしとすれば、誠実に仕えられる世の中となる(善悪を知るだけの人間教)
 神は信仰のある者に神の右になる命令だけがあり、神の右の者になろうともせず、誇れない人間として悪をもしでかすかもしれない人間の少々のあやまちに耐え、自分の悪を慎もうとしない人間は、人間以
 外の獣=悪事を続発させてきたキリスト教徒は、人間以外の獣であった―――(人間であるなら善悪を知れる。その者が自然のまま、他者へ危害を加える者を悪とみなすなら、それは本当の悪)

88 :
イエスのイメージで神がもし存在していたら・・・慈悲・あわれみ・愛などで人類が幸せに・・宗教の教え
 慈悲・あわれみ・目の前の人を愛し、あくせく働いて富を得、人間の欲求を満たせるようになることは幸せである=現代の日本のような暮らし
神が説きに来られて
 人々の富、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕え、それら人間の欲求を幸せに思っている者どもは、地の奴隷、悪魔の者ども、滅びの者ども、神の左の者どもだ!私(神)の敵の者ども、怒りの者ど
 も、決して神の右の者にはなれず、ちり、土に帰る者どもだ!(話し合いなどできる方ではない。善悪の行為関係なく、人々の欲求にあくせく仕え働き、富を得て人間の幸せを得る暮らし―そのこと自体で、
 地の奴隷として滅び消え去る者となると)
イエスの愛のイメージ、道徳的な行為ばかり読んでいた自分は、神の右の意味がわからず、地上のものに心を引かれてはいけない教えの重要さを見逃していた。神を信じるがために、かえって神の敵、怒りの者
となっている。世の中が悪かろうと良かろうと神には関係ないということ。自然のままの思い上がらない程度の善い行いを受け入れることができたなら、その人自身が良い面も悪い面もある世の中で耐え、ただ
肉欲のない神の右を信じて、信仰により肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去るよう熱心になること。ちりの者にならず、神の右の国に生まれることができたなら、神に愛される者となれるということ。
 それが神の命令・思いである。神から直接聞いてわかった。神は裏切り者も裏切りとして、そのまま放置され、最後に全て滅ぼす。特定の宗教組織の行いとは関係ない方。

89 :
そもそもさ、キリスト教自体が紛い物なのにそれを信じる人間の真贋を競って
何の意味があるのかなあw?

90 :
>>87 はっきりいって詭弁だね
キリストもはっきりと言っている
[21]わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。
[22]その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
[23]しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
神(父)の御心とは、善きサマリア人のように積極的に、善を行うこと。
当時のファリサイ派や律法学者も、行うべき善をないがしろにして、やもめを食い物にし
選民意識とエリート意識だけで、善を行わなかった。行なったとすればアリマタヤのヨセフだけ。
現代の9割方のクリスチャンが偽善者だ。

91 :
また、ヤコブでは・・・・
*1)ヤコブ2:14-26
14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
15 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、 16 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、
そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。 18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。
それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
日本でキリスト教が広まらない理由は9割以上の口先だけの偽善的な偽キリスト信徒に責任がある。
彼らには聖霊が働かず、口先だけの神父やら牧師が偽善的な説教をしている。
そんな偽物の宗教に人心が惹かれるはずが無い。

92 :
もしも、あるキリスト者の行いや性質が社会で良いものであれば、世間の人らは、その者に関心を持ち
彼が何によって良い行いをするのか?また、彼はどんな志や信念を持っているのか?
関心を持つだろう。
それが、口先だけの偽善的な布教では無い真の布教であり、キリスト者の生き方だ。
しかし、残念ながら多くのキリスト者が日曜に教会に行き説教を聴き自己満足して帰るだけの繰り返し。
彼らの信仰は死んだものであり、なんの意味も無く、天国に入ることは永遠に無い。

93 :
教会内で、重要な役職についている?掃除という奉仕をしている?
笑わせないで欲しい。自分の家を掃除したり、管理したりすることは、
当たり前であり世間の誰もがやっている。
私が言っているのは、積極的に社会に出て教会無に引きこもって、いい気分になることではない。
勘違いしないように。

94 :
教会無に引きこもって
教会内に引きこもって

95 :
クリスチャンとやりまくりました(笑)


96 :
たいてい何もしない、行動しないクリスチャンはパウロの信仰義認を持ち出す。
(信じるだけで救われる)
だったらパウロは、なぜあれほど精力的に命懸けで色々な国々で布教してまわり
最後は殉教の死を遂げたのだろうか?
信仰だけで良いというのなら、小さな教会を設けて、そこで安全な一生を送っただろう。
善行には犠牲はつきものである。その犠牲を払った者のみが主の御心にかなった者であり
また行いの無い信仰などはありえないのである。

97 :
マタイ4章17節 イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
ルカ4章43節  しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」
マルコ13章10節 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
マタイ28章19-20節 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
ヨハネ14章12節 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
イエスと同じ業をしない輩は偽クリスチャン

98 :
ルターもパウロの信仰義認を翼賛していたなー。
(信じるだけで救われる)
こいつらのせいでキリストが陰に隠れてしまったのかな
ルターはヤコブの手紙(>>91)も聖書から除こうとした。

99 :
>>98
ルターがヤコブ書を省こうとしたのは、彼が反ユダヤだったからだよjk

100 :
ヤコブは行いの無い信仰はダメだと主張してるから気に入らなかったんだよ
ルターは聖書を読んでるだけの退屈なクリスチャンを是認してる
退屈な輩だねえ

101 :
キリスト教の伝道を最も妨げているのはキリスト教徒 (マザーテレサ)
ろくでなし集団なのは昔も同じなんだって

102 :
>>101
すまんな。俺はキリスト教のはしくれだが、恥ずかしく思う。
セレブ気取りのクリスチャン女性(笑)
定年後の人生勉強
聖書を暗記したくらいで救われると思ってる神父や牧師
この世には、たくさんの助けを必要としてるラザロが転がっている
彼らを見捨てて豪勢な教会内で、日曜日に何かやっている
金銀財宝で着飾った聖職者たち。
すべてキリストが危惧した者達
彼らは永遠に天の御国を見ることはない

103 :
私は、兄弟であるキリスト教徒に大きな事をなせ!
と言っているわけではありません。
キリストの愛を持ってこの世を見てください。
たくさんの助けを必要としている人々がいます。
勇気を出して彼らの隣人になってください。
彼らの助けになるようなことを行なって下さい。
不思議なことに、すべてのことは聖霊が助けてくださいます。
そして、あなたの霊は喜び歌います。この世の与える喜びとはちがいますが…
それは、キリストが約束したとおりです。

104 :
マタイ28章19-20節 
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
この聖句のとおり、宣教の業を行なわない者は、イエスの弟子とはいえないんだよね。
つまり、真のクリスチャンとはいえないのだよ。

>イエスと同じ業をしない輩は偽クリスチャン
その通り。>>97の言う通りです。
ヤコブもしきりに「業を行ないなさい」と言っているね。

105 :
ヤコブは盛んに、信仰があるというなら善を行え、布教せよ
って言ってるのに、当時も今も同じなんだろうな
ある意味日本で、キリスト教が叩かれても仕方ないと思う。
俺なんか教会で何にもしてないオバチャン信徒に、
「信仰はこうあるべきだ」
「告解しなさい」
とか上から目線で説教されたもんなぁ
エリート意識満々だしw
ぜんぜん説得力ないし、口先だけならなんでも言える

106 :
日本にあっては、キリスト教的素養は、セレブの条件の一つ。
宣教など、やってはいけないんです!
そんなことは、貧乏人のすること。
適当に教会に行って、年に一度告解していれば、立派なクリスチャンですよ。
あ、什一を忘れないでね!


107 :
宣教などしなくても、クリスチャンは神のみ名をとなえ、
信仰を第一にかかげ、礼拝への参加を呼びかけ、そして金銭を必要としている

108 :
>106 107
イエス「わたしは、あなたがたを知らない。」

109 :
以前、主と話す機会があって聞いたの
「なぜ、偽物のキリスト者が多いのですか?」
主は言いました。
「彼らには患難を与えたい。それによって信仰に目覚めさすためだ。
しかし、それに耐えられるものは少なく教会からも去ってしまうからだ」
と…

110 :
>109
主があなたに語りかけたのw
それはそれはw
祝福しますよ。
よかったですね。
主のみことばは、たぶんあなたに直接下ることはないでしょうけど、、
あなたの言っていることは、信仰的に正しいし、聖書にもちょっぴり調和しますね。
おっしゃるとおりでしょう。
ただ、イエスのお気持ちは、108さんが引用した聖句で言い表されていると思いますね。
わたしはけっしてあなたがたを知らない。(マタイによる福音書7章21、22節)

111 :
クリスチャンは熱中症みたいな脳になってるから気付けないのだろうな…
イエスが訴えるのは自力救済のみ!

112 :
キリストのうんこ食えたら本物な。

113 :
今やってる、ボランティア事業・・・もう少し金があったら、もっと多くの人が救えるのに!
主よ、どうしたらいい?

114 :
さろめたぉとかいう口の悪い豚野郎はなんでこのスレに来ないの?
もう死んだ?

115 :
なぜ、高級車を乗り回し。豊かな生活をし老後の蓄えをたくさんしたクリスチャンがいるの?

「あなたがたは神に 仕え、また富にも仕 えることはできません」(マタイ6ー24
「子たちよ、神の国に入るのは、なんと 難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

116 :
聖書のみことばを、知識として知っていれば、日本ではクリスチャンと自称してもいいんですよ。
裕福で社会的地位も高いうえにクリスチャンであれば、世間さまはとても立派な人格者だと勝手に思ってくれるんです。
それに、「神の国」は、教皇さまによれば、「それぞれの心にあるもの」で、
実際にこの地上に成就するものではありませんから、
「神の国」に入るのが難しいとか言われても、抽象的で、実感がないですよ。


117 :
◎神への信仰(創造と変化なし)
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく―
 ―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい〜何事も思い煩ってはならない―
■世を思う者と殺人
 ―わが神〜どうしてわたしをお見捨てになったのですか―
 ―いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ―
  富に仕えたり、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある世は、父の愛は全くなく、悪いこともしでかすかもしれないそのままの人間に造られた。世を友とし、世を思い、神に信仰ある人々は、むしろ神への
  敵対者=殺人・対立・敵意・憎しみ・怒りなど悪い心と一つである。   
  神を信じる=創造時となんら変化していない。肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ、衣食があれば足りるような心得て、他者への寛容を示し、何事も思い煩わずいつも喜んでいないといけない。

118 :
○世での生活活動などで信仰できない人間
 ―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲なものではなく〜神様、罪人のわたしをおゆるし下さい〜神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって―
 ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―
  肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ、何事も思い煩うことなく喜び、神を信仰している時のみが神に信仰ありとされ、世の中での活動は誰でも神に信仰一切なく、―恩を知らぬ者にも悪人にも―な
  らされた人間の状態のみがある。
○みこころが天に行われるとおり
 ―わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは― 地上で罪をゆする権威を得て、罪なき天のものが神によりあわれみ癒されることを示されたように、地上でも神が創造された大自然で、
 何事も思い煩わず喜んでいる人が、神を信じ世のことに思い煩っている者より健康的だとするよう造られたように、
  ―敵を愛し、憎む者に親切にせよ― 天では皆悪いことをするものではなかった。地上のものに心を引かれ失楽したものが、悪しき者に騙され悪いことをしでかすかもしれない人間となっただけだと知り、
 ―人をさばくな〜人を罪に定めるな〜ゆるしてやれ〜弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わな
 いのか―

119 :
世のことから離れ、何事も思い煩わない喜びの神への信仰と、そのような心をよしとし、神に信仰ありとされない世で、何も知らず富や肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを貪り、悪いことをしでかすかもしれな
い人間として造られたあやまちをゆるし、耐えねばならない。
 ―夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜人はその父母を離れて〜この
 奥義は大きい〜あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう―
 ―わたしたちの戦いは、もろもろの支配と、権威と、やみの主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである―
 何でも神とせず、神の愛から失楽した人々、富に仕えたり、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある人間を殺人や盗み、敵意、憎しみ、怒り、争い、自分は偉い者として他人を見下す、あやまちをゆるさず他人
 を自分の考えに従えさせる、他人を自分の利益に利用するだけのものとする・・諸々の悪い心もある人間と一つにさせた。神を信じ世を友とし、世を思い、イエスを殺した神への恐れ、誰ひとり自分自身を正
 しいと決め付けることはできなくなった。
◎命の木
 ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
 善い行いは、人間の良識程度でよしとされ、神にしましたと思い上がることのできる人は誰もいない。聖霊に満ち荒野をよしとして受け入れ、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りのない状態で、むしろ何事も思
 い煩うことのない心で喜び、世の中でも人間の貪り、肉の思いで、苦難や困難をもたらす行為を悪と心より知る救いしかない。

120 :
○父母を離れる奥義(完全を求める神から愚か者と認め完全をよしとする中間)
 
 世を愛し、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある者は、神の敵意・怒りの者であると神は語られた。世の者には寛容で、何事も思い煩わないようにすること。衣食があれば足りるような心得で暮らし喜び、「イ
 エスは聖霊に満ちて荒野」とあるように、神が創造された大自然を楽しむくらいなら、むしろ神に喜ばれる。
  神は神に信仰深いと思っているなら、そのような心でいつもいる時であると、態度に変化はない方。
   信仰深いと自任したり、神を信仰しようとする他人に「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り」を何も問題ないと思ったり教えたりする者は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と。
 神は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを問題ないとする罪人を「地の呪いの者」として、足りて神が創造された大自然のみを喜び悪もない人間から、悪いこともしでかすかもしれない人間を許可された。
 神より、世のことを思い、世を友とした神信者にイエスを殺害させた。世の創めのように、ただ足りて神が創造された大自然を喜び、何事も思い煩わないでいるような人間なら、そのままで神の義を示す信仰
 対象はない。神の愛を喜び、何事も思い煩わない心で、神と一緒に幸せを味わって生きていた。

121 :
 ■神から離れ世のものを必要とする者も正直
  神から離れ世のものを必要として暮らす人間の心は、神への信仰を思っている人間にはゆるさない。それは神の本心であると。
   ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―
     正直に、「私は神への信仰が全くない」と心から思い活動し、恩を知らぬ者や悪人をも「地の呪いの者」として造られた人間の世で耐え、全く信仰のない人々と同じように、彼らから必要な物を得な
     いといけない。「地の奴隷、地の呪いの者」として同じように必要な物を得、神を信仰しても、神には愚かな罪人でしかない。全く信仰のない人々と同じような扱いである。
  衣食住も得られないような人々に遭遇したり、その人々のことを思い与えても、目の前の人を愛しても、「それは人間として当然のことである」として神への信仰には届かない。
 神への信仰に届かない人間が、神の愛に習って、人々の富への貪りや肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせくして思い煩わない世になるため、衣食住のない人々に衣食住があるようにするのは当然とする世
 になるため、からし種一粒ほどの信仰もない世の人々への救い、神への信仰を知識的に間違わないようにするためのイエスの信仰(聖霊に満ち荒野で肉の欲を捨て去った神の義)
   人々が自然のまま、富への貪りや肉の欲などにあくせく仕えさせて思い煩うことは悪いこと、衣食住のない人々に衣食住があるようにするのは善いことと思えば、それで世は救われると。

122 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj さん。あなたは多く正しいことを語っています。しかしひとつだけ抜けています「行い」なさい。
世界の貧困国を個人で救いに行け!とは言いません
ただ、日本の釜ヶ崎や山谷を見てください!
この国は、貧しい人が増え、確実に豊かなクリスチャンの助けが必要になってきてます!
主は言われました。
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」(マタイの福音書16:26)


123 :
またこうも言われました
16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 
27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 
29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』 
30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 
31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

124 :
カトリック信徒もプロテスタント信徒も金持ちになりすぎました。
それによって神父も牧師もイエスの「金持ちは善悪にかかわらず地獄に行く」という
厳しい教えを生易しい説教に変えてしまいました。
私は金持ちが地獄に落ちるのを知ってします。
その金額の重さが、彼らを天に上がるのを阻止するのです。
これは、真実です。

125 :
その通り。
キリスト・イエズスのみことばはすべて真理であり、命です。
金持ちはたすかりません。

126 :
Q.金持ちと貧乏とでは、どうしても金持ちのほうが幸せに思えます。
A.金持ちと、貧乏人。
ぬしらはたやすく物質でもって、幸せ、不幸を測ろうとするが、これもまた間違いやすいのじゃ。
大いに物質をもっていても、その内情は、苦しみのなかにおる者も多い。
また物質はそれほどなくとも、幸せに暮らしている者も多い。表面では人は測れぬものぞ。
人はなぜ表面でそこまで判断してしまうか。
すべてはみずからのたましいの映し出しであるからじゃ。
金にこだわるたましいは、人を金でしか見ぬ。幸せの測りは金である。ゆえ、金をもっていれば幸せ者、もっていなければ不幸、と判断するであろう。
金に基準をおいておらず、愛情のみに価値をもつ者は、また違う視点になろう。
みずからのたましいの目が、相手の幸不幸を決めているという事実を知っておくべきじゃ。
(スピリチュアルメッセージ 生きることの真理 第3章)より抜粋。


127 :
Q.金儲け優先の人たちにもたましいのうえでは、何か学びがあるのですか。
A.現世(うつしよ)には、金を稼ぐことを一番の目的にしているような者たちもいる。その者たちは、とことん稼げばよい。それ自体が、その者の学びじゃ。
どれだけ進めても、尽きぬはずじゃ。欲望は尽きぬのじゃ。一を十にしたところで、十が二十にならねば不幸せ。二十を三十にしなければ……と、尽きぬのじゃ。
しかし、それだけの金儲けをするには、そのぶんの苦労がつきまとうゆえ、それはそれで、金持ちを毛嫌いすることはないのじゃ。その金を得るための苦しみがその者の学びとなるからじゃ。
ただ金持ちを批判し、貧しき者をもちあげるのはおかしい。
なぜならば、金持ちは金持ちなりの苦労をしておるからじゃ。正しいとも、間違いともいえぬのじゃ。
貧しき者でも、苦労しておる者は尊重すべきであろう。がしかし、怠け、怠惰(たいだ)により貧しき者は、それに値せず。
金持ちを毛嫌いする者は、みずからのなかにこだわりがあるからじゃ。こだわりのなき者は、金があろうがなかろうが気にもせず。
ゆえ、こだわるほどならば、みずからがさまざまな経験を通して金持ちを経験してみるがよい。誰にでもできるがことぞ。どのような手だてをつかってでも、この現世(うつしよ)の掟(おきて)にふれぬギリギリまで浅ましさをもてば、ある程度は誰にでも得られる。
しかし、そのとき幸せかどうかは別じゃ。
(スピリチュアルメッセージ 生きることの真理 第3章)より抜粋。


128 :
Q.やはり清貧の実践こそが、幸せな生き方につながると思われますか。
A.ぬしらのいう「清貧」は幸せであろうか。
金がある、ないのこだわりもなく、生きる喜び、みずからの目的のみをもっていれば、清貧は幸せじゃ。
しかし、ただ怠惰(たいだ)により、またはみずからのたましいの弱さ、傲慢(ごうまん)さにより貧しき者は、ただの不幸じゃ。
物質は口も利かぬ。金は口も利かぬ。みずから歩くこともない。すべては、人の心の表現なのじゃ。
金とは、いわば舞扇(まいおうぎ ※日本舞踊につかう扇)なのじゃ。舞扇(まいおうぎ)を華やかに扱って舞う者がいる。または舞扇(まいおうぎ)をもっていても、ほとんど目立たぬ者もいる。それが金じゃ。
たくさんもっていてもケチな者もあれば、物質豊かでなくても貧しき国に寄付する者もおる。それがその者その者の舞扇(まいおうぎ)の扱い方なのじゃ。みずからに与えられた舞扇(まいおうぎ)を、どれほどに利用し、どう表現するかじゃ。
大切なのは、いかにつかうかじゃ。
(スピリチュアルメッセージ 生きることの真理 第3章)より抜粋。


129 :
>>122
実際神が存在して聞いたこと。神は、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを創造しなかった。神を信じて、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを何も問題ないと思って喜んでいる者は、神の敵、怒りの者であると。
神に信仰深いと自任しながら、また、神を信じようとする人に、「肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを何も問題ない」と教える者は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と。
(右)―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―
(地・罪人)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう―
(右が信仰深さ)―キリストが神の右に座しておられるのである〜上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない―
(地・罪人・下界)―神は、罪を犯した御使いたちをゆるしておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた―
(悪魔)―世界のすべての国々〜権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せされて―彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹〜彼らの思いは地上のことである―
(下界で生き続ける人間)―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい―

130 :
地上のものに心を引かれた下界(地)の人々も、―神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである―
 神は地上のものに心を引かれたため、悪しき者に地上を支配させ、富に仕えさせ、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを得て、喜んで滅んでいく人間の運命を与えた。悪も全くない霊の思いから、悪いこともしでかす
 かもしれない人間の思いを与えた。神の敵、憎しみ、怒りとなって、患難の後滅びる人間の姿。
 たとえば、大きな車体で内装が豪華で、馬力があり最高速も速く、ガソリンを多く使う自動車が地球温暖化の問題となるように、豪華な家で家電・照明が多く、それらの喜びに人間が昼夜を問わずあくせく仕えて
 も、もっと美味しいものがないかなど人間の気ままな欲求にあくせく仕えても、文化・芸術・スポーツ選手など世の栄誉を得た人を楽しんでも・・・それらは地の奴隷・滅びの者であると。
 震災などで貧しくなった人々に施し与えても、一時的であったり、皆の手前であったり・・それはそれで人間として当然であり、【目の前の人が飢えても食物さえ与えず平気な】地獄行きの者よりましな程度。
 世の汚れを自制することを善いこととし、―イエスは聖霊に満ちて〜荒野―でを受け入れ、何事も思い煩うことのない澄んだ心で、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしないと
 滅びる人間(肉の思い)から救われることはない。

131 :
世に必要な物や様々な物をもたらすのは悪魔の役割で、
  ―あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さる〜信仰の薄い者たちよ〜何を食べようか、何を飲もうか〜何を着ようかと言って思い煩うな〜あすのことを思いわずらうな〜一日の苦労
  は、その日一日だけで十分である―
  神の敵意、憎しみ、怒りの者を悪しき者の配下とし、富や権威や栄華・物欲を貪ることによって、地の奴隷をつくり、人々を豊かにしようとする。景気(金)を思い雇用を思うこと、世を友とすることは信仰の
  全くない人間で罪を犯し造られた者でも自然にできることだから、聖霊に満ちた永遠の命で心を清め、何事も思い煩うことなく澄んだ心で貧しい人々に分け与えても喜べるような心になること。
  世を友とし物質的な流れは信仰の全くない者のすることとし、世を友とし善いことを意識させても、他人のあやまちを意識するよう造られた。(神にとって道徳的に終わることは本心ではない)
  肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ何事も思い煩うことなく澄んだ心で、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容、愛を身に着けること。行いは澄んだ心を得たものへの教え。
  
  ―正しい者たちは答えて言うであろう〜主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ―
    からし種一粒もない(全く信仰のない)者と同じで働き必要な物を得、知らぬ間に空腹である人を見て食物をめぐみ、聖霊に満ち荒野をよしとして、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れて何事も思い
    煩わない健康的な時をも大切にする。神に信仰深さを求めた時は、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ、それらがないことに喜び、何事も思い煩いのない者となること。

132 :
 
思慮 ◆AIOdk12HhuOj さんは正しい事を言っている。ただ一つ一番大切な者が欠けている
「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか」
「なぜ、良いことについてわたしに尋ねるのですか。良い方はひとりだけです。
もしいのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい」「どの戒めですか」「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ」
「そのようなことはみな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか」
「もし、あなたが完全になりたいなら、帰ってあなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」そしてこの青年は、このことばを聞いて悲しみながらそこを立ち去っていったのです。
〈この人は多くの財産を持っていたからである)

133 :
多くのキリスト者が品行方正に生きれば天の御国に入れると勘違いしている
聖職者までも・・・
はっきりいっておく。上記にあるように多く持ちながら天の御国に入ることは
ラクダが針の穴を通る方が、まだやさしい。
私は知っている。
多く持ちながら死んだものが、主に知らないと言われ泣いて歯ぎしりしているのを。
持つ兄弟姉妹よ。すべて施しなさい。あなたが生きているうちに。
天の御国の門は実に狭き門である。

134 :
私は一度、死んだのです。
奇跡的に、二日後に蘇生しました。臨死体験とか生易しいものでは無い。
医者が完全に死んだと死亡診断書に明記しました。
死んでいるときに見たままを書いています。
それまでのキリスト教に対する甘い考えが吹き飛びました。
富めるものにとって天の御国の門は実に狭いのです。
それは、聖職者、宗教、無宗教、関係ありませんでした。
貧しいものは幸いです。
そう主が言われたとおりでした。

135 :
キリスト教徒はほとんどが地獄へ至っていたのですね。
さすがは公正なる主の裁き

136 :
そもそもキリスト・イエズスの教えには、天国、地獄などというものは存在しないはずですが。
「神の国」が成就すると、イエズスはおっしゃっていますよね。
裁かれて滅びる者は、たしかゲヘナという「滅びの谷」に投げ落とされて、復活しないんですよね。


137 :
翌日、約束通りその牧師が訪れた。そして、いつものようにシルバーバーチの祈りの言葉で交霊会が始まった。
「大霊のインスピレーションが皆さんの全てに宿り、その大霊の御心に応えて皆さんのお一人お一人が大霊の一部であることを感じ取っていただけますように。また、いずこに行かれる時もその御心を携えられ、接する人々にその威力を身をもってお示しになられますように」
以下はその牧師とシルバーバーチとの議論である。
まずシルバーバーチの方から牧師にこう語りかける。
「この霊媒(バーバネル)にはあなた方のいう聖霊の力がみなぎっております。それがこうして言葉をしゃベらせてくれるのです。私はあなた方のいう復活せる霊の一人です」
牧師「死後の世界とはどういうところですか」
「あなた方の世界と実によく似ております。ただし、こちらは結果の世界で、そちらは原因の世界です」
続く…

138 :
牧師「死んだ時は恐怖感はありませんでしたか」
「ありません。私たちインディアンは霊覚が発達しており、死が恐ろしいものでないことを知っておりましたから……
 あなたが属しておられる宗派の創立者ウェスレーも同じです。あの方も霊の力に動かされておりました。そのことはご存じですね?」
牧師「おっしゃる通りです」
「ところが現在の聖職者は霊の力に動かされておりません。宇宙は究極的には神とつながった一大連動装置によって動かされており、いちばん低い地上界もあなた方のおっしゃる天使の世界とつながっております。
どんなに悪い人間もダメな人間も、あなた方のいう神、私のいう大霊と結ばれているのです」
牧師「死後の世界でも互いに認識し合えるのでしょうか」
「地上ではどうやって認識し合いますか」
牧師「目です。目で見ます」
「目玉さえあれば見えますか。結局は霊で見ていることになるでしょう?」
牧師「その通りです。私の精神で見ています。それは霊の一部だと思います」
続く…

139 :
「私も霊の力で見ています。私にはあなたの霊も見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影に過ぎません。光源は霊です」
牧師「地上での最大の罪は何でしょうか」
「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神への反逆でしょう」
ここでメンバーの一人が「その点を具体的に述べてあげてください」と言うと
「神の存在を知りつつもなお、それを無視した生き方をしている人々、そういう人々が犯す罪がいちばん大きいでしょう」とシルバーバーチが付け加える。
さらに別のメンバーが「キリスト教ではそれを聖霊に対する罪と呼んでおります」と言うと
「例の本(バイブル)ではそう呼んでおります。が、要するに霊に対する罪です」
牧師「改訳聖書をどう思われますか。欽定訳聖書と比べてどちらが良いと思われますか」
「文字はどうでもよろしい。いいですか、大切なのはあなたの行いです。神の真理はバイブルだけでなく他のいろんな本に書かれています。
それから、人のために尽くそうとする人々は、どんな地位の人であろうと誰であろうと、またどこの国の人であろうと、立派に神が宿っているのです。
それこそがいちばん立派なバイブルです」
牧師「改心しないまま他界した人はどうなりますか」
続く…

140 :
「改心とはどういう意味ですか。もっと分かりやすい言葉でお願いします」
牧師「例えばある人は生涯を良くないことばかりしてそのまま他界し、ある人は死ぬ前に反省します。両者には死後の世界でどんな違いがあるのでしょうか」
「あなた方の本(バイブル)から引用しましょう。蒔いたタネは自分で刈り取るのです。これだけは変えることが出来ません。
今のあなたがそのまま構えてこちらヘ参ります。こうだと信じているもの、人からこう見て貰いたいと思っているものではなく、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへ参ります。
あなたもこちらへお出でになれば分かります」
続く…

141 :
私はこれまで西洋人の世界に、三千年前のわれわれインディアンより遙かに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見てきております。
今なお物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つといえます」
牧師「そちらへ行った人はどんな風に感じるのでしょう? 例えば後悔の念というものを強く感じるのでしょうか」
「いちばん残念に思うことは、やるべきことをやらずに終わったことです。あなたもこちらヘお出でになれば分かります。
きちんと成し遂げたこと、やるべきだったのに怠ったこと、そうしたことが逐一わかります。
続く…

142 :
逃してしまったチャンスが幾つもあったことを知って後悔するわけです」
牧師「キリストヘの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納(かのう)なさるでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣うことになると思うのですが……」
「主よ、主よと、何かというと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心にかなった行いです。それが全てです。
口にする言葉や信じていることではありません。頭で考えていることでもありません。実際の行為です。
何一つ信仰というものを持ち合わせなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に灯火を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の御心にかなった人と言えます」
ここで列席者の一人がイエスは神の一部なのかと尋ねると―― 「イエスは地上に降誕した偉大な霊覚者だったということです。
当時の民衆はイエスを理解せず、遂に十字架に架けました。いや、今なお架け続けております。
イエスだけでなく人間のすべてに神の分霊が宿っております。ただ、その神性を多く発現している人と少ない人とがいるだけです」
続く…

143 :
牧師「キリストが地上最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それほどの人物が嘘を言うはずがありません。
キリストは言いました――“私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである”と。
これはキリストが即ち神であることを述べたのではないでしょうか」
「もう一度バイブルを読み返してごらんなさい。“父は私よりも偉大である”とも言っておりませんか」
牧師「言っております」
「また“天にまします我らが父に祈れ”とも言っております。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が“天にまします我らが父”であるわけがないでしょう。
私に祈れとは言っておりません。父に祈れと言ったのです」
牧師「キリストは“あなたたちの神”と“私の神”という言い方をしております。“私たちの神”とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いておりません」
「“あなたたちの神と私”とは言っておりません。“あなたたちは私より大きい仕事をするでしょう”とも言っております。
続く…

144 :
あなた方クリスチャンにお願いしたいのは、バイブルを読まれる際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をなさらぬことです。
霊的実相に照らして解釈しなくてはいけません。存在の実相が霊であることが宇宙のすべての謎を解くカギなのです。
イエスが譬え話を多用したのはそのためです」
牧師「神は地球人類を愛するがゆえに唯一の息子を授けたのです」 と述べて、イエスが神の子であるとするキリスト教の教義を弁護しようとする。
「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年も経ってから、例のニケーア会議でそんなことがバイブルに書き加えられたのです」
牧師「ニケーア会議?」
「西暦三二五年に開かれております」
牧師「でも、私が今引用した言葉は、それ以前からある“ヨハネ福音書”に出ていました」
「どうしてそれが分かります?」
牧師「いや、歴史にそう書いてあります」
「どの歴史ですか」 牧師「どれだかは知りません」
「ご存じのはずがありません。一体バイブルというものが書かれる、その元になった書物はどこにあると思われますか」
牧師「“ヨハネ福音書”それ自体が原典です」
「いいえ、それよりもっと前の話です」
続く…

145 :
牧師「バイブルは西暦九十年に完成しました」
「その原典となったものは今どこにあると思いますか」
牧師「いろんな文書があります。例えば……」 と言って一つだけ挙げた。
「それは原典の写しです。原典はどこにありますか」 牧師がこれに答えられずにいるとシルバーバーチが
「バイブルの原典はご存じのバチカン宮殿に仕舞い込まれたまま一度も外に出されたことがないのです。
あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。
初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しませんでした。
ところが、いつになっても再臨しないので遂に締めて、記憶をたどりながらイエスの言ったことを記録に留めたのです。
イエス曰く……と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです」
牧師「でも、四つの福音書にはその基本となった、いわゆる“Q資料”(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが……」
続く…

146 :
「別に私は、そうしたことがまったく起きなかったと言っているのではありません。
ただ、バイブルに書いてあることの一語一句までイエスが本当に言ったとは限らないと言っているのです。
バイブルに出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはいけません」
牧師「記録に残っていない口伝のイエス語録が出版されようとしていますが、どう思われますか」
「イエスの関心事はご自分がどんなことを言ったかといったことではありません。地上のすべての人間が神の摂理を実行してくれることです。
人間は教説のことで騒ぎ立て、行いの方を疎かにしています。
“福音書”なるものを講義する場に集まるのは、真理に飢えた人たちばかりです。
イエスが何と言ったかはどうでもよいことです。大切なのは自分自身の人生をどう生きるかです。
地上世界は教説では救えません。いくら長い説教をしても、それだけでは救えません。神の子が神の御心を鎧として、暗黒と弾圧の勢力――魂を束縛するもの全てに立ち向かうことによって、初めて救われるのです。
その方が記録に残っていないイエスの言葉よりも大切です」
続く…

147 :
牧師「この世にはなぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」
「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練をへて初めて人間世界を支配している神の摂理が理解できるのです」
牧師「苦しみを知らずにいる人が大勢いるようですが……」
「あなたは神に仕える身です。大切なのは“霊”に関わることであり、“肉体”に関わることでないくらいのことは理解できなくてはいけません。霊の苦しみの方が肉体の痛みよりも耐え難いものです」
メンバーの一人が「現行の制度は不公平であるように思います」と言うと
シルバーバーチが 「地上での出来事はいつの日か必ず埋め合わせがあります。いつかは自分で天秤を手にして、バランスを調節する日がまいります。
自分で蒔いたものを刈り取るという自然法則から免れることは出来ません。罰が軽くて済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません。
あなたには魂の内部を見抜く力がないからそう思えるのです。
続く…

148 :
私が常に念頭においているのは、大霊の法則です。
人間の法律は念頭にありません。人間がこしらえた法律は改めなければならなくなります。いつかは変えなければならなくなります。
大霊の法則は決してその必要がありません。
地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。
痛みや苦しみや邪悪が存在するのは、大霊の分霊であるあなた方人間がそれを克服していく方法を学ぶためです。
もしもあなたがそれを怠っているとしたら、あなたをこの世に遣わした大霊の意図を実践していないことになります。
宇宙の始まりから終わりまでを法則によって支配し続けている大霊を、一体あなたは何の資格をもって裁かれるのでしょう」
牧師「霊の世界ではどんなことをなさっているのですか」
「あなたはこの世でどんなことをなさっておられますか」
牧師「それは、その、アレコレと本を読んだり…… それに、説教もよくします」
「私もよく本を読みます。それに今は、こうして大変な説教をしております」
牧師「私は英国中を回らなくてはなりません」
続く…

149 :
「私は霊の世界中を回らなくてはなりません。さらに私の方は、天命をまっとうせずにこちらヘ送り込まれてきた人間がうろついている暗黒界へも下りて行かねばなりません。それにはずいぶん手間が掛かります。
あなたに自覚していただきたいのは、あなた方はとても大切な立場に立っていらっしゃるということです。
神に仕える身であることを自認しながら、その本来の責務を果たしていない方がいます。ただ教会の壇上から意味もない説教をしているだけです。
しかし、自ら神の手にゆだね、神の貯蔵庫からインスピレーションを頂戴すべく魂の扉を開けば、あなたは古(いにしえ)の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって魂が満たされるのです。
そうなることで地上の片隅に、人生に疲れ果てた人々の心を明るく照らす光をもたらすことが出来るのです」
牧師「そうあってくれれば嬉しく思います」
「いえ、そうあってくれればではなくて、事実そうなのです。私はこちらの世界で後悔している牧師にたくさん会っておりますが、
皆さん、地上での人生を振り返って、ご自分が本当の霊のメッセージを説いていなかったこと、バイブルや用語や教説にばかりこだわって実践を疎かにしたことを、如実に自覚します。
続く…

150 :
そして、出来ればもう一度地上へ戻りたいと望みます。
そこで私は、あなたのような牧師に働きかけることによって新しい時代の真理を地上にもたらす方法をお教えするのです。
あなたは、今まさに崩壊の一途をたどっている世界に身を置いていることを自覚しないといけません。
新しい秩序の誕生、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ていらっしゃるのです。
産みの痛みと苦しみと涙が、少なからず伴うことでしょう。
しかし最後は大霊の摂理が支配します。
あなた方一人一人がその新しい世界を招来する手助けができるのです。
なぜなら、人間の全てが大霊の分霊であり、その意味で大霊の仕事の一翼を担うことが出来るのです」
その牧師にとっての第一回目の交霊会も終わりに近づき、いよいよ霊媒から去るに当たってシルバーバーチがこう述べた。
「このあと私もあなたが説教をなさる教会へいっしょに参ります。あなたが本当に良い説教をなさった時、これが霊の力だと自覚なさるでしょう」
牧師「これまでも大いなる霊力を授かるよう祈って参りました」
「祈りはきっと叶えられるでしょう」
以上で第一回の議論が終わり、続いて第二回の議論の機会がもたれた。引き続いてそれを紹介する。
続く…

151 :
「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。全ての人間を愛することは可能なのでしょうか」
これが二回目の議論の最初の質問だった。
「それは不可能なことです。が、そう努力することは出来ます。
努力すること、そのことが性格の形成に役立つのです。
怒ることもなく、辛く当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。
人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれて来るのです。
成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからでも同じです」
続く…

152 :
牧師「イエスは“天の父の完全であるが如くに汝らも完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」
「ですから、完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上で目指すべき最高の理想なのです。即ち、内部に宿る神性を開発することです」
牧師「先ほど引用した言葉はマタイ伝第五章の終わりに出ているのですが、普遍的な愛について述べた後でそう言っております。
また“ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝らは完全であれ。神の子なればなり”とも言っております。
神は全人類を愛してくださるのだから、われわれも全ての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じると思われますか」
この質問にシルバーバーチは呆れたような、あるいは感心したような口調でこう述べる。
「あなたは全世界の人間をイエスのような人物になさりたいのですね。お聞きしますが、イエス自身、完璧な人生を送ったと思いますか」
牧師「そう思います。完璧な人生を送られたと思います」
「一度も腹を立てたことがなかったとお考えですか」
牧師「当時行われていたことを不服に思われたことはあると思います」
続く…

153 :
「腹を立てたことは一度もなかったとお考えですか」
牧師「腹を立てることはいけないことであると言われている、それと同じ意味で腹を立てられたことはないと思います」
「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。
イエスが腹を立てたことが正当化できるかどうかを聞いているのではありません。
正当化することなら、あなた方(クリスチャン)は何でも正当化なさるんですから……」
ここでメンバーの一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を出した。
するとシルバーバーチが続ける―― 「私が言いたかったのはそのことです。あの時イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。
ムチをもって追い払ったのです。
それは怒りそのものでした。
それが良いとか悪いとかは別問題です。
イエスは怒ったのです。怒るということは人間的感情です。
私が言いたいのは、イエスも人間的感情を具えていたということです。
イエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一個の人間であった――ただ普通の人間よりは大霊の心を多く体現した人だった、という風に考えることが大切です。分かりましたか」
続く…

154 :
牧師「分かりました」
「私はあなたのためを思えばこそ、こんなことを申し上げるのです。誰の手も届かない所に祭り上げたらイエスが喜ばれると思うのは大間違いです。
イエスもやはり我々と同じ人の子だったと見る方が、よほど喜ばれるはずです。
自分だけが超然とした位に留まることは、イエスは喜ばれません。
人類と共に喜び、共に苦しむことを望まれます。
一つの生き方の模範を示しておられるのです。
イエスがおこなったことは誰にでも実行できることばかりなのです。
誰も付いて行けないような人物だったら、せっかく地上へ降りたことが無駄だったことになります」
話題が変わって―― 牧師「人間には自由意志があるのでしょうか」
「あります。自由意志も大霊の摂理の一環です」
牧師「時として人間は抑えようのない衝動によって行為にでることがあるとは思われませんか。
そう強いられているのでしょうか。
それともやはり自由意志でおこなっているのでしょうか」
「あなたはどう思われますか」
牧師「私は人間はあくまでも自由意志を持った行為者だと考えます」
続く…

155 :
「人間には例外なく自由意志が与えられております。
ただしそれは、大霊の定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。
これは大霊の愛から生まれた法則で、大霊の子の全てに平等に定められており、それを変えることは誰にも出来ません。
その規則の範囲内において自由であるということです」
牧師「もし自由だとすると、罪は恐ろしいものになります。
悪いと知りつつ犯すことになりますから、強制的にやらされる場合よりも恐ろしいことに思えます」
「私に言えることは、いかなる過ちも必ず本人が正さなくてはならないということ、それだけです。
地上で正さなかったら、こちらヘ来てから正さなくてはなりません」
牧師「とかく感心できないことをしがちな性癖が先天的に強い人がいるとは思われませんか。
善いことをしやすい人間とそうでない人間とがいます」
「難しい問題です。と申しますのは、各自に自由意志があるからです。
誰しも善くないことをすると、内心ではそうと気づいているものです。
その道義心を無視するか否かは、それまでに身につけた性格によって違ってくることです。
罪というものは、それが結果に及ぼす影響の度合に応じて重くも軽くもなります」
続く…

156 :
これを聞いて牧師がすかさず反論した。
牧師「それは罪が精神的なものであるという事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります」
「罪は罪です。身体で犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれも罪は罪です。
あなたはさっき衝動的に罪を犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこから来ると思いますか」
牧師「思念です」
「思念はどこから来ますか」
少し躊躇してから
牧師「善なる思念は神から来ます」
「では、悪の思念はどこから来ますか」
牧師「分かりません」
「神はすべてのものに宿っております。間違ったことの中にも正しいことの中にも宿っております。
日光の中にも嵐の中にも、美しいものの中にも醜いものの中にも宿っています。
空にも海にも雷鳴にも稲妻にも宿っているのです。
美なるもの善なるものだけではありません。
罪の中にも悪の中にも宿っているのです。
お分かりになりますか。
神とはコレとコレにだけ存在しますという風に一定の範囲内に限定できるものではないのです。
全宇宙が神の創造物であり、その隅々まで神の霊が浸透しているのです。
続く…

157 :
あるものを切り取って「コレは神のものではない」などとは言えないのです。
日光は神の恵みで、作物を台無しにする嵐は悪魔の仕業だなどとは言えないのです。
神はすべてのものに宿ります。
あなたという存在は思念を受けたり出したりする一個の器官です。が、どんな思念を発するかは、あなたの性格と霊格によって違ってきます。
もしもあなたが、あなたのおっしゃる“完璧な人生”を送れば、あなたの発する思念も完全なものばかりでしょう。
が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。私の言っていることがお分かりですか」
牧師「おっしゃる通りだと思います。では、そういう煩悩ばかりの人間が死に際になって自分の非を悟り“信ぜよ、さらば救われん”の一句で心に安らぎを覚えるという場合があるのをどう思われますか。
キリスト教の“回心の教義”をどう思われますか」
「よくご存じのはずの文句をあなた方の本から引用しましょう。
“たとえ全世界を得ようと己の魂を失わば何の益かあらん”“まず神の国とその義を求めよ。しからばこれらのもの全て汝らのものとならん”
これらの文句は、あなた方はよくご存じですが、果たして理解していらっしゃるでしょうか。
続く…

158 :
それが真実であること、本当にそうなること、それが神の摂理であることを悟っていらっしゃいますか。“神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし”――これもよくご存じでしょう。
神の摂理は絶対にごまかせません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の回心でいっぺんに立派な霊になれると思いますか。
無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切しなかった人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。
“すみませんでした”のひとことで全ての過ちが赦されるとしたら、果たして神は公正と言えるでしょうか。いかがですか」
牧師「私は、神はイエス・キリストに一つの心の避難所を設けられたのだと思うのです。イエスはこう言われ……」
「お待ちなさい。私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。率直にお答えいただきたい。本に書いてある言葉を引用しないでいただきたい。
イエスが何と言ったか、私には分かっております。あなた自身はどう思うかと聞いているのです」
牧師「確かにそれでは公正とは言えないと思います。しかし、そこにこそ神の偉大なる愛の入る余地があると思うのです」
「ここの通りを行かれると人間の法律を運営している建物(役所)があります。もしその法律によって、生涯を善行に励んできた人間と罪ばかり犯してきた人間とを平等に扱ったら、あなたはその法律を公正と思われますか」
続く…

159 :
牧師「私は、生涯まっすぐな道を歩み、誰をも愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じた人が…… 私は……」
ここでシルバーバーチが遮って言う―― 「自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る――この法則から逃れることは出来ません。神の法則はごまかすことが出来ないのです」
牧師「では、悪のかぎりを尽くした人間が今まさに死にかかっているとしたら、その償いをすべきであることを、その人間にどう説いてやれば良いのでしょうか」
「シルバーバーチがこう言っていたと、その人に伝えてください。もしもその人が真の人間、つまり幾ばくかでも神の心を宿していると自分で思うのなら、それまでの過ちを正したいという気持になれるはずです。
自分の犯した過ちの報いから逃れたいという気持がどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない、ただの臆病者だと。そう伝えてください」
牧師「しかし、罪を告白するということは、誰にでもはできない勇気ある行為だとは言えないでしょうか」
続く…

160 :
「それは正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は善いことをする自由も悪いことをする自由もあったのを、敢えて悪い方を選んだ。自分で選んだのです。
ならば、その結果に対して責任を取らなくてはなりません。元に戻す努力をしなくてはなりません。紋切り型の祈りの文句を述べて心が安らぎを得たとしても、それは自分をごまかしているに過ぎません。
蒔いたタネは自分で刈り取らねばなりません。それが神の摂理です」
牧師「しかし、イエスは言っておられます――“労する者、重荷を背負える者、すべて我のもとに来たれ。汝らに安らぎを与えん”と」
「“文は殺し、霊は生かす”というのをご存じでしょう。あなた方(聖職者)がバイブルの言葉を引用して、これは文字通りに実行しなければならないと説いてみたところで無意味です。今日あなた方自身が実行していないことがバイブルの中に幾らでもあるからです。
私の言っていることがお分かりでしょう?」
続く…

161 :
牧師「イエスは“善き羊飼いは羊のために命すら捨つるものなり”と言いました。
私は常に“赦し”の教えを説いています。キリストの赦しを受け入れ、キリストの心が自分を支配していることを暗黙のうちに認める者は、それだけでその人生が大きな愛の施しとなるという意味です」
「神は人間に理性という神性の一部を植え付けられました。あなた方もぜひその理性を使用していただきたい。
大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する――それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変わりません。
神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は罪として相変わらず残っております。
いいですか、それが神、私の言う大霊の摂理なのです。イエスが言ったとおっしゃる言葉を幾らバイブルから引用しても、その摂理は絶対に変えることは出来ないのです。
前にも言ったことですが、バイブルに書かれている言葉をイエスが実際に言ったとは限らないのです。そのうちの多くは後世の者が書き加えたものなのです。
イエスがこうおっしゃったとあなた方が言う時、それは、そう言ったと思うといった程度のものでしかありません。
続く…

162 :
そんないい加減なことをするよりも、あの二千年前のイエスを導き、あれほどの偉大な人物にしたのと同じ霊力、同じインスピレーション、同じエネルギーが、二千年後の今も働いていることを知って欲しいのです。
あなた自身も神の一部なのです。その神の温かき愛、深遠なる叡智、無限なる知識、崇高なる真理がいつもあなたを待ち受けているのです。
何も、神を求めて二千年前まで遡ることはないのです。今ここに在(ましま)すのです。二千年前とまったく同じ大霊が今ここに在すのです。
その大霊の真理とエネルギーの通路となるべき人物(霊媒・霊能者)は決して多いとは言えません。
しかし、あなた方クリスチャンは何ゆえに二千年前のたった一人の霊能者にばかりすがるのです? なぜそんな昔のインスピレーションだけを大切になさるのです? なぜイエス一人の言ったことに戻ろうとなさるのです?」
牧師「私は、私の心の中にキリストがいて業を為しておられると説いております。インスピレーションを得ることは可能だと思います」
「何ゆえにあなた方は全知全能の神を一個の人間と一冊の書物に閉じ込めようとなさるのです? 宇宙の大霊が一個の人間あるいは一冊の書物で表現できるとでもお考えですか。
続く…

163 :
私はクリスチャンではありません。イエスよりずっと前に地上に生を享けました。
すると神は私に神の恩恵に浴することを許してくださらなかったということですか。
神のすべてが一冊の書物のわずかなページで表現できるとお思いですか。その一冊を書き終えた時を最後に神は、それ以上のインスピレーションを子等に授けることをストップされたとお考えですか。
バイブルの最後のページを読み終えた時、神の真理のすべてを読み終えたことになるというのでしょうか」
牧師「そうであって欲しくないと思っています。時折、何かに鼓舞されるのを感じることがあります」
「あなたもいつの日か天に在す父のもとに帰り、今あなたが築きつつある真実のあなたに相応しい住処に住まわれます。
神に仕える者としてあなたに分かっていただきたいのは、神を一つの枠の中に閉じ込めることは出来ないということです。
神、私のいう大霊はすべての存在に宿るのです。悪徳の固まりのような人間も、神か仏かと仰がれるような人間と同じように神とつながっているのです。
あなた方一人一人に神が宿っているのです。あなたがその神の心をわが心とし、心を大きく開いて信者に接すれば、その心を通じて神の力と安らぎがあなたの教会を訪れる人々の心に伝わることでしょう」
続く…

164 :
牧師「今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であるという事実をどう思われますか」
「誰がそんなことを言ったのでしょう? 多くの国が今なおその国の宗教の発生とともにできたカレンダーを使用しております。
私にはイエスを過小評価するつもりは毛頭ありません。今この時点でなさっているイエスの仕事を知っておりますし、ご自身は神として崇(あが)められることを望んでおられないことも知っております。
イエスの生涯の価値は人間が模範とすべき、その生き方にあります。イエスという一個の人間を崇拝することを止めない限り、キリスト教は神のインスピレーションに恵まれることはないでしょう」
牧師「キリストの誕生日を西洋暦の始まりと決めたのがいつのことか、よく分かっていないのです。ご存じでしょうか」
「(そんなことよりも)私の話を聞いてください。数日前のことですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランド)北部の町へ行き、大勢の神の子と共に過ごしました。
高い地位の人たちではありません。肉体労働で暮らしている人たちで、仕事が与えられると――大抵は道路を掘り起こす仕事ですが――
続く…

165 :
一生懸命はたらき、終わると僅かばかりの賃金を貰っている人たちです。
その人たちが住んでいるのは、いわゆる貧民収容施設です。
これはキリスト教文明の恥辱ともいうベき産物です。
ところが、同じ町にあなた方が“神の館”と呼んでいる大聖堂があります。
高くそびえていますから、太陽が照ると周りの家はその影に入ります。そんなものが無かった時よりも暗くなります。これで良いと思われますか」
続く…

166 :
牧師「私はそのダーラムにいたことがあります」
「知っております。だからこそ、この話を出したのです」
牧師「あのような施設で暮らさねばならない人たちのことを気の毒に思います」
「あのようなことでイエスがお喜びになると思われますか。
一方にはあのような施設、あのような労働を強いられる人々、僅かばかりの賃金しか貰えない人々が存在し、他方にはお金のことには無頓着でいられる人々が存在するというのに、イエスはカレンダーのことなどに関わっていられると思われますか。
あのような生活を余儀なくさせられている人が大勢いるというのに、大聖堂のための資金のことやカレンダーのことやバイブルのことなどに関わっていられると思いますか。
イエスの名を使用し続け、キリスト教国と名のるこの国にそんな恥ずべき事態の発生を許しているキリスト教というものを、あなた方クリスチャンは一体何と心得ておられるのですか。
先ほど教典のことで(改訳版と欽定訳版のどっちが良いかと)質問されましたが、宗教にはそんなことよりもっと大切な、そしてもっと大きな仕事があるはずです。
神はその恩寵をすべての子等に分け与えたいと望んでおられることが分かりませんか。
続く…

167 :
飢え求めている生活物資を、世界のどこかでは捨て放題の暮らしをしている人たちがいます。
他ならぬクリスチャンが同じようなことをしていて、果たしてキリスト教を語る資格があると言えるでしょうか。
私はあなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。
私は主イエスの目に涙を見たことがあります。
クリスチャンをもって任ずる者、聖職にある者の多くが、その教会の陰で進行している恥ずべき事態に目を瞑(つむ)っているのをご覧になるからです。
その日の糧にすら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て、一体誰が涼しい顔をしていられるでしょうか。
その人たちの多くは一日の糧も満足に買えないほどの僅かな賃金を得るために一日中働き続け、時には夜更かしまでして、しかも気の毒に、その疲れた身体を横たえるまともな場所もない有様なのです。
あなたを非難しているのではありません。私はあなたに大きな愛着を覚えております。お役に立つことならどんなことでもして上げたいと思っております。
が、私は霊界の人間です。
続く…

168 :
そして、あなたのように社会へ足を踏み入れて間違いを改めて行くための一石を投じてくれる人物と、こうして語り合うチャンスが非常に少ないのです。
あなたに理解していただきたいことは、バイブルのテキストのことを云々するよりもっと大切なことが沢山あるということです。
主よ、主よ、と叫ぶ者みんなが敬虔なのではありません。神の意志を実践する者こそが敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているではありませんか。
なのに今日なおあなた方は、それがいちばん大切であることを、なぜ信者に説けないのでしょうか。
大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。
戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業――こうした現実に知らぬふりをしている限りキリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。
あなたは(メソジスト派の)総会から抜け出てこられました。
過去一年間、メソジスト教会の三派が合同して行事を進めて来られましたが、せっかく合同しても、そうした神の摂理への汚辱(おじょく)を拭うために一致協力しない限りそれは無意味です。
私は率直に申し上げておきます。誤解を受けては困るからです」
続く…

169 :
牧師「数年前に私たちは派閥を超えて慈善事業を行い、その時の収益金を失業者のための救済資金として使用しました。
大したことは出来ませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか」
「あなたが心掛けの立派な方であることは私も認めております。
そうでなかったらこうしてあなたと二度も議論をしに地上へ戻ってくるようなことはいたしません。
あなたが有能な人材であることを見て取っております。
あなたの教会へ足を運ぶ人の数は確かに知れております。
しかし、イエスは社会の隅々まで足を運べと言っていないでしょうか。人が来るのを待っているようではいけません。あなたの方から足を運ばなくてはなりません。
教会を光明の中心として、飢えた魂だけでなく飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。
叡智の言葉だけでなく、パンと日常の必需品を与えてあげられるようでないといけません。
魂と身体の両方を養ってあげないといけません。
霊を救うと同時に、その霊が働くための身体も救ってあげないといけません。
教会がこぞってそのことに努力しなければ、養うものを得られない身体は死んでしまいます」
そう述べてから、最後にその牧師のために祈りを捧げた。
続く…

170 :
「あなたがどこにいても、何をされても、常に大霊の御力と愛が支えとなるように祈ります。
常に人のためを思われるあなたの心が、大霊からのインスピレーションを受け入れることが出来ますよう祈ります。
願わくは大霊があなたに一層の奉仕ヘの力を吹き込まれ、あなたの仕事の場を光と安らぎと幸せの中心となし給い、そこへ訪れる人々がそこにこそ大霊が働いておられることを感得してくれるようになることを祈ります。
大霊が常にあなたを祝福し、支え、大霊の道に勤しませ給わんことを。
願わくは大霊の意図と力と計画について、より一層明確な悟りを得られんことを。
では大霊の祝福を。ご機嫌よう」
続かない…。

171 :
口先だけで実際は死に体のキリスト教会ということですね

172 :
>>133
神「土に帰る、ちりに帰る」
 ―へびは女に言った〜女がその木を見ると、それは食べるに良く、目に美しく、賢くなるには好ましいと思われたから―(創世記)
  ―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである― ―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
 ―この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう―
  
  何でもできる不死(永遠の命)ある世界を知り、神がもし存在していたら道徳的に善いことを行い、人間が幸せになればよいと考えていらっしゃるだろうな。
   しかし、人々の富のためにあくせく働く(一日の苦労は、その日一日だけで十分であるに反する)、人々の肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕える、昔と違い肉の欲、目の欲、持ち物の誇りに触れる
   ことが多い(TVや携帯電話、雑誌、外食でさえ神は完全に否定される)人々にとって、「神を信仰しようとしているが、それらから離れないとしていない人々と同じである。土に帰る。」と言われた。
 私たちの今の暮らしを完全否定され、「呪いの子、神の左、悪魔の者で神の敵、怒りの人々」でその報いが「土に帰る、ちりに帰る」何も信仰しない人々と同様、死んだら終わりの者と変わりないと。
 実際の神は、私たち物に満ち溢れた暮らしを悪魔の子、滅びの者どもと完全否定されるとても厳しい存在で、―地上のものに心を引かれてはならない―などという教えを無にして、甘い言葉だけを喜び、神に信仰
 深いと思っている人々に、敵意と怒りを抱いていらっしゃる。

173 :
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―
そういった厳しい神であるので、―あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―
 「人は神の義の者ではない、死ぬだけの者だ」とせず、―からし種一粒ほどの信仰があるなら、「この桑の木に抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―
 
 悪しき者の配下となった全世界の人々も、善悪は知っているはずの人間。教えを善いことと受け入れて行っても何も信仰のない者と同じであるが・・という教えと、
 ―盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている―
  私の兄弟のように、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りが全く満たされなくても、善いことが行えなくとも悪い心から離れ、むしろ信仰により永遠の命が得られるという、
    右の者に信仰による永遠と死ぬ者にも平和をということ。
現代の日本のような暮らしは死ぬ者(悪しき者の配下)で、様々な物質を生み出す行いをさせ、善しかない状態から悪いこともしでかすかもしれない人間を造った。物を支配しようとする人間が、必ずしも善い行いを
すると決め付けたり、期待することはないと知っているから、善悪を知れる人間は何も信じないで世を治めている。善い者はいないとして耐え、悪をしでかすかもしれないとして法律をつくる=死ぬ者にも益を与えた。
 神の義より、善悪を神の義と信仰してしまう人々が、悪を憎み争うばかりになる場合がある。そういった人間の構造にも造り、神の義か不義で何も誇りのない者かに分かれる。

174 :
『からし種一粒ほどの信仰もない信仰』は創造主に信仰のない国には無用 
 ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった―
 ―あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―
 地上のものに心を引かれたため、悪のない者から悪いことをしでかすかもしれない人間に造られ、何も信じないまま人々の悪を予測し法律などをつくる。
 
 「土に帰る、ちりに帰る」家族を愛し、もう二度と逢えない悲しさ。人間の命の尊さ、大切さを思う社会となる。
 必要な物や人間の幸福を得ようと働き、益を思う人間が必ずしも善い人間でないと自然に知り、世の中では苦悩のあることにも耐えようとする。
   神は死ぬ者にも人間の考えで世の悪を治めることをするだろうとして、善悪を知る人間にした。

175 :
―盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている―
 地上で罪をゆるす権威で、神のわざで「最も小さいわたしの兄弟」を癒す。神の義の国を信じ、「衣食があれば足りるような暮らしを心がけ、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去るように信仰し生きれば
 土に帰らず、死後その国に生まれることができる」。もちろん、財産を得ようと思って仕事などに熱心になることも、神の怒り、敵の者として完全否定され、衣食住、人間の身体維持に必要な物まで捨てよと
 は言われないが、その他人の手で造られたものの喜びを得ても、肉の欲、目の欲などを少しでも喜ぶことを神は完全に否定される。
 富を貪ろうとしている人々にあくせく仕えてもならず、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを貪る人々にあくせく仕えてもならず、一日の苦労はその日一日だけを守る。働けない人も、衣食住のない人に衣食住を、
 人間の命の大切さを思う人々に助けられて、天国を信じて肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去ろうとする。もちろん、悪い心からも離れる。
   これが神が語る神への信仰である。
 その神への信仰を思わず、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りが多少でもある人間として悪いことをしでかすかもしれないものに造られた。神への信仰に熱心にならない者が神を信仰しようとすると、神は敵意、
 怒りを抱くだけであるので、信仰しなくてよろしいと。

176 :
>>175
いいから働け。

177 :
あなたもまた、働きなさい!
主は言われましたね。
働かざるもの、食うべからず。


178 :
神父や牧師は、まさに主に逆らってんな(爆
宣教が労働だとかアホなことを抜かすなよwww

179 :
死んだ信仰を維持し信徒の金を生活必需品に使い怠惰の内に老化して
世を地獄に落とし天国へ召されるのが牧師の一生だよ。

180 :
アーメン ラーメン ヒヤソーメン

181 :
アヴェ・マリヤ

182 :
179 ダメな教師は人一倍重い罪を受ける 言うもんね
不正の聖職者は確実に地獄に行く

183 :
真理を知らない人よりも、
真理を知ったうえで背教する者ほど主に嫌われるものはいませんからね。
そういう人は、たとえ聖職者であろうと、滅ぼされるのでしょうね。

184 :
あと故意に人を躓かせる人ね
悪意で策略を練り、人を貶める人。
イエス「そういう者は、湖でしんでしまえ!」

185 :
参加者募集中です書き込みお願いしますhttp://app.m-cocolog.jp/t/typecast/219052/187398

186 :
>>176>>177
神は唯一
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を―
 ―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている―(マタイ)
 ―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)
 神はこれらの人々だけの神。地上で罪をゆるす権威で、信仰により肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去ろうと熱心になろうとする人々。
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
 神はただひとり大自然を創造し、盲人や貧しい人々や衣食があれば足りるような心得の暮らしをし、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去ろうと熱心に信仰する人々だけを愛される存在である。
  そうすれば天国に生まれることができると。

187 :
善悪は神ならぬ者
 
  ―あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―
   盲人や貧しい人々らと一緒に、衣食があれば足りるような暮らしをし、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを捨て去ろうとしないその他の人々は、神を信仰できないから人殺しか?
    世を友とし、世を思う者は悪しき者を神とするから信仰できない。からし種一粒ほどの信仰のない者(全く信仰のない者)と同じとせよ。
 ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力して働き続けた―(テサロニケ)
   人々に負担をかけまいとして働き食べることは、信仰のない人間でも当たり前のこと。働くことは善いは、皆知っておらねばならず、それで神に信仰ありとしてはいけない。
 世を友とし、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを何も問題ないとして暮らし、神に信仰深いと自任し、盲人や貧しい人々を思う神を唯一としない神信者は、神ならぬ悪魔信仰者であり、全く信仰なく働き暮ら
 す人々より、「うじが尽きない地獄に落ちる」者となると。

188 :
私は働いているが、盲人や貧しい人々を思っている神に心から同意せず、(ただひとり彼らのことを思われている神である)
 ―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―
 ―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜世と世にあるものとを、愛してはいけない〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
 ― 一日の苦労は、その日一日だけで十分である―
  その言葉に反して、自ら神に信仰深いと自任し、神を信仰しようとする他人にそれらに反しても何も問題ないとする者は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と。
 世を友とし、世を思い、働いて食うことぐらいの行いは、全く信仰のない者にも知れるように造られた。―からし種一粒ほどの信仰のない―全く信仰のない者の善に通じる行いで、人々から取って食うことを
 よしと思うことは、悪いことである。世のことで善悪感の生じる行いは、悪魔であるから、信仰のない者として皆と同じように当然とせよということだ。

189 :
思慮よ。じゃあ聞くが、キリスト教系の大学で何でボランティアの講義やってるのか。教えてくれ?

190 :
○あの世から見た地上の宗教 馬鹿げた教会の教え
アルフ・プリチェットのガイド(指導霊)は語った。
「これまで教会で教えられてきた天国や地獄の話、天使の最後のラッパの話は全くのデタラメです。
さらにひどいことには“善い人間は天国に行き、悪い人間は地獄に行く”と言うのです。
今日までずっと、その間違った教えが信じられてきました。
人は死んでこちらへきても生前と何も変わりません。ただ部分的に、地上よりはよくなり幸せになる、という違いがあるだけなのです」
他の霊界通信も同様に、地上の宗教の“俗悪さ”を指摘している。
これまで地上の人間は、死後の世界に対して真実から懸け離れた教えを植えつけられてきたのである。
「マイケル・フェアロン」という教養ある霊からの声が届いた。
彼はかつて大学院の院長を務めていたこともあるが、第二次大戦にノーフォークス第一部隊の陸軍大尉として出兵し、ノルマンディー上陸の三週間後、戦死したのである。
その彼は、強い調子で次のように述べている。
続く…

191 :
「教会は、いまだに馬鹿げた天国と地獄の教えを説き続けています。
教会の教えに忠実な善人は天国に行き、教会の教えに従わない人間は地獄に行くと言うのです。
実際、教会の教えを厳密につき合わせてみれば、全く理屈に合わないことばかりです」
マイケルの母親「A・C・フェアロン」――彼女は一九五四年、ウッズに連れられて交霊会に初めて参加した――もこの話に加わった。
彼女は言った。
「先回、私がこの交霊会に参加したとき、マイケル、あなたは確か“どんな人を連れてきてもいいですが、お願いですから牧師だけは連れてこないでください。ごめんこうむります”と言いましたね。
それはどういう意味ですか?」
マイケルは答えた。
「偏見があるように受け取られたくありませんが、私は教会やキリスト教に固執している人々のために時間を割きたくないのです。
なぜなら彼らの心はあまりにも狭すぎて、自分が信じる世界の外へ目を向けることができないからです。
つまらないわずかな知識を知っているだけで、すべての知識を手にしているかのように思っているのです。
聖書に書かれていることだけが、人類の知るべき知識であると考えて、それ以外のことを受け付けようとしません。
続く…

192 :
彼らは、聖書に書かれていることはすべて受け入れていると言いますが、実際には聖書を忠実に実行している人間はほとんどいないはずです」
「それにクリスチャンたちは聖書を正しく解釈していません」
フェアロン婦人が言った。
「全体として見たとき、聖書には多くの真理が含まれています。とても善いことが書かれています。
それはイエスの説いた単純な教えのことです。
もし人類がイエスの言った言葉に従っていたなら、地上世界がこれほど悪くなることはありませんでした。
そして結果的に、人類の考え方や霊的成長は飛躍的に伸びていたはずなのです。
問題は、教会がイエスの説いた単純な真理を複雑に解釈し、真理をねじ曲げ、何百年もの間、イエスの教えとは何の関係もないことを説き続けてきたことです」
「どのようにしたら、イエスの真の教えを人々が知ることができるようになりますか?」とフェアロン婦人が尋ねた。
「どんな人でも自分自身の内に、イエスの教えを見い出すことができます。
もし人が、聖書に書かれているイエスの教えを読み、知恵と賢明な判断力を用いるなら、その中に本当の真理を見い出すことができるようになります。
続く…

193 :
地上人類は、教会の関係者が何百年にもわたって教会自身の利益のために付け加えてきたエセ真理を、すべて捨て去らねばなりません。
キリスト教会は、自分たちに都合よくつくった教えを広めようとしてきました。
そして“もし人が教会の教えを信じ受け入れさえすれば、来世は大丈夫だ”と言うのです。
しかしそれは全くのたわごと、デタラメです。
その偏狭な宗教的考えに染まった多くの人々は、こちらへきたとき、あまりにも違う現実を見せつけられることになります。
キリスト教の間違った教えが、実際に彼らの進歩を妨げてきたのです。
続く…

194 :
自分たちは神によって選ばれた者だと信じてこちらの世界へきた人々は、ここでも同じような考えに染まった者同士で集まり、他の人々とは別の閉鎖的世界をつくり出すようになります。
自分たちだけが将来、地上で肉体を持ったまま永遠に生きるようになる、と信じています。
視野が狭いために、本当に心の底から自分たちこそ地上での復活にあずかる唯一の存在である、と信じ込んでいるのです。
そして肉体を持って地上に戻れる時――“復活の日”がくるのを待ち続けているのです」
「間違った教義や信条に縛られたままの人間が他界したとき、最初に何が起きますか?」ウッズが尋ねた。
マイケルが答えた。 「死の直後の人間は、五分前と何も変わっていません。その人の考え・性格・個性は全く同じです。
したがって生前、強烈な宗教的信念を持っていた人々は、こちらへきても依然としてそれを強く持っています。
しかし徐々に、自分は水の外に出された魚のような存在であることに気がつき始めます。
そして、これまで信じてきた古い考え・教え・信条は事実でないことを知るようになります。
人がこちらへきて最初に悟ることは、“ここは地上と何ひとつ変わらない、すべてが自然的な世界である”ということです。
続く…

195 :
人間は地上にいたときと全く同じです。
物質的生活をしていたときの重さがなくなっているという点を除いては、そっくり同じなのです。
自分が生前に持っていた天国や神などについての古い多くの考えは、単なる人間のつくり出した物質的概念にすぎないことに気がつくようになります」
狂信的クリスチャンの死後の様子と再教育 マイケルの言ったことは大袈裟すぎるのだろうか?
 九年後、マイケルの述べたことと同じような内容が、別の霊から届けられた。
「私の名前はブリッグスと言います。地上にいたとき何年もの間、クリスタデルフィアンの信者でした。
これはアメリカの一宗派で、自分たちだけが死の世界から引き上げられ、キリストが世界に君臨するためにエルサレムから地上へ戻るとき、ともに地上へ戻ることができる、と信じていました。
私は地上にいたとき、自分の狭い視野の中で、自分たちのような教えを受け入れ信じた者だけが神の王国を受け継ぐことができる、と信じ込んでいました。
続く…

196 :
私は今、これは全く馬鹿げたことだったと思っています。
誰もが神の王国を引き継ぐのです。なぜなら、それが自然の法則だからです。
人が死ぬとその霊は、霊的世界(霊界)へ行って、そこに住むようになります。
霊界は地上を取り囲むように存在しています。
われわれは誰ひとり忘れ去られることはなく、誰でも自分の本性と地上で積み上げた内容、また不足している内容に応じて、自分にふさわしい霊的世界へ赴くようになるのです。
このことに例外はありません。
別の言葉で言えば、人は自分の考え方・生活を通してつくり上げてきた結果を、そのまま正確に自分自身で受け取るようになる、ということです。
宗教それ自体には救いはありません。
宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。
人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」
さらに彼は、あの世へ行ったばかりのときの様子を話し続けた。
「私の心は真理から閉ざされていました。最初こちらへきたとき、ある環境の中に自分自身がいることに気がつきました。
そこは私にとって、とても心を満たされる幸せな場所でした。
私は“パラダイス”にきたと思いました。
続く…

197 :
しかし今にしてみれば、そのときの私は全く馬鹿げたパラダイスにいたことが分かります。
そこは、完全に自分と同じような考えを持った人々から成り立っている世界でした。
私がそれまで信じていたのと同じ信仰を持った人々が集まってつくられた特殊な世界でした。
彼らも私と同様、教会の教えを絶対的真理であると信じ続けていました。
私たちは、自分たちの集まりと讃美歌の合唱と祈りに満足しきっていました。
そしていつになったら、これまで言われてきたように“復活の時”が到来し、肉体をまとって地上の楽園で楽しく生きることができるのか、と話し合っていました」
彼の再教育の時は、ゆっくりとやってきた。
彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった。
そして彼は自分のグループ以外の人たちの存在に気がついたのである。
その人たちも自分と同じように死後の世界にいるように思えた。
その人たちが彼に話しかけてきたが、その中の一人、バーナードという人間が彼を散歩に連れ出した。
そしてバーナードは、自分は生前、ローマ・カトリックの司教であったと言った。
ブリッグスは恐れた。
いつもカトリックとスピリチュアリズムは呪われた邪悪な存在である、と教えられてきたからである。
続く…

198 :
「心配しないでください」とバーナードは言った。
二人は、ひと続きの小さな孤立した共同体を通り過ぎたが、そこにいた人々は、いまだに三百〜四百年前の地上世界と同じような服装をしていた。
そして最後に美しい町に着いた。
そこでは人々は自由にのびのびと愛に満ちあふれて生活しているように見えた。
ブリッグスは言った。
「そこには、全世界の人々に与えたくなるような平和が満ちあふれていました。
私は今、人間はいったん心の束縛から解放され、自分自身で自由に考えるようになると何の障害もなくなる、ということを声を大にして言いたいのです」
彼の“再教育”は、こうして完了したのであった。
キリスト教聖職者の死後の告白 もしマイケルとブリッグスの言うことが正しいとするなら、聖職者や他の宗教指導者は間違ったことを言っているのだろうか?
 もしそうだとするなら彼らは、あの世へ行ってそこの人々全員から、これまで自分が考えてきたことと違う事実を見せつけられたとき、地上で犯してきた間違いに気がつくようになるのだろうか?
気が向いたら続く…。

199 :
>>189
神の語りを聞いたことがないからだ。
 ○神は盲人〜貧しい人々、この世で最も小さい人々を何よりも愛していらっしゃる。
 ○神は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある世を憎み、敵意、怒りを抱いて悪いことをしでかすかもしれない人間にしたし、土に帰る人間にもした。衣食があれば足りるような暮らしをし、肉の欲、目の欲、持ち物
  の誇りを捨て、神に愛させる者となり、永遠の者となれと強い意志を明確にされた。世のことでも、何事も思い煩ってはいけない。
 ○人間の作った楽しみを否定し、楽しみとして喜ばれたのは、神が創造された大自然を楽しむくらいである。
 下界はこの世で、私たち人間は地で生き続ける罪人=(神は監獄の囚人と明確に言われた)

200 :
神は監獄の囚人(罪人)を思わず、信じれば神の義しか認めないから
 からし種一粒ほどの信仰のない者(何も信仰のない者)と同じように
  ―肉による主人に従いなさい〜あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことをすれば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ受けるであろう―
  ―人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった―
  ―いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ―
   罪を犯した人間を必ずしも良いことのみを行う存在としなかった下界の神。
    善い行いをして神に信仰できましたという人間は誰もいないが、善い行いをすれば地上もよくなるという知識の教え。くどくどと祈ったりすることが信仰ではない。

201 :
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 電波を感知しました。 |
|__________|
              / /
              /
      _         ビビビ
     /||__|∧    /
  。.|.(O´∀`) /
  |≡( ))  ))つ
  `ー| | |
    (__)_)

202 :
「うだうだ言ってないで、信仰があるなら愛のある事を行え」
ってイエスは言ってんだろ?
信仰があるのなら何かしらリアクションがあるはずだし
社会に貢献しようとする
口先だけで伝道する神父や牧師 彼らはキリスト教徒か?
だからキリスト教徒は馬鹿にされるんだよ
社会にとって良いことは、日本国民にとって良いことだ
とにかく「主よ、主よ」と自己陶酔してないで何でもいいから愛を行え。
イエスはそう言ってんだろ!

203 :
昨日、小学生が空き缶拾いの掃除をボランティアで、この暑い中やってた。
なんにもしない偽クリスチャンは、彼ら以下なんだよ。
そのことに気が付け!

204 :
招かれるものは多いが 選ばれるものは少ない

205 :
>>204
おまえが言うな

206 :


207 :
何事も動機がその価値を決めます。
慈善事業(チャリティー)に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。
反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。
苦しむ人を見て止むに止まれぬ気持ちになるのは霊的属性の一つです。
愛・情愛・友愛・同情・哀れみ・親切心・奉仕の精神は霊の属性です。
それらを表現している時あなたは霊的自我を表現していることになります。
《シルバーバーチの霊訓(十二) (3)》より抜粋。


208 :
>>202
体をなまらせながらキリストしゃま万歳を唱えていれば救われます。
これを信仰義認といいます。

209 :
偽認

210 :
「わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが飢えていたときに食べさせ、渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれたからである」。
そのとき、正しい人たちは答えるであろう。
「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ渇いておられるのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気であり、牢屋におられるのを見て、あなたを訪ねてあげましたか」。
すると王は答えて、
「あなたがたによく言っておく、これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、わたしたちにしたのである」
と言うであろう。


211 :
(マタイ25、31〜
そのとき、王は答えて言う。「あなたがたによく言っておく。これらの最も小さな者の一人にしなかったのは、わたしにしなかったのである」と。
こうして、この者たちは永遠の刑罰に、正しい人たちは永遠のいのちに入るのである」
上記を読んでいただきたい。
御国に入るものは、すべて行いがともなっている。
また、あえて省いたが、御国に入らない山羊たちは教会には居るが
何も行わず祈ったり戯れたりしているだけなのである。
さあ、あなたがたが出来ることを探し行いなさい。
神の御前で羊であることを証明仕様ではないか?
 ヤコブの手紙第2章
   17節「信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(新共同訳)


212 :
ルターは愚かにもヤコブを焼いた、しかし後に激しく痛悔し改心した

213 :
同意!!
何も行わず祈ったり戯れたりしているだけのオバハンの集会
サンドイッチ食べて聖書を読むだけの地獄息集団

214 :
からし種一粒ほどの信仰もないとはオバン達のことだよ

215 :
私はこのスレで厳しいことばかり書いてるんですが
それは自分にも課してるし、日々自分の尻をたたいて祈って社会奉仕してます。
かといって自分が羊である自信は無く、主に裁きはゆだねます。
ヤコブも「他者は裁くな!まず自分の信仰を行いをもって証明しなさい」
と言ってると思うのです。
私は日本のキリスト教会の代表者は壇上で高尚な説教やカルト的な偏狭な教えを説いて
酔っ払ってるような人物が多いと思う。行わず私腹を肥やして。
けっして、イエスはそのような人物を教師にしたのでは無いと思うのです。
主を愛し、主の教えを行う者が誠の伝導者であると思うのです。

216 :
ちょっと待ってくれよ。キリスト教徒が1パーセント下回るって!?
俺やめないぞ。
何が下らないことだよ。
ここでやめたら俺達なんだ!?
ただのバカじゃないか!!
ここまで信じてたものを、全部捨てちまうつもりかよ!
今日の今日までやってきたことだぞ!
下らないなんて悲しいこと言うなよ。立派だよ。みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよ!
俺まだやるぞ。死んでも信じてみせる!!
嫌んなった奴は教会から帰れよ!
俺はまだやるんだ!十分、立派に、元気に信じて隣人を愛するんだ!!

217 :
>>1は一面的なことを殊更重要に思っているようだから
その逆説的なデカメロンの
ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗した話なんかも
知っておいたほうがいいだろな

218 :
>>217
その一面が無いからヤコブも嘆いてる。

219 :
>>218
難しいところだが
さすがにヤコブまで嘆くほどかという疑問はあるなw

220 :
>>219
自分に原罪があると認識し、それに対して自己は無力であること。
イエスの十字架の贖いによらねば救われないという信仰。
使徒も含めて、すべての信仰者が行い(愛)をもって何かをなしてきた。
信仰の果実は愛による善行であり、俗的な言い方をすれば社会的に無償で正しい意味で役に立つこと。
それの内容は、聖霊によって個人個人賜物(スキル)が違う。
もしもカラシ種の信仰があるのなら、やがては大きな木に成長し実を結ぶ。
実を結ばない者(行いが伴わない者)は、カラシ種ほども信仰が無いという厳しい現実。
「くだらない知識による論争を避けよ」とパウロが言ったのは、簡単に言えば
「口先では、どんな事も言える」ということ。
この掲示板でも、行いなくキリスト者として、物事を語るのなら
その者は偽善的であり偽り者である。

221 :
私にむかって主よ、主よと言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の
みこころを行うものがはいるのです。その日には、大勢のものが私に言うでしょう。
「主よ、主よ、私たちはあなたのみ名によって預言をし、あなたのみ名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん
行ったではありませんか。」
しかしその時、私はかれらにこう宣告します。わたしはあなたがたを全然しらない。不法をなす者ども、わたしから離れていけ。
マタイ7−21

222 :
ま、それもやはり一面的で
放蕩息子の辿ったような道が
聖者に近い道ってのもあるな

223 :
一方、それとは別にキリスト教会という人間がつくり上げた組織は、霊的事実からおよそ懸け離れた
間違った教義(原罪思想・贖罪[しょくざい]思想・三位一体説など)を捏造(ねつぞう)し、せっかくの
イエスの教えを台なしにしてしまいました。結局、霊的真理をねじ曲げたまま、今日まで存続することに
なりました。あらゆる霊界通信が、キリスト教会の弊害を厳しく糾弾(きゅうだん)してきました。
時にはキリスト教会を“人類の敵”とまで強く非難しています。イエスの教えから離れたキリスト教会は、
人類の霊的成長にとって大きな障害となってきたのです。

224 :
悪魔や地獄は確かに存在し、天の御国も絵空事ではなくキリストが約束したように存在する。
実に御国に入るものは少なく、滅びに至る広い門から多くの者が入っていく。
教会は悪者、悪霊と不信心者の居場所になり、信仰をもって愛を為すものは少ない。

225 :
そもそも本物のキリスト教徒なんて存在するのか?

226 :
>>225
いないw
って本物って何?
キリスト教会教の教徒だぬw
バカばっかしだわw

227 :
>>226
キリストの教えをすべて網羅し(聖書に載っていないもの、聖伝にないものを含む)、
それを忠実に守っている者。
いるわけないな。

228 :
正確に言えば『キリスト教の教義に大半が偽物ですな』でしょうねw
あんなのマジに信じる奴がいる方が余程驚異ですw

229 :
問:この世で一番多く戦争を起こした人達は?
答:クリスチャン
問:この世で一番多く人を殺してる人たちは?
答:クリスチャン
問:この世で一番多く侵略戦争を起こした人達は?
答:クリスチャン
問:この世で最も多く信者から金を巻き上げてる宗教家は?
答:クリスチャン
問:この世で最も多く他宗教を憎んでいる人達は?
答:クリスチャン
問:この世のR犯、強盗犯で一番多い人達は?
答:クリスチャン
問:同じ神を信じながら、宗派間で最も憎みあっている人達は?
答:クリスチャン

230 :
葉奈のことか? あいつはそうかですよ

231 :
偽善者で馬鹿ぞろいのキリスト教信者www
オマエら宗教患者が害毒wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

232 :
ヤコブもしきりに「業を行ないなさい」と言っているね。
イエスと同じ業をしない怠慢どもは偽クリスチャン

233 :
新約聖書
「最も小さな者へ対して行ったことは、
私(主)へ向かってしたも同然である。」

234 :
でもさ。キリスト様は「Rな。隣人を愛しなさい。」とか言ってるけど
キリストが生まれるずーっと昔に偉い人が「神に従わないものは全員殺します」って
ほざいてたねぇwwwwwwwwwwww
矛盾してね?wwwww

235 :
矛盾だらけの聖書を、マジで信じてる信者って・・・
完全にマイコンwwwww

236 :
>>232
そう思います。教会内に引きこもって
立派な説教や美しい祈りだけして、あとは何もしない。
彼らは主から「あなたがたのことは知らない」と言われるでしょう。
偽クリスチャンは、普通の人より厳しい罰を受けると覚悟しておいたほうがいいです。

237 :
偽りの司祭・牧師
彼らは口先で愛を語りますが、けっして信者を愛してはいません。
信者を欺き、神まで欺いているのです。
そのような偽教師が、はびこるのも終の時が近いからです

238 :
キリスト者の皆様は実践をしていますか?
新約聖書の御言葉
「私(主)を愛する者は、私(主)が与えた掟を守る。」
「主よ、主よ、と呼ぶ者が救われるのではない。
御旨を果たす者が救われるのである。」
「最も小さな者にしてくれたことは、
私(主)にしたも同然なのだ。」

239 :
イエスは少なくともユダヤンの律法を良く守っていた。
ゴミスト教は勝手な理屈でイエスと乖離しすぎてるんじゃないかな。

240 :
>ゴミスト教は勝手な理屈
その通りwww
妄想患者は、洗脳されてる事にも気づかないwww

241 :
ふーん

242 :
善きサマリア人の現代版
ある青年が歌舞伎町を歩いていたところ、
悪人に殴られて倒された。
カトリックの信者が通りがかったが素通りしてしまった。
プロテスタントの牧師は見て見ぬフリをして通り過ぎた。
未信者(他宗教)の一般人が被害者を発見し、
彼を介抱して救急車と警察へ通報をした。
さて、この中で最も慈悲深かったのは誰であろうか?
日本人の大多数は未信者です。
キリスト者は模範となっているだろうか。

243 :

偽栗||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本栗||
あとは主から「あなたがたのことは知らない」と言われるだけでしょう。
死が待ち遠しいですね。

244 :
>>242
言うまでも無く、助けた人です。
神は愛ですから、慈悲や愛を行なった人を評価します。キリストもそう言っています。
クリスチャンで勘違いしている人は、洗礼や礼拝すれば
天国へのパスポートをもらえると思ってる人が多いことです。
神は宗教などで人を偏り見ることはありません。
実際、キリストの生前、立派な信仰(愛)を見せたのは
カエサルに仕える100人隊長、犬とさげすまれたカナン人の女・・・などで
宗教とは無縁の人たちです。

245 :
教義自体が反イエス的なんだよな
早く辞めた方がいい

246 :
>>242
キリスト狂信者は、信徒以外は人とみなさない傾向!
上から目線で、高圧的!
自分たちは正しいの一点張り!
歩み寄りの話したくても、話にもならない。

247 :
我基地害はエホバの証人!

248 :
>>245
私の尊敬する神父様が言うには
「日本で本当にキリストの教えを実践、布教するには破門を恐れては出来ない」
と言っていました。
私はクリスチャンですが、かなり異質な部類に入ると思います。
それゆえ迫害に会います。私を迫害してきたのは、無宗教の方々や他宗教の方々ではなく実にキリスト教徒と名乗る人々なのです。
私が教会に留まっているのは、教会の資源を愛に基付いて有益に利用するためです。
確かにイエスの教えは、後の弟子や聖職者たちにより、彼らに都合の良いように教義などで捻じ曲げられてしまいました。
しかし、心を開いて福音書を読むなら現代でもイエスの教えを知ることが出来ると思っています。

249 :
>>248
あなたが大事に読んでる福音書も
都合の良いように教義などで捻じ曲げられたものです。

250 :
>>248
どんな風に行動したら、キリスト教信者からどんな風にされたのか、具体的によろしく。

251 :
聖書のどうでもいい話ばかり有り難がるキリスト凶は神に見かぎられてるのさ

252 :
問:この世で一番多く戦争を起こした人は?
答:>229お前
問:この世で一番多く人を殺してる人は?
答::>229お前
問:この世で一番多く侵略戦争を起こした人は?
答::>229お前
問:この世で最も多く信者から金を巻き上げてる宗教家は?
答::>229お前
問:この世で最も多く他宗教を憎んでいる人は?
答::>229お前
問:この世のR犯、強盗犯で一番多い人は?
答::>229お前
問:同じ神を信じながら、宗派間で最も憎みあっている人は?
答::>229お前

253 :
            ∩_ 
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ こいつ最高にアホ
 彡、    |∪| /   間違いでつ(´-Д-)ゲエェェ〜
/ __  ヽノ/
(___)   /

254 :
問:この世で一番多く戦争を起こした人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世で一番多く人を殺してる人たちは?
答:キリスト凶徒
問:この世で一番多く侵略戦争を起こした人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世で最も多く信者から金を巻き上げてる宗教家は?
答:キリスト凶徒
問:この世で最も多く他宗教を憎んでいる人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世のR犯、強盗犯で一番多い人達は?
答:キリスト凶徒
問:同じ神を信じながら、宗派間で最も憎みあっている人達は?
答:キリスト凶徒
が、正解(ノ∀`)ペチッ!

255 :
問:この世で一番多く戦争を起こした人は?
答:>ID:Ma3+oOjJ
問:この世で一番多く人を殺してる人は?
答::>ID:Ma3+oOjJ
問:この世で一番多く侵略戦争を起こした人は?
答::>ID:Ma3+oOjJ
問:この世で最も多く信者から金を巻き上げてる宗教家は?
答::>ID:Ma3+oOjJ
問:この世で最も多く他宗教を憎んでいる人は?
答::>ID:Ma3+oOjJ
問:この世のR犯、強盗犯で一番多い人は?
答::>ID:Ma3+oOjJ
問:同じ神を信じながら、宗派間で最も憎みあっている人は?
答::>ID:Ma3+oOjJ


256 :
問:この世で一番多く戦争を起こした人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世で一番多く人を殺してる人たちは?
答:キリスト凶徒
問:この世で一番多く侵略戦争を起こした人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世で最も多く信者から金を巻き上げてる宗教家は?
答:キリスト凶徒
問:この世で最も多く他宗教を憎んでいる人達は?
答:キリスト凶徒
問:この世のR犯、強盗犯で一番多い人達は?
答:キリスト凶徒
問:同じ神を信じながら、宗派間で最も憎みあっている人達は?
答:キリスト凶徒
            ∩_ 
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ こいつ最高にアホ
 彡、    |∪| /   間違いでつ(´-Д-)ゲエェェ〜
/ __  ヽノ/
(___)   /

257 :
英国でアングリカン(英国国教会)の教会に通ってる
本物プロテスタント、本物キリスト教徒の俺が来たぞ。
アメリカではウェルズリーの教会通ってる。
日本人信者はキモイのも多いよね、狂信者とか、モテナイから教会で
連れ合い見つけようとしてる奴もいるし。
俺は入る前から宗教よりファッション狂いの彼女がいるから違うけど。

258 :
>>257
自分はモテると自慢したいのかい?
スレ違いだよw

259 :

おチンチンびろーん
   ∩___∩     
   | ノ      ヽ/⌒) 
  /⌒) (゚)   (゚) | .|  
 / /   ( _●_)  ミ/
.(  ヽ  |∪|  /
 \    ヽノ /   
  /      /  
 |   _つ  /    
 |  /UJ\ \       
 | /     )  )       
 ∪     (  \   

260 :
キリスト狂信者は、信徒以外は人とみなさない傾向!
上から目線で、高圧的!
自分たちは正しいの一点張り!
歩み寄りの話したくても、話にもならない。

261 :
神は地獄をキリスト教徒で溢れない広さに作るほどに、世を愛されました。

262 :
マジレスするとキリスト教徒の全てが偽物です

263 :
少なくとも、カキコミしてるクリスちゃんは該当するなwww

264 :
>260 福音派・原理主義者 国粋主義と結びついたマジキチカルト
イエスを十字架に付けたファリサイ派や立法学者と同じ選民意識をもった
キリスト教業界の面汚し。イエスの最大の敵

265 :
>>264
目糞鼻糞www
カトもプロも異端もキリスト狂は
否定しても、全て似たようなものwww

266 :

マジレスするとキリスト教徒の全てが偽物です

267 :
その日には、大勢のものが私に言うでしょう。
「主よ、主よ、私たちはあなたのみ名によって預言をし、あなたのみ名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。」
しかしその時、私はかれらにこう宣告します。わたしはあなたがたを全然しらない。不法をなす者ども、わたしから離れていけ。
マタイ7−21

268 :
>>267
だから・・・なに?
オレに水をワインに変える奇跡とやらを見せてみなwww
って、本気で思ってるの!?
馬鹿丸だしだなwww

269 :
日本の在来の宗教や文化を受け入れることはできないのでしょうか
 わたしたちは平和を保ちたいと思っているのですが、いくつかの文化的な側面で聖書の信条とぶつかることがあるというのは事実です。
 結論から申しますと、エホバの証人の人たちは、エホバ神という神に献身しています。エホバを愛しているので、エホバ以外の神様と触れ合うことは、望ましくないことだと考えています。
 イベントがあればこの神様と仲良くして、祭りがあればこの神様と仲良くして、行事があれば仏様と仲良くしようという態度をとることができません。神の観点から見て、それは不倫な交わりになってしまいます。
 わたしたちは不倫したいとは思っていないですし、争いを起こしたいとも思っていないので、できるだけ丁寧にお断りできればと願っています。
 ご親戚の方々には大変ご迷惑をおかけしますが、気持ちを汲み取っていただければ幸いです。

270 :
既知外ですねw
隣人愛はドコへやら・・・

271 :
イエスが言いたかったのは隣人への愛ある「行動」
ガンジーの言うアヒンサーは、キリスト教で言われる神の愛、アガペーに通じています。
ガンジーはすべての宗教に共通する本質的なものを信仰した人でした。
『もし、西洋の人々が本当の意味でのキリスト教徒であれば、植民地支配も戦争も不可能なはずである。
神は完全であるが、それを伝える人間が不完全なためにどの宗教にも欠点はある。
その欠点を少しでも取除こうと努めるべきではあるが、ある宗教が別の宗教よりも優れているというものではない。
キリスト教徒は良きキリスト教徒に、ヒンズー教徒は良きヒンズー教徒になろうと努力していけば良いのである』とガンジーは言います。
宗教を極めればガンジーやマザーテレサのような境地に達するらしい
自分の属する宗教を改善しようと批判するのは正当であるが、キリスト者には他宗教を貶める権限は無い

272 :
> 宗教を極めればガンジーやマザーテレサのような境地に達するらしい
マハトマ・ガンディーの名言
「ヨーロッパは、神の、あるいはキリスト教の精神を代表していない、むしろサタンの精神を表している、というのは私の堅い信念である。そしてサタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである。 」
「西洋のキリスト教が実際に行っていることを考えるに、
キリストの[実践した]キリスト教の否定だと思う。」

273 :
●あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。(ルカによる福音書 6:35)
●骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。(レビ記 24:20)
こんな矛盾だらけの聖書を大事にしてるってなぁーw

274 :
書いた人も年代も違うんだから、キリストパワーで何とかなるよw

275 :
>>274
「キリストパワー」なんじゃそりゃ!?
そんなアホみたいなこと、誰が信じれるんだ!
洗脳されてたら信じれるかw

276 :
2000年ほど昔、サウロという一人のテント職人がいました。
彼は、同姓愛者かインポテンツとう学者さえいました。
それが、後の聖パウロと言われるようになりました。
パウロは、当時のキリスト教徒に「性的罪悪感を教義に取る入れた」のでした。
パウロの作った間違った認識の戒律のおかげで、中世の西洋でも青少年が
性で大いに苦しめられていたのです。
しかし、生前のイエスはユダヤ教徒で「性については言及していません」でした。
パウロの、ねつ造だったのです。


277 :
中世ヨーロッパの宣教師達は、太平洋の島々に伝導の旅に出ました。
ある島で、宣教師がSEXの体位について説教をしました。
島民に・・・「正常位」が正しい体位である説いたとき、
島民が笑い出しました、島民は色々な体位を知っており
各自の好みの体位があったからです。
島民がSEXを楽しむのに、「型にはまったキリストの宣教師」の
説教を笑ったのです。
それ以来、その島では正常位は 「宣教師体位」といわれるようになりました。


278 :
拉致も嘘だらけ?冷戦のためにうやむやにした両国家(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=Sv9BZsY78iA

279 :
ガンジーの言葉で
「インドでキリスト教徒がキリスト教徒として行動してくれていたのなら、インドは植民地にされなかったし
ヒンズー教徒は居なくなっただろう」
という言葉を残している。
現代日本でキリスト教徒は少なくて迫害されることも多いけど、私は今まで何百とキリスト教徒と出会ったが
本当に行動してる誠のキリスト教徒は数人だったよ。
自分が教会に来る価値のない偽善的なキリスト教徒だと認識してる聖職者やキリスト教徒なら、まだ神も救いようが或だろうが
そう思える人は実に少ない。まあ、俺も仲間を裁く権利の無い偽善者だけどねw

280 :
それに気がついているなら気をつけたほうがいいんじゃないか?
普通に考えれば知らずに罪(とやら)を犯すより、しっていながら犯すほうがやばそうだ。

281 :
ホンモノ自体がいないだろ!?w
いるのは、「自称」キリスト教徒だけだろ!w

282 :
まあ、キリストの教えを、そのまま体現できる人は聖人かよほど神に愛されてる人なんだろうね。
たまに神を知らないけどそういう人も居るから神は不思議なことをなさると思う

283 :
キリストもキリスト教徒にお前らの想像する人間になれなんて要求しねーよw
救いを求められたから救いを与えたそれだけだろう
キリスト教徒もキリストに救いを求めたから教徒になったそれだけだろう
宗教は一つの答えだが達成するには障害が多すぎるまあムリしない程度に精進するればいい
あ、勧誘はいらん俺は救いを必要としないし何より俺は悲観主義者だからな

284 :
人生が仏教の言うところの四苦八苦で老病生死に満ちていて、世の中は不条理に満ちている
今回の震災もそう
それは「コヘレトの手紙」にあるように、旧約の時代からわかり切ったこと。
勧誘もしないし、悲観論者であることを悪いこととは思わない
無責任な東電幹部のような楽観論者より遥かにマシ。
しかし私には人生は、それではあまりにも寂しすぎるし耐えられない拷問になってしまう。
宗教に救いを求めるのは悪いことでは無いと思うけどね まあ、そういう部分は医者を見分ける目と同じように、宗教を見分ける目が必要なんだが

285 :
絶望の先にも救いを見出す事は出来るよ
一箇所引っかかるんだが主がキリストならその東電幹部の罪も許せと言うと思うぞ

286 :
ああ、個人の罪は許すべきだが、構造上の罪(ヨハネ・パウロ二世談)は社会が複雑化して
個々人は普通の人間だが、それが組織になったりすると巨大なエゴ集団になる時がある
そういう罪は法的にも公共の利益に反するもので、改革していかないといけない。
そうでないと同じような構造上の罪は何度でも繰り返される。

287 :
キリスト教は社会の迷惑悪性腫瘍だよw

288 :
>>4
一つ疑問、イエスが居た時にキリスト教はない。ここで言うクリスチャンって何教?

289 :
>>23
ダビデは白人じゃないの? いつからセム人に成ったの?

290 :
>>64-65
偽善宗教ありがとう教信者はR。生長の家だけは絶対に許さん。
感謝を冒涜する邪教は消え失せろ。

291 :
日本基督教団の女牧師、荒井英子=目時英子という者は悪評嘖嘖たる存在なんですね。
無恥愚鈍で低能下劣な山出しのくせに一人前以上の大口を叩くからなのでしょう。
「バカは死ななきゃ治らない」という諺を地でいくような阿呆スベタに相違ないと見ました。
こんな連中が牧師ヅラをしているから、我が国ではキリスト教が蔑視されるんでしょうネ。
こういうブス老女は早く死んでしまうとイイのでしょう!

292 :
石井紘基議員刺殺の真相
石井紘基議員暗殺はCIAが手をまわした?
http://8719.teacup.com/jonathan/bbs/99

293 :
日本のキリスト教会はインテリとお金持ちの仲良しサークルとしか思えない。

294 :
まあ、もともと、イエスはユダヤ教徒であってキリスト教徒ではないし、キリスト教を形作ったパウロもユダヤ教から寝返った裏切り者。
クリスチャンなんて、そもそもが反動勢力みたいな人格的にもおかしいやつの集まり。

295 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

296 :
こんぶさんってユダヤ教だったの?

297 :
 
流れもよまずいきなり書き込んでごめん。
洋の東西を問わず、基本的に“キリスト者の子弟はキリスト者”でしょ?
ハッキリ言えば“偽者”を生み出しているのは「教会」の方だZE☆
そもそも、クリスチャンってやつになるには「自覚」が必要なんだろ〜?
だって、いくら「神様が一緒にいますよ〜」なんて聞いても
そのことを自覚していなけりゃ、どんなに有難い奇跡の起こった場所も
単なる「パワースポット(笑)」だぜ?
いや、嫌味ぬきで簡単にいうと、
キリスト教徒は「キリスト者」としての「自覚」、
仏教徒なら「仏教徒」としての「自覚」
     . .
ココが原点ではないかい?ってハナシさ。

298 :
荒井映子とか目時英子とかいう醜い無下の山出し、
下劣極まり無いクズが卑しい心根から他人を中傷したり
陰で悪口を叩いて回っていたことは知る人ぞ知る。
無実の人々まで讒謗しては嘲笑していた事実は明らかだ。
やはり「下司の勘繰り何とやら」という諺にある通り。
品性陋劣で無智無学、素性賤しい下等な山出しスベタ風情に牧師など
やらせるから、日本基督教団はいつまでたっても世間からまともに相手にして貰えないのだ

299 :
【ビッグガンガン】よいこの君主論【ステマ上等】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1334226113/
ビッグガンガン
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1332737475/
【投稿】ガンガン系・Gファンタジー志望【スクエニ】6
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/iga/1333737381/
架神恭介「戦闘破壊学園ダンゲロス」
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1320917293/
【横田卓馬】戦闘破壊学園ダンゲロス【架神恭介】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1324382686/
てめぇらファッションパンクだろ?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/punk/1232972569/

300 :
教会によってくる左翼団体と在日連中と反日神父が、
すごく…ウザイです…
嘘と歪曲の加担をして、反日言動をするのは
イエスの御心に反していると思ひます。

301 :
>>300
ホントですね。国会で、生活保護不正の加担しているとまで言われ、国民の
怒りを買っているのに、他人事のようにしていますね。絶対イエスの御心ではない。
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati-subdrawer/archives/2012-07.html


302 :
Christmas Noel - Silent Night - Ballet - St Mary Toronto
http://www.youtube.com/watch?v=BtkD6KgqnTo&feature=relmfu

303 :
クリスチャンなんて、人格的にもおかしいやつの集まり。
救われてる? ばかをいえ

304 :
ガンジーの言葉で
「インドでキリスト教徒がキリスト教徒として行動してくれていたのなら、インドは植民地にされなかったし
ヒンズー教徒は居なくなっただろう」
という言葉を残している。
現代日本でキリスト教徒は少なくて迫害されることも多いけど、私は今まで何百とキリスト教徒と出会ったが
本当に行動してる誠のキリスト教徒は数人だったよ。

305 :
2chでホンネを語るキリスト教徒の人達こそ、本物でしょう!
そう思うよう心がけています
やんちゃで無礼で無節操で、精神的には子供みたいなのが多いけど
そんな連中に変な思い込みと自信を与える宗教って怖いね
もっとも、自信が本物でないから2chで暴れるんでしょうが

306 :
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)
平安の境地に達して〜他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽
であれ〜何ぴとをも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を
与えることを望んではならない〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの意を起
こすべし〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダのことば)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々)
 ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
 神は霊であり、人を助けもしないが、天罰もない。聖霊に満ちた状態、清浄な行者の状態を常に行い、神通力の領域に達した者しか信仰ありと認めな
 い存在。通常、神を信仰できる者は誰もいない。

307 :
そこで、
 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)
 ―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない〜人知ではとうてい測り知るこ
 とのできない神の平安が、あなたの心と思いとを―(ピリピ)
 ―「わたしには子がある。わたしには財がある」〜しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば〜(真理のことば)
 ―「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜『神様、罪人のわたしをおゆるしください』〜自分を低くする者は高くされるであろう―(ルカ)
 山を移すほど(神通力の領域)のものから、非常に愚かな生存状態に至ったわけであるが、この世のことよりも何事も思い煩わない聖霊に満ちた清浄な
 思いが平安の境地に近く、この世でも何事も思い煩わない健康的な心を常に保ち、
   ―聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない―(コリント)
  衣食があれば足りるような心得で、何事も思い煩わないように努めていれば、戦争など起きないのだが、キリスト教徒が悪霊により主と告白してい
  るようなので、役立たずの宗教となった。

308 :
そこで、
 ―すると、どこにわたしたちの誇りがあるのか。全くない―(ローマ人)
 神の義「聖霊に満ちて荒野・何も食べず」「森に住み、心静まり、清浄な行者」決して死を味わうことのない状態まで修行。
 善い人間の状態、「神が創造された大自然を喜んだり、美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった」常に思い煩わない状態。
 善い者・正しいと言張れない状態、
  肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを少しでも得たい、人間が思う幸せを得たいという愚かな状態が、創造に隠されていて、
   誇りが全くなく、愚かだと常に自任しようとしている人々は、正しくない人々と思って戦争はしない。
 ―すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない―(ヨハネの第一の手紙)
   キリスト教の教えは、機能しない。無駄。信じることのできない存在を信じよう(偶像)としているから、健康的な精神ではない。
  ―生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば―(真理のことば)
  今、幸せを求めて喜んで生きている人々は、戦争をしない。暴力により生きものを害してまでの正しい行いはあり得ない。
  ―妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである―(ブッダのことば)自然体であればよい。

309 :
神は聖霊(清浄)しかゆるさない存在で、
 ―人々は山へ逃げよ〜その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ―(マルコ)
 ―意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう―(神々との対話)
  ―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
    神通力ある釈尊や日に一食を取るだけの修行僧、山を移すほどの強い信仰となったイエスしか認めない存在なのである。
  ―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)
  ―身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)
  ―悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ―(マタイ)
 
   信仰で御利益を願うこともできず、今生きている人々に天罰を与えず、「神の加護を」と言った非常に汚れた心で戦争をゆるす存在ではない。
   神のためにしてあげられる人間は、絶対いない。

310 :
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
―どの方向に心でさがし求めても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興)
  ―神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)心もあるこの身体のただ中にあるだけ。肉が信仰できる存在ではない。
―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力し働き続けた―(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(仏)
―父母につかえること、妻子を愛し護ること―(仏)―自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを敬え〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうと
して目先だけの勤めをするのでなく―(エペソ)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい―(エペソ)
―貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)

311 :
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らは律法の要求が心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心とともにあかしを
して―(ローマ)
―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛され
る人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄―(仏)
―善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである〜主の恐るべきことを、知っているので、人々に説き勧める―(コリン
 神への信仰は清浄・聖霊を極めないと信仰できないが、自然のままでも知っていることに背けば、死後は地獄に行くしかない。それをイエスは教えようとした。
―あなたがたは悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは父から出たものではなく〜もし属する者であったなら―(ヨハネの第一)
―悪しき者に向かって〜色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと、わたしはこれではない。またこれは、わたしに属するものではない―
(仏)―神と富とに兼ね仕えることはできない―(マタイ)
 「主よ、主よ」と言いながら、自然でもある心の中の(愛・慈しみ・あわれみ・謙遜・柔和・寛容)に従わず、金に仕え、持ち物を誇り、その行為で人々が死ん
 でも平気な恐ろしい人々はいるのである。イエスを信じれば天国・地獄にしてしまったから、それらのことがわからず死後地獄に行くようになる教。
 神様、罪人のわたしをおゆるし下さいは、五欲の対象を全て捨てきれない、人間の状態を愚かと認めることだけであって、他者への危害はゆるされないのである。

312 :
□信仰第一
平安の境地、イエスが地上で行ったように、釈尊が神通力あったように、『森に住み心静まり・聖霊に満ち荒野』清浄な心を大切にし、何事も思い煩わない心
  を一番大切にすること。
    ―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない―
     それは非常に愚かな人間になる以前の、真実の姿を正しい・善といつも認めることであって、
  ―人をさばくな〜人を罪に定めるな〜ゆるしてやれ〜修業をつめば、みなその師のようになろう〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うこと
  を行わないのか―(ルカ)
  ―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない。それ故に、
  一切の生きとし生けるものどもを憐れみながら―
  ―他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ―(仏)
   山を移すほどのものから人間状態を叶えられたが、何事も思い煩わない心を大切にして、何も知らないまま愚かになったことを認め、あやまちをゆるして
   あげられる存在となること。

313 :
□信仰第二
  ―地上で罪をゆるす権威―(ルカ)
   地上の罪(悪)をゆるす信仰(信じられる存在)は何も無い。―人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった―(創世記)
   ―法にしたがって生き〜他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである―(仏)
   ―自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ―(ルカ)―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった〜そのように、他人にとってもそれぞ
   れ自己がいとしいのである―(仏)
  平安の境地に従い、一切の生きとし生ける者の幸福を害することを喜び、安穏・安楽な暮らしを害う人々をゆるさず、法律などがつくられる。
   ―法廷で偽証―(仏)人間だから肉の思いもあり、目には目を、歯には歯を的な思いと霊もあり、加害者に損害請求と罪の償いをさせたりする。死刑もあ
   るが、一人殺したからすぐ死刑ということでもない。
    自分を愛するように、目の前の人を愛したり、この世に生まれてきた自分を大事に思い、そのように、他人にとっても自分が大事だなとわからねばな
    らない人間の存在。平安の境地が自然に働いて、説教もなく、わからねばならないのであるが。

314 :
―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
    山を移すほどの者、イエスや神通力の領域に達した釈尊だけであり、
  ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
   肉体が欲しいといって生まれ、愚かな状態になった人々は、健康なら何ひとつ信仰がないはずなのである。
 ―あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容〜愛を加えなさい―(コロサイ)
 ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない。かれは過失(道から外れること)は存在しない―(仏)
  「神を信じて下さい」と言って信じる信じないで論じ合える存在ではなく、「神の加護を」と言って一切の生きとし生ける者を害っても平気は全く無い。
  堕落の極みであり、あわれみの心・慈愛・謙遜・柔和・寛容・愛から反し、この世のことで人間を害しても平気な人々は、死後地獄行きが決められてい
  る。恐るべき存在。 キリスト教は神を信じれば何をしてもよいに変化させてしまったのだ。信じればゆるされると。

315 :
キリスト教じゃなくて、パウロ教だろ。

316 :
創価タヒね
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317 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

318 :
おい おっさん
おい おっさん
おい おっさん
おい おっさん
おい おっさん

319 :
マザーテレサは、晩年、無神論者だったようだな?

320 :
「知能の低い秋保美穂子」というのは、幼稚園児並みの知能もないくせに、
自分では「インテリ振り」たがっていた哀れな老婆のことですね。
日本基督教団の女牧師の荒井英子とか目時英子とかいう欲求不満ババアと同じく
まともな住宅地に一度として住んだことの無い、もともと東北出身の下層民。
劣等感のカタマリで他人をひねくれた目でしか見られぬ惨めな出来損ないの不具者だとか。

321 :
「秋保美穂子」か「秋保美保子」かどっちが正しいの?
知能の低い老婆の自称クリスチャン。

322 :
情けないねぇ

323 :
こんちわ。なにか聞きたいことある?

324 :
質問なしですか?

325 :
こんばんは。
近頃あちこちのスレで単立・ペンテコステ・福音派系教会バッシングが凄いですね。
あれって、本当に自称「伝統宗教」側の人のキャンペーンなのですかね?
節操がないというか、ちょっと激しすぎて付いてけないんですけど

326 :
こんばんわ(「「)/

327 :
>>260
でもそういう牧師もいるし、そういうクリスチャンは意外に多い。
何か一般的に見ると、独裁者のようで恐い。
自分が間違った事をやってるかどうかも、わからないんだ。
何か恐ろしいよ。

328 :
>>319
どうせならば仏教に帰依するか、
ニューエイジ思想などに傾注するわけにはいかなかったんだろうか?

329 :
―この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう・・神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)
 神を信じることができるというクリスチャン偽者。―わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)
    ―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
            地上のものに心を引かれ、神に罪を犯し人間の状態になったのに、神に信仰深いと自任したり、
   ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)人の手で造られた物から離れようとせず、聖霊に満ちた心を常としないのに
   神を信仰できると思っている人々に、神は敵意、憎しみ、怒りを抱いていらっしゃる。

330 :
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいであ
る―(ルカ)
 神の義の国では、一切のものが何事も思い煩いなく喜びに満ちている。神にとって地上の罪をゆるす権威ある者は誰もおらず、地上で罪をゆるす権威で肉から離れた
 神の義の国を示された。
       ―この幕屋の中で苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている―(コリント)

331 :
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)
―あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい―(コロサイ)
                ―悪人は〜心からあふれ出ることを、口が語るのである―(ルカ)
信仰深いと自任できるものは何もなく、ただ罪を犯した肉が欲するもの。神が創造されたのは大自然で、聖霊に満ちた心で信仰深さを喜び、
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)神に罪を犯し、肉体が欲しいと生まれてきたのである=からし種一粒ほどの信仰のない者=神の法律
を認め、ひとりひとりの人間を尊重してあげること。
       神は法に反する悪い者ども=心のない獣のような人間を宗教的思いを抱かせ釣り殺し束縛する。ただ中にあるものは永遠の命。

332 :
―決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる―(マルコ)
―聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである―(ヨハネ)
―『目には目を、歯には歯を』―(マタイ)
 神は肉の思いもある人間が、自然に法律をつくると知っていらっしゃるから、旧約は神の本心でもない。

333 :
―「丈夫な人には、医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』―(マタイ)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らにとっては自分自身が律法―(ローマ)
 神にからし種一粒ほどの信仰のない者となった人間の状態でも(聖霊に満ち荒野でないのに神に信仰深いと自任する全ての者にかえって敵意・怒りを抱いていらっしゃる)
 快感・享楽・物質的な欲望・富・自分の誇り=人間の誇りより、他者への配慮もある人間=愛のほうが大切だとわかっている(わからないといけない)
  を従わない者どもを従わせるため宗教はある。本来あるべき姿を行わせるために宗教はあり、信仰深いと自任するための宗教ではない。

334 :
世界平和であるべき

335 :
神は地上のものに心を引かれ、私から去った人間どもは、信仰ありと一切言えない存在。神の「カ」信仰の「シ」でもある者は、
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々)を人々にわか
 らせること。
1)供養とか献金は一切いらない
 かれらは希望し、称讃し〜献供する〜供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない 
2)誓ったり、宗教的行為により何かを解決できることはない
 いっさい誓ってはならない―(マタイ)― 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て(ブッダのことば)
3)意識活動も全て無くなった者(亡くなった人)は、既に別の状態にある
 葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(マタイ)

336 :
4)人が聞いて何を言っているのかわからない言葉を唱える人々は、内心は汚物に汚れている
 多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ)
5)献金・供え物はいらない 人が相手を騙そうとして欲しがっているだけのものである
 献供をささげる〜梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)―偶像は何かほんとうにあるものなのか〜人々の供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者
 に供えるのである(コリント)
6)無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば)
7)功徳(御利益)は人々が幸福や安穏・安楽な暮らしのために努力して働くことで生まれる
 悪魔は、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる〜尊師は〜悪しき者よ(ブッダのことば)
8)形ある信仰対象物を拝むことは悪魔のような心の持ち主
 この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話)
9)妙なことを言われて人を騙して脅され、それにこだわる人は知恵もない
 いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。偽り(詐偽)をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた(ブッダのことば)

337 :
10)すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)
―法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、他人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せ
よ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄〜善人は天上―(感興のことば)
―肉体を宿している間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである〜人々に説き勧
める―(コリント)―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ)
 悪しき心から生み出した宗教から遠ざけ、神の言うことを聞こうとする聖霊に満ちた心(清浄な心)を信仰の頼りとして、罪人=何かしたいこともあり生まれた愚かな人間
 を教育するのが本当の宗教。何が善か、何が悪かは本当は心の内でわからねばいけないこと。

338 :
人間の思いは平和
神の思いは―地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである―(マタイ)
神は地上のものに心を引かれ、人間の状態になった者を、「私を捨て何も信仰のない」者とされ、「人類にいない」ようにされた。信仰して下さい、私たちの信仰が正しいと争う
ことさえない方である。信仰深い者に完全を求め、「カ」でも「シ」でもある者は、
 「聖霊に満ち荒野の者のように、世の中と自己とに一切思い煩わないよう努めよ」
神にとっても世の中のことに熱心になっている人々よりも、神が創造された大自然を楽しみ、世と自己との思い煩いを捨て去ろうとする人々のほうがまだ善い。
 人間の心で信仰深いと自任しようとする人より、多くの人々が認める健康的な心の者のほうがまだ善い。

339 :
まあ、昔ヨーロッパで札売りつけて稼いだ金で聖堂建て原資作って、豊かな生活しててクリスチャンとか、超偽善的な自己満足さんですな。

340 :
人の手で造られた物を必要とする限り、神に信仰深く正しい者・善い者と自任できる者はいない。
―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう―(ルカ)
―「わたしには子がある。わたしには財がある」〜しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である―(真理のことば)
 神は地上のものに心を引かれない国を義とし実在している。神から離れ、何かしたいこともある愚かな人間になったのだと。世は初めから罪で、何かしたいこともある人間
 に仕えている。世で労苦して働いても、自分は善人だ正しいことをしたと自任できる者はいない。神に信仰深く働きましたと言える人はいない。

                 ―神の国はいつ来るのか〜神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)

341 :
―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた―(テサロニケ)
―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい―(エペソ)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
―貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
 そういったことを心に思い行動しても、やっと人間らしい者になった程度。それらを自分の考えで否定し、富に仕え、肉の欲・目の欲・持ち物の誇り、五欲の対象の貪りに仕
 え、喜んでばかりの人々は、人間の姿だけした獣であると。自然のままの律法で、神は善い行動を押し付けることを命令しない。

342 :
―地上で罪をゆるす権威を持っていることが―(ルカ)―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり―(マタイ)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない―(神々との対話)
 神の義の国、永遠の命の国では、全てのものが悩み苦しみ困難なきことに喜び満ちている。人間はその考えで否定してはならない。神にとって人間は、何かしたいこともある
 罪人であるが、肉だけの獣となって、天国に入れない者とならないよう地上で罪をゆるした。神にとって、生ける者をあわれむ心は、人間と自任するなら当然であると。
神の「カ」信仰の「シ」でもあれば、聖霊に満ちた心で世と自己との思い煩いを捨て去ること。悪い者への敵意・憎しみさえゆるさない神。信仰深いと自任できる者はひとりもお
らず、この世を去って、地上のものに心を引かれない国に入れたら、神に信仰ありとされる。地上で獣であるか、人間として生き天国に入れる者となるかは、その人次第であると。

343 :
結局どういうことなんでしょう。
日本のキリスト教徒の大半が偽者の根拠はなんでしょう?

344 :
全財産を投げ打たずに少しばかり隠して所有していた人はバチが当たって死ぬという
キリスト教の共産主義の徹底ぶりからすれば
日本のキリスト教の共産支持は偽者でしょう
そんな甘いもんじゃないよキリスト共産党共同体は

345 :
なんで共産主義を受け入れる必要があるの?

346 :
>>1
何で「言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していない」ってことになるの?
「してない」じゃなくて「できない」のかもしれんよ。

347 :
物質に執着するからだよ

348 :
???

349 :
>>1
>>人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。
こじつけ。
それは、思い込み。

350 :
>>7
そういうクリスチャンいてもいいじゃない

351 :
偽宗教者は宗教対立をする いる・いない、宗教的行為、信仰対象物など
―この世の有様は過ぎ去る―(コリント)―あなたがたのいのちは〜しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
―過ぎ去るものは虚妄―(ブッダのことば)―この身は泡沫のようなものであると知り、陽炎のようなはかない本性―(感興のことば)
―『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく―(マタイ)
 神は霊で人類にいないようにされた。『からし種一粒ほどの信仰のない』が正しく、『主よ、主よ』といって清められ、永遠の命に通じる者は一切いない。
  ―聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない―(コリント)
 聖霊に満ちた心が、神と永遠に通じる心であると。自らいないようにされた神は、何か信じようとする全ての者に、その心で信じるよう命じられる。
   聖霊に満ちようとせず、神を信じられます・何か信仰してますという者たちは偽者。

352 :
―地上で罪をゆるす権威を持っていることが―(ルカ)―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり―(マタイ)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない―(神々との対話)
 罪を犯さない神の義の国では、全てが悩み苦しみ思い煩いの無いことをよしとし、「ただ中にある」もので認めること。
―貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
    ―苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である―(ブッダのことば)―公平とあわれみと忠実とを見のがしている―(マタイ)
 信仰する以前に知らぬ間に人々にある行為や心。

353 :
 衣食住のない人々に衣食住をといって働いたりする人々、金だけを得ることを良いとしない・・・
―未来のことにあくせくすることなく、ただ現在のことだけで暮らしている(神々との対話)
―神と富とに兼ね仕えることはできない〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
 
 人々の富への貪欲、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りへの貪欲のために過労することをよしとしない。
  すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)
 獣のように肉だけの者でなければ知っているはずのことであると。
   ―愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制― 自然のままの律法でもあり、神は悪い者どもを釣りR(人の宗教で束縛する)
    在ることを認めること、善い心に逆らおうとせず、身に着けようとすること。

354 :
行いにより誰も神に義とされることはない
―思うべき限度を越えて思いあがることなく―(ローマ)―奉仕(看護)を楽しむために、戒律をまもって生き〜これは一つの極端説〜そこにとどこおっていなかった
〜思い上がることはない―(感興のことば)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)―どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった
―(感興のことば)
 神は霊の国を義としていらっしゃる。霊でないから自分の命を憎むことなく、全く信仰のない人間の状態を認めて、人間の命の大切さ・尊さ、他者への配慮もある
 心と行為、妻子・父母・・隣人への愛が自然にわかる永遠に通じる人間の状態にされた。

355 :
―父母につかえること、妻子を愛し護ること―(ブッダのことば)―自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜あなたの父と母を敬え〜子供をおこらせないで、主の薫
薫と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ)
         神は地上のものに心を引かれた地上の者を「からし種一粒ほども信仰のない、全く信仰のない者」という法をつくられた。
全世界汚れの無い子供は「何も信じず」生まれ、健康的な人々は―この平安の境地に達して〜母が己が独り子を命を賭けても護るように〜慈しみの心づかいをしっかり
とたもて―(ブッダのことば)のように、生存状態になって生まれた人々を互いに尊重した。人の手でつくられたものへの快感や快楽より、外で元気に遊んでいるほうが
健康的だと感じるように子供にした。大人になっても、世と自己とにくよくよ思い煩っているより、快楽に耽溺するより、それらから離れ、大自然などで楽しんでいる人
々のほうが、健康的だと思うようにされた。神の意図である。
 肉が神を信じ何でもして下さると信じれば、肉だけの獣として拒否される。霊でないからまだ何も信じない者と認めて、世の健康的な行為をよしと心から認めれば、
 永遠の命の者となる。避けねばならない偽クリは、聖霊に満ちた心をよしとせず、肉によって主と言っている人々である。

356 :
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇り〜世から出たものである―(ヨハネ第一)
 神は直接言われた。信仰深いと自任できる者は、それら一切から離れる者だけであるが、持ち物の誇りはないほうがよいと他人から指摘されれば、私たちが悪いと認
 めねばならない。不完全な人間の状態ではあるが、持ち物の誇りを悔い改め、自制をよしとし、聖霊に満ちた心をよしとしない者は、いくら永遠の命を信じようが、そ
 の人にはない、獣と同じ運命であると。
 神の加護をといって戦争する者も、神の「カ」信仰の「シ」でもあれば、神が創造されたのは大自然で、聖霊に満ちた心で世と自己とに思い煩わないことをよしと受け
 入れ、従おうとする人々は争わない。神を信じれば救われる者はひとりもおらず、従おうとする命ある者に平和が与えられる。
 貪ることをよしとせず、世と自己とに思い煩わず大自然を喜びとしている心ある者が争わないように、神の怒り・憎しみ・敵の者が神の加護をといって戦争をするので
 ある。 偽クリは自分たちを正しいとする者どもである。

357 :
神は地上のものに心を引かれない国を義とし信仰ありの者として存在していらっしゃる。
地上のものに心を引かれ生まれる者を「私(神)に信仰ない者」とし、神のまま、まだ汚れの無い子は「何も信じず」生まれ、自分の命を憎むことなく生まれ、健康的
な人々が、自然にその生命と個人を尊重するような構造にされた。
将来人々に役立つ人となれるよう教育したり、働こうにも働けない人々や自然災害などで困っている人々への配慮、衣食住のない人々に衣食住をといった行為、身体の
悩み苦しみを取り除こうとする医者を先生としたり、全てを失っても絶望や暴動などせず耐えて人々に立派だと思われたり、大震災の時、肉の欲、目の欲、持ち物の誇
りへの貪りをまるで良いことのように報じる番組を自制したり・・・
神にとって「何かしたいこともある愚かな人間」であるが、人々に「愛と良識」的な行いはあると。

358 :
□地上のものに心を引かれず、人の世の活動を自制し、信仰のみに生きる人が信仰がある者
 神に対する適当な信仰は一切望まれず、信仰のみに生きる人々が信仰のある人だと言われた。信仰深い様子を人々に見せて、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問
 題ないとする者に『敵意・怒り・憎しみ』を抱いていらっしゃる。
―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
 神への信仰と義は、地上のものに心を引かれず―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)となること。
 これは神が直接語られたことで、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」などの戒めは、神への信仰深さではない。生命と個人を尊重することは獣でない人
 間なら当たり前のこと。

359 :
 ―聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない―(コリント)
神に罪を犯した世で、必要な物を得て喜びながら、『神様を信じて下さい』という者を非難しても、
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)を善いと受け入れ、大自然で世の中と自己との思い煩いを捨て、喜んでいる人々を非難して
 はいけない。世で必要な物を得て暮らさねばならない―からし種一粒ほどの信仰のない―人間にとって、その時が何も信じなくとも神に喜ばれ善い者と受け入れられ
 ている時であるから。
無知な牧師や神父が、神を信じ地上のものに心を引かれても何も問題ないと人々に教え、聖霊に満ちた心を大切に受け入れようとさせず、神の怒り、敵意、憎しみの者
となっている。神への信仰は完全な者しか認めず、聖霊に満ちた心で大自然を喜び、世の中と自己との思い煩いを捨て去ろうと努めることは、何か信仰しようとする者
の義務でもある。

360 :
>聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない
教会についての箇所ですね。

361 :
各種働き そして 体の器官として例え ですね。

362 :
クリスチャンはひとりひとり違うけれども、
それは ひとつの存在 すなわちキリストの御霊による働き。

363 :
>>思慮 ◆AIOdk12HhuOj さん
教会で嫌な事があったんですか?

364 :
神が実在して私に語られた。神は言葉のみでしかわからない存在。
  神は霊で存在する。地上のものに心を引かれない国を義としていらっしゃる。
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一)
 神は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを最も嫌っていらっしゃる。
―イエスは聖霊に満ち〜荒野〜何も食べず―(ルカ)―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)
―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
 神の義と信仰について語られた。聖霊は、神が創造された大自然で、人間が造ったもの全て神の義に通じるものではないと。 

365 :
神に信仰ありとされるのは、霊の国に生まれてからであり、しかし地上のものに心を一切引かれず信仰のみに生きれば信仰ありとされ、人の手でつくられたものを喜ぶ
限り、肉として終わる者となるだろうと。 
―だれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力して働き続けた―(テサロニケ)―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい―
(エペソ)
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ〜正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、い
つ、わたしたちは―(マタイ)
 貧しい人々や他者への配慮もある心や行為は、富に仕え、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを喜んでばかりいる獣のような人間でない限り、当たり前の行為、やっと
 人らしくなった程度であると。神に信仰深いからその心と行為をするのではないと。獣と同じでなかったら当たり前だ!と神は言われた。

366 :
完全を求める神に対して、―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)も神は霊で義の言葉。しかし、私たちは霊の国は嫌だと拒否
し ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)信仰できると自任でき
る人は誰もいない人間の状態になった。
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)「何かしたいこともある愚かな人間だ」と神。それぞれ人間でありたいと生まれた。罪を犯してで
も人間でありたいと生まれたので、―自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ―といういましめは、神のためでなく人間のために当然のことであると。
神の義と信仰とは別の所にあって、聖霊に満ちて荒野で肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを一切捨てた国にあり、山を移すほどの力、神の栄光の者となったイエスを神の義と
信じ―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)神が創造されだ大自然は、決して死を味わうことのない神の義の国に通じるものと
疑ってはいけない。常にそのようにせず、何かしたいこともある愚かな人間になったということを認め、聖霊に満ち荒野の者のように、心を清めることもしないと、神の義
の国に生まれることはできない。

367 :
神は霊で人格的に存在する『肉の欲、目の欲、持ち物の誇り』のことを語られ、
 ―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)
 ―あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
 (神がもし存在していたら「愛」とか「慈悲」とか教えるのだろうな)「信仰深いと自任しようとする者よ、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを悪魔のものだとわから
 ないのか、働けばよいと思っているが、人々の富への貪欲、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りのためにあくせくし誠実に働いても、地の奴隷・悪魔の子・神の左、呪いの
 者で、私への信仰など全くない」そのように言われた。地の全てが神が創造されたのではないこと、神が創造されたのは大自然で、私は神と共に自然の中で「美しい夕
 陽ですね」と喜んだ。 

368 :
―自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もない―(ヨハネの黙示録)そんな思いで、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある世の中を喜びながら、愛とか幸せと
か思っていた時に、神が現れ「肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを貪る世の中は狂った世だ」と。
       ―聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである―(ヨハネ)
    ―イエスは聖霊に満ち〜荒野〜何も食べず―(ルカ)―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
  神は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある世を良い世とせず、神が創造された大自然で、聖霊に満ちた喜びをよしとすることを喜ばれた。
常によしとしない者「お前は愚か者だ、何かしたいこともある人間だ」神を信じても罪しかないということ、神が愛情深い存在で、人類のことを思われている甘い存在
でないこと、貧しい人々や他者への配慮もある人間となっても、獣のような者から人間らしい者となっただけであるということ。

369 :
―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無ひ等しい―(コリント)
 神は地上のものに心を引かれない国を義とし、あなたがたは何でもできるできない事は何もない国のことを思われていて、失楽した地のことを思われていないとい
 うこと。沈黙と不在を装っておられるが、地上のものに心を一切引かれないことを望まれている方であること。
―わたしたちの信仰を増してください―(ルカ)などはない。ただ主とともに一緒にいれば信仰あり、何かしたいこともあるために地の者となった人間は、からし種一粒
ほどの信仰のない存在で、互いにあやまちをゆるしあっても、衣食住のない人々に衣食住をといって働いたり分け与えても・・人間なら当然だと。
 世のものを必要とし喜ぶ限り、少しも信仰のない愚かな者と認めない限り、神は霊の国であなたを不義な者としていらしゃる。
  神にとって信仰を増してくださいはない。ただ地上のものに心を引かれない国で一緒におれば、あなたは信仰ありとされたと。

370 :
セルフ教信者さんですか?

371 :
ところで、目下八巻正治について関心を持つようになってきたのでさまざまなインターネットを閲覧してみるようになりました。
旧来八巻正治については大してわからなかったところもあったけど随分サイトなどに書き込みが存在するものですね。
八巻正治はたくさん検索されているように思われます。八巻正治に関して少し調べてみると、八巻正治関係の記事が出るわ出るわ。
八巻正治についていろいろと言及しているんですね。

372 :
社会】殴られたGS店長「賠償金を請求しようと思う」 ボクシング元王者・徳山こと洪昌守容疑者を逮捕★3


http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1366773321/

373 :
どういう関係ですか?

374 :
徳山さんはプロテスタントですか

375 :
それよりもスレ主はいずこへ?

376 :
なぜそんなことがわかるんですか?

377 :
半数は偽物なら、残りの半数はホンマモノかよ♪
カッパ

378 :
最近渋谷歩いててもかわいいのいないね
ナンパする気もおきないかね
明らかに声かけられるの減ってるわ

379 :
東横線が地下に潜って直通になったせいかな?

380 :2013/10/22
【署名のお願い】
カリフォルニアで韓国人が慰安婦を教科書に載せようと運動をして­­おり、疑問に思った現地の方々が署名運動をして下さっています­。­皆さまもご協力をお願いします。
慰安婦の多くは個人的な契約でした。頻繁に変わる女性の証言はフ­­゚ロパガンダの為に作られたものです。文書から国や軍が­強­制したと示すものはなく、米軍のレポートからも
判る通り性­奴隷­は事実無根です。米国の歴史教科書に嘘の情報を載せるべき­ではあ­りません。
【氏名・メアドを記入、国名を選択して"Sign the petition!"をクリックすれば完了】
//petitions.moveon.org/sign/co­­mfort-women-fabrication.fb28?­s­ource=s.icn.fb&r_by=8546588
(↑リンク先が切れている場合は"MoveOn Petitions - Comfort Women Fabrication"でググって下さい。すぐに見つかります­)
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