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2012年07月軍事190: 【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】 2 (932) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】 2


1 :2012/07/02 〜 最終レス :2012/08/14
モンゴル帝国が2度にわたって鎌倉日本に大敗した元寇を軍事的に考察しましょう。
前スレ
モンゴル帝国が2度にわたって鎌倉日本に大敗した元寇を軍事的に考察しましょう。
前スレ
【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1320895836/
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1320895836/

2 :
1が2重になってる
まー史実も2回だったんだから今スレはこれでいいよね?
次立てるときは訂正しといて>スレ立てる人

3 :
モンゴル人、高麗人の捕虜は皆殺し
南宋人は帰っていいよと、昔の人はよくわかってらっしゃる。

4 :
元寇とノモンハンって似ているよね
長年お互い負けたと思ってたんだろ

5 :
「やあやあ我こそは……うわー、毒矢だ!てつはうだー!!」って感じだったんだよな。
神風来てくれて本当によかったわ。

6 :
朝鮮人ホイホイ

7 :
原始的な一騎打ちじゃ集団戦法には勝てんわな。

8 :
一騎うちが武士の戦法だったことは一度もない
中国古代史の一騎うち(あれもだいたい後世の脚色)を読みすぎた頭でっかちの皆さんが
武士も似た戦いしてるに違いないと思い込んだんだろう

9 :
一度もないって・・
熊谷直実と平敦盛のは?

10 :
>>2
大事なことだったんだろ

11 :
一騎打ちはお互いの軍が同意の上で代表者だけが行う一種のパフォーマンス
それをあたかも軍勢全体が一騎打ちで戦う=武士の戦法かのように吹聴してる
のは、軍事に無知な左巻歴史学者どもだよ

12 :
>>11
「一度もない」は引っ込めたわけだね

13 :
>>9
それは遭遇戦だろ。

14 :
一騎打ちって決闘みたいなもんでしょ?
戦争は1対1で戦うもんじゃないし、戦法や戦術じゃないよな・・・

15 :
バノックバーンのロバート一世の例からわかるようにヨーロッパでは
14世紀になっても一騎打ちで戦争の勝敗を決していた。

16 :
>>9
あれは追撃戦の最中に起こったこと。
敦盛は別にあそこで熊谷の挑発に乗らず逃げても構わなかったんだけどね。

17 :
>>11
しかも、そういう例は今昔物語の一例でしか起こってない。
少なくとも源平以降は完全に集団戦になってるよ。
軍記物として脚色が強い平家物語の中でさえ、名乗りや一騎打ちは
乱戦中での遭遇戦もしくは矢が飛び交う中で突入する際であって
その間他の味方が見守ってたり手止めて聞いてるわけでもない

18 :
新スレが立つとが一騎打ちどうこう言うのはもうこのスレの様式美か?
鈴木スレの刀や騎馬武者云々と同じテンプレ展開が出来つつあるぞw

19 :
じゃあこれまでに出てないようなネタを出せ

20 :
いやお前が出せ

21 :
元軍は一旦船に戻ったことを後悔しただろうね。

22 :
>>19
せっかく鷹島付近で軍船が見つかったんだしなあ

23 :
4400艘の船団のうち、台風で沈んだのはどれくらいだろ?
東路軍は高麗兵が3分の2以上生き残ってるところをみると
東路軍900艘の船団のうち、600艘は無事っぽいし、
張キ率いる軍船も無傷だったらしいし、イェスダル率いる戦艦
数百艘も無事だったところをみると1,000艘以上は残ったのかもな。
そういえば、指揮官の溺死者もほとんどいないな。

24 :
>>16
>敦盛は別にあそこで熊谷の挑発に乗らず逃げても構わなかったんだけどね。
その通り!
逃げても構わないのに、一騎打ちを武士の習いとする頭があったからこそ逃げるのを恥じた。

25 :
何も九州北部に上陸するだけが作戦じゃなかったはず。
暴風雨さえなければ、日本海沿岸あるいは瀬戸内海を東進して、
防備の薄い烏取や大都会岡山で上陸することが出来ただろう。
何せ日本側は小舟ばかりで元艦隊の長距離移動を阻止する手段など無いのである
上陸後は山城を築いたりして長期戦の体制を整えて、
上手くすれば、平野部で優勢な蒙古騎兵が日本側を殲滅する場面も見られたはずである

26 :
きっとそうだったはず!

27 :
>>25
>防備の薄い烏取や大都会岡山で上陸することが出来ただろう。
これのソースって何?中国地方には2万5千も軍勢がいるし、近畿には
六万の軍勢が控えてるのに、どうしたら「日本側を殲滅する場面も
見られたはずである」であるなんて妄想にたどり着けるの?
中国地方の軍勢に梃子摺ってる間に九州の軍勢と近畿からの軍勢に囲まれて
元軍が殲滅されるだけ。
>上陸後は山城を築いたりして長期戦の体制を整えて
これは笑えるな。どこの誰が指を咥えて元軍が山城を築くの見てるんだ?
てか、「何々だったはず」とか妄想はつまらんからチラシにでも書いとけよ。

28 :
左な教師は本当にろくでもないよな

29 :
>>24
どうしても一騎打ちが一般的だったことにしないと気が済まないの?

30 :
高麗もまとめてボコボコにされたのが悔しい輩がいるんでしょ。

31 :
そもそも14万の侵略軍が、碌に地方を占領下にする訳でもなく城作ったって
兵站キツくなるだけじゃね?二ヶ月もすれば餓死者続出かと

32 :
日本海側ならまだしも瀬戸内海に侵入するには関門海峡抜けなきゃならんし
順当に九州から順に落としていくのがきち

33 :
そして、その九州で橋頭堡さえ作れなかったんだから、お察しというヤツですな

34 :
台風に感謝

35 :
元軍は台風に感謝だな
まだ言い訳が出来るもんな

36 :
>>29
どうしても一騎打ちが一度も無かったことにしないと気が済まないの?

37 :
元史 巻七 世祖 至元九年
二月庚寅朔,奉使日本趙良弼遣書?官張鐸同日本二十六人,至京師求見。
高麗史 巻二十七 元宗三
元宗十三年、丁丑、趙良弼還自日本、遣書状官張鐸、率日本使十二人如元
日本史板で挙がってたが、幕府の交渉?

38 :
>>3
ていうか捕虜の人数も日本史上空前の人数だし、民族別にカテゴリー分けして、
やったことを基準に処分を決めていったら、必然的にそうなっちゃったんだろう。
極めて合理的。
それを「日本人のゆがんだアジア観」とかなんとか歪んだ見方で寝言ほざくのが左巻き脳ちゅうか
特亜脳のばか。
高麗兵だけ厚遇して送り返せば満足なのかね?

39 :
そうだよな
日本軍がバカ正直に名乗りを上げている間にてつはうや集団戦法にボロ負け
蒙古襲来絵巻がその証拠
夜になって"何故か橋頭堡も築かず"船に帰った元軍を暴風雨が襲い元軍は壊滅
それが後に太平洋戦争での無茶な突撃に繋がっていく
と学校では習ったよ

40 :
でも日本人が異常に「神風」を信仰してるのは確かなんだから
やっぱ当時の人も「神風」に助けられたって思いは強かったんじゃないの?

41 :
神風は寺社の宣伝だな

42 :
>>41
いくら宣伝しても台風抜きで元軍を圧倒してたんなら
意味ないだろ
660年近くたって特攻隊の名称に使われるとか
宣伝でどうこうできるレベルじゃないから

43 :
第4艦隊事件以降日本における気象学の研究が進んにで北太平洋の第4象限(日本のあるところ)は
大型台風の通り道でしかるべき時期にあの辺にいれば必ず被害が出る事は予測されていたんだよ(このことは極秘事項とされた)。
そのため日本海軍は台風対策が進んでいたしアメリカ海軍ではその対策はなされていなかった。
だから日本は米軍が本土に接近すにつれ颱風の到来を今か今かと待ち受けていたし、
実際フィリッピン沖で少なからぬ被害を出している。
神風にはちゃんとした科学的根拠があったんだよ。
ましてや弘安の役の時のいよいよ敵の総攻撃が始まるというう絶妙のタイミングで吹いたんだから、
鎌倉時代の人がこれは神風に違いないと思い込むのは当然だ。
その時点から思い出してみると文永の役の時にも風が吹いたことを思い出して後の神風伝説につながったんだと思う。
ちなみにオリンピック作戦と枕崎台風のタイミングがかち合えば3回目の神風が吹いたといわれている。
長文ごめんね。

44 :
法則の濃いのが発動した。

45 :
>>42
あのね、元寇で勝っても新しい領地が手に入るわけではないから、幕府も恩賞を出し渋ったのよ。
で、勝てたのは自分らの祈祷のおかげだと主張する寺社勢力と利害が一致したの。
八幡愚童訓とかで神威が宣伝されるのを幕府が止めなかったのにはそういう理由があるわけ。
あと神風特攻隊の名称だが、外敵が攻めてきても神々に守られた日本が必ず勝利する、
なんて戦前の気違いじみた神国思想の影響による命名なわけで、そんなものが参考になるとでも思ってるのか?
それ以前、例えば江戸時代の頼山陽の「日本外史」なんかでは神風なんて言葉は出てこず
日本軍の奮戦によって元軍を撃退したことになってるぞ

46 :
>あのね、元寇で勝っても新しい領地が手に入るわけではないから、幕府も恩賞を出し渋ったのよ。
これって本当なのかなぁ。神風が寺社や朝廷で持て囃されたのは理解できるけど
幕府は、そういった寺社にも恩賞与えてるわけで、「恩賞渋ったから幕府は神風を主張した」とは
まるで逆の行動を幕府はとってる。
それに幕府の官吏のテキストとみられる『鎌倉年代記』では文永の役で武士団が元軍を実力で追い返した
ことが記載されてるし、神風を幕府が推したとはとても信じられないな。

47 :
あっ、誤解されると嫌だから言っとくけど、俺は寺社の民衆教化が
神風伝説を生み出したって立場で、それに幕府は関わっていないって
立場だから。

48 :
万一関与して発覚したら大スキャンダルになるのは目に見えてるから
(だって武家の代表であるはずの幕府が自分達の功績を否定する行動をするのだから全国の武士激怒だろう)
漏れもしたとは思えないなぁ

49 :
そもそも文永の撤退に台風全然関係ないしな。
少なくとも書状を見る限り、当の武士達は自分達の実力で撃退したとハッキリ認識してるわけだし。

50 :
当時戦いの前に神に祈るのは当たり前だし実力だろうがなんだろうが勝てば神に感謝するのが当然だろ
弓を射る時も南無八幡大菩薩と言ったとか言わないとか

51 :
教科書も読んでいない人が多数いるようなので再掲しますね
tp://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume012.html
>モンゴル側が、優勢だったにもかかわらず
>撤退した理由については、諸説ありま す。
>(1) 暴風雨(大風)説
>(2) 初めの予定通りの撤退
>(3) モンゴル・高麗の混成軍の内部で 対立が起きたという説

52 :
(1)暴風雨(台風)説
→暴風雨がきたのは撤退中であることは、高麗史元史から明らかです。
(2)初めの予定通りの撤退
→橋頭堡も築かず、すぐ後に第2波が控えていたわけでもないので戦術的に有り得ません。
また、高麗史におけるやり取りで予定通りどころか元軍がかなり切羽詰まってたのは明らかです。
(3)モンゴル・高麗の混成軍の内部で対立が起こった
→作戦の主導権はあくまでモンゴルです。実際にモンゴルの将軍の決定で撤退しています。
やり直し。再提出。

53 :
>>51のページ書いた奴が「元史」も「高麗史」も読んでないのは確実だな
仮にも教育する立場の人間なら原典資料くらい当たれよと

54 :
引用にやり直しもくそもあるかw

55 :
>>53
この人は中世武士の研究家だからなそれだけに
>モンゴル軍の戦法は、日本の武士とは大きく違っていました。日本のように一対一で名乗りあって
>戦うのではなく、銅鑼や鐘の合図に合わせて整然と集団で戦うのです。
こっちのが注目

56 :
??

57 :
>>55
たしかにそのまま読めば日本の合戦では1対1の戦いですべてが決まるように読めてしまう。
なんか剣道や柔道の試合みたいに。そんなわけあるかい。此処での日本軍の戦いとモンゴル軍の戦いの相違は
もんごるぐんは銅鑼や鐘の合図に合わせて整然と大きな集団単位でで戦ったが
日本軍には銅鑼や鐘の合図はなくて小集団単位で各個ばらばらに戦っていたことだということが分かるようになっていない。

58 :
分かるようになっていないってかこの人はそんなこと言ってなくね

59 :
前九年合戦絵詞の中に陣中で陣太鼓を用いている描写がある
参考になるか分からんけど太平記には非常用に鐘を使ったという記述がある
(巻十七:去程に院々に早鐘撞て、西坂已に被攻破ぬと、本院の谷々に騒ぎ喚りければ)
源平盛衰記にも寺院から鐘や太鼓を借りたとか
(巻三十五範頼義経京入事:平等院の御堂より太鼓を取寄、櫓の下にて打ければ大勢静りて)

60 :
個々人が武士という戦闘階級で、下士官レベルの判断能力を持ってる武士団を
相手に、銅鑼や鐘が云々の意志伝達能力だけで勝てる訳ないと思うけどな
意志統一しての集団戦は普通に武士側もやってるし
元軍は基礎となる兵士が農民や狩人を徴用しただけの雑兵だからね

61 :
>>40
弘安の役で「神風も助けてくれた」って思いはあった
でも「神風に助けられた」じゃない
元寇の後で日本の武威に対する自信が高まってることからも明らか

62 :
元史が「官軍整わず」を敗因に挙げてるんだから、武士の方がモンゴル軍より組織戦術のレベルが
高かったのは間違いない

63 :
ちょっと書き方が悪かったかもしれない。
つまりモンゴル軍はその場に高位の指揮官がいないと戦闘力を発揮できない(人の声での伝達範囲に限界があるため、いきおい単純な内容しか伝達できないが音のでかい鐘太鼓に頼らざるを得ない、部隊の大規模運用が可能)半素人集団と
日本軍はその場に高位の指揮官がいなくとも個々人が自立した判断で戦闘力を発揮できる(伝達範囲は人の声の届く範囲に限られるが複雑な内容の伝達が可能、部隊の大規模運用には不向き)プロ集団の戦いやったといいたいわけ。
あかんな。なんかまだ書いとることに矛盾がある気がする。
ごめんね。わしの文章力やとこれで精いっぱいですわ。

64 :
つまり元寇はスパルタvsペルシャみたいな戦いだったのか?

65 :
組織という観点からは別の見方もできる。
日本軍は個々の戦闘力、判断力は高いかも知れないが、軍としての組織は
無いに等しい。(あったのは一族単位の集団だけ)
これに対し、蒙古軍は個々の兵士は半素人でも、軍としては10人、100人、
1000人、10000人を単位とする組織があった。逆に言えば、一族単位などと
いうものがないから、軍隊組織を作ることができた。
組織が変われば戦闘方法も自ずから変わる。

66 :
>>65
いや、元寇当時の日本は守護の下に軍組織も整備されていたよ
「新御式目」
一、寄役所致自由合戦、
  縦雖抜群之忠、不可被行其賞、所詮随大将命、可令進退由厳密可被相触九州守護並御家人以下輩也、
正嘉三年二月九日
「関東御教書」
蒙古人襲来対馬・壱岐、既致合戦之由、覚恵注申之間、所被差遣御家人等也、早来廿日以前、
下向石見国所領、彼凶徒寄来者、随守護人之催促、可令禦戦、更不可有緩怠之状、依執達如件、
文永十一年十一月三日
だから鎌倉幕府軍は組織戦術でモンゴル軍に勝てた

67 :
>>65
それは別に否定しないが、組織に関してその二つの文書から言えることは、各御家人
(すなわち一族集団のトップ)が大将に直結しているということだけ。
そして一族集団の大きさはばらばらだ。
蒙古軍の階層的組織と較べられるものではない。
蒙古軍のは、近代的な軍隊に照らして言えば、分隊、小隊、大隊、その上に
連隊を抜かして旅団があるようなものだ。
さらにいくつかの”旅団”を束ねて軍が形成された。

68 :
>>67
でも実際に戦ってみたらモンゴル軍の方が「官軍整わず」だったんだぜ。
結局基本は人なんだから、モンゴル軍の各階層の指揮官の戦術理解度が御家人一人一人より低い以上、
組織戦で鎌倉武士に勝てるわけないじゃん。

69 :
まあモンゴル軍はそもそも言葉も通じぬ異民族の集まり。
戦闘序列きちんと整えて、言葉じゃなく鐘太鼓で動けるように訓練しとかんと、
たちまち烏合の衆だわな。
日本軍は何と言っても同一民族しかも西日本さらに九州中心多少の訛の違いはあっても、
お互い相手が何言ってるかわからんというようなことはないわな。
ただもしへたに全国からの増援が間に合ちゃったりしてたら、
言葉や習俗の違いから大混乱が生じて、そこを突かれて敗北していたかもしれん。
長くなった。ごめん。

70 :
謝るなら「saga」を謝れっての

71 :
大陸的な組織戦って古代の日本が取り入れてたんじゃね?
学者さんたちは大陸式の集団戦法を高く評価してるが
古代の日本はどうだったのかな。
まあ、白村江の戦いとか調べてみると、個々の豪族の連合体みたいな
感じっぽいけど。

72 :
大陸式の軍隊が蝦夷に苦戦したから中世の武士団はあんな感じになったんじゃね?

73 :
>>66
すまんが引用元を教えてくれないか?
文永年間の奴は遺文に記載されてるけど、式目が幕府法集成にも遺文にも見当たらないんだが

74 :
>>73
福岡県史資料だよ
幕府法集成は勝手に年代不明リストに入れてるけどね

75 :
>>894
「矛盾している」と言うだけなら誰でも出来るぞ
「どう矛盾しているか」を説明してみろ
出来ないだろう?つまり、矛盾していないんだよ
少なくとも、お前には矛盾点が分かっていない
単に印象操作したいだけだ

76 :
>>75
すまん誤爆したわ

77 :
>>74
ありがとう。見つかったわ

78 :
>>51
NHK高校講座日本史は、ほかの部分はどんどん新しい研究に依拠した記述になっているが、
元寇だけは古色蒼然たるものだな…、三別抄を過大評価しすぎだ。
>一見、通交を求めているようですが、実は服属を要求しています。
>さもなくば「兵を用いるのは誰が好むだろうか」と軍事力行使もほのめかしています。
ここはしっかり断言してるのに。
それと「不可解」を半島情勢の無知みたいに非難めいた扱いをしてるが、正しく知ったところでどうしろと言うんだ。

79 :
>もっとも、この季長苦戦の場面には、あとから加筆された箇所があると見られています。
>特に3人のモンゴル兵を他の場面のそれと比べるとよくわかります。
>おそらく季長の奮戦ぶりを強調したかったのでしょう。
この先生はいいかげんだなあ。ちゃんと加筆に触れてるのに、3人のモンゴル兵を絵詞のその場面から抜いたらどういう構図になるか触れてない

80 :
しかも絵の下に書いてある竹崎自身の注釈がある意味
絵そのものより遥かに重要だってこともまるでわかってないよな。

81 :
三別抄について学者さんたちのやってるインチキは史料の「公家たちは理解できませんでした」という記述を、
まるで鎌倉幕府も理解できなかったかのような誤解に意図的に誘導してること。
公家たちが理解できなかた理由は幕府から断片的な情報した与えられてなかったからで、
直接三別抄と対話できる幕府と公家たちの間には天と地ほど情報格差があったんだよ。
実際には三別抄と幕府の間には密接な交流があった。
1271年に元使・趙良弼が来日した際、博多で三別抄に襲撃されてそのまま大宰府に連行されてるんだよね。
その後も幕府は趙良弼との交渉で三別抄からの情報を外交カードとしてフル活用してるし。

82 :
>>69
>まあモンゴル軍はそもそも言葉も通じぬ異民族の集まり。
まず高麗軍は基本的に高麗人から成る、高麗王国の軍隊だ。
蒙古軍の中核は蒙漢軍だが、蒙漢軍というのはもともとは漢人(中国人)から成る職業的戦闘集団だ。
それが女真族王朝の金国に仕えていたのが、蒙古に降伏して、そっくり蒙古軍に編入された。
ただし軍隊組織は蒙古軍式に改編された。
というわけで、文永の役の元軍は決して他民族寄せ集め集団ではない。

83 :
>>82
訂正:
他民族 → 多民族

84 :
【蒙】漢軍って言ってるんだから、漢人だけではないだろう。
蒙古人も相当含まれてたんじゃね?

85 :
>>66
文永の役じゃ菊池武房が総大将の策を無視して赤坂を攻略したりしてるが?

86 :
>>85
だから菊池武房には幕府から恩賞が与えられてない

87 :
だから全体の組織の統制が取れてないと言っとるんだが

88 :
逆に言えばそんな統制取れてない軍に負けた元って何なの?

89 :
だから歴史家も元軍優位と言ってただろ

90 :
>>85
独断専行自体は功績を上げればよっぽどじゃない限り容認されるでしょ
その辺が訓令戦法のキモだし、意識してた訳じゃないにせよ、日本の武士団は
訓令戦法で行けるだけの下地があった訳だからな
>>89
元軍は劣位です。これは確実

91 :
上陸地点に釘付けにされたまま1日で敗走した元軍が優位なわけないだろ
大惨敗じゃん

92 :
>>90
総大将が戦う場所まで決めてんがな
それに>>86によると菊池武房は恩賞が貰えなかったそうじゃないか
>>91
文永の役と書いてあろうが

93 :
>>91
だから文永の役で元軍は上陸地点に釘付けにされたまま1日で敗走してるだろ

94 :
>>92
上陸したのに橋頭堡すら築けずに1日で敗走したのは文永の時だろ。

95 :
アンカーミスった
>>92

96 :
>>89
あれ?お前その歴史家が不勉強だと指摘されたら
「この人は中世武士の研究家だから」とか言い訳してたよね?w

97 :
>>94
文永の役じゃ上陸地点に釘付けどころか博多の目前の赤坂の丘の上に陣取ってんだろうが
>>96
は?お前何様だよどこの馬の骨とも知れない匿名のド素人と歴史家じゃ比べ物にならんわ

98 :
集団戦術VS一騎打ちor個人戦は正しくないな。
正確には命令戦術の元軍VS訓令戦術の日本やね。

99 :
>>97
その陣取った赤坂から一瞬で蹴散らされてるだろうがw

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