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2013年07月九州814: 昔の福岡を語っちゃってん!パート12@九州/まちBBS(1000)
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昔の福岡を語っちゃってん!パート12@九州/まちBBS
- 1 :2008/03/01 〜 最終レス :2011/07/15
- パート12になっても、昔の福岡を知っている人から今の福岡しか
知らない人も、世代を越えてそれぞれの思い出を語りあってください。
北九州方面の思い出は
【小倉城】昔の北九州を教えてちゃ【ジェットコースター】その1
http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1162185666
こちらでお願いします。
前スレ
昔の福岡を語っちゃってんパート11!@九州/まちBBS
http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1194747378
過去スレや関連スレは>>2
- 2 :
- 関連サイト
読売新聞西部本社 昭和39年九州発
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/showa39/index.htm
西日本シティ銀行「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/index.html
[過去ログ]
パート1 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1063796170
パート2 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1101639313
パート3 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1108803371
パート4 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1118243597
パート5 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1124636795
パート6 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1141916248
パート7 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1149144196
パート8 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1160478518
パート9 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1167723601
パート10 http://kyusyu.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kyusyu&KEY=1180758308
- 3 :
- 未だに、屋台で「ウナギ釣り」ができるの?できるのならばどの辺?
- 4 :
- スレが復活しましたので書き込みはこのスレでお願いします。
- 5 :
- 岩田屋の建物があり正面向かって左手奥に福岡スポーツセンターが
写ってました。
建物も旧岩田屋みたいなものでは、なく大丸のような大きさで中央に
入り口がある建物でした。
これ見て思ったんですが岩田屋は、なんどかあの辺りを土地を変えつつ
営業してたんでしょうかね?
- 7 :
- >>5
>>建物も旧岩田屋みたいなものでは、なく大丸のような大きさで中央に
>>入り口がある建物でした。
スポーツセンターの隣、現在の岩田屋本館前の広場付近ならば、
昭和50年代の後期頃まで市の教育会館(茶色の3階建て)が有った。
>>岩田屋は、なんどかあの辺りを土地を変えつつ営業してたんでしょうかね?
創業時の呉服屋の頃は現在の大手門付近、
その後博多部へ移転して、大正時代に上川端付近でミニデパートを
運営した後、1936(昭和11)年天神で本格的なデパートを開業。
その後、現在に至る。
- 8 :
- 今の岩田屋の場所には角に教育会館、隣に西通りに連なる電々公社の大きなビルがあって
岩田屋新館の場所にはNHKがあった。
だから「東海楼」の前の道は人通りが少なかった。
NHKには電波塔があったが「今は建て込んでいるので使えない。ケーブルで郊外の塔まで信号を送って
そこから電波を発信している」という職員の方の説明を聞いた事がある。
NHKの通りの北の新天町の南の通りにはとんがり屋根の千鳥屋(エルベ)があった。
2階のエルベ喫茶室は天井が高くゆったりできた。
この前イムズの前を通ったら、北東角に柳の切り株が残っていた。
堀端だったころの名残だろうか。
堀の向こう岸の福岡中央公園の南西角、済生会病院の向かい辺りにも古い柳が最近まであったが、2,3年前に枯れた。
- 9 :
- >>8
1973年5月4日放送の「走れ!ケー100」第4話で、主人公の伊賀山紋太が旅費を稼ぐためにアルバイトをしたお店がその千鳥屋でした。
店名も実名ででてました。
- 10 :
- そういえば、ごく最近の話だが
ビックカメラ(警固神社の前の)ところに
大邸宅があったな・・・
- 11 :
- >10
元の岩田屋のオーナーであった中牟田家のこと?
- 12 :
- >>8
>>今は建て込んでいるので使えない。ケーブルで郊外の塔まで信号を送って
NHK−AMとFMは春日市の昇町の送信所から送信している。
現在の大濠の局舎からは無線を使っているみたいだけど。
>>10
>>11氏が書いている通りで中牟田家の屋敷が有った。
岩田屋の経営不振の時に岩田屋体育館と共に売りに出された。
>>11
中牟田家は現在も一族が長崎の老舗デパートの浜屋の経営に関わっている。
http://www.nagasaki-hamaya.com/
浜屋の英字ロゴは岩田屋で先代に使用したものと一緒。
- 13 :
- 中洲のエルベはまだあるの?
- 14 :
- 岩田屋呉服店のあった旧大工町の北側の寺には
中牟田家の墓地がある。
簀子公園近く。
あの辺りで思い出すのは
50メートル道路と電車通りを結ぶ通り(下の橋公団の東側向かい)にあった
「桃太郎饅頭」という甘酒饅頭の店と
城内の国立病院に西に入る角にあった「つぼやきいも」の屋台。
壁にさつまいもがたくさんぶら下がっていて、とてもおいしそうだった。
- 15 :
- >>中洲のエルベ
あの茶色い壁の円筒形のエルベはこの前通ったらなくなっていた。
新天町の中にも2ヶ所あったエルベ喫茶室。
千鳥屋2階 「まるきん」の向かいの喫茶室はギャラリーになっていて
もう一方の「千成屋」近くのエルベは「那の福ラーメン」になっている。
西新の千鳥屋2階のエルベは、なくなって相当経つ。
純喫茶は難しいのかなあ。
- 16 :
- http://news23.jeez.jp/img/imgnews20100.jpg
http://tv2ch.net/3/jlab-tv/s/54089.jpg
- 17 :
- >16
最近話題の例の中学校?
まるで昭和50年代後半ごろの校内暴力全盛時代のごたあね。
今でもこげな学校のあったっちゃねえ・・・
- 18 :
- >>17
全国的には、やっぱり福岡。
県内的には、さすが筑豊、
博多から言えば、北九州は怖い。
- 19 :
- >18
20年くらい前だったか、武田鉄矢がとあるTV番組で
「私んがたから山ひとつ越えた向こうに○○(あえてぼかします)ていう街のあってから、
そこはかーちゃんから危ないヤバイ街やけん近づくな、て言われよりましたもんね。」
というニュアンスの発言をしたことがありました。
見ていた私も、その発言こそヤバイっちゃないかいな・・・と思いよったら
次週のその番組内で「先週出演の武田鉄矢さんに不適切な発言がありましたことをお詫びいたします」
と言う旨のテロップが流れたことがあったのを思い出しました。
鉄矢さん、雑餉こそ福岡近郊では最もアヤシイ街のひとつやないと?(笑)
- 20 :
- 単なる風俗街と任侠映画の世界とを同列には論じられまいて。次元が違おうが。
- 21 :
- ビーバップの戸塚水産を思い出した!
未だに、こんな学校があるなんて筑豊、田川は30年ぐらい遅れてるのか?
目の前にピンクの学ランの兄ちゃんが居たら、多分笑うだろうな〜
- 22 :
- ビーバップの作者、木内君は超坊ちゃん高校でクソ真面目高校(当時)の大濠出身。意外でしょ?
作品に出て来る菊永君も実在。大濠を退学処分。
- 23 :
- >>16 映画のセット つられんごと
- 24 :
- 小さい頃は「ざっしょのくま」はくまさんが住んでいるようなイメージだった。
春日原に伯父が住んでいて、急行電車の途中駅だったから町の名前は覚えています。
そういえば「雑餉隈」とか「春日原」なんて言わないで「雑餉」、「春日」と呼ぶ人が増えたね。
聞くところによると5号線の料金所(150円払う)が廃止されて無料になったそうですね。
知りませんでした。
いつごろのことでしょうか?
- 25 :
- 雑餉隈を雑餉とするのは、明らかに略称だが
春日は元から春日、春日原はあくまでも春日の中の一地名にすぎない。
いいかげんなこと書くべきではない>>24
- 26 :
- >>24
>>聞くところによると5号線の料金所(150円払う)が廃止されて無料になったそうですね
5号線の料金所と言うので、鳥栖筑紫野有料道路
(現在は県道17号久留米基山筑紫野線)の事だと思うけど、
2007年5月8日に料金徴収期間が満了になって、
翌日の9日から無料化されたので、もうすぐ1年になる。
鳥栖筑紫野有料道路の回数券をまだ所有している方は
下記のお知らせに寄ると今月末で払い戻し期間が終了してしまうので注意。
http://fukuokakentochi-douro.jp/information/info-cont1/info0.html#0
- 27 :
- >>25
春日原町というのがあったのでそのときのことを思い出して書いたのだが、、
それとも安倍仲麻呂の頃の話をされているのだろうか。
残念ながらその頃のことは分からないが、ご回答に感謝する。
- 28 :
- >>26
情報に感謝。
- 29 :
- >>25
調べたら春日町だった。ご指摘のとおり。
あの有名な歌に出てくる「春日」が福岡県だという意味ではないので念のため。
- 30 :
- 話はかわるけれど、この前ある集まりで「赤坂門」と言ったら笑われてしまった。
多分地下鉄の駅名の影響だろうと思う。開通してもうすぐ27年だ。
私自身、西鉄大牟田線の駅名が「かすがばる」なので、「春日市」になる前の町の名前も「春日原町」と錯覚していたのだ。
私よりもご年配の方は室見のことを「ちがう、庄だ。」と指摘されるかも知れない。
人のことはとやかく言えない。
これも時の流れかなと思う。
でも「赤坂」には私自身まだまだ慣れていない。
あの界隈を「赤坂」と呼ぶのは東京の黒板塀の料亭の立ち並ぶ町のような気がしてしっくりこない。
- 31 :
- >>30
>>、「春日市」になる前の町の名前も「春日原町」と錯覚していたのだ。
1948(昭和23)年頃の地図では「春日村」、
1961(昭和36)年頃の地図では「春日町」と記載がある。
ちなみに隣の大野城市はというと・・・、
1948(昭和23)年頃の地図では「大野村」、
1961(昭和36)年頃の地図では「大野町」。
- 32 :
- >>14
正法寺ですね。浄土真宗のお寺です。西本願寺系?
- 33 :
- まぁ〜、天神も昔は「てんじんのちょう」て言いよったね。
- 34 :
- 「てんじんのちょう」と言わなかったら「よそんもんばい」と思われるというのが
頭にあったね。
タクシーに乗るときも「てんじんのちょうまで」と言っていた。
転勤族の引継ぎにも「てんじんのちょう」の呼び方があったらしい。
町名や電停の表示が「てんじん」になっているのにそういう習慣だった。
- 35 :
- >>30
わたし今年28ですけど、あのあたりはやっぱり「赤坂門」という認識ですよ。
なんで地下鉄は赤坂なんでしょう?
ちなみにスタバもちゃんと「赤坂門店」です。
http://www.starbucks.co.jp/search/map/result.php?storeId=0345&lang=ja
- 36 :
-
西鉄大牟田線のきっぷうりばで、自動券売機じゃなくて
有人窓口だった時代は、
おばちゃんなんかはたいてい「てんじんまで」と言ってたな。
今は福岡(天神)と駅名に入るようになったが、
餓鬼の頃はなんで?とか思ってたな。意味は通るんだけど。
>>30
赤坂門も、バス停は今もそうなのになんで笑うのだろうね。
春日原駅近辺は、春日市の中で、春日原北、東、南町としてあるけどね
- 37 :
- >>35
>>なんで地下鉄は赤坂なんでしょう?
開業当初の福岡市の地下鉄の駅の名前は行政上の町名から取っていたから。
(中洲川端など一部例外はあるけど)ちなみに大濠公園も町名としてある。
`ン電車の停留所は「赤坂門」だったけどね。
1962(昭和37)年〜1966(昭和41)年に行われた町名町界整理で
由緒ある町の大半の名前が消えてしまったからね。
>>33->>34の関連だけど、
天神町→天神に変わったのが1964(昭和39)年の6月だった。
- 38 :
- 福岡市南区柏原。ラジオの交通情報や道路案内の青い看板でカシハラと
アナウンスされている。カシワラでしょ?改変したいの?
- 39 :
- >38
そういえば某カーナビの音声案内で
屋形原が「ヤカタバラ」て案内されよったとば思い出した。
現地のことが良くわからんよそもんがプログラム入力したっちゃろうね。
- 40 :
- >>27,29
春日の地名の由来は、奈良の春日神社が遷座された地だから。
よって安倍仲麻呂由来もまんざら的外れではないのだよw
もっとも、私はそんなこた一言も言ってないので念のためw
貴方が一人語りで掻き回しただけだけどw
春日の中の言わば「原町」が通称の春日原。
今は「原町」という呼称も、認識も消滅してるだろうなあ・・・
昔、海援隊だっけか「春日原まで」とかいう歌があった。
その歌をモチーフに、一話完結の頃の東芝日曜劇場でRKB制作の
「春日原まで一枚」というドラマが放送された。
西鉄平尾駅に住む若者が春日原駅までの切符を買うまでの壮絶な人間ドラマだったww
- 41 :
- >>31
筑紫郡の春日町,大野町,筑紫町への市への昇格は同時。
春日町はすんなりそのまま春日市へ。
大野町は、たしか北陸かどっかにすでに「大野市」が存在していたため
違う都市名を付けねばならず水城堤とか四王寺辺りの古来の山城にちなんで「城」を付けたと記憶す。
一方、筑紫町はそのまま筑紫市でもよかったのに、
わざわざ「野」をつけて筑紫野市とした・・・
古来からの地名「筑紫」をなぜ替える必要があったのか?
由緒ある地名「筑紫」は今や「筑紫郡」として残る程度か?
唯一の筑紫郡である那珂川町が市へ昇格したら
もう地名として存在しなくなるかもしれん・・・
筑紫通りとか博多駅筑紫口とかは正式名ではないし。
博多区の南の方、雑餉隈辺りを分区する動きがあるが
その際は、新区は博多南区とか無粋な区名ではなく、
是非、「福岡市筑紫区」としてもらいたいものだね。
- 42 :
- >41
これらの市への昇格は福岡市の政令指定都市化と同時だったと記憶する。
その際、それぞれの町に福岡市から合併話があったようである。
筑紫野は当時は貧乏な自治体だったため、これを機に福岡市に併合されたかったようだが、
間に控える春日・大野が福岡市のドーナツ化現象で人口が急激に伸びていた時期で、
固定資産税収入の急増で潤っていたような時でもあり独自で市制をひくことを貫いたため
福岡市との境界が接していない筑紫野は当時涙を飲んで筑紫野市となったと言う・・・
(今では開発が進んで全く状況は変わったが)
ところで、筑紫野は町の時代も筑紫町やなくて筑紫野町やったっちゃなかったかいな?
- 43 :
- かもね。。。。
「筑紫村」の記載の記憶はあったが、町になったときは「筑紫野」町だったかもしれん。
私が生まれる前の話だが。
だがいずれにしても「筑紫」の地名は、どこかに残したいね。
- 44 :
- >>42
そのようだね。昭和47年のこと。
筑紫郡の3町の市制施行は確か特例で
人口3万人でやった。今は10万人前後
太宰府はやや遅れて市制。
那珂川町は、今、5万人直前らしいが。
筑紫野町はかなり前、1955年に二日市町などが合併してなったようだ(Wikipediaから)
- 45 :
- >40
>西鉄平尾駅に住む若者が春日原駅までの切符を買うまでの壮絶な人間ドラマ
どげなドラマや……。不覚にも爆笑してしもーたバイ。
- 46 :
- 俺も、吹き出した!
- 47 :
- >>45
東芝日曜劇場 第897回(1974年)
演出 東義人
脚本 山田太一
キャスト 藤田まこと、左幸子、小倉一郎、望月真理子、北川湛子、成松守
中学を出て以来、忍の一字で生きて来た男が、部長の失敗の責任をかぶって格下げされることに。
- 48 :
- おお。。。サンクス>>47
小倉一郎が主役だったのは覚えている。
- 49 :
- 山田太一脚本の名作、"それぞれの秋"の頃だね。
- 50 :
- 平尾駅と言えば改築前の昔の駅舎時代、旧筑前高宮駅方面に抜けていたトンネルが懐かしい。
周辺の様子からは全く場違いな存在で、なんとも言えぬ威圧感があった。
階段下りたところには靴磨き屋の小屋もあったなあ。
平尾の街並そのものは旧筑肥線が道路化されたのを除けば昔からさほど変わっとらんが、
平尾駅から筑前高宮駅にかけての一角だけは激変して昔の名残がのうなったね。
今の若いもんにサニーのところに駅があったて言っても信じられんめえな。
- 51 :
- サニーってどっちの?
- 52 :
- RKB製作の日曜東芝劇場といえば
山田太一脚本 川谷拓三主演の「お父さんの地下鉄」だな
西鉄の市内電車の運転士が地下鉄の運転士になる話
しかし地下鉄は今では当たり前のATO完備の自動運転って事に
絶望する話だったような
- 53 :
- 国鉄筑肥線の西新駅を時々利用していた。
地下鉄と引き換えに廃止されたが、当時の硬券の切符が
まだ机の引き出しに入っている。
- 54 :
- >51
平尾駅から見て東側(天神方面向いて右側)のサニーです。
店名は確か那の川店。
西側のサニーは平尾店でサニーの本社が同居していますね。
- 55 :
- 平尾駅の高架下に屋台が一軒だけ出てたよね
- 56 :
- 平尾といえば、平尾四角に漢方薬局のでかい看板がありますよね?
あのどアップの店主の顔なんとかなりませんかね? 通るたびに事故起こしそうでww
- 57 :
- >>50
サニーの前は西鉄バスの営業所とか無かったっけ?
- 58 :
- >57
あった、あった、バスの営業所。
今考えたら、筑肥線廃止に伴う代替バス用の車庫を兼ねとったのかもしれんね。
- 59 :
- 美野島、筑前高宮、小笹・・なつかしいです。
- 60 :
- >59
正しくは「美野島」では無く「蓑島」ですね。
さらに厳密に言うと「筑前蓑島」。
読み方は同じなのに、何故か地名と駅名の字が違う例って全国的にも多いようですね。
駅名でなくても「糟屋」郡の「粕屋」町や、筑後の方では「大和」郡の「山門」町なども。
また「唐人町」の「当仁小学校」もこれに類するパターン?
いろんな歴史的背景があるんでしょうね。
- 61 :
- >59、60
旧筑肥線の道と日赤通りが交差する地点は、何で蓑島方面⇔小笹方面の直進ができんっちゃろうか。
あれがまっすぐ突き抜けられたら便利と思うのは私だけやないと思う。
さらに線路跡をトレースして、博多駅近辺へもそのままクルマで行けるごと道路化したら
周辺の渋滞緩和にも多少は役立つ・・・との考えは素人の意見やろか。
と言うより旧線跡道路(大部分は筑肥新道)の上空スペースの空間利用で、
博多駅⇔姪浜にモノレールとして路線復活、なんてのは夢の話か?
沿線にはあれだけ人家も密集しとうし、それなりに採算ベースに乗りそうな気もするが。
- 62 :
- >>58
>>あった、あった、バスの営業所
西鉄バスの高宮営業所だね。
>>今考えたら、筑肥線廃止に伴う代替バス用の車庫を兼ねとったのかもしれんね
筑肥線代替バス専用の営業所だった。
>>60
>>また「唐人町」の「当仁小学校」もこれに類するパターン?
当仁小は俺も通っていたが、町名そのままに「唐人小学校」とすると
唐人(中国人)専用の学校と間違えられる恐れが有ったからと聞いた事がある。
- 63 :
- >>61
>>さらに線路跡をトレースして、博多駅近辺へもそのままクルマで行けるごと道路化したら
梅光園から輝国への緑道部分も同じ事が言えるかも知れんな。
あの周辺の道路も観光道路の渋滞を避けるために
ショートカットで通る車が多いからね。
ただ、あの部分を緑道したのは今考えたら賢明な選択だったかも知れんな。
- 64 :
- さぁ、どんたくやね
今はなき、日立キドカラーの花電車
天神や柳橋辺りで見てた子供の頃の良き想い出
大人になって中洲に出た
博多ハリウッドなる小屋の前の看板に
同じく「花電車」の文字・・・
あの眩しい車体がこんな小屋の中で??
車体はなかったが、負けずに美しかった女体・・・
こっちの「花電車」も今は亡き・・・
- 65 :
- >>64
花電車やるお姉さんは容姿がイマイチの方が多かったようなw
今も時たまやる人見かけるけどな・・・・
しかしストリップも今はAV女優の引退後の就職先になっててつまらなくなったな
- 66 :
- 最盛期は市内に5軒ありましたね。天神1、中洲3、博多駅前1。
今はゼロだからさびしい限りです。
- 67 :
- 井尻にも1軒あった時期あったよw
場所柄、自衛隊割引ってのがあったw
- 68 :
- 中洲の最期の1軒が飲み屋に変身してた。博多駅前はビジホになったし、
天神は天神ソラリア計画で消えたしなぁ・・
- 69 :
- >>68
だから小倉のA級小倉まで行く羽目になる・・・・ノリがいい小屋だけどねw
- 70 :
- >>60
定かではないですが・・・
「糟屋郡」糟屋は明治からで「粕屋町」は昭和の戦後に付けた町名なので
当用漢字でなかったからと思われます。
- 71 :
- http://www.fukuoka-navi.jp/ebook/index.html
みんなこれ見て能を刺激して思い出し。
いいサービスと思うっちゃけど利用者が少ないけん
1、2、3月号は復刻せんみたいやね。ただで見れるばってん出来れば買ってやって
- 72 :
- http://www.fukuoka-navi.jp/ebook/index.html
みんなこれ見て脳を刺激して思い出し。
いいサービスと思うっちゃけど利用者が少ないけん
1、2、3月号は復刻せんみたいやね。ただで見れるばってん出来れば買ってやって
- 73 :
- ★こんにちは稼げる夏になりました、大阪、飛田新地からの募集です、メイン通り【一番稼げる通りの事】に4店舗オープンしています(^-^)★
★給料システム★
☆15分☆11000→5500
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少しでいいんです、頑張ってみようと思われた方ご連絡お待ちしています○e○-○k○@○g○p○n○e○.○j○p ○は抜いてね(^-^)
- 74 :
- >>65
地津で栓抜きを持ってビール開けたり、プルトップをとったりしてたね。
ストロー差し込んで数メートル先の液体吸い上げてたw
吹き矢で風船割ったりもしてくれた。
特殊な筒で内部を見せてくれたり、指を入れてしまる感触を楽しんだりも
したよ。
天神のビックの横のゲーセンのあったところは人通りが多くて入る勇気がないまま
なくなっちゃった。
- 75 :
- age
- 76 :
- ageて頂いたついでに。
>>71->>72
シティ情報ふくおかと言えば、かつては全国のタウン誌の雄とも
言われたがなぁ・・・
先年、倒産して現在はパソコンのアプライドの子会社になってしまったなぁ・・・
- 77 :
- >76
シティ情報ふくおかと言えば、某即席麺メーカーとタイアップして
「くおーか」という商品名のインスタントラーメンを出したことがありましたね。
昭和55〜57年ころの話。
TVCMでは「ニューヨークではニューヨーカー、福岡では・・・くおーか!」と、
今考えると誠にくだらないキャッチコピーとともに、
毎回の表紙を飾っていたあの「ふくおかおじさん(?)」がTV画面の中で踊っていたのを思い出します。
商品のデザインも袋のど真ん中にその「ふくおかおじさん」の顔が大きく載ったものでした。
カップ麺ではなく袋タイプのラーメンだったのも時代を感じますなあ。
九州限定商品だったのでしょうか?
ところで「ふくおかおじさん」の正式な名前って何だったのでしょうか?
- 78 :
- >>77
「くおーか」(1980年8月発売)の袋の画像は
発売元のサイトのアーカイブと、
http://www.nissinfoods.co.jp/entertainment/archive/
即席麺家頁 第5章 個性化の時代とインスタントラーメン
http://www.instantramen.or.jp/history/history05.html
ココで見る事が出来る。
それまでマルタイ泰明堂(現在のマルタイ)やサンポー食品が
作っていたインスタントとんこつラーメンに大手として1979
(昭和54)年に初めて発売されたハウスの「うまかっちゃん」
(最初は九州限定商品として発売)に影響されての発売だった。
- 79 :
- 福岡ローカルの昔からの商品パッケージで、俺的に印象に残っているもの・・・
1,吉野商店の「東北納豆」のオレンジ色パッケージ(箱もの、藁巻きもの)
2,マルタイの袋ラーメン「これだ!」のスイカ風パッケージ
3,昔の西鉄バスの、深緑と肌色のツートンカラーに「西テツ」の文字
4,同じく市電や大牟田線の西鉄電車、濁った血のような深紅つかエンジと肌色のツートンカラー
5,今は亡き、福岡玉屋の 高島屋によく似た、バラの花の包装紙や紙袋
- 80 :
- >>79
2.「これだ!」は現在も販売中
3.西鉄バスは2代目の白地に赤のラインを経て、現在は3代目のこのデザイン
http://www.nishitetsu.co.jp/100th/bus_design/
4.今は薄いペパーミントグリーンに赤のラインの車両が主流
TXにそっくりの新車両3000系はシルバーにブルーのライン
http://www.nishitetsu.co.jp/train/sharyou/sharyou-inf.htm
5.玉屋は高島屋の傘下だったんじゃなかったっけ?
博多リバレインには高島屋進出の話も一時あったし
- 81 :
- >>80
そんないちいち検証?してくれんでもよかですばいw
みんな知ってるし。。。検証されても味気なくなるだけですw
それより、もっと貴方自身の思い出やノスタルジィをレスして下さいなw
玉屋は高島屋「傘下」というのとちょっと違った気がします。
今もある佐賀玉屋は福岡玉屋の時のような高島屋との連携はあまりやってないようですし。
ただ、バラのマークに関しては、高島屋と似てるっつーより、ほとんど同じかもですね。
「バラのマークの玉屋」「バラのマークの高島屋」・・キャッチフレーズも同一でしたね、確か。
吉野商店はまだ健在ですかね?
納豆といえば、もうひとつ丸美屋の「お城のマーク」も馴染みですが
あれは熊本の会社ですよね。
吉野商店は「東北納豆」ブランドながら、福岡市東区でしたね、たしか。
- 82 :
- >>81
私もこの他サイト張りまくるrev.の人は興醒めするなあと思ってました。
良い人なんでしょうけどちょっとだけkyなんでしょう。
納豆よりも私はおきゅうと売りが懐かしい。
「おきうと」「沖人」と表記された幟旗に自転車。
真鋳の鍋もって豆腐と一緒に母に買いに走らせられてました。
- 83 :
- >>81
>>玉屋は高島屋「傘下」というのとちょっと違った気がします。
玉屋は高島屋と系列デパートとの商品仕入れ等を行う
共同機構のハイランドグループ(高島=ハイランド)に入っていた。
>>「バラのマークの玉屋」「バラのマークの高島屋」・・キャッチフレーズも同一でしたね、確か。
ハイランドグループなので同じキャッチフレーズなのは当然。
今でも、福岡空港のとある売店と福岡玉屋の跡に建ったゲイツ地下の
玉屋の売店でバラのマークの包装紙を見る事が出来る。
- 84 :
- 昔はえがったよー
- 85 :
- >>83
懲りないなあw
味気ないこと好きな御仁w
せっかくだから、「吉野商店-東北納豆」も検証して下さい。味気なくてでいいからw
さて、私は私のノスタルジィをば・・・・
もうすぐ山笠ですねぇ。
博多部ではない渡辺通りのオータニの前に今でも飾り山がありますが
昭和40年代ぐらいまでは今の柳橋連合市場と棟続きでオータニんとこにバラックアーケード街がありましたね。
そこにもちゃんと立派な飾り山ありました。
今はなき南流ってのが運営してた山です。
あ、南流れについての検証はしなくていいっすよw
- 86 :
- >>85
いくらrev.が付いてても十把一絡げにされるのは心外だな・・・・
>>83はあっしではありませんのであしからず
つかノスタルジーの感じ方なんて人それぞれなんだから
それにいちいち難癖付けるのもどうかと思うけど
- 87 :
- >>85
まあまあ(笑)
いちいち検証されて気分は悪いかも知れないが、
正確な情報はありがたい面もある訳だし。
82のようにky呼ばわりは行き過ぎだと思うけどね。
なんて書くと荒れるかな(苦笑)
オレは福岡玉屋の出入り業者だったから終焉を見届けたんだけど、
最後は外商展示場のようになっていて一般客はほとんどいなかった(泣)。
ニューオータニ出現前のアーケード街はボンヤリと覚えてる。
85さんはオレの少し先輩くらいかもしれません。
- 88 :
- >>85
まあまあ(笑)
いちいち検証されて気分は悪いかも知れないが、
正確な情報はありがたい面もある訳だし。
82のようにky呼ばわりは行き過ぎだと思うけどね。
なんて書くと荒れるかな(苦笑)
オレは福岡玉屋の出入り業者だったから終焉を見届けたんだけど、
最後は外商展示場のようになっていて一般客はほとんどいなかった(泣)。
ニューオータニ出現前のアーケード街ボンヤリと覚えてる。
85さんはオレの少し先輩くらいかもしれません。
- 89 :
- >>88
ごめん,
二重書き込みになってしまった(汗)
- 90 :
- >>87
福岡玉屋・・・懐かしいなぁ。
玉屋と言えば春のカメラショーの会場で行ったのが初めてだったな。
84年頃はカタログをフロアごとにタダで配ったりとえらく景気が
良かったけど、いつの間にかカタログが有料になって玉屋とともに
カメラショー自体福岡から姿を消してしまいましたね。
眼鏡サロンで作った眼鏡をまだ愛用しています。
- 91 :
- >>85
自分の思い出話は、みんなが注目してくれているとでも思っているのかな、ひょっとして。
- 92 :
- >90
玉屋の閉店は1999年、その15年前となる84年(昭和60年前後)ころにはすでに玉屋は「死んで」いた印象があります。
当時は若者(大学生)だった私も時々行くことがありましたが、店内はおばちゃん(しかも高齢の)ばかりで、
学生のような若者がそこに居るだけで大きく違和感のある空間となってしまっていました。
店内のポスター等も「奥様のための百貨店」というニュアンスのキャッチコピーで、
若者をターゲットにすることをもはやあきらめてしまっていたようです。
素人ながら、百貨店という業態なのに若者を取り込もうとしていない姿勢を見るにつけ
「もう玉屋は長くないな・・・」と感じていたのを思い出します。
この数年前には地下鉄が開通、これを起爆剤に昼間の中洲の活性化への起死回生も狙っていたようですが
むしろ客は中洲を素通りし天神の一極集中に拍車をかけることに。
キャナルの開業で息を吹き返した上川端商店街とは明暗を分ける形になりましたね。
- 93 :
- 玉屋ではよく背広の新調をしていました。
フロアの客はいつも私一人で静かでした。
当時20代でしたが、人ごみの苦手な私にはかえってそれが良く、うってつけの店でした。
店員さんから「この生地なんかいかがでしょう」と勧められるままに
生地を背負って袖の形に折って鏡の前に立つと、確かにピッタリでした。
高年齢の方は、年の功というのか長年の勘が冴えていらして、さすがプロだと思ったものです。
この前、洋服箪笥の整理をしていたら、ダブルのソフトスーツ、ノーベンツのが大量に出てきました。時代を感じさせるデザインです。
大抵のものは上着のポケットの辺りに金文字でTamaya(あのレタリング)と刺繍された黒い布が縫い付けられています。
しかし今では太ってしまって着られなくなりました。あーあ。
- 94 :
- 俺も17年前に買ったよ。スーツは百貨店で買う時代だったね。
- 95 :
- 玉屋の前の川に駐車場が張り出していたけど
いつの間にか無くなっていた。
- 96 :
- >93・94
私の最初の学生服も玉屋でした。
もちろん詰襟で(ブレザーの学校制服などきわめて稀な時代)、
たかが学生服とは言え、ちゃんとスーツ同様に
内ポケットあたりには「金文字でTamaya(あのレタリング)と刺繍された黒い布」が
存在していました。
昭和50年代初頭ころの話。
- 97 :
- 玉屋は創業者は佐賀。現在も佐賀玉屋は営業しています。
ぜひ佐賀玉屋へお越し下さい。
- 98 :
- 玉屋っていうとエスカレーターのレイアウトの悪さと
ガキの頃お袋と大食堂で飯食ってた時に全館停電に遭遇したことかな
郵便局のデパートのお中元カタログ
今の時期になると在福のデパートが揃ってカタログ出してたけど
いつの間にか玉屋は無くなった・・・福岡に店舗が無くなった井筒屋もそろそろ・・かな?
- 99 :
- 25年ぐらい前かな〜地下鉄に貼ってあった玉屋のポスターのモデルが
松本幸四郎の妻、藤間紀子さんだったのが忘れられない。。
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